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2010'06.07 (Mon)

あとがき


長かった……。自分で書いといてナニですが、長かったです……。
この度は「なんしきっ!」を最後までお読み下さいまして誠にありがとうございます。400字詰め原稿用紙に換算すると約750枚近くになるであろうこの作品。十二月から当ブログで掲載し始めて早、半年が経ってしまいました。長かった……。
どのくらい長かったかというと、掲載中に娘が産まれたくらいです。長かった……。
私、もともとは中学生にソフトテニスを教えていた経緯がありまして、その時の経験が今回の作品を手掛ける材料になりました。中学生って本当に多感で敏感な年頃で、どうやって接するのが一番良いのか毎日悩んでいました。私なんて週に何度か顔を合わせる程度でこれだから、学校の先生ってもっと何十倍も大変なんだろうな、とつくづく感心してしまいます。
それでも生徒達とテニスをしているのは楽しかったです。段々と上達していく姿を眺めては嬉しくなったり、試合で負ければ本人達以上に悔しがったり。今は娘も産まれてしまい子育てにてんてこ舞いなので忙しいですが、落ち着いたらまたテニスを始めたいです。
さて、今後は掲載する予定の小説も特にないので、当ブログはしばらくお休みとなります。ただいま二つの新人賞に応募中なので、途中経過の報告くらいは載せるかも、です。
(今月に一次選考発表なので、もしも落ちたら掲載するかも……)
それでは、またお会い出来る日を楽しみにしています!最後に、小説を読んで頂き励ましのコメントを下さった皆様、本当にありがとうございました♪

要人(かなめびと)




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13:28  |  なんしきっ!  |  CM(6)  |  EDIT   このページの上へ

2010'06.01 (Tue)

明日へ向けて

 茜色の空が川の水面に反射してキラキラと眩しい。佐高市を形作る荘内平野の中央を流れる北前川は、悠然とその流れを海原に向けて下っていく。日本屈指の急流と証される北前川は梅雨の時季になれば修羅のように姿を変えるが、晴れ間が続く昨今は大人しくサラサラと流れていた。その北前川に架かる鳥海大橋の歩道橋を渡る自転車の群れ。西日に伸びる影が六つ。
 その中の一台の自転車に乗った少年が、学校指定のヘルメットを外すと無造作に籠へ放り入れた。
「あぁー! ちくしょう! なんでこんな暑苦しいメット被ってなきゃいけねぇんだよ!」
 いかにも我慢弱そうな少年へ、一番先頭を走っていた肥え太った少年が咎める。
「規則に従いたまえ、高田君。もしもヘルメットを被っていない第七中生徒が近隣住民から見つかったら、真っ先に我々が疑われるだろうが。そうしたら必然的に市議会議員である僕のお爺ちゃんに迷惑がかかることになると思わないのか?」
「思うわけねぇだろ。なんで俺がいちいちデブの爺さんの事なんか気に掛けなきゃいけねぇんだ」
「君は宗方繁蔵が何たるかを知らないからそんな態度でいられるんだ! よかろう! ではまず始めに僕のお爺ちゃんが齢三十五歳で初めて市議会議員に当選した時の話から聞かせようか! それは大晦日が開けたばかりの冬、その年はちょうど豪雪と言われた年で僕のお爺ちゃんはスコップ片手に……」
 本人しか興味がない英雄譚を語り出した部長に、一同突っ込みを入れる体力も無く黙って聞き流す事にした。いつもなら苦笑いを浮かべながらも話を聞く振りをする相方である丸藤も、すっかり体力を消耗仕切ったのかげんなりと反応を示さない。他のメンバーも同様に応援やらで疲弊した体を感じながら、今日一日の戦果を胸の中で反芻する。さっきからもう何度となく思い返しているが、決してし尽くす事の出来ない一日だった。
 そんな中、殆ど一日中応援に徹していた巨漢の吉川が、背格好に似付かわしくない声で呟く。
「でもさ……今日はみんな、凄く頑張ったと思うよ? 特にみやちゃんとさくちゃんは、ね。最後の試合なんか、我を忘れて応援してたもん」
 少し離れた位置にいる神谷はいつもの無表情で何も言わず自転車を漕いでいる。たぶん今日一番体力を消費しただろう彼は、こうしてみんなと一緒に帰れるだけでも奇跡だろう。そんな神谷の替わりに、吉川の隣で併走していた小堺がガラにもなく落ち着いた声で答えた。
「それでも結局、負けちまったら意味ねえよ」
 その一言で一同はグッと口を噤むが、すぐにそれまで押し黙っていた神谷がギリギリ全員に伝わる程の声で一人ごちた。
「ファイナル、ほとんど一本も取れなかった……」
 西日で真っ赤に染まった少年達は、準々決勝での神谷達の試合を思い出した。僅か二時間ほど前の事だったが、今でも輝ヶ丘テニス競技場に居るかのように、あの試合を鮮明が甦る。

 唸るような両陣営の観客に見守られながら、第1コートで対峙する神谷達と黒田達。あの第四中一番手である彼らが一年生ペアからファイナルゲームまで追い詰められようとは、誰しもが予想しなかっただろう。コンビの結束力の屈強さと奇抜な試合展開で翻弄する神谷&小堺ペア。王者としてのプライドと圧倒的な技術の差で引き離そうと奮闘する黒田&角野ペア。今や第七中優勢なムードでファイナルゲームを迎え、コートをぐるりと囲んだ人垣はもしや一年生ペアが盤石を覆すかと、むしろそれを心の底で期待しながら次の展開に目を離せなかった。
 だが、神谷のスタミナは既に底を打っていた。第六ゲームにサイドへ疾走したあの一本が限界で、もはや体力を復活させる時間も原料もなく、ファイナルゲームは観客がガッカリするほど呆気なく終わった。そのあまりの呆気なさに本人達も悔しがるわけでもなしに、ただ茫然と試合終了の礼を交わしただけである。

「で、でもさ。結局黒田さん達からゲームポイントを取れたのって、神谷君達だけだよ。それって相当凄い事だと思うんだ」
 二人を励ますようにわざわざ自転車を寄せながら丸藤は言った。実際のところ、個人戦で優勝した黒田達は団体戦も含めて神谷戦以外は1ゲームも落としていない。それどころか彼らをファイナルゲームまで追い詰めた今大会のダークホースは各学校の顧問やコーチ連中から、佐高市内で実質ナンバー2という高い評価を受けていた。他の入賞した選手達には申し訳ないが、あの準々決勝が今大会の事実上決勝戦だったといっても過言ではない。不幸にも彼らが公式戦で対戦する機会が今後ないかもしれないという事が残念でならないが、これからの二年生や一年生には神谷と小堺が良い刺激となり、目標となるだろう。
「これからは、みやちゃんとさくちゃんが追い掛けられる番だね。僕達も早く二人に追い付けるように頑張らなくっちゃ。ね、たっちゃん?」
 同意を求められた高田も「おうよっ!」と応える。
「俺達もこれからはもっと必死こいて練習して、いずれはお前らを下してやるからな! うかうかしてんじゃねぇぞ! まずは豚、丸男! お前らからだ!」
 未だにうっとりとしながら誰も聞いていないのに祖父の英雄譚を語っている宗方は高田を無視し、丸藤は「……丸藤です」とボソッと答えるだけだった。そんな反応の薄い二番手ペアに憤慨したのか、高田はギャンギャンと喚きながら小堺に突っかかっていく。
「なんだよ、どいつもこいつも! 俺らが素人だからって馬鹿にしやがって! そうやって余裕ぶっこいてると足元すくわれっからな! 小堺、てめえもだ! 何をしけた面してんだ! 似合わねぇんだよ!」
 さっきから火が消えたように元気のない小堺が気に食わないのか、高田は足で軽く自転車のカゴを蹴る。
「ちょっと、高田君! 危ないじゃないか! 小堺君も嫌なら嫌って言いなよ!」
 注意する丸藤をよそに、小堺はなおも明後日の方角を眺めている。負けた事がよっぽどショックだったのだろうか、殆ど放心状態の小堺が不気味過ぎて吉川がおずおずと自転車を寄せる。
「さくちゃん、負けて悔しいのは分かるけどさ、元気だそうよ。僕達、まだ一年生なんだし始まったばかりじゃん。だからさ、落ち込まないで、ね?」
 吉川の言葉に目を丸くする小堺。
「何言ってんの? 俺は別に落ち込んでなんかいないぞ」
 その素っ頓狂な言い方に全員が口をあんぐりと開けて固まる。
「……えっ?」
「だからっ! なんで落ち込まなきゃいけないんだよ! 俺がそんなタイプに見えんのかぁ?」
「えっ……だってさくちゃん、いつもより元気がなかったから。試合に負けて悔しいのかな、って」
 吉川にそう言われると、小堺はバツが悪そうに頭をバリバリと掻いておずおずと答えた。
「そりゃあ、負けたのは悔しかったけどよ、だからって落ち込みはしないぜ。たださ、今日の試合を思い出していたんだ」
「試合の、こと?」
「おう。今日の試合でさ、自分でも不思議なくらい体が動いていたな、って。まるで自分の体じゃないみたいな、変な感覚だった」
 妙な事を語る小堺だったが、話を聞いていた丸藤も同調する。
「それ、僕も分かるよ。小学生の頃はそんな感覚なかったんだけど、宗方君と組んでいたからかな? 何の気兼ねもなくテニスが出来たっていうか、宗方君とだから迷いもなくプレー出来た、みたいな……」
「そうそう、そんな感じ! 小学生の時に組んでいた奴だって悪い奴ではなかったけど、しっくり来なかったっての? ペアを気にしちゃって上手くやれなかったんだ」
 中学に入ってからテニスを始めた高田と吉川には今一要領を得ない話だった。経験者ならではの感覚なのだろうが、仲違いの末に勝てるはずだった試合を落とした今日の事を思い出すと、なんとなく理解できる。始めは上手くいっていたのに、気持ちが行き違った瞬間にフォームもバラバラになってボールが全くコートの中に入らなくなってしまったのだ。
「詰まるところ、君達は互いの実力を存分に引き出せるほど馬があったペア、ということか」
 それまで誰も聞いていないのに延々と祖父の話をしていた宗方が話に加わってきて、何だかもっともらしい事を言うので一同溜まらずに吹き出した。
「なんだね君達! 失敬だな! 丸男君、我々もかくあるべくようになろうじゃないか!」
「ハハハ。うんうん、そうだね」
 眼鏡をたくし上げながら朗らかに答える丸藤を見て、宗方は納得したように頷く。
「ということは、やっぱり俺と正樹の愛の力ってことだな! 結論から言うと!」
 またもや冗談なのか本気なのか分からない台詞に、チームメイトは言葉を詰まらせる。小堺が言うのなら本気なのだろうが、どんな意味合いで本気なのか詮索する勇気がある部員は残念ながらこの中にいなかった。

 話を逸らすように高田が神谷に自転車を寄せると声を掛ける。
「お前はどうなんだよ?」
「……愛の力か?」
「違ぇよ! アホか! お前は負けて落ち込んでんのかって話だ!」
 さっきから一言も言葉を発することなく押し黙っている神谷を、やっぱりみんな気にかけていた。小堺はともかく神谷は神経が繊細そうなので、もしかすると負けたことが悔しくて塞ぎ込んでいるのかもしれない。だが神谷は少し考える仕草を見せると、首を横に振った。一同はホッと安堵する。
「じゃあさっきからなんで黙り込んでんだよ? 無口なのはいつもの事だが、話に参加くらいしやがれ」
「……疲れた」
 そう言うと神谷は再び貝のように口を閉ざし、黙々とペダルを漕ぐだけの作業に没頭した。確かに今日一番体力を消費したのは誰であろう、神谷だ。試合の途中に燃料切れになるくらいだから、帰り道くらいはゆっくりさせてあげようと、高田は併走していた自転車をゆっくり下げた。
「悔しがるって言えばさ、一番ガッカリしてたのって美和ちゃんだったんじゃね? 試合直後は大泣きしながら『よく頑張った!』って言ってくれたけど、帰る時に何故だか元気なかったぜ」
 顧問の不審な態度を思い出した小堺が言った。言われてみれば、といった風に全員も最後に見た安西の顔を思い出す。ガッカリというよりは困惑したような様子だった。
「安西先生、何かあったのかな? それとも僕達、知らず知らずに悪いことしちゃってたかも……」
 不安げに眉をひそめる丸藤が可笑しくて、チームメイトは声を殺して笑った。たぶん初恋の相手だろう安西の一挙動に一喜一憂してしまう、丸藤はちょうどそんなお年頃なのだ。
「案ずるな、丸男君。安西先生はその程度の事で表情を濁すような器の小さい方ではない。きっと何か頭を抱えるような別件をお持ちなのだろう」
 本人にしては励ますつもりで言ったのだろうが、事情を知らない彼らは全く違った意味で宗方の発言を捉えてしまう。
「なんでそこまで美和ちゃんをヨイショするんだよ、デブ。うちの二番手は随分と顧問を大事にするんだな、あん?」
「ちょっと高田君! なに馬鹿なこと言うんだよ!」
「そうだ! 無粋な勘ぐりはよしたまえ、この不良少年が!」
「んだと、デブ! もういっぺん言ってみやがれ!」
「ちょっと、たっちゃん止めなよ!」
「ハハハ、いいぞたっちゃん。やれーやれー」
「……寝たい」
 鳥海大橋の歩道橋で戯れる影六つ。少し風が出てきたのか、朱色に染まった水面はキラキラと波立つ。それはまるで、はしゃぐ子供達をはやし立てる拍手をしているようにも見えた。

 輝ヶ丘テニス競技場に隣接された砂利の駐車場に止まる二台の車。一つは大型のRV車でもう一つは茜色に染まり、さらに赤く光る軽自動車。その間に伸びる影二つ。
「団体個人、総合優勝おめでとうございます」
 慇懃に頭を下げる安西の向かい側にいる佐々木もきちんとお辞儀で返す。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます」
 上っ面だけをみれば爽やかで礼儀正しい男性なのだが、仮面の下に隠された本性を知り尽くした今では何の感慨も湧かない。
「やっぱり佐々木先生には敵いませんでした。でも今回は色々勉強をさせて貰いましたし、私、ソフトテニスが好きになりました」
 悔しい気持ちはもちろん無いわけではないが、それ以上に得たものも大きい二日間だった。生徒達と一緒に笑って怒って、ハラハラしたりドキドキしたり、今までの教師生活で味わった事のないたくさんの感情をもらった。
「安西先生がそう感じて頂けたのならば幸いです。よほど有意義な時間だったのでしょう」
 そう言うとそれまで安西の顔をジッと眺めていた佐々木が小さく吹き出した。
「失礼。安西先生の表情が第七中の生徒そっくりだったもので、つい。先生の子供達は良いですね。みんないつでも瞳をキラキラ輝かせ、決して諦めることをしない」
 それまで朗らかに笑っていた佐々木が言葉を止めると、ため息混じりに
「うちの子供達はどんな顔をしてるでしょう。私のような表情をしているんでしょうか」と呟いた。
「本当ならば今日の試合、黒田達には全戦ゲームポイント0で勝ってこいと指示を出したんですよ。ですが神谷君達にファイナルまで持っていかれました」
 それは随分と無茶な指示を出すものだと安西は思ったが、その学校にはその学校なりの指導理念がある。東北大会まで選手達を引っ張っていくような学校なら、さほど無茶でもないのだろう。
「実力は歴然ながらも懸命に工夫を凝らし勝利への飽くなき強い意志。そしてお互いのパートナーに対する絶大な信頼。どれもこれも我が第四中にはないものばかりで目が眩んでしまいました。安西先生が昨晩おしゃったことの意味が、あの生徒達を見ていて少しだけ分かった気がします」
 だいぶ暗くなってはっきりとは見えないが、ほんの一瞬だけ佐々木が作り物めいた笑顔ではなく、本物の笑顔をしたように見えた。
「あの時は私もだいぶ酔っていましたし……。それにきちんと結果は結果として残してらっしゃる佐々木先生は凄いと思います。だから私が言うのも生意気なんですけど、佐々木先生は佐々木先生なりの指導理念を貫き通していかれるのが良いのかと」
 実際に力の限りぶつかり合う生徒達を目の当たりにして、安西が抱いた率直な感想だ。負けてしまえば全てが終わり、勝者が何よりの正義という世界で、昨晩安西が佐々木に啖呵を切った口上は単なる綺麗事でしかないのかもしれない。佐々木を弱虫で臆病者だと言ったが、建て前をかなぐり捨てて冷酷に生徒と向き合う佐々木を否定した自分の方がよっぽど臆病者ではないか。
「はい、もちろん私は私なりの指導理念を曲げるつもりはありません。批判は絶えませんが、私が生徒に結果を与えていることは事実ですから」
 こっちが塩らしく出たからと言って及び腰になる智将ではなかった。太々しくも胸を張って宣言する佐々木に、安西はいつかとっちめてやると胸の中で決意を新たにする。
「まぁ、今回は私も第七中さんから得ることもありましたし。特に神谷君達には勝負で勝って相撲で負けた、といったところでしょうか? 彼のスタミナが少しでも残っていたら、負けたのはこっちでしたからね」
 その佐々木の台詞を聞いて、安西の頭にある案が閃いた。
「ですよね~。勝負に勝って相撲で負けたみたいなものですよね。だから賭けの方も今回はドローってことで」
「それとこれは話が別です。勝負に勝ったのはこっちなんですから」
 押さえるところはピシャリと押さえる佐々木に、安西は「あぅ……」と呟き、やはり考えが甘かったかと俯いた。
「あのぅ……あんまり変なお願いとか、イヤですよ?」
 ちょうど下を向いていたので上目遣いになりながら佐々木を仰ぐ安西。佐々木は溜まらずに顔を紅潮させると急に落ち着きなくあたふたとし始めた。
(この人、よっぽど私に変な事をさせたいのかしら……)
 そんな事を思っていると、意を決したのか佐々木が咳払いをして改まる。
「で、では……言いますよ?」
「あ、はい。どうぞ」
「ほ、本当に! 言いますよ!」
「(うわぁ……)は、はい! どうぞ、おっしゃって下さい!」
 佐々木の口からか細く消え入りそうな声が漏れる。
「わ、私と……夕飯をご一緒して頂けませんか……?」
 二人の間に沈黙が流れる。まるで少年のように真剣な眼差しの佐々木を、ポカンと口を開けて見つめる。
「……へ?」
「いや、ですから! ご一緒に食事でも! いかがですかとっ!」
 あまりに切迫した口調で佐々木が言うものだから、安西はしばらく状況が掴めなかった。
「え、ご飯食べるだけですか?」
「は、はい!」
「今晩、ですか?」
「はい!」
「そんなのでいいんですか?」
「はいっ!」
 まるで訓練された自分達の選手のようにハキハキと答える佐々木。そんな普通なお願いを言うために、何故これほどまで緊張しているのか不可解でならなかったが、そこで安西はあることを思い出した。
「でも今日はこれから父兄の方々と反省会じゃないんですか?」
「大丈夫です! 断ってきましたから!」
 わざわざ安西と夕飯を食べに行くために大事な会合をパスしたのかと驚いたが、そこまで楽しみなのならば断るわけにはいかないし、賭けに負けたのは自分だ。
「じゃあ、わかりました。ご飯を食べに行きましょうか」
 安西の承諾を得た途端、顔をパァッと輝かせて小さくガッツポーズを決める佐々木。そんなに嬉しいものなのかと思いつつも、安西はハンドバックに入った財布の中身を確かめる。昨晩も飲み会があったし懐具合が心配になったのだ。スポーツをしている男性は予想以上に食べるかも知れないし。
 だが佐々木は慌て手を振ると
「もちろん私が奢ります! レディーにお金を出させるなんて、ましてや安西先生に出させるなんて絶対に駄目です!」
 安西の財布を遮った。
「え? だって私が賭けに負けたんですよ。佐々木先生の奢りだなんて、それじゃあ罰ゲームはそっちじゃないですか」
「いいえ、構いません! 紳士としてそれだけは駄目です!」
 どういうわけか佐々木は賭けで勝った上にお金まで出してくれるらしい。なんだかそこまで言うのならここは佐々木に従っておこうと思い、安西はほくそ笑む。
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃっていいですか?」
 なんだかんだ自分に良い結果で終わった地区総体。安西は軽くなった気分にあおられるように、佐々木がエスコートしてドアを開けてくれた助手席に乗り込む。
 文化系で育ってきた安西にとって体育会系の人間は今一要領が掴めない存在だったが、今日一日でだいぶ印象が変わった。
 ……特にご飯を奢ってくれる男性なら大歓迎だ。

更新日 6月6日

 さらさらと流れる北前川を背後に鳥海大橋を下りると第七中の学区内に入る。広大な田園風景の中に十五年程前、突如として出現した大型ショッピングモール。それを皮切りに土地開発は進み、田園の四分の一は新興住宅地へと変わり、生徒数の移り住みによる偏りの影響を受けて同時に建設されたのが佐高第七中学校だった。夜になると漆黒の闇の中に不夜城の如くぼんやりとした明かりが浮かび上がるショッピングモールの周りに点在した住宅地、まるで近代の城下町を彷彿させる佇まいが第七中学区の特徴だ。
 空を写す巨大な鏡のような水田の名残を帯びながら順調に生育している稲穂を抱く田園。その間を縫う農道をのんびりと走る六人の少年達。もう会話のネタが尽きたのか、はたまた試合後に自転車で帰宅という重労働に疲弊したからか、互いに言葉を交わすことなく黙々とペダルを漕いでいく。途中、何台か農作業用トラックとすれ違い路肩に寄って配列を崩したが、行き先へ向かう自転車に渋滞はなかった。
 広瀬新田の神社の脇を抜け、用水路を併走する小さな砂利道を通ると住宅街に突入し、視界は一気に狭くなる。まだ築何年といった真新しい住居の間を網の目を縫うように進んでいく。近所の簡単な家電修理を請け負う田島電気店を右に曲がり、お盆の時期には小さな夏祭りが開催される東州神社を左に曲がると、途端に大きな建物が眼前に広がる。学び舎である佐高第七中にたどり着くと、少年達は言い知れぬ安堵感が胸に広がった。そして正面校門を抜けると一旦自転車から降り、そのまま校舎裏へと続く細い通り道を進んでいく。行き着いたその先は、小高いフェンスで囲まれたテニスコートだった。

 全員無言のまま、特に言い合わせたわけでも無しに到着したこの場所。気恥ずかしそうに頭をバリバリと掻きながら第一声を発したのは高田だった。
「あーっ! なんでみんなしてここに来るんだよ! 各自解散って美和ちゃんが言ってたじゃん! 丸男! お前、なに自分ちを素通りしてんだよ!」
「高田君だって何でこっちの道に来たの。全く逆方向じゃなかったっけ?」
「みんな、学校に何か用事でもあるの?」
「そういうお前は何で来てるんだよ! 吉川んちだって逆方向だろ!」
 全員が全員、恥ずかしい気持ちを隠すようにお互いを責め合っている。もちろんテニスコートに集合する必要など一切ありはしない。だが少年達は見えない何かに導かれるようにテニスコートに集まってしまった。
 散々言い合いをした彼らは次第に口数が少なくなっていき、そわそわとテニスコートを見つめだした。
「お、俺さ。今日は一試合しかしてないからまだ体力が有り余ってるんだよな」
「ぼ、僕も。なんだか肩をほぐしてからじゃないと今日はゆっくり寝れなそう、みたいな……」
「俺も実際クタクタだけどよ、軽く運動しとくのも良いかなって。クールダウンっていうの? やっとかないと調子狂いそうでヤダな」
 お互いを牽制し合うように横目でチラチラ視線を送りながら肩やら腰やらストレッチする少年達。何やかんや言って詰まるところ……
「お前たち、テニスしたいのか?」
 無表情に尋ねる神谷に全員がバツ悪そうに目をそらす。
「呆れた連中だな! 不良コンビはまだしも、小堺君はついさっきまで死闘を繰り広げていたではないか! どこにそんな体力を隠しているんだね? ちょっとはパートナーに分け与えたまえ!」
 部長に窘められて面目ないとばかりに頭を垂れる一番手ペア。そんなチームメイト達を眺めていた丸藤は首を傾げながら呟く。
「みんなテニスがしたいのはわかったけどさ、フェンスを開ける鍵とネットが入っている体育用具室の鍵は安西先生が持ってるんだろ? どのみち無理なんじゃない」
 重要な事に気付かなかった少年達は残念そうにしゅんとなる。
「なんだよ。わざわざここまで来たのに……」
「よじ登ってみるか? このフェンス」
「無理でしょ。それにネットがなきゃ意味ないじゃん」
 がっくりとうなだれるチームメイトを見渡して、部長の宗方はわざとらしく咳払いをするとおもむろにポケットから二つの鍵を取り出した。その見覚えがある鍵に、一同目を丸くする。
「君達の単純な思考などお見通しさ。特別に安西先生から借りてきたよ」
 したり顔で鍵をチャリチャリと振る宗方に、その場にいた全員が歓喜する。
「やるじゃねぇか、豚! それでこそ部長だぜ!」
「フハハ、もっと誉めたまえ、崇め奉りたまえ」
 いつまでも悦に入っている宗方の手から鍵を奪うと、皆一斉に蜘蛛の子を散らしたように駆け出した。
「よっしゃ丸男! 乱打しようぜ!」
「丸藤ですっ! 高田君、シュートだけじゃなくロブも練習しなよ!」
「いいかい、みんな! こうしてテニスが出来るのも僕のおかげだということをゆめゆめ忘れるんじゃないぞ!」
「しつこいぞ、豚! ほら、ネット張るから手伝え!」
「みやちゃん、上げボールくらいなら大丈夫? 無理ならいいけど……」
「大丈夫。深めの球が欲しい時には言ってくれ」
 陽はだいぶ傾き、日没まであと僅か。ボールを目で追える光量が途絶えるまで三十分もないだろう。それでも少年達は一分一秒を惜しむようにがむしゃらに、だが懸命にコート内を動き回る。
 黄昏色に染まったテニスコートに長く伸びる影六つ。戯れる少年達を緑化した桜並木がいつまでも見守っていた。

おわり



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2010'05.16 (Sun)

個人戦四回戦 神谷・小堺VS黒田・角野

 直前に試合を終わらせた黒田と角野は、観客席に戻らずそのまま第一コートのベンチで智将・佐々木からコーチングを受けていた。
「さて、相手は昨日の団体戦でも対戦した例の一年生ペアだ。実力は手合わせしたお前達が一番良く知っているだろうが、どうやら今日の個人戦を観戦していると少し方向性を変えたらしい」
 いつものポーズで選手に作戦の指示を出す佐々木に対して、黒田と角野も変わらず軍隊のように背筋を伸ばして覇気の篭った返事を返す。
「あのペアはそれぞれが攻撃型寄りのタイプなので攻め方がバラバラだったが、今日の個人戦全ての試合を観察すると、後衛が完全に繋げる展開で攻撃の要は前衛に集中させてきているようだ。きっとあれでは我々に勝てないと反省したのだろう。ならば話は早い。相手が正攻法で来るのならこちらも正攻法で対抗するまでだ。どこをとってもお前達があのチビ共に劣っている点はない。ゲームポイントを一本も与えずに圧勝してこい」
「はいっ!」
 言い終わると丁度良く第七中ペアが向こうのベンチに現れた。黒田と角野は「お願いします!」と挨拶をするとネット前に走っていく。地区総体で対戦する選手達には最早興味がない。殆ど通過点に過ぎない大会のはずなのに、突如として現れた新星に気を取られた。彼らにしても単なる一年生へそこまで拘るのか分からない。だが黒田と角野にしても、自分達にはない何かを持っている神谷と小堺の引力に、知らず知らず引かれていたらしい。
 神谷と小堺もネット前に走っていくと整列をする。導かれるようにして出会った因縁の対決が始まろうとしていた。

「相変わらずストローク上手いなぁ、角野さん。正樹、そっちはどうだ?」
 二度三度交わした乱打の後に、作戦の最終確認とばかりに話しかける小堺。神谷はラケットのガットを直しながらぼそぼそと呟く。
「調子良いみたいだ。……黒田さんが」
「ハハハッ! そりゃ残念だった! じゃあ第一ゲーム目は例の作戦通りいくか?」
「うん。それが外れたらこの試合は終わりだ。いくぞ」
「おうっ! っしゃーあっ! 一本先攻っ!」
 小堺の雄たけびに呼応するように、両陣営の応援団が湧き上がる。第四中は高田兄の威光に怯えつつも、後々佐々木から受ける仕打ちの方が恐ろしいと判断したからか、声の限りに声援を送っている。そして数では圧倒的に負ける第七中陣営だが、驚いたことに既にベスト八まで選手が残らなかった第五中や第三中、それに何故か事務所を挟んだ隣で試合が行われていた女子までもが第七中の応援に加勢してくれた。きっと第五中や第三中は常勝の第四中に含むところがあるらしく、女子達は健気に頑張る一年生ペアをアイドル感覚で眺めていたらしい。ともかくこれで応援陣は均衡になった。第1コートから第4コートまで同時に行われた男子個人戦ベスト八の試合だったが、第1コートだけは桁違いの熱気に包まれていた。
 そんな唸る様な声援を背に受け、黒田は一本目のサーブを放つ。球威もスピードも申し分ない打球だったが、昨日の団体戦で既にその実力は体験済みだったので、神谷は素早く足を捌きラケットを後方に構える。そして体と視線は真っ直ぐサーバーの黒田へ向けて、角野の左サイドを打ち抜いた。
 しまった! と苦痛に顔を歪める間もなく、第七中陣営からドッと湧き上がる歓声に耳を塞ぐ。まさか一本目から神谷がサイドを狙ってくるとは思わなかったのだ。事実、団体戦の一本目で神谷は角野の左サイドを抜こうとして阻まれている。その経験と佐々木の「後衛は繋ぎ重視でくる」という指示があったため、サイド抜きは全く警戒していなかったのだ。一年坊主に出し抜かれて不愉快な態度を露にする角野に、黒田は離れた位置から「ドンマイ」と声を掛けるだけに留めた。こういう場面でコミュニケーションを図ろうとしても、角野の逆鱗に触れるだけだということを黒田は知っている。
 気を取り直して黒田は二本目のサーブを構える。さすがに前衛の小堺は攻撃型といってもレシーブから攻めてくるとは考えられない。ストロークもまださして得意そうには見えないし、きっと角野の頭をロブで越えて正クロス展開に持ってくるだろう、と画策していた。そんな黒田が放ったサーブを、小堺はじっくりボールの軌道を追い全神経を集中させる。そして狙いを定めたポイント、角野の右サイドへラケットを引っ張るように打ち抜いた。
 二本連続レシーブエースを決めた第七中ペアは歓喜してコート内を駆け回る。そんな彼らとは対照的に角野は歯を剥き出しにしてわなわな怒りに身を震わせていた。一年生ペア相手に小馬鹿にされたことに屈辱で腹わたが煮えくり返りそうだった。まさか二本連続でサイドを抜かれた経験のない角野は憤怒に我を忘れそうなほど頭に血が昇っていった。

「よっしゃ! ナイスボール、朔太郎!」
「おうっ! きちんと二本連続で決めたな! 今まで個人戦で正樹、あんまり前衛を狙わずに大人しくしてたもんな。これだけ正直に利くとは思わなかったぜ」
「あぁ、観客席で毎回俺達の試合を観戦してたのに気付いた。何か使えると思って」
「さすがは正樹だな! にしても……角野さん、おっかねー。目を合わせられねー」
 物凄い形相でこちらを睨んでいる角野から目を逸らす。
 神谷と小堺が第四中ペアを崩すために注目したのが、角野だった。一度試合をしてみてわかったが、確かにどちらも天上人の如く実力がかけ離れた存在で、とりわけ角野は前衛の中でもかなり上位の選手だと痛感した。だが、黒田と角野というペアで観察してみると、僅かながらの小さな穴に気付く。なんていうことはない。この二人、あまり仲が良くないようだった。ならば性格を分析してみて激し易い角野の精神面を乱してやればいい。崩すのではなく、乱すだけでいいのだ。それだけで相手チームの実力を半減することが出来ると、神谷と小堺は分析した。たとえ実力がかけ離れた天上人だとあろうとも、翼をもいでしまえば良い。あとは勝手に落ちてきてくれたのを、自分の土俵に引きずり込めばいいだけだ。

「角野、あまり気にするな。挽回すればいい」
 次は角野がサーブのため、ボールを手渡しながら黒田が声を掛ける。普段から気が短い角野だが、ここまで激昂している姿は滅多に見ることがない。
「うるせぇ! てめえに言われたくねぇんだよ!」
「……取り乱すな。次に取り返せばいいだけじゃないか」
「ふざけんなっ! あの一年坊主共にコケにされて黙ってられっかよ!」
「馬鹿、いい加減に気付け! あの二人はお前がこうなるのを狙っているんだぞ!」
 チラッとベンチにいる佐々木を見ると、口元の前で手を組んでいるポーズはいつもどおりだが、若干眉間に皺が寄っている。これは佐々木が怒っているわけではなく、非常にまずい場面になると出る癖だ。
「こうなるってなんだよ! 知ったこっちゃあねぇんだよ! 見てろ! 俺一人であのチビ共をぶっ潰す!」
 頭に血が昇ってしまった角野を止める術はもうない。黒田からボールを毟り取るように奪うと、審判からのコールもそこそこに角野は乱暴にサーブを打ち込んだ。力任せに打ったボールは物凄い威力で飛んでいったが、サーブエリアに入るはずもなくフォルトした。そしてセカンドサーブも勢いに任せて放つ。上から打ったサーブは入るわけもなく、なんと角野はダブルフォルトをしてしまった。あまりの急展開に両陣営からは歓声ではなくどよめきが起きた。
「おいおい、なんだあの前衛は。馬鹿か? さっきの竜輝みてぇじゃねぇか」
 腕組みをして試合を見守っていた高田兄が珍しく口を開く。個人戦での失態を蒸し返された高田は、バツが悪そうに兄へ振り向く。
「兄ちゃん、馬鹿はひでえじゃん。俺だって一生懸命やったぜ?」
「でも結局頭に血が昇って負けてたじゃねぇか。おい解説のデブ、もしかして神谷達は狙ってやったのか?」
 あまり素行の悪い連中は得意でない宗方は、嫌々ながらも高田兄へ話しかける。
「はい、そうだと思われます。僕が見ていてもあの二人、仲が悪いペアですからね。どちらかのペースを乱せば勝手に自滅してくれるかと。弟さん達みたいに」
「自滅って言うんじゃねぇ!」

「あれだと黒田君は気が気じゃなくなるってことね。彼にとっては角野君も敵に見えるわけか。敵が二人にも三人にもなることがある、それがソフトテニス……なるほどね」
 ベンチに座り事の成り行きを眺めていた安西もそう呟く。露骨で滑稽な策なのかもしれないが、その脅威は今、全員が目の当たりにしていることだろう。
 更にダブルフォルトの痛手で完全に怒りが頂点に達している角野。もはやペアの黒田は声を掛けることも出来ずにおろおろとしている。

 ボールカウントは既に0-3とマッチポイントを取られている。まさか地区総体ごときでマッチポイントを取られるとは思わなかった黒田は、一年生ペアの狡猾さと飽くなき勝利への意志にただ脱帽するだけだった。戻ってきたボールをイライラしながら掴んでサーブの構えに入る角野。この様子ではまたダブルフォルトだろうと誰しもが思ったその時、
「角野ーっ!」
 第一コートに耳をつんざく怒号が響き渡った。その声に驚いた角野は目を丸くして振り返る。口元を手で隠しているため分からなかったが、今の声の主は確かに顧問の佐々木だった。練習中は時々あるが、試合の真っ最中に大声を出すことのない佐々木に、第四中の生徒達は背中に冷たいものを感じて口を閉ざした。
 もちろん角野も茫然としてしまい佐々木から目が離せなくなったが、顧問は何も言わないまま静かに佇んでいる。生唾を飲み込むと角野は再びサーブの構えに入った。よもやこのまま憤慨状態の角野がペースを乱して負けるのかと思っていたが、顧問の一喝で正気を取り戻したらしい。試合中の選手へ関与してくる佐々木の姿が非常に珍しかったが、それほどまでに第四中にとって危険な状況だったのだろう。
 しっかりと構えたフォームから繰り出したサーブは、球威に乏しいもののしっかりとサービスエリアに吸い込まれていく。落ち着いて角野の左サイドにレシーブを放ち前進する小堺。この場面で際どいコースを突いてくる小堺の勝負強さに角野は顔を歪ませながらも、緩いバックハンドでボールを返した。そこからは黒田が小堺のボレーに捕まらないようコースを拡散させ神谷とタイマンで打ち合い、どうにか得点をした。
 これでボールカウントは1-3。サーブは一巡したがなおも第七中ペアがマッチポイントを握っていることには変わりない。第一コートを囲む観客陣は固唾を飲んで黒田のサーブを見守る。緒戦からターゲットにされた角野の体が強張る。後衛の神谷がまたもやサイドを抜いてくるのか、はたまた普通に繋いだレシーブを叩き落してやろうか。チームの誰よりもプライドが高く、実力も兼ね備えた角野は動かずにはいられなかった。そして決めた選択肢はサイドを守る。ここでもう一度サイドを抜かれたら自我を失うほどに怒り狂いそうだし、何より第一ゲーム目でここまで一年坊にボロボロ失点を取られ、ベンチに戻った時の佐々木顧問の反応が恐かった。神谷がテイクバックを高く振りかざし、ラケットが閃いた瞬間、角野はサイドを守るため左側へ動く。
 だがその動きを狙ったかのように神谷は今まで角野が立っていた真正面を突っ切った。この大会で最もスピードが乗ったシュートボールが快音を響かせてコートを走り抜けていく。その瞬間、第七中サイドから歓喜の声がうねり上がった。その反応に隣のコート、そのまた隣のコートの応援団までもが振り返り、第1コートのスコアボードをを見て再度驚いた。あの第四中一番手が第一ゲームを新参者の一年生に奪取されたのである。これには応援団ばかりか試合中の選手までにも激震が走った。

「すごいわ! 神谷君に小堺君! ナイスボール! ナイスコンビプレー!」
 ベンチから立ち上がりその場でピョンピョンと飛び跳ねながら選手達を歓迎する安西。今はチェンジコートの時間なので、いくら声を上げてもお咎めはない。掲げた手に小堺が力を込めてタッチを交わす。
「おうよっ! 当然だぜっ!」
 さすがに手が痛かったのか赤くなった左手をプラプラさせながら安西はすかさず二人にドリンクとタオルを渡す。観客席では興奮したチームメイトが口々に何かを叫んでいるが、後ろにいる他校の応援団がさらに大きく歓声を上げているので、まったく何を言っているのか聞こえてこない。ただ身に受け止めきれないほどの熱気は伝わってきた。

 一方、一番手がゲームポイントを落としたことにショックを隠しきれない第四中サイドは、顧問の強制で応援の声は出しているものの、チーム全体に圧し掛かった戸惑いは拭いきれずにいた。ましてやコートを挟んだ向こう側からは、地区総体レベルでは味わったことのない熱狂的な声援がこだましていて、全員の心に常勝校としての余裕が消えかけていた。
 それより何より意気消沈しているのは本人達だろう。駆け足でベンチに戻る足取りに不安が絡み付いているのが遠目でもわかる。格下相手に1ゲームを取られたことへの屈辱感はもちろん、試合中に初めて聞いた佐々木の怒号へ対する恐怖も心の中にわだかまりとしてあった。自身、これまで先輩の試合でさえ佐々木の大声を聞いたことがない。選手への仕打ちは他校の顧問よりも段違いにシビアな佐々木を前に、黒田と角野は恐々としながらもコーチングを賜った。
「黒田、コースを拡散するのはいいが決定打に欠ける。ボールカウントを読みながらしろ。それと角野、あの後衛は特に打球の打ち分けに癖がない選手だ。全てサイド狙いでくると思って構わない」
「は、はい!」
 てっきり今まで聞いたことのないような叱責が飛んでくるのかと思ったが、佐々木はいつもの姿勢を崩さず淡々とプレーに対するアドバイスをするだけだった。これには本人達だけでなく、後方で身をすくめていた観客陣も拍子抜けしてしまった。だが顧問が憤怒していないと知るや否や、応援は少し活気を取り戻す。黒田と角野も若干気持ちが軽くなった気がした。
 冷徹なほど感情を捨て、勝利への画策を図る佐々木にとって選手達をどやしつけるという選択はない。第六中の八幡顧問のように大声で叱咤激励することは、生徒のやる気を萎縮されるだけでなんの効果も生み出さないということを良く知っているからだ。なので先ほど角野に向けられた怒号は、彼の正気を取り戻させるためにわざとやったこと。感情が高ぶったというわけではない。だが今後のために釘を刺しておく必要はある。
 コーチングを終え、コートに送り出そうとした角野を引き止める。
「角野」
「は、はい?」
 振り向いた角野の目をジッと見据える佐々木。感情の起伏に乏しい凍て付く眼差しで凝視された角野は、その場から目を逸らすことが出来ず硬直してしまった。訓練が行き届いていない選手にはこうして威圧的に立場というものを理解させておくのが最も効果がある。口で言わないから怒っていないわけではない。口で言わないからこそ伝わる恐怖があると、その脳みそに叩き込んでおかなければいけない。
 僅か二、三秒だったが佐々木の威嚇にさらされた角野は、物言わず眼を逸らした顧問から逃げるように向こうサイドへと走っていった。その後を黒田が慌てて追いかける。
 うねるような歓声に背を向けて、神谷と小堺もコートチェンジする。ただしその際、主審側から回ってきた黒田と角野を避けるように、自分達は副審側から向こうコートへ行く。上級生相手に少々荒っぽい手段で第一ゲームを制したせいか、傍を通るのに気後れしたからだ。
 第四中サイドの応援を背後に受けつつ、小堺は神谷に話しかける。
「第一ゲーム目、本当に上手くいって良かったな」
「あぁ、作戦通り。逆に上手くいき過ぎたくらいだ。でもこれで黒田さんだけ相手にすればよくなる」
 彼らが第四中ペアに勝利するには、二人を一度に相手しては分が悪すぎる。なので第一ゲームの目標は角野のテンションを削ぐ事。そして勝負を第二ゲーム目に持ってくることだった。
「おう。黒田さん一人なら二人で立ち向かえば勝てるかもしれない。ここが踏ん張りどころだな!」
 佐々木の怒声で正気を取り戻した角野だが、一度落ちたテンションを回復させるまでにはいかなかった。ネットを挟んで対峙する二人はそれを雰囲気で感じ取っていた。
「流れは完全にうちへ来ている。俺がなんとか黒田さんと打ち合う。後の事は朔太郎、任せた」
「おうよっ! 一本先攻っ!」
 小堺の気合を合図に握手を交わした二人は各々のポジションに戻る。コートの向こう側に目をやると第四中一番手ペアは既にポジションに着いていた。待ちくたびれたような様子から察するに、どうやら会話を交わす気概も無いほどお互いの気持ちは霧散しているようだ。神谷と小堺は完全に条件が整ったことを暗に理解する。後は集中力を切らさないよう、全力を出しきるだけだった。

 第二ゲームは第七中がサーブ権先攻になる。神谷の放ったファーストサーブを黒田はしっかりとしたフォームで立ち向かう。第一ゲームで散々レシーブエースを狙った小堺の事だから、自身も狙われるかもしれないと警戒して一本目で飛び出しはしてこないだろうと判断した黒田は、真っ直ぐ神谷に返球することを選んだ。
 しかしその思惑は数瞬後にネット際を横切った疾風に阻まれる。まさか! と思う暇も無くボレーしたラケットを高らかと掲げる小堺の背中を見送る黒田。こうも何度も一年生の前衛にボレーを決められると、悔しさよりも天晴れと舌を巻きたい気分になる。きっとパートナーの角野がどん底の精神状態にいるからだろうか、自分までも心理面を乱しては終わってしまうという気持ちが心のどこかで歯止めをかけていた。
 それに、と黒田は興奮冷めやらぬ第七中サイドの声援を、いたって平静な気分で背中越しに感じていた。第七中ペアの考えていることはとっくにお見通しである。角野を抑え、二人がかりで今度は自分を沈めようとしているのだろう。それならば黒田の気持ちは一つに固まる。どっしりと大きく構えていればいいのだ。たとえ二人同時に立ち向かってこようとも、自分が格下の一年坊主に負けるとは微塵も思っていなかった。
 ボールカウントは1-0。先手を取ったこともあり、神谷は渾身の力でファーストサーブを繰り出す。回を追うごとに勢いが増していくサーブに慄きながらも、角野は真っ直ぐ神谷にレシーブを返した。すっかり意気消沈した角野のレシーブは、ミスを恐れ緩やかな打球だったので、神谷はここぞとばかりにストレートにいる黒田へシュートボールを放つ。黒田はその打球をロブで返し、クロス展開に持っていった。これはチャンスとばかりに小堺は両足に力をみなぎらせる。ストレート展開で打ち合われるよりも得意なクロス展開に持っていってもらった方がポーチに出易い。すかさず移動した神谷は滑る足をそのまま、もう一度黒田へシュートボールを打ち込んだ。神谷が放ったシュートの球威を見て、小堺は意を決する。一本目でボレーを狙う。
 黒田は矢のように飛んでくるボールに注目しながら、冷静にネット前にいる小堺の動きを視界の隅に捉えた。ポーチに飛び出してくる直前、小堺は小さく腰を落とす癖があるのを、黒田は発見した。だが黒田はそれで小堺のサイドを抜こうとは考えない。シュートボールにタイミングを合わせて足を捌くと、大きくラケットを振りかぶった。
(いきがったガキ共が……俺の打球を止められるものなら)
 足をがっちり地面にかませて、ラケットがボールに当たると同時に膨らんだ全身の筋肉を収縮させる。
「止めてみろっ!」
 炸裂音と共に弾丸と化した打球が真っ直ぐ神谷に向かって風を切っていく。ポーチに飛び出したはずの小堺は、そのスピードに追いついていけずボレーを空振りさせた。あまりに体験したことのない速さにバランスを崩した神谷は驚愕しながらも、どうにか返球する。黒田は戻ってきた打球をさっき以上のスピードと威力を乗せて、神谷に打ち返した。
 桁違いのスピードに反応を出来ず空振りしてしまう神谷。その瞬間、勢いを復活させた第四中サイドがドッと沸いた。あまりにも違いすぎる実力に第七中サイドは絶句してしまう。たった二球、黒田がシュートボールを放っただけだったが、それでも観客を黙らせるほどの圧倒的なパワーを兼ね備えていた。それは実際に対戦している神谷と小堺が、顕著に感じ取っただろう。その脅威に閉口せざるを得なかったが、二人はすぐに気持ちを切り替えた。流れはまだ自分達が掴んでいる。再びのリードを狙うしかなかった。
 サーブは神谷から小堺にチェンジする。たった今、黒田の球威を見せ付けられた小堺は自分に跳ね返すストロークは無いと一瞬で悟り、ファーストサーブと同時に前方へ突進した。
(確かさっきの試合で散々ローボレーを決めたから自信がついたか。……調教しておいてやらないと)
 中間ポジションで立ち止まった小堺はよもや自分に打ち込まれても良いよう、腰を落としてローボレーの体勢に入る。黒田はその期待に応えるかのように、小堺の真正面に向けてシュートボールを打った。サービスエリアから小堺がいる中間ポジションまでは、普通のベースライン同士で打ち合うよりも半分の距離しかない。なのでボールの体感速度は二倍にも四倍にもなる。黒田がラケットを振ったと思った瞬間、轟音よりも先にボールが小堺のラケットのフレームに当たり、弾け飛んでいった。
 瞬殺だった。微かに手に残る痺れを感じながら、小堺は茫然と立ち尽くす。自分のプレーセンスを過信していたわけではないが、どんな打球でもある程度は返すことが出来ると思っていた。だが、黒田のシュートボールは目で追える代物ではなかった。前衛を無力化するほどの打球がある事を、小堺はその身を持って味わった。

「と、とんでもないな。なんて威力なんだ、あの後衛の球は」
 桁違いどころか存在する世界が違いすぎる打球に、チームメイトはただただ圧巻されるばかりだった。
「あのシュートじゃあ、僕もロブで拾える自信がないよ」
「あれ、本当に僕らと同じラケットを使っているの? 特殊なのを使っているってしか思えないよ」
 信じられない光景に目を奪われる一員だったが、高田だけは目をむき出して食い入るように黒田のフォームをじっくり眺めていた。それに気付いた宗方は、しばらく考えてから言った。
「相手をスピードとパワーで蹂躙する、あのプレースタイルこそ君が目指すべき形だよ。しっかりとその両目に焼き付けておきたまえ」
 偉そうに進言する宗方へ「てめぇに言われるまでもねぇよ」と反論する高田。味方の試合中に不謹慎ではあるが、自ら確立すべきスタイルを目の当たりにして、彼は今までにないほど興奮していた。

 それより何より、コート内では一気に牽制が逆転してしまった状況に、神谷と小堺は険しい表情で額をつき合わせていた。
「やっぱり、そう上手くはいかせてもらえないみたいだな」
「おう。今までも十分に速い球を打つな、って思っていたのにそれ以上を隠し持っているんてな。在り得ねぇよ」
 そして沈黙する二人。手の出しようも無い黒田のシュートボールにこれといった対策が浮かばず、無駄に時間だけが経過していく。背後から聞こえる勢いを増した敵陣の声援が、焦燥感をさらに募らせた。そろそろポジションに戻らないと審判から注意を受けるだろうといった時、意を決したように神谷が顔を上げた。
「俺が、なんとかしてボールを繋ぐ。だから作戦は変更しない。攻撃の要は朔太郎に任せた。自分のタイミングでボレーに出てくれ」
 迷いのない神谷の真っ直ぐな瞳を小堺は受け止める。
「正樹……」
「確かに打球は速い。けれど俺は朔太郎がその更に上を凌ぐ力を持っていると信じている。だからお前がボレーを取るまで俺はボールを繋ぎきる」
「……」
「もう一度言う。お前を信じている」
 その言葉を聴いた瞬間、小堺は胸の奥から今まで秘めていた活力が湧き上がってくるのを感じた。沈みかかった気持ちが一気に上昇する。足元は羽が着いたように軽くなった。
「任しとけ! っしゃー! 一本挽回すっぞー!」
「おうっ! 一本挽回っ!」
 声の限りに咆哮する小堺へ呼応するように、神谷も叫び返す。そしてハイタッチを交わすと二人はそれぞれポジションへ走り出した。
 突然、意気込みを新たにした第七中ペアに観客は着いていけず戸惑った。どう見ても覆しようがない実力差を前になお発奮する燃料はどこにあるのかと、単なる空元気なのかと……。それはベンチで見守っていた安西も同様だったが、彼女はここからが彼らの本気なのだと期待を込めて固唾を呑んだ。

 ボールカウントは1-2。この一本はどうしても落としてはいけない場面ではあるが、小堺は躊躇せずに渾身の力を込めてファーストサーブを打つ。レシーバーの角野はそれをシュートボールで神谷に返球するが、ネット前には詰め寄らない。実力的には小堺よりも遥か上をいく角野なので、前進して中間ポジションで構えようとも神谷程度の球威なら容易に捌ける。だが、角野が未だに注意していたのは神谷の何を打ってくるか分からない画一的なフォームだった。ロブやシュートはおろか、左右のコース打ち分けさえも全く同じフォームで打ってこられては、さすがの角野も反応は一歩遅れてしまう。それに少々癪に触るが、黒田が本気を出した以上はパートナーに任せておけば良い。
 そんなスタンスで自分に返球してくるのを角野は後方で待っていたが、神谷は黒田に向かってシュートボールを打ち込んだ。予想に反した展開に黒田も一瞬たじろいだが、どうにか打球を返す。そして神谷は再度体重の乗ったシュートボールを黒田目掛けて放った。
(この後衛、何か企んでいるのか? それとも、真っ向勝負で俺と打ち合う気か?)
 前衛の動きを警戒してロブでかわしていたが、それでもなお神谷は打ち込んでくる。しかも威力があるだけでなく、際どいコースを攻めてくるボールを打ってくるので、これでは角野もおいそれとポーチに出れないし、黒田もまともに返せずに音を上げそうになる。もう一球、シュートを打ってくるかと構えていた黒田だったが、神谷はいかにもシュートを打つというフォームで角野の頭上を越すロブを放ってきた。これにはタイミングを外された黒田が慌ててコートの左サイドへ走る。
「すごいや、神谷君。あれだけ前衛すれすれのロブだと後衛はかなり取るのがきついよ。打球の精度が良いな」
 第七中きってのロブの使い手は羨望を込めて評価を口にする。丸藤が言ったとおり、黒田はフォアに回り込む余裕がなくバックハンドで緩く返球した。その甘いボールを見逃さなかった小堺がすかさずラケットを担いで後ずさる。そしてフォローに入った黒田と角野の間を強烈なスマッシュで抜いた。
「ナイススマッシュ! 朔太郎!」
「よっしゃー! まだまだいけるぜ!」
 ここにきてまだネットプレーを見せる小堺に、第四中サイドは最早圧巻されていた。黒田も一年生相手にこれほどまでポコポコ得点されて苛立ったが、すぐに気持ちを切り替えると神谷をジッと見据える。
「俺と真正面から勝負する気なんだな。ふざけるなよ、ガキが」
 神谷が小細工なしのガチンコ勝負で立ち向かう意志を確認して、気分がいくらかスッキリしたようだ。余計な策を弄さずに純粋に打ち合える喜びに、普段ポーカーフェイスな黒田は僅かに口元を歪めた。

 ボールカウントは2-2。点差は均衡のままサーブが一巡したが、次の一本が今後を占う重要なゲームになることは明白で、選手達だけでなくコートを囲む観客席も固唾を呑んで見守っていた。
 張り詰めた空気の中、神谷がファーストサーブを放つ。さほど遅い球ではないはずなのだが、黒田は悠々と渾身の力を込めてレシーブを打った。その襲い掛かるような威力を持つ打球によもや取れないのではないかとチームメイトは気をもんだが、どうにか神谷は足を運びロブで返す。だがふわふわと力なく返ってきたボールを、黒田は豪快なフォームをしならせ、剛速球を放った。第七中サイドからは悲鳴のような声援が飛ぶ。それでも神谷はラケットが弾かれないように歯を食いしばって、黒田の猛攻を耐えた。
 隙あればボレーを決めんと小堺は虎視眈々とネット前に張り付いているが、手を触れることはおろか目で追うことすら一筋縄ではいかない。それでも後ろでは神谷が自分が決めてくれることを信じてボールを繋げてくれる。諦めるわけにもいかず、小堺は目の前を弾丸のように飛び交う打球へと喰らいつくタイミングを計っていた。
 さすがにクロス展開だけでは凌ぎきれないと判断した神谷は、ロブを挟んで黒田の弾雨をかわす。それでも黒田は逃がさんとばかりに攻撃の手を休めない。何度もコース変更をして集中砲火を避けようと逃げ惑う神谷を、尚も執拗に追う黒田。壮絶な打ち合いは三分にも及んだ。
 最早、埒が明かないと感じた黒田は、神谷がどうにかして拾ったヘロヘロな球を、わざと短く浅いボールで返した。それまでかなり後方で打球の処理をしていた神谷は不意をつかれてしまい、青い顔で前方に詰めた。滑り込むようにラケットで返した神谷。どうにかボールは繋いだが、後ろが完全に無人と化してしまった。黒田は逸りそうになる気を鎮めて、ネット前で棒立ちになる神谷に狙いを定める。
(これで、終わりだーっ!)
 ネットプレーの経験がまったくない神谷は、目を見開きラケットを前に突き出す。黒田との距離が近い分、恐怖心も倍増して足がガクガクする。黒田の体が一瞬大きく膨らんだと思った刹那、炸裂音と共に打球が自分目掛けて飛んできた。
 万事休す! と目を固く閉じた瞬間、自分の眼前を一陣の疾風が駆け抜けていった。そして次には歓声と共に小堺の雄叫びが聞こえたので、神谷は何が起きたのかとゆっくり瞳を開ける。スイングをしたまま茫然と固まっている黒田に、立ち尽くす角野。驚愕に目を丸くしているベンチに座った佐々木の足元に、ボールがコロコロと転がっていった。
 状況が把握できずに腕をだらんと垂らした神谷に後ろから小堺が抱き着いてきた。
「もしかして……朔太郎がボレーを決めたのか?」
「おうよっ!」
 満面の笑みを浮かべる小堺を見て、神谷は腹の底から歓喜がブワッと湧き上がってた。
「すごい! すごいぞ、朔太郎! まさか黒田さんの球を止められるとは思わなかった!」
 珍しく興奮するパートナーを制して、小堺は声のトーンを落とす。
「それより正樹。今ので俺、ボレーのタイミングを掴んだぞ」
「ほ、本当か……?」
「あぁ。次の一本、とにかく繋いでくれ。俺が必ずポーチに出て得点を決めてやる。そして出来れば正樹、黒田さんのシュートをシュートで打ち返して欲しいんだ。出来るか?」
 今まで見たことも無い真剣な表情の小堺を前に、神谷は無言で頷く。相当無茶な要望だが、相方の頼みとあればやらずにはいかない。小堺は決死の覚悟でボレーを決めてくれた。ならば次は自分が答える番である。
 ……たとえ、この身が朽ちようとも。

 第七中一年生ペアが第二ゲームもまさかのマッチポイントに、コートを囲んだ観客席はおのずと静寂に包まれていた。応援の量が試合を左右するソフトテニスで大変珍しい光景だが、コートに立つ四人の気迫と集中力にあてられたのか、誰もが口を閉ざさずにはいられなかった。そんな中、サーバーである神谷の声が響き渡る。透き通った声に呼応して、小堺だけでなく、黒田や角野も負けじと声を上げた。ファーストサーブをレシーブした角野は、今度はすかさずネット前に突進する。どうやら神谷の狙いは自分よりも黒田に向けられているようなので、後方にいては邪魔だと判断したのだろう。そのとおりに、神谷は返ってきた球を黒田目掛けて打ち込んだ。
 それからは先の展開同様、後衛同士の壮絶な打ち合いとなる。黒田の弾丸を巧みなストロークでかわす神谷。黒田が力で凌駕するのが先か、はたまた神谷と小堺が一瞬の隙を突くのか、場内は緊迫に包まれていた。
 壮絶な闘いの真っ只中にいる神谷は、ある懸念を抱いていた。黒田とこうして打ち合いをして今のところはどうにかボールを繋げられているが、それもいつまで持つか分からない。正直なところ限界はとっくに超えていた。精神的にも肉体的にも。
 それでも小堺との約束がある。このボールをラケットに当てるのが精一杯な猛攻の中、シュートボールを打ち込むことだ。もう予断は許されない。長引けば長引くほどこちらが不利になる。神谷は覚悟を決めると、それまで残していた集中力を一気に引き出した。
 それまで何十球と受け止めてきた黒田のシュートボール、タイミングは既に合わせることが出来る。ラケットを天高く突き出すように掲げ、両足にグッと力を溜める。そして右腕にも、黒田の剛速球に耐えられるだけの力を込める。腰をグッと沈め歯を食いしばり、ラケットを振り抜くことだけに意識を集中させた。
(いっ……けぇー!)
 弾丸を受け止めたラケットはその反動を利用してさらにスピードを乗せた弾丸と化す。小堺はその打球音を耳で捕らえると、それまで溜め込んでいた集中力を覚醒させた。
 まさか自分のシュートをシュートで打ち返されるとは思ってもみなかった黒田は狼狽したが、直ぐに気を持ち直すとすかさず構えを取る。自分の球威を利用して速度を飛躍的に上げた打球を放った神谷。ならばお返しとばかりにそのシュートをシュートで打ち返し、更に速球をお見舞いしてやろうか。素早く足を捌くと、黒田は大きくラケットを引く。そしてしなる鞭のように打球を打ち据えた。
(これで終わりだっ!)

 黒田がスイングをした瞬間に小堺は二、三歩後ろに下がった。黒田の打球は今まで味わった事が無いほど速い球だった。なので自分のタイミングでポーチに出ても速すぎて取れるわけがない。ならば、少し下がった位置から飛び出してみてはどうか? ボールがラケットに当たるタイミングを若干遅く出来るかもしれない。そして先ほどのボレーで確認したタイミングは、あの剛速球よりも更に速い打球が必要だった。神谷にシュートを打たせたのは、そのタイミングを得るためである。
 中間ポジションあたりから飛び出した小堺。ネット前で叩き落すボレーでもない、ローボレーでもないボレーになるがこの際かまわない。瞬速で飛んでくるボールに手が届くと確信した瞬間、力任せにボールをコート内へ押し込んだ。
 きっと観客には「パパンッ!」と言う連続の打球音が聞こえただろう。それほどほぼ同時のタイミングで黒田の剛速球をボレーで阻んだ小堺が勝利の咆哮を上げると、観客席は気付かされたように歓声を轟かせた。
「あいつら、とうとう2ゲームも取りやがった! あの一番手から2ゲームも取りやがった!」
「凄い! うちのエースは凄いぞ!」
 我を忘れて歓喜の雄叫びを上げるチームメイトに応えるように、神谷と小堺も両手を突き上げガッツポーズを決める。まるで試合が終了したかのような歓声に、他のコートで試合をしていた選手達も一時中断して何事かと第1コートを注目した。

 格下相手に連続で2ゲームも奪われた第四中一番手は愕然としていた。第一ゲームで意欲を去勢された角野。第二ゲームで自分のストロークを完全に負かされた黒田。ダメージは予想以上に大きかった。お互い交わす言葉もなく、ただうなだれた二人だったが、先に佐々木からのサインに気付いたのは角野の方だった。
「おい、黒田」
「……なんだ?」
 角野から呼びかけられ顎でしゃくる方を見ると、智将・佐々木がベンチに座っていた。そしてよくよく注目してみると、彼は視線で何かを訴えている。その視線の先にいるのは、神谷だった。佐々木が注意を促した神谷をじっくり観察した二人はカッと目を見開く。
「角野、残念ながらこの試合は俺達の勝ちだ」
「てめぇに言われるまでもねぇよ。くそっ。つまんねぇ試合だったぜ」
 無表情のまま第三ゲーム開始のためポジションに着く二人。その目に見えない変化にいずれこの場にいる全員が気付き、落胆することになるだろう。

 興奮冷めやらぬ中、第三ゲームが始まる。サーブ権は第四中サイド。ファーストサーブを構える黒田の姿は、2ゲーム先取されたにも関わらず気落ちした様子はなく、いたって冷静だった。
「へいへい、なんだあの後衛。負けているのに随分と余裕じゃねぇか」
 自分達の一番手が格上相手に善戦しているからか、観客席で応援する高田は気分が大きい。
「もしかして、もう諦めたのかな? みやちゃんとさくちゃんがあまりにも強いから」
「まさかそれは無いと思うけど。それにしても黒田さんも角野さんも落ち着いているのはなんで? 第一、第二ゲームではあれだけ取り乱していたのに」
 三番手ペアが浮かれ過ぎているのが可笑しくて堪らないが、丸藤も相手選手達の平然とした様子に違和感を感じずにはいられなかった。宗方にいたってはコートをジッと見つめたまま口を閉ざしている。
 チームメイト達が心の隅に憂いを抱きつつも、コート内では黒田がファーストサーブを放った。神谷のレシーブを黒田はロブで小堺の頭を越す。その一球ごとに観客は歓声を上げたが、途端にその声援はざわめきに変わった。黒田がコース変更のため放ったロブに、コートの左側へ走った神谷が追いつかなかったのである。
 それまでは左右に振られたボールを難なく返していたはずの神谷が、のろのろとコートを横切っただけだったのだ。一体何が起きたのか分からず開いた口が塞がらない観客達。だが、第四中サイドのベンチに座る智将・佐々木と、コートを挟んで対立する黒田と角野だけが、冷ややかな視線で神谷を見つめていた。
 自分の頭をロブで越えたはずのボールが一向に相手コートへ飛んでいかないことを疑問に思った小堺は、首を捻りながら振り返る。そしてボーっと突っ立っている神谷に目を見開いて驚いた。
「正樹、どうしたん……」
 最後まで出掛かった言葉を飲み込む。浅く呼吸を繰り返す神谷の表情は精気に乏しく、よく見ると両足は小刻みに震えていた。どうしたのかと聞くまでもなかった。小堺の胸に絶望の黒い影がゆっくりと広がっていく中、息も絶え絶えといった様子で神谷は小さく呟いた。
「……すまない、朔太郎。もう、動けない。……スタミナ切れだ」
 申し訳なそうに頭を下げる神谷に、小堺は何と返したらいいのか分からなかった。前の試合が終わった直後から、神谷の体力が既に限界へ近いことは承知していた。あのダブル後衛の猛攻を必死で繋いだのだ。きっと小学生の頃には経験したことのない疲労を味わったのだろう。そしてこの試合の第二ゲーム目、黒田の強烈なストロークに何とか喰らいつこうと抗った結果、神谷は残りの体力全てを使い切ってしまったのである。
 小堺もその点は憂慮していた。スタミナ不足が不安の種だと自ら言っていた神谷を責めるわけではない。ただ、この試合が終わるまでは耐えてくれればと祈っていたが、そう上手くはいかなかったようだ。もう一度「すまない……」と掠れた声で呟く神谷を、小堺は両肩をポンと叩いて労うだけだった。
 神谷のスタミナ切れを始めから見抜いていた黒田と角野は、もはや消化試合と化したとばかりに淡々とプレーをこなした。返ってきたレシーブは軽く神谷を左右に振ってやればそれで終わり。それまでのファインプレーが嘘のような姿に、彼らは悔しささえも感じていた。地区総体で、しかも一年の分際で自分達から2ゲームも奪取した新星。まさかこんな展開で終わりを迎えるとは、ある意味不本意でもある。それでも智将・佐々木風に言わせてもらえば「楽に取っても接戦でも、勝ちは勝ち」といったところか。徐々に落胆していく観客の声援を感じながら、第三ゲームは4-0と当然圧勝で第四中が制した。

 チェンジコートで第七中サイドに戻ってきた神谷と小堺を、安西は急いでベンチに座らせるとタオルやらスポーツドリンクやらを彼らに押し当てる。ぐったりとした神谷を鎮痛な表情で見つめる安西。状況がさっぱりつかめずに慌てる自分へ、チームメイト達がわけを説明してくれた。ついさっきまでは死力を尽くして強大な敵に立ち向かっていた神谷なのに、今は見る影もない。どうすることも出来ない自分が歯がゆくて、安西は賭けのことはさっぱり忘れて、献身的に持っていたタオルで神谷を扇いだ。
「これは困ったぞ。おい、丸男にデブ。なんか良い案はないのかよ?」
 若干苛立ちながら問いかける高田に、丸藤も宗方も顔をしかめるだけだった。
「どうするといっても。神谷君が動けないんじゃ無理だよ」
 自身、第二試合目で第六中のダブル後衛から散々体力を削られた苦い経験がある。後衛の機動力はなんと言ってもスタミナと足。それを失っては最早どうすることも出来ない。いくら前衛が優秀でもボールを繋げてくれるという土台がない限りは出番がないので、小堺までも封じられたことになる。
「せめてみやちゃんの体力が回復すればいいんだよね? なんとかならないかな?」
「出来るわけねぇだろ。白魔道士でも連れて来いっつーの」
 他愛もない会話だったが、それを耳に挟んだ宗方が急に口元を押さえて黙り込んだ。
 向かい側のコートでは既にコーチングを終えた黒田と角野がスタンバイしている。佐々木からのアドバイスは殆どないに等しかった。それだけ神谷を休ませる暇を与えるな、ということなのだろう。非情にも思えるがここは真剣勝負の真っ只中なのだ。
 立つこともラケットを握ることも覚束ない神谷を悲痛な表情で見送るしかないチームメイト。善戦空しく、もうここまでなのかと一同諦めかけたその時、宗方がスッと立ち上がり声の限りに叫んだ。
「小堺君! 丸男君に徹したまえ!」
 その声に反応した神谷と小堺は意表をつかれて振り向いたが、しばらく互いに見つめ合うと意を決したのか力強く頷いた。
「宗方君、丸男君に徹するって、どういうことなの?」
 言葉の意味が今一つ捉えられなかった安西はフェンス越しに宗方へ尋ねる。
「相手チームに真意を悟られては困りますからね、彼らにしか伝わらない言葉をチョイスしました。つまり……」
 声を潜める宗方の話を聞いて、安西は納得しつつも不安は拭えなかった。
「それで本当に上手くいくの? 本当に、勝てるの?」
「分かりません。ですが、今はその作戦に賭けるしかないのです。彼らなら、きっとやってくれるはずですから」
 半ば期待を込めた宗方の作戦ではあったが、他のチームメイト達を見てもその表情に揺らぎはなかった。この状況になっても神谷と小堺なら必ず勝ってくれると信じてやまない彼らの態度を見て、安西も腹を括るとベンチにちょこんと腰を掛ける。名ばかりの顧問だが、彼らに勝ってほしいと願う気持ちは自分も一緒だったからだ。

 ゲームカウントは未だに2-1と第七中がリードしているが、今となっては第七中サイドが劣勢には違いなかった。神谷の様子を見て、どう足掻いても今から挽回するのは難しそうだと観客達は全員思っているだろう。事実、第七中寄りに応援してくれていた他校の生徒達は、徐々に散開している。やはり所詮は烏合の衆ということか。これ幸いにと勢いを増す第四中サイド。声援の量までも劣勢になってきた中、第四ゲームが始まった。
 疲労困憊状態の神谷がサーブで始まるが、そのコート内にある違和感に気付いた人々は口々に何かを言い合っては第七中の二人、特に小堺を指差す。本来、後衛がサーブの時に前衛はネット前に着くというポジションがセオリーである。だが、今の小堺は神谷と同じようにベースラインまで下がっていた。別に間違ったポジションではない。ただストロークがさほど得意ではない前衛が後方にいては集中砲火を浴びるだけだし、ネット前が疎かになる。
 ここにきてまたもやイレギュラーな行動を見せる第七中サイドに顔をしかめた黒田と角野は、後ろに座っている佐々木へ目を配る。一瞬戸惑いながらも佐々木は視線を小堺に向けて、前衛への集中攻撃を示唆した。
 佐々木の指示通りに神谷のサーブを小堺へレシーブする黒田。その打球をロブで返す小堺だが、やはりストロークは神谷に比べて覚束ない。そしてそのロブを今度は渾身の力を込めてシュートボールで返すと、小堺は弾き返すことが出来ずに敢え無くアウトした。
 それでも小堺はネット前に詰める仕草は見せず、それ以降も後方でがっちり粘っている。どれだけ黒田の集中砲火を浴びようとも、何とかロブで返すだけで攻めてくる気配は微塵も感じられなかった。段々と黒田の猛打にも慣れてきたのか、何とかロブで返せるほどにはなってきたが結局攻撃の要に欠けていては得点など与えてくれる甘い彼らではない。第四ゲームは1ポイントも獲得出来ずに奪われ、これでゲームカウントは2-2と一気に追いつかれてしまった。

 佐々木はコート上で粘る小堺の姿を不思議に感じていた。神谷が使い物にならなくなったのは分かるが、だからといって前衛である自分が後方にいて何が出来るというのか? 
 しかも黒田相手に打ち合えるわけもなく、今もどうにかロブで返すのが手一杯な様子。はっきり言って狂気の沙汰か、試合放棄したとしか思えない。黙っていてくれれば瞬殺してやるものを……。
 それに、先ほどのコーチングの時間の最後に、向こうの部長が叫んだ言葉もどこか引っ掛かっていた。丸男に徹するというのはどういう意味か? 丸男とは一体誰のことを言っている? あの一言を聞いてから小堺は後ろに下がるようになったということは、彼は宗方の作戦に従ったということだろう。あの太った少年、硬式上がりだという割には戦術を企てることに長けている。その宗方が指示したというのが、更に引っ掛かりを強くしていた。
 コート内では相変わらず小堺が後方で黒田の猛攻を凌いでいるものの、ボールカウントは既に0-2。この第五ゲームも頂いたようなものだ。もう彼らに反撃の手立てはない。次の第六ゲームを迎えれば、ゲームカウント4-2であっさり終わる試合なはず。それでも智将・佐々木は不安が徐々に膨らんでいる不快感が拭えずにいた。
 丸男、という選手が第七中にいた記憶はない。佐々木は選手一人一人のフルネームを思い出してみる。三番手ペアは高田竜輝と吉川のぼる、二番手ペアはあの太った少年、宗方誠司。その後衛、小さくクリッとした丸藤達男。苗字の発音が違うが「まるお」という渾名をつけられなくもない。あの選手はジュニア上がりでロブの名手、なかなかミスをしない安定した選手だった。
 そこまで考えが巡った瞬間、佐々木はカッと目を見開く。そして自分が思い至った結論に「まさか」と驚愕したと同時に「馬鹿な」と否定せざるをえなかった。それはあまりにも短絡過ぎる、馬鹿馬鹿しい指示だったからだ。だが、その僅かな油断を手繰って、これまで彼らからいくつ苦渋を飲まされてきたのか忘れる佐々木ではなかった。叩き潰せる可能性は早めに対処しておかなくてはならない。ましてや、相手がこの一年坊主達なら尚更だ。
 佐々木は口の前に組んだ手を解き、ガバッ立ち上がる。試合中に腰を浮かすことのない佐々木に観客席が何事かと驚いたが、その智将が声を発したのだから更に驚いた。
「黒田、角野! 後衛を狙え! 奴は体力を回復しているぞ!」
 突然背後から聞こえてきた佐々木の声に目を丸くしながらも、黒田と角野はそれまで小堺ばかりに注目をしていて気付かなかったが、佐々木の一言でいつの間にか神谷の体力が回復していることに衝撃を受けた。

「お、とうとうばれちゃったみたいだぞ」
「構わんよ。2ゲーム分はたっぷり休ませてもらったはずだからね。このゲームは捨てて良いのだ。我々の狙いは第六ゲーム、そしてファイナルゲームだからな」
 佐々木の発言を一瞬で理解した黒田は、攻撃の矛先を神谷に切り替える。黒田の剛速球を安定したフォームで必要以上に大きなロブを放つ神谷。真面目な真剣勝負にふざけているとしか思えないような打球だったが、それがいまや彼らの生命線なのだ。

 前衛が後ろに控えていては、テニスプレーヤーの心理上狙わずにはいられない。小堺が後ろで耐えれば耐えるほど、神谷への攻撃は薄くなる。宗方の作戦を受け入れた彼らは、思い切って第四ゲームと第五ゲームを捨てることを覚悟した。そしてこの2ゲーム分を完全に神谷のスタミナ回復に回したのである。
「こんな作戦を実行させるコーチは絶対にいないと思う。だって練習中に散々、一本一本大事にしろって言われてるんだもん。それを丸々2ゲーム捨てるだなんて在り得ない。ましてやそれを実行している神谷君と小堺君も在り得ないよ」
 嘆息しながら言い捨てる丸藤。確かにソフトテニス経験が一番長い彼にしてみれば、例え策といってもゲームを捨てるなどとは持っての外なのだろう。
「だが丸男君、肉を切らせて骨を絶つというのも立派な戦術だろう? それに在り得ない作戦だからこそ真価を発揮するというものなのさ。勝負とは常に大胆にして緻密。そうですよね、安西先生?」
 誇らしげに胸を張る宗方に名を呼ばれた安西も、視線はコートに向けながら澄まし顔で応える。
「そうよ。生徒に考え行動させる自立心を奪い、自分の管理したいように人員配置をする軍隊のような指導者に、うちの天然っ子達が負けてたまるものですか。子供というのは時々大人でも考え付かないような凄いことをやらかすから面白いんじゃないの」

 黒田が打ち込んでくるボールを、少しでも長く時間稼ぎをするためにポンポン大きなロブでかわす神谷。痺れを切らした黒田は、左右に振るのが無理ならば前後で振ってやろうと短いボールを打つ。だが神谷は体力の消耗を避けて、そのボールに手を出さなかった。徹底して2ゲーム分を体力回復に回すつもりらしい。
 結局そのゲームは当然ながら第四中が獲得し、これでゲームカウントは2-3と、全ての運命は第六ゲームへと託された。

 いつの間にか第2コートから第4コートまでの試合は終結し、準々決勝は残すところ第1コートのみとなった。ベスト四に上がってきたのは第六中の一番手と第四中二番手の筑摩・千田ペア。そして第一中の一番手と、各校を代表する猛者が準決勝に進んだ。佐高中男子ソフトテニス部の全員が見守る中、第六ゲームが始まる。

 高く上げたトスからバネをしならせるように反動をつけてファーストサーブを放つ神谷。しっかりと体重が乗ったサーブを受け止めた黒田は、神谷の体力が回復したことを知る。まさかスタミナを戻すためだけに2ゲームを捨てる度胸と覚悟には恐れ入ったが、回復期間に当てさせてもらったのは第七中サイドばかりではない。
 シュートボールでレシーブを返した黒田の打球をシュートで返すためグッと腰を落とす神谷。体力が戻ったおかげでタイミングも合わせやすいのでシュートボールを打ち易い。小堺にボレーで得点をさせるためには、黒田の剛速球が必要だ。振り回されてまた体力を消耗する前に、シュートの打ち合いに持っていくべきだろう。
 だが神谷が放ったシュートがネット際で打ち落とされる。出し抜けの攻撃に息を呑んだ神谷だったが、そこにはネット前を悠々と走り抜ける角野の姿があった。この試合、第一ゲームで勢いを削がれた角野だったがいつまでも落ち込んでいるわけもなく、先の2ゲームでやる気を取り戻していたのだ。
「おいおい、あの前衛。今まで黙っていたがとうとう復活しちまったぞ。奴ら二人をいっぺんに相手するにはちょっと荷が重すぎやしねぇか?」
 観客席でどっしりと見守っていた高田兄が堪らずに口を開く。隣で解説をする宗方や丸藤の話を聞いているうちに、段々とソフトテニスについて詳しくなっていた。
「ごもっとも、お兄さん。ですがここまできたら後は単純な力量での勝負ではありません。勝利への飽くなき執念を貫いたほうに軍配が上がるでしょう」
 実際にコート上の四人は得点を決めた方も決められた方も、表情に余裕の二文字はない。お互い集中力を切らさないように喉の続く限り声を張り上げている。
「もうガチンコ勝負ですよ。計算とか駆け引きとか関係ない、ガチンコ勝負です!」
 眼鏡をたくし上げながら、真剣な表情で丸藤もそう言った。チームメイトもコートで闘う神谷と小堺に声が届くように、声の出る限り声援を送る。ベンチに座った安西も、祈るように手を合わせて試合を見守っていた。

 ボールカウント0-1。レシーバーの角野に放った神谷のファーストサーブは、若干体勢を崩してしまったのかフォルトしてしまう。そしてセカンドサーブはカットサーブで打ったが、角野はもう一本チャンスとばかりに正面にいる小堺目掛けてレシーブを放った。
 だがそれを殆ど野生の勘で正面ボレーする小堺。よもや決まった! と思った矢先に、前に突進した黒田がラケットを伸ばしてボレーを拾った。ふわりと宙に舞う打球を、小堺が後ずさって追いかける。そして距離が足りないと判断すると、引き足のままジャンプをしてスマッシュを打ち込んだ。しかしそれを黒田に変わって後方を守っていた角野がフォローした。緩やかに戻ってきた打球は逆クロス展開にいる神谷の元へ落ちる。体勢を逆転されてネット前にいる黒田と後方で構える角野。ネットプレーが不得意そうな黒田を狙うのかと思いきや、神谷は角野の際どい左サイドを渾身の力を込めて打ち抜いた。予想もつかなかった打球に一歩も動けなかった黒田と角野。まさに打たれなければ分からない魔法のフォームを持つ神谷の真骨頂である。
 一球一球、息をつかせぬ超展開に観客は声援を送るのも忘れて観戦に徹した。競技場全体が第1コートを縦横無尽に駆け巡る選手達へ呼応するように、大きく揺れ動く。これほどまで熱戦を繰り広げる地区総体を、顧問やコーチ陣は見たことがなかった。ましてや試合は決勝などではなく、準々決勝。第四中一番手の実力はさる者ながら、今大会ダークホースの神谷と小堺の底力に敬服せざるを得なかった。

 ボールカウントは1-1。サーブ権は小堺へ移る。レシーバーの黒田はファーストサーブを受けた時に、ある違和感に気付いた。今までのファーストサーブにしては球威が緩い気がする。それはサーブ&ダッシュでネット前に突進してくる小堺の意気込みで把握した。小堺はこのままの勢いで黒田のレシーブをブロックするつもりでいるのだろう。
(思考がザルなんだよ、ガキが!)
 狙いを定めて小堺が突っ込んでくる右サイドへと構える。果たしてラケットを振りぬく瞬間、小堺が左側へ軌道を変えたのが見えた。どうやら本当に神谷へ向けて放つレシーブをブロックするつもりでいたらしい。小堺が左へ動いたと同時に、右サイドへ打ち込む黒田。
 抜けた! と思い油断した瞬間、後衛の神谷が素早く右側へ移動していた。そして黒田のレシーブをミドルへ打ち込み、ポイントを決めた。
「おいっ! なんだ今のは! なんであの後衛が後ろにいるってわかって右サイドを狙ったんだよ!」
 詰め寄る角野に、黒田もカッとして言い返す。
「抜いたつもりだったんだよ! だがあの後衛は抜かれるを前提で右サイドへ走ってたんだ! お前も自分のセリフの矛盾に気付けよ!」
 黒田の言葉に一瞬何を言ってるのかと考えた角野は、じっくりと今の場面を思い出して顔色を変えた。
「分かるか。あの後衛は前衛が左側へ勝負を掛けにくると思って、いつ抜かれてもいいように右へ移動したんだ。それはつまり前衛がボレーを必ず決めてくれると信頼していたからなんだよ」
 激した自分を諌めて少々声を抑えた黒田。自分でも信じられないことを言っていると思っている。さらに、黒田は驚愕の事実に気付いてしまっていた。
「しかもあいつら、サーブの前に話をしていた素振りがない。つまり作戦の確認が必要ないほど、お互いの行動を把握しているんだよ」
 神谷は聞かなくても分かっていた、小堺が一本目で勝負に出ることを。この二人の間に最早会話など必要ないくらい、互いの思考を熟知し合った信頼という太いパイプで繋がっていた。たまたまだったのかも知れないが、これが事実だとしたら黒田にとって恐ろしいものはない。小堺が動いた瞬間、自分の打球は百発百中でボレーを決められるか、神谷にフォローをされるかどちらかなのだから。

 今のプレーに気付けた人間がこの競技場内に何人いたのかは分からない。しかし一つだけ分かることは、第七中ペアがここにきてボールカウントを2-1とリードしたということだった。
 小堺二本目のサーブをレシーブで返す角野。先と同じようにサーブ&ダッシュで攻めてきた小堺を相手にはせず、神谷へボールを打った。この試合だけでどれほど小堺に得点をされたのか、数え切れない。はっきりいって屈辱よりも、同じ前衛としてうらやましくさえ思えた。これほど前衛として恵まれた素質にそれを活かす後衛が加われば、向かうところ敵なしだろう。それでも角野は負けるわけにはいかない。前衛としての素質だけで言えば自分も劣っていないはずなのだ。
 そして黒田もこの場面で冷静さを取り戻す。正直なところ、第二ゲームのように神谷と打ち合うのは危険だと直感した。どこまでも虎視眈々と貪欲にボレーを狙ってくる小堺の相手はこれ以上やりたくない。ならば簡単な話、ロブで上手くいなしていればいいのだ。
 黒田の思惑通り、のらりくらりとロブでかわす打球に対して、神谷は必死にシュートボールを打ち込んで喰らいついてくる。一方の角野はといえば、ポーチに出てくるでもなくしっかりと抜かれないようにサイドを守っていた。それでいい。適当に打ち合っていればいずれ神谷の方から音を上げてくるだろうし、もしもこのゲームを落としても体力を消耗してくれればファイナルゲームで一気に片を付けられる。黒田にも後衛としては自分の方が力量が上という自負があった。
 また体力を削られていると懸念しながら見守っていたチームメイト達は、段々とあることに気付いてきた。防戦一方なはずの黒田だったが、どことなく押されている気がする。特にロブの使い手で守りに長けた丸藤がその事を顕著に感じ取った。
「黒田さんが打ち負けている……の?」
「どういうことだ、丸男?」
「あのね、いくらロブで上手く返そうと思ってもやっぱりなかなか返せないボールってあるんだよ。シュートボールは特にそうだけど、その中でも……そう、今のような足元を狙うような」

(配球の精度が上がっている、だと……!)
 神谷のシュートボールをロブで返しているはずなのに、黒田はあからさまな疲弊感を味わっていた。神谷はただシュートを打ち込むだけでなく、確実に際どいポジションを狙って打ち込んでくる。それがいくらロブで返すといっても面倒でたまらない。絶妙に回り込まされたり、前のめりで打たされたり。しかもその際どさは打ち合っていく度に精度が増していく。もうロブばかりで相手にするのは辛くなった、と思った矢先、僅かだがフォームのバランスを崩してしまった。しまった! と思っても後の祭り、打球は緩やかに軌道をずらし、左サイドへボール一つ分でアウトしてしまった。
 ここにきて痛恨のミスに黒田は表情を歪める。自分の実力を過信しすぎたわけでない。相手の実力を見誤ってしまったのだ。同じフォームでコースを打ち分けるだけでなく、正確な弾道をも打ち分けることが出来る神谷に驚愕せざるを得なかった。しかしこれでボールカウントは3-1。一年生相手にまたもやマッチポイントを取られてしまうとは、黒田も角野も思いも寄らなかった。

更新日 5月31日

 第六ゲーム、サーブが一巡してみれば第七中のマッチポイントを迎えていた。第三ゲームで神谷の体力が底をついたことを知り、誰もが逆転はないだろうと諦めた。さらに貴重な2ゲームをスタミナ回復のために費やしたと知ったときには何かの悪い冗談だろうと飽きれた。そんな彼らが、ファイナルゲームに向けての王手を打ったのである。最早、誰もこの状況に驚くものはいない。ただこの試合が終わった後の結果を、素直に受け入れるだけであろう。
 呼吸を整えファーストサーブの構えに入る神谷。出来ればこのポイントを取ってファイナルゲームに進みたいと気が逸ってしまう。それを落ち着けるために何度も深呼吸を繰り返す。そして意を決して一喝すると、ボールを高々と頭上に放った。
 黒田はサーバーである神谷を注目しながら、視界の隅にいる小堺を捉えた。重心をやや下げ、逆にラケットを少し上向きに構えている。それを確認すると、黒田は身を引き締めた。小堺は必ず一本目、自分のレシーブを狙ってくる。よく考えれば昨日の団体戦や今日の第二ゲーム目で、ここぞという場面になると小堺は必ずと言っていいほど一本目でポーチに飛び出してくる。今見える構えが何よりの証拠だ。例え裏を掻いて抜いたとしても神谷がフォローに入るのはわかっている。それでも、際どいコースを突けばたとえ神谷でも拾えまい。
 体をしならせ繰り出したファーストサーブをしっかりと受け止める黒田。体重が乗ったなかなか良い打球だが、シュートで打ち返せないほどではない。
(残念だが、ここで終わらせるっ!)
 気合を込めて発したシュートボールは、予想通りポーチに飛び出した小堺の逆を突いて、左サイドへと飛んでいく。俊足で走り抜けたため立ち止まれず黒田の視界からフレームアウトする小堺。これはさすがに決まったと思ったが、予想以上の反応速度を示した神谷が打球に追いついた。だがまさにギリギリで追いついた打球だったので、回り込むことはおろか、バックハンドでラケットに当てるだけのロブを打ち返した。しかも勢いあまった神谷はそのままバランスを崩し、ラケットを手放して転倒する。慌てて起き上がりラケットを拾おうとするが、黒田は既に大きく構えていた。
「これでっ! 本当に終わりだっ!」
 黒田は両足をがっしり地面にかませて腰と腕を回転させしたたかにボールを打ちつけた。間に合わない! と判断した神谷は、転びながらもラケットを裏面に構えてフォロー体勢に入ろうとした直後、ネット前を疾風が駆け抜けた。
「っけぇ――!」
 コートに響き渡る炸裂音。静まり返った空間を走り抜ける靴音。勢いが止まらず壁際まで走り抜ける小堺。
 そして次に、地を揺るがす歓声が競技場を包み込んだ。
「なんであいつ、あのタイミングでボレーが出来るんだよっ!」
「その前にもポーチに出たばっかりじゃないかっ! 二回連続なんて有りなのか!」
 叫ぶような大歓声が鳴り止まない中、茫然としゃがみ込んだ神谷へ、興奮した小堺が飛び乗ってきた。
「正樹っ! 俺、決めたぜ! 決めてやったぜっ!」
 瞳を爛々と輝かせながら抱きついてくるパートナーを、やっと状況が飲み込めた神谷がギュッと抱き返す。
「朔太郎っ! お前、やっぱり凄いよ!」
「おうよっ! 任せておけ! 俺に任せておけって!」

 大音響に負けじとベンチから立ち上がって二人に歓喜の声を送る安西。ふと気がつけば、彼女の両目からは止め処なく涙が溢れていた。これまでの人生でスポーツ観戦をして泣いた経験が一度もない。それがどんなに逆風にさらされても諦めずに立ち向かう少年達の姿を見て、涙が止まらなかった。これから先、彼らと一緒にいればこれ以上の感動を味わうことが出来るのだろう。今まで毛嫌いしていた運動部の顧問だったが、今日の試合を通して見方が少し変わった。少なくとも、安西はソフトテニスが大好きになった。

 ファイナルゲームへ突入する前に、僅かな時間ではあるが選手達へインターバルが設けられる。泣いても笑っても次のゲームで最後、作戦の最終確認をするための重要な時間だ。
「朔太郎、俺はお前とペアが組めて良かったと思う」
「おう。俺も思っているぜ」
 作戦の確認などする必要のない二人は、最終局面を前に他愛ないお喋りを楽しんでいた。
「小学生の時に組んでいたのとはまた違った感覚だ。口では上手く言えないが、朔太郎には感謝している」
「おうよ、俺も同じだ。これからもずっとペアを組んでいこうな」
「あぁ」
「高校も同じところに行って、一緒にペアを組もうな」
「なら、もっと勉強をしろ。朔太郎と俺じゃ学力に差がありすぎる」
「なんだよ、意地悪言うなよ。それで大学も一緒に行こうぜ」
「あぁ」
「それで将来は結婚しような」
「いや、それはない」
 即答する神谷へ、いけずとばかりに抱きつこうとする小堺。こんな場面でも自然体でいられるのが彼らの強さなのだろうか。

 そんなじゃれあう二人の姿を遠目で見ながら、黒田は角野の文句を片耳で捉えていた。
「おい、てめぇ! 最後のボレーはどう見てもバレバレだったじゃねぇか! これ以上俺の足を引っ張るんじゃねぇぞ! いいな!」
 ファイナルゲームまで追い詰められて焦っているのだろう。角野は募ったイライラを黒田に爆発させなければ気が済まないらしい。
「おい、黒田! お前、聞いてんのかよ!」
「あぁ。聞こえている」
 普段なら腹立たしい角野の怒鳴り声も、今となっては虚無感すら覚えてしまう。それはネット越しの二人が、あまりにも理想的なペア過ぎるからなのかもしれない。
「……かもな」
「あ? 聞こえなかった。もっぺん言ってみやがれ」
「……あの二人はちゃんと味方が一人に見えているかもな。俺には敵が三人いるようにしか見えないよ」
 その一言に憤慨した角野は、黒田の左ほほを思いっきり殴りつけた。それを見ていた第四中サイドがざわめく。しかし黒田も角野の左ほほを殴りつけると、二人はそれ以上言葉を交わさずに、各々のポジションに着いた。

 審判がコールを告げる。ファイナルゲームが始まった。 




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2010'05.03 (Mon)

個人戦三回戦 神谷・小堺VSダブル後衛

 黒田は相方の角野を探そうと観客席を一つ一つ眺めていた。自分達の試合は次の次なのでそろそろウォーミングアップをしなければならないのに、角野はいつまで経っても見つからない。どうにも仲が良くない二人なので、試合中以外は別行動をすることが多いが、せめて試合前くらいは一緒にいて欲しいものだ。若干イライラしながらも競技場内を回っていると、第1コートの観客席で試合観戦をしている角野をやっと見つけた。
「角野、俺ら次の次に試合だぞ。軽くアップしておけって佐々木先生が言っていた」
 だが角野は黒田の言葉には反応を示さず、黙ってコートを見続けた。もとより自分の言うことなど素直に聞くはずもないと諦めていた黒田は、角野の隣に座ると同じく試合を観戦した。
 コート内では第二中の二番手と、昨日対戦をした新生第七中の一番手が対戦していた。
「あの一年ペアか。なかなか善戦しているようだが……ゲームポイントは1-2。何だ、負けているじゃないか」
 第二中の二番手ペアはまだ二年生だがジュニアからの経験者なのでなかなかの実力だ。なので一年生ペアの神谷と小堺が負けていて当然なのだが、角野は「違う」と呟いた。
「あのチビ共、わざと2ゲーム落としやがった。遊びでやった、っていうか調整しながらやったら2ゲーム取られたって感じだったな。まだまだ余力を残しているし、内容的にはチビ共の勝ちだ。見てな、ここから挽回する」
 妙に舌が回る相方を見ながら、黒田は持っていたパンフレットに目を通した。
「お前が言うように一年ペアが勝ったら、次に第六中のダブル後衛ペアと当たる。もしもそれにも勝ったら、ベスト八で俺らと対戦だ」
 黒田の話をまたもや無視する角野。きっとそのくらいは自分も知っていると言いたいのだろう。口にこそ出しはしないが、つくづく癪に障る相方だ。
「しかし、お前にしては妙だな。なんでそこまでこの一年にこだわる? 昨日の団体でも圧勝したじゃないか。とてもじゃないが俺達の敵だとは思えない」
 三年生になってからは東北大会入賞を目指して練習を重ねてきた彼らは、地区大会程度の選手には見向きもしなくなった。視野に入れているのは常に県大会以上の格上の選手のみ。こんな地区総体の、ましてや数ヶ月前にはランドセルを背負っていた一年ペアの試合をマジマジと観察している角野の姿が不思議で堪らなかった。
 すると角野は視線をコートから黒田に移す。
「あのチビ共、特に後衛がお前そっくりなんだよ。だから気に食わなくてね、徹底的にやっつけねぇと気が済まない。是非ともベスト八まで上り詰めてきてもらいたいもんだ」
 その見下すような眼をする角野を、黒田はジッと見返す。飽きれるほどに頭に来ることを言ってくれるものだと思いながらも、突っかかる気も起きないのは大会中だからか、はたまたすっかり慣れてしまったからか。こんな相手でもコートの上ではペアとして組めるのだからつくづく不思議でならない。
 何も言い返してこない黒田を詰まらなそうに鼻で笑うと、角野はポケットに手を突っ込んだまま立ち上がった。
「アップするんだろ。さっさと準備しようぜ」
 せっかくの試合観戦に黒田が横入りしてきたことに興を削がれたのか、角野は観客席から離れていった。黒田は無表情のまま聞こえないように嘆息すると、一度だけ第1コートに眼を向ける。
 昨日の団体戦で対戦した第七中の一番手ペア。まだ荒削りな部分が目立った二人だったが、決勝戦で対戦した第六中の一番手よりも手応えがあった選手だと感じた。まだ本気を出していない、という訳ではなかったが全力を出し切らずに終わったという感触が心の底へ引っかかっている。角野が彼らへ執着する理由も、もしかして自分が感じているそれと同じだからなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、黒田はコートから眼を逸らすと角野の後を追った。試合はちょうど第七中ペアがゲームポイントを獲得して、これからファイナルゲームに突入するとこだった。たった一瞬しか眺めていなかったが、確かにこれは第七中の勝ちだと黒田はさっき角野が言った予想に同意した。

 第二試合をファイナルゲームでどうにか勝利を収めた神谷と小堺ペア。事務所にスコア表を提出してきた彼らをチームメイト達が出迎える。
「やったね。神谷君、小堺君。これでベスト十六入りだよ。あと一回勝てばベスト八。県大会出場できるね」
 パンフレットを片手に丸藤がそう彼らに告げる。隣にいる宗方もまるで自分達が勝ったかのように誇らしげに胸を張った。
「やはり一組くらいは県大会に出場してもらわないと、この宗方繁蔵の孫である僕の顔が立たないよ。それに次はあの憎きダブル後衛ペアだ。必ずや勝ってくれたまえ!」
「なんで神谷達がてめえの顔を立てなきゃならねぇんだよ。それに憎きって、お前らが弱くてボロ負けしただけじゃねぇか」
 相変わらず口は悪いが正論を説いた高田を、宗方は苦々しげに一瞥する。
「うるさい。君らなんて一回戦負けだろうが」
「なんだと、デブ! てめえ、もっぺん言ってみやがれ!」
 宗方の胸倉を掴んですごむ高田を、全員が割って入って止める。自尊心の塊のくせに他人に対してはデリカシーに欠けるのが宗方の悪いところだ。故に未だテニス部以外で友達が出来た例がない。
「まぁまぁ、落ち着けよ負け犬共」
「何だと朔太郎! てめえ!」
「小堺君! 負け犬とは失礼過ぎないか!」
 今度はトラブルメーカーの小堺が油を注ぐが、本人は大して気にする様子もなくケラケラと笑っていた。
「ところで神谷君。あなた達、次の試合は何番目?」
 今一パンフレットに載ってある対戦表の見方が分からない安西は仕方なく神谷に尋ねたが、何故かまた小堺が答える。
「えっとね! 今やってる試合の次の次だよ!」
「あ、あっそう、ありがとうね、小堺君。やっぱり三回戦となると次の試合まで早いわね」
 尚も見方を覚えようと対戦表をじっくりと眺めながら安西は呟く。第1コートで行われる三回戦は僅かに二試合。四回戦ともなると一試合のみとなる。
「試合の後半になると殆ど休む暇もなく連続になりますから。スタミナ配分も試合で勝ち上がっていくのに重要なんです」
 自身、一番の悩みの種であるスタミナ不足を考慮する神谷。今のところ疲れた様子を見せていないので、調子は上々なようだ。
「でもさ、みやちゃん達ってさっきまるちゃん達から勝ったダブル後衛の人達と対戦するんだよね。体力とか、大丈夫?」
 本気で心配そうに考え込む吉川が可笑しかったが、それは部員全員が懸念していた事だった。あれだけロブに定評がある丸藤でさえ、結局は体力を削られて敗退させられるという結果に終わったが、それと同じことをスタミナがない神谷がやられたら、丸藤よりも試合が続かないだろう。
 しかし、それは本人も重々承知なようで無表情のまま「問題ない」と言ってのけた。
「そうならないようにこっちから先に仕掛けていく。それに俺には朔太郎がついている」
 そう言うと隣に座っていた小堺がパァッと顔を輝かせ、神谷の腕にしがみ付いてきた。
「おうっ! 俺に任せろ!」
 チームメイトは小堺が神谷にベタベタふっつく姿に若干引きつつも、彼らの自信が確証あってのことだと感じ、少し胸を撫で下ろす。それと同時に自分達と一番手ペアの間にある実力の差に、ライバル心を燃やさずにはいられなかった。
 目標は高い方が良い。彼らにとっても神谷達が更に勝ち進むことを願わずにはいられなかった。

 第1コートの試合はその後も順調に進行し、神谷達の三回戦はあっという間に回ってきた。上に進めば進むほど、次の試合までの間隔が短くなっていく。一息つく暇もなく次に当たる相手選手の事を考えなければいけない目まぐるしさに、神谷と小堺は小学生の大会で味わった感覚が甦ってくる。そしてそんな感覚が味わえるほど中学でも勝ち進んでこれたことに喜びを感じずにはいられない。
 フェンスの扉を開けベンチに荷物を置くと、既にコート内に足を踏み入れている第六中の二番手、大井&太田ペアを真っ直ぐに見据える。遠くから見ると本当に背格好がそっくりなペアで、双子のようだと言っていた宗方の言葉に納得してしまいそうだが、先ほどの試合からも分かるように巧みなコンビネーションを持つ堅実なダブル後衛。打ち壊すには容易にはいかない厚みを持った壁のようにも感じる。これまで闘った一、二回戦の選手とは桁違いな相手だ。
「正樹、どうやって攻めていく?」
 視線は逸らさずに敵を見つめたまま問いかける小堺。緊張しているというよりは、楽しみで仕方ないといった態度がありありと捉えられる。典型的な少年漫画のような奴だと思いながらも、自分自身うずうずしながら敢えてそれを表面には出さずに神谷は答える。
「いくらダブル後衛といっても陣形の崩し方はいくらでもある。まずは俺がそれで切り込み、後は朔太郎に全部お願いする。ボールが相当集中すると思うけど、いいか?」
「当然よ! 正樹の要望だったら俺、何でも応えちゃうよ? たとえ火の中水の中、ってか!」
「そういうものなのか?」
「そういうものだ!」
 数瞬考え込んだ後、神谷は「よしっ」と小さく気合を入れてコート内に足を踏み入れる。それに続くように小堺も声を張り上げて乗り込んだ。

 試合前の乱打もそこそこに、審判の合図に合わせて早速試合を始める。三回戦ともなると既に相手チームの実力は検証済みなので長々と乱打で探りを入れる事は全く意味を成さない。体力面、精神面的にも、さっさと試合を開始させてしまいたいのが、選手としての心理だ。
 神谷達がサーブ権先行。中学一年生ということでサーブ力がまだ未発達な彼らは、サーブ権先行となるとどうしても後手に回ってしまうが、どちらも後ろで待ち構えているダブル後衛となると、その不利感はさらに上乗せになってしまう。だがそんなことも言ってられないので、神谷は出来るだけ渾身の力を込めてファーストサーブを繰り出す。
 神谷のサーブを丁寧にレシーブした大井のボールを、神谷はクロスにそのまま打ち返す。すると大井はロブで小堺の頭を越えると、神谷をストレート展開に誘導した。神谷は落ち着いてボールに追いつくと、回り込んでフォアハンドのシュートボールを再び大井に打ち込む。だが大井はまたしてもロブでクロス展開に誘導し、神谷を走らせた。
(なるほど。やっぱりな)
 神谷は心の中で独りごちると、再度大井にシュートを打ち込んだ。

「これって、僕達にやった作戦と同じことをしようとしているのか?」
 観客席で見守っていた丸藤が眼鏡をたくし上げながら言った。先の試合で散々辛酸舐めさせられた展開に、ついつい眉間に皺が寄る。
「うむ。だがな、彼らになら最も有効な手段だと思うぞ。特に体力がない神谷君にならな。僕が敵でも同じ事をする」
 悔しいながらも冷静に状況を分析する部長に、高田は試合から目を離さず言葉を返す。
「んなこと、奴らだって百も承知だろうよ。だからそれを崩す秘策があるってさっき言ったんだろ? まずは黙って見てようぜ」
 その一言を合図に第七中陣営は口を閉ざして試合に集中する。祈るには始まったばかりでまだ早い。神谷と小堺がどうやって攻略するかだけに注目をしたいところだ。

 とにかくスタミナに自信がない神谷は相手の魂胆を確認すると、早々に得策を講じる。簡単に勝てる相手ではないことは重々承知だが、この試合は出来るだけスタミナを残して次の準々決勝に臨みたい。神谷は体中の神経を集中させ、狙うべきコースを凝視する。そして寸分の狂いもなく打ち抜いた。まずは大井のいる方向の右サイドをギリギリの精度で狙う。フォアハンドで返せるとしても、ここまで厳しいコースだとさすがに打ち返すのが難しい。どうにかロブで返ってきたボールを、次に大井の足元に打ち込む。次には右よりのミドルと、神谷は徹底的に大井の返球しにくいラインを攻めていった。これに堪らなくなった大井は遂に打球のコントロールを失う。ほうほうの体で返したロブは小堺の頭上を大きく越えてアウトした。
 次も同じようにロブで返そうとする大井を、神谷は際どいコースで攻めていく。しかも神谷は執拗に大井ばかりを狙った。太田のいる左側を狙っては逆クロス展開になる場合もあるので少しでも得意なコースで攻めたいのと、左側を任されているということはバックハンドに自信がある後衛なのだろう。つまり大井と太田の二人を比べてみれば、プレーヤーとしての力量は僅かながら太田の方が上ということだ。さらに言えばわざわざ二人いっぺんに相手をすれば後衛の負担が大きい。片方を無視すれば「一人対二人」の構図を布けるのである。
 そうこうしているうちに、大井はまたもやコースを外しアウトする。単純な後衛同士の打ち合いだった今の場面で一年生に打ち負けた大井は、悔しさに顔を歪ませた。これで第六中ペアの第一作戦は徐々に崩れてきた。
 ボールカウント、2-0。続けて小堺のサーブに入る。小堺はファーストサーブを繰り出すとそのまま前方に突進していくスタイルで攻めていく。特にダブル後衛相手では自分が後ろで構えているよりも、いち早く前へ出ることを考えた方が良い。だが大井は小堺の突進をうまくロブでかわす。ロブばかり打たれてしまっては小堺の出る幕はないが、逆に相手がロブを打っている間は神谷に分があるのだ。小堺は自分の役割が来るまで、じっくりと待っていた。
 相変わらず大井の嫌がるコースのみ手厳しく突いていく神谷。だがやはり厳しいコースばかり狙うのは神谷にもリスクはある。三本目のシュートボールを神谷はボール一つ分の差でアウトをしてしまう。ホッと安堵の溜息を吐いた大井だったが、次に神谷は短いボールと深いボールの緩急をつけて大井を翻弄し出した。いくら打ちやすくロブで返しているからといってこのコントロール力の高さに、両陣営はついつい感嘆してしまう。さほど広いとは言えないコート内で、後衛の打ち返し辛いポイントだけを選んで正確なショットを決め込む様は、とても中学一年生のテクニックとは思えなかった。
「なるほど。これが『精度を上げる』ってことなのね。さっき神谷君が言っていたことがようやく分かったわ」
 ベンチに座りながら納得したように手を叩く安西に、フェンス越しで見守っていた丸藤が声を掛ける。
「僕も小学生の頃にこれで神谷君から負けてました。とにかく配球の精度がすごいんです」
「それにみやちゃんのどこに打つか区別がつかないフォームもあるでしょ? 本当にすごい後衛なんだね、みやちゃんって!」
 興奮したようにハキハキと相槌を打つ吉川。確かにここまで見事だとみている方も愉しくて仕方がない。
 そんな彼らが会話をしているうちに、第六中は二本連続で失点を犯し、あっという間に第一ゲームを一年生ペアに奪われた。歓喜の雄たけびを上げる第七中に対して、第六中の顧問の八幡はダブル後衛ペアをこれ見よがしに叱責する。
「一年坊主共に1ゲーム取られて悔しくないのか! もっと気合を入れろ! お前ら、ここで負けたら県大会の道が閉ざされるんだぞ! あいつらに負けたら引退だぞ! 死ぬ気で攻めて来い!」
 作戦もアドバイスもあったものではない八幡の話に、大井と太田はただ生返事を返すだけだった。八幡に言われるまでもなく、そんなことは彼らが一番良く知っている。なので何の生産性もない叱責は彼らの精神をイラつかせるだけで有益なことなど何一つない。早々に耳を塞ぐと彼らは軽く水分補給を済ませてコートチェンジした。そしてお互い作戦の変更を確認すると目配せをした。どうしても負けられないのは彼らだって同じ。第一ゲームは手を抜いたわけではないが、ここからは一年生だと思わず本気で立ち向かうことを決意した。

 第二ゲームは神谷達、レシーブで攻撃することになる。ダブル後衛にとってサーブほど重点を置かなければならない場面はない。少しでも威力に乏しいサーブや緩いセカンドサーブを打ったならば、たちまち短く浅いレシーブで返されて泡を食うからだ。
 大井が一本目のファーストサーブを放つ。だいぶ練習を積んできたのが伺える、どっしりとした重みのあるサーブを神谷はどうにか打ち返す。一瞬反応が遅れてミスをするかと思った打球だったが、どうにかコート内には収まるようだ。そのボールを大井がシュートボールで返す。第一ゲームはあれだけロブばかりで防戦一方だったのに対して、ここにきてやっと小細工は捨てて本来のストロークに賭けてきたのだろう。
 神谷も負けじとシュートで打ち返すが、その瞬間、少しだけ苦い顔をする。大井のシュートが想像以上に強烈だったのだ。そしてクロス展開でもう一本ずつシュートボールの応酬をする。これには観客席で見守っていたチームメイト達も勘付いた。神谷の打球が大井に押されているのである。ロブの応酬となれば小手先で遣りようがあるが、力技でこられたら力技で返すしかないし力量の差は顕著に現れる。ここで先取した流れを挽回されてしまうのかと一同憂慮した矢先、大井がシュートボールを打ち込んだ瞬間にネット前を黒い物体が素早く横切った。目を見開くまもなく心地良い打球音がコートに響くと同時に、小堺が咆哮する。
「よっしゃー! 一本いただきっ!」
 歓声が湧き上がり、神谷は小堺に駆け寄るとハイタッチを交わした。
「ナイスボレー! 朔太郎!」
「おうよっ! なんせこれが俺の仕事なんだからな!」
 第一ゲームは全くといってモーションを見せなかったのが功を奏したのか、第六中ペアは今まで前衛の存在を忘れていたことに歯がゆさを感じた。露骨に後衛と打ち合いを続けていれば前衛の格好の餌食になることは分かっていたはずである。顧問の八幡がベンチから怒号を撒き散らしたので、神谷と小堺は少したじろいでしまった。
 第二ゲームも第七中先攻でスタートを切った二本目、大井のサーブを小堺はミドルに返す。その返球を大井ではなく、右側に位置する太田が返球した。わざわざバックハンドで返した太田だったが、それはきっと次は自分に打ち込んでくるものだと確信してだったからである。先ほどから神谷はクロス展開に持ち込んで行きたがる嫌いがあるのを見越していた太田は、わざと自分に打ってくるようにアプローチをしたのだ。果たして神谷は思惑通りに太田へシュートを打ち込む。それを太田はチャンスとばかりに小堺のサイドを抜いた。
 太田はダブル後衛という性質上、前衛の動きを誰よりも警戒する。なので一度でもボレーを決めて調子付いた前衛はなるべく早く押さえ込まないと気が済まないのだ。単なる個人的な好みの問題ではなくチームとして、より勝率を上げるためである。これでもう二、三度頭を押さえてやればもうしゃしゃり出てくることはないだろう。そう画策していた太田だったが、残念ながら小堺は普通の前衛とはかけ離れた選手なのである。
 ボールカウント1-1。続いて太田からのサーブとなる。大井以上に腕力に自信のある彼は、体の瞬発力と上手く併用して驚異的なサーブを放った。これには神谷もタイミングを合わせることが出来ずにレシーブミスをしてしまう。ここにきて初めて第六中が一歩リードした。続く二本目のサーブも小堺はミスしてしまい、ボールカウントはあっという間に1-3と、第六中はマッチポイントを迎えて応援にも力が篭る(高田兄に恐々としながらも)。
 サーブは一巡して大井からの攻撃。これはどうにか返せた神谷だったが、大井はコース変更で拡散し始めた。ただし第一ゲームの時とは違い、ロブではなくシュートも織り交ぜたストロークに、神谷も狙ったコースへ簡単には打たせてくれない。だがタイミングを見計らった小堺がまたもやボレーを決める。打ち合いになる後衛にとって、上手くポーチに出てきてくれる前衛ほど頼もしいものはない。
 そして続いてのサーブを小堺は真っ直ぐ向かい側にいる太田へ返球した。太田は「馬鹿め」と内心ほくそ笑みながらもラケットを大きく構える。
 ポンポン前に出てきたがる前衛は得てしてプライドが高い。一度抜かれたコースは取り返さないと気が済まないらしく、ムキになって後衛に突っかかってきたがるものだ。そしてそんな状況になれば後衛は絶対に先ほどと同じコースに打ち込むことはないと思っているのだろう。ということは、小堺は必ず一本目からポーチに飛び出してくるはず。ならば裏を掻いてもう一度サイドを抜いてやれば良いだけのこと。太田は第二ゲームはもらった、とばかりに小堺のサイドへと打ち込んだ。
 だが小堺は少し左側へ走ると鮮やかなバックボレーで太田の目論見を叩き落した。これには太田は驚きを隠せないようで、悔しがるよりも先に口をあんぐりと開けてしまった。
 小堺が普通の前衛と違うところは、過去のゲーム展開をあまり覚えないというところにある。自分がどんな展開でボレーを決めたのか、相手からどの場面で抜かれたのか、いちいち記憶していないのだ。なので常に直感で行動し、作戦は相方の神谷へ全面的にお任せしているのである。詰まるところ、馬鹿なのだ。
 これでボールカウントは3-3、デュースに突入する。デュースに入ると先に2ポイント連続で先取した方がゲームポイントを獲得することになる。ここで先ほど二本連続でサービスエースを取った太田に回ってきたことが有利となった。どうにか当てることだけに徹してレシーブを試みた神谷だったが、なんとか返せたボールをすぐに鋭いシュートで返されてミスをしてしまった。そして小堺がレシーブをまたもやミスしてしまい、この第二ゲームは第六中から持っていかれてしまった。

「くぅ~、すさまじいサーブだったな。ありゃあ、次に食らったら堪ったもんじゃねぇぞ」
「まったくだ。だからこの第三ゲームは何としてでも取らないとな」
 ゲームカウント1-1と迎え、再びサーブ権先攻で始まる神谷と小堺は作戦の確認をする。チェンジコートではないので素早く終わらせばならないので、小堺は簡単に神谷へ指示を仰ぐ。
「次はどうするよ? さすがにあの人達、もうロブは打ってこないぜ。ガンガン出ていって良いだろ?」
「あぁ、それしかない。俺はとにかく大井さん狙いでいく。一本でも多く繋げるから、ネット前頼んだ」
「おう!」
 握手を交わして大声で気合を掛け合う二人。そんな彼らとネットを挟んだ向こう側にいる第六中ペアも、額を突き合わせて作戦会議を行う。
「まさかこんなに早く、アレをやるとは思わなかった。出来れば第四中に当たるくらいまで誰にも見せたくなかったんだけどな」
「あぁ。でも負けてしまっては元も子もない。ここでなんとしてでも引き離すぞ」
「わかった」
 そしてもう一度丹念に作戦を確認すると、彼らは素早く自分の配置に戻った。

 第三ゲームの開始を告げるコールに合わせて、両陣営はコートにいる選手達に声援を送る。その応援を背に受けて、神谷は一本目のサーブを打ち込む。レシーバーの大井はシュートで返すが、そのボールを一本目から小堺が飛び出してボレーを決めた。開始直後に観客席がドッと揺れる。さっきのゲームから小堺の活躍は目を見張るものがあり、第六中だけでなく周りで観戦していた他校の生徒までもが彼に注目していた。
 そして二本目、太田はレシーブを小堺にアタックしたかったところをグッとこらえて、神谷にボールを繋ぐ。相当調子づいているだろう小堺を潰さずにはいられなかったが、チームの勝利を考えれば今は個人の感情を優先させる場合ではない。ダブル後衛は何よりボールを繋いでこそ、勝利に近づくのだ。それに、この二人をねじ伏せる作戦を発動させるのが今は最優先なのである。
 太田からのレシーブを神谷はストレートにいる大井へ打ち込む。そしててっきり大井が自分にシュートで返球するものかと思いきや、ロブでクロスへ打ったのだ。これは珍しいことだと思いながらも、きっと小堺のボレーを恐れて再びロブ戦法へ切り替えてきたのだろうと考えながらも神谷はコートの右側へ走る。そしてここぞとばかりにクロス側のさらに右サイドの際どいコースを狙い撃ちした。
 その時、神谷は不思議な違和感を覚えた。神谷が打ち込んだサイド寄りのボールを太田が拾う。そして小堺の頭を超えてストレート展開に戻した。自分が感じた違和感に気付かず、奥歯に物が挟まった気分を抱えつつも神谷は再びコートの左側へ走る。こちらのコースはフォアハンドで回りこまなくてはいけなくなるため、際どいコースを攻める打ち方は出来ないがせめて大井に返球しようと考えて、神谷はやっとその違和感に気付いた。さっき自分は「大井」に向けて打ったはずだ。なのに何故、返球してきたのは「太田」だったのだ? すると視界の隅に、コートの中を誰かが移動する姿が映った。そのありえない光景に驚くと同時に、ネット前にいる小堺が叫ぶ。
「気をつけろ、正樹! この人達、入れ替わっているぞ!」
 驚愕して混乱状態になった神谷はフォアハンドに回り込まずにバックハンドで返す。その緩やかに落ちてきたボールを、太田が小堺のサイドを抜いて得点した。

「えっ! なんだったの今の? なんであの子達、わざわざ入れ替わったの? わかんない! さっぱりわかんない! 誰か教えて! ねぇ!」
 混乱したのは本人達だけではなく、ベンチにいる安西や観客席にいるチームメイト達も同じだったらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしながらも必死に頭を回そうとしているが、さっぱり状況が掴めないらしい。だがその中で、チームの参謀役である宗方だけが、誰よりも早く真意に気付いた。
「ボールがどちらか一方に集中するのを拡散させるためだと考えられます。今の場合だと神谷君は確実にあの大井氏を集中攻撃していました。結局ダブル後衛と対峙した時にはどちらか一方だけ攻めれば『一人対二人』という構図を作れます。負けてしまった我々が言えた立場ではありませんが、太田氏よりは大井氏の方が若干実力が劣ります。なのでその致命的な弱点を克服するために彼らが編み出した秘策なのかと」
 宗方の説明に一同感嘆の声を上げる。
「だとしても随分と荒業で克服するもんだね。そんなことをしなくても大井さんがもっと練習して強くなればいいだけのような気もするけど」
 ずれた眼鏡を直しながら呟く丸藤に、宗方は首を振って答える。
「きっと苦肉の策だったんだろうよ。彼らはこの地区総体で負ければ個人戦は引退だ。それまで大井氏の実力が間に合わなかったのでは? それに荒業かもしれないが、見たまえ。我らが一番手ペアには効果絶大だったらしいぞ」
 全員一斉にコート内にいる二人へ視線を戻す。一体何が起こったのか未だパニックになっている神谷。きっと宗方のように傍から冷静に観戦していれば彼らの作戦の意図が掴めただろうが、緊迫状態の試合の真っ最中ともなれば、そこまで分析出来るにはもう少し時間がかかるだろう。兎にも角にも神谷は無理矢理平静を装いながらも試合を続行しなければならなかった。
 結局、神谷達は第六中ペアの虚を突いた戦法に見事嵌ってしまい、この第三ゲームは落としてしまった。

 チェンジコートで自チーム陣営に戻ってきた神谷と小堺は、素早く宗方から相手の策をかいつまんで説明を受けた。しかしいくらチームのブレイン役といっても気が利いた対策方法など思いつかなかったらしく、第七中サイドは頭を抱えるばかりだった。適度な水分補給を終え、第四ゲームを始めるべくポジションに着く神谷の表情は暗い。打開案が見つからなく困り果てているのだろう。と、そこへいつになく真剣な顔で小堺が神谷にすり寄る。
「正樹、ここは一つ頼みがある。俺を信じてくれないか?」
 要点がつかめず首を傾げる神谷。
「朔太郎、どういうことだ?」
「めちゃくちゃ穴がでかくなるし、ミスもするかもしれない。でも俺がやるしかないと思うんだ」
「だから何の事だかサッパリ分からん。分かるように説明してくれ」
「あのな、ゴニョゴニョ」
 わざわざ神谷に耳打ちをする小堺を見て安西が肩を落とす。
「あの子ったら。こんな場面で何をイチャイチャしているのかしら」
 話を聞き終えた神谷はしばらく考え込むと、力強く頷く。そしてそれを合図に小堺は大声を張り上げてネット前のポジションに着いた。チームメイトが不安に見守る中、第四ゲームが始まった。

 大井のサーブから始まる第四ゲーム。ゲームカウントを2-1とリードした第六中ペアは流れが自分達に向いているからか、若干表情に余裕が見られる。この三回戦からは7ゲームマッチになるので4ゲーム先取した方が勝ちとなる。先ほどサーブ権先攻でゲームポイントを獲得した大井達は、さらにゲームポイントを取りやすいここで3-1と優位に立ちたいのだろう。気合の入った大井のサーブをタイミングを合わせて本人に返球する神谷。大井は待ってましたとばかりに小堺をロブで越そうとする。先ほど同様に入れ替え作戦で神谷を翻弄するつもりなのだろう。
 ロブと同時に走り出した大井と太田だったが、その時に目に映った小堺の姿に慌てて足を止めた。
 大井が放ったロブに合わせて後方へ素早く足を引く小堺の肩には既にラケットが構えられている。まさかと思った矢先に小堺のラケットが縦回転の起動を描いて旋回した。
「食らいやがれっ!」
 ボールが弾かれた瞬間にフォロー体勢に入る大井と太田だったが、それよりも早く小堺のスマッシュはコートを強かに打ちつけて二人の背後へと消えていった。
 突然のスマッシュに観客席は歓声を上げるよりも、何が起きたのかと目をパチクリしていた。なので一拍遅れて湧き上がった声援を背後に、神谷と小堺は次のポジションへすかさず移動する。
 小堺の背丈から見て絶対にスマッシュは追えないだろうと高を括っていた大井と太田が一番驚いた。だが奇跡は二度も起きないだろうと楽観視した二本目、神谷を振り回そうと放ったロブをまたもやスマッシュで打ち落とされたのである。
 これにはさすがに落ち着きを失った二人だったが、すぐ後ろから飛んできた八幡の怒号で気付いた。
「馬鹿野郎! あの前衛のポジションをじっくりと見てからロブを打て! サービスラインまで下がっていたぞ!」
 それを聞いてやっと彼らは合点が入った。小堺のポジションに違和感をかんじていたと思ったら、そういうことだったらしい。普通ならネット前に張り付いてこその前衛だが、小堺はスマッシュを打つためだけに、わざとポジションを後ろに取っていたのだ。そうと分かれば逆にチャンスを広げてくれたようなもの。大井と太田は鼻白むような笑みを浮かべると、何も言わずに頷きあった。
 ボールカウントは2-0と連続でポイントを先取したのはいいが、続いては脅威ともいえる太田のサーブをレシーブしなければいけない。しかし神谷と小堺だってそう何度もサービスエースを取らせるわけにもいかない。剛速球には変わりないが、目とタイミングさえ追いつけば拾えないことはないのだ。神谷はどうにか太田にレシーブを返す。そして太田は小堺のポジションを確認すると、コンパクトに構える。相手もそれほど馬鹿ではないらしく、今は大人しくネット前に張り付いているようだ。それならばと太田はロブで小堺の頭を越すと、素早く大井とポジションを入れ替わった。どちらに打つべきか若干躊躇う様子を見せながらも、神谷は大井が走った方向へ打ち返す。ただし一瞬向こうコートを見たためにシュートを打つ余裕はなく、ごく平凡なボールしか打てなかった。大井はラケットを構える前に小堺の姿を捉える。そしてニヤリと口元を歪めると大きく振りかぶり、サービスラインまで下がっていると確認した小堺の真正面にシュートボールを打ちつけた。
 ノーバウンドの剛速球をどうにか打ち返そうと構えた小堺だったが、ラケットを弾いたボールはそのまま在らぬ方向へと飛んでいきアウトする。当然といえば当然の結果に、第六中サイドは嘲笑を含んだ歓声を上げた。
 ボレーというものは通常、ネット前に張り付いてこそ効果を発揮する。ネットと同じ高さに掲げたラケットを一つの壁として作ることで、打球を弾き落とせるのだ。そう、ボレーは叩くでもなく、打つでもなく、「弾き落す」ことで価値が生まれるのである。
 ではそれがネットから離れた位置でボレーをするとどうなるか? 単純な話、相手コートへ入る前にボールは自分のコートへ落ちて終わるだろう。だから前衛はどれだけ自分の頭上を通過するロブをスマッシュで叩き落したくても、ネット前に張り付いていなければいけない。
 しかし、ネットから離れた位置でもボレーを決める技がある。それが「ローボレー」だ。ローボレーはネットから離れた位置でもボールをノーバウンドで決めるテクニックで、決めの打球というよりは繋ぎの打球で使用される場合が多い。しかも技術的にかなり高等なテクニックを要求される技で、並大抵の中学生がおいそれと使えるものではなかった。使いたくても使えない、むしろ使うほどリスクを生むローボレー。そんな誰もが考えなくても分かりそうなローボレーを、小堺は選んだのだ。

「中間ポジション?」
 丸藤の解説を聞いていた三人と、フェンス越しの安西が同時に聞き返す。
「そう。前衛がサービスエリア近くにポジションを取るのを中間ポジションっていうんだ。ちょうど今の小堺が立っている位置がそうかな。あそこにいるとスマッシュが追いやすいけど、その分ネット前が疎かになるし狙われやすくなる。かなり上位の練達な選手なら出来るけど、僕ら中学生レベルがこなせる代物じゃないよ」
「なるほど~。僕も真似すればたくさんスマッシュを狙えるかも! って思っちゃったけど、あそこに立ってボールが飛んできたら、どう対処すればいいかわからないもんね」
 自身の強力な武器であるスマッシュを有効活用出来るチャンスだと思った吉川だが、すぐにその選択肢は破棄したらしい。
「吉川君でも考えれば分かりそうなものなのに、小堺君はそれを今実行してるんでしょ? まさかそこまでお馬鹿なわけじゃないだろうけど……大丈夫なのかしら」
「狂気の沙汰としか思えんな」
 明らかに無茶だと言わんばかりに嘆く安西と宗方を横目に見ながら、高田がやや怒気を含んだ声で言った。
「お前ら、それを本気で言ってるんじゃねぇだろうな? いくら小堺が馬鹿でも伊達や酔狂で中間ポジションに挑むわけがねぇだろ。あいつはあいつなりの可能性があってやってるんだ。あいつが出来るんなら、出来るんだろ。まずは信じて応援をしようぜ」
 そして大きな声で声援を送る高田。周りのメンバーも気後れしながら、高田に続いて応援を始めた。決して小堺を信じていなかったわけではなかった。ただ、見るからにリスクが高い方法を選んだ小堺に不安を感じずにはいられなかったのである。

「ごめん。やっぱりいきなりだったから失敗しちゃったぜ。次は決まるから!」
 近付いてきた神谷に弁明をする小堺。責めるつもりで来たのではないが、小堺が気にしているところを見ると、本人にとっても相当博打な手段らしい。神谷はそんなペアを労わるように気合をかけた。
「俺は始めからお前がやることには全面的に信頼している。どんな結果になろうとも気にせずに続けてくれ」
 その一言で小堺の顔が途端にパァッと輝く。そしていつもの満面の笑みになると、首を縦にブンブンと振った。
「おうよっ! 頑張るぜ!」

 ボールカウントは2-1。以前リードしているものの、今のミスが第七中サイドに暗い影を落としていた。太田が放つサーブを小堺が返す。もとよりテニスのプレーセンスは神谷よりも高い小堺は既に太田のサーブをしっかりと見極める術を習得していた。ミドルに返球したボールをサーバーだった太田がそのままストレートにいる神谷へシュートボールを打ち込む。神谷がそのボールを右サイドにいる大井へ打ち込むと、小堺は後ずさり中間ポジションに立った。大井はその小堺の位置を把握すると、心の中で舌打ちをしながらラケットを大きく構える。
(なめやがって、一年坊主が。お前、そこのポジションにいて俺のシュートが取れると思ってるのか、よっ!)
 めいっぱいラケットを振りぬいたと同時に、小堺はグッと膝を屈伸させるとラケットを手前に掲げ全神経を集中させる。足のつま先から指先の一本一本まで神経が行き届く感覚に、小堺は周りの雑音がスッと遠のいていくのを感じた。目の前にあるのはコマ送りのようにこちらへ飛んでくるボールと自分の体だけ。ボールの軌道に合わせて体を捌き、ラケットの面を調整してボールを当てる。そしてボールがラケットから離れていったと思った瞬間、スローモーションだった時が動き出した。
 ボールはそのまま左サイドの浅い部分に落ち、慌ててフォローに走った太田が無理矢理ラケットを前に突き出したが、五十センチの間隔を空けて二度目のバウンドをする。それと同時に、観客席から大きな歓呼の声が上がった。
「すっげー! 小堺マジですげーっ!」
「あの男! 本気でローボレーを決めたぞ!」
 興奮して手を取り合いながら口々に小堺に賞賛を送るチームメイト達。安西もベンチの上で足をバタバタさせながら瞳を輝かせていた。素人の安西が見ても鮮やかなローボレーだった。
「凄いわ小堺君! もう先生、怒られちゃってもいい! 小堺くーんっ! ナイスボールよーっ!」
 歓喜しながら手をパチパチと叩く安西の姿に、神谷と小堺は笑いながら手を挙げて応える。そして早々にポジションに着くと、悔しそうに眺めている第六中ペアに進行を促した。
 小堺のローボレーをまぐれだと決め付けた第六中は、もう一度中間ポジションをとる小堺へシュートボールをお見舞いしたが、一度感覚を確かめた小堺に恐いものはなく、その打球を易々と返してポイントを決めた。
 これでゲームカウントは2-2と、一時は絶望的と思われたが第七中がなんとか追い着いた。

 第五ゲームを観客席から観戦する第四中の黒田と角野。第1コートでの次の試合が自分達なのと、ここで勝ったチームが自分達の準々決勝の相手ということもあり、ウォームアップもそこそこに試合の行く末も見守っていた。
「ここにきてローボレーとは恐れ入ったな。公式戦で、しかも地区総体レベルで中間ポジションをとる前衛なんて初めて見たぜ。よく考えた、というよりはよく出来たというべきか」
 隣で感想を述べている黒田に相槌を打つでもなく、頬杖をついて面白くなさそうにコートを見下ろしている角野。もっとも黒田は角野からなんの反応がなくても大して気にしない。
「こないだまで小学生だった分際がローボレーの練習なんてしてたとは思えねぇ。あいつ、感覚だけで打ってやがる。才能ってやつか? ムカつくぜ」
 珍しく僻みめいたことをいう角野が可笑しかったのか、黒田は話しに乗る。
「だったとしても俺のシュートがあの前衛に取られると思うか? あれは大井と太田のストロークがヘボだから決められているだけだ。それに俺ならあんな前衛の真正面に返すなんて芸のない真似はしない」
「はっ。団体戦の時にその一年坊主からポンポンとボレーを決められていた奴がよく言うぜ。足を引っ張られているこっちの身にもなってみやがれってんだ」
 憎まれ口で返す角野に、黒田は薮蛇だったかと口を噤んだ。この二人、お互いに嫌い合っているというよりは角野が一方的に黒田を遠ざけている、といった方が適切だろうか。それ故に黒田も辟易としてしまっているのだ。

 第1コートではローボレーとスマッシュを駆使する小堺とそれを支える神谷、変則入れ替えポジションで対抗する大井と太田のガチンコ勝負が繰り広げられていた。互いのチームを声の限りに応援する両陣営に鼓舞されるように勢いを増す選手達。一本一本に気合が込められた打球がコート内を行き交う。実力は均衡のように思われるほど熾烈な展開だったが、僅かな差が得点板の上に現れ始めていた。
 第六ゲームの中盤に差し掛かった頃、それまで口を閉ざしていた角野が鼻を鳴らすと言った。
「準々決勝の相手、決まったな」
 気は合わないが意見は合うようだと内心感じながら黒田も答える。
「あぁ、もう見なくてもわかる」
 ちょうどそう言った時、コートではまたもや小堺がスマッシュを決めた。この試合だけであの小さな少年は一体いくつ得点を重ねたのだろうか。相手が弱いからか? それともあの少年のポテンシャルが高いからか? そんなことを考えながら、黒田はおもむろに立ち上がると屈伸をする。
「少しアップをしておく。お前はどうする?」
「……行かね」
 頬杖をついたままつまらなそうに言い捨てる相方を横目に、黒田は席を離れた。随分熱心に観戦しているなと思いながらもその横顔がいつになく楽しそうに見えたのは、気のせいだろうか。

 それから試合が終了し、最後の礼を交わした選手達。そして審判からスコア表を渡された神谷と小堺は、第七中サイドへと戻っていく。そんな彼らをチームメイト達は惜しみない拍手で迎えた。
「やったね! みやちゃん、さくちゃん! これでベスト八だよ!」
「大したもんだぜ! 本当に勝っちまったんだからな!」
「これで君達も県大会出場出来たわけだ! 多少はお爺ちゃんに報告できるな!」
「次は念願の黒田さん達だね。さっき君達の試合を観戦してたよ」
 結局、それから1ゲームも落とさずに神谷達は2ゲーム連続でポイントを奪取し、第六中二番手ペアを下した。三年生の実力者相手に勝った一年生ペアに、周りで観戦していた他校の生徒も一気に注目を集める。ジュニアからの経験者に神谷と小堺を知っているものへ出来るだけ情報を仕入れようと躍起になっている輩も見受けられるほどだ。
「そういえば今、コートに入る時に第四中ペアの人から何も言われなかった?」
 ちょうど入れ違いでコートに入っていった黒田と角野に会った彼らを心配して、丸藤が尋ねる。昨日の団体戦で試合終了直前に角野からイヤミを言われたことを聞いていたし、彼らの試合は欠かさずに観ていた第四中ペアを丸藤は警戒していた。ただでさえ一年生にとって他校の三年生は畏怖の対象なのである。
「別に何も言われなかった」
「てか、目も合わせてくれなかったよな?」
 思いの他、淡白な反応に丸藤はホッと安堵の溜息を漏らす。しかし、たった今第四中と接触をしたときにいざこざがあったのは、選手ではなく顧問の安西の方だったのである。

 事務所にスコア表を提出しなければいけない神谷と小堺を先に行かせた安西は、彼らの荷物をまとめると観客席に戻ろうとしていた。するとそこへ、第四中の顧問である佐々木が選手を従えて現れたのである。
「おめでとうございます、安西先生。これでベスト八ですね」
 朗らかな笑顔を浮かべて讃える佐々木を前に、安西は苦笑いで返す。
「ありがとうございます。次に彼らが勝てば、すぐにうちと対戦なんですよね?」
 恐る恐る尋ねる安西に、佐々木は急に瞳を輝かせ始めた。
「そうです! とうとう待ちに待った我々の対戦が始まるんですよ!」
 その尋常ならぬ様子に安西は恐怖を覚え二、三歩たじろぐ。
「ハハハ、そうですね(何よこの人! 我々の対戦って闘うのは生徒達じゃない! 一体何をそんなに楽しみにしているのよ! もしかして、内心ではよっぽど私を恨んでいる? それで賭けに勝ったら相当ひどいことをさせられるんだわ!)」
 全く負ける気がしていない佐々木を腹立たしくも思ったが、それより何より段々と自分の身が心配になってきた。
「あ、あの……佐々木先生。その、賭けなんですけど、やっぱり止めにしません? なんだか一生懸命闘っている選手達に悪いですし、それにいい大人になって賭けだなんて……」
 すると佐々木は顔を紅潮させると安西に一歩詰め寄った。条件反射的に安西はそれよりも四歩も後ずさる。
「何を言っているんですか! そもそもあなたから言い出した話でしょ! きちんと責任を果たして頂かなくては困ります!」
 その剣幕に安西は今すぐにでも泣きたい気分になってしまった。
「は、はい! わかりました!(この人よっぽど怒ってるわ! やばい! 私、かなりやばい! 絶対に何かやらされる!)」
 てっきり冷静沈着で爽やかな男性とばかり思っていた安西は、『智将』と呼ばれる佐々木の本当の本性を垣間見たような気分だった。これは何としてでも神谷と小堺に勝ってもらわなくてはならない。もちろん生徒達自身の為に、ひいては自分の身の安全のために。

更新日 5月14日

「それにしてもさくちゃん、あんなに上手いだなんて本当にビックリしたよ。どうやったらあんなにポンポンとボレーが出来たりスマッシュが決められたりするのかな」
 観客席では勝利した一番手を囲んで第七中メンバーが口々に今の試合について語っていた。その中でも吉川は特に興奮した様子で小堺に話しかけている。自身が前衛ということもあり、小堺のプレーに自分の理想形を見出したのだろう。
「次の試合もお前、中間ポジションにいた方がいいんじゃねぇの? スマッシュも狙いたい放題、ローボレーも決めたい放題で良い事尽くめじゃねぇか」
 そんな安易な発想に部長である宗方がぴしゃりと釘を刺す。
「あれはダブル後衛相手だから効果的だった戦法である。それに第四中の黒田氏の球威はあの第六中ペアと桁違いだからね。小堺君と言えどもそう易々とローボレーは取れないだろう。そのくらい頭を回したまえ、不良少年」
 宗方の言い方が気に入らなかった高田は目を怒らせて胸倉を掴もうとするが、すぐに兄から脳天に拳骨を喰らうと大人しく黙った。
「小堺君、小学校の時よりも格段に上達しているように見えた。それにローボレーなんて練習でもやってるの見た事なかったよ。いつの間に習得していたのか驚いた」
 眼鏡をたくし上げながら尋ねた丸藤に、小堺は汗を拭きながら笑顔で答える。
「ローボレーなんて見よう見真似だよ。なんとなくポーンって返したら出来たってだけ」
「で、でもそれを本当に出来るだなんて、小堺君はプレーセンスがずば抜けているからね。天性の素質ってやつかな、うらやましいくらいだよ」
 本当にうらめしそうに見つめる丸藤へ、小堺はしばらく考えると首を振った。
「俺だってあれだけ上手くやれるとは思わなかったぜ? でもさ、正樹が信頼してくれているって考えると、何でも出来ちゃいそうな気になってくるんだよな。愛の力ってやつか?」
 その一言に全員の表情が凍りつく。時々小堺はなんとなく気まずくなるような発言をするときがあるが、それが冗談なのか本気なのか、チームメイトは判断しかねる事がある。なんだか突っ込むのも悪い気がして言葉を濁す中、あえて宗方は躊躇しながらも話を拾った。
「お、おーい神谷君。こんなことを言われているが、君はどうなんだい? 愛の力ってやつなのかーい?」
 だが神谷は何の反応も示さない。小堺の冗談話(?)を毎度飽き飽きしているのか聞かない振りをする神谷だが、どうも様子が違うようだ。
「おい、神谷。お前、聞こえてるのか?」
 頭にタオルを被せてうなだれていた神谷は、高田の声にようやく気がついたのか顔を上げる。だがその表情は精気に乏しかった。
「みやちゃん……大丈夫?」
「今の試合でだいぶ体力を消耗したんじゃないか?」
 実際に今の試合で、神谷は相手がダブル後衛ということもあったからか、コート内で相当振り回された。更に小学生の頃には味わった事がない強烈なストロークの応酬に、思いの他体力は奪われてしまったらしい。
 心配するチームメイト達に神谷は何か安心させるような言葉でも掛けようとしたが、上手く声が出ない。疲労はあらゆる器官にもダメージを与えていたようだ。
「でもさ! 正樹は体力ないけどその分回復するのも早いしな! この試合をやっている間にスタミナも戻ってくるさ!」
 ペアを気遣ってか小堺も励ます。そんな相方に神谷もグッと唾を飲み込んで何とか答えた。
「次の試合くらいはフルで動けると思う……」
「おうっ! 頼んだぜ!」
 本人の一言に全員胸を撫で下ろしたが、どうにも不安は解消されない。せめて少しでも試合が長引いてくれれば神谷の体力が回復する間を与えてくれる、と祈りながら観戦していたが、残念なことに第四中一番手ペアはあっさりとゲームカウント4-0で試合を終了させた。相手も第一中の二番手と決して弱い相手ではないはずだが、王者としての貫禄をまざまざと見せ付けられた、そんな内容の試合に第七中サイドは慄くばかりだった。




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2010'04.22 (Thu)

個人戦二回戦 丸藤・宗方VSダブル後衛

 高田と吉川がテニス競技場に戻ってくると、丸藤と宗方が競技場内の空きスペースで準備運動を開始していた。
「お、戻ってきたな。不良少年よ」
「おかえり。高田君、吉川君」
 お互い同じような動きで肩の関節を伸ばしながら、二番手ペアは二人を出迎えた。
「誰が不良少年だって、こらぁ? ところでお前ら、そろそろ第二試合かよ」
「うん、次の次の試合。一つ前の試合になったら神谷君が教えてくれるって」
 ちょうどそう言ったと同時に、神谷が観客席からひょっこりと顔を出した。
「丸男、誠司、終わったぞ。あ、竜輝戻ってきたな。お兄さんが怒っていたぞ。勝手にいなくなりやがって、って」
 神谷は無表情のままそう伝えると後ろの観客席の方を親指で差す。
「げ、兄ちゃんまだいるのかよ。もう帰ってもいいんじゃねぇか?」
 露骨に嫌そうな顔をする高田だが、神谷は小さく首を横に振る。
「それは困る。只でさえうちは選手層が薄いんだ。二回戦にもなれば各校、応援にも熱が入ってくる。だから味方は一人でも多い方が良い」
 実際に二回戦だと、一回戦で敗退した半数以上の選手も応援に回ることになるので、観客席は空きが少なくなる。なので高田兄は相手校の応援を萎縮させるという、第七中にとってはスーパーアイテム的存在がいなくては困るのだ。
「でも実際に考えて凄いよね。僕達、全員一年生なのに三ペア中二ペアも二回戦に残っているなんて」
 丁寧に肩の関節をストレッチしながら器用に眼鏡をたくし上げる丸藤に、ペアの宗方が「基本スペックが違うのだよ、我々は」と答えた。そんな問答をする二人を少し羨ましそうに見つめながら、高田が口を開く。
「ところでお前ら、次の相手ってどことだよ?」
「次はね、第六中の二番手だった」
「三年生ペアなんだが、特筆すべきはダブル後衛というところか」
 丸藤達の次の相手は、顧問長の八幡が率いる第六中の二番手。番手が上のペアなのにダブル後衛という少し珍しい組み合わせだ。
「なんだ、ダブル後衛ってことはどっちとも後ろにいるってことか?」
「そういうことだ。丸男、相当ストロークに自信があるペアだけど、大丈夫か?」
 無表情ながらも相手を気遣うように尋ねた神谷に、丸藤は渋い顔をしたまま「丸藤です……」と返しただけだった。そのあまり自信なさげな様子に、宗方が替わって声を張り上げる。
「相手がダブル後衛だとしても臆することはない。それよりも神谷君、キミの方こそ心配したまえ! このまま進めば第三回戦で我々は対戦することになるのだぞ! 練習では負け続けているが、試合では風向きが変わることもあるからね。覚悟していたまえ!」
 相変わらずのビッグマウスに一同苦笑いを浮かべたが、宗方が言うと本当のことになりそうなので不思議だ。神谷は宗方の話に乗って
「じゃあ俺達も絶対負けられないな。三回戦で会うことを楽しみにしているよ。とにかく次の試合も終わりそうだから、観客席で準備しておけ」
 と言って片手を挙げて応える。観客席に戻る神谷の背中を追いかけて高田と吉川も進んでいく。宗方もみんなの後についていこうとしたが、相方の丸藤が立ち止まっていることに気付き足を止めた。
「どうしたのかね、丸男君? 何か不安でも?」
 不安かどうか尋ねられてば、もちろん全くないわけではないが、丸藤の不安要素ももっと別のところにあった。
「う、うん。ダブル後衛か、と思ってね。僕、あんまり対戦経験がないからどうなんだろ、って」
 心配そうに俯く相方の顔を見て、宗方は大きく鼻息を吐き出すと丸藤の背中を叩く。
「無問題! さっき話したように作戦通りにやれば、いくら格上と云えど勝機は見えてくる。安心したまえ!」
 堂々と宣言する宗方を見て、どこからそんな自信が湧いてくるのか疑問にも思ったが、彼がそう言うのだから自分も信じて着いていくだけだと、丸藤は大きく頷いた。
「そ、そうだね。うん、頑張ろう! 宗方君!」
「うむ! 大船に乗ったつもりでいたまえ!」
 顔を見合わせてもう一度大きく頷くと、二人は仲間の待つ観客席に向かって走り出した。

 第六中二番手のダブル後衛、大井と太田は非常に大人しく粘り強い性格な二人で、まさにダブル後衛向きの選手だ。最初はお互い別の前衛と普通の雁行型で組んでいたが、どうもしっくりこないようで、顧問の八幡の提案で去年の夏からダブル後衛として組ませてみたら思いの他相性が良く、以来そのままペアでいる。今時珍しい根性論でギャンギャンと叱りつけるため生徒達からは評判の悪い八幡だったが、唯一第六中部員みんなが太鼓判を押すほどのナイス采配といえば、大井&太田ペアだと言われている。
「なぁ、丸男君。彼らは……双子か?」
 試合前の挨拶を終えた後、宗方は丸藤に身を寄せて尋ねた。
「いや、苗字からするに他人だろうけど。……うん、僕も言いたいことが分かるよ」
同じような背丈に同じような髪型、そして身に纏っている雰囲気もどことなくそっくりな第六中二番手ペア。昨日の決勝戦で第四中と対戦していた様子を観戦していたので大井&太田ペアを見るのは初対面ではないが、こうして間近に見ると本当に双子のようだった。策略をめぐらすのが大好きな宗方は、これも作戦の一つかと勘繰ってしまうくらいだ。
「ところで宗方君、今回の作戦はどうするの?」
 そんな策略家の宗方に指示を仰ぐ丸藤。このペアはゲーム展開を全面的に宗方が企てることになっている。確実に経験が長いはずの丸藤がソフトテニスは素人の宗方に全権を委ねるというのは、決して彼がゲームメイクは不得手だからではない。鋭い洞察力と巧みに策を弄する宗方を全面的に信用しているからだし、思わぬ着眼点で活路を見出す可能性に賭けているからだ。だが、そんなチームの参謀は険しい顔のまま珍しく歯切れ悪い言い方で話し出した。
「うむ、まぁ、あれだよ。先日の決勝戦を見ていて色々考えたんだがね、なんていうか……。とりあえずは君に頼るしかなさそうだ。本来ならダブル後衛相手だとキーマンは前衛ということになるんだが。その、僕は、あれだ……」
 そこで息をグッと飲み込んだ宗方は、苦虫を噛み潰したような渋い顔をして一気に言葉を吐き出す。
「僕は作戦を考えることはいくらでも出来るけど技術が及ばないのでね。かえって下手に手を出して失点を重ねるよりは、丸男君から粘り強く繋いでもらって相手のミスを期待するしかない」
 非常に言いづらいことだし、自尊心の塊のような宗方にとっては面目丸つぶれだろう。しかし自らチームの参謀と謳っている彼は、事実を在りのまま掲示しなければならないのだ。見栄や沽券で策略を濁すほど愚かなことは、彼の自尊心が最も許さないのだ。
 丸藤はすまない気持ちになった。プライドの高い宗方がそこまで素直に報告したのは、まぎれもなく飽くなき勝利への意志だった。ならば、ペアとして彼の期待に応えなくてはいけない。
「わかった。僕も出来るところまでやってみるよ。もしもの時はフォロー任せたよ」
 そう言って丸藤は手をかざす。すると宗方もやっと笑顔を見せてその手にタッチする。相変わらずふてぶてしく見える笑顔だが、ペアには常にこうであって欲しいと思う丸藤だった。

「なぁんか、退屈な試合になりそうだぞ~」
 大きく伸びをしながらつまらなそうに呟く小堺へ、隣に座った神谷がたしなめる。
「朔太郎、そんな事を言うな」
 だが小堺は態度を変える事無く今度は欠伸混じりに言った。
「だってよ、正樹。昨日の決勝戦で見てたけどさ、あのダブル後衛はかなり安定しているぜ。加えてうちの丸男だって相当ミスらないから、なかなか決着つかないだろうな」
 神谷もそういった状況を想定済みなのか、すぐにコクリと頷いた。さっきは宗方達に三回戦で待っていろと言ったが、どうしても実力的に考えて第六中に分があり過ぎる。
「ねぇ、神谷君。あなただったらこの対戦相手とどう戦うの?」
 フェンスを挟んだベンチから声を掛ける安西。すると神谷はまたもや考え込む素振りもなく「精度を上げます」と答える。
「ダブル後衛相手なら前に障害がいない分、好きなところに打てますから。相手の嫌がるところ、つまり足元やバック側など際どいコースで攻めていけばいずれ音を上げてくれるでしょう。ただし僕に出来ることはそこまで。後は朔太郎に全てを任せます」
 名前を呼ばれた小堺は、満面の笑みを浮かべると神谷にべったりとくっつく。お天道様は真上に昇りだいぶ蒸し暑くなってきたのに払いのけようとしない神谷を妙な目で眺めながら、安西は「なるほど。つまりポイントを決めるのはどうしても前衛ってことね」と今の話を聞いて感想を述べた。本人も言っていたように、ダブル後衛との対戦のキーマンは前衛である。後衛同士の打ち合いでポイントを決めることは難しく、殆ど根競べになるのだ。
「だったら尚更、宗方君には頑張ってもらわなくちゃ。なんとしてでもここを勝って、次は神谷君達に当たってもらいたいものだわ」
「先生、なんで僕達と丸男達が戦って欲しいんですか?」
 顧問として自分の選手の勝利を願うのはおかしくないが、生徒同士が当たるのを希望するのは妙だと感じた神谷は安西に尋ねた。
「べ、別に。ただ少しでも多く丸男君と宗方君には勝って欲しいな、って思っただけよ。気にしない、気にしない……」
 まさか佐々木との賭けがあるために少しでも簡単な相手と神谷達が当たって欲しいだなんて、教師としては口が裂けても言えなかった。
 そうこうしているうちに、いつの間にかコートでは試合開始の合図が告げられていた。

 第六中がサーブ権先攻で始まった第一球目、なかなかスピードが乗った大井のファーストサーブだったが、丸藤はこれを丁寧にレシーブで返す。丸藤のレシーブを宗方の頭を越えるロブで返ってきたボールを、丸藤は次に太田へ向けて打った。すると太田はまたもや前衛オーバーのロブで返す。丸藤の案としては、まず後ろにいる二人に交互に打たせて実力を肌で感じようとしたが、一方の第六中は徹底して丸藤を左右に振り回す気だった。十八番というかそれしか打てない丸藤同様に、大井と太田もロブでひたすら宗方の頭上を抜く。コート内は一本目から張りのない打球音がいつまでも続くという、些か緊迫感がない展開になった。ラリーというよりも丸藤と大井と太田の三人でのんびり乱打をしているような、そんな雰囲気すら漂っていて、観戦している方もあくびを噛み殺すのに必死だった。
 それでもロブ同士の打ち合いだがいつしか終わりは訪れる。数分続いたラリーだったが、大井が打つする瞬間にこの地域独特の急なつむじ風に見舞われてボールのバランスを崩してしまい、ミスショットをしてしまった。ボールがコートのサイドにアウトをした後に、第七中サイドから思い出したかのような歓声が湧く。小堺が予想したとおりの退屈な試合展開に、一同試合だということを忘れていたようだった。やっとゲームが進展したことにホッと胸を撫で下ろすチームメイト。だが、観客席は弛緩しているかもしれないがコート内にいる二人には着実に変化が現れ始めていた。
 続いて大井のサーブを受けた宗方だったが、やはりまだ速いサーブには対処しきれずに敢え無くレシーブミスをしてしまい、これでポイントは振り出しに戻り1-1。
 次いで太田のサーブを丸藤がレシーブで返し、またもや例の乱打が始まったことに観客席は両チームとも声援の力を少し落とす。交互に打ち分ける丸藤に左右へ散らす大井と太田の構図は、さっきから全く変化なく続いていく。観客席で見守る生徒達は、よく飽きもせずに何分間も同じ事を繰り返されるのだと呆れながらも、その反面よくこれだけミスショットをしないなと感心していた。中学レベルのソフトテニスでは、自分でポイントを決めるのが三割、相手のミスで得点するのが七割と言われている。つまり自分から打って出ていくよりは相手のミスを誘発させる方が勝利により近付く。そして自分からミスをしないというのが必須条件になるのだ。なのでいくらロブと言えどもここまで全くミスショットをしない展開というのは在る意味、稀有な光景なのかもしれない。それだけ丸藤も第六中ペアも安定したストロークの持ち主といえるだろう。
 だが、いつしか均衡が崩れる時が来る。もう何分間打ち合っていたか思い出せないほど長い展開に終止符を打ったのは丸藤だった。例によってクロスからストレートに振り回されて返すはずだった打球が、ややドライブを薄くかけてしまったのか僅かの差でアウトしてしまった。これでボールカウントは2-1。続いて太田の放ったサーブを今度はどうに返すことが出来た宗方はすかさず前に詰める。コート内の役者が定位置に着いたことを確認したように、再び第六中は振り回しを始めた。またかと観衆がうんざりし始めたと思った矢先に、それまで安定感を誇っていた丸藤がボールをすぐにアウトしてしまった。その様子を見ていた神谷はハッとしたように立ち上がると、試合中にも関わらず駆け出した。
「おいっ、神谷! てめぇ、どこに行く気だ!」
 突然の行動に驚いた高田はその走り去る背中に声をかけたが、神谷は振り返る事無く競技場の外へ言ってしまった。一同不思議に思ったが、今はコート内の二人に注目したい。永遠に続くのかと思われた第一ゲームがマッチポイントを迎えていた。
 おそらく観客席の中でその異変に気付いたのは神谷が最初だろうが、コート内にいる宗方は当然近くにいるからか、もっと早くに気付いていた。
「丸男君、大丈夫かい?」
 マッチポイントを握られた場面でペアにかけるには似つかわしくない言葉だが、今の丸藤を目の前にしてみれば誰でもそう言うだろう。明らかに疲弊した表情に滝のように流れる汗、そして肩で息をする様子は普段の丸藤からは想像がつかない姿だった。傍から見れば単調な動作を繰り返していたように映っただろうが、丸藤はこの時間中ずっと左右に何度も走らせられていたのである。筋力はないがスタミナはあると自負している丸藤だったが、さすがに疲労は隠せなくなってきた。加えてストロークの土台ともなる下半身を集中的にやられたため、得意のロブも翳りを見せ始めたのである。
「だ……ょうぶ……から」
 負けじと劣らず額から止め処ない汗を流している宗方に心配をかけまいと言ったが、かすれた声しか喉の奥から出てこない。自分でもがっかりするほど体力を削られたらしい。悲痛そうに顔を歪める宗方だが、それ以上なにも声を掛けることが出来ず自分のポジションに戻り、頭をフル回転させる。何故もっと早く気付かなかったのかと自分を諌めながら。
 サーブは一巡して再び大井の番になる。今度は最初のようにスピードが乗ったサーブではなく、確実性を狙ったサーブを放つ大井。マッチポイントだから慎重に、というよりはまたストローク合戦に持っていってさらに丸藤の機動力を削いでおきたい、といったように感じた。どうにか気力を振り絞りボールを繋ぐ丸藤。対する大井と太田は当初から変わらず丸藤を右に左にと振り回す作業を淡々とこなしていた。
 一人で走り回る丸藤とは対象的に、大井と太田は二人で交互に打っているし、殆ど大きく位置を移動していないので体力は全く減ることがないのだ。ただ巣に掛かった獲物がもがく様を蜘蛛のようにジッと眺めているだけである。糸に絡むだけ絡まって身動きが取れなくなった獲物は朽ちるだけ、大井と太田には丸藤がそんな風に映ったのだろう。
 左右に往復運動を繰り返させられた丸藤は、遂に疲労の蓄積が重なりすぎたのか、ボールを追いかける途中に足がもつれてしまいそのまま転倒してしまった。悲鳴を上げる第七中サイドを嘲笑うかのように転がっていくボール。丸藤はゲームポイントと一緒に、自身の要となる機動力を失ってしまった。

 丸藤が転んだのと同時に、どこかに行っていた神谷が手にスポーツドリンクを持って戻ってきた。どうやら大量の汗を掻いている丸藤に気付き、水分補給用にと買ってきたらしい。
「先生、これを二人に」
 そう言ってフェンスの上から安西に投げて寄越す神谷。だが運動神経が悪い安西は一つは手でキャッチ出来たが、もう一つは脳天でキャッチしてしまい、もんどり打った。
「美和ちゃん! コントしてなくていいから早く丸男に!」
 宗方の肩を借りてベンチに戻ってくる丸藤。その表情は苦痛に歪んでいる。
「丸藤君、はいコレ! 神谷君から! それと足は大丈夫? 痛くない?」
 ラケットを受け取る替わりにその手へスポーツドリンクを握らせ、ベンチに座らせる心配そうにする安西に、丸藤は肩で息をしながらゆっくりと答える。
「少し……すりむいた、だけで……す」
 どうやら骨に異常はないようだが、その疲労困憊とした姿にチームメイトは何と声をかければ良いか分からなかった。とにかく僅かな時間でも丸藤に休息を取らせるしかない。だがその後はどうする? これからのゲームでどうやって活路を見出せばいいのだろうか? 神谷と小堺にはその打開策に気付いていたが、それは彼らだから出来る事だった。
 つまり、丸藤と宗方では力不足なのである。参謀である宗方もその事には気付いていた。だが、自分の実力が明らかに劣っていることを自分が一番良く知っている彼は、ただ悔しそうに唇を噛み締めるしかなかった。
 一ゲーム目を先取した大井と太田を荘厳というよりは横柄な態度で出迎える顧問の八幡。ベンチに足を組んで座り、両腕を背もたれに投げ出している姿は、あまり教育者として適切とは思えない。だが、第六中の生徒はそんな八幡には既に慣れっこになっている。
「よし、作戦通りあの一年坊はもう打って出てこれないだろう。だからと言ってお前ら、絶対に油断するんじゃない! なんだ大井、あの一本目のミスショットは!」
 叱責される大井も、する八幡も大したミスではないと心の底では思っている。だがこれは八幡特有の指導ということに生徒も気付いているので、あえて反発しても仕方がないと感じているのだ。八幡は技術どうこうよりも、とにかく根性論。生徒に気合を与え、精神を屈強に構えることが勝利に結びついてくると考えているのだ。ライバルである第四中の智将・佐々木とは正反対の指導方法なので、この二人が反発しあうのはごく自然なことなのである。

 役一分間というベンチコーチングの時間はあっという間に終わる。ましてや進行が遅い中学ソフトテニスの試合ならば少しでも時間短縮を図るのが望ましい。第六中の生徒は早々に準備を整えチェンジコートを終わらせたので、丸藤達もいつまでもベンチで休んでもいられずに覚束ない足取りで向こう側のコートへ走っていった。僅かな時間のインターバルでは丸藤の疲労は回復出来なかったらしい。よたよたと走っていく丸藤の後姿を部員達は歯がゆい思いで眺めるしかなかった。第二、第三ゲームを連続で先取されれば丸藤達はこちらに戻ることなく試合を終えることになる。せめてもう一度くらいは、こちらに戻ってきて欲しいとチームメイト達は切に願わずにはいられなかった。
「丸男君、調子はどうだい? 回復したか?」
 額の汗を拭いながら尋ねる宗方。相方が振り回されている間、彼だってコートの真ん中で何もしていなかったわけではない。丸藤が左に動けば空いてる右側のポジションを守らなければならないので、丸藤ほどではないが相当走らせられた。聞かずとも様子を伺えばわかりそうなことだったが、それでも宗方は敢えて尋ねずにはいられなかった。
 そんな宗方をぼんやりと見つめ返す丸藤は、想像以上に疲労が蓄積されているからか、声も出せずにただ首を横に振るだけだった。いつも頼りっぱなしの相方がここまで苦しい状況になっていることに、宗方は悔しくて堪らなかった。そしてそんなペアを少しでも救済すべく、一つの案を提示する。
「丸男君、ショートボールだ」
「ショート、ボール……?」
「そうだ。彼らのどちらにでも構わない。わざと短いボールを放って前に引きずり出す。そう易々と陣形が乱れるとは思えないが、少しは風向きが変わるとは思わないか?」
 それに対して丸藤は何も返答が出来なかった。その作戦は丸藤が第一ゲームの最中に何度も考えたことだったからだ。けれど丸藤は思いながらもその考えを幾度となく押し込めたのである。何故ならそれが第六中ペアのもう一つの狙いだと、気付いていたから。
「どうだい? ここは一つ、その作戦でいこうじゃないか。これ以上、君が疲弊するのはチームとして危険だ」
 頷くことも否定することもせずにジッと俯く丸藤を残して、宗方は彼を返答を催促するわけでもなく自分のポジションに着く。とにかく作戦は提案した。後はチームの要である丸藤がそれを実行するか否かである。

 第二ゲームは第七中がサーブで始まる。丸藤は肩で息をする呼吸を落ち着かせ、確実性のあるサーブで様子を伺う。レシーバーの大井はその速度が感じられないサーブを激しく打ち返すわけでもなく、そのまま丸藤へ緩やかに返球した。どうやら第二ゲームも第一ゲーム同様、丸藤の体力を削る作戦を続行するらしい。その粘着質にも似たやり方に、丸藤は背筋に冷たいものを感じつつも、とにかくボールを繋げるしかなかった。丸藤の意思を確認したように大井と太田もどっしり腰を構える。巣にかかり尚ももがこうと決意した獲物には粘り強く相手をするに限る。
 一方、ネット前で相手後衛の動作をつぶさに観察しながら、宗方はいつ丸藤がショートボールを打っても良いように身構えていた。だが、後方からは相変わらずロブ特有の滑らかな打球音が聞こえるだけ。きっと丸藤も様子を伺っているのか、もしくは振り回されてショートを打ち込む余裕がないのかと勘繰っていたが、一向にシュートを打つ気配がない丸藤に、段々と痺れを切らしてきた。ゲームを長引かせればそれだけ自分の首を絞めるだけだと気付かない丸藤ではないはず。それでも宗方の作戦に同意しないということは……。宗方の歯がゆさは徐々に焦燥感へと変わっていった。
 結局、丸藤はショートを打ち込まないまま、またもやロブを打ち損じた。部員達は声の限りに励ましを送る。そして二本目のサーブも、レシーバーの太田は緩やかな球を丸藤へ返した。丸藤が徐々に弱っていく様子だけを見せられる公開処刑のような光景に、部員達は最早目をつぶりたい気持ちになっていた。ベンチに座る安西もコート内の二人があまりにも不憫過ぎて居た堪れなくなった。だが、そんな彼らよりも最も悔しい思いをしていたのは、誰であろうペアの宗方だった。

 大井と太田から左右に振り回される丸藤。そのさっきから全く変わらない光景に異変が起きた。丸藤が右に走れば自然とコートの左側が空くので前衛である宗方は左側に移動することになる。だが、そのとき宗方はずっとコートの右側に突っ立っているだけだった。
 疲労に蝕まれた丸藤が事態に気付いて驚く。コートの右半分に一列になる自分と宗方。そしてがら空き状態になっているコートの左半分。明らかにポジションを見誤った宗方に、丸藤はなんと言えば良いかわからず、ただ呆気に取られた。それは観客席で見守るチームメイト達も同様で、慌ててコート内にいる宗方へ叫ぶ。
「おい豚! 何を突っ立ってるんだよ! 左! 左っ!」
「さっさと動きやがれ! デブっ!」
 だがそんな彼らの声が届いているはずの宗方は全く動こうとしない。相手後衛の大井は若干疑わしく感じたが、とにかくコートにがら空きの箇所があれば打ち込まずにはいられない後衛の本能からか、真っ直ぐにロブではなくシュートボールで打ち込んだ。その途端、今まで信楽焼きのように鎮座していた宗方が素早く渾身の力でコートの左側へ走り抜ける。そして大井のシュートを無理やり手を伸ばしたボレーで弾き落とした。
 これには第七中サイドばかりではなく、第六中サイドからも歓声が沸きあがった。宗方は初めからこのボレーを狙ってわざと左コートを大きく空けていたのである。誘いにもならない大き過ぎる誘いだったが、これまでロブばかりで感覚が鈍っていた大井には思いのほか利いた様だった。その証拠にシュートを打ち込むにしては球威が劣っていたしコースも大雑把過ぎた。
「な、ナイスボレー。宗方君……」
 この場面でボレーを決めた前衛に賞賛を送ろうとした丸藤だったが、喜ぶはずの宗方がムッスリと自分を睨んでいたのでたじろいだ。
「ど、どうしたの?」
「丸男君、何故ショートボールは打ち込まないのだね?」
 その一言に丸藤はグッと言葉を飲み込んで顔を背ける。
「何かね、君はシュートを打ったら僕に負担がかかると思ったのかい?」
「ち、違う。なかなか打ち込む隙がなくて」
「違うだろう! あの二人が僕に集中攻撃をし出したら一気に負けてしまうと言いたいんだろう?」
 丸藤はハッとし屈辱に満ち溢れた宗方の顔を真っ直ぐに見つめた。宗方本人が、その事を初めから気付いていたなんて。
「そりゃ確かにそうさ。まだまだ素人の僕には、小堺君のようにどんなボールでもネット前で処理できる実力は備わっていない。君がシュートを繰り出すということは、今度は僕が奴らの標的になるという事だからね。相手に新たな攻略手段を与えるようなものだ。だがな! だったら現状をどうやって打開する気だ! このままいけば君の体力が削られて終わる! 僕はそんなことを見過ごしには出来ないのだよ!」
 今のボレーは在る意味、宗方による丸藤へのアピールだった。自分も前衛としての仕事が出来る、自分を信じろと。宗方は怒鳴り声を上げながらも苦痛に顔を歪める。
「それにな、僕はもう君がただ疲弊するだけの姿を見てられないのだよ。それはただ単に可哀想だから、などという安っぽい同情ではない。君一人が抱え込むのが辛くて堪らないんだ。丸藤君、僕にも君の苦悶を分けてくれないか? そうでなくては僕はここで君と同じコートに立っている価値がない」
 宗方の必死の訴えに、丸藤は愕然とするほどの後ろめたさを感じてしまった。自分は、プライドが高い宗方が集中攻撃をされて失望することを恐れて、わざとショートを打つまいとしていた。それがかえって宗方にとって失礼な行為だと気付かずに。だが宗方はそんなことは覚悟の上で抱えることを主張した。本当に抱える覚悟がなかったのは自分の方だったなんて……。
 丸藤は小さく息を吐き出すと呼吸を整える。下半身は鉛のように重たく、これ以上走り回るのは辛く、打球にも影響を及ぼすだろう。いや、既に伝家の宝刀であるロブにも錆は回ってきている。もう、どのみち宗方の実力に賭けるしかなさそうだ。
「わかった。これからはどんどんシュートを打ち込んで相手を拡散していくよ。その後の処理は、宗方君に頼んだ」
 そう言われて、宗方は大きなお腹を突き出して自信満々に答える。
「もちろん! 任された!」
 第二ゲーム目にしてペアの命運は、初心者である宗方の双肩に託されたのであった。

 ボールカウントを1-1にして、サーブは宗方に切り替わる。宗方はラケットを小さく短く構えると、一試合目に見せたカットサーブを繰り出した。本当にいつの間に習得したのか部員一同驚愕したが、そのサーブは敢え無くネットしてしまう。だが二本目、またもや宗方はカットサーブを試みたが、そのボールは見事にサービスエリアに入り、逆回転になるとは知らずに油断していた大井は情けなくも空振りしてしまう。これでボールカウントは2-1と、この試合で初めて第七中がリードした。
 次いで太田へのサーブだが、これも宗方はカットサーブで挑む。タイミングが合ったのか、サーブは一本目からサービスエリアに入った。たかだかサーブが入っただけなのに歓声が湧く。それだけの期待が宗方のカットサーブには込められているのだ。
 だが太田はじっくりと球筋と回転方向を見極め、そのまま宗方へとレシーブを返す。サーブを取られた事よりも自分に返球された事に驚いた宗方だったが、あまりうまくないストロークで再び太田へ返し、すかさずネット前に駆け出す。だがネットに張り付く直前に、体の右側へ太田のシュートボールが打ち込まれる。きちんと体重が乗った威力あるシュートに、宗方はバックハンドだったこともあるが、ボレー出来ずに撃沈した。
 悔しそうに腕を振る宗方だったが、実はその一本が第六中ダブル後衛の攻める対象を切り替える合図になるとは、本人は気付かないでいた。
 ボールカウントは2-2と再び振り出しに戻る。だがボールカウント0-0と2-2では全く意味も捉え方も違ってくる。次にこの一本を取った方が自然とマッチポイントになるのだ。それはコート内にいる選手がその身をもって一番良く理解しているだろう。サーブは一巡して丸藤に回る。ここはしっかりと決めておきたい丸藤は、スピードは乏しいが確実性には定評のあるファーストサーブを放つ。果たして望みどおりにサービスエリアに入ったボールを大井は先ほど同様に緩やかに丸藤へ返した。てっきり自分にアタックを打ち込んでくると思っていた宗方は、四股に込めた力をホッと緩めたが、後ろから聞こえてきた打球音を聞いて再びグッと体を強張らせる。ラケットがボールを掠ったような音、振り向くまでもなくショートボールの音だった。
 それにあわせて大井が前の方に詰めて来る。この試合、初めて陣形を乱したダブル後衛ペアに観衆はワッと声を張り上げた。大井との距離が縮まったことに慄きながらも宗方はしっかりとネットに張り付き、真っ直ぐ対峙する。もしも大井が打ち込んでくるとして、想定されるコースはがっちりと塞いだ。それでも大井は宗方の壁を抜かんとシュートを打つ体勢に入る。
 歯を食いしばってラケットを構えた宗方だったが、大井が打ち込んだシュートは無残にもラケットの間をすり抜けていってしまった。

 湧き上がる第六中サイド。その歓声を耳で聞きながら、宗方は悔しさを顔に出すまいと必死で押し込めた。大井の放ったシュートボールはギリギリ目で追うことが出来た。だが体が全く反応出来なかった。もう一度同じ場面に出くわしたら、次は取れることが出来るのか? ここを取らないとせっかく丸藤に進言したことが全くの無駄になってしまう。彼はそんな自問を繰り返したが、いつまでも思考を止めておくこともならない。試合は絶えず進行している。丸藤の励ましを受けて宗方はポジションに着く。
「とうとう、豚で勝負を賭けにきたか。これが当たりか外れかはわからないけどさ、どのみちこうするしか活路はないわな」
 同じ前衛として自分と重ねているのか、小堺が呟くように言った。
「あぁ。出来れば第一ゲームからこの展開でやればよかったんだけどな。丸男の体力を失い過ぎた。ここで誠司があのダブル後衛を食い止められれば……」
「出来るわけねぇだろ。もしそんなんで勝てるんなら、俺ら後衛は用無しだ。そしてお前ら、前衛もな。だからみんな必死こいて練習すんだろ」
 高田の正論が全員の胸に突き刺さる。そう、そんな図面通りにネット前に立っていれば百発百中ボレーを決められるようなら、誰もボレー練習はしないし後衛はシュートを打たない。宗方のように作戦、戦略も結構だが、結局は前衛を突き抜けるような打球を持つ後衛に軍配が上がるのだ。宗方はそんな初歩的で当たり前な真実に、今は苦しむしかなかった。

 ボールカウントは2-3、第六中のマッチポイントを迎える。ここを落とせば一気にゲームカウントもマッチを取られることになる。丸藤と宗方は窮地に立たされていた。
 そんな場面で丸藤のサーブを太田はロブではなく、珍しくシュートで丸藤に返した。相手も完全に宗方を狙っているわけではない。基本はあくまで丸藤を振り回して自滅させ、勝負に出ようと宗方に預けたら素人同然の前衛を潰す、これを徹底的に貫くつもりだ。ゆるぎないダブル後衛の作戦を前に、丸藤も宗方もなす術はない。散々振り回せた丸藤は、逃げるようにショートを打つ。そこへ待ってましたとばかりに前へ飛び出した太田が宗方の死角となった右サイドを正確に打ち抜いていった。
 愕然と肩を落とす二人。これでゲームカウントは0-2になってしまった。

 もともと、初めから本気で勝てるとは思っていなかった。宗方だって自分の実力を過信するほど愚かではないし、相手の実力が読めないほど盲目ではない。ただ、だからといって何もしていないうちに勝負を投げるのは絶対に許せなかった。それに技術では劣るが、知力を尽くせば活路が開けるかもしれないという淡い期待も捨て切れなかった。
 だがその知力を尽くせば尽くすほど、どうしても粗が見えてきてしまう。勝てない要因が浮き彫りになってしまう。丸藤には何一つ問題は見当たらない。明らかに劣っているのは、自分の実力だった。それが悔しかった。負けてしまうのが悔しいのではない。丸藤の足を引っ張り、自ら足かせになってしまっていることが申し訳なかったのだ。
 第三ゲームは第七中がレシーブと、サーブに比べれば優位なのかもしれないが、この相手では全くそれは意味をなさなかった。第一ゲームではさほど球威を感じさせなかったサーブを放っていた大井だが、ここで一気に勝負を決めにきた。バウンドした瞬間にホップするようなサーブを受けて、丸藤は思わず仰け反ってレシーブをミスする。
 普段の丸藤だったら、どんな体勢になろうとも返球くらいはしそうなものだが、第一、第二ゲームで散々痛めつけられた下半身が、既に対応できなくなっている。第六中ペアが様子見を終えて一気に刈り取りにきたのはそういう下準備が整ったことを確認したからだ。
 丸藤が取れなかったサーブを、さらにストローク力が劣る宗方が取れるはずもなく、続いての大井のサーブに宗方は触れることすら出来なかった。
 これでボールカウントはあっという間に0-2、太田へとサーブが回ってくる。ストローク力は大井よりも威力がありそうな太田だったが、サーブは今一つ劣るようで今度はどうにかレシーブを返せた。そして終盤になろうとも例の振り回しで執拗に丸藤を攻めだした。恐ろしいほど堅実で粘着質な攻撃に、丸藤は既に思考すら疲弊されている。その心中をペアの宗方も痛いほど分かっていた。ショートボールを打つ気配を見せない丸藤に、もう彼はこれ以上負担を掛けたくなかった。
 左サイドから右サイドへ振り回される丸藤。自分もそれに合わせて左サイドに移動しなければならなかったが、宗方はまたもポジションに逆らって動こうとしない。第二ゲームで大井を出し抜いた作戦だったが、これには観客席で見守っていた全員が発狂しそうになった。そんな見え見えの作戦なんぞ決まるわけもないし、逆に穴を広げるだけだ。だが、今の宗方には状況を冷静に見極める眼を失っていた。ただ丸藤の負担を減らすこと、それだけに心を奪われていた。
 失望しながらラケットを大きく構える大井。同じ手に二度と引っかかるほど馬鹿ではないし、第一焦った宗方は既にボレーをせんと走り始めている。動きがバレバレもいいところだ。だから、敢えて大井は宗方の賭けに乗ることにした。こんな自分を舐め切ったプレーで挑んでくる相手には力を持ってして応えるに限る。実力の差というものを見せ付けておく必要があるようだ。
 大井は狙いを定めてラケットを一閃する。打ち抜く場所は宗方が得意なフォアボレーで決められる左サイドの更に左寄りの際どいサイドコース。宗方は必死に腕を伸ばしてシュートを止めようとした。だがダッシュが弱く腕が短い彼ではとても届くわけもなく、ボールは虚しくラケットから一メートルの距離を置いて通過していった。

 遂にマッチポイントを取られて後がない二人。なんとしてでも逆転を狙いたい宗方は、このレシーブを決めなければならない。
 太田のサーブが放たれる。若干体に力が入りすぎたからか、レシーブは大きく宙に浮いた返球になってしまった。しかし宗方にしてみればもっけの幸い、ネット前につめる時間が稼げる。ボールがバウンドするのと同時に息せき切ってネット前に着くことが出来た宗方はしっかりと太田のフォームを確認する。大きく構えたところを見ると、ロブで返す気はないようだ。とすると、絶対に丸藤がいる右サイドに打ち込んでくるはず。宗方は左足を小さく屈伸させて力を込める。ここでポーチに出ればバックボレーになるが、この際気にしていられない。宗方はラケットを引くとタイミングを合わせて右サイドに向かって駆け出した。その途端、今まで自分がいた左側へボールが飛んでいく。しまった! と思う暇もなく打球はコート内に吸い込まれたのと同時に、第六中サイドが歓喜する。
 太田は宗方がレシーブ後にすぐポーチへ出てくると始めから読んでいたのだ。そして自分の行動を読まれたことに、宗方はがっくりと膝を折る。結局、何もすることが出来なかったばかりか、お荷物にしかならなかった自分が情けなくて、堪らなかった。悔しい思いが胸を締め付けて立ち上がれずにいると、相方の丸藤がそっと自分の肩に手を当てて弱弱しく微笑んだ。それがまた宗方の胸を締め付け、彼はもう、どうにもならなくなってしまった。

更新日 5月1日

 試合終了の挨拶を終え自チームのベンチに戻ると、安西が二人を拍手で迎えてくれた。結果は惨敗ながらも、精一杯頑張ったことを讃えてくれているのだろう。その隣に神谷と小堺がスタンバイしている。彼らの試合は、丸藤達のすぐ後だったのだ。
「済まないな、君達。三回戦で当たる予定だったけれども負けてしまった。我々の雪辱、君達がきっと晴らしてくれることを切に願うよ」
 いつもと変わらない調子で言う宗方に、二人は無言で頷く。そのすぐ後ろから第四中の一年生が二人、審判台に向かって走っていく。基本、主審と副審は前の試合の敗者が行うことになるのだが、同じ学校同士が選手と審判では不公平が生じるので、大会役員が気を回して第四中の生徒に審判をお願いしてくれたらしい。先輩達の試合の応援をしたいだろうに迷惑そうな顔をしている第四中の生徒を眺めながら、宗方は観客席に戻らずそのまま競技場外に歩いていった。
「ぶぅちゃん、試合見ないの?」
 どこに行くのかと不審に思った吉川が尋ねる。すると宗方は振り向きもしないで「トイレさ」と答えた。
「あ、僕も一緒に行くよ」
 宗方の後を追うように丸藤も観客席を離れる。その時に一瞬だけ吉川には、宗方がばつ悪そうな顔をしたように見えた。

 一緒に行くと言ったものの、別段用事もなかった丸藤は、トイレに入っていく宗方を見送り自分は近くの木陰で待つことにした。
 試合で負けた後というのは言葉では言い表せない苦味が残っている。こればかりは何年間もテニスをしてきたが、決して慣れることが出来ないと丸藤は思った。いや、慣れてしまっては駄目だろう。こんな気持ちを味わいたくないがために、逃げたくないために自分は中学生になってもテニスを続けることを決意したのだ。木陰に佇みながら丸藤はそんな感傷に耽っていたが、いつまで経ってもトイレから宗方が出てこないことに気付いた。
 かれこれ三分ほどは経過している。第一コートでは既に神谷達の試合が始まっているだろう。自分も早く戻って応援したいのだが、如何せん宗方が遅い。丸藤はお腹の調子でも悪いのだろうかとトイレの出口を眺めながら心配していたが、相方は一向に出てくる気配がなかった。ちょうどその時、トイレから二人組みの男子が出てきた。ユニフォームから察するに第三中の生徒だろうが、そんな彼らの会話が聞こえてきた。
「何だったんだ、あいつ」
「あぁ、ちょっとキモかったな。あれ、かなり泣いていたぜ」
 特に聞くつもりはなかったのだが、一度耳に入った会話だったのでその後の話も自然と聞こえてきた。
「よっぽど試合に負けて悔しかったんじゃねえの」
「でもさ、なんで『おじいちゃん』って単語が出てくるかね。爺さんでも見にきてたのかな?」
 その言葉を聞いて、丸藤は弾かれるようにトイレに入っていった。
 三つある個室のうち、一番奥にある個室のみ鍵がかかっている。そしてその扉の前に立つと、男子生徒のすすり泣く声が聞こえてきた。トイレ内には他に誰もいない。丸藤は個室のドアに耳を当てた。
「ぐす……なんでなんだよ、一体。ふざけるな、ぐす……なんで僕が負けなきゃいけないんだよ。僕は……市議会議員であるお爺ちゃんの孫なんだぞ……ぐすん。なんで僕は、こんなに弱いんだよ……。こんなんじゃ、おじいちゃんに顔向け出来ないし……ぐす、丸男君に申し訳ないじゃないか……」
 このまま、聞かなかったことにしてトイレから離れるのが一番良いのかもしれない。プライドが高い宗方のことだ、こんな場面を知り合いに見られたらさぞかし傷つくだろう。けれど、丸藤はドアに額を当てると小さく、個室の中に聞こえるほどの声で囁いた。
「宗方君、僕は全然なんとも思ってないよ。神谷君達の試合を見に行こう? 僕、中学に入ったら絶対に神谷君達に勝ちたいって思っていたんだ。だから少しでも彼らの試合を見て研究しなきゃ。それに、ペアが宗方君じゃないと勝てる気がしないよ。うぅん、宗方君じゃないと勝てないんだ。だから、ね?」
 個室に響いていたすすり泣く声が始めは大きくだが、徐々に小さくなっていく。丸藤はその声が聞こえなくなるまで、ジッとドアに額を押し付けて待っていた。



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