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2009'01.26 (Mon)

「だから、ヨーグルトではなくケフィアなんです。」 第五章


【More・・・】

元旦に崩れ始めた天気がここ数年では珍しく空から白い雪を降らせた。
温暖化の影響で都心部で積雪を記録したのはまさに数年ぶりで
交通機関の麻痺がひどかった反面、街はちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
なので1月中は毎日の天候に行動を規制される人がほとんどで、
自然の気まぐれの前には人間なんてまだまだ脆弱なものだと感じた。
2月になってからはだいぶ天候も落ち着き、
西日本からは気が早い春の報せが届いてくるようになった。
そして3月、春はもうすぐ間近…。
気がつけば僕らも既に大学三年生になろうとしていた。
季節が過ぎていくのは本当にあっという間で、瞬きをしている隙にもう夏が来てしまいそうだ。

そう、あと数ヶ月もすれば夏になる。
…論文発表会まで半年もない。

去年の11月から手掛けてきた研究『二次醗酵におけるケフィアの搾取』について、
僕は考えられる範囲でこれまでずっと実験を重ねてきた。
大学に通っていた時に分子や遺伝子構造を操作する学部に興味を持ち、
その後も独学で追究していた経緯があったので、
僕が保持する『醗酵抑制物質』の分子構造を調整するといった方向で解明しようとした。
また一方で、醗酵物自体の構造変化を観察し
二次醗酵で醗酵抑制が出来ない原因究明も続けた。
その他にもありとあらゆる方法で問題の解決に努力した。

…でも、駄目だった。
何度実験しようとも、どれだけ手段を尽くそうとも、
一度『ケフィア』となった醗酵物は二度と反応を示さなかった。
何も進展のないまま、僕は春を迎えてしまった。

ここ数日、それまで勢い良く稼動していた研究所の実験器具達は鳴りを潜め、
僕も研究所内で一番大きいテーブルに資料を広げたまま塞ぎ込んでいた。
1ヶ月も前から既にお手上げ状態になっていたにも関わらず、
諦め悪いのか現実を直視するのが怖かったのか、僕は闇雲に研究を続けていた。
日に日に増していく焦りと不安に押し潰されながら、必死に足掻いていた。
最近ではまともに睡眠が取れない。
眠らなきゃ体に悪いのは百も承知なんだけど、焦燥感に掻き立てられて目が冴えてしまう。
気付けば研究所の真ん中にポツンと立っているか、
むやみやたらと実験器具のスイッチを押している自分がいた。
ストレスが原因で食事も喉に通らない。
きちんと栄養を摂っていないせいで眩暈におそわれる。
悪循環の繰り返しだった。それでもどうにかしなければと思い、
こうして研究所にいることで何かをしているように自分自身を錯覚させている。

僕は資料が散乱したテーブルの上に突っ伏し、手についた一枚の紙切れを拾った。
桑原さんから今更届いた、彼女との契約解除通告だった。
そこには一週間前の日付で学会と彼女の契約が解消された旨が記されている。
こちらには酌量の余地無く一方的な解消だった。
しかし、あの時桑原さんは「追って正式な書類を」と言っていたくせに
今になってやっと届くとは。
随分とノロマものだと悪態ついて紙を指で弾く。
紙はそのままテーブルに着地せず地面に落ちてしまった。
僕はそれを暗澹とした気分で眺める。もう溜め息すら出てこない。

結局のところ、僕がやろうとしていたことは無謀だったのだろうか?
たった一人で研究を成功させようだなんて夢のまた夢だったのかも知れない。
彼女や野原さんのように特別な存在でもない僕にはもとから無理があったのだろうか?
桑原さんが言うように僕なんて助手をやっている位が丁度良かったのだろうか?
…そうなのかもしれない。
無理に彼女に追いつこうとせずに側で見守りながら、
適当な職について平凡な日常を送っている方がお似合いなんだろう。

だんだんと気持ちが卑屈になっていき、更に自己嫌悪に陥りそうになりかけたその時、
研究所の入り口が鈍い音を立てて開いた。
ゆっくりと顔を上げるとちょうど逆光が差していて顔は見えないが
人影が二つあるのだけは確認出来た。
僕は目を凝らして来訪者を確かめようとすると、あちらから先に訪いを入れた。
聞き覚えのある男性の声…。

環境庁の見村さんだった。


テーブルの上に散らかっていた資料を整理しパイプ椅子を組み立てて勧めると、
見村さんは恐縮をしながら腰掛けた。
隣にいる年老いた男性も僕を頭のてっぺんから爪先までジロジロ眺めながら
軽く頭を下げて椅子に座る。

「久しぶりですね、誠一さん。お元気…」

元気でしたか?と尋ねようとした見村さんが僕の顔を覗き込んで口をつぐんだ。
見村さんが閉口してしまうほどに今の僕はやさぐれているらしい。
僕は自嘲気味に溜め息をついて見村さんに尋ね返す。

「発電所の方は…順調ですか?」

「どうでしょうか…。私は部署が違うので詳しいことはわかりませんが…。
 いや、だいぶ進んで…るとは、思いますけど……」

語尾悪く口ごもりながら話す様子だとあまり芳しくないようだ。
ごまかすように見村さんは眼鏡に指を当ててから笑いをする。

「そ、そういえば原さんの体調はいかがですか?だいぶ良くなったと聞いたんですけど」

そこまで言った時、丁度良く当の本人が母屋の玄関からひょっこり顔を出した。

「あぁ…!原さん!お元気でしたか!私のことは覚えてますか!?見村です!」

彼女を見るやいなや立ち上がり駆け寄る見村さん。
無理矢理に手を握られた彼女は怪訝な顔をして僕に「誰?」とアイコンタクトを送る。
僕は説明するのも面倒だったので
「素子、すまないけどお茶を出してくれないかな?」と頼んだ。
コクンと頷いた彼女は見村さんの手を離すと母屋の方に引っ込んで行った。
その後ろ姿に見村さんと同行してきた老人が深々と頭を下げる。
さっきから気になっていたが、この人は一体誰だろう?
少し汚れてくたびれたジャンパーに時代遅れの野球帽を被っている。
初対面である僕に話し掛けるわけでも無しに仏頂面でいるこの老人は?
そろそろ不気味に感じてきた僕は二人が椅子に座るのを待って切り出してみた。

「あの、見村さん。そちらの方はどなた様でしょうか?」

「あ、あぁ!すっかり紹介が遅れてすみません!この方は…」

「もっけでがんす。熊沢という者でがんす。」

舌が喉の奥に絡まったのかと疑いたくなるようなひどい訛りが老人の口からこぼれ出た。
正直なんて言ったのかさっぱり聞き取れなかったが、さすがに聞き返しては失礼だろう。
それに…この訛りに聞き覚えがある。

「こちらの熊沢さんはですね、…言い辛いんですけど、
 あの時のデモに関わっていた人達の一人なんです。」

それを聞いて瞬時に合点が入ったのと、あのうねりのような罵倒が脳裏に甦る。
…この老人が、あの時に僕らへ石を投げつけた一人なのか。

「あん時は本当にもうすわげありませんでがんした!!」

僕がどう反応すれば戸惑うより先に熊沢さんという老人が地面這いつくばり土下座する。
突然の謝罪にどうすることも出来ずにオロオロしていると、見村さんが咳払いをした。

「熊沢さんはあの発電所が開設されている地区の農村で酪農を営んでいた人なのです。
 例のデモ行動で主だった人物なのであの時に警察から連行されましたが、
 どうしても直接謝りたいというので連れてきた次第で…。」

「あんた方には本当に悪いごどどごしたと思ってる!
 おらが頭を下げで済む問題ではねってのはわがっている!
 だども!どうしても一言謝りてぇぐで!!」

地面に額を擦り付けて声を張り上げ謝罪をする熊沢さん。
そんな熊沢さんを見村さんも悲痛な面持ちでフォローする。

「熊沢さんの家は代々酪農で生計を立てていた一家で、
 ヨーグルト爆弾以降も次々と酪農仲間が職を手放していく中、
 最後まで牛の世話をしていたんです。
 確かにデモ行動は誉められたものではありませんし、
 原さんの記憶喪失も取り返しのつかない惨事です。
 ですが…彼はこのように反省していますし、何とか許してあげませんか?」

「あの頃のおらがたはどうかしてたなだ!仕事も可愛いべご達もなぐして哀しぐって…!
 だがらおめさん方さつい八つ当たりしてしまた!本当にすまねぇと思ってる!
 どうか勘弁してけれ!!」

こんな70歳は過ぎたであろう老人に土下座されて面食らってしまった僕は、
慌てふためきながらも熊沢さんの腕を取り、抱き起こした。

「そんな…土下座なんてやめて下さい!
 あなた達に頭を下げられる資格なんて無いんですから!
 むしろ謝らなければいけないのは僕達の方なんです!」

なおも申し訳なさそうにしわくちゃな顔を更に歪ませながら熊沢さんは
「したども…!したども……!」と地面に這いつくばろうとする。
僕は力任せに抱き上げ無理矢理に椅子へ座らせた。
熊沢さんは背丈だけ高く非力な僕でも容易に持ち上げられる程に軽かった。
こんな華奢な老人の生活すら無意識に蹂躙したのかと胸が詰まる。

「元を正せば僕らがキチンと研究を管理していれば…。
 もっと考えて行動していれば…。あなた達は全然悪くありません!
 全て僕達が悪かったんです。僕らはあなた達に石を投げつけられて当然の立場です!
 本当にすみませんでした!!」

土下座まではいかないものの、テーブルに額を押し当て熊沢さんに謝罪する。
すると熊沢さんはシワに囲まれた瞳をグシャグシャに濡らし涙を流し始めた。
その隣で見村さんが溜め息をつく。

「だから言ったじゃないですか…。
 誠一さんはあなた方に恨みを抱いていたり、責め立てたりする人じゃないって。
 何度も言ったのにあなたがどうしても直接謝らないと気が済まないって…。」

「したって見村よぅ…。おらがたがしたごとは悪いごとだ。
 面と向かって頭下げんのが筋ってもんでねが?…でも、おら。謝らっで良がった。
 こう言ったら変だども、気持ちが軽くなたでがんす。」

目を真っ赤にしながら熊沢さんが歯をむき出しにして微笑む。
僕もその表情を見つめ安堵の溜め息をそっと吐き出しながら微笑んだ。

「僕も今までずっとあなた達に謝りたかったんです。
 胸のつっかえが取れたような感じです。
 だからこうして熊沢さんから来て頂くなんて逆に恐縮ですよ。」

「んだろ?ほれ見れ、見村。やっぱりおらが出て来で正解だったでねが?
 そういう機転が利がねはげ役所の人間は駄目だって言ったなや。」

少しムッとしたように見村さんが眼鏡に手を当てながら反論する。

「私は行政の人間であり官僚です。民間の役人と一緒にしないで下さい。」

見村さんのエリートという自負を熊沢さんが「どっちでも良いでねが。」と笑い飛ばす。
そのやり取りが可笑しくて僕が吹き出すと、見村さんもつられて笑い出した。
しばらくの間、研究所には男三人の笑い声が響いた。
お茶を持ってきた彼女がキョトンとした顔で僕達を眺めている。
長い間、僕の心にあった自責の念が徐々に氷解していく…。
それほど温かな笑い声がいつまでも、こだましていた。

見村さんはもともと発電所開設候補地の選出、交渉担当だったが、
候補地が決定してからは近隣地域住民への仕事の斡旋や
生活調査などのケアを担当していた。
なので自然と熊沢さんと会う機会も増え、
見村さんが僕や彼女とも顔見知りと知るやいなや謝罪をしたいと懇願されたらしい。
本当はあの時デモに参加した住民全員で謝りに来たかったらしいが、
あまりにも数が多すぎるし彼女もまだ完治していないという事情から、
代表して熊沢さんが上京してきた。

「見村が昔の酪農やってた連中どご世話してくってよ~、
 おらがたはまたべご(牛)の世話できるようさなったなや~。」

「へぇ~、それは良かったですね。」

「んだ。こいつはこう見えで意外と出来る奴なんだや。
 はじめはなんか頭でっかちくせぇ奴が来たもんだと思ったもんだども…。」

「意外と、は余計でしょ。」

さっきまで必死に頭を下げていた人とは別人のように愉しげな様子で話す熊沢さん。
最初は聞き取れなかった東北地方独特の訛にもだいぶ馴れてきた。
泣いたり笑ったり、自然と動物を相手に生活をしてきた人は心が純粋で素直なのだろう。
だから素直さ故にデモといった直接的な行動に移ってしまったのかも知れない。
とにかく親身になって接すれば、実に気持ちが良いものだと教えられた。

「もともとあの地区はホルスタインの生育に適した土地柄で昔は観光用の牧場も
 経営出来るほどでしたから。牛乳は発電所の貴重な燃料になります。
 近隣で確保出来た方が輸送費の削減にもなりますし。」

見村さんが言うように牛乳は貴重な醗酵資源になる。
お米やその他の穀物に比べ何故だかエネルギー変換率が大きいのだ。
これについてもいずれ研究したいが、とにかくその貴重な資源が身近に確保出来るなら
酪農家の方々には本職に戻ってもらうのが一番いい。

「それに発酵した後の乳はおらがたが引き取ってやるって寸法よ。
 まぁ、まがしとけ。おらがたは食肉よりもヨーグルトやチーズが専門だ。
 うまぁぐ処理してやっがらよぉ。」

「なる程。副産物の削減にも繋がるわけですね。」

「んだ。まず餅は餅屋に。べごさ関するごとだばおらがたさ任しとけっての!」

「んだ、これ見でけれ。」と言うと熊沢さんはジャンパーのポケットから
携帯情報処理端末を取り出した。
最近のものはほとんど音声認識で操作出来るので老人でも扱いやすい。
熊沢さんは携帯端末に向かい「べごの写真どご出してけれ!」と叫んだ。
…そんな大声で言わなくても機械は反応するだろうに。というか、方言でも伝わるのか?
そんな疑問を抱いている間にディスプレイへ牛の写真が映し出された。

「この子がおらの一番お気に入りのべごだ!
 他さもえっぺいっども、やっぱりこの子が一番毛の艶が良いなや!」

僕にディスプレイを見せながら、この子は目が可愛いとか愛嬌があるとか聞かせてくれる。
自慢話をしている時の熊沢さんの瞳は少年のようにキラキラ輝いていて、
まるで我が子を自慢しているようだ。
実際にそうなのだろう。
手塩にかけて育てた牛達は自分の子供同様に愛情を注いでいるのだ。
ディスプレイに映った牛はキレイな白黒模様を身にまとい、
つぶらな瞳でこちらを向いている。
牛を直に見たのはたぶん小学校の修学旅行で群馬にある牧場に行った時以来だろうか。
今度発電所に行く機会があったら是非熊沢さんの育てた牛に会ってみたい。
それほど愛嬌があって可愛らしい牛だった。

「んだ。これどこ見っだら思い出した。」

そう言うと熊沢さんは足元に置かれた荷物をテーブルの上に乗せる。
風呂敷に包まれたそれを解くと発泡スチロールが姿を現した。

「おめさんさ、お土産どこ持ってきたんだや。まず、食ってけれ。」

食べ物ということはチーズかヨーグルトだろうか?名産品だと言ってたくらいだし。
乳製品の醗酵食品は苦手だがチーズは辛うじて食べれる。
もしもヨーグルトでも彼女が食べるはずだし。
僕は嬉々と発泡スチロールの蓋を開けると、
中にはバレーボールくらいの大きさをしたブロック肉が入っていた。

「この子でがんす。」

「うぉおおーいぃ!!」

僕はよく分からない奇声を発し、反射的に蓋を閉めた。
この子ってことは、ディスプレイのこの牛だろうか?

「ちょっと熊沢さん!
 あれだけ肉は止めとけって言ったのに本当に持って来ちゃったんですか?」

「したっておめぇ言ったでねが?このあんちゃんは料理が得意だって。」

別に生肉が苦手なわけではないが、今の話を聞かせられた後ではちょっと辛い。
熊沢さんは申し訳なさそうに頭を掻く。

「おめさんには本当に悪いごとしたと思ってっからよぉ。
 おらが持った一番良いものどこあげた方が喜ぶと思ったんだけど…。駄目だったかのぉ?」

僕は恐る恐る蓋を開けもう一度じっくりと目を開きブロック肉を見る。
細かい霜降りがよく目立つところから、
部位でいうとヒレではなくサーロインといったところか。
確かに美味しそうで生でもいけそうなほど新鮮だ。
最近はあまりまともに食事を取ってなかったので眺めているだけで涎が垂れてきそうだ。
写真を見なければ。
形はどうあれ、熊沢さんなりに最高級のプレゼントを贈ってくれたのだ。
いつまでも固まっていては目上の人に失礼である。僕は無理矢理笑顔を作った。

「い、いや!あまりにも素晴らしいお肉だったので感激して声が出なかったんです!
 ありがとうございます熊沢さん!これは嬉しいなぁ!」

少々棒読みになったが誠意は伝わったようで熊沢さんは
照れたように頭をガシガシ掻いて「いいってよぉ!美味しく食ってけれ!」と言った。
僕は笑いながら視線を落とし、写真の牛へ心の中で手を合わせた。
…すみません、美味しく食させて頂きます。
可哀想だと思いながらも頭の中では既に夕飯のレシピに思考が動いている。
すき焼きは在り来たりだしビーフシチューはもったいなさ過ぎる。
とりあえずまずはステーキで食べてみて、たたきにも挑戦してみるか?
…まったく、人の業深さにはつくづく呆れてしまう。

「ところで誠一さん。桑原副会長から伺ったんですが、
 今年の論文発表会にエントリーするそうで。研究の方は順調に進んでますか?」

見村さんが何気なく言ったであろう一言が僕の胸に暗い影を戻す。
そうだった。牛肉で浮かれている場合ではなかったんだった。
明らかに表情が一変した僕をいぶかしんで
見村さんも熊沢さんも不安そうに顔を覗き込む。
僕はさっきまでより幾分気持ちが楽になったからか、
愚痴を吐き出すつもりでこれまでの経緯と研究の進捗具合を全て話した。
熊沢さんは別として見村さんは一応環境庁との会議にも参加していたほどなので、
多少は研究のことにも明るい。
簡単に噛み砕いて話すと要所要所で頷きながら聞いてくれた。



「…というわけです。結局研究はどん詰まり。
 期日も迫っているでにっちもさっちもいかない状況なんですよ。」

自嘲気味に肩をすくめて話を締め、深い溜め息をつく。
誰かに聞いてもらって幾分気持ちが軽くなったが、それで何か進歩があるわけじゃない。
明日になればまた同じようにとことん落ち込むのだ。

「…なるほど。誠一さんも大変ですね。
 記憶喪失の原さんに付き添いながら一方では研究に追われて、
 さぞかしプレッシャーでしょう。それでも自暴自棄にならないだけ立派なものですよ。」

「そう…でしょうか。」

「あれですか?今からテーマを変更してみるとかは無理なんですか?」

「期日がなさ過ぎますし…第一僕は『ケフィア』以外の研究はあまり明るくないんです。」

「そうですか…。でも誠一さんならきっと出来るはずです!
 大学生で発電所の開設に携わっているくらいなんですから。
 私も応援しているから頑張りましょうよ!」

見村さんの慰めが胸に滲みて泣きそうになる。
何かの拍子に折れそうなくらい気持ちが細くなっている証拠だ。
僕と一緒に見村さんも下を向いて沈黙する。
これ以上の慰めも激励も逆に僕を追い詰めるのだと察してくれているようだった。
しかし話の半分以上理解できなかった熊沢さんは、
自分だけ取り残されていることに気付き、バツ悪くキョロキョロし出した。
そんな彼の瞳に何かが留まった。
ジッと一点を見つめる熊沢さんを不審に思い声をかけると、
熊沢さんは短く声を発するとそれまで自分が見つめていたものを指差した。

「もっけだんども(すみませんが)、あれはなんだ?」

熊沢さんが指し示す先を見ると、そこには一つの実験器具があった。

「あぁ、あれは醗酵乳製品を作る機械ですよ。」

僕の答えを聞くと「やっぱりなぁ。」と呟き席を立った。
全長約2メートルの筒状をしたそれは、
この研究所内にある実験器具の中では大きい部類に入る。
僕は主に『ケフィア』を搾取するために作動させる事が多く、現在も一応動いている。
その器具に近付くと熊沢さんはペタペタ触りながらニヤリと笑った。

「うちさあるヨーグルトを作る機械さ似ったもん。おらはすぐ分かたけ。」

僕と見村さんも席を立ち器具に近付く。
実を言えば僕はあまりこれの側にいくのは好きではない。
どうにも醗酵乳製品独特の酸っぱい香りが苦手だからだ。
だからこれに近付く時はなるべくマスクをするようにしている。

更新日 1月30日

「これは…一体?」

器具のすぐ側に設置されたタンクに透明な液体が入っている。
見村さんが指差したそれは乳製品を醗酵させた際に必ず生じる副産物だ。

「おめぇ、これは『ほえぇ』だべ。んなことも知らねぇのけ?」

僕が言うより先に熊沢さんが答えたが、僕が知っているのとはちょっと名前が違う。

「『ほえぇ』?乳清じゃなくてですか?」

「そうとも言うらしけんども、おらがだはみんな『ほえぇ』て呼んでる。」

「あぁ、これがホエーですか。
 名前は聞いた事がありますけど、実物を見たのは初めてです。」

見村さんが珍しげにタンクを指で小突く。

「こう見えでも結構栄養価高ぇあんぞ?」

「え?そうなんですか?」

「んだ。しかもこれを固めっどチーズさなんなんぞ?知ってっぺ?」

これには正直驚いた。
僕らからしてみれば栄養価云々よりもエネルギーになるかどうかが重要で、
乳清なんて大量に発生する邪魔な液体くらいしか認識がなかったが…。

「確かホエーで作られたチーズをイタリアでは『リコッタ』って言いますよね?」

「へぇ、見村さん詳しいですね。」

「私、ワインが好きなもんで自然にチーズの知識も身に付いたんですよ。」

ちょっと自慢げに眼鏡を中指で上げながら胸を反らす見村さんを熊沢さんが鼻で笑う。

「は!単なる金持ちの道楽でねが。高給取りは優雅だもんだの。」

「…そういう言い方、止めてもらえませんかね。」

へそを曲げる見村さんを面白そうにニヤニヤ笑う熊沢さん。
僕はそれをなだめながら話を戻す。

「ちょっと待って下さい。
 乳清からチーズが作れるって事は、乳清を新たに醗酵させているって事ですか?」

僕の真剣な眼差しに見村さんと熊沢さんは不思議そうに顔を合わせ
「だと、思いますけど?」と答えた。

「うちの『ほぇちぃ』はめっちゃうんめぇぞ!」

「なんですか、それ?『リコッタ』の事でしょ?」

「んでね!そげだハイカラな名前じゃなくて『ほぇちぃ』だ!
 おめがだは『ほえぇ』どこ副産物って言うんどもな、
 おらがらしてみたらヨーグルトどがチーズの方が副産物だ!」

「そんなムチャクチャな…」

見村さんと熊沢さんのやり取りを聞きながら、
僕の頭の中で小さな火花が不規則に散っていた。
繋がりそうで繋がらない回路の間を微弱な電流が行き来する不思議な感覚…。
何かが引っかかるがそれが何だが分からず、
でも今すぐに掴めそうな、いや既に手のひらに転がっているような。

「どうした、あんちゃん?そんだけおらの話が感動的だったなが?
 そりゃびっくりするべ。ヨーグルトの残り汁からチーズが出来んだからよぉ。
 一度に二度美味しいってか♪まぁ、おらは二度目の方のが好きだけどよぉ。」

その熊沢さんの訛混じりの言葉を聞いた瞬間、
それまで不規則に散っていた火花が一カ所に集い紫電を放つ。

回路が繋がった。

なおも固まる僕を不審に感じたのか、見村さんが声を掛ける。
僕はその声が耳に入らずテーブルの上にある資料を手当たり次第放り投げ始めた。
呆気に取られた見村さんと熊沢さんは口をあんぐり開けて僕の奇行を見守る。

「あんちゃん…急にどうしたなだ?」

「…誠一さん。一体何をしてるんですか?」

あまりにテンションが上がりすぎて腕の制御が利かず、資料がうまく掴めず吹っ飛んでいく。
それほど今の僕は興奮していた。

「来ました!!ついに来ましたよ!!!見つかりました!!!『ケフィア』が!!!」


これまで僕を悩ませていた『二次醗酵におけるケフィアの搾取』の尻尾が、やっと見えた。



↓見村さん「毎度毎度押して頂きまして、恐縮です。」
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06:47  |  「ヨーグルト…。…いいえ、ケフィアです!」  |  CM(6)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

面白い人が登場しましたね~、熊沢さん(笑)
誠一君のキーマンになる人?等と推理してみたり♪

要人さんの敷地面積にあの雪では人力は無理でしょ~。 もう雪は勘弁です(怒)
夢 | 2009年01月28日(水) 12:00 | URL | コメント編集

>>夢さん
昨日も会社の雪かきをしてました><
べちゃべちゃ雪だから重いの固いの・・・。
もう最悪でした。
今日は予想以上に天気が良いので雪が全部溶けてくれることを祈ります♪
要人(かなめびと) | 2009年01月28日(水) 15:10 | URL | コメント編集

え、乳牛も食うの!?知りませんでした><;
バカな質問だったらスミマセン……
でもかなりショックなんですけど^^;
そして見村さん再びですね~♪
momokazura | 2009年01月29日(木) 00:05 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
市場には出回らないと思いますが、食べる人は食べるんじゃないでしょうか?
すいません。自分でも「あれ?」って思ってしまいました・・・orz
要人(かなめびと) | 2009年01月29日(木) 06:12 | URL | コメント編集

熊沢さんの次の台詞に期待大♪
誠一君も光が見えてくるのでは?なぁ~んて。
道路の雪は溶けたものの、脇に寄せられた雪はナカナカ溶けそうにないですね、寒いし。。
温泉、イイですね☆☆
夢 | 2009年01月29日(木) 17:09 | URL | コメント編集

>>夢さん
ご存知の通り熊沢さんの訛りは我々の地元のものを使わせてもらいました。
実際文字にするとやばいくらい意味のわからない言葉を使ってますね。
私は路肩の雪に車で突っ込むのが大好きです♪
グシャーン!って。
要人(かなめびと) | 2009年01月30日(金) 06:17 | URL | コメント編集

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