2012年06月 / 05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2012'06.01 (Fri)

駄・ランプ  第四章

 あれは三年前の冬だった。
 当時、僕は父さんと母さんと駅前にあるアパートに暮らしていた。
 父さんは銀行勤めで毎晩遅く、僕は母さんと二人でいつも夕飯を食べながら帰りを待っていた。
 時には僕が眠りについてから帰ってくることもあり、家での時間はほとんど母さんと二人っきりだった。
 でも母さんは気さくで明るい人だったから、寂しい思ったこともなかったし、退屈な時には習慣のようにアラジンの映画を観ていた。
 平凡ながらも過不足なく、充実した毎日だった。
 しかしそんな幸せは、一瞬で灰へと変わってしまった。

 その日も父さんは帰りが遅く、僕と母さんは待たずに床へ就いた。月末は忙しいと言っていたし、朝も早く出掛けるだろうから当分は顔を合わせないだろうな、と考えてながら眠り落ちた。
 しかし次に目を覚ました時、瞼の奥が異様に眩しいと感じた。最初はもう朝なのかと思ったが、冬だというのに妙に熱い。
 眠い目をこすって辺りを見渡し、その光景に驚愕した。
 部屋一面が炎に包まれていたのである。
 寝起きの頭は冷静な判断など出来るわけがなく、これは本当に現実なのか、きっと夢なんだろうなと呑気なことを考えるばかり。逃げようという選択は欠如してしまい、僕は布団に入ったままぼんやりと炎を眺めていた。
 しかし、それが取り返しのつかない時間に足を踏み入れてしまったことを後で知る。火は瞬く間に勢いを増し、既に天井まで上がっていた。
 そこでやっと僕は正気に戻る。そして布団から飛び跳ねると、すぐさま母さんのいる部屋に向かった。
 煙と炎に巻かれないよう体を低くしながら、隣の部屋の扉を開ける。
「母さん! 大丈夫?」
 勢いのあまり、ドアを開けた拍子に部屋の中へなだれ込む。そして顔を上げると、苦悶に表情を歪ませた母さんと目があった。
 普通の人ならば、そのまま部屋から歩いて出ていけばいい。しかし母さんは、か細い腕でどうにかドアの近くまで這うのが精いっぱいだった。
 母さんは、数ヶ月前に事故で両足の自由を失ってしまったのだった。
「母さん! 大丈夫! 今、助けるから!」
 僕は悲鳴のような声を上げながら、母さんをおぶろうとした。だが、予想以上に重い母さんの体に、自分の腕力が望むように応えない。勉強ばかりで非力だった自分を恨んだ。
 仕方なく引きずっていくしかないと母さんの両腕を引いた時、ガチャガチャと別のものまで動いているのを見て、初めて気付いた。普段使っている車椅子のタイヤが、母さんの寝巻に絡まっていたのである。
 きっと母さんが逃げようとした時に、パニックでもつれてしまったのだろう。力任せに引っ張ろうとしても車椅子が邪魔でますます動かない。
 タイヤに絡まった寝巻の裾をほどこうとするが、頭が混乱しているせいか、手元が震えてますます絡まるばかりだった。
 そうこうしているうちに火の手は着実に部屋中を覆っていく。炎に包まれたカーテンが、黒い煙を撒き散らして床に落ちた。
 煙を吸い込んでしまったからか、僕と母さんは同時にむせる。焦りは募るばかりで、このまま二人とも炎に巻かれてしまうのかと、恐怖がドッと込み上げてきた。
 その時、なおも絡まった裾をほどこうとする僕の手を、母さんが振り払った。驚いて顔を上げると、こわばった表情の母さんが言った。
「改人、母さんのことはもういいから、あなただけでも逃げなさい」
 一瞬、何を言っているのか分からず放心したが、すぐに涙が溢れ出た。
「いやだ! 母さんも一緒に逃げなきゃダメだ!」
「母さんはもう無理よ! あなただけでも逃げて!」
 この状況で、二人一緒に助かるのは難しいと薄々感じていた。それでも諦められるわけがない。
 しかし助け起こそうにも、まだ体が大きくなかった僕にはとても母さんを運びだせるものではない。辺りは火の回りが早まっている。
 どうすればいいのか分からず、混乱のあまり気を失いかけたその時だった。誰かが僕の肩を掴んだ。
 驚いて振り向くと、そこにいたのは父さんだった。
 安堵感が噴水のように湧き上がる。助けにきてくれた! そう直感的に思った矢先、父さんはこう言った。

「母さんはもう駄目だ。逃げるぞ」

 耳を疑った。
 考える暇もなく、父さんは僕を連れて炎と煙の中を駆け抜けた。
 後ろの今までいた部屋を振り返る。
 うつ伏せになったままの母さんが、祈るように両手を合わせて俯いていた。

 後になって知ったのだが、出火の原因は一階の隣に住む人による煙草の不始末だった。
 アパートは全焼、死者は母さんを入れて三人も出た。
 父さんが帰宅した時には既に火が回っており、消防士の制止を振り切って僕を救出したらしい。
 結局は散々怒られたらしいが、僕だけを助けたことに関しては、的確で冷静な判断だったと消防士達も舌を巻いていた。
 しかし、父さんが本当に周囲から驚かれたのはその後だった。

 火事が起きた次の日、落ち着く暇もなく母さんの葬儀が行われた。
 僕は殆ど放心状態で、親戚のおばさんが可哀想にと付き添っていてくれたが、父さんは涙一つ見せず淡々と準備を進めた。
 急に母さんを亡くして、悲しみを実感出来ないのだろうと周りは同情していたが、それにしてはあまりにも正気過ぎると訝しまれていた。
 そして納骨式も済ませた翌日、父さんは早速出勤し、大手融資先と契約を取りまとめてきた。銀行始まって依頼の最大手だったらしく、それを足掛かりに父さんは異例の出世を遂げた。
 母さんを亡くした悲しみに暮れもせず仕事に尽くす父さんを、同じ銀行で働いていた人がこう言い表したのを忘れられない。

 ――重信の心臓は鋼鉄で出来ている、と。

 それが揶揄だというのはハッキリとわかったが、僕もその通りだと思った。
 父さんの心は鋼のように折れることも曲がることもない。そして揺れも動きもせず、誰からも流されない。
 重信という一枚の分厚い鋼鉄の塊が、そこにあるだけだった。
 一緒に生活をしていると息苦しく感じる時がある。父さんが怒りも喜びもしないのは、何に対しても関心がないからではないだろうか。
 僕を育てていることすら、単なる親の義務と割り切っているだけで、人並みの愛情なんて一欠片もないんじゃないか。
 以前から薄々感じていたけど、火事の夜を経てそれが確信に変わった。
 確かに母さんを助けていれば、全員あのまま助からなかっただろう。今にしてみればそれが最善だったと思うが、心の中では全然割り切れなかった。
 僕もいつかあんな風に、父さんから容易く手放される時があるのかもしれない。
 無慈悲に、あっさりと。
 それがとても恐くて、父さんから関心を持ってもらいたくて、僕は中学も高校も血を吐くような努力をして学年首位をキープしていたのだ。

 僕は父さんみたいに鋼の心を持っていない。たから簡単に割り切れないことだらけだ。
 そしてもう一つ、僕の中で割り切れないことがある……。

 ☆ ☆ ☆

 長かった夏休みも終わり、明日から二学期が始まる。
 一年生の時には短く感じた夏休みだったが、今回はいやに長く思えた。冗長、とでも呼ぼうか。
 去年は夏期講習や宿題に追われて、遊ぶ暇もなく机にかじり付いていた。
 けれど今年は宿題だけを早々に済ませて、あとはダラダラとネットゲームにはまっていた。
 というのは、リイナの魔法で僕の学年一位は卒業まで保証されている。そう考えると勉強に身が入らないのも必然的なわけで。
 高校に入学してから味わったことのない怠慢な生活に、心のどこかが軽く警戒していた。
 魔人の力に頼るのも、案外考えものである。
 しかしながら、僕はまた魔人の力に頼らざるを得ない状況に置かれていた。

 ピピッという電子音で脇に挟んだ体温計を取り出す。朦朧としながらそこにある数字を見て、溜め息を吐いた。
「熱、下がらないなぁ……」
 氷のうの位置を直し、布団をかきながら呟く。昨晩から全く熱が下がらない。
 明日から新学期だというのに、あろうことか夏風邪を引いてしまった。
 これまで無遅刻無欠席で来たのに。しかも明日は学期始めの実力テストがある。さすがの魔法も、受けてないテストで一位にはしてくれないだろう。
 僕は枕元に置いた携帯電話を開いて時刻を確認する。時刻は既に夜の七時を回っていた。
 明日の朝まで回復している見込みは少ない。貧弱な体ということは自分が一番知っている。
 僕は気だるい体を起こして勉強机に向かう。関節のふしぶしが痛み、立っているのもやっとだ。
 こんなことでリイナの魔法を使うのは勿体無いけど仕方ない。それにどうせなら、と名案も思い付いていた。
「出でよ、ランプの魔人」
 アンティークな卓上ランプを擦る。するといつものように煙が吹き出し、部屋の中央でひとかたまりになった。
 さて、今日は何をしている最中なのかな。

 煙が晴れて現れたリイナは、リクルートスーツを着てパイプ椅子に座り、愛想笑いを浮かべていた。
 姿勢良く腰掛け、手は上品に重ねている。普段はボサボサな空色の髪もきちんと後ろで結っていた。
 そして召喚されたことに気付き僕を見ると、愛想笑いを崩して、替わりに渇いた笑みを浮かべた。
「あの、何をしているところでしたか?」
「ん~、就活中」
 伸ばしていた背筋をダラリとしながらリイナは言った。
「もしかして面接中でしたか? これは悪いことをしました」
「え~、いいよ。どうせここ、本気で受けていたわけじゃないし。大学の就職課の人から勧められただけだし。むしろパクってくれて助かったわ」
 心底ホッとしたようにリイナは欠伸をした。
「超圧迫面接の超セクハラ面接よ。『今日の下着の色とそれを選んだ理由を簡潔に述べなさい』ってなによ? いくらこっちが本気じゃないのが分かったからって舐めすぎ」
「それは、確かにヒドいですね」
「でもそれなりに答えたわよ。今日の下着はベージュです、って」
「ババくさっ!」
「ベージュだとパンチラした時に『あれ? こいつノーパンじゃね?』というほのかな期待感を一瞬だけ相手に与える効果があります」
「ねーよ!」
「そういったサービス精神を、御社の社風に反映させたいと考えております」
「意味わかんねーよ! 御社の社風を馬鹿にしすぎ!」
「でもさ、一緒に受けていた米倉なんて、馬鹿正直に『上下バラバラなんですけど、どっちで答えた方がいいですか?』って言っていた」
「馬鹿正直っていうか、単なる馬鹿だろ!」
「だよね。面接で質問返しをするなんて、愚の骨頂だわ」
「違ーう!」
 大きな声を出したせいか目眩がして膝を突いた。キョトンとしてしゃがむリイナ。
「おろ? 具合でも悪いの、リュウトくん」
「改人です。……風邪を引いてしまって」
「それは大変だ~。どれどれ」
 そう言うとリイナは前髪を上げ、自分のおでこを僕の額にくっつけた。
 心臓が大きく乱暴に跳ね上がる。
 リイナの空色の瞳と桜色の唇が僅か数センチ先にあった。
 甘い香りと吐息が頬にかかり、自分の顔が一気に紅潮していくのが分かった。
「本当だ。こりゃ四十度近くあるわね」
 おでこを離して心配そうな表情を浮かべるリイナ。今の一瞬で確実に体温が二度は上がってしまった。
「今日はもう寝た方がいいわよ、サイトくん」
「惜しい! 改人です! それよりもあなたに、お願いがありまして。前に人間の性格を変えるのは、禁忌だって言いましたけど。体の構造を変えるっていうのは、ダメなんですか?」
 熱で茹だった頭を動かしつつ、どうにか言葉を繋げる。最初は首を捻っていたリイナだったが、すぐ真意に気付いたようで深く頷いた。
「程度にもよるわね。例えば死なない体とか歳を取らない体、っていうのは無理だけど。そう、風邪を引かない体くらいだったら大丈夫よ」
 可愛らしくウィンクをする魔人様。怠け者の割にはなかなか賢いじゃないか。
 ホッとして溜め息を吐く。
「じゃあ、それでお願いします。もう体が辛くて」
 それだけど伝えると、リイナは浅く瞳を閉じて人差し指を突き出した。

「契約コード詠唱! ブッチャケ・シャフー・ッテナニー・フンイキミタイナ・モノ・カシラー!」

 リイナの指先から放つ青白い光が強くなるごとに、僕の体を覆っていた熱と気だるさがスゥっと引いていく。
 今までの体調が嘘だったように体が軽い。僕は立ち上がり屈伸をした。
「うん、大丈夫です。風邪の症状が消えています」
「そりゃ良かった。風邪ってやっぱり辛いからね。特に熱とか出ると動く気力もなくなるし」
 自分のことみたいに喜ぶリイナ。その頭には「99」の文字が浮かんでいた。
「やったー! ようやく二桁まできたわー! 目指せ、一桁!」
 百から一つ減っただけなのに小躍りをしている。やっぱり魔人って単純だなと思いながらも、今度からは簡単な願い事でも、ケチケチせずに叶えてもらおうかという気になった。

「あ、そうだカイロくん。ちょっとマホロバやりたいからパソコン貸して」
「惜しいけど人名から遠くなった! いいですよ、別に」
 僕が答えるより先にパソコン用の椅子に腰掛けるリイナ。デスクトップの電源を入れてやる。
 パソコンが立ち上がるとマウスを操作し、マホロバのログイン画面を表示する。
 そこまで一通りしてやると、あとは馴れた手つきでゲームを起動した。
「やっぱり新しいパソコンだと動作がスムーズだわ。私も買おうかな~。次はデスクトップ型がいいな~」
 画面には、ピンクのフリルがたくさんある帽子を被った女の子が表示されている。
 服もピンクを基調としたゴスロリファッションだが、片手にはドラゴンの爪のような厳つい杖を握っている。
 これがリイナのキャラクターだ。名前はそのまま『リイナ』。
「パソコンは日進月歩でスペックが向上しますからね。僕のだってもう一年半前の型だから新しくはないですよ。それよりどこかのダンジョンに行くんですか?」
「ううん。裁縫スキルの修練だけしちゃう。今日は生産系スキルの成功率が高い曜日だから」
 リイナのキャラクターはアイテム屋さんの店舗内にある台に向かうと、チクチクと裁縫をする動作を始めた。
 マホロバは狩りや冒険も楽しめるが、裁縫や鍛冶といった生産系も本格的にやりこめるゲームである。
 裁縫スキルは上がれば上がるほど素敵な衣装が作れ、それをブティックで販売も出来る。
 リイナのキャラクターが着ている衣装も自分で作ったものだ。
「そうだ。こないだはダラースダンジョンに付き合ってくれてありがとね」
 画面から目を離さずにリイナは言った。
「いえいえ。こっちこそ良い経験値稼ぎになりましたし」
 僕とリイナはちょくちょくマホロバの世界で会っていた。特に夏休み中はイン率が頻繁だったので、時には半日近くも一緒にゲームの中で過ごしたこともある(だから学校は行っているのか、リイナ)。
 しかし不思議なものである。
「こうしてネット回線を挟めば、人間も魔人もコミュニケーションを取れるんだもんね。みんな、知らず知らず異世界の魔人と冒険しているってことに、気付かないんだろうな」
「魔人だって、気付かずにやっている人もいるわ」
「あなたの所属しているギルドも全員魔人なの?」
 リイナのキャラクターの頭の上に『カオスの天秤』という文字が浮かんでいる。リイナの所属しているギルド名で、何人かは一緒に冒険をしたことがある。
「ギルドマスターは魔人らしいけど他の人はどうだろ? 半分くらいは魔人だろうけど」
 僕は腕を組んで頷く。
 まぁ、ネットの中なんて自分の年齢や性別も容易く偽れる世界だ。俺は魔人だー! なんて声高に宣言したところで、そういう自分設定ねと、軽くあしらわれてしまうのが落ちだろう。
「こうやってリアルで顔を突き合わせているよりは、ゲームの中で会う方がよっぽど現実的なのかもしれませんね」
「そうかもね。私達なんて異空間の壁を超えたオフ会をやっているようなものよ」
 リイナの言い方がおかしくて思わず吹き出した。
 そうなのだ。こうして魔人のリイナを召喚して会うこと自体、稀有だし特別なのだ。

 僕の中ではいつしか、リイナを喚び出すことに優越感を覚える瞬間が芽生えていた。
 怠け者だし面倒くさがりだけど、年上で可愛くて何でも願いを叶えてくれるリイナ。
 最近では用もないのにランプを擦りたくなるし、マホロバの中でもリイナがインしていないと残念に思ってしまう。
 そして決まって胸がソワソワしてしまうのだ。
 なんだろう、この気持ちは。

「ねぇ、裁縫スキルを極めると何のステータスが上がるんだっけ? おーい、カイバく~ん」
 リイナの声でハッと我に返る。いつの間にか物思いに耽っていたようだ。
「どうしたの、顔が真っ赤よ。まだ風邪が治ってなかったかしら。私の魔法、使い間違えた?」
「な、なんでもないです! 気にしないでください!」
 僕は大袈裟に頭を振って答える。不思議そうに首を傾げるリイナだったが、追及するのも面倒なのかパソコンに向き直った。
 僕はホッと息を吐いてリイナの澄んだ空色の髪を眺める。
 願わくば、このままの関係がずっと続きますように。一日に三十分間だけの、こそばゆい喜びがいつまでも……。

 しばらくマウスを握っていたリイナだったが、大きく伸びをするとイスから降りた。ダラリと肢体を投げ出すと欠伸を漏らす。
「よし、飽きちゃった♪」
 もはや呆れもしない。僕はベッドの枕を投げてよこすと、リイナは嬉しそうにキャッチした。
「相変わらず飽きるのが早いですね」
「だって修練が退屈なんだも~ん」
「そんなんじゃ、いつまで経っても極められませんよ。それに飽きるのも一人の時だけにして下さい。一緒にダンジョン回っているときにブレーカー落ちられると、こっちが困るんですけど」
 ついこないだ二人で行った時の話だ。
「しかも最初から高位魔法をぶっ放していくのもやめましょう」
「え~。だってちまちま倒していくのダルいじゃん。派手に蹴散らすのが、私は好きなの」
「でもそのせいで後半はMP切れになっていたじゃないですか。戦闘中にダンジョンの片隅で座っていたのはどこの誰でしたっけ」
 手を叩いてケラケラと笑うリイナ。弾みで尻からプゥっと漏れた。
「いや、だからなんであなたのお尻はそんなに締まりがないんですか、うわっ! くさっ! とうとう打楽器から違う音が出た!」
 鼻をつまんでのたうち回る僕が可笑しいのか、リイナはさらに声を上げて笑った。

 その時、僕は相当油断していたと思う。
 さっきまで熱にうなされていたからか、はたまた夏休みのせいで頭が弛緩からか。
 とにかく僕はすっかり忘れていた。
 今が夜だということを。
 そして……。

「改人、笑い声が聞こえるが、誰か来ているのか」

 父さんが家に居るということを。
 ノックもせずに扉を開けた父さんは部屋を見渡す。僕は全身の血の気がサァーと引いていく音を聞いた。
 父さんが家に居る時は、努めて召喚しないようにしていたのに。
 ポカンと口を開くリイナ。厳格な父さんなことだ。こんな夜中に女の子が部屋にいたら、相当怒られるだろう。
 僕は慌ててリイナを隠そうと、ベッドの布団をバサッと投げた。
しかし、髪も瞳も空色の異世界人を見た父さんは、意外な顔をした。
 何があっても動じないはずの父さんが、鋼の心を持つ父さんの鉄面皮が崩れた。
 そしてわなわな唇を震わせながら言葉をこぼした。

「リ、リイナ……」

 自分の耳を疑った。
 今、なんと言った。何故、父さんがリイナの名前を知っている。
 頭の中が一瞬でパニックになった。僕は父さんとリイナを交互に見る。何がどうなっているのか、サッパリと分からない。
 布団から顔を出したリイナは、キョトンと首を傾げている。そして僕に言った。
「この人、君のお父さん? 言われてみれば顔が似ているわね」
 その一言でハッとした父さんは咳払いをし、急いでいつもの無表情に戻す。
「君こそ誰だ。改人の友人か?」
「改人って誰?」
「僕の名前だ!」
 わざとらしく納得した態度を見せるリイナに、父さんが叱責する。
「いい娘さんが夜分遅くに、男の部屋に二人きりとは感心しないな。まず今日のところは帰りなさい。というよりもどこから入ってきたのだ」
 ひどく冷めた口調だった。でもそれが随分とわざとらしく聞こえたのは、気のせいだろうか。
「私だって好きで二人きりってわけじゃないわよ。あなたの息子さんからパクられたの」
「そうか。うちの息子にも非があるようだが、今すぐ帰りなさい。無断で我が家に入ってくるんじゃない」
 ムッとした表情で睨み返したリイナの体から、もくもくと煙が立ち上る。
「言われなくても帰りますよーだ! じゃあね、バイバイ!」
 どうやら丁度時間だったらしい。リイナは霧となってその場から消えてしまった。
 目の前で人が霧散したのに驚きもしない父さん。替わりにその両肩が、傷付いたように暗い影を落としていた。
 深い溜め息を吐き、僕を見つめる。
「改人、風邪はもう治ったのか」
 躊躇いながら「うん」と答えると、父さんは一拍置いてから「……そうか」と答えた。
 そして初めて気付いたように勉強机の卓上ランプを見ると、また大きな溜め息を吐いた。
「な、なんで父さんがリイナの名前を知っているの?」
 だってリイナは、この世界の住人じゃなくて、ランプの魔人だ。
 それなのに知っているということは、つまり……。
「昔の、ちょっとした知り合いだ」
「そう、なんだ。父さんは、リイナを魔人だと知って……」
「無論だ」
 そこで父さんはまた貝のように口を閉ざした。
 無表情のまま腕を組んで、ジッと視線を落とす。僕もつられて無口になるしかなかった。
 父さんの無表情は、本当は苦しい顔をしたいのに、鋼の心がつっかえて邪魔をしているようにも見えた。すごく変だけど、それが初めてこの父親に親近感を抱いた瞬間だった。
「リイナは、どうして……」
 貝の口に手を触れる。
「どうして父さんに会ったのに、知らない振りをしたの?」
 動物と違って貝は、その閉じた殻に手を伸ばしても、さらに固く身を隠すだけだ。
 でも伸ばさずにはいられなかったのは、そういう気分だったからだろう。
 その答えを父さんは余計な感情を交えず、きっぱりと告げた。

「私のことは一切記憶から消去すること。それがリイナに叶えてもらった願い事だ」

 えっ、という声が喉元でかき消えた。
「何故そんなことをしなければならなかったか? と訊ねないでくれ。そうしなければいけなかった、とだけ答えよう」
 そのまま口をへの字に結んだ父さんは、一つの大きな鋼鉄になった。そして無言のまま、僕の部屋から出ていってしまった。

 父さんが去った後、しばらくしてから僕はガックリと膝をついた。
 信じられなかった。父さんがリイナを知っていたこと。そして、父さんが昔はリイナのご主人様だったこと。
 頭が混乱して、何をどう整理すればいいのか分からない。僕の知らないところで、僕の身近な人達が不思議に交わっていたことが、とてつもなく気分が悪かった。
 僕は泣きそうになりながら頭を掻き毟る。
 リイナの記憶を消したって何? 父さんとリイナの過去に一体なにがあった? なぜ父さんは何一つ大事な事を語ってくれなかった?
 その時だった。
 リーンという住んだ鐘の音が、どこからか聴こえてきた。
 僕はハッとして耳をすます。この音は確かに一階から聴こえてきた。
 僕の家は構造が単純で部屋数が少ない。一階には三部屋しかなく、ダイニングキッチンとバスルームと、もう一部屋があるだけだ。
 鐘の音はその部屋から聴こえてきたので間違えない。
 わずか四畳半しかない部屋。僕の母さんの仏壇がある部屋だ。
 ゴチャゴチャしていた頭の中が鎮まる。その小さい鐘の音を捉えるのに、全神経が集中していた。
 その音が、僕に何かを示していたような気がした。
 繋がっている。これは憶測でしかないかもしれないけど、絶対に何かが繋がっている。
 リイナの話になった直後、母さんの仏壇を拝む父さん。僕の知らない何かが、確実に繋がりを持っている事を示していた。
 僕は立ち上がり、勉強机に飾られたランプを手に取った。
 さっきリイナを召喚してしまったので、尋ねるとすれば明日以降。
 もしかすると、本当は知らない方がいいことなのかもしれない。
 それでも僕は、知りたい欲望を抑えることが出来なかった。

更新日 6月6日

 ☆ ☆ ☆

「へぇ~。そんなことがあったんだ~」
 ビーフジャーキー片手にワンカップの日本酒を啜りながら、リイナは他人ごとみたいに感嘆した。
 翌日、二学期の始業日を終えて帰宅した僕は、時間を見計らってリイナを喚び出した。
 パジャマ姿で既に宵の口なところから察するに、寝酒を煽っていたところだろう。まるでオッサンだ。
「いや、あったんだ~じゃなくて。自分のことですよ。記憶の一部がないんですよ」
「え~大して珍しくないよ。魔人の中には幻術使いもいてさ。バトルになると記憶をいじったり、幻を見せたりするのもいるのよ。たまに後遺症でそのままって魔人もいるから、驚くほどのことじゃないわ」
 魔人のアバウトさ加減に驚くわ。
「それにしても、まさか私が知らず知らずのうちに誰かと契約していたなんてね。しかもそれがライトくんのお父さんだったとは」
「改人です。あの、本当に記憶がないんですか?」
 念のために訊いておくが、リイナはゲップ混じりに「さっぱりないわ」とだけ答えた。
「でもさ、何で私は記憶を消そうとなんて思ったのかしらね? 君のお父さんも、何でそれを望んだのかしら」
パンツの中に手を突っ込んで直接に尻を掻きむしるリイナ。あの堅い性格の父さんのことだから、こんな頭の軽い魔人と相手をしていた事実を抹消したかったとか?
「分かりません」
 それは敢えて言わず、顎に手をかけて答えた。
「過去のあなたが望んだのかもしれませんし。父さんは何も語ってくれませんでした」
 そう、だから直接本人から記憶を引き出すのだ。
「そんなわけで、いいですか?」
「ふぁ~い。いいよ~」
 だらしなく大口を開けて欠伸を漏らす。
「魔力を使えば、失った自分の記憶を取り戻すことは可能なんですね?」
「うん。自分で使った魔力なら自分で解除することも大丈夫よ。ただし、ハルトくんの願い事というかたちで契約コードを唱えれば」
「改人です」
 ワンカップを机に置いて体を起こす。首をコキコキと鳴らしながら指を回した。準備万端なようだ。
 そんなリイナを前にして、若干躊躇する。
 本当にこれは正しいことなのだろうか。
 もしも封印した過去が二人にとって辛い事実だとしたら? それをあばいて誰かが傷付くことになったら?
 でも、母さんの事もある。何故、昨日父さんはリイナと会った直後、母さんの仏壇を拝むなんてことをしたのだ?
 自分自身が曖昧なまま、結果を求めるのは間違いかもしれない。
 お酒が入ってほんのり瞼が下がっているリイナ。僕だけの、たった一人の魔人。
 今回は見送ろうか、と思い口を開きかけた矢先だった。
「大丈夫だよ。きっと大した話じゃないと思うわ。君のしたいようにしたらいいよ」
 空色の瞳がふんわりと微笑んだ。
「私は君の願いを叶えるのが役目だから。どんな小さな願いでもね、ご主人様」
 胸のモヤモヤが晴れた。その時、玄関の方で戸が開く音が聞こえた。
 僕は唾を飲み込んでリイナを真っ直ぐに見つめる。
「お願いです、ランプの魔人。あなたが失った父さんとの記憶を蘇らせてください」
 リイナが人差し指を僕に突き付ける。

「契約コード詠唱。ヒヤザケト・オヤジノ・コゴトハ・アトカラキクー!」
 青白い光がリイナを包み込む。

 光はかき消え、頭上に「98」という文字が浮かんでいる。リイナはゆっくりと目を開いた。
 空色の瞳がどことなく虚ろげに見える。胸が曇った。
「ど、どう? 思い出した」
 恐る恐る訊ねると、リイナは曖昧にハニかみながら頷いた。
「うん、全部思い出したよ。改人くん」
 魔法は成功だったようだけど、ホッと出来ない。僕は部屋の扉を開けて父さんを呼んだ。
 昨日から口をきいていないのに、普段通りの返事をして入ってくる。
 そしてリイナを目にすると、ハッと息を飲んだ。
「シゲ、ノブ……?」
 明らかに驚愕の色が浮かんだ。自分の名前を呼ばれた父さんは、睨むように僕を見た。
「久しぶりだね、シゲノブ。あはは、大きくなったっていうよりオジサンになっちゃって」
 控えめに笑うリイナに父さんは「あぁ」と返すと眼を閉じた。
 懐かしむように父さんを見つめるリイナは、優しく微笑んだまま言った。
「改人くんがね、記憶を蘇らせてくれたの。怒らないであげてね。私達のことを思ってやってくれたんだから」
「だから、僕の名前は改人ですって……え?」
 思えばさっきもそうだった。リイナがきちんと僕の名前を言えた?
「あはは。また会えて嬉しいわ、シゲノブ。……そして」
 胸を槍で貫かれたような衝撃が走った。

「ごめんね。本当に、ごめんなさい」
 リイナの双眸から止め処ない涙が溢れた。

「リイナ、謝らないでくれ。君は何も悪くないんだ」
 グッと下唇を噛み締める父さん。
 父さんの言葉を聞くやいなや、リイナはワンワンと声を張り上げて泣きじゃくった。そして、そのまま煙と共に消え去ってしまった。
 慌てて時計に目をやる。リイナを召喚してからまだ十分も経っていないはずだし、魔人は自分の意志で魔人界に戻れないはず。
 呆然とする僕を尻目に、父さんは感情のない人形のように部屋から出て行った。
 リイナも父さんもいなくなり、一人取り残された部屋で立ち尽くす。秒針の音だけがうるさかった。
 意味が分からず真っ白になった頭の中で、たった一つだけ悟ったことがある。
 それは、自分が取り返しのつかないことをやってしまった、ということだった。



目次へ
スポンサーサイト
22:58  |  駄・ランプ  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。