2017年03月 / 12月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2012'07.28 (Sat)

傲慢に書き綴ったル・ヴィアンディエ 第三 章

「おい、どうなのだ。真面目に答えろ、魔法使い。返事次第では容赦せんぞ」
妙にいかめつらしい表情で俺を問い詰めるマエストロ。
こいつもなかなか役者なものだ。まさか亀岡グループのドッキリ作戦に荷担していたとは、こればかりはさすがに一本取られた。料理の腕前はミシュラン級で乗馬もこなせるとは、かなりの逸材だろう。この三文芝居が終わったら是非とも召し抱えたいものだ。
俺は咳払いをして姿勢を正す。
よかろう。試されているなら、それもまた良し。亀岡家の人間に相応しい回答をしようじゃないか。
「魔法使いなどと妄想甚だしい。だが総てにおいて人より二倍も三倍も優れた俺、亀岡渉は言わば亀岡家の錬金術師。この名誉に懸けて亀岡の富を未来永劫、繁栄し続けるよう尽力する次第だ」
決まった。馬蹄の音がパカラパカラとうるさいが、バッチリ決まった。亀岡家の人間に相応しい尊厳と決意に満ち溢れた返答に、マエストロ(試験官)は目を丸くしている。ふむ、相当胸を打たれたらしい。
「……あ、あぁ。よく分からないが、お前は東邦の錬金術師だったのか。ならばこれ以上の詮議は止めよう。だが錬金術師とはいえ、この国では異端者扱いをする人間も少なくない」
「おい。錬金術師とは言葉のあやだぞ。異端だのとそこまで本気にするな。なんかその返し方、俺がすごく残念な人みたく聞こえるからやめて」
「あぁ、分かっている。しかし教会の人間に絡まれては厄介だ。上手く身分と立場は偽ることを勧める。俺としても命の恩人が異端審問に掛けられるのは、寝覚めのいいものではないからな」
俺の回答の評価はさほど良くなかったのか、マエストロはまた謎の設定を引き出して曖昧に誤魔化した。余計な比喩など使わず、もう少しストレートに答えた方が良かったか?
「それとマエストロ。その怪力は一体何者だ? どうやったらあれだけ重量のある物体をヒョイッと投げられるんだ」
 さっきから一言も口を発しない、マエストロの横を馬に乗って並走する覆面を指差す。
「あぁ、気にするな。護衛役のようなものだ」
「気にするだろ。おい、お前。一体どんなトリックを使ったのだ」
 だがそいつは、俺の言葉など聞こえんとばかりに、まっすぐ前を向いている。体型は実にほっそりとしていて、とても力持ちのようには見えない。
「おい、細マッチョの覆面野郎。何かコツでもあるのか、コラ」
 ここは敢えて芝居に引っ掛かった振りをするのも一興だが、それでもあのトリックの種くらいは明かして欲しい。
 すると覆面野郎は急にムッとした様子でこちらを睨んだ。そして顔を覆った布をはぎ取る。
その瞬間、心地良い胸の鼓動と共に視線を奪われた。

「誰が野郎だ! 私は女だ!」

女、それも一際端整な顔立ちをした上等な女だった。
切れ長の涼しげなブルーの瞳にツンと小高い鼻先。桜色の淡い唇。後ろで束ねた長いブロンズの髪が風にたなびいて揺れる。後光というか、何故かその女の周りだけが輝いて見えた。
「俺の部下であるサリーだ。女だてらにかなりの腕っ節なのでな、今回の旅の護衛役として同行している」
呆気に取られる俺を予想通りの反応とばかりに、満面の笑みを浮かべるマエストロ。
サリーと呼ばれたその女は俺の頭から爪先まで目を通す。他人に対して物怖じしない性格なのだろう。巧みに馬を寄せ、顔が触れ合うほどの距離まで自分の顔を近づけた。サリーの力強い輝きを放つ瞳に見つめられ、俺は情けなくもつい顔を赤らめた。
「このスットコドッコイ」
「……あん?」
が、すぐに青筋が浮いた。この女の通り魔的ともいえる暴言に、赤らんだ俺の頬はスゥと熱が引く。
「おい、女。誰がスットコドッコイだ。初対面で舐めた口を利く奴は、殴ってもいいと相場で決まっているんだが?」
ニヤニヤして俺らのやり取りを観察していたマエストロは、顎を軽く撫でながら答える。
「サリーは東邦に興味があってな。行商人や吟遊詩人が訪れると東邦の話をねだるのだ。だから東邦の言葉も少しは知っている。どうだ、使い方が間違っていないか?」
「少しは知っている、どころじゃないだろ。ここまで日本語がペラペラなのに何を言う」
「えっ」
「えっ」
「えっ?」
 一同が呆け顔をする中、馬蹄の音だけが滑稽に響く。
「何かおかしなことを言ったか?」
「うむ。誰がいつニホンゴ? とやらを話したのだろうかと。こちらの立場から言わせてもらえば、ワタルの方が凄いぞ。フランス語が随分と堪能なのだな」
「あぁ。発音がかなりネガティブだ」
「サリー、ネガティブじゃなくてネイティブだ」
 このやり取りは一体何を意味するのだ? どう考えても俺はフランス語なんぞ喋っていないし、マエストロと馬鹿女の言葉が日本語にしか聞こえない。コテコテのフランス人がしっかりとした発音の日本語を喋るものだから、まるで目の前で吹き替え映画を見せられている気分だ。
明らかに不審げな顔のマエストロとサリーを見て、しまったと思った。どうやらここは触れられたくない設定だったようだ。しかし、亀岡家のテストの割にはやや水準が低いな。俺様レベルになれば、フランス語くらいペラペラだというのに。
「あぁ。おかしな事を言って済まなかった。言葉くらい気にしないでおこう」
「そうか。ではワタルはスットコドッコイという事で」
「お前、これが終わったら絶対ケチョンケチョンにしてやるからな」
 睨みつける俺に、サリーはプイっとそっぽを向いた。何故だかこの女、凄く気に入らん。
顔を正面に戻すと、マエストロは手綱を操り馬の速度を上げた。
「ところでワタルは、どこかに向かう途中だったのか?」
「そうだな。強いて言えば、光り輝く未来に向けて……かな」
「? はぁ……。場所の話をしている。何かの目的があって東邦よりこの地へ赴いたのか?」
「いや、そちらの設定に合わせよう。どこへなりとも導いてくれ。場所、場面、状況に左右されない俺の臨機応変さをしかと見届けてくれ」
「そうか。では俺の主、ドフィネ公の屋敷へ行くぞ。東邦には興味がある。異国の愉快な話を聞かせてくれ」
マエストロは馬の脇腹を小突くと速度はさらに増した。また馬上は激しく揺れ、尾てい骨が砕けそうだが、これも亀岡グループの上層部に就く試練の一つと思えば、やせ我慢で背筋を伸ばせる。
俺はなるべく澄まし顔でマエストロへ問い掛ける。吹き荒ぶ風の音が煩わしくて、自然と声が大きくなった。
「さっき俺を命の恩人と言ったが、何か揉め事でもあったのか!」
「賊から挟み撃ちをされたのだ! あんな細い崖道じゃまともに身動きを取れず四面楚歌だった! そこへお前が乗った白い箱が賊を二人跳ね飛ばしてくれたおかげで退路が確保出来た! まさに命の恩人! 神の思し召しよ!」
「なるほどな! 無駄に細かい設定を語ってくれてありがとう!」
「設定って何のことだ!」
「いや! こっちの話だ!」
「そうか! それとさっきから一つ気になっていた事がある!」
「何かな! マエストロ!」
「お前、ゲロ臭いな!」
「ほっとけ!」
あくまで白を切り通そうとするマエストロの興を削ぐのも気が引けて、俺は口を噤む。少々奇抜に飛んでいるが、頭が堅くやたらと家名に固執するだけの亀岡の人間がやることにしては、なかなか愉快な余興だ。どのみち俺の行動は亀岡の監視下にあるはず。見知らぬ土地ではあるが危険な目にあうことはまず無いであろう。
俺はマエストロの腰に巻かれた革製のベルトを手綱替わりに握る。揺れにもだいぶ馴れてきたのか、腰の痛みはだいぶ安らいできた。このドッキリ企画は、いつどのタイミングでネタばらしをするのだろうか。俺はその時に備え、亀岡グループが感銘するような凛々しく立派な口上に思考を巡らす。

馬で駆けること一時間近く。途中で一度休憩を挟んで、マエストロの主というドフィネ公の屋敷に到着した。
どこまでも続く平地には、ところどころになだらかな河が流れ(マエストロの話ではドローム川らしい)、その恩恵を得てか、岸の少し離れた場所に林がいくつか点在していた。
その中でも一際大きな林に寄り添うように居を構えているのが、ドフィネ公の屋敷だった。
山肌から切り崩した岩を幾重にも積んで建てられた骨格は威圧的で、屋敷というより規模は城に近い。西欧の絵葉書に載っているような見事な造りに、俺はマエストロから手を貸してもらい馬から下りる間、あまりに圧巻過ぎて視線を奪われた。
「ドフィネ家は西暦七百年より、それこそこの大地がガリアと呼ばれた時代から続くお歴々であり、このお屋敷はこの地方で最も敷地面積が広い建築物である。所有する領地、年貢額、使用人の数はフランス全土の中でも屈指の名家に挙げられる」
歩いて手綱を引き厩へと向かうマエストロの後を追う。マエストロは自分の主であるドフィネ公の自慢話を、さも得意げに続けた。
「何故に主がこれほど豪奢で莫大な富を有しているかと言うと、ドフィネ家八代目の当主が前国王陛下であらせられるシャルル四世と又従兄弟に当たり皇族の血縁者というのが大きいが、それ以上にみな口を揃えて讃えるのが公の人物にある。位が高い貴族にありがちな傲慢な態度は微塵も表さず、どんな目下の召使いや奴隷にも気さくにお声を掛けて下さる。器の大きい人なのだ。だから我々ドフィネ公に仕えこの屋敷で暮らす人間は全て一様に、主に揺るがない忠誠を誓うのだ」
若干高揚しながら話すところを見ると、マエストロは真にこの城主を尊敬しているのだろう。美味い料理を作るだけが取り柄の男だと思っていたが、なかなかの役者ではないか。設定は随分と細かいし、完全に役へ入り込んでいる。
そんなマエストロを横目に俺はもう一度、屋敷を仰ぎ見る。中規模な学校ほどの大きさを有する建物に、見張り台なのか分からないが、とんがり屋根の塔が併設されている。確かこの建築様式はこんな名前だった。
「ロマネスク建築、だな」
「ロマネスク?」
「あぁ。高校の地理で学んだぞ。中世中期頃のヨーロッパで用いられた建築様式だ。その時代の聖堂は全てロマネスク建築なはずだ。うむ、実際にこの目で見るとなかなか趣深いものだな」
博識な一面をアピールしたつもりだったが、マエストロは怪訝な顔をしただけだった。
「そんな屋敷の建て方に名前なんぞ無いだろ。東邦では我々の屋敷をそのような言い方するのだろうが、ロマネスク……ローマ風ということか。あまり良い気分ではないな。どうせなら我がフランス王国に因んだ呼び方を名付けてもらいたいものだ」
「それは仕方ないだろ。一般常識だろ。あぁ、お前はゴーリストだったな。フランス崇拝主義だったな。その気持ちも分からんでもないが、だったら尚更だがフランスの呼び方くらい正しく覚えろ。フランスは王国ではなく共和国だ」
「馬鹿を言うな。我が国は国王陛下の庇護の元に成り立つ由緒正しき王国だ。共和制などという脆弱で不安定な国家と嘲笑するならば、いくら命の恩人とはいえ只では済まさんぞ」
厳しい一言を投げつけ、マエストロは肩を怒らせて先に進んでいった。
やれやれ、設定が細かいと感心していたが、詰めの甘さがこんな所で露呈しているぞ。いや、もしやここでこちらの反応を試すつもりだったか。これはしたり、もう少し寛大に対処すべきだったか。
そんなことを考えつつ、俺はやや早足でマエストロの後を追った。
屋敷の正面に対して左側には欅が生い茂った林がある。建物の一部が完全に林と同化していて、屋敷をさらに広大に見せていた。

その林に面した屋敷の奥に進む。幾ばくかひんやりとする木陰のトンネルを潜り抜けると、プレハブ二台分ほどの小屋があった。どうやらそこが馬小屋のようだ。マエストロが駆ったのと同じサイズの馬が、十頭は厩に繋がれている。
そんな馬小屋の柱に手綱を繋がれて、茶色い毛並みを持つ馬が一頭、毛繕いをされている途中だった。俺達の足音に気付いたのか、馬の肢体にブラシをかけていた青年がこちらを振り返った。
「あ、タイユヴァン。お帰りなさいませ」
「只今、戻ったぞ。コウラキ」
マエストロはコウラキと呼ばれた青年に馬の手綱を渡すと、コウラキは顔を綻ばせて馬に頬擦りをする。そしてサリーの乗っていた馬にもすかさず頬擦りをした。
「ではタイユヴァン、私は先に厨房に戻る」
 コウラキに馬を預けると、サリーは馬小屋脇の勝手口に進む。
「あぁ。ご苦労だったな、サリー」
 マエストロの労いにサリーは軽く手を挙げて応えると、俺をジッと見据えた。
「な、なんだよ。馬鹿女」
「また後でな、カメオカ……ペダル」
「ワタルだ!」
 朗らかな笑い声をあげてサリーはその場を去っていった。あの馬鹿女、やっぱり気に入らん。
 そんな俺を、コウラキがマジマジと見つめていた。歳は俺よりも若いか、同じくらいか。隣の馬の毛色に似た茶色の髪に、そばかすが目立ついかにも西洋人といった顔立ち。ヨロヨロのシャツに汚いボロのツナギをまとった出で立ちは下働きらしい格好だ。
そんなコウラキはマエストロの後ろへ控えた俺に、物珍しげにジロジロと不躾な視線を送った。
「タイユヴァン、こちらのその……異国の御仁はどなたで?」
言葉を選びに選び抜いたといったニュアンスでマエストロに尋ねるコウラキ。ややムッとする俺をよそにマエストロは簡潔に答える。
「この東邦人はカメオカワタル。俺がフィオレーネ丘で賊に襲われた時に命を救ってくれた恩人だ」
コウラキの顔が途端に青ざめる。大きく目を見開いてワナワナ震える唇を無理矢理こじ開けてコウラキは言った。
「賊に襲われたんですか! よくぞ、ご無事で! お怪我はございませんでしたか?」
「あぁ。奇跡的にも無傷だ。それにサリーもいたからな」
ドッと安堵した様子でコウラキは大袈裟に胸元で十字を切ると、手を組んで額に押し当てた。
「我が偉大なるタイユヴァンと我が友人たる馬の身を御加護頂いた全知全能たる神に、過大なる感謝を申し上げます。……しかし、妙な話です。フィオレーネ丘で賊が現れるなんて、聴いたことがありません。あんな入り組んだ地形なんて、せいぜい狩猟でカモシカを追うときに踏み入れる程度です。どちらかと言えば、シエルベール街道の方が賊に出くわし易いでしょうに」
首を傾げるコウラキに、マエストロも腕を組んで渋い顔を作る。
「俺もそのつもりで帰路はシエルベールを避けたのに、結果はこれだ。それに賊共、挟み撃ちで退路を断ってまで襲ってきた。明らかに端っから俺の命を狙うつもりだったのだろう」
「もしかして、デラーズの奴らが……」
「待て。それ以上は口にしてはならない。確証がないことだ」
いつの間にか二人共、声を潜めている。何だか込み入った事情があるようだが、それを敢えて俺の目の前で演技してみせる意味が分からない。
しばらくはまたヒソヒソと二言三言交わしたが、マエストロは俺が後ろにいる事に気付いてか、ハッと顔を上げる。
「それでコウラキ、帰還の挨拶と東邦人のワタルを紹介したいがため、ドフィネ公へ謁見を賜りたい、と執務長のアイハムラへ伝えてもらえるか?」
「もちろんです。タイユヴァンの頼みとあれば喜んで」
「そうか。助かる」
マエストロは懐から木で出来た札を取り出すと、コウラキへ渡す。青年は手早く馬達を小屋へ誘導すると一度だけ控えめに俺へ目礼をし、マエストロから預かった札を大事そうに抱えて屋敷内へと走っていった。
「コウラキ。ワタルが私の命の恩人だということを、くれぐれも言い含めてくれ!」
「はい! かしこまりました!」
軽快に走り去るコウラキの背中へ声を掛け、マエストロは俺を振り返る。
「さて、公へ謁見の許可が下るまでしばらく時間が掛かりそうだ。それまで俺の城を案内しよう。興味はあるかな、東邦の錬金術師殿?」
「城? なんだ、マエストロ。お前は殿様だったのか」
「違う違う。城というよりも戦場と言った方が適切か」
一人ごちるとマエストロは俺の返事も聞かずにズカズカ屋敷内へ入っていく。俺は慌てて横柄なマエストロの後を追う。
「俺の戦場、つまり厨房だ」

馬小屋脇にあった勝手口を抜けると、薄暗くカビ臭い通路を渡る。屋敷内には照明が設置されていないのか、背後から微かに洩れてくる日光を頼りに進むしかないが、手探りの俺に構わずマエストロはさっさと先へ行く。
「おい、マエストロ。少し待ってくれ。暗くてまともに歩けん」
「どうした、ワタル。まだ目が慣れていないのか。情けないな」
「いくら裏口といっても蛍光灯くらい設置しろ。建築基準法違反じゃないか、これ」
「蛍光灯って、何だ? 東邦にはそういう灯りが存在するのか」
いい加減にマエストロの見え透いた嘘を問答するのは飽き、俺はそれ以上の言及をやめた。そしてさっきコウラキとマエストロの会話を思い出す。
「マエストロはあの青年から、タイユヴァンと呼ばれていたな。確かお前の名前は業務タオルじゃなかったか?」
こんなところでせっかく大規模なドッキリの粗が見えては興が削がれる。モブキャラにもしっかりと設定を叩き込んでおいて欲しい。
「誰が業務タオルだ。ギョーム・ティレルだ。タイユヴァンという名はこの屋敷内での愛称みたいなものよ。東棟の厨房『陽日の胃袋』の副料理長、タイユヴァンと言えば俺のことよ。ここのみんなはその名で呼ぶ。是非ワタルにもタイユヴァンと呼んでもらいたい」
「ヤダね。何がタイユヴァンだ。タイユヴァンって言ったら、バリの第八区にある老舗三ツ星レストランだろ」
サービスのタイユヴァンといえば食通でなくても知る、名店中の名店だ。
最近はミシュランで星を落としてしまったが、俺の中の評価では常に他の三ツ星店とは一線を画した存在感を誇るレストランだと思っている。料理人でゴーリストのマエストロならば、知らないわけがない。そんな名店を役とはいえ、渾名にするとは何事か。
「パリに? そんな名前の店があったか?」
「そりゃ、あるだろ。まさか知らないとは言わせない。どういう設定になっているのだ、お前の中では」
「さっきから設定、設定とどういう意味だ? 東邦人なりの比喩表現の一つか? まぁ、いい。後でじっくり聞かせてくれ」
 それからマエストロは、この屋敷に二つあるという厨房の一つ『陽日の胃袋』の調理人を紹介した。
 総勢で五十人はいるであろう調理場に圧倒されたが、なんと西棟には同じ規模の厨房がもう一つそんざいしているらしい。ちょっとしたリゾートホテル並みの従業員の数だ。
 そしてそれらの紹介が終えると丁度良く、執務係のアイハムラという男が謁見の許可を申し渡しにきた。これから俺は、この屋敷の当主であるドフィネ公と呼ばれる男と会わねばならないらしい。
 もしかしてそれが、このドッキリ企画の最終局面なのかもしれない。俺は亀岡家の人間として、何がこようとも凛然と構えるべく、上着の襟を正した。

先ほど通ってきた勝手口とは違い、俺はマエストロに従い長く広い回廊を歩いていた。
隅々まで清掃が整った回廊の壁には高価そうな骨董美術品が等間隔で並べられている。天井を仰げばルネサンス調の絵画がどこまでも続き、足元の廊下にも細かな石細工が施されており、気軽に歩く事を躊躇ってしまう。四方八方どこを見渡しても、美術館をそのままを切り取ってきたかのような空間だ。
回廊の突き当たりに一際豪奢で大きい扉が見える。扉の前には長槍を携えた警備兵が恭しく構えている。マエストロを見留めた警備兵はすかさず敬礼を送り、扉の両脇へ退いた。
マエストロは気さくに警備兵へ挨拶をして扉の前に立つ。警備兵は敬礼の姿勢のまま、俺をジロジロと観察した。
「ドフィネ公。ギョーム・ティレル、ただいま帰還致しました。お目通しを賜りたく存じ上げます」
『うむ。入ってくれ』
きっと返答したのはドフィネ公だろう。扉の向こうからどっしりとした声が聞こえたと思ったら、警備兵が扉の取っ手を引き、重厚な音を響かせ開けた。
マエストロが俺に目配せをすると中へ足を踏み入れる。俺もマエストロに倣い、引き締まる背筋をさらに伸ばし、ドフィネ公の待つ中へと進んでいった。
中は白地を貴重とした壁と床で囲まれ回廊に比べれば幾分質素だが、天井から吊り下げられたシャンデリアが唯一豪華さを極めている。他のインテリアがシンプルな分、シャンデリアは見た目以上のインパクトを受けた。
そして部屋の真ん中に大きく精巧な細工が施された執政テーブルが構えられており、そこに一人の男性が腰掛けていた。言わずもがな、この屋敷の当主であるドフィネ公だろう。
さらに同様の口上を述べるマエストロを片手で制し、手招きをするドフィネ公。俺はマエストロに従い、恐る恐る執政テーブルに近付き当主の顔を伺った。

その瞬間、落雷を受けたような衝撃が俺の全身を駆け巡り、両脚をその場に釘付けられた。

「ブルゴーニュへの視察はどうだったかな、タイユヴァン? 良き見聞は広がったかな?」
「はい、おかげさまで。あの地域はやはり、葡萄やワインに因んだ古代よりの調理が豊富でございました。逗留のお世話になったフランソワーズ伯爵も、ドフィネ公によろしくお伝えするように、と」
「ほっほっほっ。フランソワーズ伯爵もそなたの料理を堪能でき、さぞかし満足であっただろう。実はつい先日な、伯爵から手紙が届きタイユヴァンの逗留を今少し延ばせないかとあったが、断った。そなたの不在が長引けば長引くほど、我の舌と胃袋は不満の余りに発憤してしまう」
「有り難きお言葉でございます。それと、国王陛下と憎きイングランドの戦の話も耳にしました。あまり明るい情勢ではないようで。やはりフィリップ国王陛下が御逝去なされてから、神の御加護が遠のいてしまわれたのでしょうか」
「それは言うな、タイユヴァン。なに、今は単なる中弛み。プランタジネット朝およびランカスター朝イングランドが卑劣な策を弄した結果に過ぎぬ。いずれ勝利の女神がジャン国王陛下へ微笑むであろう。それと、そなたも道中危難に際したと聞いているが?」
「なに、賊な輩に襲われただけのこと。サリーも一緒でしたし、公のご心配には及びません。ですがそれは窮地を救ってくれた、ここに控えたる東邦よりの旅人、カメオカワタル殿があってのこと。ぜひドフィネ公にもご紹介せねばと同行願いました次第でございます」
「うむうむ、聞いておる。カメオカ殿、私からも多大なる感謝を述べさせ頂こう。タイユヴァンを失うということは、我は己の舌や胃袋のみならず目や鼻、そして後の天命全ての楽しみを失うところであった。それほどまでにタイユヴァンの料理は美味にして官能的で神秘的。我が生涯にして唯一無二の至高である。カメオカ殿、宜しければ当屋敷で手厚く処遇を致したいと考えている。しばらくの間は当屋敷に逗留をし、我に東邦の話など語っていただけないか。のう、カメオカ殿?」
「お、親父……」
俺の第一声に、マエストロとドフィネ公は、異なものを耳にしたとばかりに眉間を歪める。だがそんな事は知ったこっちゃない。俺はここまで人をコケに出来る亀岡家の根性に、沸々と怒りがこみ上げてきた。
執政テーブルの奥に腰掛け赤い高級そうなマントを羽織った、マエストロがドフィネ公と呼ぶ人物は、紛れもなく五年前に病死した俺の親父だった。人が良さそうに目尻が垂れた顔に鼻の下に短く生やした髭。丸みを帯びた撫で肩に短い足。茶色がかった瞳と髪の色を除けば、目の前の人物は間違いなく死んだ親父だった。
「このクソ親父、本当は生きていやがったんだな。よくも五年間も、だまし続けてくれたな」
「カメオカ殿? 何を申しておるのか、分からぬが」
顔を真っ赤にしてにじり寄る俺を前に、親父はひきつり顔で後ずさる。その時に床をこすった椅子の音に反応して、マエストロが俺の左肩を掴み制止を掛けた。
「おい、ワタル。ドフィネ公に対してなんたる無礼な口を利くのだ。たとえ異国の客人とあっても、それなりの礼節はわきまえるべきであろう」
その一言で頭にカッと血が上る。俺はマエストロの手を払うと、そのまま両手で胸倉を掴んだ。
「ふざけるな! 親父も親父だが、貴様も貴様だ! 亀岡家に一体いくら積まれたか知らないがな、ここまで若僧の苦しむ姿を眺めて愉快か! 人間として最低だぞ、マエストロ!」
亀岡家が破産したとニュースで知った途端、掌返しのように捨てられて。片田舎で鬱屈とした毎日を過ごし、東京の大学に行ったはいいが馴染めず結局は中退。一念発起してレストランに勤めるが、ミスばかりでまともな人間扱いをしてもらえない日々。
毎日が惨めで情けなくて、生きていくことすら辛くなり、自ら命を絶つことすら本気で考えるまで追い込まれた日常。
「確かに俺は生まれながらボンボンで、自分一人じゃ何も出来ない能無しさ。亀岡家の財産という庇護がなければ、日常すら送れないダメ人間さ。でもな、そんな俺でもこの五年間は一生懸命這い蹲りながら頑張ってきたんだよ! 過ぎ去った甘い生活にみっともなく指をくわえて懐古しながらも、普通の生活でも構わないと必死に足掻いてきたんだよ! そんな俺を遠くからほくそ笑み観察していて、面白かったか! 満足だったか! 無惨にのたうち回る俺の姿は滑稽だったか! だったらもう充分だろ! もう壮大に仕掛けたドッキリは成功でいいだろ! 引っ掛かりましたよ! 見事に一本取られましたよ! だからもう、さっさとネタ晴らししてくれよ! 頼むから!」
目に涙を溜めながら大声で喚く俺を、困惑しながら見つめるマエストロ。俺はそんな態度のマエストロが許せなくて、掴んだ襟首を振り乱す。後ろでバタンと音がしたので振り返ると、青ざめた親父が椅子から立ち上がり部屋の奥へ身を構えていた。
「タイユヴァン! そこの東邦人は一体何者じゃ! もしや昨今流行りの黒死病で変貌した悪魔憑きではあるまいな!」
明らかに怯えながら非難を浴びせる親父の言葉が、俺の胸で燃え盛るドス黒い炎に油を注ぐ。
「俺がどんな気持ちで親父の葬式に参列していたか分かるか? あんたの棺をどんな気持ちで担いでいたか分かるか? たった一人の家族を、人生の中で一番尊敬し一番大切な存在だったお前を失った気持ちが分かるか? そんな一人息子を騙してどんな気分だ! あんたを信じていた俺を裏切る気分は、さぞかし清々しかっただろうな! このクソ親父! お前なんてもう父親でも何でもない! 二度と俺の前に顔を見せるな!」
気が付くと両目から止め処なく涙が流れていた。この五年間、様々な絶望感を味わってきたが、これほどまでの苦しみはなかった。心の中に直接焼いた鉛を流し込まれたような、質量を持った悲しみが魂そのものの生命力を奪う。俺はその熱に抗うよう、腕を振り回し部屋の中を仰ぐ。
「監視カメラはどこだ! 見ているのだろう、亀岡家の連中! もう本当に勘弁してくれ! 俺の負けでいい! 亀岡家に相応しくない人間と試験は不合格で構わない! だからもう、ドッキリでしたとネタ晴らしをしてくれ! そうしたら以後貴様等には近付かないから! 親族から除名してくれていいから! 頼むから誰か! ドッキリだという証拠を俺にくれ!」
部屋の扉を開けて飛び込んできたのは、ドッキリでしたと書かれたプレートを持つコメディアンではなく、槍を構えた警備兵だった。狂乱する俺に飛びかかると、力づくで俺を地面に押さえつける。後ろの方からマエストロの、命まで取ってはならぬという叫び声が聞こえた。
俺は抵抗する気力もなく、地べたに顔を擦り付けながらむせび泣いた。そして濡れた瞳のまま親父を見上げる。
おぞましいものでも眺めるような、冷酷な目を投げかける。間違いなくそこにいるのは死んだ親父ではなく、煌びやかな衣装をまとった中世の貴族だった。顔は確かに似ているが、親父なわけがない。あの優しかった親父が、俺をあんな顔で見下すわけがなかった。
悟った瞬間に、今度こそ本当に俺はがっくりとうなだれた。一瞬だけ酷く憎みはしたが、もう一度親父と再会出来たと胸が震えた歓喜は、紛れもなく本物だったから。


更新日 8月3日

俺が物心ついた時には既に親父と二人きりだったが、無駄に明るい性格な親父だったので寂しいと思ったことはないし、実家は大企業を経営していたということもあってか、お金にも不自由はしなかった。
欲しいものは何でも親父が与えてくれたし、自分へかしずく人間も周りに溢れていた。自分でも腹が立つほど傲慢な性格に育ったのは、環境のせいとしか言いようがない。
親友と呼べるクラスメートはいなかったし、胸を熱くする青春時代なんぞ、ドラマの世界だと思っていたし、当時の環境ではそんなものに憧れる必要がないほど、満たされていた。
そんな俺にしたのは甘々な親父だったが、一度だって恨んだことはない。それほど親父はいつだって優しく、俺の憧れだった。

気が付くと俺は、土色の壁に囲まれた薄暗い部屋にいた。頭を上げると机の向かい側からマエストロが顔を覗き込んだ。
「どうだ、ワタル。少しは落ち着いたか?」
「ここは……どこだ」
「俺の執務室だ。だいぶ錯乱していたからな、力づくで引っ張ってくるのに苦労したぞ。見ろ、俺の肥えた腕がさぞかし美味しそうだったようだ」
そう言うとマエストロはにんまりと微笑みながら腕をまくる。手首のやや上に、くっきりと歯形が残っていた。覚えてないがどうやら俺がかぶりついたらしい。
「ドフィネ公には長旅の疲れと賊に襲われたショックで、精神が混乱したらしいと言い訳しておいた。本来なら問答無用で外に放り出されてもおかしくないが、恩人となればぞんざいな扱いも出来ん。お咎め無しで当屋敷に逗留しても構わないと御慈悲があった。公の懐の深さに感謝しろよ」
「……すまなかった、マエストロ」
俺の口調が気落ちしていたものの正常になっているからか、マエストロはホッと肩を揺すり椅子に深々と腰を沈めた。
錯乱していたが気を失ったわけではなかった。ただ頭の中に大量の蜜蜂がけたましく暴れていたような、竜巻の中を瞬きせずにいたような、そんな感覚だった。
そして気持ちが落ち着いてきたのと同時に、頭も冷静に動き出す。俺はずっとこの世界を亀岡家の仕組んだ冗談だとばかり思っていたが、それは完全に俺の思い違いで、体のいい希望にも似た妄想だったらしい。もし冗談だとしても、そうだったらどれだけ喜ばしいことかと思わずにはいられなかった。
つまるところ、俺は未だ過去の栄光にすがり付こうとしていた。
「さっきお前さん、ドフィネ公を親父と呼んでいたな。そんなにワタルの父御と似ていたのか?」
「あぁ。死んだ親父にそっくりだったよ」
「死……そうか、それはさぞかし辛かっただろうな」
主の前で暴れた無法者にすら同情を示すマエストロの優しさに、俺は再び涙を堪えられなかった。鼻をすすってボロボロと泣く俺をマエストロは慰めも叱りもせず、ただ黙って放っておいてくれた。そんな寛大さも、この男は俺の知っているマエストロにそっくりだ。
だが、この男とクレセントのオーナーシェフは確実に同一人物ではない。俺は頬を流れる涙を拭うと、一度深呼吸をする。そして腹を決めてマエストロに尋ねた。
「マエストロ、一つ尋ねたい。ここはフランスのドフィネ地区で間違いないのだな」
「あぁ。お前がどういう経路で訪れたかは知らないが、相違ない。ここはプロヴァンスのドフィネ地区だ」
もはや異なことを質す俺に馴れたのか、マエストロは淡々と答える。
そもそも最初に違和感の元となるドフィネ地区という単語に気付くべきだった。ドフィネ地区といえば、現在プロヴァンスにあるドローム県の昔の名称だったからである。
俺は小さく唾を飲み込むと、もう一つの質問をした。
「今は西暦何年だ?」
若干首を捻りながら、それでもマエストロはでっぷり太った腹に腕を組んだまま答える。
「東邦ではどういった数えになるか知らんが、今は西暦一三五一年だ」
俺の中にある何かがガクンと大きく揺れた。
そのおよそ現実味のない馬鹿げた憶測を、この屋敷に来る前にふと考えたが、有り得ないとすぐに払拭した。だが、図らずも鼻で笑ってしまいそうな夢物語はこうして目の前で、現実となってしまった。
俺は乾いた笑いをクツクツと洩らす。また気でも触れたかと、心配げに覗き込むマエストロへ言った。
「俺は二○一一年の日本からやって来た。信じられるか、マエストロ?」
しばらく沈黙が流れた後、マエストロは肩をすくめて首を横に振った。
「ワタルなりにエスプリを利かせたようだが、残念ながらイマイチだな。東邦人と我々では冗談のツボが違うようだ」
「そのようだな。俺はやはり下らん戯れ言は苦手みたいだ」

どうやら俺は過去のフランスへタイムスリップしてしまったらしい。受け入れたくないが、これが真実だ。




目次
スポンサーサイト
21:29  |  ル・ヴィアンディエ  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

このページの上へ

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。