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2010'05.16 (Sun)

個人戦四回戦 神谷・小堺VS黒田・角野

 直前に試合を終わらせた黒田と角野は、観客席に戻らずそのまま第一コートのベンチで智将・佐々木からコーチングを受けていた。
「さて、相手は昨日の団体戦でも対戦した例の一年生ペアだ。実力は手合わせしたお前達が一番良く知っているだろうが、どうやら今日の個人戦を観戦していると少し方向性を変えたらしい」
 いつものポーズで選手に作戦の指示を出す佐々木に対して、黒田と角野も変わらず軍隊のように背筋を伸ばして覇気の篭った返事を返す。
「あのペアはそれぞれが攻撃型寄りのタイプなので攻め方がバラバラだったが、今日の個人戦全ての試合を観察すると、後衛が完全に繋げる展開で攻撃の要は前衛に集中させてきているようだ。きっとあれでは我々に勝てないと反省したのだろう。ならば話は早い。相手が正攻法で来るのならこちらも正攻法で対抗するまでだ。どこをとってもお前達があのチビ共に劣っている点はない。ゲームポイントを一本も与えずに圧勝してこい」
「はいっ!」
 言い終わると丁度良く第七中ペアが向こうのベンチに現れた。黒田と角野は「お願いします!」と挨拶をするとネット前に走っていく。地区総体で対戦する選手達には最早興味がない。殆ど通過点に過ぎない大会のはずなのに、突如として現れた新星に気を取られた。彼らにしても単なる一年生へそこまで拘るのか分からない。だが黒田と角野にしても、自分達にはない何かを持っている神谷と小堺の引力に、知らず知らず引かれていたらしい。
 神谷と小堺もネット前に走っていくと整列をする。導かれるようにして出会った因縁の対決が始まろうとしていた。

「相変わらずストローク上手いなぁ、角野さん。正樹、そっちはどうだ?」
 二度三度交わした乱打の後に、作戦の最終確認とばかりに話しかける小堺。神谷はラケットのガットを直しながらぼそぼそと呟く。
「調子良いみたいだ。……黒田さんが」
「ハハハッ! そりゃ残念だった! じゃあ第一ゲーム目は例の作戦通りいくか?」
「うん。それが外れたらこの試合は終わりだ。いくぞ」
「おうっ! っしゃーあっ! 一本先攻っ!」
 小堺の雄たけびに呼応するように、両陣営の応援団が湧き上がる。第四中は高田兄の威光に怯えつつも、後々佐々木から受ける仕打ちの方が恐ろしいと判断したからか、声の限りに声援を送っている。そして数では圧倒的に負ける第七中陣営だが、驚いたことに既にベスト八まで選手が残らなかった第五中や第三中、それに何故か事務所を挟んだ隣で試合が行われていた女子までもが第七中の応援に加勢してくれた。きっと第五中や第三中は常勝の第四中に含むところがあるらしく、女子達は健気に頑張る一年生ペアをアイドル感覚で眺めていたらしい。ともかくこれで応援陣は均衡になった。第1コートから第4コートまで同時に行われた男子個人戦ベスト八の試合だったが、第1コートだけは桁違いの熱気に包まれていた。
 そんな唸る様な声援を背に受け、黒田は一本目のサーブを放つ。球威もスピードも申し分ない打球だったが、昨日の団体戦で既にその実力は体験済みだったので、神谷は素早く足を捌きラケットを後方に構える。そして体と視線は真っ直ぐサーバーの黒田へ向けて、角野の左サイドを打ち抜いた。
 しまった! と苦痛に顔を歪める間もなく、第七中陣営からドッと湧き上がる歓声に耳を塞ぐ。まさか一本目から神谷がサイドを狙ってくるとは思わなかったのだ。事実、団体戦の一本目で神谷は角野の左サイドを抜こうとして阻まれている。その経験と佐々木の「後衛は繋ぎ重視でくる」という指示があったため、サイド抜きは全く警戒していなかったのだ。一年坊主に出し抜かれて不愉快な態度を露にする角野に、黒田は離れた位置から「ドンマイ」と声を掛けるだけに留めた。こういう場面でコミュニケーションを図ろうとしても、角野の逆鱗に触れるだけだということを黒田は知っている。
 気を取り直して黒田は二本目のサーブを構える。さすがに前衛の小堺は攻撃型といってもレシーブから攻めてくるとは考えられない。ストロークもまださして得意そうには見えないし、きっと角野の頭をロブで越えて正クロス展開に持ってくるだろう、と画策していた。そんな黒田が放ったサーブを、小堺はじっくりボールの軌道を追い全神経を集中させる。そして狙いを定めたポイント、角野の右サイドへラケットを引っ張るように打ち抜いた。
 二本連続レシーブエースを決めた第七中ペアは歓喜してコート内を駆け回る。そんな彼らとは対照的に角野は歯を剥き出しにしてわなわな怒りに身を震わせていた。一年生ペア相手に小馬鹿にされたことに屈辱で腹わたが煮えくり返りそうだった。まさか二本連続でサイドを抜かれた経験のない角野は憤怒に我を忘れそうなほど頭に血が昇っていった。

「よっしゃ! ナイスボール、朔太郎!」
「おうっ! きちんと二本連続で決めたな! 今まで個人戦で正樹、あんまり前衛を狙わずに大人しくしてたもんな。これだけ正直に利くとは思わなかったぜ」
「あぁ、観客席で毎回俺達の試合を観戦してたのに気付いた。何か使えると思って」
「さすがは正樹だな! にしても……角野さん、おっかねー。目を合わせられねー」
 物凄い形相でこちらを睨んでいる角野から目を逸らす。
 神谷と小堺が第四中ペアを崩すために注目したのが、角野だった。一度試合をしてみてわかったが、確かにどちらも天上人の如く実力がかけ離れた存在で、とりわけ角野は前衛の中でもかなり上位の選手だと痛感した。だが、黒田と角野というペアで観察してみると、僅かながらの小さな穴に気付く。なんていうことはない。この二人、あまり仲が良くないようだった。ならば性格を分析してみて激し易い角野の精神面を乱してやればいい。崩すのではなく、乱すだけでいいのだ。それだけで相手チームの実力を半減することが出来ると、神谷と小堺は分析した。たとえ実力がかけ離れた天上人だとあろうとも、翼をもいでしまえば良い。あとは勝手に落ちてきてくれたのを、自分の土俵に引きずり込めばいいだけだ。

「角野、あまり気にするな。挽回すればいい」
 次は角野がサーブのため、ボールを手渡しながら黒田が声を掛ける。普段から気が短い角野だが、ここまで激昂している姿は滅多に見ることがない。
「うるせぇ! てめえに言われたくねぇんだよ!」
「……取り乱すな。次に取り返せばいいだけじゃないか」
「ふざけんなっ! あの一年坊主共にコケにされて黙ってられっかよ!」
「馬鹿、いい加減に気付け! あの二人はお前がこうなるのを狙っているんだぞ!」
 チラッとベンチにいる佐々木を見ると、口元の前で手を組んでいるポーズはいつもどおりだが、若干眉間に皺が寄っている。これは佐々木が怒っているわけではなく、非常にまずい場面になると出る癖だ。
「こうなるってなんだよ! 知ったこっちゃあねぇんだよ! 見てろ! 俺一人であのチビ共をぶっ潰す!」
 頭に血が昇ってしまった角野を止める術はもうない。黒田からボールを毟り取るように奪うと、審判からのコールもそこそこに角野は乱暴にサーブを打ち込んだ。力任せに打ったボールは物凄い威力で飛んでいったが、サーブエリアに入るはずもなくフォルトした。そしてセカンドサーブも勢いに任せて放つ。上から打ったサーブは入るわけもなく、なんと角野はダブルフォルトをしてしまった。あまりの急展開に両陣営からは歓声ではなくどよめきが起きた。
「おいおい、なんだあの前衛は。馬鹿か? さっきの竜輝みてぇじゃねぇか」
 腕組みをして試合を見守っていた高田兄が珍しく口を開く。個人戦での失態を蒸し返された高田は、バツが悪そうに兄へ振り向く。
「兄ちゃん、馬鹿はひでえじゃん。俺だって一生懸命やったぜ?」
「でも結局頭に血が昇って負けてたじゃねぇか。おい解説のデブ、もしかして神谷達は狙ってやったのか?」
 あまり素行の悪い連中は得意でない宗方は、嫌々ながらも高田兄へ話しかける。
「はい、そうだと思われます。僕が見ていてもあの二人、仲が悪いペアですからね。どちらかのペースを乱せば勝手に自滅してくれるかと。弟さん達みたいに」
「自滅って言うんじゃねぇ!」

「あれだと黒田君は気が気じゃなくなるってことね。彼にとっては角野君も敵に見えるわけか。敵が二人にも三人にもなることがある、それがソフトテニス……なるほどね」
 ベンチに座り事の成り行きを眺めていた安西もそう呟く。露骨で滑稽な策なのかもしれないが、その脅威は今、全員が目の当たりにしていることだろう。
 更にダブルフォルトの痛手で完全に怒りが頂点に達している角野。もはやペアの黒田は声を掛けることも出来ずにおろおろとしている。

 ボールカウントは既に0-3とマッチポイントを取られている。まさか地区総体ごときでマッチポイントを取られるとは思わなかった黒田は、一年生ペアの狡猾さと飽くなき勝利への意志にただ脱帽するだけだった。戻ってきたボールをイライラしながら掴んでサーブの構えに入る角野。この様子ではまたダブルフォルトだろうと誰しもが思ったその時、
「角野ーっ!」
 第一コートに耳をつんざく怒号が響き渡った。その声に驚いた角野は目を丸くして振り返る。口元を手で隠しているため分からなかったが、今の声の主は確かに顧問の佐々木だった。練習中は時々あるが、試合の真っ最中に大声を出すことのない佐々木に、第四中の生徒達は背中に冷たいものを感じて口を閉ざした。
 もちろん角野も茫然としてしまい佐々木から目が離せなくなったが、顧問は何も言わないまま静かに佇んでいる。生唾を飲み込むと角野は再びサーブの構えに入った。よもやこのまま憤慨状態の角野がペースを乱して負けるのかと思っていたが、顧問の一喝で正気を取り戻したらしい。試合中の選手へ関与してくる佐々木の姿が非常に珍しかったが、それほどまでに第四中にとって危険な状況だったのだろう。
 しっかりと構えたフォームから繰り出したサーブは、球威に乏しいもののしっかりとサービスエリアに吸い込まれていく。落ち着いて角野の左サイドにレシーブを放ち前進する小堺。この場面で際どいコースを突いてくる小堺の勝負強さに角野は顔を歪ませながらも、緩いバックハンドでボールを返した。そこからは黒田が小堺のボレーに捕まらないようコースを拡散させ神谷とタイマンで打ち合い、どうにか得点をした。
 これでボールカウントは1-3。サーブは一巡したがなおも第七中ペアがマッチポイントを握っていることには変わりない。第一コートを囲む観客陣は固唾を飲んで黒田のサーブを見守る。緒戦からターゲットにされた角野の体が強張る。後衛の神谷がまたもやサイドを抜いてくるのか、はたまた普通に繋いだレシーブを叩き落してやろうか。チームの誰よりもプライドが高く、実力も兼ね備えた角野は動かずにはいられなかった。そして決めた選択肢はサイドを守る。ここでもう一度サイドを抜かれたら自我を失うほどに怒り狂いそうだし、何より第一ゲーム目でここまで一年坊にボロボロ失点を取られ、ベンチに戻った時の佐々木顧問の反応が恐かった。神谷がテイクバックを高く振りかざし、ラケットが閃いた瞬間、角野はサイドを守るため左側へ動く。
 だがその動きを狙ったかのように神谷は今まで角野が立っていた真正面を突っ切った。この大会で最もスピードが乗ったシュートボールが快音を響かせてコートを走り抜けていく。その瞬間、第七中サイドから歓喜の声がうねり上がった。その反応に隣のコート、そのまた隣のコートの応援団までもが振り返り、第1コートのスコアボードをを見て再度驚いた。あの第四中一番手が第一ゲームを新参者の一年生に奪取されたのである。これには応援団ばかりか試合中の選手までにも激震が走った。

「すごいわ! 神谷君に小堺君! ナイスボール! ナイスコンビプレー!」
 ベンチから立ち上がりその場でピョンピョンと飛び跳ねながら選手達を歓迎する安西。今はチェンジコートの時間なので、いくら声を上げてもお咎めはない。掲げた手に小堺が力を込めてタッチを交わす。
「おうよっ! 当然だぜっ!」
 さすがに手が痛かったのか赤くなった左手をプラプラさせながら安西はすかさず二人にドリンクとタオルを渡す。観客席では興奮したチームメイトが口々に何かを叫んでいるが、後ろにいる他校の応援団がさらに大きく歓声を上げているので、まったく何を言っているのか聞こえてこない。ただ身に受け止めきれないほどの熱気は伝わってきた。

 一方、一番手がゲームポイントを落としたことにショックを隠しきれない第四中サイドは、顧問の強制で応援の声は出しているものの、チーム全体に圧し掛かった戸惑いは拭いきれずにいた。ましてやコートを挟んだ向こう側からは、地区総体レベルでは味わったことのない熱狂的な声援がこだましていて、全員の心に常勝校としての余裕が消えかけていた。
 それより何より意気消沈しているのは本人達だろう。駆け足でベンチに戻る足取りに不安が絡み付いているのが遠目でもわかる。格下相手に1ゲームを取られたことへの屈辱感はもちろん、試合中に初めて聞いた佐々木の怒号へ対する恐怖も心の中にわだかまりとしてあった。自身、これまで先輩の試合でさえ佐々木の大声を聞いたことがない。選手への仕打ちは他校の顧問よりも段違いにシビアな佐々木を前に、黒田と角野は恐々としながらもコーチングを賜った。
「黒田、コースを拡散するのはいいが決定打に欠ける。ボールカウントを読みながらしろ。それと角野、あの後衛は特に打球の打ち分けに癖がない選手だ。全てサイド狙いでくると思って構わない」
「は、はい!」
 てっきり今まで聞いたことのないような叱責が飛んでくるのかと思ったが、佐々木はいつもの姿勢を崩さず淡々とプレーに対するアドバイスをするだけだった。これには本人達だけでなく、後方で身をすくめていた観客陣も拍子抜けしてしまった。だが顧問が憤怒していないと知るや否や、応援は少し活気を取り戻す。黒田と角野も若干気持ちが軽くなった気がした。
 冷徹なほど感情を捨て、勝利への画策を図る佐々木にとって選手達をどやしつけるという選択はない。第六中の八幡顧問のように大声で叱咤激励することは、生徒のやる気を萎縮されるだけでなんの効果も生み出さないということを良く知っているからだ。なので先ほど角野に向けられた怒号は、彼の正気を取り戻させるためにわざとやったこと。感情が高ぶったというわけではない。だが今後のために釘を刺しておく必要はある。
 コーチングを終え、コートに送り出そうとした角野を引き止める。
「角野」
「は、はい?」
 振り向いた角野の目をジッと見据える佐々木。感情の起伏に乏しい凍て付く眼差しで凝視された角野は、その場から目を逸らすことが出来ず硬直してしまった。訓練が行き届いていない選手にはこうして威圧的に立場というものを理解させておくのが最も効果がある。口で言わないから怒っていないわけではない。口で言わないからこそ伝わる恐怖があると、その脳みそに叩き込んでおかなければいけない。
 僅か二、三秒だったが佐々木の威嚇にさらされた角野は、物言わず眼を逸らした顧問から逃げるように向こうサイドへと走っていった。その後を黒田が慌てて追いかける。
 うねるような歓声に背を向けて、神谷と小堺もコートチェンジする。ただしその際、主審側から回ってきた黒田と角野を避けるように、自分達は副審側から向こうコートへ行く。上級生相手に少々荒っぽい手段で第一ゲームを制したせいか、傍を通るのに気後れしたからだ。
 第四中サイドの応援を背後に受けつつ、小堺は神谷に話しかける。
「第一ゲーム目、本当に上手くいって良かったな」
「あぁ、作戦通り。逆に上手くいき過ぎたくらいだ。でもこれで黒田さんだけ相手にすればよくなる」
 彼らが第四中ペアに勝利するには、二人を一度に相手しては分が悪すぎる。なので第一ゲームの目標は角野のテンションを削ぐ事。そして勝負を第二ゲーム目に持ってくることだった。
「おう。黒田さん一人なら二人で立ち向かえば勝てるかもしれない。ここが踏ん張りどころだな!」
 佐々木の怒声で正気を取り戻した角野だが、一度落ちたテンションを回復させるまでにはいかなかった。ネットを挟んで対峙する二人はそれを雰囲気で感じ取っていた。
「流れは完全にうちへ来ている。俺がなんとか黒田さんと打ち合う。後の事は朔太郎、任せた」
「おうよっ! 一本先攻っ!」
 小堺の気合を合図に握手を交わした二人は各々のポジションに戻る。コートの向こう側に目をやると第四中一番手ペアは既にポジションに着いていた。待ちくたびれたような様子から察するに、どうやら会話を交わす気概も無いほどお互いの気持ちは霧散しているようだ。神谷と小堺は完全に条件が整ったことを暗に理解する。後は集中力を切らさないよう、全力を出しきるだけだった。

 第二ゲームは第七中がサーブ権先攻になる。神谷の放ったファーストサーブを黒田はしっかりとしたフォームで立ち向かう。第一ゲームで散々レシーブエースを狙った小堺の事だから、自身も狙われるかもしれないと警戒して一本目で飛び出しはしてこないだろうと判断した黒田は、真っ直ぐ神谷に返球することを選んだ。
 しかしその思惑は数瞬後にネット際を横切った疾風に阻まれる。まさか! と思う暇も無くボレーしたラケットを高らかと掲げる小堺の背中を見送る黒田。こうも何度も一年生の前衛にボレーを決められると、悔しさよりも天晴れと舌を巻きたい気分になる。きっとパートナーの角野がどん底の精神状態にいるからだろうか、自分までも心理面を乱しては終わってしまうという気持ちが心のどこかで歯止めをかけていた。
 それに、と黒田は興奮冷めやらぬ第七中サイドの声援を、いたって平静な気分で背中越しに感じていた。第七中ペアの考えていることはとっくにお見通しである。角野を抑え、二人がかりで今度は自分を沈めようとしているのだろう。それならば黒田の気持ちは一つに固まる。どっしりと大きく構えていればいいのだ。たとえ二人同時に立ち向かってこようとも、自分が格下の一年坊主に負けるとは微塵も思っていなかった。
 ボールカウントは1-0。先手を取ったこともあり、神谷は渾身の力でファーストサーブを繰り出す。回を追うごとに勢いが増していくサーブに慄きながらも、角野は真っ直ぐ神谷にレシーブを返した。すっかり意気消沈した角野のレシーブは、ミスを恐れ緩やかな打球だったので、神谷はここぞとばかりにストレートにいる黒田へシュートボールを放つ。黒田はその打球をロブで返し、クロス展開に持っていった。これはチャンスとばかりに小堺は両足に力をみなぎらせる。ストレート展開で打ち合われるよりも得意なクロス展開に持っていってもらった方がポーチに出易い。すかさず移動した神谷は滑る足をそのまま、もう一度黒田へシュートボールを打ち込んだ。神谷が放ったシュートの球威を見て、小堺は意を決する。一本目でボレーを狙う。
 黒田は矢のように飛んでくるボールに注目しながら、冷静にネット前にいる小堺の動きを視界の隅に捉えた。ポーチに飛び出してくる直前、小堺は小さく腰を落とす癖があるのを、黒田は発見した。だが黒田はそれで小堺のサイドを抜こうとは考えない。シュートボールにタイミングを合わせて足を捌くと、大きくラケットを振りかぶった。
(いきがったガキ共が……俺の打球を止められるものなら)
 足をがっちり地面にかませて、ラケットがボールに当たると同時に膨らんだ全身の筋肉を収縮させる。
「止めてみろっ!」
 炸裂音と共に弾丸と化した打球が真っ直ぐ神谷に向かって風を切っていく。ポーチに飛び出したはずの小堺は、そのスピードに追いついていけずボレーを空振りさせた。あまりに体験したことのない速さにバランスを崩した神谷は驚愕しながらも、どうにか返球する。黒田は戻ってきた打球をさっき以上のスピードと威力を乗せて、神谷に打ち返した。
 桁違いのスピードに反応を出来ず空振りしてしまう神谷。その瞬間、勢いを復活させた第四中サイドがドッと沸いた。あまりにも違いすぎる実力に第七中サイドは絶句してしまう。たった二球、黒田がシュートボールを放っただけだったが、それでも観客を黙らせるほどの圧倒的なパワーを兼ね備えていた。それは実際に対戦している神谷と小堺が、顕著に感じ取っただろう。その脅威に閉口せざるを得なかったが、二人はすぐに気持ちを切り替えた。流れはまだ自分達が掴んでいる。再びのリードを狙うしかなかった。
 サーブは神谷から小堺にチェンジする。たった今、黒田の球威を見せ付けられた小堺は自分に跳ね返すストロークは無いと一瞬で悟り、ファーストサーブと同時に前方へ突進した。
(確かさっきの試合で散々ローボレーを決めたから自信がついたか。……調教しておいてやらないと)
 中間ポジションで立ち止まった小堺はよもや自分に打ち込まれても良いよう、腰を落としてローボレーの体勢に入る。黒田はその期待に応えるかのように、小堺の真正面に向けてシュートボールを打った。サービスエリアから小堺がいる中間ポジションまでは、普通のベースライン同士で打ち合うよりも半分の距離しかない。なのでボールの体感速度は二倍にも四倍にもなる。黒田がラケットを振ったと思った瞬間、轟音よりも先にボールが小堺のラケットのフレームに当たり、弾け飛んでいった。
 瞬殺だった。微かに手に残る痺れを感じながら、小堺は茫然と立ち尽くす。自分のプレーセンスを過信していたわけではないが、どんな打球でもある程度は返すことが出来ると思っていた。だが、黒田のシュートボールは目で追える代物ではなかった。前衛を無力化するほどの打球がある事を、小堺はその身を持って味わった。

「と、とんでもないな。なんて威力なんだ、あの後衛の球は」
 桁違いどころか存在する世界が違いすぎる打球に、チームメイトはただただ圧巻されるばかりだった。
「あのシュートじゃあ、僕もロブで拾える自信がないよ」
「あれ、本当に僕らと同じラケットを使っているの? 特殊なのを使っているってしか思えないよ」
 信じられない光景に目を奪われる一員だったが、高田だけは目をむき出して食い入るように黒田のフォームをじっくり眺めていた。それに気付いた宗方は、しばらく考えてから言った。
「相手をスピードとパワーで蹂躙する、あのプレースタイルこそ君が目指すべき形だよ。しっかりとその両目に焼き付けておきたまえ」
 偉そうに進言する宗方へ「てめぇに言われるまでもねぇよ」と反論する高田。味方の試合中に不謹慎ではあるが、自ら確立すべきスタイルを目の当たりにして、彼は今までにないほど興奮していた。

 それより何より、コート内では一気に牽制が逆転してしまった状況に、神谷と小堺は険しい表情で額をつき合わせていた。
「やっぱり、そう上手くはいかせてもらえないみたいだな」
「おう。今までも十分に速い球を打つな、って思っていたのにそれ以上を隠し持っているんてな。在り得ねぇよ」
 そして沈黙する二人。手の出しようも無い黒田のシュートボールにこれといった対策が浮かばず、無駄に時間だけが経過していく。背後から聞こえる勢いを増した敵陣の声援が、焦燥感をさらに募らせた。そろそろポジションに戻らないと審判から注意を受けるだろうといった時、意を決したように神谷が顔を上げた。
「俺が、なんとかしてボールを繋ぐ。だから作戦は変更しない。攻撃の要は朔太郎に任せた。自分のタイミングでボレーに出てくれ」
 迷いのない神谷の真っ直ぐな瞳を小堺は受け止める。
「正樹……」
「確かに打球は速い。けれど俺は朔太郎がその更に上を凌ぐ力を持っていると信じている。だからお前がボレーを取るまで俺はボールを繋ぎきる」
「……」
「もう一度言う。お前を信じている」
 その言葉を聴いた瞬間、小堺は胸の奥から今まで秘めていた活力が湧き上がってくるのを感じた。沈みかかった気持ちが一気に上昇する。足元は羽が着いたように軽くなった。
「任しとけ! っしゃー! 一本挽回すっぞー!」
「おうっ! 一本挽回っ!」
 声の限りに咆哮する小堺へ呼応するように、神谷も叫び返す。そしてハイタッチを交わすと二人はそれぞれポジションへ走り出した。
 突然、意気込みを新たにした第七中ペアに観客は着いていけず戸惑った。どう見ても覆しようがない実力差を前になお発奮する燃料はどこにあるのかと、単なる空元気なのかと……。それはベンチで見守っていた安西も同様だったが、彼女はここからが彼らの本気なのだと期待を込めて固唾を呑んだ。

 ボールカウントは1-2。この一本はどうしても落としてはいけない場面ではあるが、小堺は躊躇せずに渾身の力を込めてファーストサーブを打つ。レシーバーの角野はそれをシュートボールで神谷に返球するが、ネット前には詰め寄らない。実力的には小堺よりも遥か上をいく角野なので、前進して中間ポジションで構えようとも神谷程度の球威なら容易に捌ける。だが、角野が未だに注意していたのは神谷の何を打ってくるか分からない画一的なフォームだった。ロブやシュートはおろか、左右のコース打ち分けさえも全く同じフォームで打ってこられては、さすがの角野も反応は一歩遅れてしまう。それに少々癪に触るが、黒田が本気を出した以上はパートナーに任せておけば良い。
 そんなスタンスで自分に返球してくるのを角野は後方で待っていたが、神谷は黒田に向かってシュートボールを打ち込んだ。予想に反した展開に黒田も一瞬たじろいだが、どうにか打球を返す。そして神谷は再度体重の乗ったシュートボールを黒田目掛けて放った。
(この後衛、何か企んでいるのか? それとも、真っ向勝負で俺と打ち合う気か?)
 前衛の動きを警戒してロブでかわしていたが、それでもなお神谷は打ち込んでくる。しかも威力があるだけでなく、際どいコースを攻めてくるボールを打ってくるので、これでは角野もおいそれとポーチに出れないし、黒田もまともに返せずに音を上げそうになる。もう一球、シュートを打ってくるかと構えていた黒田だったが、神谷はいかにもシュートを打つというフォームで角野の頭上を越すロブを放ってきた。これにはタイミングを外された黒田が慌ててコートの左サイドへ走る。
「すごいや、神谷君。あれだけ前衛すれすれのロブだと後衛はかなり取るのがきついよ。打球の精度が良いな」
 第七中きってのロブの使い手は羨望を込めて評価を口にする。丸藤が言ったとおり、黒田はフォアに回り込む余裕がなくバックハンドで緩く返球した。その甘いボールを見逃さなかった小堺がすかさずラケットを担いで後ずさる。そしてフォローに入った黒田と角野の間を強烈なスマッシュで抜いた。
「ナイススマッシュ! 朔太郎!」
「よっしゃー! まだまだいけるぜ!」
 ここにきてまだネットプレーを見せる小堺に、第四中サイドは最早圧巻されていた。黒田も一年生相手にこれほどまでポコポコ得点されて苛立ったが、すぐに気持ちを切り替えると神谷をジッと見据える。
「俺と真正面から勝負する気なんだな。ふざけるなよ、ガキが」
 神谷が小細工なしのガチンコ勝負で立ち向かう意志を確認して、気分がいくらかスッキリしたようだ。余計な策を弄さずに純粋に打ち合える喜びに、普段ポーカーフェイスな黒田は僅かに口元を歪めた。

 ボールカウントは2-2。点差は均衡のままサーブが一巡したが、次の一本が今後を占う重要なゲームになることは明白で、選手達だけでなくコートを囲む観客席も固唾を呑んで見守っていた。
 張り詰めた空気の中、神谷がファーストサーブを放つ。さほど遅い球ではないはずなのだが、黒田は悠々と渾身の力を込めてレシーブを打った。その襲い掛かるような威力を持つ打球によもや取れないのではないかとチームメイトは気をもんだが、どうにか神谷は足を運びロブで返す。だがふわふわと力なく返ってきたボールを、黒田は豪快なフォームをしならせ、剛速球を放った。第七中サイドからは悲鳴のような声援が飛ぶ。それでも神谷はラケットが弾かれないように歯を食いしばって、黒田の猛攻を耐えた。
 隙あればボレーを決めんと小堺は虎視眈々とネット前に張り付いているが、手を触れることはおろか目で追うことすら一筋縄ではいかない。それでも後ろでは神谷が自分が決めてくれることを信じてボールを繋げてくれる。諦めるわけにもいかず、小堺は目の前を弾丸のように飛び交う打球へと喰らいつくタイミングを計っていた。
 さすがにクロス展開だけでは凌ぎきれないと判断した神谷は、ロブを挟んで黒田の弾雨をかわす。それでも黒田は逃がさんとばかりに攻撃の手を休めない。何度もコース変更をして集中砲火を避けようと逃げ惑う神谷を、尚も執拗に追う黒田。壮絶な打ち合いは三分にも及んだ。
 最早、埒が明かないと感じた黒田は、神谷がどうにかして拾ったヘロヘロな球を、わざと短く浅いボールで返した。それまでかなり後方で打球の処理をしていた神谷は不意をつかれてしまい、青い顔で前方に詰めた。滑り込むようにラケットで返した神谷。どうにかボールは繋いだが、後ろが完全に無人と化してしまった。黒田は逸りそうになる気を鎮めて、ネット前で棒立ちになる神谷に狙いを定める。
(これで、終わりだーっ!)
 ネットプレーの経験がまったくない神谷は、目を見開きラケットを前に突き出す。黒田との距離が近い分、恐怖心も倍増して足がガクガクする。黒田の体が一瞬大きく膨らんだと思った刹那、炸裂音と共に打球が自分目掛けて飛んできた。
 万事休す! と目を固く閉じた瞬間、自分の眼前を一陣の疾風が駆け抜けていった。そして次には歓声と共に小堺の雄叫びが聞こえたので、神谷は何が起きたのかとゆっくり瞳を開ける。スイングをしたまま茫然と固まっている黒田に、立ち尽くす角野。驚愕に目を丸くしているベンチに座った佐々木の足元に、ボールがコロコロと転がっていった。
 状況が把握できずに腕をだらんと垂らした神谷に後ろから小堺が抱き着いてきた。
「もしかして……朔太郎がボレーを決めたのか?」
「おうよっ!」
 満面の笑みを浮かべる小堺を見て、神谷は腹の底から歓喜がブワッと湧き上がってた。
「すごい! すごいぞ、朔太郎! まさか黒田さんの球を止められるとは思わなかった!」
 珍しく興奮するパートナーを制して、小堺は声のトーンを落とす。
「それより正樹。今ので俺、ボレーのタイミングを掴んだぞ」
「ほ、本当か……?」
「あぁ。次の一本、とにかく繋いでくれ。俺が必ずポーチに出て得点を決めてやる。そして出来れば正樹、黒田さんのシュートをシュートで打ち返して欲しいんだ。出来るか?」
 今まで見たことも無い真剣な表情の小堺を前に、神谷は無言で頷く。相当無茶な要望だが、相方の頼みとあればやらずにはいかない。小堺は決死の覚悟でボレーを決めてくれた。ならば次は自分が答える番である。
 ……たとえ、この身が朽ちようとも。

 第七中一年生ペアが第二ゲームもまさかのマッチポイントに、コートを囲んだ観客席はおのずと静寂に包まれていた。応援の量が試合を左右するソフトテニスで大変珍しい光景だが、コートに立つ四人の気迫と集中力にあてられたのか、誰もが口を閉ざさずにはいられなかった。そんな中、サーバーである神谷の声が響き渡る。透き通った声に呼応して、小堺だけでなく、黒田や角野も負けじと声を上げた。ファーストサーブをレシーブした角野は、今度はすかさずネット前に突進する。どうやら神谷の狙いは自分よりも黒田に向けられているようなので、後方にいては邪魔だと判断したのだろう。そのとおりに、神谷は返ってきた球を黒田目掛けて打ち込んだ。
 それからは先の展開同様、後衛同士の壮絶な打ち合いとなる。黒田の弾丸を巧みなストロークでかわす神谷。黒田が力で凌駕するのが先か、はたまた神谷と小堺が一瞬の隙を突くのか、場内は緊迫に包まれていた。
 壮絶な闘いの真っ只中にいる神谷は、ある懸念を抱いていた。黒田とこうして打ち合いをして今のところはどうにかボールを繋げられているが、それもいつまで持つか分からない。正直なところ限界はとっくに超えていた。精神的にも肉体的にも。
 それでも小堺との約束がある。このボールをラケットに当てるのが精一杯な猛攻の中、シュートボールを打ち込むことだ。もう予断は許されない。長引けば長引くほどこちらが不利になる。神谷は覚悟を決めると、それまで残していた集中力を一気に引き出した。
 それまで何十球と受け止めてきた黒田のシュートボール、タイミングは既に合わせることが出来る。ラケットを天高く突き出すように掲げ、両足にグッと力を溜める。そして右腕にも、黒田の剛速球に耐えられるだけの力を込める。腰をグッと沈め歯を食いしばり、ラケットを振り抜くことだけに意識を集中させた。
(いっ……けぇー!)
 弾丸を受け止めたラケットはその反動を利用してさらにスピードを乗せた弾丸と化す。小堺はその打球音を耳で捕らえると、それまで溜め込んでいた集中力を覚醒させた。
 まさか自分のシュートをシュートで打ち返されるとは思ってもみなかった黒田は狼狽したが、直ぐに気を持ち直すとすかさず構えを取る。自分の球威を利用して速度を飛躍的に上げた打球を放った神谷。ならばお返しとばかりにそのシュートをシュートで打ち返し、更に速球をお見舞いしてやろうか。素早く足を捌くと、黒田は大きくラケットを引く。そしてしなる鞭のように打球を打ち据えた。
(これで終わりだっ!)

 黒田がスイングをした瞬間に小堺は二、三歩後ろに下がった。黒田の打球は今まで味わった事が無いほど速い球だった。なので自分のタイミングでポーチに出ても速すぎて取れるわけがない。ならば、少し下がった位置から飛び出してみてはどうか? ボールがラケットに当たるタイミングを若干遅く出来るかもしれない。そして先ほどのボレーで確認したタイミングは、あの剛速球よりも更に速い打球が必要だった。神谷にシュートを打たせたのは、そのタイミングを得るためである。
 中間ポジションあたりから飛び出した小堺。ネット前で叩き落すボレーでもない、ローボレーでもないボレーになるがこの際かまわない。瞬速で飛んでくるボールに手が届くと確信した瞬間、力任せにボールをコート内へ押し込んだ。
 きっと観客には「パパンッ!」と言う連続の打球音が聞こえただろう。それほどほぼ同時のタイミングで黒田の剛速球をボレーで阻んだ小堺が勝利の咆哮を上げると、観客席は気付かされたように歓声を轟かせた。
「あいつら、とうとう2ゲームも取りやがった! あの一番手から2ゲームも取りやがった!」
「凄い! うちのエースは凄いぞ!」
 我を忘れて歓喜の雄叫びを上げるチームメイトに応えるように、神谷と小堺も両手を突き上げガッツポーズを決める。まるで試合が終了したかのような歓声に、他のコートで試合をしていた選手達も一時中断して何事かと第1コートを注目した。

 格下相手に連続で2ゲームも奪われた第四中一番手は愕然としていた。第一ゲームで意欲を去勢された角野。第二ゲームで自分のストロークを完全に負かされた黒田。ダメージは予想以上に大きかった。お互い交わす言葉もなく、ただうなだれた二人だったが、先に佐々木からのサインに気付いたのは角野の方だった。
「おい、黒田」
「……なんだ?」
 角野から呼びかけられ顎でしゃくる方を見ると、智将・佐々木がベンチに座っていた。そしてよくよく注目してみると、彼は視線で何かを訴えている。その視線の先にいるのは、神谷だった。佐々木が注意を促した神谷をじっくり観察した二人はカッと目を見開く。
「角野、残念ながらこの試合は俺達の勝ちだ」
「てめぇに言われるまでもねぇよ。くそっ。つまんねぇ試合だったぜ」
 無表情のまま第三ゲーム開始のためポジションに着く二人。その目に見えない変化にいずれこの場にいる全員が気付き、落胆することになるだろう。

 興奮冷めやらぬ中、第三ゲームが始まる。サーブ権は第四中サイド。ファーストサーブを構える黒田の姿は、2ゲーム先取されたにも関わらず気落ちした様子はなく、いたって冷静だった。
「へいへい、なんだあの後衛。負けているのに随分と余裕じゃねぇか」
 自分達の一番手が格上相手に善戦しているからか、観客席で応援する高田は気分が大きい。
「もしかして、もう諦めたのかな? みやちゃんとさくちゃんがあまりにも強いから」
「まさかそれは無いと思うけど。それにしても黒田さんも角野さんも落ち着いているのはなんで? 第一、第二ゲームではあれだけ取り乱していたのに」
 三番手ペアが浮かれ過ぎているのが可笑しくて堪らないが、丸藤も相手選手達の平然とした様子に違和感を感じずにはいられなかった。宗方にいたってはコートをジッと見つめたまま口を閉ざしている。
 チームメイト達が心の隅に憂いを抱きつつも、コート内では黒田がファーストサーブを放った。神谷のレシーブを黒田はロブで小堺の頭を越す。その一球ごとに観客は歓声を上げたが、途端にその声援はざわめきに変わった。黒田がコース変更のため放ったロブに、コートの左側へ走った神谷が追いつかなかったのである。
 それまでは左右に振られたボールを難なく返していたはずの神谷が、のろのろとコートを横切っただけだったのだ。一体何が起きたのか分からず開いた口が塞がらない観客達。だが、第四中サイドのベンチに座る智将・佐々木と、コートを挟んで対立する黒田と角野だけが、冷ややかな視線で神谷を見つめていた。
 自分の頭をロブで越えたはずのボールが一向に相手コートへ飛んでいかないことを疑問に思った小堺は、首を捻りながら振り返る。そしてボーっと突っ立っている神谷に目を見開いて驚いた。
「正樹、どうしたん……」
 最後まで出掛かった言葉を飲み込む。浅く呼吸を繰り返す神谷の表情は精気に乏しく、よく見ると両足は小刻みに震えていた。どうしたのかと聞くまでもなかった。小堺の胸に絶望の黒い影がゆっくりと広がっていく中、息も絶え絶えといった様子で神谷は小さく呟いた。
「……すまない、朔太郎。もう、動けない。……スタミナ切れだ」
 申し訳なそうに頭を下げる神谷に、小堺は何と返したらいいのか分からなかった。前の試合が終わった直後から、神谷の体力が既に限界へ近いことは承知していた。あのダブル後衛の猛攻を必死で繋いだのだ。きっと小学生の頃には経験したことのない疲労を味わったのだろう。そしてこの試合の第二ゲーム目、黒田の強烈なストロークに何とか喰らいつこうと抗った結果、神谷は残りの体力全てを使い切ってしまったのである。
 小堺もその点は憂慮していた。スタミナ不足が不安の種だと自ら言っていた神谷を責めるわけではない。ただ、この試合が終わるまでは耐えてくれればと祈っていたが、そう上手くはいかなかったようだ。もう一度「すまない……」と掠れた声で呟く神谷を、小堺は両肩をポンと叩いて労うだけだった。
 神谷のスタミナ切れを始めから見抜いていた黒田と角野は、もはや消化試合と化したとばかりに淡々とプレーをこなした。返ってきたレシーブは軽く神谷を左右に振ってやればそれで終わり。それまでのファインプレーが嘘のような姿に、彼らは悔しささえも感じていた。地区総体で、しかも一年の分際で自分達から2ゲームも奪取した新星。まさかこんな展開で終わりを迎えるとは、ある意味不本意でもある。それでも智将・佐々木風に言わせてもらえば「楽に取っても接戦でも、勝ちは勝ち」といったところか。徐々に落胆していく観客の声援を感じながら、第三ゲームは4-0と当然圧勝で第四中が制した。

 チェンジコートで第七中サイドに戻ってきた神谷と小堺を、安西は急いでベンチに座らせるとタオルやらスポーツドリンクやらを彼らに押し当てる。ぐったりとした神谷を鎮痛な表情で見つめる安西。状況がさっぱりつかめずに慌てる自分へ、チームメイト達がわけを説明してくれた。ついさっきまでは死力を尽くして強大な敵に立ち向かっていた神谷なのに、今は見る影もない。どうすることも出来ない自分が歯がゆくて、安西は賭けのことはさっぱり忘れて、献身的に持っていたタオルで神谷を扇いだ。
「これは困ったぞ。おい、丸男にデブ。なんか良い案はないのかよ?」
 若干苛立ちながら問いかける高田に、丸藤も宗方も顔をしかめるだけだった。
「どうするといっても。神谷君が動けないんじゃ無理だよ」
 自身、第二試合目で第六中のダブル後衛から散々体力を削られた苦い経験がある。後衛の機動力はなんと言ってもスタミナと足。それを失っては最早どうすることも出来ない。いくら前衛が優秀でもボールを繋げてくれるという土台がない限りは出番がないので、小堺までも封じられたことになる。
「せめてみやちゃんの体力が回復すればいいんだよね? なんとかならないかな?」
「出来るわけねぇだろ。白魔道士でも連れて来いっつーの」
 他愛もない会話だったが、それを耳に挟んだ宗方が急に口元を押さえて黙り込んだ。
 向かい側のコートでは既にコーチングを終えた黒田と角野がスタンバイしている。佐々木からのアドバイスは殆どないに等しかった。それだけ神谷を休ませる暇を与えるな、ということなのだろう。非情にも思えるがここは真剣勝負の真っ只中なのだ。
 立つこともラケットを握ることも覚束ない神谷を悲痛な表情で見送るしかないチームメイト。善戦空しく、もうここまでなのかと一同諦めかけたその時、宗方がスッと立ち上がり声の限りに叫んだ。
「小堺君! 丸男君に徹したまえ!」
 その声に反応した神谷と小堺は意表をつかれて振り向いたが、しばらく互いに見つめ合うと意を決したのか力強く頷いた。
「宗方君、丸男君に徹するって、どういうことなの?」
 言葉の意味が今一つ捉えられなかった安西はフェンス越しに宗方へ尋ねる。
「相手チームに真意を悟られては困りますからね、彼らにしか伝わらない言葉をチョイスしました。つまり……」
 声を潜める宗方の話を聞いて、安西は納得しつつも不安は拭えなかった。
「それで本当に上手くいくの? 本当に、勝てるの?」
「分かりません。ですが、今はその作戦に賭けるしかないのです。彼らなら、きっとやってくれるはずですから」
 半ば期待を込めた宗方の作戦ではあったが、他のチームメイト達を見てもその表情に揺らぎはなかった。この状況になっても神谷と小堺なら必ず勝ってくれると信じてやまない彼らの態度を見て、安西も腹を括るとベンチにちょこんと腰を掛ける。名ばかりの顧問だが、彼らに勝ってほしいと願う気持ちは自分も一緒だったからだ。

 ゲームカウントは未だに2-1と第七中がリードしているが、今となっては第七中サイドが劣勢には違いなかった。神谷の様子を見て、どう足掻いても今から挽回するのは難しそうだと観客達は全員思っているだろう。事実、第七中寄りに応援してくれていた他校の生徒達は、徐々に散開している。やはり所詮は烏合の衆ということか。これ幸いにと勢いを増す第四中サイド。声援の量までも劣勢になってきた中、第四ゲームが始まった。
 疲労困憊状態の神谷がサーブで始まるが、そのコート内にある違和感に気付いた人々は口々に何かを言い合っては第七中の二人、特に小堺を指差す。本来、後衛がサーブの時に前衛はネット前に着くというポジションがセオリーである。だが、今の小堺は神谷と同じようにベースラインまで下がっていた。別に間違ったポジションではない。ただストロークがさほど得意ではない前衛が後方にいては集中砲火を浴びるだけだし、ネット前が疎かになる。
 ここにきてまたもやイレギュラーな行動を見せる第七中サイドに顔をしかめた黒田と角野は、後ろに座っている佐々木へ目を配る。一瞬戸惑いながらも佐々木は視線を小堺に向けて、前衛への集中攻撃を示唆した。
 佐々木の指示通りに神谷のサーブを小堺へレシーブする黒田。その打球をロブで返す小堺だが、やはりストロークは神谷に比べて覚束ない。そしてそのロブを今度は渾身の力を込めてシュートボールで返すと、小堺は弾き返すことが出来ずに敢え無くアウトした。
 それでも小堺はネット前に詰める仕草は見せず、それ以降も後方でがっちり粘っている。どれだけ黒田の集中砲火を浴びようとも、何とかロブで返すだけで攻めてくる気配は微塵も感じられなかった。段々と黒田の猛打にも慣れてきたのか、何とかロブで返せるほどにはなってきたが結局攻撃の要に欠けていては得点など与えてくれる甘い彼らではない。第四ゲームは1ポイントも獲得出来ずに奪われ、これでゲームカウントは2-2と一気に追いつかれてしまった。

 佐々木はコート上で粘る小堺の姿を不思議に感じていた。神谷が使い物にならなくなったのは分かるが、だからといって前衛である自分が後方にいて何が出来るというのか? 
 しかも黒田相手に打ち合えるわけもなく、今もどうにかロブで返すのが手一杯な様子。はっきり言って狂気の沙汰か、試合放棄したとしか思えない。黙っていてくれれば瞬殺してやるものを……。
 それに、先ほどのコーチングの時間の最後に、向こうの部長が叫んだ言葉もどこか引っ掛かっていた。丸男に徹するというのはどういう意味か? 丸男とは一体誰のことを言っている? あの一言を聞いてから小堺は後ろに下がるようになったということは、彼は宗方の作戦に従ったということだろう。あの太った少年、硬式上がりだという割には戦術を企てることに長けている。その宗方が指示したというのが、更に引っ掛かりを強くしていた。
 コート内では相変わらず小堺が後方で黒田の猛攻を凌いでいるものの、ボールカウントは既に0-2。この第五ゲームも頂いたようなものだ。もう彼らに反撃の手立てはない。次の第六ゲームを迎えれば、ゲームカウント4-2であっさり終わる試合なはず。それでも智将・佐々木は不安が徐々に膨らんでいる不快感が拭えずにいた。
 丸男、という選手が第七中にいた記憶はない。佐々木は選手一人一人のフルネームを思い出してみる。三番手ペアは高田竜輝と吉川のぼる、二番手ペアはあの太った少年、宗方誠司。その後衛、小さくクリッとした丸藤達男。苗字の発音が違うが「まるお」という渾名をつけられなくもない。あの選手はジュニア上がりでロブの名手、なかなかミスをしない安定した選手だった。
 そこまで考えが巡った瞬間、佐々木はカッと目を見開く。そして自分が思い至った結論に「まさか」と驚愕したと同時に「馬鹿な」と否定せざるをえなかった。それはあまりにも短絡過ぎる、馬鹿馬鹿しい指示だったからだ。だが、その僅かな油断を手繰って、これまで彼らからいくつ苦渋を飲まされてきたのか忘れる佐々木ではなかった。叩き潰せる可能性は早めに対処しておかなくてはならない。ましてや、相手がこの一年坊主達なら尚更だ。
 佐々木は口の前に組んだ手を解き、ガバッ立ち上がる。試合中に腰を浮かすことのない佐々木に観客席が何事かと驚いたが、その智将が声を発したのだから更に驚いた。
「黒田、角野! 後衛を狙え! 奴は体力を回復しているぞ!」
 突然背後から聞こえてきた佐々木の声に目を丸くしながらも、黒田と角野はそれまで小堺ばかりに注目をしていて気付かなかったが、佐々木の一言でいつの間にか神谷の体力が回復していることに衝撃を受けた。

「お、とうとうばれちゃったみたいだぞ」
「構わんよ。2ゲーム分はたっぷり休ませてもらったはずだからね。このゲームは捨てて良いのだ。我々の狙いは第六ゲーム、そしてファイナルゲームだからな」
 佐々木の発言を一瞬で理解した黒田は、攻撃の矛先を神谷に切り替える。黒田の剛速球を安定したフォームで必要以上に大きなロブを放つ神谷。真面目な真剣勝負にふざけているとしか思えないような打球だったが、それがいまや彼らの生命線なのだ。

 前衛が後ろに控えていては、テニスプレーヤーの心理上狙わずにはいられない。小堺が後ろで耐えれば耐えるほど、神谷への攻撃は薄くなる。宗方の作戦を受け入れた彼らは、思い切って第四ゲームと第五ゲームを捨てることを覚悟した。そしてこの2ゲーム分を完全に神谷のスタミナ回復に回したのである。
「こんな作戦を実行させるコーチは絶対にいないと思う。だって練習中に散々、一本一本大事にしろって言われてるんだもん。それを丸々2ゲーム捨てるだなんて在り得ない。ましてやそれを実行している神谷君と小堺君も在り得ないよ」
 嘆息しながら言い捨てる丸藤。確かにソフトテニス経験が一番長い彼にしてみれば、例え策といってもゲームを捨てるなどとは持っての外なのだろう。
「だが丸男君、肉を切らせて骨を絶つというのも立派な戦術だろう? それに在り得ない作戦だからこそ真価を発揮するというものなのさ。勝負とは常に大胆にして緻密。そうですよね、安西先生?」
 誇らしげに胸を張る宗方に名を呼ばれた安西も、視線はコートに向けながら澄まし顔で応える。
「そうよ。生徒に考え行動させる自立心を奪い、自分の管理したいように人員配置をする軍隊のような指導者に、うちの天然っ子達が負けてたまるものですか。子供というのは時々大人でも考え付かないような凄いことをやらかすから面白いんじゃないの」

 黒田が打ち込んでくるボールを、少しでも長く時間稼ぎをするためにポンポン大きなロブでかわす神谷。痺れを切らした黒田は、左右に振るのが無理ならば前後で振ってやろうと短いボールを打つ。だが神谷は体力の消耗を避けて、そのボールに手を出さなかった。徹底して2ゲーム分を体力回復に回すつもりらしい。
 結局そのゲームは当然ながら第四中が獲得し、これでゲームカウントは2-3と、全ての運命は第六ゲームへと託された。

 いつの間にか第2コートから第4コートまでの試合は終結し、準々決勝は残すところ第1コートのみとなった。ベスト四に上がってきたのは第六中の一番手と第四中二番手の筑摩・千田ペア。そして第一中の一番手と、各校を代表する猛者が準決勝に進んだ。佐高中男子ソフトテニス部の全員が見守る中、第六ゲームが始まる。

 高く上げたトスからバネをしならせるように反動をつけてファーストサーブを放つ神谷。しっかりと体重が乗ったサーブを受け止めた黒田は、神谷の体力が回復したことを知る。まさかスタミナを戻すためだけに2ゲームを捨てる度胸と覚悟には恐れ入ったが、回復期間に当てさせてもらったのは第七中サイドばかりではない。
 シュートボールでレシーブを返した黒田の打球をシュートで返すためグッと腰を落とす神谷。体力が戻ったおかげでタイミングも合わせやすいのでシュートボールを打ち易い。小堺にボレーで得点をさせるためには、黒田の剛速球が必要だ。振り回されてまた体力を消耗する前に、シュートの打ち合いに持っていくべきだろう。
 だが神谷が放ったシュートがネット際で打ち落とされる。出し抜けの攻撃に息を呑んだ神谷だったが、そこにはネット前を悠々と走り抜ける角野の姿があった。この試合、第一ゲームで勢いを削がれた角野だったがいつまでも落ち込んでいるわけもなく、先の2ゲームでやる気を取り戻していたのだ。
「おいおい、あの前衛。今まで黙っていたがとうとう復活しちまったぞ。奴ら二人をいっぺんに相手するにはちょっと荷が重すぎやしねぇか?」
 観客席でどっしりと見守っていた高田兄が堪らずに口を開く。隣で解説をする宗方や丸藤の話を聞いているうちに、段々とソフトテニスについて詳しくなっていた。
「ごもっとも、お兄さん。ですがここまできたら後は単純な力量での勝負ではありません。勝利への飽くなき執念を貫いたほうに軍配が上がるでしょう」
 実際にコート上の四人は得点を決めた方も決められた方も、表情に余裕の二文字はない。お互い集中力を切らさないように喉の続く限り声を張り上げている。
「もうガチンコ勝負ですよ。計算とか駆け引きとか関係ない、ガチンコ勝負です!」
 眼鏡をたくし上げながら、真剣な表情で丸藤もそう言った。チームメイトもコートで闘う神谷と小堺に声が届くように、声の出る限り声援を送る。ベンチに座った安西も、祈るように手を合わせて試合を見守っていた。

 ボールカウント0-1。レシーバーの角野に放った神谷のファーストサーブは、若干体勢を崩してしまったのかフォルトしてしまう。そしてセカンドサーブはカットサーブで打ったが、角野はもう一本チャンスとばかりに正面にいる小堺目掛けてレシーブを放った。
 だがそれを殆ど野生の勘で正面ボレーする小堺。よもや決まった! と思った矢先に、前に突進した黒田がラケットを伸ばしてボレーを拾った。ふわりと宙に舞う打球を、小堺が後ずさって追いかける。そして距離が足りないと判断すると、引き足のままジャンプをしてスマッシュを打ち込んだ。しかしそれを黒田に変わって後方を守っていた角野がフォローした。緩やかに戻ってきた打球は逆クロス展開にいる神谷の元へ落ちる。体勢を逆転されてネット前にいる黒田と後方で構える角野。ネットプレーが不得意そうな黒田を狙うのかと思いきや、神谷は角野の際どい左サイドを渾身の力を込めて打ち抜いた。予想もつかなかった打球に一歩も動けなかった黒田と角野。まさに打たれなければ分からない魔法のフォームを持つ神谷の真骨頂である。
 一球一球、息をつかせぬ超展開に観客は声援を送るのも忘れて観戦に徹した。競技場全体が第1コートを縦横無尽に駆け巡る選手達へ呼応するように、大きく揺れ動く。これほどまで熱戦を繰り広げる地区総体を、顧問やコーチ陣は見たことがなかった。ましてや試合は決勝などではなく、準々決勝。第四中一番手の実力はさる者ながら、今大会ダークホースの神谷と小堺の底力に敬服せざるを得なかった。

 ボールカウントは1-1。サーブ権は小堺へ移る。レシーバーの黒田はファーストサーブを受けた時に、ある違和感に気付いた。今までのファーストサーブにしては球威が緩い気がする。それはサーブ&ダッシュでネット前に突進してくる小堺の意気込みで把握した。小堺はこのままの勢いで黒田のレシーブをブロックするつもりでいるのだろう。
(思考がザルなんだよ、ガキが!)
 狙いを定めて小堺が突っ込んでくる右サイドへと構える。果たしてラケットを振りぬく瞬間、小堺が左側へ軌道を変えたのが見えた。どうやら本当に神谷へ向けて放つレシーブをブロックするつもりでいたらしい。小堺が左へ動いたと同時に、右サイドへ打ち込む黒田。
 抜けた! と思い油断した瞬間、後衛の神谷が素早く右側へ移動していた。そして黒田のレシーブをミドルへ打ち込み、ポイントを決めた。
「おいっ! なんだ今のは! なんであの後衛が後ろにいるってわかって右サイドを狙ったんだよ!」
 詰め寄る角野に、黒田もカッとして言い返す。
「抜いたつもりだったんだよ! だがあの後衛は抜かれるを前提で右サイドへ走ってたんだ! お前も自分のセリフの矛盾に気付けよ!」
 黒田の言葉に一瞬何を言ってるのかと考えた角野は、じっくりと今の場面を思い出して顔色を変えた。
「分かるか。あの後衛は前衛が左側へ勝負を掛けにくると思って、いつ抜かれてもいいように右へ移動したんだ。それはつまり前衛がボレーを必ず決めてくれると信頼していたからなんだよ」
 激した自分を諌めて少々声を抑えた黒田。自分でも信じられないことを言っていると思っている。さらに、黒田は驚愕の事実に気付いてしまっていた。
「しかもあいつら、サーブの前に話をしていた素振りがない。つまり作戦の確認が必要ないほど、お互いの行動を把握しているんだよ」
 神谷は聞かなくても分かっていた、小堺が一本目で勝負に出ることを。この二人の間に最早会話など必要ないくらい、互いの思考を熟知し合った信頼という太いパイプで繋がっていた。たまたまだったのかも知れないが、これが事実だとしたら黒田にとって恐ろしいものはない。小堺が動いた瞬間、自分の打球は百発百中でボレーを決められるか、神谷にフォローをされるかどちらかなのだから。

 今のプレーに気付けた人間がこの競技場内に何人いたのかは分からない。しかし一つだけ分かることは、第七中ペアがここにきてボールカウントを2-1とリードしたということだった。
 小堺二本目のサーブをレシーブで返す角野。先と同じようにサーブ&ダッシュで攻めてきた小堺を相手にはせず、神谷へボールを打った。この試合だけでどれほど小堺に得点をされたのか、数え切れない。はっきりいって屈辱よりも、同じ前衛としてうらやましくさえ思えた。これほど前衛として恵まれた素質にそれを活かす後衛が加われば、向かうところ敵なしだろう。それでも角野は負けるわけにはいかない。前衛としての素質だけで言えば自分も劣っていないはずなのだ。
 そして黒田もこの場面で冷静さを取り戻す。正直なところ、第二ゲームのように神谷と打ち合うのは危険だと直感した。どこまでも虎視眈々と貪欲にボレーを狙ってくる小堺の相手はこれ以上やりたくない。ならば簡単な話、ロブで上手くいなしていればいいのだ。
 黒田の思惑通り、のらりくらりとロブでかわす打球に対して、神谷は必死にシュートボールを打ち込んで喰らいついてくる。一方の角野はといえば、ポーチに出てくるでもなくしっかりと抜かれないようにサイドを守っていた。それでいい。適当に打ち合っていればいずれ神谷の方から音を上げてくるだろうし、もしもこのゲームを落としても体力を消耗してくれればファイナルゲームで一気に片を付けられる。黒田にも後衛としては自分の方が力量が上という自負があった。
 また体力を削られていると懸念しながら見守っていたチームメイト達は、段々とあることに気付いてきた。防戦一方なはずの黒田だったが、どことなく押されている気がする。特にロブの使い手で守りに長けた丸藤がその事を顕著に感じ取った。
「黒田さんが打ち負けている……の?」
「どういうことだ、丸男?」
「あのね、いくらロブで上手く返そうと思ってもやっぱりなかなか返せないボールってあるんだよ。シュートボールは特にそうだけど、その中でも……そう、今のような足元を狙うような」

(配球の精度が上がっている、だと……!)
 神谷のシュートボールをロブで返しているはずなのに、黒田はあからさまな疲弊感を味わっていた。神谷はただシュートを打ち込むだけでなく、確実に際どいポジションを狙って打ち込んでくる。それがいくらロブで返すといっても面倒でたまらない。絶妙に回り込まされたり、前のめりで打たされたり。しかもその際どさは打ち合っていく度に精度が増していく。もうロブばかりで相手にするのは辛くなった、と思った矢先、僅かだがフォームのバランスを崩してしまった。しまった! と思っても後の祭り、打球は緩やかに軌道をずらし、左サイドへボール一つ分でアウトしてしまった。
 ここにきて痛恨のミスに黒田は表情を歪める。自分の実力を過信しすぎたわけでない。相手の実力を見誤ってしまったのだ。同じフォームでコースを打ち分けるだけでなく、正確な弾道をも打ち分けることが出来る神谷に驚愕せざるを得なかった。しかしこれでボールカウントは3-1。一年生相手にまたもやマッチポイントを取られてしまうとは、黒田も角野も思いも寄らなかった。

更新日 5月31日

 第六ゲーム、サーブが一巡してみれば第七中のマッチポイントを迎えていた。第三ゲームで神谷の体力が底をついたことを知り、誰もが逆転はないだろうと諦めた。さらに貴重な2ゲームをスタミナ回復のために費やしたと知ったときには何かの悪い冗談だろうと飽きれた。そんな彼らが、ファイナルゲームに向けての王手を打ったのである。最早、誰もこの状況に驚くものはいない。ただこの試合が終わった後の結果を、素直に受け入れるだけであろう。
 呼吸を整えファーストサーブの構えに入る神谷。出来ればこのポイントを取ってファイナルゲームに進みたいと気が逸ってしまう。それを落ち着けるために何度も深呼吸を繰り返す。そして意を決して一喝すると、ボールを高々と頭上に放った。
 黒田はサーバーである神谷を注目しながら、視界の隅にいる小堺を捉えた。重心をやや下げ、逆にラケットを少し上向きに構えている。それを確認すると、黒田は身を引き締めた。小堺は必ず一本目、自分のレシーブを狙ってくる。よく考えれば昨日の団体戦や今日の第二ゲーム目で、ここぞという場面になると小堺は必ずと言っていいほど一本目でポーチに飛び出してくる。今見える構えが何よりの証拠だ。例え裏を掻いて抜いたとしても神谷がフォローに入るのはわかっている。それでも、際どいコースを突けばたとえ神谷でも拾えまい。
 体をしならせ繰り出したファーストサーブをしっかりと受け止める黒田。体重が乗ったなかなか良い打球だが、シュートで打ち返せないほどではない。
(残念だが、ここで終わらせるっ!)
 気合を込めて発したシュートボールは、予想通りポーチに飛び出した小堺の逆を突いて、左サイドへと飛んでいく。俊足で走り抜けたため立ち止まれず黒田の視界からフレームアウトする小堺。これはさすがに決まったと思ったが、予想以上の反応速度を示した神谷が打球に追いついた。だがまさにギリギリで追いついた打球だったので、回り込むことはおろか、バックハンドでラケットに当てるだけのロブを打ち返した。しかも勢いあまった神谷はそのままバランスを崩し、ラケットを手放して転倒する。慌てて起き上がりラケットを拾おうとするが、黒田は既に大きく構えていた。
「これでっ! 本当に終わりだっ!」
 黒田は両足をがっしり地面にかませて腰と腕を回転させしたたかにボールを打ちつけた。間に合わない! と判断した神谷は、転びながらもラケットを裏面に構えてフォロー体勢に入ろうとした直後、ネット前を疾風が駆け抜けた。
「っけぇ――!」
 コートに響き渡る炸裂音。静まり返った空間を走り抜ける靴音。勢いが止まらず壁際まで走り抜ける小堺。
 そして次に、地を揺るがす歓声が競技場を包み込んだ。
「なんであいつ、あのタイミングでボレーが出来るんだよっ!」
「その前にもポーチに出たばっかりじゃないかっ! 二回連続なんて有りなのか!」
 叫ぶような大歓声が鳴り止まない中、茫然としゃがみ込んだ神谷へ、興奮した小堺が飛び乗ってきた。
「正樹っ! 俺、決めたぜ! 決めてやったぜっ!」
 瞳を爛々と輝かせながら抱きついてくるパートナーを、やっと状況が飲み込めた神谷がギュッと抱き返す。
「朔太郎っ! お前、やっぱり凄いよ!」
「おうよっ! 任せておけ! 俺に任せておけって!」

 大音響に負けじとベンチから立ち上がって二人に歓喜の声を送る安西。ふと気がつけば、彼女の両目からは止め処なく涙が溢れていた。これまでの人生でスポーツ観戦をして泣いた経験が一度もない。それがどんなに逆風にさらされても諦めずに立ち向かう少年達の姿を見て、涙が止まらなかった。これから先、彼らと一緒にいればこれ以上の感動を味わうことが出来るのだろう。今まで毛嫌いしていた運動部の顧問だったが、今日の試合を通して見方が少し変わった。少なくとも、安西はソフトテニスが大好きになった。

 ファイナルゲームへ突入する前に、僅かな時間ではあるが選手達へインターバルが設けられる。泣いても笑っても次のゲームで最後、作戦の最終確認をするための重要な時間だ。
「朔太郎、俺はお前とペアが組めて良かったと思う」
「おう。俺も思っているぜ」
 作戦の確認などする必要のない二人は、最終局面を前に他愛ないお喋りを楽しんでいた。
「小学生の時に組んでいたのとはまた違った感覚だ。口では上手く言えないが、朔太郎には感謝している」
「おうよ、俺も同じだ。これからもずっとペアを組んでいこうな」
「あぁ」
「高校も同じところに行って、一緒にペアを組もうな」
「なら、もっと勉強をしろ。朔太郎と俺じゃ学力に差がありすぎる」
「なんだよ、意地悪言うなよ。それで大学も一緒に行こうぜ」
「あぁ」
「それで将来は結婚しような」
「いや、それはない」
 即答する神谷へ、いけずとばかりに抱きつこうとする小堺。こんな場面でも自然体でいられるのが彼らの強さなのだろうか。

 そんなじゃれあう二人の姿を遠目で見ながら、黒田は角野の文句を片耳で捉えていた。
「おい、てめぇ! 最後のボレーはどう見てもバレバレだったじゃねぇか! これ以上俺の足を引っ張るんじゃねぇぞ! いいな!」
 ファイナルゲームまで追い詰められて焦っているのだろう。角野は募ったイライラを黒田に爆発させなければ気が済まないらしい。
「おい、黒田! お前、聞いてんのかよ!」
「あぁ。聞こえている」
 普段なら腹立たしい角野の怒鳴り声も、今となっては虚無感すら覚えてしまう。それはネット越しの二人が、あまりにも理想的なペア過ぎるからなのかもしれない。
「……かもな」
「あ? 聞こえなかった。もっぺん言ってみやがれ」
「……あの二人はちゃんと味方が一人に見えているかもな。俺には敵が三人いるようにしか見えないよ」
 その一言に憤慨した角野は、黒田の左ほほを思いっきり殴りつけた。それを見ていた第四中サイドがざわめく。しかし黒田も角野の左ほほを殴りつけると、二人はそれ以上言葉を交わさずに、各々のポジションに着いた。

 審判がコールを告げる。ファイナルゲームが始まった。 




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06:36  |  なんしきっ!  |  CM(14)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

●No title

 
相変わらずハラハラさせられて大好きなお話です!
小堺くんが吉野ボイスで再生されまくってる・・・

ハリセンボンの来た番組はローカルです
「花咲かタイムズ」とか言う番組だった気がします
確か東海だけだったかなぁ
東北に汚点を晒さなくて良かった(´・ω・`)
 
桐崎 紗英 | 2010年05月16日(日) 23:05 | URL | コメント編集

●No title

>>桐崎 紗英さん
東海地方だけとは残念です。
ちゃふ子さんの勇姿をこの目で見たかったなぁ。
要人(かなめびと) | 2010年05月17日(月) 08:35 | URL | コメント編集

●No title

テニスの事は分からないけど、角野さん…単純。
やっぱりチームワークって大事ですよね!
それにしても、小堺君&神谷君の観察力が凄すぎ(驚)
中1だとは思えないほど!!
夢 | 2010年05月19日(水) 09:51 | URL | コメント編集

●No title

>>夢さん
試合中は意外と冷静さを失うものです。
そして冷静さを失うと案外もろく終わってしまいます。
神谷と小堺は小学校時代からテニスをしているので
試合の勘はしっかりと出来上がっているのですよ。
要人(かなめびと) | 2010年05月20日(木) 08:40 | URL | コメント編集

●No title

 
学校の帰りについついテニスコート覗いちゃいました。
低いところにあるので見下ろす感じでしたが。
この小説思い出しました。

一本挽回っ!
これ良いな、使いたい(笑)
 
桐崎 紗英 | 2010年05月21日(金) 22:04 | URL | コメント編集

●No title

>>桐崎 紗英さん
ちゃふ子さんも是非テニス部に入ってみてはいかがですか?
私も高校に入ってからテニス部でしたから。
一本挽回、これを言うと本当に力づきます。
要人(かなめびと) | 2010年05月22日(土) 08:38 | URL | コメント編集

●No title

神谷君、体力回復早っ! 若さゆえですね~。
私の場合、体力回復に時間がかかる事ったらありゃしない(汗)

そ~言えば、うちの中学の男子テニス部、今年は3年生がいないらしいですよ。 けど2年生が強いとか。

健康第一ですからね~、お酒の飲みすぎには注意ですね!
夢 | 2010年05月26日(水) 09:18 | URL | コメント編集

●No title

>>夢さん
その学年の子達がとうとう三年生になりましたか。
一人も入らなかった、ってかなり有名になった話ですよ。
やっぱり余計な先輩がいないと伸び伸び練習できるから強いんですかね?
要人(かなめびと) | 2010年05月26日(水) 11:07 | URL | コメント編集

●No title

 
智将(一発変換したら池沼が出て来た・・・)の頭の中を
「まるお」って言葉が走ってると思うと笑みがこぼれます、何故か

少年の友情ですねー
良いなぁ、中1!
2,3年の方が楽しかったですが、初々しくて新鮮な学年でした
荒れてましたけど(笑)
 
桐崎 紗英 | 2010年05月26日(水) 22:18 | URL | コメント編集

●No title

>>桐崎 紗英さん
今回の作品のテーマが友情なんです。
ここまで性格のいい人間を揃える方が難しい気がします。
要人(かなめびと) | 2010年05月28日(金) 06:42 | URL | コメント編集

●No title

テーマは友情ですか!
我が子達に教えてあげたい…

それにしてもテニスって考えるスポーツなんですね。
なんだかテニスの試合中に頭の中がパニックになりそう…
そうそう、テニス部の息子さんいる友人に「テニスっていうのは、場合によっては敵が2人にも3人にもなるんだよ!」 って、偉そうに教えてあげました(笑)
夢 | 2010年05月28日(金) 10:28 | URL | コメント編集

●No title

>>夢さん
実際にはかなりパニック状態になりますよ。
小説だから冷静にここまで考えられますが、試合中はとんでもない速さで球が飛び交ってますからね。
ほとんど感覚で行動するしかないです。
要人(かなめびと) | 2010年05月28日(金) 18:15 | URL | コメント編集

●No title

 
「走れメロス」思い出しました(^ω^;)

テニス部にむっちゃ可愛い女の子居るんですよー
同じクラスだけど^q^
あの可愛さはやべぇZE・・・

が、それ以上に第七中ペアかわええ!
 
桐崎 紗英 | 2010年05月31日(月) 23:57 | URL | コメント編集

●No title

>>桐崎 紗英さん
テニス部に可愛い子とは、なんという奇跡でしょう!
やっぱり可愛い子がラケットを振る姿は最高ですね。
要人(かなめびと) | 2010年06月02日(水) 06:58 | URL | コメント編集

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