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2008'06.30 (Mon)

「ヨーグルトではなく…そう、ケフィアと呼ぶべきか。」 第七章


【More・・・】

今回で学んだ事。

人は如何に優秀な頭脳を持ち合わせても身体能力が覚束無いと意味を為さないという事。
自分の娘が予想以上に虚弱体質だという事。
本気で溺れる人は足掻かないという事。


ホテルで着替えを終えた私達は、フライパンで炒ったような熱い砂の上を
木陰から木陰へ避けるように小躍りしながらビーチに着いた。
辺りを見渡すと、日光浴を楽しむ老夫婦に海で戯れるカップル、
それに砂遊びに夢中になっている家族連れ。
一人日陰にあるビニール製の長椅子に寝そべり、
本を読んでいる青瓢箪がいるが…まぁ、ほっとこう。
人はそんなに多くもなければ少なくもない。いつもと変わらない南国のビーチだ。

次に海の方に目をやる。
波は高くもなければ低くもない。
サーフィンやボディーボードは波が低すぎると逆に安定感を失うので、
今日は波乗りをするに持って来いの日だった。
私は最後に隣でボディーボードを持つ娘に目を向ける。
チャームポイントのツインテールを一つ結びのポニーテールに束ね無表情に立ち尽くす素子。
小柄な体格に合わせて子供用のボードをレンタルしたのだが、
生来の骨細で華奢な体ではボディーボードを持つというよりも、
しがみついていると言った方が当てはまっているみたいだ。
年頃になり多少は体に凹凸が目立ってきたものの、
明らかに運動が出来そうには見えない。
まず体に筋肉というものが見当たらない。
これで本当に泳げるのかと心配になってきたが、頭の出来は良いはずなので、
コツさえ掴んでしまえば結構いけるはず。
それに誰でも最初から体がムキムキなはずがない。
ある程度の習練があって初めて身に付くものだ
。素子にとって、今日がはじめの一歩なのである。

そう自分に言い聞かせて、私は娘の肩に両手を置く。

「よし、素子。まずは準備運動からしようか?」

太陽の光が燦々と降り注ぐ中、目が痛くなるほど白く輝く肌を持つ娘は、
相変わらずの無表情のまま小さく頷いた。

本当に運動が出来ない人ってこういうものなのかと、
肩で息をする娘を私は呆然とした眼差しで見ていた。
手始めに凝り固まった体を解してやろうとストレッチを施したが、体が固まりすぎて伸びない。
立位体前屈はお辞儀程度しか曲がらない。
後ろに上体を反らさせたら、そのまま後方に倒れた。
その場でジャンプをさせても10センチも浮かない。
そのまま連続で飛ばせたら、7回くらいで息をついた。
…まさかここまで酷いとは。
確かに学習教科の成績が悪ければ親に連絡、もしくは呼び出しをくらう事があるけど、
体育の成績が悪くて呼び出しをくらう事はまずない。
どうりで今まで気付かないはずだ。
たぶん学校の成績はぶっちぎりでトップだろうが、体力測定ではぶっちぎりでビリだろう。
私は本気で心配になってきたが、ここまできて引き下げる事は出来ない。
わざと満面の笑みを作り「よし!次は海に入ってみようか!」と、娘の手を引き海の方へ導いた。
その手に引っ張られながら、娘は息を弾ませ「はいぃ」と呟いた。
もしかして準備運動で体力が尽きたか?

海の中に入ると、炎天下に晒された体の火照りを海水が波と一緒に攫っていった。
ひんやりとして気持ちいい。出来る事なら今すぐにでも波と戯れたいところだが、そうはいかない。
今日は私が楽しむのではなく、娘に楽しみを教えるのが最優先課題だ。

「よし。じゃあボディーボードを楽しむ為の第一歩。このボードに腹這いになって泳いでみよう。」

私は娘の目の前に浮かぶボディーボードを指差しながら言った。
とにかくコレに乗れない事には何一つ始まらない。
まぁ、いきなり波に向かって泳いでいけと無茶を言っている訳ではない。
幸い今立っている場所は、潮の巡りが良いためか波が穏やかで凪に近いくらいだ。
ボードに腹這いになるくらいだったらバランスを崩す事はないだろう。
娘は私の言葉に小さく頷くと、海に浮かぶシンプルなデザインをした平たい板をジッと睨んだ。
そしておもむろに自分の体へ引き寄せお腹の下にボードを滑り込ませようとして、コケた。
器用な事に鉄棒の前回りのように一回転して海に沈む直前、
娘の向かい側にいた私の脳天に、素子のかかとが落ちてきた。
水しぶきを上げて海に沈んだ娘から一拍置いて、
娘からの強烈な一撃を喰らった私はカエルを踏み潰したような呻き声を上げて、
前のめりに海の中へ沈んでいった。マジで痛い。

しばらく正気を失って水中を漂っていたが、我に返り慌てて水面に顔を出した。
激痛が走る頭を押さえながら辺り見回すと、素子の姿が見えない。
もしや溺れたのかと思い、慌てて大声で娘の名前を呼んだ。
すると後ろから微かな返事が聞こえたので反射的に振り返ると
、前髪を額に貼り付けて青白い顔をした娘が、水面にゆっくりと現れた
。どうやら無事だったようでホッと胸をなで下ろしたが
…怖いよ、あんた。普通に出てきてよ。

気を取り直して、今度は私がボードを支えてもう一度チャレンジをする事にした。
しばらくボードを見つめていた娘は決意を固めたように頷き、ボードに手をかけた。
そしてさっきのようにお腹の下へ板を入れようとしたその時、今度は手を滑らせた。
ボードを挟んで向かい側で支えていた私は、瞬時に危険を察知し身を翻そうとしたが、遅かった。
前傾姿勢で転ぶ娘の頭が私の鼻にクリーンヒット。
私達はもう一度、仲良く鮮やかな水しぶきを跳ね上げた。
鼻の激痛に耐えつつ、どうにか水面に顔を出しふと視線に気付きビーチの方を見ると、
木陰で本を読んでいた旦那がこっちを見ていた。
遠目でよく見えないが、たぶんあいつ笑ってやがる!

それから私は被害が及ばないように、少し離れた位置で
何度もボードの上から転げ落ちる娘を指導した。
ボディーボードに腹這いになり、手で水掻きをして沖まで泳いでいく。
その段階まで行って、やっと波乗りが始まるのである。
つまりボードに乗り泳いでいく行為は、スキーでいえばリフトに乗っているようなものだ。
しかし今、娘がやっていることはボディーボードの基本の基本の基本の…(以下略)。
もはや呆れを通り越して溜め息が出てくる。
今日中にボードの上に立てれば、と思ったがどうやら夢物語だったようだ。
それでも何度失敗しても一心不乱にボードに挑みかかる娘を見て、私はもう一度溜め息をついた。
失望の溜め息ではなく、感嘆の溜め息である。
決して諦める事無く成功するまで追究しやり遂げる、
科学者として当たり前であり一番重要な事を、娘は自然に身につけている。
ちょっと離れたところで、地元のサーフィン少年達が
あからさまにこちらを指差して笑い物にしているが、あまり気にしない。
その姿を見れるだけで、母としては充分満足だ。

さざ波を耳に受けながらそんな事をぼんやり考えていたが、目の前の光景に急に思考を奪われた。
何度目かのチャレンジを経て、娘がようやくボディーボードに乗れたのである。
きっと私も同じ顔をしているのだろう。
ボードの上で腹這いになりながら、娘は大きく眼を見開いていた。
その輝く瞳には、驚愕と歓喜の両方が色濃く映し出されていた。

「素子スゴいじゃない!じゃあ次はそのまま手で漕いで行ってごらん!」

喜びのあまりスタンディングオーベーションでブラボーな私を見つめ、
娘は力強く頷きゆっくりと手を水中に入れ、前後に掻き始めた。
少しずつだけど確実に前進していく娘の姿に、
確かな成長を実感して思わず感涙に咽びきそうになった。
いや、実際には海水ではなくて別の塩水が頬を濡らしていたんじゃないか?

微妙に目の前が霞んでいたのかも知れない。
だから、それに気付くまで僅かなタイムラグがあった。
赤ちゃんがハイハイをするようなスピードでじわりじわりと沖の方に進んでいく娘。
その一生懸命に水を掻いていた手が、ピタッと動きを止めた。
突然の停止に最初は訝しんだが、娘が行く先を見て息を飲んだ。
さっきまで全くなかった波が、潮の流れが変化したためか急に高くなかったのである。
そしてその初期衝動の高さ一メートルはある波が、娘の前方から差し迫って来ていた。
私は慌てて何かを叫びながら娘に駆け寄ろうとしたが、
手足に纏わりつく海水が邪魔で上手く前に進めない。
煩わしい水の抵抗に焦りつつも私はもう一度、
娘の名前を大きな声で叫んだが、それが仇になった。
私の声に気付きそのままの体勢で振り向いたからか、
娘はバランスを崩しボディーボードからやむなく転落した。
そしてそんな運動音痴の娘に追い討ちをかけるように、高波が覆い被さった。
私は恐怖で心臓が凍り付く感触を覚えながら、夢中で海中に飛び込んだ。
そんなに深い場所で練習をしていたわけではない。水深はいいとこ一メートルくらいだった
しかしいつの間にか潮が満ちてきて深さが増している。
それでも充分足は届く。安心と言えばそうだがいざ海中に潜ると、
浅いため波が通過した後は砂が舞って視界が悪い。
正直、にっちもさっちもいかなかった。
諦めて海面に顔を出し、急いで辺りを見回したが、娘の姿は何処にもない。
焦りがピークに達し、私は何度も娘の名前を連呼した。
近くで遊んでいた現地の少年達や旅行でやって来た家族連れも、
私の様子をただ事ではないと感じとったのか、徐々に集まってきた。
その中の日本人らしき男性から声を掛けられようとしたその時、
5メートル程離れた海面に、娘がひょっこり顔を出した。
泣き叫ぶに近い声で娘の名前を呼んだ私を見て、周りに集まった人達は安堵の表情をこぼした。


私もホッと胸をなで下ろし、怖かったのか青白い顔をしている娘に歩み寄ろうとして
右足を一歩前に出したが、その右足が地面があるはずの位置より随分と下がった。
あれ?と思って左足を踏み出すと、さらに下る。
一歩進む度に私の体は水中に浸かっていく。まるで階段を下っているようだ。
潮の流れが複雑な海水浴場では、一歩隣に行っただけで30センチ深くなるところもある。
海底だけを見てみると、複雑に入り組んだ迷路のようになっている箇所がある。
それはいいとして、娘まであと2メートルという距離になり、
近付くに連れ私は自分の顔が青ざめていくのがわかった。
私の体は一歩づつ進む度に水に浸かる深度が増し、
もはや爪先立ちでなければ立っていられない。
先天的な小柄なため身長が153センチしか無い私がアップアップなのだ。
だから、さらに小さい娘は今地面に足が届いていないはず。
あともうちょっとで手が届く距離まで近付いた時、
娘の周りで小さく揺れていた水面がぴたりと止むと同時に、素子は眼を閉じ水中に沈んでいった。
まるでさっき海の中から上がってきたのを逆回転フィルムで見せられているかのようにゆっくりと。
人並み以下の体力しかない娘にとって、
長時間の慣れない運動はかなりキツかったのかもしれない。
きっと溺れないように必死で立ち泳ぎをしていたのだろう。
精根尽きた娘は抗うでもなく、気絶するように溺れていった。
我を忘れて娘に歩み寄ろうとして、地面を踏むはずだった私の右足はとうとう空を踏んだ。
海底のさらに深みに足を踏み入れてしまったようである。
頭の中がパニック状態になった私は、情け無くも泳ぎ方を忘れてしまい娘と一緒に
仲良く溺れてしまった。
息を吸おうとしても口に入り込む海水が邪魔して呼吸が出来ない。
だんだんと苦しさも意識も遠のいていき朦朧とする中、
私の手を一本の腕が握り締め海面に引き揚げた。
口だけではなく鼻の中にまで大量に入り込んだ海水を咳き込みながら吐き出し、
整わない呼吸をつきながらぼんやりと目を開けると、
そこには眩しくて目を細めてしまいそうなくらい色白な肌を持つ旦那が立っていた。
いつの間にか左腕にはぐったりとした娘を抱きかかえている。
現状を把握出来ず混乱し続ける頭の中、
妙にたくましく感じた旦那のか細い腕にしがみつきながら、私は安堵のあまり気を失った。

それがちょうど1ヶ月前の話である。


旦那に助け出された私と娘は、大量の海水を飲んで気絶しただけだったので、
病院ではなくホテルの医務室に搬送された。
目を覚ますと隣には眉間にシワを寄せたまま本を読んでいる旦那が座っていた。
私達を助けるためにそのままの格好で海に入ったのだろう。
パンツやTシャツはまだ濡れたままだった。
どうやらそんなに長い時間気を失っていたわけではないらしい。
もう一つのベッドの方に目を向けると、仰向けになった娘が微かに寝息を立てて眠っていた。
私はホッと胸をなで下ろし、身を起こすと旦那に感謝とお詫びを述べた。
旦那は本から目を離さず何も言わずに小さく頷いただけだった。

それからのハワイ旅行は、娘だけではなく私も体を気遣い安静に努め、
旦那の進言もあってか、パパとママに断りを入れ私達だけ先に帰国をした。
日本に帰ってきてからすぐに私は体力を回復させたが、
素子は熱を出して二週間ほど寝込んでしまった。
医者の話では「突然の運動で体に負担が掛かり過ぎた」という事だったが、
あまり長いこと熱が下がらなかったので親としては随分心配をした。
というのも、もともと娘は病気などに冒された経験があまりない。
体は虚弱だが自分でもその事を重々承知しているので、体に負担がかかる無茶は絶対にしない。
自分が持つ僅かな体力を越えないよう上手く使う、なまけものの様なエコロジーな娘なのである。
なのでそんな素子に無理矢理運動をさせてしまった親失格な私としては、
ただただ反省をするだけなのだが…。
今はすっかり熱が下がり、ベッドからも起き上がれるようになったが
、咳とくしゃみ、鼻水は止まらないようだ。
他の生徒に風邪をうつす事を懸念して、今は学校を休ませている。
もっとも、学校になど行く必要もないほど成績は優秀なので問題はないが、
一日中家の中で安静しているのも退屈らしい。
時々研究所に顔を出しては旦那に追い出される。
それでも懲りずに一日に数回は研究所に入ってくるのだが、そんなある日。
とうとう事件は起きた。
いや、これは事件ではなく偶然が引き起こした飛躍的な進歩、と言った方が良いだろう。
私達がずっと探し追い求めていたものが、ついに見つかったのである。



昼下がりの研究所。
日中は夏の名残をそのままに茹だるような熱さが続いているが、
日が傾き始めると急に風が涼しく変化する。秋の訪れを告げる使者のように。
私は窓から入ってくる9月の風に肌寒さを感じ、開け放した窓を閉め始めた。
そして時々、食卓としても使用する大きな実験台に腰掛ける旦那を見る。
実験台に置いてある白い固まりが入ったシャーレ。
これこそが今の旦那を悩ませている原因である。

約二年前に偶然、旦那の体内から発見された醗酵抑制物質。
これは旦那やお義姉さんが取り組んでいる
『突発性過醗酵エネルギー』こと、通称『ヨーグルト』の研究に欠かせない
私達だけが知っている特殊な物質である。
食物や微生物が持つ醗酵の作用を抑制する事が出来、
もしもこの醗酵抑制物質を破壊、もしくは分解出来る物質が発見されれば、
低資質にして高効率を誇る夢のエネルギー源が確保出来る、らしい。
ただ、当面の問題が二つ。
一つ目はこの醗酵抑制物質を無限増殖する事。
旦那の体内から採取出来る醗酵抑制物質をエネルギー源として
実用するにはとてもじゃないが量が不十分過ぎる。
もっと大量の醗酵抑制物質が必要になる。
二つ目にその物質を分解する方法がさっぱり発見出来ない事。
これまで何度も醗酵抑制物質を分解する方法を試みたが、
醗酵作用ごとなくなってしまうという実に不可解な現象が起きるという結果になる。
やっぱり醗酵抑制物質のように、何か特殊な物質が存在しているのではないかと
考えているが、未だに発見には及ばない。
とにかく目の前にある新エネルギー源開発の手掛かりが全く進展せず、私達は手を拱いていた。
旦那も八方手を尽くしてだいぶ煮詰まってきているのか、
ここ最近は今のようにシャーレに入っている醗酵作用を
抑制されている実験体(ヨーグルト。正確に言うと醗酵一歩手前の何か)と
睨めっこをしている時間が長くなった。
私としても一向に進む気配を見せない研究に辟易してきていたが、
旦那の方がもっとその気持ちが強いのだろう。
何度叱られてもちょくちょくと研究所に顔を出しにくる娘だって同じ気持ちなはずだ。
私は窓の外の夕焼け空を見ながら思う。
やっぱり私達だけで独自に研究を進めていくには、流石に無理があるのではないか?
確かに旦那は一流の科学者かもしれないが、
助手がちょっと出来の良い中学生に基礎知識は皆無な主婦では心許なさ過ぎる。
この研究を隠す事で『ヨーグルト』団体の維持を衰退させ、
長くお義姉さんを性格を歪める程に縛り付けていた呪縛を解き放って欲しい、
という願いは痛いくらいに分かる。
しかし、旦那だって真理の探求とやらが大好きな純粋な科学者だ。
目の前に未知の可能性溢れる研究題材が転がっていれば、全力で解明したいはずだ。
きっと『ヨーグルト』団体と提携すれば作業効率は格段に上がるはずである。
でも、それは許されない。
団体の長という立場がお義姉さんを束縛しているように、
科学者のプライドと姉を思いやる気持ちの葛藤が旦那を縛り付けていた。
どちらも苦しむ気持ちは痛いほどわかる。
しかし、私個人の意見を述べさせてもらえれば、『ヨーグルト』団体に助成を乞うべきである。
私は旦那の妻だ。誰よりも旦那の事を一番に考えていると自負している。
故に研究に煮詰まり頭を抱える姿を黙って見ているだけなんて耐えられない。
それが例え、お義姉さんを苦しめる事になろうとも…とまでは言わなくても、
助言くらいはしても構わないはずだ。
受け入れてもらえるかどうかは別として。

私は話し掛けようと旦那の方を振り向いたが、その時とんでもない光景を目にした。
研究媒体が入ったシャーレ。旦那はそれを口の中に入れようとしていた。

「ちょっとー!あなた何やってんのー!」


弾かれたように窓際から実験用台に飛んでいき、
口に入る寸前のところで後ろから旦那を羽交い締めにした。
手に持ったシャーレは台の上に落ちたが、幸い割れずに済んだ。
しかし、中に入っていた実験媒体が台の上にこぼれてしまった。
旦那は振り向きもせず、黒魔術の呪文でも唱えるようにボソボソと呟いた。

「…このままでは埒が開かない。一度研究媒体を醗酵抑制物質保持者の体内へ投入…。
 その際の反応を観察すべく…」

末期症状だ、こりゃ。

「そんな事したってどうせ蕁麻疹がブツブツ出るか、
 吐き気をもよおすかのどっちかでしょうが!それに…!」

最初の頃は旦那が研究をしている『ヨーグルト』なんて言われても
普通の健康食品程度しか認識がなかったが、
旦那が口にする熱量変換計算やエネルギー効率論の話を聞くと、
名前とは裏腹に『ヨーグルト』が如何に危険なものなのか分かる。
前に私がその『ヨーグルト』を食べたいと言った時に、推奨しないと言ったのは誰?

「…お願いだから、馬鹿な真似しないでよぅ。」

旦那を羽交い締めするために体に巻きつけた腕に、ギュッと力を込める。
もしも本当にこの実験媒体を飲んで体の中で
突発性過醗酵エネルギー反応が起きたらどうなるか、容易に想像がつくはずだ。
焦燥感に駆られてか、好奇心が旺盛なのか、科学者という生き物は
賢いのか馬鹿なのか分からない。

私達のただならない様子に気付いたのか、研究所の扉から娘が顔をひょっこりと出した。
何事かと驚いているのか、旦那譲りのパッチリと輝く瞳を更に大きく見開いていた。
我が家は家族の三分の二が度が過ぎる無口なため、
家の中は研究所にある実験道具のモーター音以外は物音一つしない。
特に最近は研究自体が滞っているため、まともに実験道具が稼働する日が少ない。
だから今みたいにちょっとでも私が大きな声を出すと、
たちまち研究所だけではなく家中に響き渡るのである。

何も言わずに鼻を啜りながら私達に近付く素子。
テーブルの上に零れた実験媒体とシャーレをジッと眺めていた。
そして今度は私達の方に目を向ける。
いつもと変わらず無愛想で感情が伺えない表情なはずなのに、
まるで私達を責めているように思えた。
私は後ろめたい気持ちになり、思わず目を逸らした。
睨めっこでは無敗を誇る旦那も、今だけは珍しく顔を伏せている。
私と旦那を交互に見つめた後、娘は何も言わずテーブルの上にあるシャーレに手を伸ばし、
実験媒体を片付け始めた。
大の大人が何をやっているのかと、本当に情けない気持ちでいっぱいにだった。
いつまでも子供だとばかり思っていた素子の方がよっぽど冷静で落ち着いている。
しかし、よくよく考えてみると私は何も悪くはないはず。
何故にここまで鬱ぎ込まなくてはいけないのだと、
ちょっと理不尽な気持ちになったがそれでもどことなくバツが悪く、
遠慮がちに娘に話し掛けようとしたその時だった。

「へくちっ!」

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19:39  |  「ヨーグルト…。…いいえ、ケフィアです!」  |  CM(10)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

素子ちゃんと彼の子どもができたら、大変なことになりそうですね(・ω・;)
四葉 | 2008年07月01日(火) 03:40 | URL | コメント編集

>>四葉さん
きっと驚くほどの虚弱体質だと思います。
要人(かなめびと) | 2008年07月01日(火) 05:25 | URL | コメント編集

カナヅチで実際に溺れかけた過去があるので、
海はこわいです^^;素子ちゃんかわいそう~
momokazura | 2008年07月02日(水) 01:21 | URL | コメント編集

>>momokazuraさん
私も小さい頃は泳げなかったので海が怖いです。
今はなんとか克服しましたけどね。
要人(かなめびと) | 2008年07月02日(水) 06:24 | URL | コメント編集

海って沖のほうに行くと、足を引っ張られたらとか ( ̄○ ̄;)
いろんなことを考えてしまって苦手です(。・ω・。)

プールなら300m泳げますけど、
海なら沖に向かって30mくらいから先は怖くて泳げなかったりします(。・ω・。)

応援ポチしておきましたよ(^.^)
ゆうきん | 2008年07月03日(木) 13:07 | URL | コメント編集

>>ゆうきんさん
あまり沖の方まで行くと潮の流れで引っ張られて
しまって大変なことになりますからね。
海って怖いくらいに思ってるのが、一番安全なのかもですね。

ぽち、ありがとうございます♪
要人(かなめびと) | 2008年07月04日(金) 08:25 | URL | コメント編集

余り深く読むとネタバレなので流し気味ですが、ヨーグルトはヤバいのですかww
近々新作プロローグ公開しますのでぜひ
蒼響黎夜 | 2008年07月04日(金) 21:13 | URL | コメント編集

>>蒼響黎夜さん
そうですね、家庭にある「混ぜるな危険!」の
洗浄剤を本気で混ぜちゃうくらいヤバイって思って頂ければ。

新作楽しみにしてますね♪
要人(かなめびと) | 2008年07月05日(土) 06:40 | URL | コメント編集

そうか!!母上は俺より5センチ小さいのか!!1
(*´ω`)
八頭身派 | 2008年07月08日(火) 23:39 | URL | コメント編集

>>八頭身派さん
ぎゃ、逆算はしないようにします。
要人(かなめびと) | 2008年07月09日(水) 06:28 | URL | コメント編集

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