2017年03月 / 12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2012'08.19 (Sun)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第六章

汚れた木の器を持った調理人が列を作り、サリーが次々とお好み焼きを木の器へ盛っていく。そして俺がフルーツソースとマヨネーズをその上に掛けて、賄いに群がる列を捌いていた。
最初は勝手にソースを預けていたが、奴らは馬鹿のようにソースを山盛り掛けていくので足りなくなっては困る。他の調理人に任せても心配だったので、仕方なく俺がソースの番人になるしかなかったが、客分の立場で作業に加わるのはかなり不服だった。
「なぁ、東邦人。そっちの白いソースをもっと掛けてくれよ。頼むよ」
「ふざけるな。このくらいで丁度良いんだよ」
「ケチケチするなよ。東邦人はみんなお前みたく細かくて懐が狭いのか」
「うるさい、黙れ。それにソースをベタベタに掛けまくったら、お好み焼きの味も何もあったものじゃない。適量なんだよ、適量」
ブツブツ文句をのたまう調理人共の相手を煩わしいと感じながら、俺はソース掛けを続けた。
全員へ賄いが行き渡った。ここには使用人専用の食堂などなく、みんな厨房の空いた場所で突っ立ったままだ。そしてマエストロが簡潔に号令をかけると、一斉に食事を始める。
だが俺はその光景に唖然として、次に怒りのあまり握り拳がワナワナと震えた。
「皆、一旦食事を止めろっ!」
俺の怒号に驚いて、調理人達はピタリと手を止める。マエストロも目を点にして俺を見た。
「ワタル? 一体どうしたというのだ?」
「どうしたもこうしたもあるか! なんだ、貴様らの食事の仕方は? 行儀が悪いなんてレベルじゃないぞ!」
テーブルマナーも何もあったものじゃない。立ったまま手掴みでお好み焼きを口に運んではクチャクチャと汚らしく咀嚼し、食べかすはそのまま床にボトボトこぼしっ放し。ソースで汚れた指のまま鼻をほじるわ、他人の服を触るわ、下劣極まりない。
これではファミレスで暴れる躾のなっていないガキの方がまだ幾分マシだ。野生動物と大差ないじゃないか。
そんな憤慨する俺に一同キョトンとしたが、すぐに真意に気付きせせら笑いを洩らした。
「おい、何が可笑しいのだ、貴様ら。俺はいたって真っ当な事を言ったまでだぞ」
だが調理人共は下らないことに食事を邪魔されたとばかりに、再び大口にお好み焼きを突っ込んだ。
怒りと呆れに打ちひしがれる俺の肩を、マエストロがポンと叩く。そして宥めるような声色で言った。
「いいか、ワタル? お前のいた国ではどうか知らんが、我々は貴族ではない。だから食事の作法など気にしなくてもいい身分なのだよ。少々下品に見えるが、使用人の立場の我々にはこういう食べ方がお似合いなのさ」
しかし俺はマエストロの手を振り払うと、厨房全体に響く声で叫んだ。
「テーブルマナーに貴賤無しっ!」
俺の気迫に押されて、調理人達は再び手を止めた。どこかの甕から水が漏れているのか、滴の落ちる音が聞こえる。
「いいか? テーブルマナーというものは決して身分が高い人間だけの躾ではない。人として生き、食物を摂取する全ての人間に与えられた義務なのだ。お前達が本当に調理人としてプライドを持ち合わせているのならば尚更のこと。
食事に感謝をするということは作り手に感謝をするということに等しい。作り手に感謝をするということは食材に感謝をするということに等しい。食材に感謝をするということは大地に感謝をするということに等しい。
テーブルマナーとはそうした食に繋がる感謝を示す最高の礼儀なのだ。食事に関して最も近しい場所にいるはずの貴様等が下品に振る舞ってどうする? 他のことは自堕落で結構。だがテーブルマナーだけは最低限、きちんと従事しろ。それが出来ない奴は調理人を名乗るな」
厨房が水を打ったように静まり返ったので、俺はつい出過ぎたとハッとし、すごすごと俯いた。
いつもの癖というか、またもや身の程も知らず偉そうなことを言ってしまった。十四世紀の使用人相手に礼儀だの躾だのと懇々と語ってどうなる、と反省する。
だが、決して嘘や見栄を言ったわけではない。少々傲慢な口調だったが、俺の言葉は全て紛れもない本心だったから。
それでもここの連中は、東邦人が青臭いことをのたまった程度しか感じないだろう。そんなこと分かっていたのに本気になってしまった自分自身を恥ずかしく思い、俺は自分の賄いを持って退室しようとしたその時だった。
俺の隣にいたサリーが、その辺りにあった木箱を二つ持ってくると一つは自分に、もう一つは俺の足元に差し出した。
「みんな、椅子とまではいかないが樽でも木箱でもいいから腰を落ち着けよう。椅子の代わりなんて探せばいくらでもあるものだぞ」
そう言ってサリーは木箱に腰を掛けると、姿勢良く背筋を伸ばし両手を膝にちょこんと置いた。
すると驚いたことに、調理人達はお互いに顔を見合わせると、ばつ悪そうにはにかみながら腰掛けになりそうなものを探し始めた。そして一同が腰を下ろしたのを見計らってサリーが口を開く。
「食事中は出来るだけ姿勢を正し、首から上は指で触らない。食べられる量だけ指でちぎり口に入れる。落ちたものは拾って食べない。口にモノが入ったまま喋ってはいけないし、ワインで流し込んではいけない。パンは指でちぎってから食べる。鼻をほじってはいけないし、ゲップやおならもしてはいけない。……ざっとこんな感じでいいかな、ワタル?」
流暢にテーブルマナーを講義するサリーに、俺は気圧されながらも頷く。この中では一番ガサツに見えたのに、随分とまとも過ぎることを言ってくれるので、返す言葉もなかった。
サリーは俺の返答に対して満足げに微笑み、小さく耳打ちをした。
「悪く思わないでくれ。ここの連中は、一度もそういった教育を受けたことがないのだ」
サリーの吐息がこそばゆく耳に触れる。女性に対する免疫が薄い俺は、頬を紅潮させながらカクカクと首を振るばかりだった。
マエストロの号令で仕切り直され、食事がスタートした。調理人達はギクシャクと馴れない様子だが、素行を正して料理を口に運ぶ。さっきとは違い、これでだいぶ見栄え良くなったと俺は感心しながらも、横目でサリーを観察した。
他人に指摘するくらいなので、サリーは何一つ問題なく上品に食事をした。手掴みで料理を食べる姿に違和感を覚えなくはないが、どうやらこの時代にフォークやスプーンという食器類は未だに誕生していないらしい。スプーンはあっても調理用のお玉を小さくしたようなものだけだ。
キレイな顔をしているが頭が悪く、手先は驚くほど器用だが頭が悪く、テーブルマナーはきちんと身に付いていて品が良いが頭が悪い。
一体この女、何者なのだ?
中世ヨーロッパの身分階級に詳しいわけではないが、確実にここの調理人達が高い地位の人間ではないことは直ぐに気付いた。マエストロの口振りから察するに奴隷と呼ばれる身分に近いだろう。
それなのにこの馬鹿女は、身にまとった雰囲気や言葉の端々から滲み出る気位が、他の調理人達と一線を画している。見た目や性別の問題もあるが、それを差し引いても違和感の塊だった。
この時代の人間に深入りする気はないし、興味を抱く気も毛頭なかった。ただ俺は、元の時代にさえ戻れればそれで良い。人種や土地はおろか、時代が異なる人間と交流を深めたところでどうなるというのか。
だが、俺は確かにこの異色の馬鹿女であるサリーに、ほのかな興味を持ち始めていた。知って何がしたいわけでもどうなるわけでもない。ただ純粋に好奇心が湧いただけだった。
俺は周りの調理人達と同じく手掴みで食事をするのに抵抗を感じ、小振りな串焼き用の串を二本使って箸の代わりにした。そして料理を味わいながら、周りの反応を確かめるべく注意を払う。
いくら調理をしたのはサリーといえども、指示をしたのは全て自分。この賄いは俺が作ったと言っても過言ではない。毎度クレセントで賄い料理を作った時の試されている感触に、食事を通る喉は自然に細くなる。
それはどうやらサリーも一緒で、ちぎったお好み焼きを口に運んではいるものの、気持ちは別の場所にあるみたく上の空だ。
だが、食事を始めて数秒も経たないうちに、料理に対する評価はありありと見えてきた。最初はサリーに言われた通り姿勢良く座っていた調理人達が、段々と皿に吸い込まれるように前屈みになって料理を貪り出した。
「おい、なんだよコレ。手が止まんねえよ」
「お、俺も。口が一つじゃ足りないみたいだ」
隣同士囁き合っている奴らもいるが、だいたいの人間は言葉を発する暇がないほど夢中になって手と口を動かしている。あのマエストロまで瞳を爛々と輝かせて、せわしなく料理を咀嚼していた。
俺はサリーと目を合わせる。努めて平静を装おうとするが、俺も今のサリーみたく口元が弛緩しているのだろう。ついに堪えきれなくなったのか、食器担当のカークスはガバッと頭を上げると声を荒げた。
「最高に美味いぞ! 今までにこんな美味いものを食ったことがない!」
その一言を皮切りにあちらこちらでも叫ぶような賛辞が上がる。
「ソースが最高だ! どうやったらこんなソースを作ることが出来たのだ?」
「有り得ねえ! これ、本当にここにある材料だけで作ったのか? マジで有り得ねえ!」
「東邦の神秘に感謝を! おぉ、この感激だけは右に受け流すことは不可能だ……!」
「この白いプルプルのソース、マジで美味すぎる~。誰か俺に少し分け与えてくれ~」
「やなこった! 勿体なくてあげられるものか! 俺は皿の底まで舐め尽くすぞ!」
皆が声高に料理を褒め称えられるだけ褒め称えられる。そして口々に感想を述べては再び料理を食べ絶賛するのだ。
その様子を眺めているうちに、サリーは感激したのか頬を上気させる。きっとこの女も自分が作った料理がこれほどまで賞賛を浴びたのは初めてなのだろう。若干潤ませた瞳を俺に向け、喜びのあまり声にならないのか口を小さくパクパクとさせた。
サリーの胸の内は聞かずとも充分理解している。もちろん俺だって同じ気持ちなのだから。しかし元来の意地っ張りな俺はそんな素振りをわざと隠すように、ムッツリとしながらお好み焼きをつつく。
「やはり生地に和風の出汁を入れないとこんなものか。干しエビで食感と風味を補えたのはもっけの幸い。キャベツも程良く火が通っている。豚肉の替わりにベーコンを敷いたので塩味が強いかと懸念したが、薄味でさほど気にならずに助かった」
料理を食べると必ず批評したがる俺の癖を、サリーはニヤニヤと笑いながら聞いていた。
「なにゴチャゴチャと講釈を食べているのだ? 偉そうにしているが鼻が踊っているぞ、ペダル」
鼻を突っつくサリーの腕を振り払いながら、俺は真っ赤になった顔を隠すようにそっぽ向いた。
「講釈は垂れるもの! 鼻は笑うもの! それと俺はワタルだ! 人を自転車の部品みたく言うな!」
当然ながら、その日の賄いは全てキレイに完食だった。みんな行儀悪くも本当に皿の底まで舐めたのか、ピカピカに完食だった。

食事後、俺はマエストロから引っ張られるように執務室へ連れてこられた。食事中は終始無言で気難しい表情を変えずにいたマエストロ。きっと今食べた料理の作り方やソースの事などを問い質したいのだろう。
調理人はいつの時代もそんなものだ。真新しい料理や変わった調理法を目の当たりにすると、追究せずにはいられなくなる。それだけこの豚も貪欲な真理の探求者という証拠だろうが、執務室に入ってすぐに口にしたマエストロの言葉は、少々異なものだった。
「ワタルよ。さっきお前確か、未来からやってきたと言ったな?」
真面目な顔で尋ねるマエストロが可笑しくて俺は鼻で笑い飛ばそうとしたが、相対したその表情があまりにも真剣過ぎて、俺は咳払いを一つすると椅子に腰掛けながら言った。
「あぁ、確かにそう言った。俺は今から約七百年後の日本という国からやってきた。まぁ信じられないと思うが」
「いや、信じよう」
キッパリと言い切ったマエストロに俺は唖然とする。
「え、信じるのか? 未来から来たのだぞ。タイムスリップなんて非現実的なんだぞ?」
「いや、信じよう」
またもや言い切ったマエストロに、俺は額を押さえて溜め息を吐いてみせた。
正直に言ってしまえば、俺自身が現状を完全に信じているわけではない。俺は非科学的なものを好まないし、SF小説など手に取った事すらない。何かの拍子に夢から現実に戻ってくれることを、心のどこかで期待していた。
それなのにこの豚は、あろうことか非現実的な事態に直面している俺よりも先に、この狂った状況を飲み込みやがった。
「本当に得体が知れなくて謎だらけだな、十四世紀……」
「こう見えても俺はな、肩書きを利用してありとあらゆる土地の料理を研究している。それこそローマ帝国の範囲のみならず、何ヶ月も馬に乗らなければ辿り着けない遠方まで。だがな、それでもさっき食べた料理は見たことも聞いたこともない。中でもあのソースはなんだ? あんな煮汁の寄せ合わせを適当に混ぜただけで、あれほど美味いソースが完成するなど有り得ない」
「おい、適当とは何たる言いぐさだ。あれはきちんとした分量を配合して完成するのだ。まぐれで出来たような代物ではない」
「その言葉でますます合点が入った! ワタルのいた国では文明が今の何倍も進んでいて、調理技術も信じられないくらいに多様化しているのだろう?」
これには素直に驚いた。このマエストロは、たった一度の食事でそこまで想像の翼を広げたというのか。しかもあながち間違っていないことに、ますます度肝を抜かれる。
静かに興奮しているマエストロを真っ直ぐ見据え、俺は深呼吸を一つ置いてから尋ねた。
「それで、もしもお前の妄想が事実ならば、俺をどうしようというのだ?」
「率直に言おう。協力を請いたい」
やはり、当然ながらそう来るか。
俺の返事も待たずに、マエストロは執務室のテーブルの山から分厚い紙の綴りを取り出すと、投げるように俺へ手渡した。
お世辞にも綺麗とは呼べない筆記体で記されたフランス語が並ぶその冊子に目を通す。単語だけ拾いながら読んでみるからに、何かの料理に関するレシピなようだ。
「ワタルよ俺はな、只今料理本の執筆を手掛けているのだ。単なる料理本ではない。料理界の後世にまで読み継がれるような、大料理本を作り上げたいのだよ。そのためドフィネ公よりお許しを賜って諸国を漫遊しているが、それでは物足りないのだ。それでは単なる風俗を書き記した歴史本にしかならないのだよ。もっと強烈な、圧倒的なインパクトが欲しいのだよ!」
勢いのあまりマエストロは身を乗り出し、テーブルを分厚い手でバンッと叩いた。埃っぽかったせいか小麦粉のような薄い白煙が舞い上がり、俺は口元を手で押さえながら空いている方の手でパタパタと扇ぐ。
「いいじゃないか、それで。事実を捏造し有りもしない空想を描かれるよりは、よっぽど後世の人間のためになる」
「何を言う! ここに歴然とした事実を語る人間が存在しているではないか! 時代など関係ない! 誰も知り得ない知識をより多く書き記した者を、歴史は偉人と讃えるのだよ!」
狂ってやがる。マエストロの言いたい事は分からんでもないが、栄光に目がくらんだ盲人の戯れ言というものは実に耳障りなものだ。
「ワタルよ、再び請う。俺に力を、いや知識を貸してくれ。お前のいた時代の料理をこの大料理本『ル・ヴィアンディエ』に書き記させてくれ」
改めて懇願するマエストロの言葉に、俺は言い知れない悪寒がゾクリと背中を走った。そしてこの時代に来てから度々感じていた、不安感の正体をやっと突き止めたのである。
膨大な歯車の間に小石が挟まる感触……それは絶え間なく流れる歴史に、あってはならない干渉を与えた感触だった。
未来から来た人間が過去を弄り未来そのものを変えてしまうなんて、漫画の世界では最早使い古された話だぞ?
「馬鹿馬鹿しい。さっきから随分クレイジーなことを、よくもまぁ恥ずかしげもなくペラペラと。そもそも俺が未来からきたなんて信じるとは、お前はどれだけ夢見る夢子ちゃんなのだ」
「お前が拒む、それが一番の確信だ」
俺は大きく目を見開き、次に力の限りマエストロを睨み付けた。この豚、当事者である俺よりもよっぽど冷静で、よっぽどしたたかな思考をしている。
「お前、分かっているだろうな? 仮に俺が本当に未来からきたとして、お前らこの時代の人間に知恵を託す、それがどれだけ危険な行為かを」
「さぁ、未来のことまでは保証出来ない。なぁに、もし変わったとしてもワタルの時代がさらに美食で溢れるだけのこと。文字通り美味しい話じゃないか。それに高々、料理の知識など些末な問題じゃないかね」
「ふざけるな。今は小さな波紋だろうがな、七百年後にはどんな波に化けるか分かったものじゃない。人類の歴史を根底から揺るがす津波に発展したらどうする気だ」
「知ったことか。未来のことは未来の人間に任せよう。俺が欲しいのは、今だ。そしてゆくゆくは数百年先にある栄誉だ」
俺はこれ以上話しても無駄だと悟り、いすを蹴り上げる勢いで立ち上がる。そしてドアノブに手をかけた時、マエストロが妙に落ち着いた低い声で言った。
「確かワタル、あの白い箱を置いてきた山道に行きたいと言っていたな?」
全身がビクンと派手に竦んだ。振り向くとマエストロは勝ち誇ったように腕を組み、澄まし顔を浮かべている。この豚、俺が思っているよりも遥か数倍したたかだったようだ。
「……恐喝のつもりか?」
「いいや、取り引きだよ錬金術師殿。もしもワタルが俺に協力してくれるというならば、配下の人間を使って、あの白い箱をこの屋敷まで引っ張ってこさせよう」
俺はゴクリと喉を鳴らす。あの冷凍庫のある場所まで何とか辿り着ければ、と願っていたが、まさかここまで運んできてくれるというのか。
「お前、さっき勝手に人は使えないと言ってなかったか?」
「ドフィネ公への要請の仕方次第だよ。なぁに、俺が直々に話をすれば容易に通る。あの渓谷まで往復なら馬と荷台で三日もあれば到着するだろう。さぁ、どうする?」
何が取り引きだ。天秤に掛ける素材が違いすぎる。
片や一般人でしかない青年が未来に戻る切符一枚、片や人類の歴史に投じる不穏な一石。
例えば、マエストロが書き記した大料理本が何かの拍子に紛失するか、はたまた世間に受け入れられず、さほど知れ渡らないまま淘汰されれば問題ない。
だが、もしも逆ならばどうする? 急激な文明の発展は、破壊と滅亡をもたらすと何かの本で読んだことがある。
たかが料理、されど料理。人間は食文化を通して文明を築き上げてきた。猿は火を恐れず手を伸ばして言葉を身に付けた。
理屈では分かっている。マエストロから差し出された手を払いのけ、屋敷を出て別の誰かを頼り、どうにか冷凍庫まで辿り着けばいいのだ。それが最善なのは分かっているのに……。
「この時代、土地に存在していない食材を用いた調理法までは教えることが出来ない。いいな?」
俺は倒した椅子を直し、再び腰掛ける。マエストロは交渉の成立に気分良く面相を崩した。
「心得た。それとワタルの名前や東邦よりの使者から伝えられた英知ということも伏せておこう。なに、俺一人で名誉を独占したいのかと邪推はするな。不審な歴史の歪みの元は隠しておく方がいい」
「勝手にしろ、豚野郎」
俺は何より一刻も早く元の世界に戻りたかった。それが利己的だとも傲慢だと言われても構わない。俺が二十年間、生を育んでいた世界から存在が薄れる感触が、ゾッとするほど恐かった。
さほど素晴らしい人生を送っていたとはとてもじゃないが思えない。それでも俺にとって二十一世紀は、何物にも代え難い存在の証明なのだから。あのプラスチックと電子機器に囲まれた殺伐とした世界が、俺の居場所なのだから。
同じ立場になってみな? 誰だってそう思うはずだから。

それから二言三言やり取りを終えた後、俺はマエストロに連れられ再び厨房を訪れた。そしてマエストロは全員に召集をかけ、声高に宣言をした。
「本日より東邦よりの使者、カメオカワタルはこのタイユヴァン直属の料理指南参謀長となった! 皆のもの、これよりはカメオカ殿の意見を真摯に受け止め、研鑽を積み職務に励まれたい!」
調理人達は突然のお触れに不信感を露わにしている。隣同士ヒソヒソと耳打ちし合っては眉をひそめていた。
「ちなみにタイユヴァン、もしかしてそのカメオカ殿にも星を賜せるつもりか?」
やや怒気を含んだ口調でそう言ったのはジーンだった。他にも同様の懸念を抱いていた調理人がいたようで、数人はあからさまにムスッと力強く頷いた。
「なぁ、マエストロ。星とはどういうことだ?」
「この厨房内における等級のことだ。ちなみに評価は五段階で、年齢や民族に関係なく有能な人間には星を与える。ここの調理人達は星の数によって、お互いの立ち位置や身のわきまえ方を知るのだ。もちろんワタルも当厨房の仲間入りになるので星を授ける。星は、五つ!」
最高級の評価に調理人達は不満を爆発させた。
「なんで今日来たばかりの人間が星を五つももらえるのだ!」
「数年間、共に働いた我々の立場はどうなるのですか、タイユヴァン?」
「納得いく説明を是非ともお願いしたい! いくら珍しい料理を知っているからといって急に五つ星など、贔屓ではないですか!」
「そうだ! ヒジキだ、ヒジキ!」
「サリー! ヒジキじゃなくて贔屓だ、ひいき!」
「とにかくきちんと理由を述べて頂きたい! そうでなくてはタイユヴァン、ここ『陽日の胃袋』全体の統制が危ぶまれますぞ!」
詰め寄らんばかりの勢いでまくし立てる調理人達を相手に、マエストロは涼しい顔で構えるばかりだった。非難の矛先は自ずとこちらにも向けられてくる。俺は悪意と嫉妬に満ちた瞳を突き刺してくる調理人達から、冷や汗を掻きながら目を反らした。
もう少しで暴徒化する直前、タイユヴァンは静かに口を開いた。
「では皆に問おう。先ほど食べた賄い料理よりも美味いものを食べたことがある人間は、一歩前に進め」
その一言で途端に全員が口を閉ざした。誰も足を踏み出そうとしない事を確認し、マエストロはさらに言葉を続けた。
「では次に問おう。先ほど食べた賄い料理よりも美味い料理を作れると自負しているものは、一歩前に。出来ないものは一歩後ろに下がれ」
皆お互いに顔を見合わせ、頭を垂れるとおずおず後ろに下がり始めた。
「では最後に問おう。ここ『陽日の胃袋』は実力主義だ。美味い料理を作れる人間が何人であろうと正しい。この掟を忘れていないもの、そして異論がないものは一歩後ろに下がれ」
またもや調理人達はすごすごと後退り、マエストロと隣に立つ俺の前にはポッカリと空間が空いてしまった。
この豚、厨房を一つ束ねるだけあって言葉の選び方が随分と卓越ではないか。
時代、土地に関係なく調理に関わる人間ならば信念は変わらない。マエストロも言ったが、ようは美味いものを作れる人間が正義なのだ。そんな調理人の泣き所を巧みに突いて、さっきまで鼻息を荒げていた若衆を上手く宥めてしまった。
マエストロは満足げに頷くと口を開く。
「不平不満はごもっとも。諸君等の胸の内は、兄であり父であるこのタイユヴァンが重々承知している。だが、我々を覆う現状を踏まえて今一度考慮して頂きたい。諸君等の懸命な働きにより、差は歴然たるものとなっているが、それでも『月光の胃袋』率いるデラーズ以下の連中は、未だに起死回生せんとばかりに虎視眈々と我々の弱みを狙っている。さらには知っての通り、あちらにはイエールという強大な裏参謀まで加わった。非常に疎ましいことこの上ないが、では我々がすべき事はなにか? それはさらに強大な力を得て、この厨房の権威を盤石たるものに固める事である。そのためには、東邦の英知を秘めたカメオカ殿の助勢が是非とも必要だ。そうは思わないか、諸君? 調理人ならば美食という真理の探求に邁進すべきではないのかね?」
俯いていた連中がマエストロの話が進むにつれ、徐々に頭を上げる。いつしか全員の瞳には輝きすら灯っていた。
この豚野郎、詭弁だけで部下共の不満を払拭するどころかやる気を鼓舞しやがった。
全員が納得したのを見計らうと、マエストロは午後の業務内容を簡単におさらいし、仕事に着くよう促した。各々自分の持ち場へ戻るとき、何人かは俺を横目で一瞥していったが、そこにはさっきのような憎しみを込めた色はすっかりと消え失せ、ただ単にこちらを見ただけだった。
俺は幾分ホッとしつつも、マエストロの脂肪で厚みがかった横腹を肘で小突いた。
「おい、なにも部下を煽り立ててまで俺に要職を与える必要ないじゃないか。単なる客分扱いでも貴様の執筆を手伝うことは出来る」
だがマエストロは不敵に笑みをこぼすと、俺に顔を近づけ声を潜めた。
「なぁに、ワタルが気にすることはない。ただ撒き餌をしただけさ」
「撒き、餌?」
「あぁ。俺は欲張りだからな。何事も一石二鳥を狙わないと気が済まない質なのだ。実はこの中に、西棟の内通者がいるやも知れん」
「内通者?」
「あぁ、信じたくないがな。だからこちらに強力な助っ人が付いたと知れば、西棟の連中、特にイエールが放っておきはしないだろう」
 軽く身震いを起こす。この男、ただ執筆を手伝わせるだけでなく、俺を危険な矢面へ立たせようというのか。
「そんなことならやってられるか! やっぱり俺はこの話から降りる!」
「安心しろ。だからこちらは予防線を張ればいいだけよ。おーい、サリー! こちらへ来い!」
厨房内にマエストロの大声が響き渡る。するとすげなくジャガイモを手に二つ持ったサリーが人をかき分け現れた。
「何かご用かな、タイユヴァン?」
「うむ、折り入って頼みがある。用事というのはだな、お前の部屋にワタルを泊めて欲しいのだ」
マエストロのとんでもない提案を聞かされて、俺はつい鼻水を噴き出した。
「はぁ? なんで俺がこの馬鹿女の部屋に泊まるんだよ! どうなっているんだ、十四世紀の常識は!」
「なぁに、泊まると言ってもサリーの部屋にお前の寝床を用意して、朝晩共に寝起きするだけだ」
「オーケー! 二十一世紀でも同じ意味で『泊まる』という言葉を使う!」
「安心しろ。サリーの部屋は元々二人部屋だからな。さほど狭くはない」
「違う意味で安心じゃないんですけど!」
顔を真っ赤にしながらマエストロに抗議する。だがマエストロはニヤニヤいやらしい笑みを浮かべるだけで、提案を取り下げる気はないようだ。
いくら急とはいえ、なぜ俺が女と同室で寝起きを共にしなければならないのだ。あまりに常軌を逸している。
マエストロの下世話な思いつきのもう一人の被害者であるサリーに目を向ける。サリーはいつもと変わらぬ表情のまま、俺達のやり取りを傍観しているだけだった。
これからこの女と一つ屋根の下、枕を並べる……そんな場面を想像すると俺は異様なほどに緊張が込み上げてしまい、サリーの顔が見られなかった。
おかしいぞ、メイと同棲していた時にはこんなドキドキしなかったのに。何を焦っているのだ、俺は。
「そ、そもそもお前はどう思うのだ?」
「どう、とは?」
「見知らぬ男と一緒の部屋で、抵抗はないのか?」
「タイユヴァンの命令だから仕方あるまいな。もちろん不安だってあるぞ。もしもワタルの歯軋りがウルサかったらどうしよう……」
「その程度の心配かよ! 俺はお前の貞操観念の方が不安だよ!」
俺を真っ直ぐ見つめるサリーの瞳が眩しすぎて、目を反らすだけでは足りずに体ごと背けた。
「マエストロも一体何のつもりでそんなことを言うのだ。ただ俺をからかって楽しんでいるのか?」
愉快とばかりに満面の笑みを浮かべるマエストロ。頼むから本気で勘弁して欲しい。
「それにお前、いくら手下とはいえ馬鹿女はまだうら若き女性だ。な、何かの間違いが起きないとも、言い切れないじゃないか?」
しかしマエストロは軽快に頷くとあっさり否定した。
「うむ。それだけは絶対にあり得ん」
「な、何故だ。俺を信用してくれるのは嬉しいが、俺だって血気盛んな若い男の子だぞ」
「ワタルを信用しているわけではないが、まずそれだけはあり得んだろう」
するとサリーもコクリと頷いた。「だな。あり得ん」とバッサリ否定した。
俺はドギマギしながらも首を傾げた。十四世紀の人間の言うことは本当に理解不能過ぎる。
だが俺の儚くピュアな恥じらいは全くの杞憂であったことを、その日の夜にまざまざと思い知らされるのであった。

更新日 8月27日

☆ ☆ ☆

「……ん……ん」
四つ脚の木が軋む音と古びた床がこする音に合わせて、サリーの呼吸もリズムを刻む。さほど広いとは言えない部屋は、藁を積み上げただけの寝床とみすぼらしいベッドだけで占拠されている。だからだろうか、サリーの艶めかしい声がいやに響いて聞こえる。
「……ふっ……あ、ん……」
サリーの吐息に合わせて四つ脚が軋む音もテンポを速める。徐々に喜悦が含んだ表情に変わっていくサリーを見て、俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「あっ……は、んっ……ん!」
テンポはさらに速度を刻む。部屋にこだまするサリーの声や軋む音が、今まさに絶頂を迎えようとしていた。サリーの荒い吐息や汗ばんだ背中が密着するように感じ、俺も胸の内から突き上げる衝動がほとばしる。
駄目だ、俺も限界だ! サリーが長いポニーテールを振り乱し、頭をガバッと上げた。
「よし、出来た」
「包丁くらい普通に研げ!」
キラリと煌めく刀身を灯りに掲げ、ご満悦に浸るサリー。包丁研ぎ用のテーブルは造りが粗末だからか、未だにギシギシと悲鳴を上げている。

お情け程度の夕飯を済ませると調理人達は会話もそこそこに三々五々、自分の寝床へ帰っていった。この時代は照明も油や蝋燭だけで娯楽もない。日が落ちればもう寝る以外にやることがないのだろう。
俺は頬を紅潮させながらサリーに案内されて部屋までやってきた。
ここで俺はサリーと寝起きを共にするのかと湿気のこもった匂いのする部屋を見渡す。窓もなくクローゼットらしきものもない、ほぼ密室状態の部屋に俺は情けなくも淫らな妄想を掻き立てずにはいられなかった。
後ろ手に扉を閉めると一気に空気が密閉される。手に持ったランプの灯りを部屋の燭台に移して、サリーは俺を振り向きニコリと微笑んだ。
そしてそのままの笑顔で、腰に差したナイフを取り出したのである。

「何も寝る前に包丁を研ぐ事もなかろう。そういうものは朝にするのが常識じゃないか?」
刃物全般にトラウマを抱えた俺はもちろん包丁研ぎなどしたことがないが、クレセントで働く他の調理人達はみんな就業前にせわしなく砥石を使っていた。
「夜に研いだ方が、野菜へ鉄臭さが移りにくいのだ」
「そういうものなのか?」
「そういうものだ。それに、仕留められるなら切れ味のいい刃物の方が苦しまずに済むだろう?」
背筋が凍りついた。サリーは研ぎかけのナイフをこちらに向けてニンマリと微笑んでいる。だがその瞳の奥には愉快な感情が一切窺えない。
「し、仕留めるとは、一体何を仕留めるのかな? 参考までに、一応参考までに聞いておこうかな」
「うむ、この屋敷は森に囲まれているからな。イタズラ好きな狸やムササビが紛れ込む時があるのだ。もっとも仕留めれば昼食が一品増えて助かるがな。他にはスケベな夜這い野郎とか」
サリーの凍える瞳に射抜かれ、俺は全身から冷や汗が流れ出した。
猛禽類に睨まれた兎よろしく、脚が固まり俺はその場から一歩も動けなくなった。サリーは気にする風もなくナイフ研ぎを再開する。時々、喘ぎ声のような吐息を漏らしながら、懸命に体を動かした。
「ハ、ハハハ。狸ですか、そうですよね。それは仕留めなきゃですね。夜這い……夜這いですか、ハハハ。さ、さすがにそれは無いのでは?」
ゴクリと固唾を飲み込んでようやく口が開いた俺。何でかな、何で俺はこの馬鹿女に敬語を使ってらっしゃるのでしょうか。
「そうだな。残念……幸いなことに未だ一度も夜這いが現れたことはない。私としても愛刀を人間の血で汚したくはないのでな。まぁ、一度くらいは感触を試してみるのも悪くはないと思っているが」
前立腺の辺りがキューンと急激に収縮する。あれ、おかしいな。なんで俺の膝、笑っているんだろう。
二本目の包丁も研ぎ終わったのか、サリーはまたもや満足げに灯りへ鏡のように透き通ったナイフをかざしてみる。そして次に俺へ視線を移すと、ナイフをスーッと横一閃に薙いだ。それがちょうど俺の首くらいの高さだったので戦慄が走る。心臓がビクンと竦んだ。
「い、今の動作は一体どんな意味があるのでしょうか!」
「ん、気にするな。……ダメージトレーニングだ」
俺はベッドへ逃げ込むように毛布をかぶり、身を丸める。
ガクガク震えながら心の中で、ダメージじゃなくてイメージトレーニングだろ! と突っ込んだが、まさか口に出せるわけもない。それにあながち間違ってもいないし。ダメージ与えるどころか即死だろ。
マエストロが大丈夫だと太鼓判を捺した理由がやっと分かった。この馬鹿女が相手だったら艶っぽい情事も命懸けになるだろう。手を出した瞬間、首と胴体が泣き別れになる。
腰にナイフを携えたまま、サリーが隣の藁を積み上げたベッドに入ってきたので、俺は恐ろしさに震えながら急いで寝息を立てて眠った振りを装った。
 もともと、俺が今つかっているベッドはサリーのものなのだろう。女の子独特な花のように可憐で少しすえたような香りが鼻腔をくすぐる。だが今はそんな芳香に酔いしれている心の余裕はなく、胸を締め付ける甘酸っぱい香りは死の香りにすら感じられた。
 サリーは藁を詰めあげ即席に作り上げたベッドで寝返りを打つ。客分でありマエストロから賜った料理指南参謀長の名と五つの星は、どうやらかなり高い地位を意味するもので、サリーはすすんで寝心地の良いベッドを俺に差しだしたのだ。
 それでも俺の脳裏には先ほど見た包丁のきらめく刀身が焼き付いて、ただガクガクと全身が震えた。その時、再びサリーの寝返りの音が聞こえたと思うと、囁くような声も聞こえてきた。
「なぁ、ワタル。寝たか?」
「……」
 なんとなく三枚のお札に出てくる小僧の気分だった。山姥の問い掛けに返事をしたら命が取られそうで、俺は口を噤んでさらにわざとらしく寝息を立てた。
「なんだ、寝てしまったか。まぁ、いい。……実は私はな、自分が作った料理を誰かに食べてもらって美味しいと言われたことが一度もないのだ。でも今日、ワタルの指示に従って作った料理を皆に食べてもらって、あんなに絶賛された。うん、自分の実力でないことは分かっている。私はワタルの言われたとおりに作っていただけだからな。……でもな、それでも私は、嬉しかった」
 そしてサリーはもう一度モゾモゾと寝返りを打つ。下に敷いた藁がガサゴソと音を立てる。その雑音にわざと紛れさせるように、サリーは小さく呟いた。
「……ありがとな、ワタル」
 それだけを言うと、サリーは俺にも負けないくらい大きな寝息を立て始めた。その夜はお互いが照れ隠しの狸寝入り合戦がいつまでも続き、気が付けば俺もサリーも本物の寝息を立てて眠りに落ちていた。




目次
スポンサーサイト
22:20  |  ル・ヴィアンディエ  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

このページの上へ

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。