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2012'08.04 (Sat)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第四章

考えられるとすれば、もっとも怪しいのはあの業務用冷凍庫だ。
だいぶ酒が入っていたが、それでも記憶は定かでハッキリとしている。俺はあの晩に凍死自殺を図ろうとマイナス百度以下もある冷凍庫に入り扉を閉めた。
そして目覚めるといつの間にか中世フランスの崖谷にいた。つまり冷凍庫ごと時間と場所を移動したらしい。
まったく非現実的な話だが、そもそも電源も持たず稼働している冷凍庫自体が非現実的の始まりである。しかもマイナス百度以下というのも異常過ぎる。足を入れた瞬間、皮膚から血液まで凍るような不気味な感覚を味わったのも納得がいく。
そんな非現実的な冷凍庫ならば、多少はタイムスリップ機能がついていても不思議ではない。
……いやいや、有り得ない。多少は、って何だよ。ついでみたいな感覚でタイムスリップをされても困るから。電子マネーのポイント感覚で時間旅行されても困るから。
とりあえず、俺はもう一度あの冷凍庫があった山岳に行かなくてはならない。行って冷凍庫に入ったからといって平成時代の日本に帰れる保証はないが、とにかくどうにかしなくてはと、本能レベルで俺の行動ベクトルは決定した。
馬の駆ける速度はどのくらいか知らないが、あの速さと時間を考えればここからだと相当な距離があるはずだ。とても徒歩で行ける距離ではないし、見知らぬ時代の不案内な土地となれば一人では絶対に危ない。
まったく、自家用車や電車など交通機関が発達していない時代のなんと不便な事かと呆れるが、それがまた自分が本当にタイムスリップをしてしまったという事実を確固たるものにしてしまい落ち込んだ。

「なぁ、マエストロ。一つ頼みがあるのだが、俺とお前が最初に出会ったあの山へ送り届けてくれないか? お前が無理なら馬を貸してくれてもいいし。運転手付きで」
「運転手付きって。あのな、俺だって屋敷に雇われの身。自由にほいほい外出できるわけがない。馬だってドフィネ公より特別な許可を得て拝借しているのだ。簡単に貸し出しは出来ん」
けんもほろろに断ったマエストロに、俺は尚も食い下がる。
「そこをどうにか頼む。俺は何としてでも冷凍庫へ戻らなければいけないのだ。命の恩人の頼みだぞ? ちょっとばかりは譲歩してくれてもいいじゃないか」
「その件ならお前をこの屋敷に置いてやっている時点で等価交換だよ、錬金術師。それにドフィネ公の前であれほどの狼藉を働いて、お咎めなしなだけ有り難く思え。本来なら身元も分からん貴様など、その場で死罪になってもおかしくなかったのだぞ」
身のすくむような話をマエストロは淡々と語る。俺は青ざめた顔のまま、それ以上は何も言えずにマエストロを前に執務室の椅子でふさぎ込んだ。
俺の気分が落ち着いたのを見計らうと、マエストロは厨房に戻る旨を伝えた。お前はどうすると尋ねられたので、ここにいても仕方なく俺も一緒に厨房に行くことにした。
半人前ではあるが、これでも俺だって調理人の端くれ。時代も土地も異なる場所だろうが、厨房という空間に身を寄せていた方が幾分は気が楽になる。それに中世ヨーロッパの調理事情というのにも、僅かながら興味がある。タイムスリップという非現実的な境遇に巻き込まれても、常に研鑽と好奇心を失わない俺。雰囲気イケメン過ぎるぜ。

「ところでマエストロ。さっきこの屋敷にはもう一つ、西棟にも厨房があると言っていたな。何でまた、厨房が二つも必要になる?」
マエストロの分厚い背中を追いながら、厨房に続く薄暗い道を進む。どうやら使用人専用の通用路らしいが、先ほど馬屋から通ってきた真っ暗な道に比べ、小さな小窓から光が入る分いささかマシな廊下である。
「俺が率いる東棟の厨房『陽日の胃袋』に対して、西棟の厨房を『月光の胃袋』と呼ぶ。この屋敷は各地から貴族や要人が連日連夜訪れるのでな、調理場が一つでは間に合わんのだ。例えば、東棟が今晩の正餐会を担当するとなれば明日は西棟が担当する。その間に空いている厨房は翌日の仕込みを行える、という算段さ。ドフィネ公は人望が厚く顔が広い分、急な来客も多い。だからいつ何時、来客があろうとも食事の準備を滞らせず、尚且つ質も落とさずにいられるこのシステムは、王国中を見渡しても当屋敷と王室のみである」
俺はマエストロの話を聞いて思わず感心する。この当時の社会情勢がいかほどか分からないが、これだけ大きな屋敷を維持していられるということは、あのドフィネ公とやらは相当莫大な富を有した貴族なのだろう。現代に置き換えれば、もしかすると全盛期の亀岡家を凌ぐ財を築いているのかも知れない。
そんな屋敷の厨房の片方を束ねあげるマエストロの手腕は言わずもがな、かなりのものだろう。前を歩く贅肉が満ち満ちとついた背中が、さらに一回り大きく見えた。
俺がいた時代のマエストロもなかなかの実力者だと認めていたが、ひょっとしたらこのギョーム・ティレルの子孫か生まれ変わりなのかも知れない。
「では西棟の厨房はまた別の人間が仕切っているのか。もし良ければ後学のために紹介してもらえないか?」
単なる興味本位で言ったのだが、マエストロは一瞬沈黙すると低い声で「お勧めはせんな」と呟いた。
「基本的に調理場の造りは東棟と変わらんし、それに技術やセンスの点では頭一つ分、我が陽日の胃袋が優れている。これは自意識過剰ではなく、実際にドフィネ公から要人や位の高い貴族ほど、我々に任せられる機会が多いので間違いない」
「つまりは副料理長の指導力が頭一つ分、ということか?」
「ふふっ。あまり自分で言うのは好きじゃないがな。だから我々東棟と西棟は常に敵対心をたぎらせているのだ。特に向こうの副料理長、デラーズはな」
相手の名前を目一杯に嫌みを含んで呼ぶマエストロ。それだけでは飽き足らず、語尾に小さく舌打ちをつける。
「でも互いに意識し合う相手がいるのは良いことだぞ。プロフェッショナルは切磋琢磨しなくなったら腕を鈍らせるだけだからな」
「そんな清々しい関係ならば苦労はせんがな。現状はそれほど甘くはないぞ。現在、当屋敷には陽日と月光を統べる料理長の席が不在だが、ドフィネ公が近々、正式な料理長の座を設けようとお考えである。それで昨今、東棟と西棟の敵対心はさらに増し、私より評価の低いデラーズは躍起になっているわけだ。初めはお互いを目の敵に牽制する程度だったが、争いは日に日にエスカレートしていてな。最近では、露骨過ぎるほどの妨害工作を企てる輩まで出没する始末だ。証拠はないので憶測のうちに留めておきたいが、俺が賊に襲われたのもその一端だったりする」
俺はゴクリと喉を鳴らす。
「西棟の連中がやったというのか?」
「だから証拠はない。故に俺も知らないふりをする。だが昨今、そんな状況がさらに熾烈を極める要因が現れたのだ。西棟の厨房がジノ・イエールという裏参謀を雇いだした」
「裏参謀?」
「あぁ。表舞台には全く顔を出さないためにそう言われている。その者、狡猾な策略に長けていて、西棟の調理人から絶大な支持を得ていると聞く。副料理長のデラーズよりも実権を握っているとの噂もあるほどだ。さらに厄介なことに、イエールとやらは調理の知識にも精通しているという」
 苦虫を噛み潰したような顔で、マエストロはそう言った。平然さを装っているが、言葉の端々からはかすかな焦りを感じる。
「しかもイエールが考え出した料理に、最近ではドフィネ公が大層執心しているという。この地方では考え付かないような、斬新で刺激的な料理だったとドフィネ公は仰っていた」
しかしマエストロは肩を竦めると、わざとらしく大袈裟な笑顔を取り繕って厨房に続く扉へ手をかけた。
「だがな、俺だって調理人の端くれ。料理に関することで、そんな新参者のイエールに負けたくはない。それはここの調理人達とて同じこと。我が東棟の連中は腕前が確かで向上心に富んだ奴らばかりだ。ちょうど今は明日の正餐のために仕込みの最中。自由に見て回ってもらって構わない。見聞の参考にしてくれ、東邦の錬金術師殿よ」
マエストロが扉の取っ手を引くと、聞き慣れた喧騒が洩れてきた。
出来ることなら、いち早く冷凍庫のあるあの山道へ赴きたいが、今はマエストロの近くにいながら手立てを考えるしかなさそうだ。

無数の人間が熱したオーブンや小高く積まれた食材の間を行き交う。マエストロの話では五十人以上の調理人がここ『陽日の胃袋』に雇われていると聞いたが、罵声と喧騒がひしめき合う黒い群れを眺めていると、それ以上の人間が居そうに見える。
やはりここが自分の戦場か、マエストロは厨房の空気を吸った瞬間、眼の色を変えると指示を出すため人だかりの中へ紛れていった。
俺はフンと鼻を鳴らし気持ちを切り替えると、厨房内の詮索に取りかかる。幸いに調理人共は皆一様に忙しいらしく、異国の肌と瞳を持つ俺が側に来ても気にしている余裕がないようで、じっくり観察していても邪魔にはならない。
当然ながら調理器具は現代に比べるとかなり原始的で、ガスコンロの代わりに薪をくべた造りのストーブに、鍋は陶器製が一般的で、鉄製の物はごく一部の使用に限られているようだ。
子豚を一頭丸々串刺しにして、スパイスが大量に摺り下ろされたソースを掛けながら側面焼きにしている。
肉に万遍なく火が通るよう汗を流しながら串を回転させる調理人。原始的ながらもダイナミックな調理法は中世独特か。そして滴り落ちる子豚の脂とソースを下に置いた受け皿に溜まり、ある程度溜まるとその旨味とスパイスが凝縮されたソースを再び焼いた子豚へ掛けていき、その繰り返し。これはなかなか美味しそうだ。
俺はあぶり焼きされた子豚へソースをまぶす作業をしている調理人の後ろから手を伸ばすと、ソースに指を絡め口に運ぶ。すると舌と脳天に電流が走ったような感覚に、思わず目を閉じた。
「ちょっと、何を勝手に味見しているんですか」
「うるさい。それよりもなんだ、このスパイスが効き過ぎたソースは。一体何種類のスパイスを配合している?」
「知りませんよ、そんなの。あっちのスパイス担当に聞いて下さい」
初めに自己紹介をされたロースト担当のホーキンズは煩わしげに向こうを指差す。そこには小さな引き出しが沢山ある戸棚を背にしている老人がいた。
俺は白髪交じりの髭が汚らしく伸びた老人に近付く。すると強烈なスパイスの香りが鼻孔をついた。
老人の周りには乾燥された多種多様なスパイスだけでなく、まだ青々としたハーブも山のように積まれていた。老人はそれらを一つ二つ摘むと、目の前にある大きな乳鉢に入れてゴリゴリとすり潰す。
「おい、爺さん。あの子豚に掛けたソースには何のスパイスが入っているのだ?」
「……」
「おい、ジジイ。あれには何が入っているのか聞いているんだよ。答えろ」
「……」
俺の声が耳に届いていないのか、老人はひたすら乳鉢の中にあるスパイスをすり潰していた。
「なんだコイツ、もうろくか。ボケてやがる」
諦めて振り向こうとした矢先に、老人はカッと目を見開くと、狂ったようにその辺にあるハーブやスパイスを千切っては乳鉢へぶち込んだ。
「クミン! シナモン! バジル! オレガノ! ケッパー! 黒胡椒! 生姜! ターメリック! チリペッパー! パセリ! タイム! セージ! コリアンダー! ダー! ダー!」
俺はあまりの恐怖に二、三歩後ずさる。老人はなおも狂乱しながら、凄まじい速さで乳鉢の中身を挽き潰した。ガリガリの両腕が折れるのではないかと思うほど、激しく擦り棒を振り回す。キチガイじみた老人がいるというのに、周りの調理人は気にかける素振りもなく自分の作業に没頭していた。
いい加減止めた方がいいのかと迷っていたその時、老人の動きが急にピタッと止まった。脳みその血管でも切れたかと心配していると、老人は擦り上がった乳鉢の中に指を突っ込み、口に運ぶ。きっと歯が入ってないであろう口をモゴモゴさせ、ゆっくりと、だが力強く頷いた。
「失敗しちゃった」
思わずズッコケた。
何なんだ、この爺さんは。あれだけオーバーリアクションをかまして、いかにも堅物の職人っぽい雰囲気を醸し出しておいて失敗かよ。
材料を無駄にしてしまった反省か、肩を落としてしょぼくれる老人。こっちの方が期待外れでガッカリだよ。
すると、一人の調理人が老人のそばに来るとスパイスの調合について何点か尋ねる。耳が遠いためか顔を近づけて大声を張り上げる調理人に対して、老人はしょんぼり、失敗しちゃったと呟くだけ。
こりゃあ、いよいよ駄目かと思っていると、調理人は納得したように頷き、乳鉢ごと持って行ってしまった。
度肝を抜かれた俺はその男に駆け寄る。
「おい、さっきの爺さんは失敗だと言っていたぞ。持っていっていいのか?」
俺も半人前だが調理人の端くれ。失敗作を客前に出すのは他人の厨房といえども、ぞっとしない。だが乳鉢を抱えた男は楽観的な笑みを浮かべて言った。
「あぁ、マルコ爺さんの調合は常に完璧だけどな。長年スパイスの味見をしてきたせいで味覚がおかしくなっているんだ。だから爺さんが失敗だと言うなら、常人の舌では成功なのさ。逆にマルコ爺さんが成功と言ったら、常人の舌ではとても味わえないらしい」
「はぁ、そういうものなのか?」
「そういうものだ。なぁにマルコ爺さん、舌はぶっ壊れているが腕はピカイチだ。問題ないよ」
そう言うと男は鼻歌交じりに厨房の人垣の中へ消えていった。さすがは十四世紀、得体の知れない人間がいてもおかしくはないか。
俺はガックリとうなだれるマルコ爺さんを横目に通り過ぎると、壁際に何をするでもなくニコニコ微笑みながら突っ立っている男を発見した。
「名前は確かダンディーヌ、だったか。お前、担当はなんだっけ?」
「左から来た何かを右に受け流す仕事さ!」
「ここで何をしているんだ?」
「左から何かが来るのを待っているのさ!」
「……それはどんな時にこの厨房で発揮されるのだ?」
「左から何かが来た時さ!」
「……それって、必要か?」
「結構みんなに重宝されているよ!」
「……左から来る何か、ってなんだよ?」
「何かはサムシングさ!」
「……右に受け流したサムシングはどうなるんだ?」
「そこは僕の管轄外! 予想の範疇を超えるさ!」
「……お前さ、親戚にカツヤマって髭を生やした奴がいないか?」
「いないよ! なんでだい!」
……さすがは十四世紀、得体の知れない人間がいてもおかしくはないか。

厨房の奥に進んでいくにつれ段々と明かりは薄暗くなり、鼻を突く香りも生々しくなる。まだ生肉の状態の豚を加工している調理人もいれば、延々と野菜を刻んでいる調理人もいる。
よく見ればどの人間もまだ十代前半くらいと若い。どうやらここが厨房内に存在するヒエラルキーの最下層なようだ。
その中に器用にも大きなキャベツをお手玉のようにポンポン投げている女がいた。あの美人だが口が悪い女、サリーだ。
正直、女という生き物が苦手な俺は思わず身構えてしまった。するとサリーは俺に気付き、お手玉を止めて軽く微笑む。
「やぁ、東邦人のカメノコ、カメ……。スットコドッコイ、見学か?」
「誰がスットコドッコイだ。俺は亀岡だ」
「あぁ、それそれ。すまない、うら覚えだったのでな」
「うろ覚え、だろ。お前、随分と日本語を知っているな。うろ覚えなんて、フランス人が使うか?」
 ここが中世ヨーロッパだというなら、一つ重要な疑問がある。俺はこの世界に来てからずっと、日本語でしか会話をしていないはずだ。それなのに、さっきから全員と普通に会話が出来るのは何故?
サリーだって、日本語が得意なフランス人女優を連れてきたくらいにしか思わなかった。
「私はな、東邦の言葉に興味があるので、行商人や吟遊詩人に会うと教えてもらうのだ。だから、うる覚えなんていう珍しい言葉だって知っているんだぞ」
「なるほどな。でもせっかく教えてもらった言葉なら、正しく覚えろよ。うろ覚えな」
 想像するに、これもあの冷凍庫でタイムスリップをした特典みたいなものか? その移動した時代の言語を自動的にマスターさせる、みたいな。いかにも日本人が好みそうな過剰親切機能で、ご苦労なこった。
「細かい奴め。う、らりるれろ覚えでも何で良いではないか」
「数打ちゃ当たると思っただろうが、一発当たっても四発外しているから。結局マイナス三点だから。お前はここで何の仕事をしている。キャベツで曲芸の練習か?」
どうにも話が噛み合わないサリーに疲れながら話題を進める。サリーはキャベツを手元に置いた。
「私の仕事は野菜の下処理担当だ。さっきは言わば、ワームアップみたいなものだな」
「ウォームアップだろ。虫が這い上がってきているじゃないか。野菜の下処理が仕事ならば、遊んでないでさっさとやれ」
するとサリーは不敵に笑い、腰に巻いたベルトから小さなペティナイフを抜き取る。曇りが一点もない、よく研がれたナイフだった。
「私が本気を出せば凡人の三倍の速さで仕込みが終わるからな。遊んでいるくらいで丁度良いのだ」
そしてまな板の上にキャベツをセットすると、サリーの顔からは笑みがスゥと消えた。その瞬間、空気が張り詰める。
先ほどお手玉遊びしていたキャベツにペティナイフを差し込むと、器用に芯だけをくり抜いた。そしてペティナイフを宙に投げると、さらに腰から大きな牛刀を取り出した。
ペティナイフが空中落下でまな板に突き刺さるのを合図に、研ぎ澄まされた牛刀の刀身が閃いた。サリーの腕が残像で霞むほどの神速で次々にキャベツを刻んでいく。三玉のキャベツはみるみるうちに千切りへと変貌し、籠にこんもりと積まれた。
俺はあまりの神業に拍手を送る。自身、包丁を全く握れない俺としては羨ましい限りのテクニックだ。
「まだまだこんなものじゃないぞ。私の包丁捌きの真骨頂はこれからだ」
そう言うや否や、サリーは野菜置き場から大柄なカボチャを取り出すと、牛刀で天面を一刀両断して放り投げた。
そしていつの間にか両手にペティナイフと中型のナイフを携えたサリーが、落下してくるカボチャに向けてナイフを振るった。
無数の鋭い風がカボチャに襲い掛かったと思った瞬間、もう一度ポォンとカボチャが宙に舞う。サリーの両手が視界では捕らえきれない速度でカボチャの周りを駆け巡り、コンと柔らかい音と共にカボチャはまな板の上に落ちた。
驚いた事にカボチャは花瓶型に加工され、表面には細かいゴシック調の細工まで施されていた。
サリーの人間離れした芸当に、俺は興奮して惜しみない拍手を送った。サリーはさも自慢げにツンと高い鼻をますます高くする。
「やるじゃないか、女! 単なる馬鹿だと思ったら凄まじいポテンシャルを秘めていたとはな!」
「驚いたか、東邦人よ。そう、私は凄まじいポ、ポテ……ポテトマッシャーを秘めているのだ」
「ポテンシャルだよ、阿呆!」
「フハハ! 私の手にかかればチョチョイのチョイよ! どんな食材でも我が愛刀の錆びにしてくれよう! もっとも毎日研いでいるから錆びないがな! フハハ! 痛っ!」
いつの間にいたのか、高笑いするサリーの後ろからマエストロが頭に拳骨を喰らわせる。ビックリして振り返った俺とサリーに、マエストロは真っ赤な顔で睨み付けた。
「い、痛いじゃないか。タイユヴァン」
「またやらかしたな、サリー! いつになったら食材の見分けがつくのだ!」
急で事態が掴めない俺はサリーとマエストロを交互に見つめる。さっきまで上機嫌だったサリーはイタズラを見つけられた子犬のように肩をすくめていた。

更新日 8月9日

「俺はお前にほうれん草を千切りしろと言ったよな! これは何ですか!」
「……それはほうれん草です」
「いいえ、キャベツです!」
「だって、どっちも緑色だから見分けがつかないじゃないか。それにほうれん草もキャベツも葉っぱだし」
「全然違うわ!」
「わ、若気の極みで」
「至り、だから! ……ったくよ。いつになったら仕事内容を的確に把握してくれるんだ、サリー? 食材は間違える。切り方は間違える。言葉遣いは間違える。そんなんじゃあ、いつまで経っても次の段階の仕事を任せられんよ」
グッと唇を噛みながらも、サリーはマエストロを真っ直ぐ見据えて言い返した。
「そ、それはその都度に覚えればいいじゃないか。私はここにいる誰より調理技術に長けていると自負している。包丁捌きも、魚や肉のおろし方も、オーブンの使い方も。誰よりも上手くやれる自信があるのだ。そんなにイヤか? 女の私に高い地位を与えるのは」
「いくら技術が秀でていても、頭が悪かったら使い物にならないんだよ。いつになっても言い付け通りに仕事が出来ないんじゃ、周りに迷惑だ」
ばっさりと切り捨てると、マエストロは山のように積まれたキャベツを見つめ、食材を無駄にしやがって、と溜め息を吐いた。そしてカボチャだけは使い物になると思ったのか、小脇に抱える。
「今日の賄い係はお前だ。このキャベツを全部きちんと使え。いいか、全部だぞ」
そしてマエストロはがっくりとうなだれるサリーへ、トドメの台詞を残して行ってしまった。
「下手クソじゃ務まらないのが調理人だ。そして、上手いだけでも務まらないのが調理人だ」
まな板を前に悔しげな表情を浮かべるサリー。俺は全く別の境遇だが、この女の気持ちが痛いほどに理解できた。
腕はずば抜けているが、頭はずば抜けて悪いサリー。頭はずば抜けているが、腕はずば抜けて悪い俺。
己の短所と長所をイヤになるほど理解して、それでも止め処なく深い短所の穴を埋める術を知らないのに、長所ばかりが高い塚を築いていく。その塚から仄暗い穴の底を見つめる度に、心は孤独と絶望に苛まれるのだ。チグハグでバランスの悪い自分の力に嫌気が差しても、そこから抜け出せず、他の道を探す手立ても知らない。
俺とサリーは、同じなのだ。
山になったキャベツを見つめ、途方に暮れるサリー。キャベツの山から一摘み口に放り、モソモソと咀嚼する。俺もサリーの隣に立つと、真似してキャベツを摘んだ。
「これらを調理する手段は考えているのか?」
「……酢で、ワインビネガーに絡めて炒めようかな、と」
視点を落とし、自信なさげに呟くサリー。俺は変に酸っぱいだけの野菜炒めの味を口の中で想像して、げんなりする。やはりこの女、テクニックばかりで完成品の味を想像することや調理方法に関する知識が乏しいようだ。
「賄いで使用して良い食材に制限はあるのか?」
「あ、ある程度は。あまり高級なものは使用出来ないが、各々の担当と交渉次第だ」
「小麦粉や卵は?」
「あぁ、その程度なら問題ない」
「賄いは全てで何人前?」
「ざっと五十人前だ。一体、なにをする気だ」
「黙れ、馬鹿女。食材の調達にいくぞ。ついて来い」
ズカズカと勝手に進む俺の後を、白黒させた眼のまま付いて来るサリー。
似た者同士だからだろうか。このままコイツをほっとけない。


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