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2009'03.29 (Sun)

気が弱い上司の場合 後編


【More・・・】

翌日、出勤した紅葉谷に昨日の件を伝え、事情聴取をする事にした。
昨日、電話口でくどくどと文句を並べたのは、先月に紅葉谷が担当した新郎の父親だった。
名前を聞いて、私はやっと思い出した。
緋村が休憩室でそのお客様の愚痴を言っていたのを覚えている。
紅葉谷チーフが休日だった時に、アポイント無しに突然その新郎新婦がやってきたそうだ。
その時は赤沢も休みだったので緋村が接客に当たったが、
とにかく文句だけ並べて帰っていったらしい。
蛙の子は蛙と言うわけではないが、やはり親子は似るようだ。

さて、その話を紅葉谷に聞かせると、困ったように表情を曇らせ
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と、いつも通りにペコペコ頭を下げた。
私としては大した迷惑とは思ってないが、それよりも合点が入らないことがある。

「何故、このお客様の担当を紅葉谷チーフがしようと思ったのかね?」

その途端、不思議そうに私を見返した紅葉谷。
私も黙って見つめ返す。

通常、結婚式が決まったお客様の担当を誰がするか、振り分けをするのはプランナーチーフである。
実はその段階である程度お客様の特徴を把握しているので、
そのお客様のタイプに合わせた振り分けをするのが好ましい。
例えば、ノリが良くお話好きなお客様ならば赤沢、
堅実で計画的なお客様ならば緋村といった具合にすれば、後々の打ち合わせも円滑に進む。
当然プランナーだったら、どのお客様の担当になろうともオールマイティーにこなすのが好ましいが、
プランナーだって人の子、相性が良いお客様の方が接客しやすいに決まっている。
なので今回のような、文句臭いお客様に気弱な紅葉谷は相性が悪いのだ。
まさか自分でその点を自覚していないわけじゃあるまい。

「終わってしまった後に言っても詮無き事だが、今回のお客様の担当は
 緋村君の方が妥当だったんじゃないかな?
 彼女は機転も利くし、身勝手な要望にも屈せずやりきる。」

私は自分で相当ひどいことを言っているな、と思っていた。
このフェリスタシオン迎賓館にはいつも様々なカップルが来館する。
皆様、気の良い方々ばかりで接しているこちらが、いつも元気づけられているが、
中にはそうでない人達もいる。
なんでもかんでも値引きを要求したり、付加価値が付かないと怒り出したり。
出来るだけの要望にはお応えしたいが、それら全てを鵜呑みにしては
こちらも商売として成り立たなくなってしまう。
それがサービス業の辛いところではあるが、
だからこそある程度お断りするテクニックが必要になるのだ。
緋村はその点に長けている。
お客様から無茶な要求をされても、それに代用出来る提案を幾つも用意してあるし、
文句臭いお客様にはまず絶対に主導権を渡さず、常にこちらのペースで進める。
つまり私は紅葉谷に、お前にはそれが出来ない、と言っているのと同じことになる。

だが、紅葉谷はいつものように気弱に「すみません…」と頭を下げるだけだった。
私の言わんとするところに気付かないわけがない。
それでもただ謝ることしか能のない紅葉谷に、私は少し腹が立った。

「これは特に大きなクレームではないし、私と君がお客様の元に出向けばそれで済む話だろう。
 だがな、こちらとしてはそうもいかない。
 一体、何故紅葉谷チーフが担当しようと思ったんだね?」

「はぁ、すみません…。私で事足りると判断しました。申し訳ございません。」

「そうは言ってもな、現にお客様からクレームがついているんだぞ?」

「それは…」

そこで紅葉谷チーフは何かを言いかけて、急に口ごもってしまった。
だが、またすぐに慌てて顔をあげると、「すみません、すみません」と連呼した。
今のは一体何だ?と不思議に思いつつも、私は言及を続ける。

「もしも、また今回と同じようなお客様がきたら、紅葉谷チーフが担当するのか?
 自信はあるのかい?」

しばらく考え込んでから紅葉谷チーフは「はぁ…たぶん大丈夫かと…」と呟いた。

私はその返答を聞いて、内心驚いた。
あの紅葉谷が自己主張をしたのである。
しかも控え目ながら、明らかに自信があるということを肯定した。
そんな自分自身が照れ臭かったのか、紅葉谷は額を抑えながらまたペコペコと頭を下げる。

私はその時になって、初めてこの男の本質に興味が湧いてきた。
当館に引き抜いて五年になるが、その間に一度もお客様からクレームを頂かないのは、
改めて考えると異様なほどに凄いことである(こんな性格故に身内からのクレームはあるが)。
クレームというのは何かをやらかしたから発生するだけでなく、
何もしなくても逆に発生するものである。
この世にクレームを発生させないサービスマンは、たぶんいないだろう。
きっと紅葉谷しか持っていない特別な何かがあるのだ。

「まぁ、いい。では明日、私も同行させて頂こう。いいかな?紅葉谷チーフ。」

「あ、はい!申し訳ございません!何から何までご迷惑をお掛けしてすみません!」

いい加減そろそろ腰の骨が折れるのではないかと心配になるほどに、
先ほどから連続でお辞儀をする紅葉谷を両手で制し、業務に戻るように促した。
申し訳なさげに去っていく後ろ姿を見つめながら、私は心のどこかが引き締まっていくのを感じた。

ひょっとして明日は、サービスマンとして重要な事を学ばせて貰えるかもしれない。



「だから!何度も言わせんな!ぼったくり野郎共!
 結婚式っていうのはこんなに金がかかるもんなのかって聞いてんだ!」

「は、はい。左様でございますね、すみません。」

客間に通された瞬間から、ずっとこんな調子である。
私はもういい加減相槌を打つことすら疲れてぐったりと俯いているが、
紅葉谷チーフは自分が担当だからか、顔を蒼くさせて時々頭を下げながら話を聞いている。
もうかれこれ一時間は経つかもしれない。

例の父親から電話があった翌々日、私は紅葉谷チーフと連れ立ってお宅を訪問した。
ぶっきらぼうな態度で出迎えてくれたお父様は、
我々にお茶を出す訳でもなくただ延々と愚痴を述べた。
私だってこの業界に入って20年以上経つ。
それなりにお客様から叱責を受けた経験もあるし、ただ文句を言われ続けたことも何度かある。
だが、ここまでグダグダと嫌みったらしく言われるのは初めてだった。
最初は担当者より立場が上である私に手厳しい言葉を浴びせていたが、
だんだんと我慢が出来ず頷くことすら苦痛になって塞ぎ込んだ私に愛想を尽かし、
今は紅葉谷に集中砲火を浴びせている。

「そもそも、何だ!?この音響機材料っていうのは!曲をかけるのに金を取るって言うのか!!」

「あぁ、はい、すみません。それはですね、
 やはりウェディングパーティーでは特殊な機材を使用してますので、
 それなりの料金がかかると…えぇ、すみません。」

「そんなもん!会場費代に込みなってるんじゃないのか!
 あの部屋にくっついてる物なんだろ!」

「いえ、申し訳ございませんが、別料金でして…」

「お前は車を買った時にハンドル代やサイドミラー代なんて取られるか!?
 取られないだろう!込みにしておけ!!」

「は、はい。申し訳ございません…。」

「それと、このシャンパン代ってのはなんだ!?
 飲み放題のコース内に入ってるんじゃないのか!」

「すみません、それは乾杯用のシャンパンですので、別途請求になるんです…。
 それで本数計算になるので、三本ご利用になられましたから、
 申し訳ございませんが一本5000円で」

「ちょっと待て、紅葉谷。てめえ、本当に三本使ったのか?」

「え…?は、はい。確かに三本と…。」

「てめえ、本当は二本しか空けてねぇのに、わざと三本で請求出してるんじゃねぇだろうな?」

「!まさか…!とんでもございません!!」

「それか二本しか空ける必要がなかったのに、勝手に三本空けたりしたんじゃねぇのか?あん!」

「それは、申し訳ございませんが絶対にありません!」

「じゃあ絶対に三本使ったっていう証拠はあるのか!?」

「それは…。」

「ないんだろ!?じゃあこんな請求書なんて嘘っぱちじゃねぇか!」

とんでもない言いがかりである。
これは俗に言う「悪魔の証明」というもので、
あまりに理不尽過ぎる理屈なため、やや強気に対応するのが鉄則だが…。
紅葉谷チーフに強気な対応など期待しても無理な相談だろう。
今のように返事に窮し、口ごもるのが関の山だ。

しかし、だからといっても何故ここまで言われ続けても、彼は平気なのだろうか?
普通ならここまで責め立てられれば、気が短い者なら発憤するだろうし、
気が長い者でも正直精神的に参ってしまう。
だが紅葉谷は、終始話を聞きながら時折謝罪の言葉を挟んでいる。
この男の精神状態は一体どうなっているのだ?
それに、今までクレームをもらったことがないというが、それも納得できない。
てっきり会話の切り返し方が絶妙だとか、何かしらのテクニックがあるのかと思ったが、
これではただ苦情を黙って聞いているだけではないか。
いや、本来クレームの対応方法とは、
まず相手の不平不満を全て言い尽くさせてしまうのが常套手段だが、
いくらなんでも言わせっ放し過ぎる。
これでは紅葉谷は、単なるサンドバッグではないか。

話を聞く方もあまりに長いとげんなりするが、
話を聞かせる方も当然ながら人間なので徐々に疲弊してくる。
永遠に続くと思ったお父様の話も、取る揚げ足も無くなってきたのか、終わりが見えてきた。
言葉の端々に沈黙が混ざってきている。

「まったくよ…結婚式ってやつは、金はかかるは気苦労は絶えないは、ろくなもんじゃねぇ。
 オレは二度とやりたくねぇよ。」

「左様でございますか…。申し訳ございません。」

「しかしよ…てめえらも大変だよな。よくあんなところで働いていられるわな。」

「えぇ…まあ、我々は人に仕えることが好きですから。」

「へっ、よく言うぜ。
 どうせてめえらみたいな能無しの連中なんて、人に頭を下げるしか出来ねぇんだろ?
 …もういいよ、今日はもう帰りやがれ。」

その言葉を聞いた瞬間、私は頭に血がカッと昇った。
どれだけ辛辣な言葉を浴びせられても構わないが、
スタッフの事を悪く言われるのだけは我慢ならない。
私は何か言い返してやろうと顔を上げるより先に、紅葉谷が言葉を被せた。

「こちらの力が及ばずに、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした。
 そして貴重なご意見を賜りまして誠にありがとうございます。」

私は呆気に取られながら、深々と低頭する紅葉谷を横目で見ていた。
この男が謝罪以外の言葉を発するのを聞くのは初めてだったし、しかもそれが感謝の言葉とは…。
紅葉谷のその言葉を聞いたお父様は、少し浮かないような、だが心持ち笑顔で応える。

「おう、こちらこそ世話になったな。」





帰りのタクシーの中、隣に座る紅葉谷は相変わらず青白い顔をのまま俯き、口を閉ざしている。
あれだけの暴言にずっと耳を傾けていたのだ。
相当、疲労困憊した事だろう。
私は精根果てたようにぐったりとしている紅葉谷を労う意味も込めて、声を掛ける。

「ご苦労様、紅葉谷チーフ。さすがに疲れたかな?」

すると熱いものに触れたように素早く背筋を伸ばした紅葉谷は、途端に恐縮して答える。

「あ、はい!えぇ…すみません。少し疲れました。」

遠慮がちに微笑む紅葉谷につられて、私もつい頬を緩める。
あれだけ好き勝手に言われて精神的に参らないなら、
よほど単細胞か言葉が分からない人かのどちらかだろう。

「それにしても、散々言われはしたが結局請求書からの値引きには応じなかったわけだ。
 それだけが幸いだったな。」

一度出した請求書から値引きするのは経営上問題があるし、当館としての沽券に関わる。
なのでそう易々と値引き交渉には応じられないが、
そう考えると今回の訪問は成功と捉えても良いだろう。
最終的にはお父様も機嫌が直ったようだし、請求書は一切訂正せずに支払いに応じてくれた。

だが、紅葉谷は目を白黒させて戸惑いの表情を浮かべている。
何かおかしなことでも言ったかと訝しむ私に、紅葉谷が尋ねた。

「すみません、支配人。
 あのお父様は一度たりとも値引きをしろとは、仰ってませんでしたが…?」

「…?どういうことだ?」

「いえ、どうもこうも…。
 申し訳ございませんが、お父様から値引きしろとは一言も言われてません。」

「いや!そんなことはないだろう!
 あそこまで金額にケチをつけてきたということは、つまりそういうことだろ!?」

「どうでしょうか…。
 でも私は、お父様からは値引きして欲しいなどの意志は全く感じ取れませんでしたが…?」

私は思わず絶句する。
紅葉谷と私の解釈に齟齬があるのかもしれないが、それにしても意味が分からない。
もしも仮に紅葉谷のいう通りなら、さっきまでのアレは一体何だったのだろうか?
我々は何のため、あれほど精神的苦痛を味わってまで、お父様の話を聞いていたのだろうか?

「お父様はきっと、ただ誰かに文句を言いたかっただけなんだと思います。」

若干恐縮しながらも、しっかりと私の目を見据えて紅葉谷は淡々と語り始めた。

「ご披露当日だったのですが、来るはずの新郎家の親族が半分以上来なかったのです。
 いっても、元々新郎家の親族は10名程度だったのですが…」

「随分と少ないな。」

「はい。直接本人から聞いたわけではなく控え室での会話をたまたま小耳に挟んだのですが、
 お父様はご実家とはほとんど絶縁状態に近かったらしく、
 この度の息子さんの結婚式に親族を招いて、縁を修復しようと思っていたそうですが…
 結局袖にされてしまったようで……。」

「それは…さぞかし心痛だっただろうな。」

「はい…。打ち合わせの段階から、特に親族に対する引き出物やお料理には
 相当神経を使ってらっしゃいました。
 ですがそんな結果になってしまい、さぞかし落胆されたでしょうし、
 新婦家の手前、格好がつかずにバツも悪かったはずです。
 それでもお父様は結婚式当日、終始気丈に振る舞ってらっしゃいました。
 その時に隠していた悲しみや悔しさというものが、
 今になって溢れ出してしまったんだと思うのです。」

その時になって初めて、私はお父様が最後に見せた浮かない表情の理由がわかった。
お父様も決して我々が憎らしくて文句を言いたかったわけではない。
誰にもぶつけることの出来ないわだかまりを抱えて鬱屈としていたのだろう。
そこに腰が低く人が良い紅葉谷がいただけだ。
お父様も分かっていたのだ。
紅葉谷ならば、自分の気が済むまで、
心が空っぽになるまで胸に詰まった思いを吐き出させてくれると。

「つまり…今回のお客様には紅葉谷チーフが適任だったわけだ。」

むしろ紅葉谷でなかったら、あのお父様はやり場のない悲しみを、
これからもずっと引きずって過ごしていかなければならなかっただろう。
いや、何の罪もない紅葉谷を罵倒してしまった事で更なる罪悪感を被ってしまったかもしれないが、
それでも今だけは、胸のつかえが少しは緩んだのではないだろうか?

「いえ、私はただ何も出来ずに頭を下げていただけです。
 到らずに申し訳ございません。ですが…」

そこで紅葉谷は一度真剣な表情をすると、すぐに顔を崩しいつものように弱々しく笑った。

「そう言って頂けるならば、私は自分自身が救われた気がして、嬉しいです。
 私なんて、人様と触れ合えるだけで、それで満足なんですから。
 それなのに、それが誰かのためになるならば、これほど有り難いことはありません。」

「おいおい、そこまで自分を卑下することないんじゃないか?
 もっと自分に自信を持ってもいいだろうに。」

「いえいえ、本当のことですから。
 …私、昔からこんな性格だったんで、いじめられっ子だったんですよ……。」

私は続けて紅葉谷を励まそうと用意していた言葉を飲み込んでしまった。
あの自己表現が苦手でいつもオドオドしている紅葉谷が、
決して触れたくないはずの自分の過去を振り返ったのである。

「小学校から高校までずっといじめられ続けて、
 大学に入ってからは友達も出来ずにずっと無視されてました。
 それでも運良くこの会社に入社することが出来て、
 せめてここでは自分の存在を認めて欲しくて私なりに一生懸命頑張ったと思います…。」

「その結果として、入社三年目で異例の本社抜擢だったな。」

「そうだったんですが…ご存知のとおり私は本社ではまったく役に立ちませんでした。
 焦れば焦るほど空回り、次第に誰も私のことなど構わなくなりまして、
 いつしか私はまた学生時代のように孤立してしまっていました。」

紅葉谷が本社でどういう扱いを受けていたかは話でしか聞いたことがないが、
社会人になってから孤立してしまった人間には、
学生の頃の稚拙な苛めなどがない代わりに、殺伐としたぞんざいな扱いが待っている。
営利目的の社会の中では、哀しいことに環境に適応出来ない人間は淘汰されていく運命しかない。
紅葉谷の表情はその片鱗を味わったことのある人間の哀愁が隠れている。

「本当はもう会社を辞めてしまおうと思ってました。
 私がここに居たところで皆さんの足を引っ張るだけでしたから。
 ですがそんな矢先、支配人がこんな私をフェリスタシオン迎賓館に引き抜いてくれたのです。」

涙が出るくらい嬉しかったです、と呟きながら紅葉谷は静かに瞳を閉じる。
そしてしばらく沈黙した後に、紅葉谷は力強く目を開いた。

「そして私は再び自分の存在を認めてもらえる場所を得ることになりました。
 ですから私はお客様のため、フェリスタシオン迎賓館のためだったら、
 この命を懸けてでも尽力致します。
 その結果として皆さんが喜んで頂けるなら、もう言うことはありません。」

私はてっきり、紅葉谷は自分を卑屈に思ってあれだけ謝ってばかりなのだと勘違いしていた。
紅葉谷のお辞儀はいつでも謝罪ではなく、感謝の意を表すものだったのだ。
自分を叱責してくれる誰かへの感謝…。
手助けしてくれる誰かへの感謝…。
存在を認めてくれる誰かへの感謝…。
それはきっと、サービスマンにとって最も大切な心構えなのかもしれない。
そしてそれは紅葉谷が苦悩の末に身に付けた、生きる上での指標だったのだろう。

『謝』は卑屈な思いが交われば『謝罪』になってしまう。
だが、真っ直ぐな感情が交われば『感謝』になるのだ。

「なるほどね。それがクレーム0の男の秘訣というものか…。
 さすがに私には真似できないな。紅葉谷チーフだからこそ、成し得ることだよ。」

そう褒め称える私に、紅葉谷は少し困ったように苦笑いして、こう言った。

「とんでもございません。
 ただ表にならないだけで、
 実は私、結構お客様から打ち合わせ中にクレームを頂いてるんですよ。」

秘め事を打ち明けるみたく声を潜めて、紅葉谷は言葉を続けた。

更新日 4月4日

「私は赤沢君のようにフレンドリーに接客が出来なければ、
 緋村君のように気の利いた提案も出来ません。
 だから時々、お客様が不満を漏らされることがあるんです。」

「そんな時、チーフはどうしてるんだい?」

「まるでさぼっているみたく聞こえて恐縮ですが、ただ黙って話を伺うのです。
 胸に貯まっている不満を残さずに言い尽くして頂くんです。
 そうするとお客様はスッキリした表情に戻って下さいますので、そしたら打ち合わせを再開します。
 私が思うに、人は包み隠さず不満を言える相手って、あんまりいない様に感じるのですよ。
 その点、私はこんな性格なもので、適任なんでしょうね。
 とにかく不満を言い尽くしてもらいます。
 お客様の不満が尽きるまでなら、私は何時間でも何日間でも、話に耳を傾けるでしょう。
 変な話ですが、これが私が出来る精一杯のサービスなのかと思っています。」

そう語ると紅葉谷チーフは、深々と頭を下げて「すみません」と言った。
きっとこれは話を聞いてくれた私に対する感謝のお辞儀なのだろう。

果たして、紅葉谷の思いに気付ける人間は何人いるのだろうか?
たぶんほとんどの人間は、ペコペコ頭を下げるだけの腰が低い男という印象しかないかもしれない。
事実、私も本人にこの話を聞かされるまでは、そういう印象しかなかった。
だが紅葉谷は当館のスタッフの中でも、いや全社の中でも、
最も屈強で高尚なサービス精神を持ったサービスマンなのだ。
その証拠に紅葉谷と触れ合ったお客様は、
誰もがもてなされたその感謝の気持ちを伝えるため、筆に手が伸びるという。
それがまた彼の心の支えとなるのだろう。
彼をフェリスタシオン迎賓館に招いた私の判断は予想以上に功を奏したようだ。

「なるほど、な。けれど紅葉谷チーフ。
 だからと言ってそんなにお客様にペコペコ頭を下げる必要はないぞ。
 君は人に誇れるだけの仕事をしてるんだ。
 もっと自分に自信を持っても良いんじゃないかな?」

「いえいえ!申し訳ございませんが、
 支配人にお誉めの言葉を頂くようなことなど何一つしておりません!すみません!」

「だからそんなに自分を卑下しなさんな。
 まずはその『すみません』という口癖をなんとかしないとな。」

「はい、すみません。…あっ。」

そこで私は小さく吹き出すと、紅葉谷もつられて照れ笑いをした。フ
ェリスタシオン迎賓館に帰るタクシーの中、私達は声を潜めてクツクツと笑い合う。
何がそんなに可笑しいのかは分からないが、
紅葉谷は今まで見せたことのない無邪気な顔で笑っていた。




「お前、一体何度目だ?あれだけ報告書を書くときには辞書を引けと言わなかったか?」

「えぇ~?ちゃんと辞書を使いましたよぉ?ほら。」

赤沢が差し出したのは仏和辞典。
新商品のネーミングを決める時などに重宝するアイテムである。
私は赤沢からその辞書を受け取ると、そのまま頭上に振り下ろす。

「あちゃけー!!」

頭を抑えてうずくまる赤沢の隣で、顔面蒼白にした紅葉谷がガクガク震えながら、
赤べこのように頭を上下させている。

「すみません!すみません!申し訳ございません!」

「別に紅葉谷チーフには責任がありません。こいつがもっとしっかりすれば済む話だ。」

今回のは社内で行われた会議の報告書で、
赤沢が直接私に提出すれば良い程度だから、紅葉谷は関係ない。
では何故に彼がここにいるかというと、たまたまその辺を歩いていたら赤沢に捕まり、
被害を分散させるための身代わりをさせられているのだ。
だが、そんなことは始めからお見通しだ。

「ちょっともんじゃ君~。少しは私をかばってよ~。」

頭をさすりながら立ち上がった赤沢に、もぐら叩きの要領でもう一撃食らわせる。
あれだけ注意したのに上司をあだ名で呼んだペナルティーだ。

「お前はすぐにそうやって人に助けを求めて逃げようとする。
 そんな性根は叩き直さないと駄目なようだな。」

「でも私のミスは上司の責任でもあるんですよ。
 あれ?ということは、もんじゃ君の上司は支配人ですから、
 つまり私のミスは支配人の責任ってこととイコールですよね?」

そう言うや否や、デスクをまたいで身を乗り出そうとした私より先に、
赤沢は脱兎の勢いで逃げ出そうとした。
その背後から私も頭を沸騰させて追いかける。
このバカ娘は一度徹底的に叱りつけてやらないと気が済まない。

そんな事務所で追い掛けっこをしている私達を、ハラハラしながら眺めている紅葉谷。
少し慌ただしいが、ここが彼の求めた存在を認めてくれる場所だった…。






↓黒石支配人「仏滅の日にテンションが上がらないのは何故でしょうな?押せば分かるそうですが…。」
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Comment

紅葉谷チーフって、ただ気の弱い人というだけではなさそうですね。
底知れないというか、この人に興味がわいてきましたw
あと、クレーマー処理って大変~!
言いがかりってわかりきってるのに、気が済むまで聞いてあげるなんて
私にはとっても出来そうにありませんから^^;
momokazura | 2009年03月31日(火) 01:34 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
クレームの処理って本当に大変です。
私も以前、電話で40分近く延々と文句を聞かされたことがありました。
でも、あれって言っている方もきっと辛いんですよね。
だからまずは黙って聞くの一手のみです。
要人(かなめびと) | 2009年03月31日(火) 06:34 | URL | コメント編集

人に対する愚痴って吐きだした後、あんまり清々しないものですね
「言っちゃった・・・」みたいな感情が沸き上がってきます
とは言いつつも言ってしまうものですが
楚良 紗英 | 2009年04月01日(水) 14:27 | URL | コメント編集

>>楚良 紗英さん
それでも言わずに溜め込むのはもっと悲しいかな、と思います。
愚痴とか文句とか、言いたくて言う人はいないでしょうし。
だから誰彼構わず愚痴のはけ口になれる人間って、ある意味稀有な存在なのかも知れません。
要人(かなめびと) | 2009年04月02日(木) 06:31 | URL | コメント編集

髪、大丈夫でしたか!?
要人さんの紹介で今日バイト君が来てくれたのですが(3人で来て2人がカット予定だったみたいです)予約無しのためお断りするしかありませんでした。 「また来ます」とは言ってくれたのですが…申し訳ありません凹 
バイト君にヨロシク伝えといて下さい! あっ、茶髪でした…茶髪OKなんですか?

私用コメントになってすみません。

まだ途中までしか読んでないんですけど、紅葉屋さんって凄い! クレームの対処って難しいですよね。 私も紅葉屋さんに学ぼうと思います。
夢 | 2009年04月03日(金) 19:02 | URL | コメント編集

>>夢さん
髪大丈夫ですよ♪
バイト君達3人で来ちゃいましたか!?
しかも今日アルバイトなのに・・・。きっと慌てて散髪しなきゃ、って思ったんでしょうね。
多少の茶髪はOKですが、彼らは・・・まぁ、許容範囲ってことで><
また出向かせますので、よろしくお願いします♪
要人(かなめびと) | 2009年04月04日(土) 06:06 | URL | コメント編集

赤沢ぁ~!その態度、なんかムカツクんですけど(怒)
紅葉谷チーフのその接客、私も今度マネしてみようかしら?

バイト君、また今度来る日を楽しみにしています♪ その時は予約を入れてくれると助かるんですけど。
fc2、今朝変でしたよね!? 更新できなくて焦りましたよ(汗)
夢 | 2009年04月04日(土) 23:03 | URL | コメント編集

>>夢さん
私には紅葉谷チーフの真似は難しいですね。
ただ聞いているだけなんて我慢出来なさそうです。

結局アルバイトさんは昨日出勤じゃなかったです。
来週には来るかしら。会ったら言っておきますね♪

やっぱりFC2がおかしかったのだ!
要人(かなめびと) | 2009年04月05日(日) 06:19 | URL | コメント編集

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