2017年11月 / 10月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫12月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2012'08.28 (Tue)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第七章

「……と、以上が昨日作ったソースの本来のレシピだ。ちなみに煮汁、というかブイヨンをきちんとフォンド・ボーを使用してフルーツの甘みをマディラワインだけにすれば、正当なデミグラスソースになる」
「フォンド・ボーとは、何だ?」
「仔牛の骨や肉と野菜で煮出した出汁のことだ」
「仔牛を? 煮汁だけのためにわざわざ幼い牛を一頭潰すのか」
呆れた様子でペンを止めるマエストロ。そうだった、この時代に牛は農耕用の家畜としての扱いが一般的で、食用など年老いたものだけだったらしい。
「俺の時代で牛は食用で最も人気の高い家畜だ。もっとも牛が食用として流通し始めたのは俺のいた時代から二百年前だがな」
明くる日、朝食もそこそこに俺はマエストロにせき立てられ執務室にやってきた。そして自身の著書『ル・ヴィアンディエ』を製本協力させられているのである。
協力というよりも俺が知っている現代の調理知識を書き記すというズル行為をしているだけ。俺が今までため込んできたレシピ本がまさか歴史のオーパーツになろうとは、つい三日前まで想像もつかなかった。
人類の未来に対する多大な背徳心を抱きつつ、俺はマエストロと交わした取引を成立させるために、こうして頭の中にあるレシピ本を、余すことなく開示しなくてはならないのだ。
「ちなみに出汁の種類を変えただけでもソースの種類は無限大に広がる。フォンド・ボーに限らず野禽の出汁ならフィメ・ド・ジビエ、甲殻類の出汁ならクリュスタッセ……このブイヨンで有名なソースならアメリケーヌソースか」
「待て待て。出汁の種類とソースのレシピを始めから詳しく教えろ」
「おい、まさか全て書き記すつもりじゃないだろうな。一体何十種類あると思っているのだ」
「まさか。全て書き記すに決まっているだろう。当然ながら全ての種類のレシピは頭に入っているのだろ? ならば残さず全て吐き出せ、錬金術師殿」
したり顔で俺の頭部を指差すマエストロに、どこまで傲慢なのかとただただ呆れるばかりだった。俺はマエストロの指示通り膨大に詰まったレシピ本の綴りをぶちまけるべく、不味い果汁のジュースを口に含んで喉を潤した。

それから約二時間、俺はレシピの材料から分量までこと細かに話し、マエストロは乱暴にペンを走らせながら書き記すだけ書き記す作業に没頭した。
さすがにぶっ通しとなればお互い疲弊もするわけで、俺達はどちらとなく吐息をはいて休憩に入る事にした。
ベースがブイヨン系のソースは粗方説明し尽くしたせいで、喉がカラカラに乾く。ジュースを流し込むとマエストロが気を利かせて新しいものを注いでくれた。
結局、五十ほどのレシピを解説したが、自分でも驚くくらいソースの種類はあるものだと感心し、さらによくそれだけのレシピを暗記していたものだと自分の記憶力に脱帽した。
しかし、これだけの調理法を覚えていても、使いこなせるだけの腕がないのが相変わらず歯痒くて仕方ない。
あの頭は悪いが曲芸じみた真似が出来るサリーが羨ましく感じる。あそこまではいかずとも、せめて人並みに包丁くらいは握りたい。
「なぁマエストロ、あの馬鹿女は一体何者なのだ?」
「馬鹿女、とは?」
「サリーだよ、サリー」
あぁ、と合点が入ると途端にマエストロは助平臭く破顔する。
「どうだった、一緒の部屋で。ワタルが期待するようなアクシデントは起きなかっただろう?」
「あぁ。あんなのに寝顔でも向けようものなら、ナイフの刀身で目の前を塞がれそうだ。本気で死ぬと思ったぞ」
暗闇で鈍い光を放つ刃先を思い出して背筋が凍る。当分の間は、あんな抜き身の刃物みたいな女と隣り合わせで寝起きを共にしなくてはならないと思うと、心底ゾッとする。
「そもそも何で俺があの馬鹿女と同じ部屋なんだよ。多少はむさ苦しくても男共の方が数倍マシだ」
「命の恩人へささやかな甘酸っぱいプレゼントのつもりだったんだが。お気に召さなかったか?」
「その命の恩人を命の危険に晒してどうする。有り難迷惑とはこの事だ。サリーの場合、あれだけ腕っぷしが強く刃物の扱いに長けているなら、曲芸師か戦場に送り込んだ方が良いんじゃないか。なんだ、あいつは。元傭兵とかじゃないだろうな?」
きっと頭が悪く間違えて味方を斬りつけて暇を出された女傭兵とかいうオチだろう。だがマエストロはニヤニヤと薄笑いを浮かべて顎を撫でる。
「いやいや、あの人はそんな素性知れない輩とは違うさ」
「あの、人?」
「ん、何でもない。では参謀長殿、一刻も惜しいので続きを始めようか。次は煮汁を下地に使わないソースだったかな」
マエストロがサリーに対して丁寧な言い回しをしたのが妙に気になった。
それからレシピ説明の合間にサリーの事を尋ねたが、マエストロはのらりくらりと言葉を濁して詳しく語ろうとしない。あの馬鹿女が何者であろうと二十一世紀から来た俺にとって関係ないはずだった。それなのに俺の中でサリーの存在が徐々に膨らんでいく。
あの女がうちに秘めた謎が気になって仕方なかった。

それからしばらく俺とマエストロが額をつき合わせていると、廊下を誰かがパタパタと走る音が聞こえた。
足音は確実にこちらに向かって来る。マエストロは顔色を険しくしながら腰に携えたナイフに手を添えると同時に、ドアがけたましく開いた。
「大変です、タイユヴァン!」
勢い良く飛び込んできたのは馬の世話係のコウラキだった。息せき切った様子にマエストロは眉にシワを寄せる。
「どうしたというのだ、コウラキ。そんなに慌てて」
「ドライゼが……ドライゼが、何者かに襲われて腕に怪我を負いました!」
飛び跳ねるように立ち上がると、途端に駆け出すマエストロ。額に汗を浮かべたコウラキと俺も急いで後を追う。
「何かに襲われたとはどういうことだ! まさか西棟の奴らではあるまいな!」
「厨房にくる前、一人になった時に急に後ろから殴られて、腕を挫かれたそうです! 誰がやったか顔は見ていなかったらしいです!」
「くそっ! 寄りによってドライゼが狙われるとは! 今日の正餐のデザートはどうすればいいのだ!」
それを聞いて思い出した。ドライゼといえば確かデザート担当の調理人だ。
「他の調理人に任せられないのか?」
「それは少し難しい! 今日の正餐には、デザートに目がないパバローネ伯爵がいらっしゃるのだ! ドライゼじゃないと、伯爵が満足されるデザートを作れんのだよ!」
もう一度悪態を吐いて、マエストロは腹に詰まった脂肪をゆさゆさ揺らしながら厨房へ駆ける。俺の前を走るコウラキが、神に祈るように胸の前でクロスを切った。
厨房のドアを開けると、人垣に囲まれたドライゼが椅子に座っていた。頭と右腕に巻かれた包帯が痛々しい。
「大丈夫か、ドライゼ! 腕は、腕は痛くないか?」
すがるようにドライゼの肩を抱くマエストロへ、本人は弱々しく包帯の陰から笑顔を覗かせた。
「面目ない、タイユヴァン。骨折はしていませんが、当分は動かせないようです」
「なに、そんな悲しい顔は見せてくれるな。お前の命が助かっただけで私は救われたよ。一体誰にやられたのだ? 顔は本当に見ていないのか?」
詰め寄るマエストロに、ドライゼは視線を落として首を振るだけだった。ガクリと肩を落とすマエストロとは対照的に、取り巻きの調理人達は鼻息を荒げる。
「問い質すまでもないだろう、タイユヴァン。『月光の胃袋』の連中がやったに決まっている。他にドライゼを襲う奴がいるのか」
「そうだ。奴ら、寄りによって今日にドライゼを狙うとは卑劣極まりない。我々の泣き所を知ってのことよ」
「このまま泣き寝入りで良いのか、タイユヴァン。俺は絶対に反撃すべきだと思うぜ」
「そうだそうだ! こっちが大きく構えているからって奴ら調子に乗ってやがるんだ!」
「絶対に許さないぞ! こうなったら討ち入りだ!」
怒りを露わにする調理人達は、今すぐにでも西棟の厨房へ乗り込みかねない勢いだ。全員が手に鍋や棒を掴み取ろうとしたその時、マエストロの怒号が厨房内を駆け巡った。
「馬鹿者共がっ! 落ち着けっ!」
空気がビリッと震える。あまりの声の大きさに全員が竦んだ。
「それこそが奴らの策だということに何故気付かない? あの汚い連中のことだ。挑発して頭が熱くなっている我々を、一網打尽に嵌める次の手を弄していたとしても不思議はない。みすみす墓穴を掘りに行くだけだ。それに調理人達が互いをつぶし合いなどしたら、ドフィネ公へどう顔向けするつもりだ。この屋敷に雇われている以上、あの御方の朗らかな顔を曇らせるような事は絶対にあってはならん。まずは当面の問題に頭を悩ませる方が先だ。今晩の正餐のデザートをどうするべきか、みんなで考えようじゃないか」
そこに座っているのも辛いのか、ドライゼは二人の調理人に付き添われ厨房を後にする。
あの男、怪我をしたのは気の毒だが、デザート作りの指示だけでも出してからいなくなれば良いではないか。

「何を悩んでいるのだ、マエストロ。デザートくらい、お前が作ればいいじゃないか」
だがマエストロはバツが悪そうに頭を掻きむしり、ボソボソと呟いた。
「実のところ、私はデザートに関して門外漢なのだ。だから今まで特別余所から引っ張ってきたドライゼに全て一任していたのだが、まさか今回の件で仇になるとは思いも寄らなんだ」
偉そうに構えているくせに何という体たらくか。
副料理長を名乗るくらいなら全ての料理に精通していなくてどうする、と小言の一つも言ってやりたかったが、俺の時代でもデザート作りにはパティシエという職業が確立しているのを思い出した。この時代においても製菓担当は調理人の中でも特殊な扱いなのだろう。
そんなことを思っているうちにマエストロは困り果ててきたのか、さらに白いフケを振り撒いて頭をバリバリと掻きむしる。
「しかも困ったことに、二週間後にはジャン二世国王の御子息であらせられる、シャルル王子が当屋敷へ御来館なされるというのに。これは『陽日の胃袋』始まって以来の一大事だぞ」
「なんだ、そんなに偉い奴が来るのか?」
「偉いなどという騒ぎではない。シャルル王子は王位継承者であり、次期王座の最有力候補とも言われている御方だ。だからシャルル王子を招いて行われる正餐が、料理長を決定する試験とも噂されている」
それは随分と大ごとだ。デザートといえばコースの締めであり最後の砦だ。それまでの料理が絶品でもデザートが粗末ならば画竜点睛に欠けるというもの。マエストロが頭を抱えるのも頷ける。
しかしこの男、絶望とばかりに大袈裟に嘆いて見せているが、時々俺にチラチラと視線を送ってくる。
その視線が何を意味しているかすぐに分かったが、何だか釈然としない。俺の反応が芳しくないからか、マエストロは露骨にこっちを向いて「どうすれバインダー」と困ってみせる。セリフが棒読みだぞ、豚野郎。
俺は小さく舌打ちをして腕組みを解く。
「そのパバローネ伯爵の好みはあるのか?」
俺の返事に対してわざとらしく目を大きく見開くマエストロ。
「好み? どうしたのだ、参謀長殿。もしや名案でも思い付いたのかな?」
「デザートのレシピについても多少の知識はある。そのパバローネの口に合うか合わないかは保証出来んが、可能な限りやってみるさ」
天を仰いで胸でクロスを切るマエストロ。清々しいくらいの三文芝居にいい加減イライラしてきた。
どうせこいつの事だ。初めからドライゼの腕が使えないと分かった途端、俺が知っている未来のレシピを引っ張り出させようと思い付いたのだろう。
しかも直接懇願しては自身の沽券に関わるし、怪しまれるのでわざと参った振りをするという悪知恵を働かせたのだ。
「なんということだ。絶体絶命の窮地に天使が舞い降りたとは! 神は我々を見放しはしなかった! 皆のもの、迷える仔羊である我々は常に神の御加護で守られている! 蛮敵、裏参謀のイエールなど恐れるに足りんぞ!」
今度は神様のおかげか。ご苦労なこった。
他の調理人も昨日のお好み焼きを忘れていないのだろう。また目にした事のない料理が拝めるのかと、期待の眼差しを俺に向ける。
爛々と輝かせた瞳がこそばゆく、俺は考え込む真似をしてにやけた口元を手で隠す。
「それで、パバローネの好みは? 何が好きで何が嫌いとか」
「うむ。伯爵は甘いものを好むのに果物は苦手なのだ。野性味の甘味が苦手らしいが、フルーツを砂糖や酒で煮込んだものをお出ししても一向に手を伸ばそうとはしない。そのくせケチはつけたがる御仁なので人一倍気を遣うのだよ。なにせ一番心苦しく思われるのは我らが当主、ドフィネ公だからな」
死んだ親父によく似たこの屋敷の主の顔を思い出し、微かな感傷を覚えた。あのドフィネ公の顔が曇るのは確かに心苦しい。
「ふむ、それはなかなか厄介だな。逆に好きな食材はないのか?」
するとウェハー担当のアクラムが挙手をする。皆の視線が集中したので気恥ずかしげにおずおずと発言した。
「ババローネ伯爵は卵を特に好むと給仕達から聞いたことがある。それとワインの合間に、牛や羊の乳を所望するとか」
「ほほう、アクラム。随分と情報が精密ではないか。よほど給仕の誰かと懇意にしていると見受けられる。おい、白状しろ。給仕係の誰と仲良くしているのだ」
食器担当のカークスが耳敏くアクラムに追及する。当のアクラムが頬を赤らめ否定したので、他の調理人達もやいのやいのと詮索し始めた。
一大事というのにのんきなものだと騒然とする調理人たちを眺めながら、俺は頭の中にある分厚いレシピ本のページをめくっていく。卵と牛乳……あまりに単純すぎる食材に検索範囲が広大になるが、さしあたって真っ先に思い当たるのはアレしかない。
「するとパバローネは、プリンが好きなのか?」
俺の言葉に全員が不思議そうに小首を傾げる。
「プリンだよ、プッディング。あぁ、フランスだからフランと言った方が通じるか。あんまり簡単過ぎるレシピはセレブ達に敬遠されるのか?」
だがこの調理人達はさらに首をひねる。もしかして……
「プリンはまだこの時代に発明されていないのか」
これにはさすがに面食らった。あんな一般的でデザートの基本の基本と言われるプリンがまだこの時代にないなんて。プリンなんて小学生、下手すれば幼稚園児だって作れるぞ。
「ワタル、そのプリンとは一体どんな料理だ。本当に卵と牛乳がデザートになるのか? あり得ん」
「卵と牛乳に砂糖を入れて蒸せば完成だ。恐ろしいほどに簡単だぞ」
しかし調理人達は信じられないらしく、半信半疑な口振りで卵が、牛乳がまさかと呟いている。
「ならばワタル、もし良ければ実際に我々へその、プリンとやらを作ってはくれまいか?」
するとマエストロの取り巻き共も、名案とばかりに同調する。
「は? 俺が作るのか?」
「うむ。是非とも我々に参謀長殿の御腕前を披露しては頂けないだろうか。その膨大にして深い知識は既に拝見した。ならば今度は卓越した技量のほども実際に披露してもらい、御教示願えないだろうか」
「我々にも是非。ワタルのことだ。さぞかし素晴らしい調理技法を修めているのだろう」
「東邦の神秘とやらをこの身で感じてみたいのだ」
「ケチケチすんなって。頼むよ」
口々におだてられ、俺はだんだんと気分が乗ってきたのか、調理をしてみてもいい気持ちに揺り動いていた。
思えばクレセントでコックを志してこの方、誰かに調理をせがまれるのは初めてだった。週に一度賄い係が回ってくるが、俺がストーブ前に立っているとみんな、あからさまに怪訝な顔をしたものだ。俺はその度に悔しさと悲しみで鍋を爆発させていた……(故意で爆発させるわけではなく、何故か勝手に爆発する)。
「う、うむ。じゃあ仕方がない、ちょっとだけだぞ」
渋々ながら了承すると、調理人達は目を輝かせて調理台を片付け始めた。真新しい料理への期待か、異国の人間が作り出す味への興味か知らないが、さっきまではこの世の終わりとばかりに落ち込んでいたのに今ではすっかり表情が晴れやかだ。中世ヨーロッパの人間は呆れるほどに単純なものだと鼻で笑ったが、そんな連中にかつがれて料理を始める俺もほとほと同レベルだということか。
まぁいい。人生はとやかく悩むからこんがらがるのだ。シンプルなくらいが丁度良い。

しかし二十分後、イギリスの天気みたいにコロコロと変化する調理人達の顔色が、今は戦慄に震えていた。
めちゃくちゃになった材料や調理器具が竃や調理台に散乱する。頭を抱える俺の後ろで、生唾を飲み込んだマエストロが唇をぷるぷると震わせて呟いた。
「あ、悪魔の仕業だ……」
まず鍋が二つほど爆発した。次に材料をかき混ぜるために使った棒が三本ほどへし折れ、火柱を上げた竃は黒煙を撒き散らし崩れ去った。
なんでいつもこうなる? 俺は別に火薬や鋼鉄を調理したわけではないのだぞ。普通に卵と牛乳と砂糖しか使っていないのだぞ。それなのに何故、俺がひとたび調理器具を触ると全てが壊れていくのだ。絶対なにかの呪いがかかっているとしか思えない。
調理人達は口々に東邦の神秘は危険極まりないだの、ワタルは破壊神だのと囁き合っている。すると人垣の中から誰かが歩み寄り、がっくりと落とした俺の肩に手を置いた。
「もしも良ければ私が作ろうか? ワタルは昨日みたく指示を出してくれればいい」
それは脳みそが呪われた馬鹿女、人間フードプロセッサーのサリーだった。
「少なくとも私はワタルより道具との相性が良いと思うぞ。なんせ私はフードプロ『シャッセー!』だからな。さぁ、試しに何をして欲しいか言ってみてくれ」
眩しいものから目を反らすように、満面な笑みを浮かべるサリーから顔を背ける。そして口元の緩みを手で隠しながら言葉を返す。
「ではまず余計な減らず口を慎め。なんだ、プロシャッセーとは。どこの元気が良い居酒屋だ。卵二つ、牛乳と砂糖をすぐに用意しろ」
「アイアイサー、喜んでー」
材料を探しに駆け出したサリーを避けるように人垣に道が出来る。周りで不安げな顔をして見守っていた調理人達も何か楽しいことが始まる予感にソワソワした。
「ワタル、我々にも何か手伝えることはないかな」
顎を撫でながら尋ねるマエストロへ、俺は指示を言い渡す。
「出来るだけ表面がツルツルした金属製の一人前の器を一つ。円柱形のものが好ましい。それと蒸し器はあるか?」
「蒸す? なんだかよく分からんが、ここにある道具で代用は利かないか。何でも好きに使っていいぞ」
「参謀長殿、俺にも何か出来ることはないか?」
「俺にも俺にも。物を焼くのはお手のものだぜ」
「……豚を潰すのは任せろ。言ってくれればなんでも屠殺する」
「右に受け流す作業なら任せてくれたまえ」
ここぞとばかりにアピールしてくる調理人達。その瞳は役職の人間に取り入ろうとしている色よりは、一緒に愉快なことでもしようと遊びに誘う子供に近い。俺は煩わしそうに手を振って断ったが、胸の奥には居心地の良い温かみがポツリと芽生えていた。土地も時代も全く違う国なのに、ゆっくり腰を据えた安堵感を覚えるなど……不思議なことだ。

「卵と牛乳と砂糖を加えてよくかき混ぜる。おい誰か、マルコ爺にいってバニラをもらってきてくれ」
小さな容器で材料を攪拌するサリーを見守りながら、俺はその辺にいた男へお遣いを頼んだ。だがその男は首を傾げるだけで困った顔をする。
「参謀長、バニラって何だ? 野菜? 果物?」
他の人間も知らないらしく肩をすくめている。
「あぁ、そうか。この時代にはまだバニラが……」
「ワ、ワタル殿! フランスにバニラはないぞ! そなたの国にはあるんだろうがな、そなたがいた国では!」
やたらと国を強調して不細工にウィンクで合図を送るマエストロ。そうか、他の調理人に俺が未来からきたと勘付かれてはまずいのか。
「仕方ない、参謀長殿! ここにあるだけの材料でどうにかプリンとやらを作ってもらうしかあるまい! そなたがいた、く! に! のデザート、プリンをな!」
さっき隠蔽するのを忘れたからか、今頃慌てて辻褄を合わせようとするマエストロ。俺が未来人という事実がマエストロにとって余程極秘らしい。自己保身、ご苦労なこった。

更新日 9月2日

まずはカラメルを作って容器へ流し込む。
「おい、マエストロ。蒸し器の準備はいいか?」
「うむ。お湯は丁度良く沸いたぞ」
親指を立ててみせるマエストロの脇には、蓋付きの深い鍋が湯気を上げていた。この鍋には若干のお湯と、そのお湯に触れないよう木で簡素な間仕切りを拵えてある。これで上手く蒸し料理が出来るはずだ。
「オーブンで蒸し焼きにするシェフもいるが、俺は純粋にスチームで調理したい。その方がプリンのプルプル感が断然良いのだ。あのスプーンを入れるだけで弾けるように崩れる、儚げな喜悦すら覚える感触こそ、プリンの正統派だと思う」
カラメルがだいぶ冷え固まってきたのを見計らってプリンの生地を注ぐ。そして十分ほど蒸し上げて、完成だ。
「本来なら充分に冷やしてから食すのが基本だが、温かいうちに食べるプリンも茶碗蒸しみたいでまた格別だぞ。マエストロ、味を確かめてみろ」
計量用のスプーンを手渡すと、マエストロは恐る恐るプリンの滑らかな柔肌をすくい上げる。まだほんのりと湯気を立ち昇らせたプリンをしげしげと眺めてから、マエストロはパクッと口に入れた。すると弾かれるよう瞬時に目をカッと見開く。
「美味い! 卵と牛乳が程良く絡み合っている! それよりもこの舌の上を滑り落ちていく食感! 堪らん!」
いい歳こいたオヤジが身悶えさせながらプリンを突っつく。老若男女問わず虜にしてしまうのがプリンの魅力なのだ。
「器の底までスプーンを突っ込んでみろ。溶けたカラメルソースと絡めたプリンもまた絶品だぞ」
グッと底まで入れたスプーンから逃れるように溢れ出したカラメルソースにピクリと身を反らし、マエストロは卵色のプリンに褐色のカラメルを混ぜて口に運ぶ。すると感激のあまりに声が出ないのか、その場で足をダンダンと踏みしめ小躍りを始めた。
「マエストロ、独り占めなどズルいぞ。我々にも是非勉強をさせてくれ」
「そうだそうだ。そんなに美味いなら一口くらい食べさせてくれよ」
あまりに絶賛するマエストロの態度に業を煮やしたのか、取り巻いていた調理人達がマエストロに詰め寄る。マエストロは子供のようにプリンを死守しようと抗ったが、ソース担当のディックが人波の間から上手くプリンを掠め取った。そして一口食べるやいなや、悶絶して放心状態になってしまった。
そこからはまさに修羅場、争奪戦だった。たった一つの小さな容器をめぐって、調理人達は押し合いへし合いの大混乱となった。
騒動が収まる頃には既にプリンは空っぽで、最後に肉下処理担当のバシットが指で器の隅に僅か残ったプリンの欠片をほじくっていた。
騒ぎの間、黙って考え込んでいたマエストロがカッと頭を上げる。そして主だった調理人の名前を呼ぶと命令を告げた。
「出来るだけ清潔で傷んでいないバケツを持って来い! 今日のメインディッシュは巨大なプリンだ! 参謀長殿、多少大きくても調理には問題ないだろ?」
「あぁ。酔狂の極みだが、時々本当にバケツでプリンを作る馬鹿者がいるくらいだ。蒸す温度と時間にさえ気を付ければ中までしっかり火が通る」
俺の返事で確信を得ると、マエストロは細かい分量や盛り付けの指示を出し始めた。
ここからは副料理長とやらの仕事だ。仕切りたがり屋の横で余計な口出しをして、興を削いでは申し訳ない。俺はその場を離れると、厨房の邪魔にならなそうな隅っこでのんびりさせてもらう事にした。
そんな俺の肩を誰かがポンと叩く。振り返るとサリーが親指をグッと立てていた。そしてとびっきりの笑顔を添えて愛らしくウィンクを飛ばし、小さく囁いた。
「フットブ……!」
俺はフンと鼻を鳴らしそっぽ向いて歩き出した。もしかしてグッジョブと言いたかったつもりか? 間違える方が難しいだろ。何で吹っ飛ぶ? 布団か、俺は。
下っ端の人間に褒められても嬉しくも何ともないが、何故だろう。俺の頬は徐々に熱くなり、真っ赤に染まっていた。



目次
スポンサーサイト
22:51  |  ル・ヴィアンディエ  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

このページの上へ

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。