2012年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2012'05.25 (Fri)

駄・ランプ  第三章

「本当に大丈夫ですか。あの人と戦って勝てるんですか」
 心配だった。
 それは何も魔人の庇護を失うからではなく、単純にリイナの身を案じたからだ。
「あぁ、それはやってみないと分からないわね。なんせここ、人間界だし」
 リイナは掛けていたメガネを僕に渡し、肩をグルグル回して体をほぐす。
 スレンダーで(お尻はデカいが)色白なリイナはどう見ても闘い向きに思えない。
 魔人は好戦的とジンは言ったが、常日頃のリイナからはそんな姿は全く想像がつかなかった。
「ようやくその気になったようだな。せいぜい私を楽しませてくれよ。『ブレイカー』の異名を持つ魔人・克田リイナよ」
「ブ、ブレイカー?」
 思わずリイナを見る。
「みんなが勝手に付けただけよ。どうせならもっと可愛い呼び方がいいわ」
 膝を屈伸しながらリイナは答えた。
 ブレイカー……破壊者という意味の名前を冠されたリイナが、ますます謎めいて見える。このあっけらかんとした女子大生が、どれだけの力を秘めているというのか?
「お喋りはこの辺にしておこう。あとは互いの魔力と魔力で語り合おうか」
 それが開戦の合図だった。
 ジンの両手で遊んでいた火の玉が、鋭い槍状に変化する。
 リイナも脚をさばき戦闘態勢に入った。両腕はだらりと垂らしているが、隙という隙は見られない。これがリイナの構えらしい。
 僕は部屋の一番離れた隅に後ずさった。すると、佐々木も僕の隣にちょこんと座る。
「どっちの魔人が勝つかしら。当然ながらジンだと思うけど。井上くんの方の頭が悪そうな魔人はどんな力を使うのかしらね」
「知らない。僕だってリイナが闘う姿を見るのは初めてなんだ。それとリイナを頭が悪そうって言ったけど、そっちのだって相当馬鹿っぽかったぞ」
「それは否定しないわ。見た目で騙されたわね。今度からアレは馬鹿って呼ぶことにするわ」
 随分とハッキリ言い捨てた。有名な炎の魔人をアレ呼ばわりとは。
 視線を臨戦態勢の二人に戻す。
 不敵に笑うジンを無表情で見返すリイナ。
「いざ尋常に、勝負!」
 開始の合図と共に炎の矢がリイナ目掛けて宙を走る。
 ブレイカーと呼ばれた魔人はどんな魔力を駆使して闘うのか、しっかりとこの目に焼き付いておこうと凝視していた、その先でリイナは
「やっぱりやめた。面倒くさい」
 試合放棄するように座った。
「ええええ!!??」
 まさに驚愕だった。
 さっきまでの緊迫した空気は何だったの? と拍子抜けしてしまうほどの投げっぷりだった。
 それよりもリイナが避けたせいで、ジンの炎が壁に直撃した。
「ちょい! 火事になっちゃう!」
 慌てて壁についた炎をたたき消す。燃えはしなかったが、せっかくの白い壁が黒ずんでしまった。
 パソコンのマウスに手を伸ばすリイナに抗議する。
「ちょっとあなた! かったるいにも程があるでしょ! いいんですか? 魔力を失っちゃうんでしょ!」
 マイク付きイヤホンを、頭にはめようとするのを奪い取る。
「別にいいわよ~。私的には大して困らないし。なんで人間界まできてバトルなんてしなきゃいかんの、って感じ」
 もうガッカリするのにも疲れた。さすがにこういう展開になったら少しは魔人らしくするのかな、と微かに期待していたのに。
 もう果てしなくゴーイングマイウェイで付き合いきれない。
 僕は深々と溜め息を吐きながら、ジンに文句を言った。
「あの、この人のどこがブレイカーなんですか? 脳みその一部が既にブレイクしているんですけど。魔人違いじゃなくて?」
 しかしジンは強張った表情でメガネを託し上げる。
「フフフ、さすがはブレイカー。その名に恥じない振る舞いよ」
 え? と口を開けてもう一度リイナを見る。
 うん、変わらない。いつも以上にダルそうな格好で欠伸をしている。
「どこがですか。どう見ても前世はナマケモノってくらいやる気ゼロですけど」
「そう。それがブレイカーである」
 ますます分からず首を傾げる。
「克田は普段からやれば出来る子なのだが、そのやる気が消えるのが問題なのだ。しかも何が原因か何がスイッチか誰にも分からない。突然に、何の前触れもなくやる気がゼロになってしまうのである! 恐ろしい!」
 僕はガックリと膝を突いてうなだれた。
 それ、「ブレイカー」じゃなくて「ブレーカー」じゃん! 電子レンジとドライヤーをいっぺんに使うと落ちるアレじゃん!
「それのどこが恐ろしいんだよ!」
「恐ろしいに決まっておろう! 少年よ、君は何かスポーツをしているか?」
「中学の時に野球をやっていましたが」
「君は九回裏ツーアウト満塁の場面で急に試合放棄が出来るか。出来るわけがないだろう。しかし! この女は平気でそれをやってしまうのだ! あと一球で全てが決まるという場面で、尻を掻きながらバッターボックスを降りるのだ! この女は!」
 あ、確かにそれは恐ろしい。
「精神がぶっ壊れているとしか思えん! 今もそうだ! 闘いというものは我々にとって神聖なもの! それなのに始まった直後、電源がドン! 正気の沙汰とは思えん!」
 頭を両手で抱えながら天を仰ぐジン。てっきりリイナは人間界に召喚されるのが面倒くさくてダルそうな態度をしていると思ったが、元来からこういう性分らしい。
 幼なじみとしてリイナの怠け者っぷりを見せられてきたジンとしては、嘆きたくもなるはずだ。
「で、そっちの魔人は戦意喪失ってことでいいのよね」
 壁際で膝を抱えて座っていた佐々木が、詰まらなそうに口を開く。
「試合放棄ならこっちの勝ちよ。それでいいわね、ジン」
「待たれよ、我が主。そのような不本意極まりない勝負など私が許さない」
「あなたが許す許さないの話ではないわ。戦わないで勝負が決まるなら一番楽じゃない。そっちのぐうたらな魔人もそれでいいわよね。さっさと降伏宣言をしなさい」
 指差しをされたリイナはムッとした顔で佐々木を見返した。
「私はどっちでもいいわ。てか、あんた誰?」
「どっちでも良くない! 僕は困る!」
 リイナの前に立ちながら言った。
 一定期間というのがどのくらいなのか分からないが、何もせずに負けるのは悔しい。
「私も許さん! 我が主よ! さっきも言ったがこれは私怨! いくら主の命令といえども承服致しかねる! 勝敗の判断は私が決めること!」
 ジンは両手に炎をくゆらせリイナに向ける。
「立て、克田! ブレーカーが落ちた状態の貴様に勝ったところで、嬉しくも何ともないぞ! 我が灼熱の魔力を喰らうがいい!」
「待って! 炎を飛ばすなら外でやって下さい! うちの庭を貸しますから!」
 これで火事でも起きたら、たまったものじゃない。それに火災には思い出したくもない嫌なトラウマがある。
 問題無用とばかりにバトルを再開するかと思ったが、意外にもジンはあっさり承諾しベランダから庭に降りた。
 他の二人もブツブツ言いながらも従ってくれた。
「さぁ、いざ尋常に参る!」
 仕切り直しとばかりにジンは声を張り上げた。
 両手には赤々と燃え上がる炎。こちらといえば、両手でお尻を掻きむしりながら大きな欠伸を見せている。
 つくづく闘争心の欠片もない。
「ちょっとあなた、本気でやる気を出して下さい。負けてもいいんですか」
「だから私は構わないって。さっさと終わってネトゲが出来るならどっちでも」
「じゃあせめて闘いに勝って終わって下さい」
「うーん、そんな簡単にいかないわよ」
 声を潜めて会話をしている最中だったが、ジンは立て続けに炎を飛ばしてきた。
「うおっ! 危なっ!」
 顔面に飛んできた炎をギリギリで避ける。
「少年よ、火傷をしたくなければ下がっているがよい!」
 僕は逃げるようにその場を離れ、花壇の脇にしゃがみ込んだ。
 その間にもジンは間髪入れずに炎を繰り出す。リイナはそれを一つずつ叩き落とした。
 襲い掛かってくる炎を的確に捌くリイナも凄いと思うが、次々に炎を生み出すジンも相当な手練れに感じた。
 しかし、どことなく疑問が残る。ジンの炎がさっきから同じ火力だった。
「ちょっとジン、あなたも本気を出しなさい! そんなショボい火の玉をぶつけるだけで倒せると思っているの?」
 佐々木も同じことを思ったらしくジンに檄を飛ばす。
 そうだ。炎の魔人と言うくらいなら、もっと破壊力の大きい炎で攻撃しても良さそうなのに。
 ジンの作り出す炎は大きくてもテニスボールほどで、速さも余裕に目で追える程度だ。事実、さほど反射神経がよくない僕でも避けられたくらいである。
「そう無茶を言うな、我が主よ。魔人は人間界だとその魔力を十分の一程度しか発揮出来ないのだ」
 攻撃の手は休めずに答えるジン。対するリイナもせわしなく立ち回りながら言った。
「そうよ。だから人間界ではあまり闘いをしたくないのよ。魔力が充分に使えなきゃ、スキルによってはかなり不利になるからね」
「そう、そして私のスキルは……」
 ニヤリと口元を歪めて構えを変えるジン。頭上に五つ六つと火の玉を浮かべると、一斉にリイナ目掛けて放った。
「この状況下でも有効に活用出来る!」
 炎を打ち落とそうと前進したリイナ。しかしその炎は当たる直前、カッと光ると次々に爆発した。
 後方に吹き飛ばされるリイナ。僕は思わず駆け寄った。
「大丈夫ですか! しっかりして下さい!」
「ちょ、危ないわよ。ユウトくん」
 僕を突き飛ばしたと同時に、リイナは立て続けに炎を被弾した。
 瞬く間に炎に包まれるリイナ。
「ハハハ! 灼熱のドレスを身にまとう気分はどうかね、克田よ! 我が魔法はそんなにヌルくはなかろう!」
 相当に手応えがあったのか、ジンは高らかに声を上げて笑った。
「魔人の魔は魔法瓶の、魔!」
 勝ち誇った顔でポーズを決めるジン。なんだ、魔法瓶って。魔法でいいだろうが。
 炎にまとわりつかれて悶えるリイナ。僕は慌てて園芸用のバケツに水を汲んでぶっかけた。
「大丈夫ですか! 怪我は? 火傷は? それと僕の名前はユウトじゃなくて改人です!」
 身に付けた衣服はあちこちが焼け、きれいな空色の髪は先端が焦げていた。
「魔人は人間と違って頑丈だから平気よ。ただ、やっぱり魔力がフルにないと使えないスキルっていうのは辛いわ~。こりゃ、負けるかな」
 リイナはそう言って弱々しく笑った。
 その表情が僕の胸にグサッと刺さる。
「あなたのスキルって、魔力が完全じゃないと使えないんですか?」
「うん。せめて魔人界にいるくらいじゃないと、これっぽっちも役に立たないわね」
「それって、どんなスキルなんです?」
「ん~、とにかく強くなる」
 僕は顎に手を当てて考える。
 この状況を打開するには迷っている隙はなさそうだ。リイナが負ければ、僕が失うものも小さくない。
「じゃあ、魔力がフルの状態なら問題ないんですね?」
 力無く微笑んでいたリイナの眉がピクッと動く。そして悪戯っぽく口元を歪めた。
「まぁ、その点は保証するわ」
 背後で炎が哮る音が聴こえた。それと同時に足音がゆっくりと歩み寄ってくる。
「さぁ、トドメを刺してくれよう。少年よ、同じ忠告を二度もさせるではない。退きたまえ」
 振り返るとジンは手のひらに炎の矢を構え、尚且つ頭上にはあの爆発する火の玉までこしらえていた。次の一撃で全てを決めるつもりだろう。
 打算的な考えがないわけじゃない。だけどそれより、僕のリイナが負ける姿を絶対に見たくなかった。

「願い事を叶えて下さい、ランプの魔人。今、僕の後ろにいる魔人を、あなたのフル魔力をもって、やっつけて欲しいんです」

 パァッと空色の瞳に光が宿る。上出来、と囁きながらリイナは僕に人差し指を突きつけた。

「契約コード詠唱! キョウノ・ドロップリツ・アップイベントハ・ロクジマデ!」

 途端にリイナの全身が眩い光に包まれた。僕は念のため巻き添えを食らわないように、庭の片隅へ逃げた。頭上には「100」の文字が浮かんでいる。
「な、バカな! そんなことが出来るわけがない!」
 唖然としてたじろぐジン。その表情は確実に驚愕の色だった。
 スクッと立ち上がり拳を構えるリイナ。自信に満ち溢れた顔で告げた。
「面倒だからバチコーンって瞬殺しちゃうね」
 僕はゴクリとつばを飲み込む。
 見たところ、リイナの容姿には何一つ変化がない。これで本当に魔力がフルに充填されているのだろうか?
「いくよ~。リイナパ~ンチ!」
 間の抜けた声が庭中に響きわたる。しかし次の瞬間、目の前にあった光景が一気に変わった。
 今の今までジンが立っていた場所に、何故か拳を振り抜いた型のリイナと、血しぶきが宙にパッと飛び散っていた。
 そして何が起こったのか理解出来ない僕の脳みそに、ドン! と車が追突したような音が届く。
 数メートル後方のブロック塀が崩れ、瓦礫の下にジンが横たわっていた。
「え、ちょっと。一体何が起こって……」
 後ろを振り向くと、佐々木も驚きのあまり口をポカンと開けている。彼女にしては珍しくひょうきんな顔だ。
 一瞬の出来事過ぎて目で追えなかったが、リイナがジンを攻撃したのか? リイナパンチって言っていたし。
 ブロック塀の瓦礫の中からジンがよろよろと起き上がる。鼻からは血をダバダバ垂らし、かなりのダメージだったのか腰がひょろついている。
「フフフ……。さすがは闘魂の魔人と名高い克田家の血筋よ」
「闘魂の、魔人?」
 随分と猛々しい呼び方にリイナが答える。
「そうよ。高杉の家が代々炎を操る魔人の家系なら、うちは代々闘魂を宿す魔人なの。高杉、解説よろしく」
 弱々しい手つきでメガネをたくし上げるジン。
「魔人はそれぞれの魔力を媒体に与え、魔法となす。私なら炎に。他の魔人は水や雷、人形やガーゴイルといった傀儡に宿し戦闘するタイプの者もいよう。しかし克田家の血筋は自らの肉体に魔力を込める。己の有り余る魔力を己の器に全て充填させるのだ」
「魔人は自分の魔力を、媒体を通じて使用したいんじゃないの。そうしないと具現化出来ないだけ。でもそれだと途中で魔力が漏れたり、上手くコントロール出来ないのよね。だからいかにして強力な魔法を使うかは、魔力をきちんと調整出来るかがポイントになるの」
 肩をグルグルと回してリイナは歩み寄る。ジンはバカ正直な性格なのか、極端に怯えた様子ながらも解説を続けた。
「その点、克田家特有の闘魂の魔法は、媒体が肉体ゆえに魔力のコントロールが容易で、ひとかけらも漏れることない。一度魔法が発動すれば、身体能力は二百倍にも三百倍にも飛躍する無敵な戦士へと変貌するのだ!」
 ガクガクと震えるジンを目の前に、リイナはゆっくりと拳を振り上げる。
「ただし魔力が体中に行き渡るだけの環境がなきゃ、ちゃんと発動しないのがネックだけどね。解説、ありがと♪ お返しにドグシャーンってしてあげる」
 ありがとう、というわりには報酬が辛辣過ぎた。
 リイナのおむすびのような拳が振り下ろされた瞬間、ジンは爆煙と共に地面へめり込んだ。
 足が膝まで埋まり、白眼を剥いたジンの頭を掴んで引っこ抜くリイナ。
 どちらかといえば背丈のある体が、人形のように高々と宙を舞う。リイナはそれをバレーのスパイクのように叩き落とした。
「魔人の魔は小悪魔的の、魔♪」
 そう言ってリイナは可愛らしくピースサインを決めた。
 小悪魔っていうよりは悪魔だよ、あんた。
 もはや息絶えたか? と危ぶまれたジンだったが、這々の体で立ち上がった。しかしすでに満身創痍で、僅か数秒もしないうちに形勢は逆転してしまった。
「ありゃ、まだ動けるんだ。しぶとさは昔から変わらないね。そのガッツをちょっとは社交性に使えば友達も出来るのに」
「うるさい、りっちゃんのバカ! ……我が主よ! 頼みがある!」
 及び腰になりながらジンは佐々木に言った。
「このままでは私が負けてしまう! 願い事を! その少年と同じく私の魔力をフル充填するよう、願い事をしてくれたまえ!」
 腕を組んでジッと思案する佐々木。なるほど、リイナに対抗するにはその方法にすがるしかなさそうだが。
 しかし……。
「一つ訊ねていいかしら。その魔人同士の争いは、生死を賭けるものなの?」
「い、いや。決して命のやり取りまではいかん。魔人は闘いを好むが無益な殺生は好まん」
「そう、死ぬわけではないのね。じゃあ負けなさい」
 信じられないものを見るような目をするジン。唇が泣きそうにワナワナ震えている。
「だってあなたが負けたところで、一定期間願い事が無効になるだけでしょ。そもそも思い出してみなさい。私があなたに頼んだ願い事は、既に井上くんから上書きされて効力を失っているの。私が損をすることは何一つないわ」
 もの凄く冷淡な口調で佐々木は告げた。
 ジンの目にみるみる涙が溢れる。小学生にいじめられた大人を見ているかのようで、ますますジンの存在が滑稽に映る。
同情しなくはないが、言われてみればそのとおりだ。大事な願い事を、たかだか魔人の私闘のために消費するバカはいない。
 だが仮にも自分のパートナーである。よくもそんな無慈悲な言葉で淡々と言えるものだ。
「し、しかし我が主よ。主が宿敵と仇なす少年に、従者である私が敗北を喫すのだ。悔しくはないのか?」
「えぇ、これっぽっちも。私はあなたに願い事を叶えてもらいたいだけ。それ以外の要望も感情も全くないわ」
 冷たく言い放つ佐々木に、ジンはガックリと膝をついた。
 なんというか、敵ながらにも同情を禁じ得ない。佐々木なんかに喚び出された時点で運の尽きと思うしかないな。
 リイナは絶望に打ちひしがれるジンの前にしゃがみ込み、頭をなでなでする。
「どうする、高杉? 今日のところはこれで終わりにしましょ。これ以上やったらあんた、確実に残念な存在になっちゃうけど」
「だ、黙れ! バカにすんな! りっちゃんのうんこ! 尻デカ!」
 リイナの手を払いのけるとジンは火の玉を放った。至近距離で直撃だったが、リイナの体には煤一つ着かない。
「ちょっと、なにすんのよ~」
 悪い子をたしなめるようにスペーンと軽く叩いたリイナだったが、ジンはゴム鞠のように軽々と吹っ飛んでいった。
 もはやジンは虫の息だった。立ち上がろうとするが、力が入らないらしくパタリと倒れ込んだ。
「く、くそぅ……。魔力、魔力さえあれば……」
 歯軋りしながらメガネをたくし上げるジン。指先もぷるぷると震えている。
 その様子を佐々木は首を捻って見つめていた。なんだか表情が険しい。
「もう一つ訊ねてもいいかしら。ジン、なんであなたのメガネは外れないの?」
 佐々木に言われてみて初めて気付いた。あれだけ激しくぶっ飛ばされているのに、ジンのメガネは壊れるどころか外れもしない。
 もしかして……。
「ハハハ! さすがは我が主、鋭い着眼点に感服する! そう! このメガネには我が魔力が常に注ぎ込まれているのだ! 故に何があろうとも決して外れず、傷一つ付かないのである! なんせ我が魔力が半分以上も使われているからな! フハハ!」
 この魔人、バカだ。
「高かったのだよ、このメガネは! お小遣い四ヶ月分をつぎ込んで、やっと買ったのだ! フハハ!」
 自身の身よりもメガネを守るとは。しかも魔力の半分って。バカとしか言いようがない。
 佐々木は般若のような顔つきになっている。青筋がピクピク浮いていて恐い。
「いけないわ。思わず願い事をするところだった。存在自体、消滅しなさいって」
 そしてリイナを指差して言った。
「今日はこれ以上、見たくもないわ。そこの頭と尻が緩い魔人。早くトドメを刺してしまいなさい」
 ムッとしながらもジンに歩み寄るリイナ。
「ヒロトくん以外が私に命令しないでちょうだい。てか、あんた誰?」
 改人だよ、バカ。完璧に忘れるツボに入っている。
 恐怖に震えるジンを目の前に、リイナはニッコリと微笑む。
「じゃあね、高杉。私も早く終わってマホロバをやりたいのよ~。最後はエイシャラーってやっちゃうね」
 そして振りかざした腕をジンの脳天に叩き落とした。
「リイナハンマー♪」
 可愛らしい言い方とはまったく真逆の、とてつもない衝撃と共に庭の一部が爆発した。
 地面がぼっこりと陥没している。その中でジンは首まで地面に埋まっていた。
 何がブレーカーだ。本気でブレイカーじゃないか。
 生首状態のジンが、蚊が鳴くような声で言った。
「ま、負けました……」
「はいはい。これで私の六九二七戦六九二七勝ね」
 一度も勝ててないじゃないか、炎の魔人。これではリイナが相手にしたくなくなる気も分かる。
 がっくりと気絶したジンはそのまま煙となって消え失せた。
「ねぇ、今の魔人は本当に死んでないんだよね」
「大丈夫よ。魔人はあの程度じゃ絶対に死なないから」
 ホッと溜め息を吐く僕の後ろで佐々木は「あら、残念」と呟く。まったく冗談に聴こえないので、頼むからそういうことは口走らないで欲しい。
 怠慢にお尻を掻きながらリイナは屋内へと戻っていく。
「もう用件は済んだからマホロバやっていいよね、ご主人様」
「あ、はい。どうぞ」
 嬉々として走りながら家の中へ引き返すリイナ。少し大きめのお尻がプリプリ揺れている。走っている姿を見るなんて実に稀だ。
 あれが最強である闘魂の魔人なのだから、人は見かけによらないものだ。
「じゃあ井上くん。今日のところは帰るわね」
 僕の横をスッと通りながら佐々木はそう言った。そして捨て台詞のような言葉を残す。
「私の願い事はまだ二つあるわ。あの魔人がバカだからといって、油断しない方がいいわよ。私、諦めてないから」
 振り向いて氷柱のように鋭い一瞥を投げつけた。
 執念深さには本当に頭が下がるが、こっちはまだ願い事が百個もあるんだよね。消耗戦でいいなら確実にこっちの勝ちだけど。
 氷結の女王の宣戦布告に対して、僕は溜め息で返した。
「はいはい、勝手にしなよ。でもさ、なんで佐々木はそこまで僕に突っかかってくるのさ。どうしても勝ちたいんだね」
 入学当初からそうだった。佐々木はいつも執拗なくらい僕に絡んできた。
 すると佐々木はムッツリしながら腕を組む。そして不機嫌そうに言った。

「井上くんの事が好きだからよ」

更新日 5月30日

 その言葉は、うっかり耳から滑り落ちるところだった。それほど僕は佐々木の返事に期待していなかったし、またいつもの理屈っぽいイヤミでも言うのだろうと思っていた。
「え……」
 聞き間違いだろうか。佐々木の態度と台詞が随分とミスマッチだ。
 例えば目の前の佐々木が可愛らしく頬を染めてはにかんでいたら、僕だってドギマギしながらその言葉をすんなり受け入れられただろう。
 しかしどうだ。この冷血の姫はいつものように、自分以外の物体を無意識に見下すような態度を隠そうともせずに、御光臨あそばされている。
「え、佐々木って僕の事が好きだったの?」
「そうよ」
 もう一度訊ねて確認して、顔面が火を持ったように熱くなった。
 女の子に告白されたのは初めてだった。小さい頃はランプの魔人に執心していたし、中学と高校は勉強ばかりだったから。
 まさかこんな甘美なシチュエーションが、唐突に舞い込んでこようとは。
 佐々木は腕組みのまま、いつもの冷たい口調で言った。
「私、好きになった男は絶対に屈服させないと気が済まないの」
 甘美なシチュエーションのはずなのだが、これは……。
「私が好きになるのは、自分より秀でた何かを持った男だけ。それに打ち勝ち、目の前に平伏させた瞬間に私の恋心は成就するの。支配欲が強いのかしら」
 全然ニヤニヤしねー!
 なにこれ、愛の告白っていうか呪いの宣告に近いじゃん。
 悪寒に体がゾクゾクと震える僕に、佐々木は嗜虐的にニンマリと微笑みを向けた。
 端正に整った顔なだけに、より魔性を秘めた笑顔だった。しかも見た目は単なるロリっ子。これが本当の小悪魔だよ、リイナさん。
「そういうことよ。じゃあ、いつか私の前に跪いてね、井上くん」
 クルッと身を翻すと、佐々木はスタスタと軽快に帰っていった。その去り行く背中がどことなく嬉しそうに見えたのは、気のせいだろうか。
 僕はガックリと肩を落として地べたに座る。そして辺りを見渡して頭を抱えた。
 崩れたブロック塀、ぼっこり陥没した地面、ところどころに焼け焦げた跡。激しい闘いの爪痕が色濃く残っていた。
 今日一日で様々なことが起きたが、まさかここで最大のピンチが残っていたとは。
 僕は蹴飛ばすように靴を脱いで、自分の部屋へ向かう。
「リイナ! もう一つお願いが……って」
 そこにいるはずのリイナと、ノートパソコンが乗ったちゃぶ台が消えていた。
 時計を確認する。運悪くちょうどリイナを召喚してから三十分過ぎたところだった。
 勉強机にあるランプを擦る。
「出でよ、ランプの魔人! 来い、リイナ! 早く! 頼むよ! ナマケモノ! 打楽器!」
 しかし当然ながら、ランプはうんともすんとも言わない。
 僕はもう一度、時計を見る。それと同時に玄関の戸が開いた音がした。
 タイムリミットがきてしまった。
「ただいま。改人、こっちに来なさい」
 低く落ち着いた声が廊下から聴こえる。怒っているでも笑っているでもなく、感情が一切伺えない声だ。
 僕は心の中に暗雲が立ち込めてくるのを感じながら、玄関へ行く。
「おかえり、父さん」
 仕事用のアルミケースに汚れ一つないスーツ。髪はオールバックに固め、鼻下にはヒゲを蓄えている。
 僕の父、井上重信(しげのぶ)だ。
「庭、あれはどういうことだ」
 外を顎でしゃくりながらも視線は外さない。
 僕は額に浮かんだ汗を拭い、どう答えばいいのか悩んだ。
 まさか魔人同士が闘った跡です、なんて言えるわけがない。そんなことは信じてもらえるわけがないし、ふざけていると思われるだけだろう。
 口ごもる僕を数秒見つめた父さんは、胸元から携帯電話を取り出した。
「もしもし、警察ですか」
 驚いて言葉が出ない僕。父さんは警察に現状を正確に伝えた。
 考える素振りもなく直行だった。あの庭を見れば只ならぬ事が起きたのは明白。普通の人ならば慌てふためいてもおかしくない。
 でも父さんは、僕がすぐに答えないとみるや警察に通報した。一番的確で無駄のない判断なのだろうが、なんだかいやに冷たく感じた。
「改人、庭を修復する電話はまだするな。警察の実況検分が終わった後だ」
 電話を終えると、父さんは靴を脱いで台所に向かう。今のは園芸屋さんへの電話は僕がしろ、という意味だろうか。
 台所に入って鼻をひくつかせながら、コンロを見る父さん。僕は自分が夕飯当番なのを思い出して、しまった! と焦った。
 しかし父さんは何も言わずヤカンを火にかけると、食料庫からカップラーメンを取り出した。
 そして包装ビニールを破りながら淡々と告げる。
「園芸屋には私が電話をしておく。日にちが決まり次第伝える」
 それだけだった。
 責めるわけでも怒るわけでもなく、疑うわけでもない。
 父さんの感情は何があっても決して動くことはない。いつも心は石のように留まり、理性的にしか行動をしないのだ。
 沸いたお湯をカップラーメンに注ぐ父さん。
「お前も食べないのか」
「……いらない」
「そうか」
 僕にとって父さんは、一枚の厚い壁だった。
 どれだけ言葉を投げかけても、どれだけ感情をぶつけても、返ってくるのは乾いた反応だけ。キャッチボールが成立しない、壁を相手に投球練習をしているのと同じだった。
 父さんを前にすると、言い知れない虚しさが心に広がる。
「僕、部屋に行って勉強してくる」
「うむ」
 ラーメンを啜りながら父さんは気のない返事をした。僕は足早に台所を去る。自分の部屋に戻っても息苦しさは抜けなかった。
 僕は勉強机に置かれたランプを見つめる。
 何故だろう。今、無性にあの脳天気な魔人に会いたかった。



目次へ
スポンサーサイト
23:01  |  駄・ランプ  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2012'05.18 (Fri)

駄・ランプ  第二章

 六月が終わったばかりだというのに、今日も朝から雨が降っていた。
 教室に設置してあるエアコンでも対処しきれないジメジメした空気の中、担任の古田先生だけは清々しい笑みを浮かべていた。
「君達はまだ学生だが、いずれ社会に出れば嫌でも競争という荒波に揉まれることになるだろう。だから学生時代くらいは無駄に争わず、伸び伸びと若い力を養ってもらいたいと思っている。だが……」
 そこで一旦、言葉を区切る。そして常夏のようなカラッとした満面の笑みで、教室を見渡した。
「今回ほど先生はお互いに切磋琢磨し合うことが、これほど素晴らしいと感じたことはない。先日、行われた期末テストの結果が全て出揃った。その結果……」
 大きく息を吸い込む古田先生。クラスメートの眩しい視線を一身に受け止める。
「なんと井上が首位奪還を果たしたのだ!」
 歓声がドッと湧き上がった。
 隣のクラスの担任が何事かと顔を出したほどで、古田先生は頭を下げながらみんなを諫めた。
「井上は先の中間テストで惜しくも佐々木に首位を取られたが、きっと今まで以上に何倍も努力をしたと思う。誰もがみんな頑張っているのだろうが、それを結果として出せたのが、井上の一番凄いことだろう」
 古田先生の褒め言葉とクラスメートの賞賛の囁きを、僕はイヤミにならない程度の澄まし顔で聴いていた。
「しかし佐々木だって大したものだぞ。前回より平均を四点も上げてきたのだからな。それでも井上が一歩リードしたのは、悔しさをバネにしたからかもしれないな」
 佐々木が今、どんな表情をしているか分からない。というよりも恐くて見られない。明らかに佐々木周辺のクラスメートが静まり返っている。きっとツインテールが、鬼の角みたくピーンと立っているだろう。
 そして佐々木を見られないもう一つの原因は、僕の中に微かな罪悪感があるからかもしれない。
 今回の結果は、リイナの力を使って得たものだから。
 本人達を余所にテンションが上がりっぱなしの古田先生の話は止まらず、結局その日のホームルームは二十分もオーバーして終了した。
 僕は声を掛けてくるクラスメートを軽くかわし、佐々木と目が合わないように教室を後にして帰路についた。

 家に着くと僕は真っ直ぐ自分の部屋に向かう。そして着替えもそこそこに勉強机に置かれたランプを手に取った。
「出でよ、ランプの魔人」
 煙がもくもくと立ち上るのを確認してから、僕は背を向ける。するとしばらくしてから背後で「いいよ~」という締まりのない声がきこえた。
 振り返るとリイナはごろんと寝そべりながら、煎餅をバリバリ食べている。髪は両サイドに分けて結ってあるが、長さと位置が適当で合っていない。
「あなた、大学は?」
「ん~、創立記念日で休み」
 こないだも似たようなことを言っていた気がするが。
「今日は報告まで。とりあえず願い事どおりに期末テストは一位を取れました。ランプの魔人さん、ありがとう」
 クスッと笑いながら煎餅をパタパタ扇ぐリイナ。
「どういたしまして~」
 僕は先々週、リイナにある願い事を頼んだ。
 それは『卒業まで首位をキープすること』だった。
「今回は実験を兼ねる意味で全然勉強をしないでテストを受けたけれど、それでも問題なかった」
「ふ~ん、そうなんだ」
「二位の佐々木は点数を上げてきたのに一位を取れたということは、僕の学力を向上させたと捉えていいんだろうか。それとも問題用紙に細工した? 答案にはそれらしい痕跡がないけど」
 僕は鞄の中から返ってきた答案を取り出す。どれだけマジマジ見つめても筆跡は僕のものだし、内容が簡単になっているようにも感じない。
「それが魔人の力なのよ。どこがどうなったかなんて別にいいじゃない。一位になったね。良かったね」
 煎餅をかじりながら尻を掻くリイナ。バリバリという音がハモっている。
「人外な力といわれてしまえば手も足もでないけど。それでもある程度は解明しておきたいじゃないか」
「ふ~ん。人間って細かいこと考えるんだね。魔人はそんなことを思いもしないわ」
 魔人というよりリイナがズボラなだけじゃないか。
「そうだ。ちょうど良い機会だから願い事のルールを聞いておきたいんだ」
「ルール?」
 ベッドから僕の枕を持ってきて、クッションのように使うリイナ。
「だって何でもかんでも願い事を叶えられるわけじゃないでしょ。魔人にもルールや禁忌があるんじゃないか?」
「そうね。基本的に願い事を増やすのはダメね」
 やったじゃないか。最初からバツ一個だよ。
「それって罰せられるの?」
「うぅん。そもそもそんなことをする魔人はいないって」
「……」
「……」
「お金を増やすとかは?」
「あ、それは大丈夫」
 あっさりと答えるリイナ。
「え、いいの? 上限額は?」
「一億でも一兆でも。ただお勧めはしないわ。この世界の経済が破錠して終わるだけだから」
 リイナの口から、随分と知的な言葉が出てきたので目を見開く。
「たとえば君が今、一兆円を手に入れたとするわね。何に使い何を買うかはしらないけど、そのお金はどこかの金庫にあったものを持ってきたわけじゃなく、魔人の力で新たに生み出したものなのよ。
経済ってさ、どこかが膨れ上がればどこかが沈み込むわけよ。飽和点は必ず存在するわけ。君が一兆円を使った分、物価が一兆円増えるだけで終わるわ」
 煎餅を食べきり、爪をいじりながら講釈を垂れるリイナ。
「しかも額が大きければ大きいほど経済の歪みは大きくなるの。君の私利私欲でウハウハするのは勝手だけど、生活の基盤となる国政は崩壊するでしょうね。
それに君、学生でしょ? 急に大金を手に入れたとバレたら、ありとあらゆる方面からめんど~い捜査漬けになるわよ。お金を使うヒマなんてないわよ。スイス銀行に預けるのが関の山ね」
 だからお金はやめた方がいいわ、言って話を締めた。
 これまでこの人を相手にして一番、面食らった。普段はダルいとかめんどいとか魔人の皮を被ったナマケモノのようなリイナが、経済についてスラスラと説いたのである。
「あなた、以外と考えているんだね」
「心外だわ。私、これでも経済学部なんですけど。
 同じような理由で世界征服もやめた方がいいわね。征服は様々な手法で出来るでしょうけど、維持は無理だろうから。この手の願い事が一番多いらしいけど、みんな結局失敗しているわね」
 ドキッとした。お金系もそうだけど、世界征服に近い願いは例のノートに結構書いてあった。
 確かにアメリカ大統領になったところで世界征服をしたことにはならないし、その後に自分がまともに国をまとめられる自信がない。
「かなりシビアなんだね」
「シビアっていうより身の丈に合わない理想を願い過ぎるだけ。魔人にしてみれば人間の欲深さって異質なものに見えるの。私みたいに多くを望まず、ゆったりまったり生きていればいいのに」
 あなたの場合はだらけ過ぎです。
「他には? 変な話、人殺しとか」
「それこそ一番の禁忌ね。人間の命を魔力でどうかしたら、魔人界で裁かれることになるわ。しかも問答無用で死罪ね」
 苦虫を潰したような顔のリイナに質問を続ける。
「死んだ人間を生き返らせるのは?」
「アウト。てか、キモいじゃん」
 キモいとかいう問題なのか、と思いながらも心の底で少し落胆していた。
 ノートの最後に記された、たった一つの願いは魔人の力をもってしても叶わないらしい。
「それともう一つ。人間の心を変えるのも禁忌よ」
「人間の、心?」
「感情とか性格かしらね」
 首を捻る。そのぐらいが禁忌になってしまうのは不思議だ。
 確か中学の頃にマンガの影響だったと思うが『クールになりたい』とノートに書いた記憶がある。
「そのくらいは別にいい気がするけど」
「なんでも人格の破壊、っていう理由らしいわ。私もその程度は構わないと思うけどね」
 リイナもその怠慢な性格を魔力で矯正すればいい、とは言えない。
「とりあえずそんなところかしら。とにかく禁忌は禁忌だからやめた方がいいわよ」
「わかった。ありがとう」
 リイナは大きな欠伸をして枕を抱くと寝転ぶ。その枕がなかなか気に入ったらしく、いつも召喚をすると使うのだ。
 だから最近はリイナの匂いが枕に染み込んでしまったようで、寝る時にほんのり甘い香りが鼻をくすぐりドキドキしてしまう。
 僕は頭を振って気持ちを切り替える。
「当然ながら願い事といっても、全てにおいて万能っていうわけでもないんだ。それに、随分と人間のことを尊重してくれているんだね。魔人にしてみたら、人間なんて勝手に呼び出して願い事を叶えさせられる、厄介な存在って感じなのに」
「ふ~ん、そう思うなら少しはパクる回数を減らしてもらえないかしらね」
 じっとりとした目つきのリイナから顔を反らす。いや、そんな頻繁に喚び出した記憶はないんだけど。
「基本的に魔人は人間界を重宝しているのよ。魔人ってさ、ある程度は魔法でどうにかなってしまうから、産業技術を率先して進化させようって思わないのよね。それに根本的に好戦的だから、力が全て~っていうきらいもあるし。だから人間界から仕入れてくる情報や技術によって、魔人界は発展していったの。魔人が人間の願いを叶えるのって、ギブアンドテイクなのよね。私達の魔力が人間界を崩壊させないように――共存が私達の最高の願い事よ」
 そんなことを言うリイナが、やっぱり年上の女性に感じた。でもそれが何故だか悔しく思えたけど、理由は自分でも分からなかった。
 リイナは枕を抱えてゴロゴロする。
「だからさ、願い事なんてそんな難しく考えずに、パァーっと適当に使っちゃってよ。まだまだ101回もあるんだからさぁ」
 リイナは体を起こして、ニンマリと微笑みながら僕に詰め寄る。
「今日、暑いよね~。もうすぐ夏だよね~。ガリガリ君食べたくない? 食べたいよね。どうぞリイナちゃんに頼んでちょうだい。すぐに買ってきてあげるから。何味がいい? 私はソーダ味~」
 わざとらしく胸元をパタパタさせるリイナ。僕は色香に惑わされないよう目を堅くつぶって顔を背ける。
「イヤです。そんなパシリみたいな用事に貴重な魔人の力を使ったりしません。ガリガリ君くらいは自分で買ってきます。というよりも冷凍庫に買い置きがあるけど、食べます?」
 パァッと瞳を輝かせるリイナ。
「食べる~♪ ありがと~優しいご主人様♪」
 寝転がりながら嬉しそうに手足をパタパタさせるリイナ。そんな無邪気な姿を横目に僕は台所へ行く。
 あの夜は相当興奮していたリイナだったが、今では冷たく当たってくるわけでもなくダラダラしている。面倒くさがり屋なだけに早々に諦めたのだろうか。
 しかしながら、これで僕は魔人の力を百回近く使えることになった。
 あのアラジンですら、たったの三回。
 さっきのリイナの話ではないが、もしかすると世界征服も夢じゃない気がする。
 自分が世界の玉座についた姿を一瞬だけ想像し、馬鹿馬鹿しいと溜め息混じりに冷凍庫のドアを開けた。
 僕はそこまで強欲でもなければ野心家でもない。逆に有り余る魔法のチケットの束に恐縮しているくらいだ。
 テストで一位になりたい、という願い事だって何だかズルをしたみたいで座りが悪い。あの鉄面皮の佐々木だって相当努力をしただろうし、僕もそれに対して正々堂々と応えれば良かったのだ。
 ソーダ味のガリガリ君を二本取り、ドアを閉める。ひんやりと白い煙がアイスから零れた。もうじき夏が来る。
 でも、それでも僕はこの異例すぎる特権を手放したくはない。そこまで大それたことをしたいわけじゃないけど、与えられた力はフル活用しないと。
 部屋に戻ると、リイナは枕を抱いたままスヤスヤと寝息を立てていた。
 最早いつものことだと呆れもしない。
 リイナの頬を突っついてみると、プニプニとした弾力が気持ち良い。本人は既に熟睡モードに入ってしまったようで反応がない。
 僕は自分のアイスを口にくわえると、もう一つを戻しに台所へ引き返した。
 あそこまで呑気ならば、百回以上の願い事にだってのんびりと付き合ってくれるんじゃないのか。
 そこがガッカリするほど怠惰な性格であるリイナの、唯一安心出来るところだった。

 ☆ ☆ ☆

 それは夏休みを三日後に控えた放課後だった。
 長かったようで短かった一学期も、もうすぐ終わる。いつもながら爽やかに発破をかける古田先生のホームルームも終わり、僕は自分のロッカーを整理していた。
 もう二日間は授業がない教科の参考書や備品の整理を終え、少し大きめの荷物を担ぎ帰ろうとしていた時だった。
 教室のドアに背もたれをして腕を組む女子生徒が一人。佐々木だった。
 教室には部活がない生徒がまだ数人いるのに、佐々木が入り口を塞ぐように立っているので邪魔だった。
 しかしみんな、コソコソと視線を逸らしてもう一つのドアから出ていく。はばかるほど大きい体格ではないのに、異様なオーラがどうにも人を避けさせる。
 僕も目を合わせないようにみんなに倣い、別のドアに向かった。なにやら嫌な予感が、八割方は当たりそうなほどの嫌な予感がしたからである。
 そして
「井上くん、ちょっと待ちなさい」
 やはり二割程度では外してくれなかった。
 佐々木は顔だけをこちらに向けて人差し指をクイクイさせる。こっちに来い、ということか。
 僕はそんな横柄な態度に対して、露骨に嫌な顔をしてみせた。
 自分から呼び止めておいて来いとは何事か。しかも命令口調だし。
「なにか用?」
 目の前まで行くのも癪だったので、少し離れた位置から憮然と問い返す。
「井上くん。今日これから暇でしょう」
 知らんがな。というか、でしょうってなんだよ。さも用事がないといわんばかりの言い草だ。
 何も言い返さずにいると、佐々木はそれを肯定と受け取ったようで言葉を続けた。
「この後、井上くんの家に連れて行ってちょうだい」
 自分の耳を疑った。
 佐々木、今なんて行った?
 振り向くとまだ教室にいた数名のクラスメートが目を丸くしていた。
 みんなの視線が何故? と問い掛けてくる。知らんがな。こっちが訊きたいくらいです。
 顔を前に戻すと佐々木はやや機嫌悪そうにしている。
「いいでしょ。早く返事をして」
「え、まぁ。いや、何でまた?」
「そんなの井上くんに関係ないわ」
 いやいやいやいや、関係なくないでしょ。僕の家なんですけど。一応、誰でも気軽に入れるようなパブリックスペースではないと自覚しているけど。
 何を考えているのかわからず悩んでいると、佐々木はイライラしてきたのか貧乏揺すりをし始めた。
「良いの? 悪いの? どっち!」
 コイツは不明瞭な返答を極端に嫌う。まるで駄々をこねる小学生みたいだ。
「え、いや。まぁ、良いけど……」
「そう。じゃあ早く案内してちょうだい」
 案内しろと言ったくせに先立って歩く佐々木。僕は考える暇もなく佐々木のペースに引っ張られて、後について行くしかなかった。

 学校を出ても佐々木は常に僕の前を歩く。
 その足取りには渋滞がなく、まるで僕の家への順路を、あらかじめ知っているかのようだった。
 歩くたびにぴょこぴょこと揺れる短いツインテール。金髪というのがかなり目立つが、話に聞けば彼女の父親はイギリス人とのこと。目鼻立ちがスッキリ整っているのも、その血統なのだろうか。
 それはいいとして、さっきから気になっていることがある。
 校門を出たあたりから、僕達の背後にある人物がずっとついてきているのだ。
 僕はチラッと後ろを見る。
 そこには、フリルがふんだんにあしらわれた、ピンクのギンガムチェック柄のメイド服に身をまとい、スッと背筋を伸ばした女性がスタスタと一定の間隔を保ってついて来ていた。
 ただし、おばさん。
 明らかに四十代くらいだろうおばさん。そのメイド服を着るにはちょっと耐えきれないだろう容姿のおばさん。化粧も薄く、無表情のおばさん。
 道行く人もそのメイド服おばさんをマジマジ見つめながら素通りしていく。正直、こっちまで好奇な眼差しを向けられるのでイヤだ。
 「なあ、佐々木。あのおば……女の人は誰?」
 歩幅が小さいからか、チョコチョコと前を歩く佐々木に声をかけると、興味なさげに「うちのメイドよ。気にしないで」と返してきた。
 気にするなと言われても、気になるだろう。居心地の悪い気分のまま、佐々木に先導されて自宅へ向かう帰路を歩いていった。

 学校からバスを乗り継いで二十分。ようやく家に辿り着いた。
 僕より先にエントランスの柵を開け、玄関の戸の前で待機する佐々木。さっさと鍵を開けろと言わんばかりに、腕を組んでチッと舌打ちをした。
 もはやここまでふてぶてしいと、笑いが込み上げてしまう。
 玄関の施錠を外し、扉を開けて佐々木を中に招き入れる。するとそこで、今まで一言も喋らなかったメイドさんが言葉を発した。
「お待ち下さいませ。茉莉お嬢様」
 飲み屋のママみたいなハスキーな声に、佐々木の足がピタッと止まる。
「何か用かしら、珠江。私は今、忙しいだけど」
 不機嫌そうな佐々木に臆することなく、珠江と呼ばれたメイドさんはずいっと僕の前にきた。
「もしやとは存じますが、この男とこの狭っ苦しい家の中で、二人っきりになるおつもりではありませんよね?」
 随分と無礼な言い方にムッとする。この家は数年前に新築されたばかりで、中もそれほど狭くはないはずだ。
 それに佐々木が勝手に押しかけてきたのを、この珠江さんも自明なはずではないのか。
「黙りなさい、珠江。これからは私のプライベートな時間。メイド風情が首を突っ込むことではないのよ」
「しかしながら、茉莉お嬢様。私はお嬢様付きのメイド。もしもの事が、もしもの淫らな事があっては旦那様に申し開きが出来ません。メイドとしては承服致しかねます」
 淫らってなんだよ。誰がこんな小学生みたいな女の子を相手にするのだろうか。
「口が過ぎるわよ、珠江。私の命令が聞けないっていうの? 随分な態度ね!」
 佐々木の一喝で、珠江さんは低頭すると半歩後ろに下がった。
「御意。でしたら茉莉お嬢様、私にこの男へ少々質問をする機会だけを与えて下さいませんか?」
「勝手になさい」
 また恭しく頭を下げると、珠江さんは僕をジッと見つめて「実直に答えなさい」と念を押した。
「ふと気付けば、夕方の五時半あたりからNHK教育番組を観ていることがあるか?」
「……いいえ」
「休みの日に近所へ散歩に行った時、意味なく公園の砂場あたりを凝視していることがあるか?」
「……いいえ」
「赤いランドセルに並々ならぬ興奮を覚えることはあるか?」
「いいえ」
 ふむ、と独りごちると珠江さんはエントランスの外まで出ていった。どうやら僕が害無しと判断したらしい。
「さあ、井上くん。あなたの部屋まで案内してちょうだい」
 いつの間にか勝手に靴を脱いで、家の中を散策しようとする佐々木。僕も慌てて靴を脱いだ。
 なんだったんだ、今の質問は。

 自分の部屋にクラスメートの女子がいるというのは、新鮮な光景だった。
 女の子といえばいつもリイナがいるのだが、それとはまた違った感覚である。
 リイナは大体の場合が部屋着でダラダラしている時が多いので(大学はどうした?)家族のように思える時がある。
 しかし佐々木は普段からライバル的なポジションの同級生で、黙っていれば誰もが振り返るほどの容姿の持ち主だ(特に一部の変わった好みの男性には)。
 そんな僕をよそに、佐々木は部屋に入るなりキョロキョロと辺りを見渡した。トンビを警戒する雀のような動作だが、目つきは猛禽類みたくまるで何かを探しているようである。
「広い部屋ね」
 舐めるように室内を見渡しながら、佐々木は呟いた。
 僕の部屋はある理由があって十五畳のスペースがある。あまり物をゴチャゴチャ置くのが嫌いなので、勉強机とベッド以外は全てクローゼットに仕舞ってある。だから余計に広く感じるのだろう。
「どうでもいいじゃないか、そんなこと。なぁ、佐々木。僕の家に来て一体なにをするつもりだ? そろそろ訳を話してくれてもいいんじゃないか」
 道中、理由を訊ねても佐々木は「着いたら教えてあげるわ」としか言わなかった。
 気迫に押されてここまで連れてきてしまったが、少々常識に欠けているんじゃないか。
 もう本当に勘弁して欲しい、と思ったその時だった。
 佐々木の視線があるものを捉えて止まった。そしてニンマリと頬を緩めたのである。
 僕はその視線の先を辿る。
 場所は勉強机。少し広めの造りで、デスクトップ型のパソコンスペースと兼用している。
 ブックスタンドには必要なだけの参考書があるのみ。あと目に付くものといえば、例のランプだけだった。
 勉強机にツカツカと歩み寄る佐々木。僕は言い知れぬ不安感が胸をよぎった。
 いや、あのランプはちょっと変わった拵えの卓上ライトにしか見えないはずだ。
 心拍数が上がる。佐々木にランプの秘密がバレるとは思えないが、極力不審な仕草はしない方がいい。
 ランプをマジマジと見つめた佐々木は、クスッと笑ってこちらを振り返った。ちょうどランプを背にする格好になる。
 そして肩に下げていた鞄の中に手を入れた瞬間、不気味に口角を上げてこう言った。

「勝った。チェックメイトよ」

 え? という呟きがグッと飲み込んだ息と一緒に消えた。
 僕はあまりの驚きに目を大きく見開く。
 佐々木が鞄から取り出したものは、勉強机に置かれたランプと全く同じ物だったからである。
「来なさい。ランプの魔人」
 佐々木が手に持ったランプから、たちまち煙が溢れ出す。最早見慣れた光景だと言うのに恐怖が止まらなかった。
 煙が晴れていき、その中にいた人物が全容を明らかにする。
 闇夜を連想させるダークのスーツに身を包んだ男性が、腕を組んで立っていた。
 緋色の長髪。インテリジェントなフレームのメガネの奥の瞳は、浅く閉じている。
 微動だにせず佇むその姿は、それだけで強烈なオーラを発していた。
「お呼びかな。我が主よ」
 静かだがずっしりと響く低音が口から漏れる。そしてゆっくりと目を開いた。
 頭髪と同じ燃えるような緋色の瞳が力強く睨む。僕はそれだけで身が竦んでしまい、動けなくなってしまった。
 確認をする必要もない。目の前にいるのは正真正銘、本物の魔人だった。
「ええ。あなたの言った通りだったわ。井上くんも魔人の力を使っていた」
 唾を飲み込む。
「僕も、っていうことはつまり……佐々木も」
「えぇ。中間テストの一番は魔人の力を使ったのよ」
 佐々木は悪びれもせずに言った。
 これでやっと話が繋がった。
「魔人が使う魔法は絶対であり、人間がどう足掻こうとも覆せるものではない。しかし我が契約は破られた。それすなわち、人外な力が関与した証拠である」
 淡々と語る赤髪の魔人。魔人の力は魔人しか覆せない、ということか。
 佐々木が自分のランプを机に置き、替わりに僕のランプに手を伸ばす。
「そう。だったら対処方法は自ずと決まってくる。そして私は、自分を阻害した力を取り込むことは拒まない。力はいくらあっても足りないから」
 ハッと気付いた時には遅かった。
 佐々木が今し方いった「チェックメイト」の意味がやっとわかった。
 映画のアラジンの一コマがブワッと甦る。
「それはダメだ! 返せ!」
「動かないで頂きたい。少年よ」
 足を一歩踏み出した瞬間だった。
 赤髪の魔人は腕組みを解き、素早く指をパチンと鳴らす。僕の目の前に手のひらほどの炎が舞った。
「人間を傷付けるのは極力避けたい。黙って見ているがよろしい」
 思わず腰が抜けた。へたり込む僕を見下ろす佐々木。
「これは願い事の中に入らないわよね、ジン? あなたが勝手にやったことよ」
「案ずるな、我が主よ。この程度はサービスだ。それに私も、どの魔人が召喚されていたのか興味がある」
 ふん、と鼻を鳴らすと佐々木はランプに手を当てススッと擦った。
「出て来なさい、ランプの魔人」
 煙が舞い上がる。
 僕はどうすることも出来ずに呆然と見ていた。
 ランプの魔人は誰であれ、召喚した人間の命令に従う。映画のアラジンでは、悪役のジャファーがランプを奪いジニーの力を悪用した。
 あのリイナが僕に襲い掛かってくる場面を想像してしまう。
 絶望が胸に広がった。
 煙が徐々に晴れていく。そして聞き覚えのあるカチカチという音が聞こえてきた。
 これってマウスのクリック音?
「ありゃ、このタイミングでパクられてしまった……あれ? ネット回線が復活した」
 空色の髪を後ろに束ねたリイナ。今日は何故かメガネを掛けている。
 それよりも一緒に付いてきたものに目を見張る。
 小振りなちゃぶ台にノートパソコン。マイク付きのイヤホンをはめていた。
「こりゃラッキー。パクられた先が無線LAN繋がるとこだったみたいです~。ハハハ、ね~本当に。じゃあもっかいゲーム立ち上げますんで、ダンジョン前で待っていて下さい~」
 何をやっている最中だったのだ?
 喚び出した本人である佐々木も困惑した様子だ。眉間にシワを寄せてマジマジとリイナを見つめている。
「コレ、魔人なの?」
 だよね。僕も初対面はそう思った。
 ハッと正気に戻った僕はリイナに迫る。
「ちょっとあなた! 大変なことが起こったんです! ねえ! おい!」
「今日はイベントデーですからね。絶対クリスタルソードが出るまでは周回しまくりますよ~。あとで他のギルメンが来たら召集しましょ。え? 誰か叫んでいるって? ハハハ、気にしない気にしない」
「気にしろー!」
「あ~はいはい。ですね。じゃあ要件を済ませたらすぐ戻りま~す。一旦スカイプ切りますね」
 面倒くさそうにイヤホンを外したリイナは、目を細めて僕をジッと見つめた。さっさと済ませろ、と空色の瞳が訴えている。
「大変なんだ! 魔人が! 他の魔人が現れて! いや、佐々木があなたを喚び出してしまって大変なんだ!」
「こっちも大変なのよ。ルッカダンジョンにしか現れない、しかも水曜日にしかアイテムを落とさない虹色ゴブリンを狩りに行くところなんだから」
「ルッカダンジョン? 虹色ゴブリン?」
 混乱する頭の中に単語が投げ込まれる。知っているような知らないような。それって確か……。
「ネトゲですか? もしかして『マホロバ』の?」
 ノートパソコンを覗き込むと、見覚えのあるログイン画面が表示されていた。
 高校に入ってすぐに、クラスメートから勧められて始めたネットゲームの『マホロバ』である。
「へぇー。マホロバって魔人界にもあるんですか。僕もやっていますよ」
「あら、本当に? 魔人界では一番人気があるネトゲよ」
 美しいグラフィックに本格的なストーリーも楽しめるが、農場経営や裁縫、鍛冶といった生産系も面白い牧歌的なネットゲームだ。
「じゃあさ、今度一緒にどこか行こうよ。ダンジョンも狩りもみんなで行った方が楽しいし」
「あ、いいですね。行きましょ……って、違ーう! 大変なんですって! 周り見てください!」
 うるさそうに耳を塞ぎながら部屋を見渡すリイナ。そして赤髪の魔人と目が合うと、露骨に嫌な顔をした。
「げっ。高杉じゃん」
「まさかこんなところで相見えようとはな。妙な因果よ」
 高杉、という名字に覚えがある。確かリイナが最初に口にした幼なじみだ。
「炎の魔人……この人がジン?」
 嬉しそうに口元を緩めるジン。
「いかにも、少年。我が家系は代々誉れ高き炎の魔人。そして私は三十七代目の高杉ジンである」
 手のひらに浮かべた炎がグニャグニャとうごめく。まるで生き物みたいな炎は途端に矢のように変貌し、リイナ目掛けて飛んでいった。
「危ない!」
 しかしリイナは素手で炎を払いのける。ものが焼けた匂いが部屋中に広がった。
「だ、大丈夫ですか?」
 白魚のようなリイナの細い指が黒く煤けている。
「このくらい何ともないわ。魔人だもん」
 火傷をしたわけではないようだが、ジンの浮かべる余裕の表情が、さらに秘めた威力を物語っている。
 かざした右手に火の玉が宿る。リイナに狙いをつけて不敵に笑うジン。
 だが、その手を後ろにいた人物が叩いた。
「余計なことはしなくていい。まずは私の要件を優先させなさい」
 ムッスリとした佐々木にたしなめられたジンは、少し驚いた顔を見せながらも素直に身を引いた。
「失礼をした、我が主よ。魔人というものは得てして好戦的なのだ」
「野蛮ね。その程度は理性で制御しなさい」
 ランプの魔人相手でも全く臆さない佐々木。不思議そうな表情をしているリイナの前に歩み寄ると、一度だけ細い目で僕を見てからリイナを指差した。
「あなたもランプの魔人ね」
「ん、そうだけど。あんた、誰?」
「あなたは質問をしなくてもいいの。私の命令だけに従いなさい」
 横柄な言い方に気を悪くしたのか、リイナは眉間にシワを寄せた。
 きっと佐々木のことだ。躊躇せずにリイナの願い事を使うだろう。
 僕はどうすることも出来ずに、ただ歯軋りをしてやり取りを見守った。
「まずは最初の願い事よ。井上くんがあなたと交わした契約を全て破棄しなさい」
 上手い! と思った。
 僕は佐々木に何を願い事したか言ったわけではない。その願い事をいくつ叶えたかも。
 しかし今の内容ならば僕の願い事を全て無効にすることが出来る。僕が持つ百個の願い事も一瞬で効力を失う。
 佐々木がどれくらい用意周到に考えて僕の家にやってきたか、その一言で分かった。
 万事休す! 僕は全ての特権を失う恐怖に震え、リイナの口から出てくる言葉を待った。

更新日 5月24日

「イヤよ。だからあんた、誰?」

 え?
 驚き目を開く。
 佐々木もキョトンとした顔をしていた。
「イヤってどういうことよ。あなた、魔人でしょ。私があなたの主人よ。言うことを聞きなさい」
「は? 年下のくせに何いってんの? 私のご主人様はあんたじゃなくてここにいる、ここの……」
 僕を指差し口ごもるリイナ。
「君、名前なんだっけ?」
「今更かよ! 井上改人です! 適当にも程があるわ!」
 ペロッと舌を出すリイナ。
「そうそう。私のご主人様はここにいる井上ケントくん、ただ一人よ」
「カイト、だ! 速攻で間違えるな!」
 怒鳴りながらも、心の中では泣きたいくらいの安堵感が溢れていた。
 佐々木は目をつり上げてジンを睨む。
「ジン、これはどういうこと?」
「さて。どういうこと、とは?」
 腕を組みながら静かに答えるジンに、佐々木が詰め寄る。
「あなた言ったわよね。井上くんの持つランプの魔人を喚び出せば、全て解決するって」
「うむ。確かに言った。言ったが、はて……」
 顎に手を当てるジン。が、すぐに合点が入ったとばかりに頷いた。
「なるほど。主と私の思考には些か齟齬があったようだ」
「何が齟齬よ。言葉は明瞭簡潔に伝えなさい」
「まぁ、そう怒るな。我が主よ。望みを叶えてやるには変わりない」
 そう言ってジンはゆっくり腕組みを解き、リイナを指差した。
「単純な話よ。私と勝負をしたまえ、克田」
 ジンを無表情に見返すリイナ。空気が途端に張り詰める。
 僕は息を飲んで二人の魔人を交互に見た。そしておずおずと訊ねた。
「あの、克田……かつたさんって誰ですか?」
「え、私の名字だけど」
 ジンから目を逸らさずに答えるリイナ。
 克田……そういえばリイナの名字は聞いていなかった。このジンにしろ、話に聞く他の魔人にしろ、何故かみんな名字は日本人だから、別段リイナの名字が克田でもおかしくない。
 ふと、首を傾げる。
 フルネームは克田リイナ。かつたリイナ……かつたりいな……かったりーな!
 思わずブフォ! と吹き出してしまった。名は体を表すというが、ここまで的確に名前と性格が一致している人がいるだろうか。
 そりゃあいつも、かったるそうにしているはずだ。親御さんはどういうつもりで名付けたのだろうか。
「勝負ね。まぁ、高杉らしい発想だけど私はあまりしたくないわ」
 かったるいからね。
「戦いこそが我ら魔人のアイデンティティではないか。拳を交え勝敗を決することこそ魔人のルール。貴様は生き方そのものを放棄するつもりか」
 かったるいからね。
「待ちなさい、ジン。私はさっき野蛮な行動は慎めと言ったはずよ。それに何故、勝負をする必要があるの。訳を説明しなさい、早く」
 魔人の会話に割って入る佐々木。自分の知らないうちに話を進められるのが不満なのか、語気が荒い。
「簡単なことよ、我が主。人間界に召喚された魔人が決闘すると、敗れた方の魔人は著しく魔力を減衰するため、主の願い事は一定期間だが効力を失うのだ」
 ジンの話を聞き、佐々木は途端にニヤリと笑う。そして後ろに下がると早々に傍観態勢に入った。
「ちなみにこれも願い事には入らないわよね。あなたから言い出したことよ」
「無論だ、我が主よ。勝敗後にこの少年を如何様にするか、観戦しながらゆっくり考えていればよろしい。それにむしろこの勝負は……」
 手のひらに構えた炎の矢を立て続けに三本放つ。リイナそれを次々と両手で叩き落とした。
「私怨である」
 メガネを中指でクイッと上げながら、ジンは歯を見せて笑った。緋色の瞳が強い力を放つ。僕は勉強机の陰に隠れながら二人の闘いを見守った。
「あんたさ、なんでここに来てまで勝負なの? 私、いま結構忙しいんだよね」
「笑止。物心がつくより前から競い合った仲ではないか。闘いは我々にとって挨拶のようなものだよ」
 ジンは右手に炎を泳がせながらリイナとの間合いを計る。いつでも攻撃に転じられる体制を崩さないジンに対して、リイナは欠伸をしながらバリバリとお尻を掻く。
「私達、もう大学生だよ。そういうのは中学生の時に卒業しようって言っているじゃん。正直、通学路で待ち伏せとかされていると、マジでウザいんだけど。駅の構内とか恥ずかしくて嫌なんだけど」
「……ふん、家が近いのだから仕方あるまい。貴様の腑抜けた態度を目にする度に、性根から叩き直してやりたい衝動に駆られるのだ。
 それにその忘れっぽい性格もちゃんと直せ。貴様、こないだ忘れていただろう。ほら、先週の木曜日だ」
「木曜日? え、何かあったっけ」
 顎に手を当てて考えるリイナ。何故かジンはメガネを直す仕草を頻繁にする。
「忘れっぽいのも大概にしたまえ。ほら、十二日だ。毎年恒例の大事な日だ。ロウソクの数だ」
「あ~、あんたの誕生日ね。ごめん、その日は合コンに行っていたわ」
 あからさまに落胆した表情になるジン。緋色の瞳にみるみる涙が溜まっていく。
「ご、合コンだと? 貴様、唯一無二の幼なじみである私の誕生日を忘れ、破廉恥な会合に参加していただと?」
「破廉恥じゃないもん。少なくとも風早くんは超絶ステキマックスでした」
「りっちゃんの馬鹿ぁー!」
 途端にジンは叫び声を上げた。
「毎年楽しみにしていたのに! りっちゃんが誕生会に来てくれるの一日中待っていたのに! ケーキは大好きなモンブランにしてたのに!」
 ポロポロと涙をこぼしながらジンは幼稚な口調で叫んだ。
「あんた、そんなことばかり言っているから友達出来ないのよ。いい加減にリイナちゃん離れしなさいよ」
「イヤだ! ……くそ!」
 ジンは両手に炎を宿し、リイナに向けた。
「許さん。許さんぞ。この誇り高き炎の魔人である私を、ここまで侮辱した罪は決して軽くはないぞ」
「大丈夫よ。みんなも陰では、あんたをかなり馬鹿にしているから」
「黙れ! 地味に傷付くことを言うな!」
 地団駄を踏むジンを冷めた目で見つめる佐々木。かなりドン引きしているな。
「こうなったらもう生きては帰さん。この屈辱は、貴様の命をもって償ってもらわなければ私の気が済まんぞ!」
 騎士は決闘を挑む際に手袋を投げつけるという。炎の魔人であるジンは手袋の替わりに火の玉を投げつけた。
「仕方ないわね。やればいいんでしょ、やれば」
 リイナは溜め息を吐きながら、受け取った火の玉をぐしゃりと握り潰す。手の中でジュウと皮膚の表面が焼ける音が聞こえた。


目次へ
21:22  |  駄・ランプ  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2012'05.06 (Sun)

駄・ランプ  第一章

 幼い頃、ランプの魔人に憧れていた。
 たぶん初めてアラジンの映画を観たのは五歳の時だったと思う。たまたまテレビのチャンネルを回していると、BS番組で再放送をやっていた。
 巨大な身体に豪快な振る舞い。なにより何でも願いを叶えてくれるという夢のような魔法に、僕は一瞬で虜になった。
 母さんにせがんでアラジンのDVDを買ってもらい、デッキが壊れるくらいに何度も繰り返し観た。ていうか実際にデッキが壊れた。
 そのくらいランプの魔人に魅せられた僕は、アラジンの他にも図書館でランプの魔人関連の本を読み漁った。
 当時は博士号が取れるくらいに、ランプの魔人マニアだったと思う。
 さらにはノートに『魔人にお願いリスト』なるものまで作り、来る日も来る日もお願いする事を上位三つラインナップしていた。
 長生きがしたい、お金持ちになりたい、勉強をしなくてもテストで百点が取れるようになりたい、おやつにプリンを毎日食べたい、など。
 それを中学に上がるくらいまでやっていたので、幼い頃というには語弊があったかもしれない。
 とにかくそのくらい『ランプの魔人』熱は、僕の幼少期の全てだった。

 だからまさか、高校生になって本当にランプの魔人と出会うことになるとは夢にも思わなかった。
 当時の熱が一気に再発して、鼻血を出してぶっ倒れると懸念したが、幸いにも一回目の願いが「救急車呼んで」にならなくて済んだ。
 いや、残念ながらといった方がいいだろう。
 何故ならそのランプの魔人である女子大生のリイナは、面倒くさげにこう言ったのだ。
「はい、じゃあね。さっさと願い事を三つ……いや二、やっぱり一つだけにして下さい。ダルいんで」
 眠い目をこすり、はだけたパジャマを身にまとったランプの魔人を前に、僕の幼い頃の夢は儚くも音を立てて崩れ落ちていった。




 第一章

 リイナに初めて会ったその日、僕はこの上なく機嫌が悪かった。
 帰り道を進む足取りもイライラして速くなりがちで、危うく途中で寄るはずだった電気屋さんを通り過ぎてしまうところだった。
 中通り商店街の小さな電気屋さんに立てられた「大特売」ののぼりでハッと気付いた僕は、またイライラを募らせながら自動ドアをくぐった。
 店内を見渡しながら、さっきのホームルームを思い出す。

 一学期の中間テストの答案も全て戻り、学年の順位も出揃ったのだろう。
 担任教師の古田先生はいつもの清々しい顔で言った。
「うちのクラスは優秀な生徒が揃っているが、その中でも特に学力が高いのが井上改人(いのうえかいと)と佐々木茉莉(ささきまつり)だ。いつもなら井上が一位、佐々木が二位だったが……今回の中間テストでついに均衡が崩れた」
 そこで一度溜めを作る古田先生。周りのクラスメートは好奇の眼差しを僕と佐々木に向けた。
「なんと、ついに佐々木が首位を奪還したのだ!」
 その瞬間、教室は歓声に包まれた。
 僕は努めて平静を装いながらも、その公開処刑にも似た時間に歯ぎしりをした。
 ご丁寧にも古田先生は僕と佐々木の点数を教科ごとに発表する。合計点数で僅か五点及ばず、僕はこのたび学年二位の座に転落した。
「けどな、佐々木もそうだが井上だって相当なものだぞ。なにせ入学してから二年生になったこれまで、ずっと首位をキープしてきたんだからな。井上にとって佐々木は本当に良いライバルだと先生は思うぞ。みんなも二人を見習ってお互いに切磋琢磨しあうように」
 えぇ、そうでしたよ。去年一年間は期末テストも中間テストも、ずっと首位をキープしていましたよ。
 なんでそれをわざわざ引き合いに出すかな。落ちた立場がさらに強調されるじゃないか。
 僕は窓際の席にいる佐々木に目を向ける。
 すると佐々木は僕の視線を待っていましたとばかりに受けとめ、勝ち誇ったように鼻で笑った。
 胃のムカムカが一気に上昇して、口からカルシウム不足の堪忍袋が飛び出しそうになる。
 これまで学年二位だった佐々木茉莉。
 高校生にしては発育が乏しい背丈に、綺麗な金髪を無理やり結んだ短めのツインテールが、ますます幼い容姿を強調している。しかし整った目鼻立ちに愛らしくクルクルと動く瞳は、まるで親戚に一人はいる可愛い従姉妹のようだ。
だが、その実態は見かけに反比例して全く可愛げがない。
クラスメートと進んで交流を図ろうともせず、思考はとことん冷たい。自分以外の人間は見下すか塵芥としか思っていない。
 勉強では勝っている僕を、いつも目の敵にしている粘着質な女子なのだ。
 背が低いためか、椅子に座っても地面に届かない足をブラブラさせながら、佐々木はもう一度、ニッとほくそ笑んだ。
 僕はこれ以上、フラストレーションをため込まないために目を閉じると、古田先生の声を聞き流す作業に入った。

 そんなことを思い出しながら、僕はさほど広くない店内を歩く。今朝方、登校する間際に父さんからお遣いを頼まれたのだ。
 台所の真上にある電球が切れてしまったのだが、僕はその切れた電球を片手にウロウロしていた。
 父さん曰わく、LED電球に交換したいらしい。
 しかしながら、LED電球といっても真新しいものなので、どれがうちの台所に適合しているのか分からない。
 パッケージを眺めてみてもイマイチしっくりこなく、僕はさらにイライラを募らせながら電球売り場を行ったり来たりしていた。
 こんなことならやっぱり、お遣いなんて引き受けなければ良かった、などと嘆きながらも、今朝父さんに言われたことを思い出す。
 僕は一度お遣いを断ったのだ。電球なんて買ったことがないし、ましてやLED電球なんて見たこともない。
 しかし父さんはそんな僕の眼をまっすぐ見据えて、にべもなく言った。
「お前はそんなだから、いつまで経っても一人前になれないのだ。それでも私の息子か。情けないにもほどがある」
 抑揚のない言い方だったが、それがかえって威圧的に感じた。
 そんな父さんの冷たい態度を思い出して、僕は腹立たしさよりも悔しさがじんわり胸に広がっていくのを感じた。

 結局、このまま意味もなく店内を迂回しても時間の無駄だと察し、店員さんへ電球について訊ねてみた。しかしこの電球の型に合うLED電球は取り扱っていないらしく、無駄足で終わってしまった。
 軽い調子で頭を下げる店員にまたムカムカがぶり返してきて、早々に店を出ようと思っていたその時だった。
 入り口近くに置かれた処分品ワゴンの中にあった商品が、思わず目に留まった。
それが卓上ランプだった。
 商品入れ替えで型が古くなったドライヤーにマッサージ機。その中で一際異彩を放っているくらいアンティークな拵えだったのである。
 僕はついつい手が伸びてしまい、その卓上ランプをじっくり眺める。
 昔の海賊船から発掘されたような煌びやかな外装に、似つかわしくない電球とコンセント。
 中世と現代がごっちゃ混ぜになった造りが、中途半端さ加減を際立たせているが、どこか人の心を惹きつけてやまない魅力を秘めていた。
 値段を確認すると僅か五百円。たとえガラクタだとしても、財布が痛まない程度の価格である。
 僕はその卓上ランプをレジに持っていくと、店員はしばらく見つめてから言った。
「あの、これだと台所仕事をするには手元が暗い気がしますよ」
 知っとるわい、そんなこと。
 僕はついでに新しい電球も一緒に購入し、帰路についた。

 家に帰って自分の部屋に入ると着替えもそこそこに早速、卓上ランプをコンセントに挿してみる。なんの変哲もない裸電球の明かりが灯っただけだった。
 当然といえば当然だ。外装がちょっと普通じゃないだけで、構造は至ってシンプルな照明器具である。
 僕は溜め息を吐いてコンセントから抜く。そして卓上ランプを手に取り、誰もいるはずのない室内を見渡す。
 これは僕が自分で認識している唯一の癖である。
 ランプやそれに似た類の形状のものを見かけると、ついついやりたい衝動に駆られるのだ。
 最近は沈静化したはずの、くすぶった残り火が無意識に背中を押す。
 浅く瞳を閉じ、小さく息を吸い込む。そしてゆっくりとその言葉を口にしながら、ランプを擦った。

「出でよ、ランプの魔人」

 ……。
 …………。
 反応なし。
 僕は恥ずかしくなりランプを乱暴に手放した。そしてわざと声を上げて笑う。
「だよな! 出てくるわけないもんな! 当たり前じゃないか! なにが出でよ、だよ! 小学生かってーの!」
 あぁ、自嘲するのも虚しい。
 こんな姿は絶対に他人へは見せたくない。これまで学年一位をキープしていた僕が、隠れてアラジンの真似事をしているなんて。
 深い吐息を吐き出して現実に戻る。父さんが帰ってくる前に台所の電球を取り替えてしまおうとランプに手を伸ばした、その時だった。
 ランプの先端から、モクモクと白い煙が立ち上っているではないか!
 僕はギョッとして後ずさる。もしかしてさっき電源を入れたときに、パーツの一部がショートしたのかもしれない。
 早く火を消すか窓の外にでも放り出さなければ、と思ったが、忌まわしい記憶がブワッと甦り、僕の両脚を床へ釘付けにした。
 冷や汗が止まらなかった。
 煙はどんどん膨らんでいく。これは最早消火できるレベルじゃない、逃げなければと思ったが、そこで僕はある違和感を覚えた。
 立ち込めた煙は天井に上っていくわけでもなく、フローリングの床の一部分だけに固まってうごめいている。
 五頭くらいの羊が、押しくらまんじゅうをしているような光景だった。
 煙は徐々に晴れていく。
 これは……もしかして。
 目の前の風景に対して、理性と夢想が熱烈な協議を開始した。
 心臓が高鳴ってうるさい。
 期待と不安で口の中がカラカラになる。
 煙の向こうにシルエットがぼんやりと浮かぶ。
 僕は目の前に現れる何かを決して見逃すまいと、しっかり双眸を見開いた。
 ……が、次の瞬間には首を傾げていた。

 女の子、というには若干失礼な年頃の女性が、枕を抱きかかえながら寝息を立てていた。
僕は辺りをキョロキョロと見渡す。
 見慣れた本棚に勉強机。部屋の隅には、高校の入学祝いに買って貰ったデスクトップ型のパソコンがある。そしてベッド。それ以外は余計な物が置かれていないシンプルな部屋だ。
 ここは僕の部屋で間違いない。
 特に何一つ変わった様子がない。さっきまで触っていた卓上ランプは床に転がっている。
 そんな自分の中で一番プライベートな空間に、よく分からない女性が呑気に横たわっていた。
「誰、この人?」
 僕はたじろぎながらもその女性を凝視する。
 緑色のドット柄のパジャマに、フリフリが付いたピンクの枕。そこだけを見れば普通なのだが、その女性の髪は鮮やかな程に空色だった。
 どんな染色をすればそうなるのか、むしろそんなヘアカラー塗料が市販されているのかと思うくらいに、見れば見るほどキレイなスカイブルーだった。
 しかしそんなキレイな髪も、寝ぐせでボサボサになっている。
 お肌は白人のように透き通っているが……うわ、涎の跡がくっきり付いていて台無しだ。
 不躾ながらも眠っている女性をじっくり観察していた僕だが、その人がムニャムニャと体をくねらせたのに驚いて身構える。
「……うにゅ」
 小さく欠伸を洩らして、その女性はゆっくりと目を覚ました。
 心臓がドキッと跳ね上がる。
 まどろんだ瞳が緩慢に辺りを探り、そして僕を捕らえると停止した。
 寝起き直後だからか虚ろな眼差しだが、その両目も髪の色と同じく空色だった。
 そこで僕は初めて、その女性が人外なものだと確信した。
 突然に煙と共に現れた眼も髪も空色の女性。僕が知っている範囲でそんな特徴を持つ人類は地球の裏側にもいない。
 ただ一番肝心なのは、この女性が僕にとって善なのか悪なのか。
「……」
 僕を見つめたまま微動だにしないパジャマの女性。こちらも下手に動けず、ただ硬直するばかりだ。
 固唾を飲み、僕はその女性の一挙動を逃さないよう、しっかりと両目を見開いた。
 すると、その空色の女性は

「……。……ぐー」
 二度寝した。

「起きろー!」
 条件反射並みに突っ込む。
 女性は顔をしかめて頭をポリポリと掻きながら体を起こした。
「なによ~。今、寝ている真っ最中なんですけど」
「だからって二度寝する奴があるか! あなた、一体誰だ!」
 僕の声がうるさいのか、女性は両手で耳にフタをする。

 あぁ、僕自身も自分の声がうるさいと思っているよ。ただ大きい声を出していないとあまりの恐怖で気絶しそうなのだ。
「あなた、どうやって僕の部屋へ入ってきたんですか? 窓だって鍵が掛かっていたはずなのに」
 あくまで常識的な方向から攻めていきたい。なんとなくもう常識なんてものからは逸脱しちゃった感が薄々あるけれど、まだ僕の中の理性が許容することを拒んでいる。
「どうやって、って。君がこっちの世界に喚んだのでしょ? ランプか何かで」
 が、常識は呆気なく覆された。
 女性は傍らに転がった卓上ランプを手に取り「コレが私のゲートなのね」と呟いた。しかしすぐに興味を失ったように手離す。
 僕は恐る恐る訊ねた。
「もしかしてあなた、ランプの魔人とか……言わないですよね?」
「イヤだわ、魔人なんて。どうせなら小悪魔的な、とかにしてくれない?」
「格が下がっているわ!」
 女性は手を叩いて笑った。何なのだ、この人は。
 でも今、確かに認めた。自分がランプの魔人だということを。
 しかも驚いたことにこの魔人は女性ではないか! ランプの魔人といえばヒゲが生えたオッサンというイメージが強かったので、すぐにすんなりと飲み込めなかった。
 胸が高鳴る。さっきまで怯えていたのとは違う高揚感が溢れてきた。
 女性は床に頬杖を突くと、伸び伸びと肢体を投げ出した。はだけたパジャマの隙間から白い肌が露出している。
 僕は咳払いをして再び訊ねた。
「ところであなた、名前は?」
 しかし女性はすぐに答えようとせず、爪をいじりながら呟いた。
「人の名前を訊ねる時にはまず自分の名前から、でしょ? それに君、私より年下っぽいし。常識だよ、常識」
 唖然とした。
 ランプの魔人というものは言語はおろか、礼節に関しても人間並みに習得しているらしい。
 もう少し荒々しい種族なのかと思っていたけど、これは認識を大幅に変更しなくてはいけないようだ。
 僕は背筋を正して口を開く。
「失礼しました。僕の名前は井上改」
「私はリイナよ。君も呼ぶ時はリイナでいいから」
「結局先に名乗っているじゃねえか!」
 欠伸混じりに答えるリイナ。
 何なんだ、この人……いや魔人。人に名乗れと言っておきながら自分が先に名乗りやがった。しかも人が自己紹介をしている真っ最中なのに。
 リイナはもう一度大きく口を開けて欠伸をすると、お尻をバリバリと掻く。もうさっきからの振る舞いで威厳もなにもあったものじゃないが、この人が魔人ならば一番訊ねておきたいことがある。
「あの、リイナさんはランプの魔人で間違いないんだよね」
「はい~。小悪魔的な女子大生、リイナちゃんで~す」
「はぁ……。するとやっぱり、ランプから喚び出した人間の願いをなんでも三つ叶えてくれたり、します?」
 ゴクリと唾を呑み込む。リイナは微睡んだ空色の瞳を閉じながら言った。
「一応ね」
 ただならない歓喜が湧き上がった。
 幼い頃からずっと憧れていたランプの魔人が(見た目は寝ぼけたお姉さんだが)、こうして目の前に現れて願い事を叶えてくれることを肯定したのである。
 嬉しいなんて言葉じゃ足りない。僕は人外な力を奮う魔法のカギを手に入れたのだ!
 しかし、その魔人様は浮かない顔で枕を抱いている。もっともここに現れてから、未だに夢の世界を行ったり来たりしているようだが。
「願いは三つ、叶えるわよ。本当はイヤだけど魔人界と人間界の契約だから仕方ないわ。ただし……」
 そこでリイナは声のトーンを落とす。
 過ぎた力は代償も大きい。僕はリイナと同じくらい声を潜めて「ただし……?」と繰り返した。

 リイナが上半身だけを起こし真顔で言った。
「すっごいダルいらしいのよ! 私が!」
 ……何ですと?
「えぇと、ダルいんですか」
「そうらしいのよ! なんかね、願いを叶える時にものすごく魔力を消費するって聴くわ! しかも人間ってさ、願いをスパッと決めてくれない超メンドくさい種族だって言うじゃん。かなり頻繁にパクられるって! そういえば高校の時にクラスメートの山本さんが一日に三回もパクられてたわ。いつも泣いて帰ってきていたもん」
「あの、パクられるってなんですか?」
「魔人が人間界に召喚されることよ。つまり今の私の状況」
 パクられるって嫌な呼び方だな。魔人達が召喚される行為をどう受けとめているか、容易に察することが出来る言葉だ。
「あの、大変なのは分かるんですけど。僕としてはやっぱり願い事を叶えてもらえると助かるんですが。こうしてランプの魔人さんと出会えたわけですし」
 う~ん。なんでこんなに下手に出なきゃいけないのかな。まぁ、叶えてもらうのはこっちだから仕方ないか。
「え~。一番いいのはさ、一つ目の願いを『願い事をしない』にしてもらうことだわ。そうすれば私は晴れて解放♪ じゃない?」
「いや、それはちょっと……」
「マジですか。あぁ、じゃあ今サクッと三つ言っちゃって。それで終わりにしましょ。厄介ごとは一遍に片付けたいし。いや、それはそれでダルそう。やっぱり小出しにしてもらった方が……駄目だ、もっとダルい。どっちも楽じゃない~。どのみち面倒なのは一緒じゃない~」
 足をバタバタさせ呆れるような葛藤に苦しむリイナ。しかしパタッとバタ足を止めると、現実逃避のように寝息を立て始めた。
 さっきまで高揚していた気持ちが、徐々に沈下していくのを感じた。
 なんだ? 魔人ってみんなこういう性格なのか?
 そりゃあ、種族というか住む世界が違う赤の他人の願いを叶えるために、魔力とやらを消費するのは大変だろう。魔力自体がどういうものか定かではないが。
 僕だって寝ているところを叩き起こされて、急にボランティアをしろと言われたら快く引き受けられない。
 でも、僕はアラジンに登場したランプの魔人を思い出す。
 彼は一度たりとも煩わしい顔などせず、むしろそれが使命だといわんばかりに意気揚々と大活躍していた。
 あそこまでやれとまではいわないが、せめて魔人と崇めたくなるくらいの振る舞いはしてほしい。僕は未だにリイナが二本足で立った姿すら見ていない。
 うつ伏せのままスヤスヤと三度寝に入ったリイナ。僕は近くまで歩み寄って声を掛けた。
「あの、ランプの魔人って無作為に選ばれるの?」
「うにゅ。何か言った?」
「喚び出す魔人はこっちで選んだりできないの」
 自分でヒドいことを言っているな、と思った。けれどここまで言ってやらないと、リイナはまともに聴きやしないだろう。
「う~ん、無理なんじゃない。そのランプは私と人間界を繋ぐゲートだから、他の魔人だと違うランプが必要かも」
 ほら見ろ。怒りもしない。
「どうせならさ、映画のアラジンに出ていたランプの魔人くらいの方がいいな。たくましくて頼もしそうだし」
「あぁ。兼次さんちのお爺ちゃんね」
「えぇ! ご近所さんなの?」
「そうよ。もう半分ボケてるからさ、会う度に昔話をしてくるのよね。儂はご主人様から自由にしてもらった唯一の魔人じゃ! って。もうね、何度も聴いたから相手するのがダルくて。声デカいし」
「もしかして、ハクション大魔……」
「米倉のお父さんでしょ? 万年花粉症の。うちの町内、毎朝六時になると米倉さんのくしゃみが轟くのよ」
「じゃあ炎の魔人で有名なジンは……」
「高杉んちの家系ね。そこの長男、私の幼なじみよ」
 僕の問いにさも当然そうに答えるリイナ。これには開いた口が塞がらなかった。魔人といえば高名な方々が、なんとリイナのご近所様だとは。
 というか、なんでみんな普通に日本の名字なの?
「で、なんで召喚する魔人を選べるかなんて訊くの? 誰を呼んだってそんなに変わらないのに」
 頬杖を突きながらリイナは言う。その時、だらしなくはだけたパジャマの胸元の奥がチラッと見えた。僕は慌てて顔を逸らしながら答えた。
「僕はもっときちんとした魔人に出てきて欲しかったんだ。あなたのようにグダグダした女性じゃなくてね」
「あら、男女差別~。それに魔人は女の方が平均的に魔力高いのよ。男は腕っ節だけ。それとも脳みそまで筋肉なマッチョ魔人に出てきて欲しかった? 今度、一緒に連れてこようか。君がそういう趣味の人なら」
「何を言っているんですか! 変な誤解しないで下さい! それに女性だからイヤなんじゃなくてもっと他の理由!」
「まあ、それはそれでどっちでもいいじゃない。はい、じゃあね。さっさと叶えて欲しい願いを三つ……いや二、一つで頼みます。なんかダルいんで」
 リイナは大きな欠伸をしながらパンツの中に手を突っ込んでお尻を掻く。アスファルトを金ヤスリで擦ったような音がバリバリと響いた。
 知らなかった。女性のお尻って打楽器だったんだ。

 僕はベッドに腰掛けて深々と溜め息を吐き出した。
 幻滅した。僕がランプの魔人にどれだけの憧れを抱いていたか、この人は分かっているだろうか。
 ランプの魔人に対する熱い思いは幼少期の僕にとって全てだったのだ。
 中学生になった頃には所詮物語の中の話だと諦めていたが、それでもずっと胸の奥でくすぶっていた。
 こんなんだったらいっそのこと、夢の中の存在として出会わなければ良かったのに。
「あの、呼び出したからには、その都度に絶対願い事をしなきゃいけないの?」
 もぞもぞと首だけをこちらに向けるリイナ。
「うぅん。いつでも構わないわよ。私も今はそういう気分じゃないから、また違う日にしてもらえると助かるわ。眠いし」
「じゃあ今日のところはお引き取り下さい」
「は~い」
 一言一言がイラッとする。もう今日はどこかに行って欲しい。そして気持ちを整理する時間が欲しい。
 ベッドにごろんと寝転ぶ。
 何だか一気に色々なことが起きたせいか、頭の中がゴチャゴチャしている。中間テストのことで悶々していたのが、まるで昨日のようだ。
 でも何かを考えようとしても、思考は定まらずフワフワと霧散していった。
 駄目だ。こんな時は勉強でもして集中力を高めよう。
 僕は起き上がって勉強机に向かおうとしたが、立ち止まった。
 リイナがまだそこにいた。
「あの、もう帰っていいですよ」
 だらしなく涎を垂らしている寝顔を覗き込む。女子大生と言っていたが、二十歳前後の女性がここまで締まりがないのは、果たして如何なものか。
 というか、魔人界には普通に大学があるの?
「ちょっとリイナさん。僕、勉強したいんで帰って下さい」
「うにゅ……。帰るわよぉ、そのうち」
「いやいや。そのうちなんて言わずに、今すぐどうぞ」
「私もそうしたいのはやまやまなんだけどさ。一回パクられると、三十分間は絶対にこっちへいなきゃいけないのよ」
「え! そうなんだ!」
「そうよ。それと召喚出来るのは一日に一回までね。極力無駄な召喚はしないように。特に今日はもう絶対に召喚しちゃ駄目だからね。私、夜に合コンがあるから」
 こっちも出来るなら召喚したくないわい。
 僕は壁に掛けられた時計に目をやる。最初に召喚したのは何分前だったのだろうか。二十分前だったような気もするし、五分前だったような気もする。
 とにかく、もう少しリイナはここにいるということか。この上なく落ち着かない。
「ねえ。もし良かったらそっちのベッド貸してくれない? 床だと体が痛くて」
「あ、はい。どうぞ」
 むくりと体を起き上がるリイナ。僕の前に立つとニッコリ微笑んだ。
「ありがと。御主人様」
 そしてリイナは僕の頬にキスをして、早々に布団の中へもぐり込んだ。

 それから、リイナはすぐに微かな寝息をたてて、夢の世界に行ってしまった。
 僕は茫然と放心状態のまま立ち尽くし、正気に戻った頃には既にリイナはそこにいなかった。いつの間にか三十分経っていたらしい。
 ガクリと膝をついてベッドに顔を伏せる。女性特有の甘い香りが鼻をくすぐり、僕の心臓は再び鼓動を速めた。
 完全に不意打ちだった。
 リイナの微笑みと、唇の柔らかい感触が、今も鮮明に焼き付いて離れない。
 しかも、ご主人様って。あれはかなり破壊力がある呼び方だよ。男のツボをストライクにつく呼び方だよ。
 髪はボサボサでパジャマははだけていて、ナマケモノみたいに面倒くさがり屋だけど、意外と可愛い顔をしていたな。そんなことを思ってしまい、僕は布団に顔をうずめて足をバタバタとさせた。
 澄んだ五月の青空のような髪と瞳を思い出す。するとまた、ドキドキと胸の高鳴りが増していった。
小悪魔的な……あながち間違っていないじゃないか。

☆ ☆ ☆

 リイナに会った翌日、僕は学校へ出掛ける前に押入れの中を漁っていた。
 山のように積まれた参考書の一番下をひっくり返して、ようやく見つけた一冊のノート。
 ランプの魔人に叶えてもらう願い事ランキングが書かれたノートだった。
 通学途中のバスに揺られながら、僕は表紙の古びたそれをクスッと笑いながら開く。
 日付はちょうど小学三年生の頃から始まっていた。毎週月曜日、決まって三つの願い事が書かれている。まだ下手くそな文字だけど、一生懸命考えて書いたことが思い出された。
 八月十二日。アイスを一日三本食べたい。宿題を全部やってほしい。夏休みをもう一ヶ月のばしてほしい。
 一月五日。百万円ほしい。毎日アニメがみたい。雪をもっと降らせてほしい。
 こうして読み返してみると、当時の情景がパッと甦ってくる。さながら日記のようだ。
 中学生にもなると流石に現実的というか現金というか、かなり実用性の高い願い事になっているから可笑しい。
 そして日付は進み、ある日にきた時に僕はページを捲る手を止めた。
 そこに記されていた文字を読むと同時に、哀愁が胸にじんわりと広がっていった。
 忘れもしないあの日。
 願い事は三つではなく一つだけ書かれていた。

『死んだ人を生き返らせて欲しい』

 その日を最後に願い事ランキングノートは終わっていた。
 僕はノートを閉じて通学カバンにしまう。そして車窓の外に目をやった。
 あれはちょうど中学一年生の冬だったから、母さんを亡くして三年は過ぎた。
 もうあの頃のことを思い出しても、涙を流したり動揺したりしなくなった。自分の中で現実をしっかり受け止められるくらい、心が強くなった証拠だろう。
 でもそれと同時に、夢を見たり空想を描く楽しみも失ったと思う。
 ランプの魔人なんて本当はいるはずないと、昔の自分を冷めた目で見始めたのも、ちょうどあの頃。
 しかし、外の景色は次々と様変わりしていく。ビルも車も歩道橋も僕を追い越していく。
 絶対いないと決め込んでいたはずの存在も、常識を覆して目の前に現れた。
 これが吉兆なのか凶兆なのか、分からない。分からないけど、確実に何かが変わっていくだろう。
 僕は溜め息を吐き、カバンから参考書を取り出す。そして車窓の景色から、方程式が羅列されたページへと頭を切り換えた。

 三限目の授業が終わり、クラスメート達は雑談にトイレにと、思い思いの休み時間を過ごしていた。
 僕は教科書を早々にしまうと、数学の参考書に取り掛かる。次の授業の予習も兼ねて。
 うちの学校は県内有数の進学校なので、休み時間にガリ勉をしていてもさほど目立たない。
 しかし周りのクラスメートは、皆一様に同じ色をした視線を僕に送っていた。
 もちろん僕だって、そんな無言の眼差しと同じ気持ちを抱いている。
 首位奪還。学年一位に返り咲くことが最大のベクトルである。
 そんなわけで野心を燃やしつつ参考書にかじりついていると、誰かがふと僕の前に立った。頭を上げようとしたが直感的に気付き、僕は素知らぬ顔で自習を続けた。
 用があるのならさっさと話し掛ければいいのに、自分からは絶対に声を掛けない、無駄なプライドを持った奴だ。
 僕にしても無理して楽しく話をしたい相手ではないし、どうせ不愉快な会話になることは火を見るより明らかである。
 しばらく放っておくと、その人物は堪え性がないのかソワソワし始めた。さらに無視をしていると、小さく咳払いをしたりスカートの裾をいじったりと落ち着かない。
 正直、気配的にうるさくて適わない。僕は仕方なしに顔を上げることにした。
 やっと僕が反応したからか、幼稚園児みたくパァッと目を輝かせる佐々木茉莉。しかしすぐに慌てて冷たい仮面を装い、見下すように僕をみた。
「休み時間にまで精が出るわね、井上くん」
 僕は一瞬だけ佐々木を見て、すぐに視線を参考書に落とした。

「次の期末試験に向けての意気込みがヒシヒシと伝わってくるわ。私としてはあまり頑張って欲しくないけど」
「へぇ、随分と弱気な発言だな。せっかく首位になったんだから、もう少し大きい口を叩いてくれよ」
「逆よ。首位になったんだから、余計な労力を使わずに玉座を守りたいだけ。この学年だと井上くんさえ大人しくしてくれれば、私の地位は安泰になるの。どう? これからはずっと二番をキープしてみないかしら」
 返事はしない。
 佐々木は入学当初からこんな性格だった。プライドが高いのは高いが方向性は普通の人と違う。
 今のも決してイヤミで言っているわけでなく、本心として口から出たのだろう。
 佐々木は一番になるためには、人から白い目で見られることでも平気でやるのだ。
 陰湿な嫌がらせはしないが、前に僕の使っているノートを全て書き写させろ、とさも当然げに言われた時には呆れた。
 幼稚な見た目と口から出てくるセリフのギャップの違いに、最初の頃はだいぶ戸惑ったものだ。
「なぁ、なんでそこまでして一番になりたいんだ?」
 参考書に目を落としながら訊ねる。すると佐々木は「愚問ね」と即答した。
「そんな質問を理屈で答えろというの。もしかして私いま、とてつもなく馬鹿にされている? 井上くんが必死に解いているその参考書はなに?」
 もの凄く機嫌の悪い声だった。きっと今、佐々木のこめかみには青筋が浮いているだろう。顔を上げられないな、こりゃ。
「もちろん僕だって勉強するからには一番になりたいさ。事実、こないだまでは一番だったわけだし」
「癪に障る物言いね」
「でも佐々木の場合、あまりにも執拗すぎるというかさ。まるで親の仇といわんばかりに僕を敵対視するだろ。不思議だな、って」
 正直、恐い。テスト前の佐々木なんて幽鬼のように異様なオーラを身にまとっている。
 勉強こそ学生の本分ではあるが、テストの結果が発表された時の佐々木なんて、飛んでいる鳥を撃ち落とせるくらい鋭い眼光を放っている。
 随分と変わった子に目の敵にされているな、と思いながら僕は溜め息を吐いて頭を上げた。
 身長が低い佐々木だと、椅子に座ってちょうど同じ視線になる。頭から筆の毛先が生えたような短いツインテールが揺れた。
「自尊心と克己心の充実。有望な将来性の確保。主な理由を挙げれば以上の二点が適切ね。井上君は私にとってそういうものの障害物なの。それだけ」
 そう言い切った佐々木の目には一点の曇りもなかった。ただただ実直な瞳に、僕は思わず息を飲んだ。
「それとも何? 井上くんはそこまで望まずに漠然と学年一位をキープしていたの? それこそ単なる障害物だわ」
 言いたいことを言って気分も良くなったのだろうか。佐々木は腕組みをして踵を返した。そしてそのまま自分の机に戻るのかと思いきや、再び僕の前にやってきた。
「さっき障害物と言ったけど、それはあくまで井上くんの存在ではなくて、立ち位置を比喩しただけであって他意はないから。たとえ誰であろうと、私の目の前に立ちはだかる人間は障害物だから。その点だけは言葉を補填しておくわ」
 金髪のツインテールを指でコネコネさせながら、佐々木は口早にそう言った。
 一体どこの何を補填したのかさっぱり分からない。ただ本人はそれで満足したのか、微かな冷笑を浮かべて最後にこう言った。
「それとせっかく首位奪還に励んでいるようだけど、正直無駄な行為だから。井上くんは何をしようとも絶対に首位にはなれない」
「なんだよ、それ? 単なるイヤミ?」
「そのままの意味よ。とりあえず忠告はしといたから」
 そして佐々木は自分の席に戻っていった。
 僕はしばらく佐々木の澄ました横顔を見つめていたが、馬鹿馬鹿しいと思い参考書に向き直った。
 しかし頭の中はモヤモヤで充満してしまい、数式を目で追っても文字は儚く空中分解を繰り返してしまう。
 僕は参考書を机にしまい、トイレに行こうと席を立つ。佐々木の方は見ない。きっとこっちを向いてほくそ笑んでいるのだろう。
 教室を出て幾分早い歩調で廊下を進む。すれ違うクラスメートと目を合わせないように僕は黙々と歩いた。
 くそ。なにが障害物だ。
 大して望まずに漠然と一番になっていたのかって? そんなわけあるか。
 こっちは好きなゲームも一日一時間と我慢して、夜は遅くまで朝は早起きして勉強をしているんだ。
父さんから認めてもらいたくて、ずっと必死に首位を守ってきたんだ。
 僕はトイレの個室に入るとカギを閉めて便座に腰掛ける。ゆさゆさと貧乏揺すりをしながら、ある一点に思考を巡らせていた。

 なんでも願いを叶えるランプの魔人。
 叶えられる願いは三つまで。

 これはズルくない。単なる一つの手段だと自分に言い聞かせながら、僕はどうやってリイナに願いを伝えるのが効率的か、頭を悩ませていた。

 よく見てみるとそのランプは、ところどころメッキが剥げていて小さなビーズの装飾も取れていた。
 見た目からして近代のものではないが、コンセント式なのと造りが割とチープなのからして年代物というには憚りがある。あの電気屋さんの安売りワゴンの中よりは、粗大ゴミ置き場の方がお似合いといった具合のランプだ。
 僕は帰宅後、自室の床にランプを置いてその前に腰を下ろしていた。
 佐々木と話した直後はカッとしていたが、よくよく冷静に考えてみると果たしてそんなことに、一つ目の願いを捧げるのはどうかと首を傾げる。
 例えば、願い事を『学年一番になりたい』にしたとしよう。
 次の期末テストで一番になったとして、それは僕の学力が伸びたからだろうか。佐々木の学力を落とさせたからだろうか。
 もしくはもっとチープに、佐々木を事故で入院させたとしても容易く一番になれる。
 そもそも学力が伸びたとして、この学校で一番が取れる程度なのだろうか。それならばいっそのこと、東大で主席卒業できるくらいの学力とかIQを200にしてとかの方が良い気がする。
 しかし本当にそんなことが可能なのか?
 なんでも願い事を叶えるとリイナは言ったが、なにせあのリイナである。グダグダと夢の世界を行ったり来たりしているような適当魔人である。
 願い事をするにしても不安で堪らない。「失敗しちゃった」とか平気で言いそうだ。
 僕はうんうん唸りながらもランプを手に取った。
 兎にも角にもリイナを呼び出し、聞いておかなければいけないことが多すぎる。頻繁に召喚されるのは迷惑だとぼやいていたが、だったら最初の段階でまともに受け答えをしろと反論もある。
 僕は立ち上がって左手をランプにかざした。そして唾を飲み込み、右手をランプに添える。
 また前回のように寝ているだろうか。そもそもあの時間帯で布団に入っているとはどういうことだ? 本当に女子大生なのだろうか。
 リイナに対する疑問は尽きないが、それも含めて呼び出さなければ始まらない。
 僕はランプを擦りながらそっと呟いた。
「出でよ、ランプの魔人……!」
 ランプの先から意思を持ったかのような煙がモクモクと立ち上る。僕は二三歩後ずさり、やや身構えた。
 前回は地面に幅広く横たわった煙だったが、今回は縦長にうごめく。そして煙は人のような形になると徐々に霧散していった。

「え~、風早くん。赤外線の使い方を知らないの~? おじいちゃんみた~い」

 猫なで声と共に現れたリイナは、携帯を片手に頬を染めながら可愛らしく微笑んでいた。
 僕は思わず目を見張る。
 ボサボサだった空色の髪はキレイなストレートヘアになり、毛先はご丁寧にカールが掛かっていた。
 服装もはだけたパジャマではなく、余所行きの白いワンピース。メイクもバッチリで、マニキュアもペディキュアも完璧だった。
 前回のナマケモノとはまるで違う、まったくの別人がそこに立っていた。
 これ、本当にリイナ?
 というよりも、かなり可愛い……。
 思わず見取れていると、リイナは初めて異変に気付いたのか、微笑みながらうっすらと目を開けた。
 かすかに開いた双眸の奥の瞳が僕を捉えた。すると、空色の瞳がみるみるうちに色を変えていく。
 口元は笑ったまま。目元だけが険しく強張っていく。言い知れない迫力に全身からイヤな汗が噴き出した。
 そして般若のように微笑んだリイナの口から声が漏れた。

「こんちきしょう……」

 ……そ、相当怒ってらっしゃる。
 訳が分からずオロオロとしていると、リイナはがっくりと膝をついた。両手も床につけて大袈裟なほど失望感を露わにするリイナを前に、僕はさらに慌ててしまった。
「あの、ごめんなさい! なんだかヤバい時に呼び出してしまったみたいで!」
 状況がつかめない。これは相当大切な場面だったようだが、華やかな格好と落胆っぷりがますます混沌を呼ぶ。
 というか、風早くんって誰?
「あの、リイナさん。なにか重要なパーティーの最中でした?」
 恐る恐る訊ねると、リイナはガバッと顔を上げて大きな声を出した。
「合コンに決まっとるやろがっ!」
 ……え?
「合コンだったの?」
「言ったじゃん! さっき言ったじゃん! 今日はもう絶対に喚ぶなって私、言ったじゃん! もう本当に最悪だわ~! なんであのタイミングでパクられちゃうかな~!」
 異様な気迫にたじろぐが、リイナの言うことに齟齬がある。
「今日はこれが初めてのパク……喚び出しだけど。それに昨日が合コンって言ってなかったっけ」
「私達、魔人界と人間界では時間の流れが違うの! そっちでは一日でもこっちでは六時間しか経ってないの!」
「そ、そうだったんだ。つまり魔人界はこっちより時間が四分の一遅いんだ」
「最初に言ったじゃん! ちゃんと話を聞いていてよね!」
 いや、言ってない。絶対に言ってない。
 肩を落としたリイナは、携帯電話を乱暴に仕舞うとその場にへたり込む。なんだかとても居たたまれない気分になった。
「あの、本当にごめんなさい。知らずに呼び出してしまって。あれ、ちょうどいい場面だった?」
「あぁ、もういいわよ。どうせみんな二次会に行っちゃっただろうし。こっちではパクられるのなんて日常茶飯事だし」
 口を尖らせてボソボソと呟くリイナ。かなり悔しそうに「風早くん……」と一人ごちる。
「もしかして、気に入った男の人と電話番号を交換するところだった?」
 図星だったようで、リイナは力なくゴロンと床に横たわる。
「はいはい、そうですよ~。風早くんはイケメンで優しくて、そして医者の卵なのよ? 将来超有望よ? いい就職先だと思ったんだけどね~」
「就職先?」
「永久就職よ、永久就職。上手くいけば玉の輿だったの。君には分からないだろうけどね、この年頃になると合コンが就職活動の場になるのよ? 民間企業なんて新期枠全滅よ? 医者とか公務員の奥さんなんてめっちゃ安泰株なのよ?」
 う、うわぁ。この人、かなり最悪なことをサラッと言ってのけた。
 駄々をこねる子供のように地べたをゴロゴロと転がりながら、リイナは「働きたくないでござる~」と、怠惰の極みともいえるセリフを吐いた。
 しかもゴロゴロと転がるたびに、ワンピースの裾の奥がチラチラと見え隠れする。
 僕は慌てて顔を背けた。
「あ~あ、風早く~ん。颯爽としていて水属性魔人の家系で育った風早く~ん。親も医者でお金持ちの風早く~ん。家にお手伝いさんまでいるっていう風早く~ん」
 なんともいえない即興の歌を唄うリイナ。この人、本音がボロボロ出過ぎ。
「それよりもあなた、結構飲みました? 酒臭いんですけど」
 僕は鼻を詰まみ、手をパタパタと扇ぐ。
 リイナを召喚してそんなに経っていないのに、もう部屋中にアルコール臭が充満している。正月に親戚のおじさん達が集まった時と同じ臭いがする。
「飲んだよ~。初っ端からエンジン全開でいったよ~。さっさと酔いつぶれればさ、風早くんが介抱してくれるかもしれないし。お持ち帰りもされやすいだろうし」
 魔人界には貞操観念というものがないのだろうか。それともこの人の頭が緩いだけだろうか。
「こうしている間にも、絶対に米倉が風早くんをたぶらかしているわ。あいつめ……」
「米倉さんってハクション大魔王の娘さん?」
「そうよ。今回の合コンをセッティングしたのも米倉なんだけどね。あいつ、始めから風早くん狙いだったに決まっているわ。普段は親父譲りの豪快なクシャミをかますくせに、なにが可愛い子ぶって『へくちっ!』よ。お前は『ぶわっくしょい! んだらぁこんちきしょう!』でしょうが」
 水面下での女同士の熾烈な争いが垣間見える。女子大生って、みんなこういうものなのか。
 ゴロゴロするのも飽きたのか、リイナはうつ伏せになり重い溜め息を吐き出す。
「あ~あ、なんでこうもタイミング悪く召喚してくれるのかしら。もっと空気が読めるご主人様だったら良かったのにな」
 ムッとした。確かに悪かったとは思うけど、そこまで言われる筋合いはない。

 更新日 5月17日

「だってそれは、魔人界と人間界の契約なんだから仕方ないでしょう。僕も喚び出す時には、結構恐縮しているんですから」
「てかさ、なんでランプを擦ろうなんて思うのよ。ナニ系ドコ産の発想? 君ってとりあえず目についたものは擦りながら『出でよ、ランプの魔人』って言っちゃうの? 前世はアライグマ?」
 自分の顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「それは言うなや! 僕だって恥ずかしいって思いながらもやってしまうんだよ!」
「へ~そんなんでちゅか。憧れちゃうんでちゅか、ランプの魔人に。夢見がちでちゅね~」
 バリバリバリバリ。
「尻を掻くな!」
 ワンピースの裾をまくり、やや大きめのお尻を両手でかきむしるリイナ。
「僕だってこんな頭の軽い女子大生が、ランプから出てくるとは思わなかったよ! アラジンに出てくるジニーみたいな格好いい魔人が良かったな!」
「兼次の爺さんなんてデカいだけじゃん! 皮膚が青くてキモいのよ! 私だってご主人様は風早くんみたくイケメンが良かったな! そうだったらいつでも喚び出してって感じなのに!」
 売り言葉に買い言葉。リイナも相当酔っ払っているのだろう。空色のキレイな目が据わっている。
 僕もかなり頭が熱くなっていたのかもしれない。他人にここまで大きい声を出したのは久しぶりだった。
「もうさ、こんな生活イヤだから、さっさと願い事を全部言って終わらせて! 今すぐどうぞ!」
「イヤだね! そんなすぐに三つも願い事が思いつくわけがないでしょうが! 僕は慎重なんだ!」
「かぁー! これだから最近の草食系は! 慎重なんて単なるビビりじゃない!」
「もっぺん言ってみろ! ナマケモノ!」
「ガキ! 根暗!」
「ケツでか! 打楽器!」
「打楽器! え? 打楽器って何?」
 自分でも言い過ぎているなとは思ったが、言葉が止まらなかった。
 リイナは前がはだけているにも関わらず、床にどっしりと胡座を掻いている。僕も拳を握り締めて睨み付けた。
「そもそもあなた、本当に願い事なんて叶えられることが出来るの? どう見てもショボい願いしか、叶えられなさそうだけど」
「はぁ? 出来ます~! リイナちゃんの強大な魔力を舐めないでちょうだい!」
「嘘つけ! そもそも大学生にもなって、自分をちゃん付けしている人なんて信用ならないな! どうせ願い事をしても軽い感じで『あ、それは無理♪』とか言うんでしょう!」
「はぁあ? 高校生の分際で舐めないでくれる! どんな飛び抜けた願い事でもいちころだわ!」
「だったら願い事を百個に増やしてみろ! それくらい簡単なんだろ!」
「楽勝すぎて欠伸が出ちゃうわ! 見てなさいよ!」
 リイナは勇ましく立ち上がると、人差し指を僕に差し向けた。するとリイナの指先が、強烈な光を発した。

『契約コード詠唱! ヒャクニン・ノッテモ・ダイジョーブー!』

 リイナの声が部屋中に響き渡った瞬間、唱えた本人の体が青白い閃光に包まれた。
強烈な光に思わず目を閉じる。しかしそれもほんの束の間で、あとは何事もなかったかのように元に戻った。
 一点だけを除いて。
 腰に手を当てて不敵に笑うリイナ。そして酒臭いゲップを漏らした。
「ふふん。どうよ? 私に掛かればこの程度、造作もないわ。魔人を侮らないでちょうだい」
 一仕事を終えたように満足げに微笑みながら、リイナは僕のベッドから枕を持ってくると、地べたにゴロンと寝転んだ。
 しかしすぐに飛び起きる。
 目をいっぱいに見開き、顔面からはみるみるうちに血の気が引いていった。
 きっと僕も今、リイナと同じ顔をしているだろう。
 五月の青空のようにキレイでサラサラの髪。その頭上に『102』という数字がポンと浮かんでいだ。
「あああああああああああああっ!」
「馬鹿だー! この魔人、馬鹿だー!」
 床をのたうち回るリイナ。受験票を忘れて試験会場にきた浪人生くらい救いようのない叫び声を上げている。
 冗談のつもりで言ったのだ。てっきりそれは出来ないとか、禁則だとか拒否するものだとばかり思っていたのだが。そしたらまた悪口の一つでも言ってやろうと、そのセリフも用意していたくらいだった。
 まさか本気でやってしまうとは思いもしなかった。この女子大生魔人は、自分を拘束する鎖を自分で三十倍にしてしまった。
 僕にしてみれば破格のラッキーのはずなのに、正直笑えない。
「……これはきっと悪い夢だわそうよ悪い夢なのよ目が覚めれば私はベッドにいるはずきっとそのはずもしくは隣にモーニングコーヒーを淹れてくれた風早くんがいるはずいるといいなそうなってくれないかな」
 膝を抱えてうずくまりながらブツブツと呟くリイナ。だがしばらくすると現実逃避のようにいびきを掻いて寝てしまった。

 僕が初めてランプの魔人にした願い事は『願い事を百個に増やして欲しい』だった。
 この願い事は、例のノートにすら一度も上がらなかったものである。
 いや、上げるのも馬鹿げていると小学生だった僕ですら思ったものだった。
 しかしそれをやってしまったランプの魔人・女子大生のリイナ。
 スヤスヤと寝息を立て幸せそうに涎を垂らす姿に、僕はただただ呆れるしかなかった。




目次へ
01:34  |  駄・ランプ  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。