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2012'05.06 (Sun)

駄・ランプ  第一章

 幼い頃、ランプの魔人に憧れていた。
 たぶん初めてアラジンの映画を観たのは五歳の時だったと思う。たまたまテレビのチャンネルを回していると、BS番組で再放送をやっていた。
 巨大な身体に豪快な振る舞い。なにより何でも願いを叶えてくれるという夢のような魔法に、僕は一瞬で虜になった。
 母さんにせがんでアラジンのDVDを買ってもらい、デッキが壊れるくらいに何度も繰り返し観た。ていうか実際にデッキが壊れた。
 そのくらいランプの魔人に魅せられた僕は、アラジンの他にも図書館でランプの魔人関連の本を読み漁った。
 当時は博士号が取れるくらいに、ランプの魔人マニアだったと思う。
 さらにはノートに『魔人にお願いリスト』なるものまで作り、来る日も来る日もお願いする事を上位三つラインナップしていた。
 長生きがしたい、お金持ちになりたい、勉強をしなくてもテストで百点が取れるようになりたい、おやつにプリンを毎日食べたい、など。
 それを中学に上がるくらいまでやっていたので、幼い頃というには語弊があったかもしれない。
 とにかくそのくらい『ランプの魔人』熱は、僕の幼少期の全てだった。

 だからまさか、高校生になって本当にランプの魔人と出会うことになるとは夢にも思わなかった。
 当時の熱が一気に再発して、鼻血を出してぶっ倒れると懸念したが、幸いにも一回目の願いが「救急車呼んで」にならなくて済んだ。
 いや、残念ながらといった方がいいだろう。
 何故ならそのランプの魔人である女子大生のリイナは、面倒くさげにこう言ったのだ。
「はい、じゃあね。さっさと願い事を三つ……いや二、やっぱり一つだけにして下さい。ダルいんで」
 眠い目をこすり、はだけたパジャマを身にまとったランプの魔人を前に、僕の幼い頃の夢は儚くも音を立てて崩れ落ちていった。




 第一章

 リイナに初めて会ったその日、僕はこの上なく機嫌が悪かった。
 帰り道を進む足取りもイライラして速くなりがちで、危うく途中で寄るはずだった電気屋さんを通り過ぎてしまうところだった。
 中通り商店街の小さな電気屋さんに立てられた「大特売」ののぼりでハッと気付いた僕は、またイライラを募らせながら自動ドアをくぐった。
 店内を見渡しながら、さっきのホームルームを思い出す。

 一学期の中間テストの答案も全て戻り、学年の順位も出揃ったのだろう。
 担任教師の古田先生はいつもの清々しい顔で言った。
「うちのクラスは優秀な生徒が揃っているが、その中でも特に学力が高いのが井上改人(いのうえかいと)と佐々木茉莉(ささきまつり)だ。いつもなら井上が一位、佐々木が二位だったが……今回の中間テストでついに均衡が崩れた」
 そこで一度溜めを作る古田先生。周りのクラスメートは好奇の眼差しを僕と佐々木に向けた。
「なんと、ついに佐々木が首位を奪還したのだ!」
 その瞬間、教室は歓声に包まれた。
 僕は努めて平静を装いながらも、その公開処刑にも似た時間に歯ぎしりをした。
 ご丁寧にも古田先生は僕と佐々木の点数を教科ごとに発表する。合計点数で僅か五点及ばず、僕はこのたび学年二位の座に転落した。
「けどな、佐々木もそうだが井上だって相当なものだぞ。なにせ入学してから二年生になったこれまで、ずっと首位をキープしてきたんだからな。井上にとって佐々木は本当に良いライバルだと先生は思うぞ。みんなも二人を見習ってお互いに切磋琢磨しあうように」
 えぇ、そうでしたよ。去年一年間は期末テストも中間テストも、ずっと首位をキープしていましたよ。
 なんでそれをわざわざ引き合いに出すかな。落ちた立場がさらに強調されるじゃないか。
 僕は窓際の席にいる佐々木に目を向ける。
 すると佐々木は僕の視線を待っていましたとばかりに受けとめ、勝ち誇ったように鼻で笑った。
 胃のムカムカが一気に上昇して、口からカルシウム不足の堪忍袋が飛び出しそうになる。
 これまで学年二位だった佐々木茉莉。
 高校生にしては発育が乏しい背丈に、綺麗な金髪を無理やり結んだ短めのツインテールが、ますます幼い容姿を強調している。しかし整った目鼻立ちに愛らしくクルクルと動く瞳は、まるで親戚に一人はいる可愛い従姉妹のようだ。
だが、その実態は見かけに反比例して全く可愛げがない。
クラスメートと進んで交流を図ろうともせず、思考はとことん冷たい。自分以外の人間は見下すか塵芥としか思っていない。
 勉強では勝っている僕を、いつも目の敵にしている粘着質な女子なのだ。
 背が低いためか、椅子に座っても地面に届かない足をブラブラさせながら、佐々木はもう一度、ニッとほくそ笑んだ。
 僕はこれ以上、フラストレーションをため込まないために目を閉じると、古田先生の声を聞き流す作業に入った。

 そんなことを思い出しながら、僕はさほど広くない店内を歩く。今朝方、登校する間際に父さんからお遣いを頼まれたのだ。
 台所の真上にある電球が切れてしまったのだが、僕はその切れた電球を片手にウロウロしていた。
 父さん曰わく、LED電球に交換したいらしい。
 しかしながら、LED電球といっても真新しいものなので、どれがうちの台所に適合しているのか分からない。
 パッケージを眺めてみてもイマイチしっくりこなく、僕はさらにイライラを募らせながら電球売り場を行ったり来たりしていた。
 こんなことならやっぱり、お遣いなんて引き受けなければ良かった、などと嘆きながらも、今朝父さんに言われたことを思い出す。
 僕は一度お遣いを断ったのだ。電球なんて買ったことがないし、ましてやLED電球なんて見たこともない。
 しかし父さんはそんな僕の眼をまっすぐ見据えて、にべもなく言った。
「お前はそんなだから、いつまで経っても一人前になれないのだ。それでも私の息子か。情けないにもほどがある」
 抑揚のない言い方だったが、それがかえって威圧的に感じた。
 そんな父さんの冷たい態度を思い出して、僕は腹立たしさよりも悔しさがじんわり胸に広がっていくのを感じた。

 結局、このまま意味もなく店内を迂回しても時間の無駄だと察し、店員さんへ電球について訊ねてみた。しかしこの電球の型に合うLED電球は取り扱っていないらしく、無駄足で終わってしまった。
 軽い調子で頭を下げる店員にまたムカムカがぶり返してきて、早々に店を出ようと思っていたその時だった。
 入り口近くに置かれた処分品ワゴンの中にあった商品が、思わず目に留まった。
それが卓上ランプだった。
 商品入れ替えで型が古くなったドライヤーにマッサージ機。その中で一際異彩を放っているくらいアンティークな拵えだったのである。
 僕はついつい手が伸びてしまい、その卓上ランプをじっくり眺める。
 昔の海賊船から発掘されたような煌びやかな外装に、似つかわしくない電球とコンセント。
 中世と現代がごっちゃ混ぜになった造りが、中途半端さ加減を際立たせているが、どこか人の心を惹きつけてやまない魅力を秘めていた。
 値段を確認すると僅か五百円。たとえガラクタだとしても、財布が痛まない程度の価格である。
 僕はその卓上ランプをレジに持っていくと、店員はしばらく見つめてから言った。
「あの、これだと台所仕事をするには手元が暗い気がしますよ」
 知っとるわい、そんなこと。
 僕はついでに新しい電球も一緒に購入し、帰路についた。

 家に帰って自分の部屋に入ると着替えもそこそこに早速、卓上ランプをコンセントに挿してみる。なんの変哲もない裸電球の明かりが灯っただけだった。
 当然といえば当然だ。外装がちょっと普通じゃないだけで、構造は至ってシンプルな照明器具である。
 僕は溜め息を吐いてコンセントから抜く。そして卓上ランプを手に取り、誰もいるはずのない室内を見渡す。
 これは僕が自分で認識している唯一の癖である。
 ランプやそれに似た類の形状のものを見かけると、ついついやりたい衝動に駆られるのだ。
 最近は沈静化したはずの、くすぶった残り火が無意識に背中を押す。
 浅く瞳を閉じ、小さく息を吸い込む。そしてゆっくりとその言葉を口にしながら、ランプを擦った。

「出でよ、ランプの魔人」

 ……。
 …………。
 反応なし。
 僕は恥ずかしくなりランプを乱暴に手放した。そしてわざと声を上げて笑う。
「だよな! 出てくるわけないもんな! 当たり前じゃないか! なにが出でよ、だよ! 小学生かってーの!」
 あぁ、自嘲するのも虚しい。
 こんな姿は絶対に他人へは見せたくない。これまで学年一位をキープしていた僕が、隠れてアラジンの真似事をしているなんて。
 深い吐息を吐き出して現実に戻る。父さんが帰ってくる前に台所の電球を取り替えてしまおうとランプに手を伸ばした、その時だった。
 ランプの先端から、モクモクと白い煙が立ち上っているではないか!
 僕はギョッとして後ずさる。もしかしてさっき電源を入れたときに、パーツの一部がショートしたのかもしれない。
 早く火を消すか窓の外にでも放り出さなければ、と思ったが、忌まわしい記憶がブワッと甦り、僕の両脚を床へ釘付けにした。
 冷や汗が止まらなかった。
 煙はどんどん膨らんでいく。これは最早消火できるレベルじゃない、逃げなければと思ったが、そこで僕はある違和感を覚えた。
 立ち込めた煙は天井に上っていくわけでもなく、フローリングの床の一部分だけに固まってうごめいている。
 五頭くらいの羊が、押しくらまんじゅうをしているような光景だった。
 煙は徐々に晴れていく。
 これは……もしかして。
 目の前の風景に対して、理性と夢想が熱烈な協議を開始した。
 心臓が高鳴ってうるさい。
 期待と不安で口の中がカラカラになる。
 煙の向こうにシルエットがぼんやりと浮かぶ。
 僕は目の前に現れる何かを決して見逃すまいと、しっかり双眸を見開いた。
 ……が、次の瞬間には首を傾げていた。

 女の子、というには若干失礼な年頃の女性が、枕を抱きかかえながら寝息を立てていた。
僕は辺りをキョロキョロと見渡す。
 見慣れた本棚に勉強机。部屋の隅には、高校の入学祝いに買って貰ったデスクトップ型のパソコンがある。そしてベッド。それ以外は余計な物が置かれていないシンプルな部屋だ。
 ここは僕の部屋で間違いない。
 特に何一つ変わった様子がない。さっきまで触っていた卓上ランプは床に転がっている。
 そんな自分の中で一番プライベートな空間に、よく分からない女性が呑気に横たわっていた。
「誰、この人?」
 僕はたじろぎながらもその女性を凝視する。
 緑色のドット柄のパジャマに、フリフリが付いたピンクの枕。そこだけを見れば普通なのだが、その女性の髪は鮮やかな程に空色だった。
 どんな染色をすればそうなるのか、むしろそんなヘアカラー塗料が市販されているのかと思うくらいに、見れば見るほどキレイなスカイブルーだった。
 しかしそんなキレイな髪も、寝ぐせでボサボサになっている。
 お肌は白人のように透き通っているが……うわ、涎の跡がくっきり付いていて台無しだ。
 不躾ながらも眠っている女性をじっくり観察していた僕だが、その人がムニャムニャと体をくねらせたのに驚いて身構える。
「……うにゅ」
 小さく欠伸を洩らして、その女性はゆっくりと目を覚ました。
 心臓がドキッと跳ね上がる。
 まどろんだ瞳が緩慢に辺りを探り、そして僕を捕らえると停止した。
 寝起き直後だからか虚ろな眼差しだが、その両目も髪の色と同じく空色だった。
 そこで僕は初めて、その女性が人外なものだと確信した。
 突然に煙と共に現れた眼も髪も空色の女性。僕が知っている範囲でそんな特徴を持つ人類は地球の裏側にもいない。
 ただ一番肝心なのは、この女性が僕にとって善なのか悪なのか。
「……」
 僕を見つめたまま微動だにしないパジャマの女性。こちらも下手に動けず、ただ硬直するばかりだ。
 固唾を飲み、僕はその女性の一挙動を逃さないよう、しっかりと両目を見開いた。
 すると、その空色の女性は

「……。……ぐー」
 二度寝した。

「起きろー!」
 条件反射並みに突っ込む。
 女性は顔をしかめて頭をポリポリと掻きながら体を起こした。
「なによ~。今、寝ている真っ最中なんですけど」
「だからって二度寝する奴があるか! あなた、一体誰だ!」
 僕の声がうるさいのか、女性は両手で耳にフタをする。

 あぁ、僕自身も自分の声がうるさいと思っているよ。ただ大きい声を出していないとあまりの恐怖で気絶しそうなのだ。
「あなた、どうやって僕の部屋へ入ってきたんですか? 窓だって鍵が掛かっていたはずなのに」
 あくまで常識的な方向から攻めていきたい。なんとなくもう常識なんてものからは逸脱しちゃった感が薄々あるけれど、まだ僕の中の理性が許容することを拒んでいる。
「どうやって、って。君がこっちの世界に喚んだのでしょ? ランプか何かで」
 が、常識は呆気なく覆された。
 女性は傍らに転がった卓上ランプを手に取り「コレが私のゲートなのね」と呟いた。しかしすぐに興味を失ったように手離す。
 僕は恐る恐る訊ねた。
「もしかしてあなた、ランプの魔人とか……言わないですよね?」
「イヤだわ、魔人なんて。どうせなら小悪魔的な、とかにしてくれない?」
「格が下がっているわ!」
 女性は手を叩いて笑った。何なのだ、この人は。
 でも今、確かに認めた。自分がランプの魔人だということを。
 しかも驚いたことにこの魔人は女性ではないか! ランプの魔人といえばヒゲが生えたオッサンというイメージが強かったので、すぐにすんなりと飲み込めなかった。
 胸が高鳴る。さっきまで怯えていたのとは違う高揚感が溢れてきた。
 女性は床に頬杖を突くと、伸び伸びと肢体を投げ出した。はだけたパジャマの隙間から白い肌が露出している。
 僕は咳払いをして再び訊ねた。
「ところであなた、名前は?」
 しかし女性はすぐに答えようとせず、爪をいじりながら呟いた。
「人の名前を訊ねる時にはまず自分の名前から、でしょ? それに君、私より年下っぽいし。常識だよ、常識」
 唖然とした。
 ランプの魔人というものは言語はおろか、礼節に関しても人間並みに習得しているらしい。
 もう少し荒々しい種族なのかと思っていたけど、これは認識を大幅に変更しなくてはいけないようだ。
 僕は背筋を正して口を開く。
「失礼しました。僕の名前は井上改」
「私はリイナよ。君も呼ぶ時はリイナでいいから」
「結局先に名乗っているじゃねえか!」
 欠伸混じりに答えるリイナ。
 何なんだ、この人……いや魔人。人に名乗れと言っておきながら自分が先に名乗りやがった。しかも人が自己紹介をしている真っ最中なのに。
 リイナはもう一度大きく口を開けて欠伸をすると、お尻をバリバリと掻く。もうさっきからの振る舞いで威厳もなにもあったものじゃないが、この人が魔人ならば一番訊ねておきたいことがある。
「あの、リイナさんはランプの魔人で間違いないんだよね」
「はい~。小悪魔的な女子大生、リイナちゃんで~す」
「はぁ……。するとやっぱり、ランプから喚び出した人間の願いをなんでも三つ叶えてくれたり、します?」
 ゴクリと唾を呑み込む。リイナは微睡んだ空色の瞳を閉じながら言った。
「一応ね」
 ただならない歓喜が湧き上がった。
 幼い頃からずっと憧れていたランプの魔人が(見た目は寝ぼけたお姉さんだが)、こうして目の前に現れて願い事を叶えてくれることを肯定したのである。
 嬉しいなんて言葉じゃ足りない。僕は人外な力を奮う魔法のカギを手に入れたのだ!
 しかし、その魔人様は浮かない顔で枕を抱いている。もっともここに現れてから、未だに夢の世界を行ったり来たりしているようだが。
「願いは三つ、叶えるわよ。本当はイヤだけど魔人界と人間界の契約だから仕方ないわ。ただし……」
 そこでリイナは声のトーンを落とす。
 過ぎた力は代償も大きい。僕はリイナと同じくらい声を潜めて「ただし……?」と繰り返した。

 リイナが上半身だけを起こし真顔で言った。
「すっごいダルいらしいのよ! 私が!」
 ……何ですと?
「えぇと、ダルいんですか」
「そうらしいのよ! なんかね、願いを叶える時にものすごく魔力を消費するって聴くわ! しかも人間ってさ、願いをスパッと決めてくれない超メンドくさい種族だって言うじゃん。かなり頻繁にパクられるって! そういえば高校の時にクラスメートの山本さんが一日に三回もパクられてたわ。いつも泣いて帰ってきていたもん」
「あの、パクられるってなんですか?」
「魔人が人間界に召喚されることよ。つまり今の私の状況」
 パクられるって嫌な呼び方だな。魔人達が召喚される行為をどう受けとめているか、容易に察することが出来る言葉だ。
「あの、大変なのは分かるんですけど。僕としてはやっぱり願い事を叶えてもらえると助かるんですが。こうしてランプの魔人さんと出会えたわけですし」
 う~ん。なんでこんなに下手に出なきゃいけないのかな。まぁ、叶えてもらうのはこっちだから仕方ないか。
「え~。一番いいのはさ、一つ目の願いを『願い事をしない』にしてもらうことだわ。そうすれば私は晴れて解放♪ じゃない?」
「いや、それはちょっと……」
「マジですか。あぁ、じゃあ今サクッと三つ言っちゃって。それで終わりにしましょ。厄介ごとは一遍に片付けたいし。いや、それはそれでダルそう。やっぱり小出しにしてもらった方が……駄目だ、もっとダルい。どっちも楽じゃない~。どのみち面倒なのは一緒じゃない~」
 足をバタバタさせ呆れるような葛藤に苦しむリイナ。しかしパタッとバタ足を止めると、現実逃避のように寝息を立て始めた。
 さっきまで高揚していた気持ちが、徐々に沈下していくのを感じた。
 なんだ? 魔人ってみんなこういう性格なのか?
 そりゃあ、種族というか住む世界が違う赤の他人の願いを叶えるために、魔力とやらを消費するのは大変だろう。魔力自体がどういうものか定かではないが。
 僕だって寝ているところを叩き起こされて、急にボランティアをしろと言われたら快く引き受けられない。
 でも、僕はアラジンに登場したランプの魔人を思い出す。
 彼は一度たりとも煩わしい顔などせず、むしろそれが使命だといわんばかりに意気揚々と大活躍していた。
 あそこまでやれとまではいわないが、せめて魔人と崇めたくなるくらいの振る舞いはしてほしい。僕は未だにリイナが二本足で立った姿すら見ていない。
 うつ伏せのままスヤスヤと三度寝に入ったリイナ。僕は近くまで歩み寄って声を掛けた。
「あの、ランプの魔人って無作為に選ばれるの?」
「うにゅ。何か言った?」
「喚び出す魔人はこっちで選んだりできないの」
 自分でヒドいことを言っているな、と思った。けれどここまで言ってやらないと、リイナはまともに聴きやしないだろう。
「う~ん、無理なんじゃない。そのランプは私と人間界を繋ぐゲートだから、他の魔人だと違うランプが必要かも」
 ほら見ろ。怒りもしない。
「どうせならさ、映画のアラジンに出ていたランプの魔人くらいの方がいいな。たくましくて頼もしそうだし」
「あぁ。兼次さんちのお爺ちゃんね」
「えぇ! ご近所さんなの?」
「そうよ。もう半分ボケてるからさ、会う度に昔話をしてくるのよね。儂はご主人様から自由にしてもらった唯一の魔人じゃ! って。もうね、何度も聴いたから相手するのがダルくて。声デカいし」
「もしかして、ハクション大魔……」
「米倉のお父さんでしょ? 万年花粉症の。うちの町内、毎朝六時になると米倉さんのくしゃみが轟くのよ」
「じゃあ炎の魔人で有名なジンは……」
「高杉んちの家系ね。そこの長男、私の幼なじみよ」
 僕の問いにさも当然そうに答えるリイナ。これには開いた口が塞がらなかった。魔人といえば高名な方々が、なんとリイナのご近所様だとは。
 というか、なんでみんな普通に日本の名字なの?
「で、なんで召喚する魔人を選べるかなんて訊くの? 誰を呼んだってそんなに変わらないのに」
 頬杖を突きながらリイナは言う。その時、だらしなくはだけたパジャマの胸元の奥がチラッと見えた。僕は慌てて顔を逸らしながら答えた。
「僕はもっときちんとした魔人に出てきて欲しかったんだ。あなたのようにグダグダした女性じゃなくてね」
「あら、男女差別~。それに魔人は女の方が平均的に魔力高いのよ。男は腕っ節だけ。それとも脳みそまで筋肉なマッチョ魔人に出てきて欲しかった? 今度、一緒に連れてこようか。君がそういう趣味の人なら」
「何を言っているんですか! 変な誤解しないで下さい! それに女性だからイヤなんじゃなくてもっと他の理由!」
「まあ、それはそれでどっちでもいいじゃない。はい、じゃあね。さっさと叶えて欲しい願いを三つ……いや二、一つで頼みます。なんかダルいんで」
 リイナは大きな欠伸をしながらパンツの中に手を突っ込んでお尻を掻く。アスファルトを金ヤスリで擦ったような音がバリバリと響いた。
 知らなかった。女性のお尻って打楽器だったんだ。

 僕はベッドに腰掛けて深々と溜め息を吐き出した。
 幻滅した。僕がランプの魔人にどれだけの憧れを抱いていたか、この人は分かっているだろうか。
 ランプの魔人に対する熱い思いは幼少期の僕にとって全てだったのだ。
 中学生になった頃には所詮物語の中の話だと諦めていたが、それでもずっと胸の奥でくすぶっていた。
 こんなんだったらいっそのこと、夢の中の存在として出会わなければ良かったのに。
「あの、呼び出したからには、その都度に絶対願い事をしなきゃいけないの?」
 もぞもぞと首だけをこちらに向けるリイナ。
「うぅん。いつでも構わないわよ。私も今はそういう気分じゃないから、また違う日にしてもらえると助かるわ。眠いし」
「じゃあ今日のところはお引き取り下さい」
「は~い」
 一言一言がイラッとする。もう今日はどこかに行って欲しい。そして気持ちを整理する時間が欲しい。
 ベッドにごろんと寝転ぶ。
 何だか一気に色々なことが起きたせいか、頭の中がゴチャゴチャしている。中間テストのことで悶々していたのが、まるで昨日のようだ。
 でも何かを考えようとしても、思考は定まらずフワフワと霧散していった。
 駄目だ。こんな時は勉強でもして集中力を高めよう。
 僕は起き上がって勉強机に向かおうとしたが、立ち止まった。
 リイナがまだそこにいた。
「あの、もう帰っていいですよ」
 だらしなく涎を垂らしている寝顔を覗き込む。女子大生と言っていたが、二十歳前後の女性がここまで締まりがないのは、果たして如何なものか。
 というか、魔人界には普通に大学があるの?
「ちょっとリイナさん。僕、勉強したいんで帰って下さい」
「うにゅ……。帰るわよぉ、そのうち」
「いやいや。そのうちなんて言わずに、今すぐどうぞ」
「私もそうしたいのはやまやまなんだけどさ。一回パクられると、三十分間は絶対にこっちへいなきゃいけないのよ」
「え! そうなんだ!」
「そうよ。それと召喚出来るのは一日に一回までね。極力無駄な召喚はしないように。特に今日はもう絶対に召喚しちゃ駄目だからね。私、夜に合コンがあるから」
 こっちも出来るなら召喚したくないわい。
 僕は壁に掛けられた時計に目をやる。最初に召喚したのは何分前だったのだろうか。二十分前だったような気もするし、五分前だったような気もする。
 とにかく、もう少しリイナはここにいるということか。この上なく落ち着かない。
「ねえ。もし良かったらそっちのベッド貸してくれない? 床だと体が痛くて」
「あ、はい。どうぞ」
 むくりと体を起き上がるリイナ。僕の前に立つとニッコリ微笑んだ。
「ありがと。御主人様」
 そしてリイナは僕の頬にキスをして、早々に布団の中へもぐり込んだ。

 それから、リイナはすぐに微かな寝息をたてて、夢の世界に行ってしまった。
 僕は茫然と放心状態のまま立ち尽くし、正気に戻った頃には既にリイナはそこにいなかった。いつの間にか三十分経っていたらしい。
 ガクリと膝をついてベッドに顔を伏せる。女性特有の甘い香りが鼻をくすぐり、僕の心臓は再び鼓動を速めた。
 完全に不意打ちだった。
 リイナの微笑みと、唇の柔らかい感触が、今も鮮明に焼き付いて離れない。
 しかも、ご主人様って。あれはかなり破壊力がある呼び方だよ。男のツボをストライクにつく呼び方だよ。
 髪はボサボサでパジャマははだけていて、ナマケモノみたいに面倒くさがり屋だけど、意外と可愛い顔をしていたな。そんなことを思ってしまい、僕は布団に顔をうずめて足をバタバタとさせた。
 澄んだ五月の青空のような髪と瞳を思い出す。するとまた、ドキドキと胸の高鳴りが増していった。
小悪魔的な……あながち間違っていないじゃないか。

☆ ☆ ☆

 リイナに会った翌日、僕は学校へ出掛ける前に押入れの中を漁っていた。
 山のように積まれた参考書の一番下をひっくり返して、ようやく見つけた一冊のノート。
 ランプの魔人に叶えてもらう願い事ランキングが書かれたノートだった。
 通学途中のバスに揺られながら、僕は表紙の古びたそれをクスッと笑いながら開く。
 日付はちょうど小学三年生の頃から始まっていた。毎週月曜日、決まって三つの願い事が書かれている。まだ下手くそな文字だけど、一生懸命考えて書いたことが思い出された。
 八月十二日。アイスを一日三本食べたい。宿題を全部やってほしい。夏休みをもう一ヶ月のばしてほしい。
 一月五日。百万円ほしい。毎日アニメがみたい。雪をもっと降らせてほしい。
 こうして読み返してみると、当時の情景がパッと甦ってくる。さながら日記のようだ。
 中学生にもなると流石に現実的というか現金というか、かなり実用性の高い願い事になっているから可笑しい。
 そして日付は進み、ある日にきた時に僕はページを捲る手を止めた。
 そこに記されていた文字を読むと同時に、哀愁が胸にじんわりと広がっていった。
 忘れもしないあの日。
 願い事は三つではなく一つだけ書かれていた。

『死んだ人を生き返らせて欲しい』

 その日を最後に願い事ランキングノートは終わっていた。
 僕はノートを閉じて通学カバンにしまう。そして車窓の外に目をやった。
 あれはちょうど中学一年生の冬だったから、母さんを亡くして三年は過ぎた。
 もうあの頃のことを思い出しても、涙を流したり動揺したりしなくなった。自分の中で現実をしっかり受け止められるくらい、心が強くなった証拠だろう。
 でもそれと同時に、夢を見たり空想を描く楽しみも失ったと思う。
 ランプの魔人なんて本当はいるはずないと、昔の自分を冷めた目で見始めたのも、ちょうどあの頃。
 しかし、外の景色は次々と様変わりしていく。ビルも車も歩道橋も僕を追い越していく。
 絶対いないと決め込んでいたはずの存在も、常識を覆して目の前に現れた。
 これが吉兆なのか凶兆なのか、分からない。分からないけど、確実に何かが変わっていくだろう。
 僕は溜め息を吐き、カバンから参考書を取り出す。そして車窓の景色から、方程式が羅列されたページへと頭を切り換えた。

 三限目の授業が終わり、クラスメート達は雑談にトイレにと、思い思いの休み時間を過ごしていた。
 僕は教科書を早々にしまうと、数学の参考書に取り掛かる。次の授業の予習も兼ねて。
 うちの学校は県内有数の進学校なので、休み時間にガリ勉をしていてもさほど目立たない。
 しかし周りのクラスメートは、皆一様に同じ色をした視線を僕に送っていた。
 もちろん僕だって、そんな無言の眼差しと同じ気持ちを抱いている。
 首位奪還。学年一位に返り咲くことが最大のベクトルである。
 そんなわけで野心を燃やしつつ参考書にかじりついていると、誰かがふと僕の前に立った。頭を上げようとしたが直感的に気付き、僕は素知らぬ顔で自習を続けた。
 用があるのならさっさと話し掛ければいいのに、自分からは絶対に声を掛けない、無駄なプライドを持った奴だ。
 僕にしても無理して楽しく話をしたい相手ではないし、どうせ不愉快な会話になることは火を見るより明らかである。
 しばらく放っておくと、その人物は堪え性がないのかソワソワし始めた。さらに無視をしていると、小さく咳払いをしたりスカートの裾をいじったりと落ち着かない。
 正直、気配的にうるさくて適わない。僕は仕方なしに顔を上げることにした。
 やっと僕が反応したからか、幼稚園児みたくパァッと目を輝かせる佐々木茉莉。しかしすぐに慌てて冷たい仮面を装い、見下すように僕をみた。
「休み時間にまで精が出るわね、井上くん」
 僕は一瞬だけ佐々木を見て、すぐに視線を参考書に落とした。

「次の期末試験に向けての意気込みがヒシヒシと伝わってくるわ。私としてはあまり頑張って欲しくないけど」
「へぇ、随分と弱気な発言だな。せっかく首位になったんだから、もう少し大きい口を叩いてくれよ」
「逆よ。首位になったんだから、余計な労力を使わずに玉座を守りたいだけ。この学年だと井上くんさえ大人しくしてくれれば、私の地位は安泰になるの。どう? これからはずっと二番をキープしてみないかしら」
 返事はしない。
 佐々木は入学当初からこんな性格だった。プライドが高いのは高いが方向性は普通の人と違う。
 今のも決してイヤミで言っているわけでなく、本心として口から出たのだろう。
 佐々木は一番になるためには、人から白い目で見られることでも平気でやるのだ。
 陰湿な嫌がらせはしないが、前に僕の使っているノートを全て書き写させろ、とさも当然げに言われた時には呆れた。
 幼稚な見た目と口から出てくるセリフのギャップの違いに、最初の頃はだいぶ戸惑ったものだ。
「なぁ、なんでそこまでして一番になりたいんだ?」
 参考書に目を落としながら訊ねる。すると佐々木は「愚問ね」と即答した。
「そんな質問を理屈で答えろというの。もしかして私いま、とてつもなく馬鹿にされている? 井上くんが必死に解いているその参考書はなに?」
 もの凄く機嫌の悪い声だった。きっと今、佐々木のこめかみには青筋が浮いているだろう。顔を上げられないな、こりゃ。
「もちろん僕だって勉強するからには一番になりたいさ。事実、こないだまでは一番だったわけだし」
「癪に障る物言いね」
「でも佐々木の場合、あまりにも執拗すぎるというかさ。まるで親の仇といわんばかりに僕を敵対視するだろ。不思議だな、って」
 正直、恐い。テスト前の佐々木なんて幽鬼のように異様なオーラを身にまとっている。
 勉強こそ学生の本分ではあるが、テストの結果が発表された時の佐々木なんて、飛んでいる鳥を撃ち落とせるくらい鋭い眼光を放っている。
 随分と変わった子に目の敵にされているな、と思いながら僕は溜め息を吐いて頭を上げた。
 身長が低い佐々木だと、椅子に座ってちょうど同じ視線になる。頭から筆の毛先が生えたような短いツインテールが揺れた。
「自尊心と克己心の充実。有望な将来性の確保。主な理由を挙げれば以上の二点が適切ね。井上君は私にとってそういうものの障害物なの。それだけ」
 そう言い切った佐々木の目には一点の曇りもなかった。ただただ実直な瞳に、僕は思わず息を飲んだ。
「それとも何? 井上くんはそこまで望まずに漠然と学年一位をキープしていたの? それこそ単なる障害物だわ」
 言いたいことを言って気分も良くなったのだろうか。佐々木は腕組みをして踵を返した。そしてそのまま自分の机に戻るのかと思いきや、再び僕の前にやってきた。
「さっき障害物と言ったけど、それはあくまで井上くんの存在ではなくて、立ち位置を比喩しただけであって他意はないから。たとえ誰であろうと、私の目の前に立ちはだかる人間は障害物だから。その点だけは言葉を補填しておくわ」
 金髪のツインテールを指でコネコネさせながら、佐々木は口早にそう言った。
 一体どこの何を補填したのかさっぱり分からない。ただ本人はそれで満足したのか、微かな冷笑を浮かべて最後にこう言った。
「それとせっかく首位奪還に励んでいるようだけど、正直無駄な行為だから。井上くんは何をしようとも絶対に首位にはなれない」
「なんだよ、それ? 単なるイヤミ?」
「そのままの意味よ。とりあえず忠告はしといたから」
 そして佐々木は自分の席に戻っていった。
 僕はしばらく佐々木の澄ました横顔を見つめていたが、馬鹿馬鹿しいと思い参考書に向き直った。
 しかし頭の中はモヤモヤで充満してしまい、数式を目で追っても文字は儚く空中分解を繰り返してしまう。
 僕は参考書を机にしまい、トイレに行こうと席を立つ。佐々木の方は見ない。きっとこっちを向いてほくそ笑んでいるのだろう。
 教室を出て幾分早い歩調で廊下を進む。すれ違うクラスメートと目を合わせないように僕は黙々と歩いた。
 くそ。なにが障害物だ。
 大して望まずに漠然と一番になっていたのかって? そんなわけあるか。
 こっちは好きなゲームも一日一時間と我慢して、夜は遅くまで朝は早起きして勉強をしているんだ。
父さんから認めてもらいたくて、ずっと必死に首位を守ってきたんだ。
 僕はトイレの個室に入るとカギを閉めて便座に腰掛ける。ゆさゆさと貧乏揺すりをしながら、ある一点に思考を巡らせていた。

 なんでも願いを叶えるランプの魔人。
 叶えられる願いは三つまで。

 これはズルくない。単なる一つの手段だと自分に言い聞かせながら、僕はどうやってリイナに願いを伝えるのが効率的か、頭を悩ませていた。

 よく見てみるとそのランプは、ところどころメッキが剥げていて小さなビーズの装飾も取れていた。
 見た目からして近代のものではないが、コンセント式なのと造りが割とチープなのからして年代物というには憚りがある。あの電気屋さんの安売りワゴンの中よりは、粗大ゴミ置き場の方がお似合いといった具合のランプだ。
 僕は帰宅後、自室の床にランプを置いてその前に腰を下ろしていた。
 佐々木と話した直後はカッとしていたが、よくよく冷静に考えてみると果たしてそんなことに、一つ目の願いを捧げるのはどうかと首を傾げる。
 例えば、願い事を『学年一番になりたい』にしたとしよう。
 次の期末テストで一番になったとして、それは僕の学力が伸びたからだろうか。佐々木の学力を落とさせたからだろうか。
 もしくはもっとチープに、佐々木を事故で入院させたとしても容易く一番になれる。
 そもそも学力が伸びたとして、この学校で一番が取れる程度なのだろうか。それならばいっそのこと、東大で主席卒業できるくらいの学力とかIQを200にしてとかの方が良い気がする。
 しかし本当にそんなことが可能なのか?
 なんでも願い事を叶えるとリイナは言ったが、なにせあのリイナである。グダグダと夢の世界を行ったり来たりしているような適当魔人である。
 願い事をするにしても不安で堪らない。「失敗しちゃった」とか平気で言いそうだ。
 僕はうんうん唸りながらもランプを手に取った。
 兎にも角にもリイナを呼び出し、聞いておかなければいけないことが多すぎる。頻繁に召喚されるのは迷惑だとぼやいていたが、だったら最初の段階でまともに受け答えをしろと反論もある。
 僕は立ち上がって左手をランプにかざした。そして唾を飲み込み、右手をランプに添える。
 また前回のように寝ているだろうか。そもそもあの時間帯で布団に入っているとはどういうことだ? 本当に女子大生なのだろうか。
 リイナに対する疑問は尽きないが、それも含めて呼び出さなければ始まらない。
 僕はランプを擦りながらそっと呟いた。
「出でよ、ランプの魔人……!」
 ランプの先から意思を持ったかのような煙がモクモクと立ち上る。僕は二三歩後ずさり、やや身構えた。
 前回は地面に幅広く横たわった煙だったが、今回は縦長にうごめく。そして煙は人のような形になると徐々に霧散していった。

「え~、風早くん。赤外線の使い方を知らないの~? おじいちゃんみた~い」

 猫なで声と共に現れたリイナは、携帯を片手に頬を染めながら可愛らしく微笑んでいた。
 僕は思わず目を見張る。
 ボサボサだった空色の髪はキレイなストレートヘアになり、毛先はご丁寧にカールが掛かっていた。
 服装もはだけたパジャマではなく、余所行きの白いワンピース。メイクもバッチリで、マニキュアもペディキュアも完璧だった。
 前回のナマケモノとはまるで違う、まったくの別人がそこに立っていた。
 これ、本当にリイナ?
 というよりも、かなり可愛い……。
 思わず見取れていると、リイナは初めて異変に気付いたのか、微笑みながらうっすらと目を開けた。
 かすかに開いた双眸の奥の瞳が僕を捉えた。すると、空色の瞳がみるみるうちに色を変えていく。
 口元は笑ったまま。目元だけが険しく強張っていく。言い知れない迫力に全身からイヤな汗が噴き出した。
 そして般若のように微笑んだリイナの口から声が漏れた。

「こんちきしょう……」

 ……そ、相当怒ってらっしゃる。
 訳が分からずオロオロとしていると、リイナはがっくりと膝をついた。両手も床につけて大袈裟なほど失望感を露わにするリイナを前に、僕はさらに慌ててしまった。
「あの、ごめんなさい! なんだかヤバい時に呼び出してしまったみたいで!」
 状況がつかめない。これは相当大切な場面だったようだが、華やかな格好と落胆っぷりがますます混沌を呼ぶ。
 というか、風早くんって誰?
「あの、リイナさん。なにか重要なパーティーの最中でした?」
 恐る恐る訊ねると、リイナはガバッと顔を上げて大きな声を出した。
「合コンに決まっとるやろがっ!」
 ……え?
「合コンだったの?」
「言ったじゃん! さっき言ったじゃん! 今日はもう絶対に喚ぶなって私、言ったじゃん! もう本当に最悪だわ~! なんであのタイミングでパクられちゃうかな~!」
 異様な気迫にたじろぐが、リイナの言うことに齟齬がある。
「今日はこれが初めてのパク……喚び出しだけど。それに昨日が合コンって言ってなかったっけ」
「私達、魔人界と人間界では時間の流れが違うの! そっちでは一日でもこっちでは六時間しか経ってないの!」
「そ、そうだったんだ。つまり魔人界はこっちより時間が四分の一遅いんだ」
「最初に言ったじゃん! ちゃんと話を聞いていてよね!」
 いや、言ってない。絶対に言ってない。
 肩を落としたリイナは、携帯電話を乱暴に仕舞うとその場にへたり込む。なんだかとても居たたまれない気分になった。
「あの、本当にごめんなさい。知らずに呼び出してしまって。あれ、ちょうどいい場面だった?」
「あぁ、もういいわよ。どうせみんな二次会に行っちゃっただろうし。こっちではパクられるのなんて日常茶飯事だし」
 口を尖らせてボソボソと呟くリイナ。かなり悔しそうに「風早くん……」と一人ごちる。
「もしかして、気に入った男の人と電話番号を交換するところだった?」
 図星だったようで、リイナは力なくゴロンと床に横たわる。
「はいはい、そうですよ~。風早くんはイケメンで優しくて、そして医者の卵なのよ? 将来超有望よ? いい就職先だと思ったんだけどね~」
「就職先?」
「永久就職よ、永久就職。上手くいけば玉の輿だったの。君には分からないだろうけどね、この年頃になると合コンが就職活動の場になるのよ? 民間企業なんて新期枠全滅よ? 医者とか公務員の奥さんなんてめっちゃ安泰株なのよ?」
 う、うわぁ。この人、かなり最悪なことをサラッと言ってのけた。
 駄々をこねる子供のように地べたをゴロゴロと転がりながら、リイナは「働きたくないでござる~」と、怠惰の極みともいえるセリフを吐いた。
 しかもゴロゴロと転がるたびに、ワンピースの裾の奥がチラチラと見え隠れする。
 僕は慌てて顔を背けた。
「あ~あ、風早く~ん。颯爽としていて水属性魔人の家系で育った風早く~ん。親も医者でお金持ちの風早く~ん。家にお手伝いさんまでいるっていう風早く~ん」
 なんともいえない即興の歌を唄うリイナ。この人、本音がボロボロ出過ぎ。
「それよりもあなた、結構飲みました? 酒臭いんですけど」
 僕は鼻を詰まみ、手をパタパタと扇ぐ。
 リイナを召喚してそんなに経っていないのに、もう部屋中にアルコール臭が充満している。正月に親戚のおじさん達が集まった時と同じ臭いがする。
「飲んだよ~。初っ端からエンジン全開でいったよ~。さっさと酔いつぶれればさ、風早くんが介抱してくれるかもしれないし。お持ち帰りもされやすいだろうし」
 魔人界には貞操観念というものがないのだろうか。それともこの人の頭が緩いだけだろうか。
「こうしている間にも、絶対に米倉が風早くんをたぶらかしているわ。あいつめ……」
「米倉さんってハクション大魔王の娘さん?」
「そうよ。今回の合コンをセッティングしたのも米倉なんだけどね。あいつ、始めから風早くん狙いだったに決まっているわ。普段は親父譲りの豪快なクシャミをかますくせに、なにが可愛い子ぶって『へくちっ!』よ。お前は『ぶわっくしょい! んだらぁこんちきしょう!』でしょうが」
 水面下での女同士の熾烈な争いが垣間見える。女子大生って、みんなこういうものなのか。
 ゴロゴロするのも飽きたのか、リイナはうつ伏せになり重い溜め息を吐き出す。
「あ~あ、なんでこうもタイミング悪く召喚してくれるのかしら。もっと空気が読めるご主人様だったら良かったのにな」
 ムッとした。確かに悪かったとは思うけど、そこまで言われる筋合いはない。

 更新日 5月17日

「だってそれは、魔人界と人間界の契約なんだから仕方ないでしょう。僕も喚び出す時には、結構恐縮しているんですから」
「てかさ、なんでランプを擦ろうなんて思うのよ。ナニ系ドコ産の発想? 君ってとりあえず目についたものは擦りながら『出でよ、ランプの魔人』って言っちゃうの? 前世はアライグマ?」
 自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「それは言うなや! 僕だって恥ずかしいって思いながらもやってしまうんだよ!」
「へ~そんなんでちゅか。憧れちゃうんでちゅか、ランプの魔人に。夢見がちでちゅね~」
 バリバリバリバリ。
「尻を掻くな!」
 ワンピースの裾をまくり、やや大きめのお尻を両手でかきむしるリイナ。
「僕だってこんな頭の軽い女子大生が、ランプから出てくるとは思わなかったよ! アラジンに出てくるジニーみたいな格好いい魔人が良かったな!」
「兼次の爺さんなんてデカいだけじゃん! 皮膚が青くてキモいのよ! 私だってご主人様は風早くんみたくイケメンが良かったな! そうだったらいつでも喚び出してって感じなのに!」
 売り言葉に買い言葉。リイナも相当酔っ払っているのだろう。空色のキレイな目が据わっている。
 僕もかなり頭が熱くなっていたのかもしれない。他人にここまで大きい声を出したのは久しぶりだった。
「もうさ、こんな生活イヤだから、さっさと願い事を全部言って終わらせて! 今すぐどうぞ!」
「イヤだね! そんなすぐに三つも願い事が思いつくわけがないでしょうが! 僕は慎重なんだ!」
「かぁー! これだから最近の草食系は! 慎重なんて単なるビビりじゃない!」
「もっぺん言ってみろ! ナマケモノ!」
「ガキ! 根暗!」
「ケツでか! 打楽器!」
「打楽器! え? 打楽器って何?」
 自分でも言い過ぎているなとは思ったが、言葉が止まらなかった。
 リイナは前がはだけているにも関わらず、床にどっしりと胡座を掻いている。僕も拳を握り締めて睨み付けた。
「そもそもあなた、本当に願い事なんて叶えられることが出来るの? どう見てもショボい願いしか、叶えられなさそうだけど」
「はぁ? 出来ます~! リイナちゃんの強大な魔力を舐めないでちょうだい!」
「嘘つけ! そもそも大学生にもなって、自分をちゃん付けしている人なんて信用ならないな! どうせ願い事をしても軽い感じで『あ、それは無理♪』とか言うんでしょう!」
「はぁあ? 高校生の分際で舐めないでくれる! どんな飛び抜けた願い事でもいちころだわ!」
「だったら願い事を百個に増やしてみろ! それくらい簡単なんだろ!」
「楽勝すぎて欠伸が出ちゃうわ! 見てなさいよ!」
 リイナは勇ましく立ち上がると、人差し指を僕に差し向けた。するとリイナの指先が、強烈な光を発した。

『契約コード詠唱! ヒャクニン・ノッテモ・ダイジョーブー!』

 リイナの声が部屋中に響き渡った瞬間、唱えた本人の体が青白い閃光に包まれた。
強烈な光に思わず目を閉じる。しかしそれもほんの束の間で、あとは何事もなかったかのように元に戻った。
 一点だけを除いて。
 腰に手を当てて不敵に笑うリイナ。そして酒臭いゲップを漏らした。
「ふふん。どうよ? 私に掛かればこの程度、造作もないわ。魔人を侮らないでちょうだい」
 一仕事を終えたように満足げに微笑みながら、リイナは僕のベッドから枕を持ってくると、地べたにゴロンと寝転んだ。
 しかしすぐに飛び起きる。
 目をいっぱいに見開き、顔面からはみるみるうちに血の気が引いていった。
 きっと僕も今、リイナと同じ顔をしているだろう。
 五月の青空のようにキレイでサラサラの髪。その頭上に『102』という数字がポンと浮かんでいだ。
「あああああああああああああっ!」
「馬鹿だー! この魔人、馬鹿だー!」
 床をのたうち回るリイナ。受験票を忘れて試験会場にきた浪人生くらい救いようのない叫び声を上げている。
 冗談のつもりで言ったのだ。てっきりそれは出来ないとか、禁則だとか拒否するものだとばかり思っていたのだが。そしたらまた悪口の一つでも言ってやろうと、そのセリフも用意していたくらいだった。
 まさか本気でやってしまうとは思いもしなかった。この女子大生魔人は、自分を拘束する鎖を自分で三十倍にしてしまった。
 僕にしてみれば破格のラッキーのはずなのに、正直笑えない。
「……これはきっと悪い夢だわそうよ悪い夢なのよ目が覚めれば私はベッドにいるはずきっとそのはずもしくは隣にモーニングコーヒーを淹れてくれた風早くんがいるはずいるといいなそうなってくれないかな」
 膝を抱えてうずくまりながらブツブツと呟くリイナ。だがしばらくすると現実逃避のようにいびきを掻いて寝てしまった。

 僕が初めてランプの魔人にした願い事は『願い事を百個に増やして欲しい』だった。
 この願い事は、例のノートにすら一度も上がらなかったものである。
 いや、上げるのも馬鹿げていると小学生だった僕ですら思ったものだった。
 しかしそれをやってしまったランプの魔人・女子大生のリイナ。
 スヤスヤと寝息を立て幸せそうに涎を垂らす姿に、僕はただただ呆れるしかなかった。




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