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2009'04.30 (Thu)

傷心なフィッターの場合 後編


【More・・・】

麻布十番にあるジャズバーのカウンターに座り、
スコッチのロックを傾けながら私はある人を待っていた。
いつも静かなジャズの生演奏が響き渡る店内には、
純粋に音楽を楽しみに来ている人も少なくない。
なのでそんな人達の邪魔にならないように自然と話声は小さくなり、
会話が聞き取りやすいように椅子と椅子の間が近くなる。
加えて店内の照明は暗い。男女が密会するにはもってこいな場所である。

別に私が好んでこのバーにいるわけではない。
白根のように垢抜けた性格ならばこんなお洒落なところに座っても
スタイリッシュに振る舞えるだろうが、私がこんな場所にいるのはどうも場違いに感じる。
先方からの指定なので仕方なく、だ。
毎回あの人と会うときには必ずこの店なのだが、未だに馴染めない。
そんな居心地の悪い思いを感じながら、
無理をして背筋を伸ばし何食わぬ顔でグラスを傾けていると、店内に静かなざわめきが起きた。
本当に静かな、決して演奏の邪魔をするようなざわめきではないが、
今まで黙っていた人々が一斉に立ち上がったような、そんなざわめきだった。
私はそんな気配を背中に感じながら、振り向きもせずグラスの中の氷をクルクルと回して弄ぶ。
どうやら待ち人が来たようだ。

「今晩は、黒石さん。待たせちゃったかしら。」

そこにきて私はようやく隣に顔を向ける。
店内の注目を一身に集めたその人が私の横に腰掛けた。
すっきりと髪を結い、落ち着いた柄の着物に身を包んだその女性は
元『フィオーレ』の店長、桃瀬の母親だった。

「いいや、全然。それよりもその帯、華やかで綺麗ですね。」

季節に合わせて梅の模様があしらわれた帯を見留め褒めた。
さすがは元衣裳屋、センス良く着こなすものだ。
桃瀬の母はそんな私のお世辞に笑顔で答える。

「60点。確かに帯を褒めてくれたのは嬉しいけど、これは元々良いものだから良くて当然なの。
 本当に褒めて欲しかったのは、これ。かんざしの方よ。」

そういうと桃瀬さんは身を翻し、背中を向けて頭部にあしらわれたかんざしを見せる。
軽く身をひねり、しなを造るその仕草と着物からこぼれる艶めかしいうなじに、
私は眩しいものを当てられたようにクラクラした。
そんな私の様子を横目で確認すると、桃瀬さんはクスッと小さく微笑む。
その仕草がまた妖艶でたまらない。
彼女は何も本気でかんざしに注目して欲しかったわけではない。
こうすることによって取り乱す私を見てからかっているだけなのだ。
まったく、人が悪い。

桃瀬さんは顔立ちが非常に娘そっくりで、歳は私とさほど変わらないというのに、
まだ30歳と言っても通りそうなほどに若々しい。
娘と二人で並ばれると親子というより歳が近い姉妹のようである。
しかし顔はそっくりな二人だが、内面に大きな差がある。
娘の方は大人しく優しい性格なのに比べ、母親の方は掴みどころがなく
人を食ったような性格である。
娘がおしとやかで可憐に咲くソメイヨシノならば、
母親は妖艶に人の心を惹き付ける枝垂れ桜といったところか。

誰もが振り向き溜め息を漏らすほどの美貌の持ち主である桃瀬さんは、
このバーではちょっとした有名人だ。
彼女が来店すると馴染みな客の目つきが変わり、
誰が彼女の隣に座るか視線だけで牽制し合うという。
ジャズメンバーも全員彼女のファンで、それまで演奏していた曲を早々に切り上げ、
彼女の好きな曲『ムーンライトセレナーデ』をタップリ情感を込めて奏で出す。
娘もフェリスタシオン迎賓館では男性スタッフのハートを掴んで離さないアイドル性を持っているが、
それでも母親の比にはならない。
話に聞くと桃瀬さんはここら界隈ではかなりの有名人で、
彼女が馴染みとしている店とファンの数は計り知れないという。
だからこんな美人と肩を並べてお酒を飲めることを光栄に思っていいはずだが、
地味に生きてきた私としては背中に感じる羨望と嫉妬の視線がチクチクと痛くて
なおさら居心地が悪くて構わない。
そんな私の様子が可笑しいからだろうか、
嗜虐的な性質を持つ彼女はわざとこの店を指定するのだ。

慣れた様子でジンバックを注文した桃瀬さんは胸元から煙草を取り出すと、
バーテンダーはすかさず灰皿を手元に差し出した。
そして煙草に火をつけた桃瀬さんは一口軽く吸い込むと、そのまま煙草を灰皿に置いた。

「確かそれは、亡くなった旦那さんが好んで吸っていた銘柄ですよね?」

煙草を吸わないこの人は、ここに座ると必ず煙草に火を灯し、ただ煙を漂わせる。
気になって一度聞いた事があったが、その時に彼女はそう答えたのだ。

「そうよ。いってみれば魔除けみたいなものね。私に変な男が寄ってこないように。」

そんな皮肉を言って桃瀬さんはにんまりと微笑んだ。

「黒石さん、ご存知?お墓参りとかで線香を立てるのって、
 仏さんに煙を食べさせるためなんですって。」

「もちろん知ってますよ。
 これでも冠婚葬祭を仕事にしてますから、仏事の方も多少は知識があります。」

「なぁんだ、つまんない。だから私はこうやって旦那を好物でおびき寄せて、
 大事な女房の身を守らせているんですの。」

「それで魔除けですか。
 困ったな、それじゃあ私はいつまで経っても桃瀬さんを口説くチャンスが無さそうだ。」

「あら、黒石さんは別よ。お互い未亡人同士ですから、いつ口説いて下さっても構いませんわ。」

そう言って桃瀬さんは警戒心が全くない笑顔で私を見つめた。
この人は私が無害だと分かっていて、いつもこんな調子で私をからかうのだ。

「それで、お話ってなんですの?」

彼女の方から切り出されて、私はやっと今日ここに来た理由を思い出した。
呼び出したのは自分のクセに肝心の要件を忘れてしまうとは、よっぽど舞い上がっていたようだ。

「実は…娘さんのことで相談がありまして…」

私は咳払いをして本題に入る。
仕事を辞めたいと言われてしまった桃瀬をどうすれば良いか分からず手をこまねいた私は、
元店長であり母親であるこの人に助力を乞うことにしたのだ。
この人ならば桃瀬を引き留める妙案を授けてくれるかもしれない。





「ガキね。」

話を聞き終えた桃瀬さんはつまらなそうに言い捨てた。

「そりゃあそうかもしれませんが、本人にしてみたら深刻な問題なんじゃないですか?
 相当思い悩んでましたし…」

「まさか黒石さん、そんな下らない用事で私を呼んだんじゃないわよね?」

少し不機嫌そうに苦笑いする彼女に、私は呆気に取られた。

「下らないって…。自分の娘さんの話ですよ?」

「女なんて辛い恋愛を何度も経験して美しくなるんです。
 男に振られた程度で…馬鹿馬鹿しい。」

「でも、会社を辞めたいとまで言ってるんですよ?ほっとけません。」

「ほっとけば良いんじゃないんですの?辞めたい人間なんてさっさと切っちゃえばいいじゃない。」

あの子の母親とは思えない辛辣な言葉に開いた口が塞がらない。
そんな私に桃瀬さんはさらに追い討ちをかける。

「それに黒石さん、さっき娘の事とおっしゃいましたけど、それってそちらの問題でしょ?
 私は何の関係もないわ。小娘ひとりに振り回されるなんて、部下の指導が甘いんじゃなくて?
 普段からもっと厳しく躾ないからこんな事態を招くんじゃないの?黒石支配人?」

あまりに図星で何も言い返せなかった。
本気に頼るつもりで相談をしたわけではないが、
私が抱えていた甘さを見事に指摘されてしまい、少し悔しかった。

「あの子も『フィオーレ』も完全にフェリスタシオンに差し上げたんですの。
 だから私の手から離れたそれがどうなろうとも、ちょっと痛くはないわ。
 どうぞお好きなように処分なさって。」

口を湿らすようにジンバックを飲んで、桃瀬さんはニッコリ微笑んだ。
娘が苦しんでいても全く動ずることなく凛と佇む姿勢を崩さない。
娘が一人立ちしていることを信用している証拠だろうが、
それでも今まで女手一つで育ててきたのにあそこまで言い切れるのは凄い。
この女性の強さは計り知れない。

「そうなのかも知れません。…ですが、桃瀬は私達にとって必要なスタッフなんです。」

「後釜を見つけてくるのが面倒だから?
 あの子程度のフィッターなんて探せばすぐに見つかるわよ。」

「いや、我々にとっては彼女じゃないと駄目なんです。
 私達にとって桃瀬はお客様以上に大切な存在なんです。」

ありきたりなセリフしか言えない自分が情けなかったが、これが本音なのだから仕方ない。
桃瀬があの場所にいてこそ、フェリスタシオン迎賓館なのだ。
桃瀬だけではなくスタッフ一人一人がその場所にいて、
はじめてフェリスタシオン迎賓館は完成するのだから。
私の言い方があまりにも青臭かったのか、
桃瀬さんはにんまりと口角を上げてクツクツと声を出さずに笑った。

「黒石さんからそんな風に思われるんだったら、あの子じゃなくて私が残るべきだったかしら。
 ねぇ、黒石さん?あの子が辞めたら替わりに私を雇わない?」

私に身を寄せながら声を潜めて桃瀬さんはそう言った。
美人に弱い私は触れてしまうほど近付かれて、顔だけではなく耳まで真っ赤になってしまった。
そんな予想通りの反応を示したのがよほど嬉しかったのか、桃瀬さんは満足げに高笑いをする。
そんな仕草が全然下品に見えず、尚且つ色っぽく見えてしまうのだから不思議でたまらない。
私も一応男なので女性に笑われるのは癪に触る。
顔を背け一気にグラスをあおると、目尻を拭いながら桃瀬さんが言った。

「でもね、黒石さん。あの子なら大丈夫ですよ。
 だってその担当の花嫁さんが終わるまでは残るって言ったんでしょ?」

「ん、んむ。」

「普通、本当に辞めたいんだったらそんな条件を出されたって関係なく辞めちゃうんじゃない?
 黒石さんの条件を飲んだってことは、あの子も本心では辞めたくないって思っているのよ。」

「そ、そうか…そうですよね。」

「だからまだまだお子ちゃまなのよ。黒石さんに心配までかけちゃって。
 我が娘ながら恥ずかしいわ。ごめんなさいね。」

そう言うと彼女は私のグラスに自分のグラスを当てる。
私もクスッと笑い、彼女のグラスにお返しをした。
澄んだガラスの音が静かにカウンターに響いた。
良い女性の条件はフォローが上手いことである。
どんなにからかおうが意地悪しようが、
最後に必ずフォローをするのが上手い女性は誰からも愛される。
その点では桃瀬さんは一流だ。

「心配かけちゃったついでに、もう一つ良いことを教えてあげましょうか?」

「良いこと…ですか?」

「えぇ。あの子に蓮華草の花を贈ってあげてちょうだい。
 きっと俯いた顔を上げてくれるはずだわ。」

「蓮華草ですか…。」

「そうよ。その花にはあの子を元気にするおまじないが隠されているの。」

そう言うと桃瀬さんは小指を差し出し、

「私から教えてもらったっていうのは、あの子には内緒ね。」

と言い、私の小指に絡めニッコリと微笑んだ。
私の頬も自然とだらしなく緩んでしまう。
まったく、つくづく人を虜にしてしまうのが上手い。




翌日、私は早速桃瀬さんからアドバイスされた通りに
蓮華草を買ってそれを桃瀬が来る前にフィオーレに飾った。
直接渡すのは恥ずかしいし、何よりあんなことを言った後なので
直接面と向かっては気まずくてならない。
なので私は桃瀬が出勤してくるのを見計らって
、フィオーレ内がガラス越しに見える渡り廊下で様子を窺うことにした。

しばらくすると桃瀬が出勤してきた。
春先だがまだ朝晩は肌寒く、コートに身を包んでいないとなかなかこたえる。
店内の空調にスイッチを入れてコートを脱ぐ。
単調な動作だが、その一つ一つが物憂げで、朝だというのに表情は暗い。
まだ心の傷は癒えていないらしく、遠巻きに眺めるこちらの気分まで重たくなってしまう。

間接照明の電源を入れようとしたところで、ようやく窓際に置かれた花瓶に気が付いた。
訝しげに近付き、そしてそのままジッと蓮華草を見つめている。
固唾を飲んで見守る私は内心ドキドキしていた。
桃瀬さんからはあの子の元気が出るおまじないだと聞かされたが、
それが何故かまでは教えてくれなかった。
だから傷心な彼女を刺激するかもしれないという可能性も無くはない。
母親である桃瀬さんを信用していない訳ではないが、
人の感情だけは思惑通りにはいかない事を重々承知している。

しばらく動く事を忘れたかのように黙り込んでいた桃瀬が、途端に顔をクシャと歪めた。
しまった!逆効果だったか!と後悔した次の瞬間、
桃瀬は眉を引き締め両手で自分の頬を二、三度叩いた。
そして10秒ほど頬に手を当てたまま沈黙し、スッと手を離した。
私の胸が安堵感でいっぱいになる。
何故なら桃瀬の表情がいつもの笑顔に戻っていたからだ。


「良かった~。いつもの桃ちゃんに戻ったっすね~。」

ホッと溜め息をつこうとした時、急に背後から声が聞こえた。
驚いて振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた赤沢が立っていた。

「おまえっ!いつの間にっ!?」

「支配人が百面相しながらストーカーをしていた時からっす。」

ニヤニヤ笑いながら私の肩を叩くと、赤沢はガラス窓に近付く。

「蓮華草…桃ちゃんが大好きな花っすね。支配人、よく知ってましたね?」

「ある人から教えてもらったんだ。おまえこそ、よく知っているな。」

「そりゃあ…桃ちゃんのことなら好きな食べ物からバストのサイズまで何でも知ってますよ。」

窓の向こうにいる桃瀬を見つめながら、赤沢がポツリと呟いた。

「あなたの苦しみを和らげる…」

「…ん?」

「蓮華草の花言葉っす。
 『あなたの苦しみを和らげる』…桃ちゃんにピッタリな花言葉ですよね?」

いつでもどんな時でも優しい笑顔と、ハーブティーでみんなをもてなす桃瀬。
当館のスタッフは彼女に悲しみや苦しみを何度和まされただろう。
まさにフェリスタシオン迎賓館にとって桃瀬は蓮華草のような存在だ。

「まったくだな…。赤沢君、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」

「いいっすよ。何すか?」

私達はガラス窓から視線を外さないまま言葉を交わす。
フィオーレの店内ではさっきまでの鬱屈とした姿が嘘のように、
きびきびと清掃に勤しむ桃瀬がいた。
久しぶりに見た桃瀬の元気な姿から目を逸らすのが惜しくて、
私達はしばらくの間ずっと桃瀬の姿を眺めていた。



それから1ヶ月後、例の花嫁さんは見事減量に成功し
念願のドレスを着て自信満々と式を挙げられた。
桃瀬も一時はリバウンドをしたものの、何とか最後の追い込みが間に合い、
無事に花嫁さんとの約束を守れたようだ。
そして何事もなくウェディングパーティーも終わり、幸せに満ち溢れた花嫁さんを見送った桃瀬は、
事務所で会議の資料作成をしていた私の元に顔を出した。

「支配人、その節は大変ご迷惑をお掛け致しまして本当に申し訳ございませんでした。」

深々と頭を下げる桃瀬を私は手を挙げて制す。
そういえば例の話をスッカリ忘れていた。

「いや、別にそんな気にすることないよ。
 誰だって辛い時は自暴自棄になりやすい。それだけのことさ。」

「でも本当に申し訳ございませんでした。これからもご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。」

もう一度深く頭を下げる桃瀬を見て、彼女の母親から言われた事を思い出した。
部下の指導がなってないなどと罵ってくれたが、そんなことないじゃないか。
でもそんなことを言ってもどうせ言い負かされてしまうだろうから、
自分の胸に留めるくらいにしておこう。
頭を上げた桃瀬が柔らかい笑顔を浮かべながら尋ねる。

「こないだ、フィオーレに蓮華草を贈ってくれたのは支配人ですよね?」

「ん、んむ。赤沢君から聞いたんだ。桃瀬君が蓮華草が好きだと。
 だから少しでも元気が出てくれればと思ってね。」

隠しても詮無き事なので私は素直に白状する。
ただし、桃瀬さんから聞いたという事実は秘密にして欲しいようなので、少々脚色させてもらった。

「すごく元気が出ました。本当にありがとうございました。
 あの時、あの蓮華草がなかったら私、もっと落ち込んでたと思います。」

当時の辛い思い出がよみがえったのか、桃瀬は少し瞳を潤ませる。
そのあどけない表情には、母親にはない色気が秘められていた。

「実はあの花なんですけど、私よりも母の方が好きなんですよ。」

「ほ、ほぅ。そうなのか…。」

顔にこそ出さなかったが、これには正直驚かされた。
そりゃ桃瀬さんも女性なので花を好んでもちっともおかしなことはない。
だがあの人の性格から察するに蓮華草のような控え目な花よりは、
バラや百合のように派手な花を好みそうなものだと思っていたが。

「私がまだ幼い頃に父を亡くしたんですが、その時に母が別人のように落ち込んでしまったんです。
 立ち上がれないくらいに泣き続けて、
 食事も喉を通らなくて信じられないほどに憔悴していました。」

「あんなに気丈な人が、か?」

「はい…。今でもあの頃のことは忘れられません。
 そんな母と連れ立って斉場に行った時に、そこの花壇に植えられていたんです、蓮華草が…。
 精気を失ったような母が、花壇に植えられた蓮華草をジッと見ていたんです。
 そしたらその斉場の職員の人が二、三本母にプレゼントしてくれました。
 するとそれまで虚ろだった母の瞳に光が戻ったんです。
 きっと健気に咲く蓮華草に元気をもらったんでしょう。
 だから毎年父の命日や何か落ち込むような事があった時に、母は蓮華草を部屋に飾るんです。」

私はそれでやっと合点が入った。
桃瀬さんが本当は秘密にしておきたかったのはこのエピソードだったのだ。
もしも私がこの子に母親から蓮華草の事を聞いたと言えば、
必ずこの話を暴露されると思ったのだろう。
あの人に限ったことではないが、自分の落ち込んだ話など、
他人に喋られて良い気分をする人などいない。
しかしどのみち暴露されてしまったわけだが…。

更新日 5月6日

「なるほどな…。まさに『あなたの苦しみを和らげる』だな。」

「あら支配人、花言葉までご存知だったんですね。さすがですわ。」

「いや、赤沢君に聞いただけさ。」

「そうでしたか。…でも私、あの時本当に蓮華草から苦しみを和らげてもらったんです。
 そして蓮華草に励まされた母の気持ちがすごく分かりました。
 それで、思ったんです。母もあれだけ辛かったことを乗り越えたんだから、
 私もきちんと乗り越えなきゃ、って。」

そう語る桃瀬の瞳には、いつもの人を魅了して止まない光が宿っていた。
私は彼女のこの優しい光に何度救われ、何度励まされたか分からない。
私はデスクを片付けると立ち上がった。
今日の業務はこの辺で切り上げてもいいだろう。

「お互いが励まし励まされる関係、それが正しい人と人の繋がりだと思う。
 それがきちんと成り立っている当館を誇りに思うし、
 それを率先して行動にする桃瀬君を私は非常にありがたく感じている。」

急に褒められて照れてしまったのか、桃瀬は顔を朱色に染めて俯いた。
母親に似ずに謙虚な姿勢は実に好ましい。私は桃瀬の肩をポンと叩き尋ねた。

「今日はもう業務は終了かね?」

「あ、はい。終わりです。」

「そうか。これから予定は?」

「いえ、別に…」

「それは良かった。」

私は社員通用口を指差す。桃瀬もその先を目で追った。

「行こうか。みんなが待っている。」





桃瀬と連れ立って社員通用口を抜けると、そこには私服に着替えたスタッフが全員で待っていた。
目を白黒させて事態が掴めない桃瀬にみんなが笑顔で詰め寄る。

「桃嬢っ!いつまで待たせんだよ!?オレ腹減っちゃったぜ!」

「そうですよ!早く行きましょう!」

大柄で無精髭面の白根が桃瀬の肩を遠慮なく叩く。
優等生な緋村が桃瀬の手を掴んで引っ張った。

「ごめんね桃瀬君。驚かせちゃったよね、ごめんね。」

「みんなずっと桃瀬さんが来るのを待っていたんですよ!」

意味なくペコペコ頭を下げる紅葉谷の隣では、蒼井が足踏みをして寒さを紛らわせていた。

「あの…みんなどうして…?あぅ!」

「みんなで桃ちゃんを励ましたくて残ってたんだよ!桃ちゃんが元気になるようにって!」

放心状態の桃瀬の背中に赤沢が飛び乗る。

「実はね、赤沢君に頼んでみんなに召集をかけてもらったんだ。」

「ダイエットお疲れ様会と桃ちゃんを励ます会ということで、
 これからみんなで焼き肉屋『食通苑』に乗り込みま~す!」

赤沢の掛け声に合わせてスタッフ全員が一斉に歓声を上げる。
近くに住宅街がないので、どれだけ大声を上げようとも誰にも迷惑がかからない。
なおも事態が把握出来ずに周りを囲んだみんなを目を丸くして見渡す桃瀬。

「え、えぇ…?そんな私なんかのために…えぇ…!?いいですよ、そんな…!」

遠慮する桃瀬に遠くから眺めていた紫倉チーフが腕を組んだまま桃瀬に近寄る。

「ここにいるあっしらはみんな、いつも桃嬢に励まされっ放しな連中ばかりでぃ。
 だから桃嬢が落ち込んだ時にはお返しに精一杯励ます。それが人の道ってもんよ。
 桃嬢、ここは一つあっしらの気持ちを受け取ってくれねぇか?」

「そうですよ。私達、いつも桃瀬さんから元気をもらってるんです。
 だからこれはほんのささやかな恩返しなんです。」

みんなの思いが伝わったのか、桃瀬は目に涙をいっぱい溜めて頭を下げる。

「みんな、ありがとうね…。」

何度も何度も頭を下げる桃瀬にみんなは満面の笑みで応えた。
外はまだコートを羽織ってないと肌寒い季節だが、
みんなの心の中は春の日差しのように暖かい気持ちで満たされていることだろう。

「そんなことより行くんならさっさと行きますよ。支配人、本当に奢ってくれるんでしょうね?」

分厚いコートに身を包んだ緑川が仏頂面で催促してきた。
こういう場には決して参加しないはずの彼女だが、何故か今日は珍しく残っていたのだ。
私は懐具合を頭の中で工面して、小さな声で「まぁ、多少だったら…」と伝える。
その瞬間、一際大きい歓声が沸き上がった。

「よっしゃあ!支配人!ゴチになります!!」

「本当にいいんですか!?嬉しいです!」

「すみません支配人!ご馳走になります、すみません!」

「よし!焼き肉食った後はみんなで桃嬢を振った野郎のところへ殴り込みに行こうぜ!」

「では皆さ~ん♪行くっすよ~♪」

今日は幹事役の赤沢を先頭に、桃瀬を中央に囲んだフェリスタシオン迎賓館御一行は
高らかな笑い声を上げながら、一同焼き肉屋を目指した。
みんなの中心になっている桃瀬は、控えめながらも一番喜びを露わにして涙ながら微笑んでいた。



『フィオーレ』はフランス語で花を意味する。
色とりどりの華やかなドレスや艶やかな和装に囲まれた店内は、
さながら花畑の花のように様々な彩りで咲き乱れている。
その中心で一際鮮やかに咲き誇る花の名前は『蓮華草』。
触れ合った全ての人を励まし、和ませるという…。





↓白根「桃嬢~!男がいなくなったんなら今度オレとデートしてくれ~!」
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Comment

要人さん、GW働いてますか?(笑)

桃嬢のママ、オトコ前ですね~。
憧れちゃうな♪
すみれ | 2009年05月02日(土) 20:20 | URL | コメント編集

>>すみれさん
もちろん働いてますわwwwww
今日も朝から夜11時まで頑張ってましたwwwww

私もこういう女性と一緒に飲みたいです♪
そして散々罵られてみたいです><
要人(かなめびと) | 2009年05月03日(日) 01:47 | URL | コメント編集

やっと読めましたよ~! 何だかずっと忙しかったです。 GWだって言うのにどうしちゃったんでしょうね?
桃ちゃんフラレちゃったんですね。 悲しいですね(涙) でも、きっと桃ちゃんなら大丈夫ですよね。
仏さんに煙を食べさせるために線香を立てるんだって、この年になって初めて知りました! 1つ学びました♪
いいえ、名無しです | 2009年05月04日(月) 10:06 | URL | コメント編集

>>名無しさん
たぶん夢さん?ですよね。
忙しい方がありがたいとは思いつつも、やっぱり大変ですね。
GWが過ぎればこちらはだいぶ暇になります。
お互いもう一踏ん張りですね!!
要人(かなめびと) | 2009年05月05日(火) 06:25 | URL | コメント編集

はい、また名無しになってました(汗)
羽黒山登ったんですか!? いや~、凄いですね~!
羽黒山杉並木ってミシュラン三ツ星らしいじゃないですか!?☆☆☆
あまりの驚きに今日の文読んでないのにコメントだけ入れちゃいました(汗)
夢 | 2009年05月05日(火) 18:16 | URL | コメント編集

桃瀬さんのお母さんのキャラが強烈でしたw
支配人をはじめ、男性諸君を虜にするほどの魅力ってすごいですね^^
関係ないと言いつつも、さりげなく救ってあげるなんて素敵なお母さんです。
支配人がよろめくのも無理ないかもしれません笑
momokazura | 2009年05月06日(水) 02:28 | URL | コメント編集

>>夢さん
羽黒山めっちゃハードでしたよ!
なにがハードって、下りの時に息子が寝ちゃった!
重いのなんの・・・。足がガクガクプルプルでした。
でもとても清清しい森林浴を楽しませていただきました。
ミシュランの三ツ星も納得できました♪

>>momokazuraさん
なんか桃ちゃんママを書いているときに桑原さんを思い出しました。
ちょっと意地悪なキャラを書くのがどうも私は好きなようです。
要人(かなめびと) | 2009年05月06日(水) 06:06 | URL | コメント編集

きっと息子さんはみさおさんに以下略

蓮華草ですかー・・・
僕も昔旅行に行ったときに見たなァ
大輪の花の中にひっそりと混じってたんですよ
印象深かったです
楚良 紗英 | 2009年05月06日(水) 11:03 | URL | コメント編集

息子が寝ちゃった! に大ウケ!!
足をガクガクプルプルさせながら歩いてる要人さんが想像できちゃいますよ~(笑)
フェリスタシオン迎賓館の人達、イイ人ばっかりですね♪ 温かさを感じました。 実際にそんな職場があるとイイですよね。 ところでスタッフは何人? 支配人の財布の中身が心配です。 あっ!支配人って奥さんいないんですか!?
先日結婚式はどうするか決まってない方が来店したんですけど、もしする時は要人さんでと言っちゃいました。 イイ方なので親身になってくれるハズと話しましたので、行った時にはヨロシクお願いします! 男性の方デス。
夢 | 2009年05月06日(水) 21:51 | URL | コメント編集

>>楚良 紗英さん
そうそう、本当にみさおみたいなんです。
「自分でするんだヴぁ!」とか。
まだ二歳半なんですけどね。

蓮華草、私も調べるまではわからなかったですが、
すごくおごそかで可憐な花だな、と思いました。


>>夢さん
本当にガクガクでしたが、もっと怖いのがまだ筋肉痛がきてないんです!
歳を取ると忘れた頃に筋肉痛がくると言いますが、もしやこないまま終わるとか?

フェリスタシオンは良いスタッフばかりで、
自分で書いていてうらやましくなっちゃいます。
スタッフはさほど多くはありません。いいとこ名前がある人達だけです。
それと支配人は未亡人です。娘と二人で暮らしています。
詳細は第11話くらいで明らかになりますのでお楽しみに♪

ご推薦頂きましてありがとうございます!
出来れば名前を教えて頂くと助かるんですけど、是非こちらに来たときは
精一杯アドバイス致しますので、よろしくお願いします!
要人(かなめびと) | 2009年05月07日(木) 05:21 | URL | コメント編集

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