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2012'07.09 (Mon)

駄・ランプ  第十章

エピローグ

あれから一ヶ月が過ぎた。
毎日は穏やかに流れていき、あの時の騒動がずいぶんと遠い過去に感じられるような平凡な日々である。
季節はすっかり秋を迎え、じきにコートが恋しい気候へと移り変わっていくだろう。
そんな週末の午後。
僕は佐々木と一緒に、駅前のマクドナルドで少し遅めのランチタイムを取っていた。
「んぐ、なにこれ。なかなか美味しいじゃない」
窓際の席を選んだので、小春日和の日差しが心地良い。
佐々木はシェイクを熱心に啜りながら、足をパタパタさせていた。
「それ、飲んだことないの?」
「初めて飲んだわ。もっと粗雑な味かと思っていたけど、なかなかどうして絶妙な味わいじゃない。これが一杯たったの百円? 私が使っているティッシュペーパー一枚分の値段じゃないの」
そう言いながら頬を緩ませてご満悦な表情をする佐々木。短いツインテールがピョコピョコ揺れるのが可笑しくて、僕もついつい笑ってしまう。
今日は佐々木とデートなのである。

リイナを救いに魔人界へ行くため、僕は佐々木と一つの取引を交わした。何でも一つ、いうことを聞くと。
きっと、とんでもないことを言ってくるのだろうと毎日ビクビクしていたが、一ヶ月という時間を掛けた結果がこれである。
「ねぇ、佐々木。本当に願い事がこれで良かったの? 普通に一日デートって」
ポテトを口に頬張りながら訊ねると、佐々木もシェイクのストローから口を離さずに「えぇ、これでいいわ」と答えた。
これならば無理してリイナの願い事を消費する必要がないので、僕にしてみれば嬉しい限りだが。逆にあまりにも穏やかな要望が不気味でもある。
「私がもっと酷いことをお願いすると思ったんでしょ。最初はそうしようと考えていたけど、やめたの」
シェイクをズルズルと飲みながら、佐々木は僕をジッと見つめて言った。
「なんでまた?」
「人の心をねじ曲げたって、それが本当に手には入ったことにならないからよ」
首を傾げる。佐々木の言っている意味が今一つ分からない。
すると佐々木はため息を吐いて「あのユルバカ魔人のことよ」と呟いた。
「あのユルバカ、あなたのお父さんにした一つ目の願いが、自分の思い通りにすることだったじゃない」
「ニュアンスが少し違うけど、まぁそんなところかな」
「あいつ、あなたのお母さん……つまり自分のお姉さんから奪おうとしたのよ」
思わずポテトが喉に詰まり、むせてしまった。
「ゲホゲホ! なんで、そう思っ! ゲホ!」
「汚いわよ。私の目の前にいるときには、スマートに振る舞うよう心掛けなさい。そんなんじゃ、佐々木家の次期当主にはなれなくてよ」
「なりません! ゲホゲホ!」
慌ててコーラを一気飲みする。喉が炭酸でビリビリと痛いが、とりあえずスッキリした。
「佐々木は判決の間にいなかったから知らないだろうけど、リイナはそんなつもりはサラサラなかったから。奪うとかって大胆な表現を使うなよ」
「柔らかい言い方をしようとも、やろうとしたことは事実よ。あなたのお父さんに対する人権のはく奪だわ」
実はつい先日、リイナに思いきって訊ねたのだ。父さんのことがまだ好きなの? と。
するとリイナは寂しそうに笑って首を横に振った。
記憶は戻ったけど、気持ちもあの頃に戻るわけじゃないみたい、と。
「つまり、佐々木も願い事を使って、僕を思い通りにしようとしたの?」
背筋がゾクゾクとする。佐々木の事だから、あっさりとやりかねないのが恐い。
「そうよ。でもね、私が欲しいのはそんな仮初めの愛情なのかって。あのユルバカと同じことをして情けなくないのかって」
僕のトレイに広げたポテトに手を伸ばす佐々木。小さい口で咀嚼しながら「これもなかなかイケるじゃない」と微笑んだ。
「だからやめたの。これでも私、三週間と五日間ずっと悩んだのよ。この私が。光栄に思いなさい、井上くん。私の脳細胞を勉強以外で酷使させたのはあなたが初めてよ」
そう言うと佐々木は、さも嬉しそうに高笑いを上げた。
周りの客の視線が痛い。こいつ、かなり世間ズレしているな。
「そんなわけで井上くん、私はズルなんてせずに最高のレディになってみせるわ。あなたが自分から進んで私の前に平伏したくなる日もそう遠くないわよ」
「永久にこないよ、そんな日は」
「そう言っていられるのも今のうちよ。私、本当はね。あなたをランプの魔人にしてあげようと思ったのよ」
「……は?」
口に運びかけたポテトがピタッと止まる。 佐々木はさも得意げに言った。
「知っていた? 魔人って誰でも必ず、人間界にゲートで繋ぐランプを持っているんだって。つまり井上くんのランプも、人間界のどこかにあるのよ。私はそれを探させようかと思ったの」
佐々木は止まったままの僕の手を掴み、そのまま指に挟んでいたポテトをイタズラっぽく食べた。
「誰か他の人間に召喚されるよりも、私をご主人様として崇め奉る方が数百倍幸福でしょ」
佐々木の小さい手に握られた、自分の手をジッと見つめる。
「魔人……そっか、魔人だもんね」
そして僕は無意識に、佐々木の指に自分の指を絡ませた。
僕の半分くらいしかない細くて白い指。ちょっとひんやりしているけど、柔らかい感触にすぐ熱を帯びる。
頬を染めながらムッとする佐々木。
「なによ、井上くん。私を求めようとする意思はいくらでも受け入れるけど、だからといって軽々しいスキンシップは止めてちょうだい。私に触れて良いのは私が許可した時だけよ」
「あ、そうだね。ごめん、つい」
佐々木の手をパッと離す。子供っぽく口をとがらせながら佐々木は「まったく、すぐ調子に乗るんだから」と文句を言った。
僕は魔人界での出来事を思い出した。
魔力が目覚め、体中の細胞がまったく別物に生まれ変わった感触。
すべてを意のままに破壊出来る強大な力。
それによって沸々と湧き上がる歓喜と自我。
改めて思った。自分は人間ではなく、魔人であるのだと。
窓の外に目を向けると、車道では次々に車が一定の速度ですれ違っていく。
あの中に飛び込めば、普通の人間ならひとたまりもなく命を落とすだろう。
でも魔人状態の僕なら、全てをはねのけて無傷で立っていられる。
そんな想像で魂がざわめく。まるで本能が魔人の力を振るうことを望んでいるように。
「ちょっと井上くん、いい度胸ね」
佐々木の言葉にハッと我に返る。
やや機嫌が悪そうな顔つきで、幼いクラスメートが頬杖をつきながら言った。
「この私とデート中に視線を外すなんて、一体どういう了見かしら? 今日のあなたは私のためにあるの。もっと集中しなさい」
苦笑いをして頷く。
こっちの世界にいれば、人間として今までとおりに過ごせることはわかっている。
だけど、自分が人間でないことを知ってしまった。
正直いって恐かった。
「なぁ、佐々木。僕を見てどう思う?」
「好きよ」
顔がカァッと熱くなる。僕は手をパタパタと振った。
「ち、違う! そういうことじゃなくて! 普通の人間っぽく見えるか、ってこと!」
僕は溜め息を吐いて言った。
「佐々木は見てなかったから分からないけどさ。僕、本当に闘魂の魔人だったんだ。あの時、リイナが警備員達を次々になぎ倒していったの見たでしょ。僕もあのくらい強かったんだ」
つい視線が落ちる。テーブルの上でもじもじと絡まる両手の指が、微かに震えていた。
「僕さ、勉強ばかりやってきたからケンカなんて一度もしたことがなくて。他人を叩いた記憶なんてないくらい、争いごとが嫌いなんだよ。でもそれなのに、魔人の力が目覚めた瞬間、躊躇せずに全力で暴力を振るっていたんだ」
そこで僕は口を閉ざした。
顔を上げられないまま、沈黙が続く。僕は佐々木の言葉を待っていた。
いつもどおり「だったら何?」とか、興味なさげに鼻で笑ってくれるのを期待していた。
佐々木なら、そんなこと関係ないと言ってくれるはずだと思った。
その一言に救われたかった。
だが、しかし。
「そうね。魔人って野蛮よね。なにが好戦的よ。その程度くらい理性で制御できないなんて、お粗末な脳みそを持った種族だわ」
愕然として顔を上げる。
きっと僕があまりに情けない表情だったのだろう。佐々木はハッと息を飲んだ後、とてつもなく機嫌が悪い顔をした。
そして手元にあったシェイクをズズッと飲み干して、コップをテーブルに叩きつけた。
「私は別に、井上くんが人間だから好きになったわけじゃない。あなたの細胞が何で出来ていようと、あなたの血に何が流れていようと、私には一切関係ない!」
 心臓が、いや魂がブルッと震える。
「あなたはただ、この場にいればいいの。あなたがあなたらしく、そのままで私の隣にいてればそれでいいの。あまり下らないことを言わないでちょうだい」
圧倒的だった。
こんな小さな体のどこに秘めているのかと思うほどの迫力が、僕のモヤモヤした気持ちを吹っ飛ばしていった。
凛と背筋を伸ばし、ギッと僕を睨む力強い瞳。
闘魂の魔法など、とんでもない。
それよりもさらに強烈な魔力が、僕の心を鷲掴みにしていった。
「相変わらず、佐々木は佐々木だな。想像をはるかに越えた魔法を使ってくる」
すると佐々木は少し首を傾げたあと、フッと鼻で笑った。
「あんな低レベルな連中と一緒にしないでちょうだい。私は佐々木茉莉。天上天下唯我独尊史上最強の種族よ」
思わず吹き出してしまう。
僕は口元を押さえて笑いをこらえるが、佐々木はやっぱり不服そうに頬を膨らませた。
そして僕のトレイのポテトをパクパクと口に詰め込んだ。
これはまた、随分と変わった女の子に惚れられてしまったものだ。

「魔人といえばそっちのユルバカ、最近どうしているの?」
散々笑ったあとに、コーヒーのおかわりを店員さんに頼んだ。
「どう、って。一ヶ月もすれば慣れるみたいだよ。もっとも始めから馴染んでいたけどね」
「あっそう」
つまらなそうに相づちを打って、ストローに口を付ける佐々木。だが空になってしまったようで、ズズッと乾いた音が鳴るだけだった。
「井上くん、私にもコーヒー」
「はいはい」
「はい、は一度だけにしなさい。それにしてもあのユルバカ、ただぐうたらさせているわけじゃないでしょうね。奴隷のようにこき使わなきゃ割りに合わないわよ」
どうやら佐々木はとことんリイナが嫌いらしい。
まぁ、もともと仲良くなる要素なんてお互いになさそうだし。そもそも佐々木が他人と仲良くしている光景なんて一度も見たことがない。
「奴隷のように、なんて大袈裟な。父さんが働かざるもの食うべからずって最初に言ったしね。かなり渋々だけど、自分でちゃんとアルバイトを探してきたよ」
興味なさげにストローをクネクネと指でいじりながら「ふ~ん。どこで?」と訊ねる佐々木。
その時、コーヒーポットを片手に持った店員がやってきた。
「いらっしゃいませ、こんにちは~。コーヒーのおかわりをこんにちは~」
間の抜けた声に反応して顔を上げる。そして露骨に嫌な顔をする佐々木に、さっきの質問の答えを言った。
「どこでって、ここ」
 僕は自分の足元を指差す。
あくびをしながら空の紙コップを掴み、ダバダバとコーヒーを注ぐ店員こそ、たったいま話題に上がっていたリイナだった。

エスカマリさんこと、大司教がリイナに科した刑罰とは『一年間の魔人界追放及び人間界への流刑』だった。
向こうの時間では僅か一年間だが、リイナの体感では四年の歳月を人間界で過ごすことになる。
刑としては妥当ではないかと判断に、リイナ本人も納得した。

「お待たせしました~。他にご注文はこんにちは~」
バリバリと豪快な音を轟かせながら、営業スマイルというには、些か弛緩し過ぎている笑顔でリイナは言った。
「なんという接客態度かしら。客を舐めているとしか思えないわね。あなた、それでも本当に大学生だったの?」
「他にご注文はこんにちは~」
般若のお面みたいに怒りを露わにしながら、佐々木はテーブルをバンッと叩いた。
「私にもコーヒーを寄越しなさい!」
周りにいた客もその迫力にビクーンと反応する。随分と偉そうな小学生だと、半ば興味本位の視線を向けてくる人もいた。
だがリイナはマジマジと佐々木を見つめた。
「あのね、お嬢ちゃん。これはコーヒーっていって、すごく苦い飲み物なの。夜も眠れなくなっちゃうのよ? お母さんから飲んでいいって言われた?」
佐々木が瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にして憤怒した。あまりの怒りに声も出ないらしい。ツインテールが威嚇する猫の尻尾みたく、ピーンとおっ立っていた。
それをゲラゲラと指差しながら笑うリイナ。
最低だ、こいつ。
「そういえばさ、リイナ。髪とかそのままで良かったの? 最初は黒に染めていくって言っていたけど、一度も染めていないよね」
ここは話題を変えた方が吉だ。
サービス業をするにはだらしなさ過ぎる立ち姿勢のリイナを、頭から爪先まで目を通す。
服装はマックの店員で問題ないが、首から上が違和感の塊だ。
制服のキャップからこぼれるのは空色の髪。そして清々しい五月晴れのような空色の瞳。
明らかにおかしい。
母さんも結婚して人間界に来たときは、髪も目も真っ黒にして、名前まで偽ったというのに。
しかしリイナはケロッとして答えた。
「え? 生粋のコスプレーヤーですって面接の時に言ったら、すんなり許可してくれたわよ」
「嘘付けや!」
「本当よ。出退勤時のコスプレだけはやめてね、って約束させられたけどね。妙に理解あるな、って思っていたらさ、実は店長さんが本物のレイヤーだったのよ」
リイナはさも得意げに腕を組んで、したり顔をして見せた。
「まぁ、ようやく人間界が私に追い付いたってことかしら」
愕然とすると、他の店員がカウンターの方からこっちに声を掛けた。
「リイナちゃーん、ちょっとこっち手伝って」
「あいよ~。じゃあまたあとで。改人くんにチビ助」
ヒラヒラと手を振って去っていくリイナ。
当然ながら名前もそのままだったのか。昔の母さんと父さんの苦労はなんだったのだろうか。
「なんなのよ、あのユルバカ魔人! 私を誰だと思っているの! 佐々木茉莉よ! 人生の中でここまでコケにされたのは初めてだわ! この屈辱、命に替えても償わせてやる!」
ピンポン玉のような佐々木の手が、テーブルをガンガンと叩く。
きっと周りの人は、キレる小学生! とか思っているんだろうな。
何だか保護者めいた気分を感じながら、僕は佐々木を宥めた。
「まぁまぁ、あの人を相手に本気で怒っても仕方ないよ。気にしないのが一番」
「ふざけないで! 今すぐアレを魔人界に叩き返しなさい! いいわ! 私がクズを召喚して強制送還させてやる!」
「落ち着きなよ。どうせすぐに、大司教から送り返されるのがオチだって」
持っていた鞄から、ランプを取り出そうとする佐々木を無理矢理に止める。
こんなところでジンを喚び出されては人目につきすぎるし、何よりさっきから会話が明らかに電波っぽい!
鼻息を荒くする佐々木の頭を撫でて、気を落ち着かせる。さらさらの金髪が指にしっとりとなじんで気持良い。こうすると何故か、佐々木は大人しくなるのだ。
「なんなのよ、ユルバカ。今度舐めた態度を取ったら、佐々木家の権力をフルに行使して存在ごと抹消してやる」
「ははっ、それは恐いな」
「私は真面目よ。あいつ、自分の立場が分かっているのかしら。服役中なのよ、服役。もっと自覚して、それらしく振る舞われないのかしら。井上くん、手錠でもして家の中に閉じ込めて起きなさい」
いや、それはそれで喜びそうでイヤだ。怠惰の権化たるリイナは、用がなければ一日中でもゴロゴロしていられるのだ。
家から一歩も出るな、なんて罰どころかニート免罪符じゃないか。
「でもさ、リイナもあれで塩らしくなるときもあるんだよ。先週の日曜日、父さんと三人で母さんの墓参りに行ってきたんだ」
墓石を前にしたリイナは跪き、延々と頭を垂れて泣いていた。ときどき、涙声で「ごめんなさい」と呟きながら。
そして家に帰ってから母さんのアルバムを眺めながら、父さんにこっちでの話を聞いていた。
また止め処なく溢れる涙を拭いながら。目を真っ赤にしながら、アルバムをめくっていた。
「きっとリイナはさ、罪を償うためだけじゃなく、亡くなった母さんの軌跡を辿りたくて人間界にきたんじゃないか、って思う時があるよ」
ブラックのままのコーヒーを啜る。ほろ苦さが口の中いっぱいに広がり、スッと喉を通っていった。
「母さん、つまり自分のお姉さんが過ごした空気や場所、一緒に暮らした家族。そういうものに触れたかったんじゃないかな」
それがリイナなりの罪滅ぼしのつもりなんだろう。
ただ姉と一緒にいたかったがために、犯してしまった間違いを。
「ふん、単なる独りよがりだわ。馬鹿馬鹿しい」
そう言って佐々木は、僕の飲みかけたコーヒーに手を伸ばした。その表情にはさっきまでの不愉快な様子はない。
かわりにコーヒーを口に含んで、わざとらしく苦い顔を作っただけだった。
「それはそうと井上くん。あなた家で、ユルバカと変なことになっていないでしょうね」
サラッと流した口調で言う佐々木。だが視線だけはきつく、こちらを伺っている。
「変なことって何さ。僕達、一応親族なんだけど。あの人からしてみれば、僕は甥っ子になるんだよ」
当然ながらの話だが、人間界に知り合いも生活基盤もないリイナは、我が家で面倒を見ることになった。
つまり、まぁ……同棲中である。
僕は腕を組んで真っ直ぐ佐々木を見つめた。多少でも挙動不審な態度を取れば、粗探しのようにネチネチ突っ込まれそうでイヤだ。
「ふ~ん。何もないのね?」
「あるわけがない」

ごめんなさい。本当はあるんです。

更新日 7月12日

我が家にはパソコンが一台しかない。
ネットゲームを生きがいとするリイナは、暇さえあれば僕の部屋に来て、マウス片手にディスプレイと向き合っている。
勉強をしている脇でカチカチカタカタとうるさくて仕方ないが、止めろと言って止めるわけでもないだろう。
そこまでは別に問題ない。
問題は夜中だ。
リイナはとにかく、深夜遅くまでネトゲライフを満喫している。魔人界とは時間の流れが違うせいか、こっちが深夜でも向こうではまだ日中ということも多い。
あちらの知り合いと遊んでいれば、自然と時間も狂ってくる。
時差みたいなものだろう。
ギルド内では『寝落ちの女王』の異名を持つリイナは、突然襲ってくる睡魔に対する抗体が一向に身に付かない。
そして既に睡眠モードに片足を突っ込んだリイナに、一階に用意された自分の部屋まで帰る気力があるわけがない。
すると自然に体は、一番近くにあるベッドを求める。ちょうど良く人肌で温まった、僕のベッドに。
「邪推ってものだよ、佐々木。そんな昼ドラみたいな展開あるわけないじゃないか」
冷や汗が出ないように、目が泳がないように努めて平静を装う。
僕は朝起きた時にリイナの寝顔が鼻の先にあることや、寒い朝は抱き枕状態にされていることなどを思い出さないように、必死で佐々木の無言の圧力に耐えた。
あんな艶めかしい事実がバレたら、高確率で生命の危機に瀕する。

その時、紙コップを持ったリイナが戻ってきた。
「ほい、チビ助。あなたはココアにしておきなさい。同じカカオ豆なんだからいいでしょ」
佐々木の視線が僕から外れ、ほんわり湯気が立つコップに注がれる。
僕は安堵の吐息を、細く鼻から吐き出した。
「私はコーヒーって言ったのに。注文も真っ当にこなせないのかしら、このユルバカ魔人は」
悪態をつきながらも、佐々木はチビチビとココアを飲んだ。
これはナイスタイミングだった。上手く空気も和らいだし、話題を転換させるには都合がいい。
「ところでユルバカ。あなた、井上くんに変なことをしてないでしょうね」
「してないわよ、チビ助。キスしたくらいよ」
……え?
「き、キスゥ……」
「イエスゥ♪ しかもA+」
……ちょ?
「ぷ、プラスゥ……」
「イエスゥ♪ 舌入れたくらいだって」
……ぐはぁ。
「近親相姦です♪」
「バカヤロウ! それは言うなや!」
取り乱して立ち上がった僕に、リイナはニャハニャハと笑ってみせた。
「だってそれ、自分で言ったんじゃない」
「なんでこのタイミングで言うかな! 空気読んでよ! もっと空間把握能力を鍛えようよ!」
最悪なタイミングで爆弾を落としやがった。
あの時のキスは便宜上仕方なかっただけで、こっちも説明を受ける前に奪われてしまっただけで。
舌がウニャウニャと絡みつく感触を思い出すだけで、今でも鼻血が噴き出しそうになるわけで。
てか、僕にしてみれば、ファーストキスだったわけで。
現実逃避したくて頭をブンブン振る。しかし僕が逃げ出したくても、当然ながら現実は逃げてくれなかった。
目の前の佐々木を恐る恐る見て、背筋が凍った。
石像にでもなったのかと思うほど、無表情な女の子がそこにいた。
瞳は艶消し塗料で塗ったように輝きがなく、顔は生気がすっかり失っていた。
ただ、底知れない迫力だけが、静かに漂っている。
もはや怒っているのか悲しんでいるのか分からない不気味なオーラが、僕の指や爪先に絡み付いてきた。
佐々木の口がゆっくりと動いた。
僕はゴクリと唾を飲み込む。
「珠江」
「はい、ここに。茉莉お嬢ひゃま」
背後から突如として聞こえた声に、心臓が乱暴に跳ね上がる。
驚いて振り返ると、そこにはメイド服を身にまとったオバサン、珠江さんがいた。
ハンバーガーを頬張りながら、丁寧な一礼を交わす。
「今の、聴いていたわね」
「当然にてございます、むしゃり」
ハンバーガーを咀嚼しながら主の問い掛けに答える。
そう、と小さく呟いた佐々木は、能面のまま淡々とした口調で言った。
「今すぐ手頃なホテルのスウィートを予約しなさい。既成事実を造るわ」
開いた口が閉まらなかった。この目の前の女の子の思考回路はどうなっているんだろうと、混乱してしまう。
すると珠江さんは毅然とした態度で、恭しく首を横に振った。
僕はホッと胸を撫で下ろす。
「致しかねます。茉莉お嬢様。お嬢様の場合、貞操観念以前に児ポ法に引っかからないか、そっちの方が心配です」
アホー!
「そう。じゃあ子供を作るわ」
「致しかねます、茉莉お嬢様。そもそもお嬢様は初潮がまだですから、無理です」
爆弾発言キター!
もうツッコミを入れるのもイヤになってきた。なにこの親子。
「そう。じゃあ……」
空気がピリッと変わるのを感じた。
頭の中の第六感が騒ぎ立てる。僕は少し腰を浮かせてリイナの手を掴んだ。
正面に対峙した佐々木の顔が、邪悪に豹変した。

「死なない程度に殺しなさい」

恐怖が全身を貫く。反射的に立ち上がると脱兎の勢いで駆け出した。
視界の隅にチラッと、ホラ貝を振りかぶった珠江さんが映った。

「ちょいちょい、改人くん。私まだバイトの途中よ~」
腕を引っ張られながらも懸命に走るリイナが、呑気な文句を垂れる。
駅前通りの休日の午後。人混みを掻き分けて僕はリイナを連れて疾走した。
後ろをチラッと振り返ると、珠江さんがホラ貝片手に追いかけてくる。
息を切らす様子もなく、無言なのがこの上なく怖い。
マックの制服を着た空色の髪と瞳を持つ女性と、それを追うオバサンメイド。
すれ違う人達も、何事かと驚きながらざわめく。
「やばい。追いつかれるわよ」
心なしかリイナの口調が弾んでいるように聴こえる。この魔人、こんな状況を楽しんでやがる。
「臨兵闘者皆陳列前行……」
怪しげな呪文が背後から聞こえてきた。
恐怖が頂点に達する。僕は掴んでいたリイナの腕をグッと引き寄せて、叫んだ。
ここで使わずして、どこで使えというのか。緊急脱出だ。
「お願いです、ランプの魔人! 僕を助けて!」
情けなくも声が裏返ってしまった。リイナは満面の笑みを浮かべて、青白く光を放つ人差し指を僕に突き付けた。

「契約コード詠唱! ブッチャケ・ワタシモ・ファースト・キス・ダッタンダケドネ!」

おわり


私、ダルそうにしている女性が好きなんです。

この度は「駄・ランプ」を最後までお読み頂きありがとうございます。
あとがきなんて久しぶりですね。
アニメとか小説を読んでいると、登場するヒロイン達のなんと活発なこと。
意味なく怒ってツンツンしているわ、かと思えば急にべた惚れになってキスをしだすわ。
現実世界にいたら、単なる極度の癇癪持ち変人娘だよね~、と時々思ってしまいます。
まあ、私が観る作品が偏っている気もしますが。
とにかくね、もっと女の子って普通だよと。そこまで精神メーターが振り切っていないよと。
一ヶ月の約29日を平常心で過ごすよと。
いやいや、私の隣にいる女の子なんて、常にゴロゴロしているよと。
パンダだってそうじゃん、ダルダルしている方が愛着あるじゃんと。

……そんな理由から今回のヒロインであるリイナが誕生しました。
活発ヒロインの全く真逆であり、でも超絶剛腕魔人さんのリイナさんは
私の中ではなかなか愛すべきヒロインに仕上がりました。
皆様の中ではいかがでしたでしょうか?

さてさて、次の作品に出てくるヒロインはどんな個性の持ち主でしょう。
これもこれで私好みのヒロインに仕上がってます。

ん? 次って?

はい。
来週あたりからまた新しい話がスタートしますよ。
次回のは以前に何かで言いました、某新人賞で最終選考までいった作品です。
乞うご期待!

それでは、改めて敬愛なる読者様と
今回のモデル役を担ってくれた我が愛しの妻に多大なる感謝を申し上げまして
どうもありがとうございました!




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2012'07.06 (Fri)

駄・ランプ  第九章

「ほい。これで全員よ」
 最後の警備員を牢の中に放り投げるリイナ。軽く手で払っただけなのに、大のオトナはゴム鞠のように軽々と吹っ飛んでいく。
 魔力全開プラス願い事で上乗せモードの闘魂の魔人は、力の微調整も容易でなくなっているようだ。
 狭い独房にぎゅうぎゅう詰めされた警備員達は、皆一様に満身創痍状態で、中にはまだ気絶している者もいた。

 判決の間での出来事は、リイナの宣言通りに一瞬で片が付いた。
闘魂の魔人になった今なら分かるが、僕なんかとうてい及ばないくらいの魔力だった。
 呆気に取られる暇もなく、警備員達が次々に殴り倒されていく。まぁ、描写するのも憚られるくらい、圧倒的な暴力でした。

「こやつらをまとめたのは良いが、一体どうする気である。良策はあるのか、少年よ」
 顎に手を当ててジンは訊ねる。次いで父さんも現状の懸案事項を口にした。
「そして例の大司教も未だ姿を見せない。リイナ、一カ所に集めたのはかえって危険じゃないのか」
「あ、うん。そうかもね」
 父さんからは目をそらして答えるリイナ。
 さっきから、この調子である。リイナの態度がいつになく、よそよそしい。
 父さんとの思わぬ再開で気まずいのはわかるが、なんだかこっちまでギクシャクしてしまう。
 しかし、敢えて空気を読むのが嫌いなお嬢様もいた。
「どうでもいいけど、さっさと終わらせてくれないかしら? こっちは何時か知らないけど、私の体感時間では既に深夜の一時よ。夜更かしは美容と脳細胞の天敵だわ」
 佐々木は腕組みをしながら欠伸を漏らす。言いたいことはごもっともだが、ここはもう一つの懸案事項を指摘しておきたい。
「佐々木はさ、何でこっちに来ちゃったの?」
「はぁ? 何よ、その言い草は」
 蛇のような鋭い目つきで睨む佐々木に、背筋がゾクッとした。
「井上くんが心配で駆けつけたんじゃない。フィアンセに対して随分と冷たい物言いね。でなきゃ、なぜ私がこのユルバカ魔人のために手助けしなくちゃいけないのよ」
「いや、あんたは何もしてないから。てか、あんた誰?」
 メンチを切り合う佐々木とリイナの間から、父さんはヒゲをいじりながら割って入る。
「ほほう。お嬢さんは改人と将来を誓い合った仲なのか」
「あら、これはご挨拶遅れたわね。あなたにとって未来の娘になる佐々木茉莉よ。今のうちに言っておくけど、井上くんは婿にもらいますから。よろしくお願いしますね」
「あぁ、ご自由にどうぞ。最終的に決めるのは改人ですから、私は余計な口は挟まん」
「そう。じゃあ婿取りは決定ね」
 まったく面白くなさそうな態度で言葉を交わす二人。お互いが仏頂面なままなので、本気なのかジョークなのか分からない。
 てか、僕の意思はまるっきり無視ですか。
「その話は置いといて、佐々木までこっちに来ちゃったら僕達、人間は向こうに帰れないじゃないか」
 憮然とした態度のまま首を傾げる佐々木。リイナが納得したように手を打つ。
「そっか。ご主人様である改人くんと名前のわからないチビ助がこっちに来ちゃったら、私達を誰もパクれないわよね。君達、人間界に戻れないわよ」
「つまりそういうこと。父さんがこっちに来たのは良かったんだけど、佐々木くらいはあっちに残っていなくちゃダメじゃん」
 リイナの指摘に佐々木の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「う、うるさいわね。愛ゆえの暴走だわ」
 一同、腕を組んで唸る。誰かが僕か佐々木のランプを擦ってくれればいいんだけど、一体いつになることやら。
 チラッとリイナを見る。事態を楽観視しているのか、呑気に欠伸をかみ殺している。
 もしも人間界に戻ることがなければ、このままこっちでリイナと一緒に……。
 ブンブンと頭を振って邪念を払う。一瞬、淡い期待を抱いてしまったが、今は少しだけ不謹慎に感じた。
「さてさて、本当にどうしようかな」
「もし宜しければ、私が送って差し上げましょうか」
 背後から突然に声が聞こえたので、慌てて振り返る。それと同時にリイナとジンは目の色を変えた。
「いやいや、私に闘いの意志はありません。お二人とも、魔力を収めて下さい」
 朗らかに微笑みながら、大司教は両手を挙げて敵意のないことをアピールした。
「大司教! 今までどちらにいらっしゃったのですか!」
 牢の中から警備員達が救いを求めた悲痛な声を上げる。しかし大司教は、さっきまでとは人が違うようにイタズラっぽく肩をすくめた。
「すたこらと避難していました」
 警備員達もそうだが、リイナとジンも困惑の表情を浮かべている。
 いつでも攻撃を繰り出せる姿勢を崩さない二人に、大司教はフレンドリーに語りかけた。
「いやはや、一時はどうなるかとヒヤヒヤしましたが、きちんと思惑通りに事が進んで安堵しました。本当はリイナくんと、あらじんくんだけのつもりでしたが、まさか紅蓮くんまで揃うとは。図らずとも『カオスの天秤』ギルドのオフ会開催となりましたね」
 リイナとジンが驚愕を露わにする。僕の頭の中でも話がカチリと繋がったが、あまりの意外さに信じられずにいた。
「あ、あなた……もしかして?」
「リアルでは初めてお会いしますね。改めてご挨拶を。『カオスの天秤』ギルドマスターのエスカマリです」
 胸に手を当てて礼儀正しくお辞儀をした大司教に、僕達は愕然とした。
「だ、大司教が、エスカマリさんだったんですか?」
「そうですよ。バレはしないかと不安でしたが、杞憂でしたね」
「え、冗談じゃなくて、本当なの?」
「もちろんですよ、リイナくん。マホロバは魔人界で一番人気のネットゲーム。大司教がやっていても不思議ではないでしょう?」
ガックリと膝をつく。一番の強敵だと思っていた相手がまさかのまさか、最初から味方だったなんて。
とんでもなく気合いの入った茶番劇だったとは。
「改人くんには本当の事をお伝えしても良かったんですが、敵を欺くにはまず味方からと言いますし。ですので、あなたに対する失礼な発言の数々をお詫び申し上げたい。決してあれは私の本心ではないとご容赦頂ければ幸いです」
 頭を下げる大司教に、僕の方が逆に恐縮してしまった。
「自分のところのギルメンが魔力を剥奪されるなんて、マスターとしてはあまりに心苦しく耐えきれなかったのです。それに大司教の立場としても、今回の一件は罪に対する罰が相応しくないと感じておりました」
慈愛を込めてゆっくりとリイナと父さんに目を向ける大司教。
「リイナくんのなさったことは確かに禁忌です。しかしながら、リイナくんが本当に重信さんの気持ちを改変したかったのかといえば、どうでしょうか? 過失に近かったのではありませんか?」
判決の間の時みたく、口を閉ざして俯くリイナ。大司教はリイナの答えを待たず、言葉を続けた。
「もしも過失ならば、当然ながら情状酌量の余地ありでしょう。それなのに魔力剥奪という極刑を科すのは、やり過ぎではなかろうかと。しかしながら、禁忌というものはやはり禁忌。一度でも見逃した判例を残しては後々に大議論へ発展するでしょう。ですから、今回は改人くんから過分なご協力を賜った次第です」
大司教の優しい声が独房階の廊下に響く。そして大司教は無邪気にピースサインを見せて「罪を憎んで人を憎まず。名裁きでしょう」と微笑んだ。
牢の中にいる警備員達は、大司教の言うことがまったく信じられないようである。全員が全員、記憶喪失にでもなったかのように目が点になっていた。
なんというか、お気の毒でした。
「それで大司教さんとやら。我々人間が、向こうに戻る手立てがあるのですな?」
大司教の慈悲深い計らいなど歯牙にもかけていないように、父さんは現実的な話だけを聞く。
「はい、もちろんです。私の魔法はゲート。人間界とこちらを繋ぐことなど造作もありません」
そう言って大司教は目の前に大きく円を描く。するとその空間だけ、まるで切り抜いたように景色が変わった。
そこに映っていたのは、僕の部屋だった。
「時空間どころか、異空間の壁すらも超越するとは。いやはや、恐るべき魔力よ」
舌を巻くジンを見て大司教は上品に笑う。
「勝負の申し出ならいつでも受け付けましょう。本日のは私もいろいろとズルをしましたので、イーブンということで。機会をみていつの日か」
「うむ。その際は真剣勝負で参りますぞ、ギルドマスター殿」
ジンとしっかり握手を交わすと。大司教は「さて」と呟いてから僕を見た。
「そろそろこの場を収めるとしましょう。改人さん、なにか良案はありますか?」
全てを見透かしたような大司教の瞳に、僕は苦笑しながら首を縦に振るしかなかった。
「はい。一つ確認してもいいですか? 魔人が魔人の記憶を改ざんすることは……」
「全く問題ありません。ただし私は外して下さい。私まで記憶を失っては後々、面倒なことになりかねませんから」
苦笑に苦笑が増す。
そうだ、僕もそろそろ人間界に帰ってゆっくりと眠りたい。
「リイナ、ちょっと長くなるけどいいかな?」
可愛らしく微笑みながら頷く空色の魔人。
「この中にいる警備員達の記憶を変えてもらいたい。ジンやリイナ、僕と戦ったことは全部忘れて、禁忌の刑だけがきちんと執行されたという内容で」
人差し指を突き出して、青白い光を牢の方へ向けるリイナ。
ギョッと身構えた警備員達の中から、豪快な笑い声が上がる。
「がはは、闘魂の! どうせなら、我らが貴様等を確保したという記憶に変えてもらえんかのう! 手柄が欲しいのじゃ!」
首が曲がったままの剛森の提案に、肩車されている伊丹が言った。
「いいこと思いつくじゃな~い。大司教様~、私達を社員登用して欲しいわ~ん」
涼しい顔で大司教は「契約社員でよければ」と答えた。
嬉しそうにハイタッチをする二人を尻目に、リイナは呪文を唱える。

「契約コード詠唱! ハタライタラ・ソコデ・ゲームセット・デスヨ!」

 牢の中が柔らかい光で満たされる。そして光が消えると、警備員達はぐったりと気を失っていた。
 きっと目が覚めた頃には、この人達の記憶はすっかり入れ替わっていることだろう。

更新日 7月8日

「井上重信さん、一つご提案があります」
「何でしょうか?」
 微笑んだまま父さんに向き合う大司教。
「あなたの改ざんされた、その折れない心ですが、息子さんの願い事を使えば元に戻すことが可能です。いかがでしょう? 幸いに改人さんは願い事をたっぷりお持ちのようです」
 きっと契約コードを詠唱した直後に、リイナの頭に浮かんだ数字を見たのだろう。
 人間の感情や性格を変えるのは禁忌。ただし戻すことは禁則に触れていない、と大司教は暗に示している。
 ヒゲをいじりながら、ふむと独りごちる。そして僕をチラッと見てから口を開いた。
「確かにこの心になってから私は、泣きたい時に泣けず、哀しみたい時に哀しめない男になってしまいました。さらには息子との間にも、見えない隔たりを作ってしまった時期もありました」
 思わず俯いてしまう。父さんは僕の抱えていた鬱屈に、ちゃんと気付いていたのだ。
「ですがその反面、便利なこともあるわけです。一家を支える立場なら、なおさら折れずにいる方が都合良い。私には守るべきものが、一番大事なものがありますから。それが亡くなった妻が唯一残してくれた、私達へのはなむけだと思っています」
 むっすりとしたまま父さんは、僕の頭を優しく撫でた。
 その手のひらは分厚くて固く、でもとても温かい。幼い頃に父さんの膝に乗りながらアラジンの映画を見ていた、あの頃に撫でられた手と何一つ変わっていなかった。
 目頭がジンと熱くなる。僕の心にも凝り固まっていた小さい鋼鉄が、ゆっくりと融解していくのを感じた。
 父さんは僕の頭に置いた手を、そのままスッとスライドさせると、横にいる空色の髪を撫でた。
 そこで初めて、父さんとリイナは視線を交わした。
「それにもしも本当にこの子の罰が償われるのならば、今度からはこの繋がりを罪ではなく、絆に変えていきたいと思います」
 大司教は大きく頷いた。
「ありがとうございます。もしもあなたがその鋼鉄になってしまった心を疎ましく感じていたのならば、やはりリイナくんにはきちんと罰を受けてもらおうと思っていました」
「必要ありませんな。私はこの子に詫びたい気持ちはあっても、謝罪してもらいたいことなど、何一つない」
 リイナは遠慮がちに微笑み、おずおずと自分の頭に置かれた手に、自分の指を絡ませた。
「ありがとう、シゲノブ。ねぇ今度さ、人間界に行ったらお姉ちゃんのお墓参りに連れていってくれる?」
「あぁ、もちろんだ」
 未だにリイナの魔力が生きている父さんは、すぐに答えた。そんな短い会話が、二人のこれまでのわだかまりが氷解したのを如実に物語っていた。
 過去を封印したリイナは、ようやく未来に向き合えたのである。

「さて、それでは人間界の皆さん。元の世界へお送りしましょう」
そう言って大司教が宙にグルッと円を描こうとした時だった。
その手をリイナが遮ったのだ。
「どうしました、リイナさん?」
高貴な微笑みを浮かべたままの大司教に、リイナはモニョモニョと口ごもりながら言った。
「あの、エスさ……大司教。私はやっぱり、罰を受けた方がいいと思うんです」
その申し出に一同が目を見開いた。
大司教だけは表情を変えずに、優しい声で「何故でしょうか」と訊ねた。
「私、今回のことですごく色々な人に迷惑を掛けちゃって。高杉や大司教にもそうだし、ご主人様の改人くんにも、そして一番はシゲノブに。さっきシゲノブはああ言ってくれたけど、やっぱり悪いことしちゃったのは私だし……」
「なに言っているのかしら、このユルバカ魔人。一番迷惑を被ったのは、私なんだけど。まぁ、井上くんの手前もあるし、特別に土下座して詫びるだけで許して上げる」
「黙れ。話の腰を折るな、チビ助」
佐々木とメンチ切りの応酬を交わし、リイナは咳払いをして仕切り直した。
「それなのに、自分だけ無罪放免っていうのも身勝手過ぎるというか。都合良すぎるかなって」
僕や高杉も、リイナを助けたい一心で傷を追ってもここまでやってきた。
もちろん、大司教も。父さんだって。
でもみんな、肝心なところを考えることに欠けていたと思う。
言うまでもなく、リイナの気持ちだった。
「私が禁忌を犯してしまった事実は消えません。もっと言葉を気にかけてさえいれば、シゲノブだって……」
リイナは面倒くさがり屋でぐうたらだけど、本当は真面目で優しさを持った女性なのだ。
自分で自分を責める気持ちを、なかったことには出来ないのだろう。
「ふむ。実に殊勝な心掛けに、感服致しました」
話し終えて頭を垂れるリイナに、大司教はゆっくりと頷いた。
「ここにくる罪人の皆が皆、リイナさんのような心構えならば、私の仕事もだいぶ楽なんでしょうけどね。仕方ないことです。
確かにリイナさんの罪は許し難いものではありますが、本人に反省の意志が充分に感じられますし、先ほども申し上げましたが、禁忌ではあれ細かく見れば過失に近い。情状酌量の余地は申し分なくあるでしょう」
そう言うとエスカマリさんは、全員を見渡した後に、もう一度宙に大きく円を描いた。
「ですので、リイナさんに科す刑罰はこんなのでどうでしょう?」



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2012'06.28 (Thu)

駄・ランプ  第八章

 剛森と伊丹へ簡単に挨拶を済ませ、僕たちは先を急いだ。
地下一階へ続く階段があり、そこを昇ると、やや広めの廊下が続いている。
「ここ、まっすぐ行くと地上に着くの?」
 訊ねられたジンは眼鏡をクイッと指で直す。
「わからん。基本的にここまでは一本道だったからな」
「進むしかないね。何が待ち受けているかわからないから、慎重に進みましょう」
 全員、声は出さずにコクリと頷いてから、縦一列になって歩き出す。
 ジンを先頭にして足音を殺しながら進む。廊下は裸の蛍光灯が照らすだけで、装飾はおろか打ちっぱなしのコンクリートが続くだけだった。
 そんな殺風景さが緊張感をさらに高める。
 廊下の曲がり角に差し掛かかる。ジンが忍びながら顔を突き出し、誰もいないのを確認しながら忍び足で先を急ぐ。
 この階には警備員がいないのだろうか。そんなことを思っていた矢先に、次の曲がり角から人の気配を感じた。
 みんなの表情が一気に強張る。角のすぐそばにいるわけではないが、明らかに通路を塞いでいるようなざわめきが耳に届いてきた。
 三人でこっそり角から覗いてみる。
 いた。警備員が、十人以上の槍を携えた警備員が陣形を整えて待ち受けていた。
 そこまでならば今までの警備線と変わらないが、違いが二つ。
 一つは槍隊の後ろに、木の根っこをへし折ってきたような歪な造形の杖を握った警備員が数人。
 二つ目はその中心に、高貴な法衣を身にまとった人物が颯爽と立っていた。
 済んだ瞳に整った顔立ち。薄く微笑みを浮かべて周りの警備員に何やら声を掛けている。
 一体、誰だろうか。明らかに身にまとったオーラが違う。
「あの真ん中にいる人、普通の警備員じゃないですよね」
 二人の魔人に訊いてみるが返事は返ってこない。その代わり、二人の反応でどれだけまずい相手なのか容易に察することが出来た。
 ジンは額に冷や汗を浮かべて、リイナは困ったように頬を掻きながら微笑んでいる。どちらとも目がマジだ。
「……ヤバい、ですか?」
「ヤバいなんてもんじゃないわ。コーラのお茶請けにフリスク出すぐらいにヤバいわ。大司教、御自らが登場よ」
「大司教?」
 角から距離をとり、互いに額を寄せる。リイナとジンの声が若干震えていた。
「奈良橋スフィア大司教。この魔人裁判所の最高権力者にして、最高裁判官でもある。彼の御仁がこの世界の主たる事件の判決を下すのだ」
「ある意味、歩く司法制度って感じね。しかもあの人の魔力メッチャ高いし、メッチャ強い」
 ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。この禍々しい名前を持つ魔人達が恐れるほどなのだから、よっぽどなのだろう。
「確か、高杉のお父さんと一度闘っているよね。小学生の頃に新聞の一面に載っていたのを覚えているわ」
「あぁ。その結果、我が父は三十六代目高杉ジンの名を私に譲ったのだ」
 苦虫を噛み潰したような顔をするジン。リイナは腕を組んで頬を膨らませる。
「ここまでは一方通行だったから戻っても意味なし。エレベーターも高杉が壊しちゃったし」
 階段のあった方向を見つめるリイナ。次に顔を逆に向ける。
「かと言って、この角を曲がれば閻魔様が待っているし。こりゃ、進退窮まったわね」
 お手上げと肩をすくめるリイナだったが、ここまできて諦めるわけにもいかない。しかしリイナの言うように、進退は窮まってしまった。
 四面楚歌が八面楚歌くらいになった感覚である。
「あの、ジンさん。大司教ってどんな系統の魔法を使っ……」
 焼石に水になるかもしれないが、系統によっては対抗策があるかもしれない。と思って訊ねた相手が、僕の言葉を無視してスクッと立ち上がった。
 そして胸元に両手を構えると、短い気合いを発した。
「……!」
 周囲の水分が一気に蒸発をする。
 ジンの右手と左手の間にある僅かな隙間に、ピンポン玉ほどの黒い塊が発生する。その直径三センチほどの球体は、不気味な黒いプロミネンスを帯びながら、宙に浮かんでいる。そこだけこの次元とは思えない濃い密度を抱いていた。
 さながら小型サイズの太陽みたいだ。
「あの、ジンさん。それを一体どうする……」
「倒せるとは思えん。が、一瞬の隙はこじ開けられるやも知れない。少年よ、克田を連れて走り抜けるのだ。今のお前ならばそれも可能であろう」
 えっ、と言う間もなくリイナが手を掴み立ち上がる。ジンの顔は青ざめているが、緋色の瞳は決意に満ちていた。
「ジンさんもしかして、それをあそこに投げるつもりですか」
「ふっ。なぁに、死人までは出んさ。ただしここの通路は木っ端微塵に吹き飛ぶだろうがな」
 大きく深呼吸をするジン。リイナの手に力がこもる。
「ここは私に任せて行くが良い。大司教相手では誰かが殿を務めないと……」
 ジンが右手を振りかぶって通路に躍り出たのと同時に、僕らは体を竦めた。
「突破は出来ん!」
 警備線に向けて黒炎の太陽を投げつけた、その時。有り得ない光景が目に映った。

「私の魔法はゲートです」
 今までそこにいなかったのに、薄笑いを浮かべた大司教が、ジンの背中に手をふれて立っていた。
「ゲートはすなわち、時空間の壁」
 そしてパッとジンごと姿を消す。男性にしては澄んだ声もブツリと途切れる。
 だがまた一瞬で大司教は目の前に現れた。ジンだけが消えた。
「を魔力でねじ曲げ、どこにでも繋」
 大爆発が通路を埋め尽くす。目の前を炎の壁が塞いだ。
 背筋がゾクッする。あと数メートル前に出ていたら……。
「げることが可能です。さらには私が手を触れさえすれば、その相手でさえ移動は容」
 後ろから言葉が続いてきたので驚く。さらに振り向いて二段構えの驚愕を味わった。
 さっきまで通路を塞いでいた警備員達がそのまま、背後に陣取っていたのである。
「易です。こんな風に、ね」
 僅か数秒の出来事だった。
 それなのに一気に形勢は逆転。そればかりか敵の立ち位置の目まぐるしく変化に、目と頭がついていけてない。
「つまり、瞬間移動ですか」
「ご明察。魔力の調整次第では、この施設に配備されている警備員全員を、一瞬でこの場に集結させることも可能です。もっとも、その必要は無さそうですが」
 廊下の爆発が収まる。無機質が焼け溶けた匂いが鼻をついた。
「あぁ、炎の魔人くんは私が連れて来」
 煙に包まり横たわったジンが、パッと目の前に現れた。
「て差し上げましょう」
 自慢のスーツはぼろ切れと化し、息すらしていないように動かなかった。キレイなままのメガネが痛々しさを倍増させる。
「ジンさん! ジンさん、大丈夫で、熱っ!」
 ジンの体は火にかけたフライパンのように熱い。これで肉体が維持出来ているのだろうか?
「ご安心下さい。魔人は人間と違い滅多に死にはしません。たとえ心臓が停止しようとも、魔力さえ残ってさえいれば生き延びられますから」
 いやに落ち着いた、それでいて半ば楽しんでさえいるような言い方の大司教を、僕はキッと睨む。
「リイナ、下がっていて」
焼け炭となったジンを通路の端へ避難させ、僕はリイナを背に大司教と対峙した。
眉を潜めながら大司教は言った。
「主として魔人を庇いたい気持ちは分かります。ですが人間の方に危害を加える気は一切ありません。おとなしくそちらの罪人を差し出して下さい」
やっぱり! と勝機が見えたのを確信した。大司教は僕が魔人だと気付いていない。
気持ちを静めてゆっくりと足を開く。
「イヤです。リイナの魔力が剥奪されるなんて、僕が許しません」
たとえリイナを連れて逃げようとも、大司教の瞬間移動で容易く捕まってしまうだろう。
ならばここで大司教を討ち取ることこそが、一番退路の確保になる。
魔人の血が闘争心を掻き立てる。
「克田リイナの魔力は完全に抑えています。ただの人間でしかないあなたが、魔人相手に逃げ切れるとでも?」
穏やかな嘲笑を浮かべる大司教。周りを囲む警備員も、槍の穂先を下げて見守っている。
「逃げ切るつもりはありません」
「では、投降して下さいますね」
一発目だ。
大司教が瞬間移動を使う間も無く、一発目で奇襲を掛ける。
僕は魔力が表に洩れないように、深呼吸をして右手に拳を握る。
そして囁くように、口の中で気合いを発した。
「エイシャラ……!」
大司教との間にあった五メートルという距離を瞬時に詰める。右拳が大司教の脇腹を打った感触を覚えた。
苦悶に顔を歪めた大司教は後方に下がる。
僕は逃がさないように跳躍し、体をひねって回し蹴りを放った。
「デュクシ!」
蹴りが大司教の顔面を捕らえたと思った瞬間、今までそこにいた大司教の姿がパッと消えた。
だが、僕は脚をそのまま旋回させる。背面まで蹴りが届いた時、確かな手応えを得た。
着地と同時に、壁際まで宙返りをして跳ぶ。
壁を背に構えを取ると、対峙した先に腕で蹴りをガードしたままである体勢の大司教が、口元を歪めて笑っていた。
「これは驚きました。人間かと思いきや、あなたも魔人だったとは。しかもこの魔法は、かの有名な闘魂……!」
口調は愉快そうだが、瞳はまったく笑っていない。大司教はリイナを見る。
「主人かと見せかけて、あなたの親類でしたか。しかし妙です。克田家の血筋は代々、空色の髪と瞳を持つはずでしたが?」
大司教から視線を逸らして、リイナは素っ気なく答えた。
「私の甥っ子だわ。お姉ちゃん……克田ルイーゼと人間のハーフよ」
一度だけ大きく目を見開いた大司教は、興味深げに僕をまじまじ見つめた。
「まさかの亜種でしたか。しかしそれにしても……」
憐れみと軽蔑の眼差しに、怒気が溢れた。
「随分と、残念な運命に翻弄された魔人なようですね」
魔力が一気にたぎった。
自分ばかりでなく、母さんや父さんまで侮辱されたのは我慢ならなかった。
全身を膨大な魔力が駆け巡る。
フロア全体がビリビリと震え、警備員達は慄きながら槍を構えた。
しかし大司教は手で制止を掛ける。
「手出しは無用です。ここは私が一人でお相手しましょう」
「しかしながら、大司教」
「構いません。これもまた一興です」
高貴な笑みを浮かべ、前に歩み出る。両手を横に広げた大司教は「では、参りましょうか」と宣戦を告げた。

僕は構えを取ったまま、ジッと大司教を見据えていた。
今すぐにでも攻めたいところだが、まずは大司教が動くのを待った。
こうして壁を背にしていれば、瞬間移動をされようとも死角は突かれないはずだ。正面と両サイドに来たのを叩けば良いだけのこと。
後の先の攻めで大司教を討ち取る。逸る気持ちを抑えながら、僕は大司教の一挙動に注目した。
「やれやれ。闘魂の魔人にしては随分と大人しい少年だ。こんな膠着状態では、せっかくの闘いも楽しめ」
肩をすくめて見せた大司教が、前振りもなく姿を消した。
来た! 僕は条件反射的に両腕を真横に突き出す。
「ないと思いません、かっ!」
視覚では捉えられなかったが、右手に手応えがあった。
僕はすかさず左側に蹴りを放った。そう、右ではなく左である。
だが予想通り、大司教の脇腹に蹴りが入った。
すかさずローキックを放つが、大司教は瞬間移動で逃げる。しかし僕は真っ直ぐ前に跳んで、何もいない空間に拳を振るう。
その拳が、狙ったかのように突如として現れた大司教を吹き飛ばした。
僕は深追いせず、また壁を背にして構えた。
周りで見守っていた警備員達は、信じられないように口をあんぐり開けていた。
大司教も苦虫を噛み潰した顔で、血の滲んだ口元を拭った。

瞬間移動を繰り返す大司教に打撃を与えるには、死角を潰すことと、逆に死角を作ることが重要である。
大司教に手を触れられれば、どこに瞬間移動をされるか分かったものではない。
ならば触れられないよう気を付けるのが大事だが、逆を言えば、待っていればあちらから間合いに飛び込んで来るということだ。
ならば死角を作り、誘ってやればいいだけのこと。
そして攻撃が当たったら、逃げようとする空間に攻めていけばいいのだ。
「頭脳を使った攻撃なら得意中の得意です。これでもずっと学年主席をキープしていたんですから」
挑発的に指をクイクイさせて大司教を煽る。品の良い端正な顔立ちが、屈辱に歪んだ。
「力任せの闘魂の魔法が、頭脳プレーですか。これだから亜種は闘い難くて嫌ですね」
「褒め言葉として受け取らせてもらいます。今度はこっちからいきますよ!」
両足に力を込めて一気に跳躍する。
飛び蹴りで大司教の顔面を狙ったが、予想通りに瞬間移動で逃げられた。
しかしさっきと同じ要領でやればいい。
背中が空いたのが好機だと大司教には見えただろう。飛び蹴りの態勢でグッと体を捻り、旋風脚が背後にいた大司教にヒットした。
着地と同時に四方八方へパンチを無数に繰り出す。
シャドウボクシングのようでもあるが、闘魂の魔法で身体能力が飛躍的に上昇しているのだ。
ジャブの防壁が大司教の接近を阻むと同時に、ダメージを与えていく。
無理な状態からの攻撃なので腰が入った有効打は少ない。当てるだけが精一杯だが、それでも確実に大司教へのダメージは与えている。
その証拠に先ほどまで攻めてきた大司教が、今では防戦一方だ。
それでも僕は攻撃の手を緩めない。僅かでも間を空ければ、大司教へ反撃のチャンスを与えてしまう。
魔人というものはやっぱり闘いが大好きらしい。
最初は不安げに見守っていた警備員達だが、いつの間にか瞳を爛々と輝かせて歓声を上げている。
リイナも手を握りしめながら、声を張り上げて応援してくれていた。
大司教への攻撃が当たる回数が増えてきた。瞬間移動のタイミングが徐々にズレてきている。
向こうの魔力が減退している証拠だ。
「デュクシ!」
やや大振りになった回し蹴りが大司教へクリーンヒットした。
腕でガードはしていたが、派手に吹っ飛ぶ大司教。
湧き上がる歓声。
僕は右手にありったけの魔力を溜めて、地面を蹴った。
立ち上がろうとした大司教の膝がガクリと崩れる。
確信した。討ち取れる!
「うぉおおおっ!」
気合いを発して最後の一撃を振りかぶった。
フラリと鈍く顔を上げる大司教。
その顔面に、全ての力を叩き込んでやろう! と思った瞬間だった。
無表情の大司教が素早く指で円を描く。
え? と思うと同時に、もの凄い衝撃が僕の顎を打ち抜いていった。
「がはっ!」
体がゴム鞠のように吹き飛んでいく。壁に激突して、ぐしゃりと地べたに落ちた。
痛みというよりも驚愕と衝撃で意識が途切れ途切れになる。鼻から下の感覚がなくなっていた。
視界がかすむ中、口元を震える手でさぐってみる。
幸いにも手触りはあったが、手のひらは血まみれになっていた。
真っ赤に染まった自分の手を見て、また意識が飛びそうになる。
そんな僕の頭上から、朗らかな大司教の声が降ってきた。
「思った通りです。闘魂の魔法はより強い攻撃を繰り出す瞬間、反比例して防御力が弱まるのですね。きっと、体を覆ったシールド用の魔力も攻撃に変換するからでしょう。これは良いデータ収集が出来ました」
頭を上げようとするが、全身に力が入らない。脳みそがグワングワンと回る。
大司教の声だけが、いやにうるさく耳に入ってきた。
「いかがでしたか? 自分の拳の重さは。己の身を持って実感したでしょう。闘魂の魔法の威力を」
僕はさっきの状況を思い出した。
大司教の体制が崩れて、チャンスとばかりに全力でパンチを振るった。
その時、大司教は目の前に指で円を描いた。そこへパンチを叩き込んだ僕。
ぼんやりとだが、記憶が蘇る。
その宙を切り取ったような円の中に映っていたのは、僕の姿だった。
「私の魔法はゲートです。ありとあらゆる空間を、一瞬で繋ぐことも可能です。例えば、私の目の前とあなたの横っ面、とか」
愕然とした。
完全に手玉にとられてしまったことに、悔しさを通り越して情けなくなってしまった。
結局は僕もジンと同じく、自分の魔力をそっくりそのまま利用されてしまったのである。
完敗だった。

もうすっかり高貴な微笑みに戻った大司教は、銀色に輝く輪っかをスッと取り出した。
それば手のひらから消えたと思うと、一瞬で僕の首にかけられていた。
体が急激に重くなる。次いであれだけ漲っていた闘争心も、フッとどこかにいってしまった。
「魔法拘束具です。もう立ち上がる気力もないでしょうが、念には念を入れさせて頂きます」
誰かがパタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえる。それが耳元で聞こえたと思っていると、仰向けの僕に覆い被さってきた。
「改人くん! 大丈夫? ねぇ、目を覚まして!」
ぼやけた視界に映ったのは、空色の瞳を涙でクシャクシャにしたリイナだった。
抱きついてきたリイナの柔らかい感触が、全身の痛みを緩和してくれる。
僕はリイナの背中に腕を回そうとしたが、腕に力が入らずダラリと垂れ下がった。
「ごめんね、私のせいで。ごめんね、こんなところに来なければ……」
リイナの声が震えていた。
僕はそんなことないよ、と伝えたかったが、顎がカクカクして上手く口が動かせない。
リイナの涙すら拭ってやれない非力な自分が、たまらなく悔しかった。
「皆さん、観戦に熱が入ってしまうことを咎めるつもりはありませんが、職務意識はしっかりと持って頂かないと困ります。逃走中の罪人の確保を」
大司教の穏やかな叱咤に、警備員達は我に返る。そして慌てて僕達を取り囲んだ。
「捕縛員、克田リイナを捕らえよ」
大司教の命令に合わせて、歪な形の杖を持った警備員が前に出る。そして杖を掲げると、リイナはそのまま万歳の格好で宙吊りになった。
「救護員、この少年に軽くヒーリングを。半分は人間となれば、ある程度は慈悲を与えなくてはなりません」
 白衣の警備員が、僕に手をかざして何か呪文を唱えた。
すると体中の痛みが嘘のように消え、朦朧としていた意識も回復した。
「それではこのまま、判決の間に移動します」
 まだ終わったわけじゃない、そう自分に言い聞かせながら、歩き出そうとした時だった。
 大司教がカッと目を見開いて振り向いた。そして次の瞬間には目の前の景色が一変したのである。
 瞬間移動させられた、と思うと同時に離れた場所で火柱が立ち昇った。次いで耳をつく咆哮。
「がぁあああっ!」
 十メートル先に見えたのは、ふらりと立ち上がったジンだった。
 両腕を広げ手の平から火炎を放出させる。鎮火したはずの焼け炭が、内側に赤々とした焔を潜ませていた。
「素晴らしい。まさに炎のような執念と申しましょうか。あんな状態でここまで高い魔力を放てるとは瞠目に値します。三十七代目高杉ジン、これは父親以上に有望です」
 言葉とは裏腹に乾いた拍手を送る大司教。その瞳は半ば憐れむようにすら感じられた。
 頭も上げずにただ闇雲に炎を繰り出すジンの姿は、さながら深手を追って、もがく獣のようだった。
 最初はおののき逃げ惑っていた警備員だが、狙いの定まらないジンの攻撃に統制を立て直す。
 そして隙を窺っていた警備員が、短い掛け声と共に槍を突き出した。
「危ない! 高杉!」
 リイナの悲痛な叫びが響き渡る。槍はジンの脇腹に深々と突き刺さった。
 ニヤリと口元を歪める警備員。だがすぐにその顔は驚愕に染まった。
 ジンは自分に刺さった槍を掴むと、体ごと握っていた警備員を灼熱の炎で爆発させた。
 黒焦げになって崩れ落ちる警備員。だがジンも同様にガクリと膝を突いた。
 脇腹からはガスが漏れたように、残った炎がメラッメラッと吹き出す。
 それでもジンは執拗に捕らえようとする警備員を追い払うように、雄叫びを上げながら炎を止めない。
 安全な場所から見守っていた大司教は、やがて興味を失ったように踵を返した。
「大司教、放っておいてよろしいのですか?」
「問題ありません。あの様子では長くは持たないでしょう」
 炎の獣を取り巻く十人近くの警備員。ジンの太ももに槍が突き刺さる。鮮血を吹き出す替わりに、紅蓮の炎が槍を握った警備員を焼き焦がす。
 大司教の言葉を疑う余地はなかった。
「では各々方。判決の間に参ります」

 ここからが正念場だ。まだ、終わったわけじゃない。
 僕は未だに少し痛む顎を撫でながら、そう心を奮い立たせた。
 確かに大司教との戦いには敗れたが、それで今回ここにきた目的が潰えたわけではないのだ。
 チャンスを窺い、何としてでも目的を果たさないといけない。
 命を張ってまで、道を切り開いてくれたジンのためにも。

 ……元はと言えば、あの人が勝手にやらかして招いた事態だということは、あまり深くは考えないでおこう。

☆ ☆ ☆

 判決の間を一言で表せば、外国で見かける大きい聖堂のようだった。
 床は幾何学模様の石畳、頭上にあるステンドグラスからは煌々と鮮やかな光が降り注いでいる。
 壁面にも大小のステンドグラスがはめ込まれているが、大体は壁も白く塗り固められていた。
 今まで地下にいたからか、この空間が随分と明るく感じる。
 いや、罪を裁く神聖な場所に相応しい間ということか。
 その判決の間の中央には、腕を広げて宙吊りにされたリイナ。見えない十字架に張り付けでもされているかのようにすら見える。
 僕は少し離れたところで、まだ後ろ手を縛られたまま座らされている。
 リイナの四方を囲むのは、杖や槍を携えた二十人ほどの警備員。
 そして正面におわす大司教が、ゆっくりと口を開いた。
「罪状の確認をします。克田リイナ、あなたは今から四年と四カ月前の十一月三日。人間界の住人である井上重信という男性の精神に、願い事を用いて魔力を介入させた。間違いありませんね?」
「はい。その通りです」
 リイナは苦しげな表情で身をよじろうとするが、捕縛の魔法が強固なのか体を揺すった程度だった。
 大司教は淡々と話を進める。
「どんな願い事を叶えたのですか?」
「シゲノブが、私の言うことをなんでも聞いてくれるように、です」
「そしてその結果、井上重信の精神を折れない構造に改変した。そしてその直後に、自分の記憶を消すように井上重信に願い事をさせた」
「そうです」
 相違なかった。父さんに聞いた通りの内容だ。
「あなたはそれを、魔人の禁忌だと知っていたのですか?」
「知っていました」
「知っていてなお、魔力を使ってしまったのですね?」
「……」
 口を閉ざすリイナ。大司教は執行人として表情を崩さない。
「では、甘んじて処罰を受けますね?」
「はい」
 大司教は鷹揚に頷き、リイナを注視する。リイナはといえば、落ち着かなく体をよじろうとしていた。
「克田リイナ、なぜあなたはそのような禁忌を犯そうと思ったのですか?」
 目をパチクリさせるリイナ。罪状の確認というよりも、興味本位に近い質問だ。
「なんで、って言われても……」
 困ったように眉を下げる。
「もしも今あなたが、当時に戻ったとします。それでも禁忌を犯すと思いますか」
「すると思います」
 あまりの即答に、大司教のポーカーフェイスが始めて崩れる。
「そうですか。
もう一つ質問です。あなたは井上重信を自分の意の思うままにさせようとしましたが、本当は二つ目の願い事で何をさせようとしたのですか?」
「これ以上、願い事をさせないようにする、です」
 その場にいた全員が顔を曇らせた。僕も意味が分からずに首を傾げたが、次の一言でハッと息を飲んだ。
「もしもあのまま、シゲノブとお姉ちゃんが仲良くしていたら、いつかきっと二人は私の目の前からいなくなってしまう。私がシゲノブの傍にいれたのは、私がシゲノブのランプの魔人だったから。三つめの願い事をした瞬間に、私とシゲノブの契約は切れてしまう。だから、ずっと二人の傍にいれるように、お姉ちゃんの傍にいれるように、って」
 そしてリイナはにっこりとほほ笑んだ。その笑顔が、三年前に亡くなった母さんにそっくりだった。
「私は確かにシゲノブが好きでした。でもそれ以上に、お姉ちゃんのことも大好きだったんです」
 リイナの頬に涙がつたう。判決の間が水を打ったように静まり返った。
「お姉ちゃんがいずれ、シゲノブについていく事になるだろうと思っていました。だからそうなったときに私がまだランプの魔人でいれば、私はお姉ちゃんともシゲノブとも繋がっていられる。でも結局、私は二人とも手放してしまった事になったもんね。やっぱり我がままだったんだわ」
 保育園の頃、僕には仲が良い女の子がいた。
 その子は一つ年下の妹がいて、いつも何をするときにも、その妹はくっついてきた。
 もちろん僕の家に遊びにくる時もあったが、決まって母さんはその子ではなく、妹の方を可愛がっていたのである。
 母さんを取られて面白くない気分だったが、その姉妹が帰る時に母さんは必ず憂いを帯びた表情で見送っていた。
 だから僕はなんとなく、その姉妹が遊びにきた時は何も言わずに、母さんの好きなようにさせていたのである。
 住む世界は別々になってしまったけど、きっとリイナと母さんはお互いに、心の底で繋がっていたのだろう。
 溜め息混じりに首を横に振る大司教。
「あまりにも身勝手で浅はかな願いです。さて、それでは……」
 大司教は右手を真っ直ぐ横に伸ばす。すると瞬きをする間に、その手には人の背丈ほどの杖が握られていた。
「罪状確認は以上です。これより、克田リイナには禁忌を犯した罪を償うべく、罰を受けてもらいます」
 銀細工が施された杖の先端には、小型の刃物のような形が幾重にも螺旋を描いていた。さながら裁きの杖とでも呼ばれていそうな代物である。
 大司教はその杖をリイナ目掛けて差し出す。
 僕は唾をゴクリと飲み込んだ。
「魔力拘束具を解除します。捕縛の担い手を増やして下さい。なにせ相手は闘魂の魔人、並みの力では抑えきれないかもしれません」
 大司教の指示に併せて、歪な杖を持った警備員が六人ほど、リイナに囲んだ。
 僕は舌で唇を湿らす。一番短いセリフを頭の中で何度も復唱した。
「それでは、解除します」
 大司教の持った杖が光ったと思った瞬間、判決の間に突如として振動が襲った。
 壁面のステンドグラスがビリビリと揺れる。強烈な波動の発信源は言わずもがな、首輪が外れたリイナだった。
 捕縛員の一人がグッと歯を食いしばる。
「な、なんというな魔力だ! 十人掛かりで、やっと抑えきれているというのか!」
 この場にいる全員がリイナを注目している。そんな宙吊り状態のリイナが、目だけで僕に合図を送る。
 チャンスなら今しかない!
 僕は大きく息を吸う。
「ランプの魔人! 願いを叶えて!」
 突然に声を発した僕に、全員の視線が一気に僕へ集結する。
 そして、やっと気付いたとばかりに目をカッと見開いた。
 僕の口からは、既に次のセリフが飛び出していた。
「君の魔力を全解ほ……!」
 言い切った! と思った。
 ここ一番のタイミングで、自分の役割を完全に果たしたと思った。
 あとはリイナの反則並みの魔力に任せて、魔人界からはおさらばだと思っていた。
 だが、しかし。
 僕の声帯は最後の一言を言う直前で、途端に停止した。
 異変を感じた時には既に遅かった。どれだけ叫ぼうとしても声は出ず、まるで喋り方を忘れたように、喉からはヒーヒーと息が漏れるだけだった。
 周りを見渡すと、一人の警備員が杖を僕に向けていた。その先端が、リイナに向けられた杖と同じように光っている。
 不敵な笑みを浮かべる警備員。
「人間相手に魔力を行使する無礼をお許し願いたい、大司教」
 息を飲んでいた大司教は、ホッと胸をなで下ろし言った。
「いえ、迂闊でした。この少年が克田リイナの主であることを、よくぞ覚えて下さいました。願い事次第ではどんな状況も一変してしまいますからね」
 僕は喉を押さえて声を振り絞ろうとする。
 あと、もうちょっとなんだ。その一言さえリイナに伝えられれば、僕達の勝利なのに。
 リイナを見上げると、浅く瞳を閉じて首を振っていた。絶望感が胸に広がっていく。
 あと、本当にもうちょっとなのに。ほんの少しでリイナを救えるのに……。
 額を地面にこすりつけ、声にならない嗚咽を漏らす。
 ごめんなさい、父さん。リイナを助けることが出来なかった……。
 ごめんなさい、リイナ。僕は、君の主人失格だ……。
頭上から、大司教の声が聞こえる。見れば大司教も宙に浮き、苦悶に顔を歪めたリイナと対峙していた。
「それでは各々方、改めまして克田リイナの処罰を執行します」
 捕縛員以外の槍を構えた警備員達は、一斉に跪き頭を垂れる。大司教の持つ裁きの杖が、鈍く点滅を開始した。
「悔い改めよ、禁忌に手を染めし魔人の子よ。汝はこれより与えられし罪を償うべく、大空を駆け巡る翼を失う。地を這い、か細い両脚で奈落を進め。そしてその身が朽ち果てるまで、神の身元に汝の翼を預け賜え」
 ゆっくりと弧を描く杖に合わせて、点滅する光も強まっていく。
 リイナの全身から、ぼんやりと青白い光が、ボトボトとこぼれ始めた。
「翼を、汝の生命の源泉たる魔力を神に……」

 その時だった。
 閉鎖されていた判決の間の扉が、爆発で吹き飛んだ。

更新日 7月5日

反射的に立ち上がって槍を構える警備員。大司教も険しい顔で杖を収め、地面に着地する。
「この期に及んで、まだ邪魔立てする輩がいるとは」
 もくもくと煙が舞い上がり、その奥から人影が見えた。やや背丈の低いその闖入者は、恐れるでもなく判決の間に足を踏み入れた。
 困惑の表情を浮かべる警備員達と大司教。
 僕はあまりの驚愕に言葉を失った。いや、元々は捕縛員の魔法で声帯を封じられていたのだが、もしも普通の状態でも必ず絶句していたであろう。
 だって、その人物はやんわりと腕を組んで胸を反らし、その場にいる全員を見下すような視線を浴びせて言ったのだ。
「気に入らないわね。おもしろ半分で観に来てみれば、随分とピンチな状況じゃない。そんなんじゃ私の目の前で跪くのに相応しい男になれないわよ、井上くん?」

 佐々木茉莉だった。

 何故、佐々木がここにいる? と頭が混乱するよりも先に、氷の女王様の背後から炎の従者が現れた。
「危ないので下がられよ、我が主」
「黙りなさい。なぜ私が他人の後ろに隠れてコソコソしなくてはいけないの。私は常に誰よりも先頭に立つのが相応しい女よ」
「御意」
 低頭するとジンは佐々木の後ろに控える。全身はボロボロのままだが、双眸は理性的な緋色の炎が戻っていた。
「……!」
 味方の登場のはずだが、敵以上に慌ててしまう。色々と問いただしたいが、声が出ない。
 ただ手足をばたつかせるのが関の山だった。
「なによ、私に会えて声も出ないくらい嬉しいってこと? そんなので喜ぶのは一山いくらの市井娘くらいよ。この世にある万の単語と千の文法を用いて、私を誉めちぎり崇め奉りなさい。さぁ、早く」
 小首を傾げてまったく的外れなことをのたまう佐々木。その後ろでジンが助言を促す。
「あれを見よ。あの杖を持った魔人の魔力で、少年の口が塞がれているのだ。おおかた、なぜ我が主がここにいるのかと問いたいのであろう」
「なんだ、そんなこと。つまらないわね。クズ、役目よ。解説しなさい」
 顎でしゃくられたジンは、メガネをクイッとたくし上げて口を開いた。
「我が主は聡明なお方ゆえに、魔人界における我々の危難を見抜いておられた。少年らがここに移動した矢先、私は人間界に召喚されて九死に一生を得たのだよ」
「あっちの世界では既に夜の十二時を回ったわ。このボロクズの召喚が可能だったのよ。どうせこいつの事だから、勝手に勘違いして勝手に暴走して勝手に野垂れ死ぬ寸前だと思っていたし、用事もあったからね」
 ジンは悔しそうに唇を噛み締めているが、残念ながらビンゴです。
 なるほど。僕がこっちに来て確かまだ二時間近くしか経っていないが、人間界では四倍の時間が経っていたのか。
 さらにジンが召喚されて戻ってくるには、人間界で三十分なのでこっちでは僅か数分の出来事。ランプを利用した時間差マジックである。
 しかし。
「それで、炎の魔人くん。これから一体どうしようというのでしょうか? そこにいる君のご主人様の願い事を使って、この場を切り抜けるつもりですか」
 そう言った瞬間、入り口にいた佐々木が大司教の横に移動していた。
「そんなに上手くはいかないようですね、残念ながら」
 周りで見守っていた警備員が、一斉に大司教ごと佐々木を取り囲む。
 もしも佐々木が願い事をする素振りでも見せようものなら、手荒な手段をも辞さない様子だ。さらに多人数の槍持ち警備員も、ジンに刃先を向けて陣形を整える。
 この場を覆せる材料なんてどこにもない、佐々木とジンが駆けつけたところで事態が好転するわけもない、そう思っていた。
 佐々木は敵意を剥き出しにする魔人達を一睨みする。危機的状況だが臆することなく、声高に大司教へ告げた。
「見くびらないでもらいたいわ。私の主はあくまで私だけ。私に命令をできるのは、この世で私だけなの。なぜ私が他人のために、ましてや頭と尻が緩いバカ魔人のために願い事を使わないといけないの? 私はこの場にいる誰にも用事はないわ」
 佐々木の孤高な演説にその場にいた全員がポカンと口を開ける。大司教ですら、理解できずに表情を曇らせていた。
「用事があるのは、ほら。あの人よ」
 佐々木が指差した先は、瓦解した判決の間の入り口。シーンとした空気の中、コツコツと革靴の音に次いで、落ち着いた低い声が響いた。
「最後の願いを叶えてもらおう、ランプの魔人よ」
 心臓がビクッと竦んだ。手がわなわなと震える。
 その声を毎日耳にしているはずなのに、ひどく懐かしい気がしたのは何故だろう。
 皺一つないジャケットに身を包み、髪はビシッとオールバックで固めたその人は、鼻の下に蓄えたヒゲを指でいじりながら、判決の間に堂々と現れた。

「君の全魔力を解放したまえ、リイナ」

 心に分厚い鋼鉄を持つ男、僕の父さんがそこにいた。
 突然に現れた男性と口にしたセリフに、魔人達は混乱を露わにした。克田リイナの主は僕だけのはず、そういう先入観が一瞬の判断を狂わせた。
 だが、その一瞬が魔人達にとって命取りだったのである。
 この中では最も頭の回転が速いのは、やはり大司教だった。彼はカッと目を見開くと、声を荒げて命令を下した。
「その男こそ井上重信、前の主人だ! 克田リイナの口を塞げ! 詠唱をさせるな!」
「遅いっ!」
 ジンの放った高速の炎の矢が、的確に捕縛員の杖だけを弾いていく。
 宙吊りのリイナは目を爛々と輝かせる。そしてニンマリと口元を歪ませると笑い声を上げるように叫んだ。

「契約コード詠唱! ズット・オシリ・カユカッタ・ノヨー!」

 リイナの体が眩く青白い光を放ったと思った瞬間、判決の間にいた魔人達だけが、弾かれるように壁面へ叩きつけられた。
 頭上に輝くのは『0』の文字。
 お尻を両手でバリバリと掻きむしりながら、リイナは嬉しそうに宣言した。
「悪いけどこの場にいる全員、瞬殺しちゃうね。めんどくさいから」

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08:58  |  駄・ランプ  |  CM(4)  |  EDIT   このページの上へ

2012'06.20 (Wed)

駄・ランプ  第七章

地下二階までやってきた。
階段はそこで終わっていて、細長い廊下が続いている。
どうやらそこからは一本道なようで、建物の構造がわかりやすくて助かるが、罠に誘い込まれている気もしなくはない。
ジンを先頭に僕達は進む。周囲に注意を払いながら、やや小走り気味に。
「ようやく半分以上まで来たようですね。このまま逃げ切れればいいんですけど」
前を行くジンは振り向かずに答えた。
「あの程度の雑兵ばかりなら容易いがな。しかし、そうもいくまい。魔人裁判所の警備がこれほどヤワだとは考えられん」
「もっと強い人達がいっぱいいるんですか?」
廊下の行く先が大きく開けているのが見えた。
そこには地下だというのに燦々と光が降り注いでいた。特殊な照明でも使っているのだろうか。
そして地面には石畳が敷き詰められており、中心には豪華な噴水が設置してある。さながら中庭といった空間が全容を露わにした。
光に誘われるように歩調が早まる。
「魔人は好戦的な種族でな。困ったことに何事も力で解決しようとするきらいがあるのだよ。それが悪事を犯してここに連行されるような輩なら尚更。故に魔人裁判所には手練れな者達が常駐していると聞く。力を押さえつけるには、より強大な力に頼るのが手っ取り早いのだよ」
先に中庭へ足を踏み入れたジン。だがピタリと立ち止まると、右手で僕を突き飛ばした。
「こ奴らのようにな!」
リイナと一緒に後ろへ転ぶ。何をするのだと顔を上げたそこに、重量を持った何かがズドンという派手な音と共に降ってきた。
その衝撃で僕とリイナは、さらにこんがらがりながら来た道を押し戻された。
「一体、何が……」
舞い上がった土煙の向こう側では、ジンと誰かが交戦しているのがわかった。
建物を揺るがす衝撃と破壊音。赤々と立ち昇る火柱の光。
唖然とする僕の横をすり抜け、リイナは未知の修羅場に躊躇なく舞い込んでいった。僕も竦んだ足を無理矢理に起こして中庭に入っていった。
「ふはは! さすがにやるではないか、炎の魔人よ! まさかこんな所で、お前とやり合えるとは思わなかったぞ!」
豪快に高笑いを響かせるガタイの良いその魔人は、体以上もある大型のハンマーを軽々と振り回した。
一度でも掠れば体が粉々になりそうな攻撃を、ジンは軽快なフットワークでかわしていた。
「ふん! 貴様のような筋肉ダルマの相手は好まん! もっとインテリジェントな魔人を相手にしたかったものだ!」
バスケットボール級の火の玉を立て続けに三つ放つジン。ムチムチと肉をしならせた魔人は、それを順番にハンマーで叩き落としていった。
しかし最後の一つを横殴りにした瞬間、火の玉がかき消えるのと同時にハンマーも蝋のようにグニャリと溶けて地面に落ちた。
「力馬鹿を相手にするのは、克田だけで充分!」
大柄な魔人が火の玉を処理している僅かな時間で、ジンは頭上に巨大な火で出来た槍を構えていた。
そしてそれを魔人目掛けて、思いっきり投げつけた。
グッと歯を食いしばって身を堅くする魔人。しかし彼の前に突如として現れた氷の壁が、火の槍を阻んだ。
炎との激突で、氷は炸裂と共に一瞬で個体から気体に変化し、蒸発する。
そして続いて、鈴を転がしたような声がどこからともなく聞こえる。
「インテリジェントって、こんな感じでいいかしら~ん? ジンジ~ン」
声の主を探してあたりを見渡す。するといつの間にいたのか、噴水のてっぺんに小柄な女性が薄笑いを浮かべて座っていた。
「私が思うにね、ジンくんはインテリジェントの意味を勘違いしていると思うの~ん。接近戦はおバカ、遠距離攻撃はスマートっていう思考の方が一番、頭悪~い。でも、そんなところがまた魅力的~♪」
顔から髪まで粉雪のように真っ白なその女性は、カラカラと笑った。
ウェーブのかかった髪を流すように一つで束ねている。頭にアクセントで飾った大輪の青いバラが、子供と見間違えてしまう容姿から幼さを消している。
「黙れ、氷結の魔人よ。力任せな魔人は馬鹿だと相場で決まっているのだ。誰かさんみたいにな」
ぶ然と腰に手を当てたリイナが反論する。
「誰が馬鹿よ。少なくともあんたよか頭いいわよ。あんた、私が通っている大学を二次募集までことごとく落ちたくせに」
「う、うるさい! それ言ったら絶交だって約束したじゃん! りっちゃんのブス!」
「絶交して。お願いだから今すぐ絶交して」
低レベルなやり取りをしていると、大柄な魔人は腹の底から声を上げて笑いながら、噴水のそばで仁王立ちした。
「相変わらずな奴らだな、お前らは! 克田も久しいな! こんなところで会うとは、夢にも思わんかった!」
どうやらこれまた顔見知りらしく、リイナは軽く手を挙げて答えた。
「修羅の魔人、剛森バイオンくんね。中学校の時のわんぱく相撲大会以来だわ。元気してた?」
「がはは! 元気も元気よ! わんぱく相撲の時に、お前からへし折られた左腕と鎖骨が未だに痛むくらいだ!」
全然わんぱくじゃねー!
「ふ~ん、そうなんだ。ところで一つ相談なんだけど、昔のよしみってことで黙って通してくれない? あとで一杯おごるからさ」
「相変わらずやる気と実力が釣り合わない女だな! この任務を果たせたら、パートから正社員に上げてもらう約束をされているのだ! お前らの首には俺の将来も掛かっているのだよ! 何があっても通すわけにはいかん! のぅ、氷結の!」
氷結と呼ばれた真っ白な女性は口元を綻ばせて笑ったが、視線は対峙しているジンを捉えたままだ。
「そういうこと~ん。なんせ就活氷河期時代だから~、職種なんて気にしてられないのよ~ん。どうせ同じ警備員なら、自宅より裁判所の方が格好いいと思わな~い? それとも私をジンくんのおうちに永久就職させてくれる~?」
「あいにく私は実家の乾物屋を継ぐ予定だから、ニートにはならないのだよ。残念だったな、氷結の魔人、伊丹スノウ」
語尾を甘ったるく伸ばす氷結の魔人。ジンは挑発には乗らずにメガネをクイッと上げた。
肩をすくめる伊丹。そして「さっさと片付けちゃいましょ、剛森」と言いながら、噴水に手を突っ込んだ。
手のひらで水を上空にパシャっと払った瞬間、剛森の前に氷で出来た武器が次々と宙から落ちてきた。
先ほど振り回していたハンマーに鋭利な両刃剣。三つ叉の槍に斧、モーニングスターやヌンチャク。バールのようなもの、といったありとあらゆる武器が一斉に揃った。
「がはは! さすがは氷結! どれもこれも我が魔力、千の武器を駆使する修羅の魔力に耐えうる業物ばかりよ! しかし、俺はどうも刃物は好まん」
そう言って剛森は地面に刃先が刺さった剣を握ると、握力だけで粉々に砕いてしまった。
「やはり振るうは鈍器に限る! 何故かわかるか! 相手の肉体が、我が力でグシャリと押しつぶされる感触が堪らんからだよ! がはは! 痛っ、指切っちゃった」
トゲの付いた金棒を両手に持つと、剛森は強度を確かめるように地面にガンガンと金棒を打ちつける。
その度に建物全体が揺れるので、僕とリイナはたたらを踏んだ。
「安心して~ん。私の生み出した氷結製の武器はダイヤモンド並みの強度よ~ん。もっともジンくんの炎には弱いけどね~ん。私はジンくんの甘い言葉に弱いけどね~ん」
「がはは! 知っておるわ! では参るぞ、炎の魔人よ! 氷結の! 後方支援は任せた!」
一度どっしり腰を落とした剛森は、両脚に溜めた力をバネにしてジンに襲いかかった。
「笑止! 貴様ら如きが、この三十七代目高杉ジンを止められると思っているのか! 全てを灰に帰してやろうぞ!」
剛森の金棒を後ろに飛んでかわすジン。そしてすかさず炎の弾丸を立て続けに繰り出す。
豪快なスイングで炎を叩き落とすが、何発かしないうちに氷で出来た金棒は、熱で水へと溶けてしまった。
「氷結の! 次っ!」
そう叫んで手をかざした剛森の頭上に、氷製のハンマーが現れる。それを両手でしっかり握ると、一気に距離を詰めてジン目掛けて振り抜いた。
「危ない!」
しかしジンは素早く跳躍をして上空へと逃げる。そして驚いたことに何もない空間を蹴ると、自由自在に宙を移動し始めた。
「な、なんだあれ」
呆気に取られる僕に、リイナはジンを指差して言った。
「足の裏で爆発性の高い炎を小刻みに発しているの。それで空中移動が可能になるわけ」
よく観察してみると、確かに足の裏から緋色の炎が線を引いている。
「もう、ジンく~ん。小バエみたいにチョロチョロ逃げないでよ~ん」
煩わしげに噴水の水を手で払う伊丹。すると宙に舞った水滴は無数の氷の矢となり襲いかかるが、ジンはスイスイと避けた。
「おぉ、ジンさんすごい!」
基本的な火力もさることながら、こういう用途でも器用に炎を操ることを出来るとは。
すっかりジンのことを見直したが、リイナは口に手を当てて「鉄腕アトムみたい。ぷくく」と笑っていた。
「逃げ回ってばかりでは埒があかんぞ! 降りてこい! 卑怯ものめ!」
地上では剛森がハンマーを振り回して叫んでいる。ジンは足元に一瞥をくれながら、その間に伊丹の氷の矢をかわして上空を駆け巡っていた。
「あの状態だと降りるに降りられませんね。でも修羅の魔人を相手にしなくていいんなら、ジンさんにも勝機があるんじゃないですか。氷結の伊丹さんよりジンさんの方が強いでしょ?」
二人掛かりなら分が悪くても、一対一に持ち込めれば話は別だ。
「まぁ、実力だけみれば高杉の方が強いわね」
腕を組んで戦闘を見守るリイナ。その表情がいつになく真剣だ。
「じゃあ先に伊丹さんを倒せば、武器を調達できない剛森さんは相手にならないでしょう」
「いや、そんな簡単にはいかないだろうし。それよりも……。やっぱり高杉はバカだわ。気付かれちゃっている」
えっ、と息を飲んでリイナの視線の先を辿る。噴水に腰掛けた伊丹が、不敵に笑った。
「な~んだ。そういうこと~ん」
そう言うやいなや、伊丹は噴水に両手を突っ込むと、水遊びをしている子供のようにパシャパシャと水しぶきを上げた。
「バイオ~ン。下の方は任せたわ~ん」
水しぶきは次々に氷の矢となり、上空のジンへと襲いかかる。だがジンは蝶のようにヒラリヒラリと上手くかわしていく。
それにも構わず、伊丹は氷の矢を繰り出すのを止めようとしない。
ジンの空中移動の方が、氷の矢よりも段違いに速い。ツバメを水鉄砲で撃ち落とそうとするのと同じだ。
実力差が違いすぎて、ジンがおちょくっているようにすら見える。しかし、伊丹が浮かべている不敵な笑みはますます大きくなっていた。
そして目の前にある光景に、違和感を抱く。
「ジンさん、なんで反撃をしない?」
あれだけの火力ならば、上空から伊丹目掛けて炎を放てば一瞬で済む話なのに。ジンはただ空中を逃げ惑うばかりだった。
もしかして、これは……。
「反撃しないんじゃなくて、反撃出来ないのか?」
「そういうこと。高杉はあの力を使っている最中、他の魔法を二重で使用出来ないの。一旦、鉄腕アトムを解除して伊丹ちゃんに攻撃を仕掛けても、空中落下で地上にいる剛森くんに叩かれちゃう」
伊丹は氷の矢の連射を止めない。あれでは攻撃に転じる隙もないだろう。
しかも伊丹の攻撃がやみくもではなく、隠された意図があった。
「……あ」
ジンばかりを眼で追っていたせいか、それに気付いたときには既に遅かったのである。
「ジンさん、逃げて!」
思わず声を張り上げた僕に、ジンは何事かと目を見張る。隣のリイナもようやく気付いたようで、頭上を指差した。
「高杉、上! 天井が落ちてくる!」
中庭風に拵えられたこのスペースは、ご丁寧に天井まで薄い石畳みで造られていたようだ。
だがさすがに一枚板というわけにはいかず、一メートル四方の石板が繋ぎ合わされていたのである。
そのためか、つなぎ目に衝撃を与えれば石板はもろく崩れ落ちる。
一メートル四方ごと。
ジンは落下してきた石板でふいに頭を打たれたせいか、大きくバランスを崩して石板ごと地上に落ちていく。
伊丹は無造作に矢を放っていたわけではなく、初めからこれを狙っていたのだ。
「バイオ~ン。いったわよ~ん」
「高杉! シールドを張って!」
ハッと気付いたジンは、手を真横に大きく広げる。
ジンの体を球体の炎が覆ったのと、剛森のハンマーが豪快なスイングで横殴りしたのがほぼ同時だった。
反対側の壁に烈しく叩きつけられたジン。
一緒に落下した石板の破片が、紅葉のような炎の断片と共に舞い散る。
「や、やられた?」
ゴクリと唾を飲み込む僕に、リイナは顎に手を当てながら答えた。
「うぅん。打撃を喰らう直前にシールドは張ったから、多少はダメージを緩和できたはずよ」
だが目の前の光景に何一つ安堵出来る要素がない。
体が砕けていないのが不思議なほど陥没した壁に、ジンは力無くめり込んでいた。
「まぁ、あくまで緩和したってだけで、確実にダメージは喰らったわね」
自分の見解がやや楽観だったと感じたのだろうか。リイナは言葉を付け足した。
「がはは! 口ほどにもないのう、炎の! 貴様がこの程度の使い手ならば、伊丹の助力などいらんかったわい!」
大きくハンマーを振り回しながら、剛森は高らかに笑い声を上げた。
後ろでは伊丹がこっちに冷笑を投げ掛けてきた。
「もともと二対一ってのが無茶だったのよ~ん。それに後方支援系の私とパワー系のバイオンがペアなら、ジンくんにとって相性悪すぎ。まぁ、リイナちゃんが参戦出来るなら話は別だけど~ん?」
嘲笑うような一瞥をくれてから、伊丹は懐から金属製の輪っかを取り出す。それを僕達にヒラヒラと挑発的に見せつけてから、剛森に投げ渡した。
リイナが首にはめているものと同じ。魔力拘束具だ。
「バイオ~ン。暴れん坊のジンくんに首輪をお願~い。傷だらけのジンくんを私が冷た~く介抱して、あ・げ・る☆」
伊丹がウィンクしたと同時に、カッと目を見開いたジンは炎の矢を放つ。それが剛森の持つ魔力拘束具を弾き飛ばした。
「貴様の冷酷な介抱など御免こうむる。我が主の冷徹な罵倒の方が、よほど心地良いわ!」
勢い良く立ち上がったジンだったが、ダメージを喰らった直後だったからか、ガクリと膝をつく。
「がはは! まだ威勢がよい戯れ言をのたまわれる気迫を残しておる! 最早、お前に勝機などない! 大人しく我が修羅の前に跪け!」
腕をかざした剛森の手に、先端が尖った巨大なハンマーが収まる。
ゆっくりと歩み寄る剛森を前に、ジンは歯ぎしりをして自分の足をガシガシと叩いた。

やはりジン一人に相手をさせるのは無理があった。
魔人同士の力量に差があるのは当然だろうが、ジンがこの二人を前にして好機を掴める可能性はゼロに等しいはずだ。
剛森と伊丹の連携を崩すには、もっと味方が必要だ。
僕は辺りを見渡す。
この場にいる他の魔人といえば、リイナ唯一人。
しかし首にはめられた魔力拘束具のせいで、今のリイナは人間並みの力しか持たない。
剛森か伊丹か、どちらかを説得できないか? 仲間に引きずり込める余地はないのか?
考えろ。学年首席の頭をこんなときに活かさないでどうする。
彼らのメリットは? 弱点は? 付け入る隙は?
駄目だ。いくら考えても妙案なんてさっぱり浮かばない。
そもそも対戦中の魔人が、話に耳を傾けるなんて無理なはずだ。
闘いこそ神聖なもの……拳で語り合う……。彼らはそういう種族なのだ。
魔人が、せめてもう一人くらいは味方になる魔人さえいれば。

「……んん?」
額に当てていた人差し指を離す。
僕はまるで呆けたように、もう一度辺りを見渡した。
「どうしたの、改人くん?」
リイナが不思議そうに顔をのぞき込むくらい、僕は素っ頓狂な声を上げたのだろう。
あまりに当たり前なことで気付かなかった。灯台もと暗しとはこのことだ。
僕は再び熟考をしてから、リイナに確認をした。
「ねえ、リイナ。僕の母さんはあなたの姉なんだよね?」
「うん、そうよ」
今更なにを聞く? と訝しむリイナに僕は質問を続ける。
「魔人と人間のあいだに産まれた子供も、当然ながら魔人の血を引くんだよね?」
リイナがハッと息を飲む。

魔人はもう一人、いた。

「僕も魔人ならば、闘魂の魔法が使えるんだよね」
額に手を当てながら顔を赤くするリイナ。何故もっと早くそこに気付かなかったのかと狼狽えている。
「あぁ、そっかぁ。そうだよね。考えてみれば当然だよね。お姉ちゃんの子供だもん。いや、そんな事例は今まで……あー聞いたことあるわ。うん、有りっちゃ有りだわ」
ブツブツ独りごちるリイナ。
盲点なのはこっちも同じだが、とにかく今は時間がない。僕はリイナの細い肩を掴むと、こちらを向かせた。
「単刀直入に訊くよ。どうすれば闘魂の魔法を使える?」
現状を打破するにはそれした方法がない。
人生で一度もケンカをしたことがない自分が闘えるとは思えないが、あの反則級のパワーが手に入るならば、多少はジンの援護が出来るかもしれない。
困惑しながらリイナはおずおずと訊ね返してくる。
「えっと、こっちに来てから魔力を感じる?」
「魔力……いや、さっぱりわかりません。それってどんな感じなんですか?」
「そりゃあ、こう。ムラムラっていうか、バゴーンっていうか。全身からダラシャーって気合いが溢れ出すみたいな」
駄目だ、抽象的すぎる。
「普通の魔人は、生まれながら魔力をホイホイ使えるの?」
「いやいや。成長と同時に使い方に目覚めるのよ。ふとした瞬間に、あーこういうものか的な。ケンカしてるときにダラシャーってしたら、いつも以上に高杉が吹っ飛んでいく、みたいな。軽く蹴ったつもりなのにバコーンって力入れたら、高杉の腕からポキッて音がした、みたいな。第二次性徴の精通みたいなものね」
「変な例え出すなや。でも、一気に目覚めさせる方法は? そんな悠長に魔力を開花している暇なんてないですよ」
するとリイナは顎に手を当てて低く唸った。
「あるっちゃ、あるわ。よく何歳になっても魔力が目覚めない魔人がいるんだけど、そんな時に強制的に目覚めさせる方法として使われるの」
僕はホッとする。それならば安心だが、何故だかリイナの頬が赤く染まっていく。
「それってどんな方法なんですか?」
「えとね、同系統の魔法を持つ感応者との濃ゆ~い接触……」
濃い接触? 訳が分からず首を捻る。
同系統の魔法を持つ感応者ということは、この場合はリイナだろう。
濃密な接触とはなんだろうか。がっちり握手でも交わしてみれば良いのか。
頭を掻きむしりながらリイナは悶えるが、意を決したかのように真っ直ぐ僕を見据えた。
空色の瞳がいつも以上に輝いて見える。心臓がトクンと鼓動を増した。
「緊急事態だからね。仕方ないわ」
え? と聞き返す間もなく、リイナは両手で僕の頬を包む。
その手のひらが柔らかいな、と思った瞬間に、さらに柔らかくて温かいものが唇に触れた。
パッチリと開いた視界はリイナの顔で塞がれた。嗅ぎ慣れたリイナの甘い香りが、至近距離で僕の鼻孔を襲う。
あまりの驚愕に一度停止していた心臓が、激しく乱暴に動き始めた。
「ん……にゅ、んぅん……」
艶めかしい吐息と共に、リイナの唇が、僕の唇の輪郭をなぞるように這う。
そのたびに全身の筋肉がガクガクと弛緩し、心拍数は臨界点を容易に超越していった。
アドレナリン貯蔵タンクは弁が壊れたようにダクダクと体中に放出されていく。もう全身が麻痺状態に侵されたみたいで、地に足が着いていない心地だが、それでもリイナの唇の感触だけは恐ろしいくらい鮮明に感じられた。
「……! ……!」
抗おうにも口は塞がれているし、顔はガッチリと両手で挟まれて動けない。というか、全身に力が入らず立っていられるのが不思議なくらいだ。
それでもなお、リイナの柔らかい唇は離れようとしない。もう気を失いそうだと思ったその時だった。
少し開いた僕の唇の隙間から、ニュルっとした何かが入り込んできた。
あれ? と思った時には既に、僕の舌にそれがニュルニュルと絡みついてきたのだ。
本能が一気に爆発した。
その瞬間、僕は劣情の塊となった。リイナが僕にとってどんな存在だとか、そんなことは考える余裕もない。
「……ぉん、むぐ! ぅふ……、んはぁ、んん……!」
ただ、お互い貪るように舌と舌を絡め合う。
本能の赴くままに、唾液と唾液を絡め合った。

しばらくして、リイナの舌がサッと潮が引くように僕の口内から去っていった。
どのくらいの時間、その行為をしていたのだろうか。
たぶん僅か数秒だったのかもしれないが、永遠にも近い時間に感じられた。
つと後ろに下がるリイナ。空色の瞳はとろんと潤んで、頬はポゥっと上気していた。
僕はクラクラする頭を抱え、支えを失った体をガクンと下ろす。
「……き、近親相姦だ」
「ちょっとちょっと、イヤな言い方しないでよ。私だって仕方なくやったんだから。まぁ、キス程度で済んで良かったわね。もっと鈍い魔人だと、それ以上の感応をさせないと魔力が目覚めないって言うし。そこまでいくと感応っていうよりも官能だわ」
充分に官能でした。
「それで、闘魂の魔法は目覚めたんですか?」
そう言って顔を上げると、向こうで剛森と伊丹があんぐりと口を開いて、こっちを見ていた。
「お前ら、こんなときに一体何をしておるのじゃ」
「リイナちゃ~ん、そんな年下の坊やと公然猥褻? ブレーカーの落ちすぎで、ついに頭の回路がショートしちゃったのかしら~ん」
散々な言われようだが当然だろう。リイナはニャハニャハ笑いながら手を振って見せた。
興を削がれたと呆れる二人。だが、壁際でうずくまるジンのメガネがキラッと光った。
アイコンタクトで合図する。奇をてらい、仕掛けるなら今しかない。
僕は立ち上がり、グッと構えた。

……で、どうすればいいんだ?

「ねぇ、リイナ。どうやって魔法を使えばいいの?」
身体的にはさっきと全く変化がない。体が軽くなったわけでもなく、沸々と湧き上がる何かがあるわけでもない。
自分の袖をまくって見ても、いかにも運動が苦手そうな肉の少ない腕があるだけだ。
本当に僕、闘魂の魔人なの?
するとリイナは僕の目をマジマジ見つめながら、自信たっぷりに頷いた。
「大丈夫。しっかりと魔力は充填されているわ。お姉ちゃんに似た、鮮やかな蒼い魔力が宿っている」
言っている意味がよく分からない。分からないけど、リイナがそう言うのならば間違いないのだろう。
僕はもう一度、腕を前に突き出してそれらしく構えてみる。
「どうすれば魔力を使えますか?」
「んとね、デュクシ! って気合いを入れれば勝手に体がガチコン! ってなるから。あとはフィーリングでよろしく~」
なんだそりゃ。かえって力が抜けそうだ。
とりあえず、僕は細く息を吐いてお腹のあたりに力を込めた。
ガチコンってなるようにデュクシね。
全身にグッと力を入れる。そしてそのフレーズを声に出してみた。
「デュクシ!」

その瞬間、血が動いた。

いや、思考よりも先に体が勝手に動いたのだ。
え、と思ったその時には既に、僕の握り拳は十メートル先にいた剛森の脇腹に深々とめり込んでいた。
ハンマーを持ったまま、見開いた目を僕に向ける剛森。そこでやっと僕の思考も事態に追い付いた。
それと同時に、全身を駆け巡った何かとてつもない力が、ガチコン! と腕や足にはまる。
僕はめり込んだままの拳を、勢いに任せて振り抜いた。
「うおおおおおっ!」
分厚い筋肉で覆われた剛森の体が、くの字に折れ曲がったまま吹っ飛んだ。
耳をつんざく爆発音と共に、剛森は壁に激突した。
「な、なに今の?」
自分でやったことなのに、もの凄く他人事に思えて仕方なかった。
自分の手のひらに眼を落とす。
歓喜か恐怖かわからないがプルプルと震えている。その手がぼんやりと、蒼く光を放っていた。
よく見るとその光は全身から放たれている。これがガチコンの正体……。
これが、闘魂の魔人の力……。
「改人くん! 前、前!」
リイナの声でハッと顔を上げると、棍棒を振りかざした剛森が突進してきた。
「何者だ、お前は! 何故、只の人間が魔力を宿している!」
剛森の攻撃を体が勝手に避けていく。棍棒の動きがゆっくりなわけではない。だが頭で考えるより先に、視覚で捉えた瞬間に体が反応しているのだ。
「ちょっとややこしい関係だけど、その子は私の甥っ子よ。つまりは克田家の血筋で~す」
その一言で剛森の表情が変わった。
「どうりで体が懐かしんでいるはずだ! 闘魂の! お前につけられた傷痕がうずくわ!」
両手で握っていた棍棒を右手に持ち、左手を掲げて「もう一本!」と叫ぶ。同じサイズの氷で出来た棍棒が左手に収まった。
「ならば遠慮はいらんだろう! ゆくぞ! 闘魂の血を引く小僧よ!」
剛森の握る棍棒がモヤッと黄色く光る。そこに確かな魔力を感じた。
「改人くん、修羅の魔法がくるわよ。気を付けてね」
リイナの忠告が聞き終わるやいなや、棍棒を構えた剛森が襲い掛かってきた。
「我が修羅を存分に味わうがよいわ!」
プラスチック製のバットでも振り回しているのかと思うほど、剛森は軽々と二本の棍棒を振り回してくる。
紙一重で避けた時に聴こえる空気を引き裂く音が、棍棒の重力がどれだけ殺傷能力を秘めているのかを容易に物語っていた。
しかも剛森は左と右で絶妙にタイミングをズラしてくるので、反撃はおろかカウンターを当てる隙もない。
僕は体が反応するままに、せめて壁際に追い詰められないよう逃げ回るのが精一杯だった。
「がはは! ただ逃げるのが関の山ではないか! 我が修羅の魔法は数多の武器に魔力を通わせ、もっとも的確に相手を仕留める斬撃を繰り出すことに長けている! お前が餌食になるのも時間の問題よ!」
さも得意げに自分の魔法を誇る剛森が癪だが、事実さっきから避けきっているはずの棍棒が何度か掠っていた。
僕の反応が鈍くなっているのか、はたまた剛森の速度が増しているのか。
どのみち一撃でもまともに喰らえば、一気にたたみかけられることは必至だろう。
だが、僕はせわしなく足をさばきながらも冷静に周囲を見渡す。
伊丹は相変わらず噴水のてっぺんに腰掛けたままだが、いつでも剛森に武器を準備出来るよう、水の中に手を入れている。
そして……。
「リイナ! 凄いパンチを出したいんだけど、オススメな掛け声はない?」
突然の問い掛けに困惑するリイナだったが、顎に手を掛けながら答えた。
「エイシャラー! がいいわよ。よく高杉にトドメを刺すときに使っているわ」
またもや気合いが抜けそうな掛け声だな。
まぁ、別にいい。剛森の攻撃を一度だけ止められれば、それでいいのだ。
反撃の準備は整った。
僕は軽快なフットワークをやめ、距離を取るために後方へ大きく跳んだ。
そして腰を落として両足をガッシリと地面に噛ませる。
「がはは! ついに観念しおったか! 闘魂の小僧よ!」
棍棒を大きく振りかぶる剛森。只でさえ巨大な体が、一回り膨らんで見えた。
僕は怯みそうな気持ちを奮い立たせ、お腹にグッと力を入れた。
「木っ端微塵に砕けろ!」
二本の棍棒が頭上から襲いかかる。

更新日 6月27日

その棍棒目掛けて、僕は両拳を突き上げた。
「エイシャラー!」
蒼く輝く拳が衝突した瞬間、氷で出来た棍棒はクリスタルのように粉々に砕け散った。
「んなっ! 馬鹿な!」
柄だけが残った棍棒を地面に投げ捨てながら、剛森は驚愕に目を見開く。
だがすぐに表情を戻すと、両手を頭上に掲げた。
「やはり侮れんな! しかしたった二つ武器を破壊しただけでどうなる! 得物などいくらでも調達出来るぞ!」
僕はニヤリと頬を緩めた。そして視線を噴水の方に向けると、突如として爆発が起きた。
「伊丹!」
爆炎で吹き飛ばされた相方の姿を見て、剛森は初めて気付いたらしい。
「すみません。こっちも二人体制でやらせてもらいました」
これまで噴水の上に君臨していた氷の女王に替わって、いま湧き上がる水の中に手を入れているのは、炎の戦士だった。
「貴様が水を個体にするのが得手ならば、水を気体に化すのが我の得手! 干上がれ!」
短い気合いを発した瞬間、噴水の水は灼熱と共にあっと間に蒸発していった。
そう、僕が剛森の相手をしている間に、ジンには伊丹の背後に回って奇襲をついてもらったのである。
「伊丹! 大事ないか!」
倒れた伊丹に駆け寄る剛森。しかし伊丹はケロッとした顔で立ち上がった。
「大丈夫よ~ん。爆風で弾き飛ばされただけだから、ケガはしていないの~ん。本当なら極熱の炎を喰らわせることも出来たのに、ジンジンってばフェミニ~ン。ますます惚れちゃったわ~ん。お嫁にして~ん」
頬に手を当ててクネクネする伊丹。ジンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「御免こうむる。貴様の冷たい霜でうちの乾物が腐るわ」
「しかし、何故じゃ! 何故に炎のは、容易に伊丹の背後へ回り込めた!」
悔しげに地団駄を踏む剛森に、リイナは得意げに言った。
「うちの幼なじみを舐めないでくれる? 高杉はね、ずっと学生時代にボッチで過ごしたから、存在感を消すスキルを完全にマスターしているのよ。誰かの後ろに気付かれず立つことなんて、朝飯前よ」
「おい! そういう傷を抉るようなことは言うな! りっちゃんのアホ! あばずれ!」
ゲラゲラとお腹を抱えて笑うリイナはほっといて、僕は剛森と伊丹に言った。
「もう伊丹さんが氷の武器を造れないのなら、剛森さんの魔法も使えないはずです。勝敗はつきました。ここは黙って通してもらえませんか」
噴水の方では、ジンが手のひらに炎の槍を携えている。そっちがやる気ならやる、といったアピールだ。
伊丹は僕とジンを交互に見つめ、ため息を吐いた。
「そうね、闘魂の坊やの言うとおりだわ~ん。私達の負けよ~ん。あ~あ、これでまた正社員の道が遠退いちゃったわ~ん。バイオ~ン、また一緒に職安に行きましょ~ん」
肩をすくめて降伏宣言をした伊丹は剛森の腕にソッと触れた。しかし剛森はその手を荒々しく払いのけた。
「ふざけるな! まだ両膝が地に着いておらんのに、負けを認めてたまるか!」
「で、でもバイオ~ン。もう私、武器を出せないわよ~ん? 諦めましょうよ~ん」
「武器なら、どこにでもあるわ!」
剛森はドスドス歩いていくと、壁際に飾られた人間の背丈はある石像の彫刻を、力任せに引っこ抜いた。
「俺が武器だと思えば、何だって武器よ!」
丸太のように振りかぶった石像が、ぼんやりと黄色く光を放つ。
「腕に抱えられれば、何でも得物か。節操のない魔法よ」
呆れたように首を振るジン。それでも剛森は目をつり上げて、僕に向かってきた。
「我が最高の武器は不屈の魂よ! 闘魂の小僧! お前に俺の魔力を挫くことが出来るか!」
石像を振りかぶったまま、突進の勢いを乗せて攻撃をするつもりだ。
僕は腰を落として迎え撃つ。
「くるならば相手をします。だけど不屈の魂と言いましたが、案外いいものじゃないらしいですよ。僕の肉親が言うには」
デュクシ! と軽く叫ぶと、体がポゥと蒼く光り、腕や足にムチッと力がこもる。
「ほざけ! 小僧が!」
渾身の攻撃を、身を翻してかわす。爆発音と共に地面がぼっこりと抉れた。
僕はそのまま体を軸にして右足にローキックを打ちつける。
「デュクシ! デュクシ!」
勢いに任せたまま体を旋回させて、もう一発ローキックをお見舞いする。
剛森の膝がガクリと折れた。二メートルは余裕にある巨大が、蹴り込みやすい高さになる。
コマのように回転する勢いは止まらない。
脇腹に回し蹴りを叩き込み、右肩にも同じ回し蹴り。
すると苦悶の表情を浮かべた剛森の体が、グラリと傾く。ちょうどいい高さとタイミングだ。
「デュクシ!」
顔面に渾身の力でハイキックを食らわせる。グキッという音と共に、剛森の巨大は壁際まで弾け飛んでいった。
「や、やり過ぎちゃった?」
瓦礫が崩れ、土煙が舞う。それがだいぶ収まって見えてきたのは、首から上が壁にずっぽりめり込んだ剛森だった。
「まぁ、魔力のコントロールが出来ないうちはそんなものよ。いい蹴りだったわ、改人くん」
リイナがパチパチと拍手を送る。それに反応するように、壁に頭を突っ込んだまま剛森が豪快に笑った。
「がはは! ほんまにいい蹴りだったぞ! 闘魂の! この小僧はお前より強くなるかもしれんな! よっこいせ!」
グッと壁を押して頭を引っこ抜く剛森。そのままこっちを振り返ったが、そんな剛森を見て一同ギョッとした。
「闘魂の小僧よ! 悔しいが俺の負けだ! ここを通るが良い!」
「剛森さん! 首! 首が曲がっています!」
キョトンとする剛森だったが、その顔が九十度曲がっていた。
最後の蹴りを放った時に聞こえたグキッはこれだったのか。
「バ、バイオ~ン。痛くないの、それ~」
「なんじゃい? それよりもお前ら、何で横になっているんだ? あれ、地面も横になっておる。お~い、どうなっているんじゃ~」
その不気味な姿勢のまま歩いてくる剛森から、みんな逃げ惑う。体が頑丈なのはわかるけど、魔人こわいよ魔人。


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22:40  |  駄・ランプ  |  CM(2)  |  EDIT   このページの上へ

2012'06.13 (Wed)

駄・ランプ  第六章

「不愉快だわ」
僕が話し終えるのを待っていたかのように、佐々木は間髪入れずに言った。
「非常に不愉快だわ。この上なく不愉快だわ。そこはかとなく不愉快だわ。御し難く不愉快だわ。あまつさえ不愉快だわ」
「茉莉お嬢様、そこはかとなく枕詞の用い方が間違ってございます」
「黙りなさい、珠江」
 珠江さんは一歩下がり低頭した。
「この私が思わず使用人風情からたしなめられるくらい、そのくらい不愉快というのを分かってもらえるかしら」
「茉莉お嬢様、使用人ではなく私はメイドでございます」
「口を慎みなさい、珠江」
 訓練の行き届いた丁寧な一礼で詫びる珠江さん。
 僕は床に正座をした状態で、メデューサのように睨み付ける佐々木に怯えていた。
 何故、僕が佐々木の前にいるかというと、理由はこうだ。
 リイナを助けるためには魔人界に行かなければいけない。それには他の魔人の協力が不可欠。
 僕が知っているリイナ以外の魔人といえば、炎の魔人であるジンのみ。それには主人である佐々木に助力を乞わなければならない。
 ということで、僕はクラス名簿から住所を調べ、佐々木家に向かったのだ。
 しかし、佐々木家の門前に立って腰を抜かした。まるで文化財のような佇まいの日本家屋。端が見えないほど広大な庭園。出迎えた数十人はいるであろう使用人達。
 通学路で一際目に付いた建築物。てっきり大きい寺か神社かと思っていたけど、まさか人家だったとは。
 今更ながら、佐々木がとんでもない大富豪のご令嬢だと知った。
 さて、入り口で佐々木に会いたい旨を伝えると、思いのほかアッサリと部屋に通してもらえた。
 そして外装とはチグハグな、バチカン美術館のような佐々木の自室で、本人が待っていたのである。

「ねえ、井上くん。あなた、何で私がここまで不愉快なのか分かっていない様子ね。それがまた私の不愉快さに拍車を掛けるわ」
「茉莉お嬢様、ローリングサンダーでございますね」
「口を挟まないで、珠江」
 頭を下げる珠江さんに倣って僕もそうする。
「理解もしていないのに反省した振りをしないで、井上くん。どこまで私を不愉快のズンドコに叩き落とすつもりなの?」
「茉莉お嬢様。お恐れながら、ズンドコではなく、どん底でございます」
「口と鼻穴を閉じなさい、珠江」
 お辞儀をして鼻を摘む珠江さん。何なのだ、この二人は。
「井上くん、覚えているわよね。前に私は伝えたはずよ。あなたが好きだって。当然ながら記憶しているわよね、学年主席さん?」
「あ、はい……」
「そうよね、覚えているわよね。それなのにあなたはなんて言った? この私になんて言った? あの頭と尻が緩い魔人を助けるために力を貸せ? こんな屈辱は初めてよ。万死に値するわ」
「ぼ、ぶふょ……ぶほぶぶ……」
「口を開けなさい、珠江」
 顔を真っ赤にした珠江は胸元を押さえて激しく呼吸をする。高校生くらいの子供がいてもおかしくない歳の女性が、一体何をやっているのだ。
「あの、佐々木の言うことはごもっともだけど。たった一度、ジンを喚び出してくれるだけでいいんだ。それだけで」
「イヤよ」
 完全な否定だった。百パーセント混じりっけなしの拒絶に閉口してしまう。
 佐々木のことだから絶対に協力してくれないだろうとは思っていたけど、ここまで頑固だとは。父さんの鋼鉄な心に匹敵する。
「話はもう終わりね。私も井上くんに言うことは何もないわ。珠江、客人はお帰りよ」
「かしこまりました、茉莉お嬢様」
 ホラ貝を構える珠江さん。ブオーという間の抜けた音が響いた直後に、数十人のメイドが部屋へ入ってきた。
 ギョッと身構えると、メイド達は入り口に向けてズラリと整列をした。
「「お帰り下さいませ! お客様!」」
 丁寧にして強制的に帰れと告げられた。これではどんな神経の太いセールスマンも、裸足で逃げ出すだろう。
 帰るまで絶対に頭を上げないであろうメイド達。親の仇のごとく不機嫌に睨み付ける佐々木。何故かホラ貝を構えている珠江さん。
 僕もいち早くこの場から去ってしまいたい。だけど、時間がない。なんとしてでも、僕は魔人界に行かなければならないのだ。
「取引をしよう」
 ゴクリと唾を嚥下してから佐々木に提案する。
「取引、ですって?」
 眉間に寄せたシワを倍に増やして佐々木は答えた。
 今すぐにでも噛みつきそうな勢いだが、もはやこれしかない。
 というよりも、超絶リアリストな佐々木相手なら、始めからこうすれば良かったのだ。
「そう、取引だ。もしも佐々木がこの場にジンを喚びだしてくれたら、リイナの願い事を一つだけ君に譲ろう」
「……」
 破格な条件だ。僕はずいと佐々木に詰め寄る。
「君はランプを擦るだけで魔人の力を一回増やせるんだ。どうだい、魅力的な取引だと思うけど」
 どのみちリイナを助けられなければ、百近い願い事は効力を失う。佐々木に一つ貸しを作るくらい、惜しくもない。
 鬼の形相はそのままに沈黙する佐々木。そんな僕らの間に、ホラ貝を振りかぶった珠江さんが割って入った。
「痴れ者が! 茉莉お嬢様に対して取引などとは、なんたる無礼でございましょう! お嬢様が直接、手を下す必要などありません! 私が葬ってさし上げま」
「控えなさい、珠江!」
 佐々木の叱咤に珠江さんばかりか、整列していたメイド達もビクーンと身をすくめた。
「いいわよ、井上くん。取引に応じましょう」
 邪悪にニンマリとほくそ笑む佐々木に、背筋がゾクッとした。
 なんだか罠にでも嵌められたような、嫌な感覚だぞ。
「下がりなさい、メイド達。珠江、あのランプをここに」
 佐々木が命令を下すと、メイド達は速やかに部屋から出て行った。珠江さんはランプと一枚の紙を持参する。
「茉莉お嬢様、取引ならば血判を捺させましょうか」
 ランプだけを受け取ると、ご満悦な表情の佐々木は紙を手で払う。
「必要ないわ。だって私と井上くんの間には、目に見えない絆があるから」
 ええ?
「御意。かしこまりました。さすがは茉莉お嬢様、佐々木家の次期当主になられるお方との愛は、着々と育んでらっしゃるようで。お羨ましい」
 ええええ?
「く、下らないおべんちゃらは止しなさい、珠江」
 ええええええええええ?
「では私も退席させて頂きます。またあとでロイヤルミルクティーでもお持ち致します、茉莉お嬢様。いえ、我が愛しい娘」
 えええええええええええええええ?
「はい。またあとで、ママ」
 ええええええええええええええええ!
 ほんのりと頬を染める佐々木を残して、珠江さんは控えめに微笑みながら部屋を出て行った。
 今のは冗談なのか? 訳が分からず脳みそが疲れた。

「さて、じゃあ望みを叶えてあげるわ。出て来なさい、クズ」
 埃でも払うように、ぞんざいな手つきでランプを擦る。伝説の炎の魔人が、最早クズ扱い……。
 ランプから溢れた煙が晴れると、以前と同じダークのスーツを身にまとったジンが、腕を組んで立っていた。
「お呼びかな、我が主よ」
「私はあんたなんかに用はないわ。要件があるのは井上くんよ」
 眼鏡の奥にある緋色の瞳がゆっくり僕を捉える。
「……ほう。久しいな、少年。そして罪人の主よ」
 そう言ってジンは興味を失ったように眼を閉じた。
 罪人、という言葉が胸に刺さる。
「リイナのことを、知って……」
「うむ。いまや知らぬ者などいないほどの話題よ。奴とは幼なじみ故に此度の件は責めたくないが、擁護しようとも思わん」
 エスカマリさんが話したとおり、あちらでは大事件になっているようだ。ジンのあからさまな態度が事実を物語っている。
「それで、私に用とは何事である。少年よ」
 グッと握った手に力を込めて頷く。
「僕を、魔人界に連れて行って下さい」
 ジンの赤い髪がフワッと浮き上がる。眼鏡を指で直してから訊ねてきた。
「何故、訊いておこうか」
「リイナを、救うためです」
 カッと開いた眼が宙を泳ぐ。
「何を馬鹿げたことを……」
「リイナを助けたいから、どうしても魔人界に行かないといけないんです。お願いします!」
「断る。それに私は主以外の願いは一切受け付けん」
「受け付けなさいよ、クズ」
「わかった、聞こう。……いやいやいやいや、待ちたまえ。我が主に少年よ」
 一人ノリ突っ込みをかましたジンは腕組みを解いた。あからさまに困惑した態度をしている。
「それよりも、人間である井上くんが、魔人界に行くことは可能なのかしら?」
 ソファーにふんぞり返った佐々木が訊ねる。それにはジンではなく僕が答えよう。
「魔人は召喚した瞬間、手に触れていたものも、一緒にゲートをくぐって来てしまうんだ。前にリイナが、パソコンごと召喚されたのもそのせいさ。そして逆も然り。召喚が解かれた瞬間に手に触れていたものは、魔人界に連れて行かれちゃうんだ」
 実際にそれで、何度かリイナに枕を持って行かれたことがある。
「その通りだ。それに人間界からは物だけでなく、科学技術といった英知も魔人界に持ち込んでいる」
「なんで? 魔人はみんな、あんたみたいに馬鹿なのかしら」
「ぐぬぬ……。魔人は得てして魔力に頼るせいか、人間のように科学技術を発展させようと考えもしない。なので我々が人間の願い事を叶えてやるのは、立派なギブアンドテイクなのだ」
 そしてジンは咳払いをして、僕を真っ直ぐに見据えた。
「故に知力の恩恵たる人間の心に魔力を使うなど、言語道断なのである。我が主の命令により魔人界までの手引きはするが、それ以上は手助けせんぞ、少年よ」
「しなさいよ、クズ」
「わかった、しよう。いやいやいやいや、我が主よ。それはさすがに致しかねるぞ」
 若干慌て気味にジンは首を横に振る。
「なによ、クズ。私の命令が聞けないというの。有り得ないほど使えない魔人ね」
「きちんと願い事という形にして頂けるなら、いくらでも叶えるが」
「そのくらいサービスしなさい、クズ」
 図々しい要望をさも当然にのたまう佐々木。主人運の悪いジンに同情せざるを得ない。
「いや、さすがにそこまでお願い出来ないよ。それにリイナに加担すれば、ジンさんも只では済まないでしょうから。でもせめて、リイナが留置されている魔人裁判所っていうところまでは、連れて行ってもらえないでしょうか?」
 浅く瞳を閉じ思案してから、ジンはコクリと頷いた。
「了解した。案内をしよう」
 ホッと胸をなで下ろす。
「ジンさん、ありがとう。そして佐々木も、ありがとう」
 頭を下げると佐々木はニヤリと笑って言った。
「井上くんが帰ってくるまで願い事を考えておくわ。楽しみに待っていることね」
 背筋がゾクッとする。頼むから一般常識の範囲内にしてもらいたい。
 スッと手を差し出すジン。
「では少年、参ろうか」
「はい。よろしくお願いします」
 僕はその手を握り返す。炎のように熱い手だ。
 さぁ、魔人界に行ってみようか。僕の魔人、リイナを救うために!
 
 ……まだかな。あと何分くらいだろうか。
 さっきからジンと手を繋いだまま、ぼんやりと突っ立っている。確かにいつ召喚が切れるか分からないけど、もう少しあとに手を繋いでもよかった気がする。
 しかも何故かジンは、若干嬉しそうな顔をしているし。佐々木は腐った生ゴミでも眺めるような眼をしているし。
 それにこれ、言っちゃ悪いことだと思うけど。ジンの手、汗でヌチャヌチャして気持ち悪い……。

☆ ☆ ☆

 魔人界の街並みは人間界と何一つ変わりなく、高層ビル群の間を自家用車の列が縫うように走っていた。違いといえば髪と皮膚の色が異なる魔人が闊歩していることと、夜空に浮かぶ月が二つあることくらいだろうか。
 僕とジンは地下鉄に乗って、魔人裁判所へ向かった。
「するとなにか。少年があのルイーゼ様の息子だというのか?」
 眼鏡を何度もたくし上げるジン。道すがら今回の事を説明していたのだが、ここまでジンが驚愕するとは思わなかった。
「ルイーゼ様、って大げさな」
「何を言うか。ルイーゼ様といえば美人な上に強大な魔力。才色兼備、容姿端麗、良妻賢母、十人十色とそれはそれは評判な魔人だったのだぞ」
 後半の四字熟語は明らかに使い方が間違っているが、母さんはよっぽど凄い魔人だったらしい。ジンは眼鏡の下から指を入れ、目尻をグッと押さえる。
「あの女傑と名高かったルイーゼ様が、よもや人間界で命を落としていたとは。生きているうちにもう一度、お会いしたかったものだ」
 目頭が熱くなった。
こっちの世界では母さんの事を知っている人がいる。亡くなった事を悲しんでくれる人がいる。
やはり母さんは、魔人界の住人だったのだ。
「そしてもう一度、バトルしてみたかったものだ」
 結局はそこかい。まずはリイナに勝ってから言いなさい。
「ところで少年よ。こっちの世界はどうだ? 人間界と違って魔力に満ち溢れているであろう」
 ジンに言われて僕は大きく息を吸ってみる。確かにこっちに来てから、空気の質が違って感じた。
 酸素の量が多いというか、濃厚だというか。でも決して不快ではなく、むしろ気分が高揚しているほどだ。そしてどことなく、懐かしさすら感じてしまう。
「ええ。よく分かりませんが、違和感があるのに違和感がないというか。言葉では言い表せませんが、これが魔力なのかな、っていうのが、なんとなく伝わります」
 するとジンは顔は正面を向いたまま、指先をこちらに突き付けた。
「? なんですか、エッ!」
 指先から途端に小ぶりな炎の玉が放たれた。とっさに手で防ぐ。
「なにするんですか! 火傷しちゃうでしょ……あれ?」
 確かに皮膚を焦がすような熱い感触があったはずなのに、手の平には黒いススが付いているだけだった。
「それが魔力だ、少年よ。闘魂の魔法ほどではないが、すべからく魔人は体全体に魔力を帯びることになる。それがシールドの役割を果たし、人間よりも数倍、体が頑丈になるのだ」
「べ、便利ですね」
 だからと言って、突然に炎をぶつけてくることもないだろうに。
 すると電車の中に車内アナウンスが鳴った。
『ご乗車中のお客様にお願いです。車内での魔法の使用はどうぞお控え下さい。繰り返します。車内での魔法の使用は……』
 周りの乗客もこっちを指差しながら、ヒソヒソと声を潜めている。
 顔が真っ赤になるジン。ああ、魔人界にはそういうルールがあるのね。

「克田とは面会が可能なのか?」
 車内を巡回していた鉄道員から一通り怒られた後、電車の手すりに掴まりながらジンが訊ねてきた。
「はい、そうらしいです。ただしリイナは独房に捕らえられているので、鉄格子越しであると。そこまで行けさえすれば、あとはリイナを脱走させられるかと思います」
「ふむ。ところで少年に入れ知恵をしたのはどこの誰だ? 只の魔人ではないな、きっと」
「エスカマリさんっていう、ネットゲーム内で知り合った魔人です」
 緋色の目を見開いてジンは「ほほう……」と唸った。
「魔人界でもかなり人気が高いらしいですね。ジンさんもやっています? マホロバ」
「うむ、もちろんだ」
「あ、本当に。エスカマリさんはリイナが所属するギルドのマスターなんですよ。僕と同じ弓使いなんですけど、パーティーサポートがメッチャ上手い魔人さんです」
「マホロバはキャラクタースキルよりも、連携攻撃といったパーティープレーが重要だからな」
「そうそう。でもそこのギルドに『紅蓮の翼』っていう斧使いの人がいるんですけど。その人、派手な攻撃ばかり使いたがって、一緒に戦闘すると邪魔で仕方ないんですよ。周りが見えてないっていうか。迷惑な人っていますよね」
「少年よ。その、紅蓮の翼とやらは……」
「はい?」
「……私だ」
 この上なく気まずい空気が流れる。眼鏡の奥の瞳にうっすら涙が溜まっていた。
「……」
「……」
「邪魔で悪かったな」
「……」
「……」
「あらじん、死ね」
「……」
「……」

☆ ☆ ☆

 さて、ダークモードのジンと地下鉄に揺られること四十分。目指す魔人裁判所に到着した。
 いかにもお役所的な外観の建物に足を踏み入れる。受付の役人に面会の要望を告げると、地下へと続くエレベーターに案内された。
 リイナがいる独房は地下五階。古い型のエレベーターなのか、降りていく時間が長く感じた。
「当然ながら独房のある階では、魔力の使用は一切認められていない。もしも使用した場合は処罰の対象になるので、変な気は起こさんことだ」
 中年の役人はジットリとした視線を交互に向ける。
「赤髪の青年。罪人との関係は?」
「幼なじみである。闘魂の魔人の家系である克田家。そして炎の魔人の、伝説の炎の魔人の家系である我が高杉家は、古くからの仲である。故に兄弟のように育ってきたといっても過言ではない」
 そこまで誰も聞いてない、とばかりに面倒くさそうな顔をしながら、中年役人は僕を見た。
「君は、どんな関係かね?」
「この少年は、我が友人である!」
 鼻息を荒げて意気揚々と答えるジン。
「いや、君には訊いていな」
「友人である! 彼は私の友達である! 友達!」
 友達という響きに悦っているジンがかなり気持ち悪い。というか、イヤだな。
「本当に友達なのか? 君、いかにも友達が少なそうだぞ」
「おい! それはどういう意味だ!」
 喧嘩に発展しそうになる直前、エレベーターが到着した。
 中年役人は独房監視員に引き継ぐと、そのままエレベーターで戻っていった。
 独房階は全体が薄暗くカビ臭い。それに監視員は二人とも鎧を身にまとい、先端に刃が付いた槍を携えている。重苦しい雰囲気が、リイナの罪状の程を物語っていた。
「面会時間は五分。何を話していけないとは言わないが、相手は罪人である旨を含むがよかろう。ちなみに伺っておくが、君達は何系統の魔法だ?」
 監視員は事務的に訊ねる。魔法の系統によっては、面会遮絶になるとエスカマリさんは言っていた。
「私は代々誉れ高き炎の魔人、高杉家のジンである。貴様、私を知らないとはモグリか?」
「知らんわ。君は?」
「……治癒系の魔法です」
「了解した。では、これより面会を許可する」
 魔人のマスターだということも、隠しておいた方が良いらしい。願い事という形で魔法を使えば、系統を無視して莫大な魔力を駆使出来るからだ。
 監視員の後に続いて進む。二人いるうちもう一人は僕らの後ろに。
 当然ながら警備体制に抜かりはない。リイナに伝えたいことが伝えきれるか不安になった。
 片廊下に面して三畳ほどの独房が十部屋ほど連なる。ちょうど真ん中へ来たときに、監視員は足を止めた。
「克田リイナ、面会者だ。起きろ」
 簡素な洗面台と便座、それに粗末なベッドしかない独房。そのベッドの上に、リイナは横たわっていた。
 こちらに背中を向けているので顔は見えない。でも、その久しぶりに見る姿に涙が出そうになる。
 今やこんな薄暗い独房で裁きを待つだけのリイナ。あの馬鹿なことばかり言い合った日々が、いやに眩しく思い出された。
 あと少しの辛抱だ。リイナは僕が絶対に、救ってみせる。
「リイナ! 僕だよ!」
「えっ! 風早くん?」
 ……あぁ?
 満面の笑みを浮かべて起き上がったリイナだが、僕達の顔を見ると露骨な溜め息を吐いた。
「なんだ。改人くんに高杉か」
「なんだとはなんだ! 人がせっかく会いに来てくれたのに! しかも何で風早くんが出てくるんだよ!」
「え~。だって私いま、結構有名人になっているらしいから。無能力者になる前に、一度くらい風早くんが来てくれるかな、って。『魔力は失っても君への愛は変わらないよ。そうだ、この気持ちが消えないように、水の精霊の誓約を二人で受けよう』みたいな」
「ねーよ! なに都合のいい夢見てんだよ!」
「叶わないから夢なんだと思います」
「望みねーのかよ! もっと頑張れよ!」
 ケタケタ笑いながらお尻をバリバリと掻くリイナは、心底がっかりするくらいに普段通りだった。
 僕はちょっと離れて深呼吸をする。
「あなた、本当に魔力を剥奪されるんですか?」
 リイナは監視員をチラッと見てから言った。
「そうよ。こればっかりは言い訳出来ないし、自分でやっちゃったことだもん。後悔はしていないわ」
 ベッドにダラリとだらしない格好で寝そべり笑っているが、リイナの空色の瞳は真剣だった。ズキッと胸が痛む。
「記憶が戻ってすぐに言ってくれれば、また封印することが出来たのに。あなたならそのくらい容易に頭が回ったでしょう」
「うん。でもね、それはやっぱりダメかなって。だって私、一度は逃げたんだもん。それなのにどうして、また逃げられるっていうの」
「逃げる、って。父さんはそんな風にあなたを思っていない。それに父さんだけではなく、母さんだってきっと……」
 リイナの顔が嬉しそうに崩れた。
「あは、やっぱりシゲノブはシゲノブだわ。いつも人の心配ばっかりで、温かくて優しい。馬鹿だね、私。そんなシゲノブのことを忘れちゃおうだなんて、もったいない。それに、お姉ちゃんのことまで」
 目じりにうっすら涙を浮かべて満足そうにリイナは微笑んだ。そしてベッドから降りると、鉄格子に近付く。
 リイナの首には銀色のリングがはめられていた。僕は自分の首を指差しながら訊ねる。
「それ、魔力拘束具?」
「そうよ。これのせいで魔力は全部、封印中。もし解放出来たら、ここなんて二秒で突破可能よ」
 リングをグイグイ引っ張りながら、リイナは諦観の笑みを浮かべた。
「そんなわけで最後に力も使えずに、私は無能力者になるしかないわけ。でも、さっき後悔はしていないって言ったけど、一つだけ後悔があるかな。ここまで私を心配してくれるご主人様に、何もお返し出来ないまま魔力を失っちゃうなんて」
 リイナがスッと手を伸ばす。その手を掴むと、僕は鉄格子越しにリイナを引き寄せた。
 監視員が引き離そうと詰め寄ったが、それをジンが体を割って阻んだ。
「案ずるな。不粋である」
 冷たい鉄格子を挟んで伝わってくるリイナの体温。僕はリイナの耳元に口を寄せ、短く言葉を伝えた。
 体を離すとリイナの頬に涙が零れ落ちる。
「ありがとう。本当に、ありがとう。最後にお姉ちゃんの子供、私の甥っ子の顔が見れて幸せだったわ。そして願い事を全部果たせなくて、ごめんなさい。いっぱい心配かけて、ごめんなさい。」
 頭を下げるリイナ。
「それと、高杉もありがとう。改人くんをここまで連れてきてくれて。結局、勝負は私の勝ち逃げになっちゃったけど、他の魔人に負けないように、もっと強くなりなさいね」
 神妙な顔つきのジン。
 その時、監視員が互いに目配せをしたのを視界の隅で捉えた。
 これはマズいことになったと焦る。
 リイナの言葉の端々を拾っていけば、充分に気付くだろう。僕がリイナと契約した人間だということを。今更ながら、もう少し言葉を選んでおけばと後悔した。
 片方の監視員が槍を構えると、もう一人はエレベーターの方へ向かった。
 ここで騒がれて放り出されてしまえば、計画が台無しになってしまう。万事休す! と思った直後だった。
 ジンが、監視員の腕を掴んで制止させた。
 思い掛けない行動に、その場にいた全員が目を丸くする。腕を掴まれた監視員も、唐突のことに呆然としていた。
「あの、ジンさん?」
「……気が変わった」
 ムッスリとした態度で呟いた瞬間だった。ジンが触れていた監視員が、ガス爆発でもしたかのように炎のかたまりとなった。
 消し炭になった相方を、口をパクパクしながら見る監視員に、ジンが軽く手を触れる。
「劫火の抱擁」
 同じように一瞬で丸焦げにされた監視員。その瞬間、廊下にけたましい警報音が響いた。
「ジンさん、これは一体……」
「我が魔法をこやつらの体内で直接爆発させた。内臓から血液に至るまで、一瞬で炎が駆け巡ったであろう」
 黒こげになった監視員の衣服をあさりながら、解説をするジン。
 ポケットから鎖のついた鍵の束を取り出すと、その鎖を炎で焼き切った。
 そしてリイナの鉄格子の鍵を開ける。
「高杉あんた、なんてことをやっちゃったのよ……」
「うっさい! りっちゃんのアホ! スカンク!」
 メガネをクイッと託しあげながら、ジンは言葉を続ける。
「私は我が主の命により、この少年を助力したまで。そして克田よ、本当に勝ち逃げをするなど許さん。共に脱走しようぞ。我が旧友よ!」
 やや興奮した様子のジンには申し訳ないが、僕とリイナは同時に深い溜め息を吐いた。
「いや、あのですね。そういう意味じゃなくて」

更新日 6月19日

 リイナくんのドキドキプリズンブレイク大作戦!
 監修:エスカマリ

 一、まずはリイナくんに作戦を伝えよう。面会に行くフリを装えば誰でも会えるぞ!
⇒今ここ。
 二、裁判の時間になったら判決の間で待機しよう。魔力剥奪の儀式はその場で行われるぞ! その際に身内だとか役人に伝えれば、より近くで観覧できるぞ!
 三、 そして裁きの瞬間! 魔力剥奪の儀式に入るときに、一瞬だけ魔力拘束具が外されるのだ! ここがチャンス! すかさずリイナくんへ願い事をしよう! どんな願い事でもいいさ! リイナくんは素早く契約コードを詠唱すればいい! 力ずくでその場を脱出だ! 闘魂の魔人相手なんて誰も適わないって!
 四、あとはリイナくんと手と手を取り合って、南の島にでも逃避行。新たな二人の未来が始まる……!

「……という予定だったんですけど」
 真顔で話を聞いていたジンの額から、冷や汗がダラダラと垂れ落ちてくる。
「それ、先に言えよー」
「だってジンさん、手伝わないって言ったじゃないですか。だから余計なことを伝えても、意味ないかなって」
「高杉ってこういう奴なのよ。目立ちたがり屋っていうか、一時のテンションに流されやすいっていうか。たいていは良くない結果を引き起こすけどね」
 顔を真っ赤にして吠えるジン。
「う、うるさい! それを言ったら克田はどうなのだ! なぜ当の本人がそこまで落ち着いていられる!」
「だって改人くんがここに来た時点で、助けにきたなって気付いたし。それにさっき、その旨を耳打ちされたし。全く高杉はいつもながら空気が読めない奴ね」
「てか、あなたも普通にご主人様って言っていたでしょうが。全然気付いていなかったでしょ。嘘言うな」
 イタズラっぽくペロッと舌を出して見せるリイナ。
 顔を赤らめたり青ざめたり、彩り豊かに染め替えるジンは頭を抱えて激しく唸った。
唸りたいのはこっちの方だ。計画を最初からメチャクチャにされたのだから。
警報音が未だに鳴り響く。奥を見るとエレベーターが動いていた。警備員がまもなく駆け付けるだろう。
「困ったわね~。まぁ、私は元々罪人だけど、高杉も間違いなく捕まるわ。あんた馬鹿ね~。お父さんにメッチャ怒られるわよ~。眼鏡、叩き割られるわよ~」
 欠伸をしながらバリバリ尻を掻く姿は、緊張感の欠片もない。
 頭を抱えてブツブツ呟いていたジンは、変な雄叫びを上げながら立ち上がった。
 そして後方に巨大な炎の玉をぶっ放した。
「何をやっているんですか、あなた……」
 エレベーターの扉がひしゃげて炎に包まれる。次いで反対側の通路から、槍を構えた警備員がワサワサと現れた。
「魔力の使用を許可する! 脱獄犯と荷担した者達を捕らえよ!」
 先頭に立った警備員のリーダーが手をかざす。すると後に携えた警備員達の槍が鋭い造形に変化し、一斉に投擲してきた。
「ほう、魔力を使用してよいのならば、決闘と受け取っても構わんのだな。ならば遠慮はせん。我が灼熱の業火を存分に味わうがよい!」
 雨のように降ってくる槍に向かって、ジンはスッと手を払う。すると槍は次々に爆ぜ消滅した。
 その爆煙に紛れてジンは敵の懐に突進する。また派手な爆発が立て続けに舞い上がった。
 一瞬だけ現れた修羅場はすぐに静まり返り、あとに立っているのはジンだけだった。
「ここまで来たら、やれるところまでやらせてもらおうか! 高杉家は三十七代目を継ぐジンを侮るな! 行くぞ、克田! 少年!」
「は、はい!」
 勇ましく走り出すジンのあとに次ぐ。警報音がけたましく鳴る中、僕はリイナの手をしっかりと掴んだ。

 最早開き直ったジンに恐いものはないようだ。
「止まれ、炎の魔人よ! これ以上騒げば、貴様も魔力剥奪の刑に処され、ぐはぁ!」
「うるさい! 退け!」
 自由自在に炎を操り、次々と警備線を突破していく。リイナとの対決では、小さい炎をポイポイ投げてきただけだったが、やはり人間界では力の一割も出せないらしい。
 爆炎に火柱の乱舞。僕は前方から吹き込んでくる熱風から身を守るだけで精一杯だった。
「ジンさんって、本当は強いんですね」
 感嘆しながら呟く僕にリイナが相槌を打つ。
「まぁね。一応、自然四大元素のひとつ、火を担う高杉家の長男だもん。そこそこの相手には負けないわよ。頭は弱いけど」
 階段を駆け上がりながら階層を頭の中で計算する。これで二つ目の踊場までやって来た。
 独房のあったのが五階だから、単純に考えれば今は三階。
 階を上がっていくごとに、警備員の数も増えていっている。いくらジンの魔法が強力とはいえ、最後まで突破出来るのだろうか。
 それにこの建物から抜け出られたとしても、その後はどうする? リイナの魔力は未だに拘具で抑えられているままだ。
「リイナ、やっぱり願い事って出来ない?」
 駆け足なため、上がった息を収めつつ、リイナは答える。
「無理だと思うよ。願い事を叶えるといっても、着火させるだけの微量な魔力は必要だから。試しに何か言ってみて」
「じゃあ、その首輪を外して下さい」
「了解。契約コード詠唱! シメサバ!」
 人差し指を突きつけて唱えるが、何一つ反応がない。やっぱり無理なようだ。
 これでは屋外でも逃げ切れないだろう。
 結局はどん詰まりとわかっていても、先に進まなければと気が急いてしまう。とにかく今は最大の戦力であるジンについて行くしかなかった。

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