2017年07月 / 06月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫08月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2008'08.12 (Tue)

「ヨーグルト…ケフィア…。最早どうでもいいのです。」 第四章


【More・・・】

「わざわざ遠方からご足労頂きありがとうございます。
 こんな寒い季節に恐縮ですが、まぁ学生さんですからね。
 冬休みでも利用しないとはるばる東京までなんて来れないでしょうから。」

そういうと男性は口角を上げながら眩しいものでも見たかのように目を細める。
一見温和な表情だと受け取れるが皺だらけの目元の奥に隠された瞳は一ミリも笑っていない。

ここは「日本エネルギー開発推進学会」本部の一階にある応接間兼副会長室。
この場に足を踏み入れるのは昨年の発表会直後に
契約調停の手続きをした時以来だから今回で二度目だ。
私と彼の正面に対峙する白髪が目立つ短めの頭髪の男性は
「日本エネルギー開発推進学会」副会長 桑原氏。
今日は今後の『ケフィア』の方向性を話し合うため我々は彼から召集を受けた。

「毎月契約通りに研究成果のレポートを提出して頂きまして恐れ入ります。
 もっとも目立った成果があるわけではありませんが。」

そこで一旦言葉を区切ると桑原氏は順番に粘着質な視線を我々に向け、

「まぁ私としてもそこまで期待しているわけではありませんのでご安心下さい。」

と、つまらなそうに吐き捨てた。
この丁寧な口調の中に皮肉をたっぷり含んだ会話が桑原氏の特徴である。
さほど背が高いわけでもなくどちらかと言えば痩身。
そして仮面を被っているかのように絶えず微笑みを浮かべているので
好々爺然といった印象を受けるが、二分も会話をすれば直ぐに本性なんぞ知れる。
隣に座る彼は初対面のはずだが、早速眉間に皺を寄せ不愉快な態度を露わにしている。
しかし桑原氏の皮肉もあながち間違ってはいない。
実際ここ最近研究は目覚ましい進歩を遂げていないのだから仕方ないのである。
それというのも理由がある。

「仰る通りに我々はまだ学生の身分。
 故に現在は研究ではなく来年の大学受験に向けて
 僭越ながら学業に専念をさせて頂いております。」

「その事は確か契約時に承諾をしてもらっているはずだと彼女から聞いてますけど?」

私の言葉に引き続き彼が問い返す。
彼の口調がいつもより荒い。よっぽど桑原氏に含むところがあるようだ。
しかし当の桑原氏の微笑みを型取った仮面は微動だにせず二三度頷くと質問に答えた。

「ごもっともなご意見です。その点に関しましては私としても異論を唱えるわけではありません。
 ただ、いつもは偏屈で歳を食っただけの科学者連中を相手にしているもので、
 ついあなた方の立場を忘れて口が滑ったまでです。
 なんせこんな幼い、しかも学生と当学会が契約を交わすなど初めてですから。」

滑らかな口調で感情も込めずにそこまで話すと、桑原氏は先程のように我々を順番に見据え、

「私はまるで幼稚園の先生になったかのような気分ですよ。」

と、また皮肉った。
この言葉が癪に触ったのか、彼は下がりきらない溜飲を深い溜め息に込めて吐き出した。
こんなに不機嫌な彼を見るのは初めてかもしれない。
いつも優しく微笑む彼しか印象にないので
私は意味もなくソワソワしてしまいどうも落ち着かない。


「ちなみにお二人はどちらの大学を受験なさる予定でしょうか?」

「東京大学理学部です。」

「あぁ、あそこですか。国内と聞いて安心しました。
 外国に行かれるよりは何かと融通が効くので。」

「別にあなた方、学会の為に国内にするわけじゃありませんけど?」

わざと挑発するように食ってかかる彼。
しかしその程度では桑原氏のポーカーフェイスは崩れない。

「当然です。学業は他者の為ではなく己の為でなければ意味をなさない。
 どこへ行こうが我々の知ったところではありません。
 せいぜい契約を打ち切られない程度に励んで下さい。」

余裕の切り返しを見せると、桑原氏はさらに追撃をかける。

「しかし、この誠一さんの感情的で激し易い態度はまるで原さん、
 あなたの伯母さんそっくりだ。もしや彼もあなた方の血縁者でしたか?」

この一言にとうとう堪忍袋の緒が切れた彼は目の前のテーブルに拳を叩き付け
「あんな人と一緒にするな!!」と叫んだ。
例の睡眠薬事件以後、彼の前では伯母様の話はタブーになっている。
それほど彼の中では腹に据えかねる出来事だったようだ。
学会とは一悶着あったと聞いていたが、伯母様も確実に桑原氏と衝突したに違いない。
私は何とか彼をなだめようとあれこれ画策したが良い案が浮かばず、
ただ黙りこくるしかなかった。
しかし、そんな我々にはお構い無しに副会長殿は一切表情を崩さず本題に入った。

「さて、本日お呼び立てしたのは先にご連絡したように
 『突発性過醗酵エネルギー』の今後についてあなた方の意見を聞いておきたいのです。」


昨年の夏に学会と契約を交わしてからすぐにオファーがきた二つの団体。
桑原氏の話によると本当はもっと多くのオファーを受けたらしいが学会側で選別をした結果、
ニッサンゼネラルモーターズと環境庁の二つに絞ったらしい。

「本来ならば社会貢献度を最優先に考慮すれば
 発電所の開発だけで進めるところではありますが、
 我々とて学会を維持していくには利益も無視できない。
 実際問題、発電所というものは利益率が悪いのです。
 まずは実用化に至るまでの莫大なコストがかかる割には実利になるまで遅すぎる。
 しかも通例なら発電所の開発は半分以上が民間で担うはずなのに、
 今回は環境庁が全て独自で行うという。政府はとことんケチですからね。
 難癖は付けてもこちらに流れる利益には絶対に色を付けない。」

涼しい顔で淡々と語る桑原氏。
発電所の開発プロジェクトについて予測されるエネルギーの算出や
それに伴う稼働率や副産物の量など事細かに記載された冊子には全て目を通したが
そんな利益云々については全く触れていなかった。当然といえば当然か。
研究や実験に対する計算は得意だが生憎ビジネスや経済の計算は明るくない。
なので研究をするに当たり生じる利益や権利の半分を学会に譲渡する事は、
言い換えれば学会に『ケフィア』をプロデュースしてもらう為の代償と言っても過言ではない。
学会の恩恵があってこそ我々は純粋に科学者として研究に専念出来るのだ。

「次に、ニッサンゼネラルモーターズについてです。
 何故こちらの単なる自動車会社のオファーを受けたかというと、
 このニッサンゼネラルモーターズは突発性過醗酵エネルギーを用いた
 新エンジンの特許権を全て学会に譲渡するという契約を持ち掛けてきたからです。
 これは我々にとって大変魅力的な取引です。」

これに関しては私と彼も象徴している。
何故ならば月に一度くらいの頻度でニッサンゼネラルモーターズの
システム開発部から直接電話にてオファーの打診を受けているからだ。

「あなた方もご存知の通り、こちらは実に精力的で共同開発については貪欲です。
 両者に返答は数年先になる事は伝えており、それについても承諾は頂いております。
 もちろん学生という身分も明かした上で了承してもらっているという幸運をお忘れなく。」

最後の一言に彼はまた機嫌を悪くしたようで
わざわざ桑原氏に聞こえるように大きく舌打ちをした。
しかし桑原氏は全く意に介さず淡々と話を進める。

「そこでこの話の本題に入りましょう。
 今現在二つのオファーを頂いておりますが、
 どちらに選択するかの決定権を我々学会はあなた方に委ねたいと思います。」


私は一瞬自分の耳を疑った。隣で仏頂面をしていた彼も目を大きく見開いている。
これは我々にとって最も意外な話だった。

「ちょっと待って下さい。
 えぇと、確か協力先の斡旋や選択の決定権は学会にあると聞いていましたけど?
 今回はあくまで僕達の意見を聞くだけだと思ってましたので…。」

彼は桑原氏に問い掛けながら自分の言葉に疑問符を浮かべている。
呆気に取られて目を白黒させているが、私も同じ気分だ。
確かに研究から生じる全ての事柄は学会と我々、
半々で権利を有するという契約になっているがそれは全てが半々という訳ではない。
例えば将来『ケフィア』から派生した特許を取得したとした場合は
そこから生じる利益は学会と我々が半分に分ける。
しかし例えば『ケフィア』が何かしらの化学賞を受賞した場合の賞金などは
全て我々が受け取る権利がある。
そして今回、本来オファー先の決定権は全て学会にあるという決まりに
なっていた契約事項があろう事か覆ったのである。

「そんな事って有り得るんですか?契約違反じゃないかと思うんですけど…。」

「その件だけ契約更新を行って頂ければ良いだけの事。
 変更に対する決定権は副会長である私に一任されます。
 まぁ、ちなみにあなた方に拒否権は無いに等しいですけど。」

随分と一方的で横柄な発言に彼がまた腹を立てる。

「副会長の一任、ですか。…なんですか?あなたってそんなに偉いんですか?」

「私個人の人徳、力量はさておき役職としての権力は強大だと思いますけど?」

「ふーん。そんな偉い人なのに僕達学生のお世話係ですか。
 この学会も結構ヒマなんですね。」

「まったくです。まさか私も子供の相手をさせられるとは思ってもみませんでした。
 長年この役職に就いて初めての体験です。」

「…そんな皮肉ばっかり言ってるからいつまで経っても副会長止まりなんですね。
 わかります。」

「それは見当違いですね。会長職なんて実権をほとんど持たないお飾りなのです。
 天下り用の椅子、とでも言い換えましょうか。
 当学会のトップが私だという認識をお忘れなく。」

桑原氏に触発されてか、いつになく棘を含んだ口調になる彼。
一方の桑原氏は彼を完璧に子供扱いで無礼な物言いに対して咎める素振りもない。
眼だけが笑っていない微笑の仮面を被ったその壮年の男性。
もしかして彼をからかって愉しんでいるのかもしれない。

不快感しか生まない口論も一段落ついたようなので、
私は第二回戦が始まる前に会話へ割って入った。一つ気掛かりな事がある。

「桑原副会長にお尋ねします。
 何故急にオファーの決定権を我々に委ねようと思ったのでしょうか?
 理由をお伺いしたいです。」

私の問に対して桑原氏はそれまで組んでいた腕を解き、
上体を少し前のめりにして私の両目をジッと見つめながら
「あなたが彼の娘だからです。」と答えた。
言葉の意味がよく理解出来ずに戸惑う私と彼に、
桑原氏は先程と変わらない口調で語り始めた。

「あなたのお父さん、八頭君とはザンツブルグのアカデミーで同級だったのですよ。
 あぁ、八頭は旧姓で生前は原君でしたか。彼が婿に行くとは思いませんでしたよ。
 婿養子にいくような男は大体が愛想が良くて従順だというのが相場でしたからね。」

そう言いながら桑原氏はクツクツと笑う。相変わらず目だけは全然笑っていないが。
それよりも意外だったのは桑原氏がお父様と同じアカデミーに所属していた事だ。
まさか桑原氏も科学者だったとは思ってもみなかった。

「歳は若干違えどちょうど同じ時期に入構したので、
 上層部や教授連中からはだいぶ比べられたものです。
 年下のクセに無愛想で無口だがとてつもなく頭の回転が早い男でした。
 正直嫌みな奴でしたよ、八頭君は。」

鼻を鳴らしながら「あなたも負けないくらい嫌みな人ですけど?」とちょっかいを入れる彼。
しかし桑原氏はそんな彼には構わず話を続ける。

「しかし私にしてみたら八頭君という好敵手に巡り会えたお陰で、
 随分と成長をさせてもらえました。
 しかし彼はあと二年在籍していればアカデミーの修了過程を授与出来たというのに
 急に帰国しましたからね。 
 非常に残念でしたが、そのぶんアカデミーでの私の株は上げさせてもらいましたよ。」

桑原氏はそこで目を閉じた。
若かりし日のお父様との思い出を回顧しているのだろうか。
しかし数秒後、目を開いた時には常と変わらない冷徹な瞳をしていた。

「若くして亡くなられたのは本当に惜しい事ですが、
 そんな彼の意志を引き継いだのが貴方だと私は思っています。
 だからこれは八頭君、彼に対する私からの餞(はなむけ)です。
 自分が心血注いだ研究の在り方を是非自分で選んで欲しいのです。」

そして桑原氏はまた腕を組みソファーの背もたれに体を沈め
「それが理由です。」と言い、話を締めた。
テンポ良く話す桑原氏の言葉がまだ頭の中で響き、私は拳を握り締め俯いてしまった。
たった今の話を聞いて私は情けない気持ちでいっぱいになった。
意志を引き継いだなどとんでもない。
私はお父様の研究を自分の怠慢のせいで貶めてしまったのだ。
研究が完成した事に満足してしまい忠告を忘れて勝手に手放した結果、
兵器に利用されてしまった『ケフィア』。
自分の浅はかさを未だに呪わずにはいられない。
私はお父様の意志を引き継いで研究を続けているのではない。
哀れな自分を弁明するためになおも研究に縋っているに過ぎない。

桑原氏の解説について何かしらの返事をするべきなのに、
私が黙り込んでしまったため応接室は静寂に包まれた。
隣に座る彼も私に気遣ってか、神妙な顔つきで俯いている。
すると向かい側に座る桑原氏が軽く咳払いをしてからゆっくりと話し始めた。

「八頭君の意志云々に関しては少々話が大袈裟過ぎました。
 本音を言えば我々としてはどちらでも良いのです。
 双方、それなりのメリットがありますからね。
 ただ学会としてもあなた方の事ばかりに構っていられる程、
 暇を持て余しているわけではありません。」

そこで桑原氏は一旦話を区切り、含み笑いを彼に向ける。
少しムッとした表情の彼は声のトーンを落とし、答えた。

「つまり、ただ単に考えるのが面倒臭いだけでしょ?」

桑原氏は仮面のような微笑をさらに歪め「そういう事です。」と答えた。
それに対して彼は大袈裟な程に深い溜め息を吐き応戦する。

「まぁ、先ほども話したように双方共に返答期間は充分なくらいに頂いています。
 じっくりと考慮をして答えを出してください。
 その前にあなた方は大学受験が控えてましたね。
 あぁ、言い忘れましたが志望校の落選も契約続行の審査の対象になりますのでお忘れなく。」

「ご心配なく!たかが東大を落ちるほど馬鹿じゃありませんので!」

桑原氏に挑発されて彼はだいぶ大きな口を叩いた。
普段は受験に対しての不安をブツブツ呟いているくせに。意外と乗せられ易いタイプのようだ。
そんな彼の性格に感づいたのか、桑原氏は至極満足そうな笑顔を浮かべ
部屋の出口を手で指し示し言った。

「それは頼もしい限りです。では、今回お呼び立てした用件は以上です。
 先程も申しましたが私も暇な立場ではないので、どうぞ今日のところはお帰り下さい。
 また何か用件がありましたらお知らせしましょう。」


お帰り下さい、と言った割に桑原氏は我々をきちんとドアの外まで見送ってくれた。
そこでちょうど彼が御手洗いに行きたいと申し出たので私は先に
一階のエントランスで待つことになったのでそこまで桑原氏も同行する事になった。
背はさほど高くはなく年相応の割腹が見当たらない白髪頭という壮年の男性と
共に歩きながら、私は口を開いた。

「先ほどは私の連れが副会長に失礼な発言を繰り返し大変申し訳ございませんでした。
 彼に成り代わりましてお詫び申し上げます。」

突然の私の謝罪に対して桑原氏は一瞬目を見開いたが、すぐに愉快そうに喉を鳴らして

「あなたにそう言われると、まるで八頭君に謝罪されているようで気分が良いですよ。
 彼は何をしようとも他人に謝罪や感謝を口にすることはありませんでしたからね。」

微笑んだ。

「私が会話に皮肉を混じってしまうのは癖なのですよ。
 よく色々な人から指摘をされますので、もしも不快な思いをさせてしまったならば
 逆にこちらから謝罪しなければなりませんね。」

特に気にした様子もなく軽快に答える桑原氏。
二つの靴音が反響する広大なロビーを歩きながら桑原氏は話を続けた。

「私としてもあまり彼を怒らせないように配慮しなくてはなりませんね。
 優秀な人材は一人でも多く繋ぎ留めておきたいものですから。」

私は驚いて桑原氏の方を向くと、彼は不敵な笑みを浮かべて無言の問い掛けをする私に答えた。

「数ヶ月前の発表会で彼があなたに代わり壇上に立ち、研究発表を行いましたね。
 睡眠薬で意識が朦朧としていたようですが、実に論理的で正確で説得力溢れる発表でしたよ。
 単なる一介の高校生とは思えないほど素晴らしかったです。
 彼は将来、実に有益な科学者になるでしょう。あなたにとっても、我々にとっても。」

これまで長い間共に研究をしてきて一番驚かされた事は、
彼の理解力の早さと実験を合理的に進める能力の高さだった。
数式などに頼らず感覚的に行動する実験が多いが、それらは全て良い結果を導くのだ。
一見偶然とも捉えられなくもないが、彼からしてみれば彼なりの論理を用いた証拠なのだ。
彼自身はあまり自覚してないが私は彼に対して多大な期待を寄せている。
事実、私が高校一年生の時にあれほど短期間で『ケフィア』を
完成させる事が出来たのも彼が助手をしてくれたからだ。

「それにしてもあそこまで私に食ってかかって来た人は久しぶりでしたよ。
 大体の人間は私を疎ましく思って避けるか、聞き流すかのどちらかですからね。」

そう言ってまた鼻を鳴らして笑う。
随分と愉快そうに笑うものだが、相変わらず艶に欠ける瞳は
微動だにしないので本心が掴めない。
しかし桑原氏が言う事も頷ける。
この学会は他国家の名だたる組織にすら干渉する事が出来る程の権力を有すると聞く。
その代表たる彼の一声で契約を打ち切られる研究団体もあるだろう。
私はさほど気にならないが他人にしてみたら
桑原氏の話は決して気分の良いものではあるまい。
しかし敬意を払わなくてはならない、いわば畏怖の存在なのだろう。

「さっきも言いましたけどね、あの感情的な態度を隠すことなく吐き出す姿は
 あなたの伯母さんそっくりだ。私が最も苦手なタイプですよ。」

苦手と言いつつも彼のポーカーフェイスからは友好的な表情しか読み取れない。
ちょうど良く名前が出たので私は兼ねてから気になっていた事を訊ねてみた。

「伯母様は今どこにいるか等の情報はつかめていないのですか?」

あの発表会以来忽然と姿を消した伯母様。
あれからなんの連絡もないまま半年が過ぎている。

「彼女に対してこちらとしても何の情報を得てません。
 そもそも、我々の責務はあなた方の身辺警護であり彼女の捜索は対象外ですよ。」

「そうでしたね。念のため聞いたまでです。失礼しました。」

「いえいえ。それとですね、まだはっきりとは言えませんが、
 近いうちにあなた方の警護は必要なくなりそうです。」

「それはどういう意味です。」

「不確定な情報ですが、ユーロ連合がアメリカ合衆国に対して
 突発性過醗酵エネルギー型兵器の使用禁止条例を提示し、
 それが受理される予定らしいのです。
 つまりこれ以上『ヨーグルト』が戦争に利用される事がなくなり、
 牽いてはあなた方を軍が狙う必要もなくなるという事です。」

私は思わず足を止め桑原氏を見上げた。
表面だけは穏やかな表情の彼からはからかいや冗談の類といったものは汲み取れない。
私は桑原氏が『ヨーグルト』と呼称した事への抗議も忘れ、
己の胸のうちで震える感情に浸っていた。

私達の『ケフィア』がこれ以上、誰かの命を奪う事がなくなる。
喜ぶのはあまりにも不謹慎かもしれない。

私達の心血注いだ研究で奪った尊い命は二度と返る事はない。
だが、私の心に凝り固まった罪悪感が僅かだが氷解していく。
これまで日夜私を苛み続けた
「今この瞬間にも『ケフィア』のせいで誰かが命を失っている」という
罪の意識から解放されるのだ。

本当に不謹慎ではあるが、今だけは束の間の安堵感を噛み締めたい。

「まぁ、これからは可能な限り罪滅ぼしが出来るよう尽力して下さい。
 それとまだ公には発表されていない暫定的な話だということはお忘れなく。」

私は力一杯頷き桑原氏にお礼を述べた。
早くこの事実を彼にも伝えたい。罪悪感を抱えて生きているのは私だけではないのだから。

ロビーを見渡すと丁度良く私達が先ほどいた応接間の方から
彼がこちらに歩いて来るのが見えた。
エントランスで待つ我々を気付くと軽く右手を上げ小走りで駆け寄ってきた。
しかし敷地面積だけは無駄に広大な建物なので彼との距離はまだ数十メートルはある。
運動不足な彼には良い運動になるだろう。

私も彼に応えて軽く手を上げた時、桑原氏が「大学入試についてですが…」と口を開いた。

「もしもご要望があればこちらから東京大学側へ口添えを致しましょうか?
 あなた方ほど優秀ならば心配はないとは思いますが、念のためです。
 いえ、これも当学会と契約を結んだ特権だと解釈して下さい。」

にこやかな表情で不正入学を勧める桑原氏の顔をしばらく見つめ、
私は軽く低頭し「せっかくのお申し出ですが」と断った。

「確かに確実性は増すでしょうし私個人の意見としてはその程度の事に罪悪は感じません。
 むしろ利用出来る可能性は有効活用すべきです。ですが…」

そこで私は一旦、遠くから駆け寄ってくる彼を見た。

「彼に事実が露呈した時の事を考えると流石に受理出来ません。
 真面目な彼の事です。
 知らず知らずに不正を受け入れた自分を許容出来ずに自主退学を望むでしょう。」

桑原氏も私に倣い、彼の方に目をやり「確かに彼は融通が利かなそうだ」と呟いた。

「そうとも言えるでしょう。彼はただ誠実なだけなのです。しかし…」

その後の私の言葉を桑原氏は引き継ぐ。

「しかし誠実は美徳になり得ません。
 自らの実直さを徳と思うような輩に生産性は望めませんから。」

そう言うと桑原氏は鼻を鳴らしてクツクツと笑った。
どこか小馬鹿にしたように感じられる態度だが、今だけはこの人の表情も愉快そうに見える。

更新日8月24日

私が「同意です」と答えると、丁度彼が我々の元に到着した。
大した距離でもないのに肩で息をしているあたり、
だいぶ運動不足なのが分かって嘆かわしい。

彼は笑っている桑原氏を見るなり「何の話をしていたんですか?」と眉間にシワを寄せ尋ねた。
するとわざわざ答える必要もないのに桑原氏は彼に、

「いえ。あなたの馬鹿正直さについて少し彼女のディベートをしていたのですよ。」

と答えた。すると桑原氏の皮肉を真に受けた彼は語気を荒くして、

「あぁそうですか!
 じゃあこっちは口の悪い大人の愚かさについてたっぷりとディベートしながら帰るとします!」

と応酬すると、私の手を取り「帰るよ!」と促した。
桑原氏が彼をわざと挑発する理由も分かる気がする。
こうまで予想通りの反応を示されてはからかい甲斐があるというものだ。
確かに桑原氏の言うとおり誠実は美徳にはなり得ない。
せいぜい偏屈者の手の内で弄ばれるのが関の山だ。

「それではオファー選択の件、何卒よろしくお願いします。大学受験も頑張って下さい。」

なおも愉快そうに声を殺して笑う桑原氏は右手を上げ我々を見送ってくれた。
私は彼から無理矢理手を引かれながらも、お父様の旧友でもある桑原副会長に会釈を返した。
次に会うときにはもう少しゆったりとお父様の話でも聞きたいものだ。
まぁ、桑原氏は望まなそうだが。そして彼も。

スポンサーサイト
23:50  |  「ヨーグルト…。…いいえ、ケフィアです!」  |  CM(21)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

いっけん好々爺さん…ちょっと微妙かも^^;
まだよくわからないですけど…

前回のバトルの結末おもしろかったですw
素子ちゃんが愛想尽かししなかったのが
救いですね~応援ポチ♪
momokazura | 2008年08月13日(水) 01:42 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
桑原さんはめっちゃくちゃ性格が悪いです。
でも、そこが彼のいいところです♪
応援ありがとうございます!
要人(かなめびと) | 2008年08月13日(水) 08:35 | URL | コメント編集

顔面パンチ・・お母さん、怖っ。
誠一君は、Hは水素だと思っていて欲しかっただろうけど、自業自得?(^^;)

リンクさせていただいちゃいました。^^
みい | 2008年08月13日(水) 17:36 | URL | コメント編集

>>みいさん
こちらも早速リンクさせてもらいました。
誠一は自業自得です、完璧に><
要人(かなめびと) | 2008年08月14日(木) 00:38 | URL | コメント編集

久しぶりにやって来ましたっ。
俺も新作始めましたよー。

桑原氏…見た目だけで判断すると痛い目みると忠告してやりたい。
その二人はデキるってことを(性的な意味ではなく)
キイト | 2008年08月14日(木) 06:24 | URL | コメント編集

最萌見ましたか?
嫁はそれなりに運のいい場所でした!
ヴィヴィオたんは少し不遇…
蒼響黎夜 | 2008年08月14日(木) 22:12 | URL | コメント編集

>>キイトさん
うほ!新作ですね!これは楽しみです♪

>>蒼響黎夜さん
うちの嫁達は結構散らばったんですけど、
珠ちゃんとホロがかなり早い段階で当たります。
確実にどっちも優勝候補なんだけどな・・・。
要人(かなめびと) | 2008年08月16日(土) 05:35 | URL | コメント編集

三章のノリに慣れてしまったのか、今までの流れから取り残されてしまったせいなのか…

久しぶりのシリアスシーンに生唾ゴクリものですw
キイト | 2008年08月18日(月) 04:16 | URL | コメント編集

>>キイトさん
それはきっと桑原さんのせいです。
要人(かなめびと) | 2008年08月18日(月) 06:24 | URL | コメント編集

理学部…農学部じゃなかっんだ。
そういえば、ヨーグルトに超音波をあてると醗酵のスピードが通常の百倍になるそうですよ。
四葉dort | 2008年08月18日(月) 09:47 | URL | コメント編集

>>四葉dortさん
実は私もよく分からないのですが多分理学部あたりなのかな?と思いまして。
超音波って確か「もやしもん」で読んだ気がします。
要人(かなめびと) | 2008年08月18日(月) 11:20 | URL | コメント編集

「もやしもん」でもありましたが、大学院に行ってる友達から聞きました。
ケフィアとは違った形の醗酵を用いたエネルギーの研究で超音波を利用しているそうです。
四葉dort | 2008年08月19日(火) 22:36 | URL | コメント編集

陰湿な会話は結構好きですが、
誠一くんは少々役不足だったようですね。
老獪な桑原さんにしてやられたみたいですw

お父さんの旧姓とても良いと思いました^^
応援ポチ♪
momokazura | 2008年08月20日(水) 02:12 | URL | コメント編集

>>四葉dortさん
醗酵を用いたエネルギーの研究!?
本当にそんなのがあったんですか!?
めっちゃ興味深いんで詳しく聞きたいです!!

>>momokazuraさん
お父さんの旧姓は「千年やずや」からそのまま持ってきました。
なのでお姉さんの苗字も自然と八頭という事になります。
要人(かなめびと) | 2008年08月20日(水) 06:12 | URL | コメント編集

友達の話によると、醗酵そのものをエネルギーにするのではなく、醗酵の際に発生するメタンガスを燃料に変えるそうです。
この技術自体は既に実用化されているのですが、より効率的にガスの発生をさせるための実験に超音波を利用しているそうです。ただ、超音波を使うとメタンガスの発生量が激減するという問題があるので、まだまだ実用化には程遠いようです。ケフィアと同じですね。
四葉dort | 2008年08月20日(水) 08:22 | URL | コメント編集

>>四葉dortさん
バイオマスエタノールガスの事ですかね?
でもアレだってスゴイ研究だと思います!
この物語を書くきっかけを作ったのもNHKで見た
バイオエネルギーの話ですし。
なかなか素敵な友人をお持ちでうらやましいです!
要人(かなめびと) | 2008年08月20日(水) 08:37 | URL | コメント編集

ここまで読み終えてしまいました。
続きが楽しみ~!
夢 | 2008年08月21日(木) 13:29 | URL | コメント編集

>>夢さん
最初からここまで、ありがとうございます!!
これからはリアルタイムで更新していきますので
お楽しみに♪
要人(かなめびと) | 2008年08月22日(金) 05:52 | URL | コメント編集

これ以上の被害が出ないだけでもいいニュースですね。
伯母さんの行方が気にかかります。応援ポチ♪
momokazura | 2008年08月23日(土) 00:16 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
伯母さんですか。どこにいったんでしょうね、本当に。
応援ありがとうございます♪
要人(かなめびと) | 2008年08月23日(土) 05:48 | URL | コメント編集

わーいwwじゃ俺お父さんの親戚じゃんww
ってかやずやのcm笑えなくなったwwwどうしてくれるwwwww
八頭身派 | 2008年10月21日(火) 19:24 | URL | コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

このページの上へ

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。