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2010'01.09 (Sat)

なんしきっ! 小堺と不良少年

 安西美和は今年26歳になる教師歴4年目のまだまだ新米先生である。
 学生の頃から成績は優秀で、地元でも有名な進学校の高校を卒業後、早稲田大学教育学部に入学する。そして両親の希望もあり、大学修学後は地元の中学教師になった。
 初めて赴任したのが、ここ佐高市立佐高第七中学校。自宅から車で15分しかかからず通勤にも差し支えない、本人にしては非常に快適な職場であった。赴任一年目は三学年の副担に就き、次の年から二年の担任を持ち次年度もそのクラスを任され、卒業生を見送った。
 そして今年、第七中に来てから四度目の桜の季節を迎え、一年一組の担任になる。
 安西はその類まれなる美貌とおっとりした性格で、学校のマドンナ的存在として生徒だけでなく、同僚教師からも崇められている。彼女のアイドル並の容姿と優しく丁寧な指導で、第七中の男子生徒は必ず一度は安西に恋をするという。卒業生の話を聞いても、初恋の相手が安西先生だったと口を揃える生徒も少なくは無い。未だに安西を一目見ようと、意味も無く第七中に侵入する卒業生が後を絶たない。
 出会いがあまりない独身の同僚教師も、当然ながら安西とお近づきになりたいらしく、職員室では何かと彼女に世話を焼こうと皆、牽制し合っている。そんな餌をねだる野良犬のように、周りをウロチョロと徘徊する同僚教師を邪険に扱うわけではなく、微笑みで返す安西に、またもや同僚教師達はだらしなく鼻の下を伸ばすのであった。


「おーい正樹! 早く着替えて体育館に行こうぜ!」
 すでに体育着に着替え終わった小堺が、急かすように神谷の机にしがみ付いてピョンピョン跳ねている。そのせいで机が動き、ノートに書いていた字が歪んでしまったが、神谷はそんな友人を疎ましく思うわけでもなく、いつもの静かな口調で返した。
「うん……もうちょっとしたら行くよ。待っててくれ」
 すると小堺はまた机に掴まり大きく二、三度ジャンプを繰り返した。クラスメート達はそんな小堺の仕草を、小さな子供を眺めるような視線で見つめた。
 始業式から一ヶ月が経ち、すっかり中学生活にも詰襟がきつい学生服にも慣れてきた一年生達は、どこと無く大人びてきた自分が誇らしく、わざと澄ました態度を取る子も多い。心の発育が早い女子はもちろんだが、大半の男子生徒も子供っぽい行動を慎むようになるので、未だに小学生気分が抜けていない小堺を内心鼻で笑っていた。
 だが、そんな周りの態度に気付かず、気付こうともしない小堺は屈託の無い笑顔で神谷に話し掛ける。
「次の体育、またマラソンだって。もう俺やんなっちゃってきたよ。体育でもテニスが出来ればいいのにな!」
 顔を上げないまま、神谷がクスッと微笑む。
「放課後に部活で出来るじゃないか」
「そうだけどよ、小学校の時はクラブで週三日だけだったじゃん。それが今は毎日テニスが出来るんだぜ?
 中学校ってすごいよな!」
 入学してから一ヶ月、まだ正式な部活動としての申請は下りてないものの、学校側からの厚意でテニスコートは新設ソフトテニス部の彼らに明け渡している。もっとも元から住人がいなかったテニスコートだったので、活動場所が空き地にならずに教師達もありがたく感じているらしい。なので彼らは毎日、放課後は練習に励んでいる。休日も午前中から集まり、日が暮れるまでテニスコートにいる日が殆どだ。まさに入学してからこっち、テニス尽くめの学生生活である。
「それなのに体育でもテニスがしたいのか? 本当に、朔太郎はテニスが好きだな」
 半ば呆れながらそう言う神谷に対し、小堺はニンマリと笑い返した。
「そんなこと言うけどさ、正樹だって相当なテニス馬鹿だよな」
 彼がさっきから熱心にノートへ書き込んでいるソレを指差し、小堺が言った。
 そこには簡略に描かれたテニスコートが幾つもあり、その一つ一つに異なったボールの軌道と選手を表す丸印が四つある。これはゲーム展開を図面で画策し、戦略を鍛えるトレーニングだ。
「小学校の時と違って、中学に入ればただ速い球を打てれば勝てるわけでもなくなるからな。ゲーム展開をきちんと自分で組み立てて試合を把握していかないと……」
 ソフトテニスでは技術も勿論だが、チームプレーやゲームメイクの上手さが勝敗を左右する。なので将棋のように次の手、次の手と戦略を無数に企てていかないと、勝つべくして勝てない。
「ふ~ん、正樹は真面目だからな。うちのペアは全部正樹が主導権を握っているから、ゲーム展開や作戦は任せた。俺はそういうの苦手だから」
「お前も少しは一緒に考えてくれよ」
 苦言を呈したが、神谷は言うほど本気で小堺にそうして欲しいわけではない。小堺は神谷の作戦に従わないことはないし、全面的に信頼してくれている。それにいくら言葉で教えようとしても一向に覚えようとしないが、いざコートの上に立つと信じられないほどに俊敏で正確な動きを見せてくれる。小堺の本能的なプレーと前衛としてのセンスの良さには、神谷はいつも驚かされる。

「それにしても部員が集まったのはいいけど、あと二人はどうしても欲しいな」
 急に話をコロッと変えた小堺に、一拍遅れて神谷が頷く。
「あぁ、そうだな。あと二人いれば団体が組める」
 ソフトテニスの団体戦は三ペア対抗で行われる。
 二ペアが先取すれば勝利となる単純なルールだが、団体戦は個人戦とは違った面白みがある。
 まずは各団体同士、どのペアと対戦するかは直前にならないとわからない。つまり一番手同士の実力が均衡のときには、相手の二番手に当たるようにするか、自分の三番手のペアを相手の一番目のペアに当たるようにすれば、よりチームとして勝率は上がる。だがそれは相手ペアにも同じことが言えるので、ペアの順番がチームの勝敗に大きく関わってくる。団体戦は順番を決める段階から既に勝負は始まっているのだ。

「まずは俺と正樹ペアは一番手じゃん。二番手は丸男と豚ペア。あの豚、意外とめっけもんだったな」
「あぁ。宗方はストロークさえまともに覚えれば、どうにか勝てる」
 あの生意気な部長、ソフトテニスはまったくの初心者なので、球の打ち方は目も当てられないが、ゲームメイクや戦略は一目置くものがある。その戦略は大胆にして緻密、右かと思えば左、正攻法かと思えばラフプレーと、相手をドンドン泥沼に嵌めていくのである。まだ技術的な面で穴が大きく、神谷ペアが負けることはないが、ゲーム中にもしかして負かされるのでは? と思わされる場面が何度かある。ロブしか使わない丸藤の実力を100%引き出す策略と、自身が左利きという稀有な存在をフルに活用した戦術は、いずれ神谷ペアに一矢報いる可能性もあるかもしれない。
 なので、団体戦は二ペアさえ勝てば問題ないので、あと一ペア、つまり二人入部してくれるだけで佐高第七中も団体戦にエントリー出来るのだ。
「まぁ、団体つっても所詮、個人戦とさほど変わらないけどな」
「でもどうせなら団体でもエントリーしたい。朔太郎もそう思うだろ?」
 そう言ってノートを閉じながら、神谷は机に掛けた体育着袋を取り出した。周りのクラスメート達も大方着替え終わり、数名は既に校庭のグラウンドに行ってしまった。テニスも大事だが、学生の本分として授業も疎かには出来ない。イソイソと着替える神谷を待ちながら、小堺は独り言というには少々大きな声で呟いた。
「あ~あ、どこかにあと二人…テニス部に入ってくれる奴、いないかな」

 校庭のグラウンドでは、既に体育着に着替えて手持ち無沙汰に体育教師を待つ一年生で溢れていた。
 生徒の数が若干多く感じるが、それもそのはず。今日の体育は一組と二組の合同授業である。入学から一ヶ月も過ぎれば、だいぶクラスメートに馴れてくるが、他のクラスとなると打ち解けるにはまだ時間が掛かる。なので小学校が同じだった生徒は別だが、隣のクラスに知り合いがいない生徒が大半で、一組と二組の間には微妙な隙間が空き、互いを警戒していた。
 その大きな二つの集団からはぐれて、グラウンド脇の草むらに二人の生徒がいた。
 今日は天気が良くて日差しが痛いくらいである。そこの草むらはちょうど校舎の影になっていて、さらに風通しが良く快適そうだ。
 その生徒はその居心地が良い場所とばかりにくつろいでいるが、すでに授業開始のチャイムは鳴ったばかりだ。先生に見つかったらただ事ではない。
 だが、その生徒は気にするわけでもなく、だらしなく足を投げ出し草むらに寝転がっていた。もう一人の一年生にしては体が大きい生徒は、オロオロしながら横になっている生徒と、グラウンドにいる集団を交互に見つめていた。

「ねぇ、たっちゃん。そろそろ先生来ちゃうよ。みんなのところへ行こうよ」
 図体のわりに気弱そうな声を掛けられたその生徒は、面倒そうに答える。
「あぁ? うるせえな。知ったこっちゃねえんだよ。
 のぼる、お前も寝転がってみろ、気持ちいいぞ」
 だが、のぼると呼ばれた生徒はさらにオロオロするばかりで、一向に動こうとしない友人に段々痺れを切らせてきた。
「ねぇねぇ、たっちゃん。本当にそろそろ行こうよ? 本当に先生が来ちゃうって!」
「はっ。先公なんざ、どうでもいいんだよ」
 そう言って寝返りを打とうとした時、ついに体育教師がグラウンドに顔を出した。
 そして直ぐに集団から離れ、草むらにいる二人を見咎める。のぼるは途端にサァと顔を青ざめた。
「おい、そこの二人! 何をやってる! 授業はとっくに始まってるんだぞ!」
 肩をいからせ大股に近付いてきた教師に対して、寝転がっていた生徒はゆっくり体を起こすと不機嫌そうに教師を睨んだ。
「うるせぇんだよ! 文句あんのか!」
 その一言に体育教師の目の色が変わった。
 暴言を吐いた生徒は素早く立ち上がり、臨戦態勢を整えて教師と対峙しようとしたその瞬間、友人である大柄な生徒に襟首を掴まれた。
「すみませんすみません! 僕達今すぐ戻りますので勘弁して下さい!」
頭を下げながら右手で掴んだ友人を引きずり、クラスメートの元に走っていくのぼる。その物凄い腕力に体育教師は一瞬呆気に取られて、怒るタイミングを逃してしまった。

 この素行が悪そうな生徒の名前は、高田竜輝。
 とにかく周りに合わせることが苦手で反抗的な態度に、入学早々彼は教師連中に目を付けられていた。授業は真面目に聞かず他の生徒の邪魔をしたり、注意を受けても聞き流すか反発するばかり。わずか一ヶ月で不良のレッテルを貼られた彼は、すでに一学年教師からは鼻摘み者扱いである。
 そしてその高田といつも一緒にいる大柄な生徒は吉川のぼる。
 小学校も同じで家も近所と幼馴染らしく、二人は常に行動を共にしている。といっても吉川は高田と違い非常に大人しい生徒で、悪さをする高田にいつもハラハラしながら後をついて行く、金魚のフンみたいなものだ。そんな舎弟のような吉川も、特に悪さをするわけではないが高田とセットで教師から嫌われてしまっている、損な生徒である。

 さて、そんな二人も二組の列に交じり授業が始まった。
 体育教師から授業の説明を受けている間、終始不機嫌な高田に、吉川はペコペコと頭を下げている。
「ごめんね、たっちゃん。首、痛くなかった?」
 体育着の襟首を思いっきり引っ張ったので、高田の首元は少し赤くなっている。そこを手で擦ろうとした吉川の手を、高田が乱暴に払いのける。
「痛くねぇよ。ったく、相変わらず馬鹿力なんだからよ、てめぇは」
「ごめん、たっちゃん……」
 シュンと弱弱しくしょげてしまった吉川を見て、体ばかり大きいくせに気は人一倍小さい彼が情けなくて、高田は舌打ちをした。
「んなことはどうでもいいんだけどよ。……のぼる、あいつ知ってるか」
 吉川は顔を上げて、高田が顎でしゃくった方に目をやる。
「一組の……名前は、ごめん。分からないや。たっちゃん、知ってる人? あの子がどうしたの?」
「俺も知らねえ。あいつ、さっきから俺のことを見て笑ってやがる」
 確かに体育座りをして先生の話に耳を傾けている生徒の中に、チラチラにやけながらこちらを見ている生徒が一人いる。高田はその態度が癪に触るようだ。
「あの子、一組でも一番元気が良い子だったと思う」
 何度か合同体育をしていて、吉川はその不躾な視線を送ってくる生徒が印象に残って覚えていた。
「あ? 単なる馬鹿か調子に乗ってるだけだろ? ……あいつ、気に入らねえな」
 そう言ったときにちょうど体育教師の話が終わり、全員一斉に立ち上がった。高田もお尻についた砂を手で叩きながら立ち上がり、凶暴な目つきを男子生徒に送る。
「あいつ、ちょっと懲らしめてやらないといけねえな……」
 そう言って指をポキポキ鳴らした高田を見て、吉川はまたもや顔面を蒼白にした。
「ちょっと、たっちゃん。やめようよ……」
 吉川の制止は友人の耳に届いていないらしい。触れれば切れそうな態度を露わにして、高田はこれからマラソンをしようとトラックのスタート位置に整列する集団の中に紛れていった。


「なぁなぁ、正樹。二組に面白い奴がいるぞ」
 そう言って小堺が好奇な眼差しを向けた先には、さっき授業が始まる前に草むらで寛いでいたあの男子生徒がいた。髪をギザギザにセットをして鋭い視線をこちらに向けている。雰囲気から察するに、神谷はあまり関わりたくない種類の人間だ。
「おい朔太郎、あんまりジロジロ見るな」
 友人の忠告も聞き入れず、小堺はなおも興味津々にその生徒を観察している。
「だってよ、あいつ見るからに不良、って感じだぜ。中学に入ったらやっぱりそういう奴っているのかな、と思ったけどよ。やっぱりいるんだな! 不良って!」
何に関心をしているのか分からないが、小堺はわざわざ身を乗り出してまで見ようとしている。その生徒もあんまり小堺に見られて気を悪くしたのか、こちらをジッと睨んでいる。底冷えするような冷たい視線だ。
「とにかくもうやめろ。ほら、走るぞ」
 いつの間にか体育教師の開始の合図で、生徒達は一同に走り出していた。小堺は名残惜しそうに何度も振り向きながら、ランニングを始める。今日のマラソンの授業はトラック十周。その後は自由に休んでいていいので、さっさと走り終えてしまってからゆっくりと眺めようと小堺は意気込んで駆け出した。


「ぜぇ……ぜぇ……。おいっ……のぼる……」
「はぁ、はぁ。なに、たっちゃん?」
「あいつ……どんだけ足が速いんだよ……」
 顎が上がるほど息せき切って走る高田の200m手前を走る小堺。その距離は開くばかりで一向に縮まらない。
 高田はランニング中の小堺に追いつき、すれ違いざまにわざと転ばせてやろうと画策していた。素行は良くないが体力には自信があると自負していた彼は、どうせ直ぐに追いつくだろうと思っていたが、小堺の足の速さに度肝を抜かれていた。
「でも、たっちゃん。はぁはぁ、まだ5周目だからそのうちに、はぁはぁ、あの子もばてるんじゃないかな?」
 吉川も高田の横に並んで小堺を追い掛ける。彼の体力だって生半可なものではない。
 トラック内ではいつの間にか、小堺の後を不良の高田と吉川が追いかけっこをするという、良く分からない図式が展開されていた。他の生徒達はその三人の先頭集団に追いつくことすら出来ず、体力に自信がある運動部の連中も三周目あたりで次々に脱落していった。
「ぜぇ……ぜぇ……よし、もう一踏ん張りだな……ぜぇ……」
「たっちゃん、もう止めようよ……はぁはぁ、普通に走ろうよ……」
「うるせえ……、ぜぇ……ぜぇ……余計なことを言うんじゃねえ……」
「ごめん……たっちゃん、はぁはぁ……」
 袖で汗を拭いながら小堺の背中を追い掛ける二人の姿を、体育教師は狐にでも摘まれたような顔をして眺めていた。あの二人、あれだけスタミナと筋力があるのに、どこの運動部にも入っていないなんて……実にもったいない。


 快走を続ける小堺の数m手前に、フラフラと頼りなく走っている神谷の姿が見えた。抜群のプレーセンスとゲーム展開が巧みな神谷だが、一つだけ大きな弱点がある。それは極端にスタミナがないのだ。
 今も小堺の前を走っているが、もちろん彼より先行していたわけではなく、単なる周回遅れである。明らかに文化部系の運動が苦手そうな生徒に混じってダラダラ走っている神谷を見て小堺は溜め息を吐いたが、すぐにニンマリと微笑むと少しペースを上げて自分のペアに追いついた。
「正樹、頑張れ。もうちょっとだぞ」
「……」
 普段からあまり口数が多いほうではない彼だが、既に口を開く体力もないらしい。声を掛けられた小堺を横目で一瞥すると、また黙って走り続けた。走るフォームを見るとそれだけ運動神経が悪そうには見えないが、それでも小堺にしてみれば、神谷と併走していると歩いているのと殆ど変わらない速度だ。
「俺も一緒に走ってやるから、ほら、頑張れ」
「……いい。……先に行け」


 高田はチャンス到来とばかりに、残りの体力を振り絞って一気に加速する。ターゲットの小堺が急に減速したのだ。きっといつも一緒にいるあの無表情な生徒にペースを併せたからだろう。小堺との距離がグングン縮まっていく。
「たっちゃん……はぁはぁ、やめようよ……」
「ぜぇ……ぜぇ……うるさい! 黙れ!」
 同じく後を追ってくる吉川の言葉に耳もくれずに、高田はさらに加速を続ける。只転ばせるだけなんてつまらない。このままの勢いであの背中に飛び蹴りを御見舞いしてやる。これだけ自分達を無駄に走らせた罰だ、と身勝手な怒りに身を任せ、高田はもう数メートル先に迫った小堺の背中目がけてジャンプをした。

「う~ん、わかった! じゃあ先に行くね!」
 そう言ってまた自分のペースでランニングを続けようと踏み出した瞬間、後ろの方でズザァと誰かが転ぶ音が聞こえた。てっきりスタミナが切れてしまった神谷が倒れたものだとばかり思い慌てて振り向くと、そこには荒く息を吐いて横倒れになっている男子生徒がいた。
 そのことに気付く余裕もない神谷が、ぐったりと疲労した目をして隣を走り抜けていく。
 転んだ生徒はさっき小堺が興味を示してチラチラ見ていたあの不良少年だった。何故、彼がこんなところで倒れているのかと困惑していると、がたいの良い少年が青ざめた顔をして後を追ってきた。
「ちょっと、たっちゃん! 大丈夫! 怪我してない?」
 腕を引っ張り立ち上がらせようとした吉川の手を、高田は邪険に振り払う。そして何かを言おうとしているが、息せき切っているせいか声にならない。よく見ると膝や腕がすりむけていて痛々しい。
「お~い、お前。本当に大丈夫なのか?」
 小堺もランニングを中止し、高田に近付き助け起こそうとすると、それを見咎めた高田が歯を食いしばり立ち上がる。小堺と吉川がホッと息をついた束の間、「がぁぁあっ!」と叫び声を上げた高田が小堺に殴りかかった。
「うおっ! 何だこいつ? 危ねぇ!」
 体力が消耗していたせいか、小堺の反射神経が良かったせいか、高田の拳は小堺の肩越しをすり抜けていって、また派手にずっこけた。しかし高田はひるまずにまた立ち上がると、小堺に殴りかかる。
「なんだんだ、てめぇは、よ!」
「お前が何だ!」
 小堺は身を翻して高田の拳をまた避けた。
 テニスの試合中ともなれば、前衛は至近距離からシュートボールを打ち込まれることも少なくなく、しかもそれを正面ボレーで返さなければいけない。それを考えれば、小堺にしてみれば高田のひょろひょろパンチをかわすことなど容易いのである。
 肩で息をしながらまだ殴りかかってこようとする高田だったが、後ろから羽交い絞めにした吉川が荒ぶれる幼馴染を制止させる。騒動に気がついた教師や他のクラスメートもいつしか二人の間に割って入り騒ぎ出したので、いつしかマラソンは中止になってしまった。
 その騒動が耳に入らないほどに体力を消耗しながらランニングをしていた神谷だけが、一人ぽつんとトラックを走り続けていた。

 結局、ランニング中の小堺に飛びかかろうとしたり、一方的に殴りかかったりしようとした高田の行為が他の生徒の証言で判明し、小堺はお咎めなしで解放され、高田と吉川は授業前に草むらで寝転がっていた件も含め、体育教師からみっちり油を絞られた。
 用具室で正座をさせられて痺れた足を摩りながら、高田は地面に唾を吐く。
「くっそぅ、あの野郎。絶対に許せねぇ」
「でも、さっきのはたっちゃんが悪いよ……。急に飛び蹴りだなんて」
「なんだ? 文句あんのか?」
「う、うぅん。……なんでもない。ごめんなさい」
 相変わらず気弱な返事しか出来ない図体ばかり発育した友人に呆れながら、高田は鬱憤を校舎の壁に向けた。
「しかし、なんなんだ本当にあの野郎はよっ! ムカつくぜ!」
 力一杯壁を蹴る高田だが、うんともすんとも言わない頑丈な壁に苛々はさらに募るばかりだった。
 そんな高田を見つめながら、吉川は何かを思い出すように首を捻る。
「あの子、確か……テニス部の子だった気がする……。名前は確か、小堺君だったと思うけど」
「あぁん? テニス部?」
「そう、確かこないだ出来たばかりの部で、部員が全員まだ一年生って結構話題になっていたはず」
 群れるのが嫌いで周りからも疎まれている高田は、学校生活の情報にあまり詳しくない。その点、高田の金魚のフンながらもまだクラスメートに対して愛想が良い吉川は、時々他の生徒との交流を持っているので、その話を覚えていた。自分達が知らないだけで、テニス部に関してはちょっとした有名な話らしいが。
「なんだ? そんなことをしていた奴らがいたのかよ?」
「うん。確かそうだよ。さっきのマラソンのときに、たっちゃんが飛びかかろうとしたちょっと前、あの子の横でノロノロ走っていた子もテニス部だった気がする。名前は……神谷君、だっけ」
 クールで格好良い男子生徒がテニス部にいる、とクラスの女子が噂していたのを吉川は思い出した。高田は吉川の話を聞きながらしばらく考え込むと、途端に邪悪そうに顔をニヤリと歪め、ポケットから携帯電話を取り出し、ダイヤルを押す。コールが鳴るや否や、電話の主は直ぐに受信した。
「もしもし、兄ちゃん。うん、竜輝。あのね、兄ちゃん。兄ちゃんにちょっと懲らしめてもらいたい奴がいるんだ。そいつ、まだ一年なのにすんげぇ調子こいてるんだよ。だからさ、放課後にちょっと学校に来て欲しいんだけど。
 ……ほんと? ありがとう! じゃあ、放課後、テニスコートんところで待ってるね。じゃあ」
 携帯電話を折りたたむと、高田は口を吊り上げ、青ざめた顔をしている吉川に笑って見せた。
「たっちゃん……もしかして、お兄さんに……」
「おう、へへへっ。放課後が楽しみだぜ」
 吉川は生唾を飲み込みながら、高田の兄を思い出していた。高校二年になる高田の兄は、眼光が鋭く触れるものを皆傷つけるような不良だ。幼馴染で弟の友人ということで自分は可愛がってもらったが、小さい頃から喧嘩に明け暮れ、血だらけで帰ってくる高田の兄をいつも怯えて眺めていた。
 そんな極悪不良が放課後、この佐高第七中に来る。吉川はあまりの恐怖に、今から膝の震えが止まらなかった。そんな臆病な吉川を、高田は乾いた目でニヤリと笑った。


 安西美和は俗に言う「アイドル教師」だったが、彼女の凄いところは女子にも人気があることだ。
 大概、そこまで男子生徒や同僚教師から注目の的ならば、ひがむ女子生徒がいても不思議ではない。思春期真っ盛りの女子にモテモテな大人の女性など、妬みの対象にしかならない。だが、安西はその飾らない性格と少しおっちょこちょいで天然なキャラで、女子生徒達のハートをも鷲掴みにしてしまった。それに彼女はどちらかと言えば男子生徒よりも女子生徒と会話をすることを好むらしく、授業が終わるとよくクラスの女子と一緒に、昨日見たドラマの話で盛り上がっているくらいである。
 女子生徒側からしても安西はアイドル的存在で、隙あらば安西と交流を取ろうとする男子生徒を、取り巻きの女子達が排除する場面も見受けられるほどだ。しかも本人にその自覚が全くないようで、クラスの女子生徒が寄ってきても「みんな、お喋りが好きなのねぇ」程度の感慨しかない点も、根強い人気の一因である。


 その日の放課後、テニスコートにて……。
「僕、その子を知っているよ。たぶん、二組の高田竜輝君って子だと思う」
 腕の関節を伸ばしながら、器用に右手でずれた眼鏡を直す丸藤。彼はさっきからずっと両腕を伸ばしたり曲げたり繰り返している。辛抱強いプレーに定評があるロブの使い手はストレッチに余念がない。
 その隣で膝を屈伸しているだけなのに既に息が上がっている部長も、話に交ざってきた。
「僕も知っているさ。もの凄い不良だって噂だよ。まぁ、僕には関わり合いのない人種だけどね」
 体を前に傾けて腰のストレッチをしようとした宗方は、そのまま自分の体重を支えられず、前のめりに転んでいった。その様子を他の部員がお腹を抱えて笑う。
「でも、俺が知らないところでそんなことが起こっていたのか。全然、気付かなかった」
「だって正樹、死にそうな顔して走っていたもん。お前、本当に体力がないな。さっきあれだけ走って部活出来るのか?」
 グルグル肩を回しながら神谷は涼しい顔をして「ん、大丈夫」と答えた。スタミナの底が浅い神谷だが、浅い分回復するのも早いのが特徴である。
「でもさ、小堺君。それだけ彼を怒らせたってことは、後が恐いんじゃない? 大丈夫かな」
 気が小さい丸藤は、まるで自分のように心配して顔を曇らせた。
「大丈夫だって、丸男。そんなに気にすることないから安心しろって」
「丸藤、です」
 あっけらかんと答える小堺に、転んだときに背中に着いた砂を叩き落としながら、宗方も注進する。
「本当に、妙な行動は慎んでくれたまえよ。只でさえ、君はトラブルメーカー体質っぽいんだから」
「お前に言われたくねぇよ、豚」
 睨み合う二人の肩を叩いて、丁度良く体がほぐれた神谷が皆をまとめた。
「それじゃあ、練習を始めようか。部長」
 自分を呼ばれた宗方は、こほんと咳払いをすると全員に整列を命じる。
「ではこれより今日の練習を開始する。まずは乱打を15分4セット。各々ペアを交換するように。その後、サーブレシーブの練習を15分。ペアになって前衛練習を15分。それが終わったら7ゲームマッチでゲーム形式、以上。よろしくお願いします!」
『よろしくお願いします!』
 たった四人、しかも同学年しかいない部活動なので、練習内容など口伝でも充分なはずだが、部長の意向でわざわざ仰々しく開始の挨拶までさせられることになった。宗方を除く三人は毎度、面倒だと思いつつも、部長命令なので仕方なく従っている。本人は至極満足そうに悦っているので仕方なくやりたいままにさせているのだ。
 各々、ラケットとボールを握り締めて乱打を開始しようとしたその時、遠くの方から爆音を轟かせて一台のバイクが近付いてくるのが分かった。時々、ここら界隈に出没する暴走族の類かと思って最初はただうるさく感じただけだったが、それがどうやら学校の周りを走り回っているのに、他の運動部も気付き始めて皆活動を一時中断させた。何事かと文化部の生徒までが校舎の窓から顔を突き出している。


 そしてしばらくそのバイクの行方を騒々しいマフラーの音だけで追っていると、バイクはテニスコートがある道路脇で止まった。テニス部員は一斉に体を硬直させる。
 物々しい雰囲気で二、三度空ぶかしをしたバイクに跨ったライダーは、エンジンを轟かせたまま降車し、テニスのフェンスをよじ登って中に入ってきた。
 テニス部員は何が起こっているのかさっぱり理解出来ず、その場で固まってしまっている。そのライダーはフルフェイスのメットを外すと、部員一同をゆっくり見回した。短い金髪に鋭い目つき、左眉毛の唇にはピアスが着いている。見るからにやばそうな不良だ。突き刺さるような眼光に睨まれた部員は、弾かれたようにコートの中央に寄せ集まった。
「おい! 誰だよあれ! 何であんなおっかない人がテニスコートに入ってくんだよ!」
「わからないよ! 誰かなんか悪いことした?」
 それぞれ振り絞るような小さな声で囁き合っていると、誰かが低い笑い声を漏らしてテニスコートに入ってきた。
 後ろに吉川を従えた高田である。高田はその金髪不良に手を振った。
「お~い、兄ちゃん!」
 お兄ちゃんと呼ばれた青年と、高田を交互に震えながら見つめる部員達。金髪の青年は気だるそうに高田へ近付く。
「おい、竜輝。誰だ、その調子こいている奴ってのは。
 さっさとぶっ飛ばして俺は帰るぞ。これからバイトだからよ」
 低くくぐもった声が彼らの恐怖心を煽る。
 そして、高田が兄ちゃんと言った辺りから、部員達は彼らの目的を悟っていた。どうやらこの不良青年は弟である高田のために、小堺へ報復をしにきたらしい。
「おいおい、小堺君! やっぱり君が原因なんじゃないか? どうにかして騒動を解決したまえ!」
「うるせぇ、豚! 俺だってまさかこんなことになるとは思っていなかったんだよ!」
 あからさまに怯えている彼らを、高田はいい気味とばかりに鼻で笑った。膝をガクガク震わせて顔が青くなっている小堺が愉快でたまらない。
「兄ちゃん、こいつだよ。この小堺って奴だ」
 高田は兄に目的の人物を指差して教えた。だが、高田兄は校舎の方をキョロキョロ眺めていた。
「兄ちゃん、どうしたの?」
 慌てて視線を弟に戻し、高田兄は小堺を睨むと凄んだ。
「おい小僧、中学に入ったからって図に乗ってるんじゃねぇぞ。調子こくとどうなるか、教えてやるよ」
 今にも泣き出しそうな小堺を見てさらに気分を良くした高田は、声を張り上げた。
「兄ちゃん! どうせだったら全員をぶっ飛ばしてよ! こいつら、一年の中でも飛びっきり生意気なんだ!」
 せっかくなら小堺とつるんでいる奴ら全員にも制裁をくわえておかないと気が済まない。そんな嗜虐的な考えの高田に、さすがの吉川も咎めた。
「たっちゃん、他の子は関係ないよ! やるんなら小堺君だけにしなよ!」
 その吉川の言葉に、小堺を除く全員が首をガクガクと縦に振った。
「おいお前ら! 俺を置いてけぼりにしないでくれよ!」
「うるさい! トラブルメーカーなら自分の始末は自分で付けたまえ!」
「部長! こういうときこそ部長の出番だろうが! 何とかしてくれよ!」
「出来るわけないだろ! 君はテニス部のために生贄になるのだ!」
 ギャンギャンと喚く小堺と宗方が煩わしく思ったのか、高田兄は無情にも「面倒くせぇから、全員まとめて黙らしてやるよ」と宣言した。
 その一言にテニス部員は全身の血の気が引く音を聞いた。指をボキボキ鳴らしながらゆっくりと時間と恐怖を掛けて近付く高田兄。それをニヤニヤ眺める高田。
 まさに絶対絶命だった。


 安西美和の凄いところは、女子にもカリスマ性があるだけではない。
 どんな生徒にも平等に接する博愛精神だ。
 教師ならばどうしても学業や生活態度が優秀な生徒ほど目をかけがちになるが、安西の場合は優等生だろうが不良だろうが、全く同じに接する。ただ単に世間知らずの箱入り娘というだけなのだが、他の教師も既に見放す問題児だろうが、髪を真っ赤に染めた不良少女だろうが、彼女にしてみたら可愛い生徒の一人なのだ。なので彼女が初めて担任をしたクラスは、それはそれは他の学校にまでその悪評が聞こえるほどの問題クラスだったが、彼女はそのクラスを立派に更正させ、卒業生として送り出した。
 熱血教師のように体ごとぶつかっていったわけでもないし、心に響く説教をしたわけでもない。ただのんびりマイペースで授業をしていただけなのである。
 他の教師は彼女に問う。生徒の心を掴む秘訣は何かと。すると安西は穏やかの微笑みを浮かべ答える。
「私、なんかしましたっけ?」


「あれ~、もしかして高田君じゃない~?」
 高田兄がまずは一人目の部員を殴りつけようとしたまさにその時、間の抜けた声がテニスコートに響いた。その瞬間、高田兄はもの凄い速さでそちらに体ごと振り向くと、途端に顔を真っ赤にした。
「美和ちゃん! 美和ちゃんじゃねぇか!」
 そういうや否や、高田兄は脱兎のごとく駆け出して行った。
 テニスコートにやってきたのは顧問である安西。ちょっと所要があったため、遅れて部活にやってきた。間近で高田兄を確認すると、安西は嬉しそうにパァッと顔を輝かせ高田兄の手を両手で握り締める。
「やっぱり高田君だ! 久しぶり~! 元気にしてた?
 あら~髪が金色になっちゃって。かっこいいわよ~」
 高田兄の髪を指でツンツンと突っつく安西。決して褒められたものではない頭髪を褒められて、高田兄はさらに顔を真っ赤にさせて鼻の下を伸ばした。
 安西は視線を道路脇に駐車したバイクに向けた。
「高田君、バイク買ったんだ。大きくてかっこいいじゃない。あれ? するともう高校二年生になったわけね」
「お、おう! もし良かったら今度、美和ちゃんを後に乗せてやるよ」
「あら、そう? それよりもうるさいから、それ止めてくれない?」
 全校生徒の注目を集めている原因となっている爆音を撒き散らすバイクを指差しながらそう言うと、高田兄は飛び跳ねるように「おう! わかった!」とエンジンを止めに行った。

 一同その様子をポカンと口を開けて眺めている。絶体絶命のピンチだと思い、死をも覚悟していた矢先に、安西の出現で張り詰めていた空気が一気に弛緩していった。
 高田と吉川も目が点になっていた。あんなにだらしなく頬を緩め、他人の意見に従順な兄を見るのは初めてだった。
エンジンを止めて、子犬のように尻尾を振りながら戻ってきた高田兄が安西に尋ねる。
「ところでなんで美和ちゃんがココにいるんだよ? あんた、科学部の顧問じゃなかったのか?」
「縁あってテニス部の顧問に異動したのよ。あ、そうだ。君達に伝えなきゃいけないことがあったんだったわ」
 そう言うと安西は抱えていた書類の束からコピー用紙ではない、しっかりとした厚紙を取り出す。そしてそれ以外の書類を高田兄に持たせると、咳払いをしてその厚紙に書かれている内容を読み上げた。

「佐高市立佐高第七中学校において、ソフトテニス部の設立を許可する! 学校長、袴田順治!」

 呆気に取られている一同に、安西がもう一度高らかに宣言した。
「テニス部の設立が正式に受理されたのよ! 今日からこの部は正式な部活動として学校側に認められたわ!」
 その言葉をやっと理解した部員達は、喜びを露わにして歓喜の声を張り上げた。今まで仮の部活扱いだったテニス部だったが、これで堂々と部活動をすることが出来るし、大会にもエントリーすることが出来るようになった。

 高田と吉川は空気が全く変わってしまって居心地が悪くなってしまい、兄の横腹を突く。
「ねぇ、兄ちゃん。この先生誰だよ? テニス部をボコボコにするって話はどうなったんだよ?」
 すると高田兄は、弟の頭上に拳骨を一つお見舞いする。
「馬鹿野郎! 美和ちゃんはな、俺が三年の時の副担で科学部の顧問でもあったんだ! 言ってみれば恩師ってやつだな。美和ちゃんがいてくれたおかげで、俺はまともに中学を卒業し、高校に進学出来たと言っても過言でない」
「そんなこと言って……兄ちゃん、最近高校サボってるじゃん」
「うるさい!」
 そう言って高田兄は、弟を再び拳骨で黙らす。
「だからな、美和ちゃんが顧問をしているっていうテニス部に、俺が手出しをするわけねえだろうが!
 いいか? お前もテニス部に迷惑をかけたら承知しねえぞ!」

 弟に釘を刺すと、高田兄はまたでれっと鼻の下を伸ばして安西に話しかける。
「でも美和ちゃんよ、話に聞けばまだこのテニス部って出来たてホヤホヤで大変だろ? 何か困ったことがあったら俺が相談に乗るぜ」
「ありがとうね、高田君。そうね、困ったことか…」
 そう言って真剣に悩み出した安西は、ゆっくりと部員達を見回す。そして何かを思い出したようにボソリと呟いた。

「あと、二人……か」
「ん? なんだって?」
「部員がね、あと二人いると団体戦が組めるのよ。テニスの団体戦は3ペア、つまり六人必要なの。そうよね、神谷君?」
 以前に神谷から団体戦の話を聞いたときに、彼が願っていたことを思い出した。神谷はおずおずと頷く。すると、高田兄は「二人……」と呟くと、視線をゆっくり右に回す。ちょうど隣にいた高田は嫌な予感がして、顔を背けた。
「おい、竜輝。お前、まだ部活に入ってないよな?」
「え、う……うん」
 そして隣にいる図体のでかい少年にも同じ質問をぶつける。
「のぼる、お前は?」
「え……まだ、です」
 その答えを聞くと同時に、高田兄がパチンと手を叩いたので、皆一斉にそちらへ注目した。
「美和ちゃん! もし良かったら俺の弟と連れをテニス部に入部させてくれ! それでちょうど六人になるんだろ!」
『……えぇー!』
 驚愕の声を上げたのは勿論、六人の少年達。あからさまに嫌そうな顔をしてお互いを見つめ合ったが、顧問の安西だけは一人、嬉々と瞳を輝かせていた。
「やだよ、兄ちゃん! 俺、テニスなんかしたくないよ!」
 必死に抗議をする高田だが、兄は弟のことなど全く見ようともせずに、鼻の下を伸ばして安西に売り込む。
「こいつ、小学校の時はずっと野球部だったから体力には自信があるはずだ。そっちのデカイのぼるって奴も結構良い運動神経しているぞ」
「だから兄ちゃん! 俺、やりたくないんだって!」
「うるせえ! 俺の言うことに逆らおうってか?」
 グッと口を噤む高田。どう足掻いてもこの凶暴な兄に逆らうことなど出来るわけがない。
 吉川はなおさらだ。竜輝の方にすら逆らうことが出来ないのに、どうやってその兄の意見に反対などすればいいのだろうか。ここは一つ、黙って覆すことの出来ないヒエラルキーに身を任せるしかない。
 テニス部員の四人にしても同様だ。確かにあと部員が二人増えるというのは願ってもないことだ。だが、その部員はたった今、自分達に危害を加えようと画策した張本人なのである。これは心中穏やかでいられない。ソフトテニスはチームプレイを尊ぶ。それなのに、この高田、吉川と仲良く出来るだろうか?
 まるで獅子身中に虫を飼う、気分である。

だが、顧問の安西の眼を見ればわかるが、彼女には断るという選択肢は皆無らしい。
「そうしてもらえるとすっごく助かるわ! やっぱり高田君! 生徒の頃から思ってたけど、頼りがいがあるわね! きっとその弟君なら信用するに足りるわ! もちろんそのお友達も!」
 べた褒めされて、口が首に届いてしまうのではないかと心配になるほど鼻の下を伸ばし、高田兄は高笑いを上げた。その普段見ない兄の姿に落胆しながらも、高田はついに腹を括った。
「あぁぁ! わかったよ! 兄ちゃんが言うとおりにテニス部に入ればいいんだろ!
 のぼる! お前も文句はないな!」
「あ……う、うん。たっちゃんが入るんなら、僕も入るよ」
 吉川も溜め息交じりに頷いて了承する。だが、吉川は高田に比べると、どことなく嬉しそうだ。
 相方である高田がどの部活にも入ろうとしなかったので自分も付き添ったが、もとより彼はスポーツが好きだったので、どの部活動であれ参加さえ出来れば満足なのである。吉川は新しく仲間になる四人を見渡すと、遠慮がちに微笑み「吉川のぼるです。よろしく、ね」と自己紹介をした。彼らも吉川は危険人物ではないと初めから察していたらしく、素直に各々自己紹介を仕返す。

更新日 1月18日

「おい、竜輝。お前もちゃんと挨拶しやがれ。こういうものはな、ケジメが大事なんだよ」
 兄に促され、高田も渋々短く挨拶をする。だが、部員達の表情はどことなく引き攣っていてよそよそしかった。特に高田は小堺と視線を合わせると、舌打ちをして睨みつける。
「高田竜輝だ。よろしくな……」
「おう! お前高田っていうのか! だからたっちゃんなのな。よろしく、たっちゃん!」
 吉川が呼ぶあだ名をやっと理解した小堺は、嬉しそうに早速自分もあだ名で呼んでみた。過ぎ去ったことにはあまり気にしない性格の小堺は、もうすっかり高田をチームメイトとして認めているようだ。
 そんな小堺の対応に、高田は肩透かしを喰らった気分になってすっかり調子が狂ってしまった。
「おい、ちなみにテニスをやるのにどの道具を揃えればいいんだ?」
 目つきが鋭い金髪青年に突然尋ねられた神谷は、すでに彼が自分達に害がないとは分かっていつつも、思わず身が竦んでしまう。
「あ、えぇと……ラ、ラケットとシューズがあれば、とりあえずは……」
 そう答えた神谷が手に持ったラケットとシューズを舐めるようにじっとり見ると、高田兄は
「ちなみにラケットとシューズはいくらくらい掛かるんだ?」
と次の質問をする。
「えっと、ラケットはだいたい1万8千円くらいです。シューズは……色々ですけど、7千円もあれば」
「そうか……足りるな」
 そう呟きながら高田兄はポケットをまさぐると、鎖がじゃらじゃらついた財布を取り出し、中から一万円札を六枚出して、弟に渡した。
「おい、竜輝。とりあえずこれでお前とのぼるの分の道具を揃えてこい」
「えっ? マジで! いいの、こんなにもらっちゃって? ありがとう、兄ちゃん!」
 六万円という大金を手にして興奮しながら、気前の良い兄に高田はペコペコ頭を下げる。吉川なんぞは土下座せんばかりの勢いで感謝を示していた。
「おう、これも全て美和ちゃんのためだ。いいか、お前ら! 美和ちゃんのために気合入れてテニスをやるんだぞ!」
 頬を染めて安西をチラチラ見ながら弟達に発破を掛ける高田兄に、彼らは何故か釈然としない思いで弱弱しく頷いたが、当の本人である安西は、ただニコニコ微笑んでいるだけだった。自分に本気で惚れ込んでいる生徒がいても、単に慕ってくれているだけ程度の感慨しか持たないのが天然である安西の特徴なため、皆ただただ撃沈していくか、勘違いしたまま終わるかなのだ。
「じゃあ、お前。すまねえが弟達と一緒にスポーツショップに行ってこい。そんでラケットとシューズを適当見繕ってくれや。美和ちゃん、今日くらいはいいだろ?」
「え、俺がですか?……先生」
「う~ん、確かに道具が揃わないと練習も始められないし。神谷君、二人をお願いしていいかしら?」
「はぁ……いいですけど」
「よし、そうと決まれば頼んだぜ。じゃあ俺はバイトに行ってくるからよ。邪魔したな、ガキ共。
 美和ちゃん、また遊びに来るぜ!」
 一番受け答えが真面目そうな神谷に弟達を託して、高田兄は近くに放っておいたヘルメットを拾うと、テニスコートのフェンスを乗り越えて行ってしまった。遠ざかっていくバイクの騒々しいエンジン音を聞きながら、一同やっと身動きを取り始めた。
 結果オーライだったものの不良青年の乱入騒動で、なんやかんや体が緊張で強張ってしまってた。みんなは溜め息を吐きながら、もう一度ストレッチを開始する。
「それじゃあ先生、スポーツショップに行ってきていいですか?」
 高田兄の指示通り、早速竜輝と吉川のためにラケットとシューズを買いに出かけようと準備をする神谷に、安西は「あ、ちょっと待って」と制止を掛ける。
 そして、手の平を突き出し地面にかざす。
 皆、安西の意図することが分からず小首を傾げていたが、最初に気付いた小堺が満面の笑みを浮かべ、安西の手に自分の手を重ねる。やっと意味を理解したメンバーも次々に手を重ねていく。つまらなそうにそっぽ向く高田の手を吉川が掴まえると、一緒にみんなの手へ重ねた。部員全員の手が重なったのを確認して、安西が口を開く。
「テニス部も正式に部活動として認められたし、部員も六人揃って団体戦にもエントリー出来るようになったわ。これからこのメンバーで頑張っていくわよ。
 そして……試合で勝つわよ。部長?」
 安西に促された宗方が、一瞬キョトンと眼を丸くすると、すぐに不敵な笑みを浮かべて咳払いをした。こういう場面で掛け声をかけるのが部長の役目であることに、宗方は自尊心をくすぐられて舞い上がった。
 そして意気揚々と鼻穴を大きく広げ、息を吸い込む。
「それではテニス部の諸君! 励みたまえ!」

「……何それ」
「励みたまえ、は無いだろ豚。乗りにくいよ」
 部員みんなの抗議の眼差しを向けられ、宗方は仕切り直しとばかりにまた大きく咳払いをする。やはりテニス部員はまだまだ自分の崇高なセンスにはついて来られないようだ。
「佐高第七中ソフトテニス部! ファイトー!」
『オー!』
 腹の底から出した掛け声と共に、皆一斉に重ね合わされた手を天高く突き上げた。六人の少年と一人の若い女性教師で形成された円陣はまだ小さくてどこか余所余所しく、簡単に崩れそうなほど弱弱しいものだった。だが、これから何度もこの円陣を組んでいく度に、結束は固まり絆は深まっていくだろう。
 佐高第七中学校、新生ソフトテニス部は、まさにこの瞬間から新たなスタートを切ったのだった。





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08:54  |  なんしきっ!  |  CM(4)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

●No title

やっと見に来れました!
豚の宗方君に大ウケしちゃいました(爆)
小堺君達の大人な対応には関心しちゃいました!
今度は高田君登場で先が面白くなりそうですね!!
夢 | 2010年01月14日(木) 10:05 | URL | コメント編集

●No title

>>夢さん
宗方は私も大好きなキャラです。
ここまで濃いキャラはなかなか書けないので。
要人(かなめびと) | 2010年01月15日(金) 06:59 | URL | コメント編集

●No title

素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
ガッツリ出会い | 2010年01月16日(土) 18:49 | URL | コメント編集

●No title

>>ガッツリ出会いさん
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
お互い頑張りましょう。
要人(かなめびと) | 2010年01月17日(日) 07:12 | URL | コメント編集

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