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2008'04.25 (Fri)

「…ヨーグルトじゃない!…ケフィアだ!」 第八章


【More・・・】

蟻地獄のような形をした論文発表会場を後にして、そろそろ控え室に向かおうと
エレベーターに歩き始めた時に丁度良くエレベーターの扉が開き、中から伯母さんが出てきた。
両手を腰に当て子供のイタズラを発見したような顔で仁王立ちしている。

「この建物は構造が単純だから迷子になることはないけど、
 無駄にだだっ広いから捜すのが大変なのよ~。
 そこのところ理解してたかしら~?」
 
額にうっすら汗を浮かべ少し肩で息をしている。
きっと受け付けを済ませた後にずっと広い館内を捜し回っていたのだろう。
笑っているはずの伯母さんの顔だが、眉毛が片方だけピクピクしている。
これはだいぶ怒っているようだ。大柄で百獣の王のような出で立ちの伯母さんのことだ。
怒らせたままで得なことは無さそうだ。
僕は慇懃に詫びを述べたが、彼女は「事前に会場の確認は必要でしょう」とだけ言った。
てっきり雷の一つでも落ちるかとビクビクしていたが、
伯母さんは荒い鼻息を吐くと身を翻し「まぁ、いいわ。控え室に戻りましょう。」と
僕達をエレベーターに手招きした。
僕はホット胸をなで下ろしたが、伯母さんは彼女のああいった態度に慣れているのだろう。エ
レベーターの階数ボタンを押すとにした様子もなく今後の予定を手短に話した。

「発表会は午後一時から始まるわ。
 今回の発表団体は全部で六団体。私達の出番は三番目よ。
 持ち時間は30分。これは変更無かったから良かったわ。
 スクリーンに使用する映像のデータは確認してもらったから安心して。
 まぁ、他の団体も発表には時間いっぱい使うと思うから
 二時まではゆっくりしていても大丈夫そうよ。」

伯母さんの説明が終わったと同時にエレベーターの扉が開いた。
四階に着いたようだ。
さっきの階のように広々としたロビーのかわりに、どこまでも細長い廊下が続いている。
その廊下の側面に等間隔で簡素な扉がついている。
どうやらこの階は控え室専用の階らしい。
部屋の前に各団体の名前が記された紙が貼ってあったので、僕達は迷うことなく控え室を見つけた。
エレベーターを降りてからずっと、受け付けの係員の対応の悪さに
文句を言っている伯母さんの案内で控え室に入り、僕は室内を見渡して思わず感嘆の声を上げた。
建物の外観やロビー、発表会場に至るまで無機質だった造りとは打って変わり、
控え室の中だけは開放的な空間に高そうな家具や調度品に囲まれた、
まるでホテルのスイートルームのようだった。
圧巻される僕をほっといて、彼女と伯母さんは柔らかそうで高級そうなソファーへ
無造作に腰を下ろした。
入り口に突っ立ったままの僕を見て、クスリと小さく笑った伯母さんは
「ここは女性専用ルームじゃないから気にせず入りなさいな、ボーイ?」と冗談を飛ばした。
彼女は早速手持ちの鞄から発表用の資料を取り出し目を通している。
座るのが勿体無いようなソファーに恐る恐る腰を掛ける僕を見て、伯母さんはまた小さく笑った。

「まだ時間があるけどランチはどうする?
 大して美味しくないけど一階のラウンジにレストランがあるのよ。行く?」

余裕を持って早めの到着をしたためか、現在は11時半。ちょうど昼時だ。
発表は二時だから確かに昼ご飯を食べる時間はありそうだ。
しかし資料に視線を落として、こうなると石像のように動かない彼女は

「昼食は遠慮します。」

と短く伝えた。
相変わらず無愛想な彼女の返答に気を悪く、伯母さんはそのま笑顔で
「あなたは?」と、僕に聞いた。

「せっかくですけど僕も遠慮させて頂きます。
 恥ずかしながら朝からずっと緊張していて何も喉を通りそうにないので。」

彼女同様に誘いを断った僕を軽く睨み、伯母さんは可愛くほっぺを膨らませた。

「いいですよ~だ。じゃあ独りで寂しくランチを食べてくるわ。
 時間までには帰ってくるわね。あ!それと絶対にここから出ちゃ駄目よ!
 もう捜しに行かないわよ!」

大きな体を揺すり、勢い良くドアを開けると手を振りながら伯母さんは忠告だけを残して出て行った。
しばらく見送った後、僕は彼女の隣に座った。
彼女は無言で僕に資料を手渡す。
僕も無言でそれを受け取り、資料に目を通し始めた。



資料もある程度読み終え、時計は一時を回っていた。
暇を持て余してか緊張の紛らわすためか、僕と彼女は意味もなく控え室の中をウロウロしていた。
僕は窓の外を眺めたり、家具の引き出しを開けたり。
彼女は手元に資料を持ったまま突っ立ち少し動いて資料を読み、
また少し動いては資料を読むを繰り返していた。
お互い手持ち無沙汰だが会話を交わすことなく無駄に時間だけ浪費させていた。
しかしそんな鬱屈とした空気をぶち壊すかのように伯母さんが元気よく控え室に帰ってきた。

「ランチ美味しかったわ!舌平目のムニエルがこれまた絶品だったわよ!
 たぶんシェフが変わったのね。あなた達、本当に残念!
 今日一番の幸福を逃しちゃったわよ!」

伯母さんは大声でランチを絶賛し、それが食べれなかった僕達がどれだけ可哀想か、
聖書にでも載っているような比喩を交えて長々とまくし立てている。
僕と彼女は既に慣れっこになった伯母さんの演説を聞きながら、
手にコーヒーが入った紙コップを手渡された。

「まったくこの控え室は見てくれだけ豪華だけど、サービス精神に欠けるのよ。
 お茶やコーヒーの一つも出ない!せめてセルフサービスでもいいから用意しときなさい、って
 いつも文句言ってるのに!だからあなた達に下の自販機から買ってきてあげたわ。
 優しい伯母を持って良かったわね。」

そう言うと伯母さんは近くのソファーにどっかり腰をうずめた。
お腹が満たされて相当ご機嫌なのか鼻歌を口ずさんでいる。
僕も立ったままでいるのも気が引けて、彼女の近くにある椅子を引き寄せて座った。
彼女にも座るように促したが、首を横に振るとそのままの姿勢でちびちびコーヒーをすすった。

「さっきここに来る前にちょうど発表会が始まったみたい。
 トップバッターの団体が控え室から出て行ったわ。」

そう言うと伯母さんは目をつむり「懐かしいわ」と呟く。
囁くような伯母さんの言葉を聞き留めると、
再び瞳を開いた時に遠い目をした伯母さんは微笑みを浮かべたまま、静かに語り始めた。

「私と弟が初めてこの学会で論文を発表したのはちょうど私が25歳、弟が22歳の頃だった。
 当時は大学を卒業したばかりの弟を無理矢理研究の手伝いをさせて、
 とにかく発表会に間に合うよう論文作成を急かしたわ。
 今になって思えば焦っていたのよ、私。」

彼女はたぶん知っている話だろうが、僕は伯母さんと彼女のお父さんの
昔のことは一切聞いたことがないので興味があった。


「お父様が研究もこれからって時に急死して、
 助手であり娘でもある私が後を引き継ぐことになったの。
 でも助手と研究の代表者では立場も責任も段違いだったわ。
 ただ研究に没頭してればいいわけじゃなくて融資をしてくれる企業への定期的な報告や
 多方面の教授への根回し。色々と理不尽な注文をされながら私なりに頑張ったつもりよ。
 でもいつからか研究への融資額が少なくなり、それまで協力をしてくれていた
 研究所や科学者、教授達から見放されるようになってきたの。
 だから学会で良い評価を受けて娘の私でも代表として
 やっていけるってところを知らしめたかったのよ。」

それまで立ったまま話を聞いていた彼女が僕の隣にあるソファーに腰をかけた。
伯母さんはそこで一旦言葉を句切ると、自嘲気味に鼻で笑った。

「結局この学会で発表した私の論文の評価は最悪だった。
 発表の最中に『もう結構です』って止められたのよ。今まで生きてきた中で一番の屈辱だったわ。
 それが原因で父が築き上げてきた人脈や融資先が一斉に手を引いていったの。
 もうち直れないくらいに落ち込んだわ。
 恋も結婚も女の幸せは全て諦めて研究に、お父様の残していった夢に力を注いできたのに、って。
 もう死んでしまいたいって思った。でもそんな時に励ましてくれたのが弟だったわ。
 二人だけでも研究を続けようって。お父様の願いを叶えようって。」

いつもの喜怒哀楽に激しい印象とは違い、今の伯母さんからは感情の色が全く感じられない。
きっと僕には想像もつかないようなつらい思いをしてきたのだろう。

「弟はそれからずっと一緒に研究を続けてくれて私の支えになってくれたわ。
 弟が研究に没頭してくるおかげで私は団体存続の為に世界中を駆け巡る事が出来たわ。
 本当に心から感謝していた。あの時までは。」

それまで時折楽しそうに、そして時折寂しそうに微笑みを浮かべていた伯母さんの表情が一変した。
目は空虚を捉えたように光を失い、眉間には深い傷跡のようなシワが刻まれていた。
反射的に身構えてしまいたくなるような、悲しい憤怒の表情だった。

「長いこと一緒に研究を続けてきた弟から『団体から手を引きたい』と言われたの。
 何の前触れも無く突然よ。その時の私には思い当たる節が全くなかった。
 弟に裏切られた気分だったわよ。何もかも投げ捨てたかったわ。
 それでも団体はなんとか再び軌道に乗り始めて世界各国に支部を展開するほどになったから
 今更辞めるわけにもいかなかったし、忙しさに紛れて憂鬱な気持ちを押し込めていたわ。
 それから弟から何も連絡が来なくなり私からも連絡はしない絶縁状態だったんだけど、
 さすがに事故で亡くなったと聞いた時は涙が枯れるくらい泣き尽くしたわ。
 私は大切な家族を二人も失ったのよ。男ってやつは勝手なものね。
 苦しむのはいつも女ばっかり。」

伯母さんは彼女の方を見て同意を求めるように、そう言った。
この人もそうだが、彼女も大事な人を失い残された人間なのだ。
しかし彼女は反応を示さず無言で座っている。

「これからは誰にも頼らず自分の力だけで『ヨーグルト』を完成させるんだ。
 そう意気込んでいた矢先だったわよ。ビックリしちゃった。
 まさか死んだはずの弟の名前で団体宛に論文が届くんだもの。
 しかも内容を見て更にビックリ。
 あの不可能な理論と言われていた突発性過醗酵エネルギーが完成した状態だったんだから。」



僕が「えっ」と言いかけたと同時に、ソファーに座っていた彼女が横向きに倒れた。
そして手に持った紙コップが両手から滑り落ちる。
中にまだ少し入っていたコーヒーが絨毯にゆっくり黒いシミを作っていった。



僕は慌てて椅子から立ち上がり、
床に跪いてソファーに横たわる彼女の体を揺すりながら大きな声で名前を呼んだ。
僕の声が聞こえたのかうっすら閉じていた目を開こうとして
苦しそうに顔を歪め僕に何かを言おうと身を起こしたが、
そのまま糸が切れたマリオネットのように力無く崩れ落ち動かなくなった。
全身から音を立てて血の気が引いていくのが分かった。
僕は両手拳を握り歯を食いしばり伯母さんを睨み付けた。
しかし、伯母さんの瞳は未だ空虚を捉え、僕の事など目に映らないように話し続けた。

「すぐに論文を完成させたのが私の姪っ子だって気付いたわ。
 だってそんな事が出来るのはこの子だけだもの。でもね、問題はそこじゃなかったの。
 悩んだのは論文の使い道だった。
 世界中の支部から主要なメンバーを緊急で呼び寄せ一週間に渡る会議を開いたわ。
 本当に長い会議だった。
 結果、全員一致で決まったのが米軍へ兵器として引き渡す事と
 団体総意を賭けた隠蔽工作だったのよ。」

一旦引いた血の気が、伯母さんの言葉を聞いて逆流した。
途端、堪えきれない怒りが僕の全身を駆け巡る。

「あなただったのか!『ケフィア』を兵器にしたのは!
 あなたのせいでたくさんの命が失われたんだぞ!わかっているのか!」

身体中から噴き出す行き場のない感情が怒号として口から吐き出された。
気が狂いそうな程の憎悪が心臓を鷲掴みにする。眩暈が止まらない。
あの日、彼女がニュースを見たときにどれだけ心が潰れる思いをしたか、
僕は痛いほど知っている。だから今、目の前にいる伯母さんが憎くてたまらない。

「米軍に提供した『ヨーグルト』のおかげで団体員は
 身の保証を約束され行方不明という形で軍に拘留されたわ。
 ただ全員が全員だとさすがに他の調査機関や対立する軍隊に怪しまれるから、
 主だった人物だけ残って残務処理をさせられていたの。
 その中で私が自分に課した仕事があなた達に全ての責任をなすりつける事。」

何かを叫びたい衝動に駆られたが、体が強張って上手くいうことを聞かない。
淡々と話し続ける伯母さんが信じらんないくらい不気味に思えた。
僕は膝をがくりと折り頭を抱える。

「知ってる?この学会はね、発表が評価された団体や研究者には手厚い待遇だけど、
 それ以外は本当に虫けら扱いなのよ。
 だから発表会にも出ないでこんなところで居眠りをこいているあなた達なんて
 ボロ切れ同然に外につまみ出されるわよ。
 安心して。私は優しいからその後のあなた達の身の振り方は考えておいて上げたわ。
 たぶん近いうちに国家のワンちゃんがあなた達の研究所を嗅ぎ付ける手筈だから。」

そう言うと伯母さんはようやく表情を変えた。
目元はそのままで口元だけ不気味に歪める。

…まるで般若のお面を被ったような邪悪な形相だ。


「…コーヒーに何を入れたんですか。」

僕は膝立ちになった状態から全身に力を込めて立ち上がる。
黙って立っているだけだが、体が前に後ろに揺れる。

「命まで取ろうというわけじゃないないわ。ただ眠っていてもらうだけよ。
 もっとも死なれちゃ元も子もないでしょうが。」

わざとらしく溜め息をつく伯母さんの顔は、まんまと僕らを嵌めてやった達成感に満ちている。
伯母さんは大柄だが、背丈では若干僕より劣る。
力ずくになれば非力だが幾分かは僕に分があるはずだ。
だがきっと僕にも薬が効いていると確信しているのだろう。
全てが露呈したというのに身構える仕草すらない。


「何故、彼女の論文を見たときに、平和的に利用しようとしなかった?
 あなたにはそれが出来たはずだ!」

僕の発言がおかしかったのか、伯母さんはさも愉快そうに手を叩きながら笑った。
しかし伯母さんの目には輝きが一点もなく、笑い方もどこかわざとらしい渇いた声だった。
嘲笑うとは、まさにこの事だろう。

「確かにそういう選択もあったし、団員達も始めはみんながそうするべきだと言ってたわ。
 でもね、米軍に打診をして返ってきた返事にあった特別な待遇と莫大な利益に
 みんな一瞬で目の色を変えたわ。人間、所詮そんなものよ。
 でも私は別の理由。簡単な話、復讐ね。
 憎かったのよ、弟が。」

「…なんで憎いんだよ。自分の弟だろ。
 それに少なからずとも…あなたを支えてくれていた時期があったんじゃないのかよ?」

「あんたみたいなお子ちゃまにわかるわけないわ。
 私は本当に弟のことを頼りにしていたし、信用していた。
 それが急に愛想を尽かされ私の前から姿を消したかと思ったら、
 自分一人で研究を完成させていたのよ。
 馬鹿にするにもほどがあるじゃない!私の隣じゃ研究もろくに出来なかったって言うの!?」

彼女の血縁らしい整った顔を無惨にも歪ませ、呪詛の言葉を吐き捨てる。
冷静な態度を取り繕っているようだが、伯母さんは既に自分を見失った狂者だ。
若い頃から団体の代表としての周りからの期待や重圧。
学会から受けた屈辱。信頼していた彼女のお父さんとの決別。
それら全てが伯母さんの負の感情として心の中に凝り固まり、
物事の正しい判断を狂わせてしまった。
まだ若僧な僕が言うべきではないと思うが、人間はそんなに強く出来ていない。
でも、それでも

「…あなたも科学者ならば…真理の探求にのみ…純粋であるべきです…。」

いつの間にか体を起こしていた彼女は、一言一言をのどの奥から絞り出して言った。
コーヒーに盛られた睡眠薬がだいぶ効いているのだろう。
やっとの思いでき上がったに違いない。
最後の気力を振り絞ってまで、同じ科学者として意見を、同調を求めたかったのだろう。
彼女の一言にはそれだけの重みがあった。
しかし、

「馬鹿馬鹿しい。」

伯母さんはさもくだらなそうに一蹴しただけだった。
既に科学者としての誇りを失い、自己顕示欲の固まりとなった中年女性がそこにいるだけだった。

「真理の探求ですって?
 社会に適合をすることがままならない引きこもり学者がよく口にする言葉ね。
 本当に真理とやらを探求したいのならば、もっと広い視野で物事を見るべきね。
 人間の煩悩は絶対進化しないっていうのに。
 科学の発展が人類にもたらしたのは何?破壊と殺戮ぐらいよ。
 物理法則の解明が何?オタクの暇つぶしくらいの役にしか立たないじゃない。
 あなた達科学者に求められているのは開発じゃない。
 衰退か何もしないか、よ。そっちの方がよっぽど地球に優しいわよ。」

伯母さんに真っ向から全否定をされた彼女は、渾身の力で起き上がった気力も切れたのだろう。
目を閉じると悔しそうに崩れ落ちていった。

「その子だって父親の跡を継いで『ヨーグルト』の研究なんてしないで、
 普通の女子高生として学生生活を謳歌していれば良かったんだわ。
 余計な事に首を突っ込むからいけないのよ。
 でも私にとってはこの子が『ヨーグルト』の研究をしてくれて助かったけどね。」

「…『ヨーグルト』じゃない!…『ケフィア』だ!」

彼女にとっては『ケフィア』は希望の象徴であり、
大袈裟な言い方をすれば生きるための指標なのだ。

伯母さんの言うことも一理あるかもしれない。
結果論で言えば科学は人類が使いこなすには過ぎたものかもしれない。
でも僕は、それでも希望を捨てずに研究を続ける彼女を否定しない。
いや、世界中の誰もが否定しても僕だけは彼女を肯定する。

僕は横たわった彼女を起こそうとしたが、何もない場所なのに躓き、
そのまま彼女に覆い被さってしまった。
そのままの姿勢で動かなくなった僕らをしばらく無表情で眺めていた伯母さんは、
何も言わずに立ち上がった。
そしてつまらなそうに僕らを見下ろし、鼻で笑いながらこう言い捨てた。

「それじゃ、私はそろそろお暇させてもらうわね。
 ボーイをフランスに連れて帰れなかったのは残念だったけど、仕方ないわ。
 バイバイ、愚かな科学者の卵達。」

手をヒラヒラ振りながら背を向ける伯母さん。

部屋を出ようとドアノブに手をかけた、その時。
僕は跳ね上がるように立ち上がり、伯母さん目掛けて力任せに突進した。
一瞬、驚愕に目を見開いた伯母さんと目が合った。
次の瞬間、物と物がぶつかる衝突音が二度聞こえ、
顔を上げると廊下の壁際に倒れて動かない伯母さんがいた。
念のため見える範囲で体を見回したが外傷はなく、ただ気絶しているだけだった。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、僕はエレベーターに向かって走り出した。



「憶測という事を承知してお聞き頂きたいのですが
 今日の発表会の最中かその前後に私達への妨害が予想されます。
 我々を嗅ぎ回っている調査員かあるいは学会側か
 あるいは以前『ケフィア』を研究していた団体か。
 しかし最も一番疑いの可能性をかけるとすれば伯母様です。」

発表会場の下見に行った時に、彼女が僕に言ったことだ。
初めは驚き、ありえないと反論したが、彼女は更に驚愕の事実を述べた。

「何故ならば伯母様は私にある嘘をつきました。」

それは伯母さんが日本に来る前、彼女とエアメールでやり取りをしていた時だという。

「私は手紙の中で伯母様に調査の依頼の他に研究についても情報交換をしていたのです。
 その伯母様の返信の中に『醗酵抑制物質』という単語があったのです。
 有り得ない事です。あれから私は戦争に利用された『ケフィア』について調べてみました。
 しかし今や『ケフィア』は軍事機密です。
 一般人は」当然ながらいくら専攻して研究をしている団体とて
 『ケフィア』には手が出せないはずです。
 そこから導き出される答えは伯母様が論文を見たことがあるという事です。」

僕は彼女の言葉を聞いても俄かに信じきれなかった。
あんなに研究に協力的だった伯母さんが僕らを騙しているなんて…。
しかし彼女が言うことも真実なのだろう。
僕は混乱する頭を抱えうんうん唸っていたが、彼女も僕の反応を予測していたのだろう。
あまり悩むな、といった口調で続けた。

「完全に疑わなくても結構です。ただし警戒はして下さい。
 伯母様だけではなくこの建物内にいる全ての人物に対して。
 それとあなたにお願いがあります。」

彼女は鞄の中から一つの綴りを取り出し、僕に渡した。

「今日この場で私が発表をする内容を要約した冊子です。
 もしも私が論文を発表出来ない状況に於かれた場合はあなたがこの場に立って下さい。」

心臓が大きく一度、鼓動した。
全身の毛穴から冷たい汗が噴き出してくる。

「!そんな無茶だよ!僕に出来るわけがない!僕は君と違って平凡な高校生だ!」

両手を前に突き出し首を左右に激しく振って、全身で拒否の意志を示したが、
彼女は両目に力を込め真っ直ぐ僕の瞳を見つめながらゆっくり語り掛けた。

「あれだけに細かく実験結果をまとめ上げたあなたです。
 研究内容を充分に理解していなくてはあれだけの仕事は出来ません。
 あなたは既に立派な『ケフィア』の研究者です。」

僕は両手を下ろし、静かに力一杯頷いた。
彼女から寄せられている信頼が心地いい。臆病な気持ちはどこかに消え失せた。
彼女の期待に答えたい。
もしもの時になったら、僕がやれるだけの精一杯をやり尽くすだけだ、とその時は思っていた。


一旦立ち止まり、息を切らしながら後ろを振り向くと、
俯せに倒れたままの伯母さんが横たわっているだけだった。
開けっ放しの控え室の中では、きっと彼女が小さく寝息を立てているだろう。
彼女から注意を促されてはいたものの、僕は本気で警戒していたかと言われれば嘘になる。
まさか控え室の段階でこんな策に出てくるとは思っていなかった。
今にして思えば、伯母さんがランチに誘ったのも罠の一つかもしれなかった。
しかし、あの控え室の時にとっさに薬が効いたふりをした自分に拍手を送りたい。
立ったままフラフラしたり頭を押さえたり、ベタな演技だったが緊迫していた場面だ。
伯母さんには僕が睡眠薬に冒されたように見えたのだろう。
だけど一歩間違えばまんまと策に嵌ったのは僕らの方だった。

と言うのも、初めからコーヒーに睡眠薬が入っていたのを知っていたわけではない。
僕はもう一度伯母さんを見て、独り言のように呟いた。

「すいません。僕、コーヒー苦手だったんです。」

NEW!更新日5月1日

腕時計で時間を確認すると、二時まであと10分。今から発表会場に向かえば丁度良い。
気絶しているのはわかっているけど、少しでも早く伯母さんから離れたい。
僕はエレベーターに向かって駆け出した。
しかしその瞬間、足がもつれてバランスを崩した。
とっさに受け身を取ったので怪我はなかったが、
起き上がり顔を上げた時の風景がグニャリと歪んだ。
僕はとりあえず立ち上がったが眩暈が酷く、なかなかすぐには歩けそうにもない。

…コーヒーは確かに苦手だった。
ただし、だからと言って全然飲めないわけではない。
実は伯母さんからもらったコーヒーを、僕は二、三口だけ飲んでしまっていた。
警戒していたにも関わらず、迂闊にも口にしてしまった僕は間抜け以外の何者でもない。
…彼女はまた別として。

とにかく、強烈な眩暈と眠気が襲う体を、無理矢理エレベーターまで引きずり込んだ。
さっきまでは何ともなかったのに、一度症状を自覚してから急に体が鉛のように重くなる。
壁にもたれかかってないと直立を維持出来ない。
たった一階下に降りるだけなのに、エレベーターはなかなか三階に着かない。
意識が朦朧とし始めたのに焦っているからだろうか。
エレベーターはやっと三階に着いたが、
ドアが開いた後に鳴るブザーを聞いて、僕はハッと気が付いた。
一瞬、意識を失っていたらしい。
僕は慌ててエレベーターから降りたが、その拍子にまた派手に転んでしまった。
今度は受け身を取るヒマがなく、顔を思いっきり地面にぶつけたはずなのだが、
不思議と痛みを感じない。どうやら感覚が麻痺してきたようだ。
これは幸いだと思ったが、何も感覚がない代わりに体を自由に動かすのも困難になってきた。
無惨にも地面に突っ伏す自分の体を起こそうにも、全身に力が入らない。
悔しさと焦りを感じて歯を食いしばり腕に力を入れようとした瞬間、
体が軽くなりストンと立ち上がっていた。
いや、正確には立ち上がらせてもらった、だろう。
横を振り向くと、驚いた顔をした警備員らしい男性が僕の腕と体を支えてくれていた。
エレベーターから崩れるように出てきた僕を助けてくれたようだ。
耳元で、大丈夫か?何があったんだ?という声が聞こえる。
僕の事を心配してくれているみたいだが、まともに返事が出来ない。
目を開けているのも辛いくらいだ。
途切れ途切れになる意識の中、僕は彼女の名前を何度も心の中で呟いた。
いつも「キミ」ばかりで一度も名前で呼んだことはなかったが、
彼女の名前を呪文のように念じると、不思議と遠くにいきかける意識が戻ってくる。
それがおかしくて、自分の顔がにやけるのがわかった。
そんな僕を見て訝しげに思った警備員は「医務室に行こうか?」と、声を掛けてきた。
今、医務室に行けるわけがない。
僕が論文を発表しなければ、彼女と、彼女のお父さんの願いを果たせなくなる。
僕は力を振り絞り、警備員に彼女の名前を告げ次に発表をする者だ、
という旨を伝えると警備員は更に驚いた。
そして僕は彼の肩を掴み、発表台までの介添えを頼むと、さすがに困惑の色を露わにした。
どう判断すべきか迷っていたが、タイミング良く会場内から拍手が聞こえてきた。
どうやら前の団体が発表を終わったらしい。
警備員は慌てふためいて会場の扉と僕を交互に見ていたが、
一度だけ考え込み、僕の腕を首にかけて「行きますよ」と、囁いた。

…助かった。僕は警備員に感謝の言葉を伝えようとしたが、声が出ない。
情けなくも口をパクパクしただけだった。

会場内に一歩足を踏み入れると、
中は真っ暗で擂り鉢型の一番底辺にある発表台だけ、ぼんやりと輝いていた。
扉のすぐ隣に彼の同僚がいたのか、僕らを一瞥すると何事かと咎めた。
僕は事情を説明しようとしたが、口が全く開かない。
顔を上げることさえ困難だ。
どうしようかと焦ったが、僕の代わりに警備員の彼が同僚に事情を話してくれた。
すると納得したのか、同僚は不信げな眼差しだけを残して、会場の外へ出て行った。
警備員に支えられながら一歩ずつ階段を降りていく僕に観客達が気づき始めたのか、
会場は次第にざわめき出してきた。
しかし騒然とした会場は、僕が発表台に立つと潮が引いていくように静まり返った。
ほとんど僕を引きずるように発表台へ運んでくれた警備員は台から降りた後、
しばらくは心配そうに僕を見守っていたが、名残惜しそうに入り口へ戻って行った。
発表台に一人取り残された僕は、ジャケットの胸ポケットからボールペンを取り出し、
キャップを外した。
そしてボールペンを逆手に持ち直し、右足腿に力を込めて突き刺した。
僕の奇行に観客達がまたざわめき始めた。
右足腿から激痛が反射的に脊髄を通って脳天まで届いた。
その反動でアドレナリンが脳からドッと噴き出す。
目玉が飛び出そうな程の痛みだったが、おかげで途切れかけていた意識は繋がり、
体にも僅かな感覚が戻ってきた。
これならなんとか最後までここに立っていられる。
鮮血で真っ赤になった右足を引きずり、演台の前に立ち大きく深呼吸をする。
会場内はいつの間にか静寂に包まれていた。
本来ならばここに立つはずだった彼女。
の約数ヶ月間、僕らはここで『ケフィア』を大々的に発表する事を夢見てきた。
…僅かでも罪を償えるように。
…今は亡き大切な人の汚名を返上するために。
…研究の正当性を証明するために。
彼女はずっとあの研究所で一心不乱に頑張ってきた。
上手くいかない実験に苛立ち、焦り、戸惑い、悩み、苦しむ日々が続く時があった。
それでも決して諦めなかった。
投げ出したりしなかった。
伯母さんはそんな僕らを罵り、嘲笑った。
確かにこの大きな流れ行く歴史の中で、科学の進化が人類にもたらしたものは、
負の遺産の方が圧倒的に多いかもしれない。
僕らが研究を続ける事は単なるエゴイズムかもしれない。
でも、それでも彼女は「真理の探求」を止めはしないだろう。
何故なら彼女の瞳には「希望」しか映っていないから。
彼女が「希望」を願う事を捨てようとしないから。
だから

「僕は願い、期待します。これからの未来を。自分自身を。
 エゴだと蔑まれようとも、罪の上塗りだと非難されようとも、犯罪者のレッテルを貼られようとも、
 僕は提示し続けます。可能性を。
 皆さんもご存知のようにこれから発表する『突発性過醗酵エネルギー』は現在、
 第四次大戦で不本意にも乱用されている兵器です。
 『ヨーグルト』と一般的に呼ばれていますが、僕は『ケフィア』と呼称したいです。
 人類にとって『ケフィア』は希望の象徴になるべき可能性を秘めています。
 今日がその第一歩になるでしょう。」

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16:25  |  「ヨーグルト…。…いいえ、ケフィアです!」  |  CM(8)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

訪問&コメありがとうございます^^
でも更新サボりがちでなさけない…
彼女の伯母さんいいですね~こういう伯母さん好きですww
momokazura | 2008年04月27日(日) 16:01 | URL | コメント編集

叔母さん、いいですか。

・・・ええと、ごめんなさい。
要人(かなめびと) | 2008年04月28日(月) 08:30 | URL | コメント編集

初めまして。
幻想の蜃気楼の楚良 紗英です。

訪問&キリ番有り難う御座いましたm(_ _)m
一応記事をうpしているので良かったら目を通して下さいませ^^

同じく小説書きの方の記事は興味深いですね。
状況を表すのがお上手だと。
どんな場面か浮かんでくるので素晴らしいです!

では、gdgdとすみませんでしたorz
楚良 紗英 | 2008年04月28日(月) 20:18 | URL | コメント編集

うわ~><そうきちゃうんですか!?
ちらっとそれもかすめたんですが、
考えすぎだろうと思ったのが甘かったですねぇ^^;
厳しい状況ですが、がんばれ彼と彼女!
momokazura | 2008年04月28日(月) 21:43 | URL | コメント編集

あ、今はここまでなんですね。
履歴からきたんですが、メチャクチャじっくり読んじゃいました。
いつの間にこんな時間に??
続き、楽しみに待ってます。^^
みい | 2008年04月29日(火) 09:38 | URL | コメント編集

>>楚良 紗英さん
そうなんです。キリ番ゲットしちゃいました。
またそちらにお邪魔します。

>>momokazuraさん
そうなんです。こういう展開で来ちゃいました。

>>みいさん
じっくり読んで頂いて本当にありがとうございます!
早く続き上げますね♪
要人(かなめびと) | 2008年04月30日(水) 13:34 | URL | コメント編集

予想外の展開にビックリ!! 目が離せませんでした。
オバサン酷すぎ(怒)
人間って信じられないな…って思いました。
彼と彼女の信頼関係は凄いですね。
2人の関係を羨ましく思いました。
この先が気になります。
夢 | 2008年08月07日(木) 18:15 | URL | コメント編集

>>夢さん
確かに伯母さんひどいですけど、まぁそれなりの理由があってってことで。
第二部は生ヌル~イ次のエピローグで終わりです。
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます♪
要人(かなめびと) | 2008年08月08日(金) 06:17 | URL | コメント編集

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