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2009'02.18 (Wed)

運の悪い花嫁の場合 中編


【More・・・】

それから私は館内の至る所を点検して回った。
本番になってから運悪く何かが壊れたとか、誤作動を起こしたなどとは言ってられない。
そこに不運が転がっているなら、先手を打ち取り除けばいい。

私がまず始めに向かった先は、ご親族の控え室。
挙式に参列する親族が待機をしたり、親族紹介をするための部屋だが、
まだ誰も使用していなかったので、
これ幸いと、プランナー部門のチーフ 紅葉谷と念入りに点検をした。
誰か手が空いている人間はいないかと事務所に電話をすると、
ちょうど良く彼が電話口に出た。
そして今日起きたことを簡潔に説明すると、必要以上に慌てふためきながら飛んできた。

赤沢と緋村の直属の上司に当たる紅葉谷は、40歳手前の男性プランナー。
仕事はしっかりするし、お客様の評判も良く部下の指導も問題ないが、
ひどく臆病な性格で、何かにつけてはすぐに頭を下げてしまう。
親族控え室に入ってきた第一声が「申し訳ございません!支配人!」だった。
特別自分に非が無くてもとりあえず謝ってしまうのが、この男の悪い癖だ。
一体何を謝る必要があるのかと問い質せば、

「こんな事態になっているとは知らずに、
 自分は事務所に居座っていたので申し訳なくて、つい…」

と米搗きバッタのように何度も頭を下げる。
もともと今朝、彼に来週明けに本社である会議の資料作りを頼んだので、
事務所に居座っていたのは仕方ない。
何一つ謝ることなどない事を弁解してあげようとしたが、やめた。
どうせ紅葉谷チーフの事だ。

「支配人にいらぬ気遣いをさせてしまい、申し訳ございません!」

とでも言うだろう。
結局堂々巡りになってしまうので私は「あぁ。」と曖昧に返事をするに留まった。
とにかくのんびりともしていられず、私は控え室の点検箇所を紅葉谷チーフに伝えると、
彼は「はい!申し訳ございません!」と言い、作業に移った。
…この男を相手にしていると、時々異様に疲れてしまう。

紅葉谷チーフが控え室にある椅子とテーブルのネジが弛んでないか点検している中、
私は控え室専用のコーヒーメーカーをいじっていた。
最近設置したばかりのこのコーヒーメーカーは、
レギュラーコーヒーだけではなく、エスプレッソやアメリカンなどの調整も可能な、
なかなか性能が良いマシーンである。
私は電源を入れ、試しに一杯抽出してみた。
するとコーヒーメーカーは何の支障もなくエスプレッソを抽出した。
一口飲んでみても味には問題はない。
まだ購入したばかりなので故障することはまずないだろうと思い、
私は次にドリンク用のグラスにチップがないか確認をするためその場を離れたが、
何かが心の隅に引っかかって振り返った。
ちょうどコーヒーメーカーの側に紅葉谷チーフがいたので、
私は彼にコーヒーを一杯抽出してみるよう指示した。
たった今、私が自分で点検したのを見ていた彼は、
怪訝そうな顔をしながらも、すぐにカップをセットしてアメリカンコーヒーのボタンを押した。

「…?あれ?」

何度もボタンを押してもコーヒーメーカーはうんともすんとも反応しない。

「紅葉谷チーフ、エスプレッソのボタンは?」

「あ、はい。すみません。…あれ?おかしいですね、出ませんよ?」

「…レギュラーは?」

「…あれ?……あれ!?………えぇ!!申し訳ございません!私壊してしまいました!!」

顔面蒼白になりながら、コーヒーメーカーと私の顔を交互に見ながら
あたふたする紅葉谷チーフを眺めながら、私は溜め息をついた。
たいがいこの手のマシーンは、一度点検してからすぐに故障することは滅多にない。
それでも嫌な予感がして念を入れたのだが、どうやらビンゴだった。
私はいよいよ偶然という言葉を捨て始めることにした。
普段は非科学的な事を信じない私だが、
今日ばかりは、人外な何かの作用が及んでいると信じた方が、
スムーズに事が進みそうである。まずは全てのことに過信せず疑ってかかろう。
これはハードな1日になりそうだとげんなりしつつも、私は紅葉谷チーフに指示を出す。

「今日はそのコーヒーメーカーの使用は控えた方が良さそうだ。
 替わりにホールで使っているポットにコーヒーを詰めて準備するように。」

「は、はい!」

「それと私はチャペルに回るから、紅葉谷チーフは引き続きここを確認して終わったら、
 厨房に行って白根シェフ長に器具と食材を再確認するよう伝えてくれ。」

「はい!か、かしこまりました!」

「くれぐれも点検は手抜きさせないように。最低でも二、三度は確認した方が良いだろう。」

「はい!申し訳ございません!」

「それが終わったら君もチャペルに来てくれ。」

またペコペコ頭を下げている紅葉谷チーフを残し、私はチャペルに向かう。
次に行く場所では、絶対にミスがあってならない…。


日本人の中で神聖なクリスチャンであり、
真に意味を理解しイエス・キリストの前で愛を誓うカップルはそんなに多くはないはずだ。
日本は世界でも珍しい多宗教民族で、それぞれが好きな神を崇拝し
、好きに信仰をしても、何一つお咎めがない。
お寺の隣に教会があろうとも諍いは起きないし、
神社でクリスマス会を行おうとも、誰一人違和感を抱かない。
逆に宗教などと真面目に語ろうものなら、畏怖の眼差しを受けてしまうほどに、
日本人は信仰心が薄い民族である。
いや、キリストもブッダもマホメットもアラーさえも、
八百万の神々の一つとして生活の中に浸透しているのかもしれない。

では何故そんな日本人にチャペル式は人気があるのか?
挙式のスタイルをチャペル式、神前式、人前式と大きく三種類に分けると
圧倒的にチャペル式が多い。
日本人らしい考えならば神前式が主流そうだがそうならないのは、
日本人が結婚式を信仰ではなく、スタイルで選んでいるからに他ならないだろう。
当館も神殿は設計の中に入っておらず、チャペル式か、
若しくはホール内で執り行う人前式かのどちらかを選んで頂くスタイルになっている。
もしも神前式を望まれるカップルには、
ここから20分離れた場所に大きい神社があるので、そちらをお勧めしている。
送迎バスも出るので別段支障はない。

そんなわけで、どちらかと言えばスタイルやイメージ重視で選ばれているチャペル式で、
儀式そのものが軽んじられがちだが、私はだからこそチャペル式というものを、
重んじるべきだと考える。
期待と緊張で臨んだ結婚式は必ずやその後の人生、
夫婦生活の大きな支えとなり礎になるであろう。
永遠の愛を誓う儀式に宗教的な意味合いではなく、もっと人間の深い情愛を感じてもらいたい。
だから当館のチャペル『セントマリアンヌ・チャペル』は、
他にはないほどの厳格な規則を設けている。

新郎新婦以外は、ヴァージンロードに足を踏み入れてはいけないのは当然だが、
携帯電話やカメラ類の持ち込みはご遠慮願っており、全て入場口でスタッフが預かる。
もちろんスタッフも同様である。
酒気帯びの方は厳禁。その他にも服装や所作に至るまで細かな決まりがあり、
新郎新婦は式三日前に、略式ではあるが牧師より洗礼を受けることになる。
これらの取り決めは、当館が建てられる際に「厳しすぎでは?」という
周囲の反対を押し切って私が制定したものである。
それだけこのチャペルには思い入れが込められているので、決して粗相があってはならない。

私はチャペルに入る前に、携帯電話を入り口に設置された専用の保管ボックスに入れ、
身だしなみを整える。そして恭しく一礼をして中に足を踏み入れた。
まず手始めに、ゲスト用の長椅子に不備はないか点検をする。
この木製の長椅子は本物の教会の雰囲気を出すために、相当重厚な造りになっている。
大の大人が三人でジャンプしても、びくともしないほどに屈強なので問題はないだろう。
しかし念のために確認をしてみたが、どうやらビンゴだった。
五人掛けの長椅子が二十脚あるうちの一つに、木目が逆毛羽立っているものがあった。
もしもそのままお客様に座らていたら、
立ち上がる時に洋服が引っ掛かり破けてしまっていたかもしれない。
私は安堵しつつも息を飲み、用務室から工具箱を持ってきて修理をした。
この程度なら、ぺンチで引き抜きヤスリをかければ問題ないだろう。
さすがに塗装までは今日中だと難しいので、週明けにでも時間を見つけて塗ればいい。
そんなことを考えつつ、私は首を傾げた。
このささくれ立ったキズは、昨日今日で出来た訳ではなさそうだ。
多分もっと前からあったものだろうが、何故今まで気付かなかったのか不思議でたまらない。
そもそもこんな真剣に、チャペルの長椅子を点検したのは初めてかもしれない。
コーヒーメーカーにしてもそうだが、日頃の点検業務の甘さを指摘されているようだった。
私は祭壇上にはめ込まれたステンドグラスを見上げる。
壁面いっぱいに飾られた、精巧にして神々しいステンドグラスには、
色鮮やかな宗教画が描かれている。
その中の、柔らかい微笑みをたたえる聖母を見つめながら、私は思った。
今回の件がなければ、ここまで細かく館内を点検して回ることはなかった。
普段なら見過ごしてしまっていた、不備箇所がたくさんあったかもしれない。
天候や運転手の事故は仕方ないとして、コーヒーメーカーや椅子は確実なこちらのミスである。

…もしかして今日の花嫁は、我々にとっては『幸運』なのかもしれない。



それから丁度椅子の修理を終えたと同時に、
依頼していた調律師がパイプオルガンの調律に来た。
このチャペルのパイプオルガンは電子式ではないので、
調律さえしっかりしてもらえば電気関連のトラブルはないはずだ。
厨房への伝達も終わり、駆けつけてきた紅葉谷チーフにチャペルは任せると、
私はまだ点検が済んでいない箇所を点検するため、館内を駆け回った。
その間に内線電話の不具合が生じたり、厨房で小さなボヤ騒ぎが起きたり、
他の式場宛ての祝電が届いて処理したり、
花屋さんの車が渋滞に巻き込まれて指定時間に遅れたりと、バックヤードはパニック状態。
まさにフェリスタシオン迎賓館全スタッフが、右往左往している中、
いつの間にかチャペル式の開式時間になっていた。
今のところトラブルは未然に防げているので、
新郎新婦やゲストにはご迷惑をかけずに済んでいるが、
スタッフの顔には明らかな疲労の色が浮かんでいた。
くたびれた笑顔に見送られ、遂に挙式はスタートする。
チャペル内にはパイプオルガンの優雅な音色とゲストから祝福の拍手が響き渡る。
このパイプオルガンも今さっき調律が終了したばかりだ。
調律師の話では交換するパーツが思いのほか足りなくなり、
一度工房に取りに行ったらしい。
もう今更その程度では驚かなくなっていたが…。


我々の奔走の甲斐あってか、式は滞りなく順調に進んでいく。
それでも私は気が休まらず、絶えず周囲に目を走らせていた。
ちょうど私は二階から式を眺めていたので、チャペル内全体が見回せる。
式はたった今、指輪交換まで進行し、佳境に差し掛かったところで、
私はチャペルに吊されている鐘を見つめて「おや?」と思った。
式の最後に新郎新婦が鳴らす鐘だが、
七回鳴らすと幸福が舞い上がると言い伝えられている。
隣でぐったりと肩を落としている紅葉谷チーフに小声で話し掛ける。

「チーフ…。チャペルの鐘は確認したかい…?」

「…は、はい?すみません、何でしょうか?」

「鐘だよ、鐘。」

「鐘、ですか?」

「そうだ。確認したかい?」

「え、いや…。すみません、あれは点検出来るんですか?」

「そうだよ。屋根裏から登れる階段があるんだけど…知ってた?」

「え…?申し訳ございません。知りませんでした…。」

「やっぱりな。…鐘を吊している鎖が切れそうかもしれない。」

紅葉谷チーフの顔が徐々に青ざめていく。
言葉にならず口を鯉のようにパクパクしている彼を置いて、
私は足を忍ばせ屋根裏に向かい駆け出した。
社員用裏口のすぐ隣にある、滅多に開けることのない扉の中には、
水道やガス管、排気ダクトといった、パイプに囲まれ屋根裏に通じる階段がある。
私はカビと埃臭い階段を駆け上っていく。

ごく稀にだが、あまりに興奮し過ぎて鐘を鳴らす際、力いっぱい紐を引きすぎるカップルがいる。
式のリハーサルで注意を促しているが、この状態で舞い上がるなという方が難しい。
何故、紐を勢い良く引っ張ってはいけないかというと、
鐘が一回転して引っ掛かってしまう場合があるからだ。
そうなると逆上がりしてしまった鐘を、元に戻さなければいけないので、
このように階段が設けられている。
大概、鐘がそういう状態になると、
忙しいスタッフに替わり、館内を散策するほど暇がある私が直すのだが、
どうやらそれが仇となり、この階段は私しか知らないようだ。
まさか紅葉谷チーフも知らないとは驚いたが、今はそんなことを考えている場合ではない。

意外と勾配がきつい階段を息咳き切って登りきり、鐘を見て私は「やっぱり…」とひとりごちた。
この歳になって、近くのものがなかなか見えづらくなってきたが、遠目はまだまだ利く。
やはり下から見えたように、鐘を支える鉄製の鎖のつなぎ目が千切れかけていた。
あと少し力を入れて引っ張られれば、幸運が舞い落ちる前に鐘が落下してしまう。
私は額に汗が滲んでくるのを感じた。
今すぐに修理が出来るほどの器具もなければ時間もない。
だがこのまま紐を引かれれば大惨事が待っている。
もしかしたら、今日1日くらいは耐え切れるかもしれないという、楽観論はとっくに捨てている。
これまでの状況からみてそれはない。間違いなく鐘は落ちていく。
足下から聞こえてくる賛美歌が、じわじわと私を追い詰めていく。
タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。
背中にも冷や汗が滲み出し、口の中がカラカラに渇いてきた。
どうにもこうにも妙案が浮かばず気ばかり焦っていると、会場内に盛大な拍手が湧き上がった。
そして、ドイツ人牧師のケンが、流暢な日本語で高らかに宣言する。

「新郎新婦!幸福なる人生への旅立ちです。どうぞ皆さん、祝福の拍手でお送り下さい!」

その一言で私の焦りはピークに達した。
ヴァージンロードを拍手を受けながら進む新郎新婦。
ここからは見えないが、もうじきすればこの鐘に繋がる紐に手をかけるだろう。
そうなれば全てが台無しになってしまう。
どうすればよいか頭をフル回転させるが、気が急いて空回りするばかり。
近付いてくる新郎新婦。
私は「南無三!」と心の中で唱えると、両手で鎖をガッチリつかみ、
首を亀のように引っ込め二の腕で耳を挟んだ。
その瞬間、両手に負荷がかかったと思った直後に、
鐘が揺れ、空気を震わせる大音量が鳴り響いた。
体の表面にある皮膚が裂かれるのではないかと思うほど、空気がビリビリと振動した。

以前、逆上がりした鐘に気付いた赤沢から、修理を頼まれたことがある。
その時も今のようにここへ登ってきたが、鐘を直した直後に
あろうことか、赤沢が悪戯をして紐を引っ張った。
突然、もの凄い轟音に驚いた私は、思わずすっ転んでしまい、階段から落ちた。
幸いに怪我はなかったから良かったが、
それだけチャペルの鐘というのは、至近距離だと耐え難い大音量なのである。
永遠の時間と感じるほど苦痛を伴う鐘の音が七回なり、やっと祝福の儀式は済んだようだ。
多分、いま足下では歓声が湧いているだろうが、私には一切何も聞こえなかった。
ただ頭を殴られたような耳鳴りが、いつまでも鳴り響いている。
半ば、倒れるような姿勢で鎖を掴んでいた私の背中を誰かが叩く。
這々の体で振り向くと、耳を押さえて顔を歪ませた紅葉谷チーフが、何かを言っている。
だが私の耳には何も聞こえなく、ただ彼が口をパクパク動かしている姿しか見えなかった。
仕方ないので私は手元を顎でしゃくり「針金を…」と言った。
自分の声すら捉えられず、まるで聾唖者になった気分だが、どうやら通じたらしい。
紅葉谷チーフは何度も頭を下げながら、階段を下っていった。

それから、針金を持ってきた紅葉谷チーフにバトンタッチする頃には、
私の聴力もだいぶ回復してきた。
相変わらず耳鳴りが酷く頭の中はジンジン痛むが、
どうにか何事もなく挙式を終えることが出来、私は安堵の溜め息をついたと同時に、
次はウェディングパーティーだと新たに気持ちを引き締めた。



「支配人。チャペルの鐘が落ちそうだったのを、食い止めたらしいですね。」

「…ごめん、よく聞こえない。なんだって?」

「チャペルの鐘ですよ!か・ね!」

私の耳元で赤沢が大声を張り上げる。
鼓膜が破れるまではいかないものの、まだ耳鳴りが残っていてうまく音が拾えない。

チャペル式が終わりパーティーに入るまでの僅かな時間、
私は最終確認の意味を込めて『グランシンフォニア・ルーム』内を見回っていると
赤沢が駆け寄ってきて、そう言った。
ホール内では、準備に追われた蒼井と紫倉チーフが、あたふたと右往左往している。
常にどっしり構えているチーフが走り回っているのは、大変珍しい。
それだけ、ホールの方もトラブル続きで、泡を食っている。

「赤沢…その指、どうした?」

彼女の人差し指に、絆創膏が貼られているのに気付いた。

「あぁ、これですか。ブーケプルズ用のリボンを作っていたら、間違えて切っちゃったんです。」

「ん?何を作ってたって?」

「ブーケプルズ用のリボンです!リ・ボ・ン!もう支配人、お爺ちゃんみたいですよ。」

「…それよりも大丈夫なのか?」

指のこともそうだが、見えないところで苦労をしただろう。
私同様に、赤沢も館内を走り回っていた様子だ。
その証拠に、彼女と顔を合わせたのは、今朝方ぶりだ。

「あ、大丈夫っす。ちょっと血が出たくらいなんで。」

「いや、そうではなく。トラブルは対処出来てるのか?」

「あ、問題ないっすよ。緋村さんとか、色んな人が助けてくれているので。」

ホッと安堵しかけたその時、
息咳き切った紅葉谷チーフが「大変です!」と叫びながらホールに現れた。
その、やや裏返り気味の声が癪に触ったのか、紫倉チーフが

「やかましいわっ!こんちくしょう!」

と怒鳴る。
どうやら今朝からの騒動に、紫倉チーフも相当イライラが募っているようだ。
下町親父に雷を落とされた小心者の紅葉谷チーフは、恐縮して縮み上がっている。
私は気の毒に思いつつも、紅葉谷チーフが持ち込んだ次なる問題を促した。

「で、紅葉谷チーフ。何が大変なんだ?」

「は、はい!すみません!駅からの送迎用バスが車道から外れて脱輪したそうです!!」

「…またか。で、乗客に怪我は?」

「運転手の話では全員無事なようです。
 ただ…すみません、ここから歩いても30分はかかります。
 ウェディングパーティーに間に合うかどうか…。」

私はガックリと肩を落とす。
一体後どれだけトラブルが起きれば気が済むのだ。
だが、私はただうなだれるだけではなく、すかさず紅葉谷チーフに指示を促す。

「乗客は何名ほど?」

「約20名、かと…。」

「大丈夫だな。先ほど、ジャンボタクシーサイズのライトバンを、レンタルしておいた。
 たぶん、社員通用口前の駐車場にあるはず。それで送迎をしてくれないか?」

「か、かしこまりました!」

「たぶん二往復もすれば充分だろう。
 何としてでもお客様全員を、時間通りに席へ着いてもらわなくてはならない。」

「了解です!す、すみません!では行ってきます!」

こう何度も不運に翻弄されるだけの私ではない。
もしもに備えて手配していたが、まさにビンゴだ。

「支配人すごいっすね~!準備良すぎ~!」

「今日ばかりは備えに備えを重ねすぎても困らないだろう。
 赤沢、君も何か必要な備えがあったら、独自に判断して行動しても良い。
 事後承諾でも今日だけは許す。」

式場側のサービスが後手に回るようでは支離滅裂だ。
どんな事態が起きようとも、こちらは先手先手で攻めなければいけない。

「了解っす!今日の支配人、格好いいですよ。」

「…下らない事言ってないで早く仕事に戻れ。」

「は~い。そうだ、支配人。
 今日はみんなてんてこ舞いでさぞかし疲れてるでしょうから、
 今のうちに焼き肉屋さんに予約を入れておいた方が良いかと。」

「…なんでだ。」

「疲労を次の日に引き摺らないために、スタミナをつけないとダメじゃないっすか!?」

「…何が『ないっすか!?』だ。ちゃんと仕事に集中しろ。」

「でも支配人、今さっき独自に判断してもいいって。」

私は赤沢の額を指でつつく。
まったく、こんな時によく冗談が言えるものだ。
常に自然体なのは彼女の評価すべき点だが、時と場合によりけりである。
私は「馬鹿も休み休み言え」と諫めると、
赤沢は額を押さえ「くぅ~焼き肉ぅ~」と甘ったるい声を出した。
そんなやり取りを見ていた紫倉チーフが大きく咳払いをする。

「支配人!お嬢ちゃん!いちゃつきは余所でやってくんねぇ!
 こちとらもうすぐ開場時間なんでね!」

肩に脚立を担いで、仁王立ちのまま私達を睨み付ける紫倉チーフ。
汚れ一つないタキシードに身を包んだ閻魔様から雷を落とされる前に、
私と赤沢は足早にホールから立ち去った。

…赤沢のペースにのまれるとろくな事がない。合わせてしまう私も私だが。

更新日 2月22日

紅葉谷チーフが車を往復してくれたおかげで、
乗客全員は、無事に時間通りパーティー会場に間に合った。
その他にも、似たように交通事故や渋滞に巻き込まれたゲストがいたが、
事前にタクシー会社に数台待機してもらったおかげで
(タクシー会社には随分不審がられたが、)問題なくゲスト全員が、席に着くことが出来た。
欠席なく会場のテーブルが埋め尽くされた光景に、
新郎新婦の両親は驚いたように目を開いていた。
最も新婦の事を知っている両家の親御様は、ある程度の欠員は覚悟していたようだ。
むしろ何事もなく結婚式が出来れば、奇蹟だと思っていたらしいが…。
よほど嬉しかったのか、新婦のお父さんは、スタッフ一人一人に頭を下げている。
そんな事をされると逆にこちらが恐縮してしまうが、我々にとってはここからが本番である。

挙式は、ある程度セオリーに添って進められるため、イレギュラーは発生しにくい。
だが、ウェディングパーティーは違う。
もっとイレギュラーが起きやすいのは、なんといってもウェディングパーティー、
古い言い方をすれば『披露宴』である。
これから約二時間、我々スタッフに心休まる時間は、一瞬たりともないだろう。
そんな不安と緊張を抱え、パーティーはスタートした。

紫倉チーフのいぶし銀調な先導に伴われ、満面の笑みを浮かべ入場した新郎新婦。
その笑顔を眺めながらホッと一息つく間もなく、
バックヤードでは、スタッフが忙しなく、次の準備のため駆け回っている。
一品目に出す料理の最終盛り付けから、乾杯後すぐに持って行くドリンクの準備。
実はウェディングパーティーの舞台裏では、この乾杯までの時間が最も慌ただしい。
しかも会場内に音が漏れないよう、スタッフは声を押し殺しながら、
さほど広くもないバックヤードを、所狭しと駆け巡る。
その姿は、闇夜を暗躍する忍者にも似ている。
声を掛けるなどもってのほか、そこに突っ立っているだけでもはばかられるのが、
この時間帯のバックヤードだが、今日は些か毛色が違う。
普段よりもざわめきが猥雑な印象だ。
それもそのはず、この館内の至る所で起きている不可解なトラブルは、
例外なくバックヤードにも及んでいたようで、
やれアレが壊れた、コレが動かない、ソレが無くなったなど、朝から大慌てだった。
脚立から落ちたという蒼井も、電球交換をしながら、
ホールスタッフに指示出しをしなければならなくて、さぞかし大変だったのだろう。
整髪料でガッチリ固めたオールバックは乱れ、顔にはどんよりと、重い疲労の色が見られる。
それでも落ち度無くホールスタッフに指示を出しているのは、
半ばホール歴四年という意地もあるのだろう。
疲労で少し丸まってきた背中が頼もしく感じる。

そんな様子をバックヤードの隅で傍観していると、
プランナーの緋村が、息咳き切って駆け寄ってきた。
今日だけで、もう何度目になるかわからない光景に、既視感を覚えながらも、
また新たに舞い込んだトラブルに、私は身構えた。

「支配人!大変です!」

「…何があったんだ?」

幸か不幸か、今日は結婚式の担当も打ち合わせもなかったので、
朝から紅葉谷チーフ同様に、トラブル対処で館内を駆け回っていた、女性プランナーの緋村。
彼女はプランナー歴三年になるまだ新米だが、仕事が丁寧で飲み込みが早い。
もともとランクが良い国立大卒で、頭の回転が早く行動力がある。
仕事に対して意欲的で、サービスマンとしての誇りも、きちんと持ち合わせている。
才色兼備…まさに彼女にピッタリの四字熟語だ。
同じプランナー部門で、同い年な赤沢とは正反対なタイプである。
…いや、良い意味で。

そんな緋村が慌てた様子に、私の表情は強張る。
あまり良くない用件だというのはおおかた察しているが、比較的軽度なものだと助かる。

「厨房のガスが…止まったそうです……。」

「………。」

なにも反応しない私を訝しみながらも、緋村は優秀な部下らしく、報告義務を果たす。

「調理器具の故障などではなく、完全にガスが止まっているらしいのです…。」

「…ガス会社に連絡は?」

「はい、しました。
 それで初めて知ったのですが、今日の13時から15時まで、
 この地域でガス点検があるらしく…」

「おいおい、なんで今頃。私は総務の緑川から、なにも聞いてないぞ。」

そういった外部からの連絡は、総務が取り纏めているはずである。
あの緑川が、そんな重要な事柄を伝達し忘れたとは、考えにくい。

「私も緑川さんに確認しましたが、どうやらガス会社の連絡漏れだったようです。」

そう言うと緋村は必要以上に顔をしかめた。
きっと疑ってかかった緑川から、逆に返り討ちにされたのだろう。
常に強気で強情気のある彼女でも、事務所内の女ボスには適わないようだ。

私は緋村から報告を聞き終わると、
迅速に対処してくれた緋村を労い、厨房に向かった。
ガス復旧が15時では、とてもじゃないがパーティー終了まで、間に合わない。
冷製料理なら問題ないだろうが、魚料理や肉料理など温かい料理は、
ガスコンロが動かない限り調理不可能だろう。
私は頭の中で、次の料理をいつまでも待ちわびているゲストの姿を思い描いた。
これは悲劇以外の何ものでもない。





↓赤沢「今日は寒いっすね!こんな日は焼肉を食べに行くのが一番ですよ!」
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06:05  |  儀式人の楽園  |  CM(8)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

不運は『幸運』の元。
ですよね!^^
そして、そこから幸運を引き出せるのは、「自分がなんとかする」という意識と行動。

どうにもできないこともあるけれど、できることを1つ1つやっていく。
カッコいいなあ。(^^*)
みい | 2009年02月19日(木) 10:42 | URL | コメント編集

確かに!結婚式はその後の夫婦生活の大きな支えにはなっていましたね~。 うんうん、限界はありましたが凹
この支配人さんの気配りは凄いですね。 実際にはいるのかしら?と思ってしまいましたが…未来の要人さんの姿ですね♪
健康診断、私も何年かぶりで受けましたよ。 後は恐怖の結果待ちってトコですね。
夢 | 2009年02月19日(木) 12:21 | URL | コメント編集

部署ごとにスタッフの名前が色分けされてたんですね~♪
天気が悪いのとウェディングドレスの変更は悲しいかも;;
支配人や他のスタッフ達がこんなに頑張ってるわけですから、
最後は心から幸せな花嫁さんであってほしいですww
あと、リンクの方変えときました^^
momokazura | 2009年02月20日(金) 00:55 | URL | コメント編集

>>みいさん
そうです!つまりそういうことを言いたいわけです!!
結局人生、何事も積み重ねですから。

>>夢さん
他はどうかわかりませんが、実際の式場スタッフはこんな感じですよ。
私はまだまだ未熟者なので、支配人の域まで達するにはもっと精進せねば!です。

>>momokazuraさん
ウェディングドレスはかなり悲しいと思います。
私も別例で自分が選んだドレスを当日着れなかった花嫁さんを見たことがありますが、
本当に胸が痛くなるほどの、落胆ぶりでした。
リンク変更ありがとうございます♪
要人(かなめびと) | 2009年02月20日(金) 06:03 | URL | コメント編集

支配人には申し訳ないけど鐘のくだりは面白かったです^^
もし落ちてたらえらいことでした!
しかし災難続きですねっ><
今度は招待客が時間に間に合わないって……
もしもの時に備えて別の車を用意しとくなんて支配人やりますねw
赤沢さんは大物のにおいがします^^
momokazura | 2009年02月21日(土) 23:49 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
実際に耳元でチャペルの鐘を鳴らされると、気を失ってしまいそうなほどにうるさいです。
何度かやられてますので・・・orz
赤沢はかなり大物気質プンプンです。
要人(かなめびと) | 2009年02月22日(日) 06:20 | URL | コメント編集

次から次ぎへと事が起きますね(驚)
ガス、どするんですか!?
ここまでくると笑っちゃいけないとは思いつつ笑っちゃいます。
支配人と赤沢さんはいいコンビですね~。
それにしても…バックヤードって大変なんですね。 妹の結婚式の時のバケツ持って片付けてる人達の様子を思い出しますよ。
そー言えばここ何年結婚式の案内を貰った事ないですね~。きっと次なる結婚式は娘の時ですかね。
夢 | 2009年02月22日(日) 08:45 | URL | コメント編集

>>夢さん
支配人と赤沢が主人公というかメインキャラですので。
私もこの二人、大好きです。
バックヤードはかなり忙しいので、お客様には絶対に見せたくないです。
見られると、何故かめっちゃくちゃ恥かしくなります。
結婚式にお呼ばれされるのは、ある程度ピークがありますからね。
今はきっと、安泰期なんですよ。
要人(かなめびと) | 2009年02月23日(月) 06:57 | URL | コメント編集

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