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2011'11.28 (Mon)

「冬・まくら・リンゴ」

 お題「冬・まくら・リンゴ」  

 夜の寝室は静寂に包まれている。
 外はしんしんと雪が降り、窓越しに冷気が部屋の中へと忍び込んでくる。
 先週からシーツも毛布も起毛製のものに取り替えたが、理沙は布団を頭から被り、膝を抱いて横たわっていた。
 一人きりのベッドは温もりが蓄積しない。布団の隙間から熱がいつしか逃げていくような錯覚に陥る。
 早くベッドのもう半分を埋めて欲しいと思ったが、理沙は頭を振って手指を揉んだ。
 静まり返った部屋の中で耳をすます。下の部屋で誰かが息づく音が伝わってきた。
 隣を温める役割を担うはずの、夫の孝太郎である。
 理沙は先ほどのことを思い出し、また怒りがこみ上げてきた。

 いつもより遅く帰宅した夫がテーブルの上に置いたビニール袋。その中から転がり落ちたのは、紅いリンゴだった。
 妻の視線を受けながら、寡黙な夫は一言だけ告げたのである。
「近所のスーパーしか開いていなかった」
 その途端、理沙は立ち上がるとエプロンを外して孝太郎に投げつけた。
 癇癪持ちであることは自分でも承知している。だがこの時ばかりは、口を塞ぐことが出来なかった。
 日頃から抱いていた不満を孝太郎にぶちまけて、理沙は逃げるようにベッドへと潜り込んだ。
 布団を被って目を閉じてすぐに、どうしようもない後悔が胸を締め付ける。言い過ぎたとは思ったが、それでも理沙は孝太郎を許すことが出来なかった。
 今日は二人の結婚記念日だったのである。

 布団にくるまったまま寝返りを打つ。考えるのは夫のことばかり。
 出会った頃から口数が少なく、決して気が利く性格ではなかった。
 容姿もそこそこ、仕事もそこそこ。友人からの評判も悪くもなく良くもなく。
 そんな孝太郎と結婚したのは、突然にプロポーズされたからだ。
 無口な孝太郎が唐突に求婚してきたのに驚き、理沙は唖然として首を縦に振るしかなかった。
 今にしてみれば、もう少し熟考しても良かったと悔いる。そして毎日、理沙の話を聴きながら夕飯を食べるだけの夫を前に、この人のどこを好きになったのだろうかと考える時間が増えた。
 日々の些細な不満も、雪のように積もれば倒壊もするし雪崩にもなる。
 それがたまたま今日だっただけとは思いつつも、こんな日に喧嘩したいわけがなかった。
「仕事が遅れてケーキ屋さんが閉まっていたからって、リンゴはないじゃない。せめて事前からネットで取り寄せときなさいよ」
 そう呟いて理沙は孝太郎の枕を掴み取ると、胸に抱いた。
 今日最後の悪態とイジワルを夫への反抗として、理沙はモヤモヤした気分のまま眠りに就いた。

 夜中、ふと目を覚ます。
 外は相変わらず雪が降っているようで静かだ。しかしその中に、微かな寝息が混じっている。
 どうやら夫の孝太郎も就寝したらしい。
 理沙は目をこすりながら傍を見る。当然ながら夫の頭の下には枕がない。理沙が抱きかかえいるのだから。
 ベッドへ直に頭を置いているからか、寝心地が悪そうだ。
 少し子供っぽかったと省みた理沙は、その時あることに気付いて鼻をひくつかせる。
 どこからか甘い香りが漂ってくるのだ。
 理沙は夫を起こさないように布団から抜けると、カーディガンを羽織って一階に降りる。
 リビングの照明を点けると同時に、優しいバターの香りが鼻をくすぐった。
 次いでシナモンと甘酸っぱさが混ざった香りも伝わってくる。テーブルの上にあったのは、アップルパイだった。
 皿の底に手を当ててみると、まだほんのり温かい。そして不揃いにカットされたリンゴから鑑みるに、これは明らかに孝太郎が手作りした品だった。
 流しを覗くと、何度か失敗したのか可哀相なリンゴやパイ生地が生ゴミとして残っていた。
 何故、わざわざこんな時間に手作りのアップルパイなど……と首を傾げたが、理沙はすぐにあることに気付き、アッと声を洩らした。
 二年前、夫にプロポーズをされたのは当時よく通っていた喫茶店で。
 紅茶と一緒に食べていたのは、アップルパイ。
 理沙は皿に添えられていたフォークでアップルパイを一口食べた。
 シナモンがキツすぎてせっかくのリンゴの風味が薄れてしまっているが、その味は理沙の胸に詰まったわだかまりを溶かすには充分だった。
 アップルパイをラップで包み冷蔵庫へ入れると、理沙は足を忍ばせ寝室に戻る。
 そして布団の中で温まっていた枕を、孝太郎の頭の下に敷いた。
 すると孝太郎は浅くいびきを掻く。いつもの丁度良い高さになった証拠だ。
 理沙は夫の寝顔をまじまじと見つめ、明日になったら謝ろうと思いながら眠りについた。

 窓の外が白んできたのを感じ、理沙は目を覚ます。
 いつもこの時期の朝は鼻の頭が冷たくなり、ジンジンした痛みで起きるはずなのに、今朝は不思議な温もりを感じたのを不思議に思った。
 そして目を開けて合点が入る。夫の顔が目と鼻の先にあった。
 寝息が理沙の睫毛を揺らす。一つの枕に二人で頭を乗せていたのである。
 昨日の夜中に返した枕は結局使わなかったらしい。理沙は空の枕を確認するため顔を上げて、気が付いた。
 孝太郎の手が、自分の手をしっかりと握り締めていたのである。
 理沙は微笑みを浮かべて吐息をつくと、孝太郎のおでこにそっと口付けをした。
 そしてまた、ゆっくりと瞳を閉じる。

 夫のどこが好きになって一緒になったのか、それは今でも分からない。
 でも、そんな問いに明確な答えが出せなくても、構わないと思った。
 確かな答えを出す必要ないくらい、自分はこうして幸せなのだから。
 ただ一緒であることが、全てだから。
 そう思いながら、理沙は二度目の眠りに就いたのである。

 おわり

 お題提供・我が愛しの妻、リンコ姫。 Thanks!
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15:28  |  三題噺  |  CM(1)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.24 (Thu)

魔法・パソコン・デザート

お題「魔法・パソコン・デザート」

 イカのような触手が、まどかを襲う。鞭のようにしなった攻撃をまどかは身を翻してかわした。
「もう一撃くるよ! まどか!」
 使い魔であるQBのアドバイス通り、今度は触手が頭上から振り下ろされた。
 対峙するイカ型の悪魔は唸り声を上げながら、触手をくねらせる。
「おっとっと」
 まどかは慌てる様子もなく、次々に繰り出される攻撃を避けていく。ピンクのフリルがあしらわれたコックコートがふわりと舞った。
 まどかは後半に大きく跳んで間合いを空けた。そして両手を宙にかざすと、何もない空間から調理器具が現れた。
 右手に泡立て器、左手にステンレス製のボールが握られていた。
「マスカルポーネチーズ! クリームチーズ! グラニュー糖!」
 ボールの中に言ったとおりの材料が入った。まどかは悪魔の攻撃をかわしながら、それらをシャカシャカかき混ぜる。
「Qちゃん、スポンジはまだ?」
 白い子猫のような使い魔は、ハラハラした様子で後ろのオーブンに目をやる。
「まだ五分はあるよ!」
 ふむ、と額に指を当てながら思案したまどかは、ボールを宙に投げると、右手を天にかざした。
「召喚! 風の精霊!」
 まどかの呼び掛けに応えるように、緑色の風が辺りをおおった。
 泡立て器とボールを二つずつ用意し、それぞれ材料を入れる。
「攪拌をお願いするわ、風の精霊」
 すると緑色の風は電動ホイッパーのように材料をかき混ぜ始めた。まどかの頭上で三つのボールがせわしなく舞う。
「一体何をする気だい?」
 目を白黒させるQBへ、まどかは可愛らしくウィンクを飛ばす。
「時間があるから、もう一品作っちゃうの」
「無茶だ! 魔力が保たないし、時間も間に合わないよ!」
 いつの間にか両手にフライパンを握ったまどかは、自信満々に答えた。
「絶対に大丈夫! 召喚、火の精霊!」
 目の前に現れた炎の固まりにフライパンをかざす。瞬く間にフライパンへ熱が帯びたのを確認して、まどかは頭上に声を掛けた。
「風の精霊さん、よろしく」
 攪拌していたボールの一つから、ミルク色の生地がスゥと垂れた。
 右手のフライパンで受け止めたまどかは、それを円を描くよう均一に敷く。それと同時に生地の表面にブツブツと泡が立ったと思った瞬間、まどかはフライパンをサッと横にスライドさせた。
 くるりと宙を舞った生地は、焼き面を上にして左手のフライパンに着地する。そして着地したと思った矢先に再びポーンとフライパンから飛ばされ、側にあったお皿に乗った。
「スゴいよ、まどか! クレープ生地が一瞬で!」
 QBが驚いて歓声を上げる間に、右手のフライパンには既に次の生地が広がっていた。
 両手に握ったフライパンが真横に烈しく空を切る度に、生地が段々と完成していく。僅か五秒もしない間に、クレープ生地はこんもりと山を作った。
「よし、あとはホイップクリームを層にして完成よ」
 クルッと体を回転させながら、フライパンをイカ悪魔に投げつける。熱々のフライパンに身悶えながら、イカ悪魔は地面を転げ回った。
 その間にまどかはクレープとホイップクリームを層にし、半球型になったそれの表面にメイプルシロップでコーティングした。
 四分の一に切り分けて、皿に盛りミントを飾る。
「よしっ! ミルクレープの完成よ!」
 それと同時にQBの後ろのオーブンからアラームが鳴る。
「まどか! こっちも焼き上がったよ!」
「オッケー。Qちゃん、投げてちょうだい」
 鍋つかみをはめてQBは、ふんわりと甘い香りがするスポンジケーキをまどかに投げた。
 瞳を閉じてダラリと腕を垂らすまどか。その両手にはナイフが握られている。
 スポンジケーキがまどかの顔面に直撃する刹那、ナイフが烈しく閃いた。
 キレイに賽の目型に切られたスポンジケーキを、ガラス容器が受け止める。まどかはそこにビンに入った茶色の液体を振り掛けた。
「アマレットリキュールを煮詰めたシロップを浸して、その上にさっきのチーズクリームを流し込んで……」
 トロリと満たされたクリームをへらで丁寧に均す。
「ココアパウダーでコーティングして、オレンジピールとチョコ細工をあしらえば……ティラミスの完成よ!」
 ピースサインを決めたまどかにQBが発破をかける。
「まどか! 早く対象者を助けるんだ! 悪魔が暴走しようとしている!」
 イカ悪魔が見る見るうちに真っ赤へ変色していく。触手が怒り狂ったように地面を叩いた。
「よしっ。いま、助けてあげるから」
 両手に完成したデザートを持ったまどかは地を蹴ってイカ悪魔に向かった。
 触手の斬撃をひらりとかわし、敵の懐に潜り込む。そして牙がびっしりと生えた口の中にティラミスを放り込んだ。
 その途端、イカ悪魔の動きが急に鈍くなる。地なりのような唸り声を上げながら小刻みに震える。そしてイカ悪魔の腹部に、女性の顔の輪郭が浮かんだ。
「もう一押し!」
 ミルクレープを口に入れるまどか。するとイカ悪魔は断末魔の叫びを上げて霧散していった。
「ふぅ~。終わった終わった」
 イカ悪魔が消えた代わりに、一人の女性が横たわっていた。どうやら気絶しているだけらしい。
「今日も一件落着だね」
 トコトコと歩み寄ってきたQBに満面の笑みを浮かべるまどか。しかしQBは頬を膨らませて苦言を呈した。
「全然落着じゃないよ。まずは精霊の力を使いすぎ。そんなんじゃ長期戦の時に魔力不足になっちゃうよ」
 ペロッと舌を出すまどかにQBは溜め息を吐く。
「それにスポンジケーキなんてわざわざ焼かなくても、材料で召還すればいいじゃないか。あれでまた時間が取られちゃうんだよ」
「ティラミス用のスポンジケーキは手作りしないと味が整わないの。それにミルクレープを作る時間も出来たから万々歳じゃない。ティラミスだけでは悪魔祓いは難しいかったわよ」
 ごもっともな意見だが、QBはやれやれと首を振った。そんな手厳しい使い魔に、まどかは無邪気にピースサインを送る。

 真木まどかは、私立女子高に通うごく普通の女の子だった。
 料理研究部の副部長を務める、明るいだけが取り柄の女の子だった。
 そう、使い魔のQBに出会うその日までは。

 QBに初めて会ったその日、まどかは放課後に一人で家庭科室にいた。
 シュー生地をオーブンの天板に絞っていると、気付けば目の前に一匹の白猫がいたのである。
 どこかの窓から入ってきたのだろうか、と思ったが、まどかはその猫を見つめて不思議に感じた。
 額に大きく赤い宝石が嵌められていたのである。
 近所の子供のイタズラだろうかと訝しんだ矢先、その白猫は口を開いて喋ったのである。
「ねぇキミ、僕と契約して魔法パティシエになってよ」
 驚愕のあまりに尻餅をついたまどか。それからは10分ほど、逃げ惑うまどかを説得しようと追い掛けるQBにと、家庭科室は大混乱になった。
「それで……私が作ったデザートで悪魔祓いが出来るのね」
 ようやく落ち着いたまどかは、冷静にQBを見つめる。乱れた毛並みを整えながらQBは話を進めた。
「そうさ。僕が追っている悪魔は思春期の多感な時期の女の子に取り憑くんだ。そして不安定な心を乗っ取り、夢や希望といった養分を吸い尽くすのさ」
「でも、なんでデザートが利くの?」
「悪魔は甘い物が嫌いだからね。それに美味しいデザートであればあるほど、女の子の心を刺激して悪魔から救いやすくなるのさ」
 ふむ、と腕を組むまどかだったが、その表情にはまだ躊躇いがある。QBはまどかに歩み寄ると、とっておきの情報を教えるように声を潜めた。
「魔法パティシエになればね、いくらでも材料を使ってもよくなるよ」
「え。本当に?」
「うん。君の思うがままにどんな材料でも手元に現れるよ。さらにはキッチングッズだって何でもOK。水道橋の老舗屋さん並みに各種取り揃えているよ。調理器具 だって同様さ。コンロにオーブン、フライヤーにサラマンダー。高級ホテルの厨房で使用しているものだって用意できるよ」
「ス、スチームコンベクションは?」
「お安いご用さ。さらには精霊を召喚すれば、魔法で君のお手伝いをしてくれるよ。あぁ、洗い物や後片付けは全部ボクがやるから、君は気にせず調理に専念してくれ。ジャンジャン汚してくれて構わないよ」
「やります。いえ、やらして下さい」
 QBに土下座して懇願するまどか。
(うわぁ、土下座までしちゃったよ。そこまで魅力的なんだ、魔法パティシエが)
 本来ならお願いする立場のQBから引かれつつも、こうしてまどかは魔法パティシエになったのである。


 まどかが魔法パティシエになってから3ヶ月が過ぎた。
 その日もまどかは一人で放課後の部活動に勤しんでいた。
 元より料理研究部の部員は二人しかいない。もう一人は今日も学校を休んだ。
 まどかは溜め息を吐きながら調理をする。窓から差す夕陽が、孤独に包まれた家庭科室を朱く染めた。
 その窓がスゥと開き、一匹の白猫が入ってきた。
「まどか、新しい悪魔を見つけたよ」
 相棒の言葉にまどかは目の色を変える。そしてエプロンを外すと、短く呪文を唱えた。
 制服姿から瞬時にコックコートに衣装チェンジする。フリフリピンクがあしらわれたコックコートこそ、魔法パティシエまどかの戦闘服である。
 QBが窓からジャンプするのに続いて、まどかも軽やかに窓のサンに足を掛けると跳躍した。
 風の精霊の力を使って家々の屋根を駆けていく二人。
「今度の悪魔はちょっと手強いよ。なんせ呪縛タイプだからね」
「呪縛タイプ?」
「そうさ。まぁ、見てもらった方が早いね」
 QBを先導にして目的地へと向かう。そして目指す場所に着いた時、まどかは息を飲んだ。
「この家の住人だよ」
「ここって、さやかちゃんの……」
 美貴さやか。まどかの大親友でもう一人の料理研究部員、部長のさやかの家だったのである。
 まどかは唇を噛み締める。そして扉を開き、さやかの部屋へ入った。
 カーテンも閉め切った薄暗い部屋に、一つだけ明かりが見える。ノートパソコンの液晶画面だった。
 虚ろな目をしたさやかはパソコンを前にして微動だにしない。
「さやかちゃん! 私だよ、まどかだよ!」
 親友の呼び掛けにもさやかは全く反応しない。魂がこもっていない人形のようだ。
「無理だよ。これが呪縛タイプの悪魔の特徴さ。ごらん、このパソコンを」
 QBが顎でしゃくったパソコンを注意深く観察すると、黒いモヤが覆っていた。そしてそのモヤは、さやかの指や頭にも絡み付いている。
「この呪縛悪魔は元々、パソコンに寄生していたようだね。そしてパソコンに触れた対象者の心の奥底に少しずつ入り込み、黒い根を張り巡らせて養分を吸収するんだ。対象者を悪魔にしてしまう今までの奴らよりタチが悪いよ」
 そしてQBは尻尾をさやかの目の前でヒラヒラと振った。
「この通り、対象者が全然反応してくれないからね。デザートを食べてくれるかどうか」
 スゥと息を吸い込んで深呼吸をする。まどかは両手を開き、風の精霊を召喚した。
「でもきっと、美味しいデザートが目の前にあれば反応するはず」
「そうだね。まどかの強い思いがこの女の子に届けばいい」
「……さやかちゃん、待っていてね。私が絶対に助けてあげるから」
 まどかが両手をスライドさせると、キッチングッズが舞うように現れた。
「Qちゃん! フルスロットルでいくよ! 調理器具を全部出して!」
「うん!」
 まどかに呼応してQBは調理器具をズラリと並べてオーブンを余熱状態に設定する。
「いくよ!」
 キッチングッズに合わせてフルーツや卵、小麦粉や牛乳などの材料が渦を巻く。
 まどかの怒涛の調理が始まった。

 美貴さやかの周りに積まれたデザートの数々。
 ショートケーキ、モンブラン、ガトーショコラ、苺ムース、キャラメルタルト、マカロン、フルーツカクテルジュレ、アップルパイ、フルーツパフェ、バタービスケッツ、チョコクッキー。プリンアラモード、桃のコンポート、ババロア、シュークリーム。
 しかし、そのどれもが闇に巣喰われたさやかの琴線に触れることはなかった。
 がくりと崩れるように膝をつくまどか。
「まどか! 大丈夫かい!」
「……平気よ」
 途切れそうな気力を振り絞って答える。
「平気なものか! 精霊の力を酷使し過ぎて魔力が尽きたんだ! だから言ったはずさ! スポンジとかは作らずに材料で召喚すれば良かったのに!」
 歯を食いしばりながら、まどかは首を横にする。
「ダメ。丁寧に調理しなきゃ、さやかちゃんの心には届かない」
 まどかは思い出していた。最後にさやかと会ったあの時を。
 高校生料理コンテストの決勝トーナメントを。

 まどかとさやかは学校対抗の料理コンテストに参加し、見事決勝トーナメントへ進出した。
 制限時間30分でデザートを一品完成させる。二人は順調に調理していた。
 だがその時、さやかは致命的なミスを犯す。小麦粉とベーキングパウダーを間違って使用したのだ。
 結局、調理は失敗。二人は採点対象外として失格になった。
「それ以来、さやかちゃんは落ち込んで学校にも来なくなっちゃった。私はずっと一人で、さやかちゃんのことを家庭科室で待っていたの」
「なるほどね。そんな気持ちを悪魔に憑け入れられたんだね」
 まどかはムクリと立ち上がる。そして傍らに置かれた電子レンジを持ち上げると、よろよろとさやかへ歩み寄った。
「私、絶対にさやかちゃんを助けたい。どんな方法であろうとも」
「ど、どうしたんだい。何を作る気だ、まどか」
 目を丸くするQBに、まどかは弱々しく微笑んだ。
「違うよ、Qちゃん。作るんじゃなくて、壊すんだよ」
 そう言うとまどかは電子レンジを振り上げた。
「せいやっ!」
 ノートパソコンに電子レンジを叩き落とした。派手な破壊音と共に砕け散るパソコン。
 すると、さやかを覆っていた黒いモヤが霧散していき、さやかの瞳に光が宿った。
「あ、あれ。私は一体……。それに何でこんなにデザートが。うわっ! まどか! いつからそこにいたの?」
 目を白黒させたさやかに抱きつくまどか。
「やった! 正気に戻ったんだね、さやかちゃん! ずっと悪魔に憑かれていたんだよ!」
「そうだったんだ! 助けてくれてありがとう! そして心配かけてごめんね!」
「うぅん! また二人で一緒に部活をしようね!」
 涙を流しながら抱き合う二人。離れ離れになった絆が、今こうして結び直されたのである。

 だが、そんな二人を茫然と眺めながら、これまでの幾多に渡る闘いを全否定された気分のQBは、絶望感に打ちのめされながら呟いたのである。
「こんなの、絶対おかしいよ……」

 おわり


 お題提供・ドラゴンは爆弾要員です、すばるん。Thanks!
22:21  |  三題噺  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.23 (Wed)

三題噺やってるよ♪

どうも、かなりお久しぶりの要人です。

元気ですか? 元気ですよ! 元気があれば何でもできるよ! 

元気がなくても、そこそこ出来るよ!


さてさて、先日ですがとあるネットゲーム内で、あまりに暇だったので三題噺のネタを頂きました。

三題噺とは、適当な単語を三つ言ってもらい、それをテーマに物語を完成させるというものです。

ラノベの文学少女では有名なアレですよね♪

最近は投稿用の小説もひと段落着いたので、筆を休めないためにと思ってやってみましたが、

これが意外と面白い! 面白すぎる!

やってみると思いの外ハマってしまいました。

そこでせっかくならと、出来あがったものをブログに上げてみようかな、と思った次第です。

これからも暇を見つけてはやっていこうと思いますので、

皆様もお暇ならご覧くださいませ♪


それでは、また☆

三題噺カテゴリはこちら♪








過去の作品集です。

私の星乞譚。~孤独なライオンと小さな王~
 これはまだ、夜の天空に今の半分以上も星がなかった頃のお話。
 そして星を乞い願い、星座を結ぶことを強く望んだ人々のお話。

なんしきっ!
 困惑したように小首を捻って考え込む安西。テニス、まではもちろん知っているが、ソフトテニスという単語に解釈がない。
「なに? テニスってソフトとかハードとかってあるの? なんだかコンタクトレンズみたいね」

儀式人の楽園
 ここ、『フェリスタシオン迎賓館』は幸福と輝きに満ち溢れた、一つの楽園のようなものだ。
結婚式の主役はあくまで新郎新婦だが、
 そんな主役に仕える我々、一人一人のスタッフにとってここは『儀式人の楽園』なのである。

「萌え」と剣
 24年前に生き別れになった父親・邦夫に会うため東京に向かう正宗。彼の胸の中には歓喜と不安が葛藤を繰返していた。
 何故ならば、父が指定した再開の場所は「メイド喫茶」だったから…。
父と息子。萌えと武士道。メイド喫茶と理想のサービス。これはそんなお話です。

「ヨーグルト……。……いいえ、ケフィアです!」

どこまでもひたむきで、真っ直ぐで、目の奥に強さを秘めた瞳を輝かせる彼女。
その瞳に見つめられると、僕は心の底にある淡い気持ちを再認識させられてしまう…。
あぁ、初めて会った時から、彼女のこの瞳に惹かれていたのだ、と。
そして彼女がそうしたように、僕も心の中で決意をあらたにした。それは、何があろうとも、彼女を守るということだった。
華奢な体に不釣り合いなほど、力強く前を向き続ける瞳を、僕は守ってみせる…!

11:02  |  その他  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.20 (Sun)

醤油ラーメン・タートルネックセーター・警察

お題「醤油ラーメン・タートルネックセーター・警察」

いつもの席でいつものラーメンを食べていると、誰かが左耳のイヤホンを無遠慮に取った。
だけど私は気にせずにラーメンを啜る。こんなことをする人物はあの人以外にいない。
「飯食いながら音楽聞いだら駄目だんず。行儀悪っぺ」
相変わらず変なイントネーションに思わず頬が弛む。そのひどい訛りの持ち主は、私のイヤホンを自分の耳にはめた。
「どっかで聴いたごどある人だず。誰だっけぇ?」
「アイコ」
「あー、んだんだ。クワガタ歌った人だべ」
「カブトムシだから」
顔を上げるとそこには、少年のような笑顔を見せたシマズーがいた。
私の頬がさらに弛んだ。

東北地方の片田舎。山形県の海沿いに面した町、ここ酒田に来て四ヶ月が経つ。
何もないこの町で、私が初めて出会った心許せる人。それがシマズーだった。

「おっちゃん、俺さもラーメン一杯くれっちゃ」
注文を受けたマスターは威勢のいい声で応える。シマズーは片耳にイヤホンをしたまま私の隣に座った。
「しっかし、お前はいつもいるなっす。女子高生のくせにラーメンが夕飯なんて贅沢だべ」
厚みがあるチャーシューを頬張りながら私は、しれっと答えた。
「女子高生は関係ないじゃん。だってここの醤油ラーメン、美味しいんだもん」
「んだろ、美穂ちゃん。酒田の醤油ラーメンさは、トビウオの出汁が使われていんのよ。アゴ出汁っても言うの」
マスターの奥さんがシマズーに水を出しながら答えた。
シマズーと奥さんの訛りは、微妙にイントネーションが違う。奥さんや酒田の人の訛りは早口で怒るようなイメージだけど、シマズーのは音痴に喋っている感じ。
シマズーは酒田の人ではなく、内陸地方出身らしい。
そんな風に話をしていると、シマズーにもラーメンがきた。彼はそれを実に美味しそうに食べた。
私はわざと食べるペースを落とす。麺を一本一本すくって、モタモタと口に運んだ。
「ごっつぉさん。マスター、今日のも美味かったずー」
「あいよ! もっけだの!」
私も丁寧にご馳走様でしたと手を合わせた。そしてシマズーと同じタイミングでラーメン屋さんを出る。
「よし。そしたら帰るべ」
「うん」
シマズーはいつも、ラーメンを食べ終わると私を家まで送ってくれる。私達は示し合わせることもなく、自然と同じ方向に歩き出した。
これが私の日常。何よりも大切な、日常である。

「うー、寒い」
タートルネックセーターの襟をかきながら、シマズーは白い息を吐いた。
「シマズーで寒いなら、私なんてもっと寒いわよ。私、東北の冬って初めてだし」
「寒いものは寒いんだずー。生まれとか、関係ないべ」
「だったらわざわざ遠回りして、私を送る必要ないでしょ。まっすぐ宿舎へ帰ればいいじゃん」
わざと心ないことを言ってみたけど、シマズーは背筋を正してハキハキと答えた。
「いんや。善良な市民を守るのが、本官の役目だべから」
心がポッと暖かくなる。私はマフラーに口を当てて、ワフッと微笑んだ。
「じゃあ、お願いします。頑張って護送して下さい、島津巡査」
「護送って。お前が犯罪者みたいだずー」
思わず顔を見合わせて笑う。白い息が、タンポポの綿毛のように暗闇へ舞った。

シマズーに初めて会ったのは、今から二ヶ月前のことだった。
私は電車通学で、駅に自転車を置いて学校に行く。その日も放課後にいつも通り、自転車を駐輪場へ置いて帰ろうとしたのだ。
「おい、そごのおめ! ちょっこす待でずな!」
突然のダミ声に呼び止められ、私は驚いて振り返る。肩を怒らせた中年のお巡りさんがズカズカと歩み寄ってきた。
「おめこれ、わーの自転車でねろ! わーんなだば学校がらもらてきたシール貼らったはずだぜや!」
当時、酒田の方言に慣れていなかった私は、お巡りさんの言っていることが聞き取れず、ただただ困惑するばかりだった。
「あ、あの、すみません。もう少しゆっくり喋って……」
「おずまげんな! 知らねふりこいでおちょくったながや! これがわーんなだんば、なんか証拠でも見せでみればいじゃあぜや!」
どうやらお巡りさんは、私の自転車を盗品だと思っているらしい。
転校して一ヶ月は駅から歩いて通学していたけど、学校近くの長い坂に辟易して最近自転車を購入したばかりだった。だからまだ学校から校章の入った登録シールをもらってなかった。
言葉も分からず、お巡りさんの威圧的な態度にオロオロするばかりの私。埒が明かないと思ったのか、お巡りさんは私の腕を掴んだ。
「まんず一回、交番さ来い! いろいろと聞いで学校さも連絡しねばの!」
「い、いや! 放して!」
力づくで連れて行こうとするお巡りさんに抗う私。
何で自分がこんな目にあわなければいけないのだろうか。望んでこんな田舎に来たわけじゃないのに。
悔しくて涙が出そうになった、その時だった。
「あー、松本さん。その子は違いますっぺ」
若い男性の声に頭を上げた。それがシマズーだった。
「なんだや島津。おめ、この子どご知ってるながや?」
「んだっす。その子の自転車は、まだシール貼られてないだけなんだずー。俺が前さ見たから間違いねえずー」
「あ、んだが」
シマズーの言葉にお巡りさんはあっさり承諾し、私の手を放すと交番に戻っていった。
「恐い目に合わせて、ごめんなっす。松本さんは悪い人でないがら、気にしねでくれずー」
若いお巡りさんは朗らかに笑った。あっちのお巡りさんは何を言っているかサッパリ分からなかったけど、シマズーの言葉はすんなりと理解できた。
「あ、はい。でも私、お巡りさんに一度も会ったことないです。それなのになんで、私をかばってくれたんですか?」
もしも私が本当に自転車泥棒だったらどうするのだ。何故、シマズーは分かったのだろうか。
するとシマズーは、自分の目を指差して言ったのだ。
「嘘を付いだ時は目で分がる。お前は嘘付きの目じゃねがったから」
そしてシマズーはもう一度、子供のように笑ったのだ。

その後にラーメン屋でばったり再会し、私達はすっかり仲良しになった。
シマズーというあだ名は、語尾によく「ずー」と訛って付くから。彼は「馬鹿にすんなずー」と言いながらも気に入っているようだ。

「しっかし、今日は本当に寒いずー。来週には雪が降んじゃねえが?」
タートルネックセーターに首をうずめて、シマズーは溜め息を吐いた。
「雪ね。この辺って結構積もるの?」
「いんや。酒田は海から吹きつける地吹雪で飛ばされっから、積もっても五十センチくらいだべ。俺の地元は内陸部だから、二メートルは積もっぞ」
人の背丈以上に積もる雪なんて、まったく想像がつかない。
それよりも、雪が降るという予感に胸がワクワクする。
あと二週間もすればクリスマス。ある誘いを心待ちにしている自分がいる。
電気屋の角を曲がると私の住むマンションが見える。シマズーとはここでお別れだ。
「今日も護送、ありがとう。寒いから風邪引かないようにね」
「だから護送って言うなずー。お前も暖かくして寝れよ」
「今夜、電話してもいい?」
躊躇いがちに訊ねると、一拍置いてからシマズーは首を縦に振った。
「いいずー。あんまり遅い時間は勘弁してな」
胸が弾んだ。
私は浮き立つ足を押さえつつ、シマズーに手を振った。
「うん、わかった。じゃあ後でね」
シマズーも手を振り返してくれた。彼に見送られながら、私はマンションの入り口をくぐった。
エレベーターに乗り、ボタンを押す。ゆっくりと昇っていく間、私は口元を押さえてニヤニヤと笑った。
シマズーといると、心が春の日差しを浴びたようにポカポカする。
シマズーのことを考えると、顔が勝手にニヤけてしまう。
こんな気持ちになったのは初めてだった。世界の色が変わった。
この気持ちを伝えてしまいたい思いと、伝えてしまって今の関係を壊してしまうのが恐い思いが、せめぎ合っている。
エレベーターの扉が開いた。私は家のカギを鞄から取り出す。
クリスマスはシマズーと過ごせたらいいな。雪が降ってくれれば、ホワイトクリスマスになって素敵なのに。
それまでにはシマズーと恋人同士になっていなきゃ。
彼も同じ気持ちでいてくれているのだろうか。
分からないけど、そうだったら嬉しい。
そんなことを考えながら私は家に入り、お風呂を沸かす準備をした。


12月も年の瀬を迎えた。
先日から本格的に雪が降り始めた。シマズーの言うとおり、地吹雪は凄まじい。突風に煽られた雪が地面から降き上げてくるという、不思議な現象を体験させてもらった。
それでも少しずつ街は白く染まっていった。
景観に乏しい田舎町でも、雪に被われれば、それなりに感慨深い風景になるものだった。
その日は終業式で、お昼には学校が終わった。
私は駅の駐輪場に自転車を停め、駅裏にある雑貨屋さんに向かった。
女の子らしく、シマズーに手編みのマフラーでもプレゼントしようと思ったからである。
いつも薄いジャケットとタートルネックセーターのシマズー。いくら雪国出身でも寒いんじゃないか。こないだも大きなくしゃみをしていたし。
クリスマスまであと日にちがないけど、頑張れば何とかなるよね。出来れば長いマフラーを編みたいな。私とシマズーが寄り添って首に巻けるくらいの長さで。
そんな想像でニヤニヤしながら駅裏の道を歩いていると、後ろから誰かに声を掛けられた。
「ちょっと待でっちゃ!」
振り向くとそこには、同じクラスの女子が三人ほどいた。
「えっと、なに?」
明らかに敵意を剥き出しにしている三人に、私は怯える。さほど仲良くしていた子達ではなく、名前も名字くらいしか知らない。
「美穂、あんた。二学期の期末テスト何位だったなや?」
真ん中にいた藤村さんという女子がズイッと詰め寄る。
私はクラスの女子達が苦手だった。まだ若いのにオバサンみたいな方言ばかり使うから。
私は鞄をギュッと握り締めながら答えた。
「……一番だった」
三人が忌々しげに目配せをし合う。やっぱり、といった態度だった。
「あんたそれ、カンニングして取ったんでろ」
開いた口が塞がらなかった。この子達は何を言っているのだろう。
「なんで、そんなこと……」
「とぼけんなや。んでねば、いきなり酒田に来て一番なんか取れるわけねぇろ。藤村ちゃんが二位なんて納得出来ね」
左側にいた佐藤さんという子が口を尖らせて言った。
「んだんだ。絶対カンニングしたに決まんなや。藤村ちゃんなんか、毎日ちゃんと勉強したんよ」
キツネのように目尻が切り上がった藤村さんが口を開く。
「今から学校さ戻って、先生さ言ってくれる? 私、カンニングしました、藤村さんを一番さして下さいって」
頭にカッと来た。
自分の成績が下がったのを他人のせいにして、まったく事実無根な罪を私に着せようというのだ。
「私、カンニングなんてしてないもん! 普通に勉強しただけだもん!」
反論した私に、対する三人も喰ってかかってきた。
「調子こくなや! 何が普通さ勉強しただけや!」
「馬鹿にしったなが? 都会から来たさげって、田舎どご馬鹿にしったなだ!」
「んだんだ! おずまげて標準語なんか喋って!」
藤村さんと佐藤さんが両端から私の腕を掴む。
「え? ちょっと、何をするの?」
抗う私をもと来た道に引きずる二人。
「学校さ行ぐぞ! 先生さカンニングしたって報告する!」
「そんなこと、先生が聞いてくれるわけないじゃない!」
「余所者の言うことより、私達の言うことを信じるに決まんなや! お前なんか、黙って都会さ帰ればいいなや!」
悔しさに目の前が真っ黒になった。
私だって、好きでこんな田舎に来たわけじゃない。
私はこの場所に何も求めていない。このままヒッソリと過ごさせてくれれば、それでいいのだ。
それなのに、ここは私に辛く当たってくる。邪魔者と排除しようとしてくる。
「助けて……」
望んでこんな場所にいるわけじゃない。
「助けて……」
でもそんな中でも、陰っているようにしか見えない町でも、唯一の光に出会った。
「助けて、シマズー……」
彼がいたから、この灰色の町でも色付いて見えたんだ。
「助けて! シマズー!」

「おめえ達! なにやってんだずー!」

突如として聴こえた怒号に、女子達は反射的に逃げ出した。
しゃがみ込んだままの私に、声の主は走り寄る。
「なしたんだずー、美穂。友達とケンカでもしたのけえ?」
顔を見なくても分かる。私がこの町で出会った一番大切な人だ。
「シマズー、シマズー……」
涙が溢れ出す。安堵の涙が頬を濡らした。
「シマズー、シマズー……」
「ここさ居るっぺ。何があったんだず? ほれ、立て」
腕を掴んで立ち上がらせるシマズー。私はそのまま、彼の胸に抱き付いた。
「うわーん! シマズー! シマズー!」
泣きじゃくる私にシマズーはそれ以上訊ねようとせず、ただ頭を撫でてくれた。
彼の大きくて厚い手は、とても温かくて優しさに溢れていた。

「私のパパとママね、離婚したの」
その日の夜、私はシマズーに電話でこれまで話せなかったことを全部打ち明けた。
「結局はママに付いていくことになったんだけど、東京で生活するには大変らしくて、ママの実家の酒田へ引っ越したんだ」
『……んだったのか』
シマズーは余計な口は挟まず、ただ相づちを打ちながら聴いてくれた。その優しさがとても心地良かった。
「なんだか酒田の人って、凄くぶっきらぼうに感じて。最初は全然馴染めなかったんだ。訛りも分からないから、何を言っているかサッパリだったし」
『ハハハ、んだずー』
「シマズーの方言は初めからイヤじゃなかったよ?でもね、シマズーやラーメン屋さんのマスターと知り合って、酒田もそんなに悪くないなって思えるようになった」
『うん。それは良がった』
そう思えるようになったのは、誰でもなくシマズーのおかげだった。彼との出会いは、私を大きく変えた。
『俺もよ、実は美穂と同じだったんだずー』
「え? シマズーが私と?」
『んだ。俺も内陸から来て知り合いが一人もいねえし、警察官は嫌われる仕事だがらな』
「警察官、市民の安全を守っているのに」
『なんかあった時はな。何もねえ時は鬱陶しがられでしまうんだな。つまり俺もお前とおんなじで余所者だったんだずー』
シマズーから余所者と言われても、全然イヤじゃなかった。むしろ彼と同じ境遇であることに、優越感を抱くほどだ。
『だから、俺も美穂さ会えて良かったなって思えることがいっぱいあるんだずー。感謝してっぞ』
胸がトクンと鳴った。
今、シマズーの心に近い場所へいる気がして、私はごく自然に言っていた。
「シマズー、明日ラーメン屋さんに来れる? 大事な話があるの」
告白を前提にした約束。
シマズーはやや間を空けてから『いいずー』と答えた。
『俺も美穂さよ、伝えておきてーことがあっからよ。ちょうど良いべな』
体が火のように熱くなる。もう携帯電話を放り出して、シマズーの元へ飛んでいきたい衝動に駆られた。
口早に待ち合わせの時間を告げて、私は電話を切った。
携帯電話の通話切断中という文字を、放心状態で見つめる。そしてベッドにパタリと横たわり、枕に顔をうずめて唸った。
いよいよ明日だ! 明日、シマズーに自分の気持ちを告げるんだ!
シマズーも私に伝えてたいことがあるって言った! きっと、同じことに決まっている!
もう頭の中が舞い上がってしまって、落ち着こうにも落ち着かない。
机に置いた鏡に自分の顔を映す。十人中、十人が大丈夫か? と心配してしまうような締まりのない顔だった。
「やだ! 私、超ブス! 顔がだらしなさ過ぎ! こんなんじゃシマズーに会えないぞ!」
そしてまた枕に顔をうずめて、変な声を上げて笑った。顔どころか頭までおかしくなってきたみたい。
明日、全てが変わる。
新しい私とシマズーが始まるんだ。
早く明日になって欲しいような、なって欲しくないような。そんなフワフワした気持ちのまま、私は一睡も出来ずに次の日を迎えた。


約束の時間は5時だった。
普段は制服でラーメン屋さんに入るけど、もう冬休みになったので今日は私服だ。
この服だって午前中から吟味に吟味を重ねて選んだのである。慣れないお化粧にもチャレンジして準備は万端だ。
それでも30分早く到着してしまった。
相当浮かれているな、と思いつつ私はラーメン屋さんの向かいにあるコンビニに入った。
道路を一本挟んでいるが、誰が入店したか、よく見える。私はティーンズ雑誌を立ち読みしながら待つことにした。
注文もしないでカウンターで待っているのも気まずいし、先に入っていては、如何にもで格好悪い。
待つといっても僅か数10分。ガラスに映った自分のニヤけ面を叱りつけながら、私は雑誌に目を落とした。

それから二十分が経った頃だった。
私は目標としていた人物を視界の隅に捉えた。間違えるはずもない。シマズーだった。
意気揚々と顔を上げた。しかし、そこにあった光景に私は自分の目を疑った。

いつものタートルネックセーター姿のシマズー。
その隣に、見慣れない女の人。

何かの間違いだと思った。
たまたま横を歩いていただけの人だと。そうであることを願ったが、つぶさに観察をして間違いは自分の方であったことを思い知る。
シマズーの腕に絡んだ手。笑いかける顔と顔の距離。
それらは全て、私が心の底から望んだシマズーの隣だった。
ラーメン屋さんの暖簾をくぐる二人を、私は停止した思考で見送った。
ティーンズ雑誌が床に落ちた音でハッと我に返る。慌てて雑誌を拾おうとしゃがんで気付く。
ジワジワと溢れ出す失望感。
私は立ち上がることが出来ず、コンビニの床を見つめたまま、悲哀を噛みしめていた。

どのくらい、そうしていただろうか。
私は立ち上がり雑誌を棚に戻し、鞄から携帯電話を取り出す。
『シマズー、遅れてごめんね。急で悪いけど、今日はいけなくなっちゃった』
メールの本文を打ち込む。電話だと、きっと泣いてしまう。
『それで大事な話なんだけどね。私、彼氏が出来たの。同じクラスの男子で先週から付き合ってるんだ。シマズーには伝えておいた方がいいと思って。それだけだったの。呼び出してごめんね』
躊躇いなく送信ボタンを押す。
しばらくするとシマズーから返信がきた。
『いつの間に! 若い子は違うな、やっぱり。実は俺、来月から地元に転勤なるんだ。それで今まで言ってなかったけど、前から付き合っていた女性と向こうで結婚するつもり。その報告だったんだけど。美穂にも彼氏が出来たなら安心して地元に帰れるよ』
私はひどく冷めた気持ちでその文章を読み下した。
ふと顔を上げる。ガラスに映った自分の顔が、今まで見たことがないほどに無表情だった。
そのガラスの向こう側でラーメン屋さんのドアが開く。一組のカップルが店を後にした。
その二人が見えなくなるまで遠くへ行ったのを確認してから、私はコンビニを出た。

「へい、らっしゃい! あれ、美穂ちゃんでねが?」
マスターが素っ頓狂な声を出す。
「今の今まで島津がいたんだんども。そこら辺で会わねけが」
「うぅん。醤油ラーメン一つ下さい」
私は愛想笑いを浮かべて注文をする。マスターは威勢よく返事をすると調理を始めた。
「美穂ちゃん、今日はえらく可愛いでねが。何かあったながい?」
長ネギを刻みながら笑顔を向けるマスターに、私は無言で首を横に振る。
「美穂ちゃんは段々と可愛くなるってのに、島津だば格好つける気がねえからの。いっつもタートルネックばかり着ていで。まあ、あいつの場合だば、首を隠さねばならねえ事あっからの」
そう言ってマスターはいやらしい笑いと共に、ラーメンをカウンターに置いた。
「キスマークがしょっちゅう付いてんだ、島津の首さ。あいよ! 醤油ラーメンお待ち!」
「あんた! また馬鹿言って!」
軽口が過ぎたのか、奥さんにたしなめられる。私はイヤホンを耳にはめ、音楽プレーヤーを起動した。
流れてきた曲のイントロを聴いてグッと胸が詰まる。ランダム設定にしていたから、まさかこの曲が来ると思わなかった。
アイコのベストアルバムに入っていた昔の曲。『二時頃』だ。

『新しい 気持ちを見つけた
あなたには 嘘をつけない
恋をすると 声を聞くだけで 幸せなのね』


曲のフレーズと共に思い出がフワッと甦る。
駅前の交番。角の電気屋さん。並んで食べたラーメン。

『真夜中に 始まる電話 足の指 少し冷たい
なにも知らず 嬉しくてただ鼻を啜ってた』


いつも私に付き合ってくれて嬉しかった。
いつも私を守ってくれて嬉しかった。
いつも私の特別だった、大好きだったシマズー。

『右から 秒針の音。左には 低い声
私の この心臓は 鳴り止まぬ
いい加減に うるさいな』


初めてのときめきをくれた、大切な人。

『言ってくれなかったのは 私のこと少しだけでも
好きだって 愛しいなって 思ってくれたから?』


ラーメンに雫がパタパタと落ちる。私はしゃくり上げながら、必死にラーメンを食べた。

『小さくもろい優しさが 耳を通り包み込む
それだけで体全部が いっぱいだったのに』


初めて食べた時、すごく美味しいと感じたラーメン。
あれはきっと、シマズーと一緒に食べたから。
今はこんなにも苦い。苦いけど、飲み干さないといけない。

『嘘を吐いてしまったのは 精一杯の抵抗
あなたを忘れる準備を しなくちゃいけないから』


そうしないと、私は前に進めないと思ったから。


グシャグシャの顔でラーメンを食べ終わり、店を出る。
入った時に吹いていた風はすっかり止んで、代わりに粉雪が舞っていた。
夜空に白い息を吐く。すると奥さんが傘を差し出してくれた。
「美穂ちゃん、雪降ってきたから。傘差していげの」
ニコリと微笑んだが、心配そうな顔は隠せていない。きっと奥さんは全部知っているのだ。
「うぅん、ありがとう。このまま帰るよ」
「えぇ、したって……」
「雪の日に傘を差すなんて無粋だって、シマズーが言っていたから」
そう言って笑ってみせると、奥さんは涙ぐんで深く頷いた。

奥さんに手を振って帰路に就く。
町は真っ白に染まり、夜にも関わらず明るかった。
聴こえてくるのは雪を踏みしめる靴の音だけ。それ以外の音は凍ってしまったかのように静まり返っていた。
行き交う人も車も通らない。この世に一人取り残されたような静寂が続いている。
それでも決して雪は冷たくはなく、温かかった。
シマズーが前に言っていた。雪は温かい、と。その意味がようやく分かった気がする。
きっとそれは、雪が心の中にある温かい気持ちを思い出させてくれるから。
「一つだけ思ったのは……私のこと少しだけでも……好きだって、愛しいなって、思ってくれたから……?」
二時頃の歌詞が、舞い落ちる粉雪にかき消されていく。
私は続きの歌詞を歌いながら、真っ白な道を歩いた。

おわり


お題提供・カレーは飲み物です、コッコちゃん。Thanks!


本人が歌ってませんが、凄く良い曲です。→aiko「二時頃」
21:59  |  三題噺  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.10 (Thu)

「テレビ・迷路・味噌汁」

お題「テレビ・迷路・味噌汁」

テレビを眺めながら、ぼんやりと朝飯を食っていた。
昨晩は遅くまでゲームをしていたので、気だるくて仕方がない。俺は食欲も湧かず、白米をつついていた。
「昨日も勉強せんと、遅くまで遊んでいたんだろ。早くご飯食べて学校に行きな」
小言と一緒に味噌汁を俺の前に置く母ちゃん。俺は返事をせずに味噌汁を啜りながらテレビを見た。
『さぁ!二人は無事に迷路をくぐり抜け、食材を集めることが出来るでしょうか!』
朝も早くからバラエティー番組である。またしょうもない内容だと思いながら、俺は飯を食った。
アイドルの里中アキとチャラ芸人の速水もこなりが迷路を進み、途中でクイズを答えながら食材を集めるという内容である。
『集めた食材はイケメン料理人の山越シェフに調理して頂きます!山越シェフ、今日も得意のイタリアンで仕上げますか?』
『う~ん、トルコ風で』
『はい、ありがとうございました!山越シェフのドヤ顔も決まったところで、早速スタート!』
トルコ風ってどんなだよ。てか毎週観てるが、一度もイタリアン作ったことないじゃねぇか。
番組の低レベルさに鼻白みながら、俺は漬け物をおかずに白米を掻き込んだ。
『ゲット出来る食材はワカメです!里中さんに問題!五月は何日間?』
『えっと、31日間!』
『正解です!』
『ゲット出来る食材はゴボウです!速水さんに問題!アメリカの首都は?』
『ハワイに決まってるっしょ!』
『不正解です!』
次々と問題にチャレンジしていく二人。里中アキは清純派アイドルの見た目に違わず、スラスラと問題を解いていく。
もこなりは……まぁ、見た目に違わずだな。
『ゲット出来る食材はジャガイモです!里中さんに問題!辞書を英語で言うと?』
『ディクショナリー!』
『正解です!』
『ゲット出来る食材は長ネギです!速水さんに問題!牛を英語で言うと?』
『超ビーフっす!』
『不正解です!ビーフは牛肉です!牛はカウです!』
『げっ!ひっかけっすか!超ありえねぇっす!てか、カウって何すか?』
俺は心の中でアキちゃんを応援しながら、もこなりの馬鹿さ加減に呆れる。アキちゃんの足を引っ張るな、チャラ男。
画面は司会と山越シェフに切り替わる。
『さて、現在の食材はワカメとジャガイモです。季節に合わせて秋の食材も欲しいところですね、山越シェフ』
『トルコはあまり四季がないんで関係ないですね』
『ごもっともです。山越シェフのドヤ顔も冴え渡ってきたところで、迷路で活躍する二人はどんな状況でしょうか』
ちょっとイラついた司会の表情がおかしかったが、俺はふと不思議に感じて箸を止めた。
そして味噌汁の中をマジマジ見つめる。
黄土色の汁に浮かぶ具材が、偶然にもワカメとジャガイモだったのだ。
首を傾げながらも味噌汁を啜りジャガイモを頬ばる。まあ、味噌汁ではスタンダードな具材だから気にするほどでもないか。
『ゲット出来る食材は蒸しエビです!里中さんに問題!唐辛子の辛み成分を何という?』
『たしか、カプサイシン!』
『正解です!』
『ゲット出来る食材は鶏もも肉です!速水さんに問題!数の子は何の魚の卵?』
『カズっす!』
『不正解です!カズなんて魚はいません!』
味噌汁を突っつきながら俺は声を上げて笑った。
「カズってなんだよ。こいつ、本気でバカだ。なぁ母ちゃん、今の聞いた?」
「うるさいねぇ。早く飯食って学校に行きな」
「はいはい。……ん?」
口に運びかけた箸を止める。思わず二度見してしまった。
「なぁ、母ちゃん」
「なんだい。早く飯食って学校に行きな」
「味噌汁の中に蒸しエビを入れた?」
それは味噌汁の中に入っているにはいささか異色を放っていた。赤い蒸しエビが、味噌汁の奥に隠れていたのである。
「知らないよ。早く飯食って学校に行きな」
蒸しエビは身がプリプリしていて美味しかった。そしてテレビをマジマジと見つめる。
なんでさっきから、正解した食材が味噌汁の具材と被っているんだ?
俺はテレビから目が離せなくなった。
『ゲット出来る食材は牡蠣です!里中さんに問題!ローマの休日の主演女優の名前は?』
『オードリー・ヘップバーンさん!私、大ファンなんです!』
『もちろん正解です!』
『ゲット出来る食材はサザエです!速水さんに問題!ロッキーの主演男優は?』
『俺、マジ大ファンっす!シルベスタスタスタローンっしょ!』
『不正解です!スタが一個多い!』
恐る恐る味噌汁の中をすくってみる。そして箸が捉えた具材に、体が震えた。
牡蠣だった。
食べてみると果てしなく美味い。さすがは海のミルクと誉れ高い牡蠣。濃厚なエキスが口いっぱいに広がっていく。
「夏に日本海沿岸で穫れる岩ガキもたまらない味わい深さがあるんだよな……って、違う違う!一体どういうことだよ!この味噌汁、テレビと四次元ポケットで繋がってんのかよ!母ちゃん!なぁ、母ちゃん!」
流し台に向かって洗い物をしていた母ちゃんにしがみつく。
「母ちゃん、こりゃどういうことだ!ドッキリか?素人参加型のドッキリ企画か?」
不機嫌そうに振り返った母ちゃんは、前ぶりもなくビンタをかました。
「早く飯食って学校に行きな」
洗い物の途中だったので、ビチャビチャの手でされたビンタは、濡れたやら痛いやらで実に複雑だった。
俺は袖で頬を拭き、食卓のイスに座った。
母ちゃんは駄目だ。さっきから同じことしか言わない。お前はドラクエの村人Aか。
底の見えない黄土色の液体がとてつもなく不気味だった。この何の変哲もない味噌汁椀が、異次元に続く扉に思えてきた。
とにかく、今はテレビを見るしかない。
『ゲット出来る食材は松茸です!里中さんに問題!徳川初代将軍、家康の幼少期の名前は?』
『竹千代!』
『正解です!よく分かりましたね』
『私、実は歴女なんです』
『なるほど!さて続きまして、ゲット出来る食材は舞茸です!速水さんに問題です!本能寺の変で下剋上された武将は?』
『織田裕二っす!サムバリトゥナイトっす!』
『不正解です!レインボーブリッジは封鎖されません!』
急いで味噌汁の中を探す。
あった!松茸キター!ありがとう、アキちゃん!
早速食べてみる。松茸特有の芳香に脳みそが溶けそうだ。
『山越シェフ、ようやく秋の食材がきましたね』
『ぶっちゃけ舞茸のが良かったかな。松茸の香りってトルコ料理と相性悪いんですよね』
『なるほど。ありがとうございます、当番組の食材監修も務めた山越シェフ』
ピリピリしたムードの司会から、画面は回答者の二人に切り替わる。
迷路をあっちこっち進んでいくアキちゃんに馬鹿なもこなり。やはり、間違いなくこの番組で正解した食材が味噌汁の中に現れるようだ。朝から味噌汁に松茸が入っているほど、我が家のエンゲル係数は狂乱していない。
『ゲット出来る食材はタラバガニです!里中さんに問題!太陽が空を巡る軌道を黄道といいますが、月の軌道をなんという?』
これは難しいがタラバガニは魅力的だ。アキちゃん、是非とも頑張ってほしい。
『月、ですか。えっと分かりません』
『残念!正解は白道でした!』
ガッカリと肩を落とすアキちゃん。ああ、今すぐ慰めて抱きしめてあげたい。
『ゲット出来る食材は大トロです!速水さん、問題です!アンドロメダ座を構成する星の中で一番明るい星をなんという?』
まさかもこなりに分かるはずもない。それに万が一当たったとしても大トロはいいや。
『アルフェラッツっす』
『不正……え?正解です!』
マジでかー!
『俺、天体マニアっす』
変なとこで博識になるな!バカはバカのままでいろ!
味噌汁を覗き込んでガッカリする。ピンク色の切り身が、脂と共にプカッと浮いてきた。
大トロを口に含んで、さらに後悔する。味噌汁で微妙に温まった切り身が生臭さと食感の悪さを引き立てる。さらには味噌汁の表面に浮いた脂が汁全体を侵した。
『俺、トロって魚が大好きなんすよ。何気にマグロに似てますよね』
『似ているというかマグロです。トロという魚はいません』
もう、この摩訶不思議な朝食に付き合っているのも疲れてきた。美味しいのは美味しかったが、胃の中が気持ち悪くなってきた。
俺は味噌汁をジッと見つめる。そして意を決して飲み干した。
味噌汁が原因なら無くしてしまえばいい。訳の分からない食材を食べるのにも、おさらばだ。
空になったお椀を食卓に置いて一息つく。さて、あとは歯を磨いて学校に行くとするか。
しかし、そのお椀を母ちゃんが回収する。そしてまた味噌汁をなみなみと注ぐと、静かに俺の前に置いた。
驚愕に顔を上げる。母ちゃんはグッと親指を立てると、ダンディーな笑顔を見せた。
「早く飯食って学校に行きな」
こんのブスぅぁぁあああぁぁ!
また足したら学校に行けねえじゃないか!ふざけんな!
なんで母ちゃんという生き物は常に矛盾を帯びているのだろうか。怒りよりも悲しくなってきたぞ。
俺の嘆きなどつゆ知らず、番組は進行していく。
『ゲット出来る食材はトンカツです!里中さん、問題です!え、トンカツ?なんで?』
『トンカツ、ですか?』
それ、食材じゃなくね?読み上げていたアナウンサーも素になっていたぞ。
『あ、あの山越シェフ。トンカツは食材には入らないのでは?』
思わず画面の端から司会者が口を挟む。
『は?食材でしょ。カツ丼作るにはトンカツが必要でしょうが』
『まぁ、そういう理屈ならば……』
『だってトルコ風カツ丼作るのに必要でしょ』
は……?
『こちら、しばらく中継を繋げなくするので、里中さんに速水さん頑張って下さい』
そういう言うと司会者は上着を脱いだ。そこで画面が途切れてしまった。
『え、えーと。それでは気を取り直して問題いきましょうか、問題。1+1は?……なんじゃこりゃ』
山越め、確実にトルコ風カツ丼を作るつもりでいやがる。ここまでヤラセだと逆に清々しいぞ。
『……2です』
『はい、正解です』
テンションがガタ落ちながらも、きちんと笑顔で答えるアキちゃん。君はアイドルの鏡だよ。一生応援するよ。
そして目の前の味噌汁にプカーと浮かぶトンカツ。もう、絶対に食わん。
『次の食材は卵です。速水さんに問題。3×7は?』
今までの過程はなんだったのかと言いたくなるような問題だ。最早視聴者の大半はチャンネルを変えただろう展開なのに、もこなりは腕を組んで唸っている。
『やべっ。俺、三の段が苦手なんすよね。さんしち、さんしち……にじゅうしち!27っす!』
『よっしゃ!不正解です!』
山越ざまぁ!貴様のドヤ顔は一人のバカによって遮られたのだ!単なるトンカツに決定!松茸風味のトンカツでも作りやがれ!
そこでチャイムがなった。どうやら今ので最終問題だったらしい。
『パーソナルチョイスの時間になりました!最後の問題は二人同時にフリップへ書いてもらいます!そして正解した方の食材を山越シェフに調理して貰いましょう!』
画面が司会者席に切り替わる。乱れたセットの真ん中にポツンと座る山越。
右目に大きな青あざを付けてドヤ顔で言った。
「山越イリュージョンでなんとかします」
いや、なんとかならんだろ。
アキちゃんが勝てばなんら問題はない。ただし万が一、もこなりが勝ってしまったら、食材は大トロだけだ。
刺身以外にどうにも出来んだろ。
『それでは最後の問題です!有名な赤レンガ倉庫のある地区は何県でしょうか?さあ、一斉にお書きください!』
さらさらとフリップに答えを書く二人。ここはもこなり、ちゃんと空気を読めよ。
『出来たようですね!それでは同時にオープン!』
アキちゃんの答えにカメラが寄る。答えは当然ながら『神奈川県』。
そして次にもこなりの答えが映った。
その瞬間、視聴者も番組スタッフも山越シェフも、みんなの心が一つになったはずだ。
『速水さんの答えは「横浜軒」!色々と違います!よって勝者は里中アキさん!』
ファンファーレが鳴り響き、紙吹雪がアキちゃんに舞う。そして対照的にもこなりは足元の床がパカッと開くと、そのまま落ちていった。
ああ、これで良かったのだ。様々なことがあったが、これでやっと味噌汁から解放される。
そう安堵の溜め息を吐いた瞬間だった。
味噌汁が爆発したように吹き上がる。驚いて椅子から転げ落ちたが、味噌汁から出てきたそれを見て、ますます腰が抜けそうになった。
速水もこなりだった。
味噌汁で顔を濡らし、頭にトンカツを乗せたもこなり。キョロキョロとうちの台所を見渡すと、不思議そうに首を傾げた。
俺はガクガク震えて母ちゃんにしがみついた。
「か、母ちゃん!もこなりだ!もこなりが出てきた!」
しかし母ちゃんはまたもやノーモーションでビチャパンビンタをかます。
「早く飯食って学校に行きな!」
そして何故か、もこなりにもビチャパンをお見舞いする。
「あんたも早く学校に行きな!」
頬に赤い紅葉を咲かせたもこなり。釈然としない顔をしながらも、俺に手を差し出してきた。
「やあキミ、僕のファン?サインあげようか」
「絶対いらね」

おわり

お題提供・キノコを愛でる麗人、てとらん。Thanks!


21:54  |  三題噺  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.09 (Wed)

「ゴミ箱・穴ぐら・肉」

お題「ゴミ箱・穴ぐら・肉」

カミーユは貧しい農家の末っ子に生まれ、まだ幼いうちに奴隷として売り渡された。
裕福な商家で家畜のように扱われ、年相応になると屋敷の主から欲望の捌け口として使われ出した。
気に入らない態度を取れば暴行を加えられる。とにかくカミーユは、なすがままされるがままにするしかなかった。
そんな毎日に、カミーユは早々に人生そのものを諦めた。いや、何もかもを諦めることが、カミーユが唯一生きていける方法だったのである。
他人には一切期待を抱かない。自分は誰かの欲望の捌け口という役割でしかないのだ。
吐き捨てては生まれ、生まれては吐き捨ててられる欲望を受けるだけの身。
カミーユは自分をまるで、部屋の隅に置かれたゴミ箱のようだと思っていた。


その日の朝、カミーユは主の執事に連れられて屋敷の裏山へやってきた。
むき出しの岩に囲まれた山道を進む。どこに行くか?などと訊きはしない。たずねたところで、カミーユに拒否権があるわけでもないし、むしろ質問をする権利すらないことを、カミーユは充分承知していた。
「ここから少し行ったところに穴ぐらがある。貴様の仕事はそこにいる人間の世話をすることだ」
振り向かずに執事は仕事の内容を伝えた。カミーユはただ「……はい」と応える。
「その穴ぐらには一人の彫刻師が作業をしている。我が屋敷が召し抱えている職人だがな。仕事は毎日食事を届けるだけだ」
簡単すぎる仕事だった。今まで主から夜な夜な人形のように蹂躙されたのに比べたら、泣きたくなるくらい幸福な作業だ。
そういえば、とカミーユは先日のことを思い出す。
まだ自分よりも若い、新しい奴隷が主の部屋に入っていったのを見た。あれが自分の後釜だとすれば、カミーユは主から飽きられてしまったことになる。
安堵感に体がフッと軽くなった。そして新たなゴミ箱役である若者へ、カミーユはゴミを投げつけたのだと思った。
無意識な哀れみというゴミを。
「穴ぐらで、彫刻をしているんですか」
心が軽くなったからだろうか。いつもならしないはずなのに、カミーユは執事に話し掛けた。
「そうだ。日の光も届かない暗い穴ぐらだ。まぁ、本人にしてみれば街中の工房でも穴ぐらでも同じだろう」
軽く言葉を返しながら、執事はつまらなそうに笑った。
「なんせその彫刻師は盲人なのだよ」

穴ぐらの入り口に着くと、執事は「しっかり世話をしろ」と言い残して元来た道を帰っていった。
カミーユは腕に抱えたバスケットに目を落とす。水が入った瓶にライ麦のパン、そして一欠片のチーズ。質素な食事だった。
彫刻師の待遇が自分とさほど差がないように感じて気が楽になったのか、カミーユは仄暗い穴の中に入っていった。

穴ぐらの中は幅が狭く、人の背丈ほどの高さしかない道が続いていた。そして一本道ではあるが、右に曲がったり左に曲がったり入り組んでいたので日の光はすぐに届かなくなった。
それでもカミーユは恐る恐る手探りで進む。四方を闇に包まれた中、自分がどの方向に歩いているか分からなくなった頃だった。
「誰だ」
前方から突如として野太い声が聴こえてきたのである。
カミーユは驚いて身震いしたが、従順に役割を果たす。
「や、屋敷の者です。食事を持ってきました」
「そうか。そこから四歩、前に進め」
男の声に従ってカミーユは足を運ぶ。
「そんなに恐がらなくていい。中は多少、広く造られている。あぁ、そこに仕事道具が転がっているから気を付けろ」
男の声に誘われたように、カミーユの爪先に金鎚のようなものが触れた。
「そこから二歩、右に。いや、それだと行き過ぎた。そうそう。そのまま前に来い」
この闇の中が見えているかのと思うほど、男は巧みにカミーユを誘導する。
どこからか、ガリガリと何かを削る音も聞こえてきた。
「そこで手を前に出してみろ」
かなり近い場所からの声に向かって手を伸ばすと、そこに温かいものが触れた。
「そう。それが俺だ」
光もない場所に存在する熱。
暗闇の中の住人は、確かにそこにいた。
「飯は持ってきてくれたか」
「は、はい」
カミーユの触れた場所は背中だった。男は訊ねながら、せわしなく手元を動かしているのが伝わってくる。
「よし。食わせろ」
最初は言っている意味が分からなかった。戸惑っていると男は言葉を付け足した。
「俺の手は常に彫刻品に触れて作業をしている。両手が塞がっているから、食べさせてくれ」
納得をしてカミーユは右手に持った籠を足元に置くと、そのまま右手でパンを千切った。
左手は男の背中に触れている。手離した瞬間、暗闇に取り残されそうで恐かった。
右手で男の口を探る。髪に触れ、耳を這い、口元に辿り着く。すると男の口が別の生き物みたいに、カミーユの右手に噛みつく。そしてパンだけを舌で絡み取ると、ムシャムシャと咀嚼した。
暗闇だからであろうか。カミーユはゾッとしながらも男の催促に従い、口に食事を運ぶ。
「お前、名は何という」
水を飲んでから男は訊ねた。両手は休むことなく動いている。
「カミーユです」
「そうか、いい名だ。俺はジェンキンスだ」
ジェンキンスがそう言うと、彫刻品を削る音が止んだ。そしてこちらを振り向くと、カミーユに手を伸ばす。
「すまないが、少し顔を触らせてもらうぞ」
「え、あ。はい……」
返事を聞き終わる前に、ジェンキンスはカミーユの顔を両手で包んでいた。
頬を揉み、鼻や口を丹念に指でなぞる。顔の輪郭を確かめるように何度も撫で回し、髪を指に絡ませた。
「俺の彫刻品は人物像が専門だ。目が見えない故、たまにはこうしておかないと人間の形を忘れてしまう。ふむ……」
丁寧にカミーユの顔を撫でながら、ジェンキンスは溜め息を吐くように呟いた。
「実に整った顔立ちだ。美しい……」
カミーユの体がビクッと竦む。ジェンキンスに触られるがままに、カミーユは暗闇にも関わらず固く目を閉じた。
しばらくしてジェンキンスが手を引いた。
「すまなかったな。お前の顔を汚してしまった。あとで水で洗うといい」
「あ、いえ。そんな」
自分の顔をなぞる。風邪を引いた時みたいに、頬が熱くなっていた。

その日はそれで終わった。
明日も飯を頼むと言ったジェンキンスを穴ぐらに残し、カミーユは地上に戻った。
眩しい陽光に目を細め、風に髪をたなびかせる。そして先ほどのことを思い出した。
自分を美しいと褒めてくれたこと。
顔を汚してすまなかったと気遣ってくれたこと。
どちらもカミーユにとっては初めてのことだった。初めて人間らしい扱いをされたことに戸惑いながらも、カミーユは確かな胸の高鳴りを感じていた。

穴ぐらへ通うことも慣れてきた。
初めのうちは暗闇に怯え、手探りで中を歩いていたが、今では森を散歩するかのように進めるようになった。
穴ぐらの最奥部である工房にいても同じで、前はジェンキンスの背中に手を触れていないと不安だったが、今は離れていても彼がどこでどんな作業をしているか分かる。
視覚に頼らない生活も、慣れてしまえばそっちの方が快適だった。
そして、穴ぐらの中の方が快適な理由がもう一つ。
「また今日もパンとチーズだけか。お屋敷の奴らは随分としみったれてやがる」
背後からジェンキンスの口に千切ったパンをくわえさせる。
「そんな贅沢は言わないで下さい。食べられるだけでも良いと思わないと」
ジェンキンスが屋敷を悪く言うので、カミーユは誰かに聞かれはしないかビクビクしていた。
「たまにはワインくらい振る舞っても罰は当たらんだろうに。それか肉でも食いたいものだ」
ジェンキンスが暇になると必ずこぼす愚痴だ。
しかし彼は、それを屋敷の人間に伝えるようには言わない。言えば従順なカミーユはお仕置きをされても伝えるだろう。
愚痴を言いながらもジェンキンスの手は忙しなく動いている。暗闇なので何を作っているのか分からないが、ノミやヤスリを交互に持ち替えて使っているようだ。
「カミーユはここに来る前は、別の場所で働いていたのか」
「いえ、お屋敷の中で仕えてました」
「ふむ、そうだったのか。何の仕事だったのだ?」
返事はなかった。
口ごもるカミーユにジェンキンスは「どうした」と訊ねる。自分の世話役が何も返してこないなんて初めてだったので、ジェンキンスは戸惑った。
二人の間に沈黙が続く。暗闇が気まずさに拍車を掛けて、二人の動きを押さえつけた。
「おい、カミーユ。まだ食事の途中ではないか。俺の一日の楽しみを奪わないでくれ」
「あ、はい。すみません」
先に重い空気を払ったのはジェンキンスだった。
申し訳なさそうに彼の口へチーズを運ぶカミーユ。その今までなかった雰囲気に、ジェンキンスは実に居心地悪さを感じていた。
世間との交わりを断った生活をして長い。人と触れ合うのに不器用なのは仕方なかった。
ジェンキンスは何がカミーユの不穏な琴線に触れたのか分からない。
「まったく、屋敷の連中も俺をもう少し重宝してもいいではないか。肉、たまには肉でも食べたいぞ」
だから愚痴でも言って気分を紛らわそうとしたかった。そして戯れ言でものたまって、カミーユを笑わせてやろうとしたかったのだ。
「そうだ、お前。そのパンを口移しで俺に食わせてくれ。プリッとした唇が肉の食感を彷彿させるやもしれんからな」
なんと馬鹿なことを、と自分で言っておいて情けなくなった。
失言を誤魔化そうとヤスリに持ち替えて彫刻品を乱暴に削る。だが、背後にいたカミーユは蚊が鳴くような声で「……わかりました」と答えた。
「おい、お前……」
驚いて振り返ったジェンキンスの肩に、カミーユの手が置かれる。そして首を伝い両手で頬に触れると、ジェンキンスの唇にスカスカのパンの欠片と生暖かいものが押し当てられた。
その感触にジェンキンスはこれまで味わったことのない歓喜に心が沸き立つ。そして全身が瞬時に欲望の塊へと変貌していった。
ゴツゴツと太い腕をカミーユの華奢な腰に巻きつける。そのまま絡め取るように抱き寄せようとして、ジェンキンスはハッと気付いた。
カミーユの肩が震えていたのである。そして自分の鼻先に零れた滴に、理性が舞い戻ってきた。
「カミーユ、お前なぜ泣いている」
ビクッと身を竦ませたカミーユだったが、焦るように次のパンをくわえると、ジェンキンスの口に押し込んだ。
「や、やめろ!」
思わずカミーユを突き飛ばしてしまった。しかしカミーユは暗闇を這ってジェンキンスにすがりつくと、なおも口移しを続けようとする。
カミーユは悲しかった。
初めて自分を人間扱いしてくれたのがジェンキンスだった。しかし、そんな彼もやはり自分を欲望の捌け口にしてしまうのかと。
結局、自分はどこにいてもゴミ箱でしかないのかと。
「いいんです。ジェンキンスさんの言うとおりに致します。望みならばそれ以上のことも」
傷付いた。自分がこれほどまでに傷付くとは思わなかった。
それでも反発することを知らないカミーユは、涙を流しながらも奴隷に徹するしかないのだ。
カミーユは手を下の方に持って行く。そしてジェンキンスの一物を弄った。
その瞬間、カミーユの横っ面を拳が打った。
弾き飛ばされるカミーユ。肩で息をしながらジェンキンスは怒鳴った。
「馬鹿か、お前は!俺はそんなことまでやれと言っ」
「やらなきゃいけないんです!」
カミーユの大きな声が穴ぐらに響く。ジェンキンスは驚いて言葉を飲み込んだ。
「そうしなきゃ、生きていけないんです。生きている価値がないんです」
カミーユは地べたに伏しながら、すすり泣いた。さほど広くない穴ぐらの中が、悲しみでいっぱいに埋め尽くされた。
ジェンキンスはしばらく俯いていたが、すすり泣く声を辿ってカミーユのそばに腰を下ろす。
「わかった。では俺の望むままにしてやろう」
そう言うとジェンキンスはカミーユを立ち上がらせる。そしてそのか細い体を力いっぱい抱き締めた。
人の温かみが、互いの体にじんわりながれ込む。
「いいか。これがお前の、唯一信用していい者の温もりだ。それ以外は何も考えなくていい。この温もりを忘れそうになったらいつでも言え。俺がその都度、お前を抱き締めてやる」
カミーユの中で何かが満たされた。
それは他人の欲望で満杯になったゴミ箱などではなく、純粋で確かなもの。
カミーユは声を上げて泣きながら、ぐったり体を弛緩させる。ジェンキンスはその体を支えるように、両腕にさらに力を込めた。
暗闇に支配された穴ぐらで、目に見えない確かな光が二人を包み込んでいた。


「ジェンキンスさん、お食事を持ってきました」
「いつも済まないな。ああ、そこにノミが落ちているから気を付けてくれ」
「はい、ありがとうございます」
「ん?……おいおい、これは一体どういう風の吹き回しだ」
「さすが、鼻が利きますね。お屋敷に掛け合って特別に用意してもらいました」
「おお、神よ!久方振りの肉だ!肉が食えるぞ!」
「はい。これを食べていい作品を完成させて下さいね」
「ええい、こうしちゃいられん。早く食べさせてくれ」
「かしこまりました」
「うむ、美味い。程良い柔らかさだ。クズ肉ではないきちんとした品なようだな」
「はい。それは良かったです。……ん」
「どうした、カミーユ。体調でも悪いのか」
「はい……。ちょっと風邪を引いてしまったみたいで」
「なんと、それは良くない。どれ、こっちに来い」
「……あ」
「ふむ、体も熱い」
「ダメです。ジェンキンスさんにまで風邪がうつったら大変です」
「構わんよ。どれ、横になりなさい。そっちに俺の寝台がある。お前が寝るまで添うてやろう。肉などそのあとでよいわ」
「……はい」

それから一ヶ月が経った。
屋敷の執事はジェンキンスの作品を回収するために、古美術商を供だって穴ぐらへ来た。
「お屋敷で待っていてくれても良かったのですが。こんな山道を歩くのも骨が折れましょうに」
「なぁに、行商人をしていた頃を思い出す。それにジェンキンス氏の作品を少しでも早く拝みたいですからな」
穴ぐらへやってきた。
執事はランプに火を灯し中に足を踏み入れる。だが、その入り口にあったものに気付き、腰を下ろした。
「これは……彫刻品?」
古美術商もしゃがみ込むと、メロンほどの大きさを持つ大理石で出来た彫刻品を手に取った。
「ジェンキンス氏の作品で間違いないでしょうな。しかしまた、この人物は……」
瞳を閉じた人間の頭部の彫刻だった。顔の輪郭は活き活きと表現され、髪も毛先の一本まで完全に再現されている。
文句の付けようもない、超一級の出来栄えだった。
「素晴らしい。これはジェンキンス氏の作品の中でも最高ではないか。きっと凄まじい額の値が付きますぞ」
「はぁ。しかしこの人物、この顔をどこかで見たような。……あぁ、カミーユか」
鼻息を荒くしている古美術商が執事に訊ねる。
「カミーユ?」
「はい。以前まで主の下の世話をしていた奴隷です。もっとも二月ほど前に屋敷を追い出されてからは、行方知れずでしたが」
「なんと、奴隷か……」
見目麗しい彫刻のモデルが身分卑しい者と知れれば、価値は一気に下がるだろう。
二人はしばらく思案したあと、冷たく笑顔を向けあい、懐からナイフを取り出した。
「あいつめ。主の次はジェンキンスの下の世話をしていたとはな。きっと今のこの中にいるはず」
「まあまあ、殺す前に私にも一興を。このくらい美しいのならば、奴隷とはいえ相手のしようもあるというもの。しかし屋敷側としては問題なくて?」
「全くありません。屋敷から追い出された奴隷など、死んだも同然ですから」
ランプを掲げた執事を前に、二人はどんどんと奥へ進む。そして最奥部である場所に辿り着き、執事と古美術商は驚愕した。
彫刻道具が散乱した穴ぐらの真ん中に、二人の人間が並んで横たわっていた。
「カミーユにジェンキンス……二人とも、死んでいる」
穴ぐら生活が長かったからか、日を浴びていない体は紙のように真っ白だったが、それ以上に人の持つ生気の色が完全に失われていた。
「おい、こっちの奴隷。どういうことだ」
古美術商の引きつった声に、執事は遺体にランプを向ける。そして息を飲んだ。
「こいつ、片腕がないぞ」
既に半分腐りかけたカミーユの体。その左腕が脇の部分から無くなっていたのだ。そのせいで破傷風で命を落としたのだろうか。
「それに、何でだ。ジェンキンスの胸にノミが刺さっている」
ジェンキンスの薄い胸板から生えたノミの柄。死因はこれで間違いないだろう。
「奴隷が刺したのか」
「いや、右手だけでは難しいでしょう」
「じゃあ自分で刺したのか?何のために?」
二つの遺体を前に執事と古美術商は首を捻ったが、答えなど出るわけがなかった。
そして二人の満ち足りた死に顔が、また執事と古美術商の頭を悩ませたのである。

おわり


お題提供・寝落ちの女王、てとらん。Thanks!

22:15  |  三題噺  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2011'11.01 (Tue)

「毒・ゴーレム・錬金術師」

お題「毒・ゴーレム・錬金術師」

ゴーレムを錬成しようと思ったんだ。
たった一人でこの広い城で暮らすには寂しかったから。
さいわいに書庫にはゴーレムに関する本がたくさんあったし、材料も単純で城の中にある資材でなんとかなったから。
種族は僕と同じ、ロックゴーレムでいい。他愛のない話が出来る相手ならば、誰でもよかったんだ。
それなのに……。
「う、うぅ……。なんだここは?薄暗いぞ。明かりはどこだ」
ゴーレムを錬成したはずなのに、魔法陣の上に完成したそれは……。
「うわっ、寒!俺、真っ裸じゃないか!フルチンじゃないか!おい、そこのロックゴーレム。何か服を持って来い」
錬金術師だった。

その錬金術師は渡された服を受け取りながら、嬉々と口を動かした。
「人間が完全体の金を錬成するのに成功してから二百年。もはやこの世に錬成不可能なものなど存在しなくなった」
ワイシャツに袖を通しズボンを履く。手先は不器用なのか、カフスボタンと格闘していた。
「世界中のありとあらゆる化学技術や物理法則は、錬金術というカテゴリーで統一された。錬金術がそれまで出来なかったことを全て叶えた。人類の歴史は飛躍的に進歩したのである」
丈の長い革のジャケットを羽織り、整髪料で前髪を上げてメガネを掛ける。
「その錬金術に特化した知識と技術を兼ね備えた、人類の中でもより優秀で、より卓越した人間こそ、錬金術師!つまり、俺のことよ!俺に錬成不可能なものなどないのだ!貴様程度ならば魔法陣無しでも錬成出来るわ!」
逆だよ、バカ。お前が錬成されたんだよ。どや顔の錬金術師が実に滑稽である。
僕は岩の体を崩しながら、ぼんやり錬金術師の話を聞いていた。
材料も魔法陣も詠唱も間違っていないはずだった。ロックゴーレムの錬成なんて錬金術の初歩も初歩で、ゴーレムでしかない僕の知能でも容易だと本に書いてあったのに。
僕は立ち上がってマジマジと錬金術師を見つめる。
こいつ、もしかするとゴーレムかもしれない。
そもそも僕は、本物の人間を本でしか見たことがない。だから姿かたちから錬金術師だと勝手に決めつけていたが、中身はただのロックゴーレムじゃないのか?
「どうした、ロックゴーレム。散歩の時間か?」
試してみよう。
僕は腕を後ろに引いて、錬金術師を小突いた。
「ぐはぁ」
ちょんと小突いたはずの錬金術師は、真顔のまま軽々と吹っ飛んでいく。
洋服タンスに激突して跳ね返り、向かいの壁にぶつかる。勢いは止まらず壁を突き破り、隣の倉庫部屋の薪をなぎ倒しながらやっと止まった。
こりゃあマズいことをしてしまったと、恐る恐る倉庫部屋を覗き込む。錬金術師は薪の下敷きになっていたので助け起こすと、白眼を剥いて頭から血がピューピュー噴き出していた。
僕は慌てて錬金術師を医務室に抱えていった。

「この石が!主に手を挙げるゴーレムがあるか!分解錬成で庭に敷く玉砂利にしてやるぞ!」
頭に包帯を巻かれながら、錬金術師はプンスカ怒鳴った。その度にまた血が噴き出してくるので、僕は新しい包帯に替えた。
「すみません。本当に錬金術師さんなのか怪しかったから、試してみようと思って」
「ほう。貴様、石の分際で言葉が話せるのか。なかなかやるではないか」
頭を上げて僕を見る錬金術師。包帯が巻き辛いから顔を下げてもらう。
「まぁ、一応は。それよりもお願いですが、その石という呼び方をやめてもらえませんか」
「ふん、ロックゴーレム風情が主に対して口答えか」
主じゃないし。生み出した順番で言うなら、僕の方が主だぞ。
「貴様、名はあるのか」
「え。うぅん、ありません」
「ふむ。ならば主として俺が名を授けてやろう」
顎に手を当てて目を閉じながら、錬金術師は考える。そしてしばらくすると、ボソッと呟いた。
「石ッコロ」
「イヤです」
「岩ッコロ」
「語呂悪いです」
「『お前は躓いたことを道に転がっていた石のせいにするのか?』とか」
「長いし、それセリフです」
「えぇい!錬成物のくせに注文の多いやつだ!」
お前もな。
苛立った錬金術師は頭に巻かれた包帯を乱暴に取る。
「あ、まだ止血が」
ギロッと一睨みしてから錬金術師は救急箱の中身を漁って、薬を三つほど取り出す。そして薬棚に歩み寄るとまた二つほど薬を選ぶと、机の上に置いて手をかざした。
そして口中でモニョモニョ何かを唱えると机の上がパッと光り、薬達が一つの錠剤に変化していた。
「即効性の強い止血剤に錬成した。包帯なんぞよりもこっちの方が手っ取り早い」
水も無しにゴクリと錠剤を飲み込むと、錬金術師は僕に人差し指を突き付けた。
「コロ。貴様の名はコロである。今日からはそう名乗るがよい」
その名前が僕の胸にスッと落ちる。初めて魂を吹き込まれたような感触に、心が弾んだ。
「あの、あなたのことはなんと呼べば?」
「なんでも構わん。主とでも呼べばいい」
「いや、それはイヤです」
「貴様はさっきからイヤイヤばかりだな。こんなに反抗的なゴーレムなど聞いたことないぞ」
溜息を吐いてから錬金術師は、自分の胸を指差した。
「俺は偉大なる錬金術師、グラン・アルケミストだ。だからグランとでも呼べばいい」
「グラン……」
僕はそう呟いて錬金術師を見た。メガネの奥の瞳が不敵に微笑む。
「わかりました。今日からあなたをグランと呼びます」
「呼び捨てにするな。グラン様、もしくはグラン様と呼べ」
「イヤです。グランさん」
「どこまでも反抗的なゴーレムだな。錬成の材料にツンツン草でも入れたのか、貴様は」
こうして僕とグランさんの奇妙な生活が始まったのだ。


「おい、コロ。腹が減ったぞ」
書庫の整理をしていると、グランさんが不機嫌な顔をしてやってきた。
「腹が、減る?内臓器官のどこかが消滅したのですか?」
「そういう意味じゃない。空腹だ。何か飯を作れ」
僕は納得をして積んであった本を床に下ろした。
「栄養摂取のことですね。人間は食物を経口摂取してエネルギーに変換すると本で読みました。てっきり腹部の細胞が抉れて破損したものかと」
「なにそれこわい。なんでもいいから食わせろ。こんなにデカい城ならば食料庫くらいあるだろ」
「了解しました、グランさん」
「いいか。栄養バランスを考えろよ。味は二の次で構わん。ただしニンジンだけはダメだからな!絶対に入れるなよ!あとピーマンもダメ!セロリもダメ!」
僕は未だにダメなものを羅列するグランさんを置いて食料庫に向かった。
栄養バランスがいい食物。タンパク質と炭水化物を豊富に含み、ビタミンも適度に配合されたものね。
普段は錬成の材料に使われがちだけど、アレが一番いいな。

食料庫から持ってきたソレを皿に盛り、食堂のテーブルに腰掛けてたグランさんに給仕した。
だが目の前のソレを見て、グランさんの顔がみるみるうちに曇っていく。
「なあ、コロ。なんだこれは?」
「マンドレイクです」
真っ白い身に根のような手足。みずみずしい緑色の葉に、新鮮な証拠に「ケケケケ」と鳴き声まで上げている。体長が二十センチもあるので、これはマンドレイクの中でも主(ぬし)級の代物だ。
絶品料理なはずなのに、何故だかグランさんの顔は真っ赤になっていく。
「どうしました。食べないんですか?」
「こんなキモいものが喰えるか!」
テーブルをガンと両手で叩きグランさんは怒りを露わにする。僕はアワアワと頭を抱えた。皿の上のマンドレイクまでアワアワし出した。
「何でですか?きちんと栄養バランスの優れた食物ですよ。一度、成分解析の術に掛けてみて下さい」
「おや、脂質は少ないのにビタミンB1が豊富じゃないか。それにビタミンCの含有量もイチゴの五倍も……って、栄養の問題じゃねえ!」
マンドレイクに手をかざして成分解析をかけながらグランさんは怒鳴る。
「こんなのが料理か?いや、食材じゃん!百歩譲っても食材のままじゃん!」
「なるほど。確かに人間の消化器官では、生のマンドレイクはお腹を壊しますね」
僕はマンドレイクに加熱の錬成を加える。断末魔の叫びを上げて、マンドレイクはこんがりと焼けた。
「どうぞ。お召し上がり下さい」
「喰えるか、ボケ!」
グランさんは叫びながらテーブルをひっくり返した。
「ああ!せっかくのマンドレイクが勿体ない!」
「うるさい!この能無しが!もういい、自分で料理する。おいコロ、この城から一番近い街はどっちだ」
割れた皿を片付けながら僕は答える。
「たぶん、正門を出てから南に向かえばすぐだと思います」
「思います?曖昧な情報だな」
「僕、この城から出れない錬成になっているから。大広間にこの辺りの周辺地図があるので、確認してみてください」
ふむ、と独りごちながらグランさんは僕をしげしげと見つめた。
「制約のある錬成物、か。コロ、貴様はいつからここにいる?」
「え、いつからだろう……。記憶もないほどずっと前から」
「貴様を錬成した術師は?」
「……すみません。会ったことないんです」
嘘ではなかった。僕は気付けばここに独りでいたのだ。
自分が何か、何のためにいるのか、わからないまま。
グランさんはそんな僕を穴があくほど見つめてから、急に興味を失ったように踵を返した。
「まあ、貴様のことなど別にどうでもいい。街へ買い物に行ってくる」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
そして食堂から出ていく間際、グランさんは振り返らずに訊ねた。
「我々、人間は食物からエネルギーを摂取し活動する。コロ、貴様は何をエネルギー源としているのだ?」
「えっと、体内に永久機関を宿しています。それも錬金術の恩恵らしいですが」
返事もせず、グランさんは食堂から出て行った。


それから二時間後。
静かに出掛けていったグランさんだったが、帰ってきた時は実に騒がしかった。
「何なんだ、あの街は!有り得ない!有り得ないぞー!」
ドアを蹴飛ばして帰宅を告げたグランさんに驚いて、僕は手に持っていた植木鉢を落としてしまった。
「ああ、マナハーブの苗が。せっかくここまで運んだのに」
「そんなことはどうでもいい!あの街は一体どういうことなのだ!」
グランさんの剣幕に押されて、僕は後ずさる。
「街が、どうかしたんですか?」
「人間が一人もいないのだ!いるのはみんな、ゴーレムばかりなのだ!」
僕を指差してグランさんは声を張り上げた。
呆気に取られながらも、僕はグランさんに状況を確認する。
「街がゴーレムだらけってことです?」
「あ あ!歩道を歩いているのもゴーレム!コンビニで立ち読みしているのもゴーレム!駅前で怪しげな勧誘をしているのもゴーレム!マツモトキヨシでコンタクトレ ンズの洗浄液をどっちにしようか迷っているのもゴーレム!メイド喫茶で萌え萌えジャンケンしているのもゴーレム!一体どういうことだ!」
お前がどういうことだ。何が目的でメイド喫茶に行ったんだよ。
「ゴーレムに買い物させて、術師は自宅にいるとかは?」
「ないな。一度勇気を出して民家に突撃してみたが、やっぱりゴーレムしかいなかった」
おまわりさん、不法侵入者がここにいます。
「しかも店に並んでいる商品もおかしい。売っている物は化学薬品や資材など、錬金術に関する物ばかり」
「それだけ錬金術が普及している証拠なのでは?」
グランさんは手を振って否定する。
「いいや、違う。全くそれしかないのだ。つまり、生身の人間が使用するような物が見当たらないのだ」
メガネに手をかけて考え込むグランさん。そして部屋の隅にあった鞄を肩に掛けると、来たばかりのドアを開けた。
「しばらく調べものをしてくる。数日は戻ってこない」
「え。だったら城の書庫でもいいのでは」
「駄目だ。ここの書庫では調べきれん。街に中央図書館があったから、そこにいく」
そう言い残して、グランさんは風のように城を出て行った。
僕は胸騒ぎが収まらなかった。とにかく早く、グランさんが戻ってきてくれることを願わずにはいられなかった。



グランさんが帰ってきたのは二日後だった。
服は薄汚れ、頬はこけている。足元も若干ふらついていたが、目に宿った強い意志が帰宅の労いを拒んでいるように感じた。
「コロ、この城の見取り図はあるか」
鞄からいくつかの本を取り出しながら、グランさんは訊ねた。
「あ、はい。確か執務室に」
「持ってこい」
グランさんに言われるまま、僕は執務室にドスドス足音を立てながら向かった。
そしてグランさんは見取り図を受け取ると、無言でサッと目を通す。傍らに広げた本と照合するように眺め、そのままどこかに向かって歩き出した。
僕も慌てて後を追う。
「あのグランさん、どこに行くんですか?それよりも何も食べてないをじゃないですか。顔色が悪いですよ」
「昨晩、あまりにも空腹で野生のマンドレイクを食った。結構美味かったが、やっぱりキモかった」
城の階段を上り、二階の奥へと進んでいく。この辺は客間ばかりで僕もあまり立ち入らない場所だ。
「錬金術が完全体の金を錬成したのが今から二百年前。その当時はまだ化学や物理が人間の文明の主体だった」
歩きながらグランさんは語る。僕はそれを黙って聞いた。
「そ れから錬金術が普及するにつれて、人間の生活基盤そのものが変貌していった。機械や手作業の非効率な製造工場は錬金術現場に変わり、農場や牧場までも錬金 術のおかげで必要がなくなった。畑など耕さなくても、少量の米とエーテルの結晶さえあれば、飢餓で苦しむ国を丸々一つ救えるほどの食料が錬成可能だから な」
一番奥の部屋に着くとグランさんは足を止めた。
「だがその頃から、地球全体が乱れ始めた。食物連鎖は狂い天変地異は立て続けに起き た。それでも人間は悔い改めることはしなかった。錬金術を発達させれば被害を受けた建物など一瞬で直せるし、気候はおろか人命すら容易に操れたのだから。 しかし、ついにエントロピーの法則は崩壊してしまった」
その部屋は堅固な錬金術で施錠されていて、誰も立ち入ることが叶わなかった。
グランさんは入り口に跪くと魔法陣を床に描く。そして煌びやかな宝石を撒くと、錬金術を発動させた。
扉が重厚な音を上げて開いた。
「濃い硫酸で満たされた海を泳ぐイワシの群れ。砒素をまき散らす植物達。プルトニウム混じりの糞尿を垂れ流す野生動物。この世界は人間が生身で生活するには不可能な大地になってしまった。そう、人間は錬金術の恩恵を代償に、毒にまみれた世界を手に入れたのだ」
部屋に足を踏み入れる。そこは整理が行き届いた執務室だった。
部屋の真ん中に大きめのテーブルがある。そこの主であろう人物の名札が隅に飾られていた。
「このままでは人類は滅亡してしまう。錬金術の第一人者であるクレイン・マリー・シュナイザーはある方法を人類に提示し、自らが最初の実験台となったと文献に書かれている。それは、タンパク質の肉体を捨てて屈強な岩の肉体であるゴーレムになること」
クレイン・マリー・シュナイザー。いまグランさんが口にしたのと同じ名前が名札に記されていた。
「コロ、貴様がそのシュナイザー博士ではないのか?」
頭部を抑えてうずくまる。心の奥底に鍵をかけて沈めていた記憶が、ゆっくりと開封していった。
「ああああああっ!」
叫ばずにはいられなかった。おびただしい量の記憶が頭の中を駆け巡る。
それでもなお、話を止めないグランさんの声だけが僕の耳に届いた。
「シュナイザー博士の自らをゴーレムに錬成する術式が成功するのを皮切りに、人類は次々に己の体をゴーレムに錬成していった。多少の記憶障害はあったようだが、人類はなんとかその種を保つことに成功したのだ。尤もそれが、本当に成功なのかは疑問だがな」
そう言うとグランさんは、糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
驚いて駆け寄る。グランさんの鼻からかなりの量の血が流れていた。
「グランさん!グランさん!」
「貴様のいう永久機関とは、原子力そのものだよ。ゴーレムが動き続ける限り、とんでもない放射線が空中に漂う。ますます生身の人間にはきつい地球になったものだ」
鼻血に続いてゴポッと口から吐血をすると、グランさんは体を痙攣させ始めた。
「俺を人間として錬成させたのも、貴様の記憶を呼び起こす起爆剤になるためのシュナイザー博士の計らいなのかもしれんな」
「グランさん!イヤだ!死んじやイヤだ!」
「またイヤイヤか。貴様はそればっかりな奴だ。まぁ、それはそれで楽しかったがな」
「もう喋らないで!いま、医務室に連れて行くから!医者も、いや錬金術師をここに連れてくるから!」
ビクンビクンとしていた痙攣が止まる。グランさんの顔が青白く染まっていった。
「イヤだー!グランさん、いなくなっちゃダメだ!僕を独りにしないで!」
瞳孔が開いていく。グランさんは吐息を漏らすように、最後の言葉を残して息を引き取った。
『コロ。またいつか会おう』


風が、南から流れてくる風が庭の木々を優しくさらっていった。
心地良い日差しに合わせて小鳥たちもさえずる。僕はクスリと微笑んで、台所から持ってきた餌を撒いた。
小鳥たちがついばむ姿を横目に、中庭の空き地に魔法陣を描く。
グランさんがこの世を去ってから長い月日が過ぎた。
僕はあの日からまた錬金術の勉強を始めた。いや正しくは、錬金術に頼らない世界を作るための勉強か。
毒に犯された土壌を浄化し、まともな遺伝子を持つ動植物を保護し、自然に数を増やしていった。
僕は空に手をかざし、成分分析の術を使う。大気中の放射線濃度は今日も正常だった。ここまで戻すのに一万年はかかったけど。
魔法陣の真ん中に必要な材料を配置する。そして何度も間違いがないか確認し、深呼吸をした。
金色の長い髪を指ですく。身にまとった花柄のワンピースの裾がよれてないか、細かく見た。
僕はつい先日、ゴーレムの肉体を捨てて元の人間に戻った。自らこの環境に適合するか人体実験の意味もあったが、この姿の方がグランさんの隣に合う気がしたから。
風でたなびいた前髪を指で直し、胸に手を当てる。そして短く術式を唱えた。
「グランさん。僕は、コロはあなたとの約束を果たします。また、あなたに会いたくて……」
魔法陣が光りかがやく。大気中の密度が一点に凝縮し、パンッという音と共に弾けた。
錬成が成功した。
「グランさん!」
僕は嬉しくて魔法陣に駆け寄る。もやがかって舞った埃の奥が晴れた。
「う、うぅん。なんだ、随分と明るいな。ここはどこだ?あれ、何故俺の体がガチガチなのだ?まあいい。そこの女、ちょっと肩を揉んでくれ」
僕はガックリとうなだれた。
今度はお前がゴーレムかよ。

おわり


お題提供・闘う手羽先、エバさん。Thanks!

21:41  |  三題噺  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ
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