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2009'10.28 (Wed)

珍しく神経質なシェフ長の場合 後編


【More・・・】

金曜日の午後。グランシンフォニア・ルームではホールスタッフ達が翌日の結婚式の準備に追われていた。丹念に磨かれたナイフやフォークの一本一本をきっちりと寸分の狂いもなくテーブルに並べていく。その姿はさながら職人にも見える。私はそんな女性パートで編成されたホールスタッフの働く様子を眺めているのが好きだ。
その日も紫倉チーフとウェディングパーティーの内容について話していると、全身白装束の白根が珍しくホールに顔を出した。

「あ、シェフ長。お疲れ様です」

「お疲れ様です~」

一人が気付くと全員が顔を上げて次々に白根へ挨拶をする。屈託のないキャラと人懐っこい性格なためか、白根はパートのマダム達に人気者だ。普通、調理とホールは互いの信念が強いため対立しがちだが、シェフ長自らが現場の人間達と努めて交流を図るため、当館の調理とホールは良い関係を築けていると思う。

「おう!みんな、お疲れちゃーん!」

白装束をまとっても誰だかすぐわかる巨大をゆっさゆっさ揺らしながら近づいてくる白根を、紫倉チーフがつっけんどんに迎える。

「てめぇの仕事ほっぽりだして何しに来やがったんでぃ、白の字」

「そんなつれねぇこと言わんで下せぇ、師匠。あっしがホールに出向いたのにゃあ、ちょっとわけがありやして」

そう言うと白根は一本のスプレーを取り出した。それを紫倉チーフに手渡すと、さも得意げに口を開いた。

「こいつは最近巷を騒がしてやがる新型インフルエンザに効く、ってーいう消毒液でさぁ。ホールでもアルコールスプレーは使ってると思いやすがね、あれはインフルちゃんにゃあ効きやしねぇ。だから師匠、こいつを使ってやって下さいよ」

白根の話を聞きながらスプレーの容器をしげしげと眺める紫倉チーフ。

「チーフ、それは本当に効くんですか?」

「なんだよ、クロちゃん。俺を疑ってんのかよ。わざわざ医療機関から取り寄せたマジもんだぜ?」

「いや、支配人。こいつはマジもんみたいでさぁ。あっしも気になって新型インフルエンザ対策を色々と調べてみたんですけどね、こいつに入っている成分、ここに書いてある『次亜塩素酸』ってなぁ本物でさぁ。この馬鹿がどっかの悪徳業者からバッタもん掴まされたってわけじゃねぇでさぁ」

さすがは紫倉チーフ、私の懸念をズバリ言い当ててくれた。

「厨房では新型インフルエンザ対策はばっちりだが、どちらかってぇとやっこさんは外から来るもんでしょ?だからこいつぁホールで優先に使ってやって下せぇ」

そんな白根に周りで話を聞いていたパート達がやんやと拍手を送る。

「てめぇが最近、妙に潔癖ってなぁ気になっていたが、随分と勉強してんじゃねぇか。恩に着るぜ、早速使わしてもらぁ」

さらに紫倉チーフから褒められたからか、白根はここぞとばかりに大きく胸を張った。

気を良くした白根はもう一つの用件とばかりにポケットから二つの白いものを取り出す。何かと全員が注目する中、白根はみんなへ見えるようにそれを包みのビニールから開けた。

「帽子と、マスクか?」

「おう、使い捨てだがな」

それは折り畳み式の簡素な帽子とマスクだった。白根はそれをパート達に渡すと、彼女らは物珍しげにお互い被り合いっこをし始める。薄い布製で出来ている実にチープな素材だが、それでも人の頭部はスッポリと覆えるだけの大きさを有している。マスクも同様で鼻と口は完全にカバーしていた。

「食中毒だけじゃなく料理への異物混入も気になるわけでさぁ。その中でもスタッフの髪の毛が異物混入で一番多いらしいですぜ。最近じゃホールスタッフも帽子マスク着用している店だって少なくねぇ。師匠、ここは一つ、ホールスタッフの衛生管理も強化するべきじゃあ、ありやせんかい?」

なるほど、白根がホールに顔を出した本当の理由はこれらしいここ最近、随分とキレイ好きになったはいいが厨房だけでなくそれ以外の場所も気になってきたのだ。自分達が衛生管理を徹底して送り出した料理の行き着く先、さらに外からの細菌侵入ルート。少し考えれば誰でも分かる。強化すべきは厨房ではなく、不特定多数のお客様とスタッフが集うホールなのだ。

「白の字、てめえの言いたい事は分かる。だがな、こいつは駄目だ」

そう言うと紫倉チーフは帽子とマスクを白根に突き返した。

「な、なんででさぁ!ホールが一番衛生面をしっかりしなきゃならねぇって、師匠も分かってるだろぃ?」

理由もなく拒まれた事に白根は腹を立てた。

「紫倉チーフ、確かに白根シェフ長の話は唐突過ぎますが、昨今の社会情勢を考えれば衛生面をアピールすることも大切なのでは?」

「わざわざアピールのために帽子とマスクを着けろと?支配人、ここは製菓工場じゃあございやせんぜ。そんな格好をしたスタッフがウロウロしてたら、夢も希望もあったもんじゃねえ」

その場面を想像してみる。ウェディングパーティーの感動的なシーンの傍らに帽子とマスクをきっちり装着したスタッフ。……シュール過ぎる。


「あっしらは見てくれも含めてお客様にサービスを提供してるんでぃ。衛生管理も分かるがそれだけは受け入れられねぇ」

「じ、じゃあ準備してるときは駄目ですかい!皿やグラスにも髪の毛が落ちたりしねぇんですかぃ?」

だがそれにもチーフは首を横に振った。

「チーフ、少しくらいはシェフ長の意向も取り入れてみては?お客様の前に出ない時くらい帽子は着用した方がいい気がしますがね」

準備中に髪の毛が落ちるかもしれないと言った白根の言葉に、私はもっともだと賛成した。しかしチーフは理由を語るより先に、我々のやり取りを眺めていたパート達を指差す。

「このスタッフ達をよく見て下せい。髪の毛が落ちると思いやすかい?」

何の事を言ってるのか最初はピンと来なかったが、その整列している彼女達の頭髪を見て合点が入った。全員、髪はキチンと後ろにシニヨンで束ね、脇髪や前髪はヘアピンで止められている。

「さらにあっしらは纏めた髪の上から念入れで整髪スプレーを掛けていやす。これでどうやったら髪が落ちると思うんでぃ、白の字?」

そう言われてしまっては白根に反論する理屈はない。

「しかもその帽子を準備中に着けたり外したりすると、せっかくセットした髪が乱れるんでい。だからあっしは反対だ」

確かに先ほど試しでかぶったパートさんの髪が多少乱れている。これは思わぬ盲点だった。

「ではチーフ、マスクは?」

「マスクもよくありやせん。裏面を見てやって下さい」

白根が手に持ったマスクを裏返して、駄目な理由が分かった。そこには真っ赤なルージュが付いていたのである。

「もうちょっと高価なマスクなら口紅が付かねえよう工夫されてますが、そんなものを使い捨てにするほど経費を回せますかい?」

「いや、無理だな」

「でしょう?化粧が伸びたサービスマンなんて一番間抜けですからね。それにお客様の前であれ作業中であれ、余計な無駄話をしなきゃ唾液なんて飛ばねえ。それ以前に体調管理さえしっかりしてりゃあ、あっしらにマスクは必要ねえんでさぁ」

もともと完璧主義な紫倉チーフの管理下にあるホールスタッフ達に、一分の隙もあるはずなどない。それを今更ながら、マイブームのように潔癖症になった白根が口出し出来るはずもなかった。

「ホールはてめえにとやかく言われる昔から衛生管理は万全でぃ。てめえは厨房のばい菌だけ気にしてりゃあいいんだ。分かったらさっさと巣床に帰りやがれ、この白熊が」

やはり師匠に適うわけもなく、しゅんとうなだれる白根。だがそれを眺めていたパート達が助け舟を出した。


「でもチーフ、帽子はちょっと難しいけどマスクなら大丈夫だと思いますよ。裏面にティッシュでも挟めば使い回せます」

「そうですよ。近頃は新型インフルエンザとか食中毒とか、ニュースで聞きますもんね。用心に用心を重ねるのも大事よ」

「そうよそうよ。特に恐いのが新型インフルエンザ!世界的に流行していて亡くなった人もいるって!」

「うちの子供なんてこないだ学級閉鎖になってたわ!」

「恐いわー!」

最初の一人が言ったのを皮切りに、口々と新型インフルエンザへの恐怖を語り出す。一度話し始めると止まらないのが女性というものだ。確かに、これでは作業中もマスクが必要か。
実際に私も新型インフルエンザの猛威には思わず身を固めてしまう。まだ従業員やお客様で発症したという話は聞かないが、明日は我が身。自然と警戒心が芽生える。

「ねぇ、チーフ。せっかくシェフ長がやる気になってるんだし、新型インフルエンザ対策はお任せしちゃえば?」

「そうよ。シェフ長は私達のこともしっかり考えていてくれるし」

「新型インフルエンザが恐いのはみんな一緒よ。誰かが先頭に立って予防してくれれば安心だわ」

このパート達、とにかく白根に甘い。学生時代から周りの女子に人気があった白根は、何かある度にこうやって女性陣から過保護に受ける。人徳というものだろうが、異性に対して関わり合いが薄い私にしてみたら非常に羨ましい。

「みんなよぅ、つくづく白の字に甘過ぎやしねぇか?白の字、てめえも女に擁護されてヘラヘラしてんじゃねぇ」

「へへっ、すいやせん」

「と言ってもみんなの言うことにも一理ある。そこで支配人、あっしもここは一つ、新型インフルエンザ対策のことは白の字から音頭を取ってもらうのが得策だと思いやすが、いかがでしょ?」

「うむ、そうだな。社会的にここまで懸念されているなら、当館も独自に新型インフルエンザ対策を講じるに越したことはないだろう。白根シェフ長、お願い出来るかな?」

瞳を嬉々と輝かせると、白根は我々を見渡し胸をドンと叩いた。

「おうよ!みんなの健康は俺が守るぜ!」

高らかに宣言する白根に拍手を送るパート達。すっかり調子付いている旧友を横目で見ながら私は、健康管理ならこのご時世、多少は大袈裟なくらいでちょうどいいだろうと思っていた。特にホールスタッフならばたくさんのお客様と触れ合うのだから健康に気を遣って過ぎるということはない。



それから1ヶ月が経った。
白根が先頭に立ってまずは館内のありとあらゆる不衛生な箇所を徹底的に清掃した。築10年以上経った館内には普段目に付かない汚れた部分が思いの外あり、毎日館内を歩き回っている私でも気付かされるところが多々あった。
そして次に白根はスタッフ全員に衛生面の管理徹底を訴える講習を開いた。手洗いうがいはもちろん、お客様が触れるあらゆる備品の消毒など、もともと白根は食中毒や異物混入を防止する目的で始めたことなのだ。スタッフ全員が励行しているところを見るからに、まずまず成功と言えるだろう。館内は常に清潔な環境を保ち、スタッフも皆キレイに仕事が出来るようになった。

だが、それに併せて小さな問題も見えてくるようになった。

「支配人、最近厨房やホールでの経費が馬鹿みたいに上がってきてるんですけど」

事務所の隣に座る緑川が、月間経費計上表を投げ渡す。随分乱暴な振る舞いだと憤りつつも、私は表に書かれた数字を目で追った。

「特に上がっているのが消毒液や帽子、マスク、使い捨てビニール手袋。それにうがい薬に洗浄剤。なんですか、これは。病院じゃあるまいし」

現場の情報が耳に入ってこない緑川にしては、急に膨れ上がった経費とその内容を不気味に思っているのだろう。私は白根が手引きして行っている衛生管理の事を簡単に説明する。幾分、腑に落ちない顔をしながらも緑川は納得したようだ。

「あの白熊、そんなことやってたの。馬鹿は馬鹿なりに単純ね。でも支配人、上がったのは経費だけじゃなく食材費もなんですよ」

「食材費?そりゃまた、なんで」

「きっとあいつのことだから、食中毒が恐くて食材を賞味期限前に捨ててるんじゃないの」

「まさか、そんなことは……」

「あいつならやりかねませんよ、馬鹿だから。とにかく支配人からも注意してやって下さい。このままじゃ売り上げに響いてくるわよ」

後日、白根に尋ねてみたがビンゴだった。食中毒が恐いのは分かるがそこまで敏感になられては会社として成り立たない。私はゴネる白根にきつく厳重注意をしてその場は終わった。
しかし日が経つにつれ、事態はさらにエスカレートする事になる。


ちょうど二ヶ月が経った頃だろうか。調理スタッフとホールスタッフにマスクを着けて出勤してくる人が増えてきた。はじめは風邪が流行っているかと思ったが違うらしい。むしろ予防のために着用しているそうだ。
そればかりかフェリスタシオン迎賓館に着くなり社員通用口にある消毒スプレーで念入りに手洗いをする人もしばしば。どうやらあまりに衛生、衛生とやりすぎたせいか、潔癖症が蔓延してきた。作業中に咳の一つでもすれば全員に白い目で見られる。ドアノブを触る時に必ずハンカチで拭く。ついには先日、ウェディングパーティーが終わった直後、キャンドルサービスのろうそくを消すより先にホールスタッフが椅子や床、ドアノブなどをアルコールスプレー片手に消毒をしていた。その光景を目の当たりにして、私は背中に薄ら冷たいものを感じずにはいられなかった。
もともと日本人はキレイ好きな資質がある。なので普通に生活をしていれば充分に清潔なので菌を恐れる必要などないらしい。だがそこに日本人のもう一つの特徴、凝り性が加わると大変なことになる。一度清潔な環境を保ち、病原菌の恐怖を頭の中にレクチャーされれば神経質にならざるをえない。加えて周りの人間が潔癖に振る舞えば自分も潔癖になる。菌に対して逆の意味を持つ潔癖症という疾
病に感染されてしまうのだ。
白根の指導の元、スタッフ全員は食中毒や菌への対策は完璧になった。それは良いことだろう。だが白根のカリスマ性が仇となったのか、はたまたスタッフの真面目さを見誤ったからか、フェリスタシオン迎賓館は今まで体験したことのない危機的状況に陥ってしまう羽目になった。


11月、土曜日の朝。庭の手入れを終えた私は一人寂しい朝食を取りながら、テレビのニュース番組を見ていた。地方ニュースの後にある天気予報に注目する。今日も結婚式があるのでチャペルガーデンに出れるかどうか気になるのだ。どうやら今日は一日中天気が良いようでホッとすると、お天気キャスターが最後にこんなことを言った。

『日中は暖かいですが朝晩はかなり冷え込みます。風邪が流行り始めたらしいですので、ご注意下さい』

それを聞いた私はコーヒーをすすりながら鼻白む。現在の当館には新型インフルエンザはおろか、風邪菌すら侵入する隙もあるまい。むしろ人体に害がない細菌までもいないだろうな、と思っていた矢先に電話が鳴った。受話器を取ると挨拶もそこそこに紫倉チーフの切羽詰まった声が聞こえた。

『支配人、大ごとでさぁ。うちのパート達の四分の三が風邪で倒れちまいやした!』

「……誰が、風邪だって?」

紫倉チーフが何を言っているのか理解出来なかった。朝から悪い冗談を言うものだと、脳が思考を停止した。

『ホールスタッフが全滅でさぁ!それだけじゃねぇ!調理スタッフもほぼ全滅らしいですぜ!』


取るものも取り敢えずフェリスタシオン迎賓館に駆けつけると、既に紫倉チーフが事務所へ到着していた。デスクの上にはスタッフの電話番号が記載された綴りが散乱している。

「ホールスタッフ20人のうち、出勤出来るのが5人。37℃以上の発熱が10分人、頭痛、喉の痛みを訴えているのが5人。厨房の方も似たような状態でさぁ」

どうやら紫倉チーフは私が来る前に全員へ連絡を回してくれたらしい。速やかに報告してくれたことに感謝すると、私は頭を抱えて自分の席についた。

「これはもしかして、集団感染か何かですか?」

「いや、その可能性は薄いようですぜ。今朝、あっしに連絡をくれたパートさんが昨日の晩に病院に行ったらしいですが単なる風邪と診察されたみてぇですし。他にも病院に行った人も同じく風邪らしいでさぁ」

「じゃあ何?みんな仲良く風邪を引いたってことですか?」

「恐らくはそのようで」

「あり得ん……」

私は抱えた頭をガシガシとかきむしる。そもそもこれほど一気に風邪で休むなど見たことがない。それにここ最近の状況を見て風邪を引くような人間は誰もいなかったはずだ。そのためにあれだけ神経質になっていたのではなかったのか?

「そうだ……あれだけ清潔、衛生、予防だとみんなやっていたじゃないか。そんな彼女らに風邪を引く隙などなかったはずだ。それなのに、何故……」

ほとほと困り果てた私に、しばらく考え込んでいた紫倉チーフが口を開いた。

「支配人、保育園の先生は何故に風邪を引かないか、ご存知ですかい?」

「保育園の先生?」

急に何を言うかと思えばまったく要領を得ない内容に、私の頭は上手く回転しない。

「美穂ちゃんが小さい頃、よく保育園で色んな病気をもらってきやしたね」

「あ、あぁ。普通の風邪はしょっちゅうだったし、ものもらいや手足口病なんてのもあったな」

「そんな環境に常日頃晒されているのに、保育園の先生ってなぁ滅多に風邪を引かねぇんでさぁ。何でだと思います?」

「……わからん」

「それはですね、免疫力が普通の人に比べて強く出来ているかららしいんでさぁ。いつもウィルスが蔓延した状態にいりゃあ、強くもないやすやね」

そこで私はハッと気付き、紫倉チーフを見上げる。

「あまりに潔癖に拘りすぎて、みんな免疫力が低下したということですか?」

「考えられるとすれば。ちなみに今日、出勤可能なパートさんはうちらの中でもあまりキレイ好きには拘らなかった人達ばかりでさぁ」

まさかこんなことになるとは、誰も予想しなかっただろう。清潔な方が良い、除菌が良いと謳った挙げ句の果てに、自ら体内にあった免疫力までも低下させるとは……。

「何事もほどほどが一番、ってことでさぁ。白の字はその加減が出来ねえから馬鹿なんですわ」

「そうだ!事の張本人は一体どうなっている?」

私はすぐに携帯で白根に電話をする。何コール目の後に、かすれた白根の声を聞いて愕然とした。

「白根、やっぱりお前も風邪か」

「ズズッ、お前もって、どういうことだよ?」

私は現状と原因をかいつまんで説明すると、白根は絶句して「嘘だろ……」と呟いた。

「お前、熱は出ていないのか?」

「んあぁ、幸い鼻水と咳だけだ」

「よし、じゃあ体は動くな。今すぐ出勤してこい。調理スタッフが足りなくてこれでは今日の結婚式が出来ん」

「えぇ!俺も行くのかよ?」

「当たり前だ。たかが風邪程度でシェフ長が休んでどうする。調理スタッフで体が動く奴は全員出勤させろ」

「駄目だよ!風邪引きなんて出勤したら館内に菌が蔓延しちゃうじゃないか!」

「そういうレベルじゃない。それに菌自体に敏感になりすぎたからこういう事態を招いたんだろ?まずは出勤しろ。お前は風邪菌とお客様の結婚式、どっちが大事なんだ?」

「……ズズッ、風邪菌」

「あちゃけー!このほろけのほがー!つべこべ言わず今すぐ出て来い!」

怒鳴りつけて私は受話器を切る。この旧友のアホさ加減にはほとほと呆れてしまった。紫倉チーフも弟子の教育に憂いでいるのか、額に手を当てて難しい顔をしている。
とにかく私達はいつまでも落胆しておれず、他支社や各方面に空いている人員はないか連絡を回すのに大わらわだった。その日の結婚式はなんとか無事に終える事が出来、あまりに潔癖過ぎるとどのような事態になるか身を持って知ったスタッフは、潮が引くように過度な予防対策はしなくなっていった。
フェリスタシオン迎賓館は再び平穏な日々を取り戻したのである。

更新日 11月6日

「クロちゃん!大変だぜ!」

事務所のドアをけたましく開けた白根は、すぐにデスクへ座っていた私に飛びついた。

「だからみんなの前でその言い方は止めろと言っただろ」

「んな細かいこと言ってる場合じゃねぇって!マジでやべえんだって!」

「何がそんなにヤバいんだ?きちんと説明しろ」

さっきから大声を上げる白根が鬱陶しいのか、隣の緑川が徐々に豹変してきて恐い。だがそれに気付かない白根はなおも声を張り上げる。

「火事だって!火事がヤバいんだって!」

その一言で事務所内に緊張が走る。気が弱い紅葉谷などは既に顔面蒼白だ。

「落ち着け、白根!どこから出火してるんだ!」

「違うって!出火なんかしてないって!」

「じゃあどこからだ!近隣住居か?」

「火事なんか起きてねぇって!本当に起きたらおっかねぇな、って話だよ!」

何の話をしているのか分からず混乱する私に、緑川が冷めた声色で教えてくれた。

「あいつ、午前中に防火管理の講習会に行ってたわね」

いい加減お前も学習しろと言わんばかりの非難めいた視線を送ると、緑川はつまらなそうに事務仕事を再開した。

「クロちゃん、知ってたか!火事って炎よりも煙の方が恐いんだぜ!火事が起きたらどうすりゃいいんだよ?おっかねぇー!」

「……」

もう指摘する気力が失せるほどのアホさ加減に、私は無言で旧友を眺めるしかなかった。
とにかくこの馬鹿が何と言おうとも、先頭に立たせて何かさせるのだけは全力で阻止しようと、それだけは胸に誓った。

おわり





↓緋村「私、今回登場しませんが、実は新型インフルエンザにかかって自宅に軟禁されてました」
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06:56  |  儀式人の楽園  |  CM(14)  |  EDIT   このページの上へ

Comment

披露宴会場のスタッフが防止にマスク…ちょっと異様な光景かも。
衛生面をアピールしながらお客様を減らしていきそうな気が…
例の雑誌は開いた瞬間目にとまりました。思わず「あっ!要人さんだ!」と大きな独り言を言ってしまいました(笑)
この辺は新型がドンドン増えていってますね。うちの末娘は学校閉鎖の最中です。
夢 | 2009年10月29日(木) 13:02 | URL | コメント編集

>>夢さん
嘘みたいな話ですが、うちの会社で本気でやらされそうになりました。
それは絶対に違うだろ、と全力で断りましたが。
雑誌は私もびっくりしました。あそこまで大きく載ってるとは。
要人(かなめびと) | 2009年10月30日(金) 07:32 | URL | コメント編集

 
緋村さんがインフルとはー・・・
やっぱりどう対応してもかかっちゃうもんなんですね

一個下の学年が全体で40人越えの欠席だそうです、自分の学校
合唱コンクール前に学年閉鎖は厳しいなぁ
自分の3年は今のところ問題ないっぽいんですけどね
学年閉鎖やったらみんな回復しました

シェフ長は一体何処まで突き進むのやら・・・
 
楚良 紗英 | 2009年11月03日(火) 00:03 | URL | コメント編集

>>楚良 紗英さん

学級閉鎖は大変ですよね。
いっそのこと会社も閉鎖してくれないかな、と思うときがあるんですが、
さすがにそれはないようです。
合唱コンクール前は厳しすぎますね。
延期するとかいう学校側の処置があればいいんですけど。
要人(かなめびと) | 2009年11月03日(火) 06:46 | URL | コメント編集

うちの中学の娘は学年閉鎖や学級閉鎖で合唱コンクールが延期になりましよ。
延期になると親が大変!うちの合唱コンクールは明日なので、午前中は急遽お店をお休みする事にしました(汗)指揮者なんでそうです、クラスと学年の、だから来て欲しいそうです。
あまりキレイな環境に慣れ過ぎると、ちょっとした菌にも負けてしまいそうですよね。うちの家族は汚い所に慣れてるせいか丈夫ですよ(笑)
夢 | 2009年11月03日(火) 12:53 | URL | コメント編集

 
延期になれば良いんですけどねー
残り2週間じゃどうにもなりません、ただのグダグダだ
正直今年の合唱には期待してませんし・・・
たぶん、まともに歌いたい人なんか一握りだろうからなぁ

なんと!
風邪でフェリスタシオンスタッフが大変なことに・・・!
一体どうしちゃったんでしょう
 
楚良 紗英 | 2009年11月03日(火) 18:47 | URL | コメント編集

>>夢さん
指揮者ですか。それは見に行かないといけませんね。
学年の総指揮までするんですか!それはますます凄い!

>>楚良 紗英さん
合唱コンクールは残り一週間からが勝負ですよ。
ポイントは女子の誰かが「男子真面目にやろうよ!」って言って
泣いてからです。
要人(かなめびと) | 2009年11月04日(水) 06:31 | URL | コメント編集

見て来ましたよ、合唱コンクール♪
クラスの指揮も学年の指揮も堂々とやっていましたよ~!
楚良 紗英さん、要人さんの言うとおり!残り一週間からが勝負です!! 数日前は娘のクラスは学年で最低だったらしいけど、今日聞いたら最低ではなかったですよ。要人さんの言う“ポイントは女子”はまさにうちの子?いや、泣いてないし強気な子だから違うか…うちの子はやる気のない人達に向って「やる気がないんだったら出てって!」と怒鳴りまくってたらしい。そしたら知らないふりしてた子も注意するようになったらしいですよ。
残り2週間もあります、ファイトです~!
保育士さんも凄いけど、お医者さんや看護士さんも凄いですよね~!
以前かかりつけのお医者様から「俺を見てみろ!具合悪い人を毎日見てるのに風邪も引かないぞ!」と言われた事があります(笑)
夢 | 2009年11月04日(水) 12:48 | URL | コメント編集

>>夢さん
しっかりと指揮者の勤めを全うしてらっしゃる。
そこまでみんなに言えてこそ指揮者ですよ。
意外と周りのみんなもそれを望んでいるのかもしれません。
要人(かなめびと) | 2009年11月05日(木) 07:03 | URL | コメント編集

みんながそれを望んでくれてればイイんですけど(汗)
あの強気な性格が心配です。このまま行ったら将来は旦那様を尻に敷くタイプになるかも…(苦笑)
ところで“ほろけのほ”ってど~言う意味ですか?初めて聞く言葉なんですけど。
夢 | 2009年11月05日(木) 09:18 | URL | コメント編集

>>夢さん
これからの時代は強い女性の方が幸せになれそうですよ。
ほろけのほ、はこっちの方言みたいなんですけど、
やっぱりそんなそんな使わないみたいですね。
意味合い的には「まぬけが!」みたいです。
要人(かなめびと) | 2009年11月06日(金) 06:51 | URL | コメント編集

白根シェフ長…単純なお方と言うか何と言うか…
“ほろけのほ”はそんな意味が…知りませんでした。
って言うか、昨日来た30代前半のお客様に聞いても分かりませんでしたよ。 いつの時代の方言なのか…(汗)
“あちゃけ”は何となく意味は分かるんですけど、実際に聞いた事ってないんですよね~。
要人さんって純粋な地元人?それとも実は私より年上のお方とか?(笑)
夢 | 2009年11月06日(金) 09:11 | URL | コメント編集

 
過敏になりすぎるのも駄目なんですねー
そして懲りないシェフ長は素直というか単純というか・・・
愛すべき馬鹿も度を超せば何とやら

合唱コンは正直微妙になりそうです
だいぶまとまったっちゃあまとまったけど・・・みたいな
男子にやる気が出て来たのは非常に良いのですが、
その分女子の問題が浮き彫りになっちゃって
パートリーダーなんで別に此処まで悩むこともないですが


>夢さん

娘さんを僕にry すみません
是非お嬢さんと友達になりたいです、マジで
自分は「やる気ある人だけ居って、あと要らんから」って言い放つことしか出来ません
怒鳴るってか睨む人なんで


お二方アドバイスありがとうございました、あと10日ほどですが頑張ってみます!
  
楚良 紗英 | 2009年11月07日(土) 00:37 | URL | コメント編集

>>夢さん
きっとアレです。50歳くらいのパートのおばちゃんに囲まれて仕事をしているので
それで覚えたのかもしれません。
ほろけのほ、使わないんだね・・・。

>>楚良 紗英さん
合唱コンクールまであと10日、まだまだ時間はあります!
ラスト一週間が勝負ですよ!頑張って下さい!
要人(かなめびと) | 2009年11月07日(土) 06:45 | URL | コメント編集

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