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2010'01.28 (Thu)

なんしきっ! 七中選手のそれぞれの朝

 AM6:00 神谷家前
 早朝、立ち込める朝靄が未だに煙る中から、定期的なリズムでラケットを振る音が聞こえてくる。
 真剣な眼差しで空虚に向かい一心不乱に素振りを繰り返すのは、佐高第七中ソフトテニス部 一番手後衛の神谷である。
 雨天時を除いて彼は毎朝欠かさず素振りを行う。中学に進学してから自分に課したトレーニングだ。
 何本素振りをするかというのは決めていなく、自分が理想と思うフォームに行き着くまで、彼は何本でも続ける。つまりは百本素振りをしても納得いかなかったら止めないし、一本目で理想のフォームで素振りが出来たら終わりだ。
 もっともそんなことは滅多に無いことだが。
 シュートボールでもロブでも同じフォームで繰り出す彼のショットはそれだけで充分な武器だし、彼自身もそれを更に極めようと邁進している。そのためには例え疲労困憊状態でもフォームが崩れないように体へ叩き込んでおかなくてはいけない。
 そのためのトレーニングが勝利に結びつくと、神谷は信じていた。
 素人目で見れば全く同じようなフォームで素振りを続けているように思えるが、その一振り一振りには彼にしかわからない微妙な違いがある。
 手首のブレ、腰の回転、軸足に掛かる負荷、ラケットがボールに当たる面。それら一つでも理想から外れたショットになれば、生きたボールは相手コートには入らない。
 テニスは手でボールを打つものではなく、全身の筋肉を無駄なく使い打ち込むのが理想だ。

 既に五分以上は素振りを続けただろうか、早朝の冷えた空気にも関わらず神谷の額にはうっすらと汗が滲んでいる。
 理想とするフォームになかなか行き着かないのか、かれこれ数百本という素振りを繰り返し、そろそろ疲れもピークに達したかと思った瞬間、彼の真横を目に見えない速度でラケットが一閃し、雑味が全くない澄んだ風を切る音が早朝の神谷家前の道路にこだました。
 そして神谷は大きく深呼吸をすると、軽く二、三度膝を屈伸させる。どうやら理想のフォームに行き着いたらしい。
 だが喜びも束の間、彼は直ぐにまたラケットを構えると、今度はバックハンドの素振りを始めた。
 フォアハンド、バックハンド、サービスショットの三つの素振りを毎日欠かさず行うのが、彼の日課である。
 テニスのこととなると、とことん自分に厳しい神谷であった。


 PM6:30 小堺家 朔太郎の部屋
 寝る前にきちんとかけたはずの布団は完全にはだけ、ベッドから枕と一緒に転落してしまっている。着ているパジャマもはだけて、だらしなくもお腹が丸見えになったまま、小堺は大きなイビキを掻きながら大の字になって、未だ眠りの世界に入っていた。
「う~ん正樹~……右ってどっちだ……」
 夢の中でも彼はテニスをしている。神谷同様、四六時中テニスのことばかり考えている彼だが、真面目に早朝から素振りを欠かさない神谷とは幾分素質違う。
「むにゃむにゃ、わかったぜ……そりゃ! ナイススマッシュ! ……へへへ」
 彼にとってテニスとは勉強よりもゲームよりも愉しくて仕方がないものだ。
 自身を鍛えるためとか、勝利を勝ち取るためとか、高尚な目的は一切ない。ただラケットを振りながらコートを走り回るのが愉しくてたまらないだけなのである。
「正樹~……今の俺、すごいだろ、むにゃむにゃ……。褒めて~」
 テニスプレーヤーは様々な理由や目的を持ってコートに立つ。
 自分がどこまで強くなれるか試したくて、相手を打ち負かす快感に酔いしれたくて、頑張っている自分を憧れのあの子に見せたくて、コーチや応援してくれる親の期待に応えたくて、ただなんとなく部活を続けていて、など。だが単細胞な小堺がコートに立つ理由を聞かれて頭を捻った結果、出てくる答えは一つ、愉しいから。
 そしてもう一つ、
「えへへ、ありがとう正樹~……俺も頭ナデナデしてやる~……」
 彼はペアの神谷が大好きなのだ。
 性格もプレースタイルも全くの真逆な彼らだが、思いの他チームプレーが上手くいっているのは、小堺が絶対的に神谷を信頼しているからである。そして時には神谷に対する気持ちが信頼を超え過ぎているが、それがどういう感情なのかは本人にもわからないし、考える必要もないことなのだ。
 神谷とテニスをしている夢を、涎を垂らしながら見ていた小堺だが、部屋のデジタル時計が丁度6:35になった瞬間、パッチリと目を覚ますと文字通り飛び跳ねるように起き上がった。
「よっしゃ! 朝練に行くか!」
 ベッドから飛び降りると小堺はそのままの勢いでパジャマを脱ぎ、運動着に着替えると学生服と通学鞄を持って一階に下りる。そして朝食のパンを一切れ口に咥えると、朝の挨拶もそこそこに玄関から学校に向かって駆け出していった。
 朝起きた瞬間から夜寝るまで、彼は常にこのテンションを持続したまま全速力で一日を過ごすのだ。


 AM6:00 丸藤家 リビング
「おはよう、達男ちゃん。今日から朝練習をするんでしょ? 早めにご飯食べちゃいなさいね」
「……」
「ママが何度起こしても達男ちゃん、全然起きないんだもの。ママ、心配したわ」
「……」
「でもね、今日はママ、特別に朝ごはんは達男ちゃんが好きなホットケーキにしてみたの。美味しそうでしょ?」
「……」
「ねぇ、バニラアイスも乗せる? そっちの方が美味しいわよ、きっと。その上からメープルシロップをたくさんかけるのが達男ちゃん、大好きだったわよね?」
「……」
「どうする? アイス、乗せちゃう? それとも別に食べる? どっち?」
「……うるしゃい」

 朝からテンションが高くペラペラと喋る母親を、丸藤は煩わしそうにジッと睨み、彼の腕の中にある大きな熊のぬいぐるみを強く抱き締めた。
 低血圧な丸藤は朝が弱い。普段は大人しく引っ込み思案な彼だが、寝起きはそれに輪をかけて不機嫌になる。特に思春期真っ盛りな彼は反抗期に入ってしまい、何かとコミュニケーションを取ろうと構ってくる母親が嫌で堪らない。疎ましく思われつつも挫けずに自分に近付いてくる母親に悪いとは自覚しているものの、気持ちがイライラしてしまって反発してばかりで、それが更に彼を途方も無く憤らせた。
 この悪循環がいつまで続くのかと自分の感情に辟易しつつ、彼はイラつきが収まらずに無言で自分の部屋に戻ろうと椅子から腰を上げた。
「あら達男ちゃん! 朝ご飯はどうしたの? 食べないと体に悪いわよ!」
「……ほっといて」
「達男ちゃん……せっかくママが達男ちゃんのためと思ってホットケーキを焼いたのに……」
「……うるしゃい」
 眼鏡をたくし上げながら母親には振り向こうとせず、丸藤は足早に階段を駆け上がると自分の部屋に入り、再びベッドの中に潜り込んだ。そして枕元に置かれた幾つかのぬいぐるみを引っつかむと力一杯抱き込んだまま蹲った。

 彼の自室は様々な可愛らしいぬいぐるみで囲まれており、女の子が暮らしている部屋と言っても分からないほどファンシーだ。これは彼の母親の趣味でもあるが、丸藤自身がぬいぐるみをひどく気に入っているせいでもある。
 年頃にしては恥ずかしくひたすら隠し通していた趣味なので、学校の友人が丸藤の家に遊びに来たことは一度もない。もしも自分の部屋を見られでもしたら、次の日からクラスでからかわれるのが目に見えていることを、彼自身が一番良く知っている。
 それでも丸藤はぬいぐるみ達を手放せないでいる。この愛くるしいフワフワのぬいぐるみを抱き締めている時間だけ、彼は煩わしい母親のことも学校であった嫌な出来事も、全て忘れていられるのだ。
 丸藤にとってぬいぐるみは、幼い頃から精神安定剤の役目を果たしている。そんな自分にしてみれば親友のような彼らをどうして手放すことが出来ようか。しかしいつかは決別しなければいけない将来を想像して、丸藤は身悶えるように、更に力を込めてぬいぐるみを抱き締める。

 だが、そんなぬいぐるみを抱きかかえても解消出来ないことがあった。
 テニスのことだけは、どれだけぬいぐるみに頼ろうとも頭の中から消えてくれない。
 上手くボールが打てずにコーチに怒られたり、自分より弱い選手に負けて落ち込んだときに、帰宅してすぐいつものようにぬいぐるみで身辺を固めて癒されようとするのだが、一向に不満は解消されなかった。そればかりか胸の中にあるわだかまりは募るばかりで、逆に心苦しくなってしまう。まるでこればかりは自分で解決しろと言わんばかりに。

 丸藤は溜め息を一つ吐いて、布団の中に連れ込んだぬいぐるみ達を取り出す。そして自分が一番気に入っている配列どおりに彼らを並べ直した。
 丸藤はわかっていた。テニスのことだけは逃げ出さずに正面から向き合わなければいけないということを。それだけ彼にとってテニスは大切なもので、ぬいぐるみ以上に手放したくないものだということだ。
 丸藤はのろのろと服を着替えて朝練に出かける準備をする。
 小学生の頃は散々負けを味わされたが、同じチームになっても丸藤にとって神谷は絶対に負けたくないライバルだった。
 弱気な彼にも男としての意地がある。中学三年間のうちに、必ず彼を出し抜く後衛に成長したいのだ。


 AM6:00 宗方邸 庭園
「おはようございます、お爺ちゃん」
「おはよう、誠司。どうした、朝勉強はもう終わりなのか?」
 自身が大切に手入れをして育てた盆栽を目で楽しみながら、市議会議員の宗方繁蔵はコロコロと丸く太った孫に問いかけた。普段なら誠司は毎朝朝食の時間である六時半までは自室で朝勉強に取り組んでいるはずである。
「あぁ、今日からはテニス部の朝練習を開始するからね。そのために早く切り上げたよ」
「朝練習、か……。それでは勉強をする時間が短くなるのではないか? 感心しないな」
 孫がスポーツに熱を入れ始めたのは良いが、そのために勉学が疎かになるのは好ましくない。この年頃の少年は得てして物事の考え方が直感的で、興味の移ろいが激しく勉学など二の次になり兼ねない。
 繁蔵も遠い若かりし頃を思い出し、孫を咎めた。しかし宗方は余裕の微笑みを浮かべ、祖父に肩をすくめて見せた。
「その分、夜はお風呂を上がったら、テレビを見るのをやめて勉強の時間に回すことにしたから問題ないさ」
「ふむ、ならばいい。人の上に立つ者は日頃からの努力を怠ってはならん。それがリーダーとしての務めだ」
「加えて文武両道が好ましい、だろ?」
 中学に入り、途端に大人めいたことを口にするようになった孫を眺め、繁蔵は満足げに頷く。

 代々、この辺りでは大地主として君臨し続けた宗方家は、ありとあらゆる政治の場面で名を馳せてきた。
 戦後は財力が乏しくなり、その勢いは翳りを見せてきたが、心構えだけは常に上に立つ者としての気概を忘れていない。現在、市議会議員として役職を治めている繁蔵に一人息子がいるが、市役所に勤めてはいるものの、どうも執政入りする気がないらしく、繁蔵は不満を募らせていた。
 だが、彼の息子、自身の孫である誠司は小さい頃から本当によく自分に懐き、自身を尊敬し政治にも興味があるようだ。
 なので繁蔵は誠司が物心ついた頃から、彼に徹底して帝王学を学ばせて自身の跡継ぎになるよう教育を施した。宗方家を、ひいては自分の役職を譲るのは息子ではなく、孫の誠司にしようと齢七十歳を迎えた繁蔵は心に決めていた。

「それじゃあ、少し早いけど朝食を済ませたらすぐに学校へ向かうよ。部長が一番乗りをしなくては下の人間に示しがつかないからね」
「うむ。気をつけて行ってくるのだぞ」
 踵を返して母屋へ向かう孫の後ろ姿は、年頃にしては恰幅が良すぎるが以前より頼もしくなってきた。新入生ばかりで構成された真新しい部だが、部長という役目をこなしているからか、自信がついてきたのだろう。
 繁蔵はそんな孫の成長に目を細めながら、檄を飛ばす。
「誠司、励むのだぞ。どんなスポーツでも勝たねば意味が無い。ただ頑張るだけなら凡人にでも出来るからな」
「もちろんさ。宗方繁蔵の孫として恥ずかしくない成果を修めてみせるよ」
 振り向きもせずそう答える孫の背中に、繁蔵は自分の胸が熱くなっていくのを感じた。
 そして盆栽の鑑賞をしながら、大きく成長した孫が自分と同じ市議会議員、もしくはそれ以上の役職に就く日を夢見て、そっと一人ごちた。
「宗方繁蔵、孫の晴れ姿を見るその時まではおちおち死んでられんわい」
 朝のまだ微かかな陽を浴びた盆栽が、いつもよりも輝いて見えた。

 AM6:45 高田家 竜輝の部屋
 枕元で鳴り響く目覚まし時計の音に目を覚まし、吉川は手探りでけたましいそれを掴むとスイッチを押して止める。デジタル式の簡易な時計を眠い目を擦り凝視すると、時間は七時になろうとしている。
 吉川は欠伸をして部屋を見渡すと、漫画本やゲームのケースが散乱した間に、親友の高田がお腹を出し大きなイビキを掻いて未だ夢の中にいる姿が映った。頭は普段の寝起きより呆けているし、体がひどくだるい。
 倦怠感が全身に残る原因を思い返してみて、自分は昨晩、高田の部屋に泊まり、夜中の二時まで夜更かしをしたのだということを思い出した。

 それは昨日の部活動の帰り、実家が数軒隣近所なので同じ道を下校している時に、高田が秘め事を打ち明けるように吉川へ耳打ちした。
「実はよ昨日、兄ちゃんの部屋に漫画本を借りに行った時に俺、たまたま見つけちまってよぉ」
「み、見つけたって……何を?」
 神妙な面持ちで尋ねた吉川に、高田は鼻穴をプクッと大きく広げて更に声を潜めた。
「アレだよ……エロDVD」
「なっ……! ……たっちゃん!」
 一瞬にして耳まで真っ赤になった吉川の反応が予想外にウブで面白かったのか、高田はいやらしく口元を歪め、図体のでかい吉川の肩をがっちりと組んだ。
「お前だって興味あるだろ? 俺達、もう中学生になったんだから、こういう冒険も必要だと思うわけよ」
「で、でもそんなの……駄目だよ! やっぱり!」
「おいおい、のぼる。そんなこと言って本当はお前だって見たいんだろ? ん?」
 好色気味に口元を歪めて吉川の顔を覗き込む高田。体付きはどう見ても大人に近い吉川だが、気持ちの部分はまだまだ純真無垢なお子ちゃまなのだ。
「よし、決まりな。今日、夕飯食ったら俺んちに来い。DVDの鑑賞会を行うぞ。わかったな?」
 引っ込み思案で大人しい性格の吉川は高田の言うことに逆らえない。いつも横柄な幼馴染に振り回されてばかりで、頷かずとも沈黙をすることが了承の意になってしまうのだ。

 首を横に振らない吉川を満足げに一瞥した高田は、広い肩幅に回した腕を離すと、再び帰路に着く足取りを進める。その後ろから一瞬まごついた吉川が足早に追ってきた。
「たっちゃん待って! じゃあさ、その……DVDを見る前に僕が見たいのもあるんだけど、それを先にでいいかな?」
「何だ? 見たいものって?」
 突然の提案に大きくなった鼻穴を萎ませながら高田は尋ねる。すると吉川は通学鞄の中からいそいそと一枚のDVDを取り出す。表面が真っ白で簡素なクリアケースに入っているところを見ると、市販のものではないらしい。
「何それ? お前もエロDVDを持っていたのか?」
「ち、違うよっ! みやちゃんからテニスの試合のDVDを借りたんだ」
「みやちゃん? って誰のことだ?」
「神谷君のことだよ」
 彼の中では「かみや=みやちゃん」ということらしい。吉川は親しくなった人のことを呼ぶときは必ず「ちゃん付け」になってしまう癖がある。ごつい見た目からはあまり似つかわしくない呼称に、高田は首を捻ってしまうこともしばしばだ。
「みやちゃんとさくちゃんが小学生の時の試合みたい。県大会だって言ってたけど、技術的には僕らに丁度良いし、試合の進め方とか映像で勉強出来ることが多いから、見ておいて損はないって」
「ふぅん。……ちなみにさくちゃんって小堺の事か?」
「ん? そうだよ。僕たち初心者だからすぐ大会に出ても困らないように、って。みやちゃんもさくちゃんも優しいね」
「……けっ。手っ取り早く俺らを戦力にしたくて仕方がねえんだろ。あいつら、とにかく団体を組める頭数を誰でもよく揃えたかったらしいからな」
 テニス部に入部してしまってからは特に嫌う理由もない高田だが、未だにどうしても小堺には心が開けずにいる。もともと素直な性格ではなく捻くれた高田に、小堺があまりにも実直過ぎて眩しく見えてしまうのかもしれない。そんな小堺のことを親友が良く言うことに、高田は何故だか反発せずにはいられなかった。
「もう、たっちゃんまたそんな言い方をして。だから、ね? 先にこっちの試合のDVDから見ようよ」
 吉川が自分の鼻先にテニスの試合のDVDを差し出してきたので、高田は「ふんっ」と鼻を鳴らすと、そのDVDを乱暴に引っ手繰った。
「わかったよ。仕方ねえな」
「ありがとう! たっちゃん!」
 ウブな吉川はどうにかして淫らなDVDを回避したかったらしく、ホッと溜め息を吐くと満面の笑みを高田に向ける。だが高田もテニスの試合のDVDに興味が無いわけではなかった。
 生活態度は目も当てられないほどに劣悪だが、ことスポーツに関して真面目に取り組む高田は、映像でテニスを学べる機会を喜ばしく感じていた。特に現在テニス部員内で完全な初心者は自分達ペアのみ。最初から大きく開いた実力の差に鬱屈としていたが、それでも元来の負けん気は意気消沈する気配もない。経験と実力の差は努力で埋めればいい、なのでチームメイトだが己のライバルが塩を送ってきたことに、高田は内心高ぶっていた。その証拠に……

更新日 2月1日

「くはっー! おい、のぼる! 今の見たか? すげえな! 完全に裏を読んでいたぜ、この後衛!」
「う、うん。さっきも同じことを言ってたよ?」
 夕飯を終えた吉川は早速高田の家を訪ねると、親友は遅いと言わんばかりに自分の部屋で胡坐を掻いて待っていた。そして吉川が座布団に座るや否や、すぐにDVDをセットし終えるとテニスの試合の鑑賞会を始める。
 見始めてからかれこれ三時間が経過し、時計は既に十一時を回った。試合内容だけを端的にまとめたDVDだったので、全再生時間は一時間半。高田と吉川は二周も見終えてしまった。
「なるほどな。試合の映像で見ると、あれだけ神谷がポジション、ポジションって言ってたのが納得出来るぜ。最初のほうの下手くそな連中だとサイドがガラ空きだったり、コート内にポコポコとデッドスペースが見えるもんな。吉川、お前もちゃんとポジションの勉強はしておかないと駄目だぞ」
「う、うん。そうだね、たっちゃん。……ところで、その……エッチなアレは、見ないの?」
 どうしても見たいわけではなかったが、あまりにもテニスの試合に興奮している様子の高田に、吉川はおずおずと尋ねた。ここまでスポーツのことに対して饒舌な彼を見るのは、小学生の時に野球をしていた以来だった。
「あ? んなもんいつでも見れるからいいだろうが。よし、もう一丁最初から見るぞ」
 そう言ってリモコンでいそいそとチャプター画面を操作する高田の背中を眺め、吉川は欠伸を噛み殺した。
 育ち盛りな彼は普段、夜の十時前には必ず就寝する。寝る子は育つという言葉を地で実践している吉川は、そろそろ眠気が限界に近付いてきていた。
 だがこれだけテンションの上がっている高田を前に自分だけ横になりたいだなんて口が裂けても言えない。特に明日は早朝から練習があるというのに、吉川はちゃんと起きれるか心配で仕方がなかった。
 結局その後、深夜の二時近くまで延々とテニスの試合を見ていた二人は、テレビを付けっ放しにしたまま、半ば気を失うようにいつの間にか眠りについていた。

 そして朝、デジタル時計を枕元に置いた吉川は、まだ眠りの淵にあった脳みそで何故こんな時間に目覚ましが鳴るのか、高田のイビキを聞きながらぼんやり考えていた。昨日見ていたテニスの試合のことや、昨晩食べた夕飯のこと、放課後の練習での一コマなど頭の中で再生していき、途端に彼はある事に気付いてハッと起き上がった。
 そして辺りを見回しながら再び枕元にあった時計を覗き込む。
「たっちゃん! 起きて! 朝練に行かなきゃだよ!」
 吉川の大声にピクリと反応した高田は、それでも起きる気配がなく寝返りを打った。
「もう、たっちゃん起きて! 朝練は七時からだって言ってたじゃん! 早くしないと遅刻しちゃうよ!」
 体を揺するとようやく高田はむくりと起き上がる。頭をボリボリと掻きながら大きな欠伸をして、高田はまだ完全に開ききっていない目で吉川をにらみ付ける。
「うるせえな、何なんだよこんなに朝早く……」
「七時から朝練だって! もう十五分で七時になっちゃうよ! 早く起きて準備しなきゃ!」
 吉川の必死の訴えに、高田も徐々に事態を把握してきたらしい。また閉じかけた瞼を途端にパッチリ開くと、顔から一気に血の気が引いていった。
「うおぉいっ! マジかよ! なんでもっと早く起こさねえんだ!」
「起こしたけどたっちゃんが起きなかったんじゃないか! それになんで朝練があるって知っているのに夜更かしするの! 早く寝ようって何度も言ったじゃん!」
「うるせえ! 何でもかんでも人のせいにしてるんじゃねえ!」
 言い争いをしながら二人は取るものも取り合えず身支度だけを整えると、寝起きにも関わらず学校へ向けて駆け出していった。通学路では早朝から口喧嘩をしながら疾走する二人の姿に、通行人達は目を丸くして見送ったという。





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2010'01.19 (Tue)

なんしきっ! 安西と他校の顧問達

「しかし、先月の下谷杯ではうちの日村、高橋ペアが準決勝でお宅の二番手からやられましたからな。
 一番手なのに不甲斐なくて情けなかったですよ」
 頭が禿げ上がった頑固そうな中年男性が、でっぷりと肥えた腹をグッと突き出して、髪をきっちりと固めたまだ若い男性教師に声を掛けた。
「いえ、それでも第六中さんは我々にとって脅威ですよ。団体戦で当たったらわかりません」
「ハハハッ! これはまたご謙遜を! とか何と言って気持ちは既に県大会に向いているんでしょ、第四中さんは?
 地区大会なんて所詮は肩慣らしですらないんでしょう」
 厭味を含んだ笑いを見せる六中のコーチは、次に隣にいる細身に眼鏡を掛けた教師に探りを入れる。
「第一中さんの調子はどうなんですか? 地区総体を前にコーチ陣が張り切ってるんじゃないですか?」
「はい。今は部活動よりも選抜メンバーを集めた夜練習の方が本部活みたいなものです」
「ははぁ、第一中さんはコーチ陣の層が厚いですからね。それが手ごわいんですよ」
「でも、それが逆に生徒達にプレッシャーを与えているようです。大館、佐倉ペアなんてそれが原因で今スランプの真っ最中ですよ。船頭多くて何とやら、です……」
「ほうほう、大館、佐野ペアとなるとインドアの練習試合でうちの一番手から勝ったのに、ですか。コーチが多すぎるのも考えものですな。
 第二中の調子はどうです? 二年生達はだいぶ成長したでしょう」
 向かいに座った40代の気が強そうな女性教師に尋ねると、ムスッとした返事が返ってきた。
「うちは来年が勝負なんです。今年はせいぜい第四中さんと第六中さんで切磋琢磨なさってて下さい」
 第四中の名前を前に出されたので第六中の教師は気を悪くしたらしく、ふんっと鼻を鳴らすとその隣に座るいかにも面倒そうな顔をした二人ににも一応探りを入れた。
「第五中さんと第三中さんは、どうですか?」
 だが二人とも明後日を見るような目つきで「別に、なんとも……」と気の無い返事を返しただけだった。
 もとよりこの二つの学校は眼中に無かった第六中ソフトテニス部の顧問、八幡は一同をぐるりと見回す。そして、涼しい顔をした第四中の若い男性教師、佐々木雄次に注目する。
 熱心な指導と「智将」の異名を持つ顧問兼コーチの彼が率いる佐高第四中が、一番のライバル校だ。この学校は県でも団体戦でベスト4には入る強豪校である。いつも大会では団体戦、個人戦とも自分の学校が一歩及ばずに苦渋を味わされているので、どうにかして今年くらいは一矢報いたい。
 なんとか相手校の情報を少しでも手に入れて自分のチームに有益な差配を組みたいと画策している八幡が会話の糸口を探ろうとしていると、先に佐々木が口を開いた。
「ところで、今年からは第七中もエントリーするそうですね」
その話題に、皆一斉にずいっと身を乗り出す。
「そうらしいですな。あそこはせっかくキレイなコートが一面あるのに、テニス部がないのはもったいないと思っていたんですよ」
「全くです。市教育委員会でも問題になってましたから。だが、それが今年になって急にソフトテニス部を新設する、ですもんね」
「そうそう、しかも部員が六人集まったとかで、団体戦にも出場するらしいですよ。万年ブービー賞の我々第五中にはちょっとした脅威ですよ、ハハハ」
「第五中さんなんてまだいいですよ。うちの第三中なんていつもビリですから。出来たてホヤホヤのチームから負けるなんて、また生徒のやる気がなくなりますよ」
「なんですか、第五中さんも第三中さんも。一年生だけの新参チームに、もう負ける気でいるんですか?」
「いや、案外そういう可能性も否定出来ませんよ。なんせ第七中は六人中三人がジュニア経験者らしいですからな。しかも、一番手のペアは東北チャンプらしいですし」
「東北チャンプですか! それはすごい。これは番狂わせが起きるかもしれませんね。
 東北チャンプ……まさにダークホースですね。一年生相手だからといって油断していると痛い目にあうかも」
「えぇ、その通りです。
 ……ところで、その第七中の顧問の先生はいつになったら来るんですか?」
その一言に一同、しんと静まり返る。佐高市ソフトテニス顧問長の八幡が手元の資料をめくって一枚の用紙を取り出して読んだ。
「えぇと…佐高第七中学校ソフトテニス部顧問、安西美和先生、と。誰かご存知の方はいらっしゃいますか?」
全員が再び沈黙する。

「どうやらまだ若い先生らしいですな。きっと第七中が初赴任校なんでしょう」
「どうします? もう少し待ちましょうか」
 と、顧問長の八幡が若干苛々しながら提案したとき、テニスコート管理人の佐藤が電話の子機を片手に事務所へおとないを入れた。
「すみません、先生方。たった今、佐高第七中の安西先生という人から少し遅れると連絡がありました」
「遅れるですって? 理由は?」
「はい、それが……。道に迷ったそうです」
 佐藤は用件だけを伝えると、何も言わず退室していった。それと同時に、その場に集まった一同が深い溜め息を吐く。
 ここは輝ヶ丘テニス競技場内。来月に地区総体が行われる会場である。その事務所に集まった佐高中全てのソフトテニス部顧問が会議しようとしている議題は、地区総体の組み合わせについて。生徒には非公開だが、団体戦と個人戦のトーナメントの組み合わせの殆どは、ここにいる顧問達によって決定されている。
 というのも、例えば全てくじ引きで決めようとすると、下手をすれば前回の個人戦優勝のペアと準優勝のペアが一回戦で当たったり、トーナメントの半分に優秀成績者で固まってしまうこともある。なので、基本的にある程度試合で勝ち上がっている生徒は、ベスト8ないしベスト16くらいで同じくらいの実力者と当たるように調整されているのだ。ちなみに、前大会で個人戦ベスト4に入ったペアは自動的にシードだったり、トーナメントの四隅に位置づけられる。

「仕方ないですね。第七中生徒の実力のほどは今大会から測るとして、今は未知数ということで適当に振り分けしましょう。その顧問の先生にしてもここのテニスコートが分からないくらいなら初心者でしょうし、良いでしょうか?」
 顧問長の八幡を差し置いて、第四中の佐々木が会議の進行を促す。それに対して全員が異議無しとばかりに無言で頷いた。特に第五中や第三中のような弱小校の顧問などは早く帰りたい様子で、早くも顎肘をついて傍観モードに入っている。そんな中、八幡顧問長の一際でかい声で会議がスタートした。
「それでは、まず初めに団体戦の組み合わせからスタートします! 団体戦も例年通りにトーナメント方式で! 今年から第七中も参戦しますので、去年はBチームを我が第六中と第四中の二校から出場させましたが、今回からは第四中だけとします! それでは組み合わせを…」


 桜の花はとっくに散ったが、青々と萌える草木が生い茂る生垣に囲まれて放課後の時間を部活動に精出す生徒達。その校庭の一角にあるテニスコートで、今年から新たにスタートした六人のテニス部員も練習をしていた。
「そんな大振りしなくてもいいから! とにかくラケットの真ん中に当てることを意識して!」
 珍しく大きな声を出して次の球を繰り出す神谷。そのボールを、ネットを挟んだ向かい側のいる高田が、忠告も聞かずに力一杯ラケットを振り回す。当然ながらボールはあらぬ方向に飛んでいった。
 先日入部したばかりの高田と吉川は、てっきり部活動に来ないものかと思っていたが、ふてくされた顔をしながらも毎日体育着に着替えて殊勝にテニスコートへやってきた。これには部員一同驚かされたが、表情からは伺えないがやる気はあるようなので、皆一丸になって初心者の高田と吉川にテニスを教えた。
 そして本人達の要望もあったので、高田は後衛、吉川は前衛としてペアを組むことになったのである。どうやら高田は他の部員がゲーム形式の練習をしているのを見て、後衛の方がたくさんボールを打てて活躍出来ると思ったらしい。
 動機としては単純だが、練習を重ねていくと以外と適性があるということに気付かされた。高田は動きはでたらめだが、不良とは思えないほどに体力があり、尚且つ瞬発力や筋力もある。フォームさえしっかり覚えればすぐに上達する見込みがあるのだが、如何せん本人は他人に黙って教えを乞うような性格ではない。

「あのね、高田君。さっき神谷君も言ったけど、そんなに大振りしなくても大丈夫だから。まずは相手コートに返す練習から、ね?」
 眼鏡をたくし上げながら遠慮がちにアドバイスをする丸藤を、高田はキッと睨みつけた。
「なんだと、丸男? 俺に文句を言おうってか?あん?」
 高田のドスを効かせた声に、丸藤があだ名の訂正もせずに「ひっ」と尻込みした。
 そんな様子を神谷は肩で息をしながら眺めていた。さっきから一時間近く球上げをしているので、だいぶスタミナが切れてきた。だが、その神谷に練習を付き合わさせている高田は全く疲労した様子も無く、ブツブツと何かを確認するように素振りをする。

 神谷や丸藤といった後衛陣がいくらアドバイスをしようとも聞く耳持たずなので、とにかく一球でも多くボールを打たせて体に教え込もうという算段だ。だが、肝心の上げボール係が先に音を上げてしまっては本末転倒である。
 なかなか次のボールが来ないことに気付いた高田が、素振りを止めてコートの向かい側に怒号を発する。
「おいこらっ、神谷! さっさと次のボールを寄越しやがれ! てめぇ、ぶん殴るぞ!」
 見かねた丸藤が神谷と交代するためにコートの向こう側に行ってしまった。そんな体力がないチームメイトを睨みながら、高田はあっち側へも聞こえるくらいに大きく舌打ちをした。

 一方、コートの空いている半分側では小堺が前衛陣にボレーの指南を行っている。
「そうそう、ボレーはとにかくラケットを当てるだけでいいんだ。無理にズバッと弾こうとすると、スカしたりアウトしたりしちゃうからな! よし、豚! フォアボレーから!」
 そう言って小堺は緩めのボールを繰り出す。歩いてでも対処出来るくらいの緩やかなボールだが、まずはラケットの面をしっかりと合わせる練習から入るのがボレーの基礎である。だが宗方は、そのボールを思いっきり振り抜いて余裕にアウトさせてしまった。
「だから振るなって何べんも言ってるだろうが、豚! ボレーは当てるだけでいいんだよ!」
「ふん、うるさい! 僕は頭脳派プレーヤーだから、小手先の技術なんて大体でもいいのさ!」
「いくら頭を回そうとも、技術が追いついてなきゃ意味ねぇだろ! あほか!」
 すまし顔で言い訳をする宗方を、小堺は呆れながら一喝する。すると他人から指摘されることを嫌う部長様は、一気にふて腐れてご機嫌斜めになってしまった。そんなすっかり拗ねてしまった宗方をおろおろと眺めていた吉川に声を掛ける。
「ほい、次は吉川! いいか、最初はとにかく当てるだけでいいんだからな!」
 宗方にも言ったことと同じアドバイスと一緒にボールを送る。すると吉川は素直に頷いて、小堺が上げたボールを自分のラケットに当てた。ラケットのスイートスポットからは外れて「ビチッ」とあまり心地良くない音が聞こえたものの、ボレーされたボールはきちんとコートの中に返ってきた。
 ちょうど足元に転がってきたボールを拾いながら小堺は
「OK! 吉川、上手いじゃないか!」
 と素直に褒めた。
 吉川は大柄な体に似つかわしくない照れ笑いを浮かべて、小走りに元の位置に戻る。
 基本的なストロークはまだまだで、ポジションもよく理解できない吉川だが、高田同様に体力はあるし、運動神経だって悪くは無い。ストロークも前衛としての技術もいまいちな宗方と並べて見れば、吉川の方がプレーセンスは良い方だが、ポジションの取り方やゲーム展開の組み立て方を考慮すれば、やはりまだ宗方に分がある。
 そんなことを考えながらも、小堺は次の練習に進める。

「よし、じゃあフォアボレーはいいから次はスマッシュだ。これはサーブ練習の応用にもなるからちょっと突っ込んでやるか」
 後衛陣に比べると、ソフトテニス経験者は小堺だけなので前衛陣の層が薄いのが第七中の懸案事項なのだ。なので多少は駆け足になるが、前衛の基本練習は幅広く多めに行わなければいけない。基本的なポジションだけは教えてあるので(宗方には必要ないが)、自分が苦手なゲーム展開は後衛に任せるとして、とにかく前衛練習を繰り返し行うしか上達の近道はない。
「スマッシュはラケットを肩に担いで耳の真横を腕がブンと通過するように、ビュンっと振り抜く! な、簡単だろ?」
 フォームをスローで再生しながら解説をする小堺。
 彼の説明はいつも大雑把でやたらと効果音が多いので分かりにくい。テニス経験がまださほど長くなく、頭で考えるより直感的にしかプレーが出来ない彼なので仕方ないが、それでも宗方と吉川は、小堺を真似て首を傾げながらスマッシュのフォームを繰り返してみる。
 その時、何度もラケットを縦方向に振る吉川を見て、いやにスムーズだと感じた小堺だが、特に深く考えずにボールがたくさん入った籠を持ってコートのベースラインまで下がった。
「よし! まずは実際に打ってみないことにはわからないだろ! 俺がボールを上げるから、打ち落とせ! いいか!」
 相変わらず初心者相手なのに曖昧な指示だが、宗方と吉川は素直に頷いた。

 小堺は浅くスピードが乗っていないロブを打ち上げる。それを追いかけて宗方はヨタヨタとボールに合わせて動いてラケットを振り抜いたが、ボールはラケットに当たらずに宗方の真横に落ちた。
「豚! 左手、じゃなくてお前は右手か。空いている方の手でボールを掴まえるように構えてみろ! そうすれば当てやすい! 次、吉川!」
 真剣な表情で頷く吉川は、小堺が宗方へ言ったアドバイスを自分も実行してみた。ラケットを持っていない方の手、左手で落ちてくるボールの照準を合わせる。そしてタイミングを合わせて、ラケットを力一杯に振り抜く。
 その瞬間、炸裂音を上げたボールが小堺の真後ろにあるフェンスにノーバウンドで突き刺さる。ベースラインからフェンスまで余裕に十メートルはあるはずだ。口をポカンと開いて固まってしまった小堺に、吉川が平謝りをする。
「ごめん、小堺君! 変なところにボールを飛ばしちゃった!」
 ハッと正気を取り戻した小堺は、直ぐに今の吉川のスマッシュを分析してアドバイスを送る。
「あ、あぁ……大丈夫! 吉川、頭の真上あたりで当てたからだ! 左腕を斜め四十五度くらいで照準を合わせてスマッシュをしてみろ!」
「う、うん! わかった!」
 小堺の指示通りに、今度は上がってきたボールを少し頭上の前方で打ち落とした。
 するとそのボールは信じられない速さで、小堺の直ぐ足元に置いていたボール入りの籠へ直撃した。さほど重量がないはずのゴムボールが、とんでもない威力を持って籠を吹っ飛ばしてしまった。散らばっていくボールを、小堺だけでなく隣で練習をしていた後衛陣も唖然とした表情で見守っていた。
「あぁ! ごめん! 大丈夫だった? 小堺君!」
「す、すげぇ……。お前、肩がめちゃくちゃ強いな」
 小堺に感心されてすっかり照れてしまった吉川は、駆け足でボール拾いを始めた。
 それを見ていた他の部員も球拾いを手伝う。

 その中で一人、手伝う素振りもなく練習相手が早く自分の方へ戻ってきてくれるのをふてぶてしい態度で待っている高田に、小堺が近付く。
「なぁ、たっちゃん。吉川、めっちゃ肩が強いけど、昔何かしてたのか?」
 小堺の馴れ馴れしい言い方が癪に触ったが、高田は小さく舌打ちをするだけに留めて答えた。

「のぼるはもともと野球をやってて、結構有名な豪腕ピッチャーだったんだよ。
 小学五年生の時にはすでにストレートで130㎞は出ていたな」
「130㎞! それ、殆ど化け物じゃねぇか!」
「あぁ、加えてあの図体だからな。コーチからも『将来絶対にメジャーに行ける』って言われてたくらいだ」
「おいおい、そんなにすごいんだったら、なんで野球部に入らなかったんだよ? すぐ隣に行けば良かったじゃねぇか」
 フェンスを挟んだ広大に拡がる野球グラウンドを顎でしゃくりながら、小堺は首を傾げた。だが、高田はまた小さく舌打ちをすると、忌々しげに活動をする野球部員を睨む。その横顔がどことなく悲しそうな気がした。
 そして小堺を一瞥すると、「他の奴に言うんじゃねぇぞ」と釘を刺してから、高田はポツリポツリと語り出した。

「俺とのぼるは小学校のときに同じ野球チームにいたんだ。昔から俺らは仲が良かったからな。プロ野球に触発された俺がのぼるを誘って野球チームに入ったのがきっかけだった。
 あいつは本当に小さい頃から運動神経が良かったから、野球をやらせてもすぐに頭角を現して、小学四年生の時には先輩達を差し置いて既にチームのエースになった。
 俺だってそこそこ運動神経が良かったから四番バッターで活躍していたけどな。そりゃあ、一度俺がバットを振れば殆どの球がバックネットに刺さっていたわけよ。まぁ、才能があったんだな、やっぱり。それに守備だってずば抜けて上手かっ」
「たっちゃんの自慢はいいから話を進めようぜ。なんで野球を辞めたんだよ」
 軽く窘めた小堺を、高田は一睨みして脱線した話を元に戻す。
「そんなわけで俺達、目立ってたからよ、先輩達からひがまれてたわけよ。ある日、のぼるが顔を腫らして練習に来たときがあったんだ。俺はすぐにピンと来た。きっとのぼるを妬んでいた先輩達がやったんだって。問い詰めたってのぼるは一向に口を割ろうとしねえ。きっと俺に言ったらもっと報復されると思ったんだろうな。あいつはそういう奴だから。
 それで頭に来た俺は、練習の後にその先輩達を呼び出して……ボコボコにしてやった」
「まじでか! たっちゃん、上級生相手に勝ったのかよ!」
「まぁ……な」
 高田の鼻が不自然にヒクヒクしている。本当のところは、呼び出したはいいが逆にボコボコにされた高田を見て、怒った吉川がその場にいた上級生を全員倒したのだが。それはあまりにも情けなくて高田は少々事実を捏造した。
 特に小堺を前にして自分の恥ずかしい話は絶対にしたくなかったのである。
「そんなわけで……その騒動があってから俺達は練習に出入り禁止になり、野球からは身を引いたんだ。
 俺達、本当はもう運動部なんて懲り懲りなんだよ。なのにあの兄貴のせいでこんな糞みてえなテニス部に入らせられちまった。良い迷惑だぜ」
 そう言って話を締めると、高田はフェンス脇まで歩いていって唾をペッと吐いた。どこで見知ったのか、彼は唾を地面に吐き捨てることを不良っぽくて格好良いと思っている節がある。だが、コートの真ん中に唾を吐くようなスポーツマンシップに則らない態度を見せないあたりに、小堺は好感を覚えた。

「でもさ、お前達テニス部に入って正解だったな」
 屈託の無い微笑みを浮かべる小堺に、高田は「あん?」とメンチを切ってみせる。
「何が正解なんだよ。たった今言ったばっかりだろ。もう運動部なんて懲り懲りだって。お前、馬鹿か」
「おう、馬鹿だぜ。だけどお前達、本当は体を動かしたくてうずうずしていたんだろ? わかるぜ、その気持ち。
 このテニス部には嫌な先輩もいないから思う存分調子こいて良いんだぜ。心置きなくテニスに専念しようじゃないか!」
 笑いながら遠慮無しに自分の肩を叩いてくる小堺。いつもの高田なら、そんな馴れ馴れしい態度をされたら口より先に手が出るはずだが、小堺があまりにも無邪気過ぎてつい気遅れしてしまった。そして小堺の一言が自分の胸の奥にあったわだかまりを、スッと溶かしていってくれたように感じた。

 そんな会話を繰り広げていると、丁度良くボール集めも終わったらしい。小堺は高田から離れると、吉川と宗方を再びネット際に立たせ、神谷にボールがたくさん入った籠を持たせる。
「よし! これよりサイボーグ吉川の運動性能覚醒実験を開始する! 正樹がドンドン球を上げるから、二人でドンドンスマッシュを決めていけ!
 サイボーグ吉川! お前はスマッシュを極めるんだ! スマッシュ製造マシーンと化すのだ!」
 よく分からず機械扱いされた吉川だが、しどろもどろになりながらしきりに首を縦に振る。彼自身、期待されていることを嬉しく感じていたし、久々に肩を力一杯回す感覚に喜びを感じていた。
「う、うん。スマッシュって……ピッチングに似てるな」
「何か言ったか? サイボーグ吉川!」
「ううん! 何でもない! お願いします!」
 意識しなくても自ずと高鳴る鼓動に、全身の力がみなぎってくる。
「そして宗豚の体脂肪減少運動も同時に行う! 鉄は熱い内に噛め、だ!」
「熱い内に打て、だ! 噛んでどうするんだい! 口が火傷しちゃうじゃないか! どこまで無知なんだね、君は!」
 豚呼ばわりされることには全く反発しない宗方だが、そう言った間違いは見過ごし出来ないらしい。
「うるさい! しっかり痩せないとまた養豚場に戻すぞ! よし、スマッシュ練習スタート!」

 ギャアギャアと喚きながらも愉しげに練習をしている吉川の姿を眺めていた高田は、一度だけ野球場で活動している部員達に目を向ける。
 そこには自分達が野球を捨てる原因になった小学校時代の先輩達も混じっていた。相変わらず下手くそで、あれでは現役時代の自分の方がまだ上手いように感じる。小耳に挟んだがあの程度でレギュラーだというから笑ってしまうが、それでも彼は知っていた。
 プレーの上手い下手だけが優劣の判断ではないということを。周りのチームメイトと交流を深めようとせずに、ただ傲慢に野球をしていた自分が結局、一番悪かったのだ。
 彼はバットを手放したときに悟った。野球を捨てたのではなく、自分が野球に捨てられたのだ、と。そしてそのとばっちりとして将来有望視されていた吉川までも巻き込んでしまったことを、彼はずっと自責の念として抱いていた。
 だが今、嬉しそうにボールを追い掛ける吉川を見て、高田は救われたような気がしてならなかった。それと同時に、今いるこのわずかテニスコート一面分の空間が、自分の守るべき居場所なのだと実感した。

 溜め息混じりの舌打ちを一つだけ鳴らすと、高田は視線を野球場からネットを挟んだ向こう側に立つ丸藤に移した。
 気弱な彼はビクビクしながら黙り込んでいる高田を凝視している。高田は大きくラケットを二、三度振り、フォームの確認をしながら、大きな声で丸藤に呼びかける。
「よっしゃ! 丸男、球上げ頼むわ! ぼさっとしてるとぶっ飛ばすぞ!」
 その一言にホッとしながら眼鏡をたくし上げる丸藤は、聞こえないくらいの声で小さく呟く。
「丸男じゃなくて、丸藤なんだけど……」


 団体戦のトーナメント組み合わせ表はとっくに作成が終わり、個人戦の方もあらかた済んだ頃、弛緩した空気をぶち壊すように輝ヶ丘テニス競技場の事務所の扉が大きな音を立てて開いた。
「すみません! 遅れてしまいました!」
 皆一斉にそちらへ注目すると、若い女性教師が荒く息を吐きながら、泣きそうに顔を歪めて立っていた。
 その場にいる全員が突然の闖入者がだれであるか大方検討がついたが、やはりここは大人が集う社交の場、こちらから問うより先に本人へ自己紹介をさせるのが礼儀であり常識だろう。
「あ、あの! 私、佐高第にゃにゃ、あ! 第なにゃ! ふごっ! ……ぜぇぜぇ、佐高第七中の安じゃい、ふぎゃ!」
 慌てて走ってきたためか息が上がっているうえに焦っているせいで、上手く呂律が回らない安西に、一同心の中で溜め息を吐く。遅刻はしてくるは、まともに喋れないはで安西の第一印象は散々だった。
「第七中の安西先生ね。はいはい、どうぞその辺にお掛け下さい」
 顧問長の八幡は見向きもせずに手をヒラヒラと振ると、再び会議の進行を促した。
 明らかに歓迎されていない様子を察した安西は、息を落ち着かせそろそろと近くにあるパイプ椅子に腰掛ける。移動教室で遅れてきた生徒が見せるバツの悪そうな態度が痛いほど良く理解し、今度からはそういう生徒に少しくらいは優しく接して上げようと誓った。

 完全に気落ちしてしまって俯いていると、隣からそっと資料が送られてきた。顔を上げるとそこには涼しげな笑顔をたたえた第四中の佐々木がいた。どうやら安西は彼の隣に座っていたらしい。
「どうも初めまして。第四中の顧問、佐々木と申します」
 会議に差し支えない程度のボリュームでそう自己紹介をされた安西は首をすくめ、ちょっぴりハニカミながら自分も自己紹介をする。
「は、初めまして。第七中の安西美和と申します」
「よろしくお願いします。安西先生はテニス部の顧問は初めてですか?」
「そうなんです。テニス経験もありませんし、部活動も新しく設立されたばかりで何もわからなくて……。きっとご迷惑をお掛けすることが多々あるとは思いますが、よろしくお願いします」
 そう言うと佐々木は優しく微笑んで頷いた。今年で三十歳になる佐々木は女子生徒にも人気があるほどに美形な顔立ちをしている。印象も爽やかでこういう人ほどテニスラケットを振る姿が似合うのだろうと、安西は佐々木がテニスコートで汗を流す場面を勝手に頭の中で想像してみた。

「それで、今は何をしているんですか?」
 だいぶ乗り遅れてしまったが顧問として話し合いには参加せねばと、思考をそちらに切り替えて安西は佐々木に尋ねる。
「あぁ、個人戦のトーナメントを協議しているんです。ですがもう粗方は決まりましたし、今は最終調整といった段階ですがね」
「トーナメントですか。くじ引きとかで決めるんじゃないんですか?」
「いえいえ。実は誰と誰が対戦するかは全て先生方が決定するんですよ。生徒達には内緒ですけどね」
 そういうと佐々木は安西に軽くウィンクを飛ばす。もしも他の男性がやったら気障ったらしく見えるが、佐々木がやるとなんら違和感はない。むしろ慣れた仕草に見えて、安西は苦笑交じりに問いかけた。
「そうだったんですか。じゃあ、うちの生徒達も既に誰とあたるか決まっちゃったんですか?」
「はい。勝手ながら決めさせて頂きました」
 佐々木の返答に、安西は自分の失態を悔やみ額に手を当てた。
 自分が遅刻をしたせいで生徒達が不利な対戦カードを組まれてしまった可能性もあるはずである。全くの素人だが、いるかいないかでは対応が違ったかもしれない。生徒達になんと言い訳をすれば良いか。

 だが佐々木はそんな安西の心中を汲み取ると、わざと明るい声で
「ですがご安心下さい。第七中は新規参入で実力も未知数ということで、無難な位置にいますよ。初戦から前回優勝ペア、などはありませんので大丈夫でしょう」
 と彼女の不安を払拭してあげた。それを聞いて安堵の溜め息を吐く安西に、佐々木は言葉を続ける。
「それにこちら側としても様子見というところがありますからね。なんせ、今大会のダークホースですから」
「ダーク、ホースですか?」
 佐々木の言葉を繰り返す安西。正直佐々木の言わんとする事が今一掴めない。

「そうです。確か東北チャンプになった生徒さんがいるそうで。他の部員はどのくらい実力があるんですか?」
「そうですね。他にも東北出場者が二名いますが、それ以外はみんな素人です。
 でも一人は硬式経験者でゲーム展開の構成が上手いって言われてました」
「とすると、まともに試合が出来そうなのは2ペアですか。
 その硬式経験者は前衛ですか? 一番手の東北出場ペアと二番手のペアの実力はどの程度差があります?」
「神谷君達と丸男君達ですか……。
 そうですね、実力で言えばもちろん神谷君達が強いですけど、丸男君のロブの上手さには定評がありますし、前衛の宗方君もめきめき上達してきてますからね」
「二番手の後衛の子はロブが得意なんですね。じゃあ前衛が主体のペアなんですか?」
「はい。作戦は全て宗方君が考えているらしいですよ。
 しかも彼は左利きなのでそれを強みにした独特の作戦があるらしく、神谷君達もそれには苦戦を」
「あ、ストップ。安西先生、そこまで素直に話しちゃ駄目ですよ」
 佐々木が安西の口元に指を触れて会話を遮った。そしてしばらく黙り込んだ後に、安西の表情が徐々に青ざめていく。その仕草が可笑しくて、佐々木はクツクツと声を立てずに笑った。
「そうやって相手チームの情報を巧みに引き出してくる顧問の先生方もおりますからね。気をつけて下さいよ」
 安西はいつの間にか自らのチームの情報を相手チームの顧問にリークしてしまっていたのだ。
 ソフトテニスはプレー技術が勝敗を決するのはもっともだが、策略と作戦もゲーム中は重要な鍵になる。なので相手チームの情報は少しでも集めておくのが一番効果的だ。
 そして相手チームにこちらの情報を与えないのも当然である。
「こういう風に聞かれた時にはですね、調子が良いとか悪いとか程度で受け流すのが一番賢いやり方ですよ。たまには嘘の情報を流してくる先生もいますけどね」
 そう言うと佐々木は、会議テーブルの上座にいる八幡にチラッと視線を送る。
 安西も佐々木を真似て盗み見るように、殆ど対戦表が決まったのに未だ自チームの選手が有利な位置につけるようアレコレ文句をつけている八幡を一瞥した。
「生徒のフェアプレーのために、まず顧問が守秘義務を遂行せよ、です」
「なるほど……。勉強になります」
「安西先生はまだ顧問になったばかりですし、ソフトテニスも初めてですからね。
 もし宜しければ私が色々と教えて差し上げますよ」
「そうして頂けると助かります。佐々木先生って優しいんですね」
 秘め事を分かち合ったように互いの顔を見つめて、クスッと微笑む二人。
 顧問会の中では若い者同士なので、自然と親近感が湧いてくるのだろう。
 敵ばかりだと思っていた顧問会に意外にも自分に味方をしてくれる人が現れて、安西は一気に心が安らいだ。

「へくちっ!」
 二度ほど連続でくしゃみをしてしまったせいで、ずれた眼鏡をたくし上げる。鼻を啜りながら周りを見回していた丸藤に、コートの向こう側にいる高田が咎めた。
「おいこら丸男! なにボサッとしてんだよ! さっさと次の球を寄越せ!」
 不良少年に怒鳴られた丸藤は慌ててラケットを構えると、緩やかなボールを高田に送る。そして首を傾げて一人ごちた。
「今誰かに、丸男って言われた気がしたんだけど……」

 コートの半分側では、吉川と宗方のスマッシュ練習が引き続き行われていた。直ぐスタミナが切れる神谷と交代交代で小堺も上げボールをする。
 上げボールをする方もそうだが、スマッシュを打ち込む方もそれ相応のスタミナを消耗する。余計な贅肉で足を取られている宗方などはさっきから既に息が上がりっ放しで、弱音こそは吐かないものの膝がガクガクと笑っている。
 だが、もう一人の吉川は額にうっすら汗を浮かべている程度で、さっきからスマッシュの球威はまったく衰えることを知らない。むしろ徐々にコツを掴んできたからか、コートに入る精度が上がってきている。
「サイボーグ吉川! もう少し深めにボールを上げるぞ! 引き足を速めろ!」
「小堺君! 深いボールって何?」
「もう少し奥に上げるってことだ! いくぞ!」
 大きく上がったボールを思いっきり後にダッシュして追い掛ける吉川。届かないと思ったのか、引き足のままジャンプをしてスマッシュを打ち込む。そのボールは正確にコートの左サイドを打ち抜いた。
 吉川が着地したのはサービスラインを裕に越えてベースラインに達していた。ほぼコートの端から端までスマッシュを決めたことになる。
 コートの半分で練習をしていた丸藤が唖然として上げボールの手を止めてしまった。
 ネット前からボールを追いかけてきた吉川が、いつの間に自分の隣まで走ってきている。その運動神経と瞬発力は中学一年生とは思えない。丸藤はゴクリと唾を飲み込みながら呟く。
「これじゃあ、僕のロブは全部取られちゃうよ……」
 ロブ使いにとってスマッシュ使いは天敵である。自分の攻撃であるはずのロブが、相手にとっては全て上げボールでしかないのだから。
「おい丸男! だからさっさと球上げろっていってんだろ!」
「あ、うん! ごめんね! それと高田君、僕は丸藤」
「うっせえ! ごちゃごちゃ言ってっと、ぶっ飛ばすぞ!」
 嘆息交じりに丸藤は次の球を高田へ送る。そのボールを高田は相変わらず力一杯振り抜いた。ボールはあらぬ方向へ飛んでいきフェンスへ激突する。
「だから高田君! そんな力一杯振らなくてもいいから! まずはラケットの真ん中に当てることから始めようよ!」
 堪らず注意を促す丸藤だが、高田は聞く耳持たずでラケットを肩に担いで怒鳴った。
「あんっ? ラケットにはちゃんと当たってるだろ! なんか文句あるのかよ!」
 言われてみればボールは問題なくラケットの真ん中に当たっている打球音がする、と一瞬納得しかけた丸藤だが、すぐに気持ちを切り替えると自分の足元をラケットで指し示した。
「じゃあ次はちゃんとコートの中に入れてよ! コートに入らないことには意味ないんだからね! いくよ!」
 そう言って送ったボールを、またもや高田は思いっきり豪快なホームランで打ち返した。自分の遥か真後ろのフェンスに当たったボールを見ようともせずに、丸藤は深い溜め息を吐いた。
 これでは何度やっても同じである。来月の試合までに、高田の打球はコートに入るのは無理だろう。

 そんな丸藤の不安も余所に、高田は高田なりに色々と試行錯誤を繰り返していた。
 野球部時代はどんなボールだろうがホームランにしてきた豪腕バッターの高田だが、テニスとのギャップに少々やきもきしていた。ボールの大きさはほぼ同じ、バットよりも当たる面積は断然大きいラケットで打っているはずなのに、正確なコースを打ち抜けない。
 もともと打球をコントロールなどという繊細な感覚は持ち合わせていなかったため、なんでもかんでも力任せにバックネットに持っていけば良かったが、テニスはそうはいかない。高田はラケットを何度も振って微調整を繰り返した。
 ブツブツと唱えながら素振りをする高田を遠くから眺めていた丸藤が忠告する。
「高田君。そんなに大きく構えるからホームランになっちゃうんだよ。もっとコンパクトに振り抜けばいいんだ」
 その一言を聞いた高田は、素振りをしていた手をピタッと止めると、しばらく考え込んだ。そして数回素振りをした後に、ポツリと呟いた。
「なるほど……。センターゴロで良いわけだ」
 そして何か会得した彼は、丸藤に「ボール!」と指示を出す。丸藤はもう何度目か分からないほどに手馴れた様子でボールを送った。

 高田は神谷のフォームを手本に素振りをしていた。天空に高々と突き上げるテイクバック(ラケットを後ろに引く動作)の姿勢がきれいだと思ったし、その方が豪快な打球を繰り出せると思っていた。
 だが、微調整が出来ない素人の高田ではボールはアウトどころかノーバウンドでフェンスに突き刺さるばかり。コートに入れなければ何も始まらないというのは丸藤に指摘されなくても重々承知である。テイクバックでラケットを上に掲げると、どうしてもラケットの軌道が縦の弧を描いてしまうと気付いた彼は、テイクバックを思いっきり真横に引いてみることにした。
 そうすれば横回転の軌道になり、ボールが真っ直ぐ飛んでいくと思ったのである。
 結果、彼の憶測は的を得ていた。打点と同じ高さである真横にラケットを引いた彼のフォームはきれいな横回転の軌道を描き、スイートスポットに当たったボールは弾丸のようにネットを通過し、宗方の横腹を直撃した。
「ぶひぃっ!」
 もんどり打って倒れこむ宗方。疲労と痛恨の一撃に彼は既に虫の息だった。

 打球をコントロールすることは出来なかったが、高田の放った打球は神谷のシュートボールに匹敵するスピードを兼ね備えていた。
 吉川のスマッシュに引き続き、一同開いた口が塞がらなかった。人数合わせくらいの感覚しかなかった彼らが、まさかのパワフルプレーヤーに化けるとは思いも寄らなかっただろう。
「よし! 丸男、もう一丁!」
 悶絶する宗方などお構い無しに、高田は興奮した様子で次のボールを催促する。きっと今の感触を忘れないうちに打ち込んでしまいたいのだ。
 丸男の上げボールを今と同じく横回転のフルスイングで打ち返す。ボールはアウトになったものの、さっきまでの山なりホームランボールではなく快音を立てて鋭いシュートボールに近付いた。すかさず高田のフォームを解析した神谷がアドバイスを送る。
「竜輝、ラケットを真っ直ぐ縦に当てるんじゃなく、ちょっと斜めにしてドライブをかけるとコートに入る」
 神谷の指示通りにボールがラケットに当たる瞬間、グリップで角度を調整して振り抜くと打球は素直にスピードを保ったままコート内に収まった。それと同時に一同歓声を上げる。
「すげえぞ! たっちゃん! 正樹に匹敵するくらいのシュートボールじゃないの?」
「いや、もっと上達すれば俺よりも速くなる」
 東北大会出場経験者に褒められた高田は、すっかり調子づいた。
「はっ! 俺様が本気を出せばこんなもんよ! 待ってろ! すぐにてめえらに追いついてやるよ! 精々素人に負けないように頑張るんだな!」
「シュートばっかり打って勝てるほどテニスは甘くないよ。ロブも打てるようにならなきゃ後衛の意味ないだろ」
 天狗になる高田に釘を刺す丸藤だが、どことなく悔しそうなのは自身がシュートボールの威力のなさがコンプレックスでロブに頼るしかないからだろう。
 だが、チームメイトの成長はやっぱり手放しで嬉しいらしく、彼はその後も素直に高田の練習に付き合った。
 もともと吉川同様に野球では将来有望視されるほどに運動神経は達者なので、高田は一度掴んだコツを既にモノにしてしまったらしく、快調にシュートボールを打ち込んでいる。コントロールはめちゃくちゃでどこに飛んでいくか分からないのが難点だが、初心者二人の思わぬポテンシャルに小堺は今まで口に出そうかどうしようか迷っていたことを、神谷にそっと打ち明けた。
「なぁ、正樹。もしかしてうちら、団体でもいけるんじゃないか?」
 高田のシュートボールに見とれていた神谷は、小堺の一言で我に返り大きく頷いた。
「俺も、今それを考えていたんだ。一番手の俺達はいいとして、二番手は丸男の実力は問題ないけど、宗方がまだ初心者だから不安だ。だから二番手勝負になるかと思ったけど、そんなこともないようだな」
「あぁ。今すぐっては無理だけど、このまま三番手も伸びてくれば、団体は全員で勝負ができる。一番手のうちらはオールマイティープレー。二番手は宗方参謀の戦略頭脳派プレー。三番手は元野球部コンビのパワープレー。良い感じに役者が揃ってるんじゃね?」
「……いけるかもな。次の大会まで一ヶ月しかないけど、詰め込んでみるか」

更新日 1月27日

 丁度二人が今後の練習予定について意見を出し合っていると、安西が顧問会から帰ってきた。
「あ、美和ちゃん。お帰り~」
「はいはい、ただいま。小堺君、先生をちゃん付けするのは止めてくれない?」
「先生、顧問会はどうでしたか?」
「だ、大丈夫よ! 先生、何も変なこと言ってないし、絶対にトーナメントのことなんて教えないんだから!」
 妙に慌てている顧問の態度が不審で神谷と小堺は顔を見合わせて首を傾げたが、すぐに今し方話し合っていたことを相談してみた。話を聞いた安西はしばらく考え込み
「学校側は問題ないと思うけど、他のみんなはどう思うかしら?」
 と進言する。

 腕を組んで悩む二人を見て埒が明かないと思った安西は、練習中の他の部員に召集を掛けた。
「みんな、お疲れ様。なんかね、神谷君達がみんなに相談があるんだって」
「なんだね? 言ってみたまえ」
 部内のことならばまずは自分を通せと言わんばかりの態度でずいっと前に出る宗方。そんな宗方の出っ張った腹の肉を摘みながら、小堺がみんなに提案した。
「あのさ、来月の地区総体まででいいんだけど、朝練をやらないか?」
「朝練?」
「そうだ。放課後の練習だけじゃ、どうしても大会まで間に合いそうにない。今からでも遅くないから朝の一時間だけでも練習をするべきだと思う」
 一同が顔をしかめる中、神谷が珍しく熱を込めて語った。
「大会に参加するのはきっと殆どが三年か実力がある二年だけだと思う。言ってみれば俺らよりも数倍練習をしてきた選手ばかりだ。俺や朔太郎、丸男の経験者でも勝てるかどうか分からない」
「なんだよ。てめえら東北大会にも出てるんだろ。地区大会ごとき余裕に通過するんじゃねぇか?」
「それがそうもいかないだろう。確かに俺らは経験者だが、小学校までは練習が精々週に三回程度だったんだ。でも中学生はほぼ毎日練習をしている。テニスに対する密度が全然違う。加えて体付きからして差があるからな」
「確かに……そうだね」
 眼鏡をたくし上げながら丸藤が同意する。いつになく饒舌な神谷に一同、聞き入っていた。
「それに俺らだけが勝てればいいんじゃ意味がない。俺は団体で勝ちたい。みんなで勝ちたい。だからみんなで一緒にもっと練習を積み重ねてもっと強くなりたいんだ。駄目か?」
 皆なんと言っていいのか分からず押し黙っていると、高田が鼻をフンッと鳴らした。
「俺は別に構わないぜ。そこまでテニスに入れ込む気はねえが、何の勝負であれ負けるのだけは気に入らねえ。朝練して勝てるんならやろうや。なぁ、のぼる? お前だっていいだろ」
「う、うん。たっちゃんがやるっていうなら、僕もやるよ」
 三番手ペアの賛同に触発されてか、丸藤と宗方も首を縦に振った。
「みんながやるんだったら僕もやるよ。僕だってやるからには負けたくないし」
「部長としても当然賛成さ。この宗方繁蔵の孫である僕が率いるソフトテニス部が、呆気なく初戦敗退なんて無様な姿を晒すなんて耐え切れないからね」
 部員みんなに自分の思いが伝わり、神谷は嬉しくて「ありがとう」と呟くと俯いた。
「よし! じゃあ、早速明日から朝練を始めるぞ! 時間は七時から。場所はここ。みんな宜しくな!」
「ちょっと待ちたまえ! そういう連絡事項は部長である僕が皆に伝えるから! もう、勝手なことをされては困るんだよ、君は」
 元気良く宣言をする小堺に嫉妬した宗方が、仕切りたがり本性をずけずけと前に出してきた。その横で高田が「そんなもん、どうだって良いじゃねえか」と呟く。
「良くないよ! 君にはわからないだろうがね、統制というものはそういった小さな事から乱れていくんだよ。まったく、僕の苦労も考えてくれたまえ」
「あん? うるせえぞ、デブ。あんまり調子こいてると、その脇腹にまた球をお見舞いすっぞ、こら」
 先ほど直撃を食らった横腹を押さえながら後ずさる宗方。そして忌々しげに高田を見つめる。
「まったく、これだから粗野な人間は相容れないなくて困る。この不良少年が」
「なんだとデブ! もういっぺん言ってみろ!」
 宗方の胸倉に掴みかかる高田をみんな一斉に止めに入り、テニスコートは一時騒然となった。部員全員があたふたする中、顧問の安西は一人、そんな光景を遠巻きに眺めつつ、ニコニコと微笑んでいた。
「朝練に、喧嘩に、みんな一丸となって勝利を目指す姿勢……。まるで青春ドラマみたいで、素敵だわ」






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2010'01.09 (Sat)

なんしきっ! 小堺と不良少年

 安西美和は今年26歳になる教師歴4年目のまだまだ新米先生である。
 学生の頃から成績は優秀で、地元でも有名な進学校の高校を卒業後、早稲田大学教育学部に入学する。そして両親の希望もあり、大学修学後は地元の中学教師になった。
 初めて赴任したのが、ここ佐高市立佐高第七中学校。自宅から車で15分しかかからず通勤にも差し支えない、本人にしては非常に快適な職場であった。赴任一年目は三学年の副担に就き、次の年から二年の担任を持ち次年度もそのクラスを任され、卒業生を見送った。
 そして今年、第七中に来てから四度目の桜の季節を迎え、一年一組の担任になる。
 安西はその類まれなる美貌とおっとりした性格で、学校のマドンナ的存在として生徒だけでなく、同僚教師からも崇められている。彼女のアイドル並の容姿と優しく丁寧な指導で、第七中の男子生徒は必ず一度は安西に恋をするという。卒業生の話を聞いても、初恋の相手が安西先生だったと口を揃える生徒も少なくは無い。未だに安西を一目見ようと、意味も無く第七中に侵入する卒業生が後を絶たない。
 出会いがあまりない独身の同僚教師も、当然ながら安西とお近づきになりたいらしく、職員室では何かと彼女に世話を焼こうと皆、牽制し合っている。そんな餌をねだる野良犬のように、周りをウロチョロと徘徊する同僚教師を邪険に扱うわけではなく、微笑みで返す安西に、またもや同僚教師達はだらしなく鼻の下を伸ばすのであった。


「おーい正樹! 早く着替えて体育館に行こうぜ!」
 すでに体育着に着替え終わった小堺が、急かすように神谷の机にしがみ付いてピョンピョン跳ねている。そのせいで机が動き、ノートに書いていた字が歪んでしまったが、神谷はそんな友人を疎ましく思うわけでもなく、いつもの静かな口調で返した。
「うん……もうちょっとしたら行くよ。待っててくれ」
 すると小堺はまた机に掴まり大きく二、三度ジャンプを繰り返した。クラスメート達はそんな小堺の仕草を、小さな子供を眺めるような視線で見つめた。
 始業式から一ヶ月が経ち、すっかり中学生活にも詰襟がきつい学生服にも慣れてきた一年生達は、どこと無く大人びてきた自分が誇らしく、わざと澄ました態度を取る子も多い。心の発育が早い女子はもちろんだが、大半の男子生徒も子供っぽい行動を慎むようになるので、未だに小学生気分が抜けていない小堺を内心鼻で笑っていた。
 だが、そんな周りの態度に気付かず、気付こうともしない小堺は屈託の無い笑顔で神谷に話し掛ける。
「次の体育、またマラソンだって。もう俺やんなっちゃってきたよ。体育でもテニスが出来ればいいのにな!」
 顔を上げないまま、神谷がクスッと微笑む。
「放課後に部活で出来るじゃないか」
「そうだけどよ、小学校の時はクラブで週三日だけだったじゃん。それが今は毎日テニスが出来るんだぜ?
 中学校ってすごいよな!」
 入学してから一ヶ月、まだ正式な部活動としての申請は下りてないものの、学校側からの厚意でテニスコートは新設ソフトテニス部の彼らに明け渡している。もっとも元から住人がいなかったテニスコートだったので、活動場所が空き地にならずに教師達もありがたく感じているらしい。なので彼らは毎日、放課後は練習に励んでいる。休日も午前中から集まり、日が暮れるまでテニスコートにいる日が殆どだ。まさに入学してからこっち、テニス尽くめの学生生活である。
「それなのに体育でもテニスがしたいのか? 本当に、朔太郎はテニスが好きだな」
 半ば呆れながらそう言う神谷に対し、小堺はニンマリと笑い返した。
「そんなこと言うけどさ、正樹だって相当なテニス馬鹿だよな」
 彼がさっきから熱心にノートへ書き込んでいるソレを指差し、小堺が言った。
 そこには簡略に描かれたテニスコートが幾つもあり、その一つ一つに異なったボールの軌道と選手を表す丸印が四つある。これはゲーム展開を図面で画策し、戦略を鍛えるトレーニングだ。
「小学校の時と違って、中学に入ればただ速い球を打てれば勝てるわけでもなくなるからな。ゲーム展開をきちんと自分で組み立てて試合を把握していかないと……」
 ソフトテニスでは技術も勿論だが、チームプレーやゲームメイクの上手さが勝敗を左右する。なので将棋のように次の手、次の手と戦略を無数に企てていかないと、勝つべくして勝てない。
「ふ~ん、正樹は真面目だからな。うちのペアは全部正樹が主導権を握っているから、ゲーム展開や作戦は任せた。俺はそういうの苦手だから」
「お前も少しは一緒に考えてくれよ」
 苦言を呈したが、神谷は言うほど本気で小堺にそうして欲しいわけではない。小堺は神谷の作戦に従わないことはないし、全面的に信頼してくれている。それにいくら言葉で教えようとしても一向に覚えようとしないが、いざコートの上に立つと信じられないほどに俊敏で正確な動きを見せてくれる。小堺の本能的なプレーと前衛としてのセンスの良さには、神谷はいつも驚かされる。

「それにしても部員が集まったのはいいけど、あと二人はどうしても欲しいな」
 急に話をコロッと変えた小堺に、一拍遅れて神谷が頷く。
「あぁ、そうだな。あと二人いれば団体が組める」
 ソフトテニスの団体戦は三ペア対抗で行われる。
 二ペアが先取すれば勝利となる単純なルールだが、団体戦は個人戦とは違った面白みがある。
 まずは各団体同士、どのペアと対戦するかは直前にならないとわからない。つまり一番手同士の実力が均衡のときには、相手の二番手に当たるようにするか、自分の三番手のペアを相手の一番目のペアに当たるようにすれば、よりチームとして勝率は上がる。だがそれは相手ペアにも同じことが言えるので、ペアの順番がチームの勝敗に大きく関わってくる。団体戦は順番を決める段階から既に勝負は始まっているのだ。

「まずは俺と正樹ペアは一番手じゃん。二番手は丸男と豚ペア。あの豚、意外とめっけもんだったな」
「あぁ。宗方はストロークさえまともに覚えれば、どうにか勝てる」
 あの生意気な部長、ソフトテニスはまったくの初心者なので、球の打ち方は目も当てられないが、ゲームメイクや戦略は一目置くものがある。その戦略は大胆にして緻密、右かと思えば左、正攻法かと思えばラフプレーと、相手をドンドン泥沼に嵌めていくのである。まだ技術的な面で穴が大きく、神谷ペアが負けることはないが、ゲーム中にもしかして負かされるのでは? と思わされる場面が何度かある。ロブしか使わない丸藤の実力を100%引き出す策略と、自身が左利きという稀有な存在をフルに活用した戦術は、いずれ神谷ペアに一矢報いる可能性もあるかもしれない。
 なので、団体戦は二ペアさえ勝てば問題ないので、あと一ペア、つまり二人入部してくれるだけで佐高第七中も団体戦にエントリー出来るのだ。
「まぁ、団体つっても所詮、個人戦とさほど変わらないけどな」
「でもどうせなら団体でもエントリーしたい。朔太郎もそう思うだろ?」
 そう言ってノートを閉じながら、神谷は机に掛けた体育着袋を取り出した。周りのクラスメート達も大方着替え終わり、数名は既に校庭のグラウンドに行ってしまった。テニスも大事だが、学生の本分として授業も疎かには出来ない。イソイソと着替える神谷を待ちながら、小堺は独り言というには少々大きな声で呟いた。
「あ~あ、どこかにあと二人…テニス部に入ってくれる奴、いないかな」

 校庭のグラウンドでは、既に体育着に着替えて手持ち無沙汰に体育教師を待つ一年生で溢れていた。
 生徒の数が若干多く感じるが、それもそのはず。今日の体育は一組と二組の合同授業である。入学から一ヶ月も過ぎれば、だいぶクラスメートに馴れてくるが、他のクラスとなると打ち解けるにはまだ時間が掛かる。なので小学校が同じだった生徒は別だが、隣のクラスに知り合いがいない生徒が大半で、一組と二組の間には微妙な隙間が空き、互いを警戒していた。
 その大きな二つの集団からはぐれて、グラウンド脇の草むらに二人の生徒がいた。
 今日は天気が良くて日差しが痛いくらいである。そこの草むらはちょうど校舎の影になっていて、さらに風通しが良く快適そうだ。
 その生徒はその居心地が良い場所とばかりにくつろいでいるが、すでに授業開始のチャイムは鳴ったばかりだ。先生に見つかったらただ事ではない。
 だが、その生徒は気にするわけでもなく、だらしなく足を投げ出し草むらに寝転がっていた。もう一人の一年生にしては体が大きい生徒は、オロオロしながら横になっている生徒と、グラウンドにいる集団を交互に見つめていた。

「ねぇ、たっちゃん。そろそろ先生来ちゃうよ。みんなのところへ行こうよ」
 図体のわりに気弱そうな声を掛けられたその生徒は、面倒そうに答える。
「あぁ? うるせえな。知ったこっちゃねえんだよ。
 のぼる、お前も寝転がってみろ、気持ちいいぞ」
 だが、のぼると呼ばれた生徒はさらにオロオロするばかりで、一向に動こうとしない友人に段々痺れを切らせてきた。
「ねぇねぇ、たっちゃん。本当にそろそろ行こうよ? 本当に先生が来ちゃうって!」
「はっ。先公なんざ、どうでもいいんだよ」
 そう言って寝返りを打とうとした時、ついに体育教師がグラウンドに顔を出した。
 そして直ぐに集団から離れ、草むらにいる二人を見咎める。のぼるは途端にサァと顔を青ざめた。
「おい、そこの二人! 何をやってる! 授業はとっくに始まってるんだぞ!」
 肩をいからせ大股に近付いてきた教師に対して、寝転がっていた生徒はゆっくり体を起こすと不機嫌そうに教師を睨んだ。
「うるせぇんだよ! 文句あんのか!」
 その一言に体育教師の目の色が変わった。
 暴言を吐いた生徒は素早く立ち上がり、臨戦態勢を整えて教師と対峙しようとしたその瞬間、友人である大柄な生徒に襟首を掴まれた。
「すみませんすみません! 僕達今すぐ戻りますので勘弁して下さい!」
頭を下げながら右手で掴んだ友人を引きずり、クラスメートの元に走っていくのぼる。その物凄い腕力に体育教師は一瞬呆気に取られて、怒るタイミングを逃してしまった。

 この素行が悪そうな生徒の名前は、高田竜輝。
 とにかく周りに合わせることが苦手で反抗的な態度に、入学早々彼は教師連中に目を付けられていた。授業は真面目に聞かず他の生徒の邪魔をしたり、注意を受けても聞き流すか反発するばかり。わずか一ヶ月で不良のレッテルを貼られた彼は、すでに一学年教師からは鼻摘み者扱いである。
 そしてその高田といつも一緒にいる大柄な生徒は吉川のぼる。
 小学校も同じで家も近所と幼馴染らしく、二人は常に行動を共にしている。といっても吉川は高田と違い非常に大人しい生徒で、悪さをする高田にいつもハラハラしながら後をついて行く、金魚のフンみたいなものだ。そんな舎弟のような吉川も、特に悪さをするわけではないが高田とセットで教師から嫌われてしまっている、損な生徒である。

 さて、そんな二人も二組の列に交じり授業が始まった。
 体育教師から授業の説明を受けている間、終始不機嫌な高田に、吉川はペコペコと頭を下げている。
「ごめんね、たっちゃん。首、痛くなかった?」
 体育着の襟首を思いっきり引っ張ったので、高田の首元は少し赤くなっている。そこを手で擦ろうとした吉川の手を、高田が乱暴に払いのける。
「痛くねぇよ。ったく、相変わらず馬鹿力なんだからよ、てめぇは」
「ごめん、たっちゃん……」
 シュンと弱弱しくしょげてしまった吉川を見て、体ばかり大きいくせに気は人一倍小さい彼が情けなくて、高田は舌打ちをした。
「んなことはどうでもいいんだけどよ。……のぼる、あいつ知ってるか」
 吉川は顔を上げて、高田が顎でしゃくった方に目をやる。
「一組の……名前は、ごめん。分からないや。たっちゃん、知ってる人? あの子がどうしたの?」
「俺も知らねえ。あいつ、さっきから俺のことを見て笑ってやがる」
 確かに体育座りをして先生の話に耳を傾けている生徒の中に、チラチラにやけながらこちらを見ている生徒が一人いる。高田はその態度が癪に触るようだ。
「あの子、一組でも一番元気が良い子だったと思う」
 何度か合同体育をしていて、吉川はその不躾な視線を送ってくる生徒が印象に残って覚えていた。
「あ? 単なる馬鹿か調子に乗ってるだけだろ? ……あいつ、気に入らねえな」
 そう言ったときにちょうど体育教師の話が終わり、全員一斉に立ち上がった。高田もお尻についた砂を手で叩きながら立ち上がり、凶暴な目つきを男子生徒に送る。
「あいつ、ちょっと懲らしめてやらないといけねえな……」
 そう言って指をポキポキ鳴らした高田を見て、吉川はまたもや顔面を蒼白にした。
「ちょっと、たっちゃん。やめようよ……」
 吉川の制止は友人の耳に届いていないらしい。触れれば切れそうな態度を露わにして、高田はこれからマラソンをしようとトラックのスタート位置に整列する集団の中に紛れていった。


「なぁなぁ、正樹。二組に面白い奴がいるぞ」
 そう言って小堺が好奇な眼差しを向けた先には、さっき授業が始まる前に草むらで寛いでいたあの男子生徒がいた。髪をギザギザにセットをして鋭い視線をこちらに向けている。雰囲気から察するに、神谷はあまり関わりたくない種類の人間だ。
「おい朔太郎、あんまりジロジロ見るな」
 友人の忠告も聞き入れず、小堺はなおも興味津々にその生徒を観察している。
「だってよ、あいつ見るからに不良、って感じだぜ。中学に入ったらやっぱりそういう奴っているのかな、と思ったけどよ。やっぱりいるんだな! 不良って!」
何に関心をしているのか分からないが、小堺はわざわざ身を乗り出してまで見ようとしている。その生徒もあんまり小堺に見られて気を悪くしたのか、こちらをジッと睨んでいる。底冷えするような冷たい視線だ。
「とにかくもうやめろ。ほら、走るぞ」
 いつの間にか体育教師の開始の合図で、生徒達は一同に走り出していた。小堺は名残惜しそうに何度も振り向きながら、ランニングを始める。今日のマラソンの授業はトラック十周。その後は自由に休んでいていいので、さっさと走り終えてしまってからゆっくりと眺めようと小堺は意気込んで駆け出した。


「ぜぇ……ぜぇ……。おいっ……のぼる……」
「はぁ、はぁ。なに、たっちゃん?」
「あいつ……どんだけ足が速いんだよ……」
 顎が上がるほど息せき切って走る高田の200m手前を走る小堺。その距離は開くばかりで一向に縮まらない。
 高田はランニング中の小堺に追いつき、すれ違いざまにわざと転ばせてやろうと画策していた。素行は良くないが体力には自信があると自負していた彼は、どうせ直ぐに追いつくだろうと思っていたが、小堺の足の速さに度肝を抜かれていた。
「でも、たっちゃん。はぁはぁ、まだ5周目だからそのうちに、はぁはぁ、あの子もばてるんじゃないかな?」
 吉川も高田の横に並んで小堺を追い掛ける。彼の体力だって生半可なものではない。
 トラック内ではいつの間にか、小堺の後を不良の高田と吉川が追いかけっこをするという、良く分からない図式が展開されていた。他の生徒達はその三人の先頭集団に追いつくことすら出来ず、体力に自信がある運動部の連中も三周目あたりで次々に脱落していった。
「ぜぇ……ぜぇ……よし、もう一踏ん張りだな……ぜぇ……」
「たっちゃん、もう止めようよ……はぁはぁ、普通に走ろうよ……」
「うるせえ……、ぜぇ……ぜぇ……余計なことを言うんじゃねえ……」
「ごめん……たっちゃん、はぁはぁ……」
 袖で汗を拭いながら小堺の背中を追い掛ける二人の姿を、体育教師は狐にでも摘まれたような顔をして眺めていた。あの二人、あれだけスタミナと筋力があるのに、どこの運動部にも入っていないなんて……実にもったいない。


 快走を続ける小堺の数m手前に、フラフラと頼りなく走っている神谷の姿が見えた。抜群のプレーセンスとゲーム展開が巧みな神谷だが、一つだけ大きな弱点がある。それは極端にスタミナがないのだ。
 今も小堺の前を走っているが、もちろん彼より先行していたわけではなく、単なる周回遅れである。明らかに文化部系の運動が苦手そうな生徒に混じってダラダラ走っている神谷を見て小堺は溜め息を吐いたが、すぐにニンマリと微笑むと少しペースを上げて自分のペアに追いついた。
「正樹、頑張れ。もうちょっとだぞ」
「……」
 普段からあまり口数が多いほうではない彼だが、既に口を開く体力もないらしい。声を掛けられた小堺を横目で一瞥すると、また黙って走り続けた。走るフォームを見るとそれだけ運動神経が悪そうには見えないが、それでも小堺にしてみれば、神谷と併走していると歩いているのと殆ど変わらない速度だ。
「俺も一緒に走ってやるから、ほら、頑張れ」
「……いい。……先に行け」


 高田はチャンス到来とばかりに、残りの体力を振り絞って一気に加速する。ターゲットの小堺が急に減速したのだ。きっといつも一緒にいるあの無表情な生徒にペースを併せたからだろう。小堺との距離がグングン縮まっていく。
「たっちゃん……はぁはぁ、やめようよ……」
「ぜぇ……ぜぇ……うるさい! 黙れ!」
 同じく後を追ってくる吉川の言葉に耳もくれずに、高田はさらに加速を続ける。只転ばせるだけなんてつまらない。このままの勢いであの背中に飛び蹴りを御見舞いしてやる。これだけ自分達を無駄に走らせた罰だ、と身勝手な怒りに身を任せ、高田はもう数メートル先に迫った小堺の背中目がけてジャンプをした。

「う~ん、わかった! じゃあ先に行くね!」
 そう言ってまた自分のペースでランニングを続けようと踏み出した瞬間、後ろの方でズザァと誰かが転ぶ音が聞こえた。てっきりスタミナが切れてしまった神谷が倒れたものだとばかり思い慌てて振り向くと、そこには荒く息を吐いて横倒れになっている男子生徒がいた。
 そのことに気付く余裕もない神谷が、ぐったりと疲労した目をして隣を走り抜けていく。
 転んだ生徒はさっき小堺が興味を示してチラチラ見ていたあの不良少年だった。何故、彼がこんなところで倒れているのかと困惑していると、がたいの良い少年が青ざめた顔をして後を追ってきた。
「ちょっと、たっちゃん! 大丈夫! 怪我してない?」
 腕を引っ張り立ち上がらせようとした吉川の手を、高田は邪険に振り払う。そして何かを言おうとしているが、息せき切っているせいか声にならない。よく見ると膝や腕がすりむけていて痛々しい。
「お~い、お前。本当に大丈夫なのか?」
 小堺もランニングを中止し、高田に近付き助け起こそうとすると、それを見咎めた高田が歯を食いしばり立ち上がる。小堺と吉川がホッと息をついた束の間、「がぁぁあっ!」と叫び声を上げた高田が小堺に殴りかかった。
「うおっ! 何だこいつ? 危ねぇ!」
 体力が消耗していたせいか、小堺の反射神経が良かったせいか、高田の拳は小堺の肩越しをすり抜けていって、また派手にずっこけた。しかし高田はひるまずにまた立ち上がると、小堺に殴りかかる。
「なんだんだ、てめぇは、よ!」
「お前が何だ!」
 小堺は身を翻して高田の拳をまた避けた。
 テニスの試合中ともなれば、前衛は至近距離からシュートボールを打ち込まれることも少なくなく、しかもそれを正面ボレーで返さなければいけない。それを考えれば、小堺にしてみれば高田のひょろひょろパンチをかわすことなど容易いのである。
 肩で息をしながらまだ殴りかかってこようとする高田だったが、後ろから羽交い絞めにした吉川が荒ぶれる幼馴染を制止させる。騒動に気がついた教師や他のクラスメートもいつしか二人の間に割って入り騒ぎ出したので、いつしかマラソンは中止になってしまった。
 その騒動が耳に入らないほどに体力を消耗しながらランニングをしていた神谷だけが、一人ぽつんとトラックを走り続けていた。

 結局、ランニング中の小堺に飛びかかろうとしたり、一方的に殴りかかったりしようとした高田の行為が他の生徒の証言で判明し、小堺はお咎めなしで解放され、高田と吉川は授業前に草むらで寝転がっていた件も含め、体育教師からみっちり油を絞られた。
 用具室で正座をさせられて痺れた足を摩りながら、高田は地面に唾を吐く。
「くっそぅ、あの野郎。絶対に許せねぇ」
「でも、さっきのはたっちゃんが悪いよ……。急に飛び蹴りだなんて」
「なんだ? 文句あんのか?」
「う、うぅん。……なんでもない。ごめんなさい」
 相変わらず気弱な返事しか出来ない図体ばかり発育した友人に呆れながら、高田は鬱憤を校舎の壁に向けた。
「しかし、なんなんだ本当にあの野郎はよっ! ムカつくぜ!」
 力一杯壁を蹴る高田だが、うんともすんとも言わない頑丈な壁に苛々はさらに募るばかりだった。
 そんな高田を見つめながら、吉川は何かを思い出すように首を捻る。
「あの子、確か……テニス部の子だった気がする……。名前は確か、小堺君だったと思うけど」
「あぁん? テニス部?」
「そう、確かこないだ出来たばかりの部で、部員が全員まだ一年生って結構話題になっていたはず」
 群れるのが嫌いで周りからも疎まれている高田は、学校生活の情報にあまり詳しくない。その点、高田の金魚のフンながらもまだクラスメートに対して愛想が良い吉川は、時々他の生徒との交流を持っているので、その話を覚えていた。自分達が知らないだけで、テニス部に関してはちょっとした有名な話らしいが。
「なんだ? そんなことをしていた奴らがいたのかよ?」
「うん。確かそうだよ。さっきのマラソンのときに、たっちゃんが飛びかかろうとしたちょっと前、あの子の横でノロノロ走っていた子もテニス部だった気がする。名前は……神谷君、だっけ」
 クールで格好良い男子生徒がテニス部にいる、とクラスの女子が噂していたのを吉川は思い出した。高田は吉川の話を聞きながらしばらく考え込むと、途端に邪悪そうに顔をニヤリと歪め、ポケットから携帯電話を取り出し、ダイヤルを押す。コールが鳴るや否や、電話の主は直ぐに受信した。
「もしもし、兄ちゃん。うん、竜輝。あのね、兄ちゃん。兄ちゃんにちょっと懲らしめてもらいたい奴がいるんだ。そいつ、まだ一年なのにすんげぇ調子こいてるんだよ。だからさ、放課後にちょっと学校に来て欲しいんだけど。
 ……ほんと? ありがとう! じゃあ、放課後、テニスコートんところで待ってるね。じゃあ」
 携帯電話を折りたたむと、高田は口を吊り上げ、青ざめた顔をしている吉川に笑って見せた。
「たっちゃん……もしかして、お兄さんに……」
「おう、へへへっ。放課後が楽しみだぜ」
 吉川は生唾を飲み込みながら、高田の兄を思い出していた。高校二年になる高田の兄は、眼光が鋭く触れるものを皆傷つけるような不良だ。幼馴染で弟の友人ということで自分は可愛がってもらったが、小さい頃から喧嘩に明け暮れ、血だらけで帰ってくる高田の兄をいつも怯えて眺めていた。
 そんな極悪不良が放課後、この佐高第七中に来る。吉川はあまりの恐怖に、今から膝の震えが止まらなかった。そんな臆病な吉川を、高田は乾いた目でニヤリと笑った。


 安西美和は俗に言う「アイドル教師」だったが、彼女の凄いところは女子にも人気があることだ。
 大概、そこまで男子生徒や同僚教師から注目の的ならば、ひがむ女子生徒がいても不思議ではない。思春期真っ盛りの女子にモテモテな大人の女性など、妬みの対象にしかならない。だが、安西はその飾らない性格と少しおっちょこちょいで天然なキャラで、女子生徒達のハートをも鷲掴みにしてしまった。それに彼女はどちらかと言えば男子生徒よりも女子生徒と会話をすることを好むらしく、授業が終わるとよくクラスの女子と一緒に、昨日見たドラマの話で盛り上がっているくらいである。
 女子生徒側からしても安西はアイドル的存在で、隙あらば安西と交流を取ろうとする男子生徒を、取り巻きの女子達が排除する場面も見受けられるほどだ。しかも本人にその自覚が全くないようで、クラスの女子生徒が寄ってきても「みんな、お喋りが好きなのねぇ」程度の感慨しかない点も、根強い人気の一因である。


 その日の放課後、テニスコートにて……。
「僕、その子を知っているよ。たぶん、二組の高田竜輝君って子だと思う」
 腕の関節を伸ばしながら、器用に右手でずれた眼鏡を直す丸藤。彼はさっきからずっと両腕を伸ばしたり曲げたり繰り返している。辛抱強いプレーに定評があるロブの使い手はストレッチに余念がない。
 その隣で膝を屈伸しているだけなのに既に息が上がっている部長も、話に交ざってきた。
「僕も知っているさ。もの凄い不良だって噂だよ。まぁ、僕には関わり合いのない人種だけどね」
 体を前に傾けて腰のストレッチをしようとした宗方は、そのまま自分の体重を支えられず、前のめりに転んでいった。その様子を他の部員がお腹を抱えて笑う。
「でも、俺が知らないところでそんなことが起こっていたのか。全然、気付かなかった」
「だって正樹、死にそうな顔して走っていたもん。お前、本当に体力がないな。さっきあれだけ走って部活出来るのか?」
 グルグル肩を回しながら神谷は涼しい顔をして「ん、大丈夫」と答えた。スタミナの底が浅い神谷だが、浅い分回復するのも早いのが特徴である。
「でもさ、小堺君。それだけ彼を怒らせたってことは、後が恐いんじゃない? 大丈夫かな」
 気が小さい丸藤は、まるで自分のように心配して顔を曇らせた。
「大丈夫だって、丸男。そんなに気にすることないから安心しろって」
「丸藤、です」
 あっけらかんと答える小堺に、転んだときに背中に着いた砂を叩き落としながら、宗方も注進する。
「本当に、妙な行動は慎んでくれたまえよ。只でさえ、君はトラブルメーカー体質っぽいんだから」
「お前に言われたくねぇよ、豚」
 睨み合う二人の肩を叩いて、丁度良く体がほぐれた神谷が皆をまとめた。
「それじゃあ、練習を始めようか。部長」
 自分を呼ばれた宗方は、こほんと咳払いをすると全員に整列を命じる。
「ではこれより今日の練習を開始する。まずは乱打を15分4セット。各々ペアを交換するように。その後、サーブレシーブの練習を15分。ペアになって前衛練習を15分。それが終わったら7ゲームマッチでゲーム形式、以上。よろしくお願いします!」
『よろしくお願いします!』
 たった四人、しかも同学年しかいない部活動なので、練習内容など口伝でも充分なはずだが、部長の意向でわざわざ仰々しく開始の挨拶までさせられることになった。宗方を除く三人は毎度、面倒だと思いつつも、部長命令なので仕方なく従っている。本人は至極満足そうに悦っているので仕方なくやりたいままにさせているのだ。
 各々、ラケットとボールを握り締めて乱打を開始しようとしたその時、遠くの方から爆音を轟かせて一台のバイクが近付いてくるのが分かった。時々、ここら界隈に出没する暴走族の類かと思って最初はただうるさく感じただけだったが、それがどうやら学校の周りを走り回っているのに、他の運動部も気付き始めて皆活動を一時中断させた。何事かと文化部の生徒までが校舎の窓から顔を突き出している。


 そしてしばらくそのバイクの行方を騒々しいマフラーの音だけで追っていると、バイクはテニスコートがある道路脇で止まった。テニス部員は一斉に体を硬直させる。
 物々しい雰囲気で二、三度空ぶかしをしたバイクに跨ったライダーは、エンジンを轟かせたまま降車し、テニスのフェンスをよじ登って中に入ってきた。
 テニス部員は何が起こっているのかさっぱり理解出来ず、その場で固まってしまっている。そのライダーはフルフェイスのメットを外すと、部員一同をゆっくり見回した。短い金髪に鋭い目つき、左眉毛の唇にはピアスが着いている。見るからにやばそうな不良だ。突き刺さるような眼光に睨まれた部員は、弾かれたようにコートの中央に寄せ集まった。
「おい! 誰だよあれ! 何であんなおっかない人がテニスコートに入ってくんだよ!」
「わからないよ! 誰かなんか悪いことした?」
 それぞれ振り絞るような小さな声で囁き合っていると、誰かが低い笑い声を漏らしてテニスコートに入ってきた。
 後ろに吉川を従えた高田である。高田はその金髪不良に手を振った。
「お~い、兄ちゃん!」
 お兄ちゃんと呼ばれた青年と、高田を交互に震えながら見つめる部員達。金髪の青年は気だるそうに高田へ近付く。
「おい、竜輝。誰だ、その調子こいている奴ってのは。
 さっさとぶっ飛ばして俺は帰るぞ。これからバイトだからよ」
 低くくぐもった声が彼らの恐怖心を煽る。
 そして、高田が兄ちゃんと言った辺りから、部員達は彼らの目的を悟っていた。どうやらこの不良青年は弟である高田のために、小堺へ報復をしにきたらしい。
「おいおい、小堺君! やっぱり君が原因なんじゃないか? どうにかして騒動を解決したまえ!」
「うるせぇ、豚! 俺だってまさかこんなことになるとは思っていなかったんだよ!」
 あからさまに怯えている彼らを、高田はいい気味とばかりに鼻で笑った。膝をガクガク震わせて顔が青くなっている小堺が愉快でたまらない。
「兄ちゃん、こいつだよ。この小堺って奴だ」
 高田は兄に目的の人物を指差して教えた。だが、高田兄は校舎の方をキョロキョロ眺めていた。
「兄ちゃん、どうしたの?」
 慌てて視線を弟に戻し、高田兄は小堺を睨むと凄んだ。
「おい小僧、中学に入ったからって図に乗ってるんじゃねぇぞ。調子こくとどうなるか、教えてやるよ」
 今にも泣き出しそうな小堺を見てさらに気分を良くした高田は、声を張り上げた。
「兄ちゃん! どうせだったら全員をぶっ飛ばしてよ! こいつら、一年の中でも飛びっきり生意気なんだ!」
 せっかくなら小堺とつるんでいる奴ら全員にも制裁をくわえておかないと気が済まない。そんな嗜虐的な考えの高田に、さすがの吉川も咎めた。
「たっちゃん、他の子は関係ないよ! やるんなら小堺君だけにしなよ!」
 その吉川の言葉に、小堺を除く全員が首をガクガクと縦に振った。
「おいお前ら! 俺を置いてけぼりにしないでくれよ!」
「うるさい! トラブルメーカーなら自分の始末は自分で付けたまえ!」
「部長! こういうときこそ部長の出番だろうが! 何とかしてくれよ!」
「出来るわけないだろ! 君はテニス部のために生贄になるのだ!」
 ギャンギャンと喚く小堺と宗方が煩わしく思ったのか、高田兄は無情にも「面倒くせぇから、全員まとめて黙らしてやるよ」と宣言した。
 その一言にテニス部員は全身の血の気が引く音を聞いた。指をボキボキ鳴らしながらゆっくりと時間と恐怖を掛けて近付く高田兄。それをニヤニヤ眺める高田。
 まさに絶対絶命だった。


 安西美和の凄いところは、女子にもカリスマ性があるだけではない。
 どんな生徒にも平等に接する博愛精神だ。
 教師ならばどうしても学業や生活態度が優秀な生徒ほど目をかけがちになるが、安西の場合は優等生だろうが不良だろうが、全く同じに接する。ただ単に世間知らずの箱入り娘というだけなのだが、他の教師も既に見放す問題児だろうが、髪を真っ赤に染めた不良少女だろうが、彼女にしてみたら可愛い生徒の一人なのだ。なので彼女が初めて担任をしたクラスは、それはそれは他の学校にまでその悪評が聞こえるほどの問題クラスだったが、彼女はそのクラスを立派に更正させ、卒業生として送り出した。
 熱血教師のように体ごとぶつかっていったわけでもないし、心に響く説教をしたわけでもない。ただのんびりマイペースで授業をしていただけなのである。
 他の教師は彼女に問う。生徒の心を掴む秘訣は何かと。すると安西は穏やかの微笑みを浮かべ答える。
「私、なんかしましたっけ?」


「あれ~、もしかして高田君じゃない~?」
 高田兄がまずは一人目の部員を殴りつけようとしたまさにその時、間の抜けた声がテニスコートに響いた。その瞬間、高田兄はもの凄い速さでそちらに体ごと振り向くと、途端に顔を真っ赤にした。
「美和ちゃん! 美和ちゃんじゃねぇか!」
 そういうや否や、高田兄は脱兎のごとく駆け出して行った。
 テニスコートにやってきたのは顧問である安西。ちょっと所要があったため、遅れて部活にやってきた。間近で高田兄を確認すると、安西は嬉しそうにパァッと顔を輝かせ高田兄の手を両手で握り締める。
「やっぱり高田君だ! 久しぶり~! 元気にしてた?
 あら~髪が金色になっちゃって。かっこいいわよ~」
 高田兄の髪を指でツンツンと突っつく安西。決して褒められたものではない頭髪を褒められて、高田兄はさらに顔を真っ赤にさせて鼻の下を伸ばした。
 安西は視線を道路脇に駐車したバイクに向けた。
「高田君、バイク買ったんだ。大きくてかっこいいじゃない。あれ? するともう高校二年生になったわけね」
「お、おう! もし良かったら今度、美和ちゃんを後に乗せてやるよ」
「あら、そう? それよりもうるさいから、それ止めてくれない?」
 全校生徒の注目を集めている原因となっている爆音を撒き散らすバイクを指差しながらそう言うと、高田兄は飛び跳ねるように「おう! わかった!」とエンジンを止めに行った。

 一同その様子をポカンと口を開けて眺めている。絶体絶命のピンチだと思い、死をも覚悟していた矢先に、安西の出現で張り詰めていた空気が一気に弛緩していった。
 高田と吉川も目が点になっていた。あんなにだらしなく頬を緩め、他人の意見に従順な兄を見るのは初めてだった。
エンジンを止めて、子犬のように尻尾を振りながら戻ってきた高田兄が安西に尋ねる。
「ところでなんで美和ちゃんがココにいるんだよ? あんた、科学部の顧問じゃなかったのか?」
「縁あってテニス部の顧問に異動したのよ。あ、そうだ。君達に伝えなきゃいけないことがあったんだったわ」
 そう言うと安西は抱えていた書類の束からコピー用紙ではない、しっかりとした厚紙を取り出す。そしてそれ以外の書類を高田兄に持たせると、咳払いをしてその厚紙に書かれている内容を読み上げた。

「佐高市立佐高第七中学校において、ソフトテニス部の設立を許可する! 学校長、袴田順治!」

 呆気に取られている一同に、安西がもう一度高らかに宣言した。
「テニス部の設立が正式に受理されたのよ! 今日からこの部は正式な部活動として学校側に認められたわ!」
 その言葉をやっと理解した部員達は、喜びを露わにして歓喜の声を張り上げた。今まで仮の部活扱いだったテニス部だったが、これで堂々と部活動をすることが出来るし、大会にもエントリーすることが出来るようになった。

 高田と吉川は空気が全く変わってしまって居心地が悪くなってしまい、兄の横腹を突く。
「ねぇ、兄ちゃん。この先生誰だよ? テニス部をボコボコにするって話はどうなったんだよ?」
 すると高田兄は、弟の頭上に拳骨を一つお見舞いする。
「馬鹿野郎! 美和ちゃんはな、俺が三年の時の副担で科学部の顧問でもあったんだ! 言ってみれば恩師ってやつだな。美和ちゃんがいてくれたおかげで、俺はまともに中学を卒業し、高校に進学出来たと言っても過言でない」
「そんなこと言って……兄ちゃん、最近高校サボってるじゃん」
「うるさい!」
 そう言って高田兄は、弟を再び拳骨で黙らす。
「だからな、美和ちゃんが顧問をしているっていうテニス部に、俺が手出しをするわけねえだろうが!
 いいか? お前もテニス部に迷惑をかけたら承知しねえぞ!」

 弟に釘を刺すと、高田兄はまたでれっと鼻の下を伸ばして安西に話しかける。
「でも美和ちゃんよ、話に聞けばまだこのテニス部って出来たてホヤホヤで大変だろ? 何か困ったことがあったら俺が相談に乗るぜ」
「ありがとうね、高田君。そうね、困ったことか…」
 そう言って真剣に悩み出した安西は、ゆっくりと部員達を見回す。そして何かを思い出したようにボソリと呟いた。

「あと、二人……か」
「ん? なんだって?」
「部員がね、あと二人いると団体戦が組めるのよ。テニスの団体戦は3ペア、つまり六人必要なの。そうよね、神谷君?」
 以前に神谷から団体戦の話を聞いたときに、彼が願っていたことを思い出した。神谷はおずおずと頷く。すると、高田兄は「二人……」と呟くと、視線をゆっくり右に回す。ちょうど隣にいた高田は嫌な予感がして、顔を背けた。
「おい、竜輝。お前、まだ部活に入ってないよな?」
「え、う……うん」
 そして隣にいる図体のでかい少年にも同じ質問をぶつける。
「のぼる、お前は?」
「え……まだ、です」
 その答えを聞くと同時に、高田兄がパチンと手を叩いたので、皆一斉にそちらへ注目した。
「美和ちゃん! もし良かったら俺の弟と連れをテニス部に入部させてくれ! それでちょうど六人になるんだろ!」
『……えぇー!』
 驚愕の声を上げたのは勿論、六人の少年達。あからさまに嫌そうな顔をしてお互いを見つめ合ったが、顧問の安西だけは一人、嬉々と瞳を輝かせていた。
「やだよ、兄ちゃん! 俺、テニスなんかしたくないよ!」
 必死に抗議をする高田だが、兄は弟のことなど全く見ようともせずに、鼻の下を伸ばして安西に売り込む。
「こいつ、小学校の時はずっと野球部だったから体力には自信があるはずだ。そっちのデカイのぼるって奴も結構良い運動神経しているぞ」
「だから兄ちゃん! 俺、やりたくないんだって!」
「うるせえ! 俺の言うことに逆らおうってか?」
 グッと口を噤む高田。どう足掻いてもこの凶暴な兄に逆らうことなど出来るわけがない。
 吉川はなおさらだ。竜輝の方にすら逆らうことが出来ないのに、どうやってその兄の意見に反対などすればいいのだろうか。ここは一つ、黙って覆すことの出来ないヒエラルキーに身を任せるしかない。
 テニス部員の四人にしても同様だ。確かにあと部員が二人増えるというのは願ってもないことだ。だが、その部員はたった今、自分達に危害を加えようと画策した張本人なのである。これは心中穏やかでいられない。ソフトテニスはチームプレイを尊ぶ。それなのに、この高田、吉川と仲良く出来るだろうか?
 まるで獅子身中に虫を飼う、気分である。

だが、顧問の安西の眼を見ればわかるが、彼女には断るという選択肢は皆無らしい。
「そうしてもらえるとすっごく助かるわ! やっぱり高田君! 生徒の頃から思ってたけど、頼りがいがあるわね! きっとその弟君なら信用するに足りるわ! もちろんそのお友達も!」
 べた褒めされて、口が首に届いてしまうのではないかと心配になるほど鼻の下を伸ばし、高田兄は高笑いを上げた。その普段見ない兄の姿に落胆しながらも、高田はついに腹を括った。
「あぁぁ! わかったよ! 兄ちゃんが言うとおりにテニス部に入ればいいんだろ!
 のぼる! お前も文句はないな!」
「あ……う、うん。たっちゃんが入るんなら、僕も入るよ」
 吉川も溜め息交じりに頷いて了承する。だが、吉川は高田に比べると、どことなく嬉しそうだ。
 相方である高田がどの部活にも入ろうとしなかったので自分も付き添ったが、もとより彼はスポーツが好きだったので、どの部活動であれ参加さえ出来れば満足なのである。吉川は新しく仲間になる四人を見渡すと、遠慮がちに微笑み「吉川のぼるです。よろしく、ね」と自己紹介をした。彼らも吉川は危険人物ではないと初めから察していたらしく、素直に各々自己紹介を仕返す。

更新日 1月18日

「おい、竜輝。お前もちゃんと挨拶しやがれ。こういうものはな、ケジメが大事なんだよ」
 兄に促され、高田も渋々短く挨拶をする。だが、部員達の表情はどことなく引き攣っていてよそよそしかった。特に高田は小堺と視線を合わせると、舌打ちをして睨みつける。
「高田竜輝だ。よろしくな……」
「おう! お前高田っていうのか! だからたっちゃんなのな。よろしく、たっちゃん!」
 吉川が呼ぶあだ名をやっと理解した小堺は、嬉しそうに早速自分もあだ名で呼んでみた。過ぎ去ったことにはあまり気にしない性格の小堺は、もうすっかり高田をチームメイトとして認めているようだ。
 そんな小堺の対応に、高田は肩透かしを喰らった気分になってすっかり調子が狂ってしまった。
「おい、ちなみにテニスをやるのにどの道具を揃えればいいんだ?」
 目つきが鋭い金髪青年に突然尋ねられた神谷は、すでに彼が自分達に害がないとは分かっていつつも、思わず身が竦んでしまう。
「あ、えぇと……ラ、ラケットとシューズがあれば、とりあえずは……」
 そう答えた神谷が手に持ったラケットとシューズを舐めるようにじっとり見ると、高田兄は
「ちなみにラケットとシューズはいくらくらい掛かるんだ?」
と次の質問をする。
「えっと、ラケットはだいたい1万8千円くらいです。シューズは……色々ですけど、7千円もあれば」
「そうか……足りるな」
 そう呟きながら高田兄はポケットをまさぐると、鎖がじゃらじゃらついた財布を取り出し、中から一万円札を六枚出して、弟に渡した。
「おい、竜輝。とりあえずこれでお前とのぼるの分の道具を揃えてこい」
「えっ? マジで! いいの、こんなにもらっちゃって? ありがとう、兄ちゃん!」
 六万円という大金を手にして興奮しながら、気前の良い兄に高田はペコペコ頭を下げる。吉川なんぞは土下座せんばかりの勢いで感謝を示していた。
「おう、これも全て美和ちゃんのためだ。いいか、お前ら! 美和ちゃんのために気合入れてテニスをやるんだぞ!」
 頬を染めて安西をチラチラ見ながら弟達に発破を掛ける高田兄に、彼らは何故か釈然としない思いで弱弱しく頷いたが、当の本人である安西は、ただニコニコ微笑んでいるだけだった。自分に本気で惚れ込んでいる生徒がいても、単に慕ってくれているだけ程度の感慨しか持たないのが天然である安西の特徴なため、皆ただただ撃沈していくか、勘違いしたまま終わるかなのだ。
「じゃあ、お前。すまねえが弟達と一緒にスポーツショップに行ってこい。そんでラケットとシューズを適当見繕ってくれや。美和ちゃん、今日くらいはいいだろ?」
「え、俺がですか?……先生」
「う~ん、確かに道具が揃わないと練習も始められないし。神谷君、二人をお願いしていいかしら?」
「はぁ……いいですけど」
「よし、そうと決まれば頼んだぜ。じゃあ俺はバイトに行ってくるからよ。邪魔したな、ガキ共。
 美和ちゃん、また遊びに来るぜ!」
 一番受け答えが真面目そうな神谷に弟達を託して、高田兄は近くに放っておいたヘルメットを拾うと、テニスコートのフェンスを乗り越えて行ってしまった。遠ざかっていくバイクの騒々しいエンジン音を聞きながら、一同やっと身動きを取り始めた。
 結果オーライだったものの不良青年の乱入騒動で、なんやかんや体が緊張で強張ってしまってた。みんなは溜め息を吐きながら、もう一度ストレッチを開始する。
「それじゃあ先生、スポーツショップに行ってきていいですか?」
 高田兄の指示通り、早速竜輝と吉川のためにラケットとシューズを買いに出かけようと準備をする神谷に、安西は「あ、ちょっと待って」と制止を掛ける。
 そして、手の平を突き出し地面にかざす。
 皆、安西の意図することが分からず小首を傾げていたが、最初に気付いた小堺が満面の笑みを浮かべ、安西の手に自分の手を重ねる。やっと意味を理解したメンバーも次々に手を重ねていく。つまらなそうにそっぽ向く高田の手を吉川が掴まえると、一緒にみんなの手へ重ねた。部員全員の手が重なったのを確認して、安西が口を開く。
「テニス部も正式に部活動として認められたし、部員も六人揃って団体戦にもエントリー出来るようになったわ。これからこのメンバーで頑張っていくわよ。
 そして……試合で勝つわよ。部長?」
 安西に促された宗方が、一瞬キョトンと眼を丸くすると、すぐに不敵な笑みを浮かべて咳払いをした。こういう場面で掛け声をかけるのが部長の役目であることに、宗方は自尊心をくすぐられて舞い上がった。
 そして意気揚々と鼻穴を大きく広げ、息を吸い込む。
「それではテニス部の諸君! 励みたまえ!」

「……何それ」
「励みたまえ、は無いだろ豚。乗りにくいよ」
 部員みんなの抗議の眼差しを向けられ、宗方は仕切り直しとばかりにまた大きく咳払いをする。やはりテニス部員はまだまだ自分の崇高なセンスにはついて来られないようだ。
「佐高第七中ソフトテニス部! ファイトー!」
『オー!』
 腹の底から出した掛け声と共に、皆一斉に重ね合わされた手を天高く突き上げた。六人の少年と一人の若い女性教師で形成された円陣はまだ小さくてどこか余所余所しく、簡単に崩れそうなほど弱弱しいものだった。だが、これから何度もこの円陣を組んでいく度に、結束は固まり絆は深まっていくだろう。
 佐高第七中学校、新生ソフトテニス部は、まさにこの瞬間から新たなスタートを切ったのだった。





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2010'01.03 (Sun)

なんしきっ! 生意気なブルジョワと初めての試合形式

 宗方誠司の祖父は市議会議員だ。
 幼い頃から祖父に溺愛された誠司は、何をするにしても両親を差し置いて、市議会議員である祖父の後ろについていった。おかげで彼の周りにいる大人達も祖父の手前、誠司を可愛がり、子供相手に下手に出たりへつらうものも少なくなかった。誠司にとってはそれが当たり前の環境だったし、それが普通だと思っていた。
 そして、自身祖父を尊敬し憧れていた誠司は、事ある毎に祖父の話をするのが癖になっていた。周りにいた大人達はそれを笑顔で聞き入ってくれていたが、同年代の子供にはそうしてくれない。
 それもそのはず、誠司が語る祖父の自慢話は単なる厭味でしかなかった「僕のお爺ちゃんは市議会議員でね」「先週、僕のお爺ちゃんの別荘に行って来てね」「僕のお爺ちゃんに言えばね、なんでもしてくれるんだよ」
 そんなことばかり言う彼の周りからは、自然と友人達が姿を消していった。加えて、甘やかされるだけ甘やかされたのが一目で分かる彼の体型は、ぶくぶくと醜く太っていて、気付けば幼稚園でも小学校でも彼に友達は一人も居なかった。

 そんな彼も小学校を卒業して、この春、佐高第七中学校に入学した。
 彼は悩んでいた。中学に入学すると、必ずどこかの部活動に所属しなければならない。自身の体型を考慮すれば、吹奏楽部や文化部など身体を動かさない部活が適しているように感じるが、そこは彼の中の人並み以上のプライドが許さなかった。きっと文化部などに入部すれば、太った自分には運動部は向いていない、このデブ、わかっているじゃないか、とクラスメートに馬鹿にされるに決まっている。
 それだけは自らの突き出たお腹同様に肥大した自尊心と見栄が全力で拒否していた。

 かといって、彼が出来そうでこれぞという部活動は思い当たらない。
 第七中は運動部の活動が盛んで、下手に野球部やサッカー部に入ろうものなら、運動が不得意な自分は惨めに三年間ベンチを暖めるだけの部員になるのは火を見るよりも明らかである。いや、ベンチにすら座れるかどうかも微妙だ。そんな惨めな扱いは彼のプライドが許さない。
 では、だからと言ってどこの運動部がいいかといわれても全く答えが出ない。なので彼は中学生活の第一日目の放課後を、体育館やグラウンドなどに足を運び、他の生徒に混じって部活動見学を行っていた。


 彼は人ごみを掻き分け体育館を抜けると、次にグラウンドに向かう。
 屋内スポーツは日に焼けないので少しは楽かと思ったら、間違いだった。どの運動部も練習がハードで、部員の数が圧倒的に多い。これでは自分がその多くの部員の一人として埋没される運命なのは決まったようなものだ。そんな一山いくらのような存在になるのは彼には耐えられない。市議会議員である祖父に申し訳が立たない気がした。仕方なく彼は、続いて屋外の運動部を見学することにした。

 周りを見渡すと、自分と同じように新入生がそこかしこで部活動見学を行っている。誠司はそれを苦々しい気持ちで見つめていた。
 皆、誰もが同じ小学校の友人達だろう2,3人のグループで固まり、あれこれと談笑を交わしながら見学をしている。たった一人で行動をしているのは、どう見ても彼だけだった。
 佐高第七中は近隣地域、三つの小学校卒業生が通うが、誠司がいた小学校の生徒が大半である。なので、彼の悪評を知っている生徒が大多数なせいで、彼は始業初日からすでに孤立してしまっていた。
 だが、彼はだからといって他のクラスメートに身を低くして近付こうとか媚びて仲間に入れてもらおうなどとは、絶対にしたくはなかった。
 常々祖父が言っていた。大物は望まずとも自ずと輪の中心になってしまうものだ、と。彼は自分が輪の中に入るのではなく、クラスメート達が自分の器と人望に惹かれて、自然と輪の中心にしてくれることを渇望していた。
 彼は思っていた。周りの奴らはあまりにレベルが低すぎるせいで、自分の偉大さに気付かないのだ。だから彼は周りが自分のレベルに追いついてきてくれるのを、今は一人孤独に待っているのだと。そんな儚い妄想を背負い込んで、彼は友人達と群れるクラスメートを横目で一瞥しながら、校庭を散策した。

 とりあえずこの学校で一番成績が優秀という野球部を冷やかしにでも行こうかと、野球場に向かった誠司は、その隣にフェンスで囲まれたテニスコートを目にして驚愕した。
 テニス部はこの学校にないと聞かされていたはずなのに、ちゃんと活動をしているではないか! 誠司の足は、吸い寄せられるようにテニスコートに向かって進んでいた。
 運動が苦手な彼だったが、唯一まともに出来るスポーツがテニスだった。
 祖父の別荘がある軽井沢にリゾートで出かける度に、近くのテニスコートで元全日本選手と名乗るコーチに教えてもらいながら避暑地での余暇を楽しんだ。不幸にも小学校では当然のようにテニス部はなく、自分の腕前を披露する機会はなかったが、中学ではどうかと期待して担任教師に部の存在を問い質してみたが、その教師はテニス部がないと答えてガックリと肩を落としたばかりである。
 だが、こうしてテニスコートで数名だがラケットを振り、活動をしているではないか。誠司は自分に嘘の情報を流した担任教師を呪った。今度、祖父にお願いして何かしらの制裁を加えてやらなければなるまい。

 そんなことを思いながらフラフラとコートに近付いていく度に、誠司はある違和感に気付いた。自分が知っているテニスボールを打つ音と、彼らが響かせるボールの音が違って聞こえる。そしてさらに近付いてその違いに気付き、誠司は愕然としてしまった。
 なんということか! 彼らがやっているのは、ソフトテニスではないか!

 軽井沢のテニスコートで時々地元のソフトテニスサークルがしているのを、誠司はいつも苦々しい気分で眺めていたのを思い出す。あんな軽いゴムボールをポコポコ打ち合って何が面白いのだろう? あんなものは硬式ボールに挑めない非力で弱虫な人種が好む贋作スポーツだろうと、ソフトテニスを蔑んでいた。
 彼は本日二度目の失望感に苛まれ、思わず世界を恨んだ。何故こうも世の中はままならない。何故世界は自分にあわせてくれないのだろうか?

 だが、彼はフェンスに張り付き、テニスコートの上でラケットを振り回す生徒達をつぶさに観察した。背格好から察するにどうやら彼らはまだ自分と同じ一年生らしい。しかもどう見ても部員は三人に、顧問は女性教師一人。周りで見学をしているのは自分一人しかいない。硬式テニスしか経験がない誠司だが、軟式とてラケットでボールを打つのだから要領は一緒だろう。ソフトテニスを見下していたが、他に出来そうな運動部も思い当たらない。
 ゴムボールに甘んじるべきか否か、誠司は心の中で葛藤を繰り返していた。

「なぁ、正樹。あれ」
 ラリーを一旦中断した小堺は、ネット脇に神谷を呼び出して声を潜めた。不審げな顔を浮かべる小堺の視線を追うと、神谷も怪訝は表情になる。
「あぁ。俺も気付いていたけど……」
「なんだ、あの豚?」
 二人の視線の先には、フェンスに顔面と肥えた腹の肉をめり込ませた男子生徒が一人、こちらを凝視していた。その鬼気迫る目つきにいぶかしんだ二人は、どうにも居心地が悪くてラリーを再開することが出来なかった。そんな二人の元に、安西と休憩を済ませた丸藤も近付き、四人は額を突き合わせる。
「先生、あの豚、誰?」
「さぁ、たぶん新入生だと思うけど……」
 安西に見覚えがないところを見ると、どうやら一組の生徒ではないらしい。すると丸藤が自信なさげに口を開いた。
「たぶん、僕と同じクラスだった気がする。一人身体が大きい男子がいたはず。あんな顔だったような……」
「いや、何組のやつだっていいんだけどさ。なんであいつ、俺らを睨んでいるの?」

 それまで腕を組んで思案していた神谷が、「もしかして」と前置きをして言った。
「入部希望者なんじゃないか?」
 神谷の発言にお互いの顔を見合わせた三人は、腕を組んで唸った。
「でも、だとすると好都合よ。あと一人入部すれば、テニス部は準部じゃなくて正式な部として認められるわ」
 神谷と小堺は同時に丸藤を見つめた。急に二人から見られて、丸藤は恥ずかしそうに俯く。
「丸男、お前入部してくれるのか?」
「おぉ! さすがは丸男だ! 助かるぜ!!」
 照れながら眼鏡を直す丸藤は、二人に視線を合わせないように少し強い口調で答えた。
「だから僕は丸男じゃない! ……僕が入らないと困るんなら、仕方ないかなって思っただけさ」
 安堵の表情を浮かべる二人をよそに、安西は続きを促す。
「だから、もしも彼に入部の意思があるなら声を掛けるべきだと思うわけよ。ソフトテニスってペアがいないと大会に出れないんでしょ? だったら丸男君のペアが必要になるじゃない」
 丸藤です、と呟きながら、彼はフェンスにへばり着いている太った男子生徒をチラッと見ると、険しい表情になった。
 確かにペアがいないことには試合にも出れないし、入部した意味が無い。実力からして、神谷と小堺ペアは鉄板だから、必然的にあれが自分のパートナーになるというのか。どう見てもまともに動けそうにもないし、生意気で融通が利かなそうなあの顔がどうにも好きになれない。

 他のメンバーも同様の悩みを抱いていたようだが、このまま黙っていても仕方が無い。
「ねぇ、先生。ちょっと話しかけてきてくれない?」
 小堺の提案に、安西は露骨に嫌な顔をした。
「えぇ! あたし? ……どうしようかしら」
「どうしようかしら、じゃなくて。先生、顧問なんだから頼むよ」
 他の二人も安西に目を向け、頷いた。
 しばらく黙り込んだ安西だが、観念したように「わかったわ」と言うと、紐で縛られたロースハムのような格好になっている男子生徒に近付いた。
「こ、こんにちは。見学かしら?」
 少し強張った声色で話しかけたのだが、男子生徒は安西をジッと見つめたまま何も反応しない。もしかして声が遠かったのかと思い、もう一度声を掛けようとした時、その生徒が先に口を挟んだ。
「あの三人は一年生かい?」
 鼻に掛けた物言いが気になったが、安西はとにかく笑顔で「そ、そうよ」と返した。
「君も一年生だよね。私は一年一組担任の安西美和よ。何組の生徒さん?」
 会話の糸口を掴もうと当たり障りの無い質問をしたが、その生徒は眉間に皺を寄せ、呆れた様な口調で答えた。
「君、僕のことを知らないのかい? はぁ、てんで話にならないな、この学校の教師は。一体校長や学年主任は何をやってるんだい。
 あのね、僕は親切だから教えて上げるけど、君の首なんて僕のお爺ちゃんに一声掛ければすぐに飛んじゃうんだよ?」
 開いた口がふさがらないとは、まさにこのことだ。中学一年生とは思えない台詞と態度に、安西は怒りを通り越して笑いがこみ上げてきた。
 だが、思わず吹き出してしまいそうになったその一瞬先に、安西は先週に開かれた職員会議で聞かされた連絡事項を思い出した。
「あなたもしかして、市議会議員のお孫さんの宗方誠司君?」
 名前を呼ばれた生徒はフンと鼻を鳴らすと、わざとらしく溜め息をついて「30点」と呟いた。
「そこまで僕に言われてやっと思い出すなんて、この学校の教師もあまり期待が出来ないな。まぁ、今回のことは大目に見てあげるよ。良かったね」
 この生意気な生徒の素性が知れて、安西は納得して宗方をマジマジと見つめた。なるほど、教頭が苦虫を噛み潰したような顔で話していた特長と同じだ。小さい頃から大人に甘やかされるだけ甘やかされたブクブクのだらしない身体と、隠そうともしないふてぶてしい態度。あまり他の生徒に接するような尊厳な態度は取らないようにと注意を促された理由が今はっきりわかった。
 教頭にあそこまで言われたら普通の教師ならば割れ物を扱うように丁寧な応対をしなければいけないだろうが、この女性教師、安西は普通とはちょっと違う。
「ふぅーん、それで宗方君、テニスに興味があるの?」
 そっけない対応に宗方は虚を突かれて一瞬目を見開いた。今まで出会ってきた大人のように、自分へ諂うだろうと想像していた宗方だったが、この女性教師はまるで一般人のように自分を扱ったのだ。
 呆気に取られた宗方はつい素直に反応してしまった。

「う、うん。僕、テニスしてたから……」
 その言葉を聞いた安西は、パァッと瞳を輝かせてフェンス越しに宗方の手を取った。呆けていた宗方は次に顔を真っ赤にしてしまった。
「君もテニス経験者なのね! どうかしら? テニス部に入ってみない?」
 急な入部要請に宗方は口をパクパクさせて固まった。
 これまでの人生で誰かに何かを誘われたことなど一度もなかった。大体は周りの大人が自分がしたいことを先回りして準備していてくれてたり、自分が命令をしてそれに周りが従うだけだった。他人に自分の行く末を提示されるなんて、初めての経験だった。
「せっかくだからあの子達と一緒にテニスをやって見せてよ、ね? いいでしょ?」
 そう言うと安西はフェンスの入り口に回って、宗方の手を取るとテニスコートの中に導いた。
 小さくて華奢だけど、柔らかくて温かい手……。こんな若い女性から手を握られたことも初めてだったので、宗方は味わったこともないほどのトキメキを味わった。

「ねぇ、みんな聞いて。この子もテニス経験者なんだって!」
 安西に手を引かれて顔を朱色に染めた宗方を、三人はマジマジと見つめる。特に丸藤は、宗方の顔と安西に握られた手を交互に眺め、少し恨めしそうに言った。
「僕、この子を大会で見たこと無いよ。君、どこのクラブに入っていた? この町には僕がいたジュニアクラブしかないはずだよ」
 すると宗方は安西の手を振り払って、ムッとした表情をすると胸を張った。
「と、当然さ! 僕がそんなジュニアクラブなんかに入るわけないだろ! 僕は元全日本選手のコーチから教えてもらってたんだから!」
 丸く突き出たお腹をさらに突き出し威張る宗方に、小堺は素直に好意的な笑顔を向ける。
「へぇ、すごいな! そんなすごい人から教えてもらったんならお前、相当上手いだろ?」
 意味も無く褒められたことに気を良くした宗方は、今度は鼻を高くして自慢話を始めた。
「もちろんだよ。なんせ僕はそのコーチからお爺ちゃんの別荘がある軽井沢で、マンツーマンで指導してもらったんだからね」
「軽井沢……別荘……。お前、すっごい金持ちなんだな!」
「ふふぅん! 当然さ! 僕のお爺ちゃんは偉いんだからな! しかもそのコーチはウィンブルドンに出場したこともあるんだぞ!」
 その一言に、その場の全員は一斉に固まった。そして次にお互い顔を突き合わせ、最後にたるんだ顎を持つ宗方をジッと見つめる。
「お前……テニスって、硬式?」
「当然だろ! 君達のようなゴムボール遊びと一緒にしないでくれ!
 ……まぁ、そこの教師がやれって言うからわざわざ来てやったんだけど。暇つぶしくらいになら相手をしてやってもいいよ」
 小堺が盛大に溜め息をついたと同時に、神谷と丸藤も小さく溜め息をついた。
 少々癪に障るがまたもや経験者が入部してくれるのかと期待をしてしまったが、どうやらぬか喜びだった。やはり世の中そうそう上手くはいかないと、人生の厳しさを12歳の三人は噛み締めた。
 その感情を一人味わえない安西は、首を傾げて神谷に尋ねた。
「やっぱり、硬式経験者だと駄目だったかしら?」
「いや、そんなこともないですけど。ただ、打ち方とか根本的に違いますからね」
「そんなに違うの? あまり変わらないように見えたけど」
 素人な質問に、神谷に替わって丸藤が答えた。
「硬式テニスはどちらかと言うと両手でラケットを振るんですけど、ソフトテニスは必ず片手打ちなんですよ」
「だからソフトテニスをやってると、右腕ばっかり太くなるんだよな」
 袖をまくって両腕にグッと力を込める小堺。確かに良く見ると、右腕の方ががっしりとしていて力こぶが心持ち大きい。
 もう一度盛大に溜め息をついた三人に、宗方は腹を立てた。
「なんだよ。ソフトだって硬式と大して変わらないだろ! この僕がソフトでもやれるってところを証明してやるよ!」
 そう言うと宗方は、小堺の持っていたラケットを奪い取るとブンブン素振りをした。その振り方は明らかに運動神経が良さそうに見えず、尚且つ硬式よりの打ち方で、違和感が否めなかった。
 だからその時、三人はもっと大きな違和感があることを見逃していた。

「じゃあせっかくだしさ、四人いるんだったら試合形式をして見せてよ。ソフトテニスの試合は四人いれば大丈夫なんでしょ?
 それに、硬式とそんなにルールが変わらないらしいから、宗方君だってすぐに出来るわよね?」
「あ、それ面白いかも。良いんじゃない?君たちに僕の実力を思い知らせてあげるよ」
 安西の提案に気前良く答える宗方。丸藤はたぶん自分のペアになるであろう宗方に、硬式と軟式のルールの差異を計るべく、サービスの順序やポジションの確認を二、三質問した。相変わらず上から目線で受け答えをする宗方を腹立だしく思いながらも、丸藤はソフトテニスと硬式テニスのルールや、ダブルスでのポジションに大きな違いが無いことを確認する。

「うん、大丈夫そう」
「あ、ちなみに僕は前衛だからね。誰か他の人が後衛をやってくれよ」
 神谷と小堺が無言の合図を丸藤に送っている。どうやら当初の思惑通りに彼が宗方のお守りをしなければならないようだ。
「あ、じゃあ僕が宗方君の後衛をやるよ」
「君かい? ふーん、まぁ、せいぜい僕の足を引っ張らないように頑張ってくれたまえ。なんせ僕はいつも元全日本選手のコーチと組んでいたからね」
 きっと足を引っ張っていたのは、この醜く肥えたブルジョワだったんだろうな、と心の中で悪態をつきながらも、丸藤は弱弱しく笑顔を見せた。
 もしも本気で宗方が入部するとなれば、必然的にこの少々鼻につく口調の男子生徒が自分のペアになる。そう思うと、彼は無駄な衝突や諍いは避けたほうが無難だと、半ば諦めながら考えを巡らせた。
 ソフトテニスは何よりチームプレーを重んじる。ペア間の意志の疎通がなってなかったり、仲違いが原因で勝敗に大きく左右してしまうことを、彼は痛いほど良く知っている。

「よし。それじゃあ、始めようか! 最初だから俺らがサーブでいいぜ!
 セブンゲームマッチ、プレーボール!!」
 いつの間にかもう一本のラケットをバックから持ってきた小堺が、高らかと試合開始を宣言する。四人は顔を見合わせると、一度だけ小さく頷き「お願いします!」と互いに礼を交わした。
 そして後衛陣は素早くベースラインまで下がり、前衛陣はサービスエリア内のネット前に位置して静かに待機した。顧問の安西も慌ててコートから出ると、フェンスの傍で固唾を呑んで四人の生徒達を見守る。

 左手でボールを軽く地面にバウンドさせて感触を確かめた神谷は、細く息を吐くとサーブの構えを取り「はいっ!」と短く掛け声を発する。それに呼応するように他の三人も続けて「はいっ!」と気合をかけた。
 あの生意気な宗方もテニスの心得があるからか、自然に反応する。

 試合が始まった。


 神谷のファーストサーブは吸い込まれるようにサービスエリアに入り、それを丸藤が緩やかなロブで返す。そして後衛陣はコースを変えることなく、クロス展開でしばらくラリーを続けた。先ほどの乱打と同じ光景である。
 神谷の放つシュートボールを、丸藤が安定したロブで打ち返す。
 もしも本当の試合だったら、神谷は丸藤のような打ち込むよりボールを繋ぐ事を得意とする後衛相手には、コース変更を多用して相手を拡散させ、前衛の隙を突くか小堺のボレーに期待してポイントを稼いでいく。
 そういった戦術を用いるはずだが、今それをしないのはある画策があってだ。
 丸藤のペアである宗方、彼の実力を測りたいからである。

 硬式テニスの経験が多少あるようだが、その腕前はいかがなものか。ましてやソフトテニスという土俵に立ってどの程度やれるか、わざとチャンスボールを相手に送り続けているのである。
 これだけ相手後衛から頻繁に打ち続けられては、前衛としてはいつでもボレーをして下さい、と言われているようなものだ。
 しかし、宗方はジッとボールを目で追うだけで、ボレーをする素振りは全く見せない。丸藤も小堺も、神谷の画策に直ぐに気付き、反撃しようとせず黙って付き合っている。特に小堺としては、こうもロブばかり上げられては、自分の仕事が全く無い。ただ欠伸をして頭上を通過していくボールを眺めていくだけである。

 5,6本打ち合いが続いても動こうとしない宗方に、神谷は痺れを切らせてしまった。1ゲーム目の一本目でここまでラリーを続けては、後半ばててしまう。
 スタミナ不足が悩みの神谷は、仕方なくこのラリーを終わらせようと、宗方のサイドを抜いて手っ取り早くポイントを先取しようとした。

 そして先ほど小堺を沈めたように、宗方の左サイドの隙間に向けてシュートボールを打った瞬間、それまで信楽焼きの置物のように沈黙していた宗方が素早く反応し、抜けると思ったボールをボレーで打ち返した。

 一同、一瞬の出来事に呆気に取られて目を丸くしたが、その時になってあることに気付いた神谷は、つい大きな声を上げてしまった。

「こいつ……左利きだ!」

 神谷の言葉に初めて気付かされた小堺と丸藤も驚きを露わにして、勝ち誇ったような笑みを浮かべて満足げにラケットを肩に掛けている宗方に注目した。そのラケットは、間違いなく左手に握られている。
「そうだよ。僕は左利きなんだ。そんなに珍しいことかい?」
 宗方が今のラリーでポーチ(打ち合っている最中に飛び出してボレーを取ること)に出なかったのは、わざと神谷がサイドを打つことを狙っていたからである。
 正クロス展開で前衛がポーチに出やすいのは、必ずフォアハンドのボレーになるからである。ボレーにもフォアハンドとバックハンドがあるが、圧倒的にバックハンドのボレーの方が難しい。それは左利きにも同じことが言えるのだが、サウスポーの選手は正クロス展開でポーチに出ようとするとバックハンドになるために、どうしても後手になってしまう。
 だが、サイドを抜かれるボールをボレーするときには、左利きはフォアハンドになるのだ。

 神谷はすっかり自分が嵌められてしまったことに気付き、思わず舌打ちをした。宗方のサイドを抜く一瞬、妙に彼の左サイドが空いていて打ち込みやすいと感じた。
 だが、それは宗方の誘いだった。
 彼は神谷をシュートボール打ちタイプの後衛と一瞬で見極め、わざと神谷がサイドを抜きやすいように、自分が得意とするフォアハンド側を空けていたのである。
 ただ単に硬式テニスを齧っただけの初心者と甘く見ていたが、どうやら宗方は恐ろしいほどに頭の回転が速いサウスポー前衛だったのだ。

 そのことに気付いた他の二人の目の色も変わった。小堺はニンマリと微笑むと、神谷の方を向いて
「正樹! 本気でいくぞ!」
 と声を張り上げた。運動神経が鈍そうなボンボンだと油断していたが、思わぬ好敵手が現れたことに、前衛としての本能が刺激された。丸藤も同じように、自分のペアが予想外の選手だったことに、一気にやる気に火がつく。
「宗方君! ナイスボール!」
 自分が認められたことにすっかり舞い上がった宗方は、ラケットをブンブン振り回すと高笑いをした。
「ハハハ! やっと僕の偉大さに気付いたようだね、凡人達!
 さぁ、さっさとサーブを打ちたまえ!
 この市議会議員、宗方繁蔵の孫である僕と君達の力量の差を見せ付けてあげるよ! このままラブゲームで行っちゃうかもね!」
 すっかり調子付いた宗方を一瞥すると、神谷はカウントを言ってサーブを放つ。少し力み過ぎたせいか、サーブはフォルト(サービスが入らなかったこと)してしまった。
 そしてセカンドサーブを打ち、神谷は両足にグッと力を込めて宗方のレシーブに注目した。小堺も丸藤も目を見開いて宗方のレシーブに見入った。そして皆に注目されながら、宗方は高笑いを上げて力いっぱいラケットを振りぬく。

 そう、力一杯にラケットを振り抜いてしまった。
 あまり聞いたことの無い乾いた音を立てて、ボールは空高く舞い上がり、風に流されてそのままフェンスを越えて、野球場の外野まで飛んでいった。そのボールの行く先を目で追った一同は、ガックリと肩を落とす。
 レシーブを打った時の宗方のフォームは、とてもじゃないがテニスを経験していた人とは思えないものだった。ボレーや戦略には一目置く宗方だったが、ストロークの方はどうやらてんで素人らしい。

落胆する一同に言い訳するように、宗方は顔を真っ赤にして弁明する。
「だって! 前衛なんてボレーだけを決めていればいいんだろ! ストロークなんて後衛に任せておけばいいのさ! なんせ僕のペアは元全日本の……」
「わかったから、豚、ボール取ってこい」
 宗方の話を遮り、小堺がラケットで野球場の方に飛んでいったボールを示す。こういう場合は場外ホームランを放った本人が取りに行くのが暗黙のルールである。
まだブーブー文句を言いながらテニスコートを出て行く宗方に、ペアの丸藤が後を追った。こういう何気ない優しさがチームプレーを育てるのである。
 安西はそんな二人の後ろ姿を眺めながら、今日覚えたての言葉を使って、ぼそりと呟いた。
「それにしても、なかなか盛大なロブだったわね。」

 それから、ボールを取って戻ってきた四人はゲームを再開した。
 ソフト初心者である宗方の巧みな戦略に翻弄されながらも結局、神谷&小堺ペアは4-1で圧勝した。初戦を敗北で飾った宗方はすっかり不機嫌になってしまったが、ストロークが全くなっていない素人が入ったペアでは、1ゲーム取れただけでも上等である。
 今の試合を観戦していた安西は、惜しみない拍手を送って、四人を労った。
「みんなすごい上手だったわ! 先生本当にびっくりしちゃった。これからの部活、楽しみね」
そして、肩で息をして汗をダラダラ垂れ流している宗方へ声を掛ける。
「宗方君、もしよければテニス部に入部してみない?
 君が入ってくれればちょうど四人。テニス部が正式な部として認められるの」
 実は彼の心はすでに決まっていたが、如何せん素直じゃない性格の宗方は、わざと勿体ぶった。
「うーん、どうしようかな。僕、何かと忙しいし、まだ他の部活も見学してないし」
「そこを何とかお願い。丸男君もペアがいなくて困っているのよ。君が入部してくれれば、きっと心強いわ!」
「だから先生、丸藤……」
 そこまでよいしょされては、宗方としても断る理由がない。彼は鼻をヒクヒクさせながら、
「わかったよ。先生がそこまで言うんなら仕方ない。この僕がテニス部に入部してやろうじゃないか。ありがたく思いなよ、君達」
 と承諾した。その言い方に一瞬ムッとしながらも、三人はガッツポーズをして喜びを分かち合った。
 安西もその様子が嬉しくて仕方ないようで、子供のように何度も手を叩いている。
「始業式当日に新たに部を設立して、まさか初日で部員を集めて正式な部になるなんて……運がいいとかそういうレベルじゃないわ! この部、引きが良いわよ! 私も出来るだけお手伝いするから、みんな頑張ろうね!!」
 そう言って顎に手を掛けて一同を見回した。キラキラと輝く瞳を浮かべる少年達の顔をじっくりと眺めていく。
「とりあえず、部長を決めなきゃね。……誰がいいかしら?」

 思案していると、真っ先に小堺が手を挙げて発言する。
「はい先生! やっぱり正樹がいいんじゃないかな?」
 すると神谷は顔を歪めて後ずさりする。
「いや、いい。俺は辞めとく」
 大人しくてあまり性格を表に出そうとしない彼は、どうやらこういう代表という立場は苦手なようだ。すぐに手っ取り早く面倒ごとを押し付けやすそうな人材を見つけた。
「丸男。お前、部長をやってみないか? 俺が推薦する」
すると丸藤は手を大げさにブンブン振り、眼鏡を掛け直す。
「丸藤だ! 嫌だよ! 僕なんか絶対に無理だって! こういうことは小堺君、得意なんじゃないかな?」
 苦笑いを浮かべて身体を揺すりながら、小堺は首を横に振る。
「無理無理。俺に部長なんて務まるわけないだろ」
「そうね。小堺君には向かないわ。ここは一つ、発起人の神谷君、どうかしら?」
「先生、ホッキ貝がどうしたって?」
「小堺君、ちょっと黙ってて」
「いや、俺は……。ここはやっぱり丸男が……」
「だから丸男じゃないし、絶対やだ!」

 どうやら全員、部長という役職は荷が重た過ぎるらしく、とにかくたらい回しである。そんな光景を傍から眺めていた宗方は盛大な溜め息をついた。
 小堺は元気が良いだけで、頭が悪いからまず部長に向いてない。丸藤も気が小さくて人をまとめる役は出来そうもないし、神谷もテニスは上手いが本人が頑なに拒否をしているところを見ると、どうも器ではないようだ。
 宗方は手で目元を覆うと空を仰ぐ。そして、尊敬する祖父の言葉を思い出していた。
 大物は望まずとも器に合った役を任されてしまう、と。彼は唐突にその言葉を理解したと同時に、今がまさにその時だと自分の運命を受け入れた。

 と、そんなことを勝手に考えていた彼は、咳払いをすると皆を注目させた。だが、周りの人間は自分には反応を示さず、熱心に押し付け合いをしている。仕方なく宗方はもう一度、さっきよりは大きく咳払いをしたが、誰も自分には気付かない。
「もう! 何なんだね、君たちは!」
 急に発奮し出した宗方に、一同やっと注目した。顔を真っ赤にした肥えた少年に、小堺が面倒そうに声を掛ける。
「お前が何なんだよ、豚。何か用か?」
 皆の視線が自分に集まっていることを確認すると、宗方は腰に手を当て大きく胸を張った。
「ふんっ! 仕方がないから僕が部長になってやるよ!」
 一瞬沈黙が流れたが、次の瞬間には皆、一斉に露骨に嫌な顔をした。だが宗方はそんな彼らの表情など全く気に留めることなく、自身に満ち溢れた態度で鼻をヒクヒクさせる。
「単なる凡人でしかない君達には荷が重過ぎるだろ? その点、市議会議員の祖父を持つ僕はこういうことに馴れてるから適任だよ。
 まぁ、どちらかといえば役不足感が否めないけど、この際文句は言わないさ。甘んじてこの役職を務め上げるとしようじゃないか」

更新日 1月8日

 少年達は腕を組んで考え込んだ。
 確かに面倒ごとを任されるだけの部長なんて、誰だってやりたいわけではない。そこへきて単なる目立ちたがり屋の宗方が立候補をしている。まさに願ってもないことだ。
 だが、このふてぶてしい態度が鼻につく少年に任せて、本当に良いのだろうか? 部長ということを鼻にかけて、とんでもないことをやらかしそうな気配も、無くはない。それになんだか威張りくさっているそのしたり顔も頭に来る。
 けれど、だからといって自分が部長になるのは勘弁だ。そんな葛藤が頭の中をグルグル駆け巡っていた。
 顧問の安西も珍しく真剣な表情で悩み、宗方が部長になった際に生じる様々なデメリットを頭の中でシミュレートしていた。どうにもこの少年を部長にするには、不安過ぎる。

 皆の沈痛な態度に業を煮やした宗方は、大きな声を上げて催促した。
「僕が部長で問題ないだろ! なんだい、何とか言ったらどうだ!」
 その言葉に皆一様に首を傾げる。確かに問題はないが、かと言って賛同し辛い。
 そしていい加減イライラしてきた固太りな少年を冷静に見据え、三人の少年と女性教師は目配せをすると、小さく頷いた。その頷きにはこんな思いが込められていた。
『とにかくここは彼に譲ろう。ただし、あまり調子つかせないように』

「わかったわ。じゃあ、部長は宗方君にお願いするわね」
 顧問からの許可が下り、パァッと顔を輝かせた宗方は、次に部員達へ同意を求める。
「……頼んだ」
「宗方君、よろしくね」
「しっかりやれよ、豚」
 満場一致で自分の就任を認めてくれたことに、宗方はこれまで味わったことのない歓喜が胸に溢れかえった。
 それは自分もいずれあらゆる役職をこなし、いずれは祖父のような立派な市議会議員になるという、自分の夢を果たすために踏み出せた一歩だったからだ。本当に小さな一歩だったが、確実な歩みだった。

 と、またもや勝手な感慨に耽っていた宗方は、抑えきれない感激を吐き出すように、声を張り上げ高らかに宣言した。
「よしっ! では今日から僕がこのソフトテニス部の部長だ! 皆の者、しっかりとついて来るんだぞ!
 まずは手始めに、お爺ちゃんにお願いをしてこのテニス部の部費を上げてもらおう!」
「あら、それは無理よ」
 第一回目の所信表明を出鼻から挫かれ、宗方は顧問の安西を睨み付けた。
「先生、僕が誰だか知っているんだよね?」
「確か市議会議員のお孫さん、宗方誠司君よね」
 あまりに呆気なく答えた女性教師に、自尊心を貶された宗方は腹を立てた。
「そこまで知っているなら何で無理なんだ? 僕のお爺ちゃんに頼めばなんだってやってくれるんだぞ!」
「いくら宗方議員でも、市立中学校の部費にまで関与するのは難しいわ」
 ニッコリ微笑みながらあっさりと答えた安西に、宗方は激しい怒りを覚えた。手がワナワナと震えている。
 自分のことはいくら貶されても構わない。だが、尊敬する祖父を侮辱されるのだけは、彼にとって決して許されないことだった。
「一介の教師でしかない君にお爺ちゃんの何が分かるんだ!
 もう本当に頭に来たよ! お爺ちゃんに頼んで君の首を飛ばしてあげるよ!
 謝ったってもう遅いからね! せいぜい泣きながら次の就職先を探すんだな!」
 そう言って宗方は自分の通学鞄を乱暴に掴むと、肩をいからせてテニスコートから出ていった。
 乱暴にフェンスを閉める乾いた音がコートに響き、次には静寂に包まれる。

 安西と宗方のやり取りを見守っていた少年達は、悲痛な面持ちで安西を見上げた。
「ねぇ、先生。大丈夫なの?」
「宗方君のお爺ちゃんが市議会議員って、本当なんですよね?」
 心配そうに自分を見つめる小堺と丸藤。神谷は無言だったが、眉がへの字になってしまっている。
 こんな可愛い生徒達に心配されるなんて運動部の顧問も悪くないな、と安西は内心ホコホコしながら、三人の頭を順番に撫でる。
「うん。たぶん大丈夫よ」
 なんの根拠があるのか分からないが、はっきりとそう答えた安西に、一同不思議そうに顔を見合わせる。
 そんな風に最後は部長不在という形で、ソフトテニス部第一日目の練習はお開きになった。


 丁度その時、テニスコートでの出来事を二階の職員室から見守っていた人物が一人、一学年主任の田中である。
「おやおや、これは初日から受難ですな」
 思わず一人ごちたが、いつの間にそこへいたのか、隣で同じように眺めていた二学年主任の長谷川が、興味深げに聞いた。
「アレって、例の宗方議員のお孫さんですよね。何が受難なんですか?」
 話し相手が出来た田中は、つるっと顔を撫でると嬉しそうにテニス部の顛末を長谷川に説明した。
 職員室からテニスコートはだいぶ距離があるので声は聞こえてこなかったが、田中は自分なりの想像を織り交ぜて、今見た光景を話した。
「ははぁ、なるほど。それで安西先生が宗方君を怒らせてしまったというわけですか。しかし、それのどこが受難なんです? 少なくとも安西先生にとっては全く問題ではないでしょうに」
 いぶかしみ尋ねる長谷川に、田中はニンマリと意地悪な笑みを浮かべて答えた。
「いやいや、受難なのは宗方君の方でしょう」
 それを聞いた長谷川はしばらく考え込むと、田中と同じ笑みを浮かべた。
「なるほど……。あの見るからに甘ったれな彼のことだから、絶対に今晩あたりお爺ちゃんに泣きつくでしょうね」
「はい。その時に初めて知るんでしょうな」
「えぇ。彼が安西先生に決して逆らえないことに」
 顔を見合わせて声なく吹き出す両学年主任。田中が笑いを堪えながら呟く。

「なんせ、安西先生のお父様は県議会議員ですからな。しかも副議長だから、市議会議員でしかない宗方さんなんぞ、重鎮の安西県議に頭が上がるわけがない」
「まったくです。それに宗方市議は学校教育にあまり興味がないようですし。
 どのみちこれで、宗方坊ちゃんがこの学校で大きな顔が出来なくなるわけですから、我々としては願ってもないことですからね。
 なんなら、宗方君の担任も安西先生に任せるべきでしたね」
「ハハハッ。それもそうでしたな。これは失策でした」
 教師の中でも学年主任クラス以上しか知らされていない秘密だということを思い出し、二人は声をしのばせる。そして、新入生に面倒な生徒が一人いるという厄介事が一つ解決したことに、肩の荷を下ろしたようにホッと溜め息をついて、ほくそ笑んだ。
 その夜、宗方家で安西教諭の解雇を祖父にお願いした誠司が、たっぷり一時間ほど説教されたことは、言うまでもない。




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