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2010'07.30 (Fri)

私の星乞譚。 第八章

 季節は秋へと移り変わっていった。
 あれだけ暑かった夏が日を追うごとに徐々に熱気を失い、替わりに虫の合唱は勢いを増していく。織り姫と彦星のデートも東の空から西へと傾き、夜空の主役を荘厳なケフェウス王と勇敢なペルセウスへとバトンタッチをする。夜空を見上げれば、東の空からまさに今、武勇で名高いペルセウスの魂であるミルファクと妖艶なメデューサの目、アルゴルがのぼり始めた頃だった。
 それでも秋の夜空は閑散としていて侘びしさが胸を突く。
 古代エチオピア神話の登場人物が舞台となる星屑のステージも、この時期に目立つ一等星といえば、南にポツリと浮かぶフォーマルハウトだけ。
 他の季節とは比べものにならないくらい寂しげな夜空に興味を抱く人は誰もいない。秋に夜空を見上げている人間は稀であり、後ろ指を刺されるほどだった。
 だからだろうか。秋になって急にクラスでは、星乞いに関する話題があちらこちらで聞こえるようになった。今までは陰でコソコソと語り合っていた級友達も、最近では休み時間にも関わらず表立って声高にその手の話題を口にしている。
天空の星に興味が薄らいだ分、地上の星がより輝いて見えるのだろうか。

 そんな秋雨けむる十一月のある日、私は放課後に近所で幼なじみである、ともえちゃんの家に招かれた。
私の家の居間ほどの広さはあるだろう彼女の部屋で美味しい紅茶とお菓子を頂きながら、ともえちゃんは昨日あったことをポツリポツリと話す。
 それは昨晩、ともえちゃんがクラスメートの山崎君に星結いを申し込まれた、という話だった。
「私だって急なことだったから、ビックリしちゃって。クラス委員の仕事で遅くなったから早く帰ろうと思ったら、昇降口に山崎君がいたの。彼、確か先に帰ったはずなのに何でここにいるのだろう、って疑問に思ったけど、一緒に帰ろうっていうから着いて行ったの」
 ともえちゃんの一言一言にドギマギしながら目を丸くする私。口に運び掛けた紅茶のことなんてすっかり忘れて、話に聞き入っていた。ともえちゃんは幾分憂いげに視線を落として話を続ける。そんな姿がいつもより艶っぽく見えた。
「山崎君、駅までは同じ方角だけどそこからは別の道なの。でもいつまでも隣を歩くから不思議に思ったんだ。それで尋ねてみたら、ちょっと近くの公園に寄らないか、って……」
「そ、それで?」
「本当は早く帰りたかったけど少しくらいなら、って。公園のベンチに座ったのだけど、それから山崎君、ずっと押し黙っちゃって。今、思えば大した時間じゃなかっただろうけど、私その時、凄く時間が長く感じちゃった」
 私は山崎君の顔を思い浮かべる。真面目で几帳面で学級委員の彼はいつもクラスのまとめ役だった。
あの夏の動物園以来、同じ班になることが多く、私と、ともえちゃん。鎌田君と山崎君とヒジテツ君の五人は学級行事となると自然にグループへなった。ともえちゃんは女子の中でもリーダー役になりやすいので、山崎君がともえちゃんと好んで話をするのも、リーダー同士だからかと思っていたけど。
 今になってみれば、動物園の時に山崎君がともえちゃんを誘っていたのは、あの頃から彼の星がともえちゃんに向いていたからだろうか。
「それでそれで、どうなったの?」
「うん。私もあと帰りたかったし、声を掛けようとしたら、山崎君がいきなり立ち上がって、私に向かって……好きだって……」
 その一言で私の体はドッとうねり、耳まで赤くなる。あの、いかにも優等生な山崎君が……好きだなんて!
「なになに! それだけ? 山崎君、それ以外に何も言わなかったの!」
「ちょっと心恵ちゃん、落ち着いて? 私も気が動転して何も言い返せなくていたら、山崎君、もう一度はっきりした声で……好きだ、って」

 私は手に持った紅茶のカップを置くと、熱くなった頬を両手で挟み嬌声を上げた。胸が高鳴り興奮が収まらない。ともえちゃんはあまりにも変な声で叫ぶ私をオロオロしながら宥める。きっと家の人や店の人が何事かと駆け付けはしないか、心配したのだろう。
「それでそれで! ともえちゃんはなんて返事をしたの? それに、その……山崎君から、キ、キキ、ス……!」
「落ち着いて、ね? 順を追って話すから。大きい声を出さないでね、心恵ちゃん」
 ともえちゃんに諫められた私は、勢い余って乱れたスカートの裾を直しながら、反省して座り直す。
「それから山崎君、恒光石を取り出すと一つ一つの名前を呼んで、空に打ち上げたわ。全部で七つの恒光石だった。そして、打ち上げ終わると私の肩に手を伸ばしてきたのだけど……その時に、言ったの」
「な、なんて?」
「……ごめんなさい、って」
 瞳を閉じて俯く、ともえちゃん。私も今までお祭り騒ぎだった心が途端に鎮静化してしまい、俯く。
 部屋に飾られた置き時計の秒針の音と、下の階にある呉服屋から聞こえるお客さんの声だけが、こだましていた。
「山崎君のことは別に嫌いじゃなかった。同じ班で話をしていても楽しかったし、男子の中でも優しい方だし。ただ、星を結ぶとなると、どうだろうって……」
 一言一言、選ぶように言葉を紡ぎ出しながら、ともえちゃんは口を開いた。
「もしも仮にこれが普通の告白だったら、普通のお付き合いをして下さいっていう申し出だったら、私は受けたかもしれない。けれど、星を結ぶって考えるとやっぱり特別で。そんな中途半端な気持ちで星座が結べるとは思わなかった。私の中に山崎君に星を差し出せるほどの気持ちは、なかったの」
 人類が誕生して、星座が誕生してからこれまで途方もない長い間、数多の人間が数多の出会いを繰り返してきたはずだ。それなのに何故これほど、夜空には数え上げられるくらいしか星座が生まれなかったのか、その理由の尻尾に触れた気がした。
 自分が思う誰かが、自分を密かに思ってくれている可能性は何パーセント?
 自分が思うほどの気持ちに、相手も高まっていてくれている可能性は何パーセント?
 そう思える誰かと巡り会える可能性は何パーセント?
 そんな相手に巡り会えたとしても、星結いの作法を知っている可能性は何パーセント?
 知っていたとしても、成功する可能性は何パーセント?
 そして、そのチャンスが全く恋愛経験のない初恋で成功する可能性は何パーセント?
 きっと星座を打ち上げるということは、この銀河系が誕生したのと同じくらい、天文学的な確率なのかも知れない。一つの星が誕生する事だって、人間が偶然と思う数百倍以上に奇跡的な事象なのだ。
 私達はそういう奇跡に近い環境の上で、当たり前のように生を育んでいる。その中で星座を打ち上げる可能性なんて、限りなくゼロに等しいんじゃないのか? そんな永遠に辿り着けない謎を、有限を刻む私の体は考えてしまう。
「そのことを、山崎君には言ったの?」
「うん。ちゃんと伝えた。ごめんなさい、だけで彼の気持ちに答えるのは悪い気がして」
「納得、してくれた?」
「うん。急に変なことを言ってごめんな、って。それでね、山崎君。最後に言ったの。明日からは普通どおりに接して欲しい、って」
「そっかぁ……」
 言葉のお尻の方に、溜め息が混じる。ともえちゃんもそっと溜め息を吐くと、ぬるくなった紅茶で口を潤した。
 私からしてみたら男の子に星結いを申し込まれるモテモテな、ともえちゃんが羨ましいくらいだけど、やっぱり彼女にしてみれば、それまで仲良く接してきたクラスメートと気まずい関係になってしまうのだ。こう言ったらせっかく勇気を出した山崎君に申し訳ないけど、決して嬉しいわけではないはずだ。

 またもや沈黙が部屋中に積もっていく。
「普通どおりって言われても、やっぱり難しいよね」
 アンニュイな表情のまま呟く、ともえちゃん。
「当然だろうけど、山崎君も中途半端な気持ちや冗談で星結いをしようとしたわけじゃないと思うの。だからそれを断って……私、ひどいことをしたのかな、って」
「ともえちゃんが悪いわけじゃないよ。だってそれは仕方がないことだし。明日から何事もなかったかのように接するのは無理かもしれないけど、そのうちまた、今までみたいに普通にお話が出来る時がくるって」
 でも、それっていつ?
 自分で自分の言葉に疑問を投げ掛ける。
 何一つ非がないのに罪悪感に苛まれている友人を私なりに励まそうと言葉を選ぶけど、その全てがどこか嘘くさくて白々しくなる。誰が悪いわけではない。でも何もなかったように元へ戻せるほど、私達は大人じゃなかった。
「せっかく五人仲良くやっていたのにね。心恵ちゃんに悪いことしちゃったかな」
 サラサラの髪を掻き分け、少し苦笑いを浮かべる、ともえちゃん。
「なんで? 私に悪いことって、何?」
「だって、あっちの男子グループと話し辛くなると接点が薄くなっちゃうかな、って。鎌田君とも」
 そういうことか、と私は納得した。
 ともえちゃんと山崎君が気まずくなれば、自然と私達も気まずくなり、鎌田君ともよそよそしくなってしまうと、ともえちゃんは懸念しているのだ。
「それは仕方ないよ。ともえちゃんが悪いわけじゃない。そうだね。これからは自分からガンガン鎌田君にアプローチしていかなきゃ。同じ班とか関係なく」
 意気込みを語る私を見て、ともえちゃんは目を見張った。
「なんだか心恵ちゃん、前と変わったね。強くなったというか、たくましくなったというか」
 あの晩、挫けそうになった気持ちを恒光石に励まされたことを、私はともえちゃんに話していない。なんだか自分の決意をたとえ親友であろうとも伝えるのが恥ずかしかったし、何よりそれは誰かに言ったりしてはいけないような気がした。
 今までどんなことでも打ち明けあっていた親友に隠し事をしているみたいで、ちょっと後ろめたくはあったけど。
「うん。これからはもっと積極的になろうと思って。照れているだけじゃ、目指す星には近付けないわ」
 そんな私を見て、ともえちゃんは目を細めると紅茶のカップを口に運んだ。そしてそれ以上追及しようとはせず、満面の笑みを浮かべ「頑張ってね」と、私を励ましてくれた。
 全てを語らなくても察して見守ってくれる心強い味方がいる。それだけで私の胸は大きく弾んだ。

「そういえば、ともえちゃんって誰かに星乞いをしているの? 今まで、ともえちゃんの恋愛話って聞いたことないけど。山崎君の誘いを断ったってことは、ちょっとくらい気になっている人がいるんじゃない?」
 自分の事を探られビクンと肩をすくめる、ともえちゃん。いつも冷静沈着な彼女らしからぬ動きに、私はニンマリと頬を緩め、ともえちゃんに詰め寄った。
「その様子だと、好きな人が出来たんでしょ?」
「……え、えー。なんのこと?」
「とぼけたってダメ。いつも私の話ばっかり聞いて自分の話は全然しないんだから。ほらほら、白状しなさい」
 どちらかと言えば二人でいるときは、ともえちゃんがお姉さん役なので、問い詰める度にたじろいでいく様子を見ていると、ちょっぴり優越感になる。
「ちゃんと答えなさい」
「えー。どうしようかな……」
「どうしょうかな、じゃなくて。スパッと言っちゃいなさい」
「でも、やっぱり」
「でも、じゃないの。教えてくれなきゃヤダ」
 そんなやり取りを繰り返していると、ついに観念したのか、ともえちゃんは囁くような声で呟いた。
「もう、誰にも言っちゃヤダよ」
「うん。絶対言わない」
「別に好きっていうわけじゃなくて、ただ気になっているだけなのだけど……。うぅん、まぁ、好きっていうことなのかな。まだよく分からない」
「もう! じらさないで!」
 回りくどく大事な言葉を回避するともえちゃんに、私は目を爛々と輝かせて急かす。
「……大木先生」
 瞳を閉じて搾り出した言葉を聞いて、呆気にとられた。
「え、大木先生? あの、木星の?」
「そう。木星の大木先生」
「……嘘でしょ?」
「うぅん、本当」
 爽やかな微笑みを浮かべるともえちゃんに、私はもう一度詰め寄る。
「大木先生って、あの大木先生でしょ? それ本気で言っているの?」
「そうよ。本気で言っているのよ」
「だって大木先生って言ったら、いつも女子達を取り巻きにしている女たらしじゃない」
「あら、私は全然女子にモテない人よりはモテモテの人に魅力を感じるわ。それに私、体がガッシリとしていて男性的な人がタイプなの。大木先生、包容力あるし、イケメンだし」
「そんなの口がうまいだけじゃない。それにあの人、人じゃないから。惑星だから」
「もう、心恵ちゃんったら。そこまで言わなくてもいいじゃない」
「うぅ。……ごめん、つい」
 ともえちゃんの思い人と知っても、どうもあの先生だけは受け付け難い。いかにも優男チックで軽薄に女子達を手玉に扱う様子は、男性としてどうかと思わずにいられないけど、私は心のどこかでホッとしていた。
ともえちゃんと男性のタイプが違えば、少なくとも同じ男性に惹かれ合うことはないだろう。小説などで三角関係とかよくあるパターンだ。あれは物語の中だから、悲痛と愛情の狭間に葛藤する場面でも感動を味わえるのだ。
 現実に自分の身へ同じ状況が降りかかってきたら、とても耐えきれず魂までも圧し潰されてしまうだろう。

 そんな安堵感を紅茶で流し込みながら、私は話を続ける。
「でも、ともえちゃん。星結いって、彷徨の民が相手でも可能なの?」
 以前に噂で聞いたことがある。木星は約六十以上の衛星を支配していて、それらはすべて大木先生と星結いをした女性の数だというのだ。
「衛星になる、って話は私も聞いた事があるわ。でもね、私はあまり気にしない事にしたの」
「と、言うと?」
「確かに星乞いをしたなら誰でも好きな人と星座を結びたいって願うと思う。もちろん私だってそうよ。でもね、それだけがすべてじゃないわ。たとえ星乞いが成就しても星座を誕生させなきゃ、意味がないかしら?」
「う、うん。そうじゃないの」
 私は鎌田君を好きだし、願いが叶うなら星を結びたい。それ以外を考えたことなんてなかった。
「私はね、星結いよりもっと大事なものは、その先にあると思うんだ。もしも星結いをするチャンスを永久に失うとしても、生涯の中で一番愛しい人といつまでも寄り添っていくことが出来るのなら、私は星座を散らしても惜しいとは思わないわ」
 手元のすっかり冷めた紅茶で口を潤すと、ともえちゃんは背筋を伸ばしはっきりと前を見据えて言った。
 ともえちゃんの凛然とした姿を、私は羨ましくさえ思う。
 普通の女子なら星乞いをしたとなれば、その男子と星結いをすること以外、思いが巡らないだろう。他の全てが盲目になってしまう、それが星乞いをした人間の当然な姿なのだと。でも、ともえちゃんはそんなものには興味がないと言わんばかりに、木星という地球よりも数倍巨大な星の引力に惹かれている。そして、その事に抗うでも焦るわけでもなく、あるがままに星を向けているのだ。
 改めてこの親友の、懐の深さを知った。
 私はホゥと小さく吐息を漏らすと、笑顔で言う。
「わかった。ともえちゃんが大木先生を好きっていうなら、私も応援するね。さっきはひどいこと言って、ごめん」
 これまで、ともえちゃんがそうしてくれたように、私も親友の星乞いを励まさなきゃ。これからもずっと彼女の隣にいれるように、私も大きな懐でいなくては。
 何故か一瞬、悲しげな表情を見せたともえちゃんだったけど、すぐにいつもの品が良い微笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう。心恵ちゃんに応援してもらえれば頑張れそうな気がする」
「大木先生、ライバルがいっぱいだからね。先輩達も美人な人ばかりだし。でも大丈夫!ともえちゃんの方がもっと美人だから!」
「うん。なんだか自信がついてきた!」
 それから私達はひとしきり大木先生の攻略法を話し合い、時には戯言も交えて笑い合った。気付くと日もすっかり暮れていて、南の空には一番星の木星が輝いていた。

「いけない。もうこんな時間。長々とお邪魔しました」
「いいえ。特別なおもてなしも出来ずに」
 そう言って私達は居住まいを正すと、かしこまって頭を下げ合う。これが最近、私達の間だけで流行っている大人の女性を真似た遊びだ。
 クスクスとしのび笑いをしたあと、私は壁に掛けられた時計に目を移す。そして、あることを思い出してハッとした。
「いけない。私、早く帰らないといけないんだった」
「何か用事でもあったの?」
ティーカップやお菓子の袋を片付けながら尋ねるともえちゃん。私はダッフルコートを身にまといながら答える。
「うん。六時にヒジテツ君から電話が来る予定なんだ」
「阿部君から電話が? なんでまた」
 訝しんで眉を潜めるともえちゃんに、私は少し大人びたように胸を反らす。
「実は私、ヒジテツ君から恋愛相談をされているんです」


更新日 8月6日

 あれは二学期になってすぐの頃だろうか。
化学の授業で同じ班だった私とヒジテツ君は、授業後にジャンケンで負けた罰として、実験道具の清掃をしていた。その時にヒジテツ君から相談を受けたのである。
『俺、最近好きな人が出来たんだけどさ。やっぱり恒光石を持っていない奴なんて、イヤかな?』
冗談半分で恒光石の名前を唱えてしまった彼は、もう永久に星結いをする機会を失ってしまったのだ。サッパリとしていてひょうきんな性格だと思っていたが、案外にナイーブな一面もあるのだと感じ、私は親身になって話を聞いてあげた。一つ二つアドバイスをするとヒジテツ君は気を良くし、また相談に乗ってもらっていいか、と尋ねたので、私は快く承諾した。
それからというもの、たまにではあるが休み時間や体育の自由時間などにちょくちょくヒジテツ君と話すようになったのである。
そして今日、六時頃に家へ電話をしていいかと聞かれたので、私は別に構わないと伝えた。

「心恵ちゃんと阿部君、最近一緒にいると思ったら、そんな話をしていたんだ」
ともえちゃんは納得して頷いたが、その顔はまだ悩んでいるようにも見えた。
「そうよ。他の人の恋愛話って結構勉強になるし、それにヒジテツ君は鎌田君の親友でしょ? こっそり情報を教えてもらっているの」
「阿部君には鎌田君を好きだって、伝えているの?」
「うぅん、それはさすがにちょっと。ともえちゃんにしか言えないよ」
 実際、ヒジテツ君からの相談といっても半分以上は関係ない話になる。だから彼の口からは自然と仲が良い鎌田君の話題が飛び出してくる。私にとっては貴重な情報源だ。
 それに、私としてもクラスの男子と普通にお喋りをしていることに、軽く優越感を覚えるのだ。
 小学、中学と強制的に女子校に通わされたせいか、クラスの大半の女子は未だに男子に対する免疫がついておらず、一歩引いたところから眺めているだけだし。
 ヒジテツ君とお喋りしていると楽しい。男の子はやっぱり女の子と違って少しがさつだけど、モノの考え方や発言が直球で力強くて、今までと別の世界を提示してくれる。
 もちろん恋愛感情なんてないけど、ヒジテツ君は私が高校生になって初めて出来た、気が許せる男友達だ。

 私はダッフルコートのボタンをとめる手を早める。約束の時間は六時だけど、時計はまさに今、縦一文字を刻もうとしていた。ともえちゃんのお家からは走れば一分もかからない距離だけど、電話とはいえ友達を待たせるのは悪い。
「それじゃあ私、帰るね。紅茶とお菓子、ご馳走様でした」
「あ、うん。また明日、学校で」
 すっかり上品な笑顔に戻った、ともえちゃんに見送られ、私は手を振って大山家の玄関をくぐる。
 そして去り際、ともえちゃんは少し考え込んだ後、口を開いた。
「心恵ちゃん。私がこんな事を言うのも変だけど……みんながみんな、理想の形で星結いが果たせるわけじゃないと思う。でも、それでも期待してしまうのが人っていうものじゃないかしら?」
 最初は何の事を言いたいのか真意を探りあぐねいたけど、私はてっきり、ともえちゃんが自分と大木先生のことを言っているのだと思い込んだ。
 そんな親友に深々と頷き、手を振って応える。その時なぜか、ともえちゃんは言い知れない複雑な顔をしていた。まるで以前に見た鎌田君の哀愁漂う表情に似ていて、心の隅にザラリとした感触が残った。


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08:37  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'07.25 (Sun)

私の星乞譚。 第七章

 動物園内を小走り気味に歩き回りながら、私はキョロキョロと鎌田君を探した。
 男女ペアで歩いている創天高校の生徒を見る度に、胸がドキリとすくむ。もしも鎌田君が他の女の子と仲良く歩いているところなんて見てしまったら、きっとショックで固まってしまう。なんせ鎌田君はあのとおりの容姿だし、スポーツ万能で優しい。私以外にも胸をときめかせている女子がいても不思議ではない。
 そんな妄想を必死に振り払いながら私は園内を隈無く探す。すると、ベンチに一人で座っている鎌田君を発見した。
 私の胸がコトリと乱暴に高鳴る。
 先生方と話していた時には何故だか根拠のない自信が宿っていたけど、いざ本人を前にするとどうしても尻込みしてしまう。
 それでもこんなチャンスは滅多にない。鎌田君が一人きりでいるのだから。このチャンスをものにしなきゃこれから先、進展は期待できない。
 あの店番の時、結局勉強に誘えなかった事を私は未だに悔やんでいた。同じ後悔は二度としたくない。見逃した彗星は必ず同じ周期で巡ってくるとは限らない。
 私は意を決して、鎌田君に話し掛ける最初の一言を必死で呟きながら足を踏み出した。
 でも、鎌田君まであと数メートルとなった時、私は思わず足を止めた。
 目を凝らしてもう一度確かめてみる。ベンチに腰掛けた鎌田君の表情が、どことなく哀しそうに見えた。
 私は前に一度だけ、同じ顔をした鎌田君を見たことがある。あれはちょうど、それこそ店番をしていたあの日の夜だった。味噌を二種類買った鎌田君と料理の話になって、私が鎌田君を凄いと褒めた時だったと思う。弱々しく微笑んだ彼の表情。瞳の奥に寂しさをグッと押し込めたような、沈痛な表情。
 今、目の前にいる鎌田君はまさにそんな顔をして、魂を失ったように真っ直ぐ前を向いていた。
 どうやって話し掛ければいいか模索していた言葉達が、ハラハラと頭の中からこぼれ落ちる。あんな表情をしている鎌田君に、私はなんて声をかければいいのか、分からなかった。話し掛ける事がはばかられるような、そんな目に見えないオーラを鎌田君が発しているようで、私は彼との間にある僅かな距離に大きな壁を感じた。
 ひとつ気になって鎌田君の視線の先を追ってみる。そこには檻の中にライオンが一匹いるだけだった。
 立派なたてがみを冠した容貌はまさに百獣の王だけど、夏の暑さにあてられたからか、近所の野良猫のようにだらしなく肢体を投げ出している様は、とてもじゃないが野生味が全く感じられない。それもそのはず。レオと名付けられたそのライオンは、私が幼い頃から今と同じく檻の中で飼われている。だから野性的な一面を見せるのはせいぜい食事をしている時くらいで、あとは人が通るたびにだらしなく野太い猫なで声を出すほどの体たらくだ。
 だからこそ不思議に思った。
 鎌田君だってもう何度も見慣れているはずのライオンなのに、ずっと哀しい表情を浮かべたまま凝視している。そんな鎌田君を見つめる私は、何も言えずに気付かれないようその場を去った。今の彼に踏み込めるほど、私は勇敢でないし傍若無人でもない。今は場面が悪い。もう少し後になったらまた訪ねてみよう、と私は臆病風に吹かれた自分を罵りながら、当てもなくトボトボと園内を散策し始めた。

 しかしそれから十分後、三十分後になっても、鎌田君はベンチから腰を浮かす事はなかった。ポラリスのようにずっと座標から動かず、視線は真っ直ぐライオンを見つめただけだった。
 当のライオンはいい加減に見つめられるのに飽きたのか、背を向けて居眠りをしている。私はもう完全に景色と同化した彼の後ろを何度も素通りしては、聴こえないように静かに溜め息を吐いた。
 いつの間にか集合時間の十分前になっている。これから園内の散策に誘っても、大した成果は得られなさそうだ。がっくりと肩を落としながらも、私はせめて話し掛けるくらいはしたいと思い、歩み寄った。
 敢えて事前に話し掛けるセリフは決めていかない。どんな言葉を繕っても何だか作り物めいて、そんな言葉が今の彼には届かないと思った。自然と胸に閃いた言葉が、そのまま彼の心に滑り落ちてくれれば良い。
「鎌田君、そろそろ集合時間だよ」
 一瞬だけ体をピクリと震わせると、彼はすぐに笑顔を繕って私に見せた。
「あぁ、酒留か。もうそんな時間になったのか」
 私も鎌田君に倣って微笑む。普段なら鎌田君の笑顔を見ただけで心臓がときめくのに、今は胸の奥が潰れそうなくらいに苦しかった。
「隣、座っていい?」
「うん、いいよ」
 少しズレて私が座る位置を用意してくれた鎌田君。いつもと同じ、優しい彼だった。私は小さく「ありがとう」と呟いて腰掛ける。今まで鎌田君が座っていたからか、左側のお尻の部分だけ温かかった。
「ライオン、さっきからずっと見ていたね」
「……うん。なんだ、見られちゃっていたか」
 わざとくさく照れ笑いを浮かべる。そんな彼の仕草に、私はまた胸が痛んだ。
「ライオン、好きだったんだね」
「ん、まぁね。いや、そんなに好きってほどじゃないけど」
「じゃあ、なんでずっと見ていたの?」
「……」
「一時間以上も。暑い中、日除けもしないで」
 きっと私は今、鎌田君が触れられたくない部分に触れたのだと悟った。
 それは彼が懸命に、偽りの笑顔すら繕って隠しておきたかった、仄暗く深い心の奥。
 突き放されてもいい。面倒臭くおせっかいな幼なじみと思われたっていい。私は彼がひた隠したがるソレを知りたかった。
 ソレを知ったからといって自分に何が出来るとも思わなかったけど。知らなければ、本当に彼の事を好きでいちゃ駄目なような気がして止まなかった。
「前もお店に来たとき鎌田君、ふと寂しそうな顔をしていた。今だってそう。ねぇ、私に何が出来るかわからないけど、おせっかいかもしれないけど。鎌田君の事をもっと知りたいから、もっと近くにいたいから」
 いつの間にか次々に溢れてくる言葉に突き動かされて、私は鎌田君にグッと寄り詰めていた。
 困ったような、驚いたような顔をしている鎌田君に気付き私はハッとし、顔を真っ赤にして離れる。あんなに近くで、触れ合うほどの距離で鎌田君の顔を見たのは初めてだった。
 顔から火が出るほどの羞恥心で私はそれ以上何も言えなくなり、この場から消え去りたい気持ちでいっぱいになった。それでも私は立ち上がる事が出来ず、鎌田君と向き合えもせず、ただ俯いてベンチに座っている。
 遠くからは動物や野鳥の鳴き声、創天高校の生徒の声が聞こえる。けれど私達の間には無駄な沈黙だけが、どっしりと腰掛けていた。
 園内のアナウンスが鳴り、創天高校生徒の集合時間を告げる。
 何の成果もなくこの課外授業を終えた私は、失望感にも似たやるせなさを噛み締めながら立ち上がる。いつの間にか、背中にはじっとりと汗を掻いていた。
 私に合わせて鎌田君ものそりと立ち上がる。いつも活発としている彼らしくもない仕草だった。そして哀しげな瞳を私に向け、ぽつりと呟いた。

「俺は、このライオンみたいなものなんだ」


 酒屋である店舗を抜け、母屋に入るとちょうどお母さんが夕飯の支度をしていた。さほど広くない台所をクルクルと立ち回るお母さんの背中に声を掛ける。
「ただいま。お母さん」
「あら、お帰りなさい。心恵」
 学生服から家着に着替えると、私は再び台所に戻ってきた。普段は夕飯まで滅多に立ち入らないのに、珍しく女の仕事場にいる娘に母は目が点になる。
「どうしたの、心恵? まだ夕飯の支度は出来てないわよ」
「違う。そうじゃなくて」
「じゃあなに? 手伝ってくれるの?」
 おずおずと頷いた私に、お母さんは大袈裟に驚いた仕草を見せると笑顔になった。
「急にどうしたの? あんたの方から手伝ってくれるなんて」
「別に。ただ、たまには」
 少し考えた後、母はそれより深く尋ねようとせず手を家事に戻した。
「あ、そう。じゃあせっかくだから手伝ってもらおうかしら。そこにある茹で卵の殻を剥いて」
 お母さんの指示に従い私も台所に立つが、やり馴れなれていないせいか上手くいかない。茹で卵の殻を剥いても身までボロボロにしてしまい、野菜を切ろうにも大きさがバラバラで、しまいには自分の指まで切ってしまう始末。娘の失態に溜め息を吐きながら、母が最後に私へ出した指示。
「夕飯出来たから、店番をしているお父さんを呼んできて」
 肩を落としてしょげる私がその日唯一こなせた仕事は、これだけだった。
 家族三人、食卓を囲んで夕飯を食べる。お父さんは相変わらずの仏頂面を提げて、野球中継を観ながらビールをちびりちびり飲んでいた。
「そういえば心恵、あなた今日は天野動物園に行ってきたんだったわね」
「うん。触れ合いコーナーに世界のウサギ展っていうのがやっていてね、凄く可愛かった」
 自分で剥いた不格好な茹で卵を箸でつつきながら、私は母と今日あった出来事を語り合った。
 我が家は三人家族で子供は娘の私一人。寡黙なお父さんとおしゃべりなお母さんなので、家の中では常に私とお母さんの声だけがこだましている。私達がいくらペチャクチャと話していても、父は煩わしくも相槌を打つわけでもなく、ムッスリと隣にいるだけ。たまに話し掛けても不機嫌そうに曖昧な返事をするだけだ。
「だからウサギ達よりも先生方の方が可愛くて。よっぽど地球が気に入っているみたい」
「お母さんも一度くらいは見てみたいわ。月とか金星がこんな身近にいるなんて、なかなか出来ない体験よ。それにウサギ達も良いわね。その催しが終わる前に一度行ってこようかしら」
「行った方がいいよ。本当に可愛かったもん。お父さん、今度お母さんを動物園に連れて行ってよ。店番は私がしてあげるから」
 そう言って横目で父を見たが、父はテレビから目も反らさず黙々とビールを傾けるだけだった。まぁ、もとから反応なんて期待してないけど。
「でも暑かったからかな。ほとんどの動物は檻の中でぐったりしていたよ。レオなんてだらしなく寝っ転がっていたし」
「仕方ないわよ。レオだってもうおじいちゃんなんだし。あなたが小さい頃からずっとあの動物園にいるのよ」
 私はその時、日中に鎌田君とあったことを思い出して、胸がズキッと痛んだ。
 寂寥感をグッと溜め込んだ鎌田君の表情。弱々しく呟いた言葉。熱くなるほどに座っていたベンチ。彼の隠された心の中を知る事が出来ずに、私は気落ちしるしかなかった。
 急に俯く私が気に掛かったのか、お母さんが心配そうに顔を覗き込む。
「どうしたの、心恵。なんかあったの?」
 私はハッとして箸を手に持ったままブンブンと振る。その衝動で箸が私の湯呑みに当たり、お茶をこぼしてしまった。慌てて台拭きやらティッシュでアチコチを拭く私とお母さん。お父さんだけは変わらず、ムッスリと野球中継を観ていた。
 騒ぎも収まって再び食卓についた私は、鎌田君のことをお母さんに話した。
 自分の星乞い相手を親に話すのは照れ臭くて仕方なかった。でもお母さんにしてみれば鎌田君は未だに娘の幼なじみという認識なのか、すんなりと聞き入ってくれる。
「それでね、鎌田君が最後に言ったの。俺はライオンみたいなものだ、って。どういう意味なんだろうね」
 別に何か有力な情報が得られると思って話題にしたわけじゃない。ただ話の流れというか、夕飯時の他愛ないお喋りのネタとして言ってみただけだ。
 それなのに、驚いたことに話を聴き終わったお母さんは何か言いたげに困った顔をして、そのまま閉口してしまった。
「なに、お母さん黙っちゃって。お母さんは鎌田君の言った意味がわかるの? 何か知っているの?」
 食い入るように母へ身を寄せた。この人は私の知らない鎌田君の秘密を知っている。それは表情から読み取れる、きっと大人は知っている決して明るくはない話。
 それでも私は渇望せずにはいられなかった。彼のことならどんな事だって知りたい。例えそれが、心に火を注ぐような痛みを伴おうとも。
 私があまりにも真剣に問い質すからか、お母さんはどうしたらよいか分からず、たじろぐ。そこへ、今まで黙りこくっていたお父さんが低い声で呟いた。
 私もお母さんも、目を丸くして振り返る。そしてお父さんが語る話を聞くにつれて、私の心の中にも濁った曇天の夜空が広がっていった。
「あいつは、あの坊主はな。ライオンって言うよりも、仔ライオンみてえなもんだ」


 日中の熱気が幾分か収まった夜風が優しく私の襟足をさらっていく。少し外れにある用水路からは蛙の合唱が聴こえてくる。そして何処からか、時間帯を無視した蝉の声も聴こえてくる。
 私は歩を進めながら、夜空を仰いだ。
 夏を代表するベガとアルタイルが燦然と輝くその間には、きっと淡白く光る天の川が流れていることだろう。もう少し山よりに行けばお目にかかれるだろうが、街灯が明るい市街地からではその雄大な流れも輪郭すら掴めない。せっかくの南斗六星も今日は雲に隠れて見えなかった。
 夜空を見上げてこんなに哀しい気持ちになるのは初めてだった。
 いつもなら星が少ない寂しげな夜空でも、懸命に瞬く星達を見ると勇気付けられたのに。意識しなくてもさっき聞いたお父さんの話が何度も胸の中でこだまして、哀しみだけがいたずらに膨らんでいった。

「あいつの父親は昔から知っているけどな、どうにも家庭を支えるとか所帯を持つとか、そういうガラじゃない奴だった。根は悪い奴じゃねえんだが、自分のやりたいことばかりにのめり込むのが悪い癖でな。今でも写真家になるだの、絵描きになるだの芸術家気取りなことを言ってはまともに家へ寄り付かねえ。
 そんな奴に愛想を尽かした女房は、早いうちに家を出ちまってな。今じゃあ坊主が一人であの家に住んでいるようなもんだ」
 テレビから目を反らさずに、独り言みたく話をするお父さん。私はそれを聞きながら、長年の疑問が氷解していくのを感じた。
 なぜ鎌田君はいつもうちに日用品を買いに来るのか。
なぜ鎌田君は料理に詳しいのか。
 なぜ私は鎌田君の両親の顔を知らないのか。
 なぜお父さんが事ある毎に鎌田君へ差し入れをするのか。
「ライオンっていうのはな、幼い頃に自分の子供を大草原に放っぽり出すんだ。千尋の谷に突き落とすって話もあるが、似たようなもんだろ。あの坊主も言ってみりゃあライオンみてえな境遇さ。物心ついた頃から親に見離され、てめえの事は全部てめえでやらなきゃならねえ。あのクソ親父もたまには家にいるようだが、それでもまとまった金が出来たら半分は坊主に預けて、てめえは夢にまっしぐら。どっちがガキだか分かんねえよ」

 僅か数十メートル進むと、一際大きい門構えの店が視線に飛び込んでくる。幼なじみであるともえちゃん家の呉服屋だ。そこを通り過ぎて大手道の角にある公園を右に曲がると、目指す鎌田君の家が見える。
 孤独と切なさで溢れたライオンの巣穴だ。
 私は醤油の入った一升瓶を持ち直す。この程度の距離でも重たいものは重い。これはお父さんから預かったものだ。

「他人様のうちの事をごちゃごちゃ言う気はねえ。だがな、あの坊主は小せえ頃から文句も言わず、やさぐれもせず懸命に生きてやがる。他人に同情されねえように、妙な気を遣わせねえように笑顔でいやがる。偉いじゃねえか。気高いじゃねえか。坊主は立派なライオンになるぜ。だから俺達、近所の連中も黙って見守ってやろうって事にしているんだ。だからお前らも妙な気を坊主に回すんじゃねえぞ。下手な同情は逆に失礼だ」

 鎌田君の家の前に立って、軽く指で前髪を直す。そして一度深呼吸をしてから呼び鈴を鳴らした。程なく中から鎌田君の声がして、それからすぐに扉が開いた。
「あれ、酒留。どうしたの、こんな時間に?」
 いつもと変わらない、朗らかな笑顔を浮かべて尋ねる鎌田君を見て、私の胸はズキリと痛む。それでも心の内が悟られないように、私も努めて笑顔で返した。
「夜遅くにごめんなさい。お父さんがコレ、持っていけって」
 一升瓶を鎌田君に手渡すと、彼は驚いて私と一升瓶を交互に見た。
「え、こんなに。くれるのは嬉しいけど……」
「あ、気にしないで。商品入れ換えでどのみち無くしちゃうらしいから。どうせ捨てるなら、ってお父さんが言っていた」
 幾分困った様子の鎌田君にお父さんからの言葉を伝えると、納得したのか遠慮がちに感謝を述べて受け取った。
 鎌田君の背後から家の中での生活を感じ取る。ちょうど夕飯時だったのか、醤油と鰹だしの香りが鼻孔をくすぐる。そしてテレビの音も洩れてくる。お父さんが観ていた野球中継ではなく、きっとバラエティー番組だと察する。
「酒留、もう感想文は書いた?」
 店番で会うときみたく、日常的な話題をしてくれる鎌田君。
「うぅん。まだ書いてない。これから帰ってやろうかな、って」
「そうか。俺もお風呂に入ったら今日中にやってしまおう。明日になったら書くこと忘れちゃいそうだ」
「だよね。小さい頃から何度も通っている動物園だもの。今更、感想文を書けって言われても書き尽くしちゃった」
「こんな事ならいっそのこと、前に書いた感想文をコピーして保管しておけば良かった。中学と高校なら先生が違うからバレないだろうし」
「あ、それ名案」
 顔を見合わせてクスクスと忍び笑う。
 その時、台所の方から笛を鳴らした音が聞こえた。きっとやかんでもコンロに掛けていたのだろう。その合図が、私達だけの他愛ないおしゃべりへ幕を降ろす。
「それじゃあ、私は帰るね」
「うん。おじさんにありがとうって、伝えおいて。酒留も、ありがとう。わざわざ持って来てくれて」
「うぅん。ご近所だもの。それじゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
 玄関から道路に下りて、鎌田君に手を振る。すると鎌田君も左手で手を振り返しながら、戸を閉めた。私は鎌田家の玄関が閉まるまで手を振り続ける。戸がピシャリと閉まるまで、鎌田君はずっと微笑んだままだった。


家までの帰り道、私は来たときよりもゆっくりと歩く。夏草を撫でた風が私の前髪をふわりと撫でていく。少し前髪が乱れたのに、私は気にも留めずに歩き続けた。
 鎌田君の背後から香った夕飯の匂い。たった一人しかいないはずなのに、きちんとした食事を作っているのがはっきりと分かった。私なんて全く料理が出来ずに、お母さんの手伝いをすれば指を切るほど不器用なのに。何も出来ない自分が恥ずかしく思えた。
 そして聞こえてきたテレビの音。私にとってはお母さんとお話をしていると邪魔にしか感じないのに。一人ぼっちなあの家で、彼にとっては唯一の話し相手がテレビなのだろう。
 鎌田君を通して伝わってくる家の中の空気は切ないくらい孤独に満ちていて、そこにいるだけで魂を切り裂かれるような哀しみで溢れていた。それなのに鎌田君は、そんなことなど微塵も感じさせないように精一杯、懸命に笑顔を取り繕っていた。
 そんな彼の優しい微笑みが哀愁感をさらに際立たせて、息が出来ないほど胸が苦しくなる。
 私の両目からいつの間にか、止め処なく涙が溢れていた。
 私は足を止めて顔を覆うと、その場にうずくまる。そして声にならない嗚咽を漏らし、バラバラになりそうな体と心をつなぎ止めるため、両腕で小さな体を抱き締めた。
 これまで胸の奥に貯めてきた、鎌田君に対する柔らかくて淡い気持ちや星の光ほど朧気だけど確かな輝きを持つ思い出というものが、一瞬で全てこぼれ落ちていく。
 私が大事に育てて、いつか、はにかみながら照れながら彼へ告げようと抱いていた言葉達も、暁にかき消えていく東の空の星達みたく霧散していった。
 とにかく私が鎌田君に向けていた全てのものが、そこには始めから何もなかったかのように、キレイに失われてしまった。
 私が自ら胸の内に秘めた思いを投げ出してしまったのは、自分があまりに浅はかで幼稚だったから。こんな思いを、あの孤高な魂を持つ鎌田君に差し出すには相応しくない。私のただ頬を赤らめるしか能のない稚拙な気持ちが、彼の孤独を救えるとは微塵も思えなかった。
 私は今晩、鎌田君の揺るがない笑顔を目の当たりにして、ハッキリと悟った。
 私の脆弱な星明かりでは、彼を漆黒の闇から照らしすくい上げることなど到底適わない。
 絶望に打ちひしがれた私は、立ち上がる気力もなく、その場にうずくまり泣き続けるしかなかった。私の頬を伝う涙はベガのような真珠の光など放てるわけもなく、情けなく弱い自分を慰める輝きすら持ち合わせていない。ただただ無駄な思いで潤っていた心をカラカラにしたくて、涙を流すしかなかった。

更新日 7月31日

 だからその光に気付いたのは、だいぶ時間が経ってからだと思う。
 声を押し殺して咽び泣く私の頭上あたりに、何かが漂う気配を感じた。何かと思いしゃくり上げながら顔を起こす。すると視界の隅に、フワフワと宙を漂う光の粒が現れた。
 風に舞うタンポポのように頼りなく浮かんだ光は、私に気付くとクルクル旋回を始める。
 有り得ない光景に息を飲みながら、私は鼻を啜って涙で濡れた目元を拭った。
最初は不気味に感じた光だけど、徐々に不信感は薄れていき、じゃれつくように私の周りを旋回し始めた頃には、その光の粒の正体に気付いた。
 私は胸元に手を突っ込み、小さな巾着袋を取り出す。中から恒光石を取り出すと、いつも以上に淡く光を点滅させていた。そんな恒光石に呼応するように、宙を舞う光も緩やかに点滅を繰り返す。
 私は手元の恒光石を数える。私が持つ恒光石は全部で六つ。しかし今、手元には五つしかない。そしてフワフワと漂う光の粒に意思を共鳴させてみた。するとその光は途端に眩く輝きを増し、クルクルと加速する。
 間違いなかった。この空中に浮かんでいる光の粒は、私の恒光石だ。
 何故、この子がいつの間にか私の胸元から離れ、こうして宙を舞っているのか、分からない。ただ、たまにはしゃぐように、たまにおどけるように自由奔放に空中を漂う姿を眺めているうちに、私の瞳から流れる涙は止まり、険しく寄った眉毛は解けていた。
「私を……慰めてくれたの?」
 そう呟き手を伸ばすと、途端に恒光石は輝きと速度を増し、私の手にじゃれついてきた。まるで子犬みたいに。
 そんな仕草が可笑しくなってきて、私はいつしか頬を緩めて微笑んでいた。
 そしてその恒光石を掴まえ、両手で包み込み祈るように額に押しいただく。他の五つの恒光石には既に命名をしていたけど、最後の一つだけはどうしてもしっくり来る名前が見つからず仕舞いだった。
 だけど今、この子にピッタリな名前が弾けるように頭へ浮かぶ。うん。この子に相応しい名前だ。
 私はその名前を口にしないよう注意を払い、恒光石に意思を通わせる。そして左の胸にギュッと押し付けて、そっと心の中で命名をした。
「……!」
 その瞬間、淡い光を放っていた恒光石は天を焦がすほど眩い光を放つ。他の恒光石も共鳴するかのように、力強い輝きを点滅させた。
 でもそれはたった一瞬の出来事で、次に目を開いた時には六つの恒光石は既に胸元の巾着袋へ納まっていた。
 私はしゃがみ込んでいた体を起こし、背筋を伸ばしてみる。
 さっきまで絶望に包まれていた心は、霧が晴れたみたく不思議と澄み渡っていた。そして胸の中には確かな煌めきが熱く宿り、前へと進む勇気を与えてくれる。
 私は一度だけ鎌田君の家がある方を振り返り、大きく深呼吸をすると帰路に着いた。それまで心の中へ大事にしまっていた、ただ頬を染めてときめくだけの好きという気持ちはキレイさっぱりと無くなっていた。
 その替わりに、何があろうとも揺らぐことのない確固たる屈強な思いが胸に宿っていた。
 確かに今の私では鎌田君を支えることも、彼の孤独を救えることも出来ない。だからといって卑屈になったり自分に絶望したりするのは止めよう。だって私にはいつでも見守っていてくれる、暗闇でも行く末を照らしてくれる星があるから。
 ふと空を見上げれば、雲は切れて北の空にケフェウス座が輝いていた。私は涙で濡れた瞳を拭い、ケフェウス座を目印に線を伸ばしポラリスを探し当てる。

 鎌田君が孤独なライオンならば、私は彼を照らす星になろう。
 そばで寂しさを紛らわすことは出来なくても、慰めることも出来なくても、いつでも天空から見守り、暗く悲しい夜に迷わないように。そんな北極星のような星になろう。
 そう決意した時に、私は初めて『星乞い』を本当の意味で理解した。
 彼の星を乞うのではなく、私は私の星を乞う。
 彼のために。

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2010'07.19 (Mon)

私の星乞譚。 第六章

天野市には県内でも一番大きい、有名な動物園がある。
天野市は江戸時代まで城下町として栄えたが、大政奉還の際に幕府側に義理立てしたためか、明治の時代になった時に城の取り壊しを命じられた。そしてそれから百年後、広大な土地を利用して建設されたのが、天野動物園だった。
今日は課外授業の一貫として、天野動物園に来ている。朝から晴天でまさに動物園日和といったところだが、みんなどこか盛り上がりに欠けていた。
それもそのはず。天野市に住む学生なら、小学生の頃から課外授業と言えば天野動物園と決まっていた。そうでなくても家族で休日コースと言えば動物園がお決まりで、一年に一度は訪れる場所であり既に飽き飽きしているのである。
 そんな高校生にもなって何故動物園に連れて来られたかというと、これまた理由があってのことだった。
「夜空の星座に動物が多く存在することは、皆さん充分ご存知かと思います。黄道に動物の星座が多いことから獣帯と言われているのを例に上げるまでもありません。ですから普段から動物達と触れ合うことは星結いにも少なからず影響を及ぼすと考えられませんか?」
 整列した生徒の前に立ち、来園前の諸注意も兼ねて朔張校長が挨拶を述べる。
 季節は夏に近付いたというのに、朔張校長は相変わらず黒い外套に身を包んでいる。生徒達は既に夏服に衣替えをしたというにも関わらず、朔張校長は暑苦しい格好で汗一つ掻いた様子もない。そんな風変わりな出で立ちが校長を『忠義の淑女』であり、人外な存在であることを顕著に物語っている。
「要するにイマジネーションを育てようということですよ、イマジネーション。皆さんが養った想像力が恒光石を育てるのです。どうぞ、敬虔なる星の導きが巡りますように」
 朔張校長は最後にそう言って話を締めた。学年主任である土星の化身、桐野先生の指示に従い、みんな決められた班ごとに散策を開始した。
 私は同じ班であるともえちゃん、鎌田君。彼の友達の阿部哲也君、通称『ヒジテツ』君。そして学級委員の山崎君と五人組で、まずは決まったルート毎に進んでいった。
「中学生の時にも毎年来たのに、まさか高校になってまで動物園へ来るとは思わなかったな」
「あぁ。今さら見て回るまでもねぇって。キリンが年々ヨボヨボになっていくくらいしか変化がねえよ。適当に見て回って、あとは売店でフランクフルトでも食って時間を潰そうぜ」
 鎌田君の言葉へ気怠そうに相槌を打つヒジテツ君。そんな二人を今までじっくりとパンフレットを眺めていた山崎君がたしなめる。
「一応、課外授業なんだから真面目にしろよ。帰ったら感想文を提出しなくちゃならないんだから流して観ていると、なんにも書くことなくなるぞ。ね、大山さん?」
 ともえちゃんに同意を求めながら、眼鏡をたくし上げる山崎君。僅かに頬を紅潮させている山崎君へ、ともえちゃんは優しく微笑んだ。
「そうね。それに昔から来ていると言っても新たな感激が産まれるかもしれないし。ほら、触れ合いコーナーに世界のウサギ展っていうのをやっている。去年は無かったはずよ」
 ともえちゃんが指差すパンフレットに、山崎君は体ごと寄せて覗き込む。そんな様子をヒジテツ君は冷めた眼差しで見つめながら、わざと大きな声で独りごちた。
「あーあ! どうせ俺は真面目に動物達を見たところで、星結いが出来るわけじゃないからな! 山崎みたいに楽しめるわけねえよ!」
 ヒジテツ君の自嘲的な言葉に巻き添えを食った山崎君は、さらに顔を真っ赤にさせてともえちゃんから離れた。しどろもどろになる山崎君をよそに、ともえちゃんは気にする素振りもなく凛然としている。

「そういえば、残りの恒光石はどうしたの?」
 ふと疑問に思って尋ねた私に、ヒジテツ君は少し寂しげな顔をしてから答えた。
「あの後すぐ、学校が終わってから全部打ち上げたよ。な、雅士?」
「うん」
 遠慮がちに相槌を打つ鎌田君。きっと友達が星結いをする機会を失ったことに悲しんでいるのだろう。誰だってそうだ。この青春時代にだけ許された特別な星乞いというものを、最早失ったことに嘆かずにいられない。
「でも俺の恒光石、数が多かったから大変だったぜ。適当な名前を付けるとしても、数が数だから面倒くさいの何の」
 ヒジテツ君はバツが悪くなったのか、わざと明るい口調で振る舞った。鎌田君とヒジテツ君の間に繋がっている無言の友情に、私はちょっぴり羨ましく思えた。
「そんなに数が多かったの? 何個?」
「全部で十七個!」
 その数の多さに、一同思わず吹き出す。
「本当に多かったよな。哲也も名前に凝るもんだから、二人で辞書を引くのも大仕事だった」
「だって俺にとっちゃ、恒光石との別れなんだぜ? そんな適当になんて出来ないよ。それに後から聞いたんだけど、うちの家系って恒光石が多いらしいの! ちなみに名前も聞いとく?」
「聞きたい、聞きたい」
 笑顔で頷くともえちゃんに気を良くしたのか、ヒジテツ君は冗談も交えて話し始めたものだから、私達はお腹を抱えて笑いながら動物園内を歩き回った。
 鎌田君も大きな口を開けながら笑っている。
 この間、お店に来た時に見せた寂しげな表情はあれ以来見ていない。何かの見間違えだったのではないかと思ってしまうほど、学校での鎌田君は普段通り振る舞っていた。私の考えすぎなのかも知れないし、本当に勘違いだったのかもしれない。
 今はただ、こんな風に間近で笑う鎌田君の傍にいるだけで充分で、それ以上のことまで考える余裕がなかった。
 一通り園内を一周するのにさほど時間は掛からず、僅か二十分もすれば全ての動物は見て回れた。
 もっとも毎年なにかしらで来園する機会があるので変な話、動物達ともすっかり顔馴染みになっている。だから新しいメンバーが増えていない限り、軽く挨拶をして素通りするくらいだ。
 他の班の人達も既に周り終えたのか、園内のあちこちでは創天高校の生徒が手持ち無沙汰にウロウロしている。課外授業枠なので勝手に帰るわけにもいかず、あと二時間は園内にいなければならない。
 残り時間をどう過ごして消化しようか、頭を悩ませていると、山崎君がともえちゃんに声を掛けた。
「大山さん、良かったら僕と一緒に、もう一度園内を見て回らない?」
 思い詰めたように、でも意を決したように一言一言紡いだ山崎君に、ともえちゃんは少し驚いたような表情を見せた。でもすぐに、いつもの品の良い笑顔を浮かべると
「いいわよ。一緒に行きましょ」
何故か私にウィンクを飛ばして、歩き出した。
 安堵の色を浮かべて顔をパァと輝かせた山崎君は、急いで先に歩くともえちゃんの傍に駆け寄る。そして私達、残されたメンバーは二人の姿が見えなくなるまで、しばらく茫然と見送った。
 三人になった私達はいつまでもその場に立っているわけもいかず、お互いの顔を見る。するとヒジテツ君が大きく伸びをして言った。
「あぁ~、それじゃあ俺は売店でフランクフルトでも食いながら時間を潰すわ。雅士はどうする? 一緒に行くか?」
 小首を傾げて思案した後、鎌田君は呟くように答えた。
「いや。俺はもうしばらく散策しているよ」
 その答えを聞いたヒジテツ君は、次に無言で私に視線を向けた。
「じゃあ私も。さっきともえちゃんが言っていた、世界のウサギ展でも観てこようかな」
 私の返事を確認すると、ヒジテツ君は「ふむ」と独りごちて歩き出した。
「哲也、集合の時間に遅れないようにな。勝手に一人で帰るなよ」
 去り行く友人に注意を促す鎌田君。ヒジテツ君は振り向かずに、後ろ手で振りながら売店のある方へ行ってしまった。
「さて、俺も行こうかな。じゃあまた後でな、酒留」
「あ、うん。また後で」
 爽やかな笑顔を残して鎌田君は別の方向へ去っていく。ポツンと一人残された私は、微かな寂しさを覚えながらとにかく足を進めた。それは月に蝕されたスバルを見た時に、ほんの僅かな時間だけ抱く寂寞感にも似ていた。


 動物触れ合いコーナーは園内の南側にある、奥まった場所に設置されている。ウサギやハムスターのような小動物はもちろん、二頭いるポニーには草を与えられるだけでなく、背中に乗って柵内を歩く事が出来る。
だから子供には大変人気のあるコーナーで、私も幼い頃はよくポニーに跨っては、はしゃいでいた。中学生の頃には恥ずかしくて素通りするだけの場所だったが、こうして改めて訪れると新鮮な高揚感が生まれてくる。
 さて、世界のウサギ達はどこにいるのかと見渡すと、即席で作られたと分かる看板が立っていた。
 そして小高い柵の中に多種類なウサギに囲まれた人物が二人。私が知っている人達だった。
「キャー! こっちの白い子、すっごくモフモフー! ルナちゃん、触ってみて~。モフモフ~」
「あらら、この子。そんなに私が気に入った? なんなら特別に月面で餅つきさせて上げても良くってよ」
 こんな平日の日中、触れ合いコーナーに足を運びたがる物好きはいない。休日ならば小学生以下のお子様が大勢戯れているけど。だが、今ここにいる二人は観てくれお子様だけど、齢四十五億年と呼ばれる惑星と衛星だった。
 フワフワの毛を持つ白いウサギに頬ずりをする明天先生。喜悦に浸っている顔は幼さをさらに際立たせている。茶色く滑らかな毛並みのウサギが、朔張校長の黒い外套に鼻や体を擦り付けている。愛くるしいウサギ達の仕草を眺める校長は、今にもほっぺが落ちそうなくらい微笑んでいた。
 そんな様子なので今日の朔張校長は随分と年若く見え、明天先生と並んでいるとまるっきり児童のようだ。
 私は厳めしい二つ名を持つ二人には似付かわしくない光景を前にどうしようかと悩んだが、可愛いウサギ達の魅力に惹かれて、仲間に入ることにした。
「朔張校長先生、明天先生。こんにちは」
 私の声に反応した二人は、のん気に顔を弛緩させたまま振り向く。
「あ、酒留さ~ん。あなたもウサギちゃん達と遊ぶ~?」
「あなたもこの可愛い子達の引力に吸い寄せられたのね。分かるわ。こっちにいらして? 一緒にウサギさんを愛でましょう」
 先生方に手招きされたので、私も柵を跨ぎウサギの楽園に足を踏み入れた。
 最初は警戒していたウサギ達だが、だいぶ人に馴れているのか、しゃがみ込むと数羽寄ってきた。
「こっちの子がロップイヤー。こっちの子はジャージーウーリーよ。こっちの子、本当はネズミ科だからウサギじゃないんだけどね」
「そんなの関係ないわよ。可愛い子はみんなウサギでいいわ~。仲間外れなんて、ヤだよね? ん~モフモフ~」
 まるでファーかバスタオルのように、両腕で抱えたウサギへ頬擦りをする明天先生。その姿は小さい子供よりも幼く見えて、とても高校教師とは思えない。
 私も傍に寄ってきた一羽のウサギを捕まえて、顔に擦り寄せてみた。これは、確かに気持ちがいい。
「やっぱり生物達は今の時代が一番可愛らしくて素晴らしいわ。この状態で進化を止めてくれないかしら?」
「え~。それは生物学進化上、可哀想だよ。いっそのこと、生物は可愛さだけ進化させるっていうのはどう?」
「それって、不細工な生物は絶滅するってことかしら」
「うん! あのねあのね、この世は可愛いものだけが生き残るような生態系を組むの。ゴキブリとか蛇とか、きちゃなくて恐いのは徹底的に天敵からロックオン! すると三百万年後、この惑星は可愛いものだらけの生物で満たされた星になるの!」
「名案よ! ナイスアイディアだわ、夕子ちゃん! 萌えに特化した生物だけが進化を遂げるんだわ! あぁ、なんという素晴らしい世界! 動物も植物も全てが萌え! そうしたら私、引力を無視して地球に密着しちゃうかもしれないわ!」
「じゃあ私も! 地球にヴィーナスアタックしちゃいます!」
 なんという恐ろしい話だろう。可愛いもののせいでこの銀河の天体力学が破錠するというのか。この先生達が言うのだから、冗談なのか本当なのか判断がつきにくくて困る。
 萌えの力、恐るべし。

「先生方は、この銀河が誕生してから地球にいらっしゃるんですか? それとも、人類が誕生してからですか?」
 だんだんと物騒な話になってきたので、私はわざと話を逸らした。ウサギの喉を撫でながら朔張校長が答える。
「どちらも正解、と答えておこうかしら」
「どちらも……?」
「えぇ。この銀河が誕生して、地球が惑星としての形を成した時から、私達は地球上の表面に化身として存在していました。
 ただしそれは存在していただけ。きちんとした自我が芽生えたのは、人類が現在のホモ・サピエンスという形態を得てからよ」
 なんだか難しそうな話に小首を傾げる私に、抱きかかえていたウサギも一緒に首を傾げた。その仕草が堪らなく可愛かったのか、明天先生が飛びつくようにそのウサギを奪っていく。
 朔張校長はそんな様子に微笑を浮かべて眺めながら、話を続けた。
「自我や意志というものはね、共鳴する相手がいてこそ生まれるものなの。
 そこにある木々をご覧なさい。彼らは間違いなく生物として存在しているのに、我々やあなた方は意志を共鳴出来ないわよね? あなただって同じ。生まれてから当たり前のように存在していた人類という生物の集合体に意思の疎通を出来たから、こうして自我を持って存在していられるの。
 私や『彷徨の民』も同じ。偶然にも意思の疎通に成功したから、私達は私達という自我が誕生したの。だから存在が誕生したのはこの銀河と同時期だけど、意志が誕生したのは人類と同時期ね」
 頭の上に幾つもクエスションマークがポンポンと浮かぶ。残念ながら凡人でしかない私に『忠義の淑女』の講義は、難解過ぎたようだ。
 だけど、そんな私を察してか担任教師が助け舟を出してくれた。
「つまりあなた達、人類が私やルナちゃんに名前を付けて話し掛けてくれたから、私は夕子でルナちゃんは朔張望でいられるって事。その前なんて、ちょっとした動く石か草程度の存在だったの。
 意思を通わせて楽しくお喋り出来るから、生きていて良かった~って実感できるでしょ?」
「もしも植物だけでなく、石や水とも意思を共鳴出来るなら、私達のような、そうでなくても近い存在と仲良しになれるのかもね。案外、それが妖精とかの正体かもしれないわ」
 そう言って朔張校長はウサギを抱え上げると、明天先生のように頬擦りをした。その仕草はなんだか、今この時代に存在する喜びを校長なりに控えめに、精一杯表しているように見えた。
 この人達にとって四十五億年の果てしない歳月に比べれば、人類が誕生し文化を築き始めた数千年なんて瞬きするほどの感覚なのだろう。
 私とこうして会話をしている時間なんて、尚のこと刹那……。
 それはどんな気分なのだろうか。
 哀しいだろうか、悔しいだろうか。
 それとも、途方も無さ過ぎて考える隙すらないのだろうか。

「だから今の時代なんて天国みたいなものよ。恐竜が跋扈していた白亜紀なんて最悪だったわ」
「恐竜! 超最低だった! あいつら、私達が動いて珍しいからって、すっごく追い掛け回すの。だから隕石が落ちて氷河期に入った時にはせいせいしたわ」
 苦虫を噛み潰すように顔をしかめる明天先生。そんなスペクタクルな時代に生きた覇者達を、まるで近所の乱暴なノラ犬のように言えるのだから、つくづく底が知れない。
「本当に、ざまあみろでしたわね。あれ、実は夏日さんがわざと公転周期をずらして引き寄せた隕石だった、って聞くけど。事実かしら?」
「そうなんじゃない? 夏日ちゃん、高所恐怖症なのにプテラノドンから空中に連れて行かれたって怒っていたから。夏日ちゃんがあそこまで怒ったのを見たのは、後にも先にもあれが初めてだったわ」
 なんという衝撃の事実だろうか。まさか恐竜絶滅の真実にそんな裏話があったとは。
 こんな話を聞かされては、ますますこの人達が持つ星の質量に敬意を払わずにはいられない。
 これからは出来るだけ惑星さん達を怒らせないようにしよう。人類のために……。

 月と金星という太陽系の主要な星達から大変興味深い話を聞かされて、私は圧倒されっ放しだった。今までの常識を覆されたといえばいいのか、開拓されたと言えばいいのか。とにかく普段なら絶対に聞けない話を聞かせてもらい楽しかった。
 すると、ウサギを撫で回しながら明天先生がポツリと尋ねる。
「ところで酒留さん。こんなに私達とのんびりお話していて、良いの?」
 至福の笑みを浮かべながら問い掛けられて、私は何のことを言っているのか、さっぱり分からない。
「はい。先生方のお話を聞くのは面白いですし、大変ためになります」
 それ以上の感想もないので素直に答える。すると朔張校長が口元を三日月のようにニッと歪め、言った。
「私達にしてみれば実に嬉しいことだわ。若い人とこうしてお話をするのは願っても叶わないことですから。
 でも酒留さん。あなたがこうしている間に、鎌田君が他の女の子と逢瀬を交わしているかもしれなくてよ?」
一瞬にして頭が沸点に達した。
不意打ちに鎌田君の名前を告げられ、脳みそがパニックを起こす。あまりにあたふたし過ぎたのか、腕の中にいたウサギを思わずきつく握り締めていた。キュンキュンと悲鳴を上げるウサギを明天先生が取り上げる。
「もう駄目じゃないの、酒留さん。ウサちゃんが可哀想」
「な、なんで先生が鎌田君を……。いえ、そもそも逢瀬って一体?」
 脈動変光星で有名なミラにも負けないくらい、顔を真っ赤や真っ白にさせて、しどろもどろに尋ねる私。
「不思議に思わなかったかしら。さほど大きくもない、既に来馴れている天野動物園という課外授業に二時間半もの時間を用意したことを」
「言われてみれば……」
 どうにも鈍感な私は朔張校長に言われ初めて疑問に思った。
「動物と触れ合い、星結いに対するイマジネーションを育成するのは、ほんの建て前。真の目的は星々の距離を縮めるためなのです。ご覧なさい、酒留さん」
 そう言われて校長先生が指差す先をマジマジと見つめて、私は「アッ」と小さく息を飲んだ。そしてこんな場所でウサギと遊んでいた浅はかで愚鈍な自分を、思いっきり悔やんだ。
 動物園のメインストリートでは、創天高校の生徒が未だにダラダラと行ったり来たりしている。だがよく目を凝らして見てみると、そのほとんどは男女ペアで歩いていた。
「酒留さんもご存知の通り、我々の目的は夜空に広がる星座を増やすこと。ひいては星結いの手助けをすること。ならば星が近付くチャンスを自然に提供して差し上げれば、確実性が増すのではじゃなくて?」


更新日 7月24日

 さっき、班のメンバーが四散した時の光景を思い出す。
 顔を強張らせて緊張しながら、ともえちゃんを誘った山崎君。
 そうなのだ。
 この課外授業は気になる異性と上手く二人きりになりやすいよう、そして誘いやすくするように先生方が用意した場所なのだ。
 だから私はあの時、鎌田君と別れた時に二人で回ろうとか誘うとかいう考えすら思い付かなかった自分に落胆した。去り際、ともえちゃんが私に残したウィンクの意味。今更になって気付くなんて。きっとともえちゃんは山崎君について行くことで、鎌田君と私が二人きりになりやすい状況をこしらえてくれたのだろう。
 親友の気遣いにすら気付かない私……最悪だ。
 でもそんな自分を悔やみながら、私は今しがた朔張校長がいった言葉を思い出して再び赤面した。
「あの……なんで私が鎌田君に星乞いをしているって、分かっちゃったんですか? もしかして、バレバレとか」
 さっき、校長先生は確かにハッキリと言った。鎌田君が他の女の子と、と。それはつまり、私の思い人が鎌田君なのだと確信があっての言葉だろう。
 もしも先生方にさえバレバレなら例えばクラスメート、もっと最悪の場合、鎌田君にも私が好きだって分かっちゃってるかも。意味もなくハラハラと冷や汗が流れてくる。
 でもそんな私に朔張校長は満面の笑みを向けた。
「安心して、酒留さん。きっと確証を得ているのは我々だけでしょうから」
「ルナちゃんは人間の心にある星乞いの位置が分かるのよ。えぇと、月光の元に晒して?」
「明白なる月光の元に晒せば星の座標すら明け透ける、ですの。
 まぁ、ただ単に私、勘が鋭いだけなのですけどね。ですから誰がどなたに星乞いをしているなんて、すぐに見破ってしまうのですわ」
 私は感嘆の溜め息を吐く。さすがは齢四十五億年の含蓄。長い月日をかけて人間観察をしてきた力量は並大抵のものではないということか。
 そこで私はあることに気付いた。
「じゃあ、もしかして鎌田君も誰に星乞いをしているか、朔張校長は分かっているのですか?」
 私から放たれている星の光がどこに向けられているか分かるなら、当然ながら鎌田君のも分かるはずだ。
 鎌田君の星は誰に向けられている? はたまた、まだ星すら生まれていないのか?
 朔張校長は口元をキッと結び、首を横に振った。
「それは決して言う事が許されていません。あなたの思い人だけではなく、他人の事も」
「でも、先生方の目的は星座を増やすことなのですよね。だったら、お互いに好き合っている人達を発見したら星結いをさせるように仕向ければいいんじゃ……」
「それも絶対に許されないのです」
 はっきりとした否定だった。優しく微笑んだ朔張校長の顔に、確固とした意志が宿る。
「確かに我々はあなた方と同じ外見で、同じ言語を話し同じ生活を営みます。ですがそれはあくまで表面上の事。我々は一皮剥けばあなた方とは異形の生命体、いえ生命体ですらない存在なのです。
 ですから決して干渉をしてはならないの。過度な干渉は星の運命を大きく狂わせてしまうのです」
「だからね、あなた達に星結いの事を伝えるのが、私達が出来るギリギリの干渉。それ以上介入しちゃったら、私達がこの惑星を玩具にしたのと同じことになるのよ」
「もしもその禁忌を犯した惑星は同等の罰が下るように、私達はお互いを引力という鎖で縛り付けているの」
 その話を聞いて私は、つくづく先生方が私達とは違う存在なのだと実感した。でもそんな話をしながらも、手元で戯れるウサギを愛でる姿は人と何一つ変わらず、なにかと向き合う時に一番大事なのはどんなものなのかということを、微かに理解した気がした。
 私は制服に着いたウサギの毛を払いながら立ち上がる。今の自分が一番向き合いたい人に会いに行く勇気がついたようだ。ちょっぴり恐いけど、鎌田君を誘ってみようと思う。
「あら。もう行ってしまうの、酒留さん」
「はい。とってもためになるお話をありがとうございました」
 深々と頭を下げる私に、朔張校長は静かに頷くと優しく微笑んだ。その表情が全てを包み込むような母性に満ちていて、さっきまで幼女みたいだった校長先生が、急に壮年の女性に映った。そして慈愛を込めて呟く。
「敬虔なる星の導きが巡りますように……」
 その言葉に後押しされて、私は一気に触れ合いコーナーに張られた柵を飛び越える。そして動物園のメインストリートへ向けて駆け出した。
 そんな私の背中に、明天先生が声を掛ける。
「酒留さーん、デートもいいけど感想文もちゃんと提出するのよ~」
 私は振り向いてクスリと微笑んだ。
「はいっ、必ず。ウサギのこともちゃんと書きますね」
 今は鎌田君のことで頭がいっぱいだけど、今夜感想文を書いている頃には、彼との距離が今より僅かでも縮まっていれば嬉しい。

06:43  |  星乞譚  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2010'07.14 (Wed)

私の星乞譚。 第五章

 木星の化身である歳蔵先生の周りには常に数人の女子生徒が取り巻いている。校舎の中庭や昼休みの体育館など、歳蔵先生の近くには必ずと言っていいほど誰かしらいて、決まってみんな頬を染めて目をとろけさせている。
 それもそのはず。甘いマスクに男性らしいがっしりとした骨格、乙女心を惹きつけてやまない低く落ち着いた声。とにかく女性が好みそうな要素を全て兼ね備えた人(星か?)なのだ。
 あのともえちゃんですら、歳蔵先生の側に寄るとほんのり頬を赤くするくらいである。私には分からないけど、ともえちゃん曰く「イケメンフェロモン」が放出されているらしい。
 木星にはガリレオ衛星を含めて、約六十個以上の衛星が存在していて、噂によるとその全てが歳蔵先生と星結いをした女性の数ということだ。
 どうにも信憑性に乏しい話だ。何故なら普段の歳蔵先生を見ていると、四十五億年生きてきて星結いをした数がたったの六十だなんて信じられないから! 一年間に二桁くらいはしてそうだもん!
 今もそうだ。教壇に立って神話の話を雄弁に語っている歳蔵先生の姿はさながら俳優みたいで、クラスの大半の女子はうっとりと聞き惚れている。
「……というわけで、娘のアンドロメダの美しさを自慢したカシオペア王妃は、神の怒りに触れてしまったわけだ。しかし、僕はその気持ちが痛いほどよく分かるよ。だって手元に美しいものがあれば誰だって誇りたいものだろ? 今の僕はまさにそんな気分さ。だって……」
 そう言って歳蔵先生は教壇に教科書を置くと、一番前に座った女子生徒にスッと近寄って囁いた。
「こんなに可憐な星に手が届くのだから」
 その瞬間、教室内に黄色い歓声がこだまし、歳蔵先生のフェロモンに当てられた女子生徒は真っ赤な顔のまま気を失ってしまった。
 ギリシャ神話の授業は毎回こんな具合で、殆ど歳蔵先生のオンステージで終わる。星座にはギリシャ神話に登場する人物が多いため、いざ星結いが成功した時に星座名を決める指標になるそうだ。それに初めて星座を打ち上げたのがケフィウス王だというので、それにあやかっている節もあるらしい。
「君達はこのギリシャ神話がフィクションだと思うかい? 登場する人物は全て作り物だ、って」
 気絶した女の子からするりと身を離すと、歳蔵先生は意味深な問い掛けをした。みんなどう答えればいいか分からず、首を傾げている。
「実はね、これらは全てノンフィクションなんだよ。あのゼウスだって実在した人物なのさ」
 驚いていいものかどう反応していいのか、みんな閉口したまま固まっている。歳蔵先生のファンの子達だけは陶酔してしきりに頷いているけど。
「もっとも力づくで世界を創り出したり、白鳥に化けて下界を散歩したりだなんていうのは作り話だけどね」
「じゃあ先生、ゼウスは一体どんな人だったんですか?」
 優等生の山崎君が質問を投げかけた。確かに実在するというなら、超現象な存在ではなく私達と同じ人間なのだろう。
「そう、彼は元々とある国の王様だったんだ。それが自叙伝を作るという時にね、僕がある提案をしたんだよ。どうせなら物語風に書き残してみては、ってね。
 彼は根っからの創作文学好きでね、よく他の国から語り部を招いては寝る間も惜しんで物語の世界に没頭していたよ。僕の話に賛同した彼は、自分を神とした物語を死ぬまで書き続けた。そして亡くなる間際に僕へこの神話を世界に広めるよう頼んだのさ。
 それから僕は旧友であるゼウスの遺志に従い、諸国を漫遊しながら彼の作った物語を伝えていったんだ。始めは口伝での布教だから大変だったんだけど、紀元前三世紀頃にはだいぶ世界に浸透していってね。今ではご覧の通り、世界的なロングベストセラーさ。
 それがギリシャ神話の真実、僕がこの授業の講師をしている理由さ」
 どうにも眉唾な話過ぎて信じにくい。でも木星の化身である彷徨の民ならば、そういう人物と密接な関係を築いていても不思議ではない。
「つまりギリシャ神話は半分フィクションで、半分ノンフィクションなんですか?」
 後ろの席の鎌田君も質問をする。歳蔵先生とは違った種類のハスキーな声に私の体はいちいち反応してしまうから情けない。
「そういうことになるかな。登場する人物はほとんど彼の身内をモチーフにして名付けられている。例えばお酒の神であるバッカスなんて元は城の酒蔵担当のチーフだからね。彼とはよく朝まで飲み比べをしたものだ」
 何千年前も昔の話だろうに、歳蔵先生はさも昨日あった出来事のように話をする。四十五億年の歳月にしてみれば、千年前なんてきっと、私達の半日程度の感覚なのだろう。
「それにしてもこのクラスの男子は、大変勉強熱心で好ましい。女子のみんなも、どんどん質問していいんだよ?」
 白い歯を見せてウィンクを飛ばす歳蔵先生。そんな仕草だけで女子達は黄色い歓声を上げるので、質問どころではないようだ。
 歳蔵先生は教科書を持ち直すと、授業を再開する。

「さて、アンドロメダの話に戻ろう。彼女は海の怪獣、化け鯨の生け贄にされてしまう。両手首を鎖で縛られ、あわやその美しい肢体に化け鯨の強牙が襲い掛かろうとした、その時! 颯爽と登場したのが勇者ペルセウスだったんだ!」
 歳蔵先生は芝居がかった調子で教科書を読み進めていく。この先生も相当に物語が好きだったのだろう。そのゼウス王と気が合ったという話も頷ける。
「彼はペガススに跨り、化け鯨にメデューサの頭を向けた! すると化け鯨は石化してしまい海へと沈んでいき、ペルセウスとアンドロメダはめでたく結婚しました、とさ」
 ペルセウスの英雄譚が終わると女子達は拍手喝采で立ち上がる。その様子を男子達は面白くなさそうに鼻白んで見つめていた。
 これだけ女子の心を独占してしまっていては、男子達もさぞかし嫉妬しているだろう。もしかして歳蔵先生を取り巻く集団の中に、自分が星を乞っている女子もいるかもしれない。
 もしも鎌田君が明天先生や夏日先生に鼻の下を伸ばしていたら、私だって気が気じゃなくなる。しかも相手が彷徨の民となれば勝ち目もなく、やりきれなさも倍増だろう。
 ……いや、明天先生には勝てるかもしれない。見た目年齢的に。
「これが古代エチオピアにまつわる神話の一番有名な話であり、秋の夜空に輝く星座の逸話になっている事は、みんなも知っているよね?」
 私はギリシャ神話の教科書を置いて、机の中から天体観測用の本を取り出す。そして秋の夜空を写し出したページを開き、指でなぞる。
 人類最古の星座と言われるケフィウス座を始め、ペガスス座にペルセウス座。まさに古代エチオピアの神話をそのまま打ち上げたかのようなラインナップだ。
 私はこの秋の天体が好きだ。特に目立つ星は無いけど、それぞれ個性的で見つけやすい形を持っている。まるで星座達が控え目ながらも精一杯に自己主張をしているみたいだ。
 そんな秋の夜空を見上げていると勇気付けられたりもする。なんの取り柄もない私だって、一生懸命に輝いていればいつかは気付いてくれる星になれそうな気がして。
 愛しい王妃とお姫様に自分達はここにいると訴え続けるケフィウス王とペルセウス。その願いが、いつかは届くと信じている。そうでなきゃ、私の思いも届かなそうで、恐くて……。
「このペルセウス座を打ち上げたのは元のソビエト連邦に住んでいた十五歳の少年少女だったんだ。戦時中だったけど、たまたまその少年と知り合ってね、しばらくは一緒に過ごさせてもらったよ。ある日、町で駐屯兵にからかわれていたその少女を見つけてね、少年が勇敢にも助けに飛び出して行ったんだ。残念ながらペルセウスのように格好良く決められはしなかったけど、それ以上に彼は少女の心を射止めるという大きな成果を得たのさ。そして相思相愛だった二人に星結いの所作を教えて星座を打ち上げさせたんだ。勇敢な戦士に最高の勲章をプレゼント、ってね」
 その話を聞いて、私はやっと合点が入った。
 何故、明天先生がこの間の授業でペルセウス座の事を名指しで非難したのか。きっと歳蔵先生が関わった星座だからだろう。件の星結い講義の時にも思ったが、明天先生は歳蔵先生の事が嫌いなようだ。
 外見がお子様で生真面目な金星に、異様に女性へ人気があり軽薄な木星。いくら彷徨の民同士と言っても、星の巡りが悪い場合もあるらしい。
「だから秋の夜空には、まだ王妃と姫が不在な状態さ。でもね、僕は信じている。きっといつかは古代エチオピアの逸話が秋の夜空に燦々と輝くことを。その星を結ぶのは、君達かもしれないね。カシオペアとアンドロメダ、そして……僕のお姫様はどこにいるかな?」
 軽くウィンクを飛ばす歳蔵先生に、女子達は授業中ということも忘れて我先にと先生に飛びついていった。憮然とする男子達の視線を流し、たくさんのお姫様候補を愛でる歳蔵先生。なんとなくだけど、明天先生の気持ちが分かる気がした。でもそれって、私もお子様という証拠なのだろうか?
 後でともえちゃんに聞いてみよう。

 店の番台に座りながら、今日学校で出された宿題に取り掛かっていた。
 学校の成り立ち自体が特殊で私立という事もあってカリキュラムは異質だが、それでも授業のレベルが高いのが創天高校の特徴だ。生半可に授業を聞いていては、たちどころに置いてきぼりを喰うし、普通教科に関しては学習塾に通う生徒もいるくらい。だから私もこうして店番をする傍ら、空き時間を見つけては勉学に精を出している。
 今、手を着けているのは『星乞譚』の課題だ。担任教師である明天先生から提出された宿題だが、これまた量が多い。見た目に反してストイックな性格なのか、明天先生の授業は全教科で一番厳しいと専らの噂だ。
 逆に見た目は冷たいイメージがある夏日先生の課題は比較的優しい。惑星は表面だけでは判断出来ない別の顔を、球体の裏側に隠しているということか。
 紀元前に誕生した星座について感想文を書かなければいけないが、当時の時代背景なども考慮するとなかなか難しい。普通の歴史教科書と旧式の天体図を開きながらの作業となるので骨が折れる。三千年前ともなると北極星の位置すら今とは異なるので、頭がパンクしてしまいそうだ。
 頬杖を突きながら課題用ノートにペンを走らせていると、店のドアが開いた。慌てて頭を上げて、私は息を飲む。
 買い物に来たお客さんは、鎌田君だった。私は詰まりかけた喉を無理矢理押し開いて言う。
「い、いらっしゃいませ」
 そしてどうにか声を絞り出すと、朱色に染まった頬を隠すように、深く俯いて課題をする振りをした。鎌田君は爽やかに微笑むと、入り口に置いてあるカゴを手にする。
 私は課題の事など全く頭に入らなかったけど、わざと気のない風にペンをいそいそと走らせた。空を走るペンが落ち着かない心をさらに掻き立てた。
 買うものが始めから決まっていたのか、鎌田君は店内を一周すると、カゴを番台に置いた。そして私はようやく頭を上げる。
 ここからが、私だけの秘密の時間が始まるのだ。
「それ、今日の課題?」
 低く落ち着いた声がスッと胸に滑り込んでくる。鎌田君の言葉は、どうやら私の頭にすんなりと入ってこないようだ。胸の中で転がした言葉を何度か反芻して、その余韻に浸りながらやっと脳みそに理解を任せる。
 面倒な体だ。
「うん。明天先生の課題って、時間掛かるから。店番しながらやらないと、夜中になっちゃう」
「そうだよね。俺も帰ったら早速取り掛かろう。今日のは難しい?」
「う、うぅん。先週よりは少し楽かも」
 こんな何気ないやり取りを、教室内ではとても出来ない。
 鎌田君は勉強も普通に出来るしスポーツも万能なので、クラスの中ではいつも中心人物だ。だから女子にも密かに人気があり、みんなを差し置いて気軽に話しかけるのは難しい。
 それに少しでも男子と親しくしていると、星乞いだの星を繋ぐだのと勝手に話が発展するので恐くてたまらない。だからこうして店番をしながら、週に一度くらい鎌田君と話をするのはみんなには内緒。私はこの時間だけは流星群を観測するように、全神経を集中させるのだ。
 鎌田君への願い事が叶うように。
 商品の会計は時間を掛けてゆっくりとする。鎌田君は途中になっている私の課題に目を落としていた。
「酒留は星乞譚の教科が得意だよね。この前の中間テストも俺より点数が良かった」
「でも他の教科は全部、鎌田君の方がずっと良かったじゃない」
「そうだけど、星乞譚は覚え方が難しいというか、明天先生の問題の出し方が独特というか」
 先週、買い物に来たときに私と鎌田君は中間テストの結果を打ち明け合った。また一つ、二人だけの秘密が増えたことに狂喜乱舞し過ぎて、あの日は店番の後に速攻でともえちゃんに電話をしたのだった。
「うん。あれは教科書よりも授業中に明天先生が喋った事の方がテストに出てくるみたい。それに時代背景を重要視する節があるから、中学校の時に使った歴史の教科書が意外と役立ったりする」
「そっか。そうして覚えればいいのか」
 感心したように目を見開いてみせる鎌田君。
 その時にふとある提案が頭に浮かんで、胸が騒いだ。言おうか言うまいか自分の中で大会議が開かれて、パニックになった。
 どうしようか、言ってみようか。
 一緒に勉強、してみる? って……。
 唐突に胸がキュッと苦しくなる。口を噤んだ私に気をかける事もなく、鎌田君は微笑を浮かべていた。
 もしも鎌田君と一緒に勉強をするという口実を取り付けられれば、二人だけの秘密をまた増やせるし、さらに距離を縮めることが出来る。でも、それを言ってしまった後、鎌田君はどんな顔をするだろうか。その顔を見るのが恐くて、私は口を開けずにいた。
 しかしチャンスの神様は愚鈍な人間には微笑まないという。
 あまりに長く沈黙していた私を訝しんだ鎌田君が、おずおずと尋ねてきた。
「酒留、会計はいくら?」
 最早タイミングを完全に逃してしまった事を悟った私は、ハッと顔を上げて手早くレジを打ち込んだ。
「な、七百六十円です……」
 胸のポケットから財布を取り出すと小銭を数える鎌田君。私は意気地のない自分を恥じながら、真っ赤な顔をしてまた俯いたしまった。
 時間というものは誰にでも平等で、タイミングというものだって誰にでも平等に隣をすり抜けていく。
 曇天が晴れるのを待って夜空を見上げていたけど、お目当ての星座はいつの間にか西の空を通り過ぎ、森へと帰っていってしまった。

更新日 7月18日

 財布の中から八百円取り出した鎌田君は、その銀貨達を私に手渡す。その時、鎌田君の指が軽く私の手のひらに触れた。
 体中を電力が駆け巡る。体と頭はバラバラになって鼓動を繰り返す。鎌田君がほんの少し触れた部分が熱を放ち、そこから言葉では言い表せない喜悦がじんわりと全身に浸透していった。
 私は鎌田君から受け取った小銭に落とさないようにレジの中へ入れると、何度も確かめるようにお釣りを数える。十円玉を四枚、手のひらに並べて鎌田君へ差し出す。そして私は臆病な自分を奮い立たせるように、ある行動を決意した。
「よ、四十円のお返しです」
 震えそうになる手をどうにか鎮めて、お釣りを渡すときに鎌田君の手に、そっと触れてみた。
 男らしく大きな鎌田君の手は温かく、一瞬触れただけで心臓を鷲掴みされるような、魂を温水で浄化されるような温もりと優しさで溢れていた。
 十円玉を鎌田君の手のひらに落とすと、弾かれるように手を引いた。どんな顔をしたのかと恐る恐る上目遣いで見上げると、鎌田君はさほど気にした様子もなく爽やかに微笑むだけだった。なんだかちょっぴり悔しかったけど、少しだけ前進出来た自分を素直に褒めてあげたい。本当に、僅かな前進だけど……。
「味噌、二種類も買うんだね」
 このまま秘密の時間が終わってしまうのが惜しくて、私は必死に鎌田君との会話の糸口を探した。そして、ビニール袋に入れた商品に注目をする。
「? そうだよ」
「なんで二種類も買うの? お味噌は一つあれば充分なんじゃない」
 小首を傾げる私に、鎌田君は少し苦笑いを浮かべながら答えた。
「サバの味噌煮を作るときとか、白味噌と赤味噌の二種類を混ぜると、味に深みが増すんだよ」
「へぇー、そうだったんだ。知らなかっ」
 そこまで言って、私はしまった! と自分を諫めた。そんな事も知らないなんて、普段から料理をしない女の子というのがバレバレじゃないか。
 なぜ鎌田君が苦笑いで視線を逸らしているのか、やっと理解した。料理が出来ない私が傷付くのではないかと憂慮してくれたのだろう。そんな気遣いがますます私の頬を赤らめた。
「で、でも! 鎌田君、料理は自分で作っているんだ」
「うん。結構得意だよ」
「すごいね。私なんて時々お皿を並べるくらいしか台所に立つ機会がないのに」
 ちょっと自嘲気味にわざと明るく振る舞う。ここで変に落ち込んでしまったら、せっかく気を遣ってくれた鎌田君に申し訳ない。
 でもその時、鎌田君は何故だか伏し目がちになり弱々しく微笑んだ。その少し暗い影を含んだ哀しげな仕草が気にかかった。いつも明るくて優しい鎌田君が一瞬だけ別人に見えた。
 どう会話を続ければいいのか迷っていると、母家の方からお父さんが、ぬっと顔を出した。相変わらずのしかめっ面をこっちに向けるお父さんに気付いた鎌田君は、さっきまでの暗い表情をスッと引っ込める。そして朗らかな笑顔を浮かべ挨拶を述べると、頭を下げる。そんな様子をしばらくジッと見つめていたお父さんは、何も言わないまま店内を歩き回り、お菓子の袋を二、三個掴むとそれをビニール袋に突っ込んで鎌田君へ渡した。
「もってけ」
 ぶっきらぼうに言い捨てるお父さんに対して、鎌田君は戸惑う様子もなく受け取ると、礼を述べてまた頭を下げた。
 お父さんは時々、鎌田君がお店へ買い物に来ると、その辺にあるお菓子をいくつか無料であげるのだ。だから鎌田君も毎度のことと断る素振りもせず、有り難く頂くことにしていた。
 お父さんは誰に対してもこんな事をするわけではない。むしろ客商売にも関わらず店に居るときはいつもムッスリしていて、他人を拒絶しているようにしか思えない。素行が悪い若者なんて、怒鳴って追い返すほどだ。鎌田君へのあからさまな差別を私は常々疑問に思っていた。
 番台の後ろで腕を組み仁王立ちしているお父さんに臆してか、鎌田君はもう一度お礼を言って店から出て行った。そして去り行く鎌田君の背中を惜しみつつ、母家に戻ろうとするお父さんに声を掛ける。
「ねぇ、お父さん。なんでいつも鎌田君にお菓子をあげるの?」
 星乞いをしている相手に自分の父親が特別な対応をすることは喜ばしいけど、それでも理由がなければ不思議でたまらない。お父さんはしばらく黙り込んだ後、ぼそっと呟いた。
「んなもん、お前が知ったこっちゃねえだろ」
 素っ気ない物言いに、私は頬を膨らませて反発する。
「なによ。教えてくれたって良いじゃない。私がお店のお菓子を勝手に食べると怒るくせに」
「下らねえこと言ってないで、勉強でもしてろ」
 そう言ってお父さんは母家の方に戻ってしまった。私はそんなお父さんの背中に舌をべぇーと出して、再び課題に取り掛かる。
 それでも気持ちはどうしても、鎌田君の事を思い出さずにはいられなかった。
 さっき交わした会話の内容。
 手のひらに触れた指先。
 そして、ふと見せた哀愁。
 あれは一体、何だったのだろうか。
 幼い頃から鎌田君の事を知っていたつもりだけど、あんな表情を見たのは初めてだった。
私は星乞いをした人の事を表面しか知らなくて、その裏側に隠した一面に触れた事もなかった。もしも知ってしまった時、今のように鎌田君を好きでいられるだろうか? なんだかそれが恐くて、私は課題に取り掛かれずにいるペンをギュッと握り締め直した。
 胸に微かな、ほろ苦い痛みを抱いたまま……。



06:59  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'07.10 (Sat)

私の星乞譚。 第四章

 麗らかな春の日差しが窓から降りしきる午後。一年一組の教室では明天先生による歴史の授業が講義されていた。専用の踏み台に登って一生懸命黒板にチョークを走らせている、一見小学生にしか見えないこの人(?)が私達の担任だ。
「星結いの歴史は古くから伝えられており、っんしょ、紀元前にも遡ると言われていますっ」
 幼げな可愛い声にまだ馴れていない男子生徒達は、明天先生が一言話す度にクスクスと笑っている。
 ちなみに明天先生が担当する授業は歴史といっても星結いに関する歴史『星乞譚』という、この学校にしかないカリキュラムだ。
「この銀河で観測された星座で最も古いとされるものは、んと……ケフェウス座ですっ。古代エチオピアの王であるケフェウスが偶然打ち上げたとされるので、本人の名前が付きました。……よいしょ」
 手が届かないのか、一度踏み台から降りて位置を変えると、再び黒板に字を書き出す。その仕草が可笑しくて、クラスの大半の人が小さく吹き出した。隣に座った男子は友人と「子供先生」と言い合ってさらに悶絶している。
「それ以来、恒光石による星結いが頻繁に行われたかと言うと、そんな事もありません。五十年に一度、星座が打ち上げられるかの頻度……だったかな? うん、たぶんそのくらい」
 この地球が誕生したと同時期に誕生して、今日までこの地上を見守ってきた金星の化身は、人類では想像もつかないほど長寿の含蓄があるのだろう。だが、この子供じみた声や話し口調を聞く限りでは、とてもじゃないが尊厳を抱くのは難しい。
 齢四十五億年と言われる彷徨の民も、たった十六年間しか生きていない人間の学生から馬鹿にされるのも滑稽である。
「しかしここ数十年前から星座の誕生が活発化してきました。それもこれも私達、彷徨の民やルナちゃん……忠義の淑女が星結いを精力的に各地へ伝授し始めたからなのです」
 少し得意気に胸を張る明天先生。まるで初めてのお遣いに成功した子供みたいだ。
「この地域は昔から星結いの伝承が伝わっていたので、私達の考えを積極的に受け入れてくれたので、んしょっ、大変助かっています。ちなみに一番最近、この町で星座を打ち上げたのは十年前、三丁目でペットショップを経営している海野さん夫妻で『いるか座』を誕生させました」
 思いがけない話に教室中が驚愕した。
 三丁目の海野ペットショップといったら毎日登下校の通り道になっている。まさかそんな身近に星結いに成功した人達がいたとは。思い起こしてみれば、お母さんが海野さんを時々、いるか夫婦と呼んでいたけど、そんな意味が秘められていたのね。
 すると斜め向かえに座っていた男子生徒が手を挙げて質問をした。
「でも先生。そんなに有名な話だったら、この町の全員が知っていても不思議じゃない気がするんですけど」
「うん。実は星座が誕生したら、その星結いしたカップルが誰かというのは秘匿される事になっているの」
「何故ですか? 凄いことなのに」
「そうですね……。例えば、大山さん。あなただったら意中の人と星結いが成功したとしたら、みんなに公表して欲しい?」
 突然に名指しされたともえちゃんは若干戸惑いつつも淡々と答えた。
「いえ、恥ずかしいので遠慮します」
「そうよね。いくら初恋が実ったといっても、それがみんなに知れ渡るのは気分が良いものじゃないわ。見ず知らずの人から好奇の眼差しを向けられる。どの星座とは言えないけど、公表したのが原因で破談しちゃったカップルだっていたわ。せっかく星を繋げられたのに、可哀想だった」
 本当に悲痛な表情を浮かべる明天先生。きっとそのカップルと浅くない交流をしていたのだろうか。星乞いの成就を傍らで応援していたのかもしれない。
「それにね、星座まで打ち上げてしまったからには生涯添い遂げなければいけないっていう、妙な脅迫観念もあるのよ。だって毎年季節が巡ってくる度に夜空を見上げれば、去りし日の輝かしい記憶を思い出されてしまうんですもの。そう、何度も……」
「別にいいんじゃないっすか。初めて好きになった人と一生、一緒にいれるんなら」
 最初に質問した男子生徒がそう言うと、明天先生は肩をすくめて溜め息を吐く。
「世の中そんなうまくいくわけじゃないのよ。まぁ、お子ちゃまには分からないんでしょうけど?」
 全員が思った。明天先生からは言われたくないって。きっと思った。
 でも星座の誕生を公表するかしないかについてはみんなが興味あったようで、踏み台の上でしたり顔をしている明天先生をよそに、それぞれ話し合っていた。
 すると、背後の席に座っている鎌田君の声が耳に入ってきた。
「俺はイヤだな。だって恥ずかしいだろ」
 たったそんな一言が私の体にスッと入ってきて溶け込む。鎌田君もやっぱり星結いに興味を示しているのだ、という事実が私の耳をチリチリと熱くする。彼も星乞いをしているのだろうか。彼が乞う星はどんな瞬きを見せているのだろうか。
 その時、丁度良く終業のチャイムが鳴る。最後に明天先生はこう授業を締めくくった。
「ちなみに、いるか座の命名は海野さん夫妻が自分達で決定しました。なんでも星結いをした夜にデートで水族館にイルカを見に行ったそうです。形なんてあんまり関係ないですし、もしも本人達の希望がなければ私達が神話になぞらえて決めますが。星座の命名なんて案外そんなものです。凝りすぎると訳が分からなくなるんですよ。ペルセウス座とか」

 火星は昔から凶兆のイメージが強い。
 地球に二番目に近い惑星なのに、あの禍々しいほどに深紅な星は見る人の心に畏怖を抱かせながらも、惹き付けられずにいられない。だから夜空を見上げてもそういう感慨が胸にくるほどなので、その化身が目の前にいるとなれば、誰でも自然に背筋が伸びてしまう。
 今、教鞭を揮っているアラビア・ギリシャ語教師である西郷夏日先生の授業中は、他の授業に比べてみんな大人しい。特に西郷先生が威厳高く振る舞っているわけでも、大声で怒鳴り散らしているわけでもない。
 ただ淡々と授業を進めているだけなのだ。
「……というわけで、どちらかと言えば恒光石の命名はアラビア語の方が多いわけだ。では次のページを……今よんでもらった後ろの席の人」
「は、はい! 山崎です!」
「山崎、か。すまないな、まだ日が浅いので全員の名前を把握していないのだ」
 若干、物憂げにも聞こえるのんびりとした語り口調だが、どことなく凄みが感じられるのは何故だろうか。
「い、いえ! では読ませて頂きます!」
 普段は優等生然とした山崎君だけど、彼らしくもなく声を裏返させながら音読をしている。その様子を西郷先生は赤い瞳を真っ直ぐに見据えていた。
 あの瞳に見つめられては、体のあちこちから嫌な汗が出てきそうだ。きっと誰もが、次は自分の番かとヒヤヒヤしているだろう。まるでペルセウスが左手に携えたメデゥーサのようだ。あの食変光星に睨まれたら、誰もが声を発するのも忘れて石化するだろう。
「星座を構成する星達はアラビア語、もしくはギリシャ語で名付けられているものが多い。別段、統一規格というわけではないが、古来よりアラビア語やギリシャ語で恒光石を打ち上げた方が星結いの成功率が圧倒的に高いためだ」
 そう言うと西郷先生は、これまで名付けられた星達の名前を次々と暗唱した。低く落ち着いた声が心地良く教室に響き渡る。中には私でも知っている星の名前も出てきたが、西郷先生の声はまるでリズムを刻んだ唄のようにすら聞こえてきた。
「なぜアラビア語やギリシャ語で命名した恒光石が成功し易いかというと、一説にはこれらの言葉のリズムが恒光石と共鳴しているからだと言われている。本当に……不思議な石だ」
 そして西郷先生はもう一度、星達の名前を呼び始めると、そのままゆっくりと教室内を歩き出した。まるで夜空を惑うように、星々の間を縫うように巡りながら。
「そうだ。恒光石の話が出てきたついでなので、この石についても少し説明を補足しておこうか。みんな、自分の恒光石を手元に出してくれ」
 教室をぐるりと一周し、教壇に戻ると西郷先生は手に持った教科書を置いた。みんな、先生の指示に従って胸元から巾着袋を取り出すと、慎重に中から透明な玉を出す。
「恒光石は大きさも数も人それぞれ。直径が一センチ程の玉があれば、二センチに及ぶ物もある。数も一つしかないものもあれば、一人で十個も二十個も保有している者もいる。今は四つに分断されたが、かの有名なアルゴ座などは殆ど一人で打ち上げたものだった。隣同士、見せ合ってみるがいい」

 私は隣のともえちゃんと恒光石を見せ合う。こんなに長い間、一緒にいたのに一度もお互いの恒光石を見たことがなく、何だか気恥ずかしい。
「本当だ。ともえちゃんの方が私より大きい」
「でも数は心恵ちゃんの方が多いわよ。私のなんて五つだけですもの」
「え~。私のなんて小粒なのが六つもあるだけだよ」
 そんな風に話していると、ちょうど斜め後ろから声が聞こえた。
「酒留は六つなのか。でもそんなに小さくは見えないけど?」
 声の主がいる方を振り返って、私の心臓はコトコトと鳴り始めた。
 徐々に鼓動を速めていく。
 鎌田君が、声を掛けてきた。
「そ、そうかな? 鎌田君は、何個?」
「俺は三つ。大きさが全部バラバラなんだ」
 そう言って手に乗った恒光石を私に差し出す鎌田君。大きく男の子らしい手の上には、淡い光を蓄えた玉が転がっていた。
 これを使って星結いをするのかと思いながら恒光石を眺めていると、まるで鎌田君の見てはいけないような、心の中を覗いているみたいでこそばゆかった。
「ちなみに恒光石の大きさと夜空に打ち上げた時の明るさは関係ない。恒光石の時は直径が二センチ強あっても、実際の夜空では五等級程の明るさしか、なかったり。研究の結果、玉の大きさと星の明るさには何の因果もないと結論付けられた。
 さらに、恒光石の数も個人の優劣とは関係ない。一つ同士しか持たない者同士でも星結いは可能だ。星座など言わば点と点を結べれば良いのだからな。ただし、多く持って産まれる家系はあるようだ。
 以上の事を踏まえ、恒光石とはDNAや血液型に近いものなのかも知れないと、私は考える」
 星結いに必要なのは当人同士の強い意思だ、と話を締めると、西郷先生がこちらにツカツカと歩み寄ってきた。
「そして恒光石のもう一つの特徴を教えよう」
 少し体を固くして身構えると、先生は私の恒光石を一つ掴んだ。
「酒留、一つ借りる」
 呆気に取られる私をよそに西郷先生は窓を開けると、何の躊躇も無しに振りかぶって私の恒光石を外に投げ捨てた。
 悲鳴にも似た絶叫が教室中に響く。みんな目をいっぱいにカッと開いて、窓の外へ向ける。私は何が起こったか事態が掴めず、ただただ放心して先生を見つめた。
 私の、鎌田君に星乞いをした恒光石が、無造作に、投げ捨てられた。
 両目にじんわりと涙が浮かんできた矢先に、西郷先生は制止を掛けるように手を振る。
「待て、安心しろ、酒留。心の中で自分の恒光石を念じてみろ」
 グシャグシャになった考えのまま、先生の言う通りに胸の前で手を組んで念じてみた。
 すると、手の中に何かモゾモゾとした感触がある。手を広げてみて驚いた。そこには西郷先生が投げ捨てたはずの恒光石があったのだ。
 まるで手品でもされたかのようで、私だけでなくクラスのみんなも騒然とした。
「ご覧のように、恒光石最大の特徴は必ずその本人の身から離れないという事だ。だからどこかに落としても、捨てようとしても壊しても念じるだけで元に戻る。体の一部みたいなものだ。それ故に地方によっては不気味だと忌み嫌われることもあり、早々に空に打ち上げて処分される」
 みんながマジマジと自分の恒光石を見つめる中、西郷先生は構わずに授業を進める。
「話がやや逸れたがアラビア、ギリシャ語の講義に戻ろう。全員、恒光石を仕舞い、辞書を出すように」


更新日 7月13日

 アラビア語はこれまで全く触れ合ったことのない言語のため、読み方も書き方もサッパリと掴めない。でも入学と同時に西郷先生が配布した辞書は特徴で、調べたい単語を日本語で引くと、アラビア語はカタカナ表記で記載されているので分かり易い。
 アラビア語を学ぶというよりは、恒光石に名前を付けるだけに特化した辞書と言える。
「星結いは恒光石に名前を付けなければ何も始まらない。いくら意中の相手に思いを告げようが接吻しようが、恒光石の名を呼ばなければ星座は結べないのである」
 少し厚手の辞書をパラパラとめくると、カタカナ表記が目に飛び込んでくる。中でも『アル』で始まる語句が多いことに気付く。
「恒光石は好きなように名付けて結構だ。ただし、出来るだけ身体の部位の名前を付けるのが好ましい」
「何で、ですか?」
 鎌田君の左隣に座っていた男子が手を挙げて尋ねた。
 たしか彼の名前は阿部哲也君。いつも鎌田君と一緒にいて中学校からの友人だと聞いた。
「星座に動物や神話に登場する偉人が多いのは知ってのとおり。つまり星座が誕生した時に生物の名を付けられる可能性が高く、身体の部位の星であれば形が決めやすいのだ」
 納得したように頷きながら、哲也君は熱心に辞書をめくり始めた。
 彼は今のように、西郷先生でも臆することなく物事を尋ねる男子だ。度胸があるのか、それともただ単にお調子者だからか分からないが、クラスでは一目置かれている存在である。
 西郷先生は教科書を持つと話を続けた。
「そうでなくても数字だったり、方角だったり。ともかく簡単な名称がいいだろう。あまり凝った名前だと長くなって、せっかくの大切な場面でつっかえてしまうぞ」
 その時だった。私の背後で哲也君が何かと言ったと思った瞬間、眩い光が放たれた。
 驚いて振り返ると、哲也君が焦った様子で強烈な光を発するソレを握り締めている。その場にいた全員が、彼が何をしたのか理解した。西郷先生は額を手で覆って呆れている。
 哲也君はきっと、恒光石の名前を呼んでしまったのだ。
 慌てふためく哲也君の手の中にある恒光石はさらに光を強めていく。みんなはあまりの唐突さで弾かれたように席から離れる。
 哲也君も何か叫ぼうと口を動かすが、恐怖のあまり歯の根が合わない。居ても立ってもいられなくなったのか教室内を走り回るが、それに併せて黒い人だかりも逃げ惑う。
 そうこうしているうちに恒光石は目を覆いたくなるほどに光を強め、臨界点に達したと思った瞬間、哲也君の手から放たれた光は開いていた窓から猛烈な速さで飛び出していった。
 全員で追い掛けるように窓へとすがる。眩い光は天空目指して飛んでいき、じきに見えなくなった。
 みんな、一言も発する事が出来ず空を見上げていると、館内放送のチャイムが鳴った。
「ただ今の星結いの観測結果を報告します。南東の空に約十六等級を一つ。星座の誕生は発見出来ませんでした。なお、星団、星雲なども同様に観測出来ず。緯度や経度、変光星、赤色星、二重星などの観測は追って報告致します」
 声の主は朔張校長だった。謎の放送に一同うろたえていると、相変わらず仕事が早いと呟きながら西郷先生がみんなに着席を促した。
「一年に一人か二人はな、必ず冗談半分で星を打ち上げる奴がいるんだ。今やったのは……堀部だったか?」
「……阿部、です」
「あぁ、阿部か。すまない、まだ顔と名前が一致しなくてな。やるなと言われればやりたくなるのが人の本能。それは致し方ない。ただし」
 そう言って西郷先生はみんなを見渡す。真っ赤な瞳に射竦められ、一同背筋を伸ばす。
「一つでも恒光石を失えば、他に何個残っていようとも星座を結ぶ機会が永久に失われるということを肝に銘じておいて欲しい。星座はその人が持った全ての恒光石を用いて結ばれるものだからな」
「じ、じゃあ先生。哲也は例え星結いが叶っても星座は結べないってことですか?」
 友達をいたわってか、鎌田君がおずおずと尋ねる。
「そういうことだ。なに、別段どうしても星座を結ばなくてはいけないわけではない。初恋は叶う、相手次第だが」
 そうかもしれないが、哲也君はもう星乞いの成就を形で残すことが出来ないのだ。もしも自分の立場だったらと考えると、同情を禁じ得ない。
「だがな、そういう生徒がいてくれるおかげで、こちらとしては他の生徒に訓戒を与えやすくて助かる」
 みんな深く理解したようで、しきりにウンウンと頷いた。今の光景を見せられれば、誰もがなんとしても恒光石の名前を呼ぼうなどとは考えないはずだ。只でさえみんな大人しいアラビア語の授業は、次回からさらに静寂に包まれるだろう。
「ちなみに阿部。お前は恒光石になんと名前を付けたのだ?」
「……アルゲニブです。体の部位の方が良いっていうから」
「……肘、か」
その日から哲也君のあだ名は『ヒジテツ』になりました。



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08:14  |  星乞譚  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'07.04 (Sun)

私の星乞譚。 第三章

「ごきげんよう、皆さん。この章では星結いの作法について、お教えしたいと存じます。さほど難しいことはありません。幾つかの諸注意を守って頂ければ、あなたも憧れの君と星を結ぶ事が叶うでしょう」
満面の笑みを浮かべて画面いっぱいに登場したのは、朔張校長だ。それはもう、太陽にも勝るほど百万ドルのスマイルを放っている。
薄暗い会場のどこからか拍手が聞こえるが、きっと本人だろう。
「まずは星結いの環境について。
星結いは必ず夜に行いましょう。打ち上がった恒光石は何等級であれ、その時刻の星になります。ですから日中に星結いをしてしまうと星座の観測が困難ですし、最悪の場合は南半球に赴かなければ星を見つけられなくなってしまいます。
そして夜といっても、深夜は近隣にも呼び出された相手にも迷惑になるので控えましょう。
雨天時や曇天でも星結いは可能ですが、晴天の方が心証良いですし、すぐに星座を観測出来るので好都合です」
なるほど。つまりは天体観測に適した条件下で星結いをした方がいいわけか。
「つまるところ、夜に異性から呼び出されたら、星結いをされる可能性もあると心しておくべきでしょうか。
レディは支度に時間がかかるもの。男性ならば、多少待たされても悠然と構える心のゆとりは持ち合わせていたいものですわ」
みんな、わけもなく髪を手櫛で直したりスカートの裾を直し、背筋を伸ばすから可笑しい。そんな私も、つい前髪を指でいじってしまう。
「さて、次に星結いの手順についてですが、ここで世界でも珍しい星結いの場面をビデオに収めた映像がございます。それを教材としてご覧頂きましょう」
すると画面は途端に切り替わる。
画質が古臭くノイズが入っているが、かろうじて見える風景から察するに夜の児童公園だろうか。うちの近所やここら近辺で見覚えがない公園だとすると、どこか別の地域で行われた星結いだと推測する。
カメラはだいぶ離れた位置から撮影しているけど、十メートル先の街灯の下に誰かがポツンと立っている。するとカメラは次に手前に引き、スーッと右側にスライドさせた。
そこには手にマイクを握ったショートカットの女性が、無表情に立っていた。
「現場の夏日です」
つまらなそうにボソッと呟いたのは火星の化身、夏日先生だった。
明らかに気だるいのが映像越しでも伝わってくる。この講義は本当に先生達の自作ビデオなようだ。惑星が一挙に集結と配役はかなり豪華なメンバーの割に、内容が異様なほどチープに感じる。夏日先生、ドッキリ番組のリポーターじゃないんだから……。
「実は今夜この公園で、ある少年が一人の少女へ星結いをするという情報を入手しました。しかも我々の調査では、星結いが成功する確率は極めて高い、と結論付けています。世紀の瞬間は訪れるのか? 今宵、奇跡が誕生する予感に胸の高鳴りは押さえられません」
それでも与えられた役をこなそうと、先生は淡々と棒読みでリポーターを続けた。
画面の下に「星結い後に本人から映像使用の許可は頂きました」と、テロップが流れる。
事後承諾って事はこの映像、確実に盗撮だよね。
「おっとここで、少年が呼び出した少女が公園にやってきたようです。ついに星結いが始まります」
カメラは街灯の下にいる少年少女へとズームアップする。プライバシーを保護するためか、二人の顔にはモザイクがかかっていた。ここだけ見ると、かなり怪しげな映像だわ。
『ちょっと桐野くん。隠しマイクに音声を切り替えて』
フレームの外から漏れた声がマイクに入る。
桐野くん、ということは土星の化身もいるのか。声から察するに朔張校長だろうけど、隠しマイクって……。この銀河系の天体達はまるで変態犯罪集団みたいね。

音声が切り替わると、私達と同じ歳頃な男の子の声が聞こえた。話の内容からすると、今まさに愛の告白の真っ最中らしい。
ドラマで見るような素敵な告白ではなく、たどたどしくて内容も整ってないけど、切実に精一杯の気持ちを込めて……。あまりのリアルさに聴いているこっちが赤面してしまう。周りを見渡してもみんな同じことを感じているようで、既に堪えきれず下を向いている女子もいた。隣のともえちゃんも、瞳をキラキラ輝かせて見入っている。
するとまた、テロップが流れた。
『まずは秘めた胸のうちを打ち明けて、ムードを高めましょう』
悪気はないんだろうけど、何だか水を差された気分だなぁ。
思いの丈を伝えた少年は、胸元から恒光石を取り出した。そして一言一言噛み締めるように、星の名前を叫ぶ。命名された恒光石は眩い光を放ち、夜空へと高らかに飛んでいく。映像は荒くて画質も悪いけど、星が生まれる瞬間というのは、これまで目にした事がないほど幻想的で、美しい光景だった。
そんな映像に胸が高鳴り、うっとりとしていると、またもやテロップが邪魔をする。
『恒光石の名前を呼びましょう。途中で噛むと恥ずかしいぞ(笑)』
きっと制作側としては、お茶目なつもりなんだろうな。
カメラはアングルを夜空に向ける。映像に乱れはあるが、そこには微かに瞬く星が、確かに誕生していた。星が生まれた貴重な瞬間に、みんな胸をときめかせながら息を飲む。
『あっ! ちょっと桐野くん、どこ撮っているのよ! 早く二人を映して! 決定的瞬間を逃しちゃう!』
再びフレームの外から朔張校長の急かす声が聞こえた。カメラは慌てた様子で二人にフォーカスを合わせる。
その時、会場のあちこちから小さな悲鳴にも似た吐息が上がった。私もじっくりと目を凝らして映像に集中する。そして飛び上がりそうなくらいにビクンと身をすくめた。
ズームアップした画面の中にいる二人の距離がさっきより近い。というよりは、触れ合っている。
少年は両手を少女の肩に置き、ゆっくりと顔を寄せる。体育館のスピーカーから聞こえる、声を押し殺して興奮する校長の喚き。ガタガタと揺れるカメラ。
そして少年は少女の唇に、自分の唇を重ねた……!
叫び声が体育館中にこだまする。
私も顔を真っ赤に染めてワナワナと震えながら、ともえちゃんの手を握った。ともえちゃんも私の手をギュと力を込めて握り返す。そうしていないと、頭が沸騰して魂がどこかに飛んでいってしまいそうだった。
私だってもう高校生だし、テレビドラマで俳優さんがキスをしていても、目をそらさないようになれた。
でも、このキスは違う。お芝居でも冗談でもない、生々しい感情が形を成した、そんな意味が込められていた。
そしてきっと、この場にいる全員が想像しただろう。いずれ自分も誰かに星結いをする時、もしくはされる時に、同じ体験をすることを。小学校高学年の時に物々しく催された保健体育の授業なんかより、もっと赤裸々でやるせない衝撃を味わった。
阿鼻叫喚となった女子生徒達に構わず、こんな場面なのにテロップが流れる。
『恒光石を打ち上げたらキスをしましょう。ドキドキは最高潮に達して、星結いの成功率が急上昇!』
……ギブアップ。もう、見ていられない。

触れた唇を離した少女は、少年の告白に対して律儀に返事をする。というか、キスを受け入れた時点でオーケーみたいなものでしょうが。それも星結いの作法なのかしら。
そして少女も同じように恒光石に名前を込めて夜空に打ち上げる。すると少年の打ち上げた星と少女の打ち上げた星は寄り添うように煌めき、星と星の間にうっすらと線が浮かんだ。
正方形に手足が付いたような形の星座、これは確か『かに座』だ! 星座の誕生に、思わず全員が惜しみない拍手を送る。
わざわざ『やったね!星結いの成功だ!』というテロップも流れた。
あぁ……感動が半減。

映像はそこで終了したが、体育館は興奮の坩堝と化していた。
私とは違い、ある程度は星結いの知識があった人達でもキスまでは知らなかったようだ。茫然自失とする女子もいれば、顔を真っ赤にしてキャーキャーはしゃぐ女子もいる。みんな、反応はそれぞれだけどセンセーショナルだったことには変わりはない。
私は隣に座る、ともえちゃんを指でつつく。いつも冷静沈着な親友の意見も賜りたいところだ。
「ねぇ、ともえちゃんは知ってた? その、キ……キ、キスのこと」
駄目だ。その単語を口にするだけで心拍数がヤバいことになる。顔を朱色に染めてともえちゃんを見上げたけど、彼女は私の言葉が耳に入っていないか、瞳をキラキラと輝かせているだけだった。さすがのともえちゃんにも、今の映像は刺激が強すぎたらしい。
もう一度つついてみると、ともえちゃんはビクンと驚いた。その反応にこっちの方が驚く。
「ご、ごめんね、心恵ちゃん。ボーっとしてた」
少し焦った表情を見せる親友に、再度問い掛けようとした時、スクリーンに映し出された映像がまたもや朔張校長に切り替わった。
「以上が世界的にも非常に珍しい映像、かに座が星結いで誕生した瞬間でした。大変ロマンチックでしたわね。
それでも、惹かれ合ったカップル同士が星結いを出来るなんて稀なことなのです。中には望まない相手からの星結いも少なくはないもの。
そこで、次の章のテーマをご参考にして下さいまし」
画面が変わり、赤い文字が浮かび上がる。
「レッスン三。星結いの上手な断り方」
もう駄目。限界。あまりの赤裸々さに、私だけでなく大半の女子が撃沈していった。


 体育館の扉が開かれると、女子生徒達は明らかな疲労の色を眉間に寄せ、新たなクラスへと三々五々向かう。その覚束無い足取りには、新入生の溌剌さが失われていた。
 私も例に洩れず、がっくりと肩を落としてフラフラと体育館を後にする。
 全編一時間半に渡る『星結い』の講義は、まさに圧巻の一言に尽きた。今まで知らなかった世界の真実を心構えも無しに突き付けられるのは、別の銀河系から天体を見せられるような違和感に満ちていた。それまで目印にしていた一等星達を探しても本当にその星は自分が知っている星なのかと疑ってしまいかねない、危うさが心に巣くってしまう。
 だからさっきまで見ていた世界の色や匂い、音までもが別のものに変化したように感じる。これは私が鎌田君を好きだと認識した時の感触に似ていた。あまりの変化について行けず、足をたった一歩踏み出すことさえ恐かった。でもそんな臆病な気持ちの陰に、きっとこんな風に大人へなっていくんだろうなという期待感もあって、それが少しだけこそばゆかった。
 みんなはどうなんだろう? 私と同じ感覚に襲われることがあるのだろうか。ともえちゃんは? そして、鎌田君は?
 もしも鎌田君も同じ気持ちを味わっているなら、教えて欲しい。その思いは誰に向かって伸びているのか……。そして、こっそりと伝えて欲しい。出来れば私にだけ聞こえる、私の望む答えだけが聞こえるようにと、身勝手な要望を挟みながら……。
 私の横を歩くともえちゃんは流石と言った風に、少し思い詰めた表情を浮かべているものの、真っ直ぐと前を向き足取りはしっかりとしていた。
 私はともえちゃんの袖をギュッと握りながら呟いた。
「ねぇ、ともえちゃん。私……自信なくなってきちゃった」
 あまりにも素直に弱音を吐いてしまった私を、ともえちゃんは優しく微笑みながら袖を引いた手を包んだ。
「そんなこと言わないの。まだ始まったばかりじゃない」
「でもね、私ってば本当に今まで何も知らなかったから。鎌田君に、その……気持ちを伝えられればいいかな、くらいしか考えなかったのに。星結いだなんて。それに、キ、キキ……」
 さっき見た映像が生々しく甦ってきて、私は息苦しくて言葉を続けられなかった。
「あんな恥ずかしいこと、出来ないよぅ!」
 私はガーネット・スターみたく顔が真っ赤になってしまった。確かにこんな頻繁に赤くなってしまっては早めに寿命が来てしまいそうだ。
「でもそれは今すぐっていうわけでもないのだし。そんなに焦ったり思い詰めたりする必要はないじゃないかしら? 心恵ちゃんは心恵ちゃんのペースで、鎌田君の気持ちに近付いていけばいいのよ」
「そ、そうかな? でも私、居ても立ってもいられなくて」
「そういう募る思いが恒光石を育ててくれるらしいわよ。大丈夫だって。きっと鎌田君は心恵ちゃんの気持ちに答えてくれるわ。今はゆっくりと星を温めておきましょう?」
 赤くなった頬を指の先で撫でながら、ともえちゃんは私を励ましてくれる。ともえちゃんが側にいてくれて良かった。彼女の言葉がいつもはぐれそうな私の心と体を、元の座標に戻してくれる。
「そうすれば、いざキスをする場面になっても落ち着いていられるわよ?」
「キッ! キ、キキ! ……んもぅ! ともえちゃんの意地悪!」
 そして時々こんな風に私をからかっては、小さく舌を出すのだ。
 怒って袖を引っ張ろうとする私から逃げるように、クスクス笑いながら小走りになる、ともえちゃん。そんなちょっぴりお茶目な親友を私は心から信頼している。

更新日 7月8日

 講義の後にクラス分けが発表されたので、私とともえちゃんは一年一組の教室へと向かった。幸いに同じクラスへなれた事に安堵感でいっぱいになる。そして教室に入る前に私は一旦あしを止めた。
 講堂での講義が先に終わったのか、各教室には一足先に男子がいた。その男の子が教室にいる風景を目の当たりにして、改めて共学校に進学してきたのだと実感した。
 内気な女子生徒は気恥ずかしいからか、なかなか教室に入る事が出来ず、廊下の端に固まってキャーキャー黄色い声を発している。
 落ち着かないのは男子も同じようで、廊下に面した窓からは餌を求める雛鳥のように顔を突き出している。爛々と輝かせた瞳を剥き出しにしてこちらを凝視しているので、女子達はなおさら教室に入りづらくて堪らない。
 しかも今さっきあんな講義を聞いたばかりだ。性別という隔たりが男子と女子の間に大きい溝を作ってしまっている。
 あまりに狂乱状態で教室へ入れず困っていると、各クラスの担任教師が注意を促し始めた。潮が引いていくように恨めしそうな顔を窓から引っ込める男子生徒達。ホッと安堵の表情で女子達も次々に教室へと入っていく。
 私達も中に入ろうとした時、ふいに名前を呼ばれて立ち止まる。声がした方に顔を向けた途端、グッと息を飲んだ。
 窓から顔を出していたのは、鎌田君だった。
「酒留も大山も、同じクラスだったんだな」
 窓のサンに頬杖をついてニッコリと微笑む鎌田君。もうそれだけで呼吸が詰まり、私の顔は再び赤色超巨星になってしまった。
 なんて答えたらいいのか分からず、ただ立ち尽くす私に構わず、鎌田君は話を続ける。
「二人と一緒のクラスになるのは、保育園の時以来だな。またよろしくな」
 高鳴る鼓動と混乱する頭で上手く返事が出来ない。でもこのままではせっかく話し掛けてくれたのに、感じの悪い印象を持たれてしまう。
 私はとにかくなんでもいいからと必死に口を開いた。

「お、おはようっ!」

 鳩が豆鉄砲を食らったようにポカンとする鎌田君。でもすぐに小さく吹き出すと、声を忍ばせてクツクツと笑った。
「そうだな。そういえば朝の挨拶を返されていなかった。酒留は相変わらず反応が遅いな」
「ち、違うよ! たまたまだよ! 今のはたまたま遅かっただけだってば!」
 慌てて言い返した私が可笑しかったのか、鎌田君はとうとう声を上げて笑った。
 その笑顔があまりにも眩しくて、周りの星さえも霞むほどに眩しくて……。私は輝く瞳を鎌田君から反らせずに、いつまでも見つめていた。

 ……やった。おはよう、って言えた。





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