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2010'06.01 (Tue)

明日へ向けて

 茜色の空が川の水面に反射してキラキラと眩しい。佐高市を形作る荘内平野の中央を流れる北前川は、悠然とその流れを海原に向けて下っていく。日本屈指の急流と証される北前川は梅雨の時季になれば修羅のように姿を変えるが、晴れ間が続く昨今は大人しくサラサラと流れていた。その北前川に架かる鳥海大橋の歩道橋を渡る自転車の群れ。西日に伸びる影が六つ。
 その中の一台の自転車に乗った少年が、学校指定のヘルメットを外すと無造作に籠へ放り入れた。
「あぁー! ちくしょう! なんでこんな暑苦しいメット被ってなきゃいけねぇんだよ!」
 いかにも我慢弱そうな少年へ、一番先頭を走っていた肥え太った少年が咎める。
「規則に従いたまえ、高田君。もしもヘルメットを被っていない第七中生徒が近隣住民から見つかったら、真っ先に我々が疑われるだろうが。そうしたら必然的に市議会議員である僕のお爺ちゃんに迷惑がかかることになると思わないのか?」
「思うわけねぇだろ。なんで俺がいちいちデブの爺さんの事なんか気に掛けなきゃいけねぇんだ」
「君は宗方繁蔵が何たるかを知らないからそんな態度でいられるんだ! よかろう! ではまず始めに僕のお爺ちゃんが齢三十五歳で初めて市議会議員に当選した時の話から聞かせようか! それは大晦日が開けたばかりの冬、その年はちょうど豪雪と言われた年で僕のお爺ちゃんはスコップ片手に……」
 本人しか興味がない英雄譚を語り出した部長に、一同突っ込みを入れる体力も無く黙って聞き流す事にした。いつもなら苦笑いを浮かべながらも話を聞く振りをする相方である丸藤も、すっかり体力を消耗仕切ったのかげんなりと反応を示さない。他のメンバーも同様に応援やらで疲弊した体を感じながら、今日一日の戦果を胸の中で反芻する。さっきからもう何度となく思い返しているが、決してし尽くす事の出来ない一日だった。
 そんな中、殆ど一日中応援に徹していた巨漢の吉川が、背格好に似付かわしくない声で呟く。
「でもさ……今日はみんな、凄く頑張ったと思うよ? 特にみやちゃんとさくちゃんは、ね。最後の試合なんか、我を忘れて応援してたもん」
 少し離れた位置にいる神谷はいつもの無表情で何も言わず自転車を漕いでいる。たぶん今日一番体力を消費しただろう彼は、こうしてみんなと一緒に帰れるだけでも奇跡だろう。そんな神谷の替わりに、吉川の隣で併走していた小堺がガラにもなく落ち着いた声で答えた。
「それでも結局、負けちまったら意味ねえよ」
 その一言で一同はグッと口を噤むが、すぐにそれまで押し黙っていた神谷がギリギリ全員に伝わる程の声で一人ごちた。
「ファイナル、ほとんど一本も取れなかった……」
 西日で真っ赤に染まった少年達は、準々決勝での神谷達の試合を思い出した。僅か二時間ほど前の事だったが、今でも輝ヶ丘テニス競技場に居るかのように、あの試合を鮮明が甦る。

 唸るような両陣営の観客に見守られながら、第1コートで対峙する神谷達と黒田達。あの第四中一番手である彼らが一年生ペアからファイナルゲームまで追い詰められようとは、誰しもが予想しなかっただろう。コンビの結束力の屈強さと奇抜な試合展開で翻弄する神谷&小堺ペア。王者としてのプライドと圧倒的な技術の差で引き離そうと奮闘する黒田&角野ペア。今や第七中優勢なムードでファイナルゲームを迎え、コートをぐるりと囲んだ人垣はもしや一年生ペアが盤石を覆すかと、むしろそれを心の底で期待しながら次の展開に目を離せなかった。
 だが、神谷のスタミナは既に底を打っていた。第六ゲームにサイドへ疾走したあの一本が限界で、もはや体力を復活させる時間も原料もなく、ファイナルゲームは観客がガッカリするほど呆気なく終わった。そのあまりの呆気なさに本人達も悔しがるわけでもなしに、ただ茫然と試合終了の礼を交わしただけである。

「で、でもさ。結局黒田さん達からゲームポイントを取れたのって、神谷君達だけだよ。それって相当凄い事だと思うんだ」
 二人を励ますようにわざわざ自転車を寄せながら丸藤は言った。実際のところ、個人戦で優勝した黒田達は団体戦も含めて神谷戦以外は1ゲームも落としていない。それどころか彼らをファイナルゲームまで追い詰めた今大会のダークホースは各学校の顧問やコーチ連中から、佐高市内で実質ナンバー2という高い評価を受けていた。他の入賞した選手達には申し訳ないが、あの準々決勝が今大会の事実上決勝戦だったといっても過言ではない。不幸にも彼らが公式戦で対戦する機会が今後ないかもしれないという事が残念でならないが、これからの二年生や一年生には神谷と小堺が良い刺激となり、目標となるだろう。
「これからは、みやちゃんとさくちゃんが追い掛けられる番だね。僕達も早く二人に追い付けるように頑張らなくっちゃ。ね、たっちゃん?」
 同意を求められた高田も「おうよっ!」と応える。
「俺達もこれからはもっと必死こいて練習して、いずれはお前らを下してやるからな! うかうかしてんじゃねぇぞ! まずは豚、丸男! お前らからだ!」
 未だにうっとりとしながら誰も聞いていないのに祖父の英雄譚を語っている宗方は高田を無視し、丸藤は「……丸藤です」とボソッと答えるだけだった。そんな反応の薄い二番手ペアに憤慨したのか、高田はギャンギャンと喚きながら小堺に突っかかっていく。
「なんだよ、どいつもこいつも! 俺らが素人だからって馬鹿にしやがって! そうやって余裕ぶっこいてると足元すくわれっからな! 小堺、てめえもだ! 何をしけた面してんだ! 似合わねぇんだよ!」
 さっきから火が消えたように元気のない小堺が気に食わないのか、高田は足で軽く自転車のカゴを蹴る。
「ちょっと、高田君! 危ないじゃないか! 小堺君も嫌なら嫌って言いなよ!」
 注意する丸藤をよそに、小堺はなおも明後日の方角を眺めている。負けた事がよっぽどショックだったのだろうか、殆ど放心状態の小堺が不気味過ぎて吉川がおずおずと自転車を寄せる。
「さくちゃん、負けて悔しいのは分かるけどさ、元気だそうよ。僕達、まだ一年生なんだし始まったばかりじゃん。だからさ、落ち込まないで、ね?」
 吉川の言葉に目を丸くする小堺。
「何言ってんの? 俺は別に落ち込んでなんかいないぞ」
 その素っ頓狂な言い方に全員が口をあんぐりと開けて固まる。
「……えっ?」
「だからっ! なんで落ち込まなきゃいけないんだよ! 俺がそんなタイプに見えんのかぁ?」
「えっ……だってさくちゃん、いつもより元気がなかったから。試合に負けて悔しいのかな、って」
 吉川にそう言われると、小堺はバツが悪そうに頭をバリバリと掻いておずおずと答えた。
「そりゃあ、負けたのは悔しかったけどよ、だからって落ち込みはしないぜ。たださ、今日の試合を思い出していたんだ」
「試合の、こと?」
「おう。今日の試合でさ、自分でも不思議なくらい体が動いていたな、って。まるで自分の体じゃないみたいな、変な感覚だった」
 妙な事を語る小堺だったが、話を聞いていた丸藤も同調する。
「それ、僕も分かるよ。小学生の頃はそんな感覚なかったんだけど、宗方君と組んでいたからかな? 何の気兼ねもなくテニスが出来たっていうか、宗方君とだから迷いもなくプレー出来た、みたいな……」
「そうそう、そんな感じ! 小学生の時に組んでいた奴だって悪い奴ではなかったけど、しっくり来なかったっての? ペアを気にしちゃって上手くやれなかったんだ」
 中学に入ってからテニスを始めた高田と吉川には今一要領を得ない話だった。経験者ならではの感覚なのだろうが、仲違いの末に勝てるはずだった試合を落とした今日の事を思い出すと、なんとなく理解できる。始めは上手くいっていたのに、気持ちが行き違った瞬間にフォームもバラバラになってボールが全くコートの中に入らなくなってしまったのだ。
「詰まるところ、君達は互いの実力を存分に引き出せるほど馬があったペア、ということか」
 それまで誰も聞いていないのに延々と祖父の話をしていた宗方が話に加わってきて、何だかもっともらしい事を言うので一同溜まらずに吹き出した。
「なんだね君達! 失敬だな! 丸男君、我々もかくあるべくようになろうじゃないか!」
「ハハハ。うんうん、そうだね」
 眼鏡をたくし上げながら朗らかに答える丸藤を見て、宗方は納得したように頷く。
「ということは、やっぱり俺と正樹の愛の力ってことだな! 結論から言うと!」
 またもや冗談なのか本気なのか分からない台詞に、チームメイトは言葉を詰まらせる。小堺が言うのなら本気なのだろうが、どんな意味合いで本気なのか詮索する勇気がある部員は残念ながらこの中にいなかった。

 話を逸らすように高田が神谷に自転車を寄せると声を掛ける。
「お前はどうなんだよ?」
「……愛の力か?」
「違ぇよ! アホか! お前は負けて落ち込んでんのかって話だ!」
 さっきから一言も言葉を発することなく押し黙っている神谷を、やっぱりみんな気にかけていた。小堺はともかく神谷は神経が繊細そうなので、もしかすると負けたことが悔しくて塞ぎ込んでいるのかもしれない。だが神谷は少し考える仕草を見せると、首を横に振った。一同はホッと安堵する。
「じゃあさっきからなんで黙り込んでんだよ? 無口なのはいつもの事だが、話に参加くらいしやがれ」
「……疲れた」
 そう言うと神谷は再び貝のように口を閉ざし、黙々とペダルを漕ぐだけの作業に没頭した。確かに今日一番体力を消費したのは誰であろう、神谷だ。試合の途中に燃料切れになるくらいだから、帰り道くらいはゆっくりさせてあげようと、高田は併走していた自転車をゆっくり下げた。
「悔しがるって言えばさ、一番ガッカリしてたのって美和ちゃんだったんじゃね? 試合直後は大泣きしながら『よく頑張った!』って言ってくれたけど、帰る時に何故だか元気なかったぜ」
 顧問の不審な態度を思い出した小堺が言った。言われてみれば、といった風に全員も最後に見た安西の顔を思い出す。ガッカリというよりは困惑したような様子だった。
「安西先生、何かあったのかな? それとも僕達、知らず知らずに悪いことしちゃってたかも……」
 不安げに眉をひそめる丸藤が可笑しくて、チームメイトは声を殺して笑った。たぶん初恋の相手だろう安西の一挙動に一喜一憂してしまう、丸藤はちょうどそんなお年頃なのだ。
「案ずるな、丸男君。安西先生はその程度の事で表情を濁すような器の小さい方ではない。きっと何か頭を抱えるような別件をお持ちなのだろう」
 本人にしては励ますつもりで言ったのだろうが、事情を知らない彼らは全く違った意味で宗方の発言を捉えてしまう。
「なんでそこまで美和ちゃんをヨイショするんだよ、デブ。うちの二番手は随分と顧問を大事にするんだな、あん?」
「ちょっと高田君! なに馬鹿なこと言うんだよ!」
「そうだ! 無粋な勘ぐりはよしたまえ、この不良少年が!」
「んだと、デブ! もういっぺん言ってみやがれ!」
「ちょっと、たっちゃん止めなよ!」
「ハハハ、いいぞたっちゃん。やれーやれー」
「……寝たい」
 鳥海大橋の歩道橋で戯れる影六つ。少し風が出てきたのか、朱色に染まった水面はキラキラと波立つ。それはまるで、はしゃぐ子供達をはやし立てる拍手をしているようにも見えた。

 輝ヶ丘テニス競技場に隣接された砂利の駐車場に止まる二台の車。一つは大型のRV車でもう一つは茜色に染まり、さらに赤く光る軽自動車。その間に伸びる影二つ。
「団体個人、総合優勝おめでとうございます」
 慇懃に頭を下げる安西の向かい側にいる佐々木もきちんとお辞儀で返す。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
 上っ面だけをみれば爽やかで礼儀正しい男性なのだが、仮面の下に隠された本性を知り尽くした今では何の感慨も湧かない。
「やっぱり佐々木先生には敵いませんでした。でも今回は色々勉強をさせて貰いましたし、私、ソフトテニスが好きになりました」
 悔しい気持ちはもちろん無いわけではないが、それ以上に得たものも大きい二日間だった。生徒達と一緒に笑って怒って、ハラハラしたりドキドキしたり、今までの教師生活で味わった事のないたくさんの感情をもらった。
「安西先生がそう感じて頂けたのならば幸いです。よほど有意義な時間だったのでしょう」
 そう言うとそれまで安西の顔をジッと眺めていた佐々木が小さく吹き出した。
「失礼。安西先生の表情が第七中の生徒そっくりだったもので、つい。先生の子供達は良いですね。みんないつでも瞳をキラキラ輝かせ、決して諦めることをしない」
 それまで朗らかに笑っていた佐々木が言葉を止めると、ため息混じりに
「うちの子供達はどんな顔をしてるでしょう。私のような表情をしているんでしょうか」と呟いた。
「本当ならば今日の試合、黒田達には全戦ゲームポイント0で勝ってこいと指示を出したんですよ。ですが神谷君達にファイナルまで持っていかれました」
 それは随分と無茶な指示を出すものだと安西は思ったが、その学校にはその学校なりの指導理念がある。東北大会まで選手達を引っ張っていくような学校なら、さほど無茶でもないのだろう。
「実力は歴然ながらも懸命に工夫を凝らし勝利への飽くなき強い意志。そしてお互いのパートナーに対する絶大な信頼。どれもこれも我が第四中にはないものばかりで目が眩んでしまいました。安西先生が昨晩おしゃったことの意味が、あの生徒達を見ていて少しだけ分かった気がします」
 だいぶ暗くなってはっきりとは見えないが、ほんの一瞬だけ佐々木が作り物めいた笑顔ではなく、本物の笑顔をしたように見えた。
「あの時は私もだいぶ酔っていましたし……。それにきちんと結果は結果として残してらっしゃる佐々木先生は凄いと思います。だから私が言うのも生意気なんですけど、佐々木先生は佐々木先生なりの指導理念を貫き通していかれるのが良いのかと」
 実際に力の限りぶつかり合う生徒達を目の当たりにして、安西が抱いた率直な感想だ。負けてしまえば全てが終わり、勝者が何よりの正義という世界で、昨晩安西が佐々木に啖呵を切った口上は単なる綺麗事でしかないのかもしれない。佐々木を弱虫で臆病者だと言ったが、建て前をかなぐり捨てて冷酷に生徒と向き合う佐々木を否定した自分の方がよっぽど臆病者ではないか。
「はい、もちろん私は私なりの指導理念を曲げるつもりはありません。批判は絶えませんが、私が生徒に結果を与えていることは事実ですから」
 こっちが塩らしく出たからと言って及び腰になる智将ではなかった。太々しくも胸を張って宣言する佐々木に、安西はいつかとっちめてやると胸の中で決意を新たにする。
「まぁ、今回は私も第七中さんから得ることもありましたし。特に神谷君達には勝負で勝って相撲で負けた、といったところでしょうか? 彼のスタミナが少しでも残っていたら、負けたのはこっちでしたからね」
 その佐々木の台詞を聞いて、安西の頭にある案が閃いた。
「ですよね~。勝負に勝って相撲で負けたみたいなものですよね。だから賭けの方も今回はドローってことで」
「それとこれは話が別です。勝負に勝ったのはこっちなんですから」
 押さえるところはピシャリと押さえる佐々木に、安西は「あぅ……」と呟き、やはり考えが甘かったかと俯いた。
「あのぅ……あんまり変なお願いとか、イヤですよ?」
 ちょうど下を向いていたので上目遣いになりながら佐々木を仰ぐ安西。佐々木は溜まらずに顔を紅潮させると急に落ち着きなくあたふたとし始めた。
(この人、よっぽど私に変な事をさせたいのかしら……)
 そんな事を思っていると、意を決したのか佐々木が咳払いをして改まる。
「で、では……言いますよ?」
「あ、はい。どうぞ」
「ほ、本当に! 言いますよ!」
「(うわぁ……)は、はい! どうぞ、おっしゃって下さい!」
 佐々木の口からか細く消え入りそうな声が漏れる。
「わ、私と……夕飯をご一緒して頂けませんか……?」
 二人の間に沈黙が流れる。まるで少年のように真剣な眼差しの佐々木を、ポカンと口を開けて見つめる。
「……へ?」
「いや、ですから! ご一緒に食事でも! いかがですかとっ!」
 あまりに切迫した口調で佐々木が言うものだから、安西はしばらく状況が掴めなかった。
「え、ご飯食べるだけですか?」
「は、はい!」
「今晩、ですか?」
「はい!」
「そんなのでいいんですか?」
「はいっ!」
 まるで訓練された自分達の選手のようにハキハキと答える佐々木。そんな普通なお願いを言うために、何故これほどまで緊張しているのか不可解でならなかったが、そこで安西はあることを思い出した。
「でも今日はこれから父兄の方々と反省会じゃないんですか?」
「大丈夫です! 断ってきましたから!」
 わざわざ安西と夕飯を食べに行くために大事な会合をパスしたのかと驚いたが、そこまで楽しみなのならば断るわけにはいかないし、賭けに負けたのは自分だ。
「じゃあ、わかりました。ご飯を食べに行きましょうか」
 安西の承諾を得た途端、顔をパァッと輝かせて小さくガッツポーズを決める佐々木。そんなに嬉しいものなのかと思いつつも、安西はハンドバックに入った財布の中身を確かめる。昨晩も飲み会があったし懐具合が心配になったのだ。スポーツをしている男性は予想以上に食べるかも知れないし。
 だが佐々木は慌て手を振ると
「もちろん私が奢ります! レディーにお金を出させるなんて、ましてや安西先生に出させるなんて絶対に駄目です!」
 安西の財布を遮った。
「え? だって私が賭けに負けたんですよ。佐々木先生の奢りだなんて、それじゃあ罰ゲームはそっちじゃないですか」
「いいえ、構いません! 紳士としてそれだけは駄目です!」
 どういうわけか佐々木は賭けで勝った上にお金まで出してくれるらしい。なんだかそこまで言うのならここは佐々木に従っておこうと思い、安西はほくそ笑む。
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃっていいですか?」
 なんだかんだ自分に良い結果で終わった地区総体。安西は軽くなった気分にあおられるように、佐々木がエスコートしてドアを開けてくれた助手席に乗り込む。
 文化系で育ってきた安西にとって体育会系の人間は今一要領が掴めない存在だったが、今日一日でだいぶ印象が変わった。
 ……特にご飯を奢ってくれる男性なら大歓迎だ。

更新日 6月6日

 さらさらと流れる北前川を背後に鳥海大橋を下りると第七中の学区内に入る。広大な田園風景の中に十五年程前、突如として出現した大型ショッピングモール。それを皮切りに土地開発は進み、田園の四分の一は新興住宅地へと変わり、生徒数の移り住みによる偏りの影響を受けて同時に建設されたのが佐高第七中学校だった。夜になると漆黒の闇の中に不夜城の如くぼんやりとした明かりが浮かび上がるショッピングモールの周りに点在した住宅地、まるで近代の城下町を彷彿させる佇まいが第七中学区の特徴だ。
 空を写す巨大な鏡のような水田の名残を帯びながら順調に生育している稲穂を抱く田園。その間を縫う農道をのんびりと走る六人の少年達。もう会話のネタが尽きたのか、はたまた試合後に自転車で帰宅という重労働に疲弊したからか、互いに言葉を交わすことなく黙々とペダルを漕いでいく。途中、何台か農作業用トラックとすれ違い路肩に寄って配列を崩したが、行き先へ向かう自転車に渋滞はなかった。
 広瀬新田の神社の脇を抜け、用水路を併走する小さな砂利道を通ると住宅街に突入し、視界は一気に狭くなる。まだ築何年といった真新しい住居の間を網の目を縫うように進んでいく。近所の簡単な家電修理を請け負う田島電気店を右に曲がり、お盆の時期には小さな夏祭りが開催される東州神社を左に曲がると、途端に大きな建物が眼前に広がる。学び舎である佐高第七中にたどり着くと、少年達は言い知れぬ安堵感が胸に広がった。そして正面校門を抜けると一旦自転車から降り、そのまま校舎裏へと続く細い通り道を進んでいく。行き着いたその先は、小高いフェンスで囲まれたテニスコートだった。

 全員無言のまま、特に言い合わせたわけでも無しに到着したこの場所。気恥ずかしそうに頭をバリバリと掻きながら第一声を発したのは高田だった。
「あーっ! なんでみんなしてここに来るんだよ! 各自解散って美和ちゃんが言ってたじゃん! 丸男! お前、なに自分ちを素通りしてんだよ!」
「高田君だって何でこっちの道に来たの。全く逆方向じゃなかったっけ?」
「みんな、学校に何か用事でもあるの?」
「そういうお前は何で来てるんだよ! 吉川んちだって逆方向だろ!」
 全員が全員、恥ずかしい気持ちを隠すようにお互いを責め合っている。もちろんテニスコートに集合する必要など一切ありはしない。だが少年達は見えない何かに導かれるようにテニスコートに集まってしまった。
 散々言い合いをした彼らは次第に口数が少なくなっていき、そわそわとテニスコートを見つめだした。
「お、俺さ。今日は一試合しかしてないからまだ体力が有り余ってるんだよな」
「ぼ、僕も。なんだか肩をほぐしてからじゃないと今日はゆっくり寝れなそう、みたいな……」
「俺も実際クタクタだけどよ、軽く運動しとくのも良いかなって。クールダウンっていうの? やっとかないと調子狂いそうでヤダな」
 お互いを牽制し合うように横目でチラチラ視線を送りながら肩やら腰やらストレッチする少年達。何やかんや言って詰まるところ……
「お前たち、テニスしたいのか?」
 無表情に尋ねる神谷に全員がバツ悪そうに目をそらす。
「呆れた連中だな! 不良コンビはまだしも、小堺君はついさっきまで死闘を繰り広げていたではないか! どこにそんな体力を隠しているんだね? ちょっとはパートナーに分け与えたまえ!」
 部長に窘められて面目ないとばかりに頭を垂れる一番手ペア。そんなチームメイト達を眺めていた丸藤は首を傾げながら呟く。
「みんなテニスがしたいのはわかったけどさ、フェンスを開ける鍵とネットが入っている体育用具室の鍵は安西先生が持ってるんだろ? どのみち無理なんじゃない」
 重要な事に気付かなかった少年達は残念そうにしゅんとなる。
「なんだよ。わざわざここまで来たのに……」
「よじ登ってみるか? このフェンス」
「無理でしょ。それにネットがなきゃ意味ないじゃん」
 がっくりとうなだれるチームメイトを見渡して、部長の宗方はわざとらしく咳払いをするとおもむろにポケットから二つの鍵を取り出した。その見覚えがある鍵に、一同目を丸くする。
「君達の単純な思考などお見通しさ。特別に安西先生から借りてきたよ」
 したり顔で鍵をチャリチャリと振る宗方に、その場にいた全員が歓喜する。
「やるじゃねぇか、豚! それでこそ部長だぜ!」
「フハハ、もっと誉めたまえ、崇め奉りたまえ」
 いつまでも悦に入っている宗方の手から鍵を奪うと、皆一斉に蜘蛛の子を散らしたように駆け出した。
「よっしゃ丸男! 乱打しようぜ!」
「丸藤ですっ! 高田君、シュートだけじゃなくロブも練習しなよ!」
「いいかい、みんな! こうしてテニスが出来るのも僕のおかげだということをゆめゆめ忘れるんじゃないぞ!」
「しつこいぞ、豚! ほら、ネット張るから手伝え!」
「みやちゃん、上げボールくらいなら大丈夫? 無理ならいいけど……」
「大丈夫。深めの球が欲しい時には言ってくれ」
 陽はだいぶ傾き、日没まであと僅か。ボールを目で追える光量が途絶えるまで三十分もないだろう。それでも少年達は一分一秒を惜しむようにがむしゃらに、だが懸命にコート内を動き回る。
 黄昏色に染まったテニスコートに長く伸びる影六つ。戯れる少年達を緑化した桜並木がいつまでも見守っていた。

おわり



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06:48  |  なんしきっ!  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

●No title

残念ながら負けてしまったのですね(涙)
でも前向きな小堺君の姿には感激!
それに…やっぱりみんなイイ子達ですね♪
夢 | 2010年06月02日(水) 09:30 | URL | コメント編集

●No title

>>夢さん
やっぱり三年生相手に一年生が勝つのは虫が良すぎるかと思いまして。
負けてこそ次の勝利が近付いてくるんですよ、きっと。
私なんて常に負けっぱなしでした・・。
要人(かなめびと) | 2010年06月03日(木) 22:18 | URL | コメント編集

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