2010年04月 / 03月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫05月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT   このページの上へ

2010'04.22 (Thu)

個人戦二回戦 丸藤・宗方VSダブル後衛

 高田と吉川がテニス競技場に戻ってくると、丸藤と宗方が競技場内の空きスペースで準備運動を開始していた。
「お、戻ってきたな。不良少年よ」
「おかえり。高田君、吉川君」
 お互い同じような動きで肩の関節を伸ばしながら、二番手ペアは二人を出迎えた。
「誰が不良少年だって、こらぁ? ところでお前ら、そろそろ第二試合かよ」
「うん、次の次の試合。一つ前の試合になったら神谷君が教えてくれるって」
 ちょうどそう言ったと同時に、神谷が観客席からひょっこりと顔を出した。
「丸男、誠司、終わったぞ。あ、竜輝戻ってきたな。お兄さんが怒っていたぞ。勝手にいなくなりやがって、って」
 神谷は無表情のままそう伝えると後ろの観客席の方を親指で差す。
「げ、兄ちゃんまだいるのかよ。もう帰ってもいいんじゃねぇか?」
 露骨に嫌そうな顔をする高田だが、神谷は小さく首を横に振る。
「それは困る。只でさえうちは選手層が薄いんだ。二回戦にもなれば各校、応援にも熱が入ってくる。だから味方は一人でも多い方が良い」
 実際に二回戦だと、一回戦で敗退した半数以上の選手も応援に回ることになるので、観客席は空きが少なくなる。なので高田兄は相手校の応援を萎縮させるという、第七中にとってはスーパーアイテム的存在がいなくては困るのだ。
「でも実際に考えて凄いよね。僕達、全員一年生なのに三ペア中二ペアも二回戦に残っているなんて」
 丁寧に肩の関節をストレッチしながら器用に眼鏡をたくし上げる丸藤に、ペアの宗方が「基本スペックが違うのだよ、我々は」と答えた。そんな問答をする二人を少し羨ましそうに見つめながら、高田が口を開く。
「ところでお前ら、次の相手ってどことだよ?」
「次はね、第六中の二番手だった」
「三年生ペアなんだが、特筆すべきはダブル後衛というところか」
 丸藤達の次の相手は、顧問長の八幡が率いる第六中の二番手。番手が上のペアなのにダブル後衛という少し珍しい組み合わせだ。
「なんだ、ダブル後衛ってことはどっちとも後ろにいるってことか?」
「そういうことだ。丸男、相当ストロークに自信があるペアだけど、大丈夫か?」
 無表情ながらも相手を気遣うように尋ねた神谷に、丸藤は渋い顔をしたまま「丸藤です……」と返しただけだった。そのあまり自信なさげな様子に、宗方が替わって声を張り上げる。
「相手がダブル後衛だとしても臆することはない。それよりも神谷君、キミの方こそ心配したまえ! このまま進めば第三回戦で我々は対戦することになるのだぞ! 練習では負け続けているが、試合では風向きが変わることもあるからね。覚悟していたまえ!」
 相変わらずのビッグマウスに一同苦笑いを浮かべたが、宗方が言うと本当のことになりそうなので不思議だ。神谷は宗方の話に乗って
「じゃあ俺達も絶対負けられないな。三回戦で会うことを楽しみにしているよ。とにかく次の試合も終わりそうだから、観客席で準備しておけ」
 と言って片手を挙げて応える。観客席に戻る神谷の背中を追いかけて高田と吉川も進んでいく。宗方もみんなの後についていこうとしたが、相方の丸藤が立ち止まっていることに気付き足を止めた。
「どうしたのかね、丸男君? 何か不安でも?」
 不安かどうか尋ねられてば、もちろん全くないわけではないが、丸藤の不安要素ももっと別のところにあった。
「う、うん。ダブル後衛か、と思ってね。僕、あんまり対戦経験がないからどうなんだろ、って」
 心配そうに俯く相方の顔を見て、宗方は大きく鼻息を吐き出すと丸藤の背中を叩く。
「無問題! さっき話したように作戦通りにやれば、いくら格上と云えど勝機は見えてくる。安心したまえ!」
 堂々と宣言する宗方を見て、どこからそんな自信が湧いてくるのか疑問にも思ったが、彼がそう言うのだから自分も信じて着いていくだけだと、丸藤は大きく頷いた。
「そ、そうだね。うん、頑張ろう! 宗方君!」
「うむ! 大船に乗ったつもりでいたまえ!」
 顔を見合わせてもう一度大きく頷くと、二人は仲間の待つ観客席に向かって走り出した。

 第六中二番手のダブル後衛、大井と太田は非常に大人しく粘り強い性格な二人で、まさにダブル後衛向きの選手だ。最初はお互い別の前衛と普通の雁行型で組んでいたが、どうもしっくりこないようで、顧問の八幡の提案で去年の夏からダブル後衛として組ませてみたら思いの他相性が良く、以来そのままペアでいる。今時珍しい根性論でギャンギャンと叱りつけるため生徒達からは評判の悪い八幡だったが、唯一第六中部員みんなが太鼓判を押すほどのナイス采配といえば、大井&太田ペアだと言われている。
「なぁ、丸男君。彼らは……双子か?」
 試合前の挨拶を終えた後、宗方は丸藤に身を寄せて尋ねた。
「いや、苗字からするに他人だろうけど。……うん、僕も言いたいことが分かるよ」
同じような背丈に同じような髪型、そして身に纏っている雰囲気もどことなくそっくりな第六中二番手ペア。昨日の決勝戦で第四中と対戦していた様子を観戦していたので大井&太田ペアを見るのは初対面ではないが、こうして間近に見ると本当に双子のようだった。策略をめぐらすのが大好きな宗方は、これも作戦の一つかと勘繰ってしまうくらいだ。
「ところで宗方君、今回の作戦はどうするの?」
 そんな策略家の宗方に指示を仰ぐ丸藤。このペアはゲーム展開を全面的に宗方が企てることになっている。確実に経験が長いはずの丸藤がソフトテニスは素人の宗方に全権を委ねるというのは、決して彼がゲームメイクは不得手だからではない。鋭い洞察力と巧みに策を弄する宗方を全面的に信用しているからだし、思わぬ着眼点で活路を見出す可能性に賭けているからだ。だが、そんなチームの参謀は険しい顔のまま珍しく歯切れ悪い言い方で話し出した。
「うむ、まぁ、あれだよ。先日の決勝戦を見ていて色々考えたんだがね、なんていうか……。とりあえずは君に頼るしかなさそうだ。本来ならダブル後衛相手だとキーマンは前衛ということになるんだが。その、僕は、あれだ……」
 そこで息をグッと飲み込んだ宗方は、苦虫を噛み潰したような渋い顔をして一気に言葉を吐き出す。
「僕は作戦を考えることはいくらでも出来るけど技術が及ばないのでね。かえって下手に手を出して失点を重ねるよりは、丸男君から粘り強く繋いでもらって相手のミスを期待するしかない」
 非常に言いづらいことだし、自尊心の塊のような宗方にとっては面目丸つぶれだろう。しかし自らチームの参謀と謳っている彼は、事実を在りのまま掲示しなければならないのだ。見栄や沽券で策略を濁すほど愚かなことは、彼の自尊心が最も許さないのだ。
 丸藤はすまない気持ちになった。プライドの高い宗方がそこまで素直に報告したのは、まぎれもなく飽くなき勝利への意志だった。ならば、ペアとして彼の期待に応えなくてはいけない。
「わかった。僕も出来るところまでやってみるよ。もしもの時はフォロー任せたよ」
 そう言って丸藤は手をかざす。すると宗方もやっと笑顔を見せてその手にタッチする。相変わらずふてぶてしく見える笑顔だが、ペアには常にこうであって欲しいと思う丸藤だった。

「なぁんか、退屈な試合になりそうだぞ~」
 大きく伸びをしながらつまらなそうに呟く小堺へ、隣に座った神谷がたしなめる。
「朔太郎、そんな事を言うな」
 だが小堺は態度を変える事無く今度は欠伸混じりに言った。
「だってよ、正樹。昨日の決勝戦で見てたけどさ、あのダブル後衛はかなり安定しているぜ。加えてうちの丸男だって相当ミスらないから、なかなか決着つかないだろうな」
 神谷もそういった状況を想定済みなのか、すぐにコクリと頷いた。さっきは宗方達に三回戦で待っていろと言ったが、どうしても実力的に考えて第六中に分があり過ぎる。
「ねぇ、神谷君。あなただったらこの対戦相手とどう戦うの?」
 フェンスを挟んだベンチから声を掛ける安西。すると神谷はまたもや考え込む素振りもなく「精度を上げます」と答える。
「ダブル後衛相手なら前に障害がいない分、好きなところに打てますから。相手の嫌がるところ、つまり足元やバック側など際どいコースで攻めていけばいずれ音を上げてくれるでしょう。ただし僕に出来ることはそこまで。後は朔太郎に全てを任せます」
 名前を呼ばれた小堺は、満面の笑みを浮かべると神谷にべったりとくっつく。お天道様は真上に昇りだいぶ蒸し暑くなってきたのに払いのけようとしない神谷を妙な目で眺めながら、安西は「なるほど。つまりポイントを決めるのはどうしても前衛ってことね」と今の話を聞いて感想を述べた。本人も言っていたように、ダブル後衛との対戦のキーマンは前衛である。後衛同士の打ち合いでポイントを決めることは難しく、殆ど根競べになるのだ。
「だったら尚更、宗方君には頑張ってもらわなくちゃ。なんとしてでもここを勝って、次は神谷君達に当たってもらいたいものだわ」
「先生、なんで僕達と丸男達が戦って欲しいんですか?」
 顧問として自分の選手の勝利を願うのはおかしくないが、生徒同士が当たるのを希望するのは妙だと感じた神谷は安西に尋ねた。
「べ、別に。ただ少しでも多く丸男君と宗方君には勝って欲しいな、って思っただけよ。気にしない、気にしない……」
 まさか佐々木との賭けがあるために少しでも簡単な相手と神谷達が当たって欲しいだなんて、教師としては口が裂けても言えなかった。
 そうこうしているうちに、いつの間にかコートでは試合開始の合図が告げられていた。

 第六中がサーブ権先攻で始まった第一球目、なかなかスピードが乗った大井のファーストサーブだったが、丸藤はこれを丁寧にレシーブで返す。丸藤のレシーブを宗方の頭を越えるロブで返ってきたボールを、丸藤は次に太田へ向けて打った。すると太田はまたもや前衛オーバーのロブで返す。丸藤の案としては、まず後ろにいる二人に交互に打たせて実力を肌で感じようとしたが、一方の第六中は徹底して丸藤を左右に振り回す気だった。十八番というかそれしか打てない丸藤同様に、大井と太田もロブでひたすら宗方の頭上を抜く。コート内は一本目から張りのない打球音がいつまでも続くという、些か緊迫感がない展開になった。ラリーというよりも丸藤と大井と太田の三人でのんびり乱打をしているような、そんな雰囲気すら漂っていて、観戦している方もあくびを噛み殺すのに必死だった。
 それでもロブ同士の打ち合いだがいつしか終わりは訪れる。数分続いたラリーだったが、大井が打つする瞬間にこの地域独特の急なつむじ風に見舞われてボールのバランスを崩してしまい、ミスショットをしてしまった。ボールがコートのサイドにアウトをした後に、第七中サイドから思い出したかのような歓声が湧く。小堺が予想したとおりの退屈な試合展開に、一同試合だということを忘れていたようだった。やっとゲームが進展したことにホッと胸を撫で下ろすチームメイト。だが、観客席は弛緩しているかもしれないがコート内にいる二人には着実に変化が現れ始めていた。
 続いて大井のサーブを受けた宗方だったが、やはりまだ速いサーブには対処しきれずに敢え無くレシーブミスをしてしまい、これでポイントは振り出しに戻り1-1。
 次いで太田のサーブを丸藤がレシーブで返し、またもや例の乱打が始まったことに観客席は両チームとも声援の力を少し落とす。交互に打ち分ける丸藤に左右へ散らす大井と太田の構図は、さっきから全く変化なく続いていく。観客席で見守る生徒達は、よく飽きもせずに何分間も同じ事を繰り返されるのだと呆れながらも、その反面よくこれだけミスショットをしないなと感心していた。中学レベルのソフトテニスでは、自分でポイントを決めるのが三割、相手のミスで得点するのが七割と言われている。つまり自分から打って出ていくよりは相手のミスを誘発させる方が勝利により近付く。そして自分からミスをしないというのが必須条件になるのだ。なのでいくらロブと言えどもここまで全くミスショットをしない展開というのは在る意味、稀有な光景なのかもしれない。それだけ丸藤も第六中ペアも安定したストロークの持ち主といえるだろう。
 だが、いつしか均衡が崩れる時が来る。もう何分間打ち合っていたか思い出せないほど長い展開に終止符を打ったのは丸藤だった。例によってクロスからストレートに振り回されて返すはずだった打球が、ややドライブを薄くかけてしまったのか僅かの差でアウトしてしまった。これでボールカウントは2-1。続いて太田の放ったサーブを今度はどうに返すことが出来た宗方はすかさず前に詰める。コート内の役者が定位置に着いたことを確認したように、再び第六中は振り回しを始めた。またかと観衆がうんざりし始めたと思った矢先に、それまで安定感を誇っていた丸藤がボールをすぐにアウトしてしまった。その様子を見ていた神谷はハッとしたように立ち上がると、試合中にも関わらず駆け出した。
「おいっ、神谷! てめぇ、どこに行く気だ!」
 突然の行動に驚いた高田はその走り去る背中に声をかけたが、神谷は振り返る事無く競技場の外へ言ってしまった。一同不思議に思ったが、今はコート内の二人に注目したい。永遠に続くのかと思われた第一ゲームがマッチポイントを迎えていた。
 おそらく観客席の中でその異変に気付いたのは神谷が最初だろうが、コート内にいる宗方は当然近くにいるからか、もっと早くに気付いていた。
「丸男君、大丈夫かい?」
 マッチポイントを握られた場面でペアにかけるには似つかわしくない言葉だが、今の丸藤を目の前にしてみれば誰でもそう言うだろう。明らかに疲弊した表情に滝のように流れる汗、そして肩で息をする様子は普段の丸藤からは想像がつかない姿だった。傍から見れば単調な動作を繰り返していたように映っただろうが、丸藤はこの時間中ずっと左右に何度も走らせられていたのである。筋力はないがスタミナはあると自負している丸藤だったが、さすがに疲労は隠せなくなってきた。加えてストロークの土台ともなる下半身を集中的にやられたため、得意のロブも翳りを見せ始めたのである。
「だ……ょうぶ……から」
 負けじと劣らず額から止め処ない汗を流している宗方に心配をかけまいと言ったが、かすれた声しか喉の奥から出てこない。自分でもがっかりするほど体力を削られたらしい。悲痛そうに顔を歪める宗方だが、それ以上なにも声を掛けることが出来ず自分のポジションに戻り、頭をフル回転させる。何故もっと早く気付かなかったのかと自分を諌めながら。
 サーブは一巡して再び大井の番になる。今度は最初のようにスピードが乗ったサーブではなく、確実性を狙ったサーブを放つ大井。マッチポイントだから慎重に、というよりはまたストローク合戦に持っていってさらに丸藤の機動力を削いでおきたい、といったように感じた。どうにか気力を振り絞りボールを繋ぐ丸藤。対する大井と太田は当初から変わらず丸藤を右に左にと振り回す作業を淡々とこなしていた。
 一人で走り回る丸藤とは対象的に、大井と太田は二人で交互に打っているし、殆ど大きく位置を移動していないので体力は全く減ることがないのだ。ただ巣に掛かった獲物がもがく様を蜘蛛のようにジッと眺めているだけである。糸に絡むだけ絡まって身動きが取れなくなった獲物は朽ちるだけ、大井と太田には丸藤がそんな風に映ったのだろう。
 左右に往復運動を繰り返させられた丸藤は、遂に疲労の蓄積が重なりすぎたのか、ボールを追いかける途中に足がもつれてしまいそのまま転倒してしまった。悲鳴を上げる第七中サイドを嘲笑うかのように転がっていくボール。丸藤はゲームポイントと一緒に、自身の要となる機動力を失ってしまった。

 丸藤が転んだのと同時に、どこかに行っていた神谷が手にスポーツドリンクを持って戻ってきた。どうやら大量の汗を掻いている丸藤に気付き、水分補給用にと買ってきたらしい。
「先生、これを二人に」
 そう言ってフェンスの上から安西に投げて寄越す神谷。だが運動神経が悪い安西は一つは手でキャッチ出来たが、もう一つは脳天でキャッチしてしまい、もんどり打った。
「美和ちゃん! コントしてなくていいから早く丸男に!」
 宗方の肩を借りてベンチに戻ってくる丸藤。その表情は苦痛に歪んでいる。
「丸藤君、はいコレ! 神谷君から! それと足は大丈夫? 痛くない?」
 ラケットを受け取る替わりにその手へスポーツドリンクを握らせ、ベンチに座らせる心配そうにする安西に、丸藤は肩で息をしながらゆっくりと答える。
「少し……すりむいた、だけで……す」
 どうやら骨に異常はないようだが、その疲労困憊とした姿にチームメイトは何と声をかければ良いか分からなかった。とにかく僅かな時間でも丸藤に休息を取らせるしかない。だがその後はどうする? これからのゲームでどうやって活路を見出せばいいのだろうか? 神谷と小堺にはその打開策に気付いていたが、それは彼らだから出来る事だった。
 つまり、丸藤と宗方では力不足なのである。参謀である宗方もその事には気付いていた。だが、自分の実力が明らかに劣っていることを自分が一番良く知っている彼は、ただ悔しそうに唇を噛み締めるしかなかった。
 一ゲーム目を先取した大井と太田を荘厳というよりは横柄な態度で出迎える顧問の八幡。ベンチに足を組んで座り、両腕を背もたれに投げ出している姿は、あまり教育者として適切とは思えない。だが、第六中の生徒はそんな八幡には既に慣れっこになっている。
「よし、作戦通りあの一年坊はもう打って出てこれないだろう。だからと言ってお前ら、絶対に油断するんじゃない! なんだ大井、あの一本目のミスショットは!」
 叱責される大井も、する八幡も大したミスではないと心の底では思っている。だがこれは八幡特有の指導ということに生徒も気付いているので、あえて反発しても仕方がないと感じているのだ。八幡は技術どうこうよりも、とにかく根性論。生徒に気合を与え、精神を屈強に構えることが勝利に結びついてくると考えているのだ。ライバルである第四中の智将・佐々木とは正反対の指導方法なので、この二人が反発しあうのはごく自然なことなのである。

 役一分間というベンチコーチングの時間はあっという間に終わる。ましてや進行が遅い中学ソフトテニスの試合ならば少しでも時間短縮を図るのが望ましい。第六中の生徒は早々に準備を整えチェンジコートを終わらせたので、丸藤達もいつまでもベンチで休んでもいられずに覚束ない足取りで向こう側のコートへ走っていった。僅かな時間のインターバルでは丸藤の疲労は回復出来なかったらしい。よたよたと走っていく丸藤の後姿を部員達は歯がゆい思いで眺めるしかなかった。第二、第三ゲームを連続で先取されれば丸藤達はこちらに戻ることなく試合を終えることになる。せめてもう一度くらいは、こちらに戻ってきて欲しいとチームメイト達は切に願わずにはいられなかった。
「丸男君、調子はどうだい? 回復したか?」
 額の汗を拭いながら尋ねる宗方。相方が振り回されている間、彼だってコートの真ん中で何もしていなかったわけではない。丸藤が左に動けば空いてる右側のポジションを守らなければならないので、丸藤ほどではないが相当走らせられた。聞かずとも様子を伺えばわかりそうなことだったが、それでも宗方は敢えて尋ねずにはいられなかった。
 そんな宗方をぼんやりと見つめ返す丸藤は、想像以上に疲労が蓄積されているからか、声も出せずにただ首を横に振るだけだった。いつも頼りっぱなしの相方がここまで苦しい状況になっていることに、宗方は悔しくて堪らなかった。そしてそんなペアを少しでも救済すべく、一つの案を提示する。
「丸男君、ショートボールだ」
「ショート、ボール……?」
「そうだ。彼らのどちらにでも構わない。わざと短いボールを放って前に引きずり出す。そう易々と陣形が乱れるとは思えないが、少しは風向きが変わるとは思わないか?」
 それに対して丸藤は何も返答が出来なかった。その作戦は丸藤が第一ゲームの最中に何度も考えたことだったからだ。けれど丸藤は思いながらもその考えを幾度となく押し込めたのである。何故ならそれが第六中ペアのもう一つの狙いだと、気付いていたから。
「どうだい? ここは一つ、その作戦でいこうじゃないか。これ以上、君が疲弊するのはチームとして危険だ」
 頷くことも否定することもせずにジッと俯く丸藤を残して、宗方は彼を返答を催促するわけでもなく自分のポジションに着く。とにかく作戦は提案した。後はチームの要である丸藤がそれを実行するか否かである。

 第二ゲームは第七中がサーブで始まる。丸藤は肩で息をする呼吸を落ち着かせ、確実性のあるサーブで様子を伺う。レシーバーの大井はその速度が感じられないサーブを激しく打ち返すわけでもなく、そのまま丸藤へ緩やかに返球した。どうやら第二ゲームも第一ゲーム同様、丸藤の体力を削る作戦を続行するらしい。その粘着質にも似たやり方に、丸藤は背筋に冷たいものを感じつつも、とにかくボールを繋げるしかなかった。丸藤の意思を確認したように大井と太田もどっしり腰を構える。巣にかかり尚ももがこうと決意した獲物には粘り強く相手をするに限る。
 一方、ネット前で相手後衛の動作をつぶさに観察しながら、宗方はいつ丸藤がショートボールを打っても良いように身構えていた。だが、後方からは相変わらずロブ特有の滑らかな打球音が聞こえるだけ。きっと丸藤も様子を伺っているのか、もしくは振り回されてショートを打ち込む余裕がないのかと勘繰っていたが、一向にシュートを打つ気配がない丸藤に、段々と痺れを切らしてきた。ゲームを長引かせればそれだけ自分の首を絞めるだけだと気付かない丸藤ではないはず。それでも宗方の作戦に同意しないということは……。宗方の歯がゆさは徐々に焦燥感へと変わっていった。
 結局、丸藤はショートを打ち込まないまま、またもやロブを打ち損じた。部員達は声の限りに励ましを送る。そして二本目のサーブも、レシーバーの太田は緩やかな球を丸藤へ返した。丸藤が徐々に弱っていく様子だけを見せられる公開処刑のような光景に、部員達は最早目をつぶりたい気持ちになっていた。ベンチに座る安西もコート内の二人があまりにも不憫過ぎて居た堪れなくなった。だが、そんな彼らよりも最も悔しい思いをしていたのは、誰であろうペアの宗方だった。

 大井と太田から左右に振り回される丸藤。そのさっきから全く変わらない光景に異変が起きた。丸藤が右に走れば自然とコートの左側が空くので前衛である宗方は左側に移動することになる。だが、そのとき宗方はずっとコートの右側に突っ立っているだけだった。
 疲労に蝕まれた丸藤が事態に気付いて驚く。コートの右半分に一列になる自分と宗方。そしてがら空き状態になっているコートの左半分。明らかにポジションを見誤った宗方に、丸藤はなんと言えば良いかわからず、ただ呆気に取られた。それは観客席で見守るチームメイト達も同様で、慌ててコート内にいる宗方へ叫ぶ。
「おい豚! 何を突っ立ってるんだよ! 左! 左っ!」
「さっさと動きやがれ! デブっ!」
 だがそんな彼らの声が届いているはずの宗方は全く動こうとしない。相手後衛の大井は若干疑わしく感じたが、とにかくコートにがら空きの箇所があれば打ち込まずにはいられない後衛の本能からか、真っ直ぐにロブではなくシュートボールで打ち込んだ。その途端、今まで信楽焼きのように鎮座していた宗方が素早く渾身の力でコートの左側へ走り抜ける。そして大井のシュートを無理やり手を伸ばしたボレーで弾き落とした。
 これには第七中サイドばかりではなく、第六中サイドからも歓声が沸きあがった。宗方は初めからこのボレーを狙ってわざと左コートを大きく空けていたのである。誘いにもならない大き過ぎる誘いだったが、これまでロブばかりで感覚が鈍っていた大井には思いのほか利いた様だった。その証拠にシュートを打ち込むにしては球威が劣っていたしコースも大雑把過ぎた。
「な、ナイスボレー。宗方君……」
 この場面でボレーを決めた前衛に賞賛を送ろうとした丸藤だったが、喜ぶはずの宗方がムッスリと自分を睨んでいたのでたじろいだ。
「ど、どうしたの?」
「丸男君、何故ショートボールは打ち込まないのだね?」
 その一言に丸藤はグッと言葉を飲み込んで顔を背ける。
「何かね、君はシュートを打ったら僕に負担がかかると思ったのかい?」
「ち、違う。なかなか打ち込む隙がなくて」
「違うだろう! あの二人が僕に集中攻撃をし出したら一気に負けてしまうと言いたいんだろう?」
 丸藤はハッとし屈辱に満ち溢れた宗方の顔を真っ直ぐに見つめた。宗方本人が、その事を初めから気付いていたなんて。
「そりゃ確かにそうさ。まだまだ素人の僕には、小堺君のようにどんなボールでもネット前で処理できる実力は備わっていない。君がシュートを繰り出すということは、今度は僕が奴らの標的になるという事だからね。相手に新たな攻略手段を与えるようなものだ。だがな! だったら現状をどうやって打開する気だ! このままいけば君の体力が削られて終わる! 僕はそんなことを見過ごしには出来ないのだよ!」
 今のボレーは在る意味、宗方による丸藤へのアピールだった。自分も前衛としての仕事が出来る、自分を信じろと。宗方は怒鳴り声を上げながらも苦痛に顔を歪める。
「それにな、僕はもう君がただ疲弊するだけの姿を見てられないのだよ。それはただ単に可哀想だから、などという安っぽい同情ではない。君一人が抱え込むのが辛くて堪らないんだ。丸藤君、僕にも君の苦悶を分けてくれないか? そうでなくては僕はここで君と同じコートに立っている価値がない」
 宗方の必死の訴えに、丸藤は愕然とするほどの後ろめたさを感じてしまった。自分は、プライドが高い宗方が集中攻撃をされて失望することを恐れて、わざとショートを打つまいとしていた。それがかえって宗方にとって失礼な行為だと気付かずに。だが宗方はそんなことは覚悟の上で抱えることを主張した。本当に抱える覚悟がなかったのは自分の方だったなんて……。
 丸藤は小さく息を吐き出すと呼吸を整える。下半身は鉛のように重たく、これ以上走り回るのは辛く、打球にも影響を及ぼすだろう。いや、既に伝家の宝刀であるロブにも錆は回ってきている。もう、どのみち宗方の実力に賭けるしかなさそうだ。
「わかった。これからはどんどんシュートを打ち込んで相手を拡散していくよ。その後の処理は、宗方君に頼んだ」
 そう言われて、宗方は大きなお腹を突き出して自信満々に答える。
「もちろん! 任された!」
 第二ゲーム目にしてペアの命運は、初心者である宗方の双肩に託されたのであった。

 ボールカウントを1-1にして、サーブは宗方に切り替わる。宗方はラケットを小さく短く構えると、一試合目に見せたカットサーブを繰り出した。本当にいつの間に習得したのか部員一同驚愕したが、そのサーブは敢え無くネットしてしまう。だが二本目、またもや宗方はカットサーブを試みたが、そのボールは見事にサービスエリアに入り、逆回転になるとは知らずに油断していた大井は情けなくも空振りしてしまう。これでボールカウントは2-1と、この試合で初めて第七中がリードした。
 次いで太田へのサーブだが、これも宗方はカットサーブで挑む。タイミングが合ったのか、サーブは一本目からサービスエリアに入った。たかだかサーブが入っただけなのに歓声が湧く。それだけの期待が宗方のカットサーブには込められているのだ。
 だが太田はじっくりと球筋と回転方向を見極め、そのまま宗方へとレシーブを返す。サーブを取られた事よりも自分に返球された事に驚いた宗方だったが、あまりうまくないストロークで再び太田へ返し、すかさずネット前に駆け出す。だがネットに張り付く直前に、体の右側へ太田のシュートボールが打ち込まれる。きちんと体重が乗った威力あるシュートに、宗方はバックハンドだったこともあるが、ボレー出来ずに撃沈した。
 悔しそうに腕を振る宗方だったが、実はその一本が第六中ダブル後衛の攻める対象を切り替える合図になるとは、本人は気付かないでいた。
 ボールカウントは2-2と再び振り出しに戻る。だがボールカウント0-0と2-2では全く意味も捉え方も違ってくる。次にこの一本を取った方が自然とマッチポイントになるのだ。それはコート内にいる選手がその身をもって一番良く理解しているだろう。サーブは一巡して丸藤に回る。ここはしっかりと決めておきたい丸藤は、スピードは乏しいが確実性には定評のあるファーストサーブを放つ。果たして望みどおりにサービスエリアに入ったボールを大井は先ほど同様に緩やかに丸藤へ返した。てっきり自分にアタックを打ち込んでくると思っていた宗方は、四股に込めた力をホッと緩めたが、後ろから聞こえてきた打球音を聞いて再びグッと体を強張らせる。ラケットがボールを掠ったような音、振り向くまでもなくショートボールの音だった。
 それにあわせて大井が前の方に詰めて来る。この試合、初めて陣形を乱したダブル後衛ペアに観衆はワッと声を張り上げた。大井との距離が縮まったことに慄きながらも宗方はしっかりとネットに張り付き、真っ直ぐ対峙する。もしも大井が打ち込んでくるとして、想定されるコースはがっちりと塞いだ。それでも大井は宗方の壁を抜かんとシュートを打つ体勢に入る。
 歯を食いしばってラケットを構えた宗方だったが、大井が打ち込んだシュートは無残にもラケットの間をすり抜けていってしまった。

 湧き上がる第六中サイド。その歓声を耳で聞きながら、宗方は悔しさを顔に出すまいと必死で押し込めた。大井の放ったシュートボールはギリギリ目で追うことが出来た。だが体が全く反応出来なかった。もう一度同じ場面に出くわしたら、次は取れることが出来るのか? ここを取らないとせっかく丸藤に進言したことが全くの無駄になってしまう。彼はそんな自問を繰り返したが、いつまでも思考を止めておくこともならない。試合は絶えず進行している。丸藤の励ましを受けて宗方はポジションに着く。
「とうとう、豚で勝負を賭けにきたか。これが当たりか外れかはわからないけどさ、どのみちこうするしか活路はないわな」
 同じ前衛として自分と重ねているのか、小堺が呟くように言った。
「あぁ。出来れば第一ゲームからこの展開でやればよかったんだけどな。丸男の体力を失い過ぎた。ここで誠司があのダブル後衛を食い止められれば……」
「出来るわけねぇだろ。もしそんなんで勝てるんなら、俺ら後衛は用無しだ。そしてお前ら、前衛もな。だからみんな必死こいて練習すんだろ」
 高田の正論が全員の胸に突き刺さる。そう、そんな図面通りにネット前に立っていれば百発百中ボレーを決められるようなら、誰もボレー練習はしないし後衛はシュートを打たない。宗方のように作戦、戦略も結構だが、結局は前衛を突き抜けるような打球を持つ後衛に軍配が上がるのだ。宗方はそんな初歩的で当たり前な真実に、今は苦しむしかなかった。

 ボールカウントは2-3、第六中のマッチポイントを迎える。ここを落とせば一気にゲームカウントもマッチを取られることになる。丸藤と宗方は窮地に立たされていた。
 そんな場面で丸藤のサーブを太田はロブではなく、珍しくシュートで丸藤に返した。相手も完全に宗方を狙っているわけではない。基本はあくまで丸藤を振り回して自滅させ、勝負に出ようと宗方に預けたら素人同然の前衛を潰す、これを徹底的に貫くつもりだ。ゆるぎないダブル後衛の作戦を前に、丸藤も宗方もなす術はない。散々振り回せた丸藤は、逃げるようにショートを打つ。そこへ待ってましたとばかりに前へ飛び出した太田が宗方の死角となった右サイドを正確に打ち抜いていった。
 愕然と肩を落とす二人。これでゲームカウントは0-2になってしまった。

 もともと、初めから本気で勝てるとは思っていなかった。宗方だって自分の実力を過信するほど愚かではないし、相手の実力が読めないほど盲目ではない。ただ、だからといって何もしていないうちに勝負を投げるのは絶対に許せなかった。それに技術では劣るが、知力を尽くせば活路が開けるかもしれないという淡い期待も捨て切れなかった。
 だがその知力を尽くせば尽くすほど、どうしても粗が見えてきてしまう。勝てない要因が浮き彫りになってしまう。丸藤には何一つ問題は見当たらない。明らかに劣っているのは、自分の実力だった。それが悔しかった。負けてしまうのが悔しいのではない。丸藤の足を引っ張り、自ら足かせになってしまっていることが申し訳なかったのだ。
 第三ゲームは第七中がレシーブと、サーブに比べれば優位なのかもしれないが、この相手では全くそれは意味をなさなかった。第一ゲームではさほど球威を感じさせなかったサーブを放っていた大井だが、ここで一気に勝負を決めにきた。バウンドした瞬間にホップするようなサーブを受けて、丸藤は思わず仰け反ってレシーブをミスする。
 普段の丸藤だったら、どんな体勢になろうとも返球くらいはしそうなものだが、第一、第二ゲームで散々痛めつけられた下半身が、既に対応できなくなっている。第六中ペアが様子見を終えて一気に刈り取りにきたのはそういう下準備が整ったことを確認したからだ。
 丸藤が取れなかったサーブを、さらにストローク力が劣る宗方が取れるはずもなく、続いての大井のサーブに宗方は触れることすら出来なかった。
 これでボールカウントはあっという間に0-2、太田へとサーブが回ってくる。ストローク力は大井よりも威力がありそうな太田だったが、サーブは今一つ劣るようで今度はどうにかレシーブを返せた。そして終盤になろうとも例の振り回しで執拗に丸藤を攻めだした。恐ろしいほど堅実で粘着質な攻撃に、丸藤は既に思考すら疲弊されている。その心中をペアの宗方も痛いほど分かっていた。ショートボールを打つ気配を見せない丸藤に、もう彼はこれ以上負担を掛けたくなかった。
 左サイドから右サイドへ振り回される丸藤。自分もそれに合わせて左サイドに移動しなければならなかったが、宗方はまたもポジションに逆らって動こうとしない。第二ゲームで大井を出し抜いた作戦だったが、これには観客席で見守っていた全員が発狂しそうになった。そんな見え見えの作戦なんぞ決まるわけもないし、逆に穴を広げるだけだ。だが、今の宗方には状況を冷静に見極める眼を失っていた。ただ丸藤の負担を減らすこと、それだけに心を奪われていた。
 失望しながらラケットを大きく構える大井。同じ手に二度と引っかかるほど馬鹿ではないし、第一焦った宗方は既にボレーをせんと走り始めている。動きがバレバレもいいところだ。だから、敢えて大井は宗方の賭けに乗ることにした。こんな自分を舐め切ったプレーで挑んでくる相手には力を持ってして応えるに限る。実力の差というものを見せ付けておく必要があるようだ。
 大井は狙いを定めてラケットを一閃する。打ち抜く場所は宗方が得意なフォアボレーで決められる左サイドの更に左寄りの際どいサイドコース。宗方は必死に腕を伸ばしてシュートを止めようとした。だがダッシュが弱く腕が短い彼ではとても届くわけもなく、ボールは虚しくラケットから一メートルの距離を置いて通過していった。

 遂にマッチポイントを取られて後がない二人。なんとしてでも逆転を狙いたい宗方は、このレシーブを決めなければならない。
 太田のサーブが放たれる。若干体に力が入りすぎたからか、レシーブは大きく宙に浮いた返球になってしまった。しかし宗方にしてみればもっけの幸い、ネット前につめる時間が稼げる。ボールがバウンドするのと同時に息せき切ってネット前に着くことが出来た宗方はしっかりと太田のフォームを確認する。大きく構えたところを見ると、ロブで返す気はないようだ。とすると、絶対に丸藤がいる右サイドに打ち込んでくるはず。宗方は左足を小さく屈伸させて力を込める。ここでポーチに出ればバックボレーになるが、この際気にしていられない。宗方はラケットを引くとタイミングを合わせて右サイドに向かって駆け出した。その途端、今まで自分がいた左側へボールが飛んでいく。しまった! と思う暇もなく打球はコート内に吸い込まれたのと同時に、第六中サイドが歓喜する。
 太田は宗方がレシーブ後にすぐポーチへ出てくると始めから読んでいたのだ。そして自分の行動を読まれたことに、宗方はがっくりと膝を折る。結局、何もすることが出来なかったばかりか、お荷物にしかならなかった自分が情けなくて、堪らなかった。悔しい思いが胸を締め付けて立ち上がれずにいると、相方の丸藤がそっと自分の肩に手を当てて弱弱しく微笑んだ。それがまた宗方の胸を締め付け、彼はもう、どうにもならなくなってしまった。

更新日 5月1日

 試合終了の挨拶を終え自チームのベンチに戻ると、安西が二人を拍手で迎えてくれた。結果は惨敗ながらも、精一杯頑張ったことを讃えてくれているのだろう。その隣に神谷と小堺がスタンバイしている。彼らの試合は、丸藤達のすぐ後だったのだ。
「済まないな、君達。三回戦で当たる予定だったけれども負けてしまった。我々の雪辱、君達がきっと晴らしてくれることを切に願うよ」
 いつもと変わらない調子で言う宗方に、二人は無言で頷く。そのすぐ後ろから第四中の一年生が二人、審判台に向かって走っていく。基本、主審と副審は前の試合の敗者が行うことになるのだが、同じ学校同士が選手と審判では不公平が生じるので、大会役員が気を回して第四中の生徒に審判をお願いしてくれたらしい。先輩達の試合の応援をしたいだろうに迷惑そうな顔をしている第四中の生徒を眺めながら、宗方は観客席に戻らずそのまま競技場外に歩いていった。
「ぶぅちゃん、試合見ないの?」
 どこに行くのかと不審に思った吉川が尋ねる。すると宗方は振り向きもしないで「トイレさ」と答えた。
「あ、僕も一緒に行くよ」
 宗方の後を追うように丸藤も観客席を離れる。その時に一瞬だけ吉川には、宗方がばつ悪そうな顔をしたように見えた。

 一緒に行くと言ったものの、別段用事もなかった丸藤は、トイレに入っていく宗方を見送り自分は近くの木陰で待つことにした。
 試合で負けた後というのは言葉では言い表せない苦味が残っている。こればかりは何年間もテニスをしてきたが、決して慣れることが出来ないと丸藤は思った。いや、慣れてしまっては駄目だろう。こんな気持ちを味わいたくないがために、逃げたくないために自分は中学生になってもテニスを続けることを決意したのだ。木陰に佇みながら丸藤はそんな感傷に耽っていたが、いつまで経ってもトイレから宗方が出てこないことに気付いた。
 かれこれ三分ほどは経過している。第一コートでは既に神谷達の試合が始まっているだろう。自分も早く戻って応援したいのだが、如何せん宗方が遅い。丸藤はお腹の調子でも悪いのだろうかとトイレの出口を眺めながら心配していたが、相方は一向に出てくる気配がなかった。ちょうどその時、トイレから二人組みの男子が出てきた。ユニフォームから察するに第三中の生徒だろうが、そんな彼らの会話が聞こえてきた。
「何だったんだ、あいつ」
「あぁ、ちょっとキモかったな。あれ、かなり泣いていたぜ」
 特に聞くつもりはなかったのだが、一度耳に入った会話だったのでその後の話も自然と聞こえてきた。
「よっぽど試合に負けて悔しかったんじゃねえの」
「でもさ、なんで『おじいちゃん』って単語が出てくるかね。爺さんでも見にきてたのかな?」
 その言葉を聞いて、丸藤は弾かれるようにトイレに入っていった。
 三つある個室のうち、一番奥にある個室のみ鍵がかかっている。そしてその扉の前に立つと、男子生徒のすすり泣く声が聞こえてきた。トイレ内には他に誰もいない。丸藤は個室のドアに耳を当てた。
「ぐす……なんでなんだよ、一体。ふざけるな、ぐす……なんで僕が負けなきゃいけないんだよ。僕は……市議会議員であるお爺ちゃんの孫なんだぞ……ぐすん。なんで僕は、こんなに弱いんだよ……。こんなんじゃ、おじいちゃんに顔向け出来ないし……ぐす、丸男君に申し訳ないじゃないか……」
 このまま、聞かなかったことにしてトイレから離れるのが一番良いのかもしれない。プライドが高い宗方のことだ、こんな場面を知り合いに見られたらさぞかし傷つくだろう。けれど、丸藤はドアに額を当てると小さく、個室の中に聞こえるほどの声で囁いた。
「宗方君、僕は全然なんとも思ってないよ。神谷君達の試合を見に行こう? 僕、中学に入ったら絶対に神谷君達に勝ちたいって思っていたんだ。だから少しでも彼らの試合を見て研究しなきゃ。それに、ペアが宗方君じゃないと勝てる気がしないよ。うぅん、宗方君じゃないと勝てないんだ。だから、ね?」
 個室に響いていたすすり泣く声が始めは大きくだが、徐々に小さくなっていく。丸藤はその声が聞こえなくなるまで、ジッとドアに額を押し付けて待っていた。



もくじはこちら



FC2ブログランキング にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
08:29  |  なんしきっ!  |  CM(7)  |  EDIT   このページの上へ

2010'04.15 (Thu)

個人戦 高田・吉川VS第三中の人々

 個人戦で第七中初の勝利を収めた丸藤と宗方を、部員達は盛大に祝福する。ジュニア上がりの丸藤がついているといっても、初心者の宗方が先日に引き続き勝利するということは、部員達にとっても驚きだったし、自分も頑張らなくてはという良い励ましにもなった。
 そんな丸藤と宗方に続くように、同じく第1コートの五試合目で試合に臨んだ第七中の一番手、神谷と小堺ペアは、対する第一中の三年生ペアと対戦し、圧勝で飾った。ゲームポイントはもちろん3-0、ボールポイントは僅か二失点に抑えて堂々の一回戦突破となった。
「しかし驚きだな。神谷君の球、昨日よりも加速しているように感じたよ!」
「小堺君のサーブの威力も上がっていたし、今日は相当気合が入っているね!」
 スコア表を事務所に提出してきた二人を部員達が迎える。今の試合に本人達よりも周りが興奮冷めやらぬ様子だ。しかしそれほどの気迫が試合中の二人から感じ取れた試合だった。
「俺達、調子が上がるまで時間がかかるから。今から気合入れないとベスト八まで間に合わない」
「よっしゃ! 残り二試合であの人達に当たるぜ!」
「朔太郎、気が早すぎる」
 そんな会話に余裕すら感じる一番手ペアを前に、高田と吉川の表情は浮かない。昨日と今日を通じて、まだ一勝もしていないのは彼らだけなのだ。初心者同士のペアで、しかも周りを見渡せば上級生ばかりの状況で勝てる見込みは皆無に近いのだが、それでも彼らはこの数ヶ月間で並みの初心者に比べて格段に上達していると感じている。もともと運動神経が良いのもあるが、野球部時代には常にトップを走ってきた彼らにとって、他の部員から一歩も二歩もリードされているのは我慢ならない。何としてでも個人戦の一回戦は、チームメイト同様に勝利で収めたい。
「高田君、吉川君。そっちの状況はどう?第4コートは何試合目まで進んだ?」
「今のところ五試合目です」
「あら、じゃあそろそろアップしておきなさい」
 顧問らしく指示を促す安西に、高田はムッスリとした態度のまま反応を示さない。吉川としては安西の忠告通りにアップを開始すべきだと思うのだが、相方の高田が動かない限り、自分が先に腰を起こすのは気が引ける。そんな高田の頭を応援に来た兄が小突く。
「おい、竜輝。美和ちゃんの言ってることが聞こえなかったのか? さっさと動け、こら」
 だが高田はそんな兄の手を邪険に振り払うと小さく舌打ちをした。その態度が気に入らなかった高田兄は、弟の胸倉を掴むと立ち上がらせる。驚いたチームメイトは恐々とだが、もしもに備えて構えた。
「おい竜輝! てめえ、俺に向かってその舐め切った態度はなんだ? あん!」
「うるせぇよ、兄ちゃん! 今、精神統一の真っ最中だったんだよ! これが俺なりのアップなんだって!」
 大声を上げる二人を野次馬達が遠巻きに眺めるが、安西は申し訳なくそれらに頭を下げる。声を張り上げて試合に臨む選手達や応援団で競技場内は騒々しいが、こういう違った種類の怒号はどうしても注目の的になる。
「あ、あの! お兄ちゃん! たっちゃんは昔から試合前に体を動かすより精神統一をした方が調子が良くなるんだよ! だから、離してあげて!」
 相方の吉川が沈痛に高田兄へ訴える。弟の言うことは今一信用しないが、幼馴染の吉川がいうことには信憑性を抱いている高田兄は、手を離し「だったらせめて返事くらいしやがれ」と言うと席を外した。
「美和ちゃん、俺ちょっくらコーヒー買ってくるわ」
 きっと高田兄も確認もせずに弟を責めたことがばつ悪かったのだろう。素直じゃないところは兄弟そっくりだと感じつつも、一同胸をホッと撫で下ろした。
 そうこうしているうちに、第4コートでは既に四試合目に入った。その試合は実力にだいぶ差がある対戦だったので、3-0であっという間に終わってしまった。高田と吉川は幾分気持ちの整理がつかないまま、チームメイトの声援を受けてコート内に足を踏み入れる。
「ったく、あのクソ兄貴のせいで気持ちが落ち着かねぇまま始まっちまうじゃねぇか。ちくしょう」
「まぁまぁ、たっちゃん。とりあえず切り替えよ? さ、挨拶にいかなきゃ」
 高田のご機嫌を伺いながら一緒にコート中央に進む吉川。対戦相手となる第三中の生徒と対峙する。
 パンフレットで確認するところによると、この対戦相手は二年生ペアで三番手の実力。団体戦の一回戦で対戦した第五中よりも実力が下だと言われている第三中ならば、初めて試合をした第五中の一番手よりも腕前は劣るはずだ。加えて、こうしてネット越しに対峙してみると分かるが、相手選手から勝とうという意気込みは全く感じられない。明らかに運動が不得意そうな体型の後衛に、気が弱そうな前衛。まだ手合わせをしていないのではっきりとは言えないが、吉川は淡い期待を胸に抱いた。どうやらそれは高田も同じだったらしい。
 試合前に行う一分程度の乱打は、相手の実力を測る機会と自分の調子を確認する貴重な時間である。それを終えた高田と吉川は、神妙にだがそわそわした足取りで顔を突き合わせた。
「のぼる。こいつら、弱いぞ」
「う、うん。こっちも全然大した球を打ってこない。僕が普通にラリーを続けられるくらい」
「こりゃあ、ひょっとするか?」
「ひょっとするって」
 高田の言わんするところは吉川も痛いほど分かる。だが、それを口に出すには吉川も高田も謙虚すぎるし、裏づけする自信が少なすぎる。

「おいおい、相手は全然大したことないじゃないか。これはもしかして、勝てるんじゃね?」
 観客席で今の乱打を眺めていた小堺は、素直に思った感想を口にした。それは他のメンバーも同じだったらしい。期待に満ちた瞳を輝かせ、うんうんと頷く。
「やっぱりおめえらが見てもそう思うか? 素人の俺が見ても、敵は弱ぇぞ。あいつら勝てるんじゃね?」
 これまでまだ二試合しか観戦していない高田兄でも感じたくらいだ。完全に勝てるとは言わないが、実力的にはほぼ均衡。今までの明らかに桁はずれな相手ではなく、風のなびき方で勝敗が決してしまう、それほど差が感じられない対戦相手だった。
「試合が始まればどうなるか分かりませんけど、あの二人には武器がありますから。それが上手く使えれば勝てるかもしれません」
 そう言って高田の強力シュートボールと吉川のスマッシュの説明を、高田兄にする神谷。恐い思いをさせられたこと過去を持つ彼らだったが、今日半日一緒に過ごして、まだ警戒はしているものの、だいぶ高田兄と打ち解けてきたようだ。第七中の応援にも一役買って頂いている立場もあるので、遠慮がちにだが普通に会話をする程度の交流はとれるようになっていた。
「なるほどな。美和ちゃん、こりゃあ俺も声を出した方が良さそうだぜ。竜輝とのぼるのために人肌脱いでやるか」
 咳払いをして立ち上がった高田兄は、おもむろに腰へ手を当てると大きく息を吸い込んだ。そして眉間に皺を寄せると相手サイドを睨みつける。
「ぅおぉぉいっ! 竜輝にのぼるっ! いっちょかましたれや! 死ぬ気で攻めろや! こらぁ!」
 まるで任侠映画のクライマックスのような台詞と叫び声に、その場にいた全員が身を竦め、大会役員は何事かと事務所から飛び出した。そして直接本人に注意出来ない代わりに、顧問の安西に非難の眼差しを送る。安西はまたしても申し訳なさそうにあちらこちらに頭を下げた。
「高田君、お願いだから黙って座ってて、ね?」
 自身の女神にたしなめられて、高田兄は鼻の下を伸ばしながら大人しく座った。猛獣使いの安西にとっては、誰も手をつけられない不良と言えども調教はお手のものである。
 そんな一悶着を観客席で繰り広げている間に、コートでは早速試合が始まっていた。運良く第七中サイドがレシーブで始まった高田達の個人戦を、チームメイト達は固唾を飲みながら見守った。

 相手後衛のサーブはサーブと言えるほどのものではなく、ただサービスエリアに入ればいいだけの緩やかな山なりのボールだったので、高田はしっかりと見定めて後衛にレシーブを返す。そしてコース変更はしないで正クロスのまま返ってきた打球は、丸藤のように若干ドライブがかかったロブではなく、ラケットに当てただけの打球。
 高田は練習で何度も打ち込んだフォームを頭の中に思い描く。球筋を安定させるために下半身がぶれないよう力を込め、ラケットは首に巻きつけるようしっかりと振り抜く。そして高田のイメージではラケットの軌道は真横の回転。ラケットが閃いた直後に素振りの音が聞こえてくるほどの神速で。
 それだけを確認すると、高田は渾身の力を込めてボールを打った。炸裂音と共に白球はコートを走る。その瞬間、見守っていた第三中陣営にどよめきが起きた。きっと彼らも一年生相手と思ってさほど実力に期待はしてなかったのだろう。それがとても三ヶ月前にテニスを始めたとは思えない球威を繰り出す高田に、一同度肝を抜かれてしまった。
 それはコート上の対戦相手も同様だったらしい。突然スピードを変えた打球に反応出来なかった後衛はラケットにボールを当てるだけでも精一杯だった。フレームに当たったような鈍い打球音と共に高く上がるボール。
「のぼる!」
 言われるまでもなく前衛の吉川は既にラケットを肩に担いで素早く後退している。そして左手で照準を合わせると、一瞬だけ相手コートに目を配りボールを打ち込む位置を確認する。逆クロスのコースに空きを見つけた。ポイントを確かめると吉川は右腕にグッと力をたぎらせ、落ちてくるボールに合わせて溜め込んだ力を一気に解放した。モノが破裂したような音が耳を突いたと思った瞬間には、既にボールは相手コートをしたたかに打ち向こうのフェンスに突き刺さっていた。あまりの速さに目で追えなかった第三中選手が放心するよりも先に、第七中サイドが歓声を上げた。
「うおー! たっちゃん、一発目からスゲェ!」
「吉川君もナイススマッシュだったよ! ほら、相手も目を丸くしている!」
 二人が最も得意とし、唯一の武器とするコンビネーションが鮮やかに決まったことに、高田の兄も驚きを隠せない。
「竜輝……! あいつ、なかなかやるじゃねぇか!」
 小学生の時、先輩達とつまらない諍いを起こして以来、野球を捨て無気力に過ごしていた弟が、まるで自分のようになるではないかと憂いたこともある。だが、始まりはやや強引ではあったものの、こうして意気揚々と体を動かす弟の姿を目の当たりにして、兄としても感激せずにはいられなかった。
「よっしゃ! もう一本いくぞ!」
「うんっ! ナイスボール! たっちゃん!」

 ハイタッチを交わす二人のボルテージは一気に上昇していく。快調な滑り出しに高田と吉川の緊張も直ぐに解けた。二人はこのテンションが下がらないうちにと思い、興奮もそこそこに位置に着く。いつまでも喜んではいられない。試合中の、たった一本を取っただけなのだ。
 続いては吉川のレシーブ。相手後衛のサーブは先ほど同様に大したスピードを持ったボールではないが、あまりストロークが得意ではない吉川は、これをアウトしてしまう。
「ごめん、たっちゃん」
「気にすんな。次に決めればいいだけの話だ」
 渾身の力でスマッシュを決めた一本も、簡単にミスをしてしまった一本も同じ一本。少し気落ちした吉川を高田が励ますと、彼は途端に安堵の表情に切り替えて大きく頷く。その大柄な容姿からは想像もつかないが、吉川は極端に気持ちが小さくいつも高田の顔色を窺って生活しているのだ。
 続いてのレシーブを高田がまたも緩やかに返して相手の出方を見た。すると今度は相手後衛は大きめのロブで吉川の頭を越そうとした。きっと高田の強打を恐れて勝負を逃げたのだろう。だがその恐れがロブにも出てしまったのか、少し大きく打ちすぎたボールは敢え無くアウトした。これでボールカウントは2-1。相手前衛二本目のサーブはなんとダブルフォルトをしてしまい、ついにボールカウントは3-1、マッチポイントを迎えた。
「たぶん、あいつらにしてみたら初めてのマッチポイントだな。変に力まないといいけど」
 実際の試合でも練習のゲームでも、マッチポイントの場面に遭遇したことがないのを知っていた神谷がポツリと呟く。ゲーム中のマッチポイントの場面は特に重要で、ここを決められるか、決められないかで今後のゲームを大きく左右する。実力よりもプレーヤーのメンタル面が試されるのだ。
「お願い、しっかり決めてね。高田君、吉川君……」
 ベンチコーチとしてコート内に入っている安西も、神に祈るように二人をジッと見つめた。何も出来ないながら間近で見ている分、安西には試合中の二人と同じくらいのプレッシャーを感じているのだ。
 そして相手後衛のサーブが吉川に向かって放たれるが、なんとファーストサーブを外してしまった。きっと相手の後衛もこの場面で一年生に負けられないと緊張しているのだろう。明らかに顔色は曇っている。そして、二本目のサーブを吉川はタイミングを合わせてゆっくりと返す。この試合、二本目にしてやっと吉川のレシーブが返ったことに第七中サイドは沸き立つ。真正面に返ってきたボールを、相手後衛はロブではなくきちんと打ち込んできた。だがその球は決してシュートボールと言えるほどスピードが乗った代物ではなく、高田にしてはこれも絶好球に感じ、四股に力を込める。そして真横に大きくラケットを引くと、腰を思いっきり旋回させてボールを打ち込んだ。白球は弾けるような快音を立てて矢のように飛んでいくが、コントロールがまだ覚束ない高田のボールは、ネット前に立っている前衛の真正面へ向かって行った。
 万事休す!と顔をしかめかけたチームメイトだが、その瞬間、なんと相手前衛がボレーで返そうとした高田の球をスルーしてしまったのである。ラケットにボールの手応えがなかったことに顔を苦痛に歪める前衛。あまりのラッキーと初めてゲームポイントを先取したことに、高田と吉川はコート内をピョンピョン飛び跳ねて狂喜乱舞した。同じように喜びを露わにした第七中サイドも彼らに惜しみない声援で祝福した。
 一通りコート内を駆け回った後に、興奮冷めやらぬ二人はチェンジサイズ前にベンチへ戻る。
「やったわね! 高田君、吉川君!」
 嬉しそうに掲げた安西の小さく白い手に、高田は満面の笑みを浮かべ力強くハイタッチを交わした。
「へへっ! 俺達だってやれば出来るんだよっ!」
 今まで見たことがない顔で嬉しさを表現する高田。安西はこんなウキウキしている高田を見るのは初めてだった。普段は学校で不良生徒と教師連中に鼻摘み者扱いをされていても、彼だって周りの子達と変わらない、可愛い生徒なのだ。
「ありがとうございます、先生」
 少し遅れて吉川も安西の手に優しくタッチする。控えめながらも頬を上気させている吉川も、心の中では相当興奮しているのだろう。
「凄かったぜ、たっちゃん! 相手の前衛、あまりの速さに手が出せなかったんじゃねぇの?」
 最後のショットを褒め称える小堺に、高田は喜びながらも疑わしげに首をひねる。
「あんなのたまたまだろ。いきなり打ち込まれたから、相手もびびっただけなんじゃね?」
「いや、あのボールは相当速かった。あれだといくら来るって分かっていても、そうそう取られるものではない」
「ほ、本当かよ?」
「本当だ。朔太郎もそう思うだろ?」
「おうっ! 俺だってあのボール打ち込まれたら取れる気はしないぜ!」
 一番手ペアにおだてられた高田はしばらく神妙に俯くと、グッと顔を上げて「よっしゃ! 次もかましてきてやるぜ!」と叫び、水分の補充もそこそこに吉川を引っ張ると、向こう側のコートに走っていってしまった。その背中に檄を飛ばしながら、丸藤はおずおずと神谷に言った。
「神谷君、あれはちょっと言い過ぎだったんじゃない?」
「なんでだ?」
 不思議そうに丸藤の顔を覗き込む神谷に、隣にいた宗方も咎めた。
「僕も丸男君と同意見さ。あの不良少年、完全に調子づいちゃったよ」
「おいおい、ぶぅちゃん。いいじゃねぇか、多少なら調子づいても。俺達はあいつのテンションを上げてやろうと思って励ましたんだ。なぁ、正樹?」
 同意を求められた神谷は、うんうんと頷きながらも徐々に渋い顔をして小首を傾げ始めた。最後に見せた高田の一瞬考えこむような仕草に、なんとなく嫌な予感がした。そんな神谷に、彼をもっとも良く知る兄がポツリと呟く。
「あいつ、野球やってた時もそうだったんだけどよ、あんまり調子に乗りすぎると空回りするんだよな」
 スッと青くなった顔を上げる神谷に、高田兄は無表情に見つめ返した。そしてそのまま、視線をコートに向ける。チームメイト達も、今の会話を聞いていた安西も、息を飲むと黙ってコートに目を向けた。

 きっと全員が抱いたであろう嫌な予感が、図らずとも的中してしまった。
 第二ゲーム目は高田達がサーブ先攻で始まる。もともとサーブが得意ではない彼らではあったが、だからだろうか。どうも勝ちに急ぎすぎているように見えた。その中でも特に目についたのが高田のシュートボール。普通に後衛に向けて打ち込めばいいものの、第一ゲームの最後で味を占めてしまったのだろう。何故か前衛に集中してシュートを打ち込むようになった。
 相手も高田の球威に慄きミスを重ねたが、それも最初の一、二回までのこと。だいぶ目が慣れてきたのと、自分が狙われていると分かったからか、しっかりとネット前に張り付き、高田の打球を跳ね返すことだけに一点集中したのだ。それが失策に繋がってしまい、第七中はせっかく取った1ゲームを挽回され、一気にゲームカウントは1-2と境地に陥ってしまった。第三ゲーム目の最後の打球をミスした高田は、不愉快そうにチェンジコートのためそそくさと向こう側に帰ろうとしたが、それを吉川が引き止めた。
「ねぇ、たっちゃん。さっきから一体なんなの?」
「あん? 何ってなんだよ」
 眉間に皺を寄せて相方を睨みつける高田だが、吉川も含むところがあるからか目を逸らさない。
「なんでさっきから前衛ばっかり狙っていくの? きちんと後衛に繋げないと駄目じゃないか」
「うるせえ。俺のシュートであの前衛をミスさせようとしてんだよ」
「でも取られてばっかりじゃん。これ以上、失点を重ねるのはやばいって」
「けっ、大丈夫だって。そのうちにまたあの前衛がミスり始めてくるって。見てな、俺があのネット前に張り付いている奴をねじ込んでやるよ」
 神谷と小堺から絶賛されたからというのもあるが、高田としても自分の得意とするシュートボールでポイントを奪ってやりたかった。なので自らの球威で相手選手を黙らせる方法に気付き、それに執着してしまった。だが、それは後衛として決して思ってはいけないことであり、特に彼らのペアでは一番やってはいけないことだと、高田は気付かないでいる。
「たっちゃん! そうしたら僕なんていらないじゃないかっ! たっちゃんがシュートを打ち込んで、相手後衛がバランスを崩したボールを僕がスマッシュで決める! それが僕達の作戦でセオリーだろ?」
 人一倍プライドを持った高田はテニスをしながら、いつも鬱屈としていた。確かにゲーム中は自分がガンガンシュートを打ち込んで気分が良いが、結局は吉川にスマッシュを決めさせるための手段に過ぎない。そのために相手の迎撃に耐え、左右に振り回されて体力を削られる事を不毛に感じる時があった。
 後衛はあくまで繋ぎで前衛がポイントを重ねる、それがソフトテニスとして正しい勝ち方だというのは承知していたが、なんとなく高田は納得出来なかった。自分もポイントを決めて活躍したかった。
「んなこたぁ分かっているけどよ! だったらお前もせっかく決めたポイントを、てめえのつまらないミスで帳消しにするのなんとかしろよ!」
 それを言われて吉川はグッと口を噤んでしまった。先ほどから二本連続でレシーブミスをしたり、ダブルフォルトで失点を重ねているという負い目があるため、高田に大きい口を叩ける身分ではなかったのだ。
「お前がまともに点数を稼げないだから、俺がポイントを取りにいくしかねぇんだろ。……足、引っ張んじゃねぇよ」
 その一言が、たった一言が吉川の心に暗い影を落とし、二人の間に見えない壁を作ってしまった。一触即発の緊迫した試合中のコートの中、頼るべき縋るべき一人の味方との間に溝を作ることは、漆黒の闇を疾走していくしかない状態で明かりを手放す行為に等しい。それはある意味、一人で二人の敵と対峙すること、もしくは三人の敵と対峙することにもなるのだ。
 チェンジコートで第七中サイドに帰って来た二人を、フェンス越しにチームメイト達は励まそうとするが、その声すらも高田と吉川には届かなかった。ベンチに入った安西も、ただおろおろするばかり。事態は何一つ改善しないまま、二人をコート内に戻すしかなかった。
 ゲームポイント1-2で迎えた第四ゲーム。5ゲームマッチなのでこのゲームを落とせば、高田と吉川は悲願の初勝利を逃してしまうことになる。だが、今の二人はそんなことすら頭にないほど迷走していた。一旦否定してしまった自分達の作戦を、今更ながら気持ちを切り返して初心に戻ることが出来るほど、彼らは試合慣れしていないばかりか、経験が乏しい。
 その心のひずみは、それまではミスなく打ち込めていた高田のショットにも影を落とした。どれだけ打ち込んでもボールは相手コートに届く前にネットから阻まれるか、もう数センチというギリギリのラインでアウトをしてしまう。
「あっまた! もうっ! ねぇ、神谷君。なんで高田君のシュートボールまで入らなくなっちゃうの? さっきまでは調子が良かったのに!」
 あまりの歯がゆさに二人を直視できなくなった安西は、沈痛な面持ちでフェンス越しの神谷に声を掛ける。だが、神谷も第一ゲーム後に高田をおだてたことに責任を感じてしまってか、思いつめた表情で真っ直ぐコートを見ていた。
「テニスって、本当にメンタル面に左右されるスポーツなんです。いくら同じフォームで同じショットを打っても、気持ちが荒れていればボールは素直に飛んでくれません。ましてや高田はまだ経験が浅いので、精神的な乱れがそのまま打球に反映されるんです」
「だからって! ちょっと吉川君と喧嘩しただけなのに、ここまで落差が激しいものなの?」
「そうです。自分のメンタル面を支えるのはいつだってパートナーなんです。だからソフトテニスは何よりもチームプレーを重んじるんです。以前、先生に言いましたよね? ソフトテニスは敵が二人にも三人にもなることがあるって」
 朝練習の初日に神谷から言われた台詞だったが、それを今、安西は目の前の光景を見てまざまざと実感していた。そして観戦していたチームメイト達も、パートナー同士、お互いに目配せをして彼らの試合を教訓とした。
 そうこうしているうちにボールカウントは既に1-3、マッチポイントを取られていた。1ポイントは取り返したが、これはただ単に相手前衛がレシーブをミスしただけ。決して二人の下がったテンションを上げる要因にはならなかった。そして高田はファーストサーブを外し、セカンドサーブを打ち込む。相手後衛はその打球をわざと短くレシーブし、対処に間に合わなかった高田は前の方へ滑り込むようにラケットを伸ばしたが、ボールはそれよりも先に二度目のバウンドをした。

 審判台に座った主審がゲームセットのコールをする。第七中三番手ペア、勝てるかもしれなかった試合を仲違いの結果落とすという、屈辱的な敗北を喫された。ガックリと肩を落とす吉川に、悔しさと悲しさにわなわなと震える高田。
「……っくしょう! ちっくしょー!」
 叫びながら手に持ったラケットを振りかざした高田は、それを地面目掛けて叩きつけようとした。一斉に立ち上がるチームメイト。だが、そのラケットは地面に当たる直前、ピタッと止まる。八つ当たりを受けるはずだったラケットを見つめて、高田はグッと歯を食いしばる。どうしてもこれだけは叩きつけられなかった。このラケットを手放したら全てを失うような気がして、高田は胸の中を駆け巡るやるせない思いを沈めるように、その場に膝を折って蹲った。

「ねぇ、みやちゃん。たっちゃん知らない?」
 敗者審判を終えて目を放した隙にパートナーを見失った吉川が、周りをキョロキョロ見渡しながら神谷に尋ねる。
「俺は見ていないけど。誰か、竜輝を見たか?」
 神谷も不審げにチームメイトに尋ねたが、皆、首を横に振っただけだった。
「なんだよ、たっちゃん小便じゃないの?」
「うぅん、さっきトイレにも行ってみたけどいなかった。どこに行ったんだろ?」
 必死になって探そうとする吉川を見て、部員一同嫌な予感がして互いに目配せをした。試合終了直後の高田の落ち込みようはそれこそ異常なくらいで、今すぐにでも姿をくらましたいといった様子だった。それだけならいいが、彼はもともと自ら望んでテニス部にきたわけではなく、兄の強引なゴリ押しで入部した立場。あまりの落胆に居た堪れなくなり、もしかするともう戻ってこないのかもしれない。
「おい、のぼる。ヒマだから一緒に探してやるよ」
 弟の身を案じてか、兄が手助けを申し出たが吉川は口をもごもごさせると頭を下げた。
「ありがとう、お兄ちゃん。でも、きっとたっちゃんはその辺にいると思うから、僕一人で探してみるよ。みんなも次の試合に備えてアップして、ね?」
 そう言うと吉川はみんなに何度も頭を下げながら駆け出そうとする。その背中に安西が不安そうな眼差しで声を掛けた。
「吉川君、絶対に……高田君を探してきてね」
 吉川は気弱そうな笑顔を安西に向けると、小さくペコリと頭を下げて走り出した。

 輝ヶ丘テニス競技場は全てで十面あるコートの中央に事務所が設けられていて、そこから全てのコートが展望できるようになっている。吉川は事務所の回りを一周し、観客席などに高田がいないか隈なく探してみた。だが、高田はどこにもいない。競技場を囲んでいる雑木林へも目を向けて見たが、そこにも高田の姿は見受けられなかった。
 吉川はどうしたものかと額の汗を拭いながら、もっと遠くの方を見回す。すると、競技場から少し離れた場所に雑木林に囲まれた小さな児童公園が目についた。その公園内にある小さな芝生のスペースに緑色のユニフォームらしき人影を見つけて、吉川はホッと胸を撫で下ろす。

更新日 4月21日

 高田は少し木陰になった芝生の上で横になりながら、目の前に生えている草を千切っていた。テニス部に入部することになったあの日、ちょうど体育の時間にもこんな風に芝生の上で寝転んでいたなと、高田は思い出した。あの頃はやりたい事が見つからず、ただ周囲に反発して退屈な毎日を過ごしていた。本当はどこかの部活動に入りたそうにしていた吉川も巻き込んで荒んでいたのも、きっと独りではぐれ者になるのが怖かっただけなのかもしれない。つくづく情けない自分に嫌気がさす。
 それがひょんなことからテニス部に入部する事になり、毎日毎日ヒマさえあれば馬鹿みたいに練習に励んだ。放課後だけでは足りずに、朝や休日の時間も全てテニスに費やし、自分でも驚くほど一心不乱にコートの中を駆け巡っていた。
 だから、さっきの試合で負けた時には本当に悔しかった。怒り狂った頭でも、負けた原因ははっきりと分かっていた。呆れるほど下らない理由で負けてしまったことで、今までの練習の成果が冒されたように感じてならない。そしてそれは自分だけでなく、吉川に対しても申し訳なかった。
 正直、これからどういう顔をして吉川に接すればいいか、分からなかった。吉川だって、この試合はどうしても勝ちたかっただろう。自分の我が儘のせいで負けてしまったことは明白だがきっと吉川のことだ、絶対に高田のせいにはせず、自分自身を責めるだろう。それがまた、高田には耐え切れない。いっそのこと罵ってくれればどれだけ楽だろうかと思うほどだ。

 木陰の下は心地良いが、ちょうど正午に差し掛かってきたためか、上半身が隠れる程度の影しかなく、足は直射日光が当たって暑い。すると、不意に高田のふくらはぎ辺りが急に涼しくなり、頬に冷たいものが触れた。
「うわっ! 冷てぇ!」
 驚いて飛び跳ねると、そこには手に缶ジュースを持った吉川が自分を見下ろしていた。頬に触れたのは缶ジュースだったらしい。吉川は缶のプルタブを開けると、高田に差し出す。彼はそれをおずおずと受け取りながら、また横を向いて寝転んだ。
 吉川に見つかったのは仕方ないとして、一体何を言えばいいのか分からない。てっきり吉川から何か言ってくるかと、それこそ決して言われたくない謝罪の言葉などが聞こえてくると思ったが、彼は高田の傍に腰掛けたままで一言も言葉を発しなかった。
 そしてしばらくして、高田は悟った。きっと吉川も自分と同じ気持ちなのだと。自分に非があるのに、高田は自責の念に捉われているのだと思い違いをしているのだ。
 そう思うと何だか急に可笑しくなり、それと同時に何故あの一瞬、心が離れてしまったのかと不思議に思えた。それはきっと、ただ単に自分自身が未熟だったから。いや、独りで抱え込むのは一番相手を傷つけるとたった今、学んだばかりだ。そう、自分達が未熟だったからだ。高田も、吉川も、お互いに……。
 なんだかそう考えると、気分がグッと楽になる。そしてまだまだ自分達は走り出したばかりなのだと、スタートラインに立ったばかりなのだと思える自分が嬉しくさえ感じた。吉川と一緒だと、もっと強くなれる。いや、一緒だから強くなれる。
 ペアの先導役はどうしても高田になる。ならば、こういう時のタイミングを切り出すのも自分であるべきだと高田は思い、ゆっくりと立ち上がった。
「のぼる……俺、もっとシュートに磨きをかけるぜ。誰よりも速い、誰にも取れないようなシュートボールを目指す」
「……う、うん」
「だから、のぼる。お前はどこにロブを上げられてもスマッシュで打ち落とせる前衛になれ。俺が打ち込んでお前がスマッシュで決める、俺達はそれでのし上がっていくぞ。いいな?」
「……うんっ!」
 高田が差し出した手を取って、意気揚々と立ち上がる吉川。頭一つ分は身長差があることをあまり感じさせない不思議なコンビだが、それはきっと、高田も吉川もお互いに同じ目線で今後を見据えていけるからだろう。新設第七中の中でも特に経験の乏しい二人だが、しっかりと確実に一歩一歩前へ進んでいける強さを彼らは持っている。



もくじはこちら



FC2ブログランキング にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ
にほんブログ村
08:34  |  なんしきっ!  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2010'04.11 (Sun)

個人戦 丸藤・宗方VS佐久間・本田

 ネットを挟んで対峙する第七中二番手と第二中三番手。丸藤の元ペアである本田は昨日の余裕そうな表情はどこへやら、二人の顔をジッと伺っている。その本田のペアである二年の佐久間も対戦相手をマジマジと観察しているが、どちらかというと宗方を気にしているようだ。だが、そんな第二中の選手に見られても、宗方は臆することなくドッシリと構えている。
「どうやら一つ目の種は見事に咲いたようだ」
 試合開始の礼を終えてネットから離れた宗方の第一声がそれだった。丸藤は言葉の意味が分からず、「種って、何?」と聞き返した。
「昨日、僕が彼奴に言っただろ、元全日本選手から教わっていたって。きっとそれを間に受けて、僕が相当な実力者だと思っているのだろうよ」
 なるほど、と思い丸藤はそれで宗方が種と言ったことを納得した。全く初対面の相手だと、僅かな情報に盲目し、逆に混乱を招くことがある。きっと本田は昨日に宗方が言ったことで疑心暗鬼に陥っているのだろう。それがペアの後衛にも伝わっているようだ。
「でも宗方君、最初の乱打で本田と打ち合えば実力なんて簡単にばれちゃうんじゃない?」
「無問題。そうならないために、吉川君からラケットを拝借してきたのさ」
 わけが分からず首を捻る丸藤へ、宗方は少し真面目な表情で「さて、ここでもう一つ、種を蒔いておきたい」と耳打ちをする。
「その最初の乱打でだね、君は一本もロブを打ってはいけない。出来るかな?」
「それって、全部シュートで打たなきゃ駄目ってこと?」
 昨日の第四中戦で、最後に乱心して放った屈辱的なシュートボールを思い出す。全く威力がない自分の非力さを際立たせたシュートボールで、もう二度と人前では打ちたくないと思った、アレだった。
「出来ればそうしてもらいたい。球威もスピードも求めない。ただロブ以外のボールを打って欲しいのだ。これが後に試合中開花する予定の種だ。頼んだよ、丸男君」
「だから、丸藤だって……」
 自信満々に説く宗方に、丸藤はただ頷くばかりだった。相手の後衛は二年、前衛は元自分のペア。総合的に見れば初心者の宗方を抱えている丸藤達に、勝つ見込みは薄い試合なはずだ。それでもその初心者であるはずの宗方は余裕で勝利を納める気でいる。慢心でも妄信でもなく、確固たる自信を持って。きっと宗方は、自分とは違った視点でソフトテニスというスポーツを考えているのだ。丸藤は自分が今まで培ってきたテニス理論を覆される予感がした。それはきっと、ほぼ同じ歳月テニスをしてきた、今は敵となって相対している本田にとっても。
 試合前に行う短時間の乱打が始まる。丸藤は宗方の指示通りに自らの十八番であるロブは封印して、腕の力の限りにラケットを振りぬいてボールを打ち込んだ。不慣れと貧弱な打球はネットをしたりアウトになったりと散々だったが、これも宗方の作戦の一つならば仕方がない。だがその分、相手後衛の佐久間も丸藤の安定しない打球に乱されてか、まともにラリーが続かないことにしっくりこない様子だ。
 そして一方の宗方は、一度だけ打ち返すや否や、何度も首を傾げながらコートを離れる。ラリーを中断された本田は茫然と見守っていたが、宗方は吉川に借りたラケットに持ち替えると再びコートに着く。やっとラリー再開かと思った矢先に二、三度素振りをして、また納得いかずに首を傾げながらラケットを取り替えた。その行動に苛立った本田は、宗方がコートに立つのを見ると、直ぐにボールを放って寄越して、乱打を催促した。だが宗方はそのボールを打ち返すではなく、ひょいっとラケットで止めると手に持ち、また素振りでフォームを確認する動作をした。
「なぁ、正樹。あの豚は一体何がしたいんだ?」
「え……さぁ」
 応援をするためにスタンバイしているチームメイト達も、宗方の不審な行動に眉を潜めるだけだった。そうこうしているうちに、審判のコールが鳴る。まともに一度もラリーをしていない本田は不満そうにポジションにつき、ペアの佐久間もあべこべなラリーに調子が狂ってしまったようだ。その様子を宗方は内心ほくそ笑みながら見つめる。
「それでは丸男君、先に説明したとおり作戦は一つ。コース変更で相手を拡散してくれたまえ」
「え? 本当にそれだけなの?」
「あぁ。ちなみに僕は全く手を出さない。それだけでこの試合は勝てる」
 作戦とも思えないような作戦に、丸藤はずり落ちかけた眼鏡をたくし上げる。とにかく宗方がそういうのだから、従わないわけにはいかないようだ。

 ゲームは丸藤ペアがサーブ権で始まった。スピードはないが安定した命中率を誇る丸藤のサーブは、しっかりと相手サービスエリアに入る。それを素直に丸藤へレシーブした佐久間とラリーが始まった。宗方が指南したように、丸藤は多岐に渡りコース変更を繰り返す。正クロス、逆クロス、ストレートとめまぐるしくコースを変更された佐久間は、結局ショットをミスしてアウトになる。さらに二本目も同様に佐久間はアウトしてしまった。
 後衛同士の根競べになれば、ミスが少ないロブで繋げるのが得意な丸藤に分があるのは、火を見るよりも明らかだ。
 そしてボールカウント2-0で宗方のサーブとなる。この試合にして宗方が始めてラケットを振る姿に、敵手はじっくりと目を見開いた。だが宗方は緩くファーストサーブを放つと、そのままの動作で前方に詰め寄った。見たことのない宗方の行動にチームメイトは驚いたが、それ以上の動揺が相手選手の顔に出る。第四中の一番手、角野が得意とする攻め方を宗方は真似たのだ。あわよくばレシーブを宗方に当ててストローク力を見極めようと画策していた佐久間は、慌ててコース変更を余儀なくされ、結局ボールはネットしてしまい自滅する。次いで宗方二本目のサーブも同じようにサーブ&ダッシュで来るだろうと構えていた本田だったが、宗方はラケットのグリップを少し握りなおすと、腰をどっしり据えてラケットを袈裟斬りのように斜めに振り抜いた。
「えっ! カットサーブかよ!」
 あまりの驚きに小堺は声に出して驚く。他のチームメイトは声も出ないようだ。練習のときにも見たことがない攻め方を見せる宗方に、一同ただ驚愕するばかりである。
 動作の割りにはさほど回転がかかっていないように見えたカットサーブだったので、本田は気を取り直してレシーブの構えに入る。正直なところ、カットサーブはさほど珍しくない。ある程度の中級選手になれば、セカンドサーブの殆どはカットサーブを打ってくる。サーブの高さもスピードも大したことがないと見極めた本田は、後方に構えている宗方を一瞥すると、タイミングを合わせてラケットを振り抜いた。が、ボールは地面に着いた瞬間に本田から逃げるよう逆方向へホップした。宙を打つ感触に訳が分からなく目を丸くした本田は、やっと理由に気付いて悔しそうに顔を歪める。
 左利きのカットサーブは当然ながら右利きとは逆に回転がかかる。右利きのカットサーブに慣れている選手は、相手がサウスポーと知っていてもカットが逆回転になることまでは念頭に置かないため、意表を衝かれてしまうのだ。そして突然のカットサーブで来られると、大体の選手は面白いくらいに騙されてくれる。
 それはともかく、丸藤、宗方ペアは第一ゲームを失点無しで先取したのである。

「おい豚っ! お前、いつの間にカットサーブなんて覚えたんだよ? びっくりしたじゃねぇか!」
「本当だぜ! 出来るんなら昨日から使えってんだ!」
 興奮した様子でフェンス越しに言い立てる小堺と高田に、宗方は汗を拭きながら胸を張って答える。
「見様見真似でやって見ただけさ! まさか成功するとは思ってなかったがな!」
 そして安西が差し出した自前のスポーツドリンクを一気に飲み干す。それと同時に額からはさらに汗が滝のように流れ出してきた。
「ちょっと宗方君、すごい汗ね。そんなに動いているようには見えなかったけど、大丈夫?」
 実際に宗方が今のゲームで見せた行動と言えば、ラリーでポジション移動したこととサーブを打ったくらいだ。それがまるで三キロメートル近く走ってきたかのような汗の量だったので、安西はどこか体調でも悪いのかと心配した。
「大丈夫です。ただちょっと頭をフル回転させっぱなしだから疲れちゃって。精神的にも」
「そういえば、ぶぅちゃん。試合前に僕のラケットで何をしていたの? 結局使わなかったし」
 自分のラケットが何の役に立ったのかわからず、吉川はこの機会にと思い尋ねてみたが、代わりに答えたのは神谷だった。
「きっと誠司は自分のストローク力が露呈するのを隠しておきたかったんじゃないか?」
「なるほど。それで、か」
 汗を拭きながら納得する丸藤だが、尋ねた吉川には話が見えない。
「つまり、宗方君の実力が分かってしまえば、相手は絶対に集中攻撃を仕掛けてくると思ったはず。さらに僕へロブを打たせなかったのは狙いを僕だけに向けさせるためだろ?」
 宗方は首にタオルをかけながら「ご明察」と言った。
「丸男君がロブを打たないことに彼奴らはどう思っただろうね。きっと中学に入ってロブでは通用しないと丸男君が悪戦苦闘しているとでも勘違いしただろう。おかげで1ゲーム目は僕を警戒してくれていて助かったよ。丸男君と正面切って対決して勝てる後衛なんてそうそういないだろうからね」
 宗方の推察通り、実際に第二中の彼らは宗方より丸藤の方が実力が下だと勘違いしていたのである。宗方の言うところの「種」は着実に開花していき、蔦は足を絡め、大輪の花は真実から目を逸らさせた。

 チェンジコートのため、チームメイトからエールで送られた丸藤達は、背後に第二中の応援団の気迫を感じ、若干居心地悪さを感じていた。一回戦から自チームの三番手が新参チームから負かされるということはあってはならないことなのだろう。野次にも似た声援がひしひしと聞こえてくる。
「うむ、こればっかりはどうにも出来ないね。僕も人の子だ、こうも後ろから大声を出されては気持ちが鈍る」
「僕も。ジュニアの頃ってこういう派手な応援がなかったから、慣れてなくて」
 萎縮してしまう相方を前に、彼らは自らを励ますしか方法がなかった。部員の少なさは応援の弱さにイコールする。これだけは新設第七中の覆すことの出来ない悩みだった。
「なぁ、美和ちゃん。いつになったらその助っ人ってくるんだよ。俺達の声援、あっちまで届かないって」
 他のメンバーも声の限りに声援を送っているが、どうしても第二中の応援に掻き消されてしまう。安西も困った表情でもう一度腕時計に目を落としたが、ちょうどその時、何か轟くような低い音が聞こえた。チームメイトも一旦応援をストップしてその音に耳を傾ける。どこかで聞いたような音だが、それが何の音だったか分からない。だが、その轟音にメンバーは何故だか胸がソワソワして仕方なかった。
 そしてその音がバイクのエンジンだと一番最初に気付いた高田の顔から、サッと血の気が引いた。もちろん高田が、いの一番に気付くはずである。毎日耳にしている生活の一部となっている鼓動なのだから。次に気付いたのは近所に住んでいる幼馴染の吉川。
「ねぇ、たっちゃん。この音、まさか……」
 バイクは競技場の駐車場に止まると、二、三度空ぶかしをしてエンジンを切った。
「さぁ高田君、迎えに行ってちょうだい」
「げぇ。やっぱりかよ……」
 高田は露骨に嫌そうな顔をしたが、それでも駆け足でバイクの主を迎えにいった。神谷と小堺も既に誰が来たのかわかったようで、神妙に背筋を伸ばして固まっている。コート内にいる丸藤と宗方は、急に慌しくなった第七中サイドを見ていぶかしんだ。
 競技場の一角から、声を押し殺したようなどよめきが起きる。そしてその競技場に足を踏み入れた人物を避けるように、人が素早く後ずさっていく。高田に案内されながら第七中サイドに到着した彼は、安西を見るなり朗らかに手を振った。
「お~い、美和ちゃん。応援に来てやったぜ!」
 この晴天にも関わらず黒の革ジャンに身を纏い、根元までしっかりと染めた金髪を鶏冠のように立てて、耳やら鼻やらにピアスでジャラジャラと装飾している彼は、高田の兄だった。一度はテニス部のメンバーに暴行を加えようとした人物である。
「ありがとうね、高田君~。急に呼んだのに来てもらって」
「美和ちゃんの頼みなら、俺は火の中水の中、どこでも行くぜ!」
 自身のマドンナである安西からの感謝に、高田兄はだらしなくも鼻の下をデレッと伸ばした。そんな兄に対して、高田は見てられないとばかりに手で目元を覆う。
「それで美和ちゃんよ、呼ばれたのはいいが俺は何をすればいいんだ?」
「高田君はね、第七中の守護神としてそこに座っていてくれればいいのよ。どーんと構えててちょうだい」
 先ほど宗方に言われたことをそのまま引用した安西。高田兄はよく訳が分からないが良い気分で第七中サイドの応援席に座った。すると、第二中サイドの応援がみるみると萎んでいく。
「ちょっとあなた達! きちんと応援しなさい!」
 第二中の顧問、熟女教師の最上は選手達に発破をかけるが、相手サイドにあんな怖そうな人物がいては出来るわけがない。だが、顧問に逆らうわけにもいかないので彼らは応援を続けたが、それがうるさくて癪に触った高田兄がスッと立ち上がると、直ぐに選手達は一斉に口を噤んで目を合わせないように下を向いた。
 こちらの応援の量を増やせないなら、相手の応援の量を削いでやればいいだけ。
「先生、頭良過ぎ……」
 神谷は呆れながらも感心して呟いた。

更新日 4月14日


「これはありがたい。あの不良の兄も役立つときがあるではないか」
 本人を目の前にしては絶対に言えない様なことをサラッと言いのけた宗方に、丸藤は息を飲んだ。しかしこれでチェンジコートによる不安要素は改善された。後は試合に集中するだけである。丸藤は参謀に伺いを立てた。
「宗方君、次のゲームはどうするの?」
「いや、さっきと同じで構わない。後衛を振り回していれば自ずと勝てる」
 宗方にしてはさっきから簡略すぎる作戦に、丸藤は少々不安を感じてきた。たまたま1ゲーム目が思惑通りにいったからといって、過信しているのではないだろうか? だが参謀はそんな丸藤の懸念さえもお見通しだった。
「あの本田は、小学校時代に君がロブしか打てないことに対して悪態をついていたらしいな」
「え、まぁ……うん」
「僕はね、それが我慢ならないのだよ。自分の未熟さを他人のせいにするなど言語道断。君は君しかできないプレースタイルを貫けばいいのだ。僕が全面的にサポートする。良いかな、丸男君?」
 丸藤はしばらく俯くとグッと下唇を噛んだ。これまでペアだけでなく、コーチ達にさえ言われてきた。ロブだけでは、そのプレースタイルでは勝てない、と。その度に彼は自分の非力を悔やんだし、自分が信じたプレースタイルを否定されたことに心は荒んだ。
 だが、目の前にいる宗方はそれを良しとし、サポートするとさえ言ってくれた。これほど嬉しいことはない。これほど得がたいペアと出会えたことは奇跡だ。
「もう……丸男でいいや」

 宗方が蒔いた種は第二ゲームでも発芽する。先ほどのカットサーブを見せられた第二中ペアは、宗方に対してますます攻撃を仕掛けにくなった。左利きは只でさえ相手にし辛い上に、トリッキーな動きをする選手が多い。まだ隠し球を持っているのではないかという疑心暗鬼が、彼らに宗方を強大に錯覚させていた。そうすると宗方と勝負をするには博打過ぎるため、後衛勝負になってしまう。佐久間と本田は徹底的に丸藤攻めという方針を貫こうと決めていた。
 まさにそれこそが宗方の狙いだった。まんまと罠に掛かった相手をさらに泥沼に引きずりこむために、宗方の頭脳はフル回転する。彼は一球ボールが飛び交う度に、相手の性格や癖、過去の攻撃パターンを計算に入れ三手先まで読む。次に打ち込むとすれば自分はどう動くべきか、さっきはクロスを二本目でコース変更したので今回はどうか、など。彼は佐久間と本田の性格パターンを完全に把握して、彼らが打って出てきそうな場面で必ずフェイントを入れて攻撃の手を封じるのである。肩を軽く振る、ラケットを少し上に上げるというほんの僅かな動きでもフェイントになるのだから不思議だ。結局2ゲーム目は二ポイント取られたが、第七中がこのゲームも制した。
 そしてゲームポイントはマッチになった第3ゲーム、宗方から散々手の平で転がされた彼らに反撃するだけの士気はない。たった1ポイントを失点しただけで、宗方の宣言通りに3-0で第二中相手に勝利を収めた。

 最後の挨拶で沈痛な形相の第二中ペア。佐久間は佐久間で一年生ペアに負けたことが相当悔しかっただろうし、本田も本田で元ペアから負かされたことが無念でならないのだろう。そんな二人を前に宗方はわざと申し訳なさそうな表情で言った。
「僕、実はソフトテニスを始めたのは中学からなのだよ。だがペアの後衛が優秀なおかげで助かった」
 茫然自失と口を開ける二人に手を振ってコートを後にする宗方と丸藤。相方の屈辱を晴らす、これがこの試合に掲げた宗方最高の目標だった。審判から勝利の証であるスコア表を受け取ると、彼らはチームメイトの待つ観客席に進む。その途中、宗方は一度立ち止まると、大きく深呼吸をする。額からは尚も滝のような汗が滴っていた。
「どうしたの? 宗方君」
「いや、5ゲームマッチで助かったよ。もう1ゲーム分、相手を騙す自信はなかった」
 そう言って不敵に笑って見せようとする宗方だが、明らかな疲労の色が顔にへばり付いている。彼にしても相当プレッシャーを感じていたのだろう。それもそのはず、殆どボールを打たないで勝つように試合を進めるなど、なかなか出来ることではない。丸藤は宗方の精神的な負荷に気付き、改めてペアの存在にひしひしと喜びを感じた。
「ありがとうね、宗方君」
 手を掲げる丸藤に、宗方は小さく含み笑いすると、その手に優しくハイタッチで返す。
「その台詞は次の試合で勝ってから聞きたいものだね」



もくじはこちら



FC2ブログランキング にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ
にほんブログ村
07:03  |  なんしきっ!  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'04.08 (Thu)

始まりの朝

 早朝から湿った風と共に若干淀みがかった雲が佐高市上空を覆い、大会役員や選手達は朝ご飯を齧りながら皆一様に天気の心配をしたが、輝ヶ丘テニス競技場にぼちぼち人が集まり始めた頃には雲間から日が差し込み、八時前にはすっかり太陽が顔を出していた。
 連日天気に恵まれたことに一同安堵の溜め息を吐きつつも、すぐにその溜め息をグッと飲み込む。今日は大会の二日目、個人戦が開催されるのだ。団体戦では学校単位での盛り上がりが繰り広げられたが、個人戦となるとやや毛並みが違ってくる。団体戦ではベンチ入りできなかった選手達も個人戦では出場権が得られるので、会場に集まった選手のうち、殆どの学校では一年生以外は選手としてコートに立つ事になる。それぞれの気合があちこちで分散していて、競技場は昨日と違った種類の熱気に包まれていた。それは第七中も例外ではない。
「何だって! ベスト三十二までは5ゲームマッチなのかよ?」
 丸藤の話を聞いていた小堺がびっくりして身を乗り出す。
「おい、5ゲームマッチってどういうことだ?」
 小堺の驚きようが今一理解出来ていない高田は、神谷に尋ねる。同じく隣では吉川が不安そうに首を傾げていた。
「普段俺達が練習でやっているのは7ゲームマッチ。5ゲームマッチってことは3ゲーム先取すれば勝ちってこと」
「ちょっとくらい考えれば分かるような話であろう。人に尋ねるよりもまず自分の脳みそを回したまえ」
 わざと悪態を吐いた宗方の胸倉を掴もうとした高田を、丸藤が体ごと割り込んで制する。
「中学校は試合展開が遅いし、選手数も多いからね。二回戦までは5ゲームマッチにして時間短縮を図ろうってことさ」
 高田の肘が当たってずり落ちた眼鏡を直しながら丸藤は解説した。すると小堺は快活に笑うとピョンピョンとジャンプをする。
「まぁ、3ゲーム先取すればいいんなら手っ取り早く終わっていいな! ベスト十六までは突っ走れるぜ! な、正樹?」
「試合感覚がずれそうで恐いけど、短く試合が終われるなら良い」
 自身のスタミナ不足が心配な神谷にとって、序盤で体力温存が出来るなら願ってもない事だ。何せ彼らが目標としている敵に当たるのは四回戦目、昨日惨敗を味わされた第四中の一番手ペアだ。出来れば少しでも万全な体制で挑みたい。
「それにしても丸男、お前らの一回戦の相手ってあの本田だろ? やりにくいんじゃね?」
 ジュニア時代に幾度と無く丸藤と対戦経験がある小堺は、もちろんそのペアである本田の事も知っている。こちらの特徴を知る相手となればやりにくくなることは必至だ。だが、それは相手にも逆のことが言える。
「やりにくいことなんてあるものか。丸男君に彼奴めの特徴を聞いたが、本田などという人間、恐るるに足りんよ」
 丸藤に替わり宗方がよく肥えた腹と胸を突き出して答えた。
「へぇ、勝つ気満々だな、豚。本田だって一応ジュニア経験者だし、ペアだって上級生だぜ?」
「無問題である。昨日、全体の練習で彼奴のペアも観察したが、三番手といえど大した腕前ではなさそうだ。あの本田という人間も同様。色々とシミュレートした結果、我々に分がある」
「凄い自信だね、ぶぅちゃん。それなら僕達が一番目の試合じゃなくて良かった~。いきなり負けちゃったら部内の雰囲気が悪くなっちゃうもん。ね、たっちゃん?」
 心底安心した顔で情けない事を言う吉川の脇腹に、高田は軽く拳を当てる。図体の割りにどうにも覇気に欠ける相方に、高田は発破をかけた。
「馬鹿野郎! 誰が一番目だろうが俺達も負けてらんねぇんだよ! 昨日は結局一勝も出来なかったのは俺達だけなんだ。今日はなんとしてでも勝って見せるぜ!」
 声を張り上げて宣言する高田に、吉川だけでなく他のメンバーも刺激されて大きく頷く。個人戦と言えども、彼らの気持ちはいつも同じ方向をむいていた。

「それよりも、安西先生はどこに? 朝に一度会って以来、姿が見えないけど」
 辺りを見渡す神谷に見習って、皆キョロキョロと競技場内を見渡した。朝に全員揃っていることを確認した安西は、足早にどこかへ行ってしまい、それ以来姿を見せない。
「安西先生、朝から具合悪そうだったよね。大丈夫なのかな?」
 実は昨日の酒が少し残っているのだが、安西は恥ずかしくてそんなこと言えるはずもなく、選手達には風邪気味だと嘯いたのだ。長い時間外にいると体調を崩しやすいと言った今朝の安西を、不安そうに一際探している丸藤を見て、高田がニヤニヤと笑う。
「丸男、お前やっぱり美和ちゃんのことが好きなんだろ?」
「んなっ! 何を急にっ!」
「別に隠すことは無いぜ。兄ちゃんも言ってたからよ。第七中の男子生徒の大半は必ず美和ちゃんに惚れるってな」
 耳まで真っ赤になった丸藤を他のメンバーが好奇の眼差しで見つめる。丸藤が安西に淡い恋心を抱いていることは誰もが承知だったが、あからさまな反応をされてしまうとつい愉快で堪らない。これ以上赤くなるのかと思うほど赤面した丸藤は、反論も出来ずにそのまま体育座りをして塞ぎこんでしまった。
 あまり苛め過ぎるのも可哀想なのと、試合前に精神状態を乱されては困るので、宗方はわざと話題を変えた。
「そういえば先生、今日は強力な助っ人を呼んだって今朝方言ってたけど、誰だか知ってるかい?」
 宗方の問い掛けに一同首を横に振る。助っ人といっても学生連中は全員地区総体の真っ最中だし、新設されたばかりのソフトテニス部に知り合いと呼べる知り合いはほぼ皆無だ。
「一体、安西先生は誰に声を掛けたんだろうね」
「さぁ。とりあえず、本人がいないからな」
 一向に姿を現さない顧問に、皆そろそろ不安を感じてきて、今の今まで顔を真っ赤にしていた丸藤も立ち上がってもう一度周りを見渡した。しかしその時に安西は、もう一人顔を紅潮させている人間の前にいたのである。

「あの、なんて言ったらいいのかわかりませんが。えぇっと……昨日は本当にすみませんでした」
 顔を真っ青にしながら深々と頭を下げた安西の目の前には、第四中の顧問、佐々木がいた。昨晩に酔った勢いで啖呵を切った直後、気を失った安西はそのまま最上に付き添われ、自宅まで送り届けられた。そして今朝、ジンジンと痛む頭を押えながら昨晩のことを思い出した安西は、取り返しのつかないことをやらかしてしまったと自責の念に苛まれ、しばらくベッドの上でもんどり打ったのである。よく酔っ払うとその前後の記憶が無くなる人もいるが、安西はしっかりと記憶が残っているタイプだった。いっそのこと、記憶が飛んでいてくれたらと嘆いてしまったが、とにかく詫びねばと思い、こうして佐々木の目の前で頭を下げているのである。
「ハハハ、安西先生、昨晩のことは覚えてらっしゃるんですね」
「あ、はい。悲しくなるほど鮮明に……」
 そう言って顔を上げた時に見た佐々木の顔は、昨晩見たのと同じように真っ赤だった。昨日の試合で日焼けしたのとはまた違う赤らみ。それにどことなく普段落ち着き払っている佐々木が浮ついて見えるのは気のせいだろうか?
「記憶があると言うことは、私に言った事も全て覚えてるんですよね?」
「は、はい」
「では、約束のことも?」
 安西はしばらく考えてから言葉を選ぶように答える。
「何でも一つお願いを、というあれですか?」
「そうです!」
 佐々木は必要以上に張り切って大きく頷く。そして更に顔を赤らめて言った。
「たぶんうちの生徒が第七中さんに当たるのは、準々決勝。こちらの黒田、角野ペアとそちらの神谷、小堺ペアです。ともに一番手ペアなので勝負には申し分ないでしょう。それでいいですよね?」
 随分と饒舌な佐々木に気圧されて、安西は「は、はい」と頷くしかなかった。安西の返事を確認すると、佐々木は急に真面目な表情になり
「それでは準々決勝でお待ちしています。お互い、それまで健闘を尽くしましょう!」
 と言い残してどこかに去っていってしまった。その後姿を見送って、安西は頭を抱えて蹲る。酔っていたとはいえ、どうして自分はあんな約束をしてしまったのだろうか。佐々木の誘導尋問めいた風に感じたが、それでも男性とあんな約束をしたのは今までの人生で初めてだった。それにあの嬉々とした佐々木の態度、一体自分は何をさせられるのだろう? ニコニコ笑っていたが、実は腹の底では相当怒っているかもしれない。だから自分を懲らしめるためにあんな約束を取り付けたのだろうか。
 そんな風に安西は自問自答を繰り返したが、事態は進展するわけでもない。彼女の命運は昨晩の段階で既に神谷と小堺に託されてしまっていた。まずはどうかしてでも彼らに勝ってもらわなくてはならない。自分で掘った墓穴だが、生徒に負けて欲しくない理由がもう一つ増えてしまった。

更新日 4月10日

 輝ヶ丘テニス競技場の全部で十コートあるうちの四コートを、昨日の団体戦同様に男子が使用する事になる。なので一回戦だと実質三十試合ほどをたった四つのコートで行わなくてはいけないため、1コートにつき九試合は回さなければいけない。三回戦までは5ゲームマッチというのも頷ける。なので一回戦においては、それぞれ初戦が直ぐに始まるペアに一番最後の方になるペアがいたり。もっとも、その一回戦が全て終わる頃には全選手の半分が消えることになるというシビアな現実が待っている。
 第七中の一回戦の予定表は丸藤ペアが第1コートの二試合目。神谷ペアが同じく第1コートの五試合目。高田ペアが第4コートの七試合目と、全試合かぶることなく手が空いている選手は応援に回れそうだったので助かった。たった六人しかいない薄い選手層の第七中にとっては、後方で声援を送ってくれる仲間が一人でも少なければ、士気があっという間に下がってしまうのである。それゆえに彼らの結束は固く、目に見えないながらも互いにかける信頼は絶大なほどに強い。
 大会二日目なので開会式は行わずに、顧問や大会役員の準備さえ整ってしまうと、選手達は早速試合開始を告げられる。各コートとも顧問やコーチ陣に激を受けながら浮つく足取りでコートに入っていく選手達。一回戦の一試合目となると、心の整理がなかなかつかないのだろう、皆なかなか試合を始めようとしないため、大会役員からスピーカーなどで呷られて、ようやくプレーボールをするのが個人戦のお決まりの光景だ。そして大会に出場しない補欠選手やまだ試合が遥か後方に控えている選手などは、自チームの選手を応援するべく観客席を陣取り、各校とも試合前の応援合戦に花を咲かせる。だいぶ競技場内の空気が熱を帯びてきた頃に、地区総体の個人戦が幕を開けるのだ。
 試合は5ゲームマッチなので3ゲーム先取すれば勝利となる。試合を開始して早ければ十分もしないうちに終わることだってある。なので第1コートの二試合目に控えている丸藤と宗方は、コート近辺で次の試合に備えていた。やや険しい表情で試合を見守る宗方と丸藤。宗方などはまださほど気温が上がっていないにも関わらず、既に額には玉の汗が光っていた。
「おいおい、デブ。今からそんなに緊張してどうするんだよ。試合が始まったら頭にバスタオルでも巻いていた方が良いんじゃねぇか?」
 高田の冗談に皆小さく吹き出したが、当の本人は真剣な表情を崩さず、汗を拭いながら静かに呟く。
「この勝ったペアと二回戦当たるんだ。黙って観察させたまえ」
 第1コートで行われているのは第六中と第四中の試合。もっとも第六中は二番手ペアで第四中はBチームの三番手ペアと、学年も実力も第六中の方が上だ。試合は常に第六中優勢で、既に2ゲーム目先取に手をかけようとしている。余裕な試合展開にも関わらず、ベンチに座る第六中顧問の八幡は険しい表情で選手に混じり、声援を飛ばしていた。きっとライバル視している佐々木率いる選手達なので、余計に熱が篭っているのだろう。通常、ベンチに入った顧問やコーチが試合中に応援をするのは禁止されているが、顧問長という立場と彼の性格を知っているからか、大会役員は注意出来ずにいる。悪い例で人徳が功を奏しているケースだ。対する佐々木はいつものように手を口の前で組んで冷淡に構えている。
「この分だと一試合目はもうすぐ終わるぜ。やっぱり5ゲームマッチは早いな」
「ねぇ、ぶぅちゃんにまるちゃん。アップとかしないでいいの?」
 試合直前にも関わらず、のんびりと試合観戦している二人を気がかりに思ってか、吉川が尋ねる。だが宗方は「必要ない」とだけ言い、丸藤も曖昧に微笑んだだけだった。元ペアと当たるというのに随分悠然と構えているものだと、むしろ感心して二人の様子を眺めていたが、宗方が急に何かを思いついたように頭を上げると、吉川に言った。
「吉川君、次の試合中だけでいいから君のラケットを貸してくれたまえ」
「え、僕のラケットを? 別に構わないけど、なんで?」
「なに、悪いようには扱わないさ」
 そう自信満々に答える宗方を不審げに思いながらも、吉川は一旦自分達の陣地に戻るとラケットを手に取り宗方へ渡した。
「すまない。恩に着るよ」
 そう言ったのと丁度良いタイミングで、第1コートでは第四中の選手が最後のボールをアウトしてゲームセットとなった。
「あらら、随分早く終わっちゃったわね。3-0か」
 不必要にガッツポーズを決める八幡を眺めていると、いつの間にいたのか安西がポツリと呟いた。
「安西先生、どこにいたんですか?」
「あ、う……うん。ちょっと大会役員のお手伝いをしていたのよ。それよりも個人戦も先生がベンチに入っていいんだよね?」
「はい。お願いします」
「我らが守護神たる安西先生が傍にいてくれれば百人力です」
 普段は絶対にそんな軽口を言わない宗方だが、ここぞとばかりに安西をよいしょする。権力には都合よく屈するいかにも政治家体質を今から兼ね備えている宗方が可笑しくて堪らないが、そんなことに気付かないチームメイト達は、宗方も安西に気があるものだと勘違いし、それぞれ顔を見合わせるとニヤニヤ含み笑いをした。
「それよりも先生、今朝言ってた強力な助っ人っていつになったら来るんですか?」
 少し気になっていた丸藤は安西に尋ねてみた。
「うんとね、もう少ししたら来ると思う。九時までには、って伝えたはずなんだけど、結構時間にルーズな人だから」
 腕時計を見ながら大して気にしたふうに見えない様子で答える安西。時計は既に九時十分は廻っている。佐高市は元々、百姓と商人の町なので時間にルーズな土地柄である。大抵、催しものがあると十分、二十分遅れて始まるのはむしろ当たり前だ。
「美和ちゃん、その助っ人って一体誰だよ?」
「……誰って、身内よ」
 怪訝そうに尋ねた高田に一瞬含みを持って答えた安西だったが、コートを見ると相手選手が既にスタンバイに入っていた。
「そんなことより早く行くわよ! 丸男君、宗方君! レッツゴー!」
 一人張り切って先頭を切る安西の後ろを、選手の二人も追いかけていく。守護神のご加護を受けながら、二人は気合も新たにコートに勇み出た。





もくじはこちら



FC2ブログランキング にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ
にほんブログ村
06:57  |  なんしきっ!  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ

2010'04.02 (Fri)

居酒屋『ばってん』での攻防

 佐高駅前にある居酒屋『ばってん』は昨年の秋に出来たばかりのまだ開店し立て独特の香りが残る飲食店だ。全国チェーンの居酒屋ではなく個人経営の店だが、地元の食材をふんだんに使用した素朴な味わいが受けて、この界隈ではなかなかの人気店となっている。その『ばってん』の奥にあるわずか十畳ほどの大広間には隣の人間と肩が触れ合うほどに人がひしめき合いながら座っていた。各校の男子女子の顧問に大会役員やコーチなどを合わせれば総勢三十名以上はいる中で、一番話題の中心にいたのはやはり新生第七中についてだった。一年生ばかりで構成されたチームにも関わらず初戦を突破したという戦果は驚愕に値するもので、各学校とも数年後を視野に入れた議論を熱く展開していた。
「やっぱり第七中はダークホースでしたね。まさか半分は素人で構成されたチームが一回戦を突破してくるだなんて、思いも寄りませんでしたよ」
「まったくです。第五中さんも貧乏くじを引かされてしまいましたね」
「それよりも驚いたのは一番手ペア! なんですか、彼らは? とても一年生には見えませんでしたよ! まだ今年度が始まったばかりだからいいですけど、来年の今頃にはどんな風に化けるか見ものですな!」
「あの佐々木先生とこの一番手には1ゲームも取れませんでしたが、それでも相当な実力でしたよ。こりゃ、うちの二番手よりも強いかもしれません。攻め方がどう見てもこないだまで小学生だった子供とは思えなかった」
「明日の個人戦は楽しみですね。彼らだったらベスト十六以内には入るんじゃないですか?」
「いや、下手するとベスト八までいくかもしれませんよ。しまったな、うちの奴らが確か二回戦で当たるんですよ。一年に負けて自信を無くさなければいいが……」
「じゃあここは一つ、顧問にでも探りを入れておきますか。おーい! 安西先生! こっちこっち!」
 安西は今まで話をしていたコーチ達に慌しく頭を下げると、会話を早々に切り上げて声がする方へマイグラスを握り締めて急いだ。乾杯直後からあっちこっちお呼びを掛けられて、安西は人の名前と顔を覚えるのにてんてこ舞いになっていた。
 佐高市中学校ソフトテニスの顧問やコーチには男性が多い。第七中の話を聞きたいのもあるが、アイドル並の容姿を持つ安西と酒を酌み交わしたいというのが彼らの本音なのだろう。大会中から既に目を掛けていた男性陣も少なくなく、テニスの話もそこそこに私生活の事や彼氏がいるのかなど、露骨に聞いてくる無粋な輩も中にはいた。安西にしてみればさほど珍しいことではなかったので、そんな御仁達はのらりくらりと煙に巻いてやり過ごしたが、テニスの話をされると真剣に耳を傾けた。
 中でもやはり第七中の一番手、神谷と小堺の話がダントツに多く、それもこれも顧問としては鼻が高い評価ばかりだった。コーチの中にはジュニア時代から彼らを知っていた人もいて、安西の知らない小学校時代の話も聞けたのは思わぬ収穫だった。
「神谷と小堺は学区は佐高市だったんですが、隣の亀岡市のクラブに通っていましてね、県大会でよく対戦したんですよ。小学校四年生から始めたわりには当時から頭角を現していましてね、小堺の抜群な運動神経もさる者ながら、やはり神谷のあの打球の区別が全くつかないフォームには驚かされましたよ。まさかあの二人が中学に入ってからペアになるとはね、最初は上手くいくものかと思いましたが、なかなか相性は良いようで」
「そのようですね。私、ジュニアの頃の彼らを知らないんですよ」
 安西はカシスウーロンを口に運びながら、その話をしてくれている第一中のコーチを見た。
「そうですか。それでは私の方が詳しいかもしれませんね。彼らの元ペアはどっちとも学区が亀岡市だったので、中学進学を機に離れ離れになっちゃったんですよ。真面目で大人しい神谷と元気だけは人一倍良い小堺がペアを組んで上手くやれるのかと思いましたが、杞憂だったようですね」
 もっとも我々にしてみれば痛手ですが、と言って第一中のコーチは声を上げて笑った。
 人は普段眺めている側面に違った事情を持っている。あの天真爛漫で仲良しな二人はずっと昔からペアを組んでいたものだと安西は以前まで勝手に思い込んでいた。彼らはついこないだ誕生したばかりのペアだったとは……。ペアの相性が勝敗を決するときもあると、以前神谷が言っていたことを思い出す。きっと神谷はその言葉の重みを今、自ら実感していることだろう。傍目から見れば上手くいっているように感じるペアだが内心はどうか? 神谷は、そして小堺はお互いにペアを組んで良かったと思えているのだろうか?

 そんなことを考えながら、安西は一通り全ての人に挨拶をし終え、自分が乾杯の時に座っていた席にやっと戻ってきた。あちらこちらで話を聞きながら酒を勧められたので、安西はだいぶ酔いが廻ったと時々重くなる瞼に苛まれながら感じた。あまり酒が強いほうではない安西の顔は既に熟したトマトのように真っ赤になり、ちょうど向かいに座っていた佐々木と隣にいた第二中の女性顧問である最上は話を中断してその若い教師をまじまじと見つめた。
「どうでしたか、安西先生。他のコーチの方々から有益な情報は得られましたか?」
「ふぁい……とにかく飲ませられて話を聞かされただけで、じぇんじぇんでした……」
「もしかして、だいぶ酔ってます?」
口に運ぼうとしていた酒猪口を一旦テーブルに置き、佐々木は気遣うような声で尋ねた。
「はぁい……大丈夫れす……」
本当に酔った人間ほど大丈夫と言うものだ。最上はまだ酒の嗜み方が上手に出来ていない新米に、年配らしい忠告を言い渡す。
「安西先生、教師というものはいつどこで父兄や生徒に見られているかわからないものです。いくらプライベートと言えども素行にはご注意された方がいいんじゃないですか? 特に最近ではお酒絡みの事件も多いですからね。酔っ払った教師なんてPTAの格好の的ですよ」
 安西は酔ってはいるものの、まだ理性は完璧に保たれていたので、最上のお説教に恭しく首を垂れる。
 最上は二年生が主体の佐高第二中の顧問で、歳は四十近く。明日、丸藤達が一回戦で対戦する本田の所属校のそれである。いつもしかめっ面で厳ついイメージの強い典型的な熟女教師だ。第二中は専属のコーチがいるものの、最上も自ら熱心に男子女子共々、指導をしている。特に現在の二年生にはジュニア上がりの選手を多数従えているため、来年度は覇道を虎視眈々と目論んでいるチームである。新米の安西に冷たい態度を見せるのも、同じ女性顧問で来年度には自分達を脅かす存在のチームになるであろう、警戒心から生まれたものだ。そして若く美人ということで他の顧問やコーチ連中からちやほやされている姿に、年甲斐もなく嫉妬しているのである。
「まあまあ、最上先生。安西先生もまだお若いですし、それに今日が初めての飲み会です。色々な方からお酌をされて少々飲み過ぎたのでしょう。少しアルコールが弱めの物を注文しましょうか? ファジーネーブルなどいかがでしょう」
 安西のフォローをしながら、すかさず手元のカクテルグラスから判断すると、佐々木は微笑みを浮かべたまま直ぐに店員へ飲み物を注文してくれた。この何気ない気遣いに安西は感心する。酔った女性を前に多少は気にかけてくれる男性は普通だが、こうやってわざとアルコール度数が低めのお酒を用意してくれる男性は珍しい。私生活ではさぞかしモテるんだろう。
「さすがは『智将』の佐々木先生ですね。もしも安西先生を口説くのにお邪魔でしたら、私はいなくなりましょうか?」
 わざと蔑意を含んで『智将』と呼んだ最上に、安西は驚いて佐々木を見た。だが当の本人は涼しい顔で冷酒が入った猪口を傾ける。
「いえいえ、まだ出会ってまもないレディーを口説くなんて野暮な真似はしませんよ。もっとも、最上先生が他の方々とお話がしたいというのなら止めはしませんが」
「そうやって生徒達にももう少し紳士的な態度を見せてはいかがですか? 慈悲もなく軍隊のような指導方法、いい加減やめた方が生徒のためですよ」
 苛立ちを隠さないように非難する最上の言葉に乗るわけでもなく、佐々木は依然として微笑みを浮かべているだけである。なにやら不穏な空気に安西は恐る恐る最上に声を掛けた。
「あの、最上先生、なんの話をしているんですか?」
「この人の指導方針についてですよ。教育者としていくばくか問題があると思ったんで注意しているだけです!」
 何となくだが安西にも話が読めていた。きっと最上は、『智将』佐々木流の指導方法が生徒のためにならないと懸念しているのだ。それは実際に安西も、今日の団体戦の一回戦直後、第五中の顧問から佐々木について話を聞いた時に感じたことでもある。
「確かに部活動は生徒達の心身の育成が目的と言っても、勝負事ですから勝ち負けにこだわるのは結構。ですが、それを最優先にして自分の生徒を駒として扱うのは問題があるんじゃないですか?」
 ちょうど最上が佐々木に向かってそう捲し上げた時に、店員は佐々木が安西のために注文した飲み物を持ってきた。それを安西に笑顔を添えて手渡しながら、佐々木も反論に打って出る。
「なにも私は生徒達を駒として見ているわけではありません。もっとも勝率が上がるように戦術を駆使して的確な配置にしているだけです。それも全て生徒達に勝利という美酒を味わってもらうためですよ」
「その勝利に対する執着のあまり、犠牲になっている生徒もいると聞いてますよ。強い選手ばかり手塩に掛けて育成して、それ以外の見込みのない選手達は三年生であろうとも永遠にボール拾いばかりさせられて、試合にも出してもらえないそうじゃないですか!」
「犠牲という表現は適切ではないですね。強くてやる気のある選手を育成するのは当然のことです。そのボール拾い係の彼らにしてみても、悔しいのならばもっと自主練習なりして努力をすれば良いだけの事。私だってそういう生徒は重宝しますよ」
「生徒に個々の実力差があろうとも、平等に機会を与えてあげるのが我々教師の仕事ではないんですか。そういう指導の下、脱落していった生徒達はこれからどうするんです? そういう生徒も救ってあげるのが、あなたの役割でしょうが。そういう教育方針が現在の格差社会の温床になるんです!」
「つまりそこです。生徒達には学生のうちから、世の中というものは競争社会だということを教え込むのも、教師の役割ではないかと。学生だからといって、努力をしている生徒としない生徒を平等に扱うこと自体、間違っている。最上先生の言葉を借りれば、そういう今の格差社会に順応出来ない人間を作り出してしまうことこそ、現在の教育方針の弊害かと」
「では佐々木先生は生徒を差別するのが当然だというのですか!」
「差別ではありません。区別です」
 佐々木にもらったファジーネーブルを握り締めたまま、安西はそれを口に運ぼうともせず二人の討論に聞き入っていた。佐々木の主張も最上の主張も、共に言いたいことは痛いほど分かる。自分も教育者として日々生徒と接して、本当にこれでいいものなのかと、葛藤を繰り返しながら自分の教育理念を手探りで見つけ出そうと必死にもがいている。
 だが、どちらかといえば安西は最上の主張に賛同だった。佐々木のそれは確かに正しいのかもしれないが、極論過ぎる。人を育てるという職務を全うするには、些か乱暴に感じた。格差社会について語るつもりはないが、陽の目を浴びている生徒の陰で鬱屈としているたくさんの生徒達もきちんと救ってあげるのも、教育者としての責務だと思う。

「あの、佐々木先生。私はまだ教師になりたての人間なのでそんなに偉そうなことは言えませんが、生徒達にとって本当に勝つことが全てだとは思えないんです。それに話に聞くと、佐々木先生は練習メニューはおろか、試合中の作戦や生徒達の動きも全て自分が指示を出して、生徒達には一切自ら考えさせることはしないそうですが……。それじゃあ、せっかくの生徒達が自分で考える能力を発達させる機会を奪っている気がするんです」
 それが佐々木が『智将』と言われる由縁だった。最上も安西と同意見だったようで、うんうんと力強く頷いている。だが佐々木は納得したように一度頷いて(その頷きもパフォーマンスにしか見えなくて寒々しいが)再び反論する。
「生徒の自主性を育てる……ごもっともです。ですが実際問題に生徒達に自ら全てを委ねて、果たして上手くいくケースなどいくつあるでしょうか? 心身共に未成熟な中学生には自ら考えさせて行動させるにはまだ早すぎる。失敗させて無駄な時間を費やすよりも、的確に指導をしてあげるのが一番の近道です」
「生徒達はその失敗の中から大切な何かを学んでいくんだと思います」
「それにしては中学生活の三年間は短すぎる。そんな悠長に構えていては、彼らの時間などあっという間に無くなってしまいますよ」
 詭弁にも捉えられる言い方だが、佐々木の言葉に何も言い返せないと言う事は、安西も正論だと思っている証拠だ。最上も歯軋りをして佐々木を睨みつけているが、反論は出来ない。だが、何かが違う気がして認めたくない。安西は飲み込めない佐々木の主張の替わりに、手に持った飲み物をグッと飲み干した。
 佐々木は「どうしても私の指導方法が間違っていると思いたいんでしょうがね」と呟き、テニス談義に花を咲かせている顧問、コーチ陣を手で仰いで言った。
「私の指導方法をどうこう言ってますが、実際のところこの中で私の生徒達に勝てるチームはあるんでしょうか? 私が間違っているのならば、何故あなた達は我々第四中に一勝も出来ない? いくら議論を交わそうとも、私が正しいことは結果が物語っていますよ」
 佐々木の言葉が耳に入ってムッとしたコーチや顧問の先生は居ただろうが、彼らは振り向きもせず聞かなかったことにした。ここで反応をしても薮蛇だということは、本人達が一番良く理解しているのだろう。スポーツでは勝者の言葉が最も強力なのである。
 だが、もともとスポーツには縁遠いかった安西だけが、食いついた。
「勝てばいいってものでもないでしょう? 勝つためだけに執着すればどのチームだって勝てるんです。ただそれをしないのは、学校教育として成り立たないということを、佐々木先生はわからないんですか?」
 爽やかで気遣いが出来て紳士然とした佐々木が、何故ここまで他の顧問連中から毛嫌いされているか、安西にもようやく理解出来た。そしてそれと同時に、酔いがだいぶ廻ってきていたからか、段々と目の前にいる佐々木の薄ら笑いが腹立たしく思えてきた。
「それは単なる敗者の言い訳でしょう。勝てない人間はいつもそうです。勝てない言い訳を考えている暇があるなら、少しでも勝利に近づける努力をすればいいだけなのに」
「勝つことってそんなに大事なんですか? それよりももっと大事なものがあるはずです。それを犠牲にしてまで勝利を納めようだなんて思う人は、この中に誰もいないって、なんで気付かないんですか?」
「もっと大事なもの、ですか……。なんですか、それは? 結局この世の中は競争社会なんですよ。それを学生だからとひた隠して、生徒達に平等だのオンリーワンだのと、自分達がさも特別な存在なんだと調子に乗らせて、自意識過剰で競争意識が低い生徒を世に輩出する。そっちの方がよっぽど罪深い」
「でもそればっかりの心が欠けた生徒達を世に出すのだって、社会にとっては害悪です! 学生には学生のうちだけ得られる大切なことを学ぶ権利があるんですよ!」
「じゃあ安西先生、あなたがそれを第七中の生徒達に教育を授けてなお、私達のチームに勝ってみて下さい。その学生のうちに得られる大切な何か、とは競争社会を生き抜く強い人間を作るという私の信念よりも強固なものなのでしょう? ならば勝てるはずですよね? 私の支配下でプレーをする生徒なんかよりも、ずっと。だから安西先生は専属のコーチを見つけようともせず、練習を全て生徒任せにしてるんですよね。その自主性を重んじた行為が、本当に生徒達の勝利へ繋がるんでしょうか?」
 安西は何も言い返せずに口を噤んだ。あの毎日一生懸命に練習をする生徒達のために何かしてあげたいとは思いつつも、結局は何も出来ずにただ見守るばかり。それなのに自分は佐々木に対して偉そうに講釈をたれるなんて、滑稽だった。佐々木が言うように、どれだけ非難されようともきちんと結果を残しているのは、誰であろう佐々木だというのに。これでは単なる僻みで終わってしまう。

更新日 4月7日

 佐々木は徳利からだいぶぬるくなった冷酒を猪口に手酌で注ぐと一口に飲み干して、もう一杯注ぐ。小うるさいおばさん教師と理想だけの新米教師を言い負かして、一息つきたかったのだろう。二杯連続で猪口を呷ると、佐々木は残りの酒を注いで近くにいた店員に空の徳利を渡しながら新しいものを注文する。
「でもそこをいくと、先ほど最上先生がおっしゃった軍隊というのもあながち間違いではありませんね。この世の中というのは身勝手な人間ばかりで統制を取るのが難しい。ならば初めから軍隊式にストイックな指導方法を取る私のチームが一番社会に適している。安西先生もそう思いませんか?」
「……」
「この世の中の人間は結局、一人ひとりが歯車なんです。その歯車に組み込まれてこそ、人間は社会に所属することが許されるのです。会社の組織だってそういうものでしょう。適応出来ないものは容易に淘汰され、代わりの歯車がそこに入るだけ。ですから生徒達にしてもそう、盤上で私の動かす駒になってこそ真価が発揮出来る。実に合理的だと思いませんか?」
 その一言を聞いて、最上は腹の底から憤怒が湧き出して佐々木に物申さなければ気が済まないと思い腰を浮かせた。だがそれよりも先に、佐々木の横っ面を平手がしたたかに打ちつける。その平手の主は誰であろう安西だった。ちょうど猪口を口に運んだ矢先にビンタを喰らった佐々木は、上着に酒をぶちまけて驚愕した。安西は目を怒らせて立ち上がる。
「あんた馬鹿じゃない! なにが軍隊よ? 歯車よ? 駒よ? いったい生徒達を何だと思ってるの! あんたのやってることはね! ただ単に生徒達を扱いやすい環境に納めているってだけなの! 何が指導よ! そんな指導でいいならここにいる全員がとっくにやってるの! なんでやんないか分からない? そんな方法は臆病で卑怯な人間がやる方法だから! そんなことも分からないで何が智将よ! ちゃんちゃら可笑しいわ!」
 突然の出来事にその場にいた全員が会話を止めて仁王立ちをしている安西を凝視した。対峙する佐々木も引っ叩かれた頬に手を当てて、点になった目で安西を見上げている。
 県議会議員の副議長である安西の父親は、特に学校教育に力を注いでいる議員の一人だ。なので安西は幼少の頃から父が語る理想の教育を日常的に耳にしていたので、大学卒業後に中学教諭になったのは、至極当然のことであった。そんな父の理念を脈々と受け継いでいた安西に、生徒を駒扱いする佐々木がどうしても許せなかった。加えて普段飲めない酒を飲まされて、理性というたがが緩んでいたので言葉よりも先に行動にでてしまったのは仕方ない。
 安西の口からはなおも怒りが止め処なくあふれ出てくる。
「確かにあんた達の生徒は強いわよ! 強かったわよ! でもね! 私の子供達を甘く見ないでちょうだい! あれだけボロ負けしてもね! 明日の個人戦にはあんた達を負かしてやるため闘志を燃やしていたわ! あんたみたいに軍隊指導しなくてもね! うちの子達はみんな強い意志を自分で育んでいるわ! 出来合いの強さしか持たないあんたの子達よりも、天然の強さを持った私の子達の方が強いに決まっている!」
 据わった目のまま一気に捲くし立てる安西を傍観していた周りの人間は、さっきまでの清楚な安西のイメージが音を立てて崩れ落ちたが、佐々木に今まで言いたかった鬱憤を代弁してくれたので、スカッとした。
 佐々木は最初のうちは口をあんぐり開いて固まっていたが、徐々に顔を真っ赤にすると口を閉ざして俯いた。だがその赤面した表情に恥辱や怒りの色は見られず、何故か瞳はキラキラ輝いている。そして佐々木はグッと顔を上げると、未だに興奮冷めやらない安西を真っ直ぐ見つめる。佐々木も本当なら口を開けないほどに気分が高ぶっていたが、『智将』としての本能が言葉を紡いでくれた。
「じゃ、じゃあ、安西先生は第七中の子が、明日うちの生徒に勝てるというんですか?」
「当然よっ! 負ける気がしないわっ!」
「も、もしも、負けたら、どうします……? 絶対に、負けないんですよね? もしも負けたら……私の言うことを、何か一つ聞くというのは……どうでしょう?」
「いいわよっ! あんたの言うこと、なんでも聞いてあげるわっ! ただし! うちが勝ったらあんたのその態度! 改めなさいよねっ!」
 そう言い終るや否や、安西は急に糸が切れたようにその場に倒れこんだ。驚いた最上が慌てて介抱する。酔いが廻ってたのといきなり興奮状態になった安西は、血が頭に廻りすぎて気絶してしまったのだ。周りで見守っていた人たちも、安西が崩れ落ちたのを皮切りに、お絞りを持ってきたり店員を呼んだりと右往左往。店内は一気に混乱の坩堝と化した。

 だがその中で、佐々木だけは顔を紅潮させたまま、頬に手を当てて茫然としていた。堕ちるのは誰だって唐突で一瞬。『智将』と呼ばれる佐々木もやはり人の子、例外ではなかったようだ。



もくじはこちら



FC2ブログランキング にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ
にほんブログ村
07:32  |  なんしきっ!  |  CM(0)  |  EDIT   このページの上へ
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。