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2008'07.05 (Sat)

「ヨーグルトではなく…そう、ケフィアと呼ぶべきか。」 第八章


【More・・・】

つい先日まで続いていた、こっちまで喉が痛くなりそうな咳がだいぶ治まったが、
娘はまだ完全に風邪が治りきっていなかった。
今のようにくしゃみをしたり鼻水を垂らしたりしている。
私は最近では日常の光景に成り下がった娘のくしゃみをする様子を何も考えず眺めたが、
そこで有り得ない事が起きた。
ちょうど娘がくしゃみをした先にあったシャーレに戻した白い塊、
醗酵作用を抑制されているヨーグルトが、始めはゆっくりと
、しかし時間が経つに連れSF映画のスライムのようにウヨウヨと動き出したのである。
とても常識では考えられない光景に、私達は揃って口を開き茫然としていたが、
実験媒体の動きが止まると同時に旦那は戸棚の中からビーカーを取り出し、娘に差し出した。

「今すぐこの中に出し尽くせるだけの尿を採取してくるように。
 それとお前。電子顕微鏡及び特殊遠心分離器のスイッチを。」

「は、はいっ!」

娘だけではなく私へもすぐさま指示を出す旦那。
素子は運動音痴な身体能力とは思えない速さでトイレに直行した。
私は大慌てで各実験道具の電源を入れ始める。
先ほどの奇怪な様子を見て、全員の考えが瞬時に一致した。
突発性過醗酵エネルギーの核になる醗酵抑制物質。
まだ詳しくはわからないが、ついさっきまで謎に包まれていたそれを分解する作用が、
とうとう解明される糸口を掴んだ。しかも驚く事に恐らく娘が持つ何かに要因があるらしい。
旦那が抑制物質を保持していたかと思えば、その娘が分解する要素を隠し持っていた。
本当にこの二人は世紀の大発見に繋がる
新エネルギー源を追求するために生まれてきたような科学者だ。
そんな二人を家族に持ち、誇らしさよりも先に呆れが湧いてくる。
まったく、笑ってしまうような話だわ。
それでも私は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
あまりに舞い上がってしまっていたのか、
私は一度つけたはずの電子顕微鏡のスイッチをまた押してしまい、
旦那に冷めた突っ込みを頂いてしまった。





「間違い無く醗酵抑制物質は分解され実験媒体は正常に醗酵作用を行ったようだ。」

「こっちも極微量だけど、醗酵抑制物質と同じ方法で分解因子を抽出出来たわよ。」

久方振りに研究所にある実験道具はフル稼働され、
室内は様々なモーター音が不協和音を奏でていた。
忙しくいびつな造形をした実験道具の間を右往左往する私達。
これもいつもと変わらぬ風景だった。
ただ一つ、小さな科学者不在を除けば。



言いつけ通りにビーカー半分の尿を差し出した娘へ、
旦那が出した次の指示は「呼び出しがあるまで此処には入ってこない事」だった。
これには娘だけではなく私まで驚いた。
娘に至っては、強烈な肩透かしを喰らって反論する事すら忘れている。
そんな娘に成り代わり、私が旦那を問い質した。

「ちょっと、何でよ!?素子が一緒にいた方が研究だってすんなり進むじゃない!」

悔しいが、今や素子は私よりもよっぽど研究の事を理解している。
旦那も最近では、私より娘の方を正規の助手として頼りにしているようだ。

「それに!この子だって『ヨーグルト』が解明される日を夢見て、今まで頑張ってきたじゃない!?
 なのに、これからって時に除け者扱いは非道いんじゃないの!?」

いきり立つ私をよそに、旦那は娘から目を逸らさずに、抑揚に欠ける声でもう一度呟くように言った。

「俺が許可するまで研究所への立ち入りを一切禁ずる。良いか?」

随分と長い時間、茫然自失していた娘は、悔しそうな顔をし、下唇を噛み締めながらゆっくり頷いた。
そしてがっくりと肩を落としたまま、トボトボと研究所から出て行った。
ただ、出て行く時に一度だけ大きく鼻をすすったが、
それは単なる風邪なのか、はたまた涙を堪えたのか、後ろ姿では判らなかった。



「ねぇ。なんで素子も一緒に研究を手伝わさせてあげないの?」

あの子に無情な指示を言い渡してから、そろそろ三時間ほど経とうとしている。
その間に私達が打ち出した研究に対する仮説は、あらかた実証されていた。
やはり娘の体内には醗酵抑制物質を分解する因子が隠されていた。
抑制物質も人間の体内から発見出来たのだから、
それを分解する物質も他の誰かの体内にあってもおかしくはない。
なぜその考えに行き当たらなかったのか、
発見された今になってみればそこまで考えが及ばなかった事が、不思議でたまらない。

それはいいとして、私がどうしても納得いかないのは、あの子に対する旦那の態度だ。
この人の事だから、何か深い真意があるとは思う。
普段は無口で何を考えているのか分からない人だけど、
本当は素子の事やお義姉さんの事、もちろん私の事を
大切に思い気にかけてくれていることを私は知っている。
ただ表現が下手くそ、というか表現が乏しいだけで誰よりも人間味溢れ、優しい旦那なのだ。
しかし、それは重々承知なのだが、私にまで何も教えてくれないのは気に入らない。
これ以上、素子の事を無視したまま研究を進めるのは、
同じ助手として母親として少々気が引ける。

旦那に渡すつもりの抑制分解因子が入った試験管を
手元の試験管立てに置き、旦那をジッと見つめる。
私から試験管を受け取るつもりで前に差し出した手を引っ込めて、旦那はポツリと呟いた。

「今後の方向性を確立しておきたかった。」

意味が分からず、旦那や娘の真似をして首を軽く傾げた。
今更方向性も何も無いんじゃないか?

「それだったら、尚更あの子が一緒の方がいいんじゃないの?
 きっと私よりまともな意見を持ってると思うわよ。」

しかし、旦那は私の言葉に構わず続きを述べる。

「このまま研究を続ければ間違い無く『ヨーグルト』は完成するだろう。
 しかしそうなれば我々を取り巻く環境も急激に変化し
 自ずと素子もその中に組み込まれてしまう。
 『当たり前を知れ』と提示した俺が自らその道を絶つような
 要因を産みだすのは如何なものかと思う。」

旦那は更に続ける。

「それに姉貴の事だって無視は出来ない。
 最近は新たな研究費用の融資先も幾つか確保したとかで
 団体もだいぶ持ち直してきていると聞く。
 そこにこの完成間近な研究を発表したらどうなる。
 姉貴はますます団体の重荷に苦しめられるだろう。」

極たまにだが、普段は貝のように固く口を閉ざした旦那が目を見張る程に能弁になるときがある。
研究や科学チックな話をする時かと思いきや、そうではない。
そんな時は決まって私達家族やお義姉さんについて話すのだ。
相変わらず抑揚のない声で呟くように語るのだが、
ちょっと驚きはあるもののその姿が愛しくて仕方ない。
しかし私は、次の旦那の言葉にさらなる驚愕を受けた。

「なぁ。俺はどうしたら良いのだと思う?」

一拍置いた後に私の顔を見つめながら、旦那はそう言った。
眉間にシワを寄せるその表情に苦悩にも不安にも似た感情が見え隠れする。
そんな旦那に見つめられながら、私は音を立てて唾を飲み込んだ。
なにしろ、この人に今のような意見を求められる事自体初めてだった。
天上天下我が道を行く、を地で歩んでるような旦那は、
自分の意志を何よりも重んじ他人の意見など右耳から左耳へと華麗にスルー
する人だと本気で思い込んでいた。
それが今、迷える仔羊が神の教えを賜るべく教会に赴きました、と
言わんばかりの顔で私を見ている。
「どうしたらいい?」と簡単に聞いてくれたが、
もしも旦那が本気で私の意見を尊重し受け入れるというならば、これはなかなかプレッシャーだ。
素子にもそのっ気があるのけど、無愛想だが根が素直な旦那だけに、
すんなりと受け入れそうで怖い。
だってもしも私が「研究を続け完遂するべき」と進言すれば、
もれなく行く末は小姑と『ヨーグルト』団体を相手にして全面戦争だ。
だが、もしも「家族の事を思ってこれ以上の研究は断念すべき」と進言すれば、
資源不足で苦しむ現代の社会情勢を袖にする事になる。
それはそれで後ろめた過ぎる。人類として。
実際『ヨーグルト』には、それだけの可能性があると確信している。
なんだかだんだんと小説や漫画の主人公のように、
私の双肩に世界の命運がかかっているような気がしてきた。

どうやって答えるべきか、冷や汗が出るほど頭を悩ませていたが、
ふと手元を見て急に気が抜けてしまった。
人に自分の道標を委ねておきながら、この人ときたら体だけは本音を隠せないらしい
。さっき私が旦那に渡さずにテーブルに置いた抑制分解因子が入った試験管を、
いつの間にか自分の手元に引き寄せていた。
たぶん無意識で手を伸ばしたのだろう。
この人の中で答えなんか初めから出ているのだ。
理性や建て前はどうあれ、旦那はこの研究を完遂したいのだ。
まったく、散々人を悩ませて迷惑この上ない話だが、
得てして人間はそういうものなのかも知れない。
他人に相談を持ちかけるうちは、自分の中で半分答えを持っているのだ。
それでも人に相談したいのはもう半分を確認したいため。

最初はこらえていたものの、私は遂に耐えきれなくなり声を出して笑ってしまった。
無愛想で無感動で無表情で、人間味が薄く
ロボットみたく何を考えているか、さっぱり分からないうちの旦那様。
でもそのくせ、たまに口を開いたと思えば抑揚のない声で
他人を気遣う思いやりに溢れた言葉ばかり。
どうせなら、そんな事は全然口に出さないか、いつも能弁に語るか、どっちかにして欲しい。
色々と言ってしまいたい文句は尽きないが、その前に質問くらいには答えておこう。
私は目尻に溜まった涙を拭きながら、
いつもより大きめの角度で傾けた首に両腕を回し、力一杯抱き締めた。

「結局あちらを立てればこちらが立たずなら、あなたがしたいようにすればいいのよ。
 素子だって、お義姉さんだって大丈夫。あなたがこんなに悩んでるんだもの。
 いつかちゃんと理解してくれるわ。それに…」

私は大きく息を吸い込んで、次の言葉を口にする。

「私は研究に没頭しているお兄ちゃんが大好きだもん。昔からね…。」

久しぶりに昔の呼び方で旦那を呼んでみると、
その言葉と一緒に積年の思いがスライドショーのように蘇る。
ランドセルより大きな本を抱えながら私の一歩前を歩くお兄ちゃん。
いつも周りに女の子がいたため、遠巻きで眺めるしかなかったお兄ちゃん。
数年振りの再開なのに、まるで昨日会ったかのように話し掛けてくれたお兄ちゃん。
産まれたばかりの素子を、一時間もジッと見つめていたお兄ちゃん。
私が辛いときは何も言わなくても側にいてくれたお兄ちゃん。
氷のような眼差しだけど誰よりも温かい心を持っているお兄ちゃん。
彼がいつも側にいてくれたから、今私はこうやって笑っていられる。
素子と一緒に掛け替えのない日々を過ごす事が出来る。
だから私は彼の選んだことならば二つ返事で了承し、喜んでついて行こう。
例えそれが間違いであろうと、誰かと諍いが起きるような事でも、
それが彼と居れた証明になるならば、私は後悔しない。
こんな私を心から愛してくれた彼への恩返しになるならば。
それが私なりの彼への愛の証しだ。

私の言葉を言い終わると同時に、旦那は最近弛み始めてきた私の体を抱き締め返し、
小さく「了解した」と呟いた。
これからは以前よりももっと研究が忙しくなるだろう。
たぶん朝から晩まで実験の繰り返し。よもや徹夜まで付き合わされるかもしれない。
素子だって学校の時間以外は研究に駆り出されるだろうが、それはそれで喜びそうだ。
きっとこれからは想像するだけでも目眩がしそうなほど、目まぐるしい日々が待っている。
時間の流れなんてあっという間に過ぎてしまうんだろうが、
せめて…いいや、だからこそ今だけはゆっくりと流れる時間を感じさせて欲しい。
ぬくもりが包み込む旦那の胸の中にいる、今だけは…。



「素子~。まだ起きてる?」

部屋のドアをノックすると、娘の短い返事が聞こえたので、
私は遠慮がちに部屋の中をのぞき込んだ。
余計な物は一切置かれてない娘の寝室。
ベッドの脇にあるテーブルの上にはいつもこの子と旦那が回し読みをしている分厚い本が、
潔癖症らしくきれいに並べられている。
この点だけは父親方の遺伝子を受け継いでいないらしい。
至る所に本を投げっ放しにする旦那とは大違いだ。
しかし、本当に飾りっ気が全くない部屋だ。
年頃の女の子だったら、ぬいぐるみやアイドルのポスターの
一つや二つ貼られていてもおかしくはない。
ついつい不躾に何もないはずの部屋をあちこち見回していたら、
ベッドの上にちょこんと座り本を読んでいた娘から「何か御用でも?」と示唆された。

「あ、あぁ!ゴメンゴメン。明日からパパとママ、早速アメリカに旅立っちゃうから
 家の事で教えとかなきゃいけない事があるから。」

私は慌てて手を振りながら要件だけ簡潔に伝えた。
まぁ、要件といっても今週だけゴミの日が水曜日から木曜日に変更になるだけなのだが。
だけど、それだけを伝えるには何故か呆気なさ過ぎて、
私はベッドを指差し「隣、座っていい?」と聞くと、娘は鼻を啜りながら軽く頷いた。
許しを得たので、私はお風呂上がりで髪を下ろした娘の隣に座る。
いつもツインテールに結んでいる髪はちょっとした結い跡を残しているが
、髪を下ろした姿はまさに清楚な女学生といった出で立ちだ。
私は一度立ち上がり、テーブルの上にある櫛を持って再びベッドに戻った。

「髪をとかしてあげるから後ろ向いて。」

娘はしばらく私を凝視していたが、すぐに何も言わず私に背中を向けた。
うなじに少しかかるくらいの短めのストレート。
その淡い栗色の髪に、最初は毛先の方から丁寧に、次いで根元の方からゆっくりととかしていく。
静かな部屋の中に響くのは、髪をとかす、スッスッという音と本のページをめくる音だけ。
たまにはこんな親子のふれあいも大切だろう。
なんせ私と旦那はしばらくアメリカに行かなければいけない。
わずか5日間という間だが娘と離れることになる。



今から二時間前、私に意見を求め聞き入れた旦那は、すぐに研究所に娘を呼び寄せた。
そして素子の体内から抑制分解因子が発見された事や、
それに伴う今後の実験の段取りや実証すべき仮説、
さらに今まで娘に話すことのなかったお義姉さんとのことも、
旦那は包み隠さずに全て打ち明けた。
旦那が離す間、娘は何も口を挟まず黙って聞いていた。
そして今後の対策として旦那はある提案を持ち掛ける。

「アメリカのシカゴ原子力発電所開発室に俺の学生時代に共に学んだ知人がいる。
 今後は新エネルギー『ケフィア』の実用性に向けた開発を
 進めるに当たり協力してくれるはずだ。その要請を得に行きたいと思う。」

『ヨーグルトではなく…、そう…ケフィアと呼ぶべきか。』

さっき旦那が私に言った台詞だ。
旦那がよく研究で好んで用いる実験媒体でもあり、
『ヨーグルト』を研究する科学者達の中では未知の可能性の比喩表現として使われる言葉。
旦那はこの研究を解明すると同時に一般的利用、つまり日常生活に
直接エネルギーとして利用出来る足掛かりも確立していきたいらしい。
少々勇み足な気もしなくはないが、旦那の頭脳の中で
緻密な計算の上はじき出された結論だ。不可能ではないだろう。

「そこで早急な話ではあるが俺と母上は早速明日アメリカに飛ぶ。お前には留守を任されたい。」

本当に急すぎる話だが仕方がない。
ギアがトップに入った旦那を止める術を私は知らない。
それに、別にアメリカには旦那一人で行くか、素子も一緒に連れて行けばいいのに、
と提案したところ却下された。
理由としては二つ。一人では身の回りを整理するのが面倒だということ、
素子が特別な用もなく学校を休むのは好ましくないということ。
色々と突っ込みたいポイントはあるが、さっきも述べたように
走り出した旦那を止めるには至難の業だ。
幸い旦那と違い、素子は意外にも家事全般を得意とするので
一人でも5日程度なら大丈夫だろう。風邪も完治していない事だし。

素子は旦那の話が全て終わった事を確認し、大きく一度頷くと「了解しました。」と呟いた。
普段通りの覇気に欠ける言い方だったが、この子なりにも静かに加速し出したらしい。
何故ならば、旦那譲りの力強く輝く瞳が眩い程に光を放っていたから。
そんな娘の様子に満足したのか、旦那も大きく頷き娘に追加注文を加える。

「今後は多忙を余儀無くされる生活が予想されオレも研究以外の事に忙殺されるだろう。
 そこでお前には『ヨーグルト』…、いや『ケフィア』の開発の第一線に立ち尽力してもらいたい。
 手始めに『醗酵抑制物質』『抑制分解因子』この二つの無限増殖の開発を最優先に進めること。
 良いか?」

これまでは研究の手伝いはさせていたものの、旦那が直接娘に指示を与えることはなかった。
だが、旦那はこれまで自分が着手していた研究を娘に引き継いだのである。
つまり素子の事を『ケフィア』の研究員として正規に認めたのだ。
旦那の中でもある意味何かが吹っ切れたのだろう。
しかし、これまで最も側近で助手を差し置いて娘を首席に迎えるとは…。
悔しい気もするが、研究の理解度や貢献度でいえば当然の結果なので仕方ないだろう。
これからは、どうやら旦那だけではなく素子のサポートもしなくてはいけないみたいだ。
主婦としても忙しくなるぞ、こりゃ。

娘からの返事がなかなか出てこないので、ふと前を見ると素子は何故か
遠慮がちに私を上目遣いで見上げていた。
その様子から察するにどうやら私に気兼ねしているらしい。
思わず私の思考を読んだのかと勘ぐってしまったが、娘なりの気遣いだろう。
私はそんな娘が可笑しくて、同時に愛おしくなり抱き締めたい衝動に駆られたが、
そこは一先ず抑えてかわりに軽くウィンクを飛ばした。す
ると娘は急に顔色を明るくし、ハッキリと「承知しました。」と答えた。

こうして私達は研究に対する新たな体制を確認し、明日の出発に向け準備に取り掛かった。
娘も早速研究を再開しようとしたが、まだ風邪が完治してないという理由で
泣く泣く部屋に戻される様子を見て、呆れながらもつい顔が綻んだ。
私達の小さな科学者のバイタリティは、どうやら底無しなようだ。



娘の部屋で仲良くベッドに座りながら髪をとかし、
この姿の娘を見ているといつも思ってしまう事がある。

中学生にもなってツインテールは幼すぎやしないか?
今時の中学生は少し大人びた髪型が流行っているらしいが、
娘はそういうのには関心がないのだろうか?
部屋に二人っきりなのに無言のままというのも気まずいので、話のネタにという事で尋ねてみた。

「素子さ、ツインテールの他にもっと違う髪型とかしてみたいとか、思わない?」

「興味がありません。」

鼻を啜ると同時に本のページを捲りながら、娘はそう答えた。

「でもさ、同じクラスの女子とかどういう髪型してるの?真似してみれば?」

「他人の外見上の特徴などさほど重視すべきではないと思います。
 故にそれらを模倣する道理も必要性が感じられません。」

相変わらず身も蓋もない回答ですこと。
ならば何故にわざわざツインテールにしていくのだろうか?

「だったら別に普通に下ろしっ放しの髪型でもいいんじゃない?
 そっちの方が朝とかいちいち束ねなくていいから楽でしょ?」

私は他意無く髪をすきながらそう言ったが、ページを捲ろうとした娘の指がピクリと止まった。
その動きにつられて、私も思わず手を止めてしまった。
すると娘は少し間を置きながらか細い声で答える。

「…お母様が以前この髪型が可愛いから常に二つ結びにするようおっしゃられたので…。」

言い終わると同時に娘の指も動き始める。
私は驚きのあまりに目を丸くして固まってしまった。
確かに以前、私は娘に「二つ結びにした素子は可愛いねぇ。いつもこの髪型にしようか。」と
言ったことがある。
しかし私の記憶が正しければ、それはこの子が二歳の頃だったはずだ。
他人の意見には実直に従事する我が娘。まさかこんな事まで覚えていただなんて。
私なんて昨日の夕飯すら答えられるか微妙なのに。
三つ子の魂百までも、とは言ったものだが流石にいつまでもこの髪型というのは可哀想だ。
ここらで命令を書き換えておく必要がある。

「素子。あなたもそろそろ年頃なんだからオシャレにも気を使わなきゃ駄目よ。
 自分の好きな髪型にしなさい。」

少し小首を傾げた後、娘は「承知しました。」と呟いた。
オシャレなんて他人から押し付けられるものじゃなくて、自分の好む格好をするのが一番だ。
そういう事を自分で発見する喜びも、女の子の幸せの一つであろう。
そんな事を思いながら自分の手元を見ると、いつの間にか淡い栗色の娘の髪は、
絹のようにサラサラになっていた。
もともとクセがなく芯の細い髪質なので、一度櫛を通せば十分なのだ。
しかし、私は分かっていながらも、また櫛をせっせと動かす。
出来ればもう少し、娘とコミュニケーションを図っても罰は当たらないはずだ。

「ねぇ、素子はさ。クラスに好きな男子とかいないの?」

NEW!更新日7月12日

無口な娘相手に会話の糸口を見つけようと、アレコレ思案した結果、
私の口から出たのはそんな言葉だった。
言った直後に小首を傾げる娘の後ろ姿を間近で見て、
失敗したぁ、と思ってしまったが仕方ないと思う。
私が素子と共通する話題なんて本当にない。
旦那のように物理だの哲学だの専門的な会話が出来ればいいのだが、
あいにく私は商業高校出身の単なる主婦だ。今となっては後悔してしまう。
もっと小さい頃から普通の会話を教え込んでおけば良かった。
まぁ、どっちみち無駄な努力だと思うが。
案の定、興味なさげに「特定の個人に対して特別な感情を抱いたことはありません。」と答えた。
再び部屋の中を沈黙が支配する。
何というか、別に一言「いない」で済むような話だったと思うんですけど。
昔からそうだったのだが、この子の喋り口調は理屈っぽいというか堅苦しくてイヤだ。
たぶん旦那の話し方をそのまま真似てしまったのが原因だと思うが、
これは旦那が男だから許せる気がする。
実際私が男だったらこんな理屈臭い喋り方をする女性とは、
お知り合いになりたいとは思わない。
そもそも恋人以前に友達が出来る可能性すら怪しいのではないか?
…以前、旦那が素子に持ち掛けた賭け、負ける気がする。
もしもこの子が、このまま大人になったらどうなるんだろう?
親としては一抹ならぬ不安を拭いきれない。

「素子…。あなた、将来はどういう大人になりたいの?」

希望的観測で聞いてみた訳ではない。
むしろ一般人の私的に娘の今後を憂いての質問だ。
どうせ「立派な科学者」とか「生涯研究人生」とか言うつもりだろうか。
しかし、娘は一向に答えようとしない。
それに首を少し前に傾け、どうやら俯いているようだ。
そんなに理解不能な質問をしたつもりはない。一体どうしたというのだ?
何か娘の気に障った事でも言ったのかと訝しみ、声を掛けようとしたその時、
娘の口から耳をすまさなければ聞こえないほど小さな声が漏れた。

「…私は将来、お母様のような女性になりたいです。」

一瞬、聞き間違えたと思い、つい「え?」と聞き返してしまった。
すると娘は本のページを一気に2、3頁手早く捲りながら今さっきの発言の補足をする。

「将来いつか結婚し家庭を設けた時に家族全員の身体状況
 及びメンタル面のサポートを抜かりなくこなせるような女性になりたいです。」

自分の両手が震えているのがわかった。
あまりに大きすぎて捕らえられない程の感情が、全身を駆け巡っている。
歓喜だった。その感情が歓喜だと気付くまで数秒かかってしまった。
それくらい驚愕で、それくらい意外な言葉だった。
親として、母として、こんなに嬉しいことはない。
どこの家庭の親だって子供の憧れが自分であって欲しいという願望を持っているだろう。
もちろん私だってそうだ。
だけど、常日頃の娘の態度を見ている限りでは、
どう考えても旦那の後ろ姿を追っているようにしか見えなかった。
悔しくなかったと言えば嘘になる。
しかし、今私の目の前にいる娘の口から引き出された言葉は、
この子が産まれてから今日までの苦労を消し去る程の効力が秘められていた。
いや、それ以上のものを貰った。
私の心の中で何かがポロポロと解れていく感触を覚えた。
それはとても温かくて優しい何か…。

未だに俯いたままの娘は微動だにせず、後ろの私を背中越しに気配で探っている。
きっと本人も照れているのだろう。
私はそんな娘の背中に遠慮なく抱きついた。
そして華奢な体を力一杯抱き締めた。
娘の真似のつもりではないが、じゅるじゅる鼻を啜りながら、娘の耳元で囁く。

「アメリカから帰ってきたら、たくさん料理の作り方教えるからね。」

ゆっくりと深く頷く娘。
まだ幼さ残るうなじには、私の涙や鼻水がベットリとくっついてしまったが、今は気にしないでおこう。
なんせこんなに嬉しい事は当分は続くであろう忙しい日々の中で、そう無さそうだから。
私はこの子の親になれた事を誇りに思う。
そしてこの子が産まれてきてくれた事に本当に感謝をしている。
今日の事をいつか旦那に自慢してやろう。
あの人は作為的にか無作為にか、時々私に対して意地悪をするからな。
そのお返しだ。きっとさぞ悔しがるはずだ。
あの鉄面皮がどんな表情に変わることやら。
その時は娘と一緒に慰めてやるか。
きっと効果が二倍になるに違いあるまい。
…そんないつか来る日の、我が家なりの一家団欒の日が来るのが待ち遠しい。


でも、そんな私のささやかな願いが叶うことはなかった。


2038年9月17日。成田発アメリカ合衆国シカゴ空港行きボーイング267号機。
機体の整備不良が原因によりロッキード山脈地帯に不時着。死者57名。負傷者120人。
2038年9月20日。日本人乗客19人、全員の死亡確認。

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06:51  |  「ヨーグルト…。…いいえ、ケフィアです!」  |  CM(19)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

え~どうして?ってところで終ってたので、
続きが気になります…
素子ちゃんかわいいです^^
旦那さんもかっこいいです。応援ポチ♪
momokazura | 2008年07月06日(日) 00:37 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
最近はなかなか書き溜め出来ないので中途半端な
ところまでしか更新出来ないのです。
頑張っていっぱい書きますね!!そろそろ架橋ですし!!
応援ありがとうございます♪
要人(かなめびと) | 2008年07月06日(日) 08:43 | URL | コメント編集

お久しぶりです。
ちょっと諸事情で全然アクセスできず、自分の小説も放置してました。

いや~素子と旦那に萌……いや、なんでもありません。
今回の作品は前作に比べて結構コミカルですね~よく吹き出します(マテ

ではまたノシ
キイト | 2008年07月06日(日) 13:34 | URL | コメント編集

>>キイトさん
お帰りなさいませ♪
今回は素子ママの視点で描いているのでそうなります。
結構抜けている人だったので。
小説の続き、楽しみにしてますね☆
要人(かなめびと) | 2008年07月07日(月) 06:42 | URL | コメント編集

物語もいよいよ佳境に入ってきましたね!
科学に対する真理への探求心も大切ですが、人の幸せというもう一つの真理の探求を考えさせられる小説です。
続きを楽しみにしつつ、共々に真理の探求に邁進していきましょう!
四葉 | 2008年07月07日(月) 15:22 | URL | コメント編集

>>四葉さん
そうです!そういう感じのことを言いたいのです!!
お互い物理の世界に酔いしれましょう♪
要人(かなめびと) | 2008年07月08日(火) 06:11 | URL | コメント編集

おにぃーちゃぁーんあーいーしーてーるー

良いですね
素子たんもお兄ちゃんもねらー主婦も良いですね
何よりも作者良いですね

科学者っていう響きに何故かドキッとします
八頭身派 | 2008年07月08日(火) 23:51 | URL | コメント編集

>>八頭身派さん
これで八頭身派さんも科学者萌えの仲間入りですね♪
要人(かなめびと) | 2008年07月09日(水) 06:29 | URL | コメント編集

ヨーグルトの可能性……
いやケフィアの可能性! 食べたことないんだよなぁ

支援しまっす
蒼響黎夜 | 2008年07月09日(水) 13:01 | URL | コメント編集

>>蒼響黎夜さん
支援あざっす!!
実際私もケフィア食べたことないんですよ><
要人(かなめびと) | 2008年07月09日(水) 14:02 | URL | コメント編集

何年か前カスピ海ヨーグルトが流行った時、
友人に種菌を分けてもらって作ってました。
食べるのが追いつかなくなって、最終的には
腐りましたけど^^;
スーパーでもカスピ海ヨーグルトをみかけましたが、
種菌にはできないとの表示が!
いけない私は実験して普通に食いました笑

娘の髪をとかす母親の姿には愛情を感じます。
ほのぼのあったかい…応援ポチ♪
momokazura | 2008年07月09日(水) 23:59 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
カスピ海ヨーグルトすら食ったことない。
というか、実は私ヨーグルトそんなに好きじゃないのです。
飲むヨーグルトは好きなんですけどね。
ブルガリアとかはもう食べ飽きて嫌なのです。
醗酵乳製品だとチーズは好きです。
応援ありがとうございます。
要人(かなめびと) | 2008年07月10日(木) 08:22 | URL | コメント編集

2000越えおめでとうございます!!!
異常に早いですね~
でもまあ、こんなに面白い小説なのですから、
不思議はありません。
これからもお体に気をつけてがんばってください。
応援してます^^

素子ちゃん、健気でいい子ですね。
私も実は飲むヨーグルトの方が好きです。
連続コメ、失礼しました。
momokazura | 2008年07月12日(土) 01:38 | URL | コメント編集

どうもありがとうございます!!
なんか最近調子がいいみたいで><

連続コメ、全然構いませんよ♪
うちは一つの記事で何度も更新をしているので
コメント欄は掲示板の一種と考えてます。
ですからこの場を利用していつでも語らいましょうよ♪
要人(かなめびと) | 2008年07月13日(日) 18:51 | URL | コメント編集

●久々にコメント失礼

お…お母さん!!涙><
素子との約束叶わなかったんかぁ…

いや本当に要人さんは人を惹き付ける文を書きますね!!尊敬してます!!
毎日見に来てるんで、これからも頑張って更新してください☆
もと | 2008年07月14日(月) 01:43 | URL | コメント編集

>>もとさん
そう言って頂けると本当にありがたいです。
小説書いていて良かった!って心から思えます。
これからも宜しくお願いしますね♪
要人(かなめびと) | 2008年07月14日(月) 06:31 | URL | コメント編集

素子ちゃん、イイ子ですね!
お母さんは幸せですね~。 我が娘達はどう思っているのか不安を感じました(涙)
前章の海のシーンは凄く笑えました! 
夢 | 2008年08月16日(土) 10:54 | URL | コメント編集

>>夢さん
今回の第三部は「素子が如何に人間味溢れる女の子か」がテーマなのです。
ロボットっぽい言動が目立ちますが、実は良い子っていうのを書いてみたかったんです。
要人(かなめびと) | 2008年08月16日(土) 23:16 | URL | コメント編集

●一度講座をご体験下さい。bunbun

なぞとき工房 解明企画 です。
 
【内容】日本人の課題と生きる意味を探る楽しい真理探究室 太陽、日の丸の日本民族がまず真っ先に知っておくべき最重要課題
【一言】昔話は近代日本の宿命を幼い心に刻む為に与えた予言。ユダヤの神殿理想が日本で実を結ぶ歴史の仕組みを探求します
bunbun | 2009年06月18日(木) 11:45 | URL | コメント編集

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