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2012'09.16 (Sun)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第十章

シャルル王子を招いた正餐が、一週間に迫っていた。
厨房から戻ってきた俺は、マエストロの寝室に顔を出す。ベッドに横たわったマエストロは腹に置かれた書類から顔を上げた。
「どうだ、マエストロ。ある程度の食材は仕入れが可能だろ」
包帯が巻かれた手で紙の端を摘み、ヒラヒラと振ってみせる。
「あぁ、大体は問題ない。ただどうしても時期的に難しいのと、この時代に存在しない具材には印を付けておいた。この野菜にある、トマトと読むのか? どんな野菜なのだ?」
「ほう。十四世紀にはトマトが無いのか。ヨーロッパ原産のイメージが強いが違ったのだな。赤くて酸味が聞いたフルーツのような野菜だよ。煮込みにもサラダにも使える万能選手だ」
感心したように次の書類に目を通すマエストロ。正餐で出すフルコースのメニューと、それに使われる具材や調理法を事細かに書き記したものだ。

・フォアグラのラビオリ
・キャビアのジュレ、カリフラワーのクリーム
・伊勢海老 ヴァプール仕立てのエテュベ 人参のクーリで
・セップとジロールの包み揚げ、軽く仕上げた栗のスープ
・真鯛 グリエしてグリンピースの葉を添えサラダ風に
・小エビのクリームスープ
・ラカン仔鳩 ローストにクレソンとほうれん草のムースリーヌ
・仔羊鞍下肉のロースト、エスペレット唐辛子のジュ
・シェーヴルチーズ、タプナードと南欧風サラダ
・ウフ・ネージュ、イチジクのジュレ添え
・ショコラとキャラメルのミルフィーユ

「これを全て一人前の皿に盛り付けて一人ずつに配っていくスタイルか。今の時代ではとても思い付かないな」
中世ヨーロッパではプレートに盛り付けた料理を、大きなテーブルの中央へ装飾品のように置かれ、それらを自分で皿に取り分けて食事をするらしい。温かい料理を温かいうちに食べるという考え方はなく、テーブルを華麗にコーディネートすることを重視するようだ。
「それだってこのスタイルでの料理サービスが画一化されてきたのは、俺の時代からまだ五十年前らしい。だからこのワンプレートサービスを『ヌーベル・キュイジーヌ』と当時は読んだらしいぞ」
「ヌーベル・キュイジーヌ……新しい料理という意味か。そうだな、我々にしてみれば斬新で冒険心に満ちたスタイルだ」
それゆえに不安もある。正餐に出席するのは歴々の貴族ばかり。真新しいものを素直に受け入れてくれれば評価も上がるが、保守的な人間にはどう感じるだろうか。
特に主賓であるシャルル王子が機嫌を損ねたとなれば、マエストロだけなくドフィネ公の顔にも泥を塗ることになる。昨晩もそれで給仕係や他の調理人と散々揉めたのだ。
「気にすることはないぞ、ワタル。やりたいようにやってくれて構わん。昨日も言っただろう、全責任は俺が持つと」
俺の懸念を見透かしてか、マエストロは額に巻かれた包帯の下から笑顔を覗かせて励ました。
ヌーベル・キュイジーヌスタイルについて、元来通りの料理スタイルで行くべきと多数の反対意見があったが、それを抑えて味方をしてくれたのがマエストロだった。結局はマエストロの鶴の一声で渋々決定したようなものだ。
「もとより私は冒険好きでね、新しく面白いと思ったことは、試さないと気が済まないのだよ。私が今までやってこれたのも、無鉄砲にも感じる冒険心のおかげさ。シャルル王子だろうが気にする必要はない。むしろワクワクしているくらいだ」
「元気なオッサンだ。なに、気になどするものか。給仕係共にまで指導をしなければならないのが面倒なだけさ。明日もう一度、サービスの動作を練習させなくては」
わざと胸を張り、強がってみせる。ミイラのように包帯でグルグル巻きにされた怪我人が気丈に振る舞うので、こちらにしても負けていられない気持ちになった。
「厨房の方は問題ないか? 皆、ちゃんとワタルの指示に従っているかね」
書類について二点三点確認を終えると、マエストロは疲れたように深い溜め息を吐きながら尋ねた。確かに怪我人をあまり酷使するのは可哀想だ。
「あぁ、問題ない。みんな案外素直に聞いてくれている」
「サリーは、あの人は大丈夫か?」
「元気過ぎるくらいだよ。水を得た魚みたいに活き活きとしている。それにしてもあの馬鹿女の腕前は本当に凄いな。他の調理人共が追い付いていけてないくらいの速さ、そして正確さを兼ね備えている。今日の分の仕込みだって、ほとんど一人でやっつけてしまった」
切って良し、焼いて良し。ありとあらゆる調理器具を巧みに使いこなす。傍に張り付いて事細かに指示さえ出せば、サリーは実に正確に従ってくれる。これが自分の頭で考えて間違いなく行動出来るようになれば、歴史に名を残すほどの調理人になるだろう。残念なことに天は二物を与えず、か。
「そうか。それはきっと、ワタルとの相性が良いからだろう」
「んなことあるか。未だに水と油だ。まぁ、お互いに足りない部分を補い合っているのは事実だが。脳みそと腕前」
 俺の言うことにフムと独りごちてから、マエストロは声を一オクターブ落として言った。
「実はサリーにな、縁談がきているのだ」
何故だろう、急に話題が切り替わったからか、すぐに返答が出来なかった。喉の奥から飛び出そうとする言葉はたくさんあったが、グッと押し込めて洩れた声は「へぇ……」の一言だけ。寂寥感に似た感傷がじんわりと胸に滲んだ。
俺の顔色を注意深く観察するように、マエストロはポツポツと話を続けた。
「あの人も今年で十七歳、どこかへ嫁ぐには申し分がない年齢だ。そりゃ頭はちょっとだが、気立てが良くてご覧の通りの美貌なのでな、引く手も数多なのだよ」
「相手は……貴族か?」
「ほほう、これはこれは。本人から話は聞いていたか。そう、ご明察の通りとある貴族の方から熱烈なアプローチを受けている。没落という身分など気にも掛けないほどだ」
貴族に嫁ぐとなれば気苦労もあるだろうが、華やかな世界に返り咲ける。俺ならば喜んで戻るだろう。だが……。
「あいつは、何と言っているのだ? その気はあるのか?」
「もともと乗り気ではなかったようだが断るに断りきれない様子でな、承諾する運びに傾いてきたのだが……」
一瞬、サリーのウェディングドレス姿が脳裏をよぎった。体がビクンと竦み、頭の先端がチリチリと熱くなる。
「ここ二日間で意見が急に覆ってきたのだ。やはり嫁に行く気はない、とな」
「それは、なんでまた……」
たじたじと聞き返す俺に呆れたような眼差しを向け、マエストロはぶっきらぼうに「知らんよ」と言い捨てた。その態度が何を意味するのか、精神的に未熟な俺には知る勇気がない。
ただ俯いて頭の中を飛び交う甘酸っぱい憶測に、悩殺されるのが関の山だった。
「それと先程、悪い知らせが届いた。ワタルがご所望だった例の白い箱だが、すでにあの場所から姿を消していたらしい。見つけられなくて申し訳ない」
「ほ、本当か?」
「あぁ。サリーが放った後に崖下へ落ちていったがな、何者かに引き上げられた痕跡はあったようだ。そうなると見つけるのは、これまた至難の業になる」
「そうか。……それは残念だ」
だが口で言うほど本心からガッカリしていない事に、自分でも驚くほどだった。
七百年後の日本に、俺が元いた世界に帰る……つい数日前には心の底から願っていたことなのに、今となってはそれほど切望していない。
『陽日の胃袋』の調理人達の顔が頭の中に浮かんでは消える。そして、先ほど思い描いたサリーのウェディングドレス姿に、心は荒波のように揺れた。
「なぁ、ワタル。この度の正餐について取り仕切りをしてもらい、俺は言葉では言い尽くせないほどの感謝をしている」
マエストロは静かに語り始めた。
「だからこんなお願いをするのは筋違いだというのは重々承知している。承知した上で請う。この時代に留まる気はないか?」
「……」
「いや、そんな顔をせんでくれ。含むところはなく、このギョーム・ティレル一個人の本心を言ったまでよ。ワタルがやってきてからな、我が『陽日の胃袋』に変化の兆しが見え始めている。進化、といった方がいいか。他の調理人達もワタルを尊敬し慕っているし、ゆくゆくはワタルが当屋敷の厨房を担う器に大成すると思っているのだ」
真っ直ぐに見つめるマエストロの眼差しには、嘘の色など微塵も感じられない。部屋を照らす蝋燭が、ジジッと音を立てた。
「ワタルにも帰りたい故郷があるのだろう。それは分かるが、ここがワタルにとって魂の拠り所にはならないだろうか。私も他の調理人達も望んでいるし、勘違いでなければサリーだって望んでいるぞ」
無理矢理に感情を押し込めたからか、顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。何か一言でも口にすれば都合のいい本心がボロボロと零れそうで、俺は口を噤んで踵を返した。
残念そうに溜め息を吐いたマエストロは、苦しげに体をベッドに横たえた。肥えた体を預けられたベッドがギシリと悲鳴を上げる。
「今すぐ答えを聞きたいわけではない。ワタルにとっては一生の決断になるだろうからな。ただ、件の正餐が無事に成功した暁には、ワタルの本心を伺いたい」
俺は返事もせずに、薬臭い怪我人の寝室を後にした。

☆ ☆ ☆

「ただいま~」
ふらつく足で部屋に戻ると、そのままベッドに崩れ込んだ。ちょうどアンアンと淫らな声を上げながら包丁を研いでいたサリーが目を見張る。
「やっと戻ったか、ワタル。お前、だいぶ酒を飲んだのか? んふっ」
体中にまとわり付いた酒気を咎められ、俺は靴を脱ぐと仰向けになった。
「正餐で振る舞うワインを選んでいたのだよ。給するワイン一つで料理の味がガラリと変わるからな。それにしても、この時代のヴィンテージ物は美味い。ついつい杯が進んでしまった」
この時代のワインはまだガラス瓶が発明されていないので、樽内熟成が基本となる。現代のヴィンテージ物と違った風味があり味わいが良いが、どうしても料理の邪魔になりがちになる。
ワイン担当の給仕と散々協議をして、フレバーが控え目で腰がしっかりしたワインを選んだが、本当にひと苦労だった。
「なにせこの屋敷には百種類以上のワインが貯蔵されてあるからな。単なるテイスティングでも相当な量になる」
「百種類以上もあるのならばな。あまり飲み過ぎるなよ、んんっ。ワタルはゲソなんだから」
「それを言うなら下戸だろ。誰が烏賊の脚だ」
「そうそう、それ。もう少しで本番なんだから体調は整えておいてくれよ、ふぐぅ」
いつもの下らないやり取りが酔った脳みそに心地良い。そしてサリーとのやり取りがいつの間にか日常になっていると感じ、胸がキュンと縮まった。
「なあ、ワタル。何度も言うようだが、お前が考えたメニューの料理は本当に凄いな。画期的というか斬新というか、私達が予想もしなかったものばかり。まさに目からウンコだよ」
「ウロコだろ。それじゃ目ヤニじゃん。本当に糞が好きだな、ガーベラお嬢様」
「うむ。このメニューならばきっと列席された貴族の方々も満足されるだろう」
「満、足……?」
「そうだ。珍しく豪華な料理を口にしてこそ、本当の満足が得られるのではないか? あふんっ」
サリーの言葉が引っかかった。確かにこの時代で求められるサティスファクションを追求すればそうなるだろう。俺も色々考慮してメニュー構成をしたはずだ。
それなのに、気持ちのどこかで納得しかねる自分もいる。満足の裏側にあるはずの、本当の満足。分かりそうで分からない、そんな感触に気持ちはざわついた。
「それが、料理の本質なのだろうか。珍しくて豪華なだけの料理がもてはやされて、それで俺達は納得していいのだろうか」
「そういうものじゃないのか。ワタルは相変わらず小難しいことを考えるのだな。本質でも何でも良いではないか……うんっ、あはっ」
俺の独り言にサリーは包丁を研いだまま言葉を返す。何だかそれでかえって頭の中のモヤモヤは膨らんでいき、俺はベッドの上で幾度となく寝返りを打った。
「すまないが少し仮眠を取る。二時間ほどしたら起こしてくれ」
 それと、その変な声のボリュームも少し落として欲しい。悶々して眠れない。
「おいおい、まだ働く気か」
「当たり前だ。もう一度、当日の作業手順に抜かりはないか確認をしなくては」
「明日でも間に合うだろうに。タイユヴァンも言っていたぞ。んはっ、一流こそ催眠は上手く取る、と」
「睡眠だろ。自己暗示でも掛ける気か? とにかく起こせ。言うとおりにしろ」
ぞんざいな返事をするサリーに背を向けて、俺は固く目をつむった。
部屋にはサリーがナイフを研ぐ音と卑猥な声が響く。その規則正しい音に誘われ、日中にマエストロと交わした会話がふいに思い出される。酔いのせいか頭の滑りが良く、言葉が次々とリフレインされていった。
トマト……白い箱……シャルル王子……留まる……サリーの縁談……あはんうふん。
次々と浮かんでは消える言葉を振り払うように、俺は顔の前で腕を振る。そして体の向きを変えると、包丁研ぎに精を出すサリーを見つめた。
あんな怪力をどこに隠しているのかと、疑ってしまいたくなるような細い肩。少し荒れた白い手指。真剣に研ぎあがっていく包丁を見つめる表情と輝く瞳。
こんなまだあどけない少女が、縁談という矢面に立たされているのが信じられなかった。
時代のせいや文化の違いという、抗えない固体化した空気に包まれて生活を送る者として当然の義務だろう。そんなことは理屈で分かっていても、享受しかねる感情を持て余す自分が不思議に思えて、モヤモヤはさらに膨らむばかりだった。
もう一度、鬱屈とした気持ちを払拭したくて腕を振る。そんな俺を不審に思ったサリーが小首を傾げる。
「どうしたのだ、ワタル。寝ないのか? さっきからパタパタと手を振って。腕相撲の練習か?」
「どんな状況だよ、それ。とにかくうるさい。眠りの邪魔」
なおも不満げなサリーだったが、ふと押し黙ると、ベッドに横たわる俺の脇に膝をついた。そしておずおずと口を開く。
「そんなに寝付けないなら、ちょっと月光浴をしないか?」
決して目は合わせず、でも両目にはしっかりと光を湛えたまま、サリーは俺を夜の散歩へ誘った。

満天下の夜空を支配するのは、まん丸の月。原っぱ一面が月明かりに照らされ、幻想的で美しい。
サリーは嬉々と俺の手を引いて、白銀のステージに呼び寄せた。
「今夜は随分と月光が明るいな。まるで昼のようだ」
「まったくだ」
屋敷の脇にある草原に招いたサリーは、月光の養分を吸っているかのように精気を増していく。俺の手を離すと一人で原っぱの中央まで駆けていき、リズムに合わせて体を揺らし始めた。
不思議なステップを踏み、身をくねらせて踊るサリーに、俺は目を奪われる。
酔っていたというのもあるが、淡い月明かりのステージで舞うサリーがこの上なく清楚に見えて、自然と高鳴る胸の鼓動が抑えきれなかった。そして反面、何だかもの凄く切ない気持ちも波のように寄せては返した。
一通り踊り終えてすっかりご機嫌になったサリーは、子犬のように俺に駆け寄ってきた。
「どうだった、私の踊りは。今のもサリーに教わったのだ」
「あぁ、良かったよ」
「本当か? 久しぶりだったから、きちんとステップが踏めるか心配だったよ。ワタルも一緒に踊ろう」
そう言ってサリーは俺の両手を掴むと、原っぱの特設会場に招き入れた。
ダンスなんて生まれてこの方、やったことはない。サリーが強引に振り回すので、俺はやけくそになりデタラメなステップを踏んだ。
「ハハハ、なかなか上手じゃないか。これならダメ岡から、ややダメ岡に昇格だな。略してヤダ岡」
「うるさい! ダメ岡って言うな!」
怒って反論するが、口角が緩んで迫力に欠けた。サリーはそんな俺を見て、また楽しそうに笑い声を上げた。
激しいステップからサリーは徐々にテンポを落とす。それに合わせて俺も、ワルツのステップでゆったりと体を揺らした。
「なぁ、ワタル。知ってのとおり私は元貴族だが、今は単なる庶民でしかない。だから貴族特有の煩わしいしがらみに縛られる必要もないのだ」
俯き加減でボソボソと口を開くサリー。独り言のような呟きの後、何かを決心したようにサリーはパッと顔を上げた。
「ワ、ワタルのいた世界ではどうなっている? 婚姻について、何か特別なしきたりや制約はあるのか?」
俺はサリーにまつわる縁談の話を思い出した。とある貴族からアプローチを受けているが最近では悩んでいる、と。
「特にない。年齢制限くらいだな」
「身分は?」
「関係ない。そもそも俺のいた世界には分け隔てる身分などないのだ。全員が庶民だよ」
そうか、と頷いてサリーは押し黙ってしまった。ステップの刻みが段々と遅くなっていく。八拍子から四拍子へと弱まっていき、振り子と化して同じリズムを刻んでいた俺達は、緩慢に動きを止めた。
「ワタル。私をどこか遠い場所に、連れて行ってくれないか?」
心臓が乱暴に跳ね上がった。
キラキラと潤んだ瞳が、哀願するように俺へ訴えている。
「お前、何を言っ……」
「貴族から見初められた庶民に選択肢はない。今まで仕事のことや身分違いを理由にして、返事をうやむやにしてきたけど、これ以上は引き延ばせない。仲介役となっているドフィネ公やタイユヴァンにも、多大な迷惑をかけている。もう、私は嫁ぐしかないのだ!」
弾かれるようにサリーは俺の胸に飛び込んできた。虚を突かれて動揺する俺を、サリーは腕にギュッと力を込めて抱き締める。
「ワタル、シャルル王子を招いた正餐が終わったら、私と一緒に……」
震える声を押し出して言った、その時だった。

「その願いは叶わないよ」

背後から突如として聞こえた声に反応して、俺達は反射的に身を離した。そしてサリーは素早く抜刀をして俺を背に立ちはだかる。
「何者だ。返事によっては我が愛刀の錆びに変わるぞ」
「せっかくイチャイチャしていたところ、ゴメンね。機嫌を損ねたかな? 私は西棟のジノ・イエール。そう答えればいくらお馬鹿なサリーちゃんでも、どんな用事で私が来たか、察してくれるね」
その名前を耳にして、悪寒が体中を駆け巡った。マエストロを動けない身体にした、西棟の裏参謀が自ら表舞台に現れたのだ。
「誰がお馬鹿だ。それにまずは名前くらい名乗ったらどうだ!」
「いや。今思いっきり名乗っていたぞ」
さらに驚いたことがある。
やや鼻にかかった甲高い声。細くスラッとしたシルエット。顔こそは暗闇ではっきり捉えられないが、イエールとは女性だったのだ!
サリーといい中世ヨーロッパの女は凶暴過ぎる。しかし、イエールの声がどうも俺の耳に引っかかった。
「それにしても、お前もお前ね。見知らぬ土地、いや見知らぬ異界に訪れて、本名を名乗るなど愚の骨頂アル。だからお前はいつまでたってもダメ岡なのよ」
気付けば、大きな声で叫んでいた。
その口調に口ぐせ。抜群なプロポーションを包んだチャイナ服。妖艶な瞳が月明かりに照らされて煌めいた。
「メイ! どうしてお前がここにいる?」
俺のよく知った従姉妹が、中世ヨーロッパに現れた。しかも敵対する立場で。これで驚かない人間がこの世にいるだろうか。
「お前とはひどいアルな。可愛い従姉妹が、こんな世界にまで追い掛けてきてくれたのに」
「お前も、あの冷凍庫に入ったのか?」
「そういうこと。ただし時間軸設定が微妙にズレていたから、お前よか二ヶ月も先に来てしまたアルよ」
「……なんであの中に入ろうとした?」
「お前が言うか、ダメ岡? 理由なんて一つしかないアルよ。しかし悔しいと言えば、思考の行き着く先がお前なんかと同じというところね。どうせ逝くならスリーピングビューティーが、フェミニンな亀岡家の流儀だったからアルよ」
俺達の会話にサリーはナイフを構えながらも、不信感を露わにしてキョロキョロと目を動かした。
『陽日の胃袋』の人間にすれば、イエールという人物は忌むべき存在。そんな宿敵と自分らの参謀長が、明らかに互いを知り合い面しているのだから。
「おい、ワタル! この女は敵なのか! それとも味方なのか!」
理解出来ない状況に耐えきれなくなったサリーが吠えた。
決して俺が敵と内通しているわけがないと、この少女が自分に寄せてくれる信頼がこの上なく心地良かった。しかしそれが、刃物を向けた相手に斬りかかるべきなのか否か、サリーの中にある判断を大きくブレさせている。 
俺は答えることが出来ずに低く唸る。俺自身でさえ、いま目の前にいるメイをどう扱えばいいのか、探りあぐねいているのだから。
だが、そんな愚かな俺達に、西棟の裏参謀は無碍もなく言い捨てた。
「敵よ。私は敵アルよ、ダメ岡にサリーちゃん。一週間後に控えたシャルル王子を招いた正餐を、何があても成功させてはならない。最強の包丁か、最高のレシピ本。どちらかを挫かせて頂くアルね」
その一言がサリーの行動信号を本能レベルで直結させた。一瞬で間合いを詰めたサリーのナイフが、メイとすれ違う刹那に激しく閃いた。
中世ヨーロッパに来て、生まれて初めて気持ちを通わせた少女が、俺の従姉妹に切りかかったのだ。
しかしメイは斬撃を受けたというのに、何事もなかったかのように姿勢を崩さない。あまりに薄い手応えに、サリーは自分の握り締めたナイフと身じろぎ一つしないメイを見て、大きく目を開いた。
「やれやれ。こんな小娘に大の男が三人もやられるなんて。カタギの調理人には荷が重すぎたアルか」
メイの両腕からスルッと、黒い棒が姿を現した。柄が付いたその棒を、まるでカメラを向けられたモデルのように、メイはごく自然に構えた。その一分の隙もない構えに、サリーはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「お前、それトンファーか? いつの間に……」
「アマゾンで検索して買たアルね。護身用よ、護身用」
ふざけるな、何が護身用だ。この女、中国拳法を幼少期から習っていて、十代前半には腕前が既に達人級と評判だった。
同じ戦士として、対峙した瞬間に相手の実力を把握したのだろう。サリーは額から流れ落ちる汗を止められず、せわしなく何度もナイフを構え直す。
その目に見える焦りが、メイの余裕と嘲笑を引き出した。
「そういうことね、お馬鹿なサリーちゃん。無駄な足掻きは止めとくのが賢明よ。そこで一つ、取引はいかがか? 一週間後の正餐が終わるまで、あなたとダメ岡をこちらで幽閉させてもらう。もちろん手荒な真似はしないアルよ。ダメ岡は私の大事な親族アルし、あなたも使い道が無くはなさそうアルからね」
メイの取引内容に、体の震えが止まらなかった。こいつは一体、何を原動力にここまで俺達にハッキリとした敵意を持っていられる? 俺がこの時代にくる前の二カ月間の何が、メイをここまで変えたのだ?
素人目にも分かったが、サリーの力がメイを上回っているとは思えない。それは本人が顕著に感じたはず。正餐は失敗するかも知れないが、サリーが必ずしもこの場に命を懸ける必要はない。しかし……。
「うるさい! そんなナイのかアルのか言動が定かでない人間となんぞ、誰が取引などするか! それとワタルのことをダメ岡と連呼するな! そのあだ名はワタルが一番嫌うことを知ってのことか!」
……まぁ、お前もさっき普通に言っていたけどね。
理屈や論理が全く通じない生粋の戦士であるサリーは、戦ってしか相手の善悪を計れない。だからサリーは、自分の物差しであるナイフを両手にしっかりと握り締め、メイに疾走していった。
笑みを浮かべたまま、メイはサリーのナイフをトンファーで受け止める。強烈な力と力が衝突したように空気がビリビリと震えた。
「うぉー!」
喝を入れて次々とメイへ攻撃を止めないサリー。息つく隙のないほどに襲い掛かるナイフを、メイは丁寧にトンファーで防いでいた。
目まぐるしい攻防に、素人な俺はどちらが劣勢か分からなかった。しかし、月明かりを浴びながらうごめく二人の戦士の動きが、徐々に目で追えるようになってくると気が付く。やっぱりサリーの方が押されていた。
メイはサリーの斬撃をトンファーで捌きながら、蹴り技を織り交ぜていく。サリーはその蹴りを紙一重でかわすが、急所は避けながらも何発か貰っていた。その積み重ねが、サリーの動きを鈍らせていく。
いつの間にか攻守は入れ替わり、メイの攻撃をサリーがどうにかナイフで防いでいるという図式になっていた。
苦悶に顔を歪ませるサリー。また太ももをメイの蹴りが掠めた。
長引けば圧倒的不利だと悟ったのだろう。サリーは身を一旦低く構えると、メイに向かって突進していった。
蹴りを喰らってでも一太刀浴びせようと、捨て身の覚悟で相討ちを狙ったのだろう。地面を滑るように走っていくサリーへ、メイの脚がピクリと反応した。
しかし、その瞳は待ってましたとばかりに見開いていた。
「駄目だ! サリー!」
俺の声と同時に、地を這ったメイのトンファーが天空へと昇天する。鞭のように長くしなったトンファーが、サリーの脇腹をしたたかに突き上げた。
ミシッと嫌な音と共にサリーの体は宙に舞う。
「蹴りが攻め、トンファーが受けだと見事に引っかかってくれたアルね。お馬鹿なサリーちゃん」
吹き飛ばされたサリーはすぐに立ち上がろうとしたが、膝がガクリと折れる。脇腹をやられたのか、吐血が混じった咳にむせ込んだ。
「私の技は変幻自在が売りアルよ。トンファーの間合いの広さにビクリしたか?」
追撃はしようとせず、距離を取って不敵に微笑むメイ。闘争心は潰えていないが、確実に深手を負ったサリーは立ち上がれず悔しそうに唸った。
猛禽類のような鋭い眼差しで、獲物の弱り具合を目算したメイは、トンファーを構えるとゆっくりサリーへ歩み寄る。
「ではタイユヴァンみたいに両腕を挫かせてもらうよ。大人しくしていれば一瞬で済むアル。下手に抗えば手元が狂て、命ごと奪っちゃいそうで危険よ。はい、動かないで下さいね~」
俺は弾かれるように駆け出し、両手を広げ立ちはだかった。
「もう止めろ、メイ! 取引に応じるから、これ以上サリーを傷付けないでくれ!」
「ダ、メだ……ワタル。お前が、いなくては……厨房が回らん。今すぐに、逃げろ。私が、やられれば……」
「黙れ! 俺はもう、お前が傷付く姿を見たくない!」
あくまで護衛という役を全うしようとするサリーに俺は抗った。そんな俺達のやり取りに、メイはスッと表情を消す。
「なに、その臭い芝居? 反吐が出るから本気で止めて欲しいアル」
底冷えするような眼差しを向けるメイにゾクッとしながら、俺は声を振り絞った。
「メイもいい加減にしろ! 何を理由にここまでする必要がある? そもそも何故、お前が西棟の裏参謀として暗躍していた? 何が目的だ!」
するとメイは高笑いを上げる。乾いた笑い声が銀色の草原にこだました。
「ただ自分の居場所を守りたかっただけアル。お前も一緒と違うか?」
「居場所?」
「そうよ。ダメ岡、お前は元いた世界、日本に戻りたいと思うか?」
心臓が乱暴に跳ね上がった。
「あの誰も必要としない世界、自分が酷く惨めな存在にしか思えない、あそこに。お前もこの世界では理想の日常を築けたのと違うか? 自分を慕ってくれる仲間にチヤホヤされるのは、何とも言えない喜びアルよね? 私も同じよ。この世界にはまだ存在しない知識をちょろっと披露すれば私だて、たちまち重宝された。まるで亀岡家がまだあたあの頃みたく……そうアルよ」
メイは狂気にも似た執念を露わにして、高らかに叫ぶ。
「私は西棟の連中を率いて料理長になるアル! ひいてはドフィネ公をも手中に収めて、亀岡家以上の繁栄を我が物にしてみせるよ!」
「傲慢だ!」
「何が傲慢アルか! お前だて同じ穴のムジナよ! 未来人しか知らない知識をひけらかしタイユヴァンに取り入った! お前なんてズルいレシピ本さえなければ、誰からも相手にされない三流シェフじゃない!」
「……違う!」
俺の代わりに叫んだのはサリーだった。口元の血を拭い、脇腹を押さえてヨロヨロと立ち上がる。
「ワタルは、お前なんかとは違う。ワタルは一度たりとも、私達へ媚びるために料理の知識をひけらかしたことはなかった。私や、タイユヴァン……東棟のみんなが本当に困った時にだけ、渋々ながら英知を授けた。だからワタルは、お前が思うほどそこまでダメ岡じゃない!」
メイの頬がヒクッとつり上がる。そしてダラリと垂れ下げていたトンファーを構えた。
「小娘の分際で知ったような口を。……気に入らないわ」
「奇遇だな。私も口癖が安定しない中途半端な女が大っ嫌いなのだよ。アルが抜けてるアルよ」
「ふざけるな! 貴様に私の何が分かる!」
地を蹴って憤慨したメイが一気に距離を詰める。殺意の塊と化したメイに対峙して足が竦んだ俺を、サリーが乱暴に突き飛ばした。
驚いて顔を上げた俺に、一瞬だけニコリと微笑んだサリーは、腰をしっかりと据えてメイを待ち構える。さっきの相打ちを狙った態度とは違う、決死の覚悟が見えた。命を賭してでも一撃を喰らわせるつもりだ。
ナイフを頭上に構え、メイを迎え撃つサリー。俺は心の中で南無三! と唱え、サリーとメイの間に立ちふさがり、歯を食いしばった。

更新日 9月26日

瞬時に意識を奪うような衝撃が襲ってくるのを、今か今かと待っていたが一向に訪れない。
俺は恐る恐る目を開くと、黒光りするトンファーが鼻先数寸で止まっていた。驚愕に身を翻しかけた時、頬に冷たい何かが触れて体を強張らせる。サリーのナイフの峰がキラリと閃いていた。
目だけを動かし現状を探ると、お互いに武器を振りかぶった二人が、俺を間にして動きを止めていた。
トンファーが小刻みにプルプルと震える。苦悶を浮かべたメイが、悔しそうに歯を鳴らした。
「どうして邪魔をするのよ。お前だって分かるでしょ? 私はもう、あんな惨めな思いはしたくないの。みんなに頼られ尊敬され、愛されて生きたいの」
俺は細く鼻から息を吐く。そしてトンファーに手を掛けると、メイは力なく腕を下げた。そしてサリーの腕にも手を触れると、ブロンズヘアの少女もダラリと構えを解いた。
「……分かるよ。メイの言いたいことは、俺が一番分かっている」
キッと顔を上げて俺を睨み付ける。だが強がるメイの瞳に、うっすらと涙が滲んでいた。
「何がいけないの! 私はただ、私らしく生きたいだけなのに! いつも身勝手に周りが去っていく! 亀岡家も! お父さんも! お前も! だから自分から掴もうと努力しただけ! もう二度と自分が欲しいと思った世界が逃げないように、掴もうとしただけなのに!」
そう叫んでトンファーを振り上げたメイを、俺は力いっぱいに抱き寄せた。
「お前が間違っているわけじゃない! ただ、ココじゃ駄目なんだ!」
俺は今までになく愛おしいと感じた従姉妹に、耳打ちをするように切々と語った。同じ環境を送り、そして同じ絶望を味わった肉親の両手をこれ以上、罪で汚さないために。
いつの間にか、メイの頬を伝った涙が俺の肩を濡らしていた。
幼少時に怖い夢を見たと俺のベッドに潜り込んできた、あの頃のように、メイはしずしずと涙を流した。ゆっくりと手を離したトンファーが、地面に落ちる。そしてメイはその手を俺の腰に絡めた。
ホッと安息して俺は後ろを振り返ると、複雑な表情をしたサリーがナイフを鞘に納め、ぐったりと腰を下ろした。
月明かりに包まれた草原に、メイのすすり泣きが、いつまでもこだましていた。

 それ以降、西棟からの妨害はパタッと止んだ。
もともと全てはメイが策謀していたことなので、裏参謀自らの襲撃も失敗に終わった今では、おのずと行動を起こそうとする輩はいないだろう。
 ただし、例外が一つだけあった。あの晩、メイが去り際に不気味な発言を残していった。
『東棟に潜ませていた内通者が一人、幾度の召集にも応じないアル。他の連中にはこれ以上、馬鹿騒ぎをしないよう釘は刺しとくけど……。正餐の当日、重々気を付けるね』
 不安は拭い切れないながらも、正餐の準備は着々と進んでいく。
そしてタイムリミットはあっと言う間に訪れ、ドフィネ公の屋敷ではこれほどにはないくらい盛大にして豪華に、シャルル王子を出迎えた。




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20:31  |  ル・ヴィアンディエ  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

何だかやたら忙しくて、ずっと読めなかったのですが、ようやく追いつきましたよ~。
先日、タイムマシンの話をしましたが、要人さんの小説を進んでいなかった時なので、
この小説読んで質問した自分にビックリしました(笑)
挫折を味わっている人にも光が見えてきそうな話ですね。
私も救われそうな気分です♪
ぽけっと | 2012年09月19日(水) 15:45 | URL | コメント編集

おお、ようやく追い付きましたねw
たしか過去には行けないと断言していたはずですが、
思いっきりタイムスリップしちゃってました。
フィクションなので許して下さい!
要人 | 2012年09月19日(水) 22:01 | URL | コメント編集

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