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2009'12.26 (Sat)

なんしきっ! 部活初日と拉致された丸男

 その次の休み時間、安西は学年主任から教わったことを早速、神谷と小堺に伝えた。
別段、帰りのホームルームの時にでも構わなかったが、きっと彼らも気を揉んで部活動新設のことを知りたがっていると思って、安西は四限目に控えている授業の準備を後回しにしてまで、二人に早く伝えてしまいたかった。
案の定、安西の話を聞いた神谷と小堺は飛び跳ねるほどに喜びを露わにした。実際に二人は手を取り合ってその辺りをピョンピョン飛び回っていたが、その素直な反応に安西もつい嬉しくなり、放課後二人がすぐにテニスコートを使えるように、体育教師からフェンスに掛かった施錠を開ける鍵を、昼休みには早くも借用した。
自分が顧問になるということも一応伝えたが、その時に何度も頭を下げた二人の姿を、安西はもう一度思い出す。
まだ制服が馴染んでおらず、見るからに子供な二人が、それでも精一杯の感謝を表してくれたことに、安西は清清しさと同時に教師冥利に尽きる喜びをひしひしと味わった。
初めは自分が運動部の、しかも新設される部活動の顧問に就くことに抵抗を感じ疎ましく思ったが、あの二人の笑顔を目の当たりにして、自分にも何か出来ることがあればと意気込みも湧いてきたし、期待感でワクワクしてきた。
体育教師に鍵を受け取った時に、早く放課後にならないかと、午後の授業を忘れてしまうほどに楽しみにしている自分自身が可笑しくて仕方なかった。

 さて、新入生にとっては緊張と喜びで迎えた中学生活第一日目が終わり、最後のホームルームを終えると、皆一様に溜め息をつきながら肩の力を緩めた。
これがあと一ヶ月もすると、三々五々一斉に部活動へ行く準備に入るのが放課後の光景になるが、まだ右も左もわからない新入生は、自分の席から立ち上がろうとせずに、他の生徒が動くのを横目でチラチラと牽制し合っている。それが正しい新入生一日目の姿なのだ。
 だが、そんな生徒達に交じって異色を放つ行動を取る人物が二人。神谷と小堺である。
彼らは担任の安西が締めの挨拶を済ませるや否や、筆箱や教科書を素早く通学鞄に収め、縦長で大きいバックを背負うと飛ぶ様に教室から出て行った。そして去り際、安西に
「じゃあ先生! テニスコートで待ってます!」
 と言い残すと、けたましい足音を響かせ、どこかに消えていってしまった。
 そんな光景を呆然と眺めるクラスメート達は、さらに自分達の行動ベクトルをどこに置いたら分からずに、所在なさげに目を泳がせるだけだった。
そんな生徒達に安西は
「皆さんも、もし良かったら部活動の見学に行ってみて。中学では誰でも必ずどこかの部活に入部しなければいけないので、先輩達の活動様子を観察しながら、自分が興味ありそうな部活を選んでみましょうね」
 と、優しくアドバイスを送る。担任教師に次の行動を促された生徒達は、近くの友人達と二三言何かを言い交わすと、やっと重い腰を上げ始めた。

 何もかもを教えてあげないと自分が次に何をしなければいけないか分からないのがまだ子供な証拠だし、それが当たり前で、だからこそ導いてあげるのが教師の仕事である。安西はそんな子供達を接するのを煩わしく思ったことは一度もないし、それを生業にしている自分に誇りすら感じている。
 なので、やっと立ち上がっても未だにノロノロと教室から出て行こうとしない生徒達を、目を細めて眺めていた安西は、弾む足取りで教室を後にした。そして手に持ったクラス名簿を職員室のデスクに置くと、そのまますぐにテニスコートへ向かった。神谷と小堺のあの様子では早めに行ってあげないと鍵が開いてないフェンスにヤキモキしていそうだし、何より彼女自身が、早く向かいたくてウズウズしていた。
 まるで自分も新入生として初めて部活動に参加するように、彼女の胸は静かに、だが確実に高鳴っていた。

 テニスコートのフェンスを開け、待つこと五分。校庭の野球場隣にある緑のフェンスに囲まれたテニスコートへ、お目当ての生徒達がやっと姿を見せた。
てっきり喜び勇んで教室から出て行ったので、神谷と小堺は先に待っていると思いきや、二人はまだ到着してなかった。不思議に思いつつもしばらく待っていた安西は、二人が近付いてくると声を掛けた。
「やっと来たわね、神谷君に小堺君。先生、待ったわよ。……で、その子は誰?」
 遅れたことを詫びるように軽く頭を下げた二人の間にいる、小柄で眼鏡を掛けた生徒を指差しながら、安西は尋ねた。両脇をがっしり固められ、半ば引きずられるように連れて来られた生徒は明らかに嫌そうな顔を浮かべて、隙あれば逃げだしたそうに自分の両隣を神谷と小堺を交互に眺めていた。
「こいつ、今朝先生に話した、心当たりがあるっていう部員です」
「丸男って言うんだぜ!」
 そういえば、と安西は思い出し、三人目の部員候補をマジマジと見つめる。
 彼らと同じように制服がブカブカなところを見ると、新入生らしい。しかも他の生徒に比べて寸丈の合わない大きな制服を見るからに、親御さんが彼の成長を願わずにはいられない思いがひしひしと伝わってくる。成長期に入った生徒は雨上がりの筍のようにグングン成長する。彼もこの卒業する頃には、身に纏っている制服の寸法にピッタリ合うほどに育つ可能性もあるだろう。
その小柄な生徒は、ニコニコと笑っている小堺を睨むと
「だから丸男じゃないって! それに入部するなんて一言も言ってないだろ!」
 と、声変わりがまだしていない甲高い声で反発した。その様子が小動物的で、安西はつい心がほっこりする。
「初めまして。私、この子達一年一組の担任、安西美和です。あなたは?」
 自己紹介を述べ、手を差し出す安西。そんな安西をマジマジと見つめながら、握手を求めた手は握らずに彼は答えた。
「一年三組の、丸藤達男です……」
 この時期の男子生徒は多感な子が多く、女性に触れ合うことに抵抗がある子が殆どなので、教師といえどもまだ若い安西の手を取ることなど恥ずかしくて仕方がないのだろう。
簡潔に自己紹介を済ませると、丸藤という生徒は眩しいものから目を背けるように、そっぽを向いてしまった。苦笑いを浮かべて差し出した手を引っ込めた安西は、丸藤の腕を掴んで離さない神谷に尋ねる。

「丸藤達男君……それで丸男君なのね。彼もテニス経験者なの?」
「そうだよ! 丸男は小学校一年生の頃からテニスをやってるんだぜ!」
 話が通りやすい方と思い、わざわざ選んで神谷に声を掛けたのに、何故か小堺が答える。その後に、落ち着いた声で神谷が丸藤について補足をしてくれた。
「丸男とは別のテニスクラブでしたが、大会で会うから結構顔見知りで。県大会でもベスト8に入っているから実力はあります。東北大会にも出場してますし」
 簡単に自分の経歴を説明された丸藤は、面白くなさそうにまたプイッと顔を背け唇と尖らせた。
「だから丸男じゃないって。それに、神谷君と小堺君なんて東北大会でちゃんと良い成績修めてるから、僕なんかより全然すごいじゃんか……」
「へぇ……。でもすごいじゃない。少なくとも皆、県大会は突破してるんでしょ? 新しく出来る部なのにいきなり実力派が揃っているなんて、すごいことよ。」
 素直に感心して手を叩く安西を眺め、丸藤は小さく溜め息をついた。
「でも僕……テニス部に入る気はありません。それに……中学に入ったらテニスは辞めるつもりなんです」
「あら! どうして?」
「それは……その、えぇと……」
 そう尋ねられた丸藤は曖昧に言葉を濁し、何かを発見したようにテニスコートのそれより向こう、野球場にあるバックネットを見つめた。
「その……僕、昔から野球が好きだったから中学になったら野球部に入ろうと思って……。
 だって、テニスをやってたって全然上達しないし、後から始めた人達からはドンドン追い抜いていかれちゃうし……」
 そう言って丸藤は、妬むような視線を両脇に居る二人へ送った。
 成績だけを聞けば、神谷や小堺の方が実力は上であるし、今の話から察するに彼らの方が丸藤よりの後にテニスを始めたのだろう。
 しょげた丸藤を励ますように、安西はわざと明るい声を出す。
「そんなの中学に入って頑張って、追い抜き返せばいいじゃない? せっかく小学校一年生からテニスを続けてきたのなら、なおさら勿体無いわよ。ね、丸男君?」
「……丸藤です。」
「あ、ごめんね。丸藤達男君、だっけ?」
 頭の形や眼鏡の奥のクリッとしたつぶらな瞳から連想される、言い得て妙なあだ名だが、本人はあまり気に入ってないらしい。

 よほどテニス部には入部したくないのか、先ほどから一向に拒否の姿勢を崩さない丸藤に、神谷と小堺はほとほと困り果ててしまっていた。安西もそれは同じ気持ちで、せっかく経験者で実力者が同じ学年にいて、新設される部に入ってくれればこれほど力強いこともないのだが、本人にその気がなくてはどうしようもない。かと言って、丸藤には見切りをつけて新しい部員を募ろうと思っても、新入生が二人しか在籍していない部活動では敬遠されるに違いないだろう。
 部員が適正人数に満たさずに準部でも構わないが、正直なところ彼らも顧問である安西も、それはあまり良しとしない。せっかくなら正式な部として認められたいのが本心というものだろう。

 テニスコートの横でしばらくだんまりを決め込んでいた四人だったが、一番に沈黙を破ったのは神谷だった。溜め息をついて丸藤の腕を離すと、肩に下げていた縦長の大きなバックを地面に下ろす。
「丸男がどうしてもテニスをしたくないって言うなら仕方ない。ただ、せっかくここまで来たんだから、一度だけオレと打ってくれないか?」
 そう言って神谷はバックの中から一本のテニスラケットを取り出し、丸藤に差し出した。彼が背負っていたバックは、どうやらテニスバックらしい。神谷はバックの中からもう一本ラケットを取り出し、サイドポケットからボールを取り出すと、丸藤に放って渡した。
 神谷から受け取ったラケットとボールを交互に眺め、しばらく考えた後に丸藤は右手でラケットを持つと、感触を確かめるようにバスケットのドリブルみたくボールを地面にポンポンと打ちつけた。そして相変わらず浮かない表情で「少しくらいなら……」と呟いた。
「ただ、本当に少しだけだし入部する気はないから!それに僕の名前は丸男じゃない!」
 そう強く言い切ると、丸藤はだれよりも先にテニスコートに入り、学生服の上着を乱暴にフェンスへ掛けた。そんな丸藤の様子をしたり顔でみつめながら、神谷と小堺も後を追ってテニスコートに足を踏み入れる。安西も慌てて後を追った。
 新設ソフトテニス部の記念すべき第一回目の練習が始まろうとしていた。


 昼休みのうちに安西が体育館脇にある用務室の奥から引っ張り出しておいたテニスのネットを、神谷と小堺は馴れた手つきで二本のポールの間に張る。そして簡単にストレッチを済ませて、神谷はネットの向こう側に走っていった。
「丸男、クロスでいいよな?」
「だから丸藤だって。いいよ、クロスで」
 本人にとってはよほど気に入らない渾名なのか、わざわざ訂正するのが可笑しいが、ラケットを構えた瞬間、丸藤の顔つきが変わった。コートの右側に立つ丸藤に対して、ネットの向こう側にいる神谷は真正面ではなく、丸藤と同じようにネットに面してコートの右側に立った。これがテニスでいう正クロス展開である。

 丸藤の掛け声と共に振られたラケットから放たれたボールが、緩やかな弧を描き正確に神谷の手前に着地する。そしてワンバウンドしたボールを、神谷は同じように短い掛け声を発して打ち返した。
「ねぇ、小堺君。ソフトテニスのボールってゴム鞠なのね。他にも硬式テニスとの違いってあるの?」
 コートの端でラリーをする二人を見守っていた安西は、小堺に尋ねた。
 なるほど、コートに立つ神谷と丸藤の姿を見るからに、自分が知っているテニスというものと『ソフトテニス』は、さほどかけ離れたものではないらしい。素人目で見てすぐに気付いた違いは、ボールがゴム状のものということだ。それで何故『ソフト』という名称が冠してあるか納得いったが、顧問としてもう少しソフトテニスに詳しくなっておいた方がいいだろう。
「硬式との違いかぁ。そうだな、ルールは大体一緒だよ」
「ちなみにルールって?」
「1ゲーム4点先に取れば良くて、4ゲーム先に取れば勝ち。簡単でしょ?」
 いつの間にか担任に対してタメ口になっている小堺だが、安西はあえて注意することを放棄した。この子にはいくら言い含めようとも、暖簾に腕押し状態になりそうだ。そもそも自分を軽んじているわけでもなさそうだし、屈託の無い笑顔で言われてしまっては、どうにも憎めない。まるで親戚の甥っ子と接している気分になる。
「ちなみに、どうすると点が入るの?」
「うんとね、相手がアウトしたり、サーブを二本連続サービスゾーンに入れなかったり、ツーバウンドしたり」
「基本はワンバウンドで取らなきゃならないってことね。ノーバウンドで取ってもいいの?」
「うん。いいんだよ。テニスは、ノーバウンドで取ってもいい卓球、って感じ。」
 なるほど、と納得し、安西は小堺の話に耳を傾けながら、コートでラリーを続ける二人を眺めた。よく見ると確かに二人とも打ったボールは相手のコート内にきちんと入っている。そしてそれを丁寧にワンバウンドで返している。

「二人とも……上手いわね」
 運動が苦手でテニスというものを真面目に見たこともない安西だが、ラリーを続ける二人を見ていて思った素直な感想がそれだった。背丈は自分より頭一つ分小さいのに、一生懸命ラケットを振って、飛んでいったボールが正確に相手の手前に落ちる。きっと今すぐ自分が同じことをやれと言われても、まず出来ないだろう。ボールを飛ばすどころか、まともにラケットへ当てることすら難しそうだ。
「そりゃそうだよ。丸男は小学校一年からやってるし、正樹は東北チャンプだからな。でもな、アレでまだお互い本気で打ってないんだよ」
「え! そうなの?」
「うん。まだ肩慣らしだからロブで様子見している」
「ロブ、って何?」
「打ち込まずにポーンって上げることだよ。打ち込むのはシュートボール」
 確かに先ほどから二人が打つボールは、山なりに弧を描く緩やかなボールである。他にどういった種類の打ち方があるかはわからないが、安西はこれがロブというものなのだと理解した。
「そろそろ、正樹が打ち込むよ」
「えっ、そうなの?何でわかるの」
 と聞き返そうとした瞬間、神谷の後ろに引いたラケットが素早く体の真横を一閃したと同時に、それまで軽い音を立てて飛んでいったボールが、炸裂音と共に信じられないスピードで丸藤側のコートに飛んでいく。安西はそのたった一瞬の出来事に目を見開き、呼吸をするのを忘れるほど衝撃を受けた。
 自分よりも確実に小柄なはずの神谷が、ボールを打つ瞬間だけ身体が大きく膨らんで見えた。
 少し遅れ気味に反応した丸藤が、ほうほうの体でボールを返す。そして神谷は緩やかに戻ってきたボールを、再び力を込めて打ち返した。
 さっきよりも心なしか、球威が上がったように安西は思った。

「ちょっと…神谷君すごいじゃない! あんなに速いボールが打てるだなんて!」
 興奮したように手放しで褒める安西だったが、小堺は鼻で笑って首を振る。
「確かに正樹の球は威力があるけど、あいつがすごいのはそういうところじゃないんだな」
「へ? 違うの?」
「うん。正樹くらいの球だったらオレだって打てるし、同い年でもっと速い球を打つやつなんていっぱいいるよ!
 東北とか全国に行けば、正樹の球なんて遅い方かもしれないって、クラブのコーチが言ってた」
 安西は目を丸くしてコートを眺める。神谷はなおも丸藤に弾丸のようなボールを打ち続けている。遠くて見ているこちらまでそのボールの音と衝撃が、痛いくらいに響いてくる。
 あんな球を間近で観察しようものなら、安西は腰を抜かしてしまいそうだ。それなのに、小堺が言うには彼のボールはそれほど威力がない方らしい。まったくの素人である安西には、ソフトテニスの奥深さの片鱗を味わった気分だった。
「それじゃあ、神谷君のすごいところってどういうところなの?」
「うんとね、正樹のフォームをじっくり見ていて」
 小堺に言われて、安西は目を凝らし、ジッと神谷の打つフォームを観察する。ラケットを後方に高くかざすように引き、自分の手前にバウンドしたボールにタイミングを合わせて腰を回しスウィングする。何球かボールを打ち込んだが全くフォームにばらつきは無く、足はがっちり地面を噛んでいて、初めてソフトテニスプレーヤーを目の当たりにした安西でも分かるほどに、安定したフォームだ。

「……きれいなフォームね」
 思わず口からこぼれた率直な感想だったが、その言葉を小堺は聞き逃さなかった。
「そういうこと。正樹のフォームはすっごく安定していてきれいなんだ」
「え? そうなの。それが神谷君のすごいところなのね」
 まったくそんなつもりはなく口をついた言葉だったが、まさか正解だったことに安西は気を良くする。
 小堺は担任がその答えをどれだけすごいことなのか理解していないと思い、自分が出した問題の解答を解説した。
「正樹のすごいところはね、ロブでもシュートでも、どんなボールで打ってもフォームが変わらないことなんだ」
「ふぅん。……それってすごいことなの?」
「そうだよ。試合中はね、対戦相手の打つ構えを見極めないと、次の行動をするときに一歩遅れてしまうんだ。逆に相手の打つ構えが分かりやすいと、先手で攻められるし。
 その点、正樹は全く同じ構えで色々なボールを繰り出すから、対戦相手に先手を取らせないんだよ」
 そう言われてじっくり眺めてみると、神谷は丸藤が返した球を全てシュートボールで返すわけではなく、時々ロブも織り交ぜてラリーをしている。だが、そのフォームは一糸乱れることを知らず、安西には丸藤側のコートにボールが届いてから、初めてロブだったのかシュートだったのかを判断出来る程度だった。
「同じフォームで色んなボールを打つのって、そんなに難しいの?」
「そりゃあ、ある程度は変化をつけずに打ってくる人はいるけど、あそこまで違いを出さずに打てるのは、正樹以外見たことがないよ」
「ふぅん、さすがは東北チャンプなのね……」

 小堺の解説に納得した安西は再びコートに目を向ける。
 ついさっきはロブとシュートを打ち分けていた神谷だったが、今はシュートボールをガンガン丸藤に打ち込んでいる。対する丸藤は同じ球威で打ち返すことが出来ず、緩やかなロブで返すのみ、徹底して防戦だった。一方的に打ち込まれるだけの丸藤がまるで神谷のサンドバックみたいで、安西は小柄で非力そうな彼が可哀想に思えてきたが、隣の小堺は感嘆の声を上げて、「さすがは丸男だな……」と一人ごちた。
「なんで? 丸男君のどこがすごいの? ただ打ち込まれっ放しで反撃出来ないように見えるけど?」
 小堺の呟きを聞き逃さなかった安西はすかさず質問を浴びせる。すると小堺は呆れたように溜め息をついてニンマリ笑った。

「分かってないな、先生は。丸男はね、反撃出来ないんじゃないの。あれがあいつなりの攻め方なの。よく見てみて。正樹の方が疲れているでしょ?」
 そう言われて目を凝らしてみると、だいぶ息が上がって肩を揺らしている神谷に対して、丸藤は全く疲れた様子もなく、冷静に神谷の打ち込んでくるボールを処理している。
 そして五分ほど続いたラリーはついに終わりを迎えた。息を切らして少し大振りになった神谷のボールが、大きくサイドに反れてフェンスに当たった。小堺からの解説を受けながらだったから気付かなかったが、随分と長いラリーだった。
「丸男のすごいところはね、どんなに打ち込まれても、どんなにフォームが崩れても必ずボールを拾って相手コートに返すことなんだ。しかもなかなかアウトしてくれないし、ロブばっかりだし。根気良く勝負しようとして丸男に勝てるやつはまずいないよ。大体のやつが先に打ち負けるか、勝手に自滅してくれるよ。
 俺達前衛にとっちゃ、天敵みたいなものだしね」
「そうなんだ……。一見地味に見えるけど、丸男君すごいのね」
 向こう側コートで肩で息をしている神谷と、涼しい顔でボールを拾いに行く丸藤を比べれば一目瞭然だった。
 だがそこで、安西は今ある光景を見てふと一つの疑問に思い当たった。
「でも、それじゃ神谷君より丸藤君の方が強いってことなの? 確か成績では神谷君の方が上なのよね?」
「そうだよ。でもね、それがソフトテニスの不思議で楽しいところなんだ」
 そう言いながら小堺は屈伸をしたり、腕を伸ばしたりストレッチを始めた。今まで安西への解説役に甘んじていたが、どうやら二人が打ち合いをしているのに感化され、我慢できなくなったらしい。
「そうだ。さっき先生、硬式と軟式の違いって聞いてきたよね。
 ソフトテニスの一番の特徴は、試合は全部『ダブルス』ってところかな?」
「『ダブルス』? つまり二人一ペアでやるってこと?」
「そう。だからソフトテニスは実力もそうだけど、チームプレーが勝敗を左右するんだよ。まぁ、見ててもらえば一番よくわかるかな」
 そういうや否や、小堺は再びラリーを始めたコートに走っていった。そして丸藤や神谷のようにコートの後方ではなくコートの中、ネット前に立って声を張り上げる。
「いい、先生! 正樹と丸男は後衛! 俺は前衛! チームプレーってやつを見ててね! 
 正樹! 好きなところへ打ち込んでいいぞ! 丸男! しっかりと繋げろよ!」
急にラリーへ割って入ってきて仕切り始めた小堺に、後衛陣は途端に顔色を変えた。
「了解。朔太郎、ガンガン抜いていくぞ」
「丸男って言うな!」

 丸藤が抗議の声を上げたと思った矢先、神谷は前に詰めている小堺の頭をロブで越えた。そしてそれにあわせて丸藤は素早く左に走り、ボールに追いつく。丸藤が移動すると一緒に、小堺もいつの間にかコートの右側に移動していた。
 走らされたお返しとばかりに、丸藤は真っ直ぐ神谷がいる方向ではなく、右方向へ大きくロブで返した。当然のように真横に移動し神谷もボールに追いつく。
 そしてさっきの丸藤よりは一瞬反応が早かったからか、走らされたにも関わらず余裕を持ってシュートボールを打ち込んだ。この展開は先ほどの正クロスとは反対の展開、逆クロス展開である。

 右利きの後衛には打ちにくい展開なので普通は敬遠するが、丸藤は一つの策があったので、あえて勝負に挑んだ。神谷の勢いの乗ったシュートボールを丸藤はバックハンドでなんとか返したが、バランスを崩す。
 それを見逃さなかった神谷はとどめとばかりにさらに球威を増したシュートボールを打ち込んだ。
 その瞬間、一つの黒い物体がネットを横切ると同時に、神谷の渾身の力を込めたシュートボールは逆方向にはじき返されていった。
 安西は何が起きたのか全く理解出来ずに口をあんぐりと開けて固まってしまったが、丸藤はホッと吐息を漏らすと、ずれた眼鏡を直しながら、にっこり微笑んで小堺に声を掛ける。
「ナイスボレー。相変わらずバックボレーが上手だね、小堺君は」
 その時になって安西はやっと、小堺が神谷の球を弾き返したことに気付いた。神谷のシュートボールがネットを通過する直前、横移動した小堺がタイミングをあわせてラケットで跳ね返したのである。一瞬の出来事だったが、それを現実に行いポイントを先取したのは紛れも無く小堺だった。

 その小堺が未だ呆けている安西に振り返る。
「先生! これがソフトテニスのチームプレーだよ! 正樹達後衛がボールを繋いで、俺達前衛がボレーを決める! ソフトテニスはこうやってポイントを取っていくんだよ!」
 それだけを伝えると、小堺はすぐに顔を正面に向け、神谷に「もう一本!」と声を張り上げる。負けず嫌いそうに苦笑いを浮かべた神谷は、再び正クロスからラリーを始めた。   

 そして今度は打ち込もうとせずに、ロブで牽制し合う。大きく山なりに弧を描くロブは小堺の頭上をやすやすと越えていく。なるほど、こうされては先ほどのように小堺がボレーを打つことは出来ない。だが、あの長かった最初のラリーからも分かるように、あまり打ち合いが長引けば神谷が不利になることは明白である。
 もちろん本人もそれを知らないわけではないし、策もある。ロブで牽制し合う単調な展開が続くと思った矢先、さっきから全く乱れないフォームでボールを繰り出す神谷のラケットが一閃した。身体は真っ直ぐボールと丸藤に向けられているはずなのに、そのボールは途端にシュートボールに化けて、小堺の守るコートの左側のさらにその隙間を刺した。
 身体の向きからは有り得ない方向にボールを打ち込んだ神谷。
 まったくコートのサイドを意識することなく、ラケットの当たる角度だけで調整したテクニックは、まさに一級品である。一歩も動けなかった小堺は驚いたように目を丸くして、ニンマリと嬉しそうに笑った。
 そんなあっさりと抜かれてしまった前衛に、神谷は不敵な笑みを浮かべ苦言を呈する。
「朔太郎、ちゃんと前衛の仕事をしてもらわないと困る。攻めるだけじゃなくて守るのもお前の仕事だろ」
「なぁに、正樹の打ち分けの上手さがすごいだけさ! 俺でも抜かれるくらいなんだから、他のやつに止められることはないよ!」
 厭味に褒め言葉で返す小堺は、ポイントを取られたというのになんだか嬉しそうだった。
「もう一本!」と続きを促す小堺だったが、即席ペアの丸藤はボールを前衛に渡す。
「ちょっと僕にも一休みさせてよ。悪いけど小堺君、神谷君と二人でやって」
もう少しペアプレーを楽しみたかったのか、小堺は残念そうな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えて神谷とクロス展開でラリーを始めた。

更新日 12月31日


「お疲れ様。すごく上手だったわよ。先生びっくりしちゃった」
 コートから離れてベンチに座った丸藤に、安西は労いの言葉を掛ける。すると丸藤は気恥ずかしそうに顔を伏せ、「あ。はぁ、別に……」と言葉を濁した。ちょうど思春期真っ盛りな丸藤は、若い女性教師である安西の存在が眩しくて、素直に受け答えをするのが照れ臭くて仕方ないらしい。その点では無邪気に自分へ接してくるあの二人よりは心が成長しているように感じてしまう。
「でも不思議なんだけどね、さっきのラリーを見ていると、神谷君の方が球は速くて一見上手そうに見えるけど、丸男君の方がミスは少ないじゃない?」
「先生、丸藤です」
「あ、ごめんね。……それなのに、神谷君の方が成績が上なのはなんでなのかなぁ、と思って」
 いかにも素人な質問に、丸藤はしばらく考えてからおずおずと答える。
「えぇとですね、さっき小堺君が『後衛が繋いで前衛が決める』って言ってましたけど、必ずその図式どおりになるわけじゃないんです。僕の場合、あまりにも繋げ過ぎちゃって、その分前衛に負担が大きくなるんですよ」
「ふぅん、そういうものなの?」
「はい。僕はロブしか打てないので、相手の後衛にしたらシュートボールを打ちたい放題なんです。だから小堺君みたいによほど上手な前衛だったら全部取ってくれますけど、ほとんどが前衛に集中攻撃をされて結局負けちゃうんですよ。
 その点、神谷君は繋げるテニスも出来れば攻めるテニスも出来ますし、ゲームの組み立て方も上手ですから。加えてあの何を打つのか分からないフォームで来られたら全然勝てませんよ。
 実際にジュニアの県大会で彼と対戦したことがあるんですけど、4-0で圧勝されましたね」
 自分の短所を淡々と解説する丸藤に、素人でも分かりそうな解決策を安西は提案してみた。
「丸藤君もシュートボールを打てば良いだけの話なんじゃないの?」
 安西の一言にグッと声を詰まらせた丸藤は、溜め息をつくと自嘲気味に笑った。
「先生は何も知らないから簡単に言いますけどね、シュートボールなんてそんな易々と打てるものじゃないんですよ。神谷君はあっさり打ってますけど、それは彼が才能あるからなんです」
「そうなの? だってさっき小堺君がね、あの程度なら誰でも打てるって言ってたけど?」
 実際にコートの上でラリーをしている小堺は、神谷にも負けずとも劣らない威力のあるシュートボールを繰り出している。それを神谷もシュートボールで打ち返し、目にも止まらぬ速さでシュートとシュートの応酬が繰り広げられていた。

 そんな光景を丸藤は羨ましそうに眺め、すぐに沈痛な表情をして顔を伏せた。
「僕は力が弱くてシュートが威力ないから、逆に相手前衛へ簡単にボレーされちゃうんです。クラブのコーチも、だったらロブだけ打ったほうがいいって。あの二人は才能あるからですよ。僕なんて小学校一年生からずっとテニスを続けていたのに、四年生から始めたあの二人から一年であっさり追い抜かれてしまったんです。正直、すっごくショックでした。
 ……だからもう中学ではテニスを辞めようと思ったんです」
「なるほどね。野球が好きだって言うのは嘘だったんだ」
 このテニスコートへ連れて来られたとき、理由を尋ねられて少し口ごもったが、丸藤はそれを隠したかったのである。
 しばらく考え込んだ後、丸藤は黙って頷く。
「本当は、テニスが好きなんでしょ? だってテニスをしているときの丸藤君楽しそうだったし、活き活きしていたもの」
「……はい」
 弱弱しくか細い声だが、丸藤はしっかりと答えた。安西はホッと安堵の溜め息をつく。もしも彼が本当にテニスを嫌いだったら、神谷と小堺が彼をここへ連れてきたのはある意味酷い行いである。それを容認していた自分も教師として大人として反省すべきことだったろうが、彼の本心を知った今、安西は俄然丸藤の気持ちを激励したくなった。
「だったら、テニスやろうよ。あの二人に敵わないからって辞めちゃうなんて勿体無いわ。それにここのテニス部に入ればチームメイトになるんだし、あの二人と試合をすることはないって事よね?」
「いや、個人戦なら当たることもありますけど……」
「あ、そうなの。……でもあの二人と身近に練習が出来るんだから、弱点を知ることも出来るし、技を盗めるかも知れないじゃない!」
 それは彼らにしても逆のことが言えるのだが、今の丸藤はそこまで考えが至らないようで、素人である安西の言葉に素直に関心を示した。
「なるほど、そうですね」
「そうよそうよ。それにあの二人、一人でも多くの部員を募りたいって心から願っているの。そこに丸男君が入ってくれたら、これ以上力強いことはないわ! あの二人のために、そして君自身のために、テニス部に入ってみない?」
「先生、丸藤です。……うん、わかりました」
 丸藤はグッと顔を上げると、コートでラリーをしている神谷と小堺を見つめた。眼鏡の奥にある二つのつぶらな瞳が、爛々と輝いている。そこには、はっきりとした意志が秘められていた。
「そこまで言うんなら……僕、テニス部に入ります」
 その丸藤の一言に、安西は喜びを露わにして手を差し出した。
「やった! ありがとう! そして、これからよろしくね、丸男君!」
 安西の笑顔があまりにも眩しすぎて直視出来ず、眼鏡を手で直しながら真っ赤になった顔を背けて丸藤は言った。
「先生、だから僕、丸藤です」





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