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2010'03.12 (Fri)

団体準決勝 大将戦  神谷・小堺VS黒田・角野

 チームの勝利を決定付けた中堅ペアの筑摩と千田がベンチに戻ると、彼らは真っ先に智将・佐々木の元へ整列した。だが佐々木は先鋒ペア同様に、顔の前で手を組んだ姿勢を崩さずに軽く首を振っただけだった。佐々木なりに文句のつけようもない試合展開だったと言いたいのだろう。事実、中堅ペアだって1ポイントも落とすことなくラブゲームで試合を終わらせたのだ。
 声を揃えて「ありがとうございました!」と言った二人は、直ぐにチームメイトの待つ輪の中に入って、今の試合の感想を口々に話し始めた。三年生で構成されたチームと言えども、勝利を納め次の決勝戦に駒を進めることが出来たことにチームメイトは喜びを露わにし、第四中サイドの選手達は些か弛緩したムードが漂っていた。そんな彼らをよそに、佐々木の眼前には既に大将ペアが整列している。地元最強と謳われる佐高第四中学校の一番手ペア、部長であり後衛の黒田と、副部長であり前衛の角野である。彼らは県総体は勿論、東北総体でも上位の成績を修めるほどのプレーヤーである。
「さて、村上達と筑摩達が早々に勝利を納めてくれたので、お前らの仕事はもうないものだと思ってはいないだろうな?」
 少々威嚇するような口調で尋ねる佐々木に、黒田と角野は張りのある声で「いいえ!」と応えた。
「そう、第七中戦の本番はここからだ。新参者の彼らには今後、常に遥か頭上に君臨し続けるのは誰なのかをその体を持って知らしめなければならない。そのためには奴らのチームの要、一番手ペアを完膚なきまでに叩き潰せ。どう足掻こうとも追いつくことの出来ない絶対的な存在は第四中ということを、あのチビ共に教えてやれ」
 いくら勝敗に真剣さを求める場面といえども、佐々木の発言は中学教諭にしては生徒に対して些か配慮にかけていると捉われかねない。だが黒田と角野は躊躇することなく、またもや「はい!」と応えた。目上の者からの指示には私情を挟まず従順に答えなくてはならない、これではまるで軍隊と変わりない。
 二人の反応に満足した佐々木は、一度だけ小さく頷くと早速作戦の指示を出した。
「後衛の神谷は小学五年時に東北大会ベスト32。小学六年時に東北大会優勝。前衛の小堺に関しては小学六年時に東北ベスト8という成績しか残っていなかった。ジュニアからやっているお前らなら、どの程度の実力かは想像がつくな?」
 智将の異名を持つ佐々木は新参チームといえども敵のデータ収集に余念がない。特にダークホースと自ら名づけたペアならば尚更だ。
「先の試合と、以前の東北大会のビデオで観察したところによると、神谷は冷静沈着で典型的な後衛タイプ。さらに安定したフォームと打球が持ち味で、特に驚いたのがあのロブかシュートかわからない打球……あれはなかなか曲者だな。だが弱点もある。見分けがつかないフォームは優秀だが如何せんまだ小学生上がりなためか打球に威力はない。角野、お前ならタイミングさえ合えば歩いてでもボレーが出来るレベルだ。それともう一点、試合が長期戦になるとスタミナ不足に陥る。それも極端なほどに足が動かなくなるようだ。もっとも、この試合では長期戦まで持ち込むつもりは毛頭ない」
 冷静にして的確な分析に黒田と角野はいちいち声を張り上げて「はい!」と連呼する。その真剣にコーチングを受ける二人に臆してか、周りで話をしていたチームメイトも黙り込んで佐々木の話に耳を傾けた。
「そして次に小堺についてだが、小学生上がりにしてはなかなか素晴らしい才能を持った前衛だ。計算が苦手なタイプだが感覚だけでポーチに出てくるのでこれもまた動きがさっぱり読めない。さらにどれだけ集中攻撃をしようとも決して怯むことなく隙あれば動きを見せてくる。相手にしてもしなくても、厄介なタイプだ。だがその分、動きに単調過ぎる場面が多々ある。感覚だけでボールを追い過ぎるせいか、簡単なフェイントにすぐ引っかかったり。一度成功したコースは何度も挑み繰り返してくる。まぁ、一言でいってしまえば馬鹿な選手だ。油断さえしなければ我々のような頭脳派集団の手の中で容易に躍らせることが出来るタイプだな」
 散々な言われようだが、大将ペアは大きく頷いて「はい!」と応える。どうやら彼らも先の試合を観察して佐々木と同じ感想を抱いたらしい。そして前述を踏まえて佐々木は二人に今回の試合について指令を下す。
「さて、そんな奴らを相手にだが、あの手のペアはどちらも精神面で崩れることはないので潰すような作戦には出ない。とにかくスピードとパワーで圧倒しろ。それだけで充分勝てる相手だ。そして、お前らに一つだけ注文をつけよう。村上達、筑摩達も1ポイントも与えずに勝利を納めた。お前らも奴らへ圧倒的な敗北を味わせてやれ。いいな?」
 つまり、この試合も1ポイントすら落とさずに完全試合で終わらせろ、と佐々木は言っているのだった。元東北チャンプを相手にして無茶な要求だったが、上官の命令には絶対服従。黒田と角野は一瞬だけ戸惑いながらも直ぐに「はい!」と応えた。その返事には第四中一番手としてのプライドも混じっていた。
「よし。では行って来い」
 一番手ペアの決意に満悦した佐々木は大将ペアを早々にコート内へ送り込む。そしてちらりと隣のコートに視線を送って、決勝戦の相手校はどちらかと探りを入れた。スコアボードを見る限りでは第1コートでは未だ次鋒戦を繰り広げている真っ最中だが、第六中優勢なようだ。どうやら決勝戦はあの小うるさい八幡が率いる第六中か、と心中罵りながら、佐々木は視線をコート内に戻す。既に勝敗が決したはずの試合よりも、次の相手校の観察の方が重要な気がしなくもないが、佐々木は敢えてこちらの試合に集中しようと思った。新生第七中はいずれ、必ずや自分達のチームを脅かす可能性を秘めたチームに成長するだろう。なので将来を見据えて、彼らを一挙動一プレーに注目しておいた方が良策だと智将・佐々木は判断をした。

 試合を終えて第七中のベンチに覚束ない足取りで戻ってきた丸藤は、チームメイトの姿を一瞬だけ見据えると、眼鏡を外す余裕もないまま泣き崩れてしまった。中学生ともなれば人前で涙を流すことに恥じらいを感じる年頃なはずだが、それでも丸藤は一目も憚らずに嗚咽を漏らした。チームメイト達もなんと声を掛ければいいのか分からず、黙って俯くばかりだった。
「丸男君、君は君なりに一生懸命頑張ったわ。だから、ね? 泣かないで……」
 顧問の安西がベンチから降りると、その場に膝をついて泣きじゃくる丸藤を慰めんと頭を撫でた。実際、安西も教師ながらこんな場面でどんな言葉を掛けていいのか躊躇っていた。学校で涙を流す生徒を目の当たりにすることは少なくない。感情の起伏に激しい多感な時期の子供達と一緒に接していれば、様々な涙と出くわすことがある。友人との諍い、親との確執、自己嫌悪による発憤。だが、今目の前で丸藤が流している涙は、初めてだった。
 相手のペアが自チームよりも数倍格上というのは、素人目から見ても容易に判断できた。安西でもそう感じたのだから、手合わせをした本人達はもっと顕著に感じ取っただろう。ましてや相手は三年生、言ってみれば勝てなくて当然なはずだ。この涙が悔し泣きだというのは分かる。だが、丸藤がここまでむせび泣く理由が今一つかめない。
「丸男君、君一人が悪いわけではない。僕だって結局何も出来なかったのだ。だからこれ以上、自分を責めるのはやめたまえ」
 後ろから心痛に顔を歪ませた宗方がペアを励ます。その一言で丸藤は更に声を強めて泣き出した。
「うぇっ、うぇっ。 ごめん、ねっ、ごめんねっ。 ……うぇっ」
 そして丸藤は涙で真っ赤に晴れ上がった目を神谷と小堺に向けた。
「うぇ……ごめんね……。本当、に……ごめんね……」
 懺悔する様に深く頭を下げて泣き伏す丸藤を見て、神谷と小堺はグッと胸が詰まった。彼らには丸藤の慟哭が理解出来た。丸藤は自分達にバトンを回せなかったことに深甚な後悔を感じているのだ。そして最後の打球、本人なりに精一杯の力を込めたシュートボールだったのに、見るも無残にネットに当たって落ちた虚しさ。同じテニスプレーヤーとしてその悔しさはハッキリと彼らの胸にも伝わった。
 神谷と小堺は互いに目を合わせると、壁に掛けてあったラケットを掴みコートに歩み出る。そして一度振り返ると、なおもしゃくり上げている丸藤の背中に声を掛けた。
「丸男、お前の屈辱は俺らが晴らす」
「だからあんまり泣くんじゃねーぞ。応援、頼んだぜ」
 振り向かずに小さく頷いた丸藤を見届け、二人はコートの中へ走り出した。丸藤は彼らにバトンを回せなかったと悔いたが、そんなことはない。中堅ペアからのバトンを、神谷と小堺はしっかりと受け取った。

「気に入らねぇな」
 先ほどから相手コートに射るような眼差しを向けていた角野がポツリと呟いたので、黒田は「何が、だ?」と尋ねる。
「あの二番手の後衛、たかだか一度負けたくらいでワンワン喚き泣きやがって。しかもギリギリで負けたわけじゃねぇんだぜ? 完敗したくせに」
「さぁ。それだけ悔しかったってことだろ」
「だからそれが気に入らねぇ、っつってんだよ。一年坊が三年相手に負けて泣くなんて初めて見たぜ。負けて当然だろうが」
 黒田は何も言わずに角野から離れると、肩慣らしのために素振りを始めた。
 正直なところ、黒田は角野に対してあまり良い印象を持っていない。二年生になってから角野とペアを組み始めたが、どこか自信過剰というか人を見下す態度というか、とにかくペアとして意志の疎通を通わせようと幾度となく試みたが、そこは黒田も感情を持った人間、やはり馬が合わなかった。
「おい黒田、佐々木があいつらに1ポイントも取らせず完全試合をしろって言ったけどよ。無理に決まってるだろうが。そんな上手くいくわけねぇって」
「角野、ちゃんと『先生』をつけろ」
 優等生然に反論した黒田を、角野は鼻白んだ様子で一瞥する。
「はっ、相変わらずお利口ちゃんが。あんな鬼コーチに『先生』なんてつけることねぇだろ」
 角野にしても何かと顧問の佐々木に肩入れする黒田を苦々しく感じていた。
 ソフトテニスは自分で好きなペアと組めるなんて事は滅多にない。後衛と前衛、お互いのランクに合わせて後衛の一番と前衛の一番、それに続いて二番、三番同士が組むことが何よりもチームの勝率に繋がってくるので、個人の相性などは二の次にされるケースが多い。なのでペア同士の仲違いは切っても切り離せない問題で、実力云々よりもこれが一番の悩みだという選手も少なくはないはずだ。
「とにかく、俺にしてみれば団体戦なんてどうでもいいんだけどよ。個人戦で行くとこまで行くまでは、あの鬼コーチに頭を下げているぜ。それが終わったらさっさと高校の推薦もらっておさらばよ。四中とも、お前ともな」
「だったらまずは目の前の相手に集中しろ。そうでないと足元を掬われるぞ」
 この一番手ペアはチーム内でも有名なくらいに仲が悪い。部長、副部長を兼任しているためか表立って喧嘩をすることはないが、それでも部員達が間に入るほど一触即発の場面が度々見受けられる。
「てめえに言われたくはないね。お前こそ足元を掬われるんじゃねぇぞ、下手糞なくせに。いいか? お前は俺のために黙って球を繋いでいればいいんだ。勝手やらかしてヘマするんじゃねぇぞ、分かったか?」
 角野の辛辣な言葉に対して、黒田は何も言い返さずに黙って素振りを続けた。
 黒田が言い返せないのにも理由がある。実際に角野の方が黒田よりも実力が上だということを本人達が重々承知しているからだ。後衛と前衛が直接対戦してどちらの実力が上かというのは判断できないが、他の上位選手を統合した後衛と前衛のランクで見れば、数段角野の方が上だった。県大会や東北大会に行っても、佐高第四中の一番手ペアで上手い方は前衛の角野というのがもっぱらの評判で、そういう評判を耳にして体感している角野にしてみれば、黒田はお荷物に感じるのである。だから彼は自分のペアに見下す態度を取ってしまうのだ。黒田にしても、自分が足を引っ張っているとは思わないが、如何せん実力主義なスポーツ競技では格上な相方に頭が上がらないのである。
 そんな忌々しい思いをグッと飲み込んで黒田は素振りを終えるとネット前に歩を進める。どうやら対戦相手の準備が整ったようだ。学年も実力も下の分際で自分達を待たせたことに腹立たしい気持ちがムクリと顔をもたげたが、黒田はそれも一緒に喉の奥へ飲み込んでポーカーフェイスに努めた。対戦相手の顔色一つで性格パターンを読まれてしまい、それが落とし穴になることがある。自ら師と仰ぐ智将・佐々木の言葉に従順と従ったまでだ。
「行くぞ、角野」
 未だ気だるそうに構えているペアを促すと、角野は小さく舌打ちをすると黒田の後を追った。
「うるせぇ、俺に命令すんじゃねぇよ」

 試合前に行われる一分程度の乱打を終えると、神谷と小堺は作戦の最終調整のためにお互い顔を突き合わせた。
「そっちはどうだ? 正樹」
「うん。間違いなく実力者だ。正直に言うと歯が立ちそうにない」
「おいおい、随分正直に言っちゃうね。こっちもやばい、歯が立たない」
 お互いの率直な感想を照らし合わせて、神谷と小堺は小さく溜め息を吐いた。彼らもソフトテニスを始めて数年、かなり上の大会も経験していて中学生や高校生も含めたオープンな試合にも出場したことがある。なので中学生の中でもトッププレーヤーといわれる選手達と手合わせをした経験もあるが、まさにその時と同じ感触をたった一分間の乱打で味わった。
「あの人達、間違いなく東北でも上位に入る実力を持っている。佐高市自体はそれだけ強豪ではないって言われていたけど、第四中だけは別格のようだ」
「東北どころか全中(全国中学総体)でもトップクラスなんじゃねぇの? かぁー! いきなり強敵に当たっちゃったな! 正樹!」
 堪らずに頭を掻き毟る小堺に、神谷は声を掛ける。
「そうだな。でも、だからと言って負ける気はない」
 淡々とそう言い放った神谷を見て、小堺はニンマリと笑みを浮かべる。そして後方から振り絞るような声を出して応援してくれるチームメイト達を振り返って言った。
「だな。ちょっとでもあいつらの気持ちに答えてやらなくっちゃ!」
 まだ涙が止まらないのか、時々しゃくり上げるような声を出しながらも丸藤は立ち上がって必死に声援を送ってくれている。他のメンバーも同様に、激励よりも哀願に似た表情で自分達にエールを送ってくれていた。もしもこの試合に勝っても第七中は決勝戦には行けないというのを知っていても、神谷と小堺が最大限の実力を発揮出来るように、懸命に。
「あぁ。それで朔太郎、俺達が勝つには正攻法に頼ってはいられない。まずは一本目から勝負を仕掛けていく」
 そう言って神谷の視線の先をたどると、前衛の角野がいた。小堺は言葉の意味を把握すると、しっかりと頷いた。
「ポジションもかなりきつめで攻めていきたいから、朔太郎には負担を掛けると思う。それでもいいか?」
「もちろんだぜ。正樹の頼みだったら、俺は何でも聞いちゃうよ?」
 あっさりと快諾した小堺に、神谷は首を傾げてみせる。
「そういうものなのか?」
「そういうものだ」
 満面の笑みを浮かべる小堺をジッと見つめて、神谷は頷くと手を差し出した。小堺はその手を強く握り返す。そして神谷は普段の呟くような声から一変、テニスプレーヤーとしての声を張り上げた。
「よしっ! 一本先攻!」
「よっしゃ! 先攻っ!」
 その合図を皮切りに二人は駆け足でポジションに着き、真正面の対戦相手を見据えた。第四中の黒田と角野も同様にしっかりと直視する。
 佐高第七中と佐高第四中、団体戦の大将戦が始まった。

 第一ゲームは第四中がサーブ先攻、なので神谷と小堺はレシーブからの攻撃となる。通常ならばレシーブ先攻が有利なはずなのだが、そんな考えは既に二人の頭の中から払拭していた。先の試合から想像するに、第四中はサーブの威力にも予断がない選手が多い。なので一番手ペアの黒田と角野にしてもそれは同様なはずなので、中学級のスピードにまだ慣れていない二人にとっては常に受身の姿勢になってしまうのだ。
 だが、だからと言って反撃の手段がないわけではない。神谷は黒田が放つ一球目のサーブに全てを賭けていた。そのファーストサーブが入ろうがフォルトになろうが関係ない。一本目の一本目で前衛の角野のサイドを抜こうと考えたのである。初対戦の相手ともなれば一ゲーム目は様子見に呈するのが定石であるが、相手はどう見ても格上。定石に従っていては待ち受けているのは敗北だけである。だから敢えて奇をてらった作戦でなんとしても1ポイント目を先取したかったのだ。加えて神谷は何を打ってくるか分からないフォームを武器にする後衛。この至近距離で打ち込まれては、いくら角野といえども反応出来ないはずである。
 神谷は角野から悟られないように顔は真正面の黒田に注目しつつも、意識は角野の左側にあるデッドゾーンに注いでいた。そして黒田の一球目のサーブが放たれる。中堅ペアのパワーサーブに引けを取らないスピードを兼ね備えたサーブが真っ直ぐ神谷がいるサービスエリアへと突進してくる。神谷はその威力に慄きながらも素早く足を捌きラケットを構えた。確かに予想の遥か上をいく速さだが、対処しきれないわけではない。加えてファーストサーブが入ってくれたのはもっけの幸い。威力のあるファーストサーブをレシーブでわざわざ前衛狙いでくる後衛など、普通はいない。その定石に逆らってこそ策は生きてくるのだ。神谷はレシーブのタイミングを合わせると同時に頭の中で角野のサイドを突く打球をイメージする。そして体はなおもサーブを放った黒田に向けたまま、前衛の左手より一メートル脇に打ち込んだ。
 完璧な当たりに神谷はボールがコート内に吸い込まれる様子を確信した。自分が幾度となく相手前衛の度肝を抜いてきた得意中の得意コースに、相手から1ポイント奪取した手ごたえを感じた矢先、素早く横にスライドした角野は神谷が放った打球を真正面で捕らえた。そしてその打球を鮮やかなボレーで打ち返したのである。
 心地良い打球音がコートに響き渡ったのも束の間、第四中サイドがドッと湧いた。一本目からの超展開に声援にも熱が篭る。そう、誰もが神谷の打球がサイドを抜けたと思ったはずだった。角野以外は。
「ナイスボール、角野。よく一本目から今のコースが抑えられたな」
 前衛の労をねぎらい、ハイタッチで歓迎する黒田に角野は気分良さそうに言った。
「あの後衛、お前とそっくりなタイプだからな。格上相手には必ず一本目に出し抜こうとしてくる。なんでこう、後衛って奴は馬鹿なのかね? 考えることが単純過ぎるんだよ」
 何故か自分まで否定されてしまったことにムッとしたが、それでも図星だったので何も言い返せなかった。そして加えて自分の癖が見抜かれてしまってることを省みる。
 そしてもう一人、自分の作戦が完全に見抜かれてしまっていたことにショックを受ける後衛がいた。
「ドンマイ正樹! 次で一本返せばいいんだよ!」
 いつもながらの無表情だが明らかに動揺している神谷を励まそうと、小堺は声を張り上げて励ました。そんなペアの言葉に神谷は直ぐにハッとして思考を切り替える。このペアの司令塔は自分、自分がしっかりと頭を動かさなくては小堺まで不安に感じてしまう。
「あ、あぁ。まさか一本目から止められるとは思わなかった。でもとりあえずこのゲームは攻めでいくぞ」
「了解っ! よっしゃ、一本挽回!」
 そう言って小堺と神谷はお互い手を打ち鳴らす。そうだ、まだ一本取られただけなのだ。

 次いで黒田のサーブを小堺がレシーブで返すが、そのあまりの威力に小堺はただラケットを当てて打ち返すのが精一杯で、ネット前に詰める余裕はなく後方に待機するしかなかった。もちろんそのチャンスを逃すはずのない黒田は執拗に小堺へシュートボールを打ち込む。レシーブの打球で小堺には神谷ほどのストローク力がないと判断したのだろう。数本打ち込まれた小堺はあえなく返球をネットしてしまった。
 そして続いては角野のサーブ。これは第七中のチャンスである。相手チームの前衛が始めから後ろにいる場面は前方がガラ空きになるのでレシーブ側は攻めやすい。神谷は一本前の黒田同様に相手前衛を執拗に攻めようと画策していたが、その角野がファーストサーブを放った瞬間、前方に走ってきたのである。これにはさすがの神谷も度肝を抜かれた。
 サーブを打った直後にネット前に詰めてくる前衛がいないわけではない。実際に神谷も小学校の時には、その手の前衛と対戦したことがあるし、自身のペアの小堺も一回戦で見せた戦法だ。だが、こういう手段を使ってくる前衛には二種類のタイプがいる。サーブが貧弱ゆえにレシーブの反撃をかわしたい前衛と、ボレーが得意なので先手で攻めていきたい前衛のどちらか。黒田にも劣らないサーブを繰り出す角野は、どう見ても後者だった。
 走りながら前方に攻めてくる角野を視界の端に捉えながら、神谷はどのコースに打ち込めば良いか判断がつかずに迷ってしまった。もとより角野の真正面に返そうと構えていたので動揺してしまったこともあり今更コース変更も利かなくなった神谷は、そのままバランスが崩れた体勢のままレシーブをし、あえなくネットしてしまった。意表を衝かれたからと言ってもレシーブから先を繋げられないまま一気に自ら二失点したことに、神谷は歯がゆい思いを募らせた。気付けばいつの間にかマッチポイントを取られてしまっている。ここから挽回しなければいけないのは痛いほど承知しているが、反撃の目処が全く立たない。追い詰められた点差と浮かばない得策がジワジワと焦りを呼び起こし、頭を抱えてしまった神谷に、ペアの小堺がそっと耳打ちをする。
「正樹、オレがなんとかする」
「なんとか、って……。どうするんだ?」
「レシーブをチョビして後衛を前に引きずり出すんだ」
 普段は自分が司令塔役を務めているので小堺から作戦を告げられることの少ない神谷は、ハッとして相方を見返した。小堺は少し緊張した面持ちで神谷に目配せをする。
 小堺は角野のサーブをチョビ(ネット際ギリギリに落とす緩く短い返球)で返して、後衛の黒田をネット前に引っ張り出そうと画策しているのだ。角野は例によってサーブを打った後にまた直ぐ前方に突進してくるだろう。そこで黒田を前に誘き出せば自然と二人とも前に詰めることになるので相手陣形が崩れる。これは中堅戦で丸藤が見せた作戦と似ているが、前衛もネット前に迫ってくるとすれば効果は大きい。神谷は小さく頷くと素早く自分のポジションに戻る。あまり長く小堺と顔を突き合わせていたら、相手に何か企んでいると怪しまれる。小堺も神谷の承諾を得たものと判断すると、直ぐにレシーブの位置について自分に渇を入れた。
「しゃあー! 一本挽回っ!」
 心は熱く、だが頭は冷静に。小堺は何度も頭の中でレシーブを小さく返す動作を頭の中でシミュレーションしながら角野のサーブを待ち構えた。

 果たして角野は豪腕から繰り出す力強いサーブを小堺に打ち込む。それと同時に前方に突進してきた。足を小刻みに動かしタイミングを計っていた小堺の体が俊敏に反応する。そしてラケットを小さく構えると擦るようにコートの真正面にレシーブを返す。力なくネットを越えたボールがワンバウンドをするより早く、黒田が駆け足で前に詰め寄るのに合わせて観客席が湧いた。第四中の一番手ペアが二人同時にコートの前面へ誘い出された。
 小堺の思惑ではレシーブにもっとカットを掛けて短く返して黒田に触らせることなくレシーブエースを取る予定だったが、それをするには角野のサーブが強烈過ぎた。小堺が球威を削いでレシーブしたボールは黒田の目の前のサービスラインあたりに落ちる。だが黒田は勢い余って前進したためほうほうの体でボールを返し、後ろに戻る余裕はなくその場に立ち止まった。虚を衝かれた角野も同様に、今更後ろに下がるわけにも完全にネット前にも詰めることが出来ず、コート内の中途半端な位置で神谷の返球に備えるしかなかった。下手に動けばいくら練達者な彼らでもバランスを崩して失態を犯してしまう。しっかりと二の足を地面につけてこそ、テニスはボールをラケットで打ち返すことが出来るのだ。
「ナイスボール!朔太郎!」
 前衛のファインプレーを讃えながら、神谷は冷静に頭脳を働かせながらボールにすがり寄る。そして角野の後方を突く大きなロブを返した。チャンスボールと思えば興奮してやたら滅多シュートボールを打ち込む後衛も少なくないが、神谷は違う。ここぞという時ほど端然と対処出来る後衛なのだ。
 神谷のロブを慌てて後方に追いすがりながら、山なりのスマッシュで返球した角野。その間に黒田もすかさず後ろに下がった。第七中サイドは口惜しそうに感嘆の声を上げた。後衛の黒田を前に引っ張り出せたと思ったのに結局後ろに下がるチャンスを与えてしまった、と。
 だが、神谷と小堺の狙いは別にあった。神谷は返ってきたボールを相手コートのミドル(真ん中)に狙いを定めて渾身のシュートボールを打ち込んだ。一年坊主と油断していたわけではないが、12歳とは思えない球威に角野は慌てて対処する。シュートで返す予定を変更してネット前に詰めるため、緩いロブで返した。ミドルで打ち込めばフォアハンド側にいる角野が必ず返球する。しかも前衛の本能でロブを。これこそが彼らの目論見だった。
「きた! 朔太郎!」
「おうよっ!」
 角野のフォームでロブと判断するや否や、小堺はすかさず足を後方に捌く。その瞬間、前に詰めようとした角野は足を止めて痛恨に表情を歪めた。そして相手サイドの魂胆を掴む。そう、小堺と神谷は最初からスマッシュを狙っていたのだ。
「喰らえっ!」
 やや深めのロブだったため下がり足だけでは追いつかず、小堺は後方にジャンプしてスマッシュを繰り出した。相手コートへは相当な距離があったが威力は充分にある。弾丸と化した球は第四中コートに突き刺さった。第七中サイドのメンバーは興奮して歓声を上げる。完璧に決まった! と思ったスマッシュだったが、半ば勘で反応した黒田がラケットの先に当てた。
「舐めるな! ガキ共!」
 まさか返球してくるとは思いも寄らなかったが、そこは小堺も素人ではない。もう一度ラケットを肩に担ぐと素早く足を捌いた。
「もう一丁っ!」
 やや短めのロブでボールが返ってきたため、小堺は前につんのめりながらもそのままの勢いを乗せてスマッシュを繰り出した。快音を上げてラケットから弾けたボールはしたたかにコートを跳ね上がり、夢中に手を伸ばした黒田と角野の間をすり抜ける。その瞬間、両陣営の観客席がドッと湧きあがった。
「すげえぞ! 小堺!」
「さくちゃん、すごいっ! ナイススマッシュ!」
 第七中のメンバーは皆一同に歓声を上げ、互いの手を取り合い喜びを露わにする。強豪、第四中から団体戦にして初めてのポイントを奪取したのだ。完全試合という辛酸を舐めさせられた先鋒、中堅ペアは鬱憤を晴らすように声の限りにコート内の二人へエールを送る。
「ナイスボール! 朔太郎!」
「よっしゃー! もう一本いこうぜ!」
 ハイタッチを交わして感情を高ぶらせる神谷と小堺を、第四中サイドは苦々しい表情で見つめていた。智将・佐々木と交わした約定を1ゲーム目にして違えてしまったのである。
忠義に厚い黒田は恐る恐る後方で見守っている佐々木の表情を伺った。だが、コーチは相変わらず口の前で手を組んだ姿勢を崩さず静かに佇んでいる。その様子が在る意味不気味に感じて、黒田はすぐに気持ちを入れ替えた。
「ドンマイ。まだこっちのマッチポイントには変わりない。ここで一本締めよう」
 そうペアに声を掛けたが、角野は若干イライラしながら「てめぇに言われたくねぇよ」とにべもなく答えただけだった。実力は折り紙付きだが性格にムラがあるのが角野の悪い癖だ。黒田はあまり角野を刺激しないように、無言のまま傍から離れ自分のポジションに戻る。次は自分がサーブの番だ。

 ボールカウントは3-1。依然第四中サイドが有利のままサーブは一巡し、再び黒田サーブで試合は展開する。先ほどのスマッシュで流れは神谷と小堺の方に傾きつつある。ここは慎重にボールを繋いで早々にゲームを先取するのが懸命だ。なので黒田は確実にファーストサーブを入れるよう、少しコントロール重視のサーブを放った。だがそれこそが神谷の狙い。横目で真正面にいる前衛の角野がモーションをする気配がないと悟るや否や、再びレシーブで角野の空いている左サイドを抜いた。
 先ほどより明らかに威力がないサーブだったので、しっかりと足を運んで正確に打ち抜いたシュートボールを、角野は微動だにも反応出来ずに辛苦に顔を歪めたまま見送る。連続二ポイント獲得に第七中サイドの応援は更にヒートアップした。第四中も負けじと数と声量で流れを取り戻そうとするが、神谷と小堺のファインプレーを前に声援も勢いを欠いた。
ボールカウントは3-2。あと1ポイントを取ればデュースに持ちこめる。ここが正念場と小堺は自分の肢体にグッと力を込める。黒田のサーブの威力と速さは体感済みなのでとにかく返すことに専念しなければならない。レシーブさえ通れば後は神谷が後方で繋いでくれる。そんな信頼を念頭に置いて、小堺は黒田が放つサーブを待ち構えた。
 だがなんと幸運なことに黒田は一本目のサーブをネットする。ここにきてチャンス到来とばかりにベンチからの声援も勢いを増す。サーバーはここで外すわけにもいかず、緩めのセカンドサーブを打つしかないので、小堺は体を大きく伸ばした。相手サーブに気兼ねなく思いっきりレシーブを相手コートに叩き込める。後方から聞こえてくる応援に気持ちが高ぶってくる。果たして小堺は黒田が短く放ったセカンドサーブにタイミングを合わせてラケットを振り抜いた。
 手ごたえはバッチリ! と思ったその刹那、小堺の視界の左端から黒い物体が俊敏に走り抜ける。そして脳が事態を把握するよりも先に、心地良い打球音が耳を衝いたのと同時に自分の足元を白球がすり抜けていった。
 やられた! と思ったのも束の間、第四中サイドの観客席はここぞとばかりに怒涛の勝ちどきを上げた。小堺のレシーブにタイミングを合わせて、前衛の角野がそれをボレーで阻んだのである。絶好のチャンスが不意に断たれてしまったことに唖然とする小堺を一瞥すると、角野は自チームのベンチに悠々と戻っていった。自分の失点は自分で取り返す、そう言わんばかりのプレーに、一年生ペアの二人はただただ圧倒されるばかりだった。

 1ゲーム先取という勝ち点を納めて佐々木の前に立った一番手の二人は、「お願いします!」と講評と作戦を賜るべく頭を下げた。
「黒田、相手後衛の球威を侮るな。あの後衛はまだまだ球が伸びてくるはずだ。それともっとボールを繋げ。そうすればあの前衛が必ず3本目にポーチへ飛び出してくるはずだ。そこを突け。そして角野、最後の飛び出しは何だ? あれほど危うい場面で不要なモーションはするなと言っただろうが。思考パターンが筒抜け過ぎる。指示に従え」
「……はいっ!」
「それとサーブ&ダッシュは止めるな。そのまま続行しろ。もしもまたあの前衛がチョビを使ってきたら、黒田じゃなくお前が前で取れ。わかったか?」
「はいっ!」
 第四中では選手自らがゲーム展開を企てることは絶対にない。全ては智将・佐々木の作戦のもと、試合は遂行される。それに異を唱える選手を待つ運命はただ一つ、戦力外通告である。なので自尊心の強い角野すらも慇懃と佐々木に頭を垂れているのだ。全ては盤石たる勝利のために。
 だが、一方の対戦相手である第七中は全く真逆なチームだった。
「とにかく前衛も後衛もストローク力が半端じゃない。ゲーム展開が長引けば長引くほどこちらが不利だ。一本一本、全て攻撃主体で攻めていく。」
「おう! 短期決戦ってことだな!」
「そうだ。加えてあっちの方が経験も実力も上だ。応用力の幅も桁外れだと認識しておこう」
「まだ手の内を全部見せてないだろうな! 手は抜いてないけどきっとまだ本気じゃねえぜ!」
 ベンチに戻ってくるなり、神谷と小堺は矢継ぎ早に現状の把握と作戦の確認を口々に言い合った。試合の真っ最中なので常にテンションの高い小堺は興奮していて当然だが、普段無口な神谷も見たこともないほどに饒舌。完璧に二人の世界に入ってしまって、チームメイトは声を掛けることすら憚られてしまい、一歩引いたところで見守っていた。
「凄い集中力ね、二人とも。私達なんて見向きもしないわよ」
「はい。ジュニアの頃に二人と対戦したことがありますけど、ここまでやる気があるところって見たことないですよ。どちらかというと神谷君は試合中だと逆に大人しくなるタイプでしたし、小堺君はいつもニコニコ笑っていました」
 丸藤の話を聞いて安西はベンチから立ち上がり、選手達と同じように遠巻きで二人を眺めた。
「この二人、相性が良いのかしらね?」
「うーん、まだ組んだばかりですからなんとも言えませんが……案外良いのかも知れません」
「テニスってペア同士の相性が良いに限るんでしょ? 私にはこの二人、お似合いに見えるわ」
「それは僕も思います。こんなに活き活きしている神谷君と小堺君を見るのは初めてですから。もっとペアとしての経験を重ねていけば、凄いチームになるかも……」
 そんな会話を繰り広げている間も、神谷と小堺は作戦に余念がなく口が止まらない。第七中は顧問も初心者、専属のコーチがいないため選手一人一人が自らゲーム展開を組み立てるのが常になっている。なのでどう転ぶか分からない緊迫した試合の真っ只中、誰に頼ることなく自分達を信じて決断、行動を重ねていくしかない。練習メニューから試合の沙汰まで全て佐々木に徹底されて管理されている第四中の選手を温室育ちの野菜に例えるならば、第七中の選手はまさに山野で栽培された野草だった。
「だから朔太郎、行けると思ったボールは全て喰らいついてくれ。俺はお前を信じる」
「おうよっ! その分フォローは任せた! 俺も正樹を信じるぜ!」
「任された」
 その差が勝敗にどう左右するかは誰にも分からない。ただ、コート上に君臨する勝利の女神が手に持つ天秤に全てを委ねるだけだった。

 第二ゲームが始まる。続いては第七中サイドがサーブ権で進むので、まだまだ身体的に非力な神谷達にとってはどうしても受身のゲーム展開になってしまう。だが、一本目の黒田のレシーブを小堺が捨て身のボレーで先取した。
 これには敵味方関係なく観客席で見守った全員が意表を衝かれたが、コート内の黒田と角野は至って冷淡に眺めていた。第一ゲームで二ポイントを取られて完全試合は無くなったが、それに対して佐々木から何もお咎めがなかったので気が少しは楽になったのだろう。
 二本目のサーブを角野はロブで小堺の頭を越す。それに追いついた神谷はそのまま黒田と逆クロス展開で打ち合いとなったが、ストローク力の差の前に神谷が先に折れてしまった。黒田の強打に耐え切れずに敢え無くアウト。
 続く小堺のサーブは二本ともファーストサーブがどちらも後ろに構えている小堺を集中攻撃されてアウト。ボールカウントは一気に1-3と、またもやマッチポイントを迎えた。そしてサーブは一巡して神谷のファーストサーブが決まると判断した小堺は、二度連続で黒田のレシーブを阻もうとポーチに飛び出したが、策を完全に読まれていてサイドを抜かれて撃沈。このゲームも落として、第四中は早くもゲームポイントを2まで進めた。
 第三ゲームは一ゲーム目と同じく神谷達がレシーブ先攻。相手のミスにより一本目、二本目と連続で先取し一気に流れを引き寄せる。だが角野のサーブ&ダッシュにまたも惑わされた神谷が辛くもミス。小堺も再びチョビで返そうと策を講じるが、そう何度も何度も上手くいくわけがなく結局ネットをしてしまった。一巡してボールカウントは2-2、ゲームは振り出しに戻った。
 ここでなんとか一本奪取しなければマッチポイント、そしてデュースに持ち込むにしてもそこから先は更に厳しい展開が待っている。当初の作戦どおり、長期戦になるのはなんとしてでも避けたいと思った神谷は、自分でも気付かないほどに心中焦っていた。そう、その焦りが対戦相手に見抜かれていることすら気付かないほどに。
 黒田がサーブを放つ瞬間、角野はわざとミドルよりにポジションを取っていた。そのため神谷には角野の左サイドが異様にがら空きだということに活路を見出してしまった。誘いのポジションだということに気付く余裕もなく。確実にサイドを打ち抜くことだけ念頭を置いた神谷には、目の前に張られた蜘蛛の網を認知する術もなかった。そしてそれに気がついた頃には、角野にブロックされたシュートボールが自分の背後に弾き返されていた。
 冷静さが欠落していたのは神谷だけではない。マッチポイントを取られ、自分がレシーブをする番に廻った小堺も同様だった。神谷から「いけると思った時にはいつでもいって良い」という免罪符を貰っていた小堺は、この危機的状況を挽回出来るのは自分だけだと気持ちがはやっていた。レシーブで角野を狙ってもそれは神谷の二の舞になる。ならば一度黒田に繋げて即効勝負に賭けるしかない。小堺は大きく口の中に溜まった唾を嚥下すると、大きく気合を発した。
 黒田のファーストサーブが幸運にも外れ、打ちやすいセカンドサーブを待つ。そしてそれを狙い通り、黒田のいる方向へ、更にややミドルよりに鋭いレシーブを返した。この展開でミドルよりに返すと、後衛はストレートにいる相手後衛へ引っ張ってフォアハンドを打ちこみたくなる。つまり神谷がいるストレート展開へシュートを打ち込む確率が高くなるのだ。小堺はここぞとばかりにポジションを右に移動させる。少しでもボレーをしやすいように距離を詰めるためだ。だがそこで、相手前衛の角野もすかさず右側に移動する。
 勿論角野は角野で自分のポジションを取るためだが、ちょうどその時に角野は、黒田を注目していた小堺の視界を塞いだ。自分を盾に黒田の打つ瞬間のフォームを隠してしまったのである。相手後衛がどういったフォームで打つかを見極めるのは前衛として重要な要素なので、それを遮られてしまった小堺は下手に動くことが出来ない。一本目でボレーを狙っていた小堺は仕方なく飛び出しは諦め、瞬時に次の策を練り直そうとしていたその時、自分の目の前に立っている角野が腰を折って屈んだ。そして視野が広がったと思った瞬間、打球音と共にボールは自分の左サイドを易々と抜けていったのである。
 茫然と立ち尽くす目の前にはフォアハンドを打った直後の構えを保ったまま自分を直視する黒田がいた。その冷徹に見つめる黒田に目を奪われながら、小堺は一つの言葉を思い出した。
「……影モーションだったのかよ」

「影モーション?」
 小首を傾げる吉川に、丸藤は眼鏡をたくし上げながら「そうさ」と答えた。
「今、あの人達がやったポジションというかテクニックは『影モーション』と言われるものなんだ。後衛がミドル寄りになった時に前衛がわざと相手前衛の視界を塞ぐポジションに取って、後衛に打ち込ませる。なかなか高等なテクニックだよ」
 丸藤以外、安西も含めて素人ばかりなのでなかなか説明してもすんなり飲み込めないようで、全員腕を組んでうんうん唸っていた。実際に丸藤も知っているというレベルで見たこともなければ自分がやれと言われても出来る代物ではない。それほど高度な技術なのである。
「でもよ、丸男。なんであの前衛は自分の後衛が後ろのどの位置にいるって分かるんだよ。後ろを振り向いた素振りもなかったじゃねぇか」
 態度は悪いがテニスに対する取り組みは熱心な高田は丸藤に講義を乞う。吉川も宗方も興味津々なようで詰め寄ってきた。
「ちなみに丸藤だけど、それは経験というか勘というか、自分の真上を通過したボールの軌道を追うだけで大体どの位置に着地するか、練達な前衛なら分かるらしいよ。逆に言えばいちいち後ろを振り返るような前衛は素人って事さ」
 心当たりがある宗方と吉川は目を泳がせるとわざと咳払いをする。まだ素人の域を脱しきれていない彼らは試合中に後ろが気になって何度も振り返ってしまう。
「それに後衛にしたってコート全体を見ていなきゃ影モーションは出来ないよ。前衛と後衛のコンビネーションと鋭い洞察力がないと成立しないのが影モーションさ。だから高田君も、やたら滅多シュートばかり打ってないで、少しは全体を見渡すようにした方がいいよ」
 最後の余計な一言に短気な高田がすかさず反応する。
「なんだと丸男? てめぇ、喧嘩売ってんのか、あん?」
「なっ! そんなことないって!」
 丸藤の胸倉を掴もうとする高田の間に割って入った安西は二人を制す。
「丸男君も高田君も仲良くしなさい。めっ」
 歯をむき出しにする高田と怯える丸藤を宥める安西をよそに、宗方はとぼとぼとこちらに歩いてくる神谷と小堺を見つめて呟いた。
「つまるところ、これで彼らもゼロのままゲームカウントもマッチポイントを取られたわけだ」
 その一言に全員の表情が曇る。団体戦では既に負けが決してしまっているが、それでも神谷と小堺にだけは善戦を繰り広げて欲しかった。それだけ彼らにしてみれば一番手の二人は頼りがいのある存在であり、チームの要でもあった。だがそんな二人が結局1ゲームも取り返せないまま既にマッチゲームというのが、彼らにとっても本人以上に無念でならなかった。

 コートチェンジで自陣営に戻ってきた神谷と小堺だったが、第1ゲーム終了後と同じようにあれやこれやと休む間もなく策を講じていた。だがその会話がどことなく精気に欠け、まとまらないまま終わったようだった。本人達にしても既に打開策が見出せないのだろう。それでも諦めきれずに模索し続けるため、会話を止めることが出来なかったのだ。チームメイト達にしても誰より実力者の二人に対して意見が出来る者などいるはずもなく、歯がゆい気持ちのままコートに送り出すだけだった。せめて彼らに出来る事と言えば、最後まで声援を止めないことくらいだった。
 そして第四ゲームが始まる。神谷サーブから始まったゲームの一本目、素直にレシーブを神谷側に返してクロス展開に挑もうとした黒田だったが、どうしても短期決戦にこだわる神谷は角野のサイドを抜こうとシュートを打ち込むが、読みはあっさり破られてしっかりとブロックされてしまった。次いで二本目のサーブも角野の鋭いレシーブをまともに受けた神谷は体勢を崩してアウトしてしまう。
「あーっ! ちっきしょう! なんかこう、悔しいぜ! おい、丸男! なんであいつらは勝てねぇんだよ?」
 髪を掻き毟りながら苛立ちを隠せない高田が大きな声で喚く。表には出さないが、みんな同じ気持ちだったので口を閉ざしてしまった。
「だって神谷達はあいつらから毎ゲーム一点か二点は取ってるんだ! なんで1ゲームくらい取れねえんだよ!」
「だってそれは、仕方ないじゃないか」
「仕方なくねぇよ! 3ゲームで合計すれば五ポイントは取ってるんだぜ!」
 単純すぎる計算だが高田の言うことも一理ある。だがその疑問には丸藤の替わりに宗方が答えた。
「僕が推測するにだね、彼らはゲームポイントを得点する能力に乏しいのではないかと」
「あ? ゲームポイント?」
「うむ。確かに彼らの一本一本を観察すれば相手のミスだけではなく、自ら得点している場面が多々見受けられる。だがボールポイントを得ることは出来ても肝心のゲームポイントを得ることは叶わない。すなわち彼らはボールポイントを積み重ねる試合運びが出来るまで達していないのだよ。見たまえ」
 コート内では小堺のサーブを黒田がレシーブでそのまま小堺に返した。第2ゲーム同様に後ろに貼り付けになった小堺は、黒田の猛攻撃になす術もなくネットする。
「これでボールカウント0-3だ。本来ならばここは絶対に落としてはいけない場面なのだが、不幸にも小堺君がサーブという最も攻められない展開になる。それも二本連続だ。本気でゲームを取りたいならこの二ポイントは捨てて肉を切らせて骨を断つ作戦、神谷君がサーブの時になんとしても2ポイントを取るような策を講じればサーブが一巡した時点でボールカウントは2-2。二巡目の神谷君サーブでまた二ポイントを奪取出来れば4-2でゲームポイントを得ることが出来る」
 宗方の解説に一同聞き入って無言で感嘆する。
「もちろん一本一本を集中すればいいだけかもしれないが、相手が相手だ。そう簡単に取られるわけがない。つまり彼らは攻撃のメリハリが曖昧なのだよ。どうだい? 丸男君」
 推測に対する感想を求められた丸藤は、宗方の観察眼に驚きながらも眼鏡をたくし上げながら「ぼ、僕もそう思う」と返した。特に自身の武器がロブのみという丸藤は、そういうゲームポイントを獲得することに執着心が強いプレーヤーなので宗方の言わんとすることが痛いほどに理解出来る。ただ闇雲に、力任せのプレーでは勝てない場面がソフトテニスには多々ある。
 そして宗方の解説どおりに小堺のサーブ二本目、マッチポイントにしてどうしても食い止めたい場面に小堺はファーストサーブを外してしまう。そしてセカンドサーブを角野は右サイドのギリギリにレシーブで返すという鋭い攻撃で切り返す。
 バックハンドでどうにか取った小堺だったが次に目にしたのはラケットを肩に担ぎスマッシュの体制に入りながら後ずさりする角野の姿。急いで迎撃体制を取った神谷と小堺だったが、角野のスマッシュは猛スピードで空気を切り裂き、二人の間を瞬きする間もなくすり抜けていった。その瞬間、第四中サイドから安堵の溜め息を交えた声援が洩れる。そしてやっつけのような拍手がコートを包み込んだ。
 神谷、小堺ペア。結局1ゲームも得点できないまま、黒田、角野ペアに敗北を喫せられた。

更新日 3月26日

 ゲームセットのコールを告げ、審判台から主審が下りてくるのを合図に、ネットを挟んだ両選手も中央に整列する。そして審判がゲームカウントを言い、勝者ペアに記入したスコア表を手渡すと、選手達は最後の礼を交わした。
「おいっ」
 神谷と小堺は頭を上げると同時に、ネットを挟んだ角野に声を掛けられた。
「お前らは、泣かねぇのかよ?」
 少し見下したような口調でそう言った角野に、神谷と小堺は眼を大きく見開いた。
「角野、変なことを言うな」
 隣の黒田が咎めるが、角野は聞く耳を持たずジッと敗者を睨んでいる。
 神谷にしても小堺にしても、試合終了後にこんなことを言われるのは初めての経験だった。それは試合が終われば知人ならば二、三言交わすし、初対面の選手でも挨拶程度の会話をする場合もある。だが、角野が言うそれは明らかに自分達に対する悪罵だった。
 試合が終わった直後、それも自分を負かした相手に言う言葉か、それが上級生の下級生に対する礼儀か、と神谷は腹を立てたが、同時に今更になって貪欲なまでの勝利に対する欲望が胸の中で音を立てて膨らんだ。
「……、です」
「あん?」
「……まだ、です」
 角野は言葉の真意をゆっくりと飲み下すと、次に隣の小堺を睨み付けた。他校の上級生に睨まれてあまりいい気はしないが、小堺は弱弱しく微笑みながらもハッキリとした声で答える。
「……同じく!」
 そして神谷と小堺は怯まずにしっかりと角野を見据えた。自分よりも頭一つ分は小さい一年生ペアとしばらく睨み合うと、角野は小さく舌打ちを残して自チーム陣営に戻っていった。その後を黒田も追ったが、一度だけ振り返ると、何も言わずにまた歩き出した。

 全体で礼を済ませると二人はすぐに自分達の陣地、競技場の隅っこへ戻り大会のパンフレットを開いた。他の部員、顧問の安西も何事かと後を追う。
「そもそも作戦自体が曖昧で短絡的だった。あんな試合展開じゃ勝てるものも勝てるわけない。何をやっていたんだ、俺達は」
「おうっ! まったくだ! 試合が終わってから気付くなんて間抜けだな!」
 突然、息巻いてまたあれこれと打ち合わせを始めた二人を、一同は不思議な眼差しで眺めた。
「あれだとチームプレーも何もあったものじゃない。ただ朔太郎に責任逃れをしていただけだ。我ながら恥ずかしい」
「俺もだぜ! 何も考えないで正樹に全部押し付けていただけだもんな! あんなのじゃ勝てなくて当然だぜ!」
「お、おい君達。一体何の話をしてるんだね?」
 あまりにも不審に思って尋ねた宗方の声も、今の二人には届かない。神谷はパンフレットで明日の個人戦のトーナメントを開くと、指で辿った。
「準々決勝だ。ベスト8まで進めばまたあの人達に当たる」
「それまでは絶対に負けられねぇな!」
 丸藤は神谷が指で指し示す先を見て再び息を呑んだ。そこには第一シードの佐高第四中、黒田・角野ペアの名前が記されていた。他のメンバーもそれに気付き驚愕を露わにした。この二人は明日の個人戦で再び第四中の一番手ペアと対戦する気でいるらしい。それも、勝つつもりでいるのだから驚きだ。
 さっきの試合で自分達のどこが駄目だったのか? 何が間違いだったのか? どうすべきだったのか? 講じるべき打開策は? それに対する答えが次々と頭の中から溢れ出してくる。神谷と小堺は今、ハッキリと目標とすべき相手がいることに胸が躍っていた。そして目の前にいる相方だからこそ対抗出来るかもしれないという可能性に、感謝せざるを得なかった。
「明日は勝つぞ」
「もちろんっ!」
 何故だか分からないが、そんな二人の姿を見ていた他のメンバーの徐々にやる気を触発されてきた。1ゲームも得られずに負けてしまった相手に再度挑戦しようとする意気込みが、全員の負けず嫌いに火を着ける。
「おいおい、俺らを負かしてくれたあいつらはどこのトーナメントにいるんだ、あん?」
「たっちゃん、あの人達の名前ってなんだっけ?」
「丸男君、ベスト何位まで入れば県大会に出場出来るのかね? 地区大会で敗北しただなんて、恥ずかしくて市議会議員であるお爺ちゃんに顔向け出来ないよ」
「丸藤です。確かベストテンじゃなかったっけ?」
 一つのパンフレットを囲み、六人のメンバーは奪い合うように熱心に見入った。団体戦で敗北したのが決まった時にはもう立ち直れないのではないかと思うほど落ち込んでいたのに、今では嘘のようにキラキラと瞳を輝かせている選手達を見つめ、安西は安堵感に胸が包まれた。生徒達の可能性というものは環境次第で瞬く間に飛躍する。明日はその可能性が幾つ花開くのだろうかと考えると、安西も自然と生徒以上に瞳がキラキラと輝き出すのだ。




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06:40  |  なんしきっ!  |  CM(6)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

●No title

 
とんでもないっすね佐々木のじいさん・・・!(ちびま○子ネタ)
自分の担任がテニス部顧問だったのですが、
何だかんだではっちゃけてて熱血野郎だったので佐々木のryには驚きです
いやー淡々としてますね!

さてさて小堺くんと神谷くんがボロボロにぶちのめされるのか、
はたまた実はすげー奴だったんだZE☆パターンに行くのか・・・
お次の更新が楽しみです♪

やっぱり中1の男の子だもの、メンタルまだまだ弱いのね・・・デブルジョワ
楚良 紗英 | 2010年03月12日(金) 23:25 | URL | コメント編集

●No title

>>楚良 紗英さん
テニス部の顧問は無駄に熱血が多い気がしてなりません。
試合中くらい淡々と出来ないものかという、私の願望で智将が誕生しました。
デブルジョワ、やっぱりまだ中1ですものね。
要人(かなめびと) | 2010年03月13日(土) 08:36 | URL | コメント編集

●No title

 
読んでるコッチもドキドキしちゃいます!
水泳しかしてなかったので中々相手プレイヤーさんと顔を見合わせませんで、
終わってから「この人だったんかー」と息切れで見る程度でした
先に見ちゃったら気苦労背負っちゃいそうですわ(´・ω・`)

テニス部の先生熱血ですよねー
日焼けしてるイメージしかありません
うちの担任のテニス部顧問はイラン人に間違えられたことが有るような人でしたわ(笑)
  
楚良 紗英 | 2010年03月16日(火) 20:21 | URL | コメント編集

●No title

>>楚良 紗英 さん
テニスは敵との間にネットがあるからまだマシです。
なかったら確実にラケットで殴り合い・・・。
要人(かなめびと) | 2010年03月18日(木) 06:26 | URL | コメント編集

●No title


角野・黒田ペアのエピソードが追加された・・・のかな?
同級生に角野っぽい人居ましたわ(´・ω・`)

やる気になってる男の子って好きですー
無駄に格好いいんですよね
個人戦に期待!
 
楚良 紗英 | 2010年03月28日(日) 23:14 | URL | コメント編集

●No title

>>楚良 紗英さん
個人戦は全員、さらに格好良くなりますよ!
テニスプレーヤーには必ず角野っぽいのが一人以上はいます。
これってどのスポーツでもいるのかな?
要人(かなめびと) | 2010年03月30日(火) 09:08 | URL | コメント編集

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