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2012'09.27 (Thu)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第十一章

東棟にある厨房『陽日の胃袋』は、これまで味わった事のない緊張感に包まれていた。
普段は喧騒で目まぐるしい厨房内が、押し黙ったように静まり返っている。皆、唾を飲み込む事さえ躊躇うほどの静寂に、ただ頭を下げていた。
その時、遠くから近付いてきた足音が厨房の扉を開ける。その使用人は一斉に注目された視線にたじろきながらも、実直に役目を果たす。
「正餐の間に来賓の方々、全員が着席なされました。ドフィネ公の挨拶も済まされ現在は丁度、乾杯酒が振る舞われているところ」
そして一度呼吸を整えると、やや上擦った声で告げた。
「シャルル王子を招いた正餐が、始まりました」
その合図と共に調理人達は、厨房の中央に立つ俺とサリーへ視線を映す。俺は腕組みを解き、賄い用の竈の脇辺りで大きい構えの椅子に座ったマエストロへ、目配せをする。無理矢理ベッドから抜けてきたからか、若干の苦悶を浮かべるが、強がって大御所らしく頷いた。
俺は視線を調理台へ戻し、軽く深呼吸をすると全体に届く声で伝えた。
「ではアミューズに取り掛かる。温めておいた食器をここへ。サリー、ラビオリを湯から引き揚げろ。ディック、ソースの準備を」
『ウィ! ムッシュ!』
俺を指示に合わせてサリーを中心にした調理人達が一斉に動き出す。
全員、一糸乱れぬ整頓された行動はまるで一個の生命体のようだ。それもそのはず、この時の為に幾度となく導線は確認している。
正餐に列席した貴族は全員で十二名。
主賓であるシャルル王子を始め、ホスト役のドフィネ公とその夫人。デザートにうるさいパバローネ伯爵に諸国の要人を少々。僅か十二名のために約五十人はいるであろう調理人が動く。給仕係の連中を含めれば人数はその倍はなるだろう。
「サリー、ラビオリは一人に対して五つずつ。盛り付ける順番と向きに気を付けろ」
「アイアイサー」
お手製のキッチントングを使い、機械のように精密に皿の上へ料理を盛り付けていくサリー。その後に続けてディックが仕上げのソースをかけていく。
サリーに比べれば幾分愚鈍に感じるが、これが通常の人間の速度だ。サリーの手の動きが速すぎる。周りで見守った調理人達は、サリーのその手捌きの良さに思わず感嘆の溜め息を漏らした。
「第二テーブルはオードブルに取り掛かる。皿の準備、カリフラワーのクリームとガルニのハーブ班は支度を整えろ」
『ウィ! ムッシュ!』
「参謀長殿、アミューズが完成した! 最終チェックを頼む!」
「良し。コミ・ウェイター達、運びに掛かれ。一人一枚でいい。持つ時は皿の縁に指紋が付かないように注意しろ。慌てて走るな。気負うな。サリー、オードブルの盛り込みに取り掛かる前に必ず一度は手を洗え」
『ウィ! ムッシュ!』
俺はマエストロのように饒舌ではないから、淡々と無機質な指示出ししか出来ない。というよりも、あまりの緊張で目と口を動かし指示を出すだけが精一杯なのだ。
脳天は昨晩からマヒしたように痺れ、手足は震えが止まらない。冷や汗などは出し尽くしたのか、肌の表面はガサガサで敏感になり痛い。
何かの拍子に心のタガが外れそうで、叫び逃げ出したい衝動に駆られてしまう。しかしそれをどうにか抑制していられるのは、懸命に立ち振る舞う調理人達や、脇腹の痛みを必死に堪えているサリーの姿があるからだった。
彼らが臆病に固まった体の代わりに、手指となって動いてくれる。この厨房自体が同じ精神で繋がった共同体でいてくれるから、俺の神経もギリギリのラインでつなぎ止められていられるのだ。
ならば彼らやサリーに敬意を払い、俺も俺の役目であるブレインの立場を遂行するまで。全員でこの正餐を成功させるのだ。
だが、そんな張り詰めた精神状態の中でも、一つだけ気掛かりなことがあった。
あの晩にサリーと交わした会話の中で生まれた懸念、本当にこのメニューで正しいのかという不安だった。
俺の中にあるレシピ本の総力を結集して、この時代にこの地方にある全てを用いて最高峰のメニューを作ったと自負している。
でも何かが足りないような気がしてならなかった。
味やメニュー構成ではなく、もっと根本的な料理の本質のような何かが欠けている気がしてならなかった。それが何なのか探り当てられないまま、順調に時間は進行していった。

魚料理まで出し終え、続いて肉料理に取り掛かる。未だ緊張感は途切れないものの、渋滞のない進行に厨房内の空気は幾分穏やかさを取り戻してきた。
ウェイターによれば客人の評判は上々で、今のところ賑やかに正餐は続いているという。俺は胸の中にあるシコリのような気掛かりからは一旦、目を反らして指示を出す。
「続いて本日のメインディッシュだ。アレン、仔牛のローストをオーブンから外せ。サリー、デクパージュ(客の目の前で切り分けること)は昨日練習した通りだ。曲芸をしろとは言わんが、客に魅せるのも調理人の役割だぞ。存分に包丁を振るってこい」
「アイアイサー」
おとなが寝そべられそうなほど大きいプラッターに盛り付けられたのは、丸焼きにされた仔牛と付け合わせの野菜が各種。こればかりはこの時代に合わせた料理にしたが、ソースは本格派のフォンド・ボー。目でも舌でも存分に味わえるはずだ。
御輿のように担がれたプラッターの後ろを、サリーやソース担当の盛り付け補助の調理人が追っていく。あとはあちらに任せてこっちはゆっくりとデザートの準備に取り掛かればいい。
皆、同じ気持ちだったのかホッと肩を楽にした。
このまま何事もなく正餐が終わる予感に、厨房内の空気が弛緩する。俺も取り敢えず気持ちだけは張り詰めつつも、姿勢を崩して厨房内を見渡した。
マエストロの忠告もあったからか、内通者の妨害を警戒してサリーの傍から離れないように気を付けたが、そんな雰囲気など微塵も感じられなかった。ここまで人が密集し皆が規律正しい行動をとれば、不穏な動きを見せる人間などすぐに捕らえられるだろう。どうやら取り越し苦労だったらしい。
その時、厨房の隅で一際キツい芳香を放つスパイス置き場にいる、マルコ爺さんが目に付いた。
今日はベタベタの香辛料たっぷり料理は完全に排除したメニュー構成になっている。だから当然ながらマルコ爺さんの役目などなく、しょんぼりとうなだれているが、マルコ爺さんは何故か熱心に乳鉢で何かをすり潰していた。
「なぁ、アクラム。マルコ爺さんは一体何をしているのだ?」
俺は近くにいたウェハー担当のアクラムに尋ねる。するとアクラムはしばらく考えた後に答えた。
「あれはきっとマエストロの滋養剤を調合しているんじゃないかな」
「滋養剤? あんなただのスパイスが効くのか」
「スパイスはどうかしらんが、ハーブにはそういった効用があるというぞ。事実、マエストロは体調が悪い時はいつもマルコ爺さんの滋養剤を飲んでいる」
そう言われれば、と感心しながら俺はゴリゴリと乳鉢を摺るマルコ爺さんを眺めた。あの爺さん、舌は馬鹿だが調合の腕は確かなようだ。
まるでスパイス挽きではなく薬剤師のようだ、と思った瞬間、頭の中で何かが音を立てて弾ける。
ビクリと身を竦めた俺を訝しむアクラム。
「ど、どうかしたのか。参謀長?」
「……これだったのだ、足りなかったものは」
アクラムの問い掛けにも目をくれず、俺は高速で頭を回転させた。あの晩からのモヤモヤした原因がようやく氷解したのと同時に、俺はどうにかしなくては、とはやる気持ちを抑えきれず、ソワソワと辺りを見渡した。
理由を伝えれば他の調理人でも理解してくれるだろうが、果たして俺の要望に見合う食材をポンと用意出来るか疑問だ。俺はレシピ本を高速でめくり検索を掛ける。ちくしょう、この時代にある食材では不足過ぎる。この時代では無理だ!
その時、俺はあることを思い出していた。マエストロは確か、誰かが引き上げて持っていったかもしれない、と言った。
そんなことをする人間に心当たりがあるとすれば、あいつしかいない。それにあいつなら、そこまで人員を動かせる権限を持っているはず。
途端に様子がおかしくなった俺を、他の調理人達は何事かと見守る。壁際のマエストロも眉間にシワを寄せて俺を眺めていた。だが俺はそんな視線など構わず、通用口に向けて駆け出した。
しかしそんな俺の行く手を、急に誰かが阻む。
「どうした、参謀長殿! まだ正餐の最中だぞ。何か必要な物を取りに行くなら、私も同行しよう!」
俺の前に立ちはだかったのは、デザート担当のドライゼだった。左腕には痛々しく包帯が巻かれている。本来なら寝床で療養していろと沙汰があったが、後学のために是非居させて欲しいと頼まれたので渋々了承した。
「いや、大した用ではない。俺一人で大丈夫だ。通してくれ」
横をすり抜けようとする俺を、なおもしつこく通せんぼうをするドライゼ。
「そうはいかん。参謀長殿は我らにとって大事な身、なにかあっては困る。ささ、私も共に行こう」
なんだ、コイツは。怪我人のくせにしつこい奴だ。と若干イライラしつつも、俺はあることに気付き首を傾げた。
コイツ、確か襲われたのは二週間前。あの時に負傷したのは右腕じゃなかったか?
俺の見間違いだろうか。コイツ、何故左腕に包帯なんか巻いている。
その時、俺はあの晩にサリーがいった言葉を思い出すと同時に、戦慄が走った。
『一人だけ良い動きをしていた奴がいたが、左腕を斬りつけておいた』
努めて表情に出さないようにしたが、どうやら遅かったようだ。
俺が勘付いたことを悟ったドライゼは、笑顔をそのまま醜く歪めた。俺は視線を反らさず一歩後退して、声の限りに叫ぶ。
「コイツが内通者だ!」
その瞬間、ドライゼは空いている右手で懐から鈍い光を放つナイフを引き抜き、振りかぶる。誰の声か知らない、絶叫が厨房内を駆け巡った。
俺は凶刃から逃れようとして足がもつれ転んでしまい、地面を這い蹲り逃げる。
覆い被さるように追うドライゼ。きっと俺の用心棒代わりのサリーが離れるこのチャンスを待っていたのだろう。
俺は心の中で何度もサリーの名前を叫んだが、ドライゼは足で俺の背中を踏みつけ、動きを制した。
絶体絶命! ナイフが俺の背中に突き刺さる! と思った瞬間、疾風が俺の背中を駆け巡ったと同時に、体がふと軽くなった。
恐る恐る頭を上げると、厨房の壁に叩き付けられたドライゼと、俺の傍にダラリと腕を垂らして構えた男が一人、立っていた。
「……ダ、ダンディーヌ?」
見上げる俺に、ダンディーヌは親指をグッと立てて満面の笑みを浮かべる。
何が何だか分からず混乱する俺の目の前で、壁に叩き付けられたドライゼは立ち上がると、怒り狂った形相でナイフを振り回し突進してきた。
万事休す! と思った矢先、ダンディーヌは勇ましくも強靭な刃物を持ったドライゼへと立ち向かっていった。
俊敏に体を左右に振りナイフを交わしがてらフェイントを当てる。そしてその体へ左手を滑り込ませたと思った瞬間、ドライゼは軽々と宙を舞った。
「左から来た何かをっ! 右へっ! 受け流すっ!」
吹っ飛ばされたドライゼは反対側にある壁に叩き付けられ、その頭上に壁面へ掛けてあった鍋や調理機材が雪崩のように降り落ちた。
「今だ! ひっ捕らえ!」
ダンディーヌの掛け声で我に返った調理人達は、既に調理機材で埋まったドライゼの上へ覆い被さり、縄でグルグル巻きにした。
呆気にとられた俺に微笑みを浮かべ、手を差し伸べるダンディーヌ。その手を握ると、俺の体をスッと立ち上がらせた。
ダンディーヌの動きはまるで合気道のようで、まさに左にあったものを右へ受け流してしまったようだ。
「あ、あの……何と言ったらいいか。とにかく助かった、ありがとう」
この滅多に他人へ感謝を述べない俺が思わず素直に頭を下げるほどの功績を、妙なフランス人は親指を立て、
「何の事だい! 僕はただ、左から来たサムシングを右へ受け流しただけさ!」
と爽やかに受け流しただけだった。
命の恩人にこんなことを言うのも何だが、お前のスキルは本当に調理場では必要ないだろ。最早、呆れを通り越して……さすがは中世ヨーロッパだな。
キラキラと輝く笑顔のダンディーヌにしばらく呆けていたが、俺は今やるべき事を思い出す。ダンディーヌにもう一度、礼を述べると、俺は通用口の扉を開けて、西棟へ続く通路を躊躇なく駆け出した。
以前、マエストロから屋敷内を案内してもらったときに、敢えて足を踏み入れなかった場所がある。それが西棟の厨房『月光の胃袋』だ。
俺はその厨房の扉前に立ち、呼吸を整える。思わず腰が引けそうになるが、いま勇気を出さなくていつ出すのだと自分に発破を掛けて、俺は勢いよく扉を開けた。
「メイ! いるか!」
屈強な肉体を持つ調理人が、一斉にこちらを振り向いた。東棟の連中と違って明らかに人相の悪い男達に、俺は思わずたじろぐ。
すると、そんな男達の奥から聞き覚えのある声が上がると同時に、モーゼの十戒のように人垣が道を開けた。
その先には、着崩したチャイナ服姿でワインが入ったジョッキを傾けるメイがいた。
「よくここに来れたな、ダメ岡。敵地に丸腰で乗り込むなど、なかなか見上げた根性アルね。今だけは、ほんのりダメ岡くらいに昇格してあげるよ。で、何の用アル?」
 とろりと目尻を下げるメイに、俺は火急の用件を告げる。すると最初は驚いて目を丸くしたメイは、嬉しそうに立ち上がった。
「うむ! 今だけはさらに、ダメじゃない岡に昇格アル!」
 ……いい加減に、ダメから少しは離れろ。

デザートはすっかり出し終え、貴族達は正餐の余韻に浸りながら、食後酒に舌鼓を打っていた。
ドフィネ公の部屋と造りが似た大広間の中央に、たった十二名が席に着くには広すぎる大理石のテーブルが置かれている。そのテーブルに対して一番下座に位置する席から三メートルほど離れて、サリーが恭しく頭を垂れていた。その隣にはマエストロが、負傷した体を精一杯伸ばして椅子に座っている。
きっと今晩の正餐の料理の総評でも頂戴しているのだろう。
「いやはや、至極満足とはまさにこの事よ。次から次へと見たこともない料理の数々、私は異国の地に赴いたような気分を味わいましたぞ」
「うむ、しかもそれがまことに美味! これまで食べてきたものが一体なんだったのかと、疑いたくなるような絶品ばかりであった」
「我が輩は魚料理が最も気に入った。真鯛がまるで舌の上で泳ぐような甘美な感覚であった」
「フハハ、ドレル公爵らしい実に詩的な感想である。儂はやはり何と言ってもデザートであるな。先日も当屋敷でプリンなる摩訶不思議なデザートを食させて頂いたばかり。今日も今日で満足だったぞ、タイユヴァン。しかし……どうにも理解しがたいのは、この小さな皿かのう」
「う、む……。私もこの様式の正餐は初めてな体験だったので新鮮であった。小さな皿に各々の料理が盛り付けられている。確かに芸術性は感じられるが、随分とこじんまりした印象であった」
「我が輩もそれは気になった。正餐というものはこう、テーブルの真ん中に料理をこれでもかというほど、豪勢に盛り付けてもらわなくては気分が乗らん」
初めは絶賛していたが、次第に今回の料理スタイルについてケチをつけ始める貴族達。
こういった連中は総じてこんなものだ。最初は誉められるだけ誉めちぎっておいてから、批判をしなければ気が済まないのだ。まるで批判をするのが自分のステータスだと言わんばかりに。
「こんなチマチマとした料理の出し方、何か意味があるのかね? 貴様等、調理人とて面倒であっただろう」
「むう、以前に何かの文献で見聞きしたことがありますぞ。なんでも古代ローマ帝国では、かような食事作法が流通していたとか」
「なんと! では我々はそのような野蛮な食わされ方をされていたのか! これは、いやはや……」
「粗野であること、この上ない。道理で味付けも薄すぎると思っていた。いつものふんだんなスパイスはどうしたのかね? こんな煮汁ばかりで味付けしたような料理は、一体どういうことか、タイユヴァン」
「我々には貴重なスパイスなど食される価値がないと思われたか。解せんな」
次々と批判を漏らす貴族達に対して、反論も出来ずただ頭を下げているマエストロ。
サリーも同様に頭を低くしているが散々に言われて悔しいのか、握り締めた拳がプルプルと震えている。
同席していた主催者であるドフィネ公は、高貴に微笑みを浮かべて沈黙しているが、その裏に不安の色を隠しているのが手に取るように分かった。料理の批判は自分の屋敷全体に対する評価に等しい。サリーやマエストロ以上に心苦しいだろう。
隣の一番上座に居るシャルル王子だけが、眼を閉じてジッと黙っていた。まだ若いうえに少し痩身な王子に批判的な言葉を漏らされないだけが、せめてもの救いか。
俺は溜め息を吐くとテーブルに歩み寄り、空いている場所へ手に持った土鍋を置いた。
突然の闖入に目を見張る貴族達。ドフィネ公は以前に俺から詰め寄られた経緯があるからか、あからさまにビクッと身を竦めた。
「お前ら、まだ胃袋に余裕はあるか?」
つっけんどんな俺の言い方に、お歴々の貴族達は眉をひそめる。
「お前は何者じゃ?」
「今日の正餐を全て取り仕切った当屋敷の東棟厨房『陽日の胃袋』、料理指南参謀長だ」
マエストロが額に手を当てて低く唸った。こいつにしてみたら俺の存在は出来るだけ秘匿しておきたかったのだろうが、知ったこっちゃない。それに俺からしてみれば貴族とはいえ所詮は七百年前の人間。先祖でもなければ化石燃料にすらならない存在に敬意を払う義理はない。
「で、ぐだぐだとケチをつけるくらいならまだ腹には余裕があるのだろ? だったら最後に是非食べて貰いたい料理があるのだ。サリー、全員分を取り分けろ。そこに突っ立っている給仕係、皿を持って来い」
俺の指示で正気に戻ったのか、サリーがおずおずと前に歩み寄る。次いで壁際にボサッと立っていた給仕係が動き出す。
全員に料理が行き渡る。貴族達は不思議な顔で取り分けられた料理を見つめた。
「これは、粥か?」
「あぁ。冷めないうちに早く食いな」
俺の合図に合わせて貴族達は木のスプーンで粥を救うと、恐る恐る口へ運んだ。そして咀嚼をしていくにつれ、みるみるうちに表情が変わっていく。
「この粥は、この風味は一体……」
「懐かしいような、それでいて新鮮な感激が胸に溢れる……」
「参謀長とやら。これは一体何の粥だ。説明をいたせ」
偉そうに言う割にせわしなくスプーンを動かすパバローネ伯爵。俺は小さく鼻で笑い飛ばして説明を述べた。
「これは米を用いた粥で、カツオを燻製にした出汁を使ったスープをベースにした、俺の国特有の料理だ」
「ではこのハーブはなんじゃ? 初めて嗅ぐ芳香を放っている。他に具材といえば、大根や蕪か?」
粥の中に漂う緑色の葉をスプーンで突っつく貴族。そんな疑問に俺は自分の国なりの言葉で返した。
「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」
独特のリズムに乗せて語を読む俺に、一同は目を丸くする。他の文化を持つ人間が耳にすれば、まるで呪文を唱えたように聴こえるだろう。
「俺の国ではこの料理を七草粥と呼ぶ。年明けの弱った胃袋を元気付けるために食されるのが一般的だな」
その時にサリーはハッとした表情で俺を振り向いた。俺はそんなサリーの眼差しを敢えて無視して、話を続ける。
「俺の国には医食同源という言葉がある。健康と食事は密接な関係上にある、という意味だな。食事とは肉体を維持する役割と、嗜好を満たす役割を担う。だがお前らときたら、ただ単に珍しいもの、ただ単に刺激が強く美味いものばかり追い求める。まぁ、それは調理人である俺たちにも一端の責任があるのだが」
そう言って俺はマエストロを横目で睨む。まぁ、知らなくては仕方ないことだがな。
その時、一番前に座っていたパバローネ伯爵が憮然と反論をした。
「それのどこが悪いのじゃ。好きな物を好きなだけ食らう。そういった生活に浸れるのも我々、貴族の特権である。平民のそなたにはわかるまい」
「その割には七草粥を食べる手が止まってないぞ。体が正直に求めている証拠だ」
さっきからむさぼるように粥をがっついているパバローネ伯爵。指摘を受けたことが恥とばかりに睨みつけるが、依然としてスプーンが止まらないので迫力に欠ける。
「確かに俺の国にも、忠告を無視して美食に狂う馬鹿もいる。そういった人間が行き着く先は総じて同じ。……死だ」
その言葉に全員、心当たりがあるのか一斉に手を止める。俺は目の前にいる、その美食に狂った末路に一人息子を置いて他界した、その愛すべき馬鹿に似たドフィネ公を見つめる。
「過度な味付けは体の機能を破壊し、過度な香辛料の刺激は味覚と精神を狂わせる。そんな生活を続けていって死んでいった人間が、お前らの近辺にも山のようにいるだろう。それなのに改善しようとしないお前らの意識も既に蝕まれていると、何故気付かないのだ? たかが食事、されど食事なのだ。生きるためのはずの食事が、お前らの命を奪うのだ。だがな、さっきも言ったように医食同源だ。食事は薬にもなる。今、食べている七草粥などが最も良い例だ。これらの香草がお前らのボロボロの胃袋を必死で修復してくれているだろう。さっきの食事もそうだ。無駄に味を誤魔化すスパイスは使わず、食材の持ち味を最大限に引き出し、バランスの良い栄養価を計算した」
シンと静まり返った大広間に、俺の演説だけが響く。
「俺はな、そこまで考えてこそ、食べる人間の本当の幸せを願ってこそ、調理人ではないかと思う。ただ美味いだけ、ただ珍しいだけなど料理ではなく曲芸だ。食べる人間の体調や健康を気遣える調理人こそ、俺の目指す調理人なのだ」
それが、俺が二十年間、世界中の美食を食べ尽くして、大好きだった親父の死を通して学んだことだった。
一言も発してはいないが、貴族達の体は本当に正直なもので、まるで空になった皿に説教でもされているかのように、首を垂れていた。
その時、真っ正面に座っていたシャルル王子が急に立ち上がり、手をたたき拍手をした。
「見事! なんとも見事な心意気に感銘を受けました、参謀長殿!」
一同がキョトンとする中、シャルル王子は咳払いをするとゆっくりと腰掛けた。
「皆様もご存知のように私は幼い頃から体が病に蝕まれて、年の割にみすぼらしい痩身であります。ですから食事には常日頃から気を遣い、皆様と同じ食事を最後まで付き合うことが叶いませんでした。しかし、見て下さい! なんと病弱な私が、初めて正餐の食事を完食し果たせたのです! これも一重に参謀長殿の深いお心遣いのおかげと感謝申し上げます!」
興奮に瞳を輝かせなからも、すっきりと背筋を伸ばしたシャルル王子の姿は品の良さを損なわない。シャルル王子は再び列席した貴族達を見渡す。
「皆様も知っての通り、我がフランス王国は宿敵イングランドとの戦況も思わしくないばかりか、追い討ちをかけるが如く黒死病の蔓延と、国民は常に不安と隣り合わせの生活を送っていると聴きます。それなのに、国民を守る我々貴族が不摂生を続け、命の灯火を戦場ではなく食卓で散らすのはとんでもない不名誉ではないでしょうか! 貴族である我々は国民の模範であるべき、とは貴族として騎士として当然の責務です。我々がだらしない食事を続ければ国民も倣い、いずれは王国そのものを腐敗させていくでしょう。私は今夜の正餐に王国の行く末と、貴族としての正しい志しを見直す機会を神が与えて下さったような気がしてなりません。だから、いずれはこの王国を背負う者として、改めて国民のために全身全霊を賭して模範である貴族であり続けることをここに宣言します!」
高らかに宣誓を述べたシャルル王子に感銘を受けたのか、貴族達はすかさず立ち上がり大きな拍手を送った。尊厳な眼差しを向けてシャルル王子が言った。
「もう一度感謝を述べさせて頂きたい、参謀長殿。そして満身創痍ながらお越し下さったタイユヴァン殿と、可憐な懐刀であるサリー殿にも絶大なる感謝を。『陽日の胃袋』の存在は後世まで末永く繁栄されるよう、私からも引き立てさせて頂きます。如何でしょうか、ドフィネ殿?」
それが合図のように、ドフィネ公とマエストロは目配せをして頷き合った。
俺はそのやり取りに安堵の吐息を漏らし、急に手の平を返したように料理を絶賛し始めた貴族に背を向けて、大広間を後にした。

美術館のような長い回廊を歩いていると、後ろから俺を追ってくる足音が聴こえてきた。俺は歩調を緩めずそのまま真っ直ぐ進む。
「ワタル! 待ってくれ、ワタル!」
サリーの弾む声に後ろ髪引かれる思いで足が止まりそうになるが、俺は歯を食いしばって歩き続けた。
「待てと言っているだろう!」
サリーの白魚のような指が俺の腕を捉え、歩みを阻んだ。慌てて走ってきたからか、サリーの乱れた息が耳につく。
「正餐は大成功だったようだな。これでマエストロは正式に料理長に就任するだろうし、そうなればこの屋敷で起こっている下らない紛争も終結するだろう。サリー、お前も今回の手柄で昇級するかもな。お前、いま星いくつだ?」
「……一つだよ、馬鹿者」
「じゃあ三つ星くらいにはなるんじゃないか。でもお前、頭悪いから駄目だ。あまり上の立場になると下の人間が迷惑だから、やめた方がいい」
「う、うるさい。ほっとけ。……お前一度、元いた時代に戻っただろう?」
驚いて振り向いた俺の目の前に、怒ったような悲しいようなサリーの顔があった。やっぱりさっき、七草粥の説明をしていたときにサリーは気付いていたのだ。
「……イヤな女だ。馬鹿なくせに妙なところで勘が鋭い」

更新日 10月5日

「あんな形状の鍋に、この時代に存在しない香草! 誰だって分かる! お前、一度は七百年後へ帰ったのに、また私達の時代に戻ってきてくれたんだよな? なのに、どこに行こうというのだ?」
つくづく癪に触る女だ。余計な時にだけ頭の回転が良い。
だが、そんなサリーが憎いとか、煩わしいとか、そういった気持ちは全く湧いてこなくて、替わりにどうしようもない愛しさが胸にこみ上げてきた。
「マエストロと交わした約束は果たした。どこに行こうとお前が知ったことではない」
踵を返して歩き出そうとした俺を、サリーが再び阻んだ。ただ阻んだのではなく、両手を回して後ろからきつく抱きしめて……。
「嫌だ! 行っちゃ駄目だ! タイユヴァンだって、他のみんなだってワタルがここに残ってくれるのを望んでいる! 七百年後になんて、帰らないで……! ずっと、そばにいて……!」
叫ぶサリーの声が徐々に掠れていき、弱々しくなっていく言葉に反比例して、俺に巻き付いた腕は解けないようにと強さを増す。
「私の傍から……いなくなっちゃ、やだ……」
サリーの声がすすり泣きへと変わっていった。目頭がグッと熱くなり、喉に堪えていたものが突き上がる。
しかし俺は、ボロボロと崩れそうな気持ちを懸命に我慢して、強く抱き締めたサリーの腕を丁寧に解いていった。そしてサリーの手を握り、涙でグシャグシャになった瞳を指で拭う。
「サリー、どうか元気で。いつか、立派な調理人に……」
それが限界だった。俺はサリーを突き飛ばすと、全てを振り切るように駆け出した。
後から追ってくる足音は、もう聴こえない。

回廊を抜けて、厨房へと続く廊下をいくと、前の方からチャイナ服を着た女が、小気味良くやって来た。
「どこに行っていた、メイ?」
「ちょっとタイユヴァンの執務室に。書きためていたル・ヴィアンディエを抹消してきたアルよ」
あっけらかんと微笑むメイに、俺は肩をすくめて見せた。さすがは従姉妹、考えていることは筒抜けらしい。
俺は感謝の意味を込めて、メイの頭を撫でたが、すぐ邪険に払い落とされた。
「触るな、ダメ岡。私に触れたかったら、もっとお金持ちになてイケメンになてからアル。もっともお前には到底無理アルけど」
「ふん。お高く止まりやがって。セレブに返り咲いても、絶対お前には触らん。麻婆豆腐臭いのがうつる」
お互いいつものイヤミの応酬を交わすが、顔を見合わせると小さく噴き出す。そして同じ歩調で目指すべき場所に向かった。
「やっぱり、帰るアルか」
「あぁ」
「あ~、明日からまたバイトを探す日々が始まるね。そうそう、冷凍庫は中庭に移動させておいたアルよ」
俺達は中庭へと続く通路を歩く。後ろ髪を引かれる思いではあるが、元いた世界に戻ろう。
さらば、中世ヨーロッパよ。



目次
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22:25  |  ル・ヴィアンディエ  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

スマホデビュー、おめでとうございます!
最初は慣れるまで大変だと聞きますが、どうですか?
私もスマホは気になってるんですけど…決心がつきません(汗)

さすが要人さん、料理に詳しいですね。
それにしても…この先誰か足を引っ張る人が出てくるんじゃないかと心配です。。。
ぽけっと | 2012年09月28日(金) 08:56 | URL | コメント編集

スマホ、というかアイフォンですが大変快適です♪
使い方が単純なのですぐに慣れましたよ。
今は無料アプリで面白いのがないか探しまわってます。

足を引っ張る人、確かに出てきますがあの人が解決・・・?
そして最後の料理にご注目ください。
要人 | 2012年09月28日(金) 23:04 | URL | コメント編集

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