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2010'08.26 (Thu)

私の星乞譚。 第十三章

 あれから一ヶ月が経った。
 ともえちゃんと鎌田君が私の目の前で星結いをしてから、もう一ヶ月という月日が流れていた。
 私は今までと変わらない普段と同じ生活を送っている。朝起きて学校に行って、ご飯を食べて眠って。何も感じない。何も考えない。何も望まない。カラッポになった容れ物だけの体を毎日、無感動に引きずっている。
 不思議なものだった。心は何をすることも望んでいないのに、体は規則正しい時間に目覚め、決まった時間に決まった行動をする。教室の席に座れば机から教科書を取り出すし、クラスメートに話し掛けられれば笑顔で応対をしている。空虚になって稼働を止めた魂でも、体だけは無意識に酒留心恵として毎日を送っている。
 そのちぐはぐさ加減に馴染めず、まるで生き霊になってもう一人の自分を眺めているような錯覚に陥る。そんな虚無感が私をさらに考えることから敬遠させた。こんな毎日だったけど、眠りに落ちる数瞬前に決まって思い出すのは、鎌田君と過ごした日々だった。心の中にあったものは何もかもを捨て去ったはずだった。
だけど、整理しきって結局残っていたのは、一番思い出したくなくて、一番大事な思い出。
 顔を真っ赤にしながら、やっとのことでおはようと言った入学式の日。
 宿題をする振りをして、ずっと来るのを番台で待っていた夕暮れ時。
 お釣りを渡すときに触れ合った手の平と指先。
 動物園で見せた寂しげな表情と、初めて彼の心の中にある闇を知った夏の夜。
 一緒に勉強をした土曜日。
 その全てが宝石箱のようにキラキラと輝いていた。でも、そんな淡い記憶を思い返して最後に行き着くのは、あの夜の出来事。
 彼の頬に流れる涙の跡。
 ともえちゃんの手の平から放たれた星の欠片。
 唇を重ね合わせた二人。
 もう何も残っていないはずの体から、止め処ない涙が溢れてくる。心と一緒に涙も涸れてくれればいいのにと嘆きながら、私は嗚咽を漏らさないように顔を枕に押し当てた。
 悲しみは日を増す毎、確実に私の心を蝕んでいく。そのうちに、悲しみで満たされた重い心を引きずって毎日を送らなければならない日がくるのかと思うと、頭はますます思考を放棄した。
 そんなふうに私が泣いていると、決まって恒光石のあの子が緩やかに光を点滅させて、私の涙を拭ってくれた。もう星を紡ぐ運命を失ったというのに、その子は懸命に私を励まそうと宙を漂う。最初は疎ましくすら感じていたけど、その慰めが今の崩れそうな私をつなぎ止めてくれる、唯一の救いになっていた。

 正直に言えば、ともえちゃんのことを憎んではいない。
 あんな光景を見せられた直後は、親友に裏切られた絶望感で胸が切り裂かれたように痛んだけど、思い返してみれば彼女はずっと自分の気持ちを秘めたまま、私を陰ながら応援していてくれていたのだ。
 それがどれだけ辛いことだったか、逆の立場で考えればすぐに分かる。
 自分の好きな人の話を親友から、毎日嬉しそうに聞かされるのはどんな気分だっただろう。そして同じ人を好きになってしまった後ろめたさに苛まれ、何度も諦めるけどやっぱり諦めきれない気持ちは、どれだけ苦しかっただろう。
 ともえちゃんの本心はわからない。けれど長年連れ添った親友ならば、きっとそんなことを考えただろうと私は思った。だからわざと、大木先生を好きだなんて嘘をついたのだと、改めて気付かされた。
 あの日から私達は教室でも通学路でも、声を掛け合わなければ目も合わせていない。お互いがお互いの存在を避けて過ごした。
 そしてもちろん鎌田君とも。
 何故か、ともえちゃんも鎌田君へ近寄ろうとしない。星結いをしたカップルは周りに秘匿した方が良い、と明天先生も言っていたし。それともただ単に二人とも恥ずかしがっているだけなのだろうか。
 どっちにしろ、あれだけ仲が良かった私達はあっという間にバラバラになってしまった。以前まで同じグループだったヒジテツ君は、気を遣ってか私へ何かと話しかけてくれる。鎌田君から話を聞いているのか定かではないけど、気落ちしている私のことは詮索せず、普段通りに冗談を言って楽しませてくれるのが、心地良かった。
 あと数ヶ月経てば、二年生に進級する。その時にどうか、私達をバラバラのクラスへ離してくれないだろうか。そんなことを願わずにはいられなかった。ともえちゃんと鎌田君と同じ空間にいるのが耐えきれず、カラッポなはずの心はシクシクと痛んだ。

 夜空を見上げれば、北東の空に生まれたばかりの、やまねこ座が輝いていた。あの晩に誕生したまだ若い星座は、冷たく澄んだ夜空に凛然と構えている。
 まさに主である、ともえちゃんを彷彿させる。鎌田君は、ともえちゃんは、星の糸でお互いの誓いを繋いだ。
 それで良かったのかもしれない。
 ともえちゃんが両親へ取り入れれば、鎌田君のお父さんが残した借財も多少は緩和されるだろう。将来、婿に入るとなれば尚のこと、鎌田君にとっては好都合だ。
 大山の庇護を得たライオンは、獰猛な爪と牙の替わりに安寧を約束された猫になった。
 やまねこ座にはそんな意味が込められているような気がしてならない。もっともそれは、鎌田君が心の底から望んだ願いでもあったはずだ。彼のライオンとしての厳しい宿命は安寧を約束された日々を得て、本当の意味で終末を迎えたのだ。
 本来ならば、私も手放しで喜ばなければいけないのだろう。それでも素直に喜べない自分がいる。そんなときに、私は何も残されていないはずの心に、たった一つだけ拾い忘れた気持ちがあることを、改めて思い知らされる。
 私はまだ、鎌田君のことが好きなのだ。
 こればかりはどんなに心をカラッポにしても、全てを捨て去っても、恒光石みたいにいつの間にか胸の奥に戻ってくる。それほどまでに彼への気持ちは果てしなく深く、止め処なく熱いものなのだと気付いた。
いずれはスッパリ諦めなくちゃいけない。この気持ちも時間と共に風化していくのだろうと思っていたけど、何故かこの思いは日を増す毎に膨らんでいくばかりだった。カラッポになってしまったからだろう。私の心の中は以前よりも彼のことでいっぱいに満たされている。
 そのこともまた、私を苦しめる要因になっていた。親友と星結いをした相手を未だに好きでいるなんて。望むだけ無駄だとわかっているのに。
 これはきっと、ともえちゃんの気持ちに気付けなかった自分へ科せられた罰なんだ。彼女の秘めた思いを見抜けず、散々鎌田君の話ばかりしていた間抜けな自分も、同じ気分を味わえばいい、と。
 そう思うと気持ちは少し軽くなったが、それでも哀しみは止まない粉雪のように降り積もるばかりだった。

 期末テストが終わり、散々な結果に終わった答案用紙が返ってきて、一週間後には春休みが始まる。
 私は放課後、担任の明天先生に頼まれて、飼育小屋の掃除をしていた。あの動物園の触れ合いコーナーで語らったのをよしみに、かねてより担当が不在だった飼育係に任命されたのである。
 小屋掃除が終わって教室に戻ると最早誰一人いなく、整然と並んだ机や椅子は茜色に包まれていた。私は自分の席に掛けた鞄を持つと、教室内をぐるりと見渡す。
 私の隣の席には、ともえちゃん。後ろを振り返れば、鎌田君。その隣にはヒジテツ君に、少し離れた席には学級委員の山崎君。
 まだ仲良しだった頃の五人グループを思い出すと本当に楽しくて、まるであの時間だけ夢だったような気がする。みんな、誰が誰を好きだなんておくびにも出さず、ただのクラスメートでいることに満足をしていた、あの頃。もう戻れない、あの日。
 私はもう一度辺りを見渡し、誰もいないことを確認すると、鎌田君の席に座る。私の席より一つだけ後ろの席なのに、そこからの景色は違って見えた。
 鎌田君の席の前に、ともえちゃんの席。その隣には私の席。鎌田君はこの一年間、毎日私達の後ろ姿を眺めながら、授業を受けてきたのだろう。
 そういえば最初の頃は、鎌田君にうなじを見られていると意識していた時があった。今となってはそんなことなんて気にしなくなったけど、当時はそんな些細なことが、私にとって全てだったのだ。
 でも、どんなに気にしていたとしても、鎌田君が見つめていたのは私ではなく、ともえちゃんの後ろ姿だったんだ。最初から彼の眼には、私のことなんて映ってなかったんだ。
 そう思った途端、ふいに涙がこぼれた。
 鎌田君の机に落ちた小さな雫。慌てて拭った矢先に、二つ三つとまた雫が滲む。それを制服の袖で何度拭っても、机の上に落ちた涙は消えることなく増していき、しまいには小さな水溜まりになった。
 泣いてはいけないとは思いつつも、涙は止め処なく流れ落ちる。なんでこんなに苦しいのに、私は未だに鎌田君を好きでいるんだろう。これほど些細なことで涙を流していては、次に彼の顔を真っ正面に見てしまったらどうする。平然としていられる自信は、今の私には無い。
 もうお願いだから、鎌田君のことを忘れさせて……。これ以上、辛い毎日を送りたくない……。

 鎌田君の机に突っ伏して泣いていると、どこからか足音が近付いてくるのが聞こえた。私はとっさに顔を上げたけど、零れる涙は止まらない。何とかごまかすため顔をグシャグシャ擦ると、足音は教室内に入り込んできた。
「誰か、いるのか?」
 静かに落ち着いた声が聞こえてきたので、私は伏し目がちに振り返る。そこにいたのは緋色の瞳を持つ火星、夏日先生だった。
「どうした。下校時間だぞ」
 穏やかな声色とは対照的な人の心を射抜くほど鋭い眼孔に睨まれ、私はピクリと身を竦める。夏日先生が見た目とは裏腹に優しい性格だということは知っているけど、あの双眸を前にしてはどうしても体が固まる。

「あ……すみません、今すぐ帰ります」
 鞄を手繰り寄せ急いで立ち去ろうとした私を眺めて、夏日先生は首を傾げた。
「おまえ、名前は酒巻だったか?」
「先生、私は酒留です」
「あぁ、そうだったな。すまない、担任のクラスの生徒じゃないとなかなか名前を覚えきれなくてな。思い出した。確か私は授業で、酒井の恒光石を窓から投げたな。あの時はすまなかった」
「先生、だから私は酒留です」
「あぁ、重ねてすまない。日本人の名字は複雑で覚えにくい。ところで酒留、何故泣いている?」
 夏日先生の言葉に、収まりかけていた涙がまたブワッと、ぶり返す。しゃがみ込んで泣く私をしばらく眺めた夏日先生は、私に歩み寄ると近くの椅子に腰掛けた。
「酒留、もし良かったら何があったか話してみないか」
 夕陽に照らされた夏日先生は真っ赤で夜空に浮かぶ火星と重なったけど、何故か禍々しい不吉な赤星ではなく、全てを包み込む優しい色に感じられた。

 鼻を啜って時々声を詰まらせながら、私はこれまでのことを夏日先生に打ち明けた。私が話している間、夏日先生は相槌を打つわけでもなく、口を挟むわけでもなく、ただ黙って耳を傾け、最後に一言「そうか……」と呟いただけだった。
「先生、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「他の人と星結いを成功させた相手に、星結いを申し込むとどうなりますか?」
 私はギュッと口を結ぶ。夏日先生は腕を組んでジッと考えた後に答えた。
「当然ながら星は結ぶことなく、夜空に散って終わるだろう。過去にそういうケースで星座を生み出した人間はいない」
「やっぱり、そうですか……」
 肩を落とす私を見て、夏日先生はまた首を傾げる。
「何故、そんなことを聞くのだ?」
 私はその質問をされて逆に戸惑った。今まで私が話した内容から、言葉の真意を容易に察することが出来るだろうに。もしかして夏日先生、結構鈍い?
「確かに鎌田君は私の友達と星結いをしました。でも私、どうしても自分の気持ちを整理出来なくて……。だから、せめてこの思いだけでも伝えてみようと考えているんです」
 むしろ、そうしなければ鎌田君への思いはますます増していくばかりで、もう耐えきれなくなってしまいそうだった。
 でも、勇気が出ない。もしも私が鎌田君に星結いをして、せっかくまとまった鎌田君と、ともえちゃんの仲を掻き乱すようなことになったらどうしよう。もう彼に近付かないことが、私に出来る最良の選択なのではないか。
 そんなことを考えてしまう。
 だから地球と同い年である年長者の意見を参考にしたかったのに、夏日先生は首を捻るだけだった。なんだか、この先生。外見からのイメージと違うぞ?
 散々悩んだ末に、夏日先生は途端に合点が入ったような顔をすると私の顔をマジマジと見つめた。
「なるほど。そういうことか。道理で噛み合わないわけだ」
「な、何がですか?」
「あぁ、こっちの話だ。忘れてくれ。私としては何とも言えん話だ。酒留がその、金田に星結いをしたいというなら止めはしない」
「先生、鎌田君です」
「あぁ、すまない。よく聴く名字だったので、つい間違った。止めはしないが、かといって勧めもしない。せっかく相談してもらったのに恐縮だが、星結いに関して我々は人間に意見をすることすら禁じているのだ」
「それは、星の運命だからですか」
「うむ。酒留はなかなか博識だな」
 以前、朔張校長から聞いた話だ。忠義の淑女や彷徨の民は、人間の星結いに対して干渉することが出来ないよう、引力の鎖でお互いを締め付けあっている、と。
「だが、無駄口を叩くくらいなら出来る」
 そう言うと夏日先生はそっと瞳を閉じ、手の平を天にかざす。そして、静かにその名前を呼んだ。
「フォボス、ダイモス」
 夏日先生がかざした手に眩い光が放ったと思った瞬間、いつからあったのか、夏日先生の周りを二つの岩石が漂っていた。

 似たような速度でのんびりと迂回する石達。夏日先生が口にした名前から察するに
「もしかして、この子達は火星の衛星ですか?」
「御明察だ。酒坂は本当に博識な生徒で感心する」
「だから先生、私は酒留です。私、天体が好きなので」
「あぁ、すまない。数ある言語の中で日本語は特に難しくて困る。特に近年は外来語も混じっているので理解不能だ。それにしても天体が好きとは恐れ入った。この学校の生徒とはいえ、漆黒の闇に畏怖を覚え夜空を仰ごうとする人間は多くないというのにな」
 満足げに微笑む夏日先生に同調してか、二つの浮遊する石も淡く光を点滅させる。
「惑星の衛星ということは、朔張校長と同じくこの子達も『忠義の淑女』なんですか?」
「正しく言えば淑女ではなく、紳士だな。ところで酒留、衛星はどのようにして生まれるか、知っているか」
 夏日先生の赤い瞳が横目使いでこちらに向いたので、私は背筋がゾクッとする。
「き、聞いた話ですけど、彷徨の民を相手に星結いをすると恒光石は衛星に生まれ変わる、って……」
 恐る恐る答えると、夏日先生はやや自嘲気味な笑いを含んで頷く。
「正解だ。我々としては恥ずかしい限りの話だが、意外と知れ渡っているのでバツが悪い」
「そんなことないです。先生方は魅力的な人ばかりなので、あ……」
 その時、私は心にある疑問が浮かんだ。
 齢四十五億年と言われる彷徨の民。人類が誕生し、知性を有し文明を築くようになってから数千年が経つというのに。夏日先生は衛星を僅か二つ。明らかに少ないような気がしてならない。
 そんな私の心の内を見透かしてか、夏日先生は口を開いた。
「そういう事だ、酒留。我々は星結いを受けそうになる直前に、その場から姿を眩ませるよう決めている」
 夏日先生が衛星の一つを掴まえると、フォボスと呼ばれた星はくすぐったそうにスルスルと手から逃れていく。
「それは長いこと人間と交わっていれば言い寄られたり口説かれたり、愛の告白を受けることもある。我々としてもそれを疎もうともしないし、禁じてもいなかった。やはり誰かに好かれれば我々だって嬉しいし、擬似的にでも人間の一部になれるということは、耐え難い喜びでもあった。しかし、星結いだけは駄目だ。あれは人間達だけに許された行為であり、我々が介入してはならないものなのだ」
「何で、ですか? その、先生方を好きになった人達で星結いの作法を会得してれば、誰でも望むと思います。それが好きな人の傍に居続けられる衛星になるとすれば、尚更……」
「酒留、一般的に夜空の星を何と呼ぶ?」
「恒星、ですか?」
「そうだ。たとえ十等級の輝きしかない星でも何百光年先に太陽と同じ規模の、それ以上の恒星が存在するのだ。お前達、人間はそれを打ち上げているのだぞ。我々惑星には計り知れない驚異なのだ。そんな貴重な星を衛星という小さな星で終わらせてはならない。我々の引力が宇宙を構成する重要な機会を阻んではならないのだ」
 夏日先生の言葉が重々しく私の肩にのし掛かる。
 今までさほど考えたことはなかったけど、私達が恒光石を打ち上げるということは、星を一つ誕生させるということ。つまり何光年先にある銀河で太陽を創造するのと同じなのだ。
「そんなこと、考えたこともなかったです。でも、先生方へ星結いをした人達の思いは、星の形態や大きさとは関係ないじゃないですか? 夏日先生に星結いをした人だって、本当に先生のことが好きだったから、惑星とか衛星とか関係なく星結いをしたんだと思います」
 私の言葉に少し目を丸くした夏日先生は、次にのんびりと頬を緩めた。
「酒田は本当に、素直で優しい人だな」
「だから先生、私は酒留です」
「あぁ、すまない。昔、似たような名前の知り合いがいたものでな。だからこそ、我々はそんな人間達と共存することを望むのだ。人間は時に奪い傷付け合う愚行に走ることもあるがな、その裏には純粋で切実な魂を隠し持っている。我々はそんな人間を慕い敬い、尊く思う。
その中でも星結いは、思いを伝え合う最高の作法ではないか。己の秘めた気持ちを、渾身の勇気を持って打ち上げる。そこに見栄も恐れも欺瞞もない。ただ相手を思う愛情の一点のみ。そんな人間達が行う神聖な星結いという、夜空に星で線を描く行為を手助けすることに我々は、この上ない喜びを感じずにはいられないのだ」
 そして夏日先生は衛星の一つを軽く指で弾き、私に赤い目を向ける。
「それが我々にとっての『星乞い』なのだ」
 無駄話、といった夏日先生の気持ちが何となくわかった気がする。
 本来なら表立って星結いの推奨は禁じているけど、先生は言葉の陰で私を応援してくれているのだ。星結いは星座を生み出すだけでなく、行為そのものに意義があるのだ、と。その一言を、オブラードに包み私へ伝えてくれたのだ。
 悲しみでカラになっていた心の底に、小さな力が芽生えた。
「先生、ありがとうございました」
 私は夏日先生へペコリと頭を下げる。すると夏日先生はしれっと顔を澄ます。
「なんの事かな。私は無駄話をしただけだが?」
 そして私と夏日先生は顔を見合わせ、クスクスとしのび笑った。


更新日 9月1日


 夏日先生の周りを決まった速度で旋回する二つの衛星をぼんやりと眺める。時々、夏日先生が指で進路を邪魔したり息を吹きかけたりするとチカチカ瞬いて反発するが、すぐにまた先生のそばにじゃれついていく。そんな可愛らしい仕草が私の中のあの子に似ていた。
「なんだか衛星って、恒光石の動きに似ていますね」
「は? 恒光石だと」
 不思議そうに首を傾げる夏日先生。私にはそう見えるけど、先生はそう感じないのかな。
「似ていませんか? 淡く光を点滅させたり、宙を舞ったり。恒光石って、こんな特徴もあったんですね」
 その途端、眉間に皺を寄せた夏日先生は私にズイッと近寄る。先生の剣幕に押されて、私は二、三歩後ずさった。
「どういうことだ、酒留。何故、恒光石が宙に浮く? 説明しろ」
「せ、説明も何も。私が持っている恒光石の一つが、この子達みたいに宙を舞うんです。他の人の恒光石もこんな風に飛ぶんですよね?」
「いや、そんな話は聞いたことがない」
 ばっさりと否定されて唖然とする私をよそに、夏日先生は険しい顔をして考え込んでしまった。
 私はてっきり、みんなの恒光石も元気がいい子だったら宙を飛び回るものだとばかり思っていた。だって星になるくらいなら多少は浮いても不思議はないと思っていたもの。でも先生があれだけ驚くということは、よっぽどらしい。
どういうこと? この子は一体何者?
 いつも私を励ましてくれたはずの恒光石が、一気に得体の知れない存在へなってしまった。
 夏日先生を見ると、腕を組んでブツブツと独り言を口にしていた。
「いや、あり得ん。そんな事例は聞いたことが……いや、何かの文献で、違う、確か朔張に聞いた……。あぁ、昔のこと過ぎて思い出せん。……ん! 宙に浮く恒光石! そうだ、あれは確か、みなみの……」
 何かを思い出した夏日先生は、ゆっくりと私に視線を戻す。真紅の双眸に睨まれ、私は自然と身がすくんだ。
「あの、先生。私の恒光石って、変ですか?」
 怯えながら尋ねる私に、夏日先生は一言一言を選ぶように答える。
「いや、変ではない。過去にもそういう恒光石を持った人間はいた。お前に害をもたらす危険性はないから、安心しろ」
 それだけを聞くとまずは気が安らいだが、懸念はぬぐいきれていない。
「じゃあ、この子は一体?」
「それは、私の口からは言うことが出来ない。おっと、もうこんな時間か。長居し過ぎたな。酒留もそろそろ帰った方がいい」
 急によそよそしくなった夏日先生は口早にそう告げると、衛星をしまい立ち上がった。戸惑う私に背を向け教室から出て行こうとして、夏日先生はピタリと足を止めた。
「……酒留、さっき私が言った無駄話を覚えているか」
「は、はい」
「そうか……」
 そして夏日先生は振り向きもせず、最後に一言だけ残して去っていった。

「頑張ってみろ」

 夏日先生の遠ざかる足音と反比例して、私の鼓動は徐々に高まっていった。人間の星結いに口出ししないはずの彷徨の民が、確かに私へエールを送った。それはきっと、何か特別な意味を含んでいるに違いない。
 行き場を失い、さ迷っていたほうき星は、火星の加護に導かれ地球引力圏内に軌道を乗せる。私の中で停滞していた運命という名の星も、ゆっくりと巡りだした。
 私は通学鞄を掴むと勇んで教室を後にする。あれだけ空っぽだった心が、今は一つの決意で溢れていた。
 鎌田君に星結いをしよう。
 たとえ星が散る運命だと分かっていても、もう動き出した気持ちを軌道修正することは出来ない。
 この思いは止められない。

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08:42  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'08.24 (Tue)

私の星乞譚。 第十二章


 外へ飛び出すと私は真っ直ぐに鎌田君の家へと駆け出した。
 走る度にシャーベット状の雪が跳ね上がりパジャマの裾を汚す。何度も足を取られそうになりながらも、私は懸命に走り続けた。
 鎌田君の家まで走れば、ものの一分も掛からずに着く。
 大きな門構えの、ともえちゃんの家を過ぎ、角にある公園を曲がれば目指す場所はすぐだ。昨年、ヒジテツ君から星結いを受けた公園を後目にカーブを曲がろうとした時、私は思わず足を止める。
 そして近くにある電柱に身を隠した。
 公園内のブランコの隣にベンチが二つある。その手前側のベンチに見覚えがある人影が座っていた。鎌田君だった。
 制服の上にコートを羽織り、学校から帰って着替えてそのままといった服装で、がっくりと肩を落とし力無く腰掛けている。きっと帰宅してお父さんがいないことを知り、心当たりがある場所を手あたり次第に探したのだろう。
 足元はぐっちょりと湿った雪が滲んでいた。彼はもうお父さんから裏切られたことを知ってしまったのだろう。双眸は空虚を写し、頬には一筋の涙の跡がくっきりと残っていた。絶望感が彼の全身を覆って、見るもの全てに深い悲しみを与える。
 私は泣き出しそうなほど胸の痛みに締め付けられながらも、彼に歩み寄ろうと電柱から身を離す。しかし、あることに気付き二の足を踏んだ。
 ベンチに座りうなだれる彼の隣に、もう一人誰かが座っていた。電柱のそばから見た角度では、ちょうど良く鎌田君の陰になっていたので気付かなかった。一体誰が隣にいるのかと気になり立ち位置を変えてみたけど、如何せん暗くてよく見えない。
 もう少し近付いてみようかと思案していると、その人物が鎌田君の目の前へ立ち上がった。公園の水銀灯の明かりが、その人を照らす。私は驚愕に息を飲んだ。
 鎌田君と一緒にいたのは、ともえちゃんだった。

 何故、ともえちゃんがこんなときに、こんな場所で、鎌田君と二人でいるの?
 私は驚きのあまり頭がパニックになったけど、冷静に思い返してみる。ともえちゃんだって鎌田君と幼なじみだし、家だって数十メートルだけど私より近所だ。それに鎌田君のお父さんは大山家に借金をしていたし、そういう情報は私よりも早いはず。きっと、ともえちゃんが鎌田君にお父さんのことを話したのかもしれない。いや、むしろあの様子だと、今のいまその話をしているのではないのか。
 ともえちゃんと鎌田君が一緒にいて、別段不思議なことなどないはずだ。それなのに、私は背中をザラッと撫でられた不気味な予感がした。胸のざわめきが収まらず、ただその場に立ち尽くした私に気付くわけもなく、ともえちゃんは鎌田君に何か話し掛けている。
 ここからだと何を話しているのか全く聞こえない。その時、それまで頭を垂れていた鎌田君がゆっくりと顔を上げた。泣き腫らして真っ赤になった目を丸くして、ともえちゃんと見つめ合う。
 そして次の瞬間、ともえちゃんの右手が淡く青白い光を放った。
 その光が何を意味するのか、分かっている。分かっているけど、何が起きようとしているか、さっぱり理解出来ない。
 心臓がこれまでにないほどの勢いでバクバクと鼓動する。私は息をするのも忘れて、目の前の光景に見入った。
 ともえちゃんの口元が小さく動いた瞬間、手のひらに置かれた光の粒が途端に膨張し、漆黒の夜空へと解き放たれる。その一つを皮切りに、ともえちゃんが何かを呟く度に光は強烈な輝きを放ち、夜空目掛けて飛んでいった。
 私は過去に二度、これと同じ光景を目にしている。
 一度目は入学式の日。体育館の大きなスクリーンで上映された講義で……。
 そして二度目は、ついこの前。この場所で、私に向かいヒジテツ君が……。
 見間違うわけもなく、疑う余地もない。
 それは紛れもなく、星結いだった。

更新日 8月25日

 ともえちゃんは合計で五つの恒光石を打ち上げると、おもむろに鎌田君の前にしゃがみ込む。そして微動だにしない彼の頬に、自分の手を合わせた。
 トラックに衝突されたような衝撃が胸を襲う。何かを叫びたいのに言葉は喉の奥でかき消え、膝はガクガクと震える。
 だめ……ともえちゃん。何をしようとしているの? その人は、鎌田君だよ……? 私の……ずっと、好きだった人だよ?
 ふと気配を感じたのか、ともえちゃんが視線をこちらに向けた。そして目をカッと大きく見開き、次に泣きそうな悲痛の表情になる。
 聡明な眉毛をへの字に曲げ下唇を噛んだ顔は、私が今まで見たことがない、ともえちゃんの表情だった。ほんの数瞬だけ見つめ合った後、ともえちゃんはソッと瞳を閉じて何かを呟いた。私にはその唇が、こう言ったように感じた。
 ……ご・め・ん・ね。
 そしてともえちゃんは瞳を閉じたまま、その潤んだ唇を鎌田君の唇に重ね合わせた。鎌田君は拒む素振りもなく、ともえちゃんの口付けを受け入れる。
 しばらくキスをする二人を見つめていた私は、もう居ても立ってもいられずにその場から走り去った。

 もう何が何だか分からず、頭と心の中は絵の具をぶちまけたパレットのようにグチャグチャになっていた。何か考えようにも何を考えればよいのか分からず、ただ闇雲に足だけを動かす。
 その時に足を滑らせた私は、黒ずんだベチョベチョの雪の上へ、間抜けにも転んでしまった。お腹から顔まで冷たい水分を含んだ雪で汚れる。
 惨めで情けない姿だけど、不思議なことに悲しくはなかった。それに転んだというのに体はどこにも痛みは感じず、手や顔は冷たいとも感じない。
 コートについた雪を払って立ち上がる。体がもの凄く軽いと思った。軽いというよりは、中身が何もない空洞のようで、あれだけゴチャゴチャしていた頭の中も、キレイさっぱり何もなくなっていた。何も感じない。何も考えられない。何も溜まらない。私の体はカラッポになってしまった。
 ボーっと辺りを見渡した視界の隅に、ぼんやりと漂う光が目に入った。
 いつの間に巾着袋から飛び出したのか、恒光石がチカチカと瞬きながら私の周りを旋回している。きっとこの子なりに私を励ましてくれているのだろう。
 私は空虚になった頭でのんびりと思い、その恒光石に乾いた微笑みを向ける。するとその子はますます光を強め、私の周りを飛び回る。
「ごめんね。本当はあなたをちゃんと星座にしてあげたかったけど、叶わなくなっちゃった。ごめんね」
 そう呟くと恒光石は徐々にスピードを落とし、弱々しく点滅をすると、私の胸元へ帰っていった。私は泥にまみれた体を引きずって、とぼとぼ家に戻る。
 家の前には心配そうな顔をしたお母さんが、道路に出て私の帰りを待っていた。私に気付くと駆け寄ってくるお母さん。泥だらけの私を見て悲しそうに顔を歪める。
「ごめんね、心恵。本当にごめんね。お母さんもお父さんも、あなたの気持ちを全然考えていなかったわ。今日はもう遅いから、ゆっくり寝ましょう? そして明日また、お父さんとじっくり話し合いましょう」
 私の肩をギュッと抱き留めながら言うお母さんに、私はしっかりと告げる。
「もう、いいの。全部終わったの。終わったことなんだよ、お母さん」
 果たしてお母さんが私の言葉をどんなふうに受け取ったか、分からない。けれどお母さんは私を力強く抱き締め、嗚咽を漏らした。
 私はお母さんの背中をトントンと叩きながら、カラッポになった体で自宅に戻った。

 その夜、冬の夜空に新たな星座が誕生した。
 八つの星で構成されたその星座の名前は『やまねこ座』。
 ともえちゃんの恒光石は五つ。鎌田君の恒光石は三つ。

08:39  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'08.17 (Tue)

私の星乞譚。 第十一章

 季節はあっという間に秋も追い越し冬を迎え、一緒に年も越えた。
 年末から大きく降り積もった雪は、今はようやく収まり始めて粉雪を散らすくらいになった。それでもぬかるみに足をとられる歩道の雪は煩わしく、常に下を向いていないと、いつ転んでしまうかハラハラする。
 年が明けて短い冬休みが終わり、学校は三学期へと突入していた。来週に期末テストを控えた二月の半ば、私は鎌田君と一緒に下校をしている。
 二人とも足元に注意を払い、下を向いたままという滑稽な帰宅姿だけど、こうして鎌田君と肩を並べて歩けるだけで嬉しい。
「酒留、勉強ははかどっている?」
 俯きながら尋ねる鎌田君に、私も顔を上げずに答える。
「うん。部屋が寒くて布団の中に早く入っちゃいそうになるけど、どうにか。鎌田君は?」
「俺もどうにか頑張っている。ただ、夏日先生の授業が急に難しくなった気がして戸惑っている。アラビア語はどうにか語呂覚えで大丈夫だったけど、ギリシャ語がちょっと……」
「私も。今回はかなり頑張らないと赤点取っちゃうかも」
「じゃあ、また試験前だけ一緒に勉強する?」
 私の心に鎌田君の言葉が温かく滑り込んできた。気持ちと一緒に凍えそうな頬もすぐに溶ける。
「……うん。する」

 二学期の期末テストの前日。私は鎌田君の家で、二人きりで試験勉強をしたのだ。
 それはちょうど店番をしていた時、またいつものように買い物に来た鎌田君と学校やテストの話になった。そしてかねてから誘おうか誘わないか迷っていたけど、勇気を出して言ってみたのである。
 一緒に勉強しない? と。
 すると鎌田君は全然嫌な顔をせずに二つ返事で了承した。
 もう、天にも昇りそうな気分だった。上擦りそうな声をなんとか鎮め、勉強をする日にちと時間を口早に確認する。そして鎌田君が店から去った後、私は喜びのあまり、番台に顔を突っ伏してプルプルと震えていた。

「やっぱり、勉強は二人でやった方が効率良いもんね。自分だけだと分からない問題にぶつかると行き詰まっちゃうし」
 照れ隠しをするみたいに、私は意味もなく言い訳を口にする。
 素直に「一緒に勉強が出来て嬉しい」と言えればどれほど良いかと思ってしまうけど、言ってしまった後の自分にまだ自信が持てないから、今はまだこのくらいで丁度いい。
「うん。俺が苦手な教科は酒留が得意だから、すごく助かっている。また今回も星乞譚で出そうなヤマ、期待しているな」
「うん。明天先生攻略なら任せてよ」
 鎌田君はきっと知らないのだろうな。もっと頼りにされるように、彼が苦手な教科だけ力を入れて勉強していることを。
「じゃあ、いつにしようか。酒留は近々予定が入っている日はある?」
「うぅん、特にない。ともえちゃんともテストが終わるまでは遊びは禁止って決めているし」
 もっとも、たとえ予定が入っていようとも全部キャンセルするけど。
「そうか。もしアレなら、大山も一緒に勉強へ誘おうか?」
「え、えぇ? ともえちゃんは、ほら、あれだよ。一人で勉強する方が合っているって言っていたし」
 私はギョッとしながら慌てて適当な言い訳を見繕う。きっと仲間内の調和を気にかける鎌田君の事だから他意なく言ったのだろうけど、ほんの少しでいいから、こう……私の気持ちも汲んでくれればと身勝手ながら思う。
「そうなのか。だよな、だから俺がこんな風に酒留と一緒に勉強が出来るもんな」
 本当に、他意なく言っているんだと思う。
 でもそんな微かな一言が、私の胸を悪戯に熱くすることに、この人はいつになったら気がつくのだろうか。

「そういえば、お父さんとの生活はどう?」
 もうちょっと鎌田君の嬉しい言葉を聞きたかったけど、これ以上は舞い上がってとんでもない墓穴を掘りそうな予感がしたので、私は敢えて話題を変えた。
「うん。結構、普通」
 そう言いながらも、鎌田君は至極嬉しそうに頬を緩めた。
 先週から鎌田君のお父さんは家に戻っている。
 いつもなら家に寄りつかず、すぐに鎌田君一人を置いて放浪してしまうお父さんだけど、今度は長く居るらしく、これからはずっと居住するらしい。
 前回の勉強会は鎌田君が気を遣って私を家に招いてくれた。その際に私は初めてライオンの巣穴をこの目で見たのである。家の中は一人暮らしの割にきちんと整頓されていて、むしろ男性にしては小綺麗に過ぎるほどだった。
 でもそれが、逆に彼の孤独を色濃く匂わせているようにも感じたけど、そんな巣穴に、親ライオンが戻ってきたのだ。
 鎌田君の、仔獅子の長く辛い試練は終結を迎えたかのように感じて、私も泣いてしまいそうなくらいの安堵感に包まれた。
「実は私、鎌田君のお父さんとまだ一度も会ったことがないの。今度、お店に来るかな?」
「お父さん、お酒は飲まないから酒留の店に行くかどうか分からないな」
 お父さん、と呼ぶのに慣れていないのか、鎌田君は若干口ごもる。照れを隠すように口元を押さえる仕草が可愛らしい。
「そうなんだ。うちのお父さんとは大違い。お酒を飲まない日なんて無いんだよ。でも会いたいな、鎌田君のお父さん」
「じゃあ今度、一緒に買い物へ行くよ」
「鎌田君と顔、似ている?」
「どうだろ。あんまり言われたことないけど、俺は似ていると思う。酒留には、どう見えるかな」
 そしてまた手を口元に持っていき、無理矢理に照れ笑いを隠す。彼の珍しく本心から嬉しそうな様子は隠しきれないみたいだ。
「鎌田君のお父さんって、もともとは何をしている人なの?」
「うんとね、写真家だったり画家だったりとにかく芸術関係が好きな人でね。今は彫刻をしていて、それが都会の方であったコンクールに受賞して小さなスポンサーが付くらしいんだ。だからその資金を元に、今の家をアトリエにするんだって」
 なるほど。それでこれからは一緒の家に住めるという話になったわけだ。
 放浪癖のお父さんといえども実家をアトリエにするということは、自宅を職場にするのと同じ。酒屋を経営しているうちのお父さんと似たようなものだろう。
「ただ、それだけの資金では元手が足りなくて、大山の呉服屋からお金を借りなきゃいけないらしいんだけどね。でも遅くても今年の夏頃には自宅を改装する工事に入るんじゃないかな」
 まさに順風満帆だった。
 心なしか鎌田君の口調も弾んでいるように感じる。それも当然だろう。今まで嫌というほど孤独な夜を噛み締めたのだ。これからは精一杯、お父さんとの時間を満喫して欲しい。

 足元ばかり見ていたので気がつかなかったけど、既に家の近くまで来ていた。私は少し残念に感じながらも、うちへ通じる小路を曲がる。
「じゃあ酒留、勉強会は今週の土曜日でいいかな」
 せっかくの鎌田君との約束を忘れるところだった。私はコクコクと頷き口を開く。
「うん。土曜日は午前中で学校終わるもんね。お昼ご飯を食べたら行くよ」
「あぁ、待っている。それじゃあ、バイバイ」
 軽く手を振ると弾む足取りで帰路に着く鎌田君。私はそんな彼の後ろ姿を見送りながら、あることを考えていた。
 このまま鎌田君が順調にお父さんとの生活を送れば、精神的にも余裕が生まれるだろう。そしたら、頃合いを見計らって彼に星結いをしよう。
 別に以前の彼では余裕がなさそうだから星結いをしなかったとかじゃなく、ただなんとなく、そのタイミングが一番良さそうだと思ったからだ。
 鎌田君が私のことをどう思っているか、知らない。
 もちろん彼の星はどこに向いているかも、知らない。
 それでも最近は彼の側にいると、気持ちを伝えたい衝動にかられてしまう。この破裂しそうな思いを持て余してしまうのだ。
 正直いってしまえば振られるのは恐いけど、万が一の可能性に賭けてみたい。
 鎌田君に星結いをしよう。
 そんなことを考えながら、私も自然と早まる足を帰路に向けた。時々、頭の中で鎌田君に伝える言葉をシミュレーションしながら。

 家の玄関でもある酒屋の扉を開けて「ただいま」と呼び掛ける。いつも番台にムッスリとした顔で座っているお父さんが、何故だか今日はいなかった。
 私は小首を傾げる。
 態度は悪いけど生真面目なお父さんは、たとえ風邪をこじらせようとも店番をサボるようなことは決してしない。立ち上がれないほどかなり体調が悪い日や、仕入れで店にいない時はお母さんが替わりに番台に座るけど、それもよっぽどない事だ。
 番台を抜けて母家に入ると、居間でお母さんがいた。
 テレビを付けるわけでもなく、湯呑みを両手で握り締めてボーっとしている。まだ夕飯の支度に取り掛かるには早い時間かもしれないけど、それでも何だか様子が変だ。
 私はおずおずとお母さんに「ただいま」と呼び掛ける。するとお母さんはハッとして顔を上げた。
「なに、心恵。あんた、いつ帰ってきたのよ」
「いつ、って……たった今だよ。何言っているの、お母さん」
「あぁ、そうね。もうこんな時間なのね。さて、お母さんはそろそろ晩ご飯でも作ろうかしら」
 するとお母さんは急に立ち上がり、いそいそと台所に向かう。
 やっぱり何かおかしい。微笑んだお母さんが何だか嘘っぽく、取り繕ったような笑顔に見えた。
「ねぇ、お母さん。お父さんはどこに行ったの?」
 私の問い掛けに一瞬だけ肩をピクリとすくめたお母さんは、こちらを振り向かないまま答える。
「……お父さんはね、大山さん家に行っているわ」
「ともえちゃんの家? なんでまた。町内会の集まり?」
「さぁ。たぶん、そんなところじゃないかしら。詳しい話はお母さん、わからないわ」
 まぁ、ご近所だからお父さんが大山家に出向くのも無いことはないけど。それでも店番をほっぽりだしてまで居なくなるなんて妙だ。
「お母さん、店番は?」
 思い出したかのようにお母さんは言う。
「あぁ、そういえば。すっかり忘れていたわ。心恵、悪いけどお父さんが帰ってくるまで座っていてくれる?」
 お母さんも店の事を忘れているなんて、やっぱり妙だ。

 お母さんの言い付けとおり店番をしていると、一時間もしないうちにお父さんが帰ってきた。でもその表情は普段以上にしかめていて、声を掛けづらいくらいピリピリ張り詰めている。おかえり、と言った私を見向きもせず、お父さんは番台をすり抜けて母家の方に行ってしまった。
 なんだか、ザワザワと不穏な胸騒ぎが止まらない。さっきまで鎌田君と楽しくお喋りをした帰り道にホカホカに温まった心が、今はすっかり冷めてしまっている。
 清々しいほど明るい月夜が、西の空から流れてきた薄い雲で朧気に陰っていった、そんな気分だった。

 日が落ちて街は黄昏色に染まる頃、母家から夕飯へ呼ぶ声が届く。私は少し凍えた足をさすりながら立ち上がった。
 夕飯を囲むちゃぶ台では、お父さんはビールをチビチビ飲みながら野球中継を見ていて普段とおりだけど、お母さんは憂いげに黙々と箸を動かしていた。
 空気が重い。
 私は夕飯を手早く済ませてしまい、お風呂に入る。落ち着かない気持ちを、早く温かい湯船の中に溶かしてしまいたかった。
 お風呂から上がり髪をドライヤーで乾かしながらとかす。湯船に浸かって幾分気持ちがゆったりとした。湯気で曇った鏡台を手で拭う。居間に戻ったらお父さんへ何があったのか聞いてみよう。たぶん答えてくれなさそうな気がするけど、モヤモヤした今の気持ちでいるよりはマシだ。
 パジャマに着替えて浴室のドアを開けた時、少し離れた居間からお父さんとお母さんの話し声が聞こえてきた。
ともえちゃんの家とは違い、さほど広くなく部屋を間仕切る壁も薄い家だ。多少、大きな声を上げれば二階にある私の部屋まで話が筒抜けになる。
 お父さんが口を開けているのも珍しいけど、さらに声を張り上げているなんておかしい。お母さんもそれに負けず劣らず大きな声で話している。
 その時、お父さんの言葉が耳をついた。
「結局は借金に縛られる生活になるしか、ねえだろうよ」
 私はギョッと身をすくめる。借金って、一体なに? うちの経営って、そんなに悪かったの?
 私は顔から血の気が引くのを感じつつ、足を忍ばせて居間に向かった。本当ならば、まだ子供な私が聞いてはいけない話だと思う。それでも、自分の生活に降りかかるかもしれない話となれば、聞かずにはいられなかった。

「じゃあお父さん、大山さんの話だと借金っていうのは嘘だったの?」
「違う。借金した、ってのは本当だ。ただ資金って話が嘘だった」
「なんでまた、そんな嘘を……」
「大山を信用させたかったからだろ。だがな、呉服屋もそこまで馬鹿じゃねえ。ちょっと調べてみたら野郎のでっち上げだって分かったんだ。野郎、何度も大山から無心しているからな」
「そんな、そこまでして……」
「あいつはそういう奴だ。結局はてめえの事しか考えちゃいねえんだよ」
 ……なんだか様子がおかしい。
 話から察するに我が家が借金を背負っているわけではなさそうだ。じゃあ、お父さんとお母さんは誰の話をしている?
 その時、心の隅にあった記憶に何かが引っかかった。
 大山家に借金をした人……お父さんが毛嫌いする人……。
「それで、そのこさえた借金はどうするの? 返す当てはあるっていうの?」
「ねえに決まってんだろ。そもそも奴が一度だって大山に借りた金を返した時があるかい」
「じゃあ、大山さんはどうする気なの」
「辛い話だが、坊主に払わせるしかねえだとよ。その代わり金利は無しで期限も無しっていうのが大山の出来るギリギリの譲歩だ」
「まだ高校生だっていうのに、可哀想。こないだ道ですれ違った時に、これからはお父さんと一緒に暮らせるって嬉しそうに言っていたのに……」
 勢い良く扉を開けた私を一斉に振り向くお父さんとお母さん。仏頂面のお父さんが、今だけは大きく目を見開いていた。
「ねえ、どういうこと? 今の話、鎌田君のことだよね。……ねえ、どういうことよ」
 私の唇がワナワナと震えていた。
 お父さんは苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、お母さんは青ざめた表情のまま俯く。何も答えない二人に、私はもう一度問いただす。
「ねえ、どういうことよ。鎌田君、お父さんと一緒に暮らすんじゃなかったの? 今の家をアトリエに改装するんじゃなかったの? 彫刻のコンクールで受賞してまとまったお金が出来たって。ねえ、どこまでが本当の話なの?」
「全部、嘘っぱちだったんだ!」
 私の言葉をぶっつりと切るようにお父さんは怒号を上げたので、私は身をすくめた。その横でお母さんは小さく呻くと、前掛けで目元を押さえる。
「そんな話は全部、奴のデタラメだったんだ! 大山や坊主を信用させて、てめえは金だけ手に入れてさっさと蒸発しやがった! もう二度とこの町には帰ってこねえよ! 坊主にすべてを押し付けて、いなくなったんだよ!」
 その絶望的な話に耐えきれず、私はがくりと膝を折る。そして頭に浮かんできたのは、お父さんの話を嬉しそうにする鎌田君の顔だった。
 照れ笑いでニヤける口元を手で隠したり、ためらいながらお父さん、と呼んだあの鎌田君。
 そんな僅かな希望が、跡形もなく砕け散ってしまった。
 俺はあのライオンみたいなものなんだ……動物園で寂しそうに鎌田君はそう呟いた。
 あの時の胸が潰れそうなくらい悲しげな表情を忘れられない。それでも彼は懸命に、いつか平穏な暮らしが送れることを夢見て、どんなに辛くても歯を食いしばって耐えてきたんだ。
 それなのに……。
 私は立ち上がると、ほぼ無意識に居間の壁に掛けてあったダッフルコートへ手を伸ばす。そして素早くコートを羽織ろうとした手を、お父さんから掴まえられた。
「どこに、行く気だ」
「どこって。鎌田君のところよ」
「駄目だ」
「なんでよ。お父さんには関係ないじゃない」
「駄目だ!」
 大声で怒鳴りつけるお父さんに気圧されて、たじろぐ。でもすぐに反抗的な気持ちがむくりと首をもたげた。
「なんで駄目なのよ! だって鎌田君は今、すごく傷付いていると思う! 私が行って慰めになるとは思わないけど、でも行かなきゃ駄目なの!」
「駄目だ! 行っちゃならねえ!」
「なんでよ! なんでお父さんにそんなことを言われなきゃならないの? 関係ないじゃない!」
「どこの世界に好きこのんで、てめえの娘をライオンの巣穴へ嫁に出させる親がいる!」
 えっ、と息を着く暇もなく、お父さんは乱暴に私を突き倒した。
 茫然と見上げたお父さんの顔は般若のように怒りを露わにしていたけど、何故か寂しそうにも見える。

更新日 8月23日

「てめえが鎌田の坊主に惚れているのは、ずっと前から知っていたぜ。あいつが買い物に来る頃を見計らって店番に着こうとするし、番台で坊主とニヤニヤ話し込んでいたからな。あの坊主だってそうだ。お前が店番をしてそうな頃だけ店に顔を出しやがる」
 お父さんには全部見抜かれていたんだ。でもその事実は不思議にも、私を赤くも青くもせず、淡々と心の中に滑り落ちていくだけだった。
「俺はそのことを咎めもしなかったし、気にもしなかったつもりだ。だがな、あの坊主と一緒になるのだけは許さねえ! これを機会に坊主とは距離を置け! 間違っても星結いなんてするんじゃねえぞ!」
「な、なんでそんなこと……。なんで、駄目なのよ……」
「さっき聞いていただろ。あの坊主は若い身空で既に借金持ちだ。しかも頼る身内もねえ。そんなところに喜んで嫁がせる親がいると思うか」
「でも、だってお父さん。お父さんは鎌田君のことをよく面倒見ていたじゃない。お菓子とか、醤油とか……くれていたじゃない」
「あんなは単なる憐れみだ。同情に決まっているだろ。可愛がっても、娘まで差し出す義理はねえ」
 ハラハラと涙が零れ落ちた。
 てっきり私は、お父さんは鎌田君に対して好意的な印象を抱いているものだと思い込んでいた。
 そんなに遠くない未来、もしも鎌田君と星結いが出来たら、改めてお父さんへお互いのことを紹介するのだろう、と。そしてお父さんは相変わらずムッスリと憎まれ口を一つ二つ言いがらも、私達のことを認めてくれるだろう、と。
 でもそんな儚い妄想さえも、辛辣な事実は嘲笑うかのように奪い去っていった。今まで私が見ていた世界は情けないほど狭く、恥ずかしいほど稚拙なもので構成されていたのだと思い知らされた。
「分かっただろ、心恵。間違っても星結いなんてするんじゃねえぞ。あの坊主とお前が繋がっちまったら、たまったもんじゃねえ。
 そもそも星結いなんて聞こえはいいがな、自分の尻を自分で拭けない小便臭い若造がてめえを一生縛る鎖なんだ。一度繋がってみろ。たとえ相手を嫌いになっても憎くなっても絶対離れられねえ。あんなもん呪いだ、呪い」
 お父さんの言葉が追い討ちをかけ、私はずたぼろに崩れ落ちる。そんな私を気の毒に思ってか、お母さんが涙で目を真っ赤にしながらお父さんに、そのへんにして上げて、と訴える。
 同じ女としてお母さんも心苦しいのだろう。娘が初めて人を好きになった思いを、こんな形で否定しなければならないのだ。
 私だって分かっている。夢はいつまでも砂糖菓子のように甘いものじゃなく、氷のように時間が経つにつれ、溶けてなくなってしまうものだと。
 私はまだ何も知らない子供だけど、そこまで子供じゃない。彼を思い続けていれば、どんな辛い未来が待っているかを予想出来ないほど、馬鹿じゃない。
 でも、それでも……。

 私はのろのろ立ち上がり、涙でクシャクシャになった瞳を拭う。そしてお父さんを真っ直ぐ見据えた。
「それでも私は、鎌田君の星になりたい」
 この思いは、止められない。
 その瞬間、お父さんの平手が勢い良く私の頬をぶった。再び倒れ込む私に、お母さんが叫び声を上げて覆い被さる。
「お父さんやめて! この子は女の子なのよ! 心恵もこれ以上は諦めて! お父さんとお母さんの気持ちも分かって!」
 ジンジンと痛む左頬に、耳をつんざくお母さんの泣き喚く声。
 お父さんにぶたれたのは生まれて初めてだった。
 それでも私の高ぶった心はショックを受ける間もなく、この小さな体を奮い立たせる。仁王立ちするお父さんから守るように私を抱きすくめるお母さんを跳ね飛ばす。
 そしてダッフルコートを掴んだ私はお父さんの制止を振り切って、一目散に玄関へ向かった。
 酒屋の番台を抜けて店の戸を開くと外に飛び出す。背後からはお父さんの怒号とお母さんの泣き叫ぶ声が聞こえてきたが、すぐにスッと遠くなっていった。

06:24  |  星乞譚  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2010'08.13 (Fri)

私の星乞譚。 第十章


 公園から一目散に走り出し、うちの近くまで来たところで私は膝を折り、うずくまった。急に全力疾走したからか、脚はガクガクで呼吸が乱れる。
 しばらくはそのまま動けずにいたけど、徐々に体調が整ってきて、頭に浮かんだのはさっきの出来事だった。
 ヒジテツ君の真剣な眼差し。私に向けられた切実な愛の言葉。
 その全てが私を痛いくらい苦しめた。
 人を好きになるというのは、こんなにも辛いことなのか。
 つい昨日、ともえちゃんが山崎君に告白された話を聞いた時も同じ感傷を味わった。でもそれはあくまで単なる感傷で、自分が実際に巻き込まれることはないと、対岸の火事くらいにしか思ってなかった。
 それがたった一日を経て、渦中の張本人になるなんて。未だに信じられずにいる。
 でもこの胸の中に芽生えた、焼けるような痛みは本物で、二度と昨日を同じ明日に出来ない悲壮を教えてくれる。
 ヒジテツ君とクラスメートとして他愛ないお喋りをすることも、ちょっぴり背徳感を抱きつつも鎌田君の話を彼から聞き出すことも、明日からは日常の中から無くさなければならないのだ。
 何故、そんな辛く悲しい真実を裏側に潜ませながらも、私達は星を乞わずにはいられないのだろうか。私の星も、いつか鎌田君を無意識に傷付ける時がくるのだろうか。
 分からないけど、とにかく今は内側から溢れ出す痛みに弾けそうな体と心を、力一杯抱き留めるしか出来ない。私の弱気になりたがる気持ちと、懸命に克己する気持ちがせめぎ合って抗う。
 胸元に携えた巾着袋の中では、恒光石達が飛び出したそうに瞬いていたが、私はそれを必死に制した。
 きっとこの子達から励まされれば、以前のように私の心は弾力を取り戻すだろう。でも今だけは、恒光石達に頼らず自分の力だけで乗り越えたい。
 そうでなければ、私はいつまでも弱い、誰かに助けてもらわなきゃ立ち上がれない女の子のままだろうし、なによりあれだけ一生懸命に気持ちを伝えてくれたヒジテツ君に失礼だと思ったからだ。
 私は無理矢理に脚へ力を込めて立ち上がる。
 きっと家では夕飯の準備を終えたお母さんが心配そうに待っているだろう。何気ない顔で、歯を食いしばってでも平静を装うんだ。そして今日、学校であったどうでもいい事をお母さんとお話しするんだ。
 それが本当の強さなのかは分からないけど、きっと鎌田君なら、そうするだろうなと思ったら、自然と気持ちが緩んだ。

 あの告白から三日後、ヒジテツ君はずっと学校を休んでいる。
 明天先生の話では風邪をこじらせたらしいけど、私はそれ以上深く聞けなかった。
 教室ではいつも何をするにも同じ班だった私達も、ヒジテツ君は病欠で、ともえちゃんは山崎君と気まずい関係なので、自然とお互いの間に見えない壁が出来てしまっている。きっと鎌田君も事情を聞いているか、察しているのだろう。妙によそよそしくて口数は少ない。
 あんなに仲良く和気あいあいだったのに、分散してしまうのは一瞬なんだなと思うと、寂寥感が胸をさらっていった。
 その晩、夕飯後に店番をしていると鎌田君が買い物に訪れた。伏し目がちに「いらっしゃいませ」と声を掛けると、鎌田君もややばつが悪そうに弱々しい笑みを浮かべただけだった。
 そしていつもより心持ちゆっくりと店内を回って、商品が入ったカゴを番台に置く。中身は普段買うような日用品や食材ではなく、安いお菓子が二つだけ。果たして鎌田君が本当に食べたくて買ったのか、勘ぐってしまいそうな商品だった。
 私は見るまでもなく値段を知っているお菓子なのに、一つ一つ手にとってはのろのろとレジを打つ。なんだかここを手早く応対してしまっては、ますます気まずくなってしまいそうで嫌だった。
「……百五十円、です」
 私はぼそっと呟く。すると鎌田君は私にも負けないくらいにのんびりとポケットをまさぐって財布を取り出した。財布の小銭入れをあらためながら、鎌田君が口を開く。
「哲也の告白、断ったって?」
 一瞬、私の心臓が大きく鼓動する。だけどすぐに傾き掛けた心を持ち直して、私は真っ直ぐに鎌田君を見た。
「うん。だって私、他に好きな人がいるもん」
 視線を落とした先にある、財布の小銭入れの中で遊んでいた指がピクッと止まる。私は構わずに言葉を続けた。
「その人、同じクラスでいつも一緒にいる人なんだ」
 これはある意味、宣戦布告。
 私の思いが鎌田君を苦しめるかもしれない。背筋を伸ばして立っている事が精一杯な彼の意志を揺るがすかもしれない。
 でも、それでも私は構わない。
 たとえ彼が傷付く可能性があろうとも、恐れずに向き合おうと決めたから。わがままで自分勝手だと蔑まれようとも、私は私の星を乞うと決めたから。
 鎌田君も私の眼差しを真正面から受け止め、しばらく見つめ合った。
 そして鎌田君は一度だけ小さく頷き、私に小銭を差し出す。その手が私の手のひらに、しっかりと触れた。
 熱くなった手のひらの感触に心酔しながら、私も火照りが冷める前に手早くお金をレジから取り出すと、鎌田君の男らしく骨太な手のひらに触れるよう、お釣りを手渡した。
 そのやり取りがどんな意味をはらんでいるか、自分でもよく分からない。ただ、胸元の巾着袋の中にいる恒光石がけたましく呼応していて、うるさかった。


更新日 8月14日


 その晩、私は店番の後すぐにヒジテツ君へ電話をした。
 だいぶ戸惑いながら電話口に出た彼に、私は先日のお詫びを述べる。するとヒジテツ君は小さく笑いながら答えた。
「いや、もともとは俺が悪かったんだ。始めから恋愛相談なんて姑息な事をしないで、酒留にちゃんと正面から向き合うべきだったんだよ。ただ俺、恒光石を無くしちゃったじゃん。だから自分に自信がなくって……」
「うぅん、私の方こそごめんなさい。何も言わずに逃げ出しちゃうなんて。でもね、ヒジテツ君と普通にお話しをしているの、私は楽しかった」
「マジで? そう言ってもらえると本気で嬉しい」
 鼻をすすりながら、本当に嬉しそうに声を弾ませながらヒジテツ君は言った。
「風邪、まだ治らないの?」
「おう。でもだいぶ回復してきたから明後日くらいには学校に行けそう。あの寒空の中、あれから三十分くらいはボーっとしていたから」
「うぅ、ごめんなさい」
「酒留が悪いわけじゃねえって。俺が学ラン一枚で外に出ていたのが悪いんだって」
 そう言った直後、ヒジテツ君は豪快にくしゃみを一つした。
 私は可笑しくてクスクス笑うと、ヒジテツ君もまた鼻をすすりながら笑った。

「酒留は、他に好きな人がいるのか?」
 ひとしきり笑った後、ヒジテツ君が尋ねる。私は笑顔で緩んだ口元をキュッと引き締めた。
「……うん」
「それって、雅士のことか?」
 心臓が一瞬だけチクリと痛んだけど、私は唾を飲み込みハッキリと答える。
「うん」
「そうか、やっぱりな。前からそんな気がしていたんだよ」
 その一言を聞いて、私はシュンと肩を落とす。
「もしかして、私って態度でバレバレかな」
 あの朔張校長に見破られるなら分かるけど、ヒジテツ君にすら言い当てられるのなら、私はよっぽど感情だだ漏れっ子じゃないのか?
「さぁ、どうだろうな。ただ俺の場合はお前をずっと見ていたからな。何となく勘付いただけ」
 若干ホッとしつつも、私は最後に鎌田君の親友であるヒジテツ君に尋ねる。
きっとこれが、私がヒジテツ君からもらえる最後の情報になるだろう。
「鎌田君は、私の気持ちに気付いているかな?」
「それも分からねえ。知ってのとおり、あいつって自分の事は滅多に話さないからな。それに聞いても教えてくれなさそうな気がするし」
 私はそれを聞いて少し安堵した。
 やっぱり孤高な魂を持つ彼の本心に触れるには、生半可な覚悟では駄目らしい。だからこそ彼へと星を向ける度に、私は強くいられるのだ。
「なんなら雅士に探りを入れてやるか? 散々、恋愛相談に乗ってもらったから、今度は俺が協力するぜ」
 そんなヒジテツ君の申し出を丁重にお断りする。確かに願ってもない話だけど、それではヒジテツ君にあまりにも失礼な気がして、請けられなかった。
 私はもう一度きちんとお詫びを告げ、電話を切った。
09:17  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'08.07 (Sat)

私の星乞譚。 第九章

 家に帰ると夕飯の準備をしていたお母さんに呼び止められる。
「心恵、さっき阿部君って男の子から電話があったわよ」
「あぁ、やっぱり。それでヒジテツ君、何て言っていた?」
「また後でかけ直します、って」
 やはり間に合わなかったかと思いながら自分の部屋に入ろうとすると、お母さんが背後からソッと呟いた。
「お父さん、知らない男の子から電話があったから、凄く不機嫌になっているわよ」
 それだけを言い残すと、そそくさと台所へ戻っていく。
 私は部屋の扉を閉めてセーラー服を脱ぎながら、仏頂面で店番をしていたお父さんを思い出した。どうりで普段よりも眉間に寄ったシワの本数が多いと思ったら、そんなことで腹を立てていたのか。私は最近とみに顔をもたげる反抗心がムクリと立ち現れたのを忌々しく感じ、スカートを無造作にベッドへ放り投げた。
 着替えを終えて居間に戻ると、ちょうど良く電話が鳴った。お母さんは私への電話だと知ってか、振り返る気配もない。受話器を耳に当てると、教室で聞き慣れたヒジテツ君の声が聞こえた。
『やっと出た。六時に電話するって言ったのに、なんでいないんだよ』
「ごめんごめん。ともえちゃんと話が盛り上がっちゃって」
『なんだよ。俺なんかより大山の方が大事だって言うのか?』
「当然じゃない」
 声を上げて笑いながら、私は電話の本体を持って階段の隅に移動する。居間にいたままじゃ、お母さんに聞かれて居心地が悪いし、薄い戸を一枚隔てたお店では、お父さんが耳をそばだててそうで落ち着かなかった。
「それで、話ってなぁに?」
『おう。あのさ、女子って部活をやってない男子に、魅力を感じないものか?』
「どうかな。部活やっているとか関係ないんじゃない?」
『酒留はどう思う?』
 一見、自由奔放で周りの目や評判を気にしなさそうなヒジテツ君だけど、意外にも周囲からの印象や見てくれについて非常に気になるようで、何かと私の意見を尋ねてくる。もちろん私はその都度、自分なりのアドバイスを返すが
「確かにスポーツで汗を流す男子はカッコいいと思うけど、だからといって好きになるかどうかはわからないわ。それに部活をしていない方が、放課後は自由にデートを出来て都合がいいんじゃない」
 それはあくまで私個人の意見でしかないから、大して参考にならないと思うんだけど。
『そうか。言われてみれば、部活をやっている奴らって休みの日も暇がなさそうだし。ポイントが高いわけじゃないんだな』
 それに私はヒジテツ君に質問をされる時、決まって鎌田君の姿を思い出して状況をシミュレーションしてしまう。同じ男子でもヒジテツ君と鎌田君では全然違うし、本当に参考になるかどうかは定かでない。
 ヒジテツ君は恋する男子かもしれないけど、私だって密かに恋する乙女なのだ。
 それからヒジテツ君は、男子は髪が短くあるべきか、告白も無しにデートへ誘うのはおかしくないかとか話題にして、私もその都度、親身になって答えたり、時には冗談も交えて語り合った。
 そして話は徐々に逸れていき、いつしか恋愛とは関係のないところへ行き着く。
『そういえば、雅士の親父さんが近々帰ってくるらしいぜ』
「へぇ。そうなんだ」
 私にしてみれば、こっちの方が本題だ。ヒジテツ君には悪いけど、クラスでは最も近い位置にいる彼から鎌田君の情報を仕入れたいがために、相談に乗っているといっても過言ではない。
 私は気取られないように、わざと無関心を装った生返事をする。
『酒留は雅士と近所だから、あいつの家庭のこと知っているよな』
「うん。お父さんとか教えてくれた」
『そっか。雅士のやつ、あぁいう性格だから俺達の前では出さないけどさ、親父さんがいなくて相当寂しいと思うぜ』
 やっぱりヒジテツ君も、鎌田君の抱えた奥深い寂寥感に気付いているのだ。
 テレビの音だけが支配する、さほど広くもない家に取り残された、孤独なライオン。そんな彼を理解してくれる人が私以外にもいることに、勝手ながらも安堵感を覚える。
「そうなんだ。私、実は未だに鎌田君のお父さんを見たことないんだ」
『マジかよ。なんか今度はずっと家で暮らすかもしれないって話だから、お前の店に顔を出すかもな』
 その言葉を聞いて、私は胸に温かい何かが流れ落ちてきたのを感じた。あぁ、これで鎌田君は寂しい思いをしなくて済む、彼の孤独とやるせない哀愁は氷解するのだ、と。
 千尋の谷に突き落とされた獅子の過酷な試練は、終結を迎えるのだ。

『……とめ、酒留? おーい、聞こえているかー』
 いつの間にか自分の世界に入り込んでいたせいで、私は受話器越しに相手をしていたヒジテツ君の存在をすっかり忘れてしまっていた。
「あ、あーごめん。ちょっと呆けていた」
『なんだよ。俺との話なんてどうでもいいってか?』
「うぅん、そんなことないよ。それよりもねヒジテツ君、私なんかに電話しているヒマがあったら、その好きな子に電話すればいいじゃない」
 私は悟られたくないがために、わざと話を逸らす。
「ねぇ、ヒジテツ君。あなたの好きな子って一体誰なの? いい加減、教えてくれたっていいじゃない」
 実はこんなに親身になって相談に乗っているのに、ヒジテツ君は未だに誰が好きなのか教えてくれない。問い詰めても言葉を濁すだけなくせに、ちゃっかり自分の相談だけは聞いてもらう。
「私が思うにね、うちのクラスの誰かじゃないかなって。だって私が知らない人だったら、名前を教えたって困らないでしょ」
 あまりに隠し立てするので、私なりに推理をしてみた。でもヒジテツ君は相変わらず
『うるせー。酒留には絶対に教えない』
 と、真相を明かそうとはしない。
「なんでよ。ここまで相談に乗ってあげているんだから、いい加減白状してもいいでしょ。それにヒジテツ君の好きな子が分かれば、私がその子の情報をこっそり教えてあげられるのに」
 私が鎌田君の事をリークしてもらっているのと逆のことだ。私の個人的な意見よりはずっと参考になって有益なのに。
 その時、台所の方からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。どうやら夕飯の準備が出来上がったらしい。
「ごめん。うち、そろそろ晩御飯みたい」
『あぁ、そのようだな』
 お母さんの声はヒジテツ君にも聞こえていたようだ。せっかくこれからもっと詮索をしてやろうかとしていたのに、と残念に思っていると、ヒジテツ君が少し声のトーンを落として尋ねる。
『……そんなに、知りたいか?』
「え、そりゃあ……まぁ」
 急に態度を変えたヒジテツ君をいぶかしむ。
『わかった。じゃあ教えてやるから、明日の放課後、お前ん家の近くにある公園に来い』
「え? あ、うん。わかった」
『時間はちょうど今頃な。じゃあ、明日』
 それだけを口早に伝えると、ヒジテツ君は私の返事も聞かずに電話を切ってしまった。小首を傾げる私に、台所のお母さんはさらに声を張り上げて呼ぶ。
 何故、今頃になって打ち明ける決心が着いたのか、私はちょっと戸惑いつつも、受話器を置いて台所へ向かった。
「心恵、お父さんに夕飯だって伝えて」
「うん」
 店番をしているお父さんに夕飯だと告げると、お父さんはうんともすんとも言わずに、のそりと立ち上がった。私はそんな態度に憮然としながら、大きくて広い背中を睨み付ける。
 ……さっきのヒジテツ君といい、お父さんといい、男の人って何を考えているのか、さっぱり分からない。


 翌日、私は放課後いつものように、ともえちゃんの家でお喋りを楽しんだ後、近所の公園へ向かった。
 日が落ちるのがだいぶ早く、辺りはすっかり夜の帳が降りて真っ暗だった。私はダッフルコートの襟を掻く。西から吹きつける風が肌寒い。公園に一つだけある水銀灯の下に、ヒジテツ君が待っていた。
「ごめん。待った?」
 おとないを入れるとヒジテツ君は首をすくめたまま、振り向く。この寒い時期に学生服一枚では、体の芯まで冷えるだろう。
「あぁ、ちょっとしか待ってねえよ。でも、寒い……」
 そう言って苦笑いを浮かべると、ヒジテツ君はその場で足踏みを始めた。
「だってもう二学期も終わっちゃうんだよ。いつまでも秋のつもりでいるけど、半分冬みたいなものだって。だから電話で教えてくれれば良かったのに」
 実際問題、ヒジテツ君の好きな人が誰かなんて、電話で聞けば事足りる用件じゃないか。それをわざわざこんな時間に呼び寄せて。
 男子というのは大雑把そうに見せ掛け時々、仰々しく見せたがるから面倒くさい。
「さぁ、それじゃあとっとと白状してもらいましょうか。ヒジテツ君、誰が好きなの? 答えなさい」
 ニヤリと意地悪く微笑みを浮かべ詰問を始める。だけどヒジテツ君はすぐに答えようとせず、何故か空を仰いだ。
「今日の夜空は晴れているな」
 ヒジテツ君につられて、私も夜空を見上げる。街灯の明かりのせいで細かい星は見えないけど、惑星や大きな星はかろうじて探せた。
「うん。午前中から天気が良かったからね。でも明日からは空模様が崩れるらしいわよ」
 南の空に親友の思い人の木星とフォーマルハウトが丁度良く並んでいる。大酒飲みで有名な南の主ならば、木星の接見も快く迎え入れるだろう。北東の空にはペルセウス座が昇ってきた頃だろうが、残念ながらミルファクの姿しか拝めない。西の空に傾いてきたベガとアルタイルも拝見しようかと首を回すと、ヒジテツ君が口を開いた。
「俺の好きな奴さ、同じクラスの女子なんだ。前から結構会話はしていたけど、最近になって頻繁に話すようになったんだ」
 私は顔を真っ直ぐヒジテツ君に向け直す。
 最近になって頻繁に話すようになった……? この人、私以外の女子とも仲良くしていたのか。でも、私はヒジテツ君が同じクラスの女子の誰かと、言うほど話をしている姿を見たことがない。
 待って。何かがおかしい。
 言い知れない胸騒ぎが、じわりじわりと湧き上がってくる。
「俺、そいつにさ、恋愛相談をしていたんだ。笑っちゃうだろ? 好きな相手に好きな奴の事を相談していたんだぜ」
 待って。ちょっと待って。
 どうかこの胸騒ぎが杞憂であって欲しいと、何度も心の中で叫ぶ。
「しかもそいつ、自分の事を相談されているのに全然気付かないし。たぶん鈍感な性格なんだろうな。だからさ、ハッキリ言ってやろうって、決めたんだ。俺が好きな人って言うのは……」
 真っ直ぐ真剣な眼差しを私に向けて、一歩踏み出すヒジテツ君。
 私は反射的に後ずさる。
 待って。止めて。その先は言っちゃ駄目。

「お前だよ、酒留。俺が好きな人は、お前だったんだ。今まで隠していてごめん」

 頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。耳を塞ぎたいくらいの耳鳴りがうるさくて、眩暈で目の前の景色が揺れる。
 なんでヒジテツ君が私を好きなんて言うの?
 なんで今まで普通にお喋りなんて出来ていたの?
 なんで……なんで?

 驚くほど単純なことなのに、私は現状を整理できず、頭の中はパニックが収まらない。
「冗談っぽく思えるかもしれないけど、俺は本気なんだぜ。入学してすぐ辺りから、お前のことが好きだったんだ。ずっと本心を隠して相談に乗ってもらう振りをして、騙したみたいで悪かったと思っている。でもさ、そうでもしないと酒留に近付く機会がなくて。どうにかして話がしたくて。だから俺のこの気持ちが本気だってこと、見て欲しいんだ」
 そう言ってヒジテツ君はポケットから手を出すと、それを私に突き出す。
 私はその輝く光の粒を見て、息を飲んだ。形は小柄だけど、確かにそれは恒光石だった。
「だってヒジテツ君、全部、打ち上げたって」
 動物園に行った時に、ヒジテツ君は確かに言っていた。あの夏日先生の授業で誤って恒光石を打ち上げてしまった後、残りの全ても打ち上げた、と。
「あぁ。雅士にはあれで全部って言ったけどな、どうしても最後の一つだけ散らせなくて。だから酒留に告白するときに打ち上げようと決めたんだ」
 恒光石を持った手を空高くかざすヒジテツ君。恒光石は震えるように、光を増していく。そしてゆっくりと目を閉じ、静かに唱えた。
「酒留に、俺の気持ちを伝えたい。……コル・アルゲニブ」
 その瞬間、淡い光を発していた恒光石は途端に意思を宿した一つの生命体のように、強烈な光を放ちながら私達の周囲を飛び交う。そして夜空へ目掛けて、一直線に飛び去っていった。
 その姿は小ぶりで精密な花火のようで、一瞬にして見る人の心を奪っていく美しさすら秘めていた。
 呆然と夜空を見上げていたけど、私はハッとして前に向き直る。きつく唇を引き結んだヒジテツ君。彼の本気は痛いくらいに私の胸に深々と突き刺さった。
 昨日、ともえちゃんがいった言葉を思い出す。
 誰でも望む形で星結いが果たせるとは限らない。それでも人は期待してしまう、と。
 まさにその通りだった。ヒジテツ君は誰かと星座を結ぶ機会を永久に失った。それでも一つだけ恒光石を手元に残していたのは、叶うはずもない願いを捨てきれずにいたから。そんな一片の可能性が、彼にとって背中を押してくれる勇気になっていたに違いない。
 答えはとっくに出ていた。
 彼の本気を知っても、答えは変わらなかった。私の星は鎌田君だけに向いていて、その光は決して方角を違えることはない。
 きちんと言えばいいのだ。
 入学式の日に、星結いの特別講義で学んだとおり、作法に則ってヒジテツ君の告白を断ればいいのだ。彼だってあの講義を受けたんだから、たった一つの恒光石でも敢えて星結いの作法とおりに告白をしたんだから、一言告げれば納得してくれるはず。
 でも、そのたった一言がどうしても言えない。
 言わなきゃと分かっているはずなのに、舌は石になったみたいに固まって、言葉は口から零れ落ちない。
 同じ班になると、いつも明るく楽しい話題でみんなを笑わせてくれたヒジテツ君。常にひょうきんで調子がいいイメージを抱くクラスメートもいるけど、実は人一倍周囲に対する気遣いを欠かさないヒジテツ君。
 そんな彼を、私は傷付ける言葉しか持っていない。
 彼のせいでも、ましてや自分のせいにもしちゃいけない事は分かっている。でも、私の口から出る言葉は確実に彼を傷付けてしまう事が、自分の体を切り裂くくらい痛くて恐かった。
 ともえちゃんも山崎君を振った時に、同じ悲痛を味わっただろうか。それでも凛然と、真摯に断った彼女を私は心の底から尊敬してしまう。
 いつまでも答えを出さず、わなわな震えるだけの私にヒジテツ君は業を煮やしたのか、私との間にある距離をグッと詰めた。
 一瞬、気を逸らした私の肩にヒジテツ君の両手が置かれる。同い年の男子が肌も触れ合う距離にいる。顔がカッと熱くなり、頭のてっぺんから電気がピリピリとほとばしるようだった。
 彼が今、何をしようとするのか分かっている。私の視線は自然とヒジテツ君の唇へと注がれた。

更新日 8月12日

 だめ……。

 両肩に置かれた手に、グッと力がこもる。足のつま先まで凍える寒さなのに、私の両肩だけははっきりとした熱を帯びた。

 だめ……。

 そっと瞳を閉じると、ヒジテツ君は軽く唇を突き出す。そして徐々に顔を寄せてきた。

 だめ……。

 いつの間にか体の震えはおさまり、見えない力に突き動かされるように、私の瞼は閉じていく。

 だめ……。

 ヒジテツ君の細い鼻息が私の前髪に触れた。そしてそれが次にまつげへ降りてくる。

 だめ……。

 そう、こんな風に、私はいつか鎌田君と口付けが出来る日を、夢見てきた。

 だめ……!

 その瞬間、私はカッと目を見開くと力任せにヒジテツ君を突き飛ばす。頭の中に誰かの声が聞こえたおかげで、私は正気に戻ることが出来た。
 気が動転し過ぎて、何故かヒジテツ君に全てを許してしまいそうなほど、頭がポーっとしていて流されそうになったけど、あれは一体何だったのだろうか? 彼の恒光石が残した魔力?
 それよりも、私は目の前で尻餅をついているヒジテツ君を見て、ハッとする。
 驚愕に目を丸くした彼の顔が、だんだんと泣きそうに歪んでいく。男の子だったら絶対に女子の前でしてはいけない情けない表情だけど、ヒジテツ君は気付きもせず愕然としている。
 そんな彼を目前に、それまで麻痺していた私の頭がやっと回りだした。色々な事が一辺に起きてまだ整理しきれずごちゃごちゃしているけど、その中でもまず思ったのは、卑怯にも鎌田君の事だった。
 ヒジテツ君が私を好きだということを、鎌田君は知っているだろうか?
 仲良しな彼らのことだ。私がともえちゃんに相談しているように、ヒジテツ君が鎌田君に私のことを話していても、なんら不思議はない。それが鎌田君にどう伝わっているかは分からない。けれど、決して私の星乞いには有利にならないだろう。
 そしてたった今、精一杯に私へ秘めた思いを伝えてくれた男の子を目の前にして、無意識にそんなことを考えている自分に対して、呆れてしまうほど失望した。
 勇気を出して胸の内を明かしてくれた男友達を前に、私はこんな打算的なことしか考えられない。頭の中が悔しさと情けなさでグチャグチャに混乱していた。
 顔を覆って小刻みに震える私を心配してか、ヒジテツ君は立ち上がり努めて平静な声を絞り出す。
「ごめん、酒留。急にびっくりさせてしまったな。俺、どうかしていた」
 そう言って無理矢理に笑顔を浮かべて、ヒジテツ君は私に歩み寄る。それに対して私は反射的に一歩後退ってしまった。
 しまった! と思ったけどもう遅く、私からの拒絶にヒジテツ君はまた深く傷付いたように顔を歪める。
 鼻の奥にツンとした痛みが込み上げる。ダメ。今、泣いちゃダメ!
 私はこれ以上、ヒジテツ君の心の中をえぐりたくなかった。今の私ではどんな動作をしても、それは全てヒジテツ君を無惨に傷付ける刃物にしかならない。
それに、もう泣かないって決めたのに。
 鎌田君の本当の姿を知ったあの夜流した涙を最後に、もう泣くのは止めようと心に誓ったんだ。いつまでもメソメソ泣いているだけの腑抜けな女の子じゃ、あの高尚な魂を持つ鎌田君の隣は相応しくない、って。
 決めたのに。
 もう、私はその場にいたたまれなくなった。私がヒジテツ君にしてあげられる事は何もない。
混沌としてグチャグチャの頭が出した答えは一つだった。
 後退った左足に続けて右足も一歩下がる。そしてさらに左足、右足と後ろに下がりながら私は身を翻す。
 ヒジテツ君の顔を見ないように、私はずるくもその場から走り去った。そう、私は卑劣にも逃げたのだ。
08:10  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ
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